断腸亭日常日記 その4

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年のスペイン滞在日記です。

99年1月13日〜2月16日 2月19日〜4月14日 4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日
6月7日〜6月10日 6月13日〜7月9日

 7月11日(日)

 仕事を終えて闘牛の会へ。もうスペインに行っている人もいる。そして、7,8月にスペインに行く人も多い。スペインに行って何をするか。色々あるが、この会に集まる人は、闘牛を見に行くのだ。

 闘牛のカルテルを何人かに聞かれた。闘牛の会の人は、あまりパソコンを持っている人がいない。持っていてもちゃんと使える人が少ない。インターネットでこのHPを見てる人は少ないようだ。でも、HPを見て闘牛の会に来て入会する人も居る。その人達はHPを見ているのだろう。

 昨日は、片山さんが、闘牛士のルイス・ミゲル・ドミンギンのインタビュー記事から「死」についてを話した。この話が面白かった。ヘミングウェイの本にも出てくる大闘牛士の言葉は闘牛を見たことがない人にも興味を持って聞けることだろう。

 「恐怖は、自分を無力にする」 「闘牛は生(せい)が大事だ」 「死は、人生の一部だ」 「闘牛は生き方を見せなければならない」 「闘牛を規定できない」 「牛は、動かなくなったときに攻撃してくる」 「死を簡単に判断するな、死を簡単に言うな」 

 インタビューアーが、あなたが怪我などで死にそうになった時、どんなことを考えましたかと、言う質問に対して彼は、「俺に出来ないものは、俺に何が出来る。俺は死ぬんだな、恐らく死ぬ」

 ドミンギンの言う死は、具体的だ。

 続いて、今年のセビージャ、春祭りのビデオを見た。流す前にカポーテでの牛と闘牛士の位置関係を説明した。モランテ・デ・ラ・プエブラのプエルタ・デ・プリンシペ。闘牛場からグアダルキビール川の大通りに、肩車で担がれて出てきて、ホテルに向かう。闘牛士の2番目の夢。そして、エル・フリの耳2枚の闘牛。カポーテ、ムレタ技、コヒーダ。今年のセビージャ1番感動したファエナだった。エル・フリのビデオは好評だった。

 今日は朝から出掛けた。ウインズに行って、宝塚記念の馬券を買ってきた。昼に近くの中華料理店に久々に行った。青島ビールに餃子を摘みながら飯を食う。一緒に行った I は、青島ビールを上手いと言って飲んでいた。中華料理にはこれが合う。それか、老酒。でも、料理の味は昔の方が美味かった。

 馬券は、I が、キングヘイローとスペシャルウィーク。俺は王道のスペシャルウィーク、グラスワンダー。単勝がスペシャルウィーク。完璧なはずだったが、もっと完璧だったのは、グラスワンダーと的場均。恐れ入りました。今年の5歳馬は、本当に強い。TVでも言っていたけど、サンクール賞を勝った、エルコンドルパサーと、上記2頭、そして、セイウンスカイの4頭の勝負が見たいなぁーとつくづく思った。

 昨日の闘牛の結果。パンプローナ。トマス・カンプサーノ、−、−。ミゲル・ロドリゲス、耳1枚、場内一周。ハビエル・バスケス、−、−。 テルエル。フェルナンド・セペダ、耳1枚、場内一周。エンリケ・ポンセ、耳1枚、耳2枚。エル・フリ、耳2枚と尻尾1つ、耳2枚。


 7月12日(月)

 風呂に入って顔を洗っていると、鼻糞が出てくる。これを手鼻でかむのがお肌に優しい。

 今日、仕事の帰りの電車に盲導犬を連れた女の人が入ってきた。犬は吊革の前に止まって盲人に吊革に掴まるように促していた。前に座っている人は誰も、彼女と犬の為に席を譲ろうとはしなかった。2つ目の駅で降りる人がいて彼女と犬は座った。立っている人のほとんどが2人をじゃなく、彼女と一匹を見守っていた。

 盲導犬と盲人を繋ぐ金具は、犬の意志を盲人に伝えるもの。乗馬で言えば、タズナだ。冬でも手袋をせずに持った方が、犬の微妙な動きが判るのだそうだ。特に北国の人は、寒さを堪えて金具を持つ。人と動物。何千年も前から続く共存。人と動物は上手くいくのにどうして、人と人は上手くいかないのだろう。あそこに座っていた奴は何故、席を譲る奴が1人もいないんだ?

 こういうのって、平和な日本の素晴らしい姿って言うのかな?

