断腸亭日常日記 その2

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司

 

過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

99年1/13〜2/16

 99年2月19日(金)

 今日東京では雪が降った。雪の降る前に上野に行って来た。東京都美術館で、身体障害者の 『このアートで元気になる』 を、観てきた。想像していたのと違ってビックリしてしまった。ピカソのような絵ばかりかと思っていたけど、凄いものがあった。


 99年2月20日(土)

 昨日書けなかった東京都美術館の、『このアートで元気になる』 に、ついて。

 どうしても書いておきたい幾つかを。「明るい話、正しい人」、シリーズは点描がの様な色の使い方で、その中に何行に渡って文章が書かれている。棟方志功の版画はやはり文字がいっぱいあるが、これを書いた、富塚純光さんのそれは、絵では表現しきれない物が文字になってでてきているような気がする。この場合、文字に意味など関係ない。型にはまらない絵なのだ。

 曼陀羅を書いた、富士山弘願寺は、身障者を健常者が一緒になって書いた合作。構図と曼陀羅のまわりを健常者が担当し、曼陀羅の中の絵を、知的障害者の清僧(恐らく、ペンネーム)さんが担当。コンセプトは、障害者と健常者の融合。共に手を携えて行く社会。

 芝田貴子さんが描く絵は、「お母さん」。何枚も何枚も、お母さんばかりを描き続ける。太ったお母さん、痩せたお母さん、綺麗なお母さん、色々な彼女の中のお母さんが沢山描かれている。貴子さんのお母さんはこの絵を見てどんなことを感じたんだろう。

 「牛の昇天」という絵は、牛が天に昇って行くところが描かれているが、ちゃんと6頭描かれてあった。これ闘牛と一緒。偉い。

 そして最後に二つはかなりビックリした。今込いず美さんの、「無題」。雑誌の写真をちぎって、それをパネルに虫ピンで1つ1つ張り付けている。こういう発想が健常者には出来ない。後から聞いたら虫ピンで張り付けたのは施設の人とのこと。それでも凄いと、思った。

 坂上チユキさんの「さがしもの」は、見に来た人の度肝を抜いた。粘土細工に顔料で色が塗られている作品。構図の細かさもさることながら、色の塗り方の細かさ丁寧さはプロだ。尋常じゃない。彼女の作品が置いてある空間には、「白衣と眼鏡を脱いで下さい」と、ある。

 詩の様なものが書いてあったが、これも飛んでいる。多分そうだろうなと、思っていたらやっぱり精神疾患の人で、初めにかかった医者が非道く合わなくて、やばかったらしい。その医者が眼鏡を掛けていたので、さっきの「白衣と眼鏡」が出てくるのだという。

 でも坂上チユキさんは、レベルが違う。本当に凄いものを描いたり、作ったりする。

 「このアートで元気になる」は、東京都美術館で3月22日までやっている。ゴヤ版画展と梯子はいかがだろう。お奨めの美術展だ。


 99年3月4日(木)

 昨日、仕事場である女の子に会った。先週も会っていたが彼女だとは思わなかった。以前とは、顔が変わってした。整形したのではない。目つき、顔つきが違うのだ。その事を言うと黙って頭を掻いていた。何が彼女をそうさせたのかは知らないが凄い変わり様だ。他人を寄せ付けないような雰囲気があった。服装まで違う。以前はこんな感じじゃなかった。人懐っこく話しやすく、いつもニコニコして明るかったのに。多分、気持ちに余裕がなくなったのだろう。

 3日に、Yahooの検索エンジンに、やっと載った。アクセス数がかなり増えている。このまま増え続けるのだろうか。掲示板、メールも増えるのだろうか?


