断腸亭日常日記 2000年、その終わりに

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年のスペイン滞在日記です。

99年1月13日〜2月16日 2月19日〜4月14日 4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日
6月7日〜6月10日 6月13日〜7月9日 7月11日〜8月8日 8月9日〜9月9日
9月12日〜10月7日 10月10日〜11月10日 11月14日〜11月28日 12月12日〜12月31日
2000年1月1日〜15日 1月16日〜1月31日 2月1日〜2月28日 3月2日〜3月29日
4月2日〜4月19日 4月20日〜4月29日 5月1日〜5月14日 5月15日〜5月31日
6月1日〜6月15日 6月16日〜6月29日 6月30日〜7月15日 7月17日〜7月31日
8月1日〜8月15日 8月16日〜8月31日 9月1日〜9月15日 9月16日〜9月30日
10月1日〜10月15日 10月16日〜11月20日 11月22日〜12月10日

 12月11日(月)

 土曜日、鹿島アントラーズが優勝を決めている頃、闘牛の会があった。12月はいつもパーティーだ。会、創設5周年に当たる。つまり6年目に入ったのだ。5年前、9人で東西文化センターに集まってから何をしよう、どういう風に月例会をやったらいいか何のアイデアもない状態で始まった。

 日本にはスペインの闘牛がないからビデオを流して初級闘牛講座のような形で月例会を始めたのは寿美さんだった。今の月例会の原型は寿美さんが作ったものだ。彼女は今マドリードに住んでガイドの仕事をしている。何故再びスペインに行って仕事を始めたのかは知らないが彼女は日本よりスペインで暮らす方があっているような気がする。羨ましい限りだ。

 以前12月のパーティーには、よくフラメンコの人が来ていたが最近は来ない。今回会員が友人を連れて初めて会に参加した人が何人かいた。自己紹介などをやりワインを飲んで歓談し、1月から7月までの月例会の予定を決めた。久しぶりに堀池さんが会に来ていた。「私は忙しくてなかなか会に参加出来ませんが、会報、カレンダーなどの制作で会に関わっています。あまりこれないかも知れませんがこれから今まで同じように会報、カレンダーの制作などで関わっていきたい」と、言っていた。

 堀池さんもなんだかんだ言いながらほぼ毎年スペインに闘牛を見に行っているようだった。彼女のように会に来よう来ようと思っていても日々の生活に追われて来れないでいる人も多いのだろう。今までは、後半の1時間はビデオを流していたが、この日は30分だけになった。色々話が弾んだからだ。ビデオはまた、今年のサン・イシドロのアベジャンの闘牛を流した。

 初めて闘牛を観るという人が僕の隣でビデオを観ながら質問する。「闘牛ってどういう風にやるんですか」 「そんなの覚えなくても良いんです。観たままを感じれば」 「でも、スポーツでもルールを知ってたほうが面白いでしょう」 「勿論そうだけど、そんなの知らなくても充分面白い」 だって野球だってバット振ってれば楽しいじゃない。サッカーだってボール蹴ってれば面白いじゃない。

 そうこうする内に、アベジャンがコヒーダされて太股の裏が破け肉がパクパクしている。初めて闘牛を観た彼女は、「ワー凄い。鳥肌立ってきた」と言って夢中で観ている。僕は内心、でしょう。ルールとかやり方とか関係なくても面白く、夢中になれるものでしょうと、思った。その隣で観ていた堀池さんが、「アベジャンの闘牛が凄かったって聞いていたけど・・・」と言って左手の人差し指で左目の涙を拭った。堀池さんも熱いじゃん。TAKEさんも、驚いているようだった。そういえば、先月黛君が、「僕は今まで闘牛に興味なかったけど、今日の(アベジャンの)闘牛を観て、闘牛が好きになりました」と言っていた。あれは魔力だ。

 春ちゃんと友達も興奮しているようだった。カノウ(漢字が解らない)さんも興奮している。こんなに闘牛って凄いんだっていう表情をしている。僕も何を説明したかあまり覚えていない。みんなの驚いた顔や声が印象に残った。来月は3人が初めて観た闘牛の話をすることになった。偶然ビデオを3本持っていっていたので3人に貸した。どんな発表になるのか楽しみだ。

 石井さんも仕事の関係で半年ぶりにあった。仕事で10月フランスに行って来たときの話をしていた。これは面白い話なので2月の発表になった。みんな来なくてもちゃんと闘牛の会を忘れずにいてくれているんだと思うと嬉しかった。他にも来ている人がいるが全員を書けない。僕は来年マンガの脚本を書くことを言った。

