−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年のスペイン滞在日記です。
4月16日(水)
マドリードに予定通り到着した。パリからマドリードに来る飛行機の中で何と重要なものを忘れてきたことにはたと気づいた。ノートパソコンのACアダプターを忘れてきたのだ。つまり、この状態だとパソコンが使えないと言うことなのだ。飛行機の中で暗くなった。HPの更新は出来ず、パソコンで日記や観戦記が書けないと言うことなのだ。バラッハスについて直ぐにタバコを吸って両替をした後、くまさんにTELをして相談。何とかなりそうな目途がついて、下山さんにTEL。何か暗いですね、と言うから理由を言うと、HPに、お金とパスポートとパソコンがあればあれば良いと書いてたのにと、笑われた。
成田エクスプレスを降りて時計を買ってエレベーターに乗ってふと下を見たら、「斎藤さん。やっぱり斎藤さんだ」と声が聞こえた。何とカードに荷物を乗せて須佐君があがってきた。搭乗手続きをして茶店へ。飛行機は違うがマドリードに行くのだそうだ。ある目的を持って。この事はその目的がかなったときに書くとして、彼は3人目の子供が産まれたそうだ。名前は央嶺(オーレ)。長男。長女が真鳥(まどり=マドリー)、次女が明玲奈(アレナ)の3兄弟だ。
須佐君は体を悪くして1月に入院して仕事に復帰したが体の調子が悪く辞めたそうだ。そう言われてみれば痩せて顔色も悪い。食事制限がかかっていて、塩分とタンパク質の1日の摂取量が決められているのだという。雰囲気が河島英五に似ていて、髭を生やした顔はトム・ウェイツに似ている。トム・ウェイツなんて知らないか。これは褒め言葉なのだ。彼は苦労して家族を守っている。あんな良いヤツが病気になっているなんて可哀想だ。これからの生活が上手く行くように願っている。また会おう。
Kさんの所に着いて、お土産を渡して話していたら、ACアダプター何とかなるかもと言って、自称元電気技師のKさんが活躍してパソコンの電源が確保された。本当冷や汗ものの話だった。これから荷物を作ってセビージャへ行く。
今回は、始めに1つの良いことと3つの悪いことがあった。須佐君にあったことが良いこと。ACアダプターを忘れ、飛行機の中の食事で前歯の差し歯が欠けたこと、須佐君が病気になっていたこと。差し歯は、3本分あるが真ん中を挟んで両端で綱いてブリッジにしている真ん中が欠けた。だから直接歯にしみたりしないようなのでそれだけが未だ救い。今年の旅はどうなるのか。
4月17日(木)
さっき闘牛場に行って来た。21番のバスで行ったのだが、プラサ・ヌエバまでは行ってなくて、プエルタ・デ・ヘレスで折り返しになっている。これはセマナ・サンタでカテドラルの前がそれぞれのマリア像の山車と言うか神輿(みこし)が通るので交通規制がかけれられているためだ。あの通りのバルなどの前には観客席が作られていてその店がその客席を管理しているようだ。だからあらかじめ予約のようなものをとっていないとその客席で観ることが出来ないようだ。昨日は丁度山車や行列が通っているときにそこを通ったのでそのことが判った。大変な混みようで観光客が来てそれを観るのがなかなか難しいようだ。
闘牛の切符は手に入れた。欲しい券は殆ど手に入れた。頼まれた切符が何枚かあったがちょっとした間違いがあったが今日それが解決した。解決していないのは20日ドミンゴ・デ・レスレシオン。これはもう切符は売り切れになっている。この日はキリストが復活した日なので特別な日で、闘牛も特別な闘牛になるのだ。出てくる闘牛士も、ポンセ、モランテ、フリと言う有名な闘牛士たちがだし、なかなか観光客行って切符を手に入れるのは難しい。20日の切符を公営ダフ屋に行ってあるかどうか聞いたが、ないと言われた。あそこの公営ダフ屋がないなら他の所はもうないだろう。何年もセビージャに通って経験上他の所で切符を持っているところはまずないだろう。
当日午前中か、始まる前に闘牛場の近くでダフ屋と交渉しないとこの日の闘牛は観れないだろう。また、高いお金を言うんだろうなぁ。