 この間、寄生虫学者の、藤田さんがTVに出て、「存在するもの全てには意味がある」と言っていた。彼の言う存在するものとは、具体的には寄生虫のこと。寄生虫ですら、存在の意味があると、言うことだ。席を譲らない奴にも存在の意味があるのだ。

 バルセロナで、セサルが耳を取った。それと場内一周。ポンセと、エル・フリは耳2枚。でもセサルだけが場内を合計2周したのだ。イヤー昨日のバルセロナは良い闘牛だった様だ。見たかったな。


 7月13日(火)

 幼い子供が、綿飴の割り箸を喉に刺して死んだ。杏林大学付属病院に連れて行って治療。傷口に薬を付けただけで返した。CTスキャンも撮らなければ、痛くて言葉を出せないでいる子共をろくに検査もせずに返したようだ。翌朝、寝ずに看病していた母親に看取られて死んだ。

 病院側は、治療に間違いはなかったと、言っている。警察の検死結果では、割り箸は、小脳に達していたと、言う。こういうのが、医者の過失にならないのであれば、医者は何のためのあるのだろうか?

 かと思えば、16歳の男女が学校の屋上から飛び降り自殺。男が死に、女が重体。また、幼少の頃からの円形脱毛症増加の話。治療法が見つからずカツラをかぶる子供が多いそうだ。イジメも多いらしい。いよいよ子供に社会の歪みが直撃してきているようだ。

 昨日パンプローナでは、モランテ・デ・ラ・プエブラが耳1枚。また、カルテルが発表になった。アスペイティアとシウダ・レアル。今週中にはアップしよう。


 7月14日(水)

 昨日書くのを忘れていた。97年7月13日には、深い思い出がある。97年は約半年間スペインにいた。7月10日に、パンプローナの闘牛場で、ホセ・トマスが、ミゲル・アンヘル・ブランコとその家族に牛を捧げた。

 ミゲル・アンヘル・ブランコは、バスクの、新聞記者だった。ETAに誘拐され、暗殺を予告されていた。スペイン中が彼の無事生還を祈り、デモや集会をしていた。12日、ミゲル・アンヘル・ブランコは、発見された。が、後頭部から銃弾を2発あびていた。意識不明の重体。

 と、言うより脳死状態だった。12日に夜行でバルセロナへ。13日のセサル・リンコンとホセ・トマスを見るために。ガウディーを見ようとバルセロナを観光していたら、地下鉄でアラブ人に襲われて、肋骨3本と右肩の骨を、骨折した。救急車で病院へ。そこで対応にあったった医者の胸には青いリボンではなく、黒いリボンが着いていた。

 ミゲル・アンヘル・ブランコは、死んだの?と、聞くと首を縦に振った。治療を終えて闘牛場で観たセサル・リンコンのファエナは、物凄い感動で涙がボロボロ出てきた。

 それから、警察に行ったりして、夜行でマドリードに帰ってくることは出来なかった。ホテルに泊まり翌朝、飛行機で帰ってきた。それから、スペイン中でETAの暗殺に対しての市民の“怒りの”デモが1000万人以上の人達によって行われた。

 毎日、右腕を吊ってTVを見ていた。男の人が、「イホ・デ・プータ」と言って、ミゲル・アンヘル・ブランコの家の前で泣いていたり、女達が抱き合って泣いていたりした。悲しみが怒りに代わり仕事を休んでデモに参加した人が大勢居たようだ。マドリードのプエルタ・デル・ソルには、アスナール首相や、政府の人が来て、大集会が行われた。

 その中である新聞記者が、「Miguel Angel no esta' solo , ETA si esta' solo 」と、言った言葉などが耳に残っている。

 それと、ミゲル・アンヘル・ブランコの、エルマナ(妹か姉)が、暗殺された後に、言った言葉が印象に残っている。暗殺前の合い言葉は、「Miguel Angel , te esperemos 」だった。彼女はバルコニーから言った言葉で、esperar(待つ) と、esperanza(希望) は同じなのだと思った。

 !BASTA YA!(もう沢山だ)は、今も続くスペイン人の思いだ。民主主義は政府から与えられるものではない。市民が作るものなのだと、言うことをあの時スペイン人に教えて貰ったような気がする。

 骨折とミゲル・アンヘル・ブランコの暗殺。7月13日には深い思い出がある。

 パンプローナでは、耳が出なかった。ヒホンのカルテルが発表になった。今週中にアップしよう。


 7月15日(木)

 雨上がりの今日は暑かった。明日も天気予報では暑い。季節柄サンダルを買ってきて履いていたら靴擦れをおこしたのでバンドエイトを買いに薬屋に行ったら客は男が俺だけで後は全部女。薬屋の売り上げの8割くらいは女性客かも知れないと思った。

 パンプローナでは、セサルが耳1枚。ポンセが耳2枚。ペピン・リリアが耳1枚だった。判っているカルテルは今日全部アップした。


 7月16日(金)

 残業が嫌いな俺に3時間も残業させるな。仕事は好きだけど残業は嫌いだ。博多は山笠。京都は祇園祭り。暑さを紛らせるには祭りに狂った方が良い。

 NHKのドキュメント番組のテーマ曲は感動的だ。今日は80年続いた写真館の話だった。日常的な写真つまり家族の写真を撮り続けて来た写真館の主人。子供の写真が得意だと言う。良い写真が撮れたときに、決まって 「そういう顔が良いんです」 と、言う。撮ってる主人の顔も負けず劣らず、「そういう顔が良いんです」と、言いたくなった。