 終わってからの飲み会は久々にお好み焼き屋に行った。アベジャンのビデオを観て「ワー凄い。鳥肌立ってきた」と言っていた彼女が「闘牛って競馬みたいですね」と言うので、TAKEさんが「斎藤さんはそういってます」と、フォローしてくれた。それから寺山修司の競馬の話などで盛り上がった。寺山は競馬の話をしながら人生のことを語っている。僕の書くマンガもそういうものにしたいと思っている。

 荻内先生は体調が良いようだ。元気が1番。先生の昔の教え子も来ていた。1人はネットでこのHPを観て先生の名前があって思い出して来ているようだ。「先生忘れてるんでしょう」というと「いや〜、そういわれれば・・・。段々思い出してきた。」だって。年なのか何なのかよく分かんないぞ俺は。NAOさんとはあまり話が出来なかった。片山先生も元気。先生俺のこと代表とか言い出してしまった。マジ。林さんは来年度は1年間研究休暇を取ってスペイン、メキシコなどで闘牛を観るのだそうだ。牧ちゃんも元気そうだった。

 遅れたが、会の自己紹介の最後に、この日来れなかった井戸さんと足立さん寿美さんなどの事も荻内先生が会員に話した。会の裏方や日本にいない会員もいて会は成り立っているのだ。そのことを忘れてはいけない。闘牛の会は今後どうなっていくのだろう。新たに闘牛ファンになる人のきっかけになればいいのだが。また、熱狂的なファンが集まってくるようになればもっと面白くなるだろう。

 10日、マラカイのフェスティバル闘牛でインドゥルトがあった。ファン・カンポラルゴ牧場。闘牛士は、エリック・コルテスだった。 モンテレイ(メキシコ)で、アントニオ・バレラが、耳4枚と尻尾1つを取ったが、太股に角傷を受け重傷の模様。

 10日の結果。 メキシコ。マノロ・メヒア、フェデリコ・ピサロ、耳なし。オルドニェス、場内1周。 グアダラハラ(メキシコ)。エロイ・カバソス、耳なし。ポンセ、耳2枚。アントニオ・ブリシオ、耳なし。


 12月12日(火)

 江夏豊様。今日のニュースステーション、「最後の晩餐」を観させていただきました。あなたの阪神タイガースで築いた栄光の記録は今でも僕は忘れることが出来ません。真っ向勝負でONに投げた直球は、僕に人生を教えてくれました。やることをやって、逃げずに投げ続けた直球に胸躍らせておりました。三振に取るときも、ホームランを打たれたときも、僕の気持ちはいつもあなたの味方でした。

 阪神を出され南海に行ってリリーフに回った時はとても悲しかった。どんなに阪神ファンを辞めようかと思ったことか。それから優勝請負人になって広島、日本ハム、西武を渡り歩いて200勝、200セーブの不滅の記録を打ち立てました。が、記録は三振記録など色々あるので・・・。あなたのスリークォーターから投じられる直球が好きでした。

 引退してから解説などでTVにでていましたが93年3月2日に覚醒剤所持の現行犯で逮捕。実刑を受け、またTVにも出るようになりました。兎に角あなたの人生には色々なことがありました。僕の気持ちは、それらの色々なことを含めて、いつもあなたの側にいました。いつも応援していました。久米宏が、「この番組いつも同じ事を聞かなきゃならないんですが、江夏さんにとって死ぬ前に何を食べたいですか」と聞いた。

 あなたは、「そうですね。やっぱり最後は白い飯が食いたいです。白い飯と、美味しいぬか漬けのお新香と、良いお茶をご飯にかけて、フッーフッー早く食べたいけど熱いから早く食べれない。そんな飯を最後に食べたい」と、答えました。僕はそれを聞いて感動しました。あなたの人生はやっぱり間違っていなかった。良い人生を送ってきたことが解りました。あなたは最後の方で言っていました。「もう、これからは穏やかに暮らしたい。穏やかに・・・」と。

 僕がプロ野球に熱中できたのも江夏豊がいたからです。あなたがいなかったらプロ野球も観なかったでしょう。プロ野球を真剣に観なかったら闘牛を観ても、そこに男の生き様を観ることが出来なかったでしょう。僕の体の中にある1本の筋はあなたによって築かれたものです。僕にとって非常に重要な筋になっております。

 寒い日だった。今週は寒くなるようだ。今日の、「プロジェクトX」は面白かった。SONYが世界進出するときトランジスターラジオの品質の高さとそれを支えた、会社理念の一つに、日本再建と言うのがあった。戦後間もない昭和30年、森田昭夫さんたちが打ち出した会社方針は日本の電子立国の野望を実現していく基になった。大変なときこそ、高い理想と夢実現のためやらなければならないものがある。

