断腸亭日常日記 2000年、その11

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年のスペイン滞在日記です。

99年1月13日〜2月16日 2月19日〜4月14日 4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日
6月7日〜6月10日 6月13日〜7月9日 7月11日〜8月8日 8月9日〜9月9日
9月12日〜10月7日 10月10日〜11月10日 11月14日〜11月28日 12月12日〜12月31日
2000年1月1日〜15日 1月16日〜1月31日 2月1日〜2月28日 3月2日〜3月29日
4月2日〜4月19日 4月20日〜4月29日 5月1日〜5月14日 5月15日〜5月31日
6月1日〜6月15日 6月16日〜6月29日

 6月30日(金)

 無事日本に到着。トイレに行きウンコをして飛行機の中で溜まっていたものを出す。12時間降りのタバコも美味しかった。会社と家にTELした。月曜日から仕事。明日明後日は、東京競馬場に行って馬達を見てくる。多分パドックで嗅ぐ馬糞の匂いが懐かしいだろう。

 家に着いたら部屋がグチャグチャなので明日の午前中は掃除だ。撮ってきたビデオを見ている。やっぱり凄い。


 7月1日(土)

 久しぶりに競馬場に行って来た。米ちゃんに預けていたフィルムの半分を持ってきて貰った。明日また残りの半分を持ってきて貰うことになっている。競馬は地方開催の代替なのであまり面白いレースがなかった。米ちゃんは初めての競馬だと言うことなので色々説明したが闘牛ほど熱が入らない。

 明日は、重賞があるのでもう少し面白いレースが見れるだろう。明日は馬券も買うかも知れない。でも、2ヶ月ぶりなのでどうせ当たらないだろう。だから買うにしても金額は少ないだろう。

 競馬の予想もせずに、部屋に帰ってきて闘牛のビデオを見ている。アベジャンのラス・ベンタスはやっぱり凄い。何度見ても凄い。エル・カリファもなかなかだ。25日アリカンテで耳2枚取ってプエルタ・グランデしたが、剣刺しの時に右手を刺された。ラス・ベンタスの時と同じ所だ。またしばらく休むだろう。パセは、ラス・ベンタスと同じだった。彼はもうフィグラだ。今後、同じ様なパセをしていれば大丈夫だろう。

 昨日はアルヘシラスでホセリートがプエルタ・グランデだった。ホセ・トマスは耳は取れなかった。フリは何か書いていたが忘れた。スペインを発つ日に買ってきた、パストラ・ソレルのCDを聴いている。3曲目の、『DA`MELO YA』 を聞いている。良い曲だ。この曲は、下山さんから教えて貰った曲だ。

 もう今年も半分が過ぎた。その半分以上は仕事をして2ヶ月ちょっとはスペインに行っていた。残りの半分は仕事をする。暇を見てスペイン語をもっと勉強しないと。それと書く。


 7月2日(日)

 昨日は蒸し暑かったが今日は競馬場に着いたら一雨降った後だった。風があり涼しかった。競馬は牝馬に乗った中館が逃げ残って万馬券になった。米ちゃんが凄いことと聞くので、これは大変なことだと、説明した。こういう逃げを牡馬相手にしかも東京で出来るのが凄いことだ。秋が楽しみな牝馬だ。

 競馬が終わって、競馬の話をした。南井騎手の話や、オグリキャップなど、そして、ガンに罹った競馬ファンの老人の話。盲目の馬券師の話。競馬の話は尽きないがこれらは取って置きの話だ。競馬も闘牛と同じように面白い。日本では、競馬。スペインでは闘牛。

 乗換駅のホームは、霧のような雨が風に吹かれて待っている人達の体を濡らす。駅についても雨は上がらず寧ろ強くなっていたので雨宿りをして帰ってきた。

 アベジャンのビデオは何度見ても胸が苦しくなる。痛くなる。改めてあの日、自分が見た闘牛がどんなに素晴らしいものだったかが判る。


 7月3日(月)

 初出勤は眠いものだった。まだ時差ボケもあるのかも知れない。今日の明日、また明日も眠いのだろうなあ。思い出したが、代える前の日エドゥーとあったときに、「昨日大発見があった。コンピューターの発見と同じくらい重要なこと」 と言っていたのは、人間のゲノムが解明されたと、言うものだった。クリントン大統領がそれを発表したとエドゥーが言っていた。