昨日はセビージャについて直ぐに下山さんの所に行きその日の予定を決めて、闘牛場へ行った。帰ってきてくまさんにTELを入れて、下山さんの希望でスパゲッティーを作った。これから昼飯だがまたスパゲッティーを作って食べる。
セマナ・サンタの時期はフェリアの時期に比べてタクシーを捕まえやすい様だ。スペインでは日記を午前に書き、観戦記は夜に書くことになるだろう。掲示板への書き込みはその時の気分次第になるだろう。
4月19日(土)
昨日は、ノートが起動しないというトラブルに見舞われて日記が書けなかった。今日は朝から快調なので今の内に昨日のことを書いておこうと思う。3時半に起きてシャワーを浴びてパンを一切れ口に入れてタクシーを捕まえてカテドラル前のプエルタ・デ・ヘレスに行った。仕事から帰ってきたまゆみさんがいうには、良くタクシーが捕まえられたねぇ。偶然でもちゃんと行けたのだ。カテドラルの高い塔がある向かって直ぐ左の門から、La
Macarena が出てくるのだ。今年のセマナ・サンタの資料にはそう載っていた。
着いたのが、4時半過ぎで5時過ぎにキリスト像が出てきた。横で本を読んでいるがキリストに死を宣告した人。それから30分以上たってから、La
Macarena が登場した。キリスト像登場の時もそうだったがそれ以上の喝采が鳴った。人々は立ち上がり歓声を上げる。老いも若きも、男も女もこの時を待って何時間も何十分もそこに立って待っていたのだ。門の前には特別の席が用意されていてそこに座る人も多いが、仕切られた外で足り尽くし待ちわびた人たちは歓喜に満ちたような歓声を上げてそれを向かえる。
それから少し休んでカテドラル近くの穴場に行った。そこは神輿が手で触れれる位置を通って行くところだった。そこで、El
Calvario(受難)を観た。あのとんがり帽子をかぶった人をスペイン語では、Nazareno というがその数が550人をその日の中では少ない集団だった。
ここでバッテリーの関係で次の日にうつる。
18日の結果。 アルル(フランス)。セサル・リンコン、場内1周。フリ、耳なし。マティアス・テヘラ、耳2枚が2回。
5月11日(日)
10日闘牛が終わった後、日本から帰ってきた下山さんとまゆみさんのホテルに行った。2人とも元気そうだった。帰りの飛行機は戦争とSARSの影響でガラガラ状態で3人掛けの席に横になって来れたそうだ。留守中のウーゴの事など話し、また、日本でのことを聞いた。ACアダプターを持ってきて貰った。それで今日記を再開できた。しばらくは、この日記はビュトール風に時間が前後入り乱れて書き進むことになるだろう。
9日サン・イシドロ前にマドリードに帰るべくセビージャの駅に行きAVEの切符を買った。買いに行く途中、嘔吐する。体調不良にて食欲進まず。朝のウーゴの散歩は済ませているので帰ってきて取りあえず寝ることにした。起きてボーとしながら掃除したりタバコ吸ったり、ウーゴの相手をしている余裕も気分もない。寂しそうなウーゴ。目で訴えるんだよな君は。コンピューターの下に敷いてあるマットを前掻きしてストレスを発散させているのか、それとも、寂しいことをアピールしているのか。それでも、かまっている時間もないしそういう気分の余裕がない。
ヨーグルトにジャムを入れて食べていると、欲しそうに鼻をクンクンさせる。ダメなのこれは。ピコを少し与えてまた掃除。そして荷物をまとめてもう一度チェック。TELでNさんにウーゴのことや家のことを報告して出かけた。タクシーは直ぐに捕まり駅へ。駅でも未だ吐き気がおさまらない。AVEに乗って少し落ち着き眠った。コルドバ手前で目覚め、サンドイッチを食べ、喫煙車両ではなかったので通路でタバコを吸っていた。中より冷房が効いていないので足が暖かかった。
マドリードの部屋へ帰ってきたら海老や寿司などが用意されていたが、口にしたのはほんの少しだけで後は寝てしまった。10日の朝に銀行に行き両替しようとしたが着いたのが12時32分。銀行は12時半に閉まっていて、2分遅かった。ガッカリしてエル・コルテ・イングレスに行ってCDなどを観ているとフラフラしてきたのでバルに入ってコーラを飲んで本を読んだ。養老孟司、『からだを読む』
