−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年のスペイン滞在日記です。
1月14日(日)
土曜日の闘牛の会は非常に良い雰囲気の中で終わった。それは参加者が会話に参加したことだ。会は、ビデオによる「闘牛初観戦談」2つと「トレオ・コミコ」。
私が初めにやりたいと言って小橋さんの「ビデオによる闘牛初観戦談」から始まった。ビデオで牛の動きから注目し、赤い物に反応する所に目がいっていた。でもこれは誤解。話し終わった後そのことを指摘したらビックリしていた。牛が反応するのは動く物に対してだ。次に闘牛士の方に注目。声を出しながら牛を誘って牛を交わす。牛が段々体の近くを通すようにしているのは技術ではないかと、言うところに気付いたのは立派だ。こういうところはなかなか見ていても理解できない人がいる。ましてや闘牛を初めてビデオで観てこういう感想が出てくるところにセンスを感じた。
新鮮な気持ちで会で話す為に、前日の2日にビデオを観たそうだ。闘牛を初めてみたときのフレッシュさが出ていた良かった。(時間がないので続きは明日。)
13日マニサレスでパキート・ペルラサが、エル・パラシオ牧場のトゥレトンと言う牛でインドゥルトした。
13日の結果。 マニサレス(コロンビア)。フィニート、耳1枚。カバジェーロ、耳2枚。パキート・ペルラサ、耳2枚(インドゥルト)。 ケレタロ(メキシコ)。騎馬闘牛士、アンディー・カルタヘナ、耳なし。闘牛士、ホルヘ・グティエレス、耳なし。フリ、耳1枚。ヘロニモ、耳なし。
1月15日(月)
寒気団到来で、各地で大雪が降っている。長崎では13cm降った。東京は雪は降っていないが非常に寒い。寒くてチンチンが縮まってしまう。オー寒。
新生児誘拐事件の犯人は逮捕された。付き合っている男の子供に仕立てて男の気を引こうとして犯行に及んだ模様だ。情けない、身勝手な犯行。そんなことやっても男は、君のことを振り向きはしない。何故ならそれ自体に君の馬鹿さ加減が出ているじゃないか。そうやって今まで生きてきたこと自体が不思議だし、そういう女が生きていける日本という国が平和なんでしょうね。
エルサルバドルで地震があった。山が崩れて村が全滅してしまったところがあるようだ。スペインなどから救助隊が行って活動を始めたようだ。地震のための慈善闘牛は開催されるのだろうか。牛にコヒーダされて半身不随になっていたフリオ・ロブレスが死んだ。49歳だった。
1月16日(火)
14日午後、サラマンカで有名闘牛士のフリオ・ロブレスが死亡した。あの事故から10年が過ぎた。1990年フランスのベジエ闘牛場にフリオ・ロブレスは立っていた。牛が出てきてベロニカを右に左に何度かパセを繋いだ。そして、右側に行った牛を誘いベロニカをしようとしたときに事故が起きた。牛は、角と角の間の頭で勢い良く吹っ飛ばした。フリオ・ロブレスの体は回転してプロレスのバックドロップのように頭から落ちた。
みんなが助けに走ったが、首が曲がり胴体と尻が頭の上にある体勢を牛がまた襲った。人形のようにまた吹っ飛ばされた。ようやく助け起こされて医務室に行った。医師の診断は第5頸椎と第6頸椎の間の損傷が非道く、リハビリをしてももう闘牛士に戻ることは出来ないだろうと、言うものだった。丁度同じ時期に同じ様な怪我をしたフランスNO1闘牛士ニメーニョUがいた。