 アルバセーテのカルテルが発表になった。今日は疲れたので今週中に。


 7月17日(土)

 暑い。汗をかくと肌がベタベタする。そうするとパンツのゴムの所が痒くなる。

 汗を出す汗腺には、2種類ある。体温調整をする役割をするのがエクリン腺と言い、暑いと汗をかいて水分の乾燥時に気化熱を出して体温を下げる。その原理と同じなのが闘牛場でお馴染みのボタというワインを入れた革袋だ。エクリン腺がからだ全体にあるのはサルの仲間だけ。

 もう一つ、アポクリン腺は、空気に触れると臭いを放つ。なわばりの印や性的信号の意味がある。人の場合は脇の下、陰部から出る。しかし、面白い動物がいる。アポクリン腺が体温調整の役割もするのが馬だ。競馬場で発汗した馬は性的信号を送っているんじゃなくて、入れ込んでいるからなのだ。競馬場で入れ込んでいるのは、馬だけじゃなくて人間も入れ込んでいるのだ。

 昨日は闘牛がなかった。


 7月18日(日)

 何故競馬中継がTVでないんだ。ラジオだけじゃ良く分かんない。かといってウインズに行く気もしなかった。

 野球中継は2対2だったが風呂に行く。勝っても負けてもどっちでも良い。勿論阪神が勝って巨人が負けた方が気分は良いが・・・。風呂で爺さんが洗面器などを丁寧に風呂敷に包んでいた。今風に紙袋やビニール袋に入れない。風呂敷は使い方によってはおしゃれだ。特にスペインで使ったら面白いだろうと思った。


 7月19日(月)

 JFKの息子が死んだらしい。生前母親に飛行機の運転はしないようにと止められていたが、母親の死後に、練習して免許を取っての事故と言うことだ。アメリカでは、クリントン大統領まで休暇を取れやめてコメントを出したりしている。ダイアナ妃が死んだときもそうだが大騒ぎだ。

 馬鹿らしいことだ。JFKが何をしたか?あの国民に反対されたベトナム戦争を始めた人だ。その息子が死んだからと言ってなんなんだろう。ダイアナ妃が一体何をしたのだ?イギリスの皇太子の嫁だっただけじゃないか。何故こんな馬鹿らしいことで騒ぐのか判らない。

 立派な人が死んだのなら悲しい。ダイアナの1ヶ月後位に死んだ、マザー・テレサの方がずっとずっと立派な人だ。死を目前にし、絶望している人達に寝床と食事と終末医療を施した。彼女は言った、「私は、彼等に何かを与えているんじゃ無いんです。私が彼等にいつも教えられているんです」と。

 偉い人はあくまで偉い。まさに聖女だ。 JFKの息子死んだ? あっそう、それで。重要な事ってそう言う事じゃ無いでしょう。


 7月20日(火)

 NHKの歌番組で、いずみたくと、中村八大の特集をやっていた。「涙を越えて」という歌はステージ101のメンバーが歌った。懐かしい顔があった。「世界は2人のために」も、いずみたくの曲。良い歌だ。でも、世界が2人だけの為にあったら大変なことだ。こんなこというとまた、理屈を言ってたら駄目だと言われそうだ。

 ジャズ・ミュージシャンとして有名だった中村八大の代表曲も一杯あるが、まず初めに思い出すのは、「上を向いて歩こう」だ。何年か前にパンプローナのサン・フェルミン祭に行ったとき、バルで日本の歌を歌ってくれと言われて歌った歌だ。スペイン人達はみんなこの歌を知っていた。歌い終わると拍手が鳴った。

 歌の良さは国境を越えて行くことだ。良い歌は、その歌を聴く人の中に自然に入っていく。あの時ビノはおごってくれたスペイン人、ありがとう。でも僕は、上を向いて歩きすぎて何度も何度も躓いてばかりです。躓かないように上を向いて歩こう。


 7月21日(水)

 今朝パソコンを立ち上げたところプラグが繋がってなかったのでバッテリー切れが表示された。でも、寝る前にバッテリーは100%だった。もう一度プラグを繋いで立ち上げて作業を終了し、パソコンは止めようとしたらバッテリー交換の指示が出た。仕事の帰りに電気屋に行きバッテリーを買おうとしたら、ないと言われる。

 1年半前に買ったノート型パソコンは今は店内にない。みんなハードディスクのメモリーが4GB以上だ。発売が97年10月。2年もしない内にバッテリは取り寄せになっていた。メーカーの答えは、ハッキリ言えない、8月中に出せるか出せないかと、言う。

 おいおい1ヶ月以上もこの状態で過ごさなきゃならないのか。パソコン買って始めてのバッテリー交換。こんな事に成るとは思わなかった。このパソコンのバッテリーは1年半ぐらいで寿命らしい。14ヶ月位たったら交換用のバッテリーを用意していた方が良いようだ。

