断腸亭日常日記 2000年、その1

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年のスペイン滞在日記です。

99年1月13日〜2月16日 2月19日〜4月14日 4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日
6月7日〜6月10日 6月13日〜7月9日 7月11日〜8月8日 8月9日〜9月9日
9月12日〜10月7日 10月10日〜11月10日 11月14日〜11月28日 12月12日〜12月31日

 2000年1月1日(土)

 「 唇と唇との間には何があるのか。上唇と下唇との間にのぞいているもの、それは裂け目であり、間隙であり、空虚であり、あたりにぼんやりと滲みだしている不分明な境界地帯である。何と何とを分かつわけでもない負の境界線が、内部と外部とを、閉ざすことと開くこととを、言葉と沈黙とを、呼気と吸気とを、曖昧に溶けあわせ、流動的に行き交わせ、またしばし主体の意志や欲望を裏切りつつ官能的に分節化しているのだ。そこにあるものは、つまり不在である。

 ゆるやかな肉の蠕動とともに絶えず奇妙に伸び縮みし、広がったり狭まったりする不在が、多様に動いてやまない不定形の表情をたゆませている。言い換えれば、唇と唇の間には、まさに<間>そのものが露出しているのだ。

 それでは、上唇と下唇の間ではなく、わたしの唇とあなたの唇の間には何があるのか。同じである。裂目、間隙、空虚、不在。すなわち、これでもなくこれでもない中間地帯、ここからあそこへの終わりのない道程における絶えざる<中途>、隔てられていず密着してもいない純粋状態の<間>。

 それが唇から唇への誘いをどこまでも引き延ばしてゆく。それは単に 何もない ということを意味しているわけではない。重い魅惑によって充電された不透明な<間>が、引き裂かれているのだ。<間>とは、自分自身が引き裂かれることによってしか 在る ことができない逆説的な空間、存在と存在とを隔たりによって結びつけている 口唇的 な関係性のことなのである。

 それは単なる距離のことではない。距離によって引き裂かれているということではなく、唇と唇とを反撥させあいつつ、しかしその隔たりそのものによってお互いにお互いを引き寄せあっている匿名の誘引の磁場が、<間>に−−<間>の現前そのものとして−−曖昧に広がりだしているのだ。 」


 「喋ることと愛撫することとが出会う場に他ならない  は、言葉と官能との調和や相剋の劇が演じられる両価的な舞台として、とりわけ尊重され顕揚されるにふさわしい特権的な器官である、と一応誰もが暗黙のうちに納得しあっているかに見える。

 実際、唇は、肉体の内部から外部へと向けて溢れ出そうとするちょうどその境界面上に位置している独自の器官ではないか。唇はヒトにしかない。人間以外のいかなる動物も、こうした器官の等価物を自分の頭部の口腔出口に持っていはしないのである。

 本来は内部に属すべき脆弱な粘膜が、顔という人体のもっとも可視的な部分の中央で、周囲からきわだったその色合いの紅潮ぶりを誇示してむきだしに外界にされされつつ、個人の自己を世界に対して表出し、内を外へと中継する機能を果たしている以上、誰もが最大の関心を持って他人の唇に注視しているのはまことに自然なことではないか。

 それは、奥深く秘められた精神が吐き出される 息=霊(スピリトウス) として外に現出する真理の場であり、また、接触への官能的な誘惑を投げかけることによって外なる他者を絶えず内へとうながしているエロスの場でもある。

 <魂>の同一性が物質的な息として声に乗り、他者の前に顕現するのは唇を通してでしかありえないわけだし、また、その唇が他者の唇と触れあう瞬間こそ、メルロ=ポンティのいわゆる間=身体性の境位が暴力的ななまなましさとともに一挙に啓ける特権的な体験と言うべきではないか。唇にはわたしたちの内奥が露呈している。

 だからわたしはあなたの唇に注目せずにはいられない。また、あなたの視線がわたしの唇にそそがれることを求めずにもいられない。その動きを見つめること、そこから洩れてくる響きを聴きとること、その内なる肉としての感覚を密着的に体験すること、全てはここから始まるはずだ。 」  