面白部分があるので引用する。「指が痛いというのは、はっきりわかる。なぜかというと、脳には指に相当する知覚の領域が、ちゃんとあるからである。逆に、脳のその部分に、なにかが起これば、肝心の指はなんともなくても、われわれは指が痛いとか、かゆいとか、なにかが触ったとか、そういう判断をする。つまり体の表面に関しては、われわれは脳に地図を持っている。体表とは下界とわれわれの体とを、境する部分だからである。そこはいわば国境のようなもので、脳という、司令部は国境で起こることであれば、それが国境のどの部分で起こったできごとなのかを、明確に把握しているのである。
ところが内臓に関しては、脳にそういう地図はないらしい。そこは本来、「うまくいっている」はずの部分だからであろう。だから、脳はそこに関連して、細かい地図を用意していない。胃の小彎側の噴門から約三分の一の部分が痛いとか、幽門部の始まり部分が輪状に痛むとか、見てきたようなことが言えるはずがないのだが、もちろんそれは不可能である。
なぜ脳が内臓の地図を用意しなかったかと言えば、そんなものは不要だったからであろう。下界との接点である皮膚について言えば、場所によっては、蚊が刺してもわかるくせに、腹のなかでは、相当な異常事態が発生しても、しばしば知らぬ顔である。だからガンができても、自分ではわからない。脳はそれだけ「身内」を信頼しているのかも知れない。ガンができたときのように、「身内に裏切られるくらいなら」、「死んだほうがマシ」だと思っているのであろう。
そういうわけで、「胃が痛い」とあんたは言うが、痛いのは本当に胃か、と詰問されると、「ハテ」ということになるであろう。実際に心筋梗塞の人が、「胃が痛い」などと、主張するのである。生まれてこのかた、心臓の痛みなど感じたことはなく、心臓になにが起こったと、目で見えるわけでもないから、よく考えてみれば心臓が痛いのか、胃が痛いのか、そんなこと、自分だけの主観では、判るわけがない。腹のあたりが痛いんですが、などと言っているが、それでむしろ正直なのであって、「胃が痛い」などをいう患者の主張を、医者はかならずしも信用しているわけではない。」
実を言えば、9日マドリードに着いて寝ているときに異様に心臓が痛かった。何となく不安を感じた。今までにない痛みだったからだ。でも、これを読んでいると心臓が痛かったのか、胃が痛かったのか、判然としないのである。多分、心臓が痛いように思えて、実は胃が痛かったのではないかと思っている。脳に内臓の地図がないのだから仕方ない。判らないのだ。
1日を快適に過ごす目あすは快便である。朝、良いウンコが出来ると1日が楽しい。10日は良いウンコが出た。9日も8日もそうじゃなかった。そして今日も良いウンコが出た。だから、体調が良くなったと言うことだろう。
昨日、エル・シドがコヒーダされた。観戦記も未だ書いていないが、それには理由がある。ネット接続の設定が出来ていないからだ。これから闘牛場へ行く。その内、更新できるだろう。
4月20日の結果。 マドリード。エンカボ、エウヘニオ、アントン・コルテス、耳なし。 バルセロナ。アルベルト・ラミレス、ファン・バウティスタ、ラファエル・デ・フリア、耳なし。 セビージャ。ポンセ、耳1枚。モランテ、フリ、耳なし。 ムルシア。ダマソ、耳なし。ペピン・リリア、耳1枚。ファンディ、耳1枚が2回。 アルル(フランス)。フンディ、耳なし。デニス・ロレ、場内1周、耳1枚。ヘスス・ミジャン、口笛、罵声。
5月12日(月)
色々あって未だ、PCカードの設定が上手くいっていない。これからくまさんの所に行って設定状況を確認して貰おうと思っている。だから、未だ掲示板にも書き込みが出来ないし、日記を書く暇がない。
取りあえず昨日の事を少しだけ書いておくと、闘牛が終わった後、一緒に見たTさんとバルに行き話し込んだ。5月3日、Trujilloでセサル・リンコンを観てきた話など。Tさんはセサルの闘牛を観て泣いたのだそうだ。そういう闘牛を今年やっているようなのだセサルは。他にも色々話したが今日は時間がないのでこの辺にする。でも、その話を聞いて昔のセサルを想い出していた。早く会いたい。
5月13日(火)
