断腸亭日常日記 2005年 スペイン日記。−その2

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年のスペイン滞在日記です。

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 5月23日(月)

 昨日は朝洗濯をして、昼はM夫妻の所に行って18日のビデオを観た。セサルのファエナを観ていたら涙が出てきた。エル・シドもやっぱり良かった。Mさんにはこんなビデオを観た後だと今日の闘牛がつまんなくなるかもと、言ったが、どっこい、つまんないどころか感動した。セバスティアン・カステージャは凄い!化け物だ!あれだけ危ない牛であれだけ感動的なファエナをするのは驚異的なことだ。観ていて怖いのと凄いのとで本当に感動した。それだけに、プレシデンテが耳を出さなかったのには本当にガッカリした。彼がやったファエナは、後世に語り継がれるファエナだ。ラス・ベンタス闘牛場のアフィショナードはこの感動を忘れることはないだろう。

 それにしてもあのファエナを観てアナスタシアさんは何も感じないと言うことが異常。おかしい。アベジャンじゃないとこういう闘牛は判らないと言うことだろう。それはでもこっちにすれば、ガッカリだ。


 5月24日(火)

 昨日の闘牛は疲れた。いつも隣には、TさんとYさんが座るのに、Yさんの替わりに寿美さんが来た。それは良いんだけど、ポンセの出場で写真を撮るために自分席よりも低いこっち来たのだ。それで、ポンセが良いなら疲れないけど、ポンセがダメでなんて言って良いか考えるから余計疲れる。ポンセが良かったら考えなくても良いけど、いつものポンセ。でも、闘牛は真剣に観れた。特にいつもはまともに観ないポンセをちゃんと観た。ラス・ベンタス闘牛場に来てもクルサードが甘い。牛を誘うときも手を前に出すと言うより横に出している印象。パセが全てとは言わないけどピコ。コロカシオンも良くない。

 ただムレタ捌きは超1流。脚が弱い牛を相手に、初めはつぶさないように手を高目にしてパセを通したりパセの最後をパセ・デ・ペチョの様にわざと上げて牛が首を上げるようにしてパセを通している。こう言うところは流石にだてに1349回も闘牛場に立っていないぞと言うところを示していたが・・・。Mさんはもっと過激なことを言っていた。あんな闘牛やっても客が拍手する。判ってないんだよ。ポンセのファンってのはパセを繋げば喜ぶような、そういうファン。闘牛なんかどうでも良い。闘牛なんか判ってない奴らばかり。でも、リンコンのファンは闘牛のことを良く判っている。それで、良い悪いを言っている。闘牛士の質も違えば、ファンの質も違う。ポンセはあれで良いと思っているのよ。あそこで止まっている。リンコンは闘牛を極めようとしているからもっとこうしなきゃとか思ってやっているから良い闘牛が出来る。いわばポンセは犠牲者よ。あんな客しかファンに出来ないから。これで良いと思っている。あれじゃなぁ。年間100回も闘牛やっていると安全な方へ安全な方へ体が覚えていってちゃんとした闘牛が出来なくなった。フリもそうよ。未だフリはちゃんとやろうとし ているけど。ポンセなんか80年代の闘牛士。ソトルコなんかあれは50年代か60年代の闘牛士よ。何にもないんだから。

 セサル・リンコンは、かつて僕とのインタビューで、「全ての闘牛ファンは、闘牛の技術を愛している」と、言った。これがセサル・リンコンの闘牛に出ているのだ。ポンセが何と言っているかは僕は知らない。でも、闘牛を観ていてポンセから話を聞こうと思うことは非常に少ない。

 Mさんとは何故か波長が合う。家で飲もうと誘われてつまみながら話をした。そしたら3人とも血液型がB型というのが判明した。だから、こんなに波長が合うわけ?それが判った瞬間、俺は笑い出した。血液型って本当にあるのかと思ってしまうよなぁこれじゃ。

 今後の予定を書いておく。明日はグラナダへ行って闘牛を観る。26日はマドリードへ帰ってくる。27日はコルドバへ行く。28日はベネフィセンシアの切符を買うので並ぶ。28日HPがアップできるだろうけど25日26日27日全部の観戦記は無理だろう。とにかく良い闘牛が観たい。セサルの闘牛が観たい。


 5月25日(水)

 昨日はいくら技術的に足りない見習い闘牛士と言っても、余りにも非道い闘牛で呆れてしまった。耳を切れる牛が出てきているのに何にも出来ない。耳2枚切れる牛が出てきているのに何にも出来ない。どうなっているの?本当にトレオ・デ・サロンとか練習やってるの?カポーテの振り方もムレタの振り方も非道いなぁ。ムレタなんて牛を誘って真っ直ぐに引いてくる。引くんじゃないの。ムレタを持っている肩を支点にして回すの。だから、牛は体の周りを廻るのだ。こんな闘牛の基本が出来てなくて良くサン・イシドロに出てくるよなぁもう。

 信じられないくらい非道い闘牛。田舎行って闘牛見てるんじゃないんだから。ここはラス・ベンタス闘牛場だぞ。レベルが低すぎ。非常に良い牛を出したジェルバブエナ牧場の牧場主は、あの大闘牛士オルテガ・カノと嫁さんで歌手のロシオ・フラド。5頭目の牛をオルテガ・カノがやっていたらインドゥルトか耳2枚と尻尾を切っていただろう。


 5月26日(木)

 さっきグラナダから帰ってきて飯を食った。グラナダはポンセが良かったが剣で耳2枚が消えて耳1枚。マンサナレスの替わりに出たアントン・コルテスが耳1枚ずつ取ってプエルタ・グランデ。セサル・リンコンは牛も悪かったが耳なしの挨拶だった。それより、昨日のサン・イシドロでセバスティアン・カステージャがまた、プエルタ・グランデしそこなった。耳1枚と場内1周。5頭目の牛でピンチャッソ1回あったためで、プレシデンテも22日と同じセサル・ゴメス・ロドリゲスだったらしい。観ていないから何とも言えないがプエルタ・グランデを開けてやればいいのにと思った。

 昨日ほど、サン・イシドロを観れば良かったと思ったことはない。セバスティアン・カステージャは2回もチャンスを逃した。唯一の救いは、ビデオで観れることだ。セサル・リンコンの追っかけだからしようがないけど・・・。セバスティアン・カステージャをサン・イシドロでプエルタ・グランデさせる会の会長をしようかな。今日は、セサル・リンコン、あのミゲル・アンヘル・ペレラのコンフィルマシオン。マティアス・テヘラはどうでも良い。天気が良いので、良い闘牛が観たい。牛次第だけど、セサル・リンコンとミゲル・アンヘル・ペレラに期待する。