  『口唇論』−−記号と官能のトポス−− 松浦寿輝 著 青土社 より 


 長い引用だ。口唇論の引用部分が今年のテーマになっていくことだろう。元々このHPは、“肉体” が、テーマである。2000年1月1日。改めてこの事から始めよう。まさに、全てはそこから始まるはずだ。


 1月2日(日)

 肉体が躍動し、肉体がぶつかり合う。ラグビー大学選手権準決勝。上田監督率いる慶應は順当に勝った。やっぱり上田さんはTVキャスターではなく、監督をやってた方が良い。林ヘッドコーチとキャプテンと三人で15日優勝を狙う。今日はキックとラインアウトが良かった。勿論伝統のタックルがあってこそ。今度は展開ラグビーを見せて欲しい。

 大東大と関東学院は最後の反撃をしのいだ関東学院がようやく勝った。大東はディフェンスが悪かった。タックルが甘い。しかし、関東学院のようにトライの時、派手に喜ぶのは、サッカーのようで嫌いだ、と元ラガーマンが言っていたがその通りだと思う。ラグビーのノーサイド精神に反する行為だ。慶應、同志社戦後、勝ったチームが、負けたチームを拍手で向かえ握手する退場シーンはいつ見ても良いものだった。勝者も敗者もお互いのプレーを認めあってこそお互いを讃えることが出来る。

 また、上田さんに日本一になって貰いたい。今のチームはその価値を充分持っている。

 1日の天皇杯は、名古屋が勝った。ピクシーはやっぱり凄かった。年を取って動き回れなくなっているがキープ力とパスの切れ、シュートは唸らせてくれる。ここ何年か名古屋との契約を最優先にする、と、言っていたピクシー。日本一だよ。1点目のアシストも2点目のシュートも最高のプレーだった。まだまだ日本にいて欲しい。出来ればワールドカップの年まで。


 1月3日(月)

 高校ラグビー準々決勝4試合。勝ったチームが泣き、負けたチームが泣いた。ノーサイド寸前まで持っている力を出し切ろうとする姿は清々しい。勝ったチームは讃えられるべきだ。が、しかし、スポーツを見ていて思うことがある。

 負けたチームのキャプテンが、「苦しかったこと、楽しかったこと、色々な事が頭に浮かんできて・・・。自分達の力が出せなくて、悔しいです。」と、嗚咽しながら言っていた。

 ひたむきに楕円形のボールを追いかけている姿は美しい。だが美しいのはそれだけじゃない。どんなに努力しても練習しても、結果が出ない時がある。人生のある部分にはそう言うものがあるのだ。そう言うものをスポーツを通じて体感したはずだ。人生には、どうにも出来ないということが “ある” ことが解っただろう。その事が美しいことなのだと思う。

 だからと言ってダメだと諦めるのではなく、だからこそ何かをやり遂げたときの幸福感があるのだ。そして日々の練習の積み重ねの大切さを改めて学んだのだろう。人生なんて、良いことばっかりじゃねぇんだから。寧ろ、思うようにいかないことの方が多いのだ。それでもやっていけるのは、そう言うことを知った上で、何か大切なものを大事にしたいという、想い があるからじゃないのかな。

 これから、大学や社会に出て、あの時のトライはこうゆうステップをして観客を沸かせたんだ、と言うことだけを覚えているのでは前向きじゃない。自分一人だけではないみんなの力が合わせなければ出来ないこともあるのだから。

 99年12月31日。 カリの結果。エル・フリ、耳1枚、耳2枚。ファン・バウティスタ、耳4枚。パキート・ペルラサ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ、インドゥルト(罷免)。ペルラサはコロンビア人なのだろう。とてつもないファエナの中、“コロンビア・コロンビア”の叫び声が続いた、と記されてある。牛は、スペインのトレストゥレジャ牧場。

 1月1日。 カリの結果。騎馬闘牛士、パブロ・エルモソ・デ・メンドーサ、耳2枚、耳1枚。闘牛士、ディナスティア、耳1枚。ウセダ・レアル、場内一周。


 1月4日(火)

