−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年のスペイン滞在日記です。
4月19日(木)
新宿から成田まで立ち席だったのでスーツケースの上に座って成田まで行ったら尻が痛くなった。飛行機の座席に座って尻が痛いのでそのことに気づいた。飛行機の中では江夏の『左腕の誇り』を出来るだけ読もうとしたが眠くて寝ていた。ブリュッセルの空港でタバコを吸いながら本を読んでいると涙が出てきた。昭和54年広島カープで初めて優勝したときTV中継していた村山実が泣きながら放送し、阪神入団時の監督の藤本定義さんが、痛風でかなり悪くなった足を引きずりながらロッカールームに杖をついて訪ねてきて、「豊か良かったな」と言って泣いて喜んだそうだ。そんなの書いていたらこみ上げてくる。
このときの日本シリーズは、あの伝説になった『江夏の21球』で終わる。当時同居人と一緒に観て感動したのを覚えている。俺は昔から阪神ファンだったけど誰が好きと言ったら江夏、田淵と言っていた。でも1番思い入れがあるのは江夏だ。1−0の投手戦が好きになったのも江夏の影響だ。打たれたヒット1本がホームランで負けるなんて言うのは可哀想すぎるからこそ美しいのだ。江夏は三振をとってもホームランを打たれてもいつも美しかった。
山口組の竹中正組長から腕時計を貰ったのも男が男に惚れたからだ。竹中組長は山口組の中でももっとも過激な武闘派だった。何年か前にマンションで射殺された。そんな人が惚れ込んでしまうような男気のある男が江夏なのだ。でもやくざからそんなものを貰うのは良くないことなのだが。江夏のことを書くと止まらなくなるのでこの辺でやめよう。
バラッハス空港に着いたらトイレに行ってウンコをした。出すもの出さないと元気も出ない。タバコを吸って両替。荷物を持って出るとちょうどKさんがカートを押してこっちに来たところだった。1年ぶりの再会。荷物を車に入れて家へ。ビールを飲んで話。中崎君の所にTELしたらネット中。他からTELをして荷物を明日取りに行くので手配した。Kさんのネット状況を見せて貰って掲示板に書き込み。
朝起きてフラメンコのギタリストと飯食いながら話をした。彼は、月末にカジャオに引っ越しをする。それまではサロンがねぐら。でも、22日はバルセロナ、24日からはセビージャに行くのでほんの少しサロンにいればいいのだ。TELを沢山した。下山さんに24日の10時頃セビージャに着くと言うことと、22日はバルセロナに見に行くことを行った。22日は見終わって駅に着いたらTELを入れるだろう。結果報告。MさんにTELしてまた今年も闘牛を見に来たことを言ったら、「あたしも昨日日本から帰ってきたのよ」と言っていた。
須美さんにTEL。闘牛の会のカレンダーの小さいのを持っているというので明日会って貰うことにした。セビージャ行く前に取っておかないとセビージャで闘牛士に会ったときに渡せなくなる。三木田さんにTELしたら旦那が出て明日から仕事で北に行くそうだ。会えるのはセビージャから帰って来てからだ。
町中に行ってバルセロナ、セビージャの切符を買い、日用品を揃えて、サン・イシドロのアボノに唾をつけてきた。明日須美さんに会った帰りに寄ろうと思う。昼飯は日本料理屋に行った。途中で帰る人が須美さんだった。「明日ね」と言って帰っていった。後ろに座っている人がHP「スペインファン」の制作者だった。なんだか狭いね。
4月20日(金)
今日は朝早く目が覚めた。ミルクをレンジに入れて暖めて砂糖を入れて飲みながらタバコ。ハイライトがうまい。Kさんの子供たちはTVを観ながら朝食。それから部屋の中で動かない自転車を20分くらいこいで汗を流した。カロリー消費は200くらい。汗が引いてからシャワーを浴びて、朝食はたくあんのお茶漬け。コーヒーを飲んでウンコ。
それから出かけた。両替をしてから須美さんとの待ち合わせ場所へ。30分遅れて来た。「御免」と言って入ってきた。よく見ると番長も一緒に来た。番長が骨折した話をして闘牛のことを話した。15日セビージャのホセ・トマスが出た日はダフ屋が6万ペセタの値段をつけたらしい。凄いことだ。番長は6万出すんだったら3000ptsの闘牛を20回観た方が良いと言い、須美さんは20回観るのも疲れると言った。
