断腸亭日常日記−−スペイン篇−−−

99年スペイン滞在日記  por 斎藤祐司

 


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

99年1月13日〜2月16日 2月19日〜4月14日

 99年4月15日(木)

 荷造りなどして寝たのは良いが、起きたら風邪を引いたのか頭がズキズキする。これで本当に飛行機に乗れるのか?タクシーをつかまえてきて最寄りに駅に向かったのが7時過ぎ。タクシーに荷物を入れるとき頭痛は最高潮になった。タクシーの中では、吐き気さえしてくる始末。

 新宿につくが頭痛は治らない。 「新宿からJRに乗って何処へ行く?そうスペインだ。実は成田エクスプレスの終点・成田空港に着くのだが、その先の空は青く青かった。」 となるはずだが、本当に飛行機に乗れるまで体が持つのだろうか?成田について薬屋に行く。「風邪の人はこっちの薬。頭だけ痛い人はこっちに薬」 結局バファリンを買って飲む。

 何とか飛行機に乗れたが、頭痛は治らず。座席に着くと直ぐに眠くなった。それからは食事と睡眠の繰り返しでパリに着く。乗り継ぎの待ち時間も元気がない。それでも頭痛は大分良くなった。同じ飛行機に、スペイン料理家の渡辺真理さんが乗っていた。仕事だそうだ。

 闘牛の話をした。ポンセファンの真理さんは、ファジャスとサン・イシドロが良いと言う。セビージャは面白くないでしょう。とのこと。その通りなのだ。サン・イシドロは義理の母に全部ビデオで撮って貰う、とのこと。うむ、根っからの闘牛ファン。と、感心する。元気があれば料理の話を聞きたかったが何せ体が言うことを利かない。残念。

 マドリードに着いて直ぐ行くところはトイレ。気圧のせいか腹にガスがたまる。飛行機から降りたらガス抜きが必要だ。そして、両替。TELをする。「みんな待ってる」とのこと。荷物をタクシーに乗せて30分。7人と赤ワインが俺を待っていた。

 24時前にセビージャの下山さんにTELする。まゆみさんがでた。下山さんはもう寝ているとのこと。明日は2人で闘牛を見に行くので、携帯に連絡下さい、とのこと。明日セビージャでは、ビクトリーノ・マルティンの牛と、マヌエル・カバジェーロと下山さん達が待っている。

 せっかく治った頭痛は、歓待と赤ワインの飲み過ぎで再発した。ともあれ今スペイン、マドリードにいる。セビージャからはアクセスできないので、17日の夜以降のアクセスになるだろう。


 4月16日(金)

 何というドジをやってしまった。アトーチャでアベの切符を買おうとしたら14時が満席。15時ならあるという。今フェリアなのだ。これなら着くのは17時25分。闘牛開始までに切符とホテルを探すのは無理だ。行くのを渋々諦めた。アトーチャに行くのが遅すぎた。全部自分が悪い。

 何のために16日出発をわざわざ15日にしたか。それは16日のセビージャ(ビクトリーノ・マルティンの牛と、マヌエル・カバジェーロが見たい為なのに)があるからなのに。だが、TVEで中継をする。仕方ないのでTVを見ることにする。下山さんにはお詫びのTELを入れておいた。改めて明日行きますと。

 帰りは、FNACに行ってビデオテープ、カセットテープ、フィルム、乾電池を買ってきた。今日の録画もバッチリだ。明日は荷物が軽くなった。何故なら日帰りになったからだ。


 4月17日(土)

 16日セビージャにいけなかった日の帰り今日のAVEの切符を買ってきていた。11時、アトーチャ発、13時25分、セビージャ着。セビージャに着いて下山さんにTELをする。昼食を一緒に取ることになった。が、その前に闘牛場に行って切符を買い、20日から23日までのホテルを探さなければならない。用事が済んだら再びTELすることになった。

 タクシーで闘牛場へ。グアダルキビール側沿いの正門(ここはプエルタ・グランデと呼ばないで、プエルタ・デ・プリンシペという)前で降りると、いつもの事だがダフ屋が声を掛けてきた。それを振り払ってタキージャへ行く。おお空いていると思ったのは浅はかだった。切符は17日今日の分と、21日のしかなかった。あるのはグラダのみ。やんなちゃうよな。せっかくセビージャくんだりまで来たって言うのに。

 向かいの公営ダフ屋で聞くと20日はバレラがあると言うのでそれを買った。6500が8000になる。これが公営ダフ屋。後ろを振り向くといたいた、本物のダフ屋が。「22,23日を持ってるぜ」ときた。「えっ、いくら」気のない様に言うと「ソンブラのtendidoの7列目。15ミル」黙って聞いていたが、「15ミル」と言って他の公営ダフ屋に向かった。