 明日から中央競馬が始まる。年明けにするのは初詣。僕の田舎では、元朝参りと言う。だから明日は元朝参りならぬ、馬参りをしようかと思っている。JRAのCMも年が明けて、キムタクから緒方拳と松島菜々子に変わった。コピーはこうだ。 「勝手な言い分。勝手な思いこみ。それでいいんですよ、競馬は。」 そんなので馬券が取れるか。有馬記念だってそうじゃないか。スペシャル買わなかった俺はやられた。あれは1点で取らなきゃならなかった馬券。深く反省している。

 「勝手な言い分。勝手な思いこみ。それでいいんですよ、競馬は。」 JRAは何を考えているんだ。こういうコピーに頷く輩がいるんだろうな。武が乗る馬を冷静に分析出来なきゃG1は取れない。嫌だけど仕様がない。事実なんだから。

 JRAのもう一つコピーがある。字が一番大きいそのコピーは、 「わたしを楽しむ (それが競馬)」 これは言えてる。競馬の基本だ。明日は今年1年楽しませて貰うように祈りを込めて馬券を買ってこよう。

 1月2日。 カリの結果。ミゲル・ロドリゲス、−。ディナスティア、耳1枚。ディエゴ・ゴンサレス、−。ホセ・ルイス・モレノ、−。ウセダ・レアル、−。ファン・バウティスタ、−。 カリ、フェスティバル闘牛の結果。ミゲル・アベジャン、耳2枚。エル・フリ、耳1枚。ファン・バウティスタ、−。パブロ・エルモソ・デ・メンドーサ、−。セサル・カマチョ、耳1枚。パキート・ペルラサ、場内一周。グエリータ・チコ、−。


 1月5日(水)

 本日の馬参りは無事終了。どうやら今年も武豊の年になりそうだ。明日はメインレースに乗らないのに武が中山競馬場に来る。何故かと言えば、スペシャルウィークの引退式があるからだ。

 昨日ネットサーフィンをしていたら新しいHPを見つけた。去年の今の時期に比べれば格段に闘牛の情報が充実してきた。活用のし甲斐がある。これからドンドンカルテルが発表されてくるだろう。いよいよ闘牛シーズンに向けて慌ただしくなってくる。

 明日は、夜芝居を見に行く予定。雨になりそうなのがちょっと嫌だ。

 3日カリの結果。ミゲル・アベジャン、−。エル・フリ、耳2枚。アレハンドロ・ガビリア、−。


 1月6日(木)

 夜、青山劇場にて、 『NANTA (COOKIN' )』 を観劇する。これは、厨房を舞台にしたコメディ。見せ場は、何と言っても様々な厨房用品を叩いて乱打する場面だ。NANTAとは、韓国語で乱打のこと。ポリバケツ、、ナイフ、フォーク、スプン、トレイ、ボウル、攪拌機、包丁、モップ、ホウキ、ペットボトルなどを乱打する。

 時間がないので、上手く書けないが、基本的には打楽器を聴かせる。それを芝居仕立てにしてコメディの風味を加えてある。日本の打楽器集団は服を脱いで褌姿などで演奏する。これも1つの方法だ。が、今日思ったのは、料理人の服装で包丁を振り回してまな板を乱打している姿を見ているとこっちの方が肉体表現が上だと思った。

 そこには包丁を持つ事によって、誤魔化しようのない真剣さがある。包丁は本物なので間違えば怪我をする。下手をすれば死ぬことだってあるだろう。それでいて、コメディなので各所で笑いを織り込んでいる。なおかつ、その乱打はただの乱打ではなく見応え聴き応えのあるリズムを奏でる。観客はこのミュージシャン達に圧倒される。

 今の韓国のエネルギーを十二分のに堪能できるだろう。何か上手く書けなかったな。

 4日カリの結果。セサル・カマチョ、耳1枚。エウヘニオ・デ・モラに代わり、ミゲル・ロドリゲス、−。パブロ・エルモソ・デ・メンドーサ、耳1枚。


 1月7日(金)

 本日仕事始め。疲れた。明日は闘牛の会。井戸さんに原稿を送ったのに確認のTELを入れたら字が書かれていないと言う。帰ってきて観たらそんなことはないんだけど。おかしな事。明日の朝にでももう一度送ろう。新しい情報も入ったので良しとしよう。