 10日の結果。 マラカイ(ベネズエラ)。ホセ・ルイス・ボテ、耳なし。マリ・パス・ベガ、場内1周。マノロ・サパタ、耳なし。


 12月13日(水)

 肩がギンギンにこっている。ノートからディスクトップに代えてからキーボードの違いからどうもしっくりしない。でも、肩がこっているのはそのせいではなく、風邪気味なのと腰の疲れから来ているようだ。メールも書かなきゃならないが、体調不良なので先に延ばそう。

 新庄が大リーグに行くという。九州男児。1年やってダメならさっさと帰って来いと、九州人は言うだろう。それで良いのだ。誰も期待などしていなのだから。


 12月14日(木)

 底冷えのする中、歯医者に行った。型どりをしたマウスピースが出来上がっていた。微調整をした後、歯茎の検査。上下の歯を1本1本調べる。ライトが口の周りを照らす。歯科衛生技師の女性の瞳に検査を受けている僕の顔と彼女の両手が映る。ライトはBSのアンテナのようになっていて中心にライトがあり、それを球体を切った形の反射板に当てて口から下の部分を照らしていた。彼女の眼球に映る僕の顔はライトの関係で良く映らず、口とそれの周りにある彼女の両手がはっきり映っていた。このコントラストの方が歯科衛生技師にとって仕事がしやすいのだろう。瞳に映っている顔と手は魚眼レンズの様に丸かった。眼球に映っているからそうなるのだ。

 彼女は番号や数字、赤とか言っていた。そして、「聞いてて赤とかが多かったでしょう。歯茎が炎症を起こしているんです。」と言った。そして、ブラッシングが悪いと言われた。「忘れてるでしょうからまたブラッシングをやりましょうね」彼女は穏やかな人だ。体も華奢だが、声も女性らしく穏やかで落ち着きがある。こういう仕事には向いている人だ。

 昔、入院していたときに、「斎藤さん。ここは内科だから看護婦は大人いしい人が多いんですよ。外科なんかに行ったら、「何やってるんですか」とか言って気性の激しい人が多いんですよ」と、婦長さんが教えてくれたことがある。外科や整形外科はそうやって尻叩かれてリハビリした方が良いのかも知れないが、内科は肝臓などの重い病気の人がいるのでそういう風に看護婦も接しないのだろう。

 歯科衛生技師の女性にブラッシングを教えて貰いながら、こういう風に言われると男は黙って、「ハイ」と言ってしまう。何故なら、穏やかな言葉に安心してしまうからだ。カルメンみたいな女はそれはそれで魅力を感じる。しかし、女は安らぎを与える事が出来る人の方が病院には必要だ。そして、家庭にも。

 アメリカ大統領がようやく決まった。国民は裁判の行方を我慢強く待った。それというのも、民主主義を大事にする国民性があるからだ。日本とは違う。

 昨日のプロ野球ニュースに、三浦和良が出ていた。日本代表の合宿に終了後のインタビューだった。トルシエからコーチをやるように直接言われていないことや、移籍先については、国内だけでなく海外からもオファーがあることを話していた。2002年に日本にとってカズが必要かどうかは僕には解らない。未だやれるという気もするし、中田と上手くやれないような気もする。


 12月17日(日)

 15日7時15分千葉県成田市本城にある千明牧場三里塚分場で、昭和58年に戦後2頭目の三冠馬、ミスターシービーが蹄葉炎による衰弱で死亡した。21歳だった。父、トーショウボーイ、母、シービークィーンの初子として生まれた。種付けの時に、井崎脩五郎は三冠馬になると予言したそうだ。

 ミスターシービーは不思議な馬だった。父も母も逃げ馬だったのにシービーは最後方からの追い込み馬だった。両親の脚質ではなく能力を受け継いだ。また、両親の新馬デビュー戦が同じだったのも不思議な巡り合わせだった。この年TVでは「おしん」が流行っていた。シービーには女房と死別した寡黙な男、おしんの様に我慢強い男、吉永正人が乗っていた。そして、寺山修司は両親のファンであり、寡黙な男、吉永正人のファンだった。そして、シービーを愛した。

 4歳クラシック第1弾、皐月賞の時、寺山はTVに出演している。それが多分最後のTVだったようだ。競馬の予想はこの年のトライアル弥生賞で止めていた。病気で死が近づいていたからだ。そこで寺山は、勝つのは、ミスターシービーと書いている。皐月賞で、道悪の泥んこ馬場で最後方からミスターシービーは差して勝った。1冠目だ。寺山は喜んでいた。が、何日もしない内に病床に伏し帰らぬ人となった。