 所がどこの公営ダフ屋も22,23日はない。どこにも売っていない。いや本物のダフ屋は売っているが。困ってしまう。仕方なしにホテル探しに向かった。闘牛場の裏あたりに良いオスタルがあったはずだ。92年のセビージャ万博の時、他の多くが、一泊、1万前後取っていたのにそこは1500ptsだった。

 おぼろげな記憶を辿って歩いていくと、あった。サラゴサ通りに。20から23は空いていると言う。手付けが一泊分で、2750pts。やはり上がったが、今はフェリア。もっと取られるかなと思っていたがある意味で納得。近くのバルから再びTEL。3時に闘牛場の正門前で、待ち合わせた。

 それまでの時間つぶしにその辺を散策。用は公営ダフ屋探しだ。そしてあわよくば22,23日の切符をと目論んでいるわけだ。だが、ダフ屋あれど、切符あらず。行けども行けども言う言葉は一緒。「今日のやつか?」と向こうが言い、「22,23日が欲しいんだ」と言うと、一言「ない」と、言うだけ。最後に俺が「グラシアス」と言う。これの繰り返しを10回位続けた。流石に諦めた。22,23日は本物のダフ屋しかないと。

 そうこうするうちに、時計は3時に。 おっと。ここで眠くなって来た。続きは明日。HASTA MAN~ANA.


 4月18日(日)

 今日は朝からプラド美術館に行ってきた。ゴヤの部屋を見たいと思って中を探すのだが、改装中の為前のように通り抜けれない所があって行きたい場所に行けない。係員に聞くと教えてくれたが、「非常に難しい」と言って笑う。彼等も判っているのだ。スペイン語だけじゃなく、中は英語も通じるので聞いた方が早くいける。簡単に言うと、ムリーリョ門から入ったら、その上にゴヤの展示スペースがある。

 今日の闘牛で、最後の最後でロドルフォ・ヌニェスが右太腿の内側を刺された。直ぐ医務室に担ぎ込まれたが、その時は血は出ていなかった。だが、かなり痛がっていたし、傷は深そうだった。

 セビージャの話は明日にする。すいませんが、睡魔が襲って来た。


 4月19日(月)

 17日のセビージャの事を書く。

 3時過ぎに下山さんが現れた。「遅れてごめんなさい」と、彼は言ったがそんなこと全然気にしていない。健常者じゃないのだから、そういうことはあらかじめ幾つかの想定の中のひとつに入っていること。それより下山さんにまた会えたことの方が嬉しい。闘牛開始まで3時間半。それがこの日話せる時間だった。

 イタリアレストランで昼食を取る。サラダに掛かっていた、青カビのチーズのソースは初めて食べたがとても気に入った。自分で作れるものなら作って食べてみたい。こっちにいれば可能だ。何せチーズ安いものな。

 下山さんの現状は、順調だ。プールでのリハビリはバリエーションが増えて色々やっているそうだ。その延長で走る事もやり始めたという。20mも走るとマラソンを走ったように疲れるそうだが、歩行にも自身が出て道路を渡るときでも、こっちが危ないと思うときに渡り始めたり、元気が良い。前日の闘牛場で雨に祟られ、前の人のカサから雨が沢山落ちて、横の人のカッパに着いた雨が掛かり、風邪を引いた以外は。

 闘牛の話をたっぷりとした。ここでは書ききれない。下山さんは5月頃日本に一時帰国し、この時にノート型パソコンを買ってくる予定だそうだ。そうすればメールのやり取りが頻繁に出来るようになる。闘牛の事がもっと身近になる。

 20日またセビージャに行く。明日はホセ・トマス。終わった後、下山さんとホセの話をしようと思う。それと今日のモランテの、プエルタ・デ・プリンシペ。恐らく意見は似ていると思う。


 4月20日(火)

 今からセビージャに行ってくる。帰るのは24日の午後。その時にセビージャの事をアップするつもり。闘牛とセビージャの祭りと下山さんの事。今日は Aplausos と 6TOROS6 の発売日。どんな情報が載っているか楽しみ。


 4月21日(水)

 昨日14時半にセビージャに着く。予約のオスタルへ。おっさんは困ったような変な顔をする。予約日を感違いしたいたようだ。ちゃんと4月20日から23日まで、24日朝出ることで予約は成立していた。単純におっさんが間違えたのだ。もうスペインらしい。取りあえずダブルの部屋に入ることになった。トイレ、シャワー付き。闘牛場へは5分の所だ。