 5月28日(土)

 26日は、セサル・リンコンがグラン・ファエナをしたが、剣がバホナッソで耳1枚止まり。剣が良いところに決まっていれば、2回連続のプエルタ・グランデになっていたのに、残念でしかたない。この日はいつもの席でなくテンディド7の1列目で写真撮影しながら1人で観戦した。僕の席には三木田さんが座った。始まる前に、三木田さんが来たから良い闘牛が観れるかも知れないと、番長と2人で三木田さんの腕を触って、良い闘牛が観れますようにと願をかけた。そしたら本当に良い闘牛が観れた。彼が来た14日、18日、26日、と、プエルタ・グランデを含め全て耳が出ている。

 終わった後、彼と飲みに行こうとしたら、M夫妻と番長も加わって飲んだ。その時に、三木田さんのことを、セニョール・オレハと言わせて貰いますと、言ったら、みんなが笑っていた。トイレに行って帰ってきたら、三木田さんがティッシュで頭を拭いているので、どうしたの?と、聞くと、鳥の糞が落ちてきてと、言った。そしたらみんなは、運が着いていると言って笑った。その三木田さんは、セサル・リンコンのファエナについてこんな事を言っていた。あんな遠くに立って牛を誘って、牛が動き出したらバーって鳥肌が立って凄く感動した、と。

 27日は早いので帰ってきて寝て、コルドバに行った。ファン・ペドロ・ドメク牧場の牛だったが非道い牛でガッカリ。ポンセはいつものポンセで耳2枚切ってプエルタ・デ・ロス・カリファス(プエルタ・グランデのことをコルドバではそういう)をした。ミックス闘牛で見習い闘牛士のフリオ・ベニテス(マヌエル・ベニテス“エル・コルドベス”の息子)が出たが、非道かった。ムレタのパセが殆ど全て牛の角にはらわれていた。ムイ・マル!シン・クラッセ。コルドバの駅でラファエルと話したが同じ事を言っていた。当然だ。あんまり非道いんで5頭目のポンセの耳2枚を観て駅に向かった。行くときもそうだったがセサル・リンコンファンが一杯マドリードからコルドバまで来ていた。少なく観ても30人はいた。行きの車両には、ラファエルもいたし、コルドバを下りるときには、良く覚えていない人にも挨拶された。多分、18日プエルタ・グランデの後でホテルで会った人なのだろうと思うけど・・・。

 セサルの牛だけ危険で動かない牛で、帰りのAVEを待つホームで、闘牛場で貰って扇子を仰いでいるとそれ闘牛場で貰ったんだろう。と、知らない人に声をかけられた。そう、今日は牛が悪かった。僕はポンセは好きじゃない。セサル・リンコンの追っかけだ。と言ったら、私たちもだと5,6人の南米系の顔をした人達が言った。多分、コロンビア人だろう。帰りの電車は疲れて寝ていた。アトーチャに着いてホームを歩いていくと10人以上の人の輪が出来ていたので、何処かの芸能人か、フラッシュなんか焚いてなんて思って、輪の中心を観たら何とセサル・リンコンだった。セサルの横にラファエルがいてセサルに挨拶して握手したらビックリした顔をしていた。もうその時点で人の輪は30人くらいに達した。

 コルドバの駅で見かけたラマルカもセサルに挨拶した。みんなに囲まれて嬉しそうな顔をしていた。やっぱりコロンビア人が多いけど、スペイン人に最も愛されている外国人闘牛士がセサル・リンコンだ。俺もフラッシュ焚いて写真を撮った。コロンビア人たちは自国の英雄に対面できた喜びでセサルが移動すると輪も移動する状態がアトーチャ駅を出るまで続いた。それはそうだろう。日本で言う国民栄誉賞を受賞したコロンビアの英雄なのだから。今年のサン・イシドロで活躍している、バリバリと言うより円熟した現役闘牛士。途中でラマルカに声をかけて写真を撮らせて貰った。ちゃんと彼の名前を言ったので驚いていた。それから、ムイ・ブエナ・アフィショナードと誉められた。横にはTVEの闘牛中継出てくるハビエルも笑ってみていた。ラマルカは去年までラス・ベンタス闘牛場のプレシデンテをしていた。僕が観たラス・ベンタス闘牛場のプレシデンテでNO1がルイス・エスパーダ。次に良かったのがラマルカだと僕は思っている。彼が今年からプレシデンテを舐めたのは僕にとっては寂しいことだ。

 朝、ラス・ベンタス闘牛場へ行ってアナスタシアさんと交代してベネフィセンシアの切符を買った。ソルのバレラを買えたので文句なし。今年からクレジット・カードで切符が買えるようになったので楽。


 5月29日(日)

 今日はエル・ファンディに代わり、セバスティアン・カステージャが出場する。彼はプエルタ・グランデを開けるつもりで来るだろう。どうなるか?そして、雨の天気予報。これもどうなるか?終わった後は、下山さんがTV出演でラス・ベンタス闘牛場に来るので夕食を一緒に取る予定だ。


 5月30日(月)

 昨日はまゆみさんからTELがあった。下山さんがちょんぼをしたことを聞き闘牛が終わった後の待ち合わせ場所を聞いた。ここにはあえてそのことは書かないが・・・。闘牛が終わった後、下山さんと会って花友で食事した。焼き肉を頼んだら花友のおばちゃんは、焼き肉用のテーブルを日本から船で持ってきたのだと言って、ヨーロッパでは初めてこのテーブルを使っているのだと自慢していた。日本の焼肉店にある煙を吸うテーブルである。ディヒタル・プルスの闘牛中継でゲストで呼ばれていたのでラス・ベンタス闘牛場に来たのだ。セバスティアン・カステージャは残念だった。ペレラも。

 闘牛の話をしていたら、観戦記に書いた剣刺しの足の運びについて面白いことを言っていた。本来は剣刺しの時には、左足から踏み出しのではなくて、右足から踏み出すのだと。アントニオ・オルドニェスは右足から踏み出していたという。そして、下山さんのアポデラードだったジョン・フルトンがそういうやり方を教えたのだそうだ。下山さんは、合気道をやっていたので、そのコツを飲み込んで、右足から踏み出した方が剣が決まるのだと言っていた。口で説明できなから違うところで体を使って説明すると言っていたが、そのことを忘れてしまったので聞けなかった。疑問がまた1つ増えたのだ。タクシーを捕まえて乗ったところで別れた。しかし、足の運びの最後は左足が外に抜けていくのは変わらないのだが・・・。