 寺山はシービーの三冠を観ず逝ってしまったが、吉永は最後方から行ってダービーも菊花賞も勝った。東京外語のインドネシア語科を出て競馬新聞社で記者をやっていた女性と結婚する。『気がつけば騎手の女房』を書いた吉永みち子だ。吉永正人は今調教師をしている。「危ないとは聞いていました。未だ早い。・・・いろんなレースを勝たせてもらえたし、僕を男にしてくれ馬。1番の思いでは三冠を達成した菊花賞です」と話した。

 「大地が、大地が弾んでミスターシービーだ。19年ぶりの三冠か、ミスターシービー19年ぶりの三冠か。内からリードホーユー。内からリードホーユー。ミスターシービー逃げる逃げる逃げる。史上に残る三冠の脚。史上に残る、これが三冠の脚だ。ミスターシービーだ。ミスターシービー19年ぶりに三冠を達成しました。驚いた。物凄い競馬をやった。」関西TV、杉本清アナウンサーの名実況を寺山は天国から聞いていてくれたのだろうか。

 ミスターシービーは不思議な魅力の馬だった。三冠の年にJRAがターフビジョンを導入。1番人気馬が最後方からレースを進めるのを競馬ファンはハラハラドキドキしながら大丈夫なのだろうかと思って観ていた。直線や3コーナーからまくって牛蒡抜きしていくと大歓声が起こった。近代競馬の常識を破る戦法にファンは痺れた。うだつの上がらないサラリーマンたちはミスターシービー競馬を観て、俺もいつかきっと、と思っていたようだ。シービーの年齢から4を引くと寺山が死んでから何年経ったかが解る。もうあれから17年が立った。ミスターシービーは、寺山修司と同じ世界に行った。向こうで寺山に会えるだろう。たてがみを風になびかせて走るミスターシービーを観て、寺山は何というのだろう。


 12月18日(月)

 今日のニュースステーションで中国侵略時に日本がどういうことをしていたかをやっていた。興亜院(最高責任者は日本政府の内閣総理大臣が務めていた。)を通じて日本政府が中国国内で阿片を生産販売していた。エリートキャリアが実務を担当した。当時、大蔵官僚だった大平正芳(元首相)などのが現地に派遣されていた。旧満州国、熱河省で生産された阿片を上海、北京で売りさばいていた。

 阿片生産販売の計画立案は霞ヶ関で行われた。国家が阿片で戦時の食料や国家予算を切り盛りしているというのは、これを犯罪と言わずして何を犯罪というのだろう。オウムが覚醒剤を作っていた。北朝鮮が麻薬を作ったり偽ドル紙幣を印刷して使用していた。これも犯罪である。だが日本が中国でやったことは非人間的極まりない。日本人の中にこういうことを平気でやってしまえることを僕はしっかり肝に銘じておきたい。

 こういうことをやった(荷担したのではなく、仕事として遂行した)人間が戦後も国家の中心で仕事をして首相にまでなってしまう日本って言う国が大嫌いだ。今の日本の状況を見れば何かか間違っているのは明らかだ。国家レベルにおいても個人レベルにおいても・・・。

 16日の結果。 ケレタロ(メキシコ)。ソトルコ、イグナシオ・ガリバイ、アントニオ・ブリシオ、耳なし。

 17日の結果。 メキシコ。フィニート、耳なし。オスカル・サン・ロマン、耳1枚が2回。ヘロニモ、耳なし。 カステジョン。SOSチュルドゥレン慈善闘牛。騎馬闘牛士、レオナルド・エルナンデス、耳1枚。闘牛士、アントニェーテ、耳1枚。ビセンテ・バレラ、ビクトル・プエルト、耳2枚。モレノ、アルベルト・ラミレス耳なし。 ロラ・デル・リオ(セビージャ)。騎馬闘牛士、ホセ・ルイス・カニャベラル、耳2枚。ペペ・ルイス・バスケス、フェルナンド・セペダ、耳なし。エンカボ、ミウラ、耳2枚と尻尾1つ。見習い闘牛士、アントニオ・カスティジョ、耳なし。


 12月20日(水)

 大阪で博打打ち(ヤクザ)をやっていて、3人目の女房が韓国人でクリスチァンだった。借金が5000万出来て、女房子供を捨てて東京に逃げた。組から命を狙われている恐怖心から麻薬に手を出し中毒に。幻覚で出てくるのは、捨てた女房に祈り殺されるもの。正気になったとき教会に行き牧師と話す。麻薬と手を切り、神学校へ3年間通って牧師の資格を取る。