 17時に闘牛場で下山さんと待ち合わせ。今日はまゆみさんが来る予定だったが、急に仕事が入って闘牛は見れなくなったので、下山さんと2人で隣に座って見ることになった。切符が1枚余ったので誰かに売らなきゃならない。2人が取った方法は公営ダフ屋の前で1人で来る人に声を掛けること。

 近くのバルで時間つぶしをして切符を売った。開場したので闘牛場へ行く。俺は闘牛士の写真を撮るため、クアドリージャの門で待って、ホセ・トマスを撮る。席はソルのバレラ。

 闘牛を見ながら牛、闘牛士の事を話す。写真は目的のホセ・トマスを撮った。他はいらなかったが、エミリオの手の低いナトゥラルを撮っておくべきだった。やっぱりホセ・トマスは最高の闘牛士だ。耳は1つだったが、牛が悪かったので充分だ。このことは観戦記に書くことにする。

 終わって夕食。10分くらい歩いたバルで取る。それから闘牛場の直ぐ近くのバルでハモン・ハブーゴを摘みながらマンサニージャを飲む。下山さんはアルコールは取れないのでコーラ。話は当然闘牛が中心。今日闘牛場で話した事は俺のような闘牛ファンじゃ判らない。やっはり、実際に闘牛をやる人じゃないとそこまで踏み込めない。

 下山さんは大怪我前は相当期待されていた闘牛士だったらしい。今、リベラ・オルドニェスのアポデラードをやっている、マヌエル・フロレス“カマラ”がジョン・フルトンに代わってアポデラードになる話が持ち上がっていた。良い闘牛士には、有力なアポデラードが寄ってくる。それは金になるからだ。これだけを取っても如何にスペイン人に期待されていたかが解るだろう。

 “カマラ”の父親はマノレーテのアポデラードをやっていたから、知る人ぞしる有力なアポデラードなのだ。23日にノビージョがある。12時からだが、これは、ムンディアル、になっていて、スペイン人とメキシコ人とフランス人が出る。下山さんは言った、怪我がなかったら多分出れたでしょう、と。

 23日は2人でこれを見に行く。期待の新鋭、アルルでプエルタ・グランデしたフランス人、ファン・バウティスタを見に。


 4月22日(木)

 15時頃に待ち合わせをして昼食を一緒に取る。毎日下山さんと会い闘牛の話をする。闘牛が終わればTELしてまた会う。フェリア開場に行って散々歩いた。20日はオスタルに戻ったのは3時半を廻っていた。21日は0時頃に戻った。今日は昼食は下山さんの家の近くで取った。アンダルシアの家庭料理。タベルナと言う。タベルナは、レストランと違って日本風にいえば定食屋。タベルナは安い。タベルナでめしを食べた。変な洒落だ。これが美味かった。豆の煮込み料理と骨付き羊。700pts。

 21日の夜、22日の昼とフェリアに行った。凄い人。92年に来て以来のフェリア・デ・アブリル。カセタは知り合いがいないと入れない。下山さんと歩いているとカセタの来いと誘われる。21日はオスタルに帰ったのが朝というか真夜中の3時半過ぎ。良く歩いたし良く喋った。

 22日はギリギリに闘牛場へ行ってダフ屋に会う。18時半開始の闘牛でその時間に会って話をすると15ミルが10ミルになった。エル・フリの時は何処でも切符はないだろう。この交渉の仕方は下山さんに教わった。セビージャのやり方だ。持つべきものは友。

 闘牛は牛が悪く駄目だった。フリ曰く、「いつもは僕が牛を言うことを聞かせているのに、今日は牛の方が上になっていた。」

 天才闘牛士エル・フリでもどうにも出来ないものがある。でも彼はまだ、16歳。それからどんな闘牛士になるのか、とても楽しみだ。


 4月26日(月)

 今日サン・イシドロのアボノを買ってきた。FNACに行って見ていたら欲しいビデオがあったので買ってきた。 『CARNE TREMULA』 1998pts 『La Buena estrella』 1795pts 念願叶って今回の重要なお土産の1つになる。早速帰ってきてestrellaを見る。やっぱり良い。泣けるなぁ。

 メールが受信できるが送信できないことに気付く。同居人の所から送る。スペインに居る間はこうなる。


 4月27日(火)

 セビージャでのことをまだまだ書いていない。21日は、夜遅くまで下山さんとフェリアに行っていたので彼は体調を崩してしまった。16日の雨の中で闘牛を見て横の人のカッパの雨粒と前の人の傘の雨粒がかかって風邪を引いたのだそうだ。無理をしてはいけないのに夜更かしをさせてしまって悪いことをした。

