断腸亭日常日記 その6

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年のスペイン滞在日記です。

99年1月13日〜2月16日 2月19日〜4月14日 4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日
6月7日〜6月10日 6月13日〜7月9日 7月11日〜8月8日 8月9日〜9月9日

 9月12日(日)

 今日は、中央競馬が中山に帰って来たので、I と一緒に中山競馬場に行って来た。馬券は久々の競馬だったので惨敗。ファール・チップの様にかすってミットに入って行った。ただ、嬉しかったのは、シンボリルドルフ産駒のツルマルツヨシが、トウカイテイオー以来の重賞勝ちをした。これで、天皇賞に出れれば良いが、何せ900万条件からの挑戦だったので賞金が足りないだろう。

 詳しくは、競馬空振り日記に書こうと思っている。今年の秋競馬は面白くなりそうだ。

 さっきフランス、ロンシャンで行われた、フォワ賞(G2)で、エルコンドルパサーが逃げきりで勝った。これでサンクルー大賞典(G1)に続いて海外重賞連覇。日本馬では、初の快挙だ。さあいよいよ目標の凱旋門賞。多頭数のこのレースを制するには騎手の腕が必要だ。蛯名正義は、厳しいマークの中で馬群を捌けるのだろうか?

 11日、闘牛の会。パンプローナ、サン・フェルミン祭。昔はサン・フェルミンは10月に行われていたが、雨が多い季節で、7月に変わったのだそうだ。そんなことは知らなかった。祭りの開催宣言から終了までのビデオ、エンシエロなど・・・。14日のペピン・リリア、セサル・リンコン、エンリケ・ポンセのファエナを観た。

 スペインで闘牛を観て帰って来た人にも観戦報告を短くだがして貰った。ポンセ、リトリを観に行ってサインなどを貰って来た話をして貰った。闘牛は誰か好きな闘牛士がいれば早く覚えるし、好きになる。

 9日の結果。アルバセーテ。ポンセ、場内一周。ビセンテ・バレラ、耳1枚。オルドニェス、耳なし。 サン・マルティン・デ・バルデイグレシアス。セサル・リンコン、耳1枚。マヌエル・カバジェーロ、耳4枚。エウヘニオ・デ・モラ(怪我から復帰)、耳1枚が2回。

 10日の結果。アルバセーテ。エスパルタコ、耳2枚。マヌエル・カバジェーロ、耳1枚が2回。エウヘニオ・デ・モラ、耳1枚。ムルシア。エル・フリが出ず、マノ・ア・マノ。ペピン・ヒメネス、耳2枚。ポンセ、耳なし。

 11日の結果。アルバセーテ、エル・フリが出ず、マヌエル・カバジェーロのウニコ・エスパーダになった。耳6枚(耳は、1,1,1,2,1)。アルル。エスパルタコ、耳1枚。セサル・リンコン、耳3枚。ファン・バウティスタ、耳1枚。 ダックス。ファン・モラ、耳なし。ホセ・トマス、耳1枚。ギジェルモ・マリン、場内一周。 ムルシア。ポンセ、耳なし。ペピン・リリア、耳2枚と尻尾1つ。オルドニェス、耳2枚。 モストレス。ホセ・ルイス・ボテ、耳2枚。ドミンゴ・バルデラマ、耳1枚。カナレス・リベラ、耳4枚。


 9月13日(月)

 今日でこのHPを開設して1年がたった。1年前エル・フリがまだノビジェーロなのに、ラス・ベンタスでウニコ・エスパーダをやって、満員の観客の中で、プエルタ・グランデをした。その日の興奮の中で書きかめたものをHPにして開設したのだった。闘牛は素晴らしいのだ。闘牛は美しいのだ。それがHPで伝わっていればいいのだが。

 12日の結果。バルセロナ。エスパルタコ、耳なし。オルドニェス、場内一周。ホセ・トマス、耳2枚。耳2枚と尻尾要求。 グアダラハラ。アントニェーテ、場内一周。クーロ・ロメロ、耳1枚。フラスクエロ、耳なし。 ラス・ベンタス。耳は出なかった。アルバセーテ。ペピン・リリア、耳なし。ウセダ・レアル、耳1枚。ダビラ・ミウラ、耳なし。 ムルシア。マンサナレス、耳なし。ペピン・ヒメネス、耳1枚が2回。マヌエル・カバジェーロ、耳1枚が2回。


 9月14日(火)

 どうしてこんなに暑い残暑。シェー。

 メールなどで闘牛について質問してきた人達がスペインで闘牛を観てきて、それをメールで報告してきてくれた。このHPが役立った様だ。

 13日の結果。アルバセーテ。マンサナレス、耳なし。ビセンテ・バレラ、耳1枚。マノロ・アマドール、耳なし。 ムルシア。ペピン・リリア、耳要求、耳1枚ともう1枚要求。ホセ・トマス、耳なし。マノ・ア・マノ。 モストレス。エル・フンディ、耳1枚が2回。ホセ・ルイス・ボテ、耳2枚。ゴメス・エスコリアル、耳なし。 パルラ。フィニート・デ・コルドバ、耳1枚が2回。ビクトル・プエルト、耳2枚。ウセダ・レアル、耳1枚が2回。 サラマンカ。セサル・リンコン、耳なし。マヌエル・カバジェーロ、耳なし。ミゲル・アベジャン、耳なし。


