断腸亭日常日記 2000年、その8 スペイン日記 その2

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年のスペイン滞在日記です。

99年1月13日〜2月16日 2月19日〜4月14日 4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日
6月7日〜6月10日 6月13日〜7月9日 7月11日〜8月8日 8月9日〜9月9日
9月12日〜10月7日 10月10日〜11月10日 11月14日〜11月28日 12月12日〜12月31日
2000年1月1日〜15日 1月16日〜1月31日 2月1日〜2月28日 3月2日〜3月29日
4月2日〜4月19日 4月20日〜4月29日 5月1日〜5月14日

 5月15日(月)

 朝起きてから気づいた。今日は、15 de Mayo じゃないか。つまり、サン・イシドロの日だ。マドリードは休日だ。買い物して飯を作ろうと思っていたが、エル・コルテ・イングレスも近くのスーパーも休みなのだ。仕方ないので、VIPSに行って材料を仕入れてきた。テレマドリーでは、サン・イシドロ教会のミサを中継していた。そして、闘牛を中継する。


 5月16日(火)

 80年前の今日、ホセリート・エル・ガジョがタラベラ・デ・ラ・レイナの闘牛場で牛に殺された日だ。

 昨日は闘牛の後、M夫妻の所に行って夕食を食べた。ニンニクの芽の辛子炒めと、牛舌を焼いて食べた。牛舌には、タレや塩を付けずに、きざみネギに味付けしたものを乗せて食べる。M夫妻のところは料理が美味い。日本茶も美味いがこれは入れ方の問題。ワインがなくてスコッチを飲む。それが残念だった。

 話は闘牛のこと。去年は時間が合わなくてゆっくり話することが出来なかった。今年は、サン・イシドロの初めの頃に会うことになった。この日の、エスプラ、コルドベス、ファン・バウティスタの話から始まった。エスプラは牛が悪かった。コルドベスの牛を相手にしていたら良い闘牛が出来ただろうとか、コルドベスはちゃんと闘牛が出来ないとか、バウティスタは牛を判っている。そして奥さん曰く、「あれで、vuelta するところが良い。あれくらい図太くないと立派な闘牛士にはなれない」 良い言葉だ。勿論、馬鹿にしているんじゃない。誉めているのだ。

 M夫妻とは、闘牛の話が合うのでサン・イシドロの頃に会えるのが楽しみだ。みんな人生を語る闘牛士が好きなのだ。ホセリート、ホセ・トマス、セサル・リンコン、マヌエル・カバジェーロ。モランテ、エウヘニオ、バウティスタもその中にはいる。アベジャンも語ろうとしている。フリは未だ語っていない。

 そんなわけで、2時過ぎまで酒を酌み交わしていた。それで泊めさせて貰った。

 9時に起きて部屋に帰り、買い物をして11時にタラベラに向かった。今日は、ホセリート、ポンセ、ホセ・トマス、がやるからだ。去年はフリ人気で切符は売り切れだったが今年はあった。でも、ソルのテンディド、6列目じゃガッカリだ。

 タラベラに来て思い出した。去年は人を連れてきた。このHPを見て闘牛を見に来ようとしている人が居るのだ。現に今月の17日からスペインに来て、25,26日サン・イシドロを観たいと言ってきた老夫婦がいた。そういう人もいるので特に、ここ1,2週間のカルテルを充実させないといけない。判ったら出来るだけ早く書こうと思う。


 5月17日(水)

 今日から、朝に日記を書いて夜に観戦記を書くことにする。そうしないと、昨日のように部屋に乱入されるとどうにもならなくなってくる。朝降っていた雨は直ぐに上がった。今日はエル・フリのコンフィルマシオンだ。もう切符は売り切れだろう。間違いなしに満員になるだろう。期待、興奮が、どうなるのか。プエルタ・グランデが待っているのか、口笛が待っているのか。

 闘牛ファンの大きな期待の中フリが登場する。俺は、セビージャなどで見てきたからあまり期待できないような気もする。もう彼の闘牛には飽きが来た。ファエナに深みがないのが理由だ。だが、ハラハラドキドキの闘牛をすれば耳を取れるような気がする。もうすぐベンタスのファンの前に登場する。


