−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年のスペイン滞在日記です。
10月16日(月)
土曜日の闘牛の会は、女子大生の春さんが発表をした。アルメリアからメディナ・デル・カンポまでポンセ中心に観た今年の闘牛を語ってくれた。持参したビデオで撮ってきた写真をTV画面に映して説明した。
彼女の話を聞いていると僕が闘牛を見始めた頃の気持ちを思い出す。5頭目が終わると急いでポンセの車の所まで行って出てくるのを待って写真を撮ったり手紙を渡したりホテルでポンセのクアドリージャに会った話など自分が経験してきたことと同じ事をやっている。追っかける闘牛士は違うがやっていることはみんな一緒だ。
でも、僕の頃はセサルは、いつも大体最後だったので、6頭目を見終わってから走ってプエルタ・グランデに行ったり、車の所に走っていたものだ。それでも充分間に合った。特に、アルメリアなんかは道が狭く終わった後は車がなかなか進まないので余裕で挨拶が出来た。または、闘牛が始まる前に挨拶すると言うことも可能だ。終わってからホテルに行ってと言うのも出来る。ただし、かなり親しくならないと部屋には入れてくれないが。
祭りの風景や町の様子なども紹介しながら約1時間の話だった。
会の初めに荻内先生がホセリートの話など闘牛の話を少しした。その中でこの日記にも書いた、17日グアダラハラの闘牛のことが面白かった。その日は、ホセリート、ホセ・トマス、ミゲル・アベジャンが予定されていた。みんなその3人を見に来ているのだが3人とも牛が嫌だと言って出場を拒否した。その事を闘牛場の中に入ってから気づいた。出たのは、フレスクエロ、ハビエル・バスケス、エル・レンコ。
3頭目が終わったらマドリードに帰って食事しようと話して見始めたら、その3人が今期最高と思えるほどの闘牛を見せた。結局凄い闘牛を最後まで観たのだそうだ。三木田さん曰く、「これが闘牛だ」。見に来ている観客は、ホセリート、ホセ・トマス、ミゲルアベジャンを観たくて来ているのに3人共でない。それをその日出た闘牛士3人が判っていて必死で良い闘牛をやった。と、言うものだった。
これは非常に面白い話だった。結果はHPで知っていたが実際に闘牛を観てきた人の話はやはり面白い。
ビデオは、セサルがC型肝炎の闘病生活をいているので、91年6月6日、マドリードのコリーダ・デ・ベネフィセンシアのプエルタ・グランデを流した。今と違って当時はTVスタッフや機材が揃っていなかったので、終わった後耳鳴りがした興奮がビデオから半分も伝わらなかっただろうが、中継しているフェルナンドの興奮や、「オーレ」の声や「トレロ」コール、アレナに興奮して100人以上の観客が降りてきて闘牛士の周りを囲んだシーンなどは、あの日の闘牛の興奮を少しは伝えていたのだろう。
あの日の闘牛は僕が観た闘牛の中で最高の闘牛だった。牧ちゃんもあの日観ていたが、彼女曰く、「6月6日と10月1日のフェリア・デ・オトーニョのセサルが私が観た中で最高の闘牛だった」と。それにしても、フェルナンドが闘牛中継中に笑いながら喋っているのは、恐らく後にも先にも6月6日の闘牛だけだろう。闘牛中継しているのが楽しくて仕方ないという感じだ。僕はあの闘牛に出会って、闘牛に狂ったのだから。
15日の結果。 サラゴサ。フェルナンド・メカ。場内一周。イガレス、耳なし。エル・モリネロ、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。 アビラ。フェスティバル闘牛。ダマソ・ゴンサレス、耳なし。ビクトル・メンデス、コヒーダ。マノロ・サンチェス、耳なし。ビクトル・プエルト、耳2枚と尻尾1つ。アンドレス・サンチェス、耳なし。ホセ・ラモン・ロサノ、耳2枚。 チンチョン。フェスティバル闘牛。フランシスコ・ベルニト、耳2枚。ボテ、耳2枚。ポンセ、耳2枚。フリオ・アパリシオ、耳2枚。アベジャン、耳なし。イバン・ガルシア、耳2枚。
10月17日(火)
大分寒くなってきた。そろそろ炬燵でもセットしなきゃ。ウンコを我慢していたら糞詰まりになって腹がおかしい。コーヒー飲んで気張らなきゃ。
闘牛の会の後の飲み会の時、荻内先生が中坊さんは神様だ。と、言っていた。先生もNHKの『プロジェクトX』、「史上最大の回収作戦」〜豊田商事事件・中坊公平チームの戦い〜 を観ていたようだ。だから、僕がやった闘牛士分析、理念先行型闘牛士、着手先行型闘牛士、と言う言葉は中坊さんの言葉から取ったことを言ったら、「なるほど。理念がない闘牛士なんていないよな。理念があって初めて闘牛が出来るんだから」と、言っていた。