 人間のゲノムとは、46ある染色体のDNAの塩基配列が全て分かったと言うことだ。これは、非常に重要な発見で、この事により病気や人間の肉体の解明がドンドン始まっていくことだろう。科学が悪用されなければいいのだが。しかし、ここ5,6年の内に色々なことが判ってくるだろう。

 21世紀は、ゲノムが解明されたことによって20世紀では考えられなかったことが当たり前になっていくだろう。ただ無茶苦茶な遺伝子操作は人間自身を危うくするだけだ。その事を理解していないと大変なことになる。


 7月4日(火)

 たった1人の思いがみんなの気持ちを動かしていく。NHK、「プロジェクトX」〜挑戦者たち〜 『海のかなたの甲子園』 は、沖縄の高校野球甲子園初勝利にまつわる話だった。昭和29年、戦後間もない廃墟に近い沖縄で福原朝悦さんは、地元沖縄の大学を卒業して教師として赴任した首里高校で監督を始める。艦砲射撃の跡が残るグランドにバットを手に立って元気のない選手達に、下を見るな、上を見ろ。弱虫になるなと、言って野球を教える。

 昭和30年本土から甲子園常連校、鹿児島商業が親善試合にやってくる。選抜チームを組んだ沖縄は0−17と完敗する。選手達は負けて当然だろうと言うように思っていた。福原は悔しかった。どうやったら強くなれるのか。親善試合の懇親会で同じ思いを持つ他校の教師、佐敷興勇さんに会う。2人はどうしたら沖縄が強くなるかを何度も何度も話し合った。沖縄に昭和31年2月高野連を作り、佐敷興勇さんの家が事務所になった。

 資金集めに奔走する佐敷興勇。ボールを買う金もラインを引く石灰を買う金もなかったのだ。本土のように試合でお金を取ることにする。高校のグランド使って試合をしていた当時はなかなか大変なことだったようだ。後から後からグランドには簡単に観客は入ってこれたからだ。だが、2人の情熱に野球と関係のない教師や生徒達がグランド整備などを買って出る。

 福原さんは、当時の野球解説書を買いあさり、学生野球の伝説的指導者、飛田穂州の本に出会う。そこには、守備に魂を打ち込め。と、書かれてあった。投手出身の福原さんは何度も何度もノックをして腕を上げた。沖縄一嫌らしいノックをすると、言われるようになる。当時、糸満高校野球部のセンターをしていた裁弘義は、その姿を見て野球指導者の道を歩む決意をする。後の豊見城高校や沖縄水産高校監督をして甲子園に何度も出て、準優勝をするその人だ。

 沖縄高野連に昭和33年3月TELが入る。次の夏の大会は記念大会なので各県一校の出場とすると、言うものだった。沖縄大会を勝ったのは鉄壁の守備を誇る首里高校だった。決勝戦でも1点も許さなかった。荒れたグランドで練習した成果だった。盛大な見送りで沖縄を出発する福原朝悦さんの顔には笑顔はなかった。本土とはあまりにもレベルが違っていたからだ。

 旅の途中、外野手達が集まり奇妙なことをした。盥(たらい)の中でボールを転がし外野フェンスに当たったときどんな角度で跳ね返るのか確かめていた。沖縄にはフェンスのあるグランドがなかったのだ。夜行列車が熊本着くと、九州各地から首里高校OBが集まっていて校歌を歌って向かえた。福原朝悦は吹っ切れた。全力を尽くそう。

 昭和33年8月8日。念願の甲子園の土を踏んだ。相手は強力打線が売り物の敦賀高校。前評判では10点差以上で敦賀高校が勝つだろう。スタンドには沖縄からは殆ど来ることは出来なかった。本土で働く沖縄の人が4千人集まった。毎回のピンチをしのいだ。砲弾を受けたグランドで練習した守備は甲子園でも通用した。外野フェンスのクッションも盥の練習で克服できた。0−3と首里高校は善戦した。試合の後1人の男がナインの前に現れた。福原さんがむさぼり読んだ本の著者、飛田穂州だった。78歳の飛田穂州は、「善戦に満足しては行けない。本土に切り離された沖縄にはハンディはあるが、それは自身で乗り越えなければならない。」

 沖縄に着いたナインは甲子園の土を海に捨てた。アメリカ統治下の沖縄では、検疫で持ち込めなかったのだ。沖縄に野球ブームが起こる。少年達の憧れは、首里高校ナインだった。少年達は三角ベースで野球に熱中した。昭和35年フェンスのあるグランドが初めて沖縄に出来る。

