−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年のスペイン滞在日記です。
3月11日(日)
昨日の闘牛の会が始まる前に、99年サン・イシドロのコヒーダシーンを流した。ホセ・トマス、ビセンテ・バレラ、ホセ・トマス、アベジャンのコヒーダ。アントニオの「マノレーテ研究A」にちなんで、始まりのパソドブレは「マノレーテ」を流した。
ホセリート、ホセ・トマスの記事を訳すのに手間が掛かって時間がなくなったので続きは明日にする。
桜花賞トライアル、フィリーズレビューは、韋駄天テンザンデザートがハイペースで逃げて中段から進んだハッピーパスは直線で捕らえたら、外から、ロゼカラーの子供、ローズバドに刺されて2着だった。展開の綾とは言えちょっとガッカリだ。これじゃ、テイエムオーシャンに勝つのは難しい。オークスで逆転を狙うしかないようだ。
今年のサン・イシドロにホセリートとホセ・トマスが2回出場する。詳しくは、最新情報を読んで下さい。バレンシアの火祭りの闘牛が始まり、シン・ピカでプエルタ・グランデが出た。アレハンドロ・ロドリゲスが耳1枚が2回。
10日の結果。 モロン・デ・ラ・フロンテラ(セビージャ)。マヌエル・ベニティス“エル・コルドベス”(父親)耳1枚。ポンセ、耳2枚。フリ、耳1枚が2回。3人ともプエルタ・グランデ。 エル・レアル・デ・ラ・ハラ(セビージャ)。フェスティバル闘牛。エスパルタコ、耳2枚。リトリ、耳1枚。フリオ・アパリシオ、耳2枚と尻尾1つ。ペピン・リリア、耳2枚と尻尾1つ。ホセ・ルイス・モレノ、耳2枚。パディージャ、耳2枚。チキリン、耳2枚と尻尾1つ。(インドゥルト)ペンニャハラの3歳牛。
3月12日(月)
東京は朝、小雪がちらつく寒い日だった。
闘牛の会の続きを。アントニオの「マノレーテ研究A」。マノレーテが1944年バレンシアで、ウニコ・エスパーダをして耳12枚と尻尾6つと3蹄つを取る。当時は、尻尾より良いときは蹄を切っていた。今は切らなくなったがこれは、ヘミングウェイの『危険な夏』の中にも蹄を切る記述があるので1959年までは確実に行われていたことだ。
メキシコに行っても大成功したマノレーテは、メキシコの大闘牛士(今は伝説の闘牛士になった)シルベリオ・ペレスと出会い仲良くなる。ビデオの中でシルベリオ・ペレスのカポーテ捌きは素晴らしいものだった。マノレーテは、“怪物”と言われ、シルベリオは、“女性の苦しみ”と言われていたそうだ。その存在がセックスアピールなどで女たちが熱くなって悶えたのだろう。
また時間がなくなったので続きは明日。
11日の結果。 カラバカ(ムルシア)。ヘスリン、耳1枚。カバジェーロ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。ビセンテ・バレラ、耳1枚。 イグエラ・ラ・レアル(バダホス)。フィニート、エル・タト、ダビ・ビラリニョ、耳1枚。 ラ・アルガバ(セビージャ)。フェスティバル闘牛。騎馬闘牛士、ホセ・ルイス・カニャベラル、耳1枚。闘牛士、オルテガ・カノ、耳2枚。エスパルタコ、耳2枚。ポンセ、耳2枚。ハビエル・コンデ、耳1枚。オルドニェス、耳1枚。 アリセダ(カセレス)。フェスティバル闘牛。リトリ、耳2枚と尻尾1つ。チキリン、耳2枚。マノロ・サンチェス、耳2枚と尻尾1つ。オスカル・イガレス、耳2枚と尻尾1つ。アベジャン、耳2枚と尻尾1つ。ミゲリン・ムリジョ、耳2枚と尻尾1つ。
3月13日(火)
昨日の夜、ネット上で新品のノートパソコンが、79800円で売っていた。仕事が終わって申し込みをしようとしたところ、もう売り切れていた。何というタイミングの悪さだ。アウトレットものだったので昼にTELで調べていたらこういうことになったのだ。つまり確認してから申し込もうとしたのが期を逸した原因だ。昔良くレコードを買いあさっていた頃の格言を思い出した。「いつまでも、あると思うな、親とレコード」 ノートパソコンがなければスペインでHPの更新が出来ない。必要に迫られていたのだから悔しい。
なくなったと知って、他のノートパソコンを探したが良いものがない。値段と性能を考えて当初の予定通りにあれにするしかないようだ。結論はこの1週間にしよう。
そんなこんなで、バレンシアの結果を見るのを忘れたようだ。ノビジェーロだからここの結果には載せないものだが。ファジャスが始まったらサン・イシドロ関連の動きが活発になった。バレンシアやマドリードで関係者が話し合いをしているからだろう。今週中にサン・イシドロのカルテルが発表になるようだ。1番難しいドス・ホセスの問題が解決したので後はスムーズに行くだろう。
BiglobeのHP環境が代わったので、アクセス分析がここ2日出来なくなった。どこから来ているのか判らなくなったので、手探りの状態に戻った。
アメリカの株価が、景気の先行きの不安が出て下がり,IT関連のナスダックは1500ぐらいになった。去年は5000あったのだから3/10になった。東京市場もニューヨークを引きずり、12000円を16年ぶりに切った。ヨーロッパ市場も開いたが株価は下がっている。世界同時株安の状態になった。為替は円が少し戻したが相場は円安に振れている。これじゃスペインでも貧乏生活だ。今回はペセタじゃなく、円のTCを持っていった方が良いのかも知れない。森氏の辞任は4月になりそうだからだ。
