断腸亭日常日記−−スペイン篇、その2−−−

99年スペイン滞在日記  por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年のスペイン滞在日記です。

99年1月13日〜2月16日 2月19日〜4月14日 4月15日〜5月11日

 5月12日(水)

 闘牛士のセサル・リンコンの所にTELしたがいなかった。週末に帰って来るとのこと。18日はラス・ベンタス闘牛場に出るので恐らくフィンカに行って練習をしているのだろう。今年セサルはラス・ベンタスには3回出る。18日、24日、6月17日。ここで1つでも耳を取れれば良いのだが。91年の時は5回出たうち、4回プエルタ・グランデをした。これは未だに破られていない大記録だ。

 でも、そこまでは望まない。耳取れなくても良いファエナをして欲しい。それを願っている。

 ビア・デヒタルと契約している。TVを見ていて 「カナル・アンダルシア」 をかけてみるとヘレスでの騎馬闘牛をやっていた。「カナル・アンダルシア」は、「カナル・スール」 などのアンダルシア地方のTV局を1つにまとめて流している。だから、いつ何が流れるかは分からないが、スペインにずーといて闘牛を観る人には活用のし甲斐がある。

 その他にも、バレンシア、ガリシア、などがある。多分、バスクやカタルニアのTVも見れるだろう。騎馬闘牛が終わって、MTVなどの音楽チャンネルを見ていると、フリードウッド・マック、ロキシー・ミュージック、などがかかっていた。これは癖になりそうだ。でも、スティビィー・ニックスって老けたよなぁ。

 そして、1番活用できるのが、ビア・デヒタルの中にある、グラン・ビア、だ。これが、セビージャの、フェリア・デ・アブリルをほとんど中継し、今度は、明日から始まる、マドリードの、フェリア・デ・サン・イシドロ、を中継する。準備万端整って、後は良い闘牛があることを祈るだけ。


 5月13日(木)

 闘牛を見に行くときの出来るだけやっていることがある。それは、見に行く前に身を清めることだ。つまりシャワーを浴びて闘牛を見に行く。それは、命懸けで闘牛をやる闘牛士に対しての礼儀の様なものだ。俺は彼等の大変さを分かっているつもりだ。だからそんな彼等に対して俺も真剣に闘牛を観ると言う印として身を清める。


 5月14日(金)

 昨日、広島から来た女の人に会った。HPを見て闘牛を教えて欲しいと言うことだった。闘牛は1回しか観たことがない人で、その時分けが分からず泣いていたそうだ。会って色々説明したが、1回でそんなに判るものじゃないしあんなものだろう。HPを読んで来たそうだが俺の書き方や構成にも問題があるのだろけど変なところを覚えていたりする。

 クルサードと何回書いても見なきゃ分かんないよな。そんな比較も闘牛写真館ではやって見たい。良いパセ、悪いパセにしてもそういうことだろう。その辺をきちっとしないと分かるもんも分かんなくなちゃうな。まぁ、酒でも利き酒があって、良い酒、不味い酒が、簡単に分かる様に、比較を目で見て覚えて貰うと1番良いだろう。実際は牛が動いているから、なれないとちゃんと見れないかも知れないけど。 


 5月15日(土)

 タラベラから帰って来たのが2時過ぎ。とても観戦記はかけない。タラベラで、ホセ・トマスをエル・フリがやったことは凄いこと。ポンセがやった事は、見に来ていたホセリートにブリンディース(牛を捧げた)をしたことくらいだ。ポンセ、1枚、1枚。ホセ・トマス、1枚、2枚。エル・フリ、2枚、。

 ホセリートは、ニコニコしていた。彼が闘牛をやっていたときは、ニヒルというか冷たい、しかし冷静な眼差しだったけど。生い立ちがああだから仕様がないと思っていたけど。あんな明るい顔を見ると今は穏やかな気持ちでいるだろう事が分かった様な気がする。今日一緒に来ていたNくんが、戦争から帰ってきた兵士と同じじゃないですか。と言っていた。

 今日はもう寝る。


 5月16日(日)

 15日の闘牛中継はテレマドリードでやっていたので録画が出来た。ビア・デヒタルのグラン・ビアで中継がある日は、サン・イシドロの録画が出来ていない。アンテナの具合でも悪いのだろうか?今日は何処でも中継がなかった。新聞には、グラン・ビアで中継があると書いていたにもかかわらず、闘牛場に行ったら中継をするアナウンサーのフェルナンド・フェルナンデスと解説のロベルト・ドミンゲスがいなかったので、ガッカリした。

 マドリードは、サン・イシドロが始める2日前から暑くなってきて、日中30度を超える日が続いている。今日は風が強くて闘牛を観ているときに、日陰になったらTシャツと夏用のジャンバーじゃ寒かった。闘牛は牛の日。闘牛士は上手く出来なかった。片目の闘牛士、ハビエル・バスケスの時に良い牛が出て耳が切れるかなと思ったが、ファエナは尻窄みになって切れなかった。


