断腸亭日常日記 2000年、その9 スペイン日記 その3

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年のスペイン滞在日記です。

99年1月13日〜2月16日 2月19日〜4月14日 4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日
6月7日〜6月10日 6月13日〜7月9日 7月11日〜8月8日 8月9日〜9月9日
9月12日〜10月7日 10月10日〜11月10日 11月14日〜11月28日 12月12日〜12月31日
2000年1月1日〜15日 1月16日〜1月31日 2月1日〜2月28日 3月2日〜3月29日
4月2日〜4月19日 4月20日〜4月29日 5月1日〜5月14日 5月15日〜5月31日

 6月1日(木)

 昨日の闘牛は、牛が悪すぎた。あれで牛のコンクールって言うんだから笑ってしまう。コルドベスは3回コヒーダされても、牛に向かっていって観客を沸かせた。あの牛はもっとやりようがあったのにコルドベスはああいう風にしか出来ないのだ。終わった後、観客の拍手に応えて挨拶していた。それが終わるとアレナの反対側を指差して歩き出した。

 口笛を吹く人が居た。でも判るじゃないか。これから医務室に行くと言うことが。マヌエル・カバジェーロが1番良かった。彼の牛を観る目、難しい牛ほど良いファエナをしてくれるあの技術、技量は物凄い。ポンセにはそう言うことが出来ない。最後の牛で見せた、動いている牛に剣刺しに行った度胸は買うけど。

 闘牛が終わってから、マドリードのくまさん、ICHIさん、josemiさん他2名と会ってバルって来た。最近酒の飲み過ぎで下痢気味だ。暑くもなってきたので食うもの食って腹が出ないようにエネルギーを補給しないと。バルで食べたトルティージャが美味しかった。あんなに色々入ったものは初めてだった。ホタテか何か貝が入っていたので美味しかったのだろう。

 6人の人間がネットで知り合って会う。こういうことでまた出会いの輪が広がっていく。スペイン関係の交流が一番さかんかも知れない。

 こんな訳で、観戦記は未だ書いていない。これから。


 6月2日(金)

 昨日はどしゃ降りの雨の中で闘牛を観た。どしゃ降りの中でテンディド(雨が当たる席)に座っていた人で残っていたのは1/10位だった。あのうるさいテンディド7でさえそのくらいしか座っていなかった。ラス・ベンタスで闘牛を観るときは雨具を用意するのは基本中の基本。特に、サン・イシドロ祭の時は。

 雨は暑かったので丁度良かった。でも、闘牛士には危険が増える。足元が滑るからだ。それと昨日の場合は、風が強かった。ファン・バウティスタの時が1番強くファエナが途中で止まったので可哀想だった。98年の5月15日どしゃ降りの中でホセ・トマスが見せたファエナは今でも忘れられない。あれは良かったよなぁ。

 この間、米ちゃんと話をしたときに、ラス・ベンタスで隣に座った爺さんの話をしてくれた。、ホセリートをアランフェスで観てきたと言ったら、その爺さんが、「ホセリートは、歩いているだけで何にもしなくても良いんだ。そこにいるだけで良いんだ。」と、言っていたそうだ。

 ホセリートが、闘牛場に帰ってきて良い闘牛を見せているときに不謹慎なと、思う人もいるだろう。でも、往年のクーロ・ロメロを忘れられずにクーロ見たさに闘牛場に通う人が居るように、ホセリートの全盛期を知っている人はホセリートの事をそう言って何処がおかしいのだろう。僕は、こういう闘牛ファンが好きだ。好きになった闘牛士の悪口は言っちゃダメだ。

 最後まで責任を持って誉め続けなきゃ。それが闘牛士に対しての礼儀ってもんじゃないか。爺さん。あんたみたいな闘牛ファンがいっぱいスペインにいることを俺は知っている。


 安田記念の枠順が決まって岡部のイーグルカフェは8枠16番。
 
所で岡部関係では、藤沢厩舎に入厩する3歳馬は以下の通り。

サンデーサイレンス×アイリッシュダンス  牡 
サンデーサイレンス×ステラマドリッド   牝
サンデーサイレンス×ハッピートレイルズ  牝
サンデーサイレンス×マジックナイト    牝
サンデーサイレンス×オーブアンディアンヌ 牡
サンデーサイレンス×ジョウノマチエール  牡
サンデーサイレンス×バブルプロスペクター 牡
サンデーサイレンス×レトス        牡
ラムタラ×メローフルーツ         牡
ブライアンズタイム×シンコウラブリイ   牡
ブライアンズタイム×シンコウエルメス   牝