 エル・コルドベスのアポデラードは、ビクトリアーノ・バレンシアに代わった。

 1月5日カリの結果。ディエゴ・ゴンサレス、−。ミゲル・ロドリゲス、−。エル・フリ、耳2枚、耳1枚。 マニサレスの結果。パブロ・エルモソ・デ・メンドーサ、耳1枚。ネルソン・セグラ耳1枚。ホセリート・ボルダ、怪我、場内一周。パキート・ペルラサ、耳1枚。 6日マニサレスの結果。セサル・カマチョ、耳1枚。ミゲル・ロドリゲス、耳1枚が2回。ウセダ・レアル、耳1枚。


 1月9日(日)

 昨日の闘牛の会に、このHPを通じてまた1人来た。コンピューター・グラフィックをやっている人で闘牛を題材にして作成を予定しているのだという。初めて闘牛のビデオを観て、面白いと思ったようだ。

 会は、正月明けと言うこともあって集まりが悪かった。会はヘスリンを長崎の会員の浜崎さんのメールを読み、96年パンプローナのファエナをビデオで観る。クリスティーナ・サンチェスは、マドリードの三木田さんのメール、そして97年カセレスのビデオを観る。リトリは、安井さんがやった。いつも通りのリトリ感を発表。坊ちゃん闘牛士のビデオは95年グラナダ。このファエナは評判が良かった。

 最後は、ホセリート。荻内さんは、ガリバー創刊時のホセリート取材の話をした。話が長かったが昔風の登場の仕方をしたことを言っていた。それは、貧民から出てきたことなどを言っていた。それを見出した、現アポデラードのエンリケ・マルティン・アランスのことも。松田君もホセリ−トのことを話した。闘牛士としての絶頂期と、引退に繋がった最後のセビージャでのウニコ・エスパーダを観て、闘牛士が落ちていく様を観た。絶頂と凋落の両方を観て闘牛士ってこういう風にして落ちていくのかを思ったのだという。

 本当は、セサル・リンコンの事もやる予定でいたが時間がなくて出来なかった。ホセリートのファエナは94年サラゴサのウニコ・エスパーダから。やはりこれが1番評判が良かった。

 二次会は、近くのお好み焼き屋でやった。去年の3月30日闘牛士達を呼んだときに行った所。カウボーイのスタイルとスペインの牧場のスタイルが如何ににているか、とか、西部劇や映画、競馬の話まで。


 1月10日(月)

 ドブネズミみたいに美しくなりたい。

 今年から今日が成人の日になった。それでだろうか、NHKで良い番組があった。 『私はあきらめない!』 〜若き主役たちの挑戦〜 特に、板倉美紀さんの話は素晴らしい。17歳でオリンピック出場直後に交通事故に遭い大怪我をする。大型トラックの前輪と後輪に引かれ10カ所を骨折する。普通なら死んでいたところだった。もう、歩くことすら無理だろうと医者に言われる。

 そこからリハビリが始まる。数ヶ月後、競歩のレースに出る。レースには妹も一緒に出ていた。「お姉ちゃんを励まそうと思ってたんだけど、レースが始まったらもうそんなこと」 美紀さんは優勝する。家族が彼女を支えた。特に、幼い頃からお婆ちゃん子だった彼女はお婆ちゃんの喜ぶ顔が見たいという。

 しかし、それからが本当の戦いだった。手術を繰り返してはリハビリ、レースの日々。レースでは右膝に激痛が走り途中棄権。大分良くなってからも、右膝の痛みは引かず歩いているフォームを不正走法と判定され失格を繰り返す。家族はその度に、「これだけ頑張ったんだから、良いじゃない。あなたの体が心配だからもう止めなさい」 と、言ったそうだ。

 だが、彼女はそれでも練習を重ねる。メキシコに行って高地トレーニングをした。膝の具合は悪い。「オリンピックに出たら、お婆ちゃんもまたそれを励みにして元気でいて暮れるでしょうから、あたしも頑張ろうと思ってます。」メキシコから帰国後家族にも会わずにひたすら練習する。オリンピック候補にもう名前の上ることがなかった美紀さんは99年、オリンピック選考会に出場する。

 お爺さんは半年前に死んでいた。仏壇に手を合わせながらお婆ちゃんは言う。「お爺さんは美紀の大ファンで。勝ったって言えばもう手放しで喜んで。興奮したまま死んじゃった。不思議なお爺さん。美紀が頑張るように。一緒に歩ってくれたらなお良いんだけどね」

