断腸亭日常日記 2000年、その7 スペイン日記 その1

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年のスペイン滞在日記です。

99年1月13日〜2月16日 2月19日〜4月14日 4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日
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4月2日〜4月19日 4月20日〜4月29日

 5月1日(月)

 昨日はウーゴに付き合っていたら日記が書けなかった。観戦記はこれから書こうと思う。

 今日、病院に行って来た。クリニカ・サグラド・コラソンの162号室のモランテ・デ・ラ・プエブラを訪ねる。モランテは真面目な闘牛士なので、受け答えは真面目だった。彼は、傷口じゃなく胃が痛いと言っていた。苦しそうで、医者が来て、検査に行ったので直ぐ帰ってきた。写真を一緒に取らせて貰った。HPに載せても良いが俺の顔を載せたくないので、顔が判らないようにして載せるだろう。

 モランテの母親が病室の前にいて、TVのインタビューをしているから、と、言っていた。母親は、心配でたまらないらしい。一緒に言ったスペイン人が冗談を言っていると、そんなこと言わないでよ、あたしは泣いているんだからと、言っていた。母親だ。モランテは大丈夫だろうか。検査の結果が良いことを願う。彼は、これからマドリードで、プエルタ・グランデをするべき闘牛士なのだから。

 今日の闘牛はお金を払ってまで見たい闘牛士が出ないので、via digital で見ることにしている。


 今日の闘牛は、初めの牛でエミリオ・ムニョスがコヒーダされて医務室に担ぎ込まれた。ダビラ・ミウラが最後の牛で、耳2枚取った。牛が良かっただけでミウラが良かったわけではない。他に、ピカドールも怪我をする。今年は、怪我の多いシーズンになっている。

 明日朝早くいったんマドリードに帰る。ゴヤ闘牛を見るためだ。


 5月3日(水)

 昨日はマドリードに帰ってゴヤ闘牛を見てきた。切符は闘牛場でも売っていたそうだ。米ちゃんが安くて良い席を持っていたので交換して貰う。闘牛は、中崎君と一緒に観た。牛に通手や闘牛士にについて色々説明した。彼は絵を描くので、物の見方が判るので説明のし甲斐がある。終わった後で、M夫妻、番長、寿美さんと会う。4月20日のフリと会ったときのことを聞く。

 朝、セビージャに戻ってきた。オスピタル・フレマップにモランテに会いに行くが、サンタ・フスタでタクシーを待つ時間が長かったのでもう帰っていた。昼食はそこで下山さんと取る。彼は、昨日ウーゴが邪魔して寝れなかったそうで疲れていた。そのまま闘牛場に行くことにして、バス停に向かう。

 フェリアの間は、町中では2時過ぎから3時半くらいまではタクシーを掴まえるのが非常に難しいからだ。だが、道に出ると偶然タクシーが掴まった。「Tenemos suerte」と言うと、運転手が笑っていた。途中で今日の切符をマドリードにおいてきたことに気づく。闘牛場のダフ屋に聞くとソルのグラダが3000ptsが3500ptsと言う。やはりモランテが出ないので安くなっていたので買った。

 闘牛を見てからプエルタ・デル・プリンシペ(クーロ・カマチョが言うには何でもかんでも誉めるので、rincon de montira 嘘つきの片隅と、呼んでいる)で、ニューヨークのペーニャの会長と、フェルミン・ボオルケス(親父さん)と、下山さんが、新聞記者らしき女性に写真を撮らせて欲しいと頼まれて撮っていた。明日の新聞にでも載るのだろうか。

 そういえば思い出したが1日にネットサーフィンしていたら、スペインの闘牛のHPに俺のことが載っていてビックリした。ペーニャの会長として紹介されていた。俺はタダの会員だ。記事はハビエル・グアルディオラの牧場に行ってバキージャ(素人闘牛)をしたこと、ファン・ベルモンテ、ホセリート・エル・ガジョ、パキーリの墓を見に行ったことが載っていた。

 見たい人は、ここをクリックして下さい。見るときは勿論、表示->フォント->欧文に、なおして見ないと見れません。

 今日またコヒーダがあった。ペドゥリート・デ・ポルトゥガルが剣刺しの時に右足の付け根付近に角を受けてひっくり返った。角は刺さらなかったが、両肩を抱えられて車に乗った。明日出場できるのだろうか?


