断腸亭日常日記 2000年、その6 スペイン日記

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年のスペイン滞在日記です。

99年1月13日〜2月16日 2月19日〜4月14日 4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日
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2000年1月1日〜15日 1月16日〜1月31日 2月1日〜2月28日 3月2日〜3月29日
4月2日〜4月19日

 4月20日(木)

 19:00予定通り無事マドリード、バラッハスに到着する。

 成田では、搭乗手続きの時順番を守らない人と言い争いになった。何故順番を守らないのか俺には分からない。それでいて平気な顔をしている。あなたが間違っていると言うことを徹底的に教えてやらないと分からないようだ。60を越えているようだったが基本的なことが出来ていない。気分の悪いところから今回の旅が始まった。

 乗り継ぎで、オランダのアムステルダム空港を利用したが、12時間近くタバコを吸ってないから喫煙所を探したが見あたらない。聞くと、カフェテリアの中なら良いと言われる。係員にスペイン語で、「この国は、タバコを売ってないんだろう」と、言ったがスペイン語が分からないせいなのか反応がなかった。一体どういう国なんだろう。タバコ1本も吸えない国が民主主義の国と言えるのだろうか。ファシストの国と一緒じゃないか。

 バラッハスについたら、目に留まったのが灰皿だ。ああ、民主主義の国スペインよ!両替中も、荷物を待つ間も、誰に気兼ねすることなくタバコが吸える。こんな当たり前のことが嬉しい。到着ロビーに、Kさんが向かえに来ているはずだが見あたらない。探したが分からないのでTELを入れた。すると、空港に行ったのでもうちょっと待っていて下さいと、言われた。タバコを吸いながら待つ。床に灰を捨てて靴の裏で消している人を見かける。これがスペインだ。そして、10分後会うことが出来た。

 カジャオ広場付近の宿に送って貰う。部屋の鍵、TELもその日の内に付いた。Fさんや、米元さん(よねちゃん)、と会い1年降りの挨拶。Kさんとよねちゃんと3人で近くのレストランで夕食を取る。セマナ・サンタなので定食が高かった。街も人通りが少ない。

 明日か、あさってマラガに行くと、Fさんに言ったら、ホテル取れないよ、と言われた。宗教行事なので向こうは混んでいるらしい。下山さんにTELしたがいなかった。明日、朝TELしよう。中崎君と会ってスペインのプロバイダーと契約する。最近は、スペインではタダで契約できるのだ。進んでいるなーこっちは。

 明日起きたらサン・イシドロのアボノを買ってこよう。そして、マラガ、マルベージャ行きについて調べて、明日行くかあさってになるか決めよう。


 4月21日(金)

 今日は、キリストが死んだ日。銀行もエル・コルテ・イングレスも休み。

 両替をしてサン・イシドロのアボノを買おうとしたが、ダメだった。アボノは、ソンブラのテンディド・アルトしかなかった。希望は、ソルのテンディド・バッホなのに。MさんにTELしたら19日がアボノの締めでこれから出回るかも知れないのでもう少し待ったらと言われたので昨日両替した金を使うのをやめた。ホントは確認した方が良いのだが。

 ガイドをしている三木田さん夫婦と昼食を取る。La Taurina で待ち合わせをして、向かいのムセオ・デル・ハモンで定食を頼もうとしたら、10人以上並んでいたので他を探した。代わりに入ったところは安く量も多く、真面目に料理を作って出している店で3人で喜んでしまった。

 それからセビージャに行って下山さんと会う。タブラオ、ロス・ガジョでフラメンコを見て食事をして下山さんの家に帰って寝たのが3時頃だった。


 4月22日(土)