片山先生は、本を忘れてきた。それならと言って、「今度家に遊びにおいでよ」と、言った。多分暇だからと言っていたのでTELして行こう。お土産でも持って。
10月18日(水)
ここ2日仕事の帰りに本を探していた。今日は新宿に行ったら紀伊国屋が閉まっていたのでぺぺのブックセンターを覗いた。探していた本はなかったが良い本を見つけた。立花隆が書いた『サル学の現在』を読んでから大分たつが、立花隆が『サル学の現在』を書いてから10年以上たっている。タイトルは『サル学の現在』となっているが、もう現在ではない。
今日見つけた本の内容は正にサル学の現在だ。『霊長類生態学』ー環境と行動のダイナミズムー杉山幸丸 編著 京都大学学術出版会。今年の9月10日に出版された。全20章(1章、一人出筆)。殆どの出筆者が京都大学出身の学者。
序章 霊長類の野外研究で、いま何が問題になっているか を読んでいる。学者が書いた本だから読みにくいかも知れないが、序章を読んでいるだけでここまでサル学が進んでいるのかと思ってワクワクしてくる。
例えば、「霊長類の主たる食物とされる植物は動けないので、葉はあまり食べられないように、果肉は食べて欲しいが種子は広く分散させてもらうようにと、進化してきた。すなわち、葉には消化阻害物質を蓄え種子は堅い殻で覆うなど、防衛機構を発達させてきたのである。食べる側が防衛機構を突破する方法を編み出したりもする。このような食べる側と食べられる側がお互いに相手を利用しながら生きている様子を丸橋珠樹(第2章)が報告している。」
「捕食者に対して防衛機構は植物だけではない。チンパンジーのように肉食をする霊長類に関して、これまでもっぱらチンパンジー側からの狩猟・肉食の研究が進められてきた。しかし、獲物となる側の動物も食べられているだけではすまない。チンパンジーに最も頻繁に狩猟される同じ霊長類のアカコロブス側にはどんな影響が出ているだろうか。そして、それでも生き延びるために、森の状態に応じてどんな対応策や狩猟者の情報収集システムなどをつくってきただろうか。五百部裕(第3章)は食われることによる影響と対抗戦略を検討した。」
「熱帯の森は比較的季節変化が少ない。しかしそれでも雨季と乾季に分かれ、一年中果実がなっている楽園ではない。果実を主食とするチンパンジーが果実の少ない季節をどうやって乗り切っているのか。その対応策の違いが、極近縁種であるチンパンジーとボノボ(ピグミーチンパンジー)の社会構造の顕著な違いをつくり出しているのか。山越言(第5章)は自らのデータと文献渉猟によって、この仮説の検証を試みた。」
「動物による植物摂取は栄養源としてだけではない。生態学としては異色だが、野生チンパンジー行動観察の過程で薬物利用が認められた。普段は食べない苦い特定の植物を、なぜ体調の悪いときにかぎって摂取するのか。ほんとうにチンパンジーは薬として摂取し、苦い葉は薬の作用をし、そして病気は治ったか。薬草摂取は類人猿の高い知能に関係があるのか。マイケル・ハフマン(第4章)は予想もしなかった民族薬学のような方向への展開を、いま考えている。」
と、言った具合だ。まだまだ興味が湧くものが沢山あるが書ききれない。立花隆が『サル学の現在』の中でも言っているが、サル学はサルから人間を知ることが出来るのだ。僕はこういう本の中から動物の本質が見えてくるような気がしている。闘牛や競馬とも結びつく部分があると思っている。
明日は秋1番の冷え込みになると言う。中東の武力問題の交渉をクリントンが一応まとめたが、未だ流動的だ。ニューヨーク株価が1万ドルの大台を切った。東京の株価も1万5千円を切った。
17日の結果。 ハエン。エスプラ、耳要求。パディージャ、耳2枚。頸部打ち身。プエルタ・グランデ。エル・ファンディ、耳1枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。
10月19日(木)
寒い。明日は午後から雨が降るらしい。
18日ハエンで、ラ・デエシジャ牧場の牛がインドゥルトした。闘牛士はエンリケ・ポンセ。18日の結果。 ハエン。クーロ・バスケス、耳1枚。ポンセ、耳2枚と尻尾1つ(インドゥルト)、耳2枚。プエルタ・グランデ。エル・フリ、耳2枚。プエルタ・グランデ。
10月21日(土)
2日位前からパラリンピックが始まった。競泳女子150m個人で成田真由美さんが驚異的な世界新記録で優勝した。13歳で原因不明の横断性脊髄炎にかかり15歳で下半身が動かなくなった。世界記録で涙を流している姿は、いままでの練習と人生に満足してる涙なのだろう。どんな肉体的な障害があっても人生は全う出るのかもしてない。