 5月4日(木)

 午前中は大粒の雨が降った。闘牛をやるかちょっと心配だったがやれると思っていた。雨の中で、ギャラリーで、クーロ・カマチョが書いたジョン・フルトンの伝記の発表会があった。やはりアメリカ人が多かった。ニューヨークの闘牛のペーニャの人も来ていたが、プレシデンテは来ていなかった。アメリカの女優や、映画監督の奥さんでカメラマンをやっているエレナと知り合う。金髪の美女。細身でオッパイは、Aカップもないくらいだった。

 彼女は、日本で4ヶ月ファッションモデルをしていたらしい。まっそんな感じだ。1人でいるときの孤独なな感じがする人だった。別れ際にベソをしたが、両方の頬の感覚が変だった。柔らかいぷよぷよした感じなく、女の頬の感じじゃなかった。日本が好きで、東京と京都が好きだと言っていた。

 京都は良いとしても、東京の何処が良いのだろう。東京じゃなくて闘牛じゃない。彼女は、闘牛場で闘牛士が入場行進しにアレナに出てきたところをアレナの中に入って写真を撮っていた。俺もああやって写真を撮りたい物だ。

 闘牛が終わった後、マレーシアのペーニャ、クーロ・ロメロの会員だか、会長にまたあった。良く聞くと彼は、ロバート・レッドフォードの息子なのだという。レッドフォードも飲んだくれのどうしようもない息子を持った物だ。闘牛ファンだけちゃんと闘牛を見てない。彼だけじゃなくアメリカ人の闘牛ファンはそういう人が多いようだ。ジョンは生前彼等を「飲んだくれ」嫌っていたそうだ。


 5月5日(金)

 下山さんは今日フェリア会場のカセタでTVに出た。これもヒラルダTVだ。闘牛が終わった後でそのTVを見ていた人が見て感動したとか、言っていた。バルでホセ・ルイル・マルカの娘が下山さんを見て、「去年は話しかける事もできないくらい暗かったのに、今はこんなに元気になって体も良くなって」と、言って涙を流していた。

 1人でリハビリをするのは苦しく退屈なことだ。だが、そのリハビリをやらなければ体は機能を回復しないのだ。下山さん曰く、「もらい泣きしました。一般の人じゃなく、僕が闘牛やってるところを知ってる人からああいう風に言われるととても嬉しい。今は、闘牛をやってないけど、牛とじゃなく病気と闘って人に感動を与えれる。闘牛と同じように・・・」

 今日の闘牛と同じように感動的な場面だった。


 5月6日(土)

 朝セビージャからマドリードに戻る。マドリードの闘牛学校にオルテガ・カノが来ると新聞に書いてあったが来たのは昨日だった。残念。セビージャでセサル・リンコンを探したが会えなかった。Movil にかけたが留守電になっていた。ちょっとで良いから会いたかったなぁ。

 夜はバルセロナに向かう。ホセ・トマスの闘牛を見るためだ。AVEにフィニートが乗っていた。ついでに書けば、クリスティーナ・オヨスも。明日、バルセロナでどういう闘牛をするのか楽しみだ。下山さんと一緒にマドリ−ドに来た。彼は明日、親友のホセ・ルイス・ボテの闘牛をラス・ベンタスで見る。ボテにTELした下山さんは、「妻が切符を貰うのは本当の友達じゃない。本当の友達は切符を買ってみるのもだと言っている。だから、切符は買うことにする」と言うと、ボテは、「何言ってるんだ、本当の友達だから切符をあげるんじゃないか」と言った。

 ボテは大怪我を何度も克服してアレナに戻ってきた闘牛士だ。下山さんの気持ちを判りすぎるほど判っている闘牛士だ。明日俺は見に行けないけど、去年と同じようにボテがグラン・ファエナをすることを祈る。あのファエナには泣けた。闘牛を見に来て良かったと思えるファエナだった。

 ところで明日、東京競馬場で行われるNHKマイルカップで、岡部のイーグルカフェは勝てるだろうか?岡部ぇー、ハナ差で良いんだぜ!