昨日くまさんの所へ行ってPCカードの設定が上手く行った。PC抱えて闘牛場へ。ゴミ袋に入れているから狙われない。雨が心配だったがそれも降らなかった。闘牛は牛が良かったが見習い闘牛士たちが出来なかった。特に始めのヤツはダメだった。終わってからみんなで話をした。「牛がいるのにトレロがいない」番長は闘牛をの話をすると元気だ。今日から孫の顔を見に17日までサン・イシドロはお休み。あの年になると14日のカルテル蹴っても孫の顔を見る方が良いようだ。寿美さん、若尾さん、Yさん、Tさん、Mさん夫婦。一様に見習い闘牛士たちの不出来を嘆いていた。
帰り際にMさんが、今日は「コリーダ・デ・トロスじゃなくて、コリーダ・デ・トレロスだ」と言っていたので、同じ事言っている人がいましたよと、言ったら笑っていた。だって、足を止めてパセ出来ないんだもの。メトロはYさんと一緒。彼女は今日は仕事で来れないのだそうだ。14日に期待しているようだった。帰ってきて早速PCを起動させたら何とまた、PCカードがおかしくなっていた。何度か試したがダメだった。
くまさんの話によるとPCカードは安定が悪いので時々そういうことになるので、何度も試してみると大丈夫だと言うことらしい。セビージャのことも書かなきゃならないけどこの問題が早く解決することを願っている。
5月14日(水)
昨日のは起きて朝食を取ってPCカードの設定をしたが上手く行かず午後買い物に出かけた。18日のビスタレグレの切符とCDとビデオテープ。CDは、今更ながらのクイーンのベストと、CCRのベスト1と2。クイーンが流行っている頃ってあの格好が大嫌いで、キャーキャー言っている女の子たちを呆れてみていた。フレディー・マーキュリーって何だ、とか思っていたけど、レアル・マドリードが優勝する度に聴く、『WE
ARE THE CHAMPIONS』 はやっぱり良いものなぁ。CCRは言わずと知れた60年代を代表するアメリカの泥臭いが数々のヒット曲を飛ばしたグループ。名前を知らなくても曲を聴けば判るだろう。
昨日の闘牛は感動した。あそこまで命を懸けて闘牛が出来るんだ!と感動した。闘牛士は無名だけどこれから有名になっていくことだろう。僕はああいう場にいられたことに感謝する。セラフィン・マリンが今後有名になってあの時のファエナを観たかと言われれば勿論と胸を張って言えるのだ。また、有名にならずに終わったとしても、昨日のファエナは語り継がれていくことだろう。終わった後、Mさん夫婦と余韻に浸ってセラフィンの闘牛について話をした。「あんな事普通の闘牛士じゃ出来ないよね」 「半端な勇気じゃないし、勇気だけじゃなくて技術に裏打ちされた勇気。バリエンテだけじゃラス・ベンタスじゃうけない」 「クルサードすると拍手が起きる。あの牛であんな事出来ない」 「体の後ろ側にムレタやって牛の動きを確認していたでしょう」 「ビクトリーノの牛を相手にしていた頃のマヌエル・カバジェーロみたいだった」 とか色々。
闘牛場からの帰りがけおしっこに行きたいのを我慢して下山さんにTELした。下山さんもTVで観ていて感激していた。TVでは、「闘牛場の観客全員が手に汗握って観ている」と言っていたそうだ。
帰ってきてマシを食ってパソコンを立ち上げたらPCカードでのネット接続が出来るようになっていた。くまさんが言うには、PCカードは同じ操作をしてもちゃんと出来ないときもあるのでと言うことだった。PCカードって不安定なものらしい。ともあれ、これで日本とほぼ同じネット環境が出来た。スペインの方がスピードは遅いけど。
今日はこれからシャワー浴びて昼食を取りにくまさんたちに会う。
5月15日(木)
昨日は闘牛が終わった後、Mさん夫婦の所に行って夕食を取ってそのまま泊まってきた。だから、未だ14日の観戦記は書いていない。昨日も良い闘牛を観させて貰いました。フェルナンド・ロブレニョは血管が切れそうな感じで一生懸命闘牛をする。それが観客に伝わってくる。命懸けの良いファエナだった。ああいうことを続けるのは若い頃しか出来ないだろうが、今年のサン・イシドロも去年と同じようにその必死さが胸を打つ。
今年初めてサン・イシドロにカメラを持って行って写真を撮った。フェルナンド・ロブレニョとマティアス・テヘラの良い写真が撮れたと思う。と、言っても実際現像してみないと判らないが。