サッカーアジア大会は、退場者を出して1−1に追いつくのがやっと。レギラーが出ていなかったが不安な予選最終戦。J2では、札幌コンサドーレがJ1昇格を決めた。
今年の日本シリーズは、ナイターなので、午後の競馬中継はラジオでも放送する。これが何よりだ。競馬ファンでも野球を観たい人はいるようだが、天皇賞が放送されないのは腹立たしい。野球なんか止めろと思ってしまう。今日は王が長島に勝ったようだ。巨人が負けるのは良いことだ。
闘牛の会に来る予定だった会員が、当日友人の葬式。事故で死んだそうだ。顔が綺麗なのが救いとメールに書いてあった。翌日、友人の結婚式。彼女はこの落差の大きさに寝込んでしまったようだ。「斎藤さんの言うように、命は限りあるので、本当に、日々、後悔のない時間を過ごさないと駄目だと私も思いました。」と、結ばれていた。
そんなこと言ったかなと、思ったが多分、闘牛の話をしていたときにそういう話をしたのだろう。“日々、後悔のない時間を過ごさないと駄目だ”と思うけど、それがなかなか出来ないものなぁ。でも改めて、後悔のない時間を取り戻さないと。
19日ハエンの結果。騎馬闘牛士、アルバロ・モンテス、耳なし。タト、耳1枚。ビクトル・プエルト、耳2枚。ミウラ、場内一周。
20日ハエンの結果。フィニート、耳なし。ビクトル・プエルト、耳1枚。モランテ、耳なし。
10月22日(日)
今日は競馬にも行かず家にいた。行かなくて良かった。行ってたら馬券は取れなかった。
NHKスペシャル『世紀を越えて・IT公開技術の衝撃』は非常に面白かった。これはある種の衝撃であり、革命的なことだ。いま世界のOSソフトはマイクロソフト社がかなりのシェアを獲得している。僕も使っている。話はフィンランドの学生が開発した未完成のOSソフトをインターネットで全て公開して、「コンピューターのOSを開発するのは楽しいことです。どうぞ好きなようにプログラムの中身を見たり、改造したりして下さい。そして、誰か機能を追加するプログラムを書いてくれたら知らせて下さい。あなたのプログラムを僕のOSに追加します。」と、言うメッセージが添えられていた。
1991年フィンランドの大学生リーナス・トーバルズが開発したこのソフトは、リーナスの名前をもじって、“リナックス”と名付けられた。これが大反響をもたらす。世界中の技術者達がプログラムの書き換えを始めた事で、機能の追加や性能の向上は一気に進んだ。公開から3年後には、様々なコンピューターを動かす安定したOSソフトとして成長する。初めのプログラムの292倍に達し今も開発が続いている。
これらは、リナックスのHPに公開され世界中の人々に利用される。映画『タイタニック』の画像処理もリナックスで行われた。この映画では複雑なCG映像がふんだんに使われその画像処理には、膨大な計算が必要だった。その処理ソフトをリナックスが使われた。コンピューターはリナックスで4ヶ月間休むことなく動かし続け画像処理がなされた。
無料で利用でき自由に書き換えが出来るリナックスは中国でも注目されている。中国のインターネット人口は1600万人。いま中国はこのリナックスのOSで世界の先進国の企業を相手に新しいソフトの開発を手掛けだした。そして一挙に世界を相手に商売を始めようとしている。
非常に面白いと思ったのは、リナックス、ソフトのHPで検索すればありとあらゆるソフトの成功事例が分かり、また、使用でき書き換えが簡単に出来ると言うことだった。これが、マイクロソフト社にないものだ。だから、革命的なことなのだ。世界中の技術者がこのソフトを利用し、自分達が使いやすいようにしたソフトをまた、公開する。この繰り返した。
中国の国家戦略とリナックスソフト、紅旗リナックスの社長は元、中国マイクロソフト社、副社長だった劉さん。中国のパソコン普及率は5%前後。これから導入されるであろう地方都市にパソコンを売るときに搭載されているソフトがリナックスだったら・・・。中国市場はヨーロッパ市場に匹敵する12億人の大市場なのだ。
IBMが81年パソコンを発売しそのOSソフトをビル・ゲイツに委託する。後のマイクロソフト社を作る。しかし、IBMはこれから発売するパソコン全てに、リナックスに対応できるようにして売り出す予定だという。
番組は、VHSビデオ開発の時開発したビクターが技術を公開してソニーが開発したベータを逆転した事を例にとって、技術開発さてVHSが世界標準になっていった事からもリナックスの大きな可能性を語った。
また、中国では、今高速インフラ計画が国家プロジェクトで進められている。電話回線も100倍のスピードで接続が出来るケーブル網を敷いてインターネットの情報網で先進国を追い越す。これがリナックスのソフトで実現しようとしている。恐るべき中国。
