−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年のスペイン滞在日記です。
2月27日(火)
今日のNHK「プロジェクトX」は、電気釜を開発した家族の物語。昭和26年東京、大田区。進駐軍引き上げで倒産寸前の町工場、光伸社の家族。冷蔵庫や洗濯機は日本のメーカーに大量に注文されていた。その下請けは苦境にさらされた。その頃、新橋で紙芝居で洗濯機の実演販売が評判を呼んでいた。弁が立ち口から生まれた様な男、東芝の営業マン山田正吾。
山田は全国各地を回っていた。家事に追われる妻たちと膝詰めで話をしていた。家事で最も大変なのは飯炊き。これを商品化できればヒット間違いなし。会社の開発会議で電気釜の話をするが、上司に反対される。理由は東の三菱、西の松下などの1流企業が自動化に失敗していたからだ。開発費など認められなかった。
ある日東芝に何でも良いから仕事を下さい。飛び込んできたのは光伸社の三並義忠だった。対応に当たったのは山田正吾。話を聞けば三並の工場は電気温水器を製造し電熱器の豊富な知識を持っていた。「電気釜を作ってみませんか」新商品の開発に躊躇したが、開発に賭けてみることにした。
開発は大きな試練があった。美味いご飯はどんな温度で炊けるのか。釜に温度計を注して温度変化を記録してデータを取った。データは妻の風見子が取った。4ヶ月に渡り千回も炊いて美味しいご飯の炊き方が判った。100度にして20分。しかし、どうしたら自動で電源を切れるか。試作を繰り返し、米も尽きた。米は当時配給制だった。米集めもした。
ある日、山田が良いものがあると言って飛び込んできた。東芝の技術者からバイメタルと言う、高温でそり曲がる性質を持っていた。試作品を作って炊いた。上手く炊けた。山田が言った。「電気釜は全国何処でも同じように炊けなくては行けない」営業マンの顔だった。半年に渡る実験が繰り返された。完成が先か、倒産が先か。夏など温度の高いときは上手く炊けた。寒いときには上手く炊けなかった。釜の素材を変えたり、暑さを変えたり試作品を何百も作った。この度に風見子が温度計でデータを取った。
母、風見子の体に異変が起きた。腎臓がやられていた。母の姿を見ていた6人の子供たちが声を上げた。僕たちも手伝うから。釜に注した温度計は1分ごとに温度を記録する。冬の朝2時から風見子はデータを取っていた。三並は毎日試作品を家に届けた。子供たちは朝早く起き、学校が終わると真っ直ぐに家に帰ってデータを取った。子供たちの協力を風見子は喜んだ。風見子は子供たちに言った。「日本の女の人は1日3時間、ご飯を炊くために時間を使っている。これが出来たら場合によっては仕事に出たり出来る」
その頃東芝では三並と山田が悩んでいた。何度やっても寒いとき熱が逃げて上手く炊けなかった。工場も家ももうじき取られる。山田が言った、「昔、冬の北海道でブリキや石綿で釜を覆うって炊いているのを見たことがある。参考にはならないか」三並は思った。釜全体を何かで覆って三重の構造には出来ないか。その日から工場にこもった。これが最後だと判っていた。その時長男が手伝わせて欲しいと訴えた。父と共に1週間こもった。三重構造の釜を目指して鉄を加工し続けた。
間に作る空気の層で逃げる熱を防げないか。1週間不眠不休で試作器を作った。マイナス10度の部屋で試作器にスイッチを入れた。30分後、見事な米が炊けた。自動電気釜が完成した瞬間だった。試作器を家に持って帰って、完成したと家族に報告した。三並は自分で米を炊いた。寝込んでいた風見子は起き出して、家族のためにソーセイジを揚げた。家族の好物だった。(ここで涙が突然出てきた。ソーセイジ、美味かっただろうなーと、思ったからだ。どんなステーキや寿司やファオグラや美味いレストランで食う料理よりも、美味かっただろうなぁーと思った。家族みんなで開発に携わって出来上がった電気釜1号機。そして母が作ってくれた揚げソーセイジ。そう思ったら涙が出てきた。)