 唯一の解決方法は、秋葉原の電気街に行って片っ端からバッテリーの有無を聞いて歩くこと。仮にオウム真理教のパソコンショップにバッテリーがあっても買わない。

 20日、バレンシアで、エル・ファンディが耳3枚でプエルタ・グランデ。新聞のタイトルは、「Concierto de Violin」 彼は、パンプローナにに続いてファン・バウティスタの前でプエルタ・グランデをした。ファン・バウティスタ、耳1枚。

 モン・ド・マルサン。マヌエル・カバジェーロ、耳3枚。ホセ・トマス、なし。エル・フリ、耳1枚。


 7月22日(木)

 昨日に続き、東京では午後にどしゃ降りの雨が降った。傘をさしても歩けないほどの凄さだった。

 昨日の夕方、鎌倉の自宅で文芸評論家の江藤淳が死んだ。状況証拠から警察は自殺と断定した。遺書には、妻の病死から8ヶ月後、最愛の妻がいなくなった寂しさと、自身の病苦、と言う言葉を使って自殺する覚悟が綴られていたという。

 遺書に書いてあった名前は、本名ではなく江藤淳と書かれてあったとのこと。右翼系論客としても活躍したが、夏目漱石論が有名だ。何冊か読んだ記憶があるのだがこれと言って思い出せるのもがない。彼は、思想を語っていたのだろうが、老いが思想を越えていったのだろうか?

 もともと思想などと言うものは、ちんけなものだと僕は思う。いくら立派なこと言ったって自分が完成しようとしていた原稿を投げ出してしまったら、彼が語った思想は意味が薄まるんじゃないだろうか。彼の友人達は悲しんでいる。自殺したことを信じられないようだ。

 今日渋谷、東急文化村ザ・ミュージアムに、目撃者展−写真が語る20世紀−を見に行った。様々な写真の中で2枚の写真の事を書く。

 1945年長崎で撮った写真。タイトル、「焼き場に立つ少年」。アメリカ軍の報道写真家ジョー・オダネルの撮った写真。今年78歳になった彼が朝日新聞記者に語ったこの写真の事。全文は載せない。

 「−−荷車に山積みにした死体を石炭の燃える穴の中に次々と入れていたんです。

 10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきがけにかけて、幼子を背中にしょっています。弟や妹をおんぶしたまま、ほろっぱで遊んでいる子どもの姿は当時の日本でよく目にする光景でした。しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも裸足です。少年は焼き場のふちまでくると、硬い表情で目を凝らして立ちつくしています。背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろののけぞらせたままです。

 少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクの男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。この時私は、背中の幼子がすでに死んでいることに初めて気づいたのです。男たちは幼子の手と足を持ってゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

 まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い立ちました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です、炎を食い入るように見つめている少年の唇に血がにじんでいるのに気がついたのは。少年があまりきつく噛みしめているため、唇の血は流れることもなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。」

 丸坊主で汚い服を着て、裸足の足は全体に腫れているこの写真の少年の決意の表情。人間の悲しみには、時代も世代も人種の違いもないのだ。

 そして、もう1枚は、「飢えるカラモジャの少年と伝道師」。撮影はマイケル・ウェルズ。ウガンダの飢餓を伝える写真。この写真に写っているのは伝道師の右手の平の上に乗っている少年の手の甲。少年の黒い手は干からびた様に皺だらけで痩せている。手首から上は伝道師の指の太さと同じだ。

 人間の手と言うより、動物の手だ。小猿の手のようだ。が、小猿だってこんな手じゃない。まるで鳥の足のような手だ。

 この報道写真展には、人間の死体の写真が何枚もあった。だが、直接的なそう言う写真よりも、沢田教一のピューリッツア賞を取った、「米軍の爆撃を逃れて川を渡る母子」、のような写真や、上記の2枚の様な写真の方が観ている人の気持ちを揺り動かすと思う。

 現実は観るに耐えないものでもある。が、それを観ずにすむ世の中ではないのだ。人間は残酷でもあり、優しくもある。


 7月23日(金)

 人を殺すのに動機は必要ない。

 推理小説なら加害者と被害者の間の人間関係があり、殺人の為の動機が必要だ。だが、今日起きた全日空ハイジャック事件で機長を刺し殺した28歳無職の男には動機は必要なかった。

 新聞の夕刊の記事とTVニュースの内容が違っている。どの部分かと言えば、機長が刺された経緯についてだ。新聞では、犯人を捕まえる際に首を刺されたとあり、TVでは、犯人が言うことを聞かなかったので首を刺したとなっている。どちらが間違っていて、どちらが正しいのか。あるいは、わざと歪められて情報を流したか、どちらかである。