 5月17日(月)

 寒い朝だ。曇り空で風がある。セーターが必要なくらいだ。新聞を買ってくると、レアル・マドリードが勝って3位に浮上した。そして今日の闘牛はやはりモランテが出ず、代わりにホセ・ルイス・ボテが出場する。この前の日曜日にベンタスで耳を取ったのが出場の機会を得たようだ。努力する人、結果を出す人にはチャンスが与えられるべきだ。ボテがまた良いファエナを出来ることを、祈る。

 TVを見ていたら、ジロ・デ・イタリアで16時2分頃、総合で1位の、チッポリーニが落車した。これで1位から転落するだろう。


 5月18日(火)

 朝から雨が降っている。11時半頃ソルの温度計は9度だった。両替とフィルム、CDを買ってくる。ロバート・クレイと、バン・モリソンの新譜、MTVで気に入った、THE CORRS を買ってきた。ロバート・クレイはジャック・ダニエルズでも飲みながら夜ゆっくり聴こうと思う。バン・モリソンの『フィロソフィー・ストーン』 がお気に入りだ。こういう曲を聴くと気分が落ち着いて、幸福な気持ちになる。バン・モリソンならではだ。

 新聞を買ったら、クリスティーナ・サンチェスが引退と書いてあった。史上初めて女闘牛士のコンフィルマシオン・デ・アルテルナティーバをやった人として長く記録されることだろう。俺は彼女を何回見たんだろう。4,5回だろうな。期待が大きかった事もあるが、やっぱり男の闘牛士の方が何倍も良い。

 今日の闘牛は、セサル・リンコン、オルドニェス、ホセ・トマスだ。セサルは新聞に、<< Voy a por mi sexta Puerta Grande en Madrid >> と言っていた。俺はそれが観たくてマドリードまで来ているんだ。曇り空を恨めしく見ながら祈るような気持ちで19時を待っている。良い牛も出てきて欲しい。最高の観客の前で最高のファエナをして欲しい。


 5月19日(水)

 マドリードは今日も寒い朝を迎えた。昨日は闘牛場で色々な人達と会った。闘牛士が来る門の前でセサルを待っていた。みんなに囲まれて挨拶も出来ない。いつものことだけど闘牛士はこうなのだ。特に昨日は良いカルテルだったから人が沢山いた。中に入って入場行進をするための門の前に行くと、コロンビア人のラファエルがいた。彼とは色々な闘牛場でセサルが出るときに会っている。勿論、セサルのファンだ。

 初めに通ったのは、ホセ・トマス。モソ・デ・エスパーダのホアキンが通っていく。去年までホセリートの所にいた。セサルのバンデリジェーロが医務室の向かう。少ししてセサルと一緒に出てきた。みんな元気そうだ。カルロス・アビラ、アドルフォ、笑顔で答える。セサルは集中しているようでちらっとこっちを見て中に入って行った。ピリがその後を付いていく。彼は去年までホセリートの所にいた。

 プログラムをもらいに走って行くと、俺を呼ぶ声がする。ここの中で俺の名前を知っているのはそんなに多くないし、スペイン人じゃ声を掛けて来ないはずなのに。見るとセサルのいとこ(車の運転手)が立っていた。名前を前に聞いているけど英語風の名前なので忘れてしまった。セサルの泊まっているホテルを教えてくれる。いつもと同じ所に泊まっている。そりゃそうだ。あのホテルに泊まって、プエルタ・グランデをしてるんだから。恐らくホセ・トマスやポンセも同じだろう。

 セサルの4頭目の時に前に座っている闘牛ファン気取りのスペイン人が 「セサル・ムイ・マル」 と、叫んだ。俺は直ぐに、 「トレロ・ビエン、トロ・マル」と言ってやった。そしたらこっちを見て「トレロ・マル」と何回も言っていた。頭に来たが馬鹿を相手にしても仕方がないと思って何も言わなかった。4頭目が終わってそいつがこっちを向いて睨んでいたが、隣のおっさんに、「彼は、闘牛士の心が分からない」と、言うと「そうだ」と、言って頷いていた。ニセ闘牛ファン。分からないのに、大声で叫ぶのは3人前だ。

 ホセ・トマスのプエルタ・グランデが始まったら、これには見向きもせず、セサルの車の所に行って待つ。だってセサルが一緒に出てるときにそっちに行ったら失礼でしょ。そりゃPG見たいけど。セサルの兄でモソ・デ・エスパーダのルイス・カルロスと話をする。今日は牛が悪くてファエナが出来なかったね。と、俺が言うと、あれはとんでもなく難しい牛だ。と、ルイス・カルロスが言った。セサルにインタビューしたいんだけどと言うと、今は難しい。サン・イシドロが終わったらと、言うことだ。25日過ぎなら会えそうだ。セサルが戻ってきて握手をした。今日は牛が悪く元気がない。それでも、Saito と名前を言って握手をしてくれた。