 9月15日(水)

 風の強い日だった。夕焼けが綺麗だった。高い雲が赤く染まり、低い雲は強い風に流されてゆっくり流されて行く。

 14日の結果。 アルバセーテ。ポンセ、耳1枚ともう1枚要求。マヌエル・カバジェーロ、耳1枚、耳1枚ともう1枚要求。サムエル・ロペス、場内一周、耳1枚ともう1枚要求。 ムルシア。エスパルタコ、耳なし。セサル・リンコン、耳なし。ペピン・リリア、耳1枚。 サラマンカ。マンサナレス、耳なし。アンドレス・サンチェス、耳なし。ホセ・トマス、耳4枚。 グアダラハラ。ホセ・ルイス・ボテ、耳なし。ミゲル・ロドリゲス、耳なし。ペドゥリート・デ・ポルトゥガル、耳なし。


 9月16日(木)

 朝夕寒くなった。半袖だけでは肌寒い。何故か急に、深川丼が食べたくなったので作って食べた。不足がちなミネラル補給には丁度良かった。今日の蚊は厭に痒い。NHK、「お江戸でござる」の最後で化け狐で一番有名なのは、近衛天皇の寵愛された、玉藻前と、杉浦日向子が言っていた。

 思い出したのは、山田風太郎の 『室町お伽草子』 。あの中で玉藻と一緒にいたのは武田信玄の父親、武田信虎。玉藻は白狐を使って妖術を操る。玉藻と目があって白狐が、「マラタトウ」と啼くと、相手の男は、男根が今までなかったような大きさに勃起して串刺しされたような激痛をあじわう。

 魔羅(マラ)とは、男根のこと。タトウは、立つ事。つまり、そのままの言葉だ。この小説の登場人物は、上記武田信玄、信虎。玉藻。上杉謙信。織田信長。松永弾正ら武将。家来では、明智光秀。山本勘介。他では、千利休。剣豪、塚原ト伝、上泉伊勢上、柳生の衆。物語は、日吉丸が自分の仕える大名を捜す話だ。風太郎のドラマツルギーをたっぷり楽しめる小説だ。

 それにしても、妖術、マラタトウには掛かりたくないないものだ。化け狐の話からこんな話になった。 今読んでいる本も非常に面白い。北山晴一著、『衣服は肉体になにを与えたか』 朝日選書。

 NHK、「クローズアップ現代」は、コンピューター・ソフトの用語についてだった。英語のコンピューター用語を日本語に出来ないかと言うものだ。これは恐らくマイクロソフト社のソフト開発の舞台裏だろう。パソコンをやりだしてからやはり難しいのは用語だった。未だに解らないことが沢山ある。それを解決したのは友達へのTELだった。

 また、家電メーカーのTVリモコンの表示について。やたら英語をカタカナにするだけでは老人は判らない。改めて日本語の重要性がクローズアップされているという。パソコンにしろ、TVにしろ、日本語で表示されて使いやすくなるのなら非常に良いことだと思う。

 それと、Eメールについて。企業の問い合わせに、TELではなくEメールを送って問い合わせて来る人との間に、言葉のすれ違いがあるという。日本語は難しい。何を質問し、何を答えれば良いのか。その辺が非常に難しい。このHPでもクルサードと何回書いても読んだ人は判らなかったろう。でも、写真を付けたらそれを、目で理解できるようになったようだ。

 15日の結果。グアダラハラ。騎馬闘牛士、パブロ・エルモソ・デ・メンドーサ、耳1枚。ペピン・ヒメネス、耳なし。ファン・モラ、耳なし。 サラマンカ。リトリ、耳なし。ポンセ、耳2枚。ファン・ディエゴ、耳3枚。


 9月17日(金)

 涼しくなりました。寒いくらいです。昨日はおかげで頭が痛くなりました。起きても痛かったけど、仕事をしてたら治りました。俺の体って便利に出来てるようだ。

 16日の結果。グアダラハラ。ペピン・リリア、耳1枚。ミウラ、耳なし。アベジャン、耳なし。 サラマンカ。エル・コルドベス、口笛。オルドニェス、口笛。ホセ・トマス、耳なし。 カソルラ。ウセダ・レアル、耳4枚。エウヘニオ・デ・モラ、耳3枚。エル・フリ、耳4枚と尻尾1つ。 エル・フリが復活しました。


 9月18日(土)