ニメーニョUは、ハードなリハビリをして車椅子生活は免れたが左手だけが動かなかった。フリオ・ロブレスもリハビリをしたが機能回復は思うようにいかず車椅子生活を強いられた。二人で卓球をしている写真が、ニメーニョUの特集号に載っていた。「闘牛より美しい物は何もない」と、言ったニメーニョUは、翌年(91年)11月に自宅のガレージで首吊り自殺をする。事故以来、懸命のリハビリを支えた、兄アランと、妻と幼い子供たちを残して。フランスのインテリは、「彼は闘牛場で牛に向かっていくのと同じように死に向かっていった」と、闘牛士のニメーニョUを讃え、その死を惜しんだ。ニメーニョUは、事故以来極度の躁鬱病を発症して、その鬱状態での自殺だった。
フリオ・ロブレスのリハビリ生活は惨めなものだった。南米の金持ちの娘と結婚していたが事故後、「私は看護婦じゃない」という有名な言葉を残して去っていった。ニメーニョUの様な環境でリハビリが出来なかったようだ。前記の卓球を二人でやっている写真でも車椅子に乗っていた。
僕は何度かフリオ・ロブレスにあったことがある。92年10月25日、マドリード、ラス・ベンタス闘牛場で彼を讃えるための闘牛が開催された。そのときにも見ているし、97年9月にフランスのバイヨンヌで車椅子で闘牛を観ていた。そのとき、ポンセが彼にブリンディースしたのを今でも覚えている。
彼はサラマンカで生まれたわけではないがサラマンカに住んでいたようだ。古典的な闘牛をしてアポデラードも同じだったオルテガ・カノと一緒に闘牛場に立つことが多かったようだ。14日メキシコでエル・フリは、死んだフリオ・ロブレスにブリンディース(牛を捧げた)して闘牛をした。
15日サラマンカの町は2万人の人がフリオ・ロブレスのために集まった。ラ・グロリエタ闘牛場には4千人の闘牛ファンが集まり、最後の場内一周の中、「トレロ、トレロ」の最後のコールが起きた。多くの闘牛士も駆けつけた。棺は、ポンセ、エル・ビティなどに担がれた。
列席者を少し書いておきたい。ホセリート、ホセ・トマス、ウセダ・レアル、マノロ・サンチェス、オスカル・イガレス、ミゲル・アベジャン、エウヘニオ・デ・モラ、フリオ・ノルテ、ホセ・ルイス・ラモス、ファン・ディエゴ、ハビエル・カスターニョ。エル・ビティ、ニーニョ・デ・ラ・カペア、オルテガ・カノ、エスパルタコ、パコ・カミノ、エル・リトリ、ホセ・マリア・マンサナレス、フランシスコ・エスプラ、ダマソ・ゴンサレス、ロベルト・ドミンゲス、パロモ・リナレス、ビクトリアノ・バレンシアなど。ダニエル・ルイス、ビクトリーノ・マルティンなどの牧場主、フェルナンド・フェルナンド・ロマン、ミゲル・アンヘル・モンチョリなどの闘牛中継担当者もいた。
下山さんはニュースを見て何を思っているのだろう。以前、ニメーニョUの兄アランが下山さんを訪ねてきて、「君は弟のようにならないでくれ」と言ったそうだ。
兎に角多くのファンと闘牛士、関係者によって葬式は行われた。今度の闘牛の会では、フリオ・ロブレスの闘牛のビデオを流そうと思う。問題のコヒーダシーンも入っている。
14日の結果。メキシコ。4万人の観客。オスカル・サン・ロマン、耳なし。エル・フリ、耳1枚。イグナシオ・ガリバイ、耳2枚。
1月17日(水)
あれから6年が立った。神戸では慰霊祭が行われた。両親と妹を震災でなくした女性がマイクに向かって語りかけていた。言葉は女のものだと何度も日記で書いてきた。あの女性の言葉には本当のことがあり、どんな苦境に対しても生きる勇気がある様な気がした。沖縄で米兵が女子中学生をレイプしたときも集会でみんなに訴えた16歳の少女の言葉も、物凄い力があった。