 辛いよなぁ、闘牛士は。良いときばかりじゃないし、悪いときは何を言われるか分からない。でも今日はセサルは悪くなかった。牛が非道すぎた。闘牛場の外側を歩いていくと、マドリード在住の日本人闘牛ファンが集まっていた。番長、寿美さん、丸山さん夫婦、若尾さん。挨拶をしてまたサン・イシドロを見に来たことを言った。

 俺の顔を見ると丸山さんの奥さんが今日はセサルは良かった。と、言ってくれた。彼女は闘牛を良く分かっている。旦那さんも良かったよ、ホントに。と、言ってくれた。要するにあんなに悪い牛で捨てることなく真面目に闘牛をやったと、言うことだ。何か胸の中につかえていたものがはらわれたような気になった。長く話さなくてもこんな一言で嬉しくなる。あのニセ闘牛ファンとは、闘牛の見方その物が違う。丸山さん達のように、ちゃんと目を開けて闘牛を見ろよな。

 番長と一緒に榎本さんを待つ。榎本さんがやって来た。立ち話をして、榎本さんとメトロに乗った。番長は誰かと待ち合わせ。オルドニェスは今日にカルテルに出るべきじゃなかった。何故ならレベルが違いすぎるから。やらないんじゃなく、出来ないんだ。榎本さんも良く分かっていらしゃる。また、闘牛場で会えるだろうし、TELで連絡して会いたい人も居る。

 帰ってきて録画したビデオを観る。ホセ・トマスって本当に凄い闘牛士だ。マドリードのファンは彼を見に闘牛場に足を運ぶ。今、ホセ・トマスが世界一の闘牛士だと、言うことを疑う人はここにはいないだろう。それでも俺は、セサル・リンコンのファンで居続けるつもりだ。何故なら、闘牛のほとんど全てをセサルの闘牛から学んで来たからだし、あの日の感動を上回る闘牛を観ていないからだ。昨日は雨で中止にならなくて良かった。 


 5月20日(木)

 曇り空の朝を迎える。昨日までより温かい。毎日ラス・ベンタス闘牛場に通っている。闘牛場のプエルタ・グランデの前では二つの新聞をタダで配っている。『Diario 16』 と、『LA RAZON』 92年にサン・イシドロを見に来たときは、『Dario 16』 を良く買っていた。

 毎日闘牛場に行くと、プエルタ・グランデの所に行って、その二つの新聞を貰ってくる。必要な所は闘牛を書いているところだけだ。『Diario 16』 には、前日の結果が載っていてそれぞれの評価が、ミシュランの三ツ星マークのように、星ではなく、剣で記されている。

 剣三つは、muy bien 剣二つは、bien 剣一つは、regular (−)は、mal で書かれている。では、18日の評価はどうなっているかというと、エル・トレロ牧場は、剣一つ。セサル・リンコン、剣一つ。リベラ・オルドニェス、(−)。ホセ・トマス、剣三つ。プレシデンテ、剣一つ。と言う風に記されている。

 この評価を書いているのは、恐らく、マヌエル・モレスだろう。彼は92年から、97年までサン・イシドロ祭を独占的に中継していた、カナル・プルスのアナウンサーで、その時解説をやっていたのがアントニェーテだ。俺が18日の速報で伝えた通りでほぼ間違いないことが分かるだろう。

 ちなみに、17日のホセ・ルイス・ボテは、剣二つになっている。耳を取って剣が一つじゃおかしいしこれで良いと思う。このHPの闘牛観戦記はスペイン時間のその日に(18日であれば18日の24時まで)結果か、速報をアップしていきたいと思っている。思っているというのは、諸事情で翌日の2時頃にアップすることが多いからだ。(日本時間の、9時頃には分かるようになっている)いずれにしろ新聞が出る前に観戦記を書いている。インター・ネットで 『ABC』 より早く結果が分かるようにしている。

 今日闘牛士の定宿として知られている、Hotel TRYP REINA VICTRIA で、クリスティーナ・サンチェスの引退記者会見が行われた。TVE や、テレ・マドリードで放送していた。淡々としていた。18日にはテレ・マドリードで彼女のアポデラードのシモン・カサスがTELでインタビューに答えていた。インタビュアーは勿論、ミゲル・アンヘル・モンチョリ。言わずと知れた、テレ・マドリードの闘牛の総責任者。CD ROM で 『TOROS』 を出している人だ。


 5月21日(金)

 昨日闘牛を見終わって階段を下りていくと、TVで見た顔があった。思い出したが、レアル・マドリードのサンチィスだった。昨日はポンセ、バレラ、アベジャンの、良いカルテルなので見に来たんだろう。彼はソルのバレラに座っていた。