 5月31日(火)

 昨日のアランフェスは、寿美さんがポンセから切符を手配して0さんと3人で観に行く予定だったが、手配できずに1人で行った。僕もグラナダ、コルドバとセサルの兄貴に手配していたが、TELしたら何列目が欲しいと言われ、ソルのバレラと言ったらそれならタキージャで買った方が良いと言われて闘牛場で買った。だから、そういうことがあるのでそれはしょうがないことだ。これが、フランスのダックスとかだと売り切れの時が多いのでショックだが・・・。かえって自分の座りたい場所で観れたので良かった。

 と言うわけで遅めにアランフェスについて開始45分前くらいにタキージャでソルのバレラが買えた。ソンブラは買うつもりがないが、切符は売り切れだった。席に着いて座っていると横にフランス語でしゃべる人達が座り、ワイワイやっていた。それが開始直前になってスペイン語に替わり隣の男の隣に座ったのがアントニオ・コルバチョだった。座った顔を観て、名前を言って挨拶をした。セビージャで会っていることを覚えていた。そうホセ・トマスの初代アポデラード。ホセ・トマスの闘牛の育ての親である。アントニオ・コルバチョは、僕の顔を観てビックリした顔をしてそれから笑っていた。

 僕はそれから闘牛の関する質問をしなきゃと思ったが、闘牛が始まるとそっちに集中していた。時々アントニオの顔を観たが、いつもと変わらない顔で面白いんだかつまんないだか解らない顔をしていた。1頭牛が終わるごとに立ち上がっていた。闘牛を観るときはこうする方が尻に血が廻るので良い。ラス・ベンタス闘牛場の観客の殆どもそうやっている。セビージャもそう。ポンセは珍しくファエナが長くアビソが2回鳴った。総立ちになった闘牛場で嬉しそうにブエルタをする。そして、モランテの世にも美しいパセ。今日の目的だったモランテの良いファエナが観れて本当に良かった。牛が退場するときに拍手が起きたので、牛は悪いとアントニオに言ったら、その通りと、言っていた。そして、フリのつまらないパセ。牛の目の前に立ってクルサードしてパセを繋ごうとしていた。アントニオに、ホセ・トマスを同じ事をしているのに感動がない。と言ったら、真面目な顔で、感動はないと断言していた。

 闘牛が終わって、アントニオ・コルバチョに挨拶をした。どこに住んでいるのか聞かれたので、東京に住んでいて毎年ファリア・デ・アブリルとサン・イシドロを観に来ているのだと言った。そうしたら感心していた。そこで質問した。セサル・リンコンは何故遠くから牛を呼べるのかと聞いたら、答えのスペイン語が判らなかった。そうしたら、ああやって牛を呼ぶと4回か5回ムレタッソが出来る。でも、重要なのはパセは体の近くを通すことだと言った。僕はニコッと笑ってハイと言った。それからお礼を言って別れた。とっても良い気分でマドリードに帰ってきた。


 6月1日(水)

 もう6月になった。サン・イシドロも残すところ3日。トゥリンファドールの行方も気になるが、昨日の闘牛が終わった後、榎本さんが気になることを言っていた。それは、今企画中だけど6月26日にラス・ベンタス闘牛場でセサル・リンコン、エル・シド、セバスティアン・カステージャのカルテルを組んでいてセサル・リンコンはOKを出していると、いう物だった。情報源は4日くらい前の、『EL MUNDO』。家に帰ってきて、最新の『6TOROS6』を観たらディヒタル・プルスが6月の最終週にラス・ベンタス闘牛場または他の闘牛場で、ハビエル・ペレス・タベルネロ牧場の牛で、上記のカルテルを組むことを企画しているらしい。言っておくがこの3人のカルテルは、ラス・ベンタス闘牛場でやるから意味がある。他の闘牛場では全く意味が違ってくるのだ。

 そこで冷静に、6月のカルテルを観た。26日は、エル・シドがアルヘシラスのカルテルに入っている。ではと、12日を観たらエル・シドがプラセンシアのカルテルに、セバスティアン・カステージャはMAUGUIO(フランス)のカルテルに入っている。ではと、19日を観た。そうしたら3人ともカルテルが入っていなかった。この企画は、19日の可能性があると言うことが判ったのだ。僕の帰国予定は17日。こういう良いカルテルは日曜日にやるようなカルテルじゃない。サン・イシドロか、ベネフィセンシアか、オトーニョでやるカルテルだ。それもフェリア中の目玉になるカルテルだ。今年の場合、アベジャンの馬鹿がサン・イシドロに出なかったのでファンの要望が多かったようで、ベネフィセンシアのカルテルに入った。本来は、ベネフィセンシアでこの3人のカルテルだったはずだ。アベジャンって本当に馬鹿。馬鹿で馬鹿でどうしようもない大馬鹿野郎だ。勿論、日曜日にやってもラス・ベンタス闘牛場は満員になるだろうけど。その中に俺がいなかったら意味がない!

 こんなカルテルを組むのはやめて欲しい。何故なら僕が観れないからだ。僕が観ないで3人ともプエルタ・グランデしたら一生悔いが残る。ディヒタル・プルスが企画しているとすれば、TV中継をするかも知れないと言うことか。でも、このカルテルを組んだらアフィショナードは諸手を挙げて喜ぶだろう。僕は観れれば喜ぶけど。元々ベネフィセンシアの予定日だった16日にやってくれれば嬉しいけど・・・。

 スコールのような土砂降りの雨の闘牛が終わって、M夫妻、三木田さん、番長、榎本さんと集まった。途中でススペンションのアナウンスがあったり、それから続行が決まったりで、最後まで観た人は偉い。みんな最後まで良く観たなぁって感じで笑った。大体終わってここにいること自体に驚いているのだ。隣のグループの中にはアルミジータとアントニオ・コルバチョがいた。この日は声を掛けなかったけど・・・。M夫妻の所で夕食をご馳走になる。何もないと言っていたけど、ラコン、サラダ、納豆スパゲッティなどをワインを飲みながら戴いた。


 6月2日(木)