Mさんの所でTVを観た。レアルはフィーゴがPKを外して決勝進出が出来なくなった。テンディド・セロでは、サン・イシドロとバジャドリードのフェリアをやっていた。セラフィン・マリンのファエナはああいうダイジェストだと良く見えない。
今日は、マドリードのサント・パトロン=守護聖人、サン・イシドロの日で休日。闘牛のTV中継はテレマドリーがやる。今日もマドリードは暑い。が、格言がある。5月40日までは冬物の服は用意しておいた方が良い、というもの。雨が降ったり、突然冬のように寒くなることが6月10日前後まであるからだ。
5月16日(金)
昨日は、何人かにTELをかけた。堀越さんの所へかけたら奥さんが出て、仕事で日本に帰っているとのこと。奥さん曰く、昨日たまたまネットを観たらHPを見つけてそこに堀越の事、書いてあったけど、怒っているの?と言われた。いいえ全然。と言うと、あっそうお、それなら良いんだけど。
つまり、HPに書いた僕の注意書き、「間違っていることもあるけど、それは堀越さんの責任です。」と言うのがそういう風に思われた文章だった。だから奥さんは僕が怒っていると思ったらしいのだ。ネットは怖い。人と直接会って話すことは、そのニュアンスまで相手が理解することが出来るのでそういうことはない。が、ネットだとそういう意味で書いていなくても悪く誤解される事が多く発生するようだ。
だから、日記に名前を書く人、イニシャルで書く人がいるが、色んな人が観ているらしいので、色んな読み方をされて色んな風に誤解されているのかも知れない。怖いことだ。何年か前、番長と飲みに行って知らないガイドの人が僕のことを知っていてビックリしたことがある。それも闘牛の斎藤さんという言われ方をした。まっそうなんだけどさ。
今日は闘牛が終わったら三木田さん夫婦に会う。そして、夕食を一緒に取るだろう。基本的に名前を出している人は闘牛の会の人が多い。勿論それ以外の人もいる。でも、ガイドやそれ以外の人で名前を書いてそのように色々面倒くさいことが出てきたら困るので出来るだけ書かないようにする。
さて、昨日の闘牛は牛がインバリドの牛が多く闘牛にならなかった。観客の口笛、罵声、手拍子は過激。最後のファンディに浴びせたものは闘牛士のやる気を削ぐものだ。それでも、自分の闘牛をしようとしたファンディは見所がある。フェレーラは牛が悪すぎて可哀想だった。プレシデンテは何を観ているんだ。セサル・ゴメス・ロドリゲスは、ラス・ベンタスで最低のプレシデンテだって言うことは知っているけど、改めてそれを確認した。カブロン!
5月17日(土)
昨日の闘牛は牛が悪くこのまま6頭出てきて終わるんだろうなぁと思っていた。そうしたら最後の牛で、イバン・ガルシアが良いファエナをした。闘牛のやり方を観ているとマドリード闘牛学校の生徒だろうというのが判る。クルサードの仕方は角2本越えてやっているときもあるので、あそこまでクルサードしていたら牛から良いパセを引き出せる。そのことをちゃんと解っているのだ。バンデリージャの打ち方はあまり好きではないが、カポーテ技もムレタ技ともに素晴らしい19歳。去年のフェリア・デ・オトーニョでマティアス・テヘラと共にプエルタ・グランデした。そして、今年正闘牛士としてサン・イシドロに登場して耳を切った。去年の観戦記を観たらノビジェーロの時にマティアス・テヘラのプエルタ・グランデの時に観ていた。
終わった後、みんなにあった。僕等は直ぐに三木田さんたちとバルに行った。今日の闘牛の話などした。Yさんが白いハンカチが振られているときに、「今日は三木田さんが来ているから耳になるかも」と、言っていたことを話したら笑っていた。バルから飯を食いに中華料理店に行った。そこが意外と掘り出し物で安くて美味しかった。ネットで闘牛の会に来ている人たちの話をして17日のシーラさんが闘牛を見に来ることをいった。ネットのことかは大きい。最近は三木田さんもネットでサーフィンしているようだった。腹一杯食べて気づいたら0時半を過ぎていた。それから帰ってきたら1時半。もう観戦記を書かずに寝ることにした。