 が、ここではノーマルに、最新のニュースが正確だろうという立場に立って話を進めたい。

 犯人は、乗務員を包丁で脅してコックピットに入り副操縦士を追い出し機長と2人きりになる。

 供述によれば、「機長が言うことを聞かなかったので首を刺した。」 「操縦席に座って自分で操縦しようとして、自動操縦をはずそうとしたがはずれなかった。しかし、都心方向に行こうとして操縦桿を動かしたら機体が下降した」 また男は、「飛行機でレインボーブリッジをくぐりたかった。 ダッチロールをしてみたいと思った。」と、言っている。

 機体が、下降したとき、副操縦士とこの便に乗り合わせていた他の機長が、危険を感じコックピットのドアを蹴って中に入り犯人を取り押さえる。

 機長は機内にいた医者の手当の甲斐もなく息を引き取った。機長は、乗客517人の命と安全を任されている。これが殺された長島直之機長の仕事だ。乗客の安全のためにあくまで操縦桿を握り続けなければならない。分けの分からない人に操縦を任せるわけには行かないのだ。長島機長は仕事を全うして乗客の身代わりになった。

 犯人は、操縦訓練を受けていないのに、飛行機を操縦したいと計画的にハイジャックをして、「レインボーブリッジをくぐりたかった。 ダッチロールをしてみたいと思った。」と、言っている。まるでTVゲームでもしているような感覚だ。感覚が幼稚だが肉体は大人。立派にハイジャックできるのだ。

 言うことを聞かないからと言って刺し殺しているところは、「ポアしなさい」と、言った教祖と一緒じゃないか。反省もなければ、自分のやった事の重大ささえも判ちゃいないのだろう。だからこそ、人殺しが出来るのだろうし、動機は必要ないのだろう。こういう人間が生きてる日本って、素敵な国なのかなぁ?

 僕の理解の限界を超えたところで生きてる人間が結構多いのかも知れない。

 22日のバレンシアは、エスパルタコ、なし。ポンセ、耳2枚。ビセンテ・バレラ、耳1枚と場内一周。


 7月24日(土)

 暑い。僕の体からは一日中汗が引くことがない。昼寝をして起きたら股座が猛烈に痒い。毎日風呂に入っているのにインキンじゃあるまいに?起きて初めに行くところは便所。ションベンだ。その時見たら約1cm皮膚が隆起していた。予防注射の後の様な腫れは直ぐに蚊に刺されたものだと判った。痒いはずだよ。変なとこ刺すんじゃないよ。

 バレンシアで、ビセンテ・バレラ、耳1枚。ラ・リネア・デ・ラ・コンセプシオンでは、カルロス・パチェコ、耳2枚。エウヘニオ・デ・モラ、耳3枚。ビクトル・ハネイロ、耳3枚。

 ムルシア、サン・セバスティアン・デ・ロス・レジェスなどのカルテルが発表になった。木曜くらいまでにはアップしよう。


 7月25日(日)

 1年前の今日毒物カレー事件があった日だ。三重大学で、集団で女子学生を強姦したり、昨日、六本木で18歳の少年がひき逃げ事件を起こしたり・・・。分けの分からない事件が続いている。僕が日本に居なかった97年には神戸で中学生が首を切って校門の前に置いた事件もあった。

 神戸の事件のことを小説にした本を読んでいたが、途中で読めなくなった。半分くらいの所で止まったままだ。読むのがシンドイ。でも、事実は小説より奇なりだ。もっと、分けが分かんないのだ。

 昨日のバレンシアの結果。ファン・モラとポンセ、耳1枚ずつ。ペピン・リリア、耳1枚と耳1枚。


 7月26日(月)

 日曜日の朝のTVに、元住管機構社長で、現整理回収機構社長の、中坊公平さんが出ていた。正義の人、中坊さんがマスコミに登場するのは、森永ヒ素ミルク事件の担当弁護士としてである。その後、豊田商事事件、豊島の産業廃棄物不法投棄の対応も、弁護士として陣頭指揮してきた。

 バブル崩壊後の不良債権の回収の総責任者になったのが3年前。 「ケジメをつける。国民に負担をかけない。闇の勢力と手を結ばない。」を旗印に、自身は1円のお金も貰わず、無給で社長の仕事をしてきた。

 回収のコツは、任意回収、任意返済、と、言う。 「血も涙もある回収」が、中坊さんの持論だ。債権を回収するためならどんなことをやっても良いと言うのでは駄目だ。相手に払う気にさせ返済して貰う。銀行経営者のモラルも追求、住友銀行からは、紹介責任の法的責任を認めさせ30億円を賠償させたり、旧住専の経営幹部から2億2千万円を賠償させた。

 徹底した現場主義を貫き、大銀行、闇世界、税務署、政府を相手に、鬼のようになって、喧嘩し続けた。付いたあだ名が、「鬼の中坊」 「喧嘩中坊」 。中坊さんはあくまで正義の人。

 寂しがり屋で、人懐っこくて。この人、兎に角人間が大好きなのだ。債権回収するときに人を動かす三原則は、 1,正面の理。 2,側面の情。 3,背後の恐怖。 と、言う。 1,は、理にかなっているかどうか。2,は、人を見て方針を立てる。物にお金を貸すのと、人にお金を貸すのは違う。必要なところにお金を貸すことによって金の流れが出来る。3,は、ちゃんとしないと法的に罰せられる。