 シンコウラブリーの妹、マジックナイトの牝、シンコウラブリーの牡が注目。アイリッシュダンス、メローフルーツの牡は2000mまでだろうなぁ。でも凄い手駒だ。岡部、まだまだ引退なんて出来ないぞ。


 6月3日(土)

 昨日の闘牛の余韻が未だ体の中にある。初めのコヒーダは、右手のパセをしたときに牛が巻き込むようにしてアベジャンの右足の太股後ろを突き刺した。丁度尻の下なので破けたズボンから傷口が見えた。傷口は破け彼が足を動かす度に開いたり閉じたりしていた。完全に肉が破けていた。あのコヒーダは、アベジャンが悪いのではない。牛の突発的な動きによって生じた事故だった。

 あそこまで肉が破けているのが見える状態で闘牛を続けているのを初めて観た。その後も、2回ほどコヒーダされた。腰が引けないのが凄いし、またクルサードしていく度胸はホセ・トマス並みだ。プエルタ・グランデの時に、バンデリジェーロはニコニコで軽い足取りで車に来たが、アベジャンは肩車から降りるとビッコを引きながら肩で息をするようにしてヘトヘトの状態だった。

 アベジャンの髪の毛は、水でビッショリだった。彼を待ちかまえてほっぺたを右手で触ったときに髪が濡れていたからだ。本当にヘトヘトいなるほどビッシリ闘牛をした。僕は何故か、横山典弘の言葉を思い出している。彼が初めてG1を取ったときに、「好きなことやって、G1の勲章を取れたんだから、こんな良いことなでしょう」

 アベジャンのお父さんは元闘牛士。何故辞めたかと言えば、コヒーダされて片足を切断したからだ。その父親を観てきた息子は、父と同じ職業に就き、牛を怖がらずにアレナの上に立っている。ミゲル・アベジャンの生き方は、片足をなくした父親を反映している。「人生を徹底的に生きているのは、闘牛士だけだ」と、言ったアーネスト・ヘミングウェイの言葉を地でいくアベジャン。

 一生懸命。これで終わりかも知れない。そう言う思いがアベジャンの闘牛を観ていると言葉でない肉体表現で、闘牛を観ていてそれが伝わってくる。ラス・ベンタス闘牛場でのプエルタ・グランデは闘牛士にとって最も価値のある勲章だ!アベジャン、僕は君が好きになったよ。

 所で今日は鼻が痛いんだよなぁ。昨日は部屋に帰ってきてアベジャンのせいで泣いていた。本当は、くまさんに会いに行く予定だったけど、行っても話が出来なかった。だって言葉が出てこないんだから。涙と一緒にでてくる鼻水の噛みすぎで、鼻がヒリヒリする。本当によく鼻水が出てきたもんだ。

 昨日、ニューヨークから来ているというカメラマンのTさんが訪ねてきた。今日アロにホセリートを見に行く予定だったが諸事情で行けなくなってマドリードで会うことになった。午後に騎馬闘牛前に会うことになった。彼はこのHPを見ているそうだ。

 15日のベネフィセンシアの闘牛は8日から売り出される。闘牛場に並ばなければ。エル・フリが観たい人はベンタスに並ぶこと。僕はマヌエル・カバジェーロとモランテ・デ・ラ・プエブラが観たくて並ぶことにする。フリがでなきゃ手に入りやすいんだけどなぁ。


 6月4日(日)

 昨日は、闘牛の取材に来ているカメラマンの、T氏が来て1時間くらい話していった。中村さんから僕の話を聞いたそうでHPもそれで知っていた模様だ。また、三木田さんとも会って連絡方法を知ったようだ。真面目そうな人で、7日にいったん帰って7月にパンプローナのサン・フェルミンに合わせてまた来るそうだ。今日はベンタ・デル・バタンに行ってバキージャの写真を撮るはずだ。昨日は、騎馬闘牛を取りに行ったはずだが、やはり耳は出なかった。でも、馬が怪我を負ったのでそのシーンが撮れていれば面白いだろう。