 レースは前半から積極的に飛ばす。後ろの選手に足を踏まれて靴が脱げる。右足は、怪我で左足より小さい。靴を履き先頭を追う。  ナレーションが入る。 「美紀の背中を家族が押した。残り後、半分。美紀がトップにたった。残り後、3km。ライバルが勝負に出た。のこり500m。今度は美紀が行く。美紀は知っています。勝敗を分けるの決して力の差だけではないと言うことを。そして、いつか奇跡は起こると言うことを。」

 先頭でゴールを切る。ゴールには家族が待っていた。優勝を電話でお婆ちゃんに報告をする。「あのー。今日優勝したの。」「ええっ。優勝したの。あんたが優勝したの。まあ。何で。」「何でって、優勝したの」

 美紀さんは、「他の人は大した怪我じゃなかったんじゃないかと言いますが、家族は本当に非道い状態を知っているんで、これだけ回復しただけでも、オリンピックで金メダルを取ったくらい凄いことなんだからと、言ってくれます。」

 スタジオで、「凄い根性ですね。」と言われて、美紀さんは、「あたし根性ないんです。あんたなに甘えた事言ってるの頑張りなさい、と言われたら落ち込んでしまうでしょうけど、家の家族は、あんたの体が1番大事なんだから。もうそうゆう感じでだからもう止めなさいと、言うんです。そう言われると、なんか反対に頑張ろうと思うんです。」と言っていた。 お婆ちゃんは、今、美紀さんに負けないくらい元気に歩き回っているそうだ。

 僕は“根性”とか“頑張る”とか言う言葉が嫌いだ。だが、この話に何故か胸を打たれた。言葉を発しているこの家族が実に自然に話しているからだ。特にお婆ちゃんの、美紀さんの言葉は本当に自然だった。本来言葉とは女のものだ。と、思っている。お婆ちゃんと美紀さんの言葉の中に家族を思う気持ちが何の飾りもなく発せられていたと思う。生き方も、言葉も立派だった。その事に僕は涙を流したのかも知れない。

 ドブネズミみたいに美しいと言ったら美紀さんに怒られるだろうか。だって半端じゃなく逞しいじゃない。金メダルより、よっぽどこっちの方が価値があるのだと思う。

 8日マニサレスの結果。ファン・モラ、耳1枚。ミゲル・アベジャン、耳2枚。パキート・ペルラサ、−。 8日、マニサレス、フェスティバル闘牛の結果。ファン・モラ、耳2枚。セサル・カマチョ、耳1枚。ディナスティア、−。ウセダ・レアル、−。ミゲル・アベジャン、−。フェルナンド・ロペス・ディアス−。


 1月11日(火)

 ニュース23にジェーン・バーキンが出ていた。最近は、ケリー・バックならぬ、ジェーン・バックが流行っているのだそうだ。注文しても5年待ちだそうだ。世界的に観ればローカルな意味で流行大国の日本ならではの話だ。でも、ポップじゃないはずのジェーン・バーキンが流行るというのも変な話。

 若い女性が、ジェーン・バーキンの自由な生き方に共感を持って自分達の理想のように観ていると、筑紫哲也が言っていた。確かに彼女の自由な生き方はそう思われるのかも知れない。ちなみに、女優、シャルロット・ゲンズブールは、セルジュ・ゲンズブールの間に生まれた娘だ。

 2人が出た映画、『ジュ・テーヌ』が面白かった。ホモの男が女とセックスできなくて後ろを向かせたら、立つことが出来て・・・。そのシーンを観ながら、ジェーン・バーキンのオッパイは小さいので何も後ろを向かせなくても、出来るのじゃないのかな、などと思ったものだ。

 彼女はいつも持ち歩いているノートに3人の娘の写真を入れていた。 「長女、ケイトは今ではフランスを代表するモノクロ写真家。次女、シャルロットはフランスを代表するような女優。三女、ルーはシャリー・マクレーンみたいで生きることを楽しんでいる。」 そしてそのノートには、セルジュ・ゲンズブールの遺髪が入れられていた。それをカンボジアの病院建設の為のオークションにと置いていった。 「そろそろ遺髪と別れる時期に来たから」と、言うのが理由になっている。年取っても素敵だね。