 甲子園に出場した首里高校には有力選手が集まる。このチームだったら甲子園で勝てるかも知れない。福原はそう思っていた。しかし、その直後に福原に転任の知らせが届く。首里高校野球部に前からコーチをしていた首里高校OB徳田安太郎に監督を委せて赴任先の那覇高校に行く。

 悶々とした思いは赴任先、那覇高校の野球部部員の見て吹っ切れた。昭和38年の大会はかつてない熱戦が繰り広げられた。決勝は那覇と首里だった。4−7で那覇は敗れる。福原さんは不思議と悔しくなかった。首里高校は去年まで自分が育てた選手達だったからだ。このチームなら甲子園でもやれると思ったからだ。

 日大山形。平均10点以上の打線を誇っていた。シーソーゲームで4−3で最後の守備につく選手達に監督の徳田安太郎は、「普段通りにやろう」と言った。選手達は落ち着いて守った。悲願の1勝を上げたのは丁度沖縄戦の年に生まれた子供達だった。沖縄では、福原朝悦と佐敷興勇が祝杯を挙げた。

 沖縄地元紙は、「ついに掴んだ甲子園の1勝。この快挙は単にスポーツと言う限られただけでわなしに、もっと広い意味で沖縄に人々みんなに感動を与えたと思う。その影には、選手達の努力の他に野球関係者指導者のたゆみない熱意があったことを特に注目したい」 と、社説で伝えた。

 福原朝悦さんは、平成元年60歳で定年を向かえた。34年の教師生活の間、2度甲子園に出たが勝つことは出来なかった。しかし、熱血教師福原さんの情熱は後輩の教師達が受け継いだ。平成2年3年、沖縄水産が準優勝をする。監督はかつて福原さんを見て指導者になった裁弘義さんだった。 ♪長い間待たせてごめんね♪ そして、去年の春、沖縄尚学高校が初優勝をする。優勝旗が初めて沖縄に渡る。監督は裁監督の教え子の金城監督だった。福原さんの意志は今でも沖縄で受け継がれている。

 17歳で沖縄戦を体験した福原朝悦さんは野球で、沖縄戦で親を亡くした元気のない少年達に勇気を与えようとした。たった1人の思いがみんなを動かしていく。初めの1人が動かなければ何も始まらない。今、沖縄を毎年のように優勝候補を送り出す。プロ野球選手も何十人も出すようになった。福原朝悦さんがいなかったら沖縄はこんなに強くなっていなかっただろう。

 昭和29年。1人の若い教師が穴だらけのグランドで始めた猛ノックの日々。海の彼方を目指した甲子園の戦いはそこから始まった。


 7月5日(水)

 昨日東京では夕方に大雨が降った。今日も帰りの電車から外を見たら雲だドンドン増えてきて家に着く頃には遠く空でゴロゴロ言いだした。これじゃ外に出れないと思っていたらいつの間にか寝ていた。こんなもんだ。仕事をすれば疲れる。

 日本に帰ってきて物価の違いにビックリする。スパーで売っているコーヒー豆が150gで700円ぐらい。マドリードのディアで買っていたものは、200ptsしなかった。円で言ったら120円位。それは200gあった。どうしてこんなに違うんだ。水だって60pts。日本じゃ200円。トマトは1kg280pts。日本じゃいくらなんだろう。八百屋で野菜を買う値段は、恐らく1/5か1/10だろう。

 東京は、人間が住み易いようには出来ていない。これはみんなが作ってきたことだ。色々ニュースもあるが、雪印の低温牛乳が汚染され回収されている。雪印は、昔、赤ん坊に飲ませる粉ミルクに、ヒ素を混入して大きな社会問題を起こしたところ。こういういい加減な仕事をしていては、人間として最低だ。企業イメージどうのとか言う以前の問題。結局未だ何も変わってないと、思われても仕方ないかも知れない。


 7月6日(木)

 ヒ素ミルク事件は雪印じゃなく森永だった。御免なさい雪印乳業さん。と、言っても1万人以上の被疑者を出しているときに加害者に謝るのは俺くらいのもんか。でも、間違いは正さないといけないから。