サン・イシドロのアボノも凄い状況になっているようだ。今年は大きな祭りにホセ・トマスが出るので本当の闘牛ファンはこぞって押し掛けるだろう。それでも、セビージャ、マドリード以外はそんなに法外な値段が付くことはないように思う。この二つの大きな祭りは兎に角大変なことになりそうだ。それだけ期待も大きいし、ホセ・トマスという闘牛士は本当にはずれがないから凄い。
30日のセビージャの切符を須美さんは頼まれたそうだが、どこでも法外な値段を言われて日にちをづらして行くことにしたらしい。「初めて観る人にホセ・トマスは勿体ない」と言っていた。10人単位でお客を連れていくのだからしんどいよなぁ。去年まゆみさんもそれで苦労していた。どこでも良いと思って連れていっても席が悪いとか色々言われるのだろう。切符を取ることがどんなに大変か知らないから勝手なことばかり言うんだよなきっと。闘牛の勉強せずに見に来たってなかなか分からないだろうし、感動することもないのかも知れないけど。
須美さんが言うには、今年はフィニートが良いという。去年も良かったでしょうと聞くと、去年よりもっと良いと言うことだ。闘牛の会のカレンダーは今年がアベジャンだったが須美さんはモランテを押して、でも、みんなから反対されたそうだ。アベジャンのサン・イシドロが凄かったからだ。足立さんは須美さんにアベジャンを押したと言っていた。闘牛の会でアベジャンのビデオを流した印象が強烈だったからだろう。
ホセ・トマスは言うことなし。ホセリートはやる気ないと言っていた。多分、この前のウニコ・エスパーダの事だろう。ポンセは、と聞くと「問題外」と横を向いて言った。ポンセファンの須美さんが言うのだから説得力がある。思わず笑ってしまった。楽しい昼食を取った後、カジャオのFさんの所に寄った。中崎君はいなかったようだ。時間を潰してサン・イシドロのアボノを買って帰ってきた。年々アボノの席も悪いところになってきた。でも、観れるだけでも幸せだと思わなきゃダメだ。
帰ってきて、くまさんの所の掲示板に書き込みをしてTEL。今日来るように誘われたがもう戻ってきたので考えた。飯を食ったら腹一杯で動けない。お腹が苦しい。23日に行くことを告げて切った。下山さんの所にTELしてセビージャの切符のことを聞いたら去年と同じ状況でしょうと言っていた。多分あそこで買えるでしょうと。そうかもしれない。須美さんルートと僕らのルートでは違うだろうから。
下山さんは、22日のバルセロナに来ると言っていた。電車の切符を買ったらTELを入れて貰うことにした。フィニート、ホセ・トマス、フリ。サルドゥエンド牧場。どう考えても良いカルテルだ。明日はボーとして過ごそうかな。夜はバルセロナ行きの電車に乗るのだから。
それから今年はサン・イシドロにホセ・トマスが出るので、レガネス、ビスタレグレ、には出ないだろうと言うことだ。それと5月15,16日にやるタラベラ・デ・ラ・レイナの闘牛には、ホセリート、ホセ・トマスは出ないことになった。これでマドリードから動かないで闘牛が観れる。後は、アランフェスにホセ・トマスが出るかどうか。コルドバにはおそらく出ないだろうからグラナダに行くくらいだろう。トレド、アビラ、には出るなら行くけど。今年はブルゴスには行かないだろう。
今、下山さんからTELがあって「明日どんな方法を使ってもバルセロナへは行けないので諦める」と言うことだった。残念。
4月21日(土)
去年はマドリードに着いて直ぐにセビージャに行って生活の準備が出来ないままに闘牛が始まった。それも良いのだがやっぱり生活の準備をしてから始めた方が余裕が生まれる。昼寝をして夕食のカレーを作っている。飯を食ったらチャマルティンに行く。
4月23日(月)
朝チャマルティンに着いた。マドリードの朝は未だ風が寒い。7時到着なので日は未だ出ていない。駅で朝食を取りメトロで帰ってきた。22日のバルセロナの観戦記を取りあえず先に書き終えてアップした。chicaさんにTELした。夜にくまさんの所に行ってくる。