 昨日のカリファには感動した。非道い牛でも、その牛から何とか良いパセを引き出そうと命賭けだった。あの必死さ、純粋さに感動した。3頭目のカリファのファエナが終わった後、立っていたら涙が出そうになってきた。男。男が男を観て本当の男を感じるのがカリファだ。最後の牛も危ない牛で、ファエナも大変だったが剣刺しは本当に命賭け。頭が高くそれで上に振るから剣刺しに行くと角が腕に当たって刺せない。それをカイーダで逃げずに何度もピンチャッソしながらちゃんと刺そうとする。最後は本当に良いところに剣を決めていた。男だぜカリファは。

 闘牛が終わった後、M夫妻、番長、榎本さんと会う。M婦人は、ビクトル・プエルトなんて全然良くないじゃない。と話しかけてきた。いやそれよりカリファ凄かった。そしたら、凄かったね、あれは。格好良いわよカリファは。ちゃんとやって、あんなの出来ないわよ。最後の牛だって頭高くて刺せないで、危ないのに最後はちゃんと良いところに刺して。そっ、あれは立派。俺なんか3頭目の時、涙出そうになって・・・。と、言ってまたグッと来て言葉が出ないでいると、それを観た、M婦人は僕の顔を観てニコッと笑っていた。目がちょっと潤んでいるようだった。


 6月3日(金)

 いやー今年のサン・イシドロは、つぶれない牛を持ってきている。だが、耳2枚取れるような牛が殆ど出てきていない。18日エル・シドが相手にしたアルクルセン牧場の牛と、26日セサル・リンコンが相手にしたハンディージャ牧場の牛くらいだった。が、この2頭も、闘牛士が良いから耳2枚の価値があるファエナになったが牛自体が非常に良いという物は、トロでは出てきていない。ノビージョでは、2頭いた。でも、これは見習い闘牛士があまりにも下手でそういうファエナにならなかった。今年になって興行主が代わり、興行的には大成功だ。去年は数えるほどしかノー・アイ・ビジェテにならなかったが今年は、もう14回もなっている。今日も間違いなくノー・アイ・ビジェテだ。

 サン・イシドロは残すところ今日だけ。ビクトリーノ・マルティンがどういう牛を出してくるのか楽しみだ。みんなエル・シドに期待している。どんな闘牛になるかフィナーレを飾ることが出来るか期待しているんだけど。

 11日から3ヶ月メトロの3番線が運行を停止する。HPのアップはどういう風にやればいいのか考えないといけない。代替運送でバスが走るそうだが、これが迷惑をかけているからとタダらしく(去年は)、非常に混んでいてスリまで現れるらしい。そんな中でPCを持って通うのはちょっと嫌な気がする。どうするか考える。


 6月4日(土)

 昨日の闘牛が終わって、プエルタ・グランデに行った。人垣が出来ていて騎馬警官がエル・シドの通り道を作っていた。エル・シドの車を見つけそこに張り付いた。モソ・デ・エスパーダが来たので、おめでとう、と言うと、ありがとうと返ってきた。知らない人だけど、そう言われて嬉しくないはずはない。プエルタ・グランデが開き肩車に担がれてエル・シドが出てくると、「トレロ」コールが鳴った。凄い人だけど、セサルの時より写真が撮りやすかった。セサルの時はもうもみくちゃ状態で撮ったはずのシャッター・チャンスでフラッシュが焚けていなかったりで、現像した写真にはガッカリした。今度はおそらく大丈夫だろう。

 それからみんなと会った。M夫妻、Wさん、Tさん、Yさん。番長や寿美さんは仕事でいない。それからサン・イシドロの打ち上げのコロキオをした。エル・シドの耳2枚には勿論異論が出た。あれは耳2枚ではない。そのことはみんな判っているだ。でも、5頭目のセサル・リンコンに捧げたファエナは耳2枚のファエナだった。剣が決まったときに、観客が耳2枚を出すように要求したのだ。まるで5頭目のピンチャッソを織り込んでいるかのような判断だった。あの5頭目のファエナを観たらプエルタ・グランデに文句を言う奴はいないだろう。

 しかし、あのファエナで耳2枚出したプレシデンテのセサル・ゴメス・ロドリゲスは22日25日とセバスティアン・カステージャに対しては2枚目の耳を出さなかった。だから、エル・シドの耳2枚には文句がなくても、セバスティアン・カステージャに対しての判定への不満は依然くすぶり続けるだろう。フランス人には耳2枚出さないのか?と言う言われ方だってされるだろう。この事に関しては、ミゲル・アンヘル・モンチョリのサン・イシドロのスペシャル番組で、新聞記者のホセ・アントニオ・ボラルが言っていた。ついでに書けば、モンチョリは、番組に出ていたカルロス・ビジャンとホセ・アントニオ・ボラルに、今年のサン・イシドロのトゥリンファドールはセサル・リンコン?それとも、エル・シド?と、聞いた。2人とも、セサル・リンコンだと断定していた。当然の答えである。

 コロキオには、Wさんを除いて全員が参加した。去年から来ているパコの店だ。みんなエル・シドのプエルタ・グランデに喜んでいた。2頭目のファエナが耳2枚だったことについても、耳2枚のファエナじゃないことも判っている。でも、全員2枚目の耳を要求する白いハンカチを出していた。ここでプエルタ・グランデを開けてやらなかったら、また剣が失敗して出れないかも知れないと思っていたからだ。僕は5頭目の剣刺しの時は冷静に観ていた。これじゃ剣が刺さらないぞと思った。何故なら、前脚が揃っていなかったからだ。思わず待ってるからちゃんと置けと言いそうになった。

 2回目のピンチャッソの時も脚が揃っていなかった。それをテンディド7に指摘されて置き直したけどまたピンチャッソ。3度目にようやく決まったが時すでに遅し。本当に2頭目の牛で耳2枚出ていて良かった。ビクトリーノ・マルティンの牛は良くなかった。セビージャで観たときは凄い牛が出てきたがこの日は非道かった。それでも、非道い牛を動かしてしまう技術をエル・シドは習得してしまった。凄い闘牛士になってきた。5頭目の牛をセサル・リンコンへ捧げたときは胸が熱くなった。18日のビデオでエル・シドは、セサル・リンコンのことをマエストロと呼んでいた。今年彼らは、何回一緒に闘牛をするのだろう。良いライバルとして闘牛場を沸かせることだろう。