湾岸戦争から10年。オグリキャップの有馬記念の後、手術のために入院していた病院のTVで見た、インベンダーゲームのような世界に怒りを感じた。アングロサクソンの他人種への差別感からの戦争のような気がした。あれは無駄な戦争だった。戦争そのものが無駄なのだが。あの頃地下の売店に行って毎日一般の新聞を買って読んで午前中を過ごし、午後は本を読んでいた。病院ってどうしてあんなに本が読みにくいのだろうと思った。
これからNHKの地球に乾杯、「21世紀を描く・フランス・現代アート」を見る。ドリアン助川が出るのだ。火曜日に歯医者の帰りに買ってきたドリアン助川の『食べる』を読んでいる。初めが宮沢賢治の海胆(うに)についてだ。
闘牛の会のことは、延び延びになったついでに、また延びて明日あたりに書こう。
1月19日(金)
今日もまた残業。明日は馬券が買えそうなのでちらっと見たら、中山11R、京都の若駒Sが固そうだ。
闘牛の会の続き。ビデオによる「闘牛初観戦談」二つ目は、稲田さんがエル・カリファの2000年サン・イシドロの耳2枚をやった。昔闘牛を3回ぐらい観たそうだが全く記憶にないそうだ。隣の富田さんが言うには、あまりにショックが大きく記憶が消えたのではないかと言うことだ。稲田さんは正月に見たTVの宮本武蔵でどうも武蔵の顔がピンと来なかったという。エル・カリファの尋常じゃない顔の方がピッタリ来るそうだ。つまりビデオの中で牛を誘うときの顔が印象的だったそうだ。
僕が闘牛を見始めた頃、セサルが牛を誘うときに見せたあの顔は非常に印象的だった。気合い、気迫が顔に出ていた。馬だって競馬場で気合いを感じることが出来るし、牛だって闘牛場で気迫を感じることが出来る。同じだ。闘牛をやっているときの闘牛士の顔を馬鹿にしちゃ行けない。稲田さんは、闘牛士が牛を誘っているという重要なことに気づいていた。その象徴が顔なのだ。こういう風に関連づけて覚えていくと忘れないのだ。
それと、死生観の様なものを感じたようだ。死生観という言葉は使っていなかったが、儀式の中で行われる闘牛で尋常じゃない顔で血を流した牛と対峙する。今という時代だからこそ死をみんなに見せる闘牛によって、人間の中にある本質、本能が呼び覚まされることが出来るような気がする。大事な所を見ている。こういうことを忘れてはいけないのだ。屠殺とは基本的に違う、牛崇拝の宗教的、神話的世界がそこにある。牛は神なのだ。
アイヌの神様は熊だ。アイヌが熊を殺し解体して後で宗教的な儀式をする。解体した熊の肉をその熊の口の所に置いて食べさせる儀式をする。それはまた新たに生まれ変わって私たちの所に戻ってきて下さい、と言う再生の儀式なのだ。このように古来から人間は崇拝する神を殺す儀式がある。闘牛も同じ様なものなのだ。闘牛場で殺すためにだけその牛を生産する。闘牛がなければ牛の種はとっくになくなっていただろう。闘牛に関する根本的な事を改めて考えさせてくれた発表だった。この発表の後、みんなが会話に参加した。色々な話を交差して面白い意見も出て興味がわいた人が大勢いただろう。続きは後で。
ニーム(フランス)と、サン・セバスティアンの見習い闘牛のカルテルが発表になった。4月のアルル(フランス)も決まった。なかなか時間がない。近々書こう。
1月20日(土)
♪雪やコンコ あられやコンコ 降っては 降っては 未だ降り止まず 犬は喜び 庭駆け回り 猫は炬燵で丸くなる♪
外では雪が降っている。もうガキの頃のように嬉しくて外を飛び回っていられない。もう犬ではいられなくなった。年々猫に近くなってきた。この前の闘牛の会の帰りに井戸さんが、明日雪つもるね、もう楽しみ。と、言っていた。この間も積もったでしょう。と言うと、あたしの所は降らなかったのよ。と言っていた。残念ながら予報に反して翌日雪は降らなかった。井戸さん今頃喜んでいるだろう。