 99年3月9日(火)

 今日は午前中で小雨があがると天気予報で言っていたが、何故かずっと雨は降って、16時過ぎには雪がちらついた。寒い1日だった。

 昨日TELで確認したところでは、4月1日の闘牛には下山さんは来ないということ。「頑張ったんだけど、僕1人では・・・」と、鈴木さんは言っていた。残念で仕方がない。でも、4月16日にスペインに行くので、17日には会えるだろう。

 昨日、今日と京都の中村さんからTELが会った。明日?、11日に出発でスペインに行くとのこと。これで僕の知る限り、東京闘牛の会の会員は、4人がスペインにいることになる。


 99年3月19日(金)

 今日は、オームのサリン事件から4年目なのだろうか?TVニュースでサリン事件の被害者の事などをやっていた。

 スペイン行きの航空券をまだ頼んでいない。が、予定は4月16日。帰りはまだ決めていない。6月10日が6月末までいるかどっちかだ。ベネフィセンシアにセサル・リンコン、ホセ・トマス、ミゲル・アベジャンがでるのなら是非みたい。しかし、ベネフィセンシアは91,92年の頃は6月の第一木曜日だった。97年は6月19日、98年は6月の最終木曜日。今年はいつになるのか?恐らく向こうに行ってから決まるだろう。

 TTTの事務局からメールが来た。30日の18時から闘牛士との懇談会がある、とのこと。4月1日も行くが30日も行く。


 99年3月20日(土)

 今日がオームサリン事件から4年目。今日は本当に寒い1日だったが、あの日は快晴だった。午前中やたら救急車がサイレンを鳴らしてうるさい日だと思っていた。あんな事になっているとは思っていなかった。松本サリン事件の時の、冤罪が問題になっていたこともオーム真理教にとって都合の良いことになった。

 今日のニュースで、麻原彰晃は、自分は無罪だ、弟子がやったことだ。と、言ったそうだ。彼の信者は、この言葉を信じるだろう。何せ教祖様なのだから。サリン事件の被害者並びに家族はこの言葉をどういう風に聞くのだろうか。裁判を傍聴した被害者、及びその家族はどんなことを思い、何を考えたのだろうか。しかし、信じるとは、何といい加減で根拠のないものなもだろうか。

 怒りとは、自分のやったことを人のせいにする事じゃなく、事実をねじ曲げようとすることに対してじゃないだろうか。

 人間は自分の事を一生かけて少しずつ理解していく事に費やされると言っても過言じゃない。それは、他者との関係で気が付いていくものだ。それほど自己、自分を分かるのは難しい。でも、それはどうせ分からないからと言っていい加減にやっていると、一生かけても解るものも判らない。

 麻原彰晃は、自分の事が判ってない人だ。彼1人ならそれで良いのだが集団の指導者としても、父としても、社会人としても、そして何より人間として、自己を認識することを放棄した無責任さを感じてならない。

 盲導犬の話をTBS、TVで放送していた。目の見えない人の、“目”になってくれる盲導犬の調教は、盲人にとって掛け替えのないシステムだ。それは、盲人と社会との関わりをより密にする。麻原とは全く違った社会との関わり方だ。人と動物との関わり合いは、対等な関係ではないかも知れないが、少なくてもお互いを認め会い触れ合う事がそこにはある。

 盲導犬の慰霊祭で、少年が流していた涙はその事を表しているんじゃなかったのか。目が見えないのに盲導犬の“目”を信じると言うことは、宗教じゃない。現実であり、肉体を確認するからこそ盲導犬の“目”を確信できるんじゃないのかな。

 ありもしないことを言って、空想にふけって、愛だ、心だ、と言っていちゃ、オーム真理教を一緒だ。もともと愛なんて危ういもの。壊れやすいもの。何故なら実体がないからだ。心も同じだ。優しいヒューマニズムは人間を腑抜けにする。

 「目に見えること、手で触れるもの、口で食べれるもの以外私は信じない」と、言ったのはサルバドール・ダリだ。現実にあることを認識、確認するところから全ては始まる。愛や心じゃなく、肉体。自分の体から始まる。病気なら病気の体で、身障者なら身障者の体で、健常者なら健常者の体で、現実を受け入れることから始めなければならないと思う。

 全ては自分の肉体から始まる。


 99年3月21日(日)

 スペインに行く日の航空券を頼んだ。4月16日発、同日マドリード着。色々な人にそろそろ連絡を取らないと。これから忙しい。闘牛もバレンシアが終わった。エスパルタコ、ポンセ、エル・フリがPGした。クーロ・ロメロも耳を取った。中村さん、松田君、林さん、寿美さんなどがバレンシアやカステジョンに行って闘牛を見たはずだ。