闘牛の会の続きを。発表者のアントニオはマノレーテの生まれたコルドバ出身だからかも知れないが、しきりにマノレーテは真面目だったとその人間像を言う。その死に方がそうだから彼の真面目さは少なくとも闘牛においては理解できる。でも僕個人としては、偉大な闘牛士が立派な人間である必要はないと思う。ドミンギンもそうだった。フリオ・ロブレスも。マヌエル・ベニティス“エル・コルドベス”は、その下品さこそが魅力と言っていいだろう。
マノレーテは、1人の恋人しか噂に上らなかったようだ。女優アントニータ・ロペ・シノ。どの様に過ごしたのか知らないし興味もないが。
メキシコでは、シルベリオ・ペレス、スペインでは、ペペ・ルイス・バスケス。新しいライバルになりつつあったルイス・ミゲル・ドミンギン。シルベリオを友人なりメキシコで楽しく過ごす。当時のメキシコはマカロニ・ウエスタンのようなカウボーイがフィルムに映っていた。ペペ・ルイス・バスケスが言うように、他の誰もが立たないところに立って闘牛をやっていたマノレーテ。闘牛で究極を極めてもう闘牛を続ける気がなくなっていた1947年8月28日。ヒタニージョ・デ・トゥリアナとルイス・ミゲル・ドミンギンと共にリナレス闘牛場に立つ。相手にしたのはミウラ牧場の牛。そして、この日が最後の闘牛になる。
3月14日(水)
日曜日のフィリーズレビューを勝ったローズバドに乗っていたのは、公営園田の小牧太。何年か前の阪神競馬場で行われた、ワールド・スーパー・ジョッキーに公営代表で参加した時、中央競馬で初勝利を上げ表彰台に立ったとき人目を憚らず号泣した。当時公営園田はサラブレッドは在籍せずアラブの馬だけが走っていた。そこで2000勝した(現在は2600勝)騎手は観客の多さと華やかな中央競馬で初勝利して夢のような気持ちになったのだ。
現在のように中央と地方の交流がなかった時代、地方の騎手が中央で勝つのはまさに夢のようなことだった。今は交流競走の数が飛躍的に増えて、公営笠松所属の安藤勝巳(地方所属時代のオグリキャップの主戦騎手)は去年中央競馬(JRA)で50勝以上したので地方の騎手が中央で勝つのは珍しくなくなったが。それでも重賞を勝つのは難しい。
地方所属で中央の重賞を勝ったのは安藤勝巳、菅原勲(公営岩手)など数えるほどだ。その中に小牧太の名前が入った。今度は表彰台では涙ではなく、笑顔があった。トライアルで勝って桜花賞でも騎乗することになった。大本命、テイエムオーシャンがいるが充分上位をねらえる馬に中央のG1で挑んでくる。4着以内に入ればオークスの切符も手に入れれる。上位人気になるだろう。
大リーグに行った長谷川投手は、しきりにメンタル・トレーニングと言う。その基本は、呼吸法だそうだ。精神を安定させるのは精神ではなく、肉体によってなのだ。深呼吸すれば気分は落ち着く。
闘牛の会、マノレーテの続き。47年8月28日リナレス。その日の牛は大きかった。この事は当時は特に重要なことだった。内戦後にあまり大きな牛がいなかったこともあり、マノレーテに対して、大きな牛を相手にしていないと言う批判があったからだ。また、ライバルになりつつあったドミンギンへのプレッシャーがマノレーテを殺したという話があった。
アポデラードのホセ・ルイス・カマラ 「剣刺しの時にムレタが下になるときはその牛が嫌いなとき。あの時はムレタが下だった」
アルバロ・ドメク 「牛が悪かったので軽くあしらって殺すと思っていた。でも、最後も1発で決めようとして牛にやられた」
ルイス・ミゲル・ドミンギン 「ブルラデラにいて両脇がマノレーテのバンデリジェーロがいて直ぐに出れなかった。あの牛はダメだった。だが何も起こらないと思っていたが、最悪のことが起こってしまった」 「医務室では、バケツで血を受けていた。それくらい凄い出血だった。医者の処置が適切だったかどうかは、はっきり判らない」
アルバロ・ドメク 「ベットの下に広いバケツ(たらいのような)に血が溜まった。布団を通して溜まった出血だった」
マノレーテは医務室から担がれてアレナを通りプエルタ・グランデを通って病院に行った。「お母さん。馬鹿だからこういうことになったんだ」と言ったそうだ。病院で、「見えない。見えない。見えない。牛は何処にいるんだ」と言って翌朝の5時に死んだ。マノレーテは剣刺しの時に太股を刺され出血多量で死んだ。
13日の結果。 バレンシア。ソトルコ、耳なし。マノロ・カリオン、耳1枚要求で場内一周。モレノ、耳1枚。
3月15日(木)
朝なま暖かい強風が吹いて路面は濡れていた。南風は湿気を含んでいた。東京は20度を超えた。暑い日だった。
若い夫婦が1歳の自分の子供に食事を与えず段ボールの中に縛り付けて入れて、ミイラのようになっても、「ミルクやるのもったいないね」と言って子供が死にそうになって息が「ヒー、ヒー」なっている声を聞きたくないと耳栓をして放置して死亡させた。死んだときの子供の体重は5キロだった。死体はミイラのようになっていたそうだ。子供のお祖母ちゃんが夫婦を怒鳴って怒ったそうだが、夫婦は無表情だったという。
自己中と言うが、この夫婦は子供のことはどうでも良かった。死んでも何も思わない人間だ。それが自分たちのせいであっても何とも思わない。自分たちが楽しく入れさえすればそれで良いって事だ。セックスやって気持ちよがっているうちは良いが、子供を産んだら責任もって育てろ。無表情、無感情。そんな奴は生きていても楽しくないだろう。裁判で殺意はなかったと、言っているらしいがそれは“嘘”だ。