三並は言った。「お前たちみんなで作り上げた電気釜だ」
山田は出来上がった電気釜を持って東北に向かった。自分の言葉を信じ、三並一家は多くの犠牲を払って電気釜を完成させた。東北で地域の主婦たちを集めた。山田は電気釜の便利さを訴え始めた。白いご飯を炊いて見せた。しかし、反応は鈍かった。値段は3200円。月給の1/3もする。手間が掛かっても自分で炊いた方が良い。「自分で炊ける」そんな声も出た。山田は勝負に出た。電気釜を並べると竈で炊くのが難しい炊き込みご飯を炊いて見せた。
口上が響いた。「家族の大好物。炊き込みご飯の失敗はありませんか。原因は醤油の焦げ付きにあります。電気釜ならスイッチ1つで悩みが解決。焦げずに炊けます。あいた時間で家族と会話。辛い思いの奥様にもきっと笑顔が生まれます」
山田は一気に蓋を開けた。鍋底を杓文字ですくった。焦げは見あたらなかった。見事な炊きあがりだった。会場がどよめいた。主婦たちから拍手が沸き起こった。
山田の報告を受け東芝は全国に大号令を掛けた。電気釜はあっと言う間に日本の家庭の半分に行き渡る空前の大ヒット商品になった。
三並の工場は一気に活気づいた。昼夜3交代で製造ラインがフル回転した。日本の家庭に革命を起こした。
さて電気釜に携わったその後の人たち。電気釜は世界で5億台を売った。山田さんは、「お釜のやまさん」と言われ、その後も自分で会社を作り82歳まで営業に携わった。三並さんの工場は発売2年後月産1万台を製造していた。風見子さんは病床に伏していた。病床での楽しみは、全国から電気釜で便利になったという主婦たちの手紙だった。昭和34年。風見子さんは45歳で亡くなった。その傍らで人目を憚らず大声で泣く父の姿を子供たちは見た。ひたむきに生きた夫婦がいた。2人は今、三並さんの故郷愛媛に一緒に眠っている。
倒産寸前の状況の中で、電気釜を作った三並さんたち。どんなに絶望的な状況でもひたむきに生き、希望を持って仕事していくことが、素晴らしい仕事を生み出した。今電気釜がなかったら、家庭でも、飲食店でも大変なことだろう。良い仕事は苦しい中から生まれるのかも知れない。そして、後生に伝えられていくのだ。三並さんも凄いが、風見子さんは立派だ。
26日の結果。 メリダ(ベネズエラ)。騎馬闘牛士、ホセ・ルイス・ロドリゲス、耳2枚。闘牛士、エル・コルドベス、耳2枚。フリ、場内一周、耳2枚と尻尾1つ。オットー・ロドリゲス、耳1枚、耳2枚。
2月28日(水)
今日東京では強風が吹いた。12時52分最大瞬間風速が21mを越えた。その頃、街で女の人が遠くから歩いてきた。帽子をかぶっているのかと思っていたら、近くに来たその人は、前髪をアップにして、横もカールしてセットしていた。強風にも乱れない強いセットが遠目に帽子に見えたのだった。なんだかその髪型に笑ってしまった。強風は、春一番だった。明日は雨が降る。
国会では村上元議員の証人喚問があった。みんなが知りたい部分になると、刑事訴追の問題があるのでお答えできませんと言って、証言を拒否した。証人喚問に当たって、包み隠さず証言することに同意してサイン捺印した。宣誓違反ではないのだろうか。
日銀がまた公定歩合を0.1%下げた。株価は1万3千円を切った。バブルの時、4万円手前まで行った株価は1/3以下になった。1929年アメリカの大恐慌で株は暴落してその株価29年時点に戻るのに25年の歳月を要した。株価の税制の問題を改革しても、株価は森政権では下がる一方だろう。景気回復はまだまだ先のこと。これから、生保、銀行、ゼネコンなどの倒産が控えている。
えひめ丸沈没の問題で、アメリカ軍のNO2が日本に来て謝罪をしている。ワシントンポストに、我々はどれだけ謝罪すればいいのか?と言ったコラムが載って、在米日本大使が抗議している。アメリカ軍NO2は、記者会見でそのことを聞かれ、我々は日本では謝罪しなければならない。と、アメリカと日本の謝罪に対する考え方の違いを強調した。一方、ワドル前艦長は、ハワイで涙ながらに謝罪したという。ルーシー・ブラックマンさんの家族が来日し遺体引き取りのサインをしたが、記者会見で犯人に対して「(気持ちを)話したくない」と言っていた。謝罪という言葉は出てこない。こういうことが考え方の違いなのだろう。