 Tさん、Yさんとサン・イシドロを一緒に観るのは今年で3年目。初めの頃は判らないことなど教えたりして観ていたが、今年は大分自分たちで判るようになってきたようだった。それでも、Tさんは判らないと言っていた。それは、M夫妻や僕は、15年以上観ている事への経験や知識に対する憧れ、劣等感と言った物があるようだが、そんな物はどうでも良いことなのだ。今ここで行われている闘牛をちゃんと観れればそれで充分だと思う。Yさんも、M夫妻や番長、寿美さん、僕の話を聞いていて、判らないことがあると、言っていた。それも同じようなことだと思う。でも、Yさんはホセ・トマスを観れたのが1番良かったと言っていた。

 それはそれぞれの見方があるのと、感覚、感性、など色々違う部分があるから難しいところがある。M夫妻とは見方が似ているが、番長や寿美さんとは違う。でも、その違いはお互いにある程度は判っていることで、だからといって、けなしあったりすることはないのだ。闘牛が好きであればそれで良いのだ。

 サン・イシドロが終わった。これから色んな所でトゥリンファドールなどの発表があるだろうが、僕なりに判断すると、トゥリンファドールは、セサル・リンコン。メホール・ファエナは、18日のエル・シド。メホール・キーテもエル・シドかな。メホール・エストカーダは、ホセ・イグナシオ・ラモスかセラフィン・マリン。メホール・ピカドールは、マルシアル・ドミンゲス。バンデリジェーロは意見が分かれるだろう。メホール・ノビジェーロはなし。騎馬闘牛は2回の内、1回しか観ていないから判断できない。


 6月5日(日)

 昨日は、すずめさんと会った。朝早く目が覚めてカフェテリアに行って新聞を読んで、それから会ったが、眠いのと体がだるいのでボーとしていた。色々話をしたが良く覚えていない。12時過ぎから18時くらいまで飯を食べたりして話した。でも大事なことを教えて貰った。今度はその手を使ってみようかなと思う。日本に帰って実行に移そうと思う。

 日曜日なのでTVEでモーターサイクルのレースをやっていた。スペインでは、F1ドライバーのフェルナンド・アロンソとバイク250CCのダニ・ペドロサがチャンピオンでいるが、今日はそのダニ・ペドロサが優勝した。が、2位に入った、ホルヘ・ロレンソは凄い走りをした。18歳で表彰台で棒の付いた飴を舐めながら昇ったが、将来の世界チャンピオンを感じさせる走りだった。コーナーでのアタックやアグレッシブな走りは大きな可能性を感じる。


 6月6日(月)

 何だか疲れているようで眠い。昨日はそんな訳でTV観ながらゴロゴロしていた。おかげでバイクのレース3つとローラン・ギャロスの男子決勝を観た。スペイン人とアルゼンチン人対決で、ラファエル・ナダルがファン・カルロス国王とソフィア王妃が観ている前で勝った。勝った瞬間にコートに倒れ喜んだ。これがいつもの癖というかいつもこうやる。それから、ファン・カルロス国王の所に走って行って挨拶をしていた。国王は腕を掴んで結構長いこと話しかけていた。それから客席に上っていって家族や知人コーチなどに抱きついて喜んでいた。

 その頃になると場内に多分、スペイン人だろうけどトランペットのファンファーレがなった。そう闘牛が始まるときのファンファーレ。バレンシアのそれに近かった物が吹かれると場内に、「オーレ」の声が鳴り渡った。それが3回くらい吹かれたので「オーレ」が3回なった。コートに戻って席に座ったら涙が溢れてきてタオルで拭いていた。カップのプレゼンターはレアル・マドリードのジタン。フランスだから当然と言えば当然だがスペイン人が勝った日にこういう演出をするかとビックリした。そして、時間が18時40分くらいになっていた。もう行かないと闘牛に間に合わない。急いで闘牛場に向かう。

 ジョアオ・モウラの息子のコンフィルマシオンの日で、父親がパドリーノ、パブロ・エルモソ・デ・メンドーサがテスティーゴで、何とノー・アイ・ビジェテ。土曜日にマルカのサン・イシドロ特集の記事をISOさんから貰ったらそこには、今年のサン・イシドロで19日間ノー・アイ・ビジェテだったと書いてあった。僕は闘牛場に着いたときにタキージャを観てその日の観戦記にほぼ満員とかノー・アイ・ビジェテとか書いていたが、そこでは15日間ノー・アイ・ビジェテであったと書いた。が、おそらくマルカの記事の方が正しいだろうから、今年20回目のノー・アイ・ビジェテだったのだ。

 そしてビックリしたのは、ジョアオ・モウラの息子はかなり素晴らしい騎馬闘牛士になるだろうと感じた。今でも親父より良いくらい。将来的には、パブロ・エルモソ・デ・メンドーサのような素晴らしい馬乗り馬使いになる可能性を感じた。今年の4月で16歳になったばかり。スペインでは16歳以上でないと職業に就けないので、なって直ぐにスペインデビューをして、5月のニーム(フランス)でアルテルナティーバをして昨日、コンフィルマシオンをした。何も急がなくてもとも思うが、でも、闘牛を観てこれは、本物だなと思った。スター候補だ。

 マヌエル・ベニテス“エル・コルドベス”の息子のフリオ・ベニテスとか、リベラ・オルドニェスの弟のカジェタノ・オルドニェスと違って偽物じゃない!本物だ。アンディー・カルタヘナがデビューした頃は、生きの良い元気で派手なビオリンで観客を沸かせ、若者らしい思い切りの良い手綱捌きで観客を魅了したが、ジョアオ・モウラの息子は、とても10代の若者が乗っていると思えないようなちゃんとした騎乗技術を持っている手綱捌きだった。特に1頭目はそう思った。今年サン・イシドロの騎馬闘牛に出た若手、アルバロ・モンテスとか、セルヒオ・ガランなんかは、簡単に追い越せそうな技術の持ち主だ。今年発見した最高の若手が、ジョアオ・モウラの息子だ。


 6月7日(火)

 昨日ようやく3日の観戦記を書き上げてアップした。それから、ISOさんに自分のPCを使わずにHPをアップする方法を教えて貰ってバルに飲みに行った。色々面白いことを話したが、闘牛を観ながら、あるいはサッカーを観ながらノートにメモを取る事についての話になった。彼が、Josemi さんに会ってのノートを取っていることを言ったら、斎藤さん観たいと言われたそうだ。何年前なのかは知らないが。どうやら、知らない人で自分と同じ事をやっている人間がいることを知ったらしいのだ。観たときの印象や、やり方、その他のことをメモにすることによって後から観て判るし、それを参考にして観戦記を書くことは、自分の考え方や見方をまとめることになるので非常に良いことであると、言う意見で一致した。