 帰って来たら、2本TELがあったという。飯を食っているとTELが来た。13,15と闘牛を一緒に見に行った、広島から出てきた女の子だった。マラガからかけてきた。こっちは誰も知り合いがいなくてつまんない。と、言ったってスペイン語の勉強に来てるんだからちゃんとやんなきゃなぁ。

 俺も経験あるけど、初めて1人で闘牛を見に来たときは友人がいる分けじゃないし、喋れないスペイン語ばかりで寂しかったし、日本語が体の中に溜まっていくのが分かった。だから日記をつけだした。それが変化してスペイン滞在日記になっている。

 もう1本は、バルセロナからだった。夜TELしたが話し中やかからなかったりで、朝TELしたらいた。MIHOさんもようやく生活が落ち着いたようだった。メールをくれるという。

 今日は昨日のように朝は寒いが日が昇ると温かくなった。朝いつもより早く起きてアランフェスに行ってきた。地下鉄6番線のメンデス・アルバロにある、バスの南駅から行った。バス会社は、AISO 。405pts。何しに言ったかと言えば、29,30日の闘牛の切符を買いに行ったのだ。15日のタラベラで、エル・フリが出るのでダフ屋に倍の値段で買わされたからだ。

 切符はメルカド前にあるオンセの様な丸い小さなボックスで売っていた。10m位しか並んでなかったのに買うのに30分かかった。いつものことだけど呆れてしまう。もっとテキパキ売れないのだろうか。日が照って暑い中でだ。でもまだ良い。アルバセーテ、ムルシアなどの頃は、夏なので汗だくになってしまう。これで30日の切符に心配はなくなった。

 今日はフランスのニームで、エル・フリのウニコ・エスパーダがある。新聞を買ってTV中継しないか見たが何処もない。やったらサン・イシドロじゃなくそっちを録画しようと思っていたのに残念だ。


 5月22日(土)

 昨日闘牛場には、レアル・マドリードのスーケルが来ていた。あの猫背で分かった。やはりマドリードだからレアルの選手が多い。アトレティコの選手は来ないのだろうか。ヘスス・ヒルなら、ホセ・トマスの時に来るだろうけど。何故ならホセ・トマスはアトレティコのファンで、ヘスス・ヒルはホセ・トマスのファンだからだ。ヘスス・ヒルはアトレティコのプレシデンテ。でも闘牛場に来るのはレアルの選手が多い。

 ニームであったエル・フリのウニコ・エスパーダは耳3枚取ってプエルタ・グランデをした。切符も、「ノー・アイ・ビジェテ」になっていた。ニームは、器が大きいので売り切れになることはまずない。とにかく凄い人気だ。

 今日は騎馬闘牛なので家でTVで見る。午前中レイナ・ソフィア行ってきた。


 5月23日(日)

 昨日は中崎君とレイナ・ソフィアに行ってきた。ダリ、ミロ、ピカソを見た。ミロは何回見ても判らない。まるで子供の絵だ。ピカソは、泣く女やミノタウトスなどのゲルニカの習作の様な作品を見た。元のプラド美術館の別館にあったやつ。ピカソを好きになったのは、パリのピカソ美術館を見た時じゃなく、プラドにあるベラスケスのラス・メニーナスを見て、バルセロナのピカソ美術館のラス・メニーナスの模写を見てからだ。あれにはいたく感激した。

 それからピカソが少しずつ判るようになっていった。それからは、泣く女などが好きになった。日本の俺の部屋には、アメリカ人が書いた、泣く女の本がある。それでもやはり子供の頃に好きで見ていた、ダリの方がピカソより好きだ。改めてダリを見てディテールまで遊んでいるところが良いと思った。あんな人だけど絵は良い。

 ガラと出会って女の顔が書けるようになった何て言うエピソードも好きな話だ。それまでは妹の顔しか女の顔は書けなかった。だから初期の作品には女の後ろ姿しか書いていない絵がある。作家にとって女は世界中で1人いれば良いのだ。ダリにとってガラがそれだ。日常的に言って、女にとって男は1人いれば良いのと一緒だろう。

 しかし、生物学的に言って、オスは一個のメスだけじゃ満足しない。これは闘牛用の牛の繁殖を例にとってもそうだし、競走馬の種付けを見ても判る事実だ。また、立花隆の、『サル学の現在』 に、書いているようにサルにおいても繁殖の形態がサルの種類によっても違って来る。闘牛用の牛や、競走馬は、ハーレム型の繁殖形態。聖書に出てくるダビデ王もハーレム型だ。こんなこと言ってユダヤ人に怒られないだろうな。

 でもそういう風に書いてるんだもんな。元々あった人間の繁殖形態はどういうものなのかは知らない。でも今は社会的にも、法律的にも一夫一婦制を取っているところがほとんどだ。イスラムではまだ一夫多妻制の所もある。法律は国家によって善悪が逆転する場合が出てくるものだ。話が脱線したので元に戻そう。

 「ダリの絵を見て1番興奮したのは5歳の息子だった」 そんなに昔じゃないTVのCMで出てくる台詞だ。そりゃ、興奮するよなぁ。面白いもの。楽しいもの。現代美術に欠けているのはそういうところだろう。中には面白く楽しいのもあるけど、ほとんどが分けの分からないもの。闘牛で言えば、技術も意図も感じられない闘牛士と一緒だ。そういう奴は、フェラ・コーニョ!