今日の京都競馬は降雪のため6R以降は月曜日に振り変わった。関東での発売はなし。今年2回目の中止だ。明日は場外で競馬をしよう。中山まで行く気にはなれない。
1月21日(日)
スペインから一時帰ってきた米ちゃんと場外馬券場に行って来た。Kさんに預けていたカメラを持ってきてくれた。一眼レフのマニュアル仕様のもので、初めて闘牛の写真を撮ったカメラだ。去年の6月にスペインから帰ってきたときもフィルムを持ってきてくれてるし今回もカメラを持ってきてくれた。ありがたいことだ。中山11Rのパドックを見ていると米ちゃんが2番と8番が良いと言う。僕にはその2頭がまず来ない馬に見えた。オッズを教えてあげた。その馬連で1500倍付く。100円で150万。500円の馬券しか売ってないから500円で来れば750万。
来るわけがないが、そう思うなら買ってきたら、と言った。結局買ってこなかったがレース直前になんか来そうな気がする、と言う。幻想だよ、と言うと、幻想?と、オーム返しに言った。レースは僕が本命に押したアメリカンボスが千切って圧勝した。ゴール板過ぎると幻想が消え、現実が見えるでしょう。と言うと、幻想だったんだ、と言っていた。でもそうやって何分間でも幻想が見れるのが競馬の楽しみでもあるのだ。幻想を見ているからみんな馬券を買い、外れては現実を知るのだ。馬を見るには訓練が必要なのだ。縦の比較と横の比較。縦の比較とはその馬の前走、前前走と今回の比較で、横の比較とは、このレースで一緒に走る馬との比較である。
米ちゃんとは、スペインの話やマンガ、本の話などをした。HPの話も出た。HP(主に日記)読んで僕に関心を持つのは判らないとと言ったら、関心を持つ気持ちが分かると言っていた。何故なんだろうかと思う。自己紹介を読んでも全然判らないと言われたときがあるけど、少なくても闘牛を知っていることが判ればそれで良いじゃないと思うんだけどなぁ。
家に帰ってきて一馬にTELした。北海道から東京に戻ってきた。道営競馬廃止が去年囁かれていたが5年間先延ばしされ、その間に建て直しするか、次の就職先を探しなさいよと言うものらしい。競馬の環境が厳しくなってきているのは、何も道営だけじゃない。中央競馬会も非常に厳しい。スーパーアイドルホースのオグリキャップなどがターフから消え、観客動員数、売り上げがここ何年か続けて前年割れを記録している。
競馬新聞の売り上げも落ちている。有馬記念の売り上げが900億行くかと思われていたのに、去年の有馬記念の売り上げは600億を切っている。当然リストラの嵐が新聞社を襲っているらしい。一馬もその渦中にいると嘆いていた。色々な話をしたがここで詳しく書くのは問題発言になるだろうから止めよう。かく言う俺も今日は競馬新聞買わなかったし、馬券も買わなかった。
メキシコで、ラファエル・オルテガがベルナルド・デ・キロス牧場の牛をインドゥルトした。
20日の結果。 メキシコ。騎馬闘牛士、パブロ・エルモソ・デ・メンドーサ、耳2枚。闘牛士、ソトルコ、耳2枚。ラファエル・オルテガ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ(インドゥルト)。エル・フリ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。
1月22日(月)