また、特許取得世界一のIBMもOSソフトで情報の公開に踏み切ろうとしている。今は一つの企業が独占する時代ではない、と言うことだった。
NHKスペシャル『世紀を越えて・IT公開技術の衝撃』を見ていて思った。情報は公開されればされるほど、よりよい技術が開発される。このHP、ソル・イ・ソンブラは闘牛の情報を日本に垂れ流すために作った。まだまだ足りないことがある。何せ一人でやっているから仕方ない。リナックスのように情報をこちらにも沢山送ってくれる人が大勢出てくれば良いのだが。と、思ってします。
衆議院、東京第21区で川田悦子さんが当選した。やったー!政党の候補じゃなく血友病の輸入輸血製剤でHIVに感染した川田龍平君の母親の悦子さんを選挙民は選択した。投票率は低かったが正しい選択をしたと思う。
21日ハエンの結果。アントニェーテ、耳なし。ポンセ、耳1枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。ファン・カルロス・ガリシア、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。
11月16日(木)
♪あなたの心に 愛があるなら そしてそれが 春の風なら 私一人で 吹かれていたいな いつまでも どこまでも♪ 中山千夏が歌っていた歌を思い出した。パソコンが壊れてから3週間以上がたった。その間に色々ニュースがあったが、1番驚いたのが日本赤軍、最高幹部の重信房子が逮捕されたことだ。逮捕のいきさつをよく知らないが、Eメールで足がついたようだ。
逮捕時に、「奥平か」と言うと、重信はちょっと驚きながら「うん」と言ったそうだ。偽装結婚していたので警察は奥平かと言った。僕は重信が、「ハイ」と言わずに「うん」と言った言い方で中山千夏を思い出したのだ。こういう左翼的な言い方の似合う女はそういない。ややもするとこの言い方は子供的だからだ。それがちゃんとした生き方をしていると言う自信を持っているとそういう風に聞こえないのだ。今日、重信房子は裁判官に「職業は?」と問われて「生き様として、革命家」と言ったそうだ。
重信は多くのそれと同じく、確信犯である。「犯罪者の中で最も美しいのは、確信犯である」と、言ったのは寺山修司だった。チェ・ゲバラもまたそうだった。カストロも・・・。
11月18日(土)
重信が逮捕された週のはじめに、TV(『知ってるつもり』)で、連合赤軍、最高幹部の永田洋子の事をやっていた。連合赤軍は、浅間山荘事件や総括としょうして同士を何人もリンチ殺人していった。彼らの山奥にあるアジトが発見されたきっかけは麓に買い出しに出てくる同士(彼らの言葉では、兵士)の体臭の臭さから住民が警察に通報して発覚した。つまり、夏の暑い盛りに風呂に入っていなかったのだ。その指導者だったのが、森恒夫と永田洋子だった。
二人とも能力のない指導者だった。その能力のなさが数々の悲劇を招いていく。会社や社会にも能力ない上司が多くいるように革命を志したセクトにも多くいた。元々は、京浜安保共闘と赤軍派が合流してそれからよど号をハイジャックして北朝鮮に行ったグループと、連合赤軍、日本赤軍の3つに分かれていった。
学生運動は、60年安保(全学連時代)、日大闘争や東大闘争を経て70年安保(全共闘)に行き、その中で最も過激な武力闘争をした赤軍派に行き着いた。立花隆が、週刊文春記者時代に書いた、秋田明大(日大全学連議長)、山本義隆(東大全学連議長)を取材した記事は非常に面白い。彼らの親はあくまで息子を信じていた。学者一族に生まれた山本義隆はノーベル賞学者、湯川秀樹に、「将来のノーベル賞を取るだろう」と言わしめた才能を持っていた。が、二人の共通点はなりたくてなった分けではい、全学連議長だった。
秋田はその後、見合い結婚して子供を作るがその後離婚した。まだ、自動車修理をやっているのだろうか?山本は東大を辞めたとき、京大の湯川秀樹から、「うちにきて研究しなさい」との誘いを、「官学で研究したくない」と言って断り、駿河台予備校で物理などの講師をやっていた。この二人は、ドキュメンタリー映画などではとてもかっこよかった。当時はカリスマ的存在だった。野坂昭如が、「俺は心情三派」と当時言ったが、それくらい大衆の中に三派系全学連の存在は大きかった。
68年東大駒場祭ポスターは文科U類2年生、橋本治(後に小説家になる)よって制作された。当時流行っていた任侠映画のように“いちょう”(東大の学章)入れ墨を彫った背中を見せた男の横に、「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが 泣いている 男 東大どこへ行く」と書いてあった。「とめてくれるな おっかさん」は宮沢りえがCMでも言ったが当時の流行語になった。