あまりに非道い事件だ。こんな事件を起こした奴には同じ事を裁判でするように判決が出たら彼らは子供の気持ちが判るだろうか。そうなってみないと罪の意識も持てないのだろうか。人のため、誰かのために生きようとする気持ちから夫婦生活が始まるんじゃないのか。それが愛とか恋とか言うもんじゃないのか。一般人の恐ろしい意識だ。普通の人と言うけれど、こういうのが普通の人なのか。
本当に恐ろしい世の中だ。まともな人間は頭が狂って行くような社会だ。日本は凄い国になってしまったようだ。政治がダメなら、経済も不況。三面記事を読むと悲しくなる。競馬だけが人間のあるべき姿をドラマとして伝えている。だから余計、美しさが際だつ。
14日の結果。 バレンシア。オスカル・イガレス、耳なし。パディージャ、耳1枚。ラウル・ブラスケス、耳1枚要求で場内二周。
3月16日(金)
5月2日、恒例のゴヤ闘牛は牧場のコンクールで、エスプラ、ソトルコ、パディージャが出場することになった。やっぱりセビージャで闘牛を観た方が良い。5月12,13日バジャドリードで闘牛がある。12日はホセリート、マノロ・サンチェス、ホセ・トマス。これを観よう。13日はポンセ、ルギジャーノ、フリなのでパスしてベンタスにしよう。
去年ビクトル・プエルトを見たとき、今までと大分違うなと思った。やる気があるのは変わらない。でも、新しい技を編み出してサン・イシドロで披露したり、牛が悪くて何頭も変わっても、パルタガジョーラを続けたりしていた。その後、ムレタで椅子に座ったパセをしたりして話題も提供した。今年初めの大祭でいきなり耳3枚取ってプエルタ・グランデ。今年も楽しめそうだ。アベジャンはまたコヒーダされた。怪我が心配だ。
15日の結果。 バレンシア。エル・コルドベス、耳なし。ビクトル・プエルト、耳1枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。アベジャン、耳1枚。
3月17日(土)
明日のスプリングSは、アグネスゴールドとフジノテンビーの一騎打ちだろう。体を観に中山に行こう。後2年間楽しませてくれる馬だろうから。タキオンとの比較も出来るし、皐月賞の展望も見えてくるはずだからだ。
下山さんからメールが来た。今年のバレンシアはVia Digital では放送されているのではないようだ。ネットによると、キエロTVと書いていたが違うところのようだ。
16日の結果。 バレンシア。オルテガ・カノ、ポンセ、耳なし。フリ、耳要求で場内一周、耳1枚ともう1枚要求。
3月18日(日)
今日の行動ノルマはパソコンショップに行って競馬に行くことだった。パソコンはなかなか大変だ。夜中ネットで当たりを付けていた中古屋にTELしたら日曜日は休みという。明日再度TELして確認して購入したい。秋葉原に行って店を廻ったが期待のSは10万円を切るノートは直ぐ使えるもので、8万前後。もう少し安いものがあるがCDがなかったり、モデムがなかったりで話にならない。ハードディスクが2GB〜6.4GBくらいのものを皆探しているはずなのに、そう言うものが5,6万円で手に入らない。あそこは中古パソコンを買うところではない。
新製品発売直後の中古品などを買うところだろう。または、CD−RWとかDVDとかは買うところなのだろう。あそこではもうパソコンを探さない。あの値段なら新品を買った方がずっと良いからだ。
競馬場へは10Rのパドックが終わる頃着いた。フジノテンビーは、マイナス12キロ。腹が捲れていた。馬体がどうもピンとこない。アグネスゴールドは、二人引きでチャカついていた。前脚が外向きになっていた。これは、ロイヤルタッチを思い出した。ウイニングチケットの下だったで期待していたがあの脚を観てガッカリした。G1で2着には来たが、そのうち消えていった馬だ。舌をペロペロ出して尾を振って落ち好きがない。要するに子供。タキオンに比べれば雲泥の差。それに後ろ脚の踏み込みが浅く歩幅が小さい。
レースはまた半馬身差で勝ったが、河内騎手が本番の皐月賞でどっちに乗るのか迷うことはないだろう。ゴールドに乗ると言ったら驚く。TVのインタビューでは、「余裕はないですよ。・・・(どちらにするか迷いますね。)それはいいですよ。ありがとう御座いました」と半ば怒ったように表彰に言った。皐月賞は、河内が乗ったタキオンが勝つだろう。単勝がいくら付くのだろう。150円かな。
10分後発走の阪神大賞典は、1番人気になった菊花賞馬ナリタトップロードが8馬身差を着けて3000m3.02.5のJRAレコードで圧勝した。これはつまり世界レコードを樹立したのだ。天皇賞のトライアルで圧勝した事でテイエムオペラオーに挑戦状を叩き付けたことになる。今度はトップロードがオペラオーに勝てる気がする。天皇賞の本命はトップロード。対抗はオペラオー。一騎打ちになるだろう。
渡辺。馬を信じて展開や位置取り、ペースなど考えず乗れ。そうすることがトップロードにとって1番良いことだ。そして君にとっても。オペラオーよりトップロードの方が好きなファンより。でも今日は鞭を入れすぎ。天皇賞を考えたら大事に乗らなきゃ。ガーでも天皇賞が見れないだよなぁー。残念だ。
2着に来たエリモブライアンに乗った藤田伸二。離されたとはいえ、良くあんな狭いラチ沿いをこじ開けてきたものだ。あれこそプロの仕事だ。絶賛に値する技術だった。来週はG1高松宮杯。電撃の6ハロン。ダイタクヤマト、ブラックホーク、トロットスターの3強対決。勝つのは江田照男のダイタクヤマトだろう。単勝か馬連か、配当が付く方を買いたい。