 0時からエル・フリのラス・ベンタス登場の番組をテレマドリーでやる。何もなかったので面白くないだろう。


 5月18日(木)

 日記を読んでいるという人は知っているが、観戦記を読んでいるという人はあまり聞かない。観戦記の方がずっと手間が掛かっているのに。最近は9時過ぎに起きている。寝るのは2時か3時なので昼寝が必要だ。今日はそうもいかない。昼にくまさんと会うからだ。昨日ようやくTELが通じたのでそうなった。

 今年は、フィルムは現像しないで日本に持って帰ろうと思っている。荷物になるのでロールもままで持って帰ろう。エル・コルテ・イングレスでフィルムが安売りいていたので後20本くらい買ってこようと思う。それと20日のセビージャ行きのAVEの切符も買ってこないと。20日のヘレスには、下山さんと一緒に行く。

 昨日TELで話した。16日のホセリートのパセについて話したら、興味を持ったようでこれからテンディド・セロを見ると言っていた。ああいう新しいパセをすると言うことはホセリートの中の情熱が失せていない証拠だ。あの寂しそうな表情は結婚しても変わらない。彼は一生孤独を背負って生きていくだろう。だからこそ、闘牛で人生を語れるのだ。孤児だった人間は自分の腕で大金持ちになった。それでも幼心に刻まれた、孤独の刻印は癒されるものではない。闘牛だけが生きることを証明する唯一のもの。それが判っているから闘牛場に戻ってきたのだ。ホセリートとホセ・トマス。今年彼等を見なかったら損するぞ。

 タラベラでのカルテルはそのまま9月22日に行われることになった。闘牛が終わった後に場内放送があった。ファンたちは喜んでいた。俺は見れないのが残念だ。

 モランテを病院に見舞ってから3週間近くなる。19日はサン・イシドロには出ない。代わりに、ミゲル・アベジャンが出る。それなら許す。それなりの闘牛士が出ないのならアボノを持っている人間は怒るぞ。


 5月19日(金)

 昨日ヘレスではとんでもないことが起こった。2つある。時間を追って書くと、クーロ・ロメロが耳1枚切った後に、耳2枚と尻尾を切ってしまった。次が、ラファエル・デ・ラ・パウラがアビソ3回を、2頭の牛でやってしまった。彼は引退をするためにアレナで弁髪(コレタ)を切った。「トレロ!トレロ!」の叫び声が上がったそうだ。

 クーロの尻尾も大ニュースだけど、アビソ3回が、2回って言うパウラにもビックリだ。引退で、「トレロ」コール。昔はグラン・ファエナを連発したパウラも今は首を振りながらの闘牛。老いが良い闘牛を出来ない体にした。引退は正しいと思う。ビデオで見るパウラは物凄すぎる。今はそんな闘牛は望むべきもないのだから。

 昨日くまさんの所に行ってきた。くまさんは着実にスペインにおける日本人のネットワークを作りつつある。メンバーズハウスもその一環だ。自分の金をつぎ込んでそういうことをする。Kさんも同じ様なことをやっている。少なくとも部屋を賃貸するという意味では。でも、インター・ネットを使って今まで自分がやってきた旅行ガイド、通訳の仕事を生かすべく活用しているのは、スペインにおける日本人のネットワークを作ると、言う意味ではもう一つの新しいアクセスの仕方を作った。これは非常に新しい可能性をスペインに示した重要なことのように思う。

 闘牛から帰ってきて観戦記を書き上げたら酒が切れた。米ちゃんにTELしたらビノがあったので持ってきて貰って一緒に飲んだ。3時間くらい闘牛などの話をして1本空けた。米ちゃんも酒が強い。彼女は闘牛の話より、日記の方が分かると言っていた。そうかなと思ったが、日記は日常を題材にしていることが多いのに比べて、闘牛は一般的には分かり難いのかも知れないと思った。仕方ないか。

 今日はエウヘニオとアベジャンが出る。今日は良い闘牛が見たい。


 5月20日(土)