三島由紀夫は、右翼的な危機感から東大で学生と対話集会を開いたりしたが、70年11月25日、自身が創立した右翼団体「盾の会」メンバー5人と自衛隊市ヶ谷駐屯地で決死の行動に出る。自衛隊東部方面総監部に押し入り総監を椅子に縛り付けバルコニーから自衛隊員に「直ぐに憲法改正に決起せよ」と8分間演説をしたが、隊員の「三島頭冷やせ」などのヤジに総監室に戻り、割腹自殺を遂げた。
72年1月。グアム島の密林から元日本兵軍曹、横井庄一が「帰ってきました・・・恥ずかしながら」と言って出てきた。2月。連合赤軍の一連の事件が発覚逮捕される。永田洋子の逮捕時の写真は、ビジュアル的に言ってブスだ。おそらくこの様な写真が永田の世間でのイメージとして定着した。バセドー氏病を患っていたが、この病気はブスがなるなどと言う、風評までたった。『知ってるつもり』の中で永田は今脳腫瘍を患いながら自らの人生を総括し自己批判している、と言っていた。
彼女の人生は一体何だったのだろうか?彼女もまたなりたくてなった最高幹部ではなかった。初体験もセクトの先輩に革命の一環として半ば強姦されてしまう。結婚も偽装結婚だった。真面目な人間が組織のためにと真面目になればなるほど、騙しそれを食い物にする人間がいる。番組の中で泉谷しげるが言っていた。「あの頃は誰でも学生運動をやっていたような時代だった。日本だけじゃなく世界中がそうだった」、と。
永田洋子が、脳腫瘍を患いながら自らの人生を総括し自己批判して、それを自分の生涯を賭けてやり遂げたいと思っていると、聞いたとき、僕は暗い絶望感を感じた。真面目な人はあくまで真面目なのだ。こういう組織的狂乱はオウム真理教に受け継がれていく。僕は真面目さに憧れるがああいう風にはなれないだろう。今日出所したオウム真理教元大蔵大臣、石井久子は記者会見で、「取り返しのつかないことをしてしまった。心からお詫び申し上げたい。」 「敬愛・・・当時(信者)はそう思っていた。尊敬なくしては愛は成り立たない。大変な犯罪をしてしまったということが分かり、愛も消えていった。いろいろな気持ちが入り混ざっている。あきらめ、憎しみ、なぜこのようなことになったのかなど。一口では言えない。」 「大変な罪を犯したことをはっきり伝えなければいけないと思っている。(麻原の)娘として認識した上で、社会の中で生きていけるよう希望を持っている。」 「(自分の)両親の援助を受けるしかない。子供を一人前の社会人に育てることを義務として感じているので、できるだけ早く同居したい。普通の生活を送れるようにしたい」 と、言っていた。
では72年はどういう時代だったか。1月。富士ゼロックスが世界初の両面コピー機を開発。2月3日札幌オリンピック開幕。2月19日連合赤軍が浅間山荘に立てこもる。26日、東証ダウ3000円突破。28日18時過ぎに人質が解放され連合赤軍5人全員が逮捕される。逮捕される直前犯人の一人坂東国男の父親が、「世間を騒がせたことを死んでお詫びする」と遺書を書き自宅で首吊り自殺した。逮捕時のTV視聴率89.7%を記録する。
3月4日大場政夫が花形満を破り世界フライ級チャンピオンになる。3月6日新日本プロレス旗揚げ興業開幕。3月21日米ドル7.89%切り下げ確定。3月30日全農発足。3月31日築地中央卸売市場で、冷凍魚の年間売り上げが初めて鮮魚を上回る。4月上野の森美術館開館。たばこに「健康のため吸いすぎに注意しましょう」の表示決定。4月1日米が自由価格になる。4月4日外務省機密漏洩事件、4月6日米軍、北爆再開。4月12日韓国で金芝河連行される。4月16日ノーベル賞の川端康成自殺。4月29日広島・外木場義郎投手が対巨人戦ノーヒット・ノーラン。5月13日千日前デパート火事、118人死亡。5月15日沖縄の施政権返還、沖縄県発足。5月29日加藤登喜子が獄中の全学連活動家、藤本敏夫との結婚を発表。
5月30日イスラエル、テルアビブのロッド空港の通関ホールで日本赤軍、奥平剛士、安田安之、(前2名銃撃戦で死亡)、岡本公平が自動小銃を乱射し手投げ弾を投げ26人を殺し、73人に重軽傷を負わせた。3人は8日同じロッド空港でパレスチナ・ゲリラ2名がイスラエル軍に奇襲で虐殺された事に報復し、死して“オリオンの3星”になる覚悟だったと言った。この事件で生き残った岡本公平は、パレスチナ人の英雄になる。