 今日床屋に行って来た。おばちゃんが、「あら素敵なサンダル履いて。ちゃんと編んであるのね」と言ってサンダルを誉めてくれた。と言ってもサンダルの上に茣蓙(ござ)を貼ってあるだけなのだ。同じものをスペインで見た。それを履いていたスペイン人は大きなバッグを持っていたので柔道かなんかをやっているのだろう。こういうのはスペインでも売っていて、その筋では流行っているらしい。

 帰りに郵便局によって小包を取ってきた。未だちらっと見ただけだけどみんな若い。ヘスリンは痩せてるし、ハビエル・バスケスは両目がある。ポンセは少年だし、ホセリートも若い。ビクトル・メンデスばりばりだし、マニリだっている。ニメーニョの写真もある。セサルもセビージャでの完璧なレシビエンド写真も載っている。

 これから、ゆっくり見よう。


 7月7日(金)

 今日は七夕。短冊に書く言葉はもう浮かばない。明日の準備が未だ出来ていない。台風が来るので誰が来ないかも知れないが用意だけはしておかなければならない。台風は東京を直撃するらしい。11年降りとTVで言っていた。競馬はやるのだろうか。新聞すら買っていない。仕方ないか、明日の準備があるから。

 『17歳のカルテ』 『サルサ』 『ザ・ハリケーン』 と言う映画が面白そうだ。特に、『17歳のカルテ』 が面白そうだ。これはTVで筑紫哲也とおすぎが紹介していた映画。所で、明日は東西線が止まらなければいいが。


 7月8日(土)

 闘牛の会で2000年サン・イシドロ祭報告をしてきた。今日は詳しくは書かないが、ミゲル・アベジャンのビデオに複数の人が涙を流していた。胸を打つとは、こういうことだ。ボロボロボロボロ涙を流して見ている人も居た。本当に闘牛を見て泣くときがあるのだ。ビデオでさえこうだ。実際現場で見ていたら、胸が締め付けられるような苦しさを味わったことだろう。アベジャンのビデオはみんなの心に残った。また、ビデオを流そうという話しも出た。


 7月9日(日)

 昨日は頭の痛い状態で闘牛の会の発表だった。井戸さんはいなかったが、足立さんから頭痛薬を貰ったが全然治らなかった。サン・イシドロ祭報告は、4つの闘牛のビデオを流した。

 その前に、今年のコヒーダを4つ。エル・カリファ、ファン・モラ、エル・コルドベス、フランシスコ・エスプラ。エスプラの脳震とうシーンにはビックリしていた。あんなに見事に気を失ったのを始めてみただろう。そして、6月2日、ミゲル・アベジャンの1頭目。右太股の傷口が歩く度にパクパク動く。20cm位の角傷。脚を引きずりながらのファエナになった。耳を取って場内一周するまで医務室に行かない。

 次が、今年のメホール・トロになった、アドルフォ・マルティンの牛を相手にしたオスカル・イガレス。ピカを受けても牛が口を開けない。剣が入ってもそうだった。死ぬまでそうだった。オスカルの腕よりも牛の良さに助けられた耳1枚だった。

 3つ目が、6月2日、ミゲル・アベジャンの3頭目。医務室から出てきて、ブルラデラからポルタガジョーラまで歩いていって両膝を着いて牛を待つ。牛の動きが悪く上手くラルガ・カンビアールが出来なかった。でもそれからベロニカを繋ぐとオーレがコダマした。カポーテから観客を沸かせて、ムレタでも中央で背中を通すパセから始め、オーレをならせた。

 これは理屈ではない。人間の中にある原初的(片山先生が言うには、最近は原始的とは言わないと言う)なものを揺さぶるファエナだ。胸が苦しくなる。泣いている人が複数いた。コヒーダされて頭から落ちてもまた立って牛に向かう。TVアナウンサーが、「Cai`do cabeza.・・・ Esta`n torero conmosionado. Pero corazon no le caberen pecho. no caberen pecho.」(頭から落ちた。・・・闘牛士は脳震とうを起こしている。しかし、肝っ玉は胸に納まらないくらいでかい。)と、言っていた。

 4つ目は、エル・カリファ。手の低いパセ。特にナトゥラルが凄い。距離の取り方もぴったり。素晴らしいファエナだった。

 会が終わって、飲み会。片山先生が、「君が脚本を書いて劇画にしよう。そうすれば金が稼げる」と、言った。「いや実は、本を書こうと思ってたんですよ」と言うと、「本なんか書いたって売れないから、劇画の脚本の方が売れるし、みんなが読むから」と、言う。