 荻内さんは、ホセリートに会って話をしたのだろうか?サン・イシドロ中に日本に来たらホセリートに会えない。それは最悪のパターンだ。夏か、秋に来て欲しいなぁ。

 3月30日は、闘牛士達との懇談会。4月1日は闘牛。色々忙しい。


 99年3月22日(月)

 21日カステジョンで、ビクトリーノ・マルティンの牛を相手にマヌエル・カバジェーロがグラン・ファエナをやった。4月16日セビージャで、ビクトリーノ・マルティン牧場、マヌエル・カバジェーロの組み合わせがある。見たくなるよなぁ。4月15日夜の出発にすれば見れる。さあ、どうしようか。


 99年3月28日(日)

 差し歯としている前歯が、グラグラしている。金曜日に歯医者に行ったがその日には治らなかった。30日にまた行って来る。スペインに行く前にどうしても治しておかなければ。今日は、競馬に行くかどうか考えている。

 プロバイダーから連絡で3月31日でアクセスが出来なくなる。手は打った。が、4月1日からどうなるか判らない状態。


 99年3月31日(水)

 昨日の闘牛士の懇談会は、とても面白かった。その会にまたHPを見て来た人達がいた。その人なのかどうか判らないが、ウエルバで闘牛士を目指している日本人が来た。濃野平と、名乗っていた。何故その事が判ったかというと練習用の剣にTAIRAと書いていたからだ。97年のウエルバの祭り最終日に彼が出ると『apulausos』に書いてあったのを覚えていたからだ。

 その事を彼に言うと、「そう言えば記者が記事に書くと言っていたけど、向こうじゃみんなそう言って書かないから・・・。でも、本当に書いたんですね。そんなこと忘れてました」と、言っていた。俺の記憶もまんざらじゃないな。

 今日は、ONOのHPの、ONOさんとあってきた。15分位だったが話が出来た。真面目そうな人だった。明日また会えるかも知れない。

 明日はエープリル・フールではなく、闘牛とフラメンコ。TTTのTさんと会ってカメラを借りてきた。俺のはマドリードに2台とも置いているからだ。これからカメラのマニュアルを読まなければ。


 99年4月1日(木)

 闘牛とフラメンコを見に行った。12時過ぎに原宿に着く。駅前には闘牛反対のプラカードを持った人達がいた。牛が膝を着いて剣が背中に刺さって血が出ているもので、スペインの闘牛反対のポスターと同じだ。一緒に行ったM君曰く、「暇な学生と頭のおかしい人達」が、分けが判らずこういうことをさせられている。

 代々木体育館に着くと荻内さん達がいた。そこに闘牛の会のメンバー及び関係者が10人くらいいた。全部で4,50人くらい来ていたのかな。普段仕事で来れない人も来ていたようだ。13時には長蛇の列になっていた。

 14時から14時半入社式。元騎手で現調教師の田原成貴も出演した。が、僕は見なかった。休憩を挟んで14時50分から闘牛が始まった。入場行進は、会社の会長がトラッヘ・デ・ルス(闘牛士の服)を来て出てくる。進行役は赤坂何某。良くTVで見る顔、聞く声だ。

 アルグシル役の2人は、騎手の藤田伸二と上村洋。藤田は馬をちゃんと動かしていたが、上村は馬を後ろにやったり廻したりして言うことを聞かせているとは言えなかった。騎手の実力通りのタズナ捌きだった。

 闘牛は、ピカなし。バンデリージャは刺したが、肩のあたりに両面テープで付けられたようなプロテクターが着いていてそこに刺していた。2頭共闘牛士が撃った。セルヒオ・サンチェスは椅子に座って牛を誘ってバンデリージャを撃ったが失敗した。エル・ミジョナリオは、牛の角の間でしっかり撃っていた。

 カポーテ、ムレタ捌きは、特に書くほどの事はない。

 2頭目の牛は初めは行き追いよく出てきたが向こう側半分を行ったり来たりして闘牛士のいる方になかなか来なかった。ケレンシアの問題だ。牛が悪すぎた。動かない牛。

 観客の反応が可笑しかった。闘牛士がやってるときは「オーレ」を言わず、バンデリジェーロがカポーテを振っている時に「オーレ」を言ったり、やはり初めて闘牛を見る人が大勢居るんだなと、思った。殺さないので、インドゥルトの時の様にバンデリージャを刺して、剣刺しの真似をして終わり。初めのセルヒオは、贋の剣を足で踏んで殺さないぞと言うジェスチャーをして見せた。