 5月24日(月)

 快晴の朝。闘牛日和だ。今日はセサル・リンコン、エンリケ・ポンセ、マヌエル・カバジェーロの3人だ。昨日ジャック・ダニエルを飲み干した。これから買いに行って来る。今日の祝杯用の酒を用意しておかないと。特にセサルの健闘を祈る。いつもセサルは、自分は恥ずかしい闘牛はしなかったと、言っている。

 だから、こんな詩を思い出した。

 あなたが思いもよらないほどに
 イエス様はあなたを愛しておられます
 神のご加護がありますように
 天は祈る者を
 快く受け入れてくれるのです

 サイモンとガーファンクル 『ミセス・ロビンソン』 から

 今僕の気持ちは、不安と期待が交錯している。が、穏やかだ。19時前が1番ドキドキするだろう。セサルは、カトリックの信者。カピージャの中で祈ることは、良いファエナが出来るように祈るのではないと、言っていた。今日も無事に帰って来れますように、祈るのだと言っていた。僕はセサルの健闘を祈ると共に、無事を祈りたい。


 5月25日(火)

 昨日、闘牛が終わってセサルの車の前で待っているとセサルが来た。また元気がない。今度は握手もしてくれない。車の扉を開けると、エドガールがいた。TELをすると言うと、前に座ったセサルを気にして声を出さずにホテルに来いと言った。だから、メトロでホテルまで行くことにした。

 ホテルの部屋に通されると中には10人以上に人がいた。97年に闘牛服の着替えの写真を撮った同じ部屋だった。家族がいっぱいいて、ファンも後から後から10人以上がやって来た。ほとんど関係者以外いなくなってから、インタビュー出来るかどうか聞いてみた。セサルに会えば話は早い。OKが出た。来週までにTELをエドガールがして来て日にちを決めることになった。闘牛士が首を縦に振れば全て話がスムーズに運ぶ。

 会う場所はセサルのフィンカだ。97年のインタビューの時に是非牧場に来て欲しいと、言っていた。それが現実のものになりつつある。でも問題がないわけではない。通訳の都合もあるからだ。来週なら何とかなりそうだ。

 僕はこういうとき現実的になる。フィンカはマドリードから2時間半かかるという。平日の午後、ホセ・トマスがベンタスに出ないときに会いたい。そして、闘牛の話を一杯してきたい。また、夢のような時間を共に出来ることを願っている。


 5月26日(水)

 昨日は、旅行ガイドをしている三木田さん夫婦が来た。一緒に昼食を取って色々な話をした。4月のセビージャの祭りにTVの仕事で、とんねるずと、フラメンコの撮影をやった話などした。石橋は、とても礼儀正しい人でビックリした、と、言っていた。業界の人には威張っているかも知れないけど、最敬礼の様にガイドには挨拶をしていた様だ。

 人の噂なんて所詮そんなものだ。実際会って話さなきゃ人は判らないもの。闘牛の話もしたが、早くHPをアップしないと闘牛の結果を知りたがっている人も多いようなので今日はこの辺まで。ホセ・トマスがやった次の日は何故かアクセスが多い。ホセ・トマスって日本でも人気あるのかな。


 5月27日(木)

 今日は闘牛の前に、榎本さんに会って闘牛の話をした。有意義な時間を過ごせた。帰ってきて、マドリードのくまさんにTELして会う約束をした。ICHIさんの都合で31日になった。俺のスペイン滞在も後二週間。会いたいけど未だ会ってない人にも会って話をしないと悔いが残る。会えるときに会うことにしよう。

 でも、セサルからのTELでどうなるか判らない。約束しいても優先順位はセサルが第一位にある。当たり前だ。その原則の上で会いたい。


 5月28日(金)

 曇り空で寒い朝を迎えた。マドリード、ラス・ベンタス闘牛場を沸かせ続けているのは3年前から、ホセ・トマスだ。97年のファエナは伝説の様になって語り継がれて行くことだろう。左手1本で綴ったパセはアフィショナードに感涙を流させた。今、ベンタスでホセ・トマスがカポーテを持ってアレナで牛を誘おうとすると場内が、「シーン」となる。彼に観客は見とれている。