昨日は、朝バルセロナに着いて朝食を駅で取り闘牛場へ行った。ソンブラからソルまでのテンディドが全て売り切れだった。残っているのはグラダとアンダナーダだけ。ダフ屋に聞くとソルの3列目を持っていた。もうなんか気力がなくて値切らなかった。1万で購入した。去年より高くなっている。今日のチラシを貰おうとしたらなかった。仕方なしにポスターに書いているTEL番号を書いた。バルセロナは予約が出来るようなので・・・。
それから、カタルーニャ広場のコルテに行ってカメラの電池を買おうとしたら日曜で閉まっていた。途中でポジ・フィルもをマドリードに置いてきたことに気づきそれも買わなければならなくなった。向かいのFNACに行くとそこもカメラ関係の所は閉まっていた。本屋の人に聞くとVIPSにポジ・フィルムがあるというので行った。確かにあった。ありがたいことだ。しかし、予定していた以上にお金がかかった。思わぬ出費に多めに金を持ってきて良かったと思った。
それから、サグラダ・ファミリアに行くと去年と同じくマラソン大会をやっていた。寒いので日当たりの良いベンチで風太郎を読む。人が一杯いるので安心だ。アラブ人はいない。腹が減ったので近くのレストランで昼食取る。思ったより美味かった。それからサンツ駅に戻りカフェテリアで風太郎の続きを読む。17時前に闘牛場に向かう。闘牛場の前は人で一杯だった。中は未だ席に着いている人は少なかった。ソルなので暑いが、曇ると風が吹き寒い。この時期はソルの方が暖かい。俺は夏でもソルだけど。日本人観光客も何組か来ていた。
眠くなって昼寝をし夜は人と会った。くまさんたちと会って今帰ってきた。時計は2時になろうとしている。明日は8時のAVEでセビージャに行く。寝ないといけないけど目覚ましがない。何とかなるか。22日セビージャではメンドーサが耳4枚切ってプエルタ・デル・プリンシペをした。さぁ、寝ないいと。
4月24日(火)
闘牛を観てきて飯を食ったら眠い。今日の朝は、目覚ましがなくてもAVEに間に合った。セビージャに着いて下山さんと会い切符を買いに行った。予想に反して非常に厳しい状況だった。しかし、ここ何年かセビージャに来ているので焦りはない。どうすればいいか判っているからだ。切符はホセ・トマスが出る日以外はほぼ何とかなる。問題は、エル・フリの日じゃなくホセ・トマスの日だった。
去年までは、セビージャでもエル・フリが出るとダフ屋の値段が吊り上がったが、今年はホセ・トマスの日がもう切符は売り切れになっている。公営ダフ屋にもない状態だ。だが、ダフ屋値段は思ったほど高くない。これならホセ・トマスもちゃんと観れそうだ。下山さんは元気そうだ。
セビージャは曇っていて寒い。闘牛も寒い内容だった。今日のことも昨日のことも後からにしよう。
4月25日(水)
朝、起きてシャワーを浴びる。セビージャも寒い。下山さんはプールにリハビリに行っている。ウーゴが付きまとって寂しがっている。もう1人日本から来た住人は未だ寝ている。まゆみさんはコルドバに遠征に来ているサッカーの日本代表の通訳などの仕事に行っている。選手は良いんだけど周りの人が・・・、と下山さんにTELを入れてきた。周りの人って協会の人のことなんだろうか。代表の試合は観ずにセビージャで闘牛を観る。
下山さんが帰ってきたら買い出しに行ってそれからダフ屋と交渉をしに行く。昨日の親父がいれば交渉は成立するだろう。
23日に、くまさん、josemiさん、chicaさん、とあそこに泊まっている人と飲みに行った。マドリードは年々治安が悪くなっているようだ。未だ、メトロではアラブ人の危なそうな奴には遭遇していないが、信号待ちする時は、必ず後ろを見て立っている。そうしないと目を付けられたら危ないからだ。歩くときは50mしたら後ろを振り向いて付けられていないか確認している。未だ、危ない目にはあっていないが、そうなったときに痛い目に会うのはこっちなのだからそうなったら遅いのだ。充分気を付けているに越したことはない。