 5月8日(月)

 朝、バルセロナから戻ってきた。ホセ・トマスのレベルの違いに今年もまたやってくれると思った。バルセロナに行った甲斐があった。終わってから下山さんにTELしたらベンタスの結果を教えて貰った。ボテは彼の1頭目、2頭目を牛に恵まれなかった。が、最後の牛でコヒーダがあって、その牛が良い牛で耳1枚切ったそうだ。闘牛の始まる前に下山さんはボテに会って、「今日はトゥリンフォの匂いがする」と言ったそうだが、その通りになって良かった。

 バルセロナのことは今日の夜書こう。それと観戦記も。時間がなくて書いていなかった2日の観戦記も出来れば今日の内に書いておきたい。

 ETAがまた新聞記者を暗殺した。今日の新聞の殆どは1面はこの写真だった。TVでは、この二つのことに時間を割いているようだ。また全国的なデモが起こるのだろうか。 アトレティコの2部落ちが決まった。だが来年1部に戻ってくるだろう。そうじゃなければ、レアルファンも悪口の言い甲斐がないというものだ。ホセ・トマスも待ってるぜ。


 97年のバルセロナでは痛い目にあった。アラブ人の泥棒に襲われて骨を折ったからだ。それ以来のバルセロナになる。サグラダ・ファミリア前の公園で本を読んだ。ゆっくり本を読むのは久しぶりだった。読んでいたのは山田風太郎の『忍法八犬伝』。どうしてこんなに面白いんだ。

 上を見るとサグラダ・ファミリアの誕生の門が見える。いつ見てもコーニョに見える。誕生だから当然と言えば当然かも知れない。中に入って塔に上った。階段は全部で320段以上あった。熱くなった体を風が冷ましてくれた。以前は塔と塔の間は人が通れたが今は鉄筋などの工事資材が置いてあって通れなくなっていた。

 置いてあった鉄筋は錆び付いて赤黒くなっていた。あんなんじゃコンクリートを打設してもわりと早い時期に強度が落ちるだろ。ただ、周りは石のブロックを使っているので地震のないこの国では大丈夫かも知れないが。37年の内戦の時に、ガウディのオリジナルの模型が破壊された。あれがあったらもう少し違った彫刻が周りを飾っていただろう。残念だ。

 昼飯はバルセロネッタで取る。いつも同じところで取るのだが人気店らしく30分くらい待った。ムール貝はそこにスープがあってそれが美味しかった。イカ墨のパエジャは昔は2人分あるかと思えるくらいの良だったが今は丁度良い。米の炊き具合は丁度良くなっていた。ただ中に入っている具は昔の方がボリュームがあったし美味しかった。

 店を出たのが17時過ぎ。サンス駅にカメラを取りに行って闘牛場に着いたのが18時15分。トイレに行ってウンコをする。地下鉄の乗り継ぎの時サグラダ・ファミリアで漏らすかと思った。脂汗が出てきた泣きそうになった。ウンコは出来るときにしないとこの国では泣きを見る。

 闘牛場に行くとき多分スウェーデンの国旗を持った人達がいたがあれはF1だったようだ。ハッキネンの応援に来た人だろ。セナがいなくなってから見なくなったのでどうでも良い。サッカーファンに比べてF1ファンは静かだ。

 今日12時にスペイン中でETAに暗殺されたエル・ムンドの記者 Jose` Luis Lo`pez de la Calle の為に、黙祷が捧げられた。ファン・カルロス国王とソフィア王妃は、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラの市役所のバルコニーで黙祷を捧げた。町中で無防備に立っていた。ETAのような暗殺者がいるのにこれがこの国のやり方だ。今スペインは悲しみと怒りに包まれている。


 5月9日(火)

 毎日同じ様な食事をしている。米が1kg145〜195pts。それを炊き込みご飯風にして豚肉、ニンニク、玉葱、ピーマン、インゲン、生ハムのくずを塩と胡椒とオレガノとオリーブオイルで炒め、塩と青カビのチーズとレバのパテをお湯に溶かして炊いている。後はニンニクの唐辛子炒めスパゲッティなどが簡単だ。

 買い物も安い。1リットルのアイスクリームが安売りで、419pts。肋肉300gが210pts。外で食べるのも良いけど安くあげるなら作るに限る。マドリード以外で闘牛を見るときはどうしても金が掛かる。マドリードでは出来るだけ節約しなきゃならない。そうしないと闘牛をいっぱい見れなくない。