飯を食っていて、ガリッとなったので歯を触ると詰めていた金属がづれた。歯が浸みなければと思っていたら、どうもコーヒーが浸みるような気がする。ヤバイ。
ブリーチカラーのCM、「染めてちょんまげ」はかなりいけてる。染めたちょんまげが立ってそれを見る本木の目が何とも良い。久々に良いCMを見せて貰った。ついでに書けば、キリンのCMでローリング・ストーンズの「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」を何故使うのか知らないが、やっぱり格好良すぎる。
17日の結果。 バレンシア。カバジェーロ、耳なし。エル・カリファ、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。フリ、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。 フィテロ(ナバラ)。ビクトル・プエルト、耳2枚。アベジャン、耳1枚。フランシスコ・マルコ、耳1枚が2回。 カサルビオス・デル・モンテ(トレド)。ロドルフォ・ヌニェス、耳2枚。ビセンテ・バレラ、耳1枚。エウヘニオ・デ・モラ、耳1枚が2回。
3月19日(月)
昨日の中山競馬場では異様な光景を目撃した。この事は今日の新聞には出ていなかったので書いておく。阪神大賞典のゴール前が中山のターフビジョンに大写しされていた。最後の直線で馬なりで先頭に立つと、観客席から歓声が上がった。鞭が連打されるとナリタトップロードが大差を付けた。阪神でやっている競馬なのに、何処からともなく自然発生的に拍手が起きた。トップロードはゴールに駆け込だ。
今まで10年以上競馬場に通って同時開催のレースを見てきたが、ゴール前から観客席から拍手が沸いたシーンを見たことがなかった。競馬ファンの誰もが望んだトップロードの復活劇だった。レーコードタイムが大写しにされるとまたドッと沸いた。ファンは天皇賞でオペラオーに勝てると確信したことだろう。菊花賞で完勝したあの脚が戻ったのだから。その裏付けになることが新聞に載っていた。
レースはハイペースで進んだ。2番手で3着になったホットシークレットの武幸四郎は、「スローの瞬発力勝負になるのが嫌だったからペースを上げた。ガンガン行ったけどバテずに頑張った」と言い、逃げたタガジョーノーブルに乗った福永祐一は、「理想的な形で最後も差し返したけど・・・。今度(天皇賞)は(単騎で)行く」と言っている。天皇賞もハイペース必至だ。トップロードには持ってこいの流れ。スローペースに強いオペラオーを倒す可能性が大きくなった。
レース後、TVで井崎脩五郎は、笑っていた。これは嬉しくて仕方ないという笑い方だった。そして言った。「テイエムオペラオーは本当に危ないと思いますよ。やられちゃうと思いますよ」ワクワクする競馬。天皇賞では強い馬と強い馬の王道対決が見れそうだ。これが競馬だ。
パソコンショップにTELしたが希望のものはなかった。さあ、どうする。
去年セビージャに行ったとき、下山さんに紹介されたセサル・ヒロンがラス・ベンタスに初登場したが、最後の牛でアビソ3回を受けた。13回剣刺しをしてピンチャソ。その後ピンチャソ・オンダ。いきなり厳しい洗礼を受けたことになる。ラス・ベンタスは甘くない。非常に厳しいところだ。これを成長のための糧に出来るかどうか、それはセサル次第だ。彼のお爺さんはスペインでもNO1闘牛士になった同名の大闘牛士。ベネズエラ出身だが、マラカイの闘牛場は、マエストランサ・セサル・ヒロン闘牛場という。今年も5月にセビージャに出る。その前に闘牛場でトレオ・デ・サロンをしているところを見れるかも知れない。カステジョンのフェリアが開幕。耳は出なかった。
18日の結果。 バレンシア。フィニート、オルドニェス、ファン・バウティスタ、耳なし。 カステジョン。ヘスリン、カバジェーロ、耳なし。ビセンテ・バレラ、場内一周。 ロルカ。マヌエル・ベニティス“エル・コルドベス”、耳1枚、耳2枚、場内一周。ペピン・ヒメネス、耳1枚、耳2枚。
3月20日(火)
イギリス、フランスなどで発見された口蹄疫は、偶蹄目に発症する病。奇蹄目には発症しない。奇蹄目とは蹄が奇数のものを言う。馬などがそれだ。奇蹄目と偶蹄目の違いは蹄で表しているが根本的な違いは、消化器系の違いによる。同じ草食であるが、1度食べたものを反芻するものが偶蹄目で、反芻しなものが奇蹄目だ。
偶蹄目にしか発症しない口蹄疫が競馬にも大きな影響を与えている。馬は発症しないが、その病原菌は空気感染をするので競馬などのレースに出走するための移動によって病原菌が蒔き散らかるおそれがあるためにイギリスでは競馬の開催中止に追い込まれている。馬産地アイルランドでは6ヶ国対抗ラグビーも延期になった。勿論種付けをするために移動も出来ない状態のようだ。
口蹄疫は字の通り、口と蹄から泡が出て死に至る。食肉業者にも大きな影響を与えている。武豊がフランス遠征を延ばしたのも口蹄疫の影響からだ。原因が何にあるのか僕は知らないが、狂牛病の場合は、羊の肉や骨を餌として牛に与えることによって太らせて出荷できるメリットから行われていた。草食動物に肉を与えること自体、自然に反しているわけだから何らかの影響が出てしかるべきだ。