 こういうことを判って回収しなさい、と。

 一杯書きたいことがあるが、8月2日の中坊さんの誕生日に整理回収機構社長を辞任し、豊島の産業廃棄物不法投棄問題を最後の仕事にすると、涙ながらに言っていた。

 彼がやくざなどの闇の世界に狙われているかも知れないが、それを怖がっていては、この仕事は出来ない。中坊さんの人生には現代人が忘れてしまっている大事な物がある。

 「公共的な仕事をしている者は、単に自分だけ儲かったら良い、何をやっても良いと言うことにはならない。まさにモラルが支配する論理でなければならない。現場を見て歩きなさい、そこにはどんな債務者でも何とかして生きようとして精一杯やっている。そこに血の流れと同じ様なお金を注ぐのが金融の仕事なんだ。と言う意味をもう一度理解をして貰わないと我が国の金融システムは、基本的に構造的に良くならない。」

 「私達一人一人が真っ当に働くと言う意味をもう一度噛みしめることがもう一つのバブルの精算だと言うこと。」 「幸せなんて遠い所にあるわけない、自分の足元にある」 成功している人のことを、「人生を楽しむ事の為にやってて、それが結果的に見たら競争に打ち勝つような構造になっていたというだけのこと」

 ちなみに、このHP闘牛士紹介にある、闘牛士の分類は中坊さんの言葉から頂いたものだ。中坊さんは巨大な牛に向かってクルサードして一歩も逃げずにムレタを振る大闘牛士の様だ。

 中坊さんの公平と言う名前は、有能な弁護士だった父親が付けた。彼の人生は、正義と、公平を、地で行っている。

 
 ♪平凡なハッピーじゃ物足りない、簡単にラッキーを手に入れたい♪何年か前に流行って歌だ。この歌とは全く無縁の話をした。


 7月27日(火)

 マックで、と言ってもメジロマックイーンではなく、マクドナルドでもない。マッキントッシュでついにノート型が出たという。最近のマックのTVCMは、ローリング・ストーンズが使われている。またメールサービスの会社が入会した会員に公開前の株をプレゼントすると言う話もある。


 7月28日(水)

 厚生省が結核についての緊急事態宣言をした。ここ2年で結核が増えているからだという。今日のNHKの、クローズアップ現代、でも特集が組まれていた。通常の結核の他に、特殊な結核もある。発病も早く、対処が遅れると早く死ぬ物もある。これは今日の番組ではなく去年あたりのTBS(だったと記憶している)でやっていた。

 緊急事態宣言を出すのは、防疫上良いことだと思う。しかし、エイズ感染で問題になった輸血製剤の時は、何故に速やかな対応が取れなかったのだろう。そう言う疑問がどうしても出てくると思うのだが。


 7月29日(木)

 「さぁ、今夜のご注文はどっち」 カレーうどんだった。TVの料理番組の最後の場面。見ていて食べたかったのはやはり、カレーうどんの方だった。敗れたシェフのコメントを言うときに、バックで、ザ・バンドの 「ラストワルツ」 が、かかっていた。えっ、何でここで 「ラストワルツ」 が流れるんだ。と、思ってしまった。TVってこうなる分けよね。

 22:00よりNHK教育TVに、太田省吾が出ていた。転形劇場の代表。『小町風伝』 『水の駅』 などが印象に残る劇団だった。そう言えば、何年か前スペインからの帰りにモスクワの空港で品川徹さんに会った。ドイツでの公演の帰りだと言っていた。その時は、太田省吾さんはいなかったがドイツでは一緒だったと、言っていた。劇団を解散してみんな何やっているんだろう。TVに出れるようなポップな役者はいなかったけど、芝居は、ああいう個性的な役者が多く出ていた方が見ていて面白い。

 27日サンタンデール。ホセ・トマスだけが耳1枚。エル・フリは耳なし。

 28日サンタンデール。ポンセ、耳1枚。エル・フリ耳3枚。


 7月30日(金)

 26日だっただろうか、フランスの Orthez (フランス語なので何と読むのだろう)で、マリ・パス・ベガ(クリスティーナ・サンチェスに次いでスペイン闘牛史上2人目の女性、正闘牛士)が、大怪我をした。

 una cornada en el muslo derecho y en el ano con tres trayectorias y 35 centimetros de extension,

 傷は、右大腿と肛門には三つの軌道がある。傷は35cmに伸びた。この最後が判らない。35cmの傷は右大腿のことなのか、肛門の三つの軌道の長さなのか?傷は初めは20cmと言われていた。多分、右大腿の事だと思うのだが。だって肛門に35cmの傷だったら死んじゃうよ。