 寒くなった。

 まず訂正から。9月11日アルルのセサル・リンコンは、耳3枚ではなく、耳3枚と尻尾1つでした。スゲーこった。あそこで尻尾はなかなか出ないぜ。 追加。12日、ダックスは、エル・フリが怪我で出場できず、ポンセのウニコ・エスパーダになりました。結果は耳4枚(1,2,1)。

 また、10月2日マドリードのフェリア・デ・オトーニョに出場予定だった、モランテ・デ・ラ・プエブラは怪我のために今シーズンの予定をキャンセルした。このため代わりに、今年のサン・イシドロ祭で最優秀見習い闘牛士に選ばれた、ファン・バウティスタが出場して、コンフィルマシオン・デ・アルテルナティーバをすることになった。パドリーノ、ビセンテ・バレラ。テスティーゴ、エウヘニオ・デ・モラ。

 17日の結果。グアダラハラ。オルドニェス、口笛。ウセダ・レアル、耳1枚ともう1枚要求。エル・フリ、耳1枚ともう1枚要求。 サラマンカ。エスパルタコ、口笛。ポンセ、耳1枚、耳1枚要求で場内一周。ロペス・チャベス、耳なし。 ニーム。マヌエル・カバジェーロ、耳なし。エル・コルドベス、耳1枚要求。ホセ・トマス、口笛。 ランテリア。見習い闘牛士エル・ファンディのウニコ・エスパーダ。耳8枚と尻尾2つ。(2−1,2,2−1,1,1)

 サングエサで、ビセンテ・ベハラノが大怪我をした。8cmと10cmの二カ所の傷を右鼠径部(腿の付け根あたり)に受けたため。大動脈が切れているかどうかは書かれていない。重傷。


 9月19日(日)

 今日はいつものように6時頃目が覚めた。が、直ぐに二度寝した。起きたのが10時。良い睡眠だった。ゆっくりしてたら競馬に行くのが面倒になって家にいた。久々にゆっくりと何もしない休みが取れた。1ヶ月ぶりだろうか。動かないとウンコが出ない。こんなんでいいんだろうかと思いながらトイレ掃除をした。

 音楽番組で、sonata は、インストロメンタルの事で、もともと、son は音のことだと言っていた。その反対、 cantar は、歌。思い出したが、映画 『秋のソナタ』 は、母親と娘の家族喧嘩の話でお互いに怒鳴り合いをするシーンが続く。監督は、イングマール・ベルイマン。主演は、イングリット・バーグマン。ベルイマンの映画は大体観ていてもういいんじゃないのと、思うくらい徹底的にやるので苦しくなったり、飽きたりして溜息が出てくる。でも、凄い映画なのだが。『ある結婚の風景』 もそうだった。

 兎に角、バーグマン会心の熱演だった。彼女の美貌は年には勝てず、皺の多い顔で、でも、演技は美人女優でならしていた頃とは較べものにならないくらい素晴らしかった。バーグマンの演技に感動した映画だった。あの『カサブランカ』 のイメージなんか吹っ飛んでしまう演技だった。が、これが最後の映画になる。ある日新聞で乳ガンの記事に目を留め、自分の乳房に手をやったバーグマンはシコリがあることに気づき医者に行く。それが彼女の命を奪った乳ガンだった。

 『秋のソナタ』 の中で、母親と娘は、怒鳴り合い、泣き叫ぶ。言葉はあまり意味がなかったのかも知れない。お互いに怒鳴り、泣き叫ぶのは、お互いを必要とし、コミュニケートしたいと思っての行動だったのだろう。何故なら、映画のタイトルは、ソナタ、になっているのだから。つまり、歌じゃなく、インストロメンタル。それも、春や夏ではなく、秋の。ベルイマン監督。今頃映画の事が判りました。まったくあんたって、考えさせてくれるよなぁ。

 エル・フリのオフィシャルHPが変わった。情報が載ってない。こんな代わり方は許せない。

 18日の結果。 ニーム。セサル・リンコンは、健康上の理由で不出場になった。胃腸炎と言うことだ。よってマノ・ア・マノ。フェルナンデス・メカ、耳1枚。ウセダ・レアル、耳なし。 グアダラハラ。エスプラ、耳なし。マヌエル・カバジェーロ、罵声。ホセ・トマス、耳1枚。 サラマンカ。エル・コルドベス、耳1枚。ビセンテ・バレラ、耳なし。ファン・ディエゴ、耳1枚。 タラベラ・デ・ラ・レイナ。ポンセ、アベジャン、エル・フリ。それぞれにトゥリンフォと書いてある。耳が何枚か判らず。

 アルヘメシで見習い闘牛士のマルティン・アンテケラが右大腿部8cmの角傷を受けた。始めに胴体をやられた。傷は2カ所。重傷。訳していて、scarpa と言う単語が辞書に載ってない。どういう意味なんだろう。多分体のある部分の事なんだろうけど。


 9月20日(月)