こういうことは食肉を生産する牧場だけがやっていることだと思っていたが、闘牛用の牛を生産する牧場でも同じ事をやっていたために闘牛場で殺した牛を食べれない事態になっている。闘牛用の牛の牧場の中にも不正に飼育した牛を出しているところがあることが悲しい。食べ物で体重を増やしても動きが良くなるわけではないのに。
夕食を弟と取った。24日に半年間の出張を終えて盛岡に帰る。この間帰ったときに部屋のトイレが凍って便器が割れたそうだ。そんな話は初めて聞いた。あっちは寒いからそうなるのだろう。今は下水道が整理されたが、昔は殆どくみ取り式だったから便器が割れる事なんて考えられなかった。これも市の区画整理のおかげだろう。
地下鉄サリン事件から6年が過ぎた。オウムは最近住んでいる近くを掃除したりして住民に馴染もうとしているようだ。でも、一連の事件責任をはっきりさせてはいない。
19日最後のバレンシアのブルラデロ・コムのタイトルは、Vuelve el genuino
Barrera だ。ビセンテ・バレラはプエルタ・グランデ出来なかったが地元で復活の、のろしを上げることが出来た。ポンセが2回出て耳を1枚も取れなかったことを考えると、印象的なこと。
19日の結果。 バレンシア。エスパルタコ、ポンセ、耳なし。ビセンテ・バレラ、場内一周、耳1枚。 カステジョン。フィニート、耳1枚。フリ、耳なし。アルベルト・ラミレス、耳1枚。
3月21日(水)
暑い日だった。夏を思わせる暑さだ。馬たちは冬毛が抜け新陳代謝が良くなって動きが変わってくるだろう。
ポンセはサン・イシドロにはドロレス・アギレ牧場で1回だけ出場。
バレンシアの最優秀闘牛士は、エル・カリファになった。ビクトル・プエルトは、El
frofeo al matador mas sobresaliente (どういう風に訳したらいいのか迷う)を受賞した。ビクトルがあまりに良かったのでこういうことにしたのだろう。本来ならビクトルが最優秀を取るべきだ。ただしこれは実際に闘牛を観ていないので記事を見た感想として言っているだけ。
カステジョンは、期待したハビエル・カスターニョは、ブエルタだった。他の2人がプエルタ・グランデしたというのに。剣刺しが悪い。もうすぐ、アルテルナティーバするのだから上手くならなきゃ。多分、サン・イシドロにも2回くらい出てくるだろうし。
3月22日(木)
「四月になれば彼女は」と言うサイモンとガーファンクルの曲があるがある。S&Gの中で1番好きな曲だ。今頃になるといつもこの曲を思い出す。4月1日になればハビエル・カスターニョはアルテルナティーバをして正闘牛士になる。そして5月にセビージャに出てくる。バレンシアが終わりカステジョンが始まった。闘牛シーズンがいよいよ始まった。もうすぐセビージャも始まる。その頃にはスペインにいることだろう。
その前に競馬。今週は、高松宮杯、毎日杯、日経賞がある。追い切りが行われそれぞれが順調に追われた。日経賞に出るオペラオーの2着に去年4回なったが1度も勝てなかったメイショウドトウが栗東坂路で追われ出走体勢が整った。打倒オペラオーはトップロードだけではない。勝たなきゃ天皇賞・春(21世紀初めは何と元天皇誕生日)には出走できない。毎日杯に出るクロフネは、栗東坂路で1番時計を出した。ラジオ短波でアグネスタキオンに受けた屈辱をダービーで晴らすためにここは負けられないところだ。対抗には、藤沢厩舎のコイントスが藤田伸二を鞍上に挑む。岡部が乗らないのは、日経賞でマチカネキンノホシに乗るからだ。マルガイ、ルゼルの賞金を加算してダービー出走を目指す。コイントスが勝ったら一躍関東の星になる。
アメリカ人ジョッキー、ケント・デザーモ(去年ケンタッキーダービーをフサイチペガサスで勝った)が4月28日から3ヶ月の短期免許で来日が決定した。身元引受人は、藤沢和雄調教師と社台ファームの吉田照哉社長。藤沢調教師は、「今後は岡部騎手1人で賄えないし、専属で任せられるジョッキーを探していた。左回りの東京が続くので米国のジョッキーなら戸惑わない。最低G1の1つは勝ってもらいたい」と話している。
藤沢厩舎はペリエに続き今年2度目の外国人短期免許騎手を預かる。ペリエもデザーモも世界の1流騎手。チーム藤沢の主戦はあくまで岡部だが、彼ら世界の騎手が来て岡部の力量がどれほどのものか一緒にやればやるほど判ってくるだろう。ペリエが来たとき岡部の話を直立不動で聞いていたペリエの写真が
Gallop に載っていた。岡部・藤沢ラインが世界の競馬に向けてどういう姿勢で取り組んでいるか、その真剣さが彼らにも判るだろう。勿論話す言葉は共通語である英語。
世界の騎手がドンドン来て日本の騎手の腕も段々上がってきているように思う。世界に出ていって腕を上げた騎手のいる。岡部、武豊、蛯名正義、後藤。前の3人は日本でトップになっていたが後藤は驚異的に伸びた。馬の血統は世界でももはやトップクラス。調教施設も世界一かも知れない。これからはドンドン馬も世界に出ていってG1を勝たなければ。
25日ドバイワールドカップがある。日本馬も5頭が行っている。トゥザヴィクトリーは最高の状態で出走できる。ラスト、10.9で調教した。レギュラーメンバーも11.5。勝ったら4億3千2百万円。凄い金額だ。ウイングアローが行ってたら良い勝負だと思ったんだけどなぁ。
3月23日(金)
ミールは無事に落下した。株も円も落下中である。