 榎本さんの話だと、91年のセサル・リンコンの時の方が、観客の反応が凄かった。とにかく静寂が闘牛場を支配していて闘牛士はセサル・リンコン以外いない様な雰囲気があった。と言う様な事を言っていた。僕はセサルファンだからそういう冷静な判断が出来ないようだ。でも、今のセサルは、ポンセと同じように口笛やヤジが飛ぶ。ポンセだって92年は凄かったのだ。時が過ぎればホセ・トマスもそういう風になるのかも知れない。しかし、今はホセ・トマスが、マドリードの idolo なのだ。闘牛士の見本になる闘牛士なのだ。91年のセサルがそうだった様に。

 今の闘牛界のアイドルは、エル・フリ。ホテルの前からフリを追って車の窓から上半身を乗り出して、「フリアン、フリアン」と言っている、少女達もいる。タラベラでさえ、フリが来ると「フリアン、フリアン」と大騒ぎでフリが行った後に、涙を流している少女達がいた。信じられない光景だが本当の話だ。エル・フリは闘牛界に出た何十年に1回の超アイドル。

 ヘスリンなんか目じゃない。60年代に活躍した、“エル・コルドベス”を越えるかも知れない人気者だ。闘牛に全然関心のない人が闘牛場に足を運びたがる。でも、ホセ・トマスの様に、闘牛士の見本になる闘牛士ではない。その可能性はあるが。

 スペイン滞在も少しになったので、撮りためたビデオの整理をしている。ダビングするものはダビングしていらないものは新しく録画用に回す。帰ったらすぐに闘牛の会で、サン・イシドロ祭の報告が待っている。その準備もしないと駄目だ。

 今日闘牛場に行って新聞を貰って読んだら、ホセ・トマスが26日の剣刺しの時に右の腕をおかしくして闘牛が出来なくなったと出ていた。 Tiene una fisura en el codo derecho と、なっている。このまま訳すと、右肘が割れる、になってしまう。これは骨が割れるで、ヒビが入ったのだろうか。

 あの日、5頭目の牛で剣刺しを10回やった。その時に痛めたのだ。スペイン語では上の様にしか書いてないのでよく判らない。が、剣刺しでおかしくなったので、普通は手首が悪くなる。97年のホセリートがそうだった。肘に来る場合もあるだろう。闘牛場で隣の人に聞いたら手首から肘が悪いとジェスチャーで教えてくれた。よく判らないが明日のアランフェスと6月1日のラス・ベンタスで闘牛が出来なくなったと言うことだ。それ以降に付いては判らない。


 5月29日(土)

 今日アランフェスで観る予定だった闘牛は、ホセ・トマスが出ないので、切符を払い戻しして帰ってきた。闘牛規約(REGLAMENTO DE ESPETACULOS TAURINOS)には、闘牛士が1人代わると、払い戻しが出来ると書いてある。規約通りに払い戻ししてきた。代わりは、エウヘニオ・デ・モラだった。それでも良かったが、カメラを持って行かなかったので写真を撮れないのでキャンセルした。それと金も底を着きかけているので・・・。

 TVでサン・イシドロの騎馬闘牛を観る。アンディー・カルタヘナが耳2枚切って、プエルタ・グランデした。非常に良いタズナ捌きだった。パコ・オヘダは、剣が決まらず耳を取り損ねた。

 ビア・デヒタルの音楽番組で、「70’S DAY」で、ロッド・スチィアートの、「アイム・セクシー」が流れていた。ロッドの元彼女は女優の、スーザン・ジョージ。映画 『わらの犬』で物凄く印象に残った女優だ。何故か彼女を思いだしてしまった。


 5月30日(日)

 夜にビア・デヒタルの音楽番組を見ていたら、ジャネット・ジャクソンの、ビデオが流れていた。水の中でスケスケの布1枚で裸で女の体が動く。女は液体だ。だから水の中が似合う。あそこが見える分けじゃない。音楽ビデオなので見えるわけがない。カメラの露出の関係で部屋の中にいる裸の女が黒い影の様にシルエットになったり、色々工夫して撮っている。このビデオは何か色っぽい。思わず見てしまった。かって見えない方が色っぽいのだ。

 違うチャンネルで、『ガメラ』 をやっていたので最後まで観てしまった。70年に大阪であった万博に怪獣がやって来て、ガメラがやっつける話だった。ガメラの映画をはじめて見たのが、日本じゃなく、スペインって言うのがオツだ。ガメラは怪獣をやっつけるときに剣刺しを顔面に決めていた。グラン・エスパーダだった。バホナソじゃなかった。