6月2日、西独過激派バーダー・マインホフ・グループ逮捕。6月11日、田中角栄「日本列島改造論」発表。6月14日、中ピ連結成。6月17日ウォーターゲート事件の発端。佐藤栄作首相引退声明。6月22日「四畳半襖の下張り」掲載の「面白半分」を猥褻の疑いで摘発。6月23日英国変動相場制移行(ポンド・ショック)6月24日、東証ダウ史上最大の大暴落。
7月台風7,8号による集中豪雨で死者441人。ぴあ創刊。7月7日第1次田中内閣発足。7月16日高見山、大相撲名古屋場所で外国人として初の優勝。7月20日日本人の平均寿命が男70歳突破。8月カシオミニ(電卓)発売。12,800円、発売10ヶ月で100万台突破。8月11日米軍ベトナム撤退を終了。8月16日森永、砒素ミルク中毒の責任を認める。8月26日ミュンヘンオリンピック開幕。8月31日田中、ニクソン会談。トライスラー機導入希望、後のロッキード事件へ。
9月5日ミュンヘンオリンピックで選手村をパレスチナ「黒い9月」が襲撃、イスラエル・チーム全員が死亡。9月19日王貞治、6試合連続ホームラン新記録。9月23日、フィリピンで戒厳令、アキノ氏逮捕。9月25日田中訪中。9月26日阪急、福本豊選手、1シーズン105盗塁達成。10月阪神・村山実投手引退。車に初心者マーク。桜社、「ぼくらが非情の河をくだる時」上演。10月19日ルバング島で日本兵2人が警察軍と銃撃戦、小塚一等兵戦死。10月28日上野動物園にパンダの、カンカン、ランラン到着。
11月12日都電は荒川線を残し全廃。11月13日岡田嘉子34年ぶりソ連から帰国。11月24日渡航外貨持ち出し制限撤廃。*公衆電話10円3分で打ち切りへ。12月アンデス山中墜落機に16人の生存者。死んだ人の肉を食べて生き延びた、アンデスの聖餐。
この年、TVでは、「木枯らし紋次郎」、「太陽にほえろ」、「必殺仕掛人」、「新平家物語」、「中学生日記」、「科学忍者隊ガッチャマン」が流行。CMでは、*違いのわかる男(ゴールドブレンド)。♪色っぽいと言うことは ええことなんよ ええ事は 進んでやってみるもんよ♪と歌った吉田拓朗の「ハブ・ア・ナイス・デー」(富士フィルム)や♪酒は大関心意気♪が流行った。マンガは、上村一夫「同棲時代」。池田理代子「ベルサイユのばら」。水島新司「ドカベン」。チャールス・シュルツ「スヌーピーとチャーリー・ブラウン」。手塚治虫「ブッタ」。
映画は邦画が、「旅の重さ」、「約束」、「一条さゆり濡れた欲情」、「海軍特別年少兵」、「女さそり・701号」、「人生劇場」、「子連れ狼」。洋画は、「ゴットファーザー」、「死刑台のメロディー」、「時計じかけのオレンジ」、「わらの犬」、「キャバレー」、「ダーティーハリー」、「さすらいのカウボーイ」。本は、有吉佐和子『恍惚の人』。田中角栄『日本列島改造論』。司馬遼太郎『坂の上の雲』。浜尾実『女の子の躾け方』。丸谷才一『たった一人の反乱』。山崎朋子『サンダカン八番館』。
歌は、「喝采」、「ひとりじゃないの」、「虹をわたって」、「ひなげしの花」、「結婚しようよ」、「旅の宿」、「瀬戸の花嫁」、「学生街の喫茶店」、「女のみち」、「せんせい」、「どうにもとまらない」、「四季の歌」、「そして、神戸」、「夜明けの停車場」、「太陽がくれた季節」、「赤色エレジー」、「男の子女の子」、「さそり座の女」、「出発の歌」、「ハチのムサシは死んだのさ」、「傘がない」が流行った。
この年の流行言葉。「恥ずかしながら」、「三角大福」、「日本列島改造論」、「総括」、「あっしにはかかわりのねえことでござんす」、「知る権利」、「ナウい」、「未婚の母」、「同棲時代」、「恍惚の人」、「のんびりゆこうよ」、「ひそかに情を通じ」、「若葉マーク」、「ポルノ」だった。 ーー資料として、『戦後50年』 毎日新聞社を使った。ーー
この年TVで、木枯らし紋次郎は何故、「あっしにはかかわりのねえことでござんす」と、言いながら事にかかわって行ったのだろう。かかわって行かなければ物語にならないからかもしれないが、それが72年という時代だったような気がする。口にくわえていた長楊子は伊達ではなく、飛び道具にもなった。「武士は 食わねど 高楊子」 紋次郎は武士ではなかったが、今という時代は長楊子をくわえていられる時代ではなくなったのだ。
11月19日(日)
重信房子が逮捕されてからTVのニュース番組で色々特集が放送された。ニュース・ステーションで久米とコメンテーターが色々話していたが、渡辺真理が、「私にとっては単なるテロリストでしかないんですが」と、言っていた。確かにそうなのだが、あの時代学生運動に関わった人、そうでない人も、重信というカリスマ的な革命家に自分の人生を投影している部分を持っているのだと思う。そのことを久米やコメンテーターが話していたのだ。