女優の新珠三千代が今月の17日に死んでいたことが22日発表された。本人の意思で密葬後マスコミに知らされた。「細うで繁盛記」などで着物で健気に生きる女性を演じて日本のある女性像を体現していた。宝塚出身で、かけ算が全く出来ない人だった。爆笑問題の太田もかけ算が出来ないが、太田の方はギャグ的だ。山田風太郎は、「年を取ると何か嫌なことがありますか」と問われて、「年を取って1番嫌なのは、女優が老けることだ」と言っていた。若いときどんなに綺麗でも年を取ると婆になる。そんな姿はファンとして見たくないのだろうし、自分の年も合わせて感じるからだろう。
風太郎は、もう書かなくなっているが 『人間臨終図鑑』 だけは書き足していって欲しい。その中に、新珠三千代も加えて欲しいものだ。今、風太郎は死が近づいて来ていることを感じつつ人間最後の場面を 『人間臨終図鑑』 を通じて描いていって欲しい。最後の大作。これは、後々まで読み継がれていくことだろう。女優が若いままファンの中に生きていく人は、夏目雅子の様に若くして死んだ美しい女優だけだろう。
22日の結果。 カステジョン。フェルナンド・メカ、口笛。エル・タト、罵声、口笛。ヘスス・ミジャン、耳1枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。
3月24日(土)
安芸灘を震源にした自身が15時28分にあった。録画していた競馬のビデオに速報が出ていた。死者まで出ている地震だとは思わなかった。スペインの米ちゃんにメールで教えた。実家が広島県なので連絡した。こんな時は、国際電話も回線が混んでいて通じないだろう。メールは良い連絡方法だ。
今日は非常に腹が立ったことがあり、肩が凝っている。怒りすぎだ。久々に激怒した。ああいう人は人間性のかけらも感じない。書いてもしからないので書かない。
今日の競馬は、バッチリだった。こんなに簡単な競馬ばかりなら大金持ちだ。天皇賞は、オペラオー、トップロード、ドトウの対決になる。毎日杯のクロフネは強かった。2000mで1.58.6は驚異的なタイムだ。皐月賞の最高タイムを上回っている。秋の天皇賞に出ても優勝できるタイムで圧勝した。現実の嫌なことも、こうして競馬が忘れさせてくれる。
23日の結果。 カステジョン。ホセリート、耳1枚。ポンセ、耳1枚。フリオ・アパリシオ、耳なし。
3月25日(日)
今日は長い残業だった。ドバイワールドカップで、トゥザヴィクトリーが2着と大健闘した。4コーナー廻ったときは勝ったと思ったとTVで誰かが言っていた。タラレバを言っても仕方ないが、もしウイングアローが出ていたら優勝できていたのではないのかなと、思わせる競馬だった。他のレースは、武豊の絶妙のタズナ捌きで、ステイゴールドがドバイシーマクラシック(2400m1着賞金1億4400万円)を優勝した。去年まで最高着順が6着だったことを考えると最高の成績、結果を出した。1つだけ、武、タズナはピンと張って追えよ。何であれで馬が走るんだか判らない。
高松宮記念は3強でも、トロットスター、ブラックホークの1,2着だった。久々に関東馬のワンツーだった。ダイタクヤマトはやはり懸念されていた左回りで沈んだ。
24日の結果。 カステジョン。エスプラ、エル・カリファ、耳なし。ファン・バウティスタ、耳1枚。
3月26日(月)
11年前だった。スーパーアイドルホース、オグリキャップに沸く中央競馬。第57回日本ダービーが5月27日快晴の東京競馬場で行われ20万近い観客が動員された。今でも破られていない最多観客動員数だ。1番人気は、「俺の馬が1番強い」を豪語する横山典弘が乗るメジロライアン。皐月賞馬ハクタイセイが2番人気。中野栄治が乗るアイネスフウジンは3番人気だった。
耳を劈くような大歓声の中でスタートが切られた。タズナを持ったまんまでゆっくりとハナに立ったフウジンがレースを引っ張った。平均よりやや速いペースで向こう上面で後続に3馬身差を付けた。3コーナー手前の坂で外目を廻りコーナリングを馬に負担を掛けないようにして乗っていた。武豊のハクタイセイは1馬身差に詰めてきた。3,4コーナーをスムーズに走ったフウジンはコーナー真ん中では3馬身差に離していた。直線手前ではまた、武のハクタイセイが1馬身差に詰め寄ってきた。ライアンの典弘はタズナを扱いていたが、栄治のタズナは持ったままだった。
今はもうなくなったが当時4コーナーから直線に入る付近にレストランがあった。その日アルバイトで1人の女性が働いていた。「彼女はレストランの中にあるTVでレースを見ながら身動きできなくなっていた。そして、体を振るわせながら涙を流していた。」確かこんな風に書いていたのは木村幸司が書いた「振り向くな。栄治」の中の一節だった。涙を流していたのは売れない騎手、中野栄治の妻だった。
栄治は年と共に体重を落とすのに苦労していた。53キロの体重では新馬戦には鞍を付けると体重オーバーになり翌年のクラシックに乗る馬にはなかなか巡り会えない。まして勝負できるような馬に当たるのは至難のことだった。
直線に入り歓声は観客の熱が入って快晴の東京競馬場により一層大きく響き渡った。武は鞭を入れ追い出しにかかる。栄治のタズナは未だ動かない。残り400mを切って坂に掛かったとき栄治のタズナが動き出す。外から典弘のライアンに鞭を連打して追い出しにかかった。栄治も初めて鞭を入れた。残り200mを切ってちらっと後を振り向いてまた栄治が鞭を入れた。外からタズナを扱いてライアンが追い上げたら1馬身とどかなかった。2.25.3のタイムは未だに破られていないレコードだった。