 誰かが観る観ないに関係がなく、そう言う作業を続けることによって、これが自分自身のための資料になる。最後はここに来る。資料として残しておくために観戦記を書き続けるのだ。人に為に金にならないことを続けるのは難しい。自分の為にやるなら続けられる。何度HPを投げようかと思ったことか。結局続けているのはそう言うことなのだ。

 それと、セビージャでセサル・リンコンを観たときに、彼は、ダメな牛なのに命を賭けて真面目に牛に向かっている。と、言った。こんな言葉は、なかなか出ない。今日は面白くないとか、ダメだとか言いたくなる物なのに、そう言ったのだ。彼に言わせれば、それは、サッカーの観戦記を書き続けているからそう言うのが判ると言っていた。つまり、今日はダメならそのダメさをどう書くか、今日良いのなら何処をどういう風に書くかという工夫をいつの積み重ねて来たから、そういう風に言えたのだという。

 やはり、観戦記を続けて書いている人は、同じように考えて、そこで行われていることを、観ることが出来る物らしい。ここがポイントだよなぁ。何故ダメだったかを書く観戦記の方が得意だと言っていた。僕も同じような気分の時がある。これがないとダメ!何故、どうして、こういう疑問を持って観ていないと、物が見えてこないのだ。


 6月8日(水)

 部屋にずっといると、おかしくなるので朝飯を食ったら外へ出かける。FNACへ行ったり、コルテへ行ったり、メルカドへ行ったり、バルで本を読んだりする。そうしないと体が違和感を感じる。多分、運動不足だからだ。ラス・ベンタス闘牛場で、行われると言われていた、ホセ・トマスとホセリートのテンタデロや、セサル・リンコン、エル・シド、セバスティアン・カステージャの闘牛は、6月にはやらないようだ。テンタデロは噂だけに終わるのか、本当にやるのか判らない。3人の闘牛は、19日に、アルメリアでセサル・リンコンとエル・シドが闘牛をすることが決まったので完全になくなった。

 所でサン・イシドロの表彰が色んな所で発表されている。闘牛は、プレンサを合わせて19日間行われて、耳9枚、プエルタ・グランデ2回。耳を取った闘牛士は、出場回数が多い順に、セバスティアン・カステージャ、マティアス・テヘラ、セサル・リンコン、エル・シド、セラフィン・マリンの5人だけである。見習い闘牛は、耳3枚。プエルタ・グランデはなし。騎馬闘牛は、耳5枚で、プエルタ・グランデはセルヒオ・ガランだけ。去年は、闘牛士では、1回、見習い闘牛士では、2回、騎馬闘牛士では、4回のプエルタ・グランデがあった。

 そして、今日ベネフィセンシアが行われる。毎年、TVEでTV中継が行われていたが、今年はテレマドリードが中継をすることになった。何とインターネットで観れるのだ。注目はエル・シド。またプエルタ・グランデするか、アベジャンが何処まで観客を沸かせることが出来るのか、サムエル・フロレス牧場の牛は良いのかどうか、闘牛の重要な要素の牛が良くなければ闘牛は盛り上がらない。

 昨日は、くまさんの所で、日本酒と焼酎を飲んだ。ガイドの人とかスタッフ、泊まりTさんの5人。


 6月9日(木)

 昨日闘牛が終わってから、みんなで最後のコロキオをやった。Wさんが初めにいて、それからそこに向かって歩いていくと、番長が後ろから声を掛けて合流して話をしていたら、三木田さん、M夫妻、Yさん、Tさん、と集まり最後にKadoyanが来た。三木田さんは一杯だけ行きましょうと行っていたが、行けばそれで終わるはずがない。Tさんは帰り、Wさんは店の前まで行って帰った。残りの8人が参加して0時近くまで飲んだ。この日の合い言葉は、アベジャン、ダメじゃん。アナスタシアさんは、ガッカリしていたが、そこまで言わなくても・・・と泣きが入っていた。でも、ダメな物はダメ。もうちょっとやるかと思っていただけに、ガックリだよなぁ。

 でも、90年代の後半、セサル・リンコンだって全然ダメだった。口笛吹かれて終わったかと思った。それが今年のように復活したのは驚きだ。驚異的と言っていいだろう。C型肝炎の病気を抱えながら、体が思うように動かないジレンマを克服しての復活だ。セサルはとても喜んでいるだろうし、セサルを追いかけてきた闘牛ファン、勿論僕もその1人だけど、は、この上ない喜びを噛み締めているのだ。男性的な絶叫のようなオーレの声。誰も言わないのにシーンとなってしまう深い静寂。この闘牛場のコントラストは何も音だけの事ではないのだ。

 ラス・ベンタス闘牛場の観客の姿だけ観ても全然違うのだ。テニスの試合の時のように目線は闘牛士だけに注がれている時が良い闘牛の時で、隣の人と話している時は、悪い闘牛の時。闘牛士が牛の前で見栄を切って、喝采がなる時が良い闘牛の時で、牛の前で見栄を切っても口笛が吹かれる時が、悪い闘牛の時。

 そういう風に、極端なまでのハッキリしている。ラス・ベンタス闘牛場でいつも喝采の中に身をおける闘牛士はいない。だからこそ、ここの喝采には世界一の価値があるのだ。5月18日、6月3日、ラス・ベンタス闘牛場で闘牛を観れた人は幸せだ。僕はその日の闘牛を観れて幸福だった。特に1番好きなセサル・リンコンのプエルタ・グランデを観れて・・・。

 Mさんに、91年に闘牛を観て、セサル・リンコンを観て、こいつを観れば闘牛が判ると直感したからずっと追いかけて闘牛を観たことを言った。もし、そういう気持ちで闘牛を観ていなかったら闘牛が判らなかっただろうと思う。そうだろうとMさんも言っていた。それが重要だと。好きだから何でも良いと思って観ていたら闘牛は判らなかっただろう。闘牛の技術、奥深さはセサル・リンコンと、オルテガ・カノ、ホセリートが良い例としてあり、悪い例の代表が、当時NO1だったエスパルタコの闘牛だった。それから、ホセ・トマスが登場するがこれも良い例の代表になる。闘牛の見方は色々な見方がある。でも、基本はちゃんとある。それを闘牛場で掴むことが大切だ。それが重要なのだ。