朝方目が覚めて観戦記を書く。アランフェスの切符を予約しようとTELしたらこの番号ではアボノの予約は出来るが1日分の予約は出来ないとのこと。話を聞くと23日にタキージャで売り出すのでそこで買ってくれと言うことだった。だから23日はアランフェスに行かなければならなくなった。
5月18日(日)
さっき、元気そうにシーラさんがTELをかけてきた。その前にFさんからTELがあり約束時間変更。で、シーラさんとjosemiさんとはその後に待ち合わせることにした。それから闘牛。ラス・ベンタスの方がフンディ、マノロ・サンチェス、ミウラ。ビスタレグレは、フィニート、ハビエル・コンデ、モランテ。どう考えてもビスタレグレの方が良いカルテルだ。
昨日メンドーサが5頭目の牛をアントニオ・ドメクにブリンディースした。客席から拍手が起きた。僕は直ぐに誰にブリンディースしているか判ったが近くおっさんはパドレといって全然判っていない。アントニオは感動のあまりしばらく下を向いていた。泣いていたのかも知れない。セビージャでも兄のルイスからブリンディースされて感動していた。あれはもう2年前だっただろうか、馬運車ごと放火されてルイスとアントニオの馬が焼け死んだのは。ルイスは去年から騎馬闘牛に復帰したが弟のアントニオは未だに復帰していないのはそういう理由からだ。
1回の騎馬闘牛には6頭ぐらいの馬を使う。そういう馬を調教して金を取って見せるまでには時間も手間もかかるのだ。競馬の馬を観ていればそれは判るだろう。ルイスだって復帰しているが、キエブロさえ出来ない馬ばかりだ。あれじゃ観客は盛り上がらない。騎馬闘牛士の技術をちゃんと披露するためには、ちゃんとした調教技術を身につけていないと、良い馬を育てることは出来ない。メンドーサの素晴らしいところはそういう技術を実際にアレナで感じることが出来るからだ。ああいうタズナ捌きは他の騎馬闘牛士では真似が出来ないものだ。昨日のように勢いで耳2枚取ってプエルタ・グランデしたセルヒオ・ガランのような若手もいる。アンディー・カルタヘナのように若々しいタズナ捌きで感動する騎馬闘牛士もいる。でも、最高級の騎馬闘牛士は現在、パブロ・エルモソ・デ・メンドーサでしかないと断言できる。
5月19日(月)
昨日のビスタレグレの闘牛は面白かった。ベンタスと全然違う雰囲気もホッとするような寂しいような気もする。でも、ハビエル・コンデが彼らしい闘牛をして笑えた。ああじゃなくちゃ。耳2枚は取れなかったが場内2周。1頭目の牛が出てきて直ぐにブルラデロにぶつかって右角を折った。プレシデンテは交換しなかったので直ぐに殺した。初めて闘牛を観たjosemiさんはビックリしていた。5頭目のハビエル・コンデの闘牛にもビックリしていた。なかなか良いときのハビエル・コンデは観れないので僕も満足した。期待以上の出来だった。
フィニートも良かったが剣が決まらず耳はなかった。モランテは2頭とも良くて特に最後の牛では非常に良いファエナをした。ああいう美しいファエナを観ると闘牛の本当の部分に触れれた気がするだろう。何でベンタスでは上手く行かないんだろう。ヤジが凄いからなぁ。初めての闘牛であんなファエナが観れて良いよなぁ。俺なんか闘牛観ようと思ってきたときに、感動した闘牛に出会ったのは13回目だったものなぁ。シーラさんもハビエル・コンデの派手な闘牛を観れたし、モランテの美しい闘牛が観れて収穫があっただろう。
これからコーヒー飲みながら読書をして飯食って闘牛。
5月20日(火)
昨日の闘牛は面白かった。牛が良かった。見習い闘牛士が全然何も出来ずに終わったのに・・・。闘牛が終わった後、みんなが集まり話していた。後から行ったって、「番長、立ち上がって怒ってるから笑っちゃいましたよ」と、言うと「だってあれは何なんだ」とまた怒りだした。ピカドールも判っちゃいないし、見習い闘牛士も誰も判っちゃいない。後から三木田さんがガイドの人を連れてやってきて話に加わった。そして、「これから1杯如何ですか」が、出てみんなで近くのバルへ。総勢11人。閉まりかけてたバルが営業していると言って、貸し切り状態。ビールにワインは瓶で何本も頼んで飲んでチーズ、生ハムなどつまんだ。