 朝、下山さんとウーゴ(犬)の散歩に行く。ウーゴは狩猟犬で体が大きい。40kg位ある。近所の散策を1時間くらいかけて廻った。道の両隣から犬達がウーゴに吠えるまくる。ウーゴは耳は聞こえない。だから、吠え返したりしない。散歩に行くと小便とウンコをする。彼の場合、小便はマーキングになっていないようだ。それでもしきりにウーゴの挨拶の仕方は顔を舐めること。ペロペロペロペロ舐めるので顔や耳に大量の唾液が付いたままになる。

 これはシャワーを浴びるまで直らないのだ。困ったことに。ウーゴ挨拶も良いけど舐めんなよ。それと耳舐めるときに囓るなよ。痛いんだから。

 朝、買い物をして午後マルベージャにまゆみさんの運転で3人で出掛けた。闘牛場がなかなか判らなかった。着いた頃には、闘牛が始まっていた。マヌエル・ベニティス“エル・コルドベス”の1頭目が見れなかった。終わって、エル・フリのプエルタ・グランデを見て闘牛の会の杉浦君を探したが見つからず、セビージャに帰ってきた。行き帰りの途中で食事をとる。

 帰ってきて寝た。


 4月23日(日)

 もう眠いので起きてからにする。


 4月24日(月)

 昨日も色々あったが、書く暇がない。思い出した頃にする。今日は元闘牛士のクーロ・カマチョと下山さんと3人でセビージャ近郊の出版社に行った。クーロが下山さんのアポデラードで、元闘牛士で画家のジョン・フルトン伝記を書いたのでその打ち合わせに付き合った。

 そこは、アンダルシア中の闘牛のカルテルを印刷しているところだった。ジョンの絵を使ったカルテルも多くあった。そこで、東京闘牛の会のメンバーだと言ったら好きなカルテルを呉れると言う。だから下山さんのオメナッヘ闘牛のカルテルとセビージャの今年と去年のカルテルを貰った。

 帰りにクーロのおごりで昼食を取る。サラダ、海老、羊肉、牛肉。プエブロの方が安くて美味い。その後、アメリカの映画プロデューサーの家に行って闘牛のカルテルを見せて貰う。この家はクーロが家守をしている。今プロデューサーはアメリカにいる。そこで見せて貰った、ジョンが書いた本や、3,40年くらい前のスペインの写真を見た。ジョンやクーロが映っていた。今の、クーロ・ロメロの恋人も映っていた。リベラ・オルドニェスの母親なども。

 非常に面白い写真だった。クーロは俺に彼が映った写真を呉れると約束した。それは非常に良い写真だ。光と影を上手く使っているのでみんな欲しがるそうだ。でも、もう昔の写真だからないと、言って断っているけど、君と敦弘に1枚ずつあげる、と言う。未だ、貰ってないけどありがとう、クーロ。

 闘牛場で闘牛の会の杉浦君と会う。明日、アルカラ・デ・グアダイラに、モランテが練習に来ているかも知れないので3人で行くことにした。モランテサイン頂戴ね。写真も一杯撮れれば良いなぁ。


 4月25日(火)

 アルカラ・デ・グアダイラにモランテはいなかった。もうテンポラーダが始まってしまったのでフィンカにでも行って練習しているのかもしてない。行ったら少年がいた。彼は、セサル・ヒロンと言いお爺さんが同名の闘牛士でNO1にもなったことがあるベネズエラ人だった。未だ15くらいだった。シン・ピカでデビューしてセビージャには21日に出場する。

 アレナには、クーロ・モリーナと言う、リベラ・オルドニェスのバンデリジェーロがいた。彼はカポーテの上でストレッチをしていた。それから、車輪が付いた練習用の牛の角が着いたものをセサルが押してクーロがバンデリージャを打った。それが終わると交代してセサルがバンデリージャを打った。

 次ぎに、セサルが練習用の角を持ちクーロがカポーテ、ムレタの練習をした。最後にセサルが剣刺しの練習をした。刺し方についてクーロがセサルに教えていた。面白かったのは剣を刺す部分にピタと言う植物(竜舌蘭の葉のようなもの)詰めるのだが、そこの写真を撮っていたらクーロが何でこんな所を撮るんだ、と言っていた。そりゃ面白いからだろう。