 フラメンコ。ブランカ・デル・レイは、上半身の動きが際立つ踊り手だ。特にショールを使った踊りは、カポーテ技を見ている様だった。今日の闘牛士より闘牛士らしいショール捌きだった。一番前で写真を撮っていたら最後に2秒くらい僕の方を見てくれた。カメラはいつも使っているものでなかったので、ちゃんと写っているか不安だが。

 闘牛より、フラメンコの方が良かったのは否めない。

 ともあれ、日本で初めての闘牛が開催された。その事だけだ。それが良かったのか悪かったのかすら何とも言えない。来ていた人はそれなりに楽しんでいたとは思う。が、闘牛をほとんど知らない人はと言うことで、僕なんかはあんなので拍手貰ったり、ブエルタ(場内一周)したりしちゃなぁと、どうしても思ってしまう。


 99年4月2日(金)

 「俺は半ば死んだような気分で  ナザレの街に入っていった  とにかく横になる場所が  欲しかった  なぁ旦那、教えてくれよ  どこに行ったら寝床は見つかるんだい?  奴はニヤッと笑って握手して  “ねえよ”とだけ言った  よしきた、まかせな  重荷を降ろして自由になりな  その荷物は俺が引き受けるから  遠慮なく俺の背中に乗せな 」  THE BAND −−THE WEIGHT−−より

 昨日は久しぶりに須佐君達に会った。真鳥、アレナ(アは、明。レは、王へんに麗、と書く。ナは、奈)は、共に大きくなった。子供が元気だから嫁さんも元気そうだった。5月にマドリードで会う約束をした。

 子供がいると、重荷が増える事になるのかも知れない。でも、そんな重荷なら、どってことないぜ。そういう感じが須佐君にはある。嫁さんがいて、子供がいて、生活に張りがあるのだろう。とにかく逞しい奴だ。生活力がある。

 マドリードは大分、治安が悪いと聞いていたが最近少し良くなったようだ。だが、レティーロで、スペイン育ちのアラブ人の少年達が日本人などに首を絞めて、失神してる間に盗む、物取りがいるのだという。ヒターノもそうだが充分気を付けた方が良さそうだ。日本にいる時、緊張感のない生活に慣れていると、とんでもない事になってしまう。 


 99年4月4日(日)

 今日は掃除をしている。まだ、終わってはいない。

 18時からTBSの報道特集で、4月1日、ベンチャーセーフネット入社式の闘牛を取り上げていた。闘牛と言うより、ベンチャーセーフネットの会長、関口房郎のキャラクターを取り上げたと言って良い番組だった。4歳牝馬特別でフサイチエアデールの勝利を見る関口氏の後ろには、調教師になった田原成貴の笑顔があった。

 この会社は技術系の人材派遣会社。前の会社は乗っ取りにあっているが、それでもこうやってまた同じ様な会社を作ってしまうのは、会社経営のノウハウを良く判っているから出来ていることだ。また、とんでもないことをやりそうだ。そして、間違いなくこの会社は大きくなるだろう。関口氏が元気でいればそうなるはずだ。60うん歳。戦中派の逞しさなのだろう。

 闘牛はともあれ始めて日本で開催された。それは、関口氏の情熱がそうさせたと言って良いだろう。彼が動かして闘牛開催の為に努力した人達、それを見に当日来た人達の中にその事は記憶されることだろう。

 そして、牛の選別、検疫、アレナの土、闘牛士選びなど闘牛開催に、新闘牛士協会がアドバイスをして深く関わっていたことが判った。物事は具体的な事が判らなければ始まらない。闘牛士との懇談会の二次会に来ていた、ラウルなどの新協会の人達は、日本での闘牛開催でどんなことは感じ学んでいったのだろう。そういえば今日彼等はスペインに帰ったはずだ。


 99年4月5日(月)

 11時に歯医者に行った。13時になっても終わらないので、昼飯を食って14時から午後の診察、治療が始まり終わったのが15時半。歯医者で半日潰してしまった。が、これで、スペインに心おきなく行くことが出来る。食うぞ牛。見るぞ闘牛。