武豊が長期アメリカ遠征中だが、それを取りやめてフランスへ行くことになった。と言うのもモンジューを手掛けたジョン・ハモンド(イギリス人でフランスで厩舎を開いている)調教師などのヨーロッパでオファーがあったからだ。返事を直ぐ欲しいと言うことで、直ぐにOKを出したそうだ。今年は3月から10月まではヨーロッパ中心に騎乗するようだ。勿論、日本のG1には乗りこれはに来るようだ。契約はあえて専属契約をせずに自由に日本とヨーロッパを行き来できるようにした模様。これは物凄いことだ。僕は武豊が嫌いだが、良い結果を出して欲しいと思っている。ヨーロッパのG1を何勝も日本人がするなんて痛快だ。
TVで乙武君のドキュメンタリーをやっていた。彼は、500万部売った『五体不満足』から束縛されたくないと思ってスポーツライターをしているようだ。ある人が、「君は『五体不満足』を書かなかったらこんな仕事が出来なかっただろう」と言われたそうだ。そんなこと気にすることはない。単なる嫉妬なのだ。先輩TVキャスターは言う。「そんなねぇ、迷いとか何とか考えないで寧ろ『五体不満足』の乙武で良いじゃないか、もっとそれを押し出してやって行くくらい強かじゃないと」僕もそう思う。
21日の結果。 メキシコ。マリアノ・ラモス、耳なし。ラファエル・オルテガ、場内一周。カバジェーロ、耳1枚。エウヘニオ、強い喝采。 ボゴタ(コロンビア)。エル・コルドベス、罵声。エル・ヒノ、耳なし。エル・カリファ、耳1枚、耳2枚。左臀部に14cmの角傷を受ける。
1月23日(火)
今日の「プロジェクトX」は、ゴジラだった。映画のあるカット割りでせいぜい1分くらいしか使われなかった特撮が主役になる。コツコツとその技術を積み重ねてきた円谷英二を中心に80人のスタッフが集められた。怪獣の名前も決まっていなかった。撮影所の食堂で体がでかく豪快に笑っている男がゴリラのようで好きな食べ物がクジラの肉。名前は、ゴジラのゴとクジラのジラを繋げて「ゴジラ」になった。
撮影スタッフは素人に毛の生えたような人たちだった。カメラ担当者は今まで一度もメインカメラを廻したことがなかった。アングルは円谷が決めた。ゴジラの破壊する東京の町の模型を担当したのは、芸大を出て撮影所にいた24歳の男。クライマックスの銀座の町の模型制作のため設計図を借りようと出かけたが壊すと聞いて誰も貸してくれなかった。銀座に通い詰めて写真を撮り設計図を作った。
主役のゴジラの役者がいない。大部屋俳優でいつも切られ役で危ない仕事ばかりをしてきた男に目を付ける。顔も映らない、台詞もなかったが役者人生初めての主役を喜んで引き受ける。役作りは動物園に行ってゾウ、熊などの動きを見てゴジラの動きを自分で考えた。
ある時、ゴジラがつまずいて20日間かけて作った国会議事堂の模型をこらした。スタッフは慌てふためいた。円谷は嫌な顔をせずに指示を出した。カメラマンがフィルムを廻していなかった。円谷の怒鳴り声が撮影所に初めて響いた。「何でも俺がフォローすると思ったら大間違いだ。自分たちで責任を持って仕事しろ」スタッフはそれからプロになろうと心掛ける。
映画の主役が特撮。円谷の夢を掛けた映画が完成する。昭和29年11月3日上映。映画館は満員だった。始まって40分子供は退屈し、大人はあちこちを見て落ち着かない。が、ゴジラが登場すると観客の興奮と驚きで館内が満ちた。映画とは観客の反応があって初めて完成する。『ゴジラ』は大成功をする。900万人が映画館に来て、アメリカでの興行は200万ドルを記録した。
この時、円谷英二52歳。後に円谷プロを作り、TVに殴り込みをかける。『ウルトラQ』も、『ウルトラマン』などもゴジラの成功があって出来た。スティーブン・スピルバーグは後に言った。「円谷英二さんがいなかったら今の特撮技術はなかっただろう」と。良い仕事とは後世に残るものだ。ゴジラのぬいぐるみが当時100キロあったのには驚いた。撮影は暑い盛りの8月。中は60度あったそうだ。円谷を初めスタッフを動かしたのは情熱以外何者もない。そして基本的な技術や細部にわたる努力をまとめ上げる強力な指導者(円谷)がいなかったら映画は形にならなかっただろう。