 そんなんで昨日は闘牛へは行かず、米ちゃんと散歩に出掛けたら、中崎君と28日に一緒に闘牛に行った、Mさんがいて立ち話をして、エル・コルテ・イングレスの地下で買い物をして、Mさんの部屋で夕食と酒を飲んでいたら、4時になった。カレーを久しぶりに食って美味しかった。やっぱり話は闘牛のことなんだよな。昨日は、アベジャンの話が多かった。中崎君の好きな、ホセ・トマスの話しも・・・。米ちゃんは引っ越ししたので送っていって戻っていたら、テキーラの酔いが眠気を誘いグッスリ寝た。

 朝方、雷ともに雨が降った。10時過ぎに米ちゃんからTELで沖、10日のアビラの切符を買いに行った。未だ、その頃は雨が降っていた。切符はもうバレラとかはなくテンディドの4列目しか手に入らなかった。仕方ないよな。今、フリよりホセリート、ホセ・トマスを観たい闘牛ファンはいっぱいいるのだから。ロディージャで朝食を取って帰ってきた。

 もう晴れているので、闘牛はやるだろう。ちょっと涼しくなって良かった。昨日のアロでは、ホセリート、ポンセが耳1枚。フリがプエルタ・グランデだった。


 6月5日(月)

 昨日の6頭目の牛は凄い牛だった。場内一周をした後、闘牛士が帰る門の前で待っていた。ミゲル・ロドリゲスが戻ってきた。僕が待っていたのはミゲルのバンデリジェーロのモナキージョ・デ・コロンビア。91年から96年までセサル・リンコンのバンデリジェーロをやっていた人だ。2人は恐らく大喧嘩をして別れたようなのだ。97,98,99年とモナキージョはスペインで仕事を探していたが、コロンビア人なので声がかからな掛かったようだ。

 久々にモナキージョを観て嬉しかった。彼は闘牛場を沸かせた、非常に優秀なバンデリジェーロだ。もう7,8年会ってなかったけど、覚えていてくれた。あれだけセサルを追っかけて闘牛を観ていたときに、一緒にいたから当然かも知れないが・・・。

 その後に、M夫妻を会った。「家に来れば」。 M夫妻にそう言われると、嬉しいので行くしかない。また、2時くらいまで闘牛の話をして泊まってきた。M夫妻との話でいくつか気づいたことがある。モナキージョの話をしていたら、ミゲル・ロドリゲスのアポデラードは、ルイス・アルバレスだ。その事を忘れていた。ルイス・アルバレスは、セサル・リンコンがプエルタ・グランデを連発したときのアポデラードだ。モナキージョの仕事ぶりをそばでずーと観てきた人間だ。想像だが、ルイス・アルバレスがモナキージョに仕事を与えているのだろう。いずれにしろモナキージョにスペインでの活躍の場が与えられたことに喜びを感じる。

 ついでに書けば、92年モナキージョと一緒にセサルの所にいたファン・モンティエルは、去年までリトリの所にいたがリトリ引退により今年は、ダビラ・ミウラの所に着いている。去年のサン・イシドロの最優秀バンデリジェロだ。去年までセサルの所にいたカルロス・アビラは、今年はウセダ・レアルの所にいる。同じく去年セサルの所にいた、ピリは、ホセリートが復帰したので元の鞘に収まった。ホセリートは、98年と同じメンバーを集めて闘牛をやっている。闘牛士が良い闘牛をするためには、良いメンバーを抱えなけれがならない。セサルやホセリートだけじゃなく良い闘牛士はみんな良いメンバーを抱えている。

 昨日バルセロナでは、3人ともプエルタ・グランデだった。オルドニェス、耳1枚が2回。ホセ・トマス、耳2枚と耳1枚。エル・フリ、耳2枚。それとトゥルヒジョで行われた闘牛で、エル・トレオン牧場の牛がインドゥルトと場内一周をした。インドゥルトの闘牛士は、マヌエル・ベハラノ。場内一周の方は、ビクトル・プエルト。どちらも、耳2枚と尻尾を取った。エル・トレオン牧場はセサル・リンコンがやっている牧場だ。セサルはサン・イシドロでもプエルタ・グランデの牛を出し、インドゥルトの牛も出したことになる。闘牛士をやってなくても闘牛場を沸かせ続けている。