飲みに行ったときもその話題になった。泊まっている人にバッグを持たないで出歩くようにくまさんが注意してもなかなか言うことを聞かない人がいるようだ。でも、痛い目にあってからじゃ遅いのになぁ。ソルには不法移民と思われる人たちが沢山たむろしている。須美さんでさえ、ソルは走って通りすぎているそうだ。
4月27日(金)
25日闘牛場へ行こうとバスに乗ったらスペイン人のおばちゃんが日本対スペインのサッカーのことを言っていた。その日TVEで中継放送をしていた。闘牛を見終わってから前半途中からTVを観て後半は飯を作っていたので観ていないが守り一辺倒の試合を日本はやった。スペインでは日本のことを良くやったように書いているようだがスペインチームはぼろくそ書かれている。川口だけが目立った試合だ。どうも俺が観ると中田が良くない。
昨日は闘牛が終わってからまゆみさんの運転する車で外に飯を食いに行った。薪で肉を焼いて食べる店で、リベラ・オルドニェスなども来るところらしい。肉は牛肉。スペインでは狂牛病を恐れて牛肉の売り上げが落ちているらしいがこの店は、その影響がないと言うことだった。セビージャからちょっと離れた所にあるけど週末になると予約を入れていないと入れないようだ。塩をかけて焼いて、ソースで食べる。それだけなのだが肉の素材が良いから美味しいのだ。
4人で行って腹一杯食べて12000pts。安い。日本じゃいくらするか見当がつかない。
帰ってきたらもう眠くなって日記と観戦記は後にした。今日は闘牛の会の林さんとchicaさんたちと会って一緒に闘牛を観る。
それから今週発売された 6TOROS6 は創刊10周年記念の特集号。91年から今までの記録、記事をまとめている。是非買って欲しい。表紙は、耳を持ったホセ・トマス。
4月28日(土)
朝起きて朝食を取りに闘牛場近くに行った。キオスクで 6TOROS6 を買ったのに店に忘れてきた。それから、今日の闘牛を観たいと急に下山さんの所に泊まっているK君が言い出して探し回った。闘牛場のダフ屋からグラダを手に入れた。今まで聞いた中で1番安かったのでお買い得。
昨日は、闘牛を見終わった後、林さん、chicaさんたちと1杯やって下山さんの所にTELを入れたが通じなくて、夕食を食べるのを待っていて迷惑をかけた。まゆみさんも闘牛場の前で1時間も待っていてくれたそうで拙いことをした。今日はまゆみさんは休みで、車で朝食に行ったり昼食にも連れてって貰った。下山さんは今昼寝をしている。17時過ぎになったら闘牛場に向かう。今日はまゆみさんが送ってくれるそうだ。
30日の切符は未だ手に入れていない。明日、もう1度ダフ屋の所に行って交渉しようかな。どうなるか。値段次第。今日はTVで闘牛中継しないので、chicaさんの友達が持っている8ミリビデオでホセリート、ホセ・トマスを撮ろうと思っている。良い闘牛になればいいのだか。
4月30日(月)
今日の0時おもってセビージャはフェリアが始まった。そのせいか、闘牛が終わってタクシーを拾うのが難しくなってきた。バスも、いつも来るところまでは22時までになって町中では一般車両が交通規制を受けて入れないところがあるようだ。朝、闘牛場に行って今日の切符を手に入れてきた。2枚が1万で、1枚が1.4万だった。どちらも、ソルのグラダ。高いがホセ・トマス、モランテでファン・ペドロ・ドメク牧場なら安いかも知れない。
ともあれ、手に入れたので良しとしよう。TVでは今日ホセ・トマスがプエルタ・デル・プリンシペをすると3回連続になる。これはセビージャのレアル・マエストランサ闘牛場始まって以来の歴史的な記録になると言っている。剣さえ失敗なければ出来るような気がする。
最近闘牛場に切符を買いに行ったり来たりして疲れている。下山さんは風邪も引いて調子が悪い。今日はプールのリハビリには行かずに家で休んでいる。今日のグラダの切符じゃ疲れるからTVで闘牛を観る。録画をして貰って僕らは17時過ぎに闘牛場へ向かう。
昨日の観戦記は、後からにする。今日の観戦記を先になく事になるだろう。帰ってきてから。
5月1日(火)