 昨日の今日。どうしてこんなに暑いんだ。3ヶ月の長期予報では例年に比べて温かいとのこと。良い競馬を期待したい。

 19日の結果。マドリード、バルセロナ、ニーム、グアダラハラ、は雨のため中止になった。

 サラマンカ。ファン・モラ、耳なし。ペピン・リリア、耳なし。ダビラ・ミウラ、耳なし。 バジャドリード。カナレス・リベラ、耳なし。ウセダ・レアル、耳なし。マヌエル・アマドール、耳なし。 ナバス・デ・ラ・アスンシオン。エミリオ・ムニョス、耳なし。エスパルタコ、耳なし。ファン・バウティスタ、耳2枚。 サン・アグスティン・デ・グアダリクス。ビクトル・プエルト、耳4枚。ミゲル・アベジャン、耳なし。アルベルト・ラミレス、耳1枚。


 9月21日(火)

 今日未明台湾で大地震があった。倒壊した建物は3万棟。死者1500人。怪我人3800人。行方不明2500人。と、なっている。が、計算が合わないような気がする。恐らく被害は阪神大震災を上回る事だろう。現地では、交通網が寸断され、通信網も壊滅状態のようだ。地震により亀裂がそこかしこでおき、隆起が所により10mもあるという。

 電気が使えなくなった夜の街で被災者は、余震に怯えながら外で夜を過ごそうとしている。食事はとれたのだろうか?

 中国は、「台湾で起きた地震に我々重大な関心がある」と、声明を出して、支援をすることを発表した。

 21日の結果。 バジャドリード。エル・コルドベス、耳1枚。オルドニェス、耳なし。ダビラ・ミウラ、耳なし。 トレド。マノ・ア・マノ。ポンセ、耳3枚。エル・フリ、耳3枚。


 9月22日(水)

 一日中雨。台風と梅雨前線のせいだ。本当に寒くなった。円高が止まらない。日銀総裁が昨日金融緩和をしないことを明言したためだ。市場は直ぐに反応して一時的に円安になっていたが、以前にもましての円高になった。自民党総裁選で小渕総理が再選したが、これでは景気が良くならないだろう。日本は円高になったからといって物価が安くならない。そう言う風にシステムが機能しないからだ。

 21日の結果。 ログローニョ。ファン・モラ、マヌエル・カバジェーロ、ホセ・トマス、耳なし。 バジャドリード。セサル・リンコン、耳なし。ビセンテ・バレラ、耳1枚。エウヘニオ・デ・モラ、耳なし。 ポソブランコ。ポンセに代わって、ウセダ・レアル、耳1枚。ミゲル・アベジャン、耳1枚。エル・フリ、耳4枚と尻尾1つ。


 9月23日(木)

 今日は温かかった。先週、幕張メッセで、“東京ゲームショー99”には、多くの外国のメディアが取材に来ていたそうだ。ゲームの世界は日本の独占状態らしい。僕はゲームをやらないのでよく判らないが・・・。でも、ヨーロッパなどでは、メーカーのゲームごととかに月刊誌が出ていたりして凄いようだ。

 そう言えば、今年スペインに行った時にプレステのコーナーが、エル・コルテ・イングレスにもあった。ビデオコーナーには、“MANGA”と書かれたコーナーまであった。コンピューターの発達はこういうように金の儲かるとことから始まるのだろう。

 22日の結果。 ログローニョ。ビセンテ・バレラ、口笛。オルドニェス、口笛。ホセ・トマス、耳なし。 バジャドリード。ポンセ、に代わって、ファン・モラ、場内一周。リトリ、罵声。エル・コルドベス、耳1枚。


 9月24日(金)

 台風の影響で雨が降ったり、風が吹いたり。長崎の不知火町では高潮で12人が死んだ。7mの堤防を越えて何回も潮が来たという。インタビューに出ていた地元の人の言葉が聞き取りにくい。まるで違う言語を聞いているようだ。イントネーションがまるで違う。

 不知火と言えば、あの辺は、隠れ切支丹が多かった所なのだろうか。気になるな。


 TV 「驚きももの木20世紀」は、昭和20年8月15日玉音放送の謎。内閣で終戦(敗戦)についての激論を、ポツダム宣言受諾派と、戦争継続派の間で行われた。8月9日から14日まで。首相の鈴木貫太郎は、ポツダム宣言受諾派。海軍も同じ。戦争継続派は、陸軍大臣、阿南惟幾。この人のせいで、日本人は何人も何千人も死んだ。また、ソ連が樺太、千島列島に攻め込んだ。

 玉音放送の原稿は、8月10日から書き始める。始め漢学者、川田瑞穂の、「朕深く世界の大勢と・・・」で始まる第一稿。それに手を加えたのは、内閣書記官長、迫水久常。さらに、大東亜省顧問、安岡正篤が加筆した。「義命の存する所」 「万世のために太平を開かんと欲す」などを書く。