 犬を連れたヒタニージョ・デ・アルカラがやって来た。セサルは、その黒い犬が来ると練習用の牛の陰に隠れて怖がっていた。via digitalのインタビューがかるからと帰っていった。インタビューは、ソンソーレス・マルティンだと言う。昨日闘牛場でソンソーレス・マルティンに会った。

 「セニョリータ、セニョリータ、ソンソーレス・マルティン。写真1枚良い」と、言うと大いに照れていた。それから、闘牛場の俺の席の隣に途中から座ったので話をした。ウセダ・レアルの2頭目の後に、「牛は難しかった。何故ならナトゥラルの時に、止まるし、闘牛士を探しに来るからです。」と言うと彼女は、「その通りです」と、言ったので彼女は闘牛のことを良く知っているなと思った。当たり前だけど。

 ヒタニージョが連れてきた黒い犬を使ってクーロがカポーテを練習しだした。犬はカポーテに向かって全力で走っていって通りすぎ、また向かっていった。色も黒いのと動き方が似ているので牛の様だった。闘牛士たちはこういう風に犬を使って練習するのは知ってたし、ビデオでも観ていたがこれほど見事な犬の動きには驚いた。

 だが、驚いたのは俺だけじゃなくてクーロも驚いたようだった。「おいこの犬売れよ。5000で」クーロがそういうと下山さんが、「それはペセタ、それとも円」と言うと、クーロが「ドルだよ」と言った。 でもその後ムレタでも犬は素晴らしい動きを見せた。本当に5000ドルの価値があるのかも知れない。あのファエナは耳1枚の価値があった。ウーゴとは大違いの犬だ。写真を撮ったのでその内HPに載せれるだろう。

 闘牛場近くに日本人宣教師のYさんが住んでいた。下山さんの知り合いで十字架や偶像崇拝を嫌う宗派の人だった。Yさんの奥さんはスペイン人で、素晴らしい大阪弁を使っていた。直ぐ帰るつもりだったが話が弾んで昼食まで御馳走になった。スペインに来てスペイン人からご飯を出されるとは思わなかった。とても美味しい昼食だった。

 Yさんの2人の子供も日本語が上手く弟のダニエルくんはゴッツイ大阪弁だった。クーロ・カマチョからTELがあり、明日、下山さんはTVの収録があるらしい。一緒に出るのは、トマス・カンプサーノや闘牛学校に生徒たち。まゆみさんと下山さんはTVに出る出ないで話をしていた。出た方が良いのか、悪いのか、聞かれたが答えられない質問だった。

 行くのであれば、一緒に行くことになりそうだ。

 帰ってきてTVで騎馬闘牛を見る。パブロ・エルモソ・デ・メンドーサがプエルタ・デ・プリンシペをした。その後、ビデオで今年のバレンシアの闘牛を見る。ファン・バウティスタが凄かった。剣刺しが決まらなくて耳は切れなかったが両膝を着いたベロニカやホセリートがやった蝶の様にカポーテを回しながらの(何て言う名前だったかど忘れした)パセをしたり、ムレタでもキレのあるパセをしていた。

 ミゲル・アベジャンのプエルタ・グランデも非常に良かった。今年はやってくれそうだ。


 4月26日(水)

 TVは明日だった。

 朝、フィンカからTELがあり下山さんと一緒に出掛けることになった。ヘレス近くのアルカラ・デ・フロンテーラにある、ハビエル・グアルディオラのイゲラール牧場。大きな湖があるところだった。入り口から車で10分以上入ったところにティエンタをするところがあった。