そう言えば米ちゃんが言っていた。スペインにいて斎藤さんのHP読んでいると『プロジェクトX』を見たくなると。今日は上手く書けただろうか。この番組は綿密な取材をやっているから面白いのだ。来週は、女子ソフトボールだ。
21日結果。 グアダラハラ(メキシコ)。ソトルコ、耳1枚、耳1枚ともう1枚要求。フリ、耳2枚。アントニオ・ブリシオ、耳なし。 バレンシア(ベネズエラ)。フィニート、耳なし。モランテ、耳1枚。オットー・ロドリゲス、耳なし。
1月24日(水)
ヨーロッパ、スペインでは再び狂牛病の牛が発見されて問題になっている。CNNが伝えるところによると、闘牛用の牛も例外ではなく、食肉として出荷が出来なくなる模様だ。これは、安全かどうかの検査態勢が確立しておらず、安全が確認できないためだ。もし肉が出荷できないようになれば、闘牛産業全体の10%の売り上げがある食肉は、牧場主にとっては大打撃になる模様。政府に対して保証を求めている。
闘牛用の牛は、ちゃんとした育て方をしていれば問題がないと思う。そう言う育て方をしていない牧場主がいるとすれば問題だが。
1月25日(木)
雨が降っている。これから2,3日続くようだ。あさっての朝には雪になるようなことを言っていた。
残念だが、バレンシアの火祭りには、ホセリート、ホセ・トマスは今年も出ないことが正式に興行主から発表された。何と言うことだろう。理由はTV放映における肖像権を主張して、TV局に闘牛士にお金を払うように言っているため。これで2年連続してTV中継を拒否したことになる。
1月26日(金)
『もののけ姫』をTVで見た。獅子神様は生と死を司る。神話世界の大道を行く話だ。生とは死があって成立する。そのことがこの話にも織り込まれていた。
明日は雪が降る。寒気団は未だ去らず。アメリカの景気に不安が出てドル安円高になっている。
23日にメキシコの有名闘牛士、クーロ・リベラが梗塞で死んだ。恐らく心筋梗塞だろう。引退していて去年の6月に復帰宣言をしてメキシコの闘牛場に出場していたが突然死んだ模様。
25日の結果。 サン・クリストバル(ベネズエラ)。闘牛開始前に、フリオ・ロブレスとクーロ・リベラに1分間の黙祷が捧げられた。フィニート、耳1枚。レオナルド・ベニテス、耳2枚。モランテ、耳1枚。
1月27日(土)
夜半からの雪は大雪になった。朝コンビニから出てきた親子連れの子供が、「こんなに積もちゃって」と、嬉しそうな声をあげていた。約10cm積もった。交通機関もダイヤが一時乱れた。高速は閉鎖されているところがある。今日から競馬は東京競馬場に変わったが、第1回東京初日は降雪のために中止。月曜日に代替開催される。明日も中止になり、火曜日に代替開催されることになった。
昨日山手線で起きた死亡事故は考えさせられた。ホームから落ちた人を助けようとカメラマンと韓国人留学生が線路におりホームに上げようとしているときに電車入ってきてブレーキをかけかが間に合わずほぼ即死状態だったそうだ。自らの命を省みずに見ず知らずの人の命を助けようとする気持ちは現代の日本人が忘れかけている事を思い起こさせたのだと思う。これは人間愛の成せることだ。