 昨日は闘牛場から帰ってきて下山さんにTELした。今日のヘレス行きの打ち合わせだ。9時発のAVEでセビージャに行き、下山さんたちと合流。車でヘレスに闘牛を見に行ってくる。ホセリートとホセ・トマスを見るために。昼食はセビージャで、夕食は闘牛が終わった後にフェリア中のヘレスで取る。

 下山さんの話だと、この前セビージャに行ったとき一緒だったジャパン・タイムスの記者のエドゥーが俺に興味を持って取材したといているらしい。それで写真がないかと言っている。この前モランテの所に行ったときのを使おうかなとも思っている。どうなる事やら。恐らく、23日になるだろう。

ヘレスで良い闘牛が見れることを祈り、下山さんと闘牛の話が出来るのを楽しみにして、さぁ、行くか。


 5月21日(日)

 さっきマドリードに着いた。セビージャで下山さんたちと合流して昼食はセビージャの日本料理屋で取り、夕食はヘレスのレストランで取った。何処でも良いからと思って入った所だったが美味しかった。ソロミージョ炭焼き。塩をかけて焼くシンプルなものだったがこういうのが好きだ。

 闘牛も良かった。ホセリート・ホセ・トマスがプエルタ・グランデした。ホセリートのテンプラールのパセ、カポーテ、ムレタ捌きは全盛期に比べるとまだだがそれでも怪我を抱えながらやっていた97,98年よりも良い。ホセ・トマスはとにかく物凄い。彼には恐怖とか牛に刺されて痛いとか全然思わないのだろうかを思うような闘牛をする。

 かねてからの念願叶って下山さんと一緒にホセリートが見れたことも嬉しいことだ。耳を取ってブエルタしているときにホセリートは下山さんに気づき目で挨拶していった。オンブロスの時は手を振っていった。下山さんは凄く喜んでいた。ホセリートとは話したこともなそうだが、オメナッヘの闘牛の時にアポデラードだったジョン・フルトンが、ホセリートの所に、怪我の状態と、脳の写真を持っていって説明して出場するところまで行ったそうだが諸事情で出れなくなった。

 ホセリートは、そう言うことをちゃんと覚えていた。しかも会ったこともない下山さんの顔を覚えていたのだ。座っていた席はバレラではなく、テンディドの13列目だった。テンディドの1番後ろだ。直ぐに気づきそう所にいたわけでもないのに気づいてくれた。かえって1番後ろだったから気づいたのかもしてない。でも、良く気づいてくれたよな。闘牛も立派だったが他の所も立派だ。

 ヘレスからの帰り下山さんは3時間の睡眠しかとってなかったので寝てしまった。「斎藤さんに会えるから興奮して・・・」と、言っていた。帰りの車の中でまゆみさんと、下山さんのことを話した。これはプライベートなことなのでここには書かない。書けない。約1時間結婚する経緯や、今後のことなどを話した。

 まゆみさんは非常にしっかりした人で現実的で、しかも楽天的でもある。「彼は夢を追っていて、私は現実を見ている。2人とっも夢追ってたらダメだけど、こうやってバランスをとっていかないと」と、言っていた。当時のことも話したが、3食作って身の回りの世話をしていたそうだ。それも学校へ通いながら。「もうあんな事出来ないでしょう」と、言っていた。今後のことについても具体的には言ってなかったが、「幸せであればいい」、と。

 非常に面白いヘレスへの旅だった。下山さんは今日、クーロ・カマチョとセビージャでセサル・ヒロンを見る。アルカラ・デ・グアダイラでクーロ・モリーナと一緒に練習していたノビジェーロだ。

 直ぐにマドリードに帰ってきたのは今日ラス・ベンタスにホセ・ルイス・ボテが出るからだ。下山さんの親友で、去年耳を取っている。今年も取れるかどうか。サン・イシドロ前にラス・ベンタスで耳を取っているがサン・イシドロで取ってこそ価値があるのだ。同じマドリードのビスタ・アレグレ闘牛では、ホセリート、ホセ・トマスが出る。アフィショナード達はそっちに行くだろうが、俺はあえてラス・ベンタスに行く。ボテを見るために。ムチャ・スエルテ・ボテ!出来るならばプエルタ・グランデが見たい。