 6月10日(金)

 もう夏。暑いので床屋に行って髪を切ってきた。少しは涼しくなるだろう。来週の今日は日本に帰る。色々準備をにないとダメだ。土曜日にコパ・デ・レイの決勝を観に行こうとしていたが、切符が売り切れで取りやめになった。サッカーは観るなと言うことだ。日本はワールド・カップの出場権を取ったが、スペインは、非道い試合ばかりで未だどうなるか判らない。ジーコで出場権を取ったのは日本にとっては意義のあることだと思う。ISOさんは、高校生に大学生の授業をしているようで危ういと言っているが、トルシエの後に、こういうサッカーがあるのだと言うことを知らしめるのは良いことだと思う。


 6月11日(土)

 昨日、ISOさんにPCからでなく、メモリー・スティックからHPのアップの仕方を教えて貰った。メールの送受信もPCからでなくて出来ることを知る。ホット・メールじゃなくても、ちゃんと出来るのだ。知らなかった。原理を知っている人には、このように簡単なことが、僕にはちっとも判らなかった。それが、重さ100gくらいのメモリー・スティックと、ノートさえあれば簡単にできる。これもメトロの3番線が今日から3ヶ月間不通になるから仕方がなくやる作業である。人間困ったことになると工夫をする。闘牛士が非道い牛をどうやって動かすか考えるのと一緒。しかし、ISOさんがいて良かった。いなかったら大変なことになっている。

 そのやり方を教えて貰って、2人とも昼食を食っていなかったので夕食を食べに行った。外は雨が降っていた。大根のサラダ。と、言ってもお新香と言った方が良いそれを食べて空腹なのでビールをチビチビやっていたら、空腹で気持ちが悪かったのが直ってきた。それからビーフン、牛すじ、餃子を食べていたらお腹一杯になった。食べ終わることには雨が上がった。

 朝早く起きたがまた寝ていた。それから直ぐにトイレに行ってアイスを囓りながらアナスタシアさんの所に行って、ビデオを観た。26日、6月3日、22日の3本。やっぱり素晴らしい闘牛だった。22日のセバスティアン・カステージャは、何故プエルタ・グランデじゃなかったのか判らない。そのことはTVの中でみんな言っている。セサル・リンコンがバレラで観ていて、そのことを訊かれ、プエルタ・グランデじゃないとおかしいと言っていた。その中で、デスカベジョが1回ピンチャソだったから?と、言っていたが、あれは出してやらないと可哀想だ。あそこまでやった闘牛士なのに・・・。


 6月12日(日)

 土曜日、コパ・デル・レイの決勝がマドリードのビセンテ・カルデロンで行われ、延長の末、ダニの決勝点で2-1でレアル・ベティスがオサスナに勝った。ベティス・ファンは大喜びで、オサスナ・ファンは、泣いていた。でも、非常に立派だと思ったのは、終わった後、勝者のレアル・ベティスに泣きながら喝采を送っていたことだ。悔しい気持ちを、ヤケを起こすのではなくちゃんと自制して、勝者を讃えることを忘れない。バスク人はこうなのかと感心した。もし、逆だったらセビージャ人はバスク人のように同じ事をするだろうか?

 メンバーズ・ハウスに行くのに3番線が運行停止になっているので、アトーチャへ行きセルカニアでディリシアスに来るとき、アトーチャ駅では、ベティス・ファンの大騒ぎ。セビジャーナスを踊ったり、歌を歌ったり、まるでフェリア・デ・アブリル状態。陽気と言えば陽気だけど、バラバラにホテルをとって泊まっているようだ。一方、オサスナ・ファンは、パンプローナ。サン・フェルミンの牛追いが有名だが、出来ればパンプローナだけでは闘牛を観たくないところ。だが、カルデロン近くの墓地にテントを張って泊まっているという。このバスク人の組織力は、セビージャ人の比じゃない。おそらく、スペインでもっとしっかりした組織を昔から作っているのが、バスク人だ。社会保障もそうだろうし、金融組織も現代の銀行様な物を昔から組織化していたと聞く。

 サッカーではレアル・ベティスが勝ったが、ファンではオサスナが勝っていると思う。日本人は、ああいうバスク人を手本にするべきだ。イタリアやスペインの陽気さに憧れるのは良いことだが、同じラテンにも、素晴らしい物を持っている人達がいる。それがバスク人だと思う。因みにパブロ・エルモソ・デ・メンドーサもバスク人である。


 6月13日(月)

 昨日は、Kadoyan、とその知人、アナスタシアさん、と後から三木田さんも合流して闘牛を観た。サン・イシドロの本番が終わった闘牛で、アントニオ・バレラ、イバン・ビセンテ、レアンドロ・マルコスという過去にサン・イシドロに出たことがある3人だった。牛はセプルベダ牧場。血統が、アタナシオ・フェルナンデス牧場。バレラは、クルサードしているが良いパセを引き出せない。やっていることは間違っていないように見えるが、牛を動かしているのではなく、牛にムレタを合わせているだけ。重要な物が足りない。イバン・ビセンテは、カポーテは良かったが、ムレタはさっぱり。レアンドロ・マルコスは、何も出来ない。そして、3人とも距離が全然判っていない。

 セサル・リンコンのように、完璧にやれとは言わないが、もうちょっと牛それぞれの距離の取り方があるのだから、それを頭の中に入れて誘う場所を決めないといけない。が、それが、例えば、5mとか、7mとかに、いつも立って牛を誘う。工夫がないのだ。人間だって同じ事をされたら飽きる。牛が飽きないように、変化を付けて牛を誘わないと、牛は動かないし、良いパセが出ない。それが3人とも判ってない。簡単に言えば、初めの3頭はパセが出来る牛。それで出来ないのは能力がないと言われても仕方がないだろう。

 終わった後、プエルタ・グランデというバルでコロキオをした。今年最後のコロキオ。始めて闘牛を観たKadoyanの知人は、つまらない闘牛でガッカリしたようだが、闘牛は、感動するときもあれば、腹が立つくらいつまらないときもある。両方観ないとダメだが、初めての闘牛があれじゃ、ちょっと可哀想。また行こうという気がなくなる。この日の闘牛は、本番のないモザイクのかかったアダルト・ビデオを観ているようにつまらなかった。だから、観戦記は書かないことにする。バルでは2杯飲んでコロキオは終わった。また、来年闘牛を観れることを願って別れた。今日を入れてタバコがあと3箱。何が悲しいってハイライトが切れそうなのが悲しい。何か買ってこないと。