重信は酒を浴びるように飲むそうだ。酒の味が好きと言うよりアルコールが好きなようだ。飲むのはもっぱらジョニ黒(スコッチ)。コメンテーターは、あの当時、僕なんかトリスですよ。ジョニ黒は高級ウイスキーです。憧れました。だから彼女も飲んでいたんだと思います。時代ですね。
でも何であんな不味い酒を飲むのだろう。ジョニ黒に限らずスコッチはグラスを口の所に持ってくるとツーンとアルコールが鼻をつく。僕はバーボンやコニャックが美味いと思う。が、僕の生活レベルでは、焼酎が関の山だ。重信は逮捕後手錠をされて笑顔で親指を立てたり、これからがんばるからと、言っていた。永田洋子と違って重信はビジュアル的に美人だった。銃を持った髪の長い美女。指導者としてもカリスマ的で人気もあった。だが、逮捕後TVに映った重信は単なる“おばさん”だった。どこにでもいるおばさんだった。
重信も永田と同じで偽装結婚していたが、後にパレスチナ人との間に子供を作り、子供と手繋ぎ市場に買い出しに行く姿などが見かけられたそうだ。性的に言って、永田洋子は未熟だが、重信房子は成熟していたようだ。成熟していたというのは、幸福な家庭生活や、恋愛が存在していたようだと言うことだ。これは2人にとって決定的な違いだろう。彼女は完黙をするのかと思っていたら、74年のバーグ仏大使館占拠事件のことは、裁判で明らかにすると言った。
僕は思う。彼らの時代は、アジテーションで分かるように、“我々は”で始まる一人称複数の時代だ。今は、“私は”で始める一人称単数の時代だ。人は一人では生きていけない。人は、一人称複数で生きて行くしかないのだ。身近な日常で言えば家族や恋人、夫婦がその始まりなのだ。オウムのように特定の一人称複数であってはならない。社会、日本、世界と言う視点での一人称複数でなければならない。そういう意味で彼らの時代を羨ましく思うのだ。
よど号ハイジャック犯もそうだが、重信も年を取って日本に望郷の念を持って帰ってきて逮捕された。20世紀の終わりの年、事件の主役たちが逮捕されて裁判の中で事件の全容が明らかになっていくことを願う。宮崎勤の事件、オウム事件も・・・。それが、僕たち今という時代に生きる人間の生き方に重要な影響を与えるからだ。
今日のマイルチャンピオンシップは驚きだった。馬体重が前走12キロ減って今回14キロ増えた4歳馬、ダイタクリーヴァが負傷した高橋亮に代わり安藤勝巳のタズナでG1馬ダイタクヤマトを交わし勝ったを思ったら大外から次元の違う脚で4歳馬アグネスデジタルが差しきって優勝した。タイムは、1.32.6のレコードタイムだった。芝で連対したこそさえない馬がG1を勝ちしかもレコードで駆け抜けた。伊崎脩五郎も驚いていたがそれはそうだ。単勝1番人気が4.7倍の大混戦。今年の4歳低レベルの評を覆してのワン・ツーをレコードで飾った。過去に、秋の天皇賞でシンボリルドルフを破ったギャロップダイナ、エリザベス女王杯を最低人気で勝った、サンドピアリスなどが芝での勝ち鞍がなかったが、何度も言うがレコードだ。これで180倍の配当は少なすぎるが、驚きの競馬だった。来週のジャパン・カップは、大本命、テイエムオペラオーが勝つだろう。ダートはどうなるか。
政局が混沌としている。加藤紘一がどうでるのか。今日のTVで野中幹事長と話をしていたが、予算を成立して首相交代というシナリオを司会の田原が書いたが、依然流動的だ。
セサル・リンコンの91年のムレタに500万ペセタの値が付いた。俺の持っているセサルのムレタはいくらの値が付くのかは関心がないがこれだけの価値がセサルのムレタについたことは彼の闘牛の価値が最高のものだと言うことだ。当然の事ながら。
11月17日の結果。アレキパ(ペルー)。リマ・デ・エステポネ、耳2枚と尻尾1つ(インドゥルト。サン・ホセ・デ・ベリジェ牧場)。 マラカイ(ベネズエラ)。モレニート・デ・マラカイ、耳要求、耳1枚。オルドニェス、耳1枚。エドガール・ペーニャ、場内一周。(アルテルナティーバ)。 マラカイボ(ベネズエラ)。カバジェーロ、耳2枚。レオナルド・ベニテス、耳なし。ビセンテ・バレラ、耳1枚。
11月20日(月)
日本の将来のためにと考えてやっていることは志の高いことだ。重信房子の場合、結果的にテロという形でそれを表現し犯罪を起こした。だが、日本のために革命を、と言う志は立派なのだ。加藤紘一が内閣支持率が20%を切って危機感を持ったのは当然のことである。本来は理は加藤紘一の方にあるはずだ。自民党主流はの言っていることは馬鹿げている。今回の行動について大勢で賛成できる。が、日本は何も変わらないだろう。誰もが変われなければならないと思っていても誰も何も変えようとしない。今の自民党と、日本は同じレベルでダメなのだ。