 今日の闘牛の結果。

 ビスタ・アレグレ。クーロ・バスケス、−、−。ホセリート、耳2枚と、耳1枚。プエルタ・グランデ。ホセ・トマス、耳2枚とグラン・オバシオン。プエルタ・グランデ。  サラゴサ。クーロ・ロメロ、−、ピトス。エンリケ・ポンセ、−、ピトス。ファン・バウティスタ、オバシオン、耳1枚。


 5月22日(月)

 セビージャから帰ってきて土曜日に買ってあった材料で飯を作った。いつものやつ。用意、準備は必要だ。下山さんは明日、マドリードに来る。その時にエドゥー会って取材を受ける。

 昨日は朝から小雨が降り続いてあいにくの天気だった。寒いのは判っているしそれなりの準備をして闘牛場に出掛けた。コーデロイのGパンに長袖のトレーナーを着てその上にゴアテックの上下。ゴアテックは97年の3月に買ったものだからその機能は既に落ちている。雨に当たれば水を弾かず濡れるだけ。だからその上にビニールの合羽を買って着た。

 それでも尻が濡れて寒かった。終わったら直ぐにメトロで帰ってきた。ネットで今日の結果を見たらホセリート、ホセ・トマスがプエルタ・グランデしていた。M夫妻の携帯にTELしてどうだったか聞いた。奥さんの方が出て、「すんごく良かった」とセックスの後みたいな言い方をした。「ホセリートどうでした。」 「2頭目なんて良い牛じゃないのに諦めないでパセつないでた。だから耳が出た。1頭目は良い牛で良いファエナだった。ホセリート本当に良くなった98年に比べるとずっとずっと良い。」 

 「ホセ・トマスは?」 「もう凄い。しつこい、しつこい。もうやめてって思うくらいクルサードして牛に向かっていく。危ないからそこまでしなくても良いのにとこっちが思ってても平気で。もっ、鈍いのよ。2頭目は剣が決まらなかったけどあれが決まってたら耳4枚取ってたでしょう。」 ホセ・トマス絶賛の言葉だ。

 「どっちが良かったですか」 「どっちが良いって、2人ともタイプが違うから。ホセリートはパセの流れで見せていく人だから。」 「パセの構成の仕方とか凄く良いですよね」 「うん。ホセ・トマスは、ドンドン危ない方に向かっていくような・・・。」 「そうですね」 「もうね。こういう闘牛ベンタスじゃないもの。ホント今日は緊張でぐったり。こんなの毎日やられたら疲れちゃう。」 Mさんの奥さんはそんな風に言ってTELを切った。横で多分車を運転している旦那さんが、「今日はクーロ・バスケスも良かったよ」と言う声が聞こえた。奥さんが、「今日はね、クルサードしてたから」とフォローした。

 うーん。やっぱり良かったか。今年は、ホセリートとホセ・トマスが一緒にやることが多い。だからよけい良いのだろう。でも、こんな闘牛がTV中継されないのは勿体ない。テンディド・セロでしか流れないのだから。それと勿論、闘牛場で彼等を見に来た人の記憶には鮮明に残るだろうが。

 今日もマドリードは曇りのようだ。肌寒い。下山さんは疲れと風邪気味なのにリハビリを頑張り過ぎて風邪を引いた。鼻水が絶えない状態だった。彼は今非常にやる気を持って生活している。 TORERO! Para ante!


 5月23日(火)

 24日、ビセンテ・バレラに代わって、ゴメス・エスコリアル。26日、エスパルタコに代わって、ダビ・ルギジャーノ。と、ラス・ベンタス闘牛場の興行主から発表された。残念だが今年は、エスパルタコとバレラが見れないだろう。2人とも怪我で休養中なのでちゃんと治してから出てきて欲しい。

 昨日の闘牛で何故ポンセにペティシオンが起きたのか? と、思っていたが今日の新聞にはあのペティシオンについて、insignificante peticion (無意味なペティシオン)と書かれていた。言われてみればそうなのだ。あれで耳取れるなら闘牛士は苦労しない。そう言うことをポンセ自身も判っているから場内一周しなかったのだ。

 もうすぐ下山さんからTELが来て昼食をともにする。エドゥーも友人と連れて来るらしい。ラス・ベンタスで使う牛を置いている、ベンタ・デル・バタンに行ってくるかも知れない。