闘牛場で切符を買った後、ヌエボ広場でバスを待ていたとき、隣のおばちゃんが列の最初の方に後から来た人が沢山人が並んでるのを観て怒っていた。しかし、待っていたバスが来たら列は二つに分かれた。一つはバスに乗る人の列、もう一つは次のバスに乗る人がバス停の席に座ってホッとしてニコニコしている列。割り込みだと思った人たちは実は次の次のバスに乗る間座って待っていようというしていただけだったのだ。
あのニコニコした笑顔を観ているとここに住むスペイン人と日本人とは、人間が根本的に違うのだと言うことが判る。悲しいかな日本人。
昨日の朝はとても寒かった。昼には暑くなったが、家に帰って来て飯を食ってシャワーを浴びて庭でタバコを吸っていると遠くで雷の音が聞こえた。とても寒いなったのでタバコは1本しか吸わなかった。闘牛場に向かうバスの中で空からポツポツ落ちてきた。闘牛場で林さんと待ち合わせ。ちょっとダフ屋が今いくらくらいで売ってるか聞いてくるからと言って回りを歩いたが、ダフ屋がいない。もう切符は売れてしまったようだった。今日は混むから早く入ろうと言うことになって18時過ぎには中に入った。
席に着いたら風の強いこと。そうこうするうちに雨が降ってきてそれが雹に替わった。あまりの寒さに下の通路に行って風をよけた。外は土砂降りに変わっていた。僕は出来ないような気がしたし、むしろやらない方が良いと思った。風も強いし、アレナが雨で滑るので良い闘牛になりにくいからだ。結局30分遅れで始まったが、セビージャにも中止にした方が良いというお客さんはちゃんといた。彼らは闘牛をちゃんと判っている。
闘牛が始まったがアレナはやはり滑った。牛がパセの後滑って膝を着く。オルテガ・カノは初めから靴を脱いで靴下でカポーテを持って出てきた。その方が滑らないからだ。ホセ・トマスはコヒーダされるし、モランテは2人に付いていけるだけの経験不足か不満の残る内容だった。ファエナ自体は良かったが。寒くてトイレを我慢していたので近くの闘牛士が泊まっているホテルに行って用を足した。
ホテルの前にホセ・トマスの車が止まっていて、ペドロという担ぎ屋がいたので挨拶した。あいつ俺のことをちゃんと覚えていた。プエルタ・グランデの写真を送るって言ったのに送ってないじゃないか、と言われた。笑ってやり過ごして、ホセ・トマスのことを聞いた。サグラダ・コラソンに入院した。軽傷で5月12日バジャドリードから復帰出来ると言うことだった。一安心。やっぱり今日は闘牛をすべきでなかったと思った。
28日に5人で闘牛を観たとき、隣に座ったchicaさんがホセ・トマスの時に何度も「アッ」と声を上げていた。あまりに角が近くを通るのと牛の体が触れてホセ・トマスの体が揺れるのでビックリして声を上げていた。その後に「凄い」と言った。俺はビデオを撮っているので声を出さないでいる。下山さんも声を出さないで観ていた。終わった後、グラダで観ていたK君が、「ホセ・トマスは真ん中に立っているのに牛が通りすぎるときはホセ・トマスに当たらないで綺麗に回りを牛が回って行くでしょう。全然動かないでしょう。凄いですよねぇ。」と、言っていた。
だから、クルサードのことなどを話した。K君に闘牛のことを教えていないのに役者なので体の動きなどを観てホセ・トマスの凄さが判ったようだ。彼はホセ・トマスを観て半泣き状態になっていたという。帰ってきて下山さんが去年のサン・イシドロのミゲル・アベジャンのビデオを流して見せた。「やあー、これ泣きますよ。斎藤さんが闘牛観て泣いたって言うの聞いたときは何なんだろうって思ってたけど、ビデオ観ても泣きますもん。その場にいたら凄かったでしょうね。これは魂ですよ。人生感じますもん。闘牛って本当に凄いですね。ハマリそうですよ」と、言っていた。
今日はホセリートの32回目の誕生日だ。
昨日の観戦記はこれから書いて完成させる。アップは今日の観戦記と一緒になるだろう。
天皇賞はオペラオーが優勝。2着がドトウ、3着トップロード。一馬がメールで観戦記を送ってくれるって言ってたけど未だ届いていない。超ハイペースで、3分16秒台は物足りないタイムだ。良とはいえ雨で馬場が渋っていたようだがタイムが遅くなればオペラオーのものだ。トップロードはもう勝てないだろうなきっと。