 深夜になって、音楽はジェームス・テイラーの 「ユーヴ・ガット・ア・フレンズ」が流れたり、スティーリー・ダンが流れたりしていた。どっちも懐かしいが、ジェームス・テイラーは好きで聴いた曲。スティーリー・ダンは無理矢理聴かされた曲。あの頃何故か、田舎臭いサザン・ロックが好きだった。ウエスト・コーストなんて都会的で東京出身者が聴く音楽だと思っていた。イーグルスや、ジャクソン・ブラウン、リンダ・ロンシュタット。

 今じゃ聴くけどあの頃は抵抗感があった。所詮田舎ものはカントリーやサザン・ロック、テックス・メックスが似合うと思っていた。そういえばこの前、FNACのカントリーのコーナーにリンダと、ドリー・パートンとエミルー・ハリス、3人のボーカルのCDがあった。ジャケットが子供の頃の写真と今の写真だった。子供の頃一番可愛いのがドリー・パートン。一番ブスがリンダだった。

 一時期セックスシンボルの様になったリンダ。でも声だけ聴けば女ぽっさはドリーの方が上だ。でも一番のお気に入りはエミルー。俺はああいう声が好きだ。それと、クリスタル・ゲイル。長い髪の毛と透き通るような声に痺れたもんだ。クリスタルは、カントリーの大歌手、ロレッタ・リンの妹。日本帰ったらクリスタル・ゲイルを聴こう。

 TVでは、ウルフマン・ジャックが何故か歌を歌っている。『アメリカン・グラフィティー』 にも出ていたDJ。これも懐かしい顔だ。盲目でギターを弾きながら歌う歌手が(白人なのだが名前を今思い出せない)ドアーズの「ハートに火をつけて」を歌ったり、ロキシー・ミュージックのボーカル(名前を忘れた)が、ディランの「激しい雨」を歌ったり、セックス・ピストルズが「ゴット・セーブ・ザ・クィーン」を歌ったりしている。ああ、音楽の話はきりがない。酒の飲み過ぎでガメラみたいに口から火を噴かない様にしないといけないので寝よう。


 5月31日(月)

 昨日の闘牛はエル・フリが本当に凄かった。超人気者だけど実力もある。ホテルでフリの顔のアップに写真を何枚も撮って来た。彼の身長は160cm位だった。こんなに小さいのに闘牛をやっているとどうしてあんなに大きく見えるのだろう。

 今日の新聞でリトリがこんな事を言っている。<<La Puerta Grande sigue siendo mi suen~o inalcanzable>> 「プエルタ・グランデは、僕の叶わない夢であり続けるだろう」 と。リトリは可愛いコメントを言っている。プエルタ・グランデ所か耳だって取れないんじゃないのかな。だからこそ引退をシーズン後にするのだ。

 ポンセは、「マドリードでトゥリンファドールになるのは非常に難しい」 と、言っていた。テレマドリードで今日のポンセの牛を言っていたが、ビクトリーノ・マルティンとサムエル・フロレスだった。どっちも大きな牛だ。ポンセはこの牧場の牛で良いファエナが出来るかどうか見物だ。


 6月1日(火)

 今日、ホセ・トマスが出場する。嬉しい。また、満員の観客を沸かせることが出来るか。恐らく出来るだろう。

 昨日、闘牛が終わって、闘牛士達はファン・カルロス国王と接見し記念撮影をした。車に戻ってきたのはそれからだった。エウヘニオはファンにサインを書いたりしていた。僕の方に来たので、「良いファエナだったね」と言ってほっぺたを叩くとニコッと笑って、「ありがとう」と言った。彼は僕の事を覚えていてくれてるだろうか。

 97年、サン・イシドロ祭のノビジェーロ(見習い闘牛士)のトゥリンファドール(最優秀見習い闘牛士)になって、その年の8月のサン・セバスティアン・ロス・レジェスの闘牛場で私服の彼は見つけて、写真を撮ったことを。また正闘牛士になる前だったけど、彼の闘牛の魅力を僕は支持していた。

 とてもホセ・トマスと同じ年には見えないけど、どっちが好きかと言われれば、エウヘニオと言うだろう。ホセ・トマスはすでに大闘牛士。エウヘニオは未だその手前だ。彼も大闘牛士になる資格を充分持っている。

 闘牛が終わって、マドリードのくまさんと、ICHIさんに会って夕食を共にした。面白話をした。2人はスペイン語にも、コンピューターにも詳しい。僕はそういうのには強くない。僕が2人より判っているのは、闘牛の事だけだろう。


 6月2日(水)

 快晴の朝を迎えた。風が強い。昨日のペピンは可哀想だった。プレシデンテは間違っている。闘牛が終わった後に、寿美さん、若尾さん、榎本さんと会う。最低耳1枚あげるべきだというのが、僕を含めた4人の意見だった。

 新聞には、 El murciano tuvo a tiro de piedra la Puerta Grande con una actuacio`n muy completa y de absoluta entrega と、載っている。 murciano とは、ペピンの事で、絶対的な観客の心酔と、非常に完全な演技でプエルタ・グランデが手の届く所まであった。と、訳すのだろうか。