 が、これに閣議で噛みついたのが阿南陸軍大臣。またしてもこの人。書き直しを四十数カ所。決定稿が閣議で了承されたのは14日、19時過ぎ。これに天皇が署名。内閣全員の署名が終わったのが22時過ぎ。外務省が連合国側に、ポツダム宣言受諾を発信したのは23時過ぎ。

 天皇が皇居内に設けられた録音室に入ったのが23時半過ぎ。4分10秒の詔書を2度読み、録音が終わってのが23時55分。 「然れども朕は時運の赴くところ堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かんと欲す。・・・・・」

 阿南陸相は割腹自殺をする。遺書曰く、「一死以て大罪を謝し奉る。神州不滅を確信しつつ。大君の深き恵みにあみし身は言いのこすべき言の葉もなし。」 山田風太郎 『戦中派不戦日記』には、「大将よ、御身の魂は千載に生く」 とある。ほんまかいな。同じ日の記述が面白いので書く。

 「下に降りると、暗い台所で炊事の老婆が二人、昨日と、一昨日と同じように、コツコツと馬鈴薯を刻んでいる。その表情には何の微動もない。・・・・・あとできくとこの二人の老婆は、ひるの天皇の御放送をききつつ、断じて芋を刻むことを止めなかったという。こういう生物が日本に棲息しているとは奇怪である。」

 戦争に負けた当時の日本人にとってはこの二人の老婆はまさに怪奇だったろう。でも、老婆はそういうもんだろう。政治なんか、思想なんかどうでも良いのだ。つまらないと達観してる分けじゃないだろうけど。それより目の前の人の為に芋を刻んでいる方が気分が落ち着くのだろう。

 23日の結果。 バジャドリード。マヌエル・カバジェーロ、耳1枚。オルドニェス、口笛。ホセ・トマス、耳4枚。 ログローニョ。エル・ビクトル、場内一周。アベジャン、耳2枚。エル・フリ、耳1枚。 ポソブランコ。セサル・リンコン、口笛。ビセンテ・バレラ、エウヘニオ・デ・モラ、耳なし。


 9月25日(土)

 台風一過。暑い1日だった。昨日の雨上がりから急に蒸し暑くなってそのまま・・・。

 「どうぶつ奇想天外!」で、ペットの死についてをやっていた。8歳くらいでガンになって死ぬペットが多いようだ。大概は子供のいない夫婦がペットを飼っていた。涙と流しながら末期の世話をしている。これを見ていて2つのことを思った。

 この人は今まで死について出会ったことがなかったのだろうか?例えば、親の死とか。兄弟の死とか。所で、親が病気になったときあんなにまでして(3日も寝ないで)看病したのだろうか?あるいは、するのだろうか?あんなのを見るとかえって死が現実感がなかった様な気がする。

 二つ目は、8歳で犬がガンになるというのはどういうことか?僕の想像ではペット缶に代表される食べ物に問題があるのだと思う。添加物、合成着色料、あるいは残留農薬や、ダイオキシンなどの環境ホルモンなど。まともな食料を摂取していればあんなガンにはならないと思うのだが。

 これは、恐らく戦後、特に、全共闘世代以降の人達の摂取した食物の多くが、8歳でガンになった犬とたいして変わらないものを食べてきているのだろう。その子供達は20歳以下。その子供達にアトピーやアレルギー、直ぐ骨折したり、糖尿病その他の多くの病気が肉体を蝕んでいる。僕も含めて今の老人達の様に長生きは出来ないだろう。理由は上記の如し。

 24日の結果。 ログローニョ。セサル・リンコン、エル・コルドベス、ミゲル・アベジャン、耳なし。 バジャドリード。ポンセ、耳2枚。ダビ・ルギジャーノ、耳2枚。エル・フリ、耳1枚が2回。


 9月27日(月)

 昨日の昼飯の時、仕事場のTVでNHK、のど自慢をやっていた。ペルー移住100年を記念してペルーで開催されたものだった。日経一世、二世、三世が日本語の歌を歌っていた。90歳の一世の爺さんが歌う。スペイン語しか知らない三世が日本語の歌を歌う。何だか胸がジーンとしてきた。どんな歌でも理屈ではなく、言葉が喋れなくても歌なら歌える。また、開拓時代仕事の合間に日本語の歌を歌った人も居ただろう。

 歌って良いなぁ。改めてそう思った。

 この前池袋の通り魔事件の時、TVで歌手の白井貴子が言っていた言葉を思い出した。「誰か1人でも彼の事を親身になって話を聞いてあげる人が居れば・・・。例えば1冊の本でも良いんです。1曲の歌でも良いんです。何か熱中できるものでもあればあんな事にはならなかった様な気がします」と。白井貴子がどんな歌を歌っているのかは、知らない。でも、彼女の言葉が耳に残った。

 元広島東洋カープの、衣笠が言っていた。「僕が辛いことや苦しいことがあるといつも聴いていた曲があります。それは、坂本九さんの、『見上げてごらん夜の星を』です。」と。衣笠は黒人の父と日本人の母の間に生まれた。高校時代は強肩強打のキャッチャーでならした。