 5月24日(水)

 昨日昼に下山さんとエドゥーとベンタ・デル・バタンに行った。そこで昼食を取りながらインタビューを受ける。闘牛のこと、闘牛の会のこと、闘牛が好きになったきっかけなどを話した。勿論、セサル・リンコンのことも。

 いったん別れて、ベンタスで闘牛を観てどん底の隣にある、秋 に集合した。

 ベンタスでの闘牛でプエルタ・グランデが出たことを話した。下山さんは録画しているのでセビージャに帰ったら見ると言っていた。画家の堀越千秋さんとYURIさんなども来ていた。この話は後からにしよう。とにかく良い闘牛だった。若い新しい闘牛士がまた1人、大きな可能性を秘めて登場した瞬間に立ち会えたことに感謝する。ハビエル・カスターニョは今後注目闘牛士だ。


 5月25日(木)

 レアル・マドリードが勝ったので、シベレスに集結したファンは大騒ぎだった。TVでも中継をやっていた。闘牛場では21:25にゴメス・エスコリアルが最後の牛の剣を刺しに行こうとしているときに騒いでいる人達が居た。レアルの1点目が入った瞬間だった。こういう心ないファンは出ていって欲しい。サッカーが気になるなら家に帰ってTVを観ろよ。闘牛士が命を賭けて剣を刺しに行こうとしている時に騒ぎあがって。周りの人達は、「しー」と言って静かにするように促していた。これが心ある闘牛ファンというものだ。

 1時前にはシベレスのレアルファンは騎馬警官隊に蹴散らされた。その後を、犬を連れた警官たちが続く。催涙ガス銃を持った警官が発砲を開始する。シベレスは煙に包まれた。TVでは、アフィショナードとは言わず、テロリスタと言っている。騒げばいいだけのファンはファンじゃない。この部屋の通りでも何度も何度も車のクラクションを鳴らして騒いでいる馬鹿がいる。

 レアルが勝ったのは嬉しいけど、こういうのはやめて欲しい。

 堀越さんにTELしたら、「明日奴ら帰って来るんだよな。空港でかち合わなきゃ良いけどな。」と、言っていた。かち合ったら大変だぜ。帰ってきたらまたシベレスで大騒ぎするんだから。7月にサン・イシドロの報告をやると言ったら、7月の闘牛の会に来るそうだ。

 今日はこれからアランフェスに行ってくる。28日の切符を買いに。好い席がありゃ良いけど。今ホセリートとホセ・トマス観なきゃスペインにいる意味ゼロと言っても過言じゃない。6枚も買って来なきゃならなくなった。


 5月26日(金)

 アランフェスで切符を買った後、隣のメルカドに入った。やっぱりイチゴを買わなきゃと、思った覗いてみた。500gで115pts。日本だったら2000円位するのかな。ついでにムール貝も買ってきた。1kg、320pts。日本じゃこんな値段で絶対買えない。帰ってきて砂抜きして煮る。煮汁をそのまま取っておいて、いつも作る炊き込みご飯のダシにした。ムール貝も美味しかったし、ご飯も美味しかった。アランフェスまで往復の電車で、770pts。思ったより安かった。

 一昨日シベレスでは、250人が怪我をしたらしい。昨日は19時にバラッハスに着いてバスでシベレスに。そしてサッカー場に凱旋してセレモニーが行われた。一昨日、昨日を闘牛場は満員にはならなかった。サッカーの影響なのだろうか。ただ昨日はカルテルも悪かったが。

 闘牛が終わってから飯を食ってコーヒーを作っていたら、エドゥーからTELがあった。28日アランフェスに一緒に行きたいと言うことだった。レセルバのTELを教えた。その時にまた話がしたいらしい。いっぱいと言っていた。

 今日は、エル・フリの2回目の登場。また、凄いプレミアが付くんだろうな。この前のコンフィルマシオンの時は、10万と書いたけど、6千の券が、40万だったそうだ。今日はどれくらいの値段が付くのだろう。ルギジャーノ、エウヘニオ、フリ。プエルタ・グランデが出るかも知れない。昨日コルドバでフリはプエルタ・グランデした。