 23日の12時からはノビジェーロの闘牛を下山さんと一緒に観た。フェリアということもあり各地のノビジェーロが見に来ていたと下山さんが言っていた。実際終わってからそのノビジェーロと話をした。3頭目と4頭目が良い牛だった。

 それからイタリアレストランでサラダと海のスパゲッティ。茹ですぎのスパゲッティだったが美味かった。今日はハンディージャの牛に、エル・フリ。22日より良いに決まっているが下山さんの家でビア・デヒタルの放送を一緒に観ることにした。家に着くとウーゴという犬が出迎え歓待の印に舌で顔中を舐められた。メガネも髪の毛も、ついでに耳たぶも囓る。幼いので口を締めるとき間違って噛むようだ。まだ6ヶ月なのに1m位ある大きな犬。最近同じ種類の犬が人をかみ殺したという。が、ウーゴは人懐っこく可愛い。

 エル・フリのファエナに2人で感動していた。俺は目から涙が流れた。こいつは凄い。将来どんな闘牛士になるか凄く楽しみだ。

 闘牛の後、飯を食いにいく。帰りに歩いているとプータが立っていた。通り過ぎてちょっとして後ろで女の声がした。「オジェ!オジェ!オジェ!」 振り向くとプータじゃない若い女が泥棒にハンドバッグを取られたところだった。若い女の直ぐ前の車から運転手が降りて泥棒を追っかけていった。

 考えてみれば若い女の直ぐ前を下山さんと2人で歩いていたのだ。俺はカメラバッグに一脚を持っていた。一脚は歩くときは振っているから泥棒よけになる。泥棒は俺達を避けて若い女を襲ったらしい。いつも冗談で一脚を「これを持っているから安心できる。安心棒ならぬ、用心棒と言っている」と人には言っていたが、これこそ用心棒になった。泥棒には気を付けよう。

 所でセビージャからの問題を1つ。答えが判る人いるかなぁ。

 ファン・ベルモンテとホセリート・エル・ガジョは交わらない。クーロ・ロメロとマノロ・バスケスも交わらない。ペペ・イージョとぺぺ・ルイス・バスケスとチクエロは交わらないが、ペペ・イージョとホセリート・エル・ガジョは交わりアントニオ・ビエンベニーダとクーロ・ロメロも交わり、チクエロとファン・ベルモンテも交わる。

 さて答えは?  5月10日頃に、この日記に書くことにしようかな。考えても判らないものは判らないのか。ヒントはセビージャのフェリア。出てくる名前は全部闘牛士の名前だ。


 4月28日(水)

 闘牛がないと1日暇だ。こんな時は美術館にでも行くに限る。が、寝坊だ。いくら寝ても足りないような気がする。起きたのは12時頃。スペインに着いた頃は8時には目が覚めていたというのにセビージャで夜更かししてからこんな感じだ。今日は1歩も外に出ない。飯を食って映像の加工処理などを同居人にやって貰った。アイコンを押してコンテンツを開けるようにするためだ。それとトップページの写真を何とかしようと思っていじってみたがなかなか上手くいかない。良いと思うとメモリーが大きくなるのでアクセスしたときに重くなるのでそれも困る。

 俺のHPは軽さが勝負だ。これは内容ではなくアクセスの時の軽さの話。だからわざわざ壁紙などを使わないようにして使用バイトを減らしているのだ。まぁ、面倒くさいのもあるんだけど。

 そういえば4月1日の闘牛とフラメンコの写真を日本に置いてきたけどこんな事なら持ってきてアップすれば良かったと思っている。日本を発つ前日に出来上がった写真はブランカの物も良い写真があった。カメラが違っても腕は変わらないって事か?そんなに腕は良くはないがあれだけ近くで撮ったんだから良い写真の1枚や2枚なかったらガッカリするけど。


 4月29日(木)

 28日の夜にセビージャの下山さんの所にTELした。風邪の具合は良くなったとのこと。マドリードに出てくるかも知れないのでその事を聞いたがまだはっきりしないらしい。元気になって何よりだ。

 今日は闘牛を観たらそのままチャマルティンに行って夜行でサン・サバスティアンに行く。30日は去年出来たばかりの闘牛場でフェスティバル闘牛があるからだ。今年初めてセサル・リンコンに会える。セサルは4日にアルルでプエルタ・グランデをした。今回の旅でセサルに会えるのは今の予定では4回。十分楽しんで来なくては。