5月2日(水)
12時過ぎに起きて庭に出てタバコを吸う。ウーゴも庭に出てきた。庭の内側にある芝生で子供たちが遊んでいる。スプリンクラーで水をやりすぎて水浸しの所がある。子供たちはおもちゃを水に投げて入れて声を上げて喜んでいる。水の中に靴で入っても平気で靴が濡れることそのこと自体が楽しいのだ。母親に後で汚れたことを注意されても楽しかった遊びは記憶に刻まれる。
昨日の昼前にオレンジの木に巣を作っていた九官鳥の雛が巣立った。もう親鳥も、雛3匹も巣にはいなくなった。まゆみさんはしきりにもう巣立つからと3日くらい前から言っていた。まゆみさんはフェリアが始まってからハードワークで8時過ぎに家を出て帰ってくるのが22時頃。九官鳥の巣立ちを観れなかった。鳥はあっという間に巣立っていった。直ぐ近くなのに双眼鏡で巣を観ていた。今年2度目の巣立ちだという。
昼飯を食べに行くとカマレロが下山さんに「ホセ・トマスは凄いな。コヒーダされても痛そうな顔をしない。まぁ、闘牛士にとっての怪我は、牛に対する税金みたいなもんだから」と、言っていた。カマレロは下山さんの事を闘牛士であることを知っていて話しかけていたようだ。それにしても、スペイン人は気取ったことを言うもんだ。
昨日は夜に出かけていた下山さん、K君、まゆみさんが帰ってきてそれから夕食を取りに出かけた。その後、ホテルのカフェテリアでもう1人合流して飲んで話した。2時過ぎまで話していた。緊張感と楽しさのバランスが取れた時間を過ごした。 Suerte!
これからシャワーを浴びて闘牛に行く。寒くなきゃ良いけど。
5月3日(木)
昨日、闘牛が始まる前にエル・コルテ・イングレスに下山さんとK君と行った。K君が彼女に香水を買うためだ。色々香りをかいでいた。mangoの香水を買った。そのときコルテの女性店員が下山さんのことを知っていて、「アツヒロ」と名前を呼んでいてビックリした。勿論、その店員は下山さんが闘牛士だと言うことを判っているのだろう。mangoの香水はとても良い香りがした。でも、男を腑抜けにしそうな香りだ。
それから闘牛場に入るとき下山さんが切符を係員に渡すと、「Hola torero.
Que pasa.」と言って挨拶をしてきた。闘牛場から出てきたときもノビジェーロが挨拶に来た。
闘牛に行く前、TVでホセ・トマスが、インタビューに答えて、「プエルタ・デル・プリンシペを3回連続でやるよりも、プエルタ・デル・プリンシペ2回とプエルタ・デル・エンフェルメリア(こういう言い方をすることに感心し納得した)をしたことの方が上だと思う。この内容には大変満足している」と言っていたと下山さんが教えてくれた。僕はパソコンに向かっていたので観てないが。昨日サグラド・コラソンを退院した。
セビージャに来てミニコンポでエンヤのCDを聴いていたら下山さんが、これ良いですね、スペインでも売ってますか?と言っていた。一昨日昼食を取っているとき下山さんが、「野猿」のCDこっちでも売ってますか?と言うので、とんねるずってスペインでも売ってるのかなと思って聞いていたら、“野猿”じゃなくて、“エンヤ”のことだった。大笑いしてしまった。
昨日はボブ・ディランの『血の轍』(BLOOD ON THE TRACS)をかけていたら、これ誰ですか?と聞いてきた。ボブ・ディランです、と言うと、良いですね。と言っていた。このアルバムは個人的にはディランの最高傑作だと思っている。
もうひとつの世で 血を吐く苦労でくらしていたとき 黒さは良いことであり 道はどろんこだった わたしが荒野から 形のない生物から逃れてくると 「おはいり」と彼女がいった、「あんたに嵐からの隠れ場所をあげるから」 −−「嵐からの隠れ場所」より−−
素晴らしいラブソングが詰まっている。
俺もそろそろ始めよう。何を書くかは決まっている。どう書くか。闘牛をどう伝えるかだ。
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