みんな牛が良いというので一致している。それにしてもこの10年でみんながそれぞれのやり方で闘牛を観て、理解して、本当に良くこれだけ闘牛を深く判るようになった。観たまんまをそのまま口にすれば、それが今日の闘牛になる。みんな興奮して喋っている。寿美さんも珍しく、怒鳴り声を上げて話している。笑っちゃいました。シーラさんのあれが目だ立たない。ああやって大声出して騒いで笑ってみんな楽しそうだった。たまにこうやって集まってこんな風に騒ぐのは面白い。時間が来てみんな笑顔で解散。
今日は9時に起きて歯を磨き飯を食った。これから、ベンタ・デル・バタンに行って牛を観て、闘牛学校を観てくるのだ。
5月21日(水)
昨日も闘牛は面白かった。耳を取ったのはウセダ・レアルだが、観客を感動させたのはセラフィン・マリン。退場の時の拍手を比べてもウセダ・レアルよりセラフィン・マリンの方がずっと多く拍手を受けていた。ラス・ベンタスの観客は13日と20日の闘牛で衝撃を受けただろう。慌てない、逃げない、落ち着いている。凄くクルサードする、パセが良い、牛が体の近くを通る。そして、命を懸けて闘牛をやっているの判る。なおかつ控え目。最後の牛も場内1周をすればいいのに挨拶だけ。昨日のトリンフォしたのはウセダ・レアルじゃなくて、セラフィン・マリンだ。と、思っていたら、El
Mundo でJavier Villan は、"Petardo ganadero y valentia de Marin"
の見出しだそうだ。買って読んでみたい。
闘牛が終わった後、またみんなが集まって闘牛談議。ウセダ・レアルの話じゃなくて、勿論、セラフィン・マリンが話題の中心。悪い牛であれだけのことが出来るのだから良い牛のならどんなファエナをするのか興味津々だ。Mさんは良い牛だったら出来ないかもよ。と、言っていた。そういうこともあるかも知れない。でも、観てみたいのだ。それを。それとこんな闘牛をするのなら来年で良いからホセ・トマスとのマノ・ア・マノが観てみたい。
みんなはまたバルに行ったが昨日はマドリードのmayumiさんと約束があったのでそっちに行った。シーラさんと3人でペドロの店へ行って挨拶したら何か飲んで行けとと言うことになりビールを飲んで話をした。ペドロはサン・イシドロの資料を2冊くれた。そして、今日の闘牛の結果を話したらもうTVで観ていたらしく知っていた。所が明日は牧場が換わるのでホセリートが出ないと言いだした。そして21日の切符出して見せた。ソンブラのテンディド10の2列目だった。60ユーロ弱。この切符を明日払い戻すんだと言っていた。
ホセリートが出ないから払い戻す。その話を聞いてガックリした。ホセリートが出ないのはガッカリだ。ペドロの気持ちも良く判る。店を出ようと会計しようとしたら、ペドロはお金を受け取らない。いらないと言うのだ。頑固な親爺だが本当に良い人だ。ペドロに挨拶して日本料理店、Mに行った。そしたら満席でほんのちょっとだけ待った。中で中崎君がバイトしていた。太ったなぁ。
そういえば、セラフィン・マリンの闘牛の話をしていたらマドリードのmayumiさんが、「観たい」と言った。これから彼はフィグラと一緒にやることが多くなるだろうから近い打ちに観れるようになるでしょう。相変わらずアベジャンの追っかけ。25日はビスタレグレに行くそうだ。カルロス・アビラの話などしていた。シーラさんは眠そう。俺は闘牛までは眠かったけど闘牛観たら目がぱっちり開いた。セラフィン・マリンの闘牛のおかげだ。でも、ビールもまわってきたのでタクシー拾って帰ってきた。今日も終わったらくまさんたちと集合する。
5月22日(木)
一昨日は、ベンタ・デル・バタンの帰りのメトロでMさんの奥さんとWさんに会った。「牛を観てきたところ」といって少しの間話をした。その日の闘牛はセラフィン・マリンの感動的なファエナでみんな盛り上がってまたバルへ行った。俺とシーラさんはマドリードのmayumiさんとの約束があるのでそちらへ行った。昨日は、闘牛場でそろそろ席へ着こうと自分の入る門の方へ向かっていたら、松田君にあった。2年ぶりくらいだ。痩せてひょろっとしていた。プライベートな話を掻い摘んで話た。彼は、「今日はホセリートを見に来ました。後はどうでも良いです」と、言っていた。フリの日の切符はありますか?と聞いていた。並べば取れるんじゃない。と言っておいた。他には、ビクトル・プエルトが出る日と25日に来ると言っていた。