 ドミンゴ・バルデラマが来ていた。後は、バンデリジェーロが数人。ここはティエンタをする前に角を切っていて、角先からは血がポタポタ落ちていた。突然ティエンタをして良いと言われたので迷わずやった。だが1頭目は、危ない牛だったのっでやめた。2頭目を相手にした。2,3回デレチャソがきれいに決まったが、ナトゥラルをしようとムレタを振ったらバカが体の方に向かってきた。怖くはなかったが、どうしてこっちに向かってくるのがその事が判らなかった。

 何度も頭で突いてきた。手を外に出して振れ、バンデリジェーロが言った。自分では外に出しているつもりだったが牛はこっちに向かってきた。そしてコヒーダされた。目の前が青くなってそれから湖が逆さに見えて、牛の脚が見えて、目の前が真っ白になった。そして猛烈に頭が痛くなった。気が付くとバンデリジェーロに抱きかかえられていた。でも、ほっといてくれって感じだった。

 そのまま寝ていたい気分だった。足はふらふらだし力が入らなかったので1人で立って入れなかった。後から気づいたら左足の膝上10cmの所に血が付いていた。これは牛の角から着いた血で、ここを角で跳ね上げられたようだった。脳震盪で済んで良かったが大怪我していても不思議じゃなかった。バンデリジェーロが、またするか。と聞くので、今日はやめとく、と言ったら、それが普通だ、と言っていた。

 首が痛い。それと頭と、角で突かれたところ。むち打ち症になっていなきゃいいねど。頭が痛いので何かいてるか分かんなくなってきたので寝る。

 帰ってきたのが21:00頃だったので、今日は闘牛が見れなかった。


 4月27日(木)

 ヒラルダTVが10時に下山さんの家に向かえに来て、TV局に向かった。途中でセニョリータを乗せると言っていたので、どんな綺麗な子が乗ってくるのかと楽しみにしていたら、凄い女が乗ってきた。まるでミスター・レディーのような女だった。と言うよりもっと非道い、出来損ないのゲイだった。

 車の中に入ってきてベソをしたくないので握手だけにした。それにしても化粧が濃い。顔に自信がないからなのだろうか。この化粧で何度もむせた。「ゴホッ、ゴホッ」まるで花粉症だ。いや、化粧症と言うのだろうか。香料を入れない化粧品を使えよなもう。ツードアの小さい車の中に閉じこめられてとても気分が悪かった。顔を見るともっと気分が悪くなるので外を見ていた。「ゴホッ、ゴホッ」

 その女の袖から見えている腕の産毛がいやに濃く、黒く太かった。アイシャドーの黒も変な顔をもっと変にしていた。そして会話の中に良く出てくる言葉が、mi alma (私の魂)だって。とっても感動させてくれるミスター・レディーだ。

 10時半にTV局に着いて始まったのが12時半過ぎ。2時間待っていた。その間下山さんは、何度も空気が悪いと言って外に出た。彼は、脳細胞に血が廻らなくなって細胞が死んで左半身不随になっているのだ。リハビリの甲斐があって足を引きずりながらでも1人で歩けるようになっている。でも、タバコや閉ざされた部屋などにずっといるとテンカン発作を起こしてしまう。それを防ぐためにそうやって空気の良い外へ定期的に行きたがるのだ。

 収録は40分ぐらい、下山さんが喋ったのは2分ぐらいだった。リハビリを今もやっていること、闘牛士に復帰したいこと、クーロが出した、ジョンの本の子などを話した。一番長く話したのは、トマス・カンプサーノだ。元有名闘牛士なので当たり前だが。他に興行主や、闘牛士の服を作っている人などが出ていた。何故か俺もTVに出て東京の闘牛のペーニャの人と紹介された。21時半からの放送を見てたら変な顔に映っていた。何で俺なんかを出すんだよ。