 マドリードは寒い。19時前に雨が降った。ゴロゴロ雷が鳴っていたので降るのだろうと思っていたが。TVではテレマドリードで闘牛中継をしていた。セビージャも昨日雨が降ったようで今日に順延になったようだ。三木田さんとTEL中だったのであっちの方では先に雷が鳴っていた。

 闘牛はメンバー的につまらないものになると思っていたが4頭目が終わったところで、「オーレ」は1回もなっていない。中継をやっているミゲル・アンヘル・モンチョリに5日にセビージャで会った。下山さんがモンチョリのHPで、リハビリをやって闘牛士に復帰しようとしていることを書いてくれてありがとうと、言うと嬉しそうに笑っていた。

 下山さんが名刺を渡すとそこに書いていた、FUERZA DE VOLUNTAD (意志の力)と言う言葉を読んでまた笑っていた。僕は彼から貰った闘牛のCDのお礼を言って挨拶した。失敗したのは、HPにリンクを貼って良いかどうか聞くのを忘れたことだ。ベンタスで会ったら聞いてみよう。

 NHK杯で岡部のイーグルカフェが優勝した。「ハナ差で良いんだぜ!」って書いたら本当にハナ差で勝った。岡部は今年初めてのG1制覇。味のある勝ち方だ。また、ケンタッキーダービーは、あの闘牛を開催した人で、フサイチコンコルドでお馴染みの馬主の馬、フサイチペガサスが勝った。武豊が安田記念が終わった後アメリカに騎乗しに行くが、残るアメリカのクラシック2冠で騎乗するかも知れない。

 闘牛は結局耳は出なかった。最後の牛でコヒーダがあったがコルナーダはなかった。闘牛士は2流だったが牛も非道かった。今年のセビージャのトゥリンファドールは誰になるのだろうか。エウヘニオか、モランテか、カバジェーロになるのだろう。

 ビルバオでは、大衆がデモ行進している。


 5月10日(水)

 今日が Tendido Cero (この一週間の闘牛ダイジェスト番組)の日と言うことを忘れていた。ボテのベンタスでの耳。ホセ・トマスのバルセロナのプエルタ・グランデ。下山さんにTELしたらその事を言っていたので思い出した。録画してくれたそうなので20日にヘレスの帰りに見ることになった。下山さんはまゆみさんと仲良くエル・コルテ・イングレスで買い物中だった。

 スペインに来て今年初めてTVEでホセ・トレドを見た。恐らくスペインにTVに出ている人で一番綺麗な女だ。ホセと言っても女なのだ。本名はたぶんマリア・ホセかなんかだろう。彼女を1年降りに見たが右頬鼻寄りに黒いほくろが出来ていた。去年はなかったと思ったけどな。去年に比べると少し痩せて美しさが半減した。非常にガッカリした。1年でこんなに女って変わるのか。もうこの顔じゃ見ているだけで楽しい気分にはならない。

 昨日、レアル・マドリードがバイエル・ミューヘンに1−2で負けたが、決勝進出を決めた。前の試合で2−0で勝っていたからだ。今、もう一つの準決勝バルサ対バレンシアの試合が始まった。バルサは5−1で勝たないと決勝に進出できない。バレンシア断然有利だ。バルサはパスが繋がらず、キーパーにバックパスばかりしている。

 今日は1日部屋にいた。出たのは買い物をしに10分くらいだ。こんなんじゃ運動不足になってしまう。カルテルが続々発表されている。6月のグラナダも発表になった。明日あたりHPにアップしよう。

 バレンシアが後半25分に決勝進出を決定的にする1点を入れた。


 5月11日(木)

 部屋にいるとタバコばかり吸う。部屋がタバコ臭くなるので窓を開ける。外の風がタバコの煙を綺麗にしてくれる。が、マドリードは寒い。だからだろうか、風邪をひいたようで頭が痛い。