松田君が、「今日はホセリートを見に来ました」と言ったとおりホセリートは良かった。ドキドキした。耳要求があってプレシデンテは耳を出さなかった。観客は不満だった。1頭目の剣刺しがバホナッソじゃなくて4頭目の剣のように刺さっていたら間違いなく耳は出ていた。でも、良いファエナだった。未だ昨日の観戦記を書いていないでのこれから書こう。帰りはくまさん、josemiさんなどとバルに行き食べて飲んだ。その後、アラブ風の店に行き、ミント・ティーを飲んで水パイプタバコを吸った。初めてなのでこんな味がするんだと思った。僕はやっぱりハイライトの方が良い。
今日は朝早く起きて銀行に両替に行ってきた。他にはCDとフィルムを買ってきた。ディーク・エリントンとニューオリンズ・ジャズというものと、モータウンから出ているオムニバスで、スティービー・ワンダーがディランの『風に吹かれて』を歌っているのが入っているCD。
今日の闘牛はどうだろう。シーラさんは今日で闘牛が最後。明日は日本に帰る。僕は朝早く起きてアランフェスに行って30日31日の切符を買ってくる。
5月23日(金)
昨日の闘牛を最後にシーラさんは今は飛行機の中。昨日の闘牛は最低の気分で観ていた。最後のハビエル・バルベルデが良いファエナをしたので救われたがそうじゃなかったら怒鳴り出したくなるような気分だった。終わってから寿美さんがポンセが良かったら会わせてあげると、言う約束だったので今日はないなと思っていたら、行く?と、声をかけていたので、えー、行くのかとビックリした。シーラさんに会わせるために寿美さんはサービスしているのだろう。僕は、耳の取れなかった闘牛士はあまり気分が良くないのを知っているので遠慮した。後は寿美さんに任せて帰ってきた。
所で、昨日始まる前にプエルタ・グランデの所に立っていたら女の人がやってきて、「日本人ですか?」 「はい」 「ネットで情報流している人ですか?」 「はい」 「あたしグラナダでコーディネーターやっている者なんですけど。今、朝日新聞の記者の方を連れているんですけど、呼んできて良いですか?」 「はい」 「昨日も探したんですけど人が沢山にて見つからなくて。ちょっと待っててください」 と言って記者を連れてきた。HPに写真を載せていないのに偶然とはいえ良く見つかったものだ。
2人の記者はHPを観たらしく、観戦記毎日良く続きますねと言って驚いていた。情報量は凄いし、新しいし・・・。だって。好きなことやってんだもんねー俺は。
今日は朝早く起きてアランフェスに行って切符を買ってきた。タキージャの前に着くと、あれーと思ってみていたらやっぱりTさんだった。セサル・リンコンを観に切符を買いに来たのだ。列は短かったが30分くらい並んでいた。これから駅に向かって歩きながら話をした。途中でサクランボを買った。バルで朝食を取って駅まで行き電車で帰ってきた。アトーチャを降りてまたバルで僕はコーラ、Tさんはビールを飲んで話をした。闘牛の話やガイドの話、人間の話。そう山田風太郎が読みたいというので、始めに読んで面白そうなものをピックアップして書いて教えた。どうやら以前書いた日記を読んで読みたくなったのだそうだ。読み出したら止められなくなるよ。
5月24日(土)
今日は朝から曇り空。涼しい。このまま雨が降らずにいけば闘牛も涼しく観れる。今日は騎馬闘牛なので、あれだが、メンドーサだけみたい。そして、今日がサン・イシドロの中間日。未だ半分あるのだ。サン・イシドロは長い。そして、牛が悪い日も多い。今日は騎馬闘牛なので客層が全然変わる。それでも、メンドーサが出るので、おそらくもう切符はないだろう。そして観戦記も書く義務が発生しない。これは専門外だからだ。
今日は早く起きて昨日買ってきたサクランボを食べてHPをアップして、自転車で汗を流してシャワーを浴びた。落ち着いてからワインを飲んで昼寝。それから起きてから昼飯を食ってこれから闘牛場に行く。
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