国会に内閣不信任案が提出され採決をすることになった。21時前に加藤、山崎派は本会議欠席を決めた。が、これからも政局の混乱は続くだろう。アエラの電車中吊り広告の下の文字には、 カトウが、負けようが。 と、書いてあった。上手い。
ペルーのアルベルト・フジモリ大統領は今日本に来ているが、48時間以内に辞表を提出すると発表した。何故日本で発表したのだろうか。ペルーでは大統領は日本に亡命するという噂がたっているようだ。
10月24日の21時前に夕食を取っている最中にイカの目玉をかじったらノート・パソコンに目玉の中にあった液体が飛び散った。直ぐにティッシュで拭いたのだが、基盤、キーボード、液晶画面などをダメにした。液晶はイカの何かで作ってるんだろう。こんなんで壊れるなよ。目玉が熱いから口を開けて噛んだのだいけなかった。25万以上で揃えたパソコン一式は壊滅状態。2年間に渡ってネット上から集めた闘牛情報もおそらくパーだろう。おそらくというのは、ハードディスクがどうなっているのか今の段階では分からないからだ。
同時に、本を出すために書き溜めていた文書も失ったと思っていた。が、新しく買ったディスクトップのパソコンでFDを確認していたら、ちゃんと保存していた。セサルとの2回のインタビューの原稿もちゃんとあった。あれ書くのに一体何時間使った思ってるんだ。おそらく少なく見積もっても10時間は使っている。その他に、インタビューをするために資料を揃えたり聞きたいことを絞っていったりと分からないくらいの時間を費やした。その中には、通訳に闘牛用語を教える作業も含まれている。1回目のテープは残っているが2回目のはすべて残っているわけではない。
でも、よかった。データがちゃんと残っていて。それだけが救いだ。多分今はまだ気づいていないデータで亡くしたものもあるだろう。今回の教訓は、バックアップしていないととんでもないことになると言うこと。その点、HPでデータを公開しているとプロバイダーのコンピューターにデータが残っているので、そのデータは大丈夫なのだ。ただ、思ったのだが、このデータは誰でも手に入れることが出来るので、僕の知らないところで勝手に使われるケースが出てくるだろう。
実際アクセスしてくる所が、大学からが多いし学生ならまだしも、研究者からの問い合わせもある。会社からのアクセスもある。これは多分スペイン好きからだろうが。TV局もあるし、また、旅行会社からのアクセスもある。これは、おそらくカルテルを見に来ているのだろうが。でも広告会社から問い合わせてこられても向こうは仕事で、金を稼ぐために調べている。教えて何の得にもならないのだ。もしあるとすれば、その広告や番組を見て闘牛ファンになるひとがいるかも知れないと言うことぐらいだ。だが、あまりそういうのには利用されたくない。
そして、スペイン旅行を計画している人が、ネットでそういうところに問い合わせるとお金を取って教えているらしい。そういうのには腹が立つ。こっちは金のためにやっているわけではない。闘牛の好きな人、興味を持っている人に、闘牛の情報を提供するためにやっているのだから。ネットで金儲けなんて考えていない。もし、毎週俺の予想する馬券が当たるのなら考えるが、そんなことにはならない。なったらそれこそ人生が変わるだろうなきっと。
ミゲル・アベジャンのアポデラードがホセ・ルイス・マルカに代わった。ヘスリン・デ・ウブリケのアポデラードがホセ・ルイス・セグラに代わった。また、ホセ・トマスのアポデラードが代わるのではないかという噂が流れているらしい。ヘスリンと同じホセ・ルイス・セグラになるのではないかと具体的な名前が出ている。マジ。
19日の結果。メキシコ。マリアノ・ラモス、場内一周。ラファエル・オルテガ、耳1枚。ビクトル・プエルト、耳なし。 リマ(ペルー)。フィニート、耳2枚。プエルタ・グランデ。エル・カリファ、耳1枚。アベジャン、耳1枚。 バレンシア(ベネズエラ)。ホセ・アントニオ・バレンシア、耳なし。エル・コルドベス、場内一周。セバスティアン・カステージャ、耳なし。 マラカイボ(ベネズエラ)。騎馬闘牛士、ホセ・ルイス・ロドリゲス、場内一周。マリ・パス・ベガ、耳2枚が2回。プエルタ・グランデ。エル・マラビノ、耳2枚。アントニオ・バレラ耳2枚。 マラカイ(ベネズエラ)。フェステバル闘牛。アントニェーテ、耳なし。オルテガ・カノ、耳2枚。モレニート・デ・マラカイ、耳2枚。エル・ピニ、耳なし。
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