 千葉県船橋に住む鈴木さんは今、自分の教会で毎週日曜にミサを開き信者に説教をしている。鈴木さんの生き方は映画にもなった。確か『親分はクリスチァン』。教会のミサの後、鈴木さんの話を聞きたいという人たちが開いた会に出席する。

 「やり直すのに遅いと言うことはないんです」 上半身裸になって入れ墨を見せながら熱弁をふるう。 「酒がなければ生きていけませんでした。博打がなければ生きていけませんでした。タバコがなければ生きていけませんでした。麻薬がなければ生きていけませんでした。 今は何もやっていません。 娘が言います。お父ちゃんはあの頃、悪魔だった。今のお父ちゃんは、天使だ。 入れ墨入れた天使がいても良いじゃないですか。今は何にもありません。でも、こんなに幸せです。」

 どんなダメな男でも、たった1人理解してくれる人間がいれば変わることが出来る。 昔、俺も友達から言われたことがある。 「誰かと友達になりたかったらどうすれば良いか解るか」 その問いに上手く答えられなかった。 曰く、「それはその人の話を聞くことだ。」 人は話を聞いて貰うだけで相手との距離が近づいたと思うのだ。彼の言った意味が色んな場面でその後実感した。

 今日のサッカーは最低の試合だ。何やってんだか。中村は足を負傷したがあれは重傷のような気がする。


 12月21日(木)

 何故かNHKで井上陽水をやっている。UAが『傘がない』を歌った。♪君のこと以外考えられなくなる それは良いことだろ?♪ 非常に良い歌い方だ。 ♪行かなくちゃ 君に会いに行かなくちゃ 雨に濡れ♪ 陽水のこの歌は重信房子の事を書いたときにも書いたが、72年の歌だ。社会がああいう状況になってきたときに時代を敏感に感じて、 ♪都会では自殺する若者が増えいる 今朝来た新聞の片隅に書いていた だけども問題は今日の雨 傘がない♪ と始まる。

 ♪行かなくちゃ 君に会いに行かなくちゃ♪ と口をついて出てくる歌だが、僕は暗い気分で聴いたのを思い出す。今陽水は大家のようになってしまったが、基本的には嫌いだ。 ♪がんばれ だから がんばれ♪ なんて歌があるのも理由かも知れない。どうも、肌に合わない。声も良いし(僕は嫌いだが)ムードがある歌を作るのだろうが、ビートルズを上手く歌うのも気にくわない。が、何故か話が面白い。

 西田佐知子の『コーヒー・ルンバ』を、「昔アラブの偉いお坊さんが 恋を忘れた哀れな男に」なんて始まる歌なんて、僕らの世代の人で書く事が出来る人はいませんよ。と、笑って言う。この歌は、恋を忘れた哀れな男に、アラブの偉いお坊さんがコーヒーという飲み物を教えて、これを飲んだ男が恋をしてしまう話だ。コーヒーを飲んで恋が出来る時代は幸福な時代だ。ドトールやスターバックのコーヒー飲んでも恋は出来ないもの。

 株が世界的に値下がりして、円が下がっている。景気の良い話はない。


 12月22日(金)

 歯医者に行ってきた。右下の親不知を抜いてきた。そろそろ痛くなってきた。飯食って薬を飲まなければ。

 昨日TVで男の脳、女の脳の違いについてやっていた。信じられないことだが、女は手の込んだ料理しながらラジオを聞き、友人からのTELにも対応できるという。そんなこと出来るわけがない。料理しながらラジオを聞くことは出来ても、TELにどうやって対応するというのだろう。少なくても俺はそんな料理は食いたくない。

 この前古マンガ本屋に入っていたとき、SMAPの『らいおんハート』が掛かっていた。この曲のイントロを初めて聴いたが素晴らしい。こんなイントロをかけるアレンジャーはアメリカ音楽を良く聞き込んでいる証拠がイントロに出ている。感動的ですらある音だ。恐れ入った。

 念願の、白土三平の『サスケ』の1巻目を手に入れた。1,2と読んで今3巻目。俺のマンガにどうやって女を登場させるかで、より作品に膨らみや深さが加わってくる。その辺を上手くやらないと、闘牛士の人生がつまらなくなってしまうだろう。

 昨日深夜再放送していた、『プロジェクトX』ー男女雇用均等法ー が、あんなに面白い話だとは思わなかった。正直泣けてきた。赤松さんも久保アナウンサーも泣いていた。あれは本当に素晴らしい女たちの話だ。