 本当なら今日は夜に、「スペイン・ネットワーク」 のICHIさんと、『スペインなんでも情報リアルタイム』 のマドリードのくまさんに会うはずだったがサン・セバスティアンに行くので会えなくなった。残念。ICHIさんとは5月頭には会えるだろうが、マドリードのくまさんは5月の連休は日本からの観光客が一杯来るので忙しいそうで会うのは先になるだろう。


 5月1日(土)

 今日はホセリートの30回目の誕生日。

 朝8時にマドリードに帰ってきた。30日はサン・セバスティアンに行ってきた。スペインの大きな都市は大体行ったがここは初めてだった。何故なら去年闘牛場が出来たばかりだからだ。フランコ時代に闘牛場がなくなったらしい。29日のマドリード発の夜行には関西弁のおっさんが乗っていて変な英語を喋って、とても変な人だった。自分のことは棚に上げて 「アメちゃんうるさいやんか」 とか独り言を色々言っていたが思い出したくないので書かない。言葉が分かるだけに余計に頭に来た。気分の悪い夜だった。朝、駅に着いてめしを食おうと思っていたが駅にはカフェテリアがなかった。駅前の橋を渡って歩いていくとバルが空いていたのでそこで取ることにした。

 バルの中にはその日の闘牛のポスターが貼ってあった。給仕に聞くとタキージャは闘牛場だけとのこと。新聞に載っている広告を見せてくれる。切符は10時から売り出される。旅行案内所は9時から空く。先に旅行案内所に行って闘牛場に行くことにする。バルにある新聞を見ていたら、Tom Waits の新譜の紹介が載っていた。R&Bなど昔の感じでやっているらしいので聴いてみたくなった。日本に帰ってから買おう。その他にここで5月4,5,6日とアーネスト・ヘミングウェイにイベントがある。フィルムではあのエバ・ガードナーなどのインタビューが聞ける。ヘミングウェイって生誕100年なの?ベラスケスが生誕400年。色々あるなぁ。

 旅行案内所で闘牛場への行き方を聞く。28番のバスに乗ればサッカー場の次が闘牛場。切符を買いに行くと売っていたのは上の方の席だけだった。多分アボノで席がなくなっているのだろう。仕方ないので25列目を買う。夜会った関西弁のおっさんを思い出して悪い予感はこの事だったんだなと思う。

 帰りに Museo Diocesano に行く。警備員が1人で立っていた。客は俺1人。電気を付けてくれる。2階に案内してくれる。ここはキリスト教関係の美術館。うっ。眠くなってきたので続きは明日。

 今日の闘牛はつまらなかった。レアル・マドリードがエスパニョールに、2−0で勝った。


 5月2日(日)

 dos de Mayo 1808年5月2日にナポレオン軍に対して市民が蜂起した日を記念してマドリードは休日。と言っても今日は日曜日。休みなのだ。そして、母の日。そして恒例のゴヤ闘牛の日。

 昨日の続きを。Museo Diocesano は小さな美術館。ここは木彫りの彫刻に色を塗った物が多かった。俺は色々ノートしてたら1時間くらいいた。たとえば、San pablo は、両手に剣を持っている。 Santa Teresa は、右手からバラを落とし、左手は胸の所にありバラを抱いている。 San Sebastian は、体を木に縛られて弓矢を体に刺している。とかと書いていた。

 十字架に縛られたキリストの上に書いている字は決まっている。大文字で INRI と書いてある。これはユダヤ語か何かでキリストのこと。詳しくは日本に置いてきた本に書いてあったが。もっぱら意味よりも図像から入り物語や意味を捜すのが俺のやり方。これは闘牛と同じ手法。先ず、図像=肉体があるのだ。

 そんなことしてたら、警備員がカタログを一杯くれた。熱心だと思ったらしい。彼は日本人かと聞いたので、そうだと言うと、私は少林寺拳法を日本人から習っている。日本人が好きだ。と、言っていた。カタログをありがたく頂いた。その中に Ana ビルヘンの母。サン・ホアキンの妻。象徴:子供の頃のビルヘンを抱いている。とか、 Jose ビルヘン・マリアの夫。象徴:手首または手に子供の頃のキリストを抱く。花で飾られた杖。などと色々載っている。

 多分、こういう事をまとめた本があるのだろう。日本でも出ていれば良いのだが。そうすれば一番良い。ジョーゼフ・キャンベルの本と一緒に読むと余計面白いだろうなぁ。この美術館に、エル・グレコの絵が3,4枚あった。