カメラマンは普段から老人に手を貸したりして優しい気持ちの人だったそうだ。こういう人が長生きできない日本という国が何とも皮肉だ。韓国人留学生も気持ちの優しい人だったようだ。得意のパソコンでお気に入りのCDを作って友人に配ったりして、そう言うバイトを日本でしていた。バイト先の人もカメラマンの時と同じ様なことを言っていた。
見ず知らずの酔っぱらいが目の前でホームから転落したのを見て黙っていられなかった二人。転落した酔っぱらいがどういう人なのかは知らない。が、もし、そのことに関わらなかったら二人は未だ生きていたのだ。小説を書くとすれば、酔っぱらいを愚図な人に書き、二人を小市民だが気持ちの優しい、正義感のある人に描くだろう。全く違った三つの人生。その人生が新大久保の駅のホームで出会う。タイトルは、『新大久保のホームで三人死亡』などと言うシンプルな方が良いだろう。この事故は長く語り続けていかなければならない話だから。
26日マドリードの Colegio Mayor Universitario de San Pablo で、セサル・リンコンが “ドン・ルイス・マサンティニ賞” を受賞した。受賞理由は、闘牛士として、純粋、完璧、驚異的なプロ闘牛士の道のりに対して送られた。良く判らない賞だが僕は嬉しい。
ホセリートが、3月4日にビスタアレグレ(マドリード)でウニコ・エスパーダをする。牧場は未だ決まっていない。
26日の結果。 メデジン(コロンビア)。フェスティバル闘牛。セサル・カマチョ、場内一周。カバジェーロ、耳1枚。ディナスティア、耳なし。ビクトル・プエルト、耳2枚。エル・カリファ、耳2枚。ウセダ・レアル、耳なし。 サン・クリストバル(ベネズエラ)。エル・コルドベス、罵声、口笛。オットー・ロドリゲス、耳なし。ファン・バウティスタ、口笛。
1月28日(日)
26日インドで地震があって7000人以上が死亡。最終的に死者は10000人を越えるだろうと言われている。大変な数だ。
昨日の雪で400人以上の人が怪我をし、5人が転落などで死亡した。
20日に28歳のクリスティーナ・サンチェスが、無事男の子を出産した。身長52cm、体重3620グラム。
27日の結果。 メデジン(コロンビア)。カバジェーロ、耳なし。ウセダ・レアル、耳なし。パキート・ペルラサ、場内一周。
1月29日(月)
新大久保で死んだ二人の葬儀が行われ、李秀賢さん葬儀には森首相などが駆け付け、金大中大統領から電報が届いた。彼の作っていたHPには1日で25万件以上のアクセスがあり、掲示板には韓国人、日本人の多くの書き込みが分刻みで増えている。
28日の結果。 メキシコ。エロイ・カバソス、フリ、アントニオ・ブリシオ、耳なし。闘牛の最後に死んだクーロ・リベラの為に、息子が場内一周が「トレロ」コールの中で行われた。 メデジン(コロンビア)。ディナスィア、耳2枚、耳1枚。オチョア、ハビエル・デ・ラ・クルス、耳なし。 サン・クリストバル(ベネズエラ)。騎馬闘牛士、ホセ・ルイス・ロドリゲス、警告3つ。闘牛士、レオナルド・ベニテス、耳なし。ビクトル・プエルト、耳1枚が2回。アベジャン、耳なし。 アハルビル(マドリード)。ミゲル・マルティン、アルベルト・ラミレス、ゴメス・エスコリアル、耳2枚。
1月30日(火)
今日の「プロジェクトX」は、女子ソフトボール。シドニーで銀メダルを取った宇津木妙子監督のソフトボールに賭ける情熱がヒシヒシと伝わった。1分間に40本のノックを1時間も2時間も続けて徹底的に守備を鍛えた。監督になって体重が10キロ減ったそうだ。日本の女子スポーツは東洋の魔女に代表されるように男の監督が主流だ。マラソンの高橋尚子も、男の監督だ。何故かその方が成績が良かった。結果が出たのだ。