 有馬記念の枠順が発表になった。逃げ馬、ホットシークレットが2枠3番。ナリタトップロードが2枠4番。トーホウシデンが3枠6番。大本命、テイエムオペラオーが4枠7番。メイショウドトウが7枠13番。今年最後の競馬は勝負の馬券だ。24日15時20分にテンパイ、タバコを吸いながらレースを中山で見よう。勝負は時の運。だが、パドックで馬が勝負馬券を教えてくれることだろう。

 闘牛の会、会報にアベジャンの闘牛士紹介を書くためと、有馬記念の予想のため、メールはさらに遅れるだろう。来週初めには書かなきゃ。


 12月23日(土)

 阪神のラジオ短波杯は思った通り3強の1,2,3着になった。3頭の中で1番後から行ったアグネスタキオンが直線で凄い脚を見せて3馬身差の楽勝だった。母、アグネスフローラは無敗で桜花賞を勝った“汚れなき乙女”(杉本さんが言うには)だった。父は、あのサンデーサイレンス。つまり今年のダービー馬アグネスフライトの全弟だ。今日のレースぶりを見ると来年のダービーの最有力候補に躍り出た。

 2着に入ったジャングルポケットは、3ヶ月の休み明けというハンデがあったが、キャリア1戦のアグネスに比べれば本来は有利なはずだったが、3馬身という決定的な差は今後も詰められそうにない。3着に入った1番人気馬、クロフネは、前2走レコードで駆け抜けていたが位置取り、追い出しのタイミングなどバッチリだったが完敗だった。最後ジャングルにも交わされてお釣りもなかった。言い訳の利かない敗戦だ。

 3頭の調教過程を比較すると、ほぼ3頭が4日ごとに追い切りをかけている。内容の違いはアグネスが坂路2本の追い切りを1週前にかけ、レースの週には、坂路1本の後,DWで5Fの追い切りをかけている。ジャングルは、ずっと坂路2本の追い切り。クロフネだけが、坂路1本の追い切り。つまり1本の追い切りしかしていないクロフネが、2本の追い切りを消化してきたアグネス、ジャングルに負けたと言うことだ。これは、厩舎サイドの考え方の違いにもよるのだろうが、1本より、2本の追い切りを消化して体を作ってきた馬が良い成績を上げたことになる。

 さて、有馬記念である。データなど色々比較した。そうすると2頭しか残らない。テイエムオペラオーとメイショウドトウ。この1点でいけるような気がする。でも、ナリタトップロードも気になる。これから風呂に入って身を清め、バーボン飲みながら腹黒い気持ちを消毒し、エンヤを聴きもう1度検討しよう。有馬は競馬馬のオールスター戦。杉本さんが言うように、「あなたの、そして私の夢が走って」いるレースだ。1年の総決算。夜にバーボン飲みながら明日の夢に思いをはせなかったらレースの半分を見なかったことになる。そんなことを言ったのは、寺山だったろうか。

 天気予報では明日は晴れだ。中山に20世紀最後の夢を見に行ってこよう。


 12月25日(月)

 風の強い日だった。明日はもっと寒くなるようだ。北海道、東北は雪だ。マドリードは雨。今日はクリスマス。

 春菜ちゃんを殺した山田被告は、今日の裁判で、自分に挨拶をしなかったとか、子供が一緒に帰ると約束していたのに用事があるから子供を連れていくと、言われたことなどが、春菜ちゃんの母親との人間関係で摩擦のようなものを感じていって母親を殺そうと思った、と言うようなことを言っている。僕には、どうでも言いとても小さな事のようなことにしか思えないことだ。はっきり言えばどうでも良いことだ。

 裁判の中で、拒食症と過食症を繰り返していた山田被告の過去などを語った様だが、意味不明だ。自分の思い違いで人を殺して良いはずがない。他人とまともに正常な人間関係を作ることが出来なかった人が、結婚してもその人間関係から精神的に破たんすると言うことなのだろうか。山田被告の言っていることを聞くと訳が分からなくなる。彼女の悩みとは、一体何なんだろう。ただ単に、人間嫌いなのではないのか。

 こういう人間に限って、“心”とか言うのだ。まともでないのはあんたでしょう。しかし、こういう人が現代の日本には多くなって来ているのかも知れない。彼女に対して同情的な受験生を抱える東京の母親たちの多くもまともじゃないような気がする。それが絶対多数とは思えないが。