 高校は名門、平安高校。当時の監督は平安高校を名門にした人だ。名前は忘れてしまったけれど、とても印象に残って居ることがある。それは、片手がない人だった。確か、左手に海賊がはめるような義手をはめていた。その形は、4/5位の円で先が尖っていた。その円の上に硬球を乗せてトスをして右手に持ったバットでノックをするのだ。

 それも何球も何球も怒鳴り声を上げながら、選手を叱咤激励してノックを続ける。あんな事やられたら選手は一生懸命やるしかないじゃないか、と思ったものだ。衣笠はそんな環境の中で野球をやって来た人だ。彼の不滅の連続試合出場記録は思春期の多感な少年の胸に刻まれた思いが合ったからなのかも知れない。

 一曲の歌。素晴らしい人との出会いは、一度しかない人生をしっかりと支える。そしてまた、感動を与えてくれるものも・・・。

 25日の結果。 セビージャ。クーロ・ロメロ、口笛。エスパルタコ、場内一周、耳1枚。オルドニェス、耳なし。 ログローニョ。トマス・カンプサーノ、場内一周。ペドロ・カラ、耳なし。エル・タト、耳2枚。 バジャドリード。マノロ・サンチェス、耳なし。ホセ・トマス、耳1枚要求。エル・フリ、耳3枚。

 26日の結果。 セビージャ。リトリ、耳なし。ポンセ、耳3枚。プエルタ・デル・プリンシペ。エル・フリ、場内一周。 ログローニョ。マヌエル・カバジェーロ、耳なし。ペピン・リリア、口笛。ディエゴ・ウルディアレス、耳2枚。 ロルカ。ペピン・ヒメネス、耳3枚と尻尾1つ。(rabo simbolicos と、なっているので、牛はインドゥルト(牧場に返される)したと言うことのようだ。) エル・コルドベス、耳2枚。ホセ・トマス、耳1枚。 ポソブランコ。闘牛開始前に、ここで死んだ、パキーリに1分間の黙祷が捧げられた。ファン・モラ、耳なし。フィニート・デ・コルドバ、耳4枚。ホセ・ルイス・モレノ、耳1枚。 トリホス。セサル・リンコン、耳なし。4頭目の剣刺しの時にコヒーダされ右肘をやられた。エウヘニオ・デ・モラ、耳なし。マヌエル・アマドール、耳2枚。 コレジャ。ビセンテ・バレラ、耳2枚。ダビラ・ミウラ、耳1枚。ミゲル・アベジャン、耳1枚。


 9月28日(火)

 人のために生きる喜び。誰かを好きになって恋に落ちて、人のために生きる喜びを知る。その人に気に入られたいからとか、好かれたいからとか、そんなことを思ってるような恋じゃ、実らない。こうしてあげたい、ああしてあげたいと、純粋に思う気持ちがなければ続かない。

 日曜日にある母親を見た。電車の中で。胸に乳飲み子を抱いて、5歳くらいの女の子を2人歩かせていた。1人は子供用の傘を持ち、1人は小さな袋を持っていた。電車の中で小さな袋から乳飲み子用のオシャブリやあやす小物を出して5歳くらいの女の子があやしてした。

 母親はもう1人の女の子がぐずりそうだったので、そちらを相手にしていた。その子は直ぐに素直になった。この母親は、あまり良い身なりじゃなかったが、子供には良いものを着せていた。2人の歩ける子にそれぞれの役割を与えて居るので躾もちゃんとしているようだった。

 何か良い気分になった。5歳の子が乳飲み子をあやしているなんてスペインみたいじゃないか。それに、最近の若い母親は子供よりの自分が目立つように良い服を着てで歩くが、この母親の服装を見て何かほっとした。こんな母親もまだ居るのだ。


 9月30日(木)

 昨日は、下関でまた通り魔事件が起きた。駅に車でガラスドアを突き破って人を引き、改札前に止めて、ホームにいた人達をで文化包丁次々に刺していった。犯人は、「何をやってもうまくいかない。社会に不満があったから、誰でもいいから殺そうと思った。」と、供述しているという。

 人生なんて、何をやってもそう簡単には上手くいく物ではないのだ。社会に対して不満を持っているのは、今の日本人の感情から言って誰でも持っていることじゃないか。でも、人を殺そうとは思わない。それが、当たり前じゃないか。笑いながら人を刺していたらしい。気味が悪い。

 犯人を知ってる高校の同級生達は、「物静かで優秀な男。こんな凶悪な事件を起こすなんて考えられない」と、一様に驚いているそうだ。こういう話は、こういう事件が起きたときに言われる、“常套句”になりつつある。九州大学工学部建築学科卒業だそうだ。池袋の通り魔事件の犯人は、家族崩壊の家庭で育った。今回は、精神病院に通院していたという。