 美術館を出て角のバルに入る。コーラを頼む。カウンターに、海老入りのつまみがあったので、頼むとこれがスゲー美味かった。そばに新聞があったのでみる。 El Mundo デボラ・ハリーがスペインでコンサート。が、マドリードでは今日、レガネスの闘牛場でやる。見れない。残念、あの色っぽい彼女が生で見れたのに。今日(30日)見れないのなら一生見れないだろう。『Herto of Grass』 聴きたかったなぁ。

 外で大きな音がした。みんな出ていって見ている。隣のビルの壁が落ちていた。下に人がいなかったのが幸い。1階の店の袖看板が壊れている。10分もしないうちに警官がやって来てテープを貼って通れないようににして現場の写真を撮っていた。

 浜の方で昼食を取る。魚介類のスープが美味かった。サン・セバスティアンに来て肉なんか食ってられるか。

 17時過ぎに28番のバスに乗る。もう満員。みんな闘牛場に行くのだ。道は渋滞。町中もそうだしサッカー場を過ぎて坂を上っていく道はなかなか進まない。闘牛場に着いたのが17時45分。闘牛士達も渋滞で到着が遅れている。パコ、ポンセ、コルドベス、アベジャン、ようやくセサルが来る。挨拶をして入り口に走った。

 闘牛が終わって帰りもまた凄い。28番のバス停に行くのに人が一杯で進まない。バス停には人が一杯。乗れるのか不安になる。5分以上待って2台続けて来る。乗ったのは良いが進まない。浜近くの始発の所に戻るのが21時半頃。闘牛が終わってから約1時間掛かっている。スゲー町だ。

 近くのパエジャ屋でパエジャとアイスクリーム。食い終わったのが22時半前。駅に歩いていく。23時7分発マドリード行きには余裕だった。待合いの椅子に座っていると、カピタリスタが2人来た。カピタリスタは、資本主義者の事を言うが、これも闘牛用語。僕は、担ぎ屋と言っている。彼等は仕事をせずに闘牛士を追っかけてスペイン各地の闘牛場を廻り歩き、プエルタ・グランデの時に出てきて闘牛士の股ぐら目がけて頭を突っ込んで闘牛士を担ぎ上げるのだ。

 スペイン語のカピタリスタを知る前から、担ぎ屋と呼んでいた。担ぎ屋をカピタリスタと教えてくれたのが東経大の荻内さんだ。闘牛の会の会長。いつも赤シャツと言っている背の高い方と、背の低い小太りの団子鼻のエンリケ。何処に行くと聞くと、バルセロナ経由カステジョンに行くという。明日はマンサナレス、ウセダ・レアル、アルベルト・ラミレスだ。と、言っていた。

 こいつら根っからの闘牛好き。人生捨てて闘牛士の担ぎ屋をやっている。俺はある意味で羨望している。こんなやくざな男達だが、人生を闘牛に捧げるなんて素晴らしいじゃないか。と、思っている。また、マドリードでも会えるさ。元気でな。エンリケ。

 帰りは2人部屋の寝台車に1人。奴らにもビルヘンは付いているさ。だが奴らの安楽の地は何処なのか俺は知らない。奴らは寝台車ではなく座席に座って行く夜行に乗っていった。何処へ行くにしても求めるのは1つ、闘牛士の股ぐら。人の幸福は何かは分からない。だが、奴らは充分幸福だと俺は思う。


 5月3日(月)

 今日は1日家にいた。昨日のゴヤ闘牛のビデオを観て過ごす。7日までは闘牛がない。明日から外に出て写真の現像や美術館廻りをしようかと思っている。

 明日火曜日は、Aplausos と 6TOROS6 の発売日。コルドバの予定が出ているかな。


 5月4日(火)

 今日は写真の現像に行ってきた。時間があったのでFNACでCDを見に行って来た。パソドブレを2枚買ってきた。その他にも欲しいCDがあったが今日の所は抑えて買って来なかった。堀越さんの携帯にTELすると会うことになった。それで帰りが遅くなった。続きは明日。Aplausos と 6TOROS6 の情報も明日なのだ。


 5月5日(水)

 昨日ソル近くから堀越さんにTELしたら「今ウワバミに捕まってるからこれから来てよ」 そんなこと言ったって絶対女に決まってるんだから。現像を取って行くと案の定、女。フラメンコ・ダンサーの長谷川さん。横浜に暮らす人でセビージャで5年間フラメンコを勉強したのだそうだ。