 自然は素晴らしい。どんなに寒くても春に備えて逞しく生きている。こういう木などの植物をこの時期に見ていると謙虚にならざるを得ない。今日本人はそういうことを忘れかけているような気がする。


 12月26日(火)

 人を殺しておいて、殺した理由が分かたない、次の裁判までに考えておきます、と言った山田被告は自分の行動を理解していないようだ。あんたが解らないこと、他人は解らないよ。他人に説明できないのにどうして殺人を犯してしまうのだろう。「人に弱みを見せたくなかった」と、言うけれど、人間はそもそも弱いもの何じゃないですか。強くもないのにそんなこと思うこと自体、自分自身を理解していない証拠でしょう。春菜ちゃんの母親をどうこういうより、自分の生き方が可笑しいんじゃないですか。

 有馬のビデオを何度も観たが1つの疑問がわいた。何故、直線でドトウは耳を絞って走っていないのだろう。集中していないのだろうか。オペラオーは手前を代えたら耳を絞って走っている。ドトウは、並ばれると耳を横に向け、オペラオーの事を気にしている。あれじゃ、負けるよなと思った。

 エル・レティロ(コロンビア)でインドゥルトがあった。ラ・アウマダ牧場。闘牛士は、セサル・カマチョ。

 25日の結果。 メキシコ。アルミジータ、耳1枚。モランテ、耳1枚。イグナシオ・ガリバイ、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。 ケレタロ(メキシコ)。騎馬闘牛士、ロドリゴ・サントス、場内一周。闘牛士、フェデリシオ・ピサロ、耳なし。エル・サパタ、耳1枚。、場内一周。アブラアム・ルイス、耳なし。 エル・レティロ(コロンビア)。セサル・カマチョ、耳2枚、耳2枚(インドゥルト)。エル・シド、耳2枚、耳1枚。騎馬闘牛士、ダイロ・チカ・アリアス、耳1枚。セルヒオ・ガリシア、耳1枚。


 12月28日(木)

 年の瀬だ。月曜日の夜から近くのスーパーではおせち料理の材料が並んでいる。美味そうな伊達巻きがある。あれだけは買って食いたい。

 昨日の朝NHKに永六輔が出ていた。色々なことを話していたが、同じアナウンサーでもラジオをしっかりやってきたアナウンサーとTVしかやってないアナウンサーでは言葉の表現が決定的に違うと言っていた。勿論、ラジオ出身のアナウンサーの方が良い表現をするのだ。その中で、非常に印象に残ることを言っていた。友人の、井上ひさしの言葉として言っていた。

 むずかしいことを やさしく
 やさしいことを ふかく
 ふかいことを おもしろく

 簡単な言葉だが、解りやすい言い言葉だ。

 26日からカリで闘牛が始まっているが、ノビジェーロと騎馬闘牛なので書かない。


 12月29日(金)

 男心と 秋の空

 古来から日本人は変わりやすいものの例えとして歌にこう詠んだ。最近は、女心と秋の空などと言う言い方をするようだがこれは間違い。女子高生の流行好きなどを表現しているのかも知れないが、それは自分を知らない処女的な子供の話だろう。女心は変わるわけがない。

 石坂浩二と浅丘ルリ子が離婚した。記者会見で石坂は、「私の人生のベクトルは家庭に向いている。年老いた母親と住みたいが、そこに浅丘を引きずり込むわけには行かなかった。女優として花を咲かせるのが浅丘の人生ですから」と言い、浅丘は、「ショックでした。何を今さらと思いました。」 「お母様やこちら(石坂の面倒)をみると、仕事を全部辞めなきゃいけない。女優か家庭かと言われれば女優を選ぶしかなかったんです」

 石坂は、「(結婚当時と)私の気持ちは変わらない」と言っていたが、再婚については、「早ければ早いほうが良い」と、言った。浅丘は、それを聞きながら嫌な顔一つせず、「そちらの女性がお邪魔でなければ、私は死ぬまで、(石坂に)助けていただきたい」と言い、再婚についても、「喜んで応援します」と言いきった。

 古風な日本的な女性像である。男の我が儘を理解できる寛容さと優しさがある。これが母性的な女性なのだろうと妙に感心した。今時こんな女はいませんよ。 男心と 秋の空 昔ながらの女は立派だ。感心した離婚劇。これも相手を愛すればこそだ。

 サッカーの天皇杯は、鹿島アントラーズと清水エスパルスに決まった。鹿島は、終了3分前に逆転したのに追いつかれて、延長Vゴール勝ち。おまけに相馬が怪我。1日は負けるかも知れない。名良橋が帰ってこないと本当にやばいぞ。