 6月14日(火)

 目覚ましを掛けて起きたが、また寝てしまって起きたのが12時半前。トイレに行き歯を磨いて直ぐに部屋を出てアナスタシアさんの所へ行った。Tさんはもう来ていた。99年のベネフィセンシアのビデオを観ていた。初めのパブロ・エルモソ・デ・メンドーサを観てそれから、18日のセサル・リンコンとエル・シドを観た。それから、25日のセバスティアン・カステージャを観た。18日の闘牛を観ながらTさんはセサル・リンコンはチャンスを逃さない男だ。と、言っていた。そう言われれば、エル・シドは何回剣で耳をなくしたんだろう?今年と去年だけで3回。その前から合わせたら5回以上は剣で耳をなくしている。その内プエルタ・グランデは2回逃している。では、ホセ・トマスはと考えると、正確ではないが思い出すままに数えると5回あり、その内2回プエルタ・グランデを逃している。セサル・リンコンは、今年の26日の剣刺しがちゃんと刺さっていたら耳2枚だったと仮定して3回あり、その内2回プエルタ・グランデを逃している。

 結構みんなチャンスを逃しているが、印象としてはホセ・トマスやセサル・リンコンはプエルタ・グランデが多いのでチャンスを逃さないと思われているのだ。セバスティアン・カステージャの場合は、2回チャンスがあったが2回ともプレシデンテによって拒否された。これは大きな違いがある。つまり剣が決まっていたのに出来なかったからだ。と言うことは、ファエナの問題だ。ファエナにそれだけのインパクトが足りなかったからと言われても仕方ないのだ。25日のビデオを観た印象はどちらとも言えるような非常にあやふやで難しい所があるのだ。

 昼飯は、Tさんが持ってきたスモークサーモンやチーズ、ハムなどをつまみながら、アナスタシアさんの作ったちらし寿司を戴いた。一旦帰って、日記を書いてプラサ・エスパーニャからタダのバスに乗ってディリシアスへ行った。そこでHPをアップして、メールを観た。メールが来て仕事は20日から始まることが判った。それから、ISOさんと食事をするためにグラン・ビアへ行きフットサルのJ君と、闘牛の会に来たことのあるフラメンコの人と4人で夕食を取った。そこで言われた。髭を生やしていた方が良いと。日本で観たときの印象があったから始め観たときは判らなかったと。でも、その方が良いと。でも、M婦人からは髭はない方が良いとベネフィセンシア後のコロキオで言われたのだ。女の人の言うことはよく解らない。どっちが良いのかと。でも、これは、17日飛行機に乗る前に剃る事に初めから決めているのだ。

 それからISOさんと、オサスナ・ファンの話をしたら、やはり彼の知り合いの日本人たちは絶賛に近い誉め方をしていたそうだ。同じように観ているのだ。こういうのはイギリスのファンと似ているそうだ。フーリガンで有名なイングランド・ファンの中にも手本になるような人達がいるのだ。考えてみればサッカー発祥の地。腐っても鯛。そういう人は根本を支えている人種だと思う。


 6月15日(水)

 新聞やその他の整理をした。未だ、プログラムや切符の整理はしていない。こっちは直ぐ出来るので良いが新聞の整理には時間がかかる。毎日やっていればいいのにそれやらない俺は馬鹿に近い。馬鹿に近い証拠に、ラス・ベンタス闘牛場のHPからセサル・リンコンがプエルタ・グランデした5月18日のスクリーン・セーバーをダウン・ロードしてPCで観れるようにした。これを眺めているだけでも幸せな気分になる。ついでに書けば、5月26日のグラン・ファエナの自分が撮った写真を、PCの壁紙にした。今までは、ホセ・トマスだったが、画面全面にセサルのナトゥラルの写真がある。これもなかなか良い。

 昨日も寝るのが遅く、朝目覚ましを掛けたが起きず、Kさんに起こされた。それで話し込んで外に一緒に飯を食いに行き戻ってきた。それから思い出したように写真を取りにFNACに行った。ついでに、『Aplausos』 を買ってきた。セサルとエル・シドのインタビューが載っている。時間があるようでないのが状況のようだ。写真の整理もしないといけないが、これがまた、時間がない。


 6月16日(木)

 明日、帰国の日を迎える。昨日は、Mさんと飲んだ。部屋へ行きカメラ機材を観た。最近はデジカメを使っているという。その方が出来上がりが直ぐに判るから良いそうだ。スポーツ新聞でも最近はデジカメで撮ってPCで送信して翌日の紙面の写真を決めているらしいからそっちの方が便利なのだろう。僕は相変わらずポジ・フィルムで撮っている。接写用の機材を見せて貰ったが原理は昔と一緒。それを工夫して手作りで作っているからビックリ。こういう事が出来ないとカメラマンをやっていられないのかも知れないと、感心した。

 それから外に出て飲んだ。話は勿論闘牛の話。ISOさんから、マンガの原作を書くという話をしたときに、「誰を?」と訊かれ、アベジャンと言ったら、「それよりやっぱりセサル・リンコンでしょう。そんな小物じゃなく、大物を書いた方が良い」と、言われた。言われてみれば、その通り。今まで頭の中にあった物語が、もう一度新しく書き換えないといけないと思った。王道で行く。その通りと思った。第1弾は、セサル・リンコンで決定だ。そのことをMさんに言ったら、そっちの方が良いと言われた。書こう書こうと思っていると出来ないよ。さらっと書けないと出来ないよと言われた。

 そうなのだが、どこから始めれば1番良いのか、物語をどういう風に進行させ組み立てたら面白くなるのかをやはり考えるのだ。それも、書いてからいくらでも手直しできるだろうけど・・・。今までセサルのことを色々書きためてきたけど、それとは全く違った発想で書かなければならないだろうと言うことは判る。何故ならこれまでやってきたことは、どちらかというと、ドキュメンタリーであって、物語ではないからだ。物語的な発想と展開が必要になってくる。

 Mさんに言われた。闘牛の面白さを日本人に伝える必要がある。そういうのは闘牛を一杯観た人でないと出来ない。斎藤君は一杯観ているからそういうのが出来る。闘牛の見方も良いし。だから、書いちゃいなよと言われた。Mさんには刺激を受ける。これでまた気分が勃起した。


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