 俺が行く前にもう2人でビールを18杯飲んでいた。その他にマルガリータを2,3杯。へレスを3杯。ついていけないよなぁ。それでいてシャキッとしている。そしてもう1人フラメンコを勉強に来ているYURIさんが来て4人。それぞれ自己紹介して、それからヘレスを2,3杯飲んで場所を代えて違うバルへ。そこで長谷川さんはこっちの40度位ある酒、堀越さんと俺はビール。YURIさんはコーラ。

 話はフラメンコと闘牛。小さいピーマン、キノコ、羊の肉、肉入りパイ。ピーマンは辛いのに当たると酒が進む。長谷川さんは酒をおかわりして2杯目。もう大分酔ってきた。彼女をオスタルまで送って、「秋」へ。閉まっていたがそこは堀越さんの顔で中へ入ってビール。

 ここで堀越さんが俺を紹介したコメントがおかしかった。「金にもならなのに闘牛士を追っかけてる、純粋な奴」 金にならないのは本当のこと。純粋かどうかは本人は解らない。まぁ変わった奴だろうな俺は。人から見れば。闘牛の話と絵。そして何故か紙芝居の話。秋のマスターと堀越さんは異様に盛り上がっていた。

 秋を出たのが1時過ぎ。「俺はここではインテリだ。何故ならクーロ・ロメロを知っているから」と、言うと堀越さんとYURIさんに受けた。これ堀越さんの本のフレーズだからだ。タクシーに乗って帰ってきた。今日は飲み代、出さなかった。みんなおごり。 所でクーロ・ロメロって知ってる?


 5月6日(木)

 今日はセサル・リンコンの付き人にTELした。返事はまだ来ていないが、近々会えると思う。

 写真をFDに起こす作業をやっているが時間が掛かる。近日中に闘牛写真館を開く予定。


 5月7日(金)

 写真をFDに起こす作業は順調に進んでいるかに見えたが問題が起きた。1,38MB入るはずのFDに0,8MB位しか入ってないのにデータが入らなくなった。どうしてなんだろう。それとこのまま写真を掲載して勝手に転載される恐れがある。それで何とか写真に名前を書いて掲載できないか工夫してみることにした。

 写真に名前の付け方は教えて貰った。簡単だった。時間が来たので取りあえず1枚だけ載せることにした。今日は1日パソコンと格闘していた。明日は闘牛だ。写真撮って来るぞ。


 5月8日(土)

 人間が起きてから寝るまで、1日にやることは大体決まっている。飯を食い、便所に行き、寝るのだ。これの繰り返しを人生という。そう人生とは素晴らしい物なのだ。便秘は、お肌の敵。と、言うけれど、便秘と下痢は旅行の敵なのだ。元気にスペインを旅しようと思ったら、快食、快便は当たり前だ。朝の気分はそこから始まる。

 モストレスへは、元ノルテ駅前のバス停から乗れた。523番のバスに乗って30分。200pts。モストレスの闘牛場前に着く。タキージャに行くとモランテがコヒーダの為出場せず、エル・フンディに代わっていた。が、ソルのバレラを買った。5000pts。近くのバルに入ってコーラを飲んでいると警官が来てビールとチンチョンを頼む。チンチョンって何だろうかと考えた。白い酒だ。後から分かったがそれはアニス酒だった。アニスはチンチョンの特産品。シェリー酒をヘレスと言うのは一緒だ。

 闘牛は詳しく後から書くが、つまらないパセで牛を動かした、エル・フンディが耳3枚取ってプエルタ・グランデした。帰りにソルのエル・コルテ・イングレスで写真の現像を頼み、カマロンのCD 『ソイ・ヒターノ』 を買って来た。セビージャのフェリア会場などでよくかかっている曲だった。92年マラガで乞食が歌った曲と雰囲気が全然違う。本当に同じ曲なのだろうか?

 そういえば思い出したが、昼にTTT会員でガイドをやってる三木田さんからTELが来て明日ラス・ベンタス闘牛場で会うはずだったが仕事で会えなくなった。その仕事も闘牛観戦。用は同じ時間に同じ所にいるのだが会えないということ。明日はソルのアンダナーダで見る。500pts。


 5月9日(日)

 sobresaliente (ソブレサリエンテ)は、闘牛ではマノ・ア・マノの時、2人の闘牛士両方が怪我で闘牛が出来なくなった時に出てくる代役闘牛士の事を言う。その闘牛士は無名の場合がほとんどだ。だから闘牛ファンにとってソブレサリエンテはどうでもいい闘牛士の事を意味したりする。だが普通は、抜き出た、突出した、目立つ、卓越した、優秀な、と、使う。そういうことを初めて知った。なおかつ学校の成績を付けるときの1番良い成績を sobresaliente と言う。