 下山さんからもTELがあり、一昨日のフィニートのペティシオンについてセビージャの新聞ではベンタス以外の闘牛場だったらプエルタ・グランデだったと伝えたそうだ。俺はベンタスで観るときはあくまでベンタスの見方をする。だからあまり他の闘牛場だったらとは考えない。ただし、他の闘牛場で観ている場合だったらベンタスならどうなんだろうとは考えるけど。


 5月27日(土)

 昨日、榎本さんと三木田さんとTELで話した。三木田さんとは今日夕食をともにする。榎本さんとは30日アランフェスに行く前に会えそうだ。闘牛はエル・フリのペティシオンだけ。今日の切符を買おうとしたら売り切れだった。三木田さんとの夕食は早く取れる。28日の為には良い。

 下山さんからTELがあり28,29,30日とマドリードにいるとのこと。29日はモランテとアベジャンを観たいとのこと。でも切符はない。ダフ屋だ。明日はベンタ・デル・バタンに行ってそれからアランフェスに行く。2日のバレラはやはり未だ出れず、代わりにモランテが出る。これは良い。オルドニェスが余計だけど。

 昨日闘牛場でアビラのプロパガンダを隣の人が持っていた。そこには、6月9日、ホセリート、ホセ・トマスと書いてあった。行くぞ。31日からマドリードでも買えるのだ。夜中にカルテルを書き足していたら、帰るまでの予定が大体見えてきた。懐も寂しくなってきたけど、何とか良いのを観たい。


 5月28日(日)

 昨日は三木田さん夫婦と3人で夕食を取った。ビクトリア通りを覗くと6月10日のアビラは、エスパルタコとホセエリート、ホセ・トマスだった。31日に買いに行こう。20%高くてもアビラに行くより良い。三木田さんは旅行ガイドをしている。お客さんの中にこのHPを見てきている人がいると、言っていた。 「M夫妻って、三木田さんのことですか?」 と聞くらしいがこのHPでは違う人のことだ。三木田さんは闘牛の会の人でHPにも名前が出ている。M夫妻は闘牛の会の人じゃない。

 一般の人は、出来るだけ名前は伏せておかなければ迷惑になることがあるので出さないことにしている。それにしても日記読むより、闘牛のコンテンツを読んだ方が闘牛を観るためには役立つのになぁと、思うけど。

 と、言うのも闘牛観戦記を寄せて貰った、伊丹伊織さんは、このHPをフルに活用して闘牛の見方を頭や目の中にイメージをインプットして闘牛を見に来た。だからああいう闘牛の見方が出来るのだ。やろうと思えばこのHPでそこまで出来るのだ。またそう言う風に作っている訳でもある。ただ、情報量が多いので何処を見れば良いのか初めは判らないかも知れないが・・・。

 これからアランフェスに行く。その前にベンタ・デル・バタンによって下山さんとエドゥーと会って話してからだ。マドリードは曇っている。今日雨が降らないことを祈っている。そして良い闘牛が見れることも祈って。


 5月29日(月)

 昨日はベンタ・デル・バタンでエドゥーと下山さんと会う。この間の続きをやって、サンティアゴ・ベルナベウに行く。サッカーではない。メキシコ料理を食べた。タコスなど。エドゥーはメキシコ人の父とアメリカ人の母の間に生まれた。子供の頃聴いた音楽に似ている曲を、バンドが生演奏していた。爺さんがカウボーイだったことを話した。

 そして、日本であった嫌な思い出も話した。日本にいれば僕たちはいつも、外人。何処へ行っても外人。日本に溶け込めなかったと、言った。多分そうだと思う。スペインはそうじゃないもの。彼は、「だから僕の将来は日本にない。アメリカかメキシコかスペインにある」と、思ったそうだ。スペインでも、英語の教師はやりたくなかった。新聞記者も本当はやりたくなかった。本当は諸説を書きたかったと言っていた。

 エドゥーとは、下山さんを介して出会った。闘牛の話を色々した。その店では、パセのやり方、見方をチョークで書いて教えた。それから16時にアトーチャで待ち合わせていたので7人でアランフェスに行った。闘牛を見終わった後、エドゥーは、「今日は本当に凄い闘牛だった。これは、セサル・リンコンの闘牛をどっちが凄い」と聞くので、「セサルの闘牛の方が凄かった」と正直に言った。