 昨日M夫妻の所で1番問題になったのは、ミゲル・アベジャンのプエルタ・グランデだった。「あれはプエルタ・グランデじゃない」と、言うM夫妻。僕の意見とは違う物だった。論点は大きく分ければ3つある。1つは、牛を知らない。2つ目は、ムレタのパセの時に牛が体を過ぎてからの牛の置き方がなってない。3つ目は、お涙頂戴の闘牛じゃ良い闘牛士にはならない。

 1と2に付いてはいろいろな話をした。お互いにお互いの意見の意図が充分話したので分かった。ムレタに限らずカポーテのパセで牛をダメにしていることはアベジャンに関しては観戦記でも指摘したことだ。特に5月2日の観戦記にはこの事を書いたつもりだ。ただ、ムレタのパセの後の牛の置き方については超が付くほど高次元の話なのでそこの所はちょっとなぁ・・・。

 3については、M夫妻の言う通りだ。やはり良いパセ、良い闘牛をしてプエルタ・グランデの方が良いに決まっている。今のアベジャンは、あまりにも有名になりたいというのが全面に出過ぎているのは否定できない。M夫妻は、あれじゃアベジャンは潰れる。と、言う。そう言う可能性は否定できないだろう。彼がノビジェーロの時はもっと冷静に闘牛をやっていた。

 また、ノビジェーロの頃はパセの後の牛の置き方についても、ちゃんとやっていた。去年、今年をやる気を全面に出して闘牛をやっているが、M夫妻の指摘には頷けるものがある。それは僕も感じていたからだ。M夫妻はアベジャンがオンブロスをしてきたときに、人差し指を立てて思いっきり横に振って、「ノー」とやっていたそうだ。アベジャンを目があって、ビックリした顔をしていたそうだ。アベジャンは馬鹿ではないと思う。そう言う風に思っている闘牛ファンがいることも彼は判っただろう。

 ただ、誤解を受けないために書いておかなければならないのは、こういう意見はアベジャンを批判しているのではない。アベジャンが本当に良い闘牛士になっていくためにはどうすればいいか、その事を話していると思って欲しいのだ。ホセ・トマスは、異常というか、別格だが、ホセリートの様に牛を判って冷静に闘牛をして、興奮するのは観客の方、そんな風にアベジャンにもやって欲しいのだ。何故なら彼は非常に良いものを持っているのだから。

 非常に内容のある充実した一時を過ごすことが出来た。エル・フリについてのM夫妻の意見は、「後2,3年でダメになるでしょう」と、言うものだった。これは、今年エル・フリを何回か観て僕が思っていた印象と殆ど変わらないものだった。アベジャンも大変だけと、エル・フリの方がもっともっと大変なのだ。

 今年のサン・イシドロはこのまま行くとアベジャンがトゥリンファドールになる。でも、最終日の、ビクトリーノ・マルティンの牛で、マヌエル・カバジェーロに逆転のプエルタ・グランデの期待が掛かる。

 そんなわけで未だ観戦記は書いていない。


 6月6日(火)

 普段プリンを食べるとき、どういう状態で食べるのだろう。レストランに行く場合は、カップに入れた形をひっくり返して出てくるので黒いカラメルの部分が上になって食べる。でも、家で食べるときはカップに入ったプリンの蓋を開けて黄色い部分が上の状態で食べる。仮に同じプリンだったら、カラメルを上にして食べた方が美味しいのか、黄色い部分を上にして食べた方が美味しいのか?

 それにプリンは、卵の量でコクが変わる。砂糖の量で味が変わる。卵の量が少ないのも嫌だが甘すぎるのも自分の人生に釣り合わないので嫌いだ。

 スーパーで良いものを見つけてきた。Caramelo Li`quido と言うものだ。簡単に言えばカラメルなのだ。これを、部屋で食べるときに蓋を取ったプリンにかけて食べる。甘みまして美味しい。他の活用法としては、イチゴにかけて食べる。これも美味しい。でも、イチゴには蜂蜜だろうと言う人が居るだろう。しかし、蜂蜜はプリンには合いそうにないものな。