 ついでだから成績の付け方を順番に書いていく。 sobresaliente, notabre, aprobado, suspenso. の4つの付け方だった。順番に意味を言うと、優秀、目立つ、合格、不合格。

 今は、違う付け方もする。muy positivo, positivo, aceptable, sufiente, insufiente. の5つだ。意味は、非常に積極的、積極的な、受け入れられる、十分な、不十分な。と、言うことだ。

 ソブレサリエンテからこんな話になったが、闘牛用語と日常的に使うスペイン語は全然意味が違ってくるのだ。だからスペイン人でも闘牛中継を聞いていても何言ってるのか判らない人も多い様だ。

 今日の闘牛はホセ・ルイス・ボテが物凄かった。観戦記にアップしたので読んでね。帰って来て直ぐに、下山さんにTELを入れた。ラジオのニュースを聞こうと思っていた所だったそうだ。今日の闘牛のことは話した。他の2人のことも。俺が泣きそうになったことを話したら笑っていた。が、勿論喜んでいた。恐らくこれからボテにTELをするだろう。だって下山さんとボテは友人なのだから。

 今日は本当に良い闘牛を観た。感動だ。今日はホセ・ルイス・ボテに乾杯だ。


 5月10日(月)

 昨日の闘牛にはカメラを持って行かなかった。だからボテのファエナを取ることが出来なかった。とても残念な事だ。だがボテは昨日のファエナで引退したヘスリンの代わりにサン・イシドロへの出場の切符を手にする事だろう。毎年サン・イシドロに出ていたが今年は予定に入っていなかったがこれで出てきてまた耳と取るととても嬉しい。PGでもしようものならとんでもないことになるぞ。

 4月27日にセビージャからの問題を出していた。

 ファン・ベルモンテとホセリート・エル・ガジョは交わらない。クーロ・ロメロとマノロ・バスケスも交わらない。ペペ・イージョとぺぺ・ルイス・バスケスとチクエロは交わらないが、ペペ・イージョとホセリート・エル・ガジョは交わりアントニオ・ビエンベニーダとクーロ・ロメロも交わり、チクエロとファン・ベルモンテも交わる。

 さて答えは?  5月10日頃に、この日記に書くことにしようかな。考えても判らないものは判らないのか。ヒントはセビージャのフェリア。出てくる名前は全部闘牛士の名前だ。

 答えは、フェリア・デ・アブリルの時のフェリア会場の通り名。カセタが並ぶ会場の道路には全部名前が付いていてその名前は闘牛士から取っている。それだけセビージャの祭りと闘牛が強く結びついている証拠だ。分かった人はいたでしょうか?多分、旅行ガイドでもあまり知らないことでしょう。

 今日、『スペインネットワーク』 のICHIさんと、『スペインなんでも情報リアルタイム』 のマドリードのくまさんと会ってきた。ICHIさんについてはどういう人か聞いていたので何となく想像できたが、くまさんは思っていた人とは全然違っていたのでビックリした。色々面白い話をして自分のHPについて考えさせられた。今は出来ないが、日本に帰ったら根本的にHPの改装をしなければと思った。

 帰ってきて、ビア・デヒタルのBBCをつけて、60年代の音楽番組を見た。ストーンズや、シュープリームス、バーズ、ホリーズなどが流れていた。サウンドはチャチィーけどあの頃の方が楽しそうにやっている様に思えた。ロック創生期にはやはりエネルギーを感じた。


 5月11日(火)

 いよいよ、サン・イシドロが近づいて来た。このためにスペインに来ていると行っても過言じゃない。今年はエル・フリは出ないが、それ以外の有力闘牛士は揃っている。マドリードでは、毎週火曜日が、『6TOROS6』 と 『Aplusos』 の発売日。カルテルの書き換え、情報の入力で忙しい。『6TOROS6』の別冊が出ていてこれが、サン・イシドロの特集。出場牧場の一覧を載せている。

 いくら良い闘牛士が出てきても牛が駄目なら、良い闘牛は観られない。良い牛と良い闘牛が協力して初めて感動が生まれる。ピカドールもめちゃくちゃして牛をよく駄目にする。だからサン・イシドロで良い闘牛を観るのは本当に難しい。でも、そこで良い闘牛を観たら他のどの闘牛場で観る感動的な闘牛よりもっと感動的な闘牛が観れるのだ。出てくる闘牛士も真剣。見に来るファンも真剣。世界一の闘牛場の世界一のファンの前で耳を切るのが闘牛士の一流を証明する場になる。あぁ、胸が高鳴る。


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