 「マンサナレスは、怖くてなんにも出来ない。しない。でも、ホセリートは牛の持ってる力を全部出して、もう死ぬ準備を牛にさせてから殺す。でもマンサナレスはそう言うことはやらない。最低だ。ホセ・トマスは物凄い。良くあそこまでやる。牛の力も出し尽くしてるし、自分の闘牛をちゃんとする」と、エドゥーは興奮して言っていた。

 エドゥーに会えて良かった。彼は、昨日の闘牛で本物を観たのだから。さっき下山さんからTELがあった。これから会いに行く。エドゥーは、僕とのインタビューの原稿を仕上げるのだそうだ。昨日の今日。良い原稿が書けるだろう。

 一緒に行った、日本人の凄く喜んでいた。僕に感謝していた。でも本当は、感謝するのは、牛と、牛の前で命をさらけ出した闘牛士達へ感謝すべきなのだ。その事は、また後からにしよう。


 5月30日(火)

 あまり時間がない。と言うのもまゆみさんがセビージャから来るのでアトーチャに迎えに行くのだ。それから多分エドゥーと4人で、ベンタ・デル・バタンに行ってお茶をする。メールを送ってくれた人、掲示板の書き込みの返事は帰ってきてからだろう。その後、榎本さんと会って、夕方はアランフェス。うーん、時間がないな。恐らく、6月に入れば時間に余裕出てくる。

 下山さんは、今日マドリードで検査がある。フィラデルフィア脳の医者が来ているので診て貰うのだ。多分良い結果が出るだろうが、まゆみさんは色々聞きたいことがあると、言っていた。問診をちゃんと受けてから検査するのだろう。

 下山さんは、毎日5時に起きる。俺と会うと夜遅くなるので昼寝をするように言っている。体を休ませないと短期的には良いが長期的にはガックと来る恐れがあるのでそれが心配だ。頑張りすぎるので体に負担がかかる。リハビリに熱が入るのでここまでこんなに早く回復したが。普通の人ならダメだっただろう。

 さぁ、そろそろ行くかな。


 5月31日(水)

 昨日、アトーチャでまゆみさんと下山さんに会った。それから、ベンタ・デル・バタンに行った。まゆみさんはガイドをやっているのにメトロが嫌いで、タクシーで行った。入り口付近には黒人のプータが裸同然の格好で立っていた。中に入って牛を観て、コーヒーを飲んだ。医者に聞きたいことなど話して貰った。下山さんが1番元気だ。帰りはタクシーがいないのでメトロでプラサ・デ・エスパーニャに行き、タクシーを掴まえて別れた。

 今日は暑い。28日も30日もアランフェスに行ったときはソルに座った。昨日は汗がダラダラ流れっぱなしだった。今日もそんな感じになるのだろう。スペイン滞在も後1ヶ月を切った。今まで何をやったかというと闘牛ばっかり。残りもそう言う風になるんだろう。残りのサン・イシドロを観て、10日アビラ。11日からセビージャに15日の朝まで行って下山さんの所にお邪魔する。15日はマドリードでベネフィセンシアを観て、18日がトレド。21日から23日までグラナダ。24日がトレド。27日ブルゴス。それが今年も最後の闘牛になる予定だ。

 ホセ・トマスが5回。ホセリートが4回。マヌエル・カバジェーロが4回。モランテが4回。アベジャンが2回。ファン・バウティスタは1回。エウヘニオはもう見れない。今年のサン・イシドロはどうなるのだろう。はたしてプエルタ・グランデが出るのか出ないのか。ミゲル・ロドリゲス当たりが耳切ってくれれば嬉しいんだけど。カバジェーロ、モランテ、アベジャンにプエルタ・グランデの期待が掛かる。穴ではペピンとエスプラ。ファン・モラ当たりだ。

 今日は闘牛が終わったらくまさん達と会う。


http://www2u.biglobe.ne.jp/~tougyuu/以下のHPの著作権は、斎藤祐司のものです。勝手に転載、または使用することを禁止する。


ホームに戻る