 クリスティーナは、92年に角を膣に受け、子宮まで刺さった事があった。まるでピカソの闘牛の絵のようだ。女の闘牛士も大変だ。いずれにしろ、物凄く痛かった事だろう。

 29日、サンタンデール。ファン・ホセ・パディージャ、耳1枚と耳1枚。ウセダ・レアル、耳2枚。ダビラ・ミウラ、耳1枚。


 8月1日(日)

 子供の頃、虫を捕って何匹殺したんだろう。トンボ、蝶々、カブト虫、クワガタ、ノコノコ(蝉の子供)。暑い季節に蝉の鳴き声。夏の風物。近くの公園に行ってノコノコを捜すがいなかった。19時を過ぎていたので遅すぎた。ノコノコの穴はあった。やはり、17,18時位に行かないとノコノコは見つからない。

 夏休みには、捕まえて来たノコノコを寝ないで観察した。ノコノコから蝉にかえる所を見て感動したのを覚えている。翌朝、蝉を放しに行く。そして、昼は網を持って蝉を取りに行く。鳴き声を頼りにして。

 脳解剖医の養老孟さんは、暇を見つけては東南アジアに行って昆虫採集をしている。東京という都会にいると、心底自然の中に身を置きたくなるのだろう。昆虫採集は昆虫の生を奪う。でも、その生を弄んでいるのではない。その昆虫の生が大事だからこそ標本にするのだ。

 蝉は、ふ化してから約一週間で死ぬ。その間にオスはメスを捜し、メスはオスを捜し交尾して子孫を残す。死んだ蝉は、雀や、蟻などの餌になる。自然はそうやって、死によって生が支えられている。

 7月31日、ウエルバ。クーロ・ロメロ、耳1枚。ホセ・トマス、耳3枚。モランテ、耳なし。エル・プエルト・デ・サンタ・マリア。ムニョス、耳1枚。ファン・モラ、耳なし。エル・フリ、耳1枚。サンタンデール、カンプサーノ、耳1枚と場内一周。エル・タト、耳1枚。ペピン・リリア、耳1枚が二回。


 8月2日(月)

 今日のNHK 「生きもの地球紀行」 で、カブト虫の幼虫のシーンがあった。ガキの頃何匹もカブト虫を捕ったが、幼虫は見たことがない。ああいう雑木林の所にいるんだと判った。オオクワガタも取ったが僕等は、ノコギリクワガタの方が好きだった。何か強そうだったからだ。

 今、ノコギリクワガタは1000円ぐらいで買えるらしい。でも、驚いたのは、オオクワガタは大きい物だと500万円もするという。休みを取ってオオクワガタ取りにでも行ってこようか。それとも、つがいのオオクワガタを取ってきて繁殖させて金儲けでもしようか。虫は、子供の夢だ。そうやって生き物と接して生の大事さを学んでいく。


 8月3日(火)

 安藤広重の 『東海道五十三次』 は、その時代旅行ガイドブックの様な役割をしていた。そう言う見解を出したのがNHKの 「ときめき歴史館」 だ。その中心で活躍したのが伊勢神宮のガイド役、御師と言われる存在。全国各地に伊勢を宣伝する配下の者を持ち色々な土産を配った。食べ物のあったが一番喜ばれたのが、伊勢暦。田植えの時期、稲刈りの時期などが書いていた。農民はこの暦を参考にして農作業をしたという。伊勢神宮は、天皇が稲刈りを今もやるところ。伊勢暦は、言わずもがなだ。

 昔、伊勢神宮に行ったとき、ここはちょっと凄いところだなと思った。150年以上続く伝統があったなんて知らなかった。御師は、旅館の経営者でもあり、ツアーコンダクターでもある。門前町には、伊勢エビ、アワビなどの美味しいものが旅人を待ち受ける。伊勢神宮を観光名所にし、自分の旅館を豪華にし、美味しい物もある。三拍子揃った観光スポットになった分けだ。

 闘牛の最も多い時期が8,9月。闘牛の会のメンバーも続々スペインに出掛けるだろう。このHPを見て闘牛を見に行こうと思っている人もいるだろう。そこで何を見てくるか。それがその旅の最も大事なこと。

 昨日の結果。アスペイティア。マヌエル・カバジェーロ、耳1枚、耳1枚要求。ペピン・リリア、耳1枚。ウセダ・レアル、場内一周、耳1枚。

 ウエルバ。エミリオ・ムニョス、−、−。エミリオ・シルベラ、場内一周、−。ミゲル・アベジャン、−、−。


 8月4日(水)

 いよいよ日本の祭りは東北に移った。青森では、ねぶた。秋田では、竿灯。夏の暑さを忘れる為に踊り狂え。

 クーラーのない生活も3年目を向かえる。今では、汗を掻いた後にクーラーに当たると寒気がする。と言うか、寒い。気持ちが悪くなる。体がクーラーを拒否しているのだ。肉体は正直だ。そんな後は、夜になるとガンガン頭が痛くなる。昨日はおかげで長袖を着て寝た。朝起きたら頭痛は治っていた。夏は暑い。汗を掻く。これが正常で当たり前なのだ。ナトゥラルは体に良いのだ。