中野栄治は、「僕にダービーを取らせてくれるために生まれてきた馬」と、アイネスフウジンを讃えた。レース後、中央競馬史上初めてメインスタンドに帰ってきた馬と騎手に対して、「中野、中野」という天にも届くようなコールが自然発生的に沸き起こった。闘牛場の「トレロ」コールの様なものだ。これを聞いた90近い大久保久松元調教師が、「あんな歓声で向かえて貰えるんだったら、もう一度乗り役をやってみたい」と感動を言葉にした。競馬をギャンブルとしか思われていなかった時代から何とかスポーツとして認めて貰いたいという思いがようやく認められた気がしたのだろう。
フウジンの母テスコパールは、病気で死にそうになり生まれた牧場に戻されて、美味しいものを食べさせたら生き帰りフウジンを生んだ。馬主は、馬を持って何年もしない内にダービーを勝った。が、何年か前に八王子で社長3人が首吊り自殺した事件があったがその中の1人だ。
高松宮記念を勝ったトロットスターは中野栄治が調教師になって初めてG1を勝った馬になった。栄治は「よかった。うれしいね。G1を1番人気で勝てたってことが、ホントうれしいよ」と言った。あの落ち着いた話し方で言ったのだろうか。それとも興奮して言ってたのだろうか。高野稔さんは馬主になって30年目で初めてのG1だった。生産した浦河町、荻伏三好ファームは開業40年目の悲願達成だった。
生産者の三好吉男さんは、「G1を勝つために今まで頑張って来たけど、本命で勝てるなんて」と、喜んだ。「最初、母馬に別の馬を種馬を配合する予定だったけど、初めての種付けで暴れてしまって・・・。急遽、種付けが上手なダミスターを付ける事になったんです(笑)。言葉で言い表せないほど夢のようです」と語った。
トロットスターの優勝を栄治の妻は何処で見ていたのだろう。もうアルバイトはしていなかっただろうと思う。中京のスタンドか自宅で応援していたと思う。栄治、おめでとう。
エル・カリファ側とロサノが再び話し合いに入っている。サン・イシドロへの出場が出来るかも知れない。
25日の結果。 カステジョン。パディージャ、耳1枚、耳1枚ともう1枚要求。プエルタ・グランデ。モレノ、ウセダ・レアル、耳なし。
3月27日(火)
日曜日にTBSでスポーツ談義をする番組で、「イチローが打つとホッとするけど、新庄が打つとホント嬉しい」と誰かが言っていた。イチローはみんなが期待し、日本野球の技術が大リーグで試されているような気になる。だから、何とか打って結果を出して欲しいと願う。新庄は誰も期待していないから、こいつ良くやってると嬉しくなるのだろう。
オープン戦の打率は、イチローがしっかり3割を打って、新庄は今日初ホームランを打って打率4割2分2厘。驚異的だ。大リーグ行って妙に明るくなった新庄。野球をやるのが楽しくて仕様がないと言った感じだ。こんな風になってくると新庄を応援したくなる。楽しんでやれよ。
日曜日、パリでは日本がフランスに0−5の屈辱的な惨敗をした。トルシエは日本を発つとき、「勝ちに行く」と言っていたが世界とのレベルの違いを痛感しただろう。ビデオを撮っているが未だ見てもいない。俊輔は、「人生最大のショック」と言っているらしいが、中田は試合前のフランススポーツ誌のインタビューで、「今の時期リーグ戦に出場できないのは大きなハンディになる」と冷静に自己分析をしている。
世界を知ると言うことは、実は自分を知るところから始まるような気がする。新庄が打つと嬉しくなるが、はたして自分を知っているかというと、大いに疑問だ。その点やはりイチローは中田と同じく自分を知っている。4月25日コルドバのスペイン戦はどうしよう。中田を見たいがセビージャでビクトル・プエルトも見たくなってきた。
エル・フリはサン・イシドロに3回出場。ドミンゴ・エルナンデス牧場で、エスパルタコ、エウヘニオ・デ・モラ。グアルディオラ牧場で、ビクトル・プエルト、リベラ・オルドニェス。もう1回はコリーダ・デ・プレンサ(フェラ・デ・アボノ)。
カステジョンの最優秀闘牛士は、ヘスス・ミジャンになった。25日に各地で闘牛があったが省略する。
3月28日(水)
輸血血液製剤で血友病患者にエイズをばらまいた安倍被告に一審で無罪判決が下った。納得できない判決だが、検察の求刑は懲役3年と言うものだった。これも、納得できないものだ。法律というものは分けが分からない。これじゃ、誰かが行くかも知れない。
久々にジャズの巨匠たちのオブニバスアルバムを聴いている。ライオネル・ハンプトンのビブラフォン、ベニーのクラリネット、サッチモのだみ声、デューク・エリントン、グレン・ミラー、カウント・ベーシー、良い音を出している。落ち着く音楽だ。
サン・イシドロのカルテルが半分以上発表になってブルラデロ・コムに載っていた。今日それを載せようかと思っていたが頭が痛いので止める。作業が出来ないからだ。
3月29日(木)
雨の降る寒い日だった。
NHK、トップランナーに忌野清志郎が出ている。ロック版「君が代」を歌っていた。この前はたけしの番組にも出ていた。リクエストで「僕の好きな先生」を歌った。やっぱこれだよなぁ。「大人になると面白くないと思っている人。それは違います。大人になるともっと面白いです。みなさん、大人になって下さい」清志郎も、もう50過ぎだ。でも未だ、バッテリーはビンビンだぜ。
エル・カリファはやはりサン・イシドロには出ない。去年耳2枚取ったドロレス・アギレ牧場の牛で出来ないことが不出場を決めた模様。