 いずれにせよ昨日の事に付いては、大いに議論されるべきだろう。プレシデンテも批判されてしかるべきだと思う。

 今日の朝に、右足の中指をぶつけてしまって、腫れていて痛い。階段を上り下りの時に特に痛い。


 6月3日(木)

 快晴だが今日もまた風の強い朝を迎えた。昨日ぶつけた右足の中指は赤紫色になって腫れている。痛い。でも昨日のミゲル・アベジャンの方がもっと痛いのだ。凄い血だった。あんなに血が出ているのにそれでも闘牛を続けようとしている。去年のサン・イシドロで一番観客を沸かせたのはアベジャンだった。あの頃はまだ、見習い闘牛士だったけど。彼は今年正闘牛士になって始めてのサン・イシドロだった。ファエナで観客を沸かせていたときの事故だった。

 去年のように観客を沸かせ、プエルタ・グランデは目論んでいたはずだ。彼は、去年耳2枚切った時に目頭を押さえて座り込んで泣いていた。それほどまでに、あらゆる闘牛士にとって1番大事なフェリアが、サン・イシドロなのだ。でも流血で出来ないものは出来ないのだ。アベジャン、来年もあるじゃないか。秋だってある。いつもいつも良いところを見せれなくったって、良いじゃないか。人間のやることなのだから。

 丸山さんにTELするがいない。携帯にして話したが、今年は仕事がおして会えないかも知れない。土曜日に会っておけばこんな事にはならなかった。ああ丸山さんと話がしたい。セサルからもTELがない。セサルとも会えないような気がする。

 闘牛が終わって帰ってきたらセサルからTELが入っていた。明日の17時に会いたいとのことだ。でも、通訳の事もあるのでまだ、どうなるか判らない。俺は当然会いたい!明日の闘牛なんかどうでも良い。


 6月4日(金)

 快晴の朝を迎えたが、暑いほどではない。ここのところ天気は落ち着いていて、過ごしやすい。朝、セサルの方からTELがあり急用が入ったので今日ではなく別な日に会おうと言うことだった。今年はセサルのフィンカには行けないだろう。非常に残念だが仕方ないことだ。スケジュールは大闘牛士に合わせなきゃならないのだ。

 昨日の自分の闘牛が終わったあとで泣いていたのは、グスタボ・マルティン。自分がラス・ベンタスでは通用しないことが判ったからだろう。ラス・ベンタスは厳しい。非常に厳しい。彼はもう闘牛を止めるかも知れない。

 一方、ファン・バウティスタ。観客を味方に付けて自分の闘牛をラス・ベンタスで見せることが出来た。彼にとっては昨日のプエルタ・グランデは甘い裁定だった。ペピン・リリアに比べれば耳を1枚も取っていないペピンの方がもっと良かった。ペピンのあの日に関してプエルタ・グランデじゃなかったのかと言う意見があちこちから囁かれている。

 ファン・バウティスタの昨日の初めの牛は耳にはならないんじゃないかなと思ったし、最後の牛は、剣を1回失敗していたのでこれも耳にならないんじゃないかなと思ってみていた。しかし、両方とも観客の強い耳の要求にプレシデンテが応えたものだった。だからといって文句を言おうと言うのじゃない。最後は耳を出せと思って見ていたのだ。

 彼は昨日、彼の全てを見せた分けじゃない。もっと良いものを持っていることが判った。観客の多くもそれを感じていたのだと思う。そしてプエルタ・グランデに値する闘牛士だと思う。かなり甘かったが、ノビジェーロだと言うこともあるし、これで良かったと思う。

 オーソン・ウェルズは、言ったものだ。「私にとっての最大の不幸は、始めて撮った映画で全てにおいて満足行くように映画が撮れたことがである」、と。  ファン・バウティスタは始めてのラス・ベンタス闘牛場で、結果においては満足でも内容においてまだ満足じゃないのが、かえって幸福だと僕は思っている。だから彼はもっと上を目標にしてやり続けて行けるのだ。

 ファン・バウティスタ、おめでとう。フランス人だからジャンと言うんだろうな。君の父親がレホネアドールをやっていなかったら闘牛士にもなっていなかったかも知れないな。17歳は若い。これからエル・ファンディと共に、アルテルナティーバをして、エル・フリやホセ・トマス、エウヘニオ、セサル、ポンセ、アベジャンなんかと一緒に闘牛場に出てくる日を楽しみに待ってるよ。また、サン・イシドロで会いたいな。

 明日は、闘牛が終わったらグラナダに行く予定。


http://www2u.biglobe.ne.jp/~tougyuu/以下のHPの著作権は、斎藤祐司のものです。勝手に転載、または使用することを禁止する。


ホームに戻る