 うん。そうかも知れないと思った。片山先生は、「僕が出版社紹介するから」と、言ってくれた。「荻内さんが、良いところ知ってたらそっちでも良いし。」そこまで言われたら迷うよな。どうしようかな。何れにしろ何が書きたいのか、何が書けるのか、まとめていこう。本にしかできないものもあるだろうし、劇画にした方が判りやすいものもあるだろうし。

 それと、荻内先生の話だと、NHKがホセリートの番組を作るためにスペインに取材に行くそうだ。放送は10月か11月になるんじゃないかと言っていた。スゲー話だ。ついでにホセ・トマスのファエナもちゃんと撮ってきて欲しいな。そうすれば良いものが見れるかも知れない。

 今日は、新しくメガネを作ってきた。スペインで闘牛を見ているときからそうだったが、日本に帰ってきて仕事を始めたら余計に目の上が痛くなってくる。メガネが合っていないからだ。出来るのは19日。それまでは、何とか我慢しよう。帰りに久々に日本本屋に行って来た。『日本美術応援団』赤瀬川源平、山本裕二著が面白そうだった。後は、monoの特集号で、インディアンの生活の本が欲しかったが今日は止めた。

 カルテルが続々発表されている。サボっていたので未だに載せていないものも多い。今週から少しずつ載せていこう。パンプローナが始まったがノビジェーロでは、セバスティアン・カステージャが耳1枚。トレロは、ビクトル・プエルトが耳1枚。


 7月10日(月)

 今学校で使っているのは雪印ではなく森永らしい。昔ミルクにヒ素を混入して販売したところだ。森永の製品は出来るだけ買わないようにしているので複雑な気持ちだ。今は雪印ではないと言うことだけでありがたがっている雰囲気さえある。

 またこの前逮捕された、金属バットで後輩を叩き、母親を殺した高校生の自転車での1000kmの逃走。この国に帰ってくると馬鹿らしい事件ばかりだ。沖縄での、在日米軍兵による女子中学生強姦事件。沖縄は今怒っている。直後に起きた在日米軍兵によるひき逃げ事件。一部の人間なのだろうが、在日米軍兵の事件にはまたかと言う思いがする。

 今日は暗い話だ。出勤前にミゲル・アベジャンの闘牛を見てから出掛けている。そうすると自分が間違った仕事をしないような気がするからだ。嫌なことが多いが、だからといってこれで良いやと思ったら終わりだ。それでは自分の人生ではなくなる。メールが届いた。闘牛の会でビデオを見た人からだった。アベジャンに大切なものを教えられたような気がすると、書かれてあった。確かにそうだなと思った。嬉しいメールだった。

 昨日バルセロナでフィニート・デ・コルドバがインドゥルトをした。バルセロナでインドゥルトなんて記憶にない。牛は、トレアルタ。フィグラが相手にする牛だ。今年はこれで僕が記憶しているだけで3頭がインドゥルトした。エル・トレオン、ビクトリーノ・マルティン、そしてトレアルタ。


 7月11日(火)

 今日はいつも行く風呂屋が休みなので違うところに行った。サウナ付きの所だったので入って汗を流してきた。今まではスペインに行くと痩せてきたのに今回は3kg位太ってきた。仕事を始めて1週間。1kg痩せた。やっぱ日本食は痩せるのかな。納豆にお新香、冷や奴、梅干し入りの岩海苔。朝は、そばを食べている。

 日本に帰ってきたらクーラーを買おうかと思っていたが、クーラーに当たると寒気がするので多分買わないだろう。体に悪いからクーラーは止める。扇風機も嫌だ。団扇が良い。自然の風が1番だ。


 7月12日(水)

 暑い中で肌着を付けた方が、暑いのか、涼しいのか?NHK、『ためしてがってん』 の今日のテーマだ。

 結論は、勿論肌着を付けた方が涼しい。何故かというと、汗を掻いた後に肌着を付けた方が湿度が下がるからだ。暑いからころ肌着を付けて歩いた方が涼しい。僕はこれを実践していたので当然だと思った。この番組は科学的にこれを証明していた。

 豆腐にドレッシングを掛けて食べると言ったら、何故?と、思うだろうか。でも、醤油に刻みネギだけじゃ飽きるからこういう食べ方をする。ドレッシングと言ってもノンオイルの青じそだ。こういう和風のものは豆腐に書けて食べても美味しく食べれる。