 17時半からホテル・イングラテラでアメリカ人観光客(老人たち)を対象にした闘牛の説明をジョン・フルトンの彼女だったジュディと、クーロ・カマチョと、下山さんがやったのを見に行った。その前に昼食をホテル・コロンで取ったときに知り合った日本人の寺島夫妻が見に来てくれた。1時間半に及んだ闘牛の説明は、闘牛の歴史、闘牛のやり方、ジョン・フルトンのことなどを一通り話して、クーロ・カマチョが、カポーテ、バンデリージャ、ムレタ、剣、デスカベジョを持ってジュディが英語で説明を入れていた。

 下山さんも途中で出てきてムレタを振って見せた。彼のことをジュディは英語でちゃんと説明していたようだ。クーロの時より大きな拍手が鳴っていた。でもやっぱり左手足が良く動かないのは悲しい事実なのだ。

 それでも俺はこの闘牛の説明会の中心はジョン・フルトン何だなーと思った。ジュディは勿論、下山さんのマネージャーをやってたのがジョン・フルトン。ジョンのスタジオを引き継いだのがクーロ・カマチョ。クーロは、ジョンの事を書いた本を英語で出版する。それが売れたら、下山さんが闘牛士として復帰するときの為に使うと言っている。

 俺は、この闘牛の説明会を見ていて羨ましくなった。JRAの宣伝じゃないが「闘牛に出来ることがあります」なのだ。日本語で日本人観光客に1時間半も正確に闘牛を説明している旅行社があるだろうか?ないだろうな、きっと。

 血を見るのが嫌だとか、動物を殺すのがどうも、などとおぼこみたいなことを言っている人は人生をぼーっと生きてきた人なんだろうなきっと。これからも、ぼーっと人生を生きていく人なんだろうな。牛を殺す時をスペイン語で、Hora de verdad (真実の瞬間)って何故呼んでるか考えたこともない人達なんだろうな。

 そういうわけで今日も闘牛を見なかった。とは言ってもしっかりビデオに録画して見ているのだが。ホテル・コロンのレストランで、パコ・カノ、、ビクトリアーノ・バレンシア、フェルナンド・フェルナンデス・ロマンに会った。その話は明日にするか。後頭部に瘤が出来ている。首を支える筋が痛い。寝ようかな、そろそろ。でも、夢であのお化け女に会わなきゃ良いけど。


 4月28日(金)

 もう遅いので今日の結果を簡単に書く。マヌエル・カバジェーロが耳1枚切った。出来る人がちゃんと結果を出した日だ。エミリオ・ムニョスは何もしないで金だけ持って帰った。エル・コルドベスは、パセの出来る牛で結果を出せなかった。6頭目は、観ないで帰ってきたので判らないが。

 エスパルタコは、怪我のためにセビージャのフェリアには出ないことになった。代わりにマンサナレスが1日出ることになった。新聞では、耳2枚取ったエウヘニオが有力と言う話しもある。エスパルタコは3日間出る予定だったので、その内1日は出るのかも知れないが。


 4月29日(土)

 闘牛場でモランテのコヒーダ後、バンデリジェーロのサンティと帰り道が一緒になった。彼は今日のモランテのコヒーダに付いて、タブラとパセしていた位置が近いのでコヒーダされたのではないかと言っていた。または、真ん中でカルトゥーチョ・デ・ペスカド(パセの名前)すべきなのに端でやりすぎたのではないかというものだった。

 鋭い指摘だ。やはり、闘牛を実際やっている人達は見方が違う。

 サンティと一緒に3人で歩いていたとき、スペイン人が、「TORERO! Para ante!」 「 TORERO! Para ante!」と2回下山さんに向かって叫んだ。「前進だ!闘牛士!」とでも訳せばいいのだろうか。それを聞いたサンティは、ああいう言葉は、心から言っている言葉だ、と言った。下山さんがリハビリをして闘牛士に復帰したがっていることを知っている人がこのセビージャの街には居るのだ。そして、彼のがんばりを知っている人が居るのだ。彼は今、牛とではなく、病気と闘っている闘牛士なのだ。


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