 21時前に散歩に出掛けた。CDなどを見てフラフラしてきた。米ちゃんが一緒に行くというので出掛けた。今、ABCで付録のような形で、COSSIOを出している。それを探したが見えなかった。毎週金曜日にでるので明日もう1度探してみよう。途中でチョコラテ屋さんに入った。夜中なので500ptsとられた。高いがここは美味い。有名なところらしい。昔、連れていった子が、「俺が今までスペインで食べていたチョコラテは一体何だったんでしょう」と、言ったのを思い出した。

 スペインのTVCMについて書こうと思っていたがやめた。頭が痛いからだ。サッカーの決勝は、レアル・マドリードとバレンシアに決まった。24日パリで1発勝負で行われるようだ。


 5月12日(金)

 24日パリ決戦のチケットをマドリード、バレンシアで売り出している。決勝進出が決まった気の夜は、マドリード、バレンシアは大騒ぎだった。24日はレアル・マドリードに勝って貰いたい。

 さっきまで米ちゃんのところで飲んでいて日記を書く暇がなくなった。明日、バジャドリードに闘牛を見に行ってくる。帰ってくるか泊まるかは、向こうに着いてからの話し。実のところフリより、マノロ・サンチェスが見たいのが本音。明日は良い闘牛が見たい。マノロ頼むよ。

 今日はもう寝ることにする。明日からサン・イシドロが始まる。これから毎日闘牛漬けだ。


 5月13日(土)

 バジャドリードで闘牛を見てきた。思った通り切符はあった。明日の分も買おうとしたら、19時からだという。仕方ないのでぶらぶらしていたら明日のサッカーのポスターがあった。見ると18時開始だった。闘牛も18時から始まる。これじゃ、サッカーは見れない。闘牛か、サッカーか、考えるまでもなく闘牛を取る。しかもホセリートとホセ・トマスが出るんだから。

 風太郎の『忍法八犬伝』を読み終わる。一言で言えば、村雨様、と言ったところかな。自分の信念を貫き通したものが恥をかき、自由気ままに生きた人間の方がまともに死んでいく。単純にして複雑。物語がとにかく面白い。風太郎に勝るものなし。


 5月14日(日)

 17時にバジャドリードの闘牛場の前は31度あった。昨日が28度だった。いよいよスペインは暑くなってきた。こうじゃなくっちゃ。ソル・イ・ソンブラに座っていたのに日に当たりっぱなし。例によって腕が痒くなってきた。最初に日に当たった日はいつもこうだ。セビージャの時は、ソルにいてもまともに日に当たらなかった。例年なら痒いのは過ぎて腕が黒くなってるはずなのに。

 バジャドリードの駅を降りて左に行くと道路の右側にバスステーションがある。そこの前に地図がある。それで確認したところ、サッカー場はこの道を道なりに行けばたどり着く。闘牛場へは、この道をそのまま行って、大きな道路に当たったらそれを左に曲がれば直ぐ見える。ちなみにこの大きな道を右に行けば街の中心に行き着く。

 闘牛が終わって出てきたら、動物愛護の団体が闘牛反対をやっていた。それも闘牛士達が出ていくところの前で。頭に来て、fuera cabro`n などと言ってしまった。あんな奴らはスペインから出ていけば良いんだ。

 丁度読んでいた本の中にこんなところがあった。以下、アメリカに神話学者、ジョーゼフ・キャンベルの 『野に雁が飛ぶとき』 からの引用である。

 「ブラックフットの伝説は、ジョージ・バード・グリネルの著書 『ブラックフットのテント小屋の物語』 で紹介されたものを私が 『神の仮面』 の第一巻 『原始神話』 に再収録しておいた。この伝説の主眼点は、狩猟の対象となる動物に身を捧げて貰うことに依存して存続している人間社会との間に、ある契約が守られてきており、その契約は、崇拝の対象となるある特定のものに関連して行われる特定の儀式の中で定められ、確認され、再確認される、ということである。

 こうした儀式と聖なる象徴は、ともに何年も前に動物自身がもたらしたもので、動物たちが殺されると、その命が再生のため確実に母なる根源に戻るようにし、人間社会の側ではこれと互恵的に、前述のような儀式を執り行い、そうやって自然の秩序と言う神秘を認識することで食糧を確保できるように図る、ということであった。」

 動物を殺すことは崇拝の対象だからだ。牛を殺すのもそうなのだ。ああいう奴らはETAと同じでたちが悪い。


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