 昨日の闘牛は僕には理解不能の闘牛だった。あれで何故耳なのか判らなかった。だから、M夫妻にTELを入れた。もう0時を廻っていたが、興味深い話だった。「クルサードは、角1本しか体が掛かってなかったけど、首の高い牛に怖がらず、牧場の樹のように立ってパセを繋いでた。良いパセはなかったけど、ああいう風に自然体で立ってパセできるのはなかなかいない」と、言うのもだった。

 言葉にすれば、よく判る。でも観ていて判らなかった。反省だ。ラス・ベンタスは勉強になる。そう言う驚きや発見がある。いろいろな見方があるがこの時、行われている闘牛がどういうことをやっているのかを見る目は重要なことだ。僕にはまだまだ足りないものがあるのだと実感した闘牛だった。


 6月7日(水)

 一昨日闘牛場に行ったらエンカボがいた。昨日に新聞には、ホセ・トマスがラス・ベンタスに戻って来たと書いてあったので良く見るとラス・ベンタスのバレラに来て座って観戦した事が載っていた。同じ日にエンカボが来ていても新聞の記事にはならないのだ。何もエンカボだけじゃなく他に何人も闘牛士は来ていたと思うがそう言うことだ。

 闘牛が始める前に下山さんからTELがあり、さっきアルベルト・エルビラをTELで話して、「今日プエルタ・グランデする」と、言っていた。ウセダ・レアルが無名の頃もそうだったが、そう言う風に言うのだ。そう言ってアレナに出ていったウセダ・レアルは全く良いところがなかったが、アルベルト・エルビラは、闘牛場で綺麗な右手のパセを繋いでオーレはならせた。

 問題点は色々あるけどあの右手だけでも素晴らしい。詳しくは昨日の観戦記を見て下さい。

 今日大幅にカルテルを書き足した。今月の見所にも、フランスの4つの闘牛場を加筆した。


 6月8日(木)

 今日は6時過ぎに目覚ましを掛けていたが起きたのは7時半頃だった。それから歯を磨いてトイレに行き飯を食ってラス・ベンタス闘牛場へ行って来た。着いたのは8時半頃だった。もう100mくらいの列が出来ていた。15日ベネフィセンシアの切符発売はいつも通り10時から。11時近くまで列は一歩も動かなかった。イライラしているとスペイン人達も同じだった。

 「お前は並んでなかったじゃないか」と、大声で怒鳴り出す。ちゃんと並んでる人も居たし、そうじゃない人もした。警官を呼んできて排除して貰ったりした。俺の後ろに並んでいた婆さんに後ろの外人カップルが、「あんた並んでないでしょ」と、言うと「あたしは並んでるわよ。セニョールの次よ」と言って俺を指差した。だから、「俺はセニョールの次で、セニョーラはその次です」と言うと、外人カップルは、「御免なさい。そんなつもりじゃなかった」と言うと、婆さんは、「No pasa nada」と言った。

 こうやってなんだかんだ言っているうちに、イライラは自然になくなった。上手いように出来てるよこの国の人達は。後、10人位で買える頃になったら品のない女が爺さんを列に入れた。警官が質問する。身分証明を出せの出さないのとやってる内に爺さんはつまみ出され、その女も「お前も同じだ」と言われて出されそうになる。その女は泣きそうな顔して謝りだした。

 周りにいた人が、彼女は並んでいたと、証言して一件落着。タキージャの前では、怒鳴り合いをしている。品の悪い爺さんが怒鳴り声を上げながら買った切符を手に出ていく。ちゃんとした身なりの男が右手を上げて怒鳴っている。品の悪い爺さんは顔を真っ赤にしていたが、「お釣り忘れたじゃないか」と、言って周りが爆笑に包まれた。

 切符を買えたのは12時ちょっと前だった。ソルのバレラが手に入った。並んでから3時間半。91年に闘牛を見に来て何も知らずに毎日並んでいた時を思い出した。その時の教訓で今日はTシャツに長袖のトレーナーに薄手のジャンパーを着ていったので寒くなかったが半袖出来ている人は寒がっていた。