 3日ウエルバの結果。リトリ、耳2枚。ポンセ、耳1枚が2回。エル・フリ、耳3枚。


 8月5日(木)

 今日は残業5.5h。疲れた。こんなに残業させてまた、スペインに行けってか。


 8月6日(金)

 54年目の広島原爆記念日。昨日「ニュースステーション」で、女性アナウンサーが、「私が広島カープファンになったのは、修学旅行で、広島という街を見てからです。」、と。彼女はそう言えば、大野投手の引退の時、泣いていた。

 昭和20年8月8日(水)
「○ 広島空襲に関する大本営発表。
 来襲せる敵は少数機とあり。百機五百機数千機来襲するも、その発表は各地方軍管区に委せて黙せし大本営が、今次少数機の攻撃を愕然として報ぜしは、敵が新型爆弾を使用せるにせよ。「相当の損害あり」といい、「威力侮るべからざるものあり」とも伝う。嘗てなき表現なり。いかなるものなりや。」

 これは、当時23歳だった、東京専医、後の東京医科大学の学生、山田誠也の日記だ。山田誠也は後に忍者小説のシリーズ(いわゆる忍法帖シリーズ)で一世を風靡する山田風太郎だ。

 大本営は原爆投下されたことを発表したのは7日と言うことなのだろうか。何万人も死に、何万人もの人が後遺症に苦しみ、それを子供に遺伝子として伝えた。

 今日TVで、クローン人間の事をやっていた。クローンは理論的に言っても免疫に対する抗体を体の中で作るときに問題になってくる。クローン羊も病気になりやすいし、長生きできない。何故なら簡単に言うと、細胞の遺伝子情報を持っている、核を、卵細胞の核を取り除いた物に移植して、細胞を分裂させているからだ。

 本来、他と他が精子と卵子という形で出会って細胞分裂していくからこそ、元の遺伝子じゃない違う情報が作られる。いつまでも同じ情報だけでは、病原体という他者に対応出来なくなってしまう。他者とは一様ではなく、多様なのだ。この辺はコンピューターソフトの情報の早さとにているかも知れない。

 精子と卵子の遺伝子情報は、細胞の核にある。染色体とかDNAとかいう。正確には同じではない。オス、メスのDNAが合わさって1本のDNAが出来る。これが人間の場合46個ある。その他に細胞には核がもう1個ある。それはミトコンドリアの中にある。これは、メスの物からしか遺伝しない。いわゆる母系遺伝だ。これが、クローンになるとなくなる。だから、自然じゃない。自然じゃない物は異様だ。そう言うことは生物の教科書読んだだけじゃ、良く理解できないかも知れない。

 ちなみに、競走馬の血統証明書はオスとメスの種付け(交尾)によって生まれた馬にしか発行されない。勿論、そのオス、メスも血統証明書付きじゃないと意味がない。(サラブレッドの場合は8代先の血統まで判らないと駄目だ。)また、闘牛用の牛も同じようだ。

 5日、ビトリア。エル・コルドベス、耳なし。ホセ・イグナシオ・ラモス、耳1枚、耳1枚ともう1枚要求。リベラ・オルドニェス、耳なし。パコ・オヘダ、耳1枚要求。ラ・コルーニャ。ポンセ、耳2枚。アントニオ・イニエスタ、場内一周、耳1枚。エル・フリ、耳2枚。


 8月8日(日)

 今日楽しみにしていた、「驚異の小宇宙人体V遺伝子・DNA・遺伝子の世界にようこそ」 を見ることだ出来なかった。疲れて寝てしまっていた。でも3,4日続くのでそっちの方はしっかり録画しようと思う。

 映画カメラマンの宮川一夫さんが死んだ。名作、名画、名監督、には、必ず良いカメラマンがそれを支えている。宮川さんはそう言うカメラマンの1人だった。黒沢明、溝口健二、市川昆、と言った良い監督と一緒に仕事をした人。小津安二郎とは、仕事をしてなかったのかな。あのローアングルは、宮川さんのカメラだと思っていたんだけどな。

 エスパルタコが、また右膝を痛めた。8,9月は闘牛が多い。暑い。当然闘牛士達の怪我が増える時期。他にも、6ヶ月の重傷を負った闘牛士もいる。

 セサル・リンコンがコロンビア地震の為の慈善闘牛開催に奔走しているようだ。6月17日、マドリード、ラス・ベンタス闘牛場で行われた国王主催の慈善闘牛も、コロンビア地震の為に一部が使われたようだ。

 91年全闘牛ファンを熱狂させたセサルをあの時見れたことを幸運に思っている。そして、あの感動のグラン・ファエナと同じように、母国の復興に一役かって出た。セサルは、後半生をどのように過ごすのか模索しながら闘牛を続けている。

 エスコリアルで、ホセ・トマス、耳4枚と尻尾1つ。エル・プエルト・デ・サンタ・マリアで、エル・フリ、耳3枚。


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