選手たちも初めは反発した。だが、毎日走る10キロ走を選手に遅れながら最後まで走る監督の姿を見て何も言わなくなった。選手時代は日本代表の主将。物凄い打球の早さで遠征先の中国で野手が逃げ出したのだそうだ。それを見ていたソフトボールを始めたばかりの15歳の少女が24歳の時中国代表の主将になり、シドニー大会の時日本代表の4番を打つ、宇津木麗華だ。
彼女もまた、尊敬する人の基で好きなソフトに情熱と人生を賭けた人だった。女性選手を男性監督がまとめるのではなく、女性選手を女性監督がまとめる女の戦いに野球以上に日本人が熱狂したのはその試合の熱気がTV画面から伝わってきたからだ。緊張感ある投手戦はホントに見応えあった。宇津木監督は次回のオリンピック目指して日本チームをさらに強化すべくバットを握っている。この女たちの戦いをワクワクしつつ見守りたいと思った。
28日の結果。 ボゴタ(コロンビア)。ネルソン・セグラ、耳なし。太股の筋肉に長さ15cmの角傷を受ける。3ヶ月の安静。モランテ、耳なし。陰嚢の基に長さ8cmの角傷を受ける。うめき苦しむ、凄い痛み。2週間の安静。ファン・バウティスタ、場内一周、耳1枚。
2月3,4日のボゴタは、モランテに代わりフィニートが出場することになった。モランテは、セビージャには、3回出場すると言っていた。それまでには勿論治るだろうが、その後も怪我に気を付けて貰いたい。
1月31日(水)
月、火と東京競馬場で競馬が開催された。スティンガーは斤量58キロが響いて3着惨敗した。マックスビューティーも58キロで負けていたのでやっぱりという感想だ。ペリエをしてもスティンガー58キロを勝たせることが出来なかった。今週、岡部幸雄は3勝しJRA通算2703勝目だ。岡部が勝てば、それは前人未踏のJRA記録。
昨日東京競馬場、9R、セントポーリア賞で落馬事故が起きた。マチカネニジノハシが逃げて4コーナー付近で故障を発症し転倒。乗っていた和田竜二騎手は内ラチに激突。左鎖骨骨折、背部打撲、顔面挫傷で2ヶ月の怪我を負った。馬は、右第3中手骨開放骨折で予後不良(治る見込みがないため薬殺された)。後方を走っていた2頭が巻き添えをくった。ビンゴウピリカに乗っていたハリソン騎手はマチカネニジノハシに接触、落馬、脳震盪を起こし、鼻骨骨折。馬は左肩破行。ケイアイペガサスに乗っていた小林淳騎手も落馬したが馬と共に異常はなかった。
和田竜二騎手は、テイエムオペラオーの主戦騎手。オペラオーの復帰戦は4月1日の産経大阪杯の予定だがそれまでには治るだろう。競馬も闘牛を一緒で命懸けだ。復帰して怖がる騎手が多いが和田騎手はどうなるのだろう。オペラオーに乗るとそんなことも考えなくて良いだろう。
今度の日曜日は東京競馬場に行く。共同通信杯に渡辺栄厩舎のジャングルポケットに角田が乗って出てくる。フジキセキ以来の牡馬のクラシック候補。どんな体をしているのか楽しみだ。
この前の日曜日、女子マラソンに新星が誕生した。良い走りぷりだったようだ。初マラソンの世界新記録を出した渋井選手はヒシアマゾンの様な馬っぷりじゃなく、力強い走りぷっりだったようだ。山口選手のような感じなのだろうか。相撲は貴の花が全勝優勝し、曙が翌日引退。サッカーは日本代表候補45人が発表され、アントラーズから鈴木、小笠原、熊谷が新たに選ばれた。トルシエは正しい選択をした。
バレンシアの火祭りのカルテルが発表された。エル・カリファ、アベジャン、ビセンテ・バレラが1回しか出ない。ポンセ、フリが2回出る。
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