 オーム真理教が、足立区の教団広報部は今日をもって退去命令にしたかって居なくなった。池袋に転居しようとしたが住民、区長などに阻まれて去っていった。そして、長野の教団施設に強制捜査が行われた。信者をリンチした容疑で幹部が2人逮捕された。

 昨日は、足立区の広報部で教団代表代行の村井達子が、教団の名前の使用中止や、活動停止などを発表した。今日は、地下鉄サリン事件の実行犯に死刑判決が言い渡された。

 また、今日茨城県東海村で原子力発電所で使用する原料を作成中に核分裂が起こり、臨界に達した模様。放射線被曝で3人が病院に入院した。事故は、国際基準で言う、3、なのに国際原子力の協会か何かに報告されていないようだ。

 兎に角、とんでもないことが起きている。


 10月1日(金)

 避難勧告が出されていた半径10kmは、解除された。日本初の臨界事故はどうやら人為的な事故だったようだ。ニュースステーションに出ていた、東大の教授がこんな事を言っていた。「よく人為的ミスを言うんですが、僕は技術的なミスだと思うんです。機械はミスしません。それを扱う人間がミスするんです。何故技術的なミスかというと、扱う人間がミスをするもんどという事を想定して、システムとしてそのミスをなくす様にするのも技術だと思うんです。」これ、面白い意見だ。

 水爆と同じ被爆量を浴びた3人の病状は少し良くなった様だが、死んでもおかしくない被爆量なので予断を許さない状態だ。

 TV、「驚きもものき20世紀」で、米長元名人と師匠の話をしていた。師匠がガンで後1ヶ月の命と、医者に宣告された時、米長さんは宿敵、中原名人を破って49歳、7度目の挑戦で名人位を獲得する。祝賀会で病床に伏しているはずの師匠が、「米長が名人になるまでは死ねないと思っていましたが、これで思い残し事は御座いません。安心して死ねます」と、言っていた。

 泣ける話だが、中原を破るために米長がやった事は、翌年米長を破って名人になる羽生の所に行って、中原得意の中飛車対策だった。人に教えて貰った事のない俺が、頭を下げて羽生君に教えて貰った。と、言っていたのを昔読んだことがある。TVは、こういうところを省いて番組を作るわけだ。

 この番組は今日が最終回だった。米長さんの最後の言葉が耳に残った。「将棋って言うのは、アナログなんですね。生きて言うこともアナログなんです。20世紀から21世紀を迎えるに当たって、このアナログを伝えていく人間を残していかないとダメなんです」

 非常に素晴らしい言葉だと思った。


 10月3日(日)

 1日の結果。マドリード、ラス・ベンタス。見習い闘牛、フェルナンド・ロブレノ、耳なし。アントニオ・バレア、耳1枚。エル・ファンディ、耳なし。ヌニェス・デル・クビージョ。オルドニェス、耳なし。ホセ・トマス、耳1枚。エル・フリ、耳1枚。

 2日の結果。マドリード、ラス・ベンタス。ビセンテ・バレラ、エウヘニオ・デ・モラ、ファン・バウティスタ、耳なし。


 10月4日(月)

 電車での乗り越しをするときはたいてい居眠りと相場が決まっているが、今日の乗り越しは読んでいる本が面白くて乗り越してしまった。丁度、昨日Nさんに凱旋門賞を撮って貰っていたビデオを取りに行った帰りの話だ。読んでいる本が面白いのは良いことだ。読みたくないのに読まなきゃならないのは苦痛だ。

 3日の結果。マドリード、ラス・ベンタス。ペピン・ヒメネス、耳1枚。ホセ・ルイス・モレノ、耳なし。ダビラ・ミウラ、耳なし。 エジン。エンリケ・ポンセ、耳2枚。エル・カリファ、場内一周、耳2枚。エル・フリ、耳3枚。 エベダ。エスパルタコ、耳なし。ペピン・リリア、耳2枚。エウヘニオ・デ・モラ、耳なし。 ラス・ロサス。ミゲル・ロドリゲス、耳2枚と尻尾要求。マリアノ・ヒメネス、耳1枚、場内一周。エル・ミジョナリオ、耳1枚。


 10月5日(火)

 寒くなった。朝も夜も。スペインから帰って来た足立さんとTELで話した。スペインへ闘牛の会のメンバーが入れ替わり立ち替わり10数人が来たという。勿論、マドリードに住んでいる人も居るのだが。足立さんは9月1日にアルカラ・デ・エナレスでエル・フリを観ようとしていたのだそうだが怪我で観れなかったと残念がっていた。

 それでも、どこかの田舎町でノビジェーロの闘牛でインドゥルトを初めて観たと言っていた。インドゥルト(罷免。つまりあまりにも良い牛なので、牛を牧場に返して種牛にする)は、100回闘牛を観ても観れない物だ。闘牛の会のメンバーでも観たことがある人は2,3人だろう。僕も92年ムルシアで、エンリケ・ポンセがやったのを観た。


 10月6日(水)