 こうやって何時間も並んで切符を買うのは久しぶりだ。でも改めて思う。闘牛はこうやって切符を買うところから始まるのだと。

 昨日は、2時頃に掲示板に闘牛の会の書き込みをしようと作業をして完成して送信しようとしたらコンピューターが固まってしまって、パーになった。ガックリ来た。また、やってたら朝が早いので起きられないと思ったので辞めた。これから、飯でも食ってから書き込もう。


 6月9日(金)

 昨日はMさんと一緒に闘牛を観た。奥さんが仕事で隣に席が空いていたからだ。そして物凄い闘牛を観た。手が低いパセと言っても精々膝の上が限界線だろうが、昨日のパセは膝より手が下に行っているようなパセだった。ラス・ベンタスに、オーレの絶叫がコダマした。特にナトゥラルが凄かった。唸ってしまった。何も俺だけが唸った分けじゃない。隣のMさんもそうだし、ラス・ベンタス闘牛場のお客さんがみんな唸ったのだ。

 本当に素晴らしい闘牛士って出てくるもんだ。名前は、ホセ・パチェコ・ロドリゲス“エル・カリファ”。バレンシア近郊のハティバ出身の26歳。ラス・ベンタスが認めたこの男は、2頭目でも、また手の低いナトゥラルを繋いでオーレを連呼させた。が、左手のパセ・デ・ペチョの時に体を動かしてコヒーダされてしまった。残念だがプエルタ・グランデは出来なかった。

 それでもってまた、Mさんの所に泊まってきた。闘牛の話は尽きない。

 今日は、エスプラに代わって、ホセ・ルイス・モレノが出場する。サン・イシドロも最終日。ビクトリーノ・マルティンの牛が楽しみだ。

 昨日久しぶりに切符を買うために並んだ為か腰が痛い。コンピューターを打つとき椅子と机のバランスが悪いので姿勢が悪くなる。闘牛場で闘牛を観ていると姿勢が悪くなる。これが2ヶ月弱続いているわけだ。こういうことが重なって痛くなったようだ。腰痛体操をしようにも痛くて出来ない。こういうときは良い姿勢を意識的に取って生活するのが1番だ。


 6月10日(土)

 昨日の天気予報では雨になると言っていたが雨は降らなかった。しかし、闘牛場では冷たい風が吹き続け冬のような寒さだった。特に太陽が雲に隠れてからは。殆どのお客さんはジャンパーや上着を着て寒さをしのいでいたが、外国人観光客は半袖の人も居た。僕はTシャツに薄手のジャンパーを着ていたが寒くて震えていた。

 この前のファン・バウティスタが出たときも風が強かったが、昨日の風は半端じゃなかった。冬の雪が積もった上を、強風が吹くと雪の粉が舞い上がるが、それと同じようにアレナの土を観客席の方まで舞い上げていた。時々闘牛士達は、ムレタをまともに持っていられないくらい強風が吹き闘牛をやる条件としては最悪だった。しかも、相手にしている牛は、隙を見せたら簡単にコヒーダされる、ビクトリーノ・マルティンだから観ている観客も怖いのだ。

 実際コヒーダは2回あったが軽いもので済んだのが幸いだった。

 もう少ししたらアビラに、ホセリートとホセ・トマスを見に行く。もう腰がパンパンだ。油断をしていると起こるのが腰痛だ。ヤバイなこれは。未だ、闘牛に集中できるが悪化すればそれも判らない。


 6月11日(日)

 昨日はアビラに行くのに遅く出てしまい、駅に着いたのが18時35分。急いで闘牛場に着いたのが19時2分。馬車がのんびりアレナを廻っていた。1頭目から帰りの電車を気にしていたが最後のホセ・トマスの時は、何も考えることなく闘牛に集中できた。良い写真が撮れたぞ。終わったのが21時20分。走ってようやく21時50分の最終電車に間に合った。

 帰りの電車で話していたら、米ちゃんは月末日本に帰るときに荷物はあまり持っていかないと言う事なのでフィルムを現像に出してそれを持って帰れることになった。撮りためているものを現像に出そう。今年は少ない方で未だ40本くらいかな。

 足の筋肉が張っている。昨日も寒かったが今日の朝も寒い。これから11時のAVEでセビージャに行く。向こうは暑いようだ。体調に気を付けてセビージャで過ごそう。これから荷造り。コンピューターは持って行くが、カメラはバカチョンを1台持っていく。闘牛を観ないからこれで良い、何かあったの時の為に。