3月30日(金)
昨日寝たのは遅かったが、6時過ぎには起きてネット見たらサン・イシドロのカルテルが決まっていた。下山さんからのメールが来ていて、サン・イシドロのことが書いてあった。エル・カリファが出場しない理由が書かれていた。
「San IsidroのCartel見ましたか。去年のTriunfador El Carifaが いませんね。Enrique
Ponceが 同じCartelでやるのを拒否したからです。おなじValencia出身で今PonceよりEl
Carifaのほうがめだっているその嫉妬でしょうか。El Carifaは,去年2orejasを切ったDorores
Aguirreの牛で今年もやりたかったがあとからPonceが僕もその牛でやりたいと わりこんできた。」
と言うものだった。僕からの返信は、「Dorores Aguirre の牛でやりたがっていたことは知っていたのですが、ポンセが拒否ですか。下山さんからメールを貰わなかったら知らずにいたことでしょう。ホセ・トマスとも一緒にやらなかったときも確か拒否してたんですよね。」
「先ず、エル・カリファの側から考えると、去年の夢をもう1度と思って Dorores
Aguirre の牛を相手にしたいと思うのは正常な感情です。本人は出来ると思っていたでしょう。一緒に出場する闘牛士は恐らく誰でも良かったと思います。それを、興行主側から、ポンセのことを聞き出場できないことが判った時点で、サン・イシドロへの出場を断念したのでしょう。非常に残念なことですが、この事についてカリファを支持します。
ポンセの側から考えると、どうでしょう。嫌いだから一緒にやりたくない、と言う推測と、カリファに耳を取らせないために嫌がらせをした、と言う推測があります。その他にも違う考え方でカリファとの出場を拒否したのかも知れません。が、ファンから見ると嫌がらせにしか見えませんよね。興行主は、今までの実績と客の入りを考えればポンセの主張を通さざるを得ないでしょう。」
「僕は売れる前のポンセはうぶで好きでしたが、売れてからは一貫して嫌いです。ただ今回気になるのは、ポンセはファンに、「カリファに嫌がらせをした」と後ろ指を差されるようなことを、何故あえてしたのかと言うことです。何か他に意味があるのかも知れないし・・・。もう落ち目の三度笠でなりふり構わないのかも知れないし、・・・。サン・イシドロで6/8ポンセが活躍しなかったら僕はヤジを言いそうです。サン・イシドロに通うアフィショナードはどう思っているのでしょう。バレンシアのアフィショナードは、この事について何と言っているのでしょう。感覚として、ポンセは終わったという感じがする出来事ですね。」
「追記、ホセリートは何故、ゴメス・エスコリアルと一緒に闘牛をするのでしょう。田舎ではヘスリンとも一緒に闘牛をするようだし。これは、ポンセに比べてふところが深いって考えるしか理解の仕様がないことです。ホセリートは人間的に丸くなったのでしょうね。」と、結んだ。
サン・イシドロのカルテルを見て、ドス・デ・マジョを含めて3回出場するのは、エスプラ、パディージャ、フリの3人。しかし、何と言ってもホセ・トマス、ホセリートがベンタスに帰ってきたのが嬉しい。彼らが出なかったら興味半減だからだ。マドリードの闘牛ファンはこれを1番喜んでいるはずだ。注目はホセ・トマスが出る5/18と、6/1。フリが出る3日はダフ屋の稼ぎ時。僕はもうどうでも良い。
ネットによってちょっと違う所がある。カスターニョのアルテルナティーバの日、フィニートになっているところと、バレラになっているところがある。ABCが夕方開かなかったので確認が出来ない。1番信頼できるのがABCだからだ。ハビエル・バスケスが出るとなっている所とアルベルト・エルビラが出場をなっている所がある。5/12ハビエルが出るなら、バジャドリードにホセリート、ホセ・トマスを見に行くのは止めよう。年1回はハビエルの片目の闘牛を観ないと寂しいからだ。
ボテ、アベジャン、モランテ、カバジェーロ、エウヘニオ、カスターニョ、のお気に入りが2回ずつ。毎年怪我で出場できない闘牛士が出てくる。モランテは2年続けてセビージャで怪我。気を付けて欲しい。セビージャで大体今年の雰囲気が掴め、マドリードで決定する。ホセ・トマスはセビージャでやるだろう。マドリードでもやるだろう。バルセロナにも行くぞ。さぁ、いよいよ俺の闘牛が始まる。
一馬からも就職が決まったと連絡があった。大きくなりつつある腹を抱えた嫁さんも一安心という所かな。
3月31日(土)
桜の花が咲いているのに、小雪がちらつく寒い朝だった。寒気団が降りてきてこんな天気になった。花見と雪見が一緒に出来る風流な日となった。雪はなかなか上がらず夕方まで揺り続いていた。しかし、積もるほど降ったわけではない。雨に雪が混じるみぞれになったり、大粒の雪になったりしながら降り続いた。中山は不良馬場だった。そう言えば、横浜市などが導入しようとした馬券の売り上げに課税しようとした新税に対して国務省が反対を明言した。当然の事だ。
サン・イシドロのカルテルが発表になってスペインでの予定を考えていた。ベネフィセンシアが6月16日予定。宝塚記念が6月24日。それまでに帰ってこようかな。
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