 今週の土曜日は闘牛の会。原稿送らなきゃならないのにまだなんにも書いていない。井戸さんに怒られるな。仕事が忙しいのでTELされても家に帰って来るのが遅い。イライラしてるかも知れない。ビデオも用意しなきゃ成らない。困ったことに時間が足りない。人間には誰にでも公平に、1日24時間と言う時間が与えられている。それを何とかしなきゃならないのだ。HPを更新してる場合じゃないな。闘牛情報の更新もお預け。しかも、土日は競馬がある。今週から東京に来るって言うのに行かない手はない。新馬戦が観たいにで2R位から見に行かないと。やることが一杯ありすぎる。でも、人生は一回きり。楽しまなきゃ。


 10月7日(木)

 昨日の夜中にNHKで、トラウマ(心の傷)について、斎藤学医師が開いている治療とそこに集まる患者達(主に若い女性)の番組をやっていた。トラウマの主な原因は家族から受けた物だった。平安な生活を送れなかった子供にとって家族は苦痛をもたらす最大の原因になっていくようだ。これは、いつの時代でも重要な問題だ。個人の他人との関わり合い方に、関わってくる事だ。

 この様な、家族の中で過ごすと思秋期から大人に成っていく過程で他人とのコミュニケーションの取り方、距離の取り方が判らなくなってきて自殺未遂、摂食障害などを起こしてしまうらしい。

 治療は、患者に家族を再現する芝居のようなものをやって、トランス状態にさせて思いの吐き出させる。また、そういう他人のビデオを観て自分だけじゃない他の人もそう言う風に思っている人が居ることを理解させ安心させる。これは孤立感を感じていた患者にとっては有効の様だ。

 その他に、シェアーと呼ばれる、患者同士のそれぞれの思いを話し聞きと言う作業をする。いわば、病みを分かち合いをする。自分の状態や思いを自分の言葉で話することに意義がある。また、他人の話を聞くことに分けがある。これは、知らず知らずの内に他人とのコミュニケーションの取り方の勉強になっているようだ。

 その前のTBS、「ニュース23」 は、今週の特集が、“顔”。色々な方面から、顔を取り上げていたが、昨日は、化粧に付いてだった。その化粧の仕方を教える所で働く人、通う人が登場した。何故、メークを教わりに来るか。それは、自分の顔に自信がない、好きになれない、顔の皮膚が普通じゃない、大火傷を負っているなど理由は様々だ。

 その中で1人の女性の言葉が耳に残った。彼女は、初めそこに通う人だった。それが、そこで働くようになった。顔の右側の皮膚が白くなっている。それをメイクで矯正できるかと思ってきていた。 「昔は鏡を見ても自分の顔を好きになれなかった。でも、ここに通う様になってメイクの仕方を覚えて自分の顔が好きになってきた。最近は、前まで嫌だった皮膚の白い所を鏡で見ているとそこが一番好きになった。だって、そこの所が一番スベスベしてるし、皮膚で一番綺麗な所だから」と、言っていた。

 過去に一番嫌だった所が、今は一番好きになる。僕はあるスペイン映画のシーンを思い出した。97年スペイン映画祭でやった 『Estrella』 だ。最後の方のシーンで死を前にした男が女に、「最後に頼みがあるんだ。あれを見せて欲しいんだ」と、言う。女は、黙って後ろ向きになって下を向く。そして、目に入れていたコンタクトレンズの様な義眼を取る。そして、ゆっくりと立って白い膜が掛かった目を見せる。

 男はそれを観て泣くのだ。男が最後に観たかった女の、“あそこ”は、コーニョじゃない。その女の人生をそのようにしてしまった“見えない目”だった。一般的には醜いと思われるであろう“見えない目”が、男にとって最後にどうしても観たかった物だったのだ。女はどうか知らない。男は、その女の一番醜い所が好きなのだ。

 TBSの番組に出ていた女性は、自分で自分の一番醜いところが好きになったと言う。とても健全な事だと男の俺は思う。化粧の事は何も分からないが、エイズ・ホスピスで毎朝、看護人に化粧して貰って喜んでいるのをTVで観て事がある。同じ番組で男は、「俺はもうダメだ。死にたくない、怖い」と、言っていたのとは大違いだ。1日の初めに好きな化粧をすることによってその日元気に暮らす。女はそんな詰まらないことで、苦しく、死にたいする恐怖さえも克服できるのだと分けが分からず感動したものだった。

 ああこれが女の健全な姿なのかも知れない。


 10月8日(金)

 井戸さんへのメールはようやく昨日の夜中と言うか今日の2時過ぎに送った。足立さんから催促のメールが来ていた。明日は朝から出掛ける予定だ。東京競馬場に行ってそれから闘牛の会に、行こうと思っている。いよいよ3歳新馬戦も期待馬が出てくる。土日と久々にたっぷりと競馬を楽しんでこよう。

 闘牛の会にもスペイン帰りの人がまた何人も来るだろう。話が楽しみだ。明日の演目も面白いものだ。


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