 28日の結果。 カリ(コロンビア)。ペペ・マンリケ、耳なし。パディージャ、耳1枚。ミウラ、耳なし。


 12月30日(土)

 寒い日だった。昨日TVで俳優の三浦洋一の闘病のことをやっていた。根岸としえ(今は改名して何というのか忘れた)などが出ていた。三浦洋一が死んだのは僕がスペインに行っているときだった。彼を初めてみたのが紀伊国屋ホールで、つかこうへい事務所の『熱海殺人事件』の、くわえたばこ伝兵衛の役でだった。東京に出てきて初めて見た芝居でもあった。共演は、平田満、加藤健一だった。加藤も良かった、平田の今でも変わらない演技も良かった。が、何と言っても輝いていたのが三浦洋一だった。

 舞台の上でリーゼントの髪型で長台詞を大声で格好良く決めていた。時々おどけて笑いも取っていた。そこにはTVや映画では感じられない舞台の生の役者に強烈なインパクトを持った瞬間だった。その後、『ストリッパー物語』では三浦は出ていなかったと思うが、根岸や、風間杜夫が出ていた。当時の風間はそれほど印象に残っていない。それから何年かしてみんな映画やTVに出て活躍していく。風間と平田は、『蒲田行進曲』。根岸は、TV『ふぞろいの林檎たち』で小林薫の女房役で病弱な女を演じた。小林薫も赤テントで芝居を見ている。三浦は、刑事物などに出て暗い感じの役が多かった。

 舞台で見せたおどけた調子の所はTVではほとんど見せなかった。が、今思うと刑事役の中で彼は人間的な深さというものを演技に出したかったのかも知れない。三浦は、『熱海殺人事件』を見て感動した女優、宇都宮雅代と結婚するが離婚。番組に出ていた人と再婚して子供を作っていたようだ。最近芝居を見なくなったがその理由は個性的な役者がいなくなったからだ。もし僕が、『熱海殺人事件』を見なかったら芝居を見続けなかっただろう。それほどあのときの彼の演技に感動した。三浦洋一の冥福を祈りたい。

 仕事から帰ってきて買い物に行こうとしたらTELがなった。一馬だった。あいつは何かないとTELをよこさない。北海道の道営競馬から新聞社が撤退して有馬などの取材のため美浦に戻ってきていた。正月休暇で仙台にいた。栗東への出張を言われているが行きたくないと言っていた。「俺、リストラ要員ですよ」何でそういじけるんだ。馬鹿野郎。なりたくてなった競馬新聞の記者じゃないか。お前あのときなんて言ってたか覚えてるか。「何処にでも行きます。何でもやります」って言ってたろう。栗東に行けよ。小島貞弘だって戸山為夫調教師が死んでから鶴留調教師に拾われてダービーやオークス取ったじゃないか。最近はレースに乗せて貰えないでいるけど。藤田伸二に聞いて欲しいことがあるから。まっそれは別にして、東京に帰ってきたらゆっくり話そう。

 メールが何通か来た。絵本を出すので感想を求められた。俺に聞いても仕方ないような気がするが起きたらもう一度読み直そう。もう一つは、ショックだった。あんな事あるのにそういう素振りも見せずにいるのが逞しい。偉い。

 29日の結果。 カリ(コロンビア)。ラミロ・カデナ・パジャン、場内一周、耳2枚。エル・コルドベス、耳なし。ファン・バウティスタ、耳1枚が2回。


 12月31日(日)

 レコード大賞は、サザンオールスターズの『TSUNAMI』だった。中学で明るい野球少年だった桑田佳祐は、大学時代に『勝手にシンドバッド』でデビュー。ファースト・アルバムに入っていた『女呼んでブギ』を聴いたときぶっ飛んだが、その後の活躍は言うまでもない。バラード曲で受賞したことに意味がある。『愛しのエリー』を越えているとは思えないが良い曲だ。

 紅白のSMAPの『らいおんハート』はアカペラで始まった。あのイントロをステージでやるのは難しいのだろうか。かなりガッカリだ。20世紀から21世紀に歌い継がれる歌は本物だけだろう。本物だけが残っていくのだろう。何でもそうだ。人の生き方である人生も本も闘牛も・・・。

 30日の結果。 カリ(コロンビア)。ビクトル・プエルト、アベジャン、耳なし。ラミロ・カデナ・パジャン、耳要求で場内一周、耳1枚。


http://www2u.biglobe.ne.jp/~tougyuu/以下のHPの著作権は、斎藤祐司のものです。勝手に転載、または使用することを禁止する。


ホームに戻る