 2月7日にレガネスで行われる、フェスティバル闘牛は、ベネズエラ水害の為の慈善闘牛と言うことだ。

 9日メキシコの結果。ホルヘ・グティエレス、耳2枚。ソトルコ耳1枚。エル・フリ、−。 カリの結果。ファン・モラ、コヒーダ。ディナスティア、耳1枚。ホセ・ルイス・モレノ、耳1枚。


 1月12日(水)

 ようやく雨が降ったと思ったら、東京では初雪になった。 眠い。とにかく眠い。闘牛もカリが終わったのでしばらくない。 2月7日、レガネスのフェスティバル闘牛は、2月6日の間違いかも知れない。7は月曜日で、6は日曜日。二種類の情報があるがそうやって考えると6日があっているような気がする。


 1月13日(木)

 非常に優れた観戦記が届いた。内容が非常に濃いもので、それを読めば、このHPが有効に活用されていることが解るでしょう。書いた人は初めて闘牛を観たそうですがとてもポイントを得ています。明日かあさってにアップ予定。それとメールが何通か来ていますが、返事はもう少し待って下さい。日曜までには送ります。


 1月14日(金)

 非常に優れた観戦記が送られてきた。写真付きでアップした。是非観て欲しい。このHPを読んでここまで闘牛を観たことが驚きと共に嬉しさを感じる。闘牛は素晴らしいのだ。

 城がスペインのバジャドリードに行き、中田がローマに行った。オウムが信者のほとんどを別に組織に移し新しい団体を作るらしい。中田はHPの更新をするのだろうか?移籍が決まったから多分するだろう。

 恐らくここ1週間か2週間以内に映画を2本観るだろう。どちらもスペイン語の映画だ。


 1月15日(土)

 ラグビー大学選手権決勝は予想通り慶應が勝った。準決勝2試合が行われた次の日の新聞に、元神戸製鋼の大西一平が関東学院が優勝するだろうと言っていた。理由は攻撃パターンが多彩だからと言うものだった。でもこの理由は納得いかなっかった。関東学院のディフェンスが悪すぎるからだ。今年の勝ち負けを左右したのは監督の差、キャプテンシーの差、15人のチームの差だろう。

 対戦相手の攻撃の特長、弱点を分析して対策を立て、戦略を練って最後のグランドに立つ15人とキャプテンに委せたのが今日の結果だ。伝統的なハード・タックルはただ思い切っていく昔と違って、意図を持ったタックルだったし、その後のサポートもその意図を理解したものだった。

 相手の攻撃を断ち切れば、攻撃力のあるチームはチャンスさえあればトライは直ぐ出来る。PKで点差を離し、プレッシャーを掛け焦らせ、自分達は伸び伸びプレーする。それを完全な形で出来た高田キャプテン以下のフィフティーンを、上田監督は安心して観ていられた事だろう。あの時、松永がキャプテンだった。松永も本当に素晴らしいキャプテンだった。高田はそれ以上だろう。両キャプテンとも上田さんから熱心な勧誘を受けて優勝を手に入れた。おめでとう。

 TVで、フランスの放送局が制作した、カラヤンのドキュメントをやっていた。面白くて見入ってしまったが、1番印象に残ったのは、戦後ナチス党員だったことで指揮が出来なくなったとき、山にこもってそれまでやって来た演奏曲の解釈を勉強し直していたことだ。その頃を、充実した時期だったと言っている。

 本当に凄い人は、そういう時期でも焦ったり、もう仕事が出来ないんじゃないかとか思わない。冷静に自分を見つめることの出きる人だ。

 それが終わって、腹話術師、いっこく堂さん。最近はTVにも良く出て劇場などを満員にして活躍している。売れない頃、施設などを廻って芸を見せていた。その頃のことを、有名じゃないといくら技術があっても喜んで貰えないんです。だからといって今おごっているわけじゃない。彼の口を全く動かさないでやる腹話術は物凄い技術だ。それでもっと芸に磨きを掛けなければと、思っている。こういう人が極めることの出きる人なんだろう。


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