99年スペイン滞在日記 por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年のスペイン滞在日記です。
99年1月13日〜2月16日 | 2月19日〜4月14日 | 4月15日〜5月11日 | 5月12日〜6月4日 |
6月7日(月)
イカ墨のパエジャを食べるとどうして黒いウンコが出るんだろう。拭き取った紙が黒い。ウンコも黒い。色は胃や腸で脱色されずに肛門から排泄される。むかし、酒を飲んでトイレで吐いたら、血のように赤かった。ビックリしたが、よく考えると最後に酔い冷ましに、トマト・ジュースを飲んだことを思い出して気持ちが落ち着いた。まだ、胃で消化されていないからトマトの赤がそのまま口から出てくるのは判るが、イカ墨のパエジャの黒はどうして胃腸で消化されているのに黒いままで出てくるのか?
グラナダでは、闘牛が始まるまで暇だ。だから何回も行っているカテドラルと、アルハンブラに行ってきた。その事は明日書くことにする。
グラナダでのセサルは上手く出来なかった。今年のセサル見納めをしてきた。上手くできないときの闘牛士は寂しいだろう。来年スペインに来れたらセサルのフィンカに行ってきたい。その時まで楽しみが延びたと思えば良いのだ。そして17日のベネフィセンシアで耳を取ることを楽しみにしよう。サン・イシドロも後残すところ僅か。もうすぐ日本に帰る。
6月8日(火)
グラナダのカテドラルには、フェルナンド、イサベル両王の墓がある。大理石で出来た墓には彫刻がされていてそれを改めてみて気付いたことがあった。大理石の墓の側面に施されて彫刻は、城の隣にライオンが二匹丸い玉の様なものの上に前脚を乗せている。良く見ると玉の下には葉があり、玉に見えたものには縦に割れ目がありその中には、実が見える。玉は玉ではなくザクロの実だった。
ライオンが乗っているのはザクロ。隣には、城。 Castilla y Leon 古いスペイン語では、 Castilla は、城の事。ライオンが乗っているザクロは、スペイン語で Granada 。カスティージャ・イ・レオン、と言う呼び方が、恐らくこの時期からされるようになったんだろう。そしてあくまでライオンはザクロ(グラナダ)の上にいなければならない。ザクロは、イスラムの王の食べ物だと言う。
そして、アルハンブラに行くために坂を上って行くと始めにある古い石の門の上には3つの縦に割れ目が入ったザクロが彫刻されている。これは、イスラムが作ったのかスペイン側が作ったのか知らない。いずれにしろ象徴としてのザクロ。そして、この街の名前にもなっている。
闘牛場の道に歩道と車道の境界線にある、鉄の棒が並んでいる。その上には熟れて縦に割れ目が入ったザクロがデザインされていたのだった。改めてグラナダの街を見ての、新しい発見だった。これは、何かの本にでも載っているのだろうか?僕は読んだことないんだけど。
闘牛は9日を残すのみ。
6月9日(水)
夜半から降っていた雨は、14時過ぎにはあがった。心配した闘牛の開催はどうやら出来そうだ。
グラナダのカテドラルにある王の墓に左右の壁に、スペイン両王時代の紋章と、右に12本の下を向いた矢と、左にくびきのデザインがある。くびき( yugo )は、雌牛と繋いで牛車を引くのに使う。これは、union
catolia fuerza だと、言っていた。矢は、下を向いていなければならない。これも、union を意味する。と、言う。
所で、ファランヘ党の矢は上を向いていたのか下を向いていたのか?アメリカ建国の象徴としてデザインされた1ドル紙幣の裏にある鷲が右足に持っている矢は上を向いている。これは力の象徴だとアメリカの神話学者、ジョーゼフ・キャンベルは言う。左足に持っている月桂樹の葉は平和の象徴で、鷲の顔は左側を向いているので平和の方に建国の意志があるとキャンベルは言っている。
ファランヘ党の矢が力の象徴としてあったのはキャンベルの説からしても明らかだろう。では、フェルナンド、イサベル両王が使った紋章は、 union と言うことだが何の union なのだろう。その辺はスペインの歴史をもっと勉強しないと駄目なんだろう。
6月10日(木)
闘牛写真館の用意のために、今写真を取り込んでいる。多分、biglobe ではなく違うところにHPを開こうと思っている。勿論このHPから行けるようにする。日本に帰ってからだ。
朝が開けたら飛行機で日本に帰る。後は日本で・・・。12日に着いたその日に東京闘牛の会。そこで、サン・イシドロ祭報告をする。
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