 チケットは、4月15日か、16日出発、6月12日帰国予定。セビージャの春祭りと、マドリードのサン・イシドロ祭を見てくる。でも、ベネフィセンシアは見れないだろう。残念だが仕方ない。セサルが出るベネフィセンシアは誰かに録画して貰うことにしよう。

 4月4日、セビージャの闘牛は耳は出なかった。ホセ・トマスが良いカポーテを見せたらしいが。


 4月7日(水)

 昨日帰って来てネットサーフィン。99年のサン・イシドロ祭のカルテルが出ていた。早速アップした。今日は帰って来たのは22時過ぎ。昼飯から口に入れた物は空気と缶コーヒー1本。パンなどを少し食って風呂に行く。帰ってきたら23時半を過ぎている。これから、闘牛の会の原稿書かなきゃならない。今回は何故か速くしてくれとのこと。いつでも直ぐ出来ると思っているから今になってこんな事になる。

 チケットは、4月15日のが取れた。早速銀行に行って来た。これで、16日のマヌエル・カバジェーロが見れるぞ。


 4月8日(木)

 今日は風の強い日だった。サクラがパラパラ散り始めている。高校野球が沖縄の優勝で終わり、プロ野球も開幕。入場行進の曲が沖縄出身のkiroroが歌った『長い間』。歌い出しが、♪長い間待たせてごめんね♪ 出来過ぎる時はこんなものかも知れない。沖縄は大フィーバー。大失業時代の暗い話題しかない沖縄に明るい話題。スポーツの良さは、理屈抜きに気分を明るくしてくれる。

 コソボでの戦闘は、ユーゴが一方的にやられっぱなしで、そっちは攻撃しないと宣言した。あの大統領何考えているのか判らない?一方は民族の為と言い、一方は人権を言う。人殺しがそんなに楽しいのだろうか?


 4月9日(金)

 スペインにボブ・ディランが来る。コンサートを見たいがマドリードでは4月13日。俺はまだ行ってない。サラゴサやバルセロナでもやるがセビージャでは何故やらないのか。多分見れないなぁ。残念。

 今日、NHKで、阪神タイガースの野村克也監督を特集していた。 「人間で一番美しいのは一生懸命やってる姿だ」 と、言っていた。 「松坂なんか平然と満員の観客の前で投げる。うちの井川はホント一生懸命何とか撃たれないように投げる。こいつ大丈夫なんかなと思って見ると真っ青な顔色してる。可愛いじゃないですか。人間くさくて。松阪なんかひとつも可愛いげない。」 

 野村さんは苦労人。人間というものを良く知っている。元阪神ファンとしては、また阪神を応援したくなって来る。


 4月12日(月)

 日曜日松田君と上野にピカソを見に行った。ただ券を貰ったので1400円が浮いた。非常に混んでいた。およそ絵を鑑賞する雰囲気じゃない。美術館に、好評の為20時まで閉館を延期します、と書いていた。パリで見たときの事を思い出した。やはりパリで見るべきだと思った。

 この前、歯医者に行って歯科衛生技師に歯ブラシのブラッシングをまた教わってきたのに1週間もするともうちゃんと出来なくなっている。また、歯の裏が黒くなりかけている。

 今日仕事が終わってからチケットを取りに行ってきた。帰って来てメールを見たらマドリードから2通来ていた。早速返信した。マドリードの宿も決まった。さあ、後は部屋の片づけと荷造り。そして、インターネット環境の整理。


 4月14日(水)

 なんだかんだ言ってるうちに明日出発になった。赤坂に行ってTCを作って来た。本来ならこれで準備万端整ったと言うことになるが、まだ荷造りが出来てない。今日寝れるのだろうか?焦っても時間だけは確実に誰にでも公平に過ぎていく。勿論、その中に俺もいる。

 スペインに行くって言うのに気が重いのはこういうためだ。荷造りは1週間位かけてゆっくりやった方が良い。ともあれ明日の今頃は雲の上。後14時間しないうちに家から出なきゃならない。急ぐけど忘れ物がないように旅行用荷物のマニュアルを見て仕上げよう。


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