 さぁ、下山さんが待っているセビージャへ。


 6月13日(火)

 昨日は疲れて0時過ぎに寝た。さっき、クーロと下山さんがラジオ出演をしたので一緒に行ってきた。それは、セビージャの新聞に若い真面目な闘牛担当記者が下山さんの良い記事を書いてそれを読んだ人が出演を依頼してきたのだ。

 その記事の内容は、下山さんの現在の生活を書いたものだ。犬を相手に闘牛の練習をしている事、そうやって闘牛士として復帰しようとしていることが真面目に紹介されている。

 僕はセビージャの暑さや、腰が痛いのやらであまりいい状態じゃない。疲れているので早く寝るか、昼寝をたっぷり取るかしないとヤバイ。

 下山さんは、相変わらず元気だ。昨日のTVでやった身体障害者のための慈善闘牛がアルバセーテの中継をやっていたが、牛が、ロス・バジョネスだったので、ポンセ、マヌエル・カバジェーロ、モランテの3人とも耳が切れなかった。やっぱり牛が悪いと非道いもんだ。11日、ニームで、またホセ・トマスがプエルタ・グランデだった。今のホセ・トマスを止めることは誰にも出来ないだろう。


 6月14日(水)

 今日はカディスに行く予定でいたが時間の関係でヤメにして、セビージャで下山さんとバルなどで話をしていた。セビージャはまた暑くなった。これでも序の口らしいが、あまり暑いのは遠慮したい。クーラーではなく川風に当たっていても汗が出てきて喉が渇く。でも、落ち着いて話が出来たのは良かった。

 2人でTendido Cero 見たさに急いで帰って来てエル・カリファのサン・イシドロなどを観た。今年注目の闘牛士になった彼に、もう沢山の出場申し込みが来ているらしい。恐らく、怪我でシーズンと打ち切ったビセンテ・バレラの代わりに出場するだろう。手の怪我が治ったら出てきて闘牛場を沸かせることだろう。剣刺しがちょっと問題だが。

 TVを観たら下山さんは昼寝をしている。これから、少しゆっくりして飯を食って寝ることにしよう。睡眠不足と無理は体の毒だ。上手いもん食って寝るのが1番。明日、マドリードに帰りベネフィセンシアを観る。モランテはあまり受けないかも知れないので、マヌエル・カバジェーロに期待が掛かる。勿論、エル・フリよりも。

 マドリードに帰ったら、カルテルを書き足さないと。7月のバレンシアも発表になった。また、ビスタ・アレグレでホセリート、ホセ・トマスが出るらしい。日にちは未定。


 6月15日(木)

 セビージャからマドリードに帰ってきた。取りあえずフィルムの一部を現像に出してビデオテープを買ってきた。今日のベネフィセンシアを録画するために。その後、飯を作って食べ、今日記を書いている。セビージャでは色々なことがあったが面白かった。まゆみさんは仕事でいなかったが、飯を作って一緒に食べたのが良かった。

 電気釜があって、白いご飯が食べれるのが何より。おかずはスペイン料理。何故なら惣菜屋から買ってくるからだ。今度行くときは、俺が料理を作って食べよう。まゆみさんがいるときもそうして食べれればなお良い。

 そう言えば、近くのスーパーで買い物をしているときに肉屋のでは牛の頭を解体していた。1歳のメス牛で脳味噌を取り出すのを見せてくれた。脳は思ったほど大きくはなかった。血管が何本も通っているのが判る。かち割った頭蓋骨の中に指を入れて脳を取り出そうとしていたが、プシュップシュッと音が鳴っても脳を取り出せなかった。肉屋は小さい包丁を出して脳の周りに着いた糸状の神経などを切って、綺麗で新鮮な脳を取り出した。あの光沢は食欲を誘うものだった。

 下山さんは、脳をやられているので、気持ち悪がっていた。でも、日本にいたら恐らくこういうのもは見れないだろう。こういう風に人間が、動物の死体を食べていると言うことを忘れさせない現実的な生活が出来るスペインにいる方が、下山さん取ってはリハビリや生活する環境として良いと思う。リハビリにとって重要なものは、生活を実感できる環境だ。それがスペインにはあり、日本にはない。恐らく全てにおいて。


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