 7月13日(木)

 12日朝6時半頃、マドリード、カジャオ広場で、ETAが仕掛けた20kgの爆弾が爆発した。エル・コルテ・イングレスとFNACの間に止めてあった車に仕掛けられ予告されたものだった。今年スペインに行ったときマドリードの部屋は爆破現場から直線で200m位の所だった。インターネットの新聞のHPに載っていた写真には、エル・コルテ・イングレスとFNACの窓ガラスが粉々に散っていた。FNACの普段は上に上げられている非常階段が爆風で地上に下がっていた。

 サン・イシドロ祭が終わった後、ほぼ毎日通っていた場所での爆発にショックを受けた。ETAは一体何を考えているんだ。早朝でしかも予告爆破だったので死者は出なかったが、僕がいたピソの住人はビックリしているだろう。エル・コルテ・イングレスの地下の食品売場でいつも買い物をしている中崎君は何処で買い出しをしているのだろう。

 NHK、『人間ドキュメント』 千年の釘に挑む。は、薬師寺再建で使う釘を、大工の棟梁が土佐の鍛冶屋白鷹さんに頼む。当時42歳だった白鷹さんは、「千年先まで残せる釘を作って欲しい」と言う依頼に職人魂を揺さぶられる。純鉄と炭素1%入った鉄を試作し、強度をためすところから始める。

 実際使用できる鉄は、炭素0.87%のものだった。薬師寺に使った千年の釘は3万本。包丁作りで生計を立てている白鷹さん。奥さんは、「先月の売り上げは、14000円。これでどうやって食ってイケって言うの」と、笑いながら愚痴をこぼす。男は千年の釘のロマン追い、女は愚痴をこぼしながら男を支える。

 自分の職人としての技に掛ける男の心意気は素晴らしい。でも、それを支える女も同じように素晴らしい。いや、それ以上かも知れない。白鷹さん。嫁さんがいなかったら男のロマンは追えないよ。

 釘の微妙な曲線を、1000度に熱した鉄をハンマーで叩いて付けていく。釘1個の単価は800円。男は金で働くのではない。金で動いているのではない。自分の腕を釘というものに刻んで1000年後に残すためにハンマーを握る。千年の釘に人生を賭けた白鷹さん。「わしゃ、もう思い残すことはない」白い髭を動かしながらしみじみ言う。小沢昭一のナレーションも味があった。


 7月14日(金)

 エアグルーヴの初子(サンデーサイレンス)が、競りで2億3千万。最高値は、フランクアーギュメント2000(サンデーサイレンス)の3億2千万。1億以上で売れた馬の父は殆どがサンデーサイレンス。そして、生産者は、社台ファームか、ノーザン・ファーム。つまり社台グループだ。このセクレトセール2000、は社台の1人勝ちだったようだ。競馬は今週から、福島、小倉に行く。新馬戦が本格的に始まる。

 そごうが倒産して2,3日たった。閉鎖された店が3店舗。負債額が約2兆円。金融機関を除いては最大の負債額だそうだ。


 7月15日(土)

 この前イギリスのニューマーケットでG1ジュライCでアグネスワールド(森厩舎)で、武豊が優勝した。これで武は海外G14勝目。アグネスワールドは去年に続いての海外G1制覇。今年アメリカからのオファーに応えて海外遠征中の武は、日本中央競馬の記録を塗り替え続けている。蛯名正義の海外遠征中。腕の良い騎手はドンドン海外に出て行って日本の競馬をアピールすべきだ。

 アイスクリームの美味しい季節になってきた。基本はバニラ。これが美味しいところのアイスが食べたい。でも、スペインに比べて高い。牛乳だって3倍は高い。日本でしか食べれない安いものを見つけて行かないとまたスペインに行けない。

 今日カルテルを書いていたら、アルメリアにセサルの所の牛が出る。エル・トレオン。出場闘牛士が凄い。ホセリート、ホセ・トマス、ミゲル・アベジャン。3人ともセサルの所の牛でやることを了解したと言うことだ。セサルは、アルメリアでは良くプエルタ・グランデをしていたところだ。ガナデロになってもちゃんと呼んでくれるのだ。アー見に行きたいな。

 明日は休みだが競馬には行かずに部屋で写真の整理でもしようと思っている。


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