ホセリートが、4月7日、グアダラハラ近郊のプリマベラ・デ・ブリウエガでヘスリンとフリと一緒に闘牛をする。あれだけ毛嫌いしていたヘスリンとどうして一緒に闘牛をするのだろう。理解に苦しむ。分け分かんない。
メリダで2頭インドゥルトした。こんな事があるのかと驚きだ。牧場は、エル・プラド。コルドベスが相手にした牛の名は、ダンサリン。ハビエル・コンデが相手した牛は、プルプラド。体重は、445キロ、430キロとこぶりな牛だった。
27日の結果。 メリダ(ベネズエラ)。騎馬闘牛士、レオナルド・ファビオ・グリソシア、耳なし。闘牛士、エル・コルドベス、耳2枚、耳2枚(インドゥルト)。ハビエル・コンデ、場内一周、耳2枚(インドゥルト)。オットー・ロドリゲス、耳なし。 シウダ・ロドリゴ(サラマンカ)。フェスティバル闘牛。クーロ・バスケス、エスパルタコ、耳なし。マノロ・サンチェス、耳1枚。オルドニェス、耳2枚。エスパルタコは剣刺しの時に左手を怪我した。
3月1日(木)
雨の降り続く寒い日だった。サンスポの競馬欄には、昨日の東西トレセンの追い切り調教の結果が出ていた。注目のアグネスタキオンは、栗東DW稍で、88.1 69.0 53.0 38.7 12.4 だった。調教助手が乗って右肩に3,4発鞭が入った。長浜調教師は、「先週の段階でもそうだったんですが、もう少し緩慢な動きをしても良かったんじゃないかと思ったほど。本来ならこの時期の出来としては75〜80点位でも良かったんです。でも(動きは)100点に近い数字」と予想を超える出来に苦笑いを浮かべたという。
馬産地の北海道では、タキオンを「世界一強い3歳馬」と呼んでいるらしい。長浜調教師は、「この系統は知り尽くしている。脚元が弱い血統ってことだって他人から言われなくても百も承知しとる。道悪だ、初コースだと、心配していて“三冠”なんてこと言えるかいな!」と、ブチ上げた。三冠宣言の調教師はあくまで強気だ。
勿論、データでは、2戦2勝馬は弥生賞を勝った事がないが、この馬は勝つだろうと殆どの人が思っている。日曜日のパドックがとても楽しみだ。天気予報では雨になっている。
NHKで横綱、曙の事をやっていた。92年6月。マドリードで大関昇進が決まった曙を見た。小錦もいた。スペイン人の反応が面白かった。その中で将来の大相撲を背負っていく曙の姿を頼もしく思ったものだ。事時の表情と引退後の表情は全く違う。今は、穏やかだ。良い父親になっている。
去年セビージャ近郊のアルカラ・デ・グアダイラの闘牛場に、下山さんに連れられて行ったときに会ったノビジェーロのセサル・ヒロンが3月18日、ラス・ベンタス闘牛場に初めて出場することが決まった。お爺さんは同名の闘牛士でスペインでもNO1闘牛士になったことがあるベネズエラの大闘牛士だ。金持ちのボンボンだが筋の良いパセをトレオ・デ・サロン(練習)で見せていた。その時一緒にトレオ・デ・サロンをしていたのは、リベラ・オルドニェスのバンデリジェーロをやっている、クーロ・モリーナだった。今年もまた彼らに会えるだろうか。
カルテルを見ると、今年初めに観る闘牛は4月22日のバルセロナになりそうだ。サルドゥエンド牧場の牛で、フィニート、ホセ・トマス、エル・フリ。
3月2日(金)
TV画面でタップダンスを踊っている。上手いのか下手なのか良く判らない。フラメンコの方が難しいんじゃないかと思ってみていると、「UNIQLOのジーンズ 2900円」と出てきた。欲しくなってこの間、UNIQLOに行った。2900円より安い1990円のジーンズを買ってきた。結局あのCMは購買意欲を掻き立てるという意味では良いCMなのだろう。
消費が低迷して、ユニクロ現象と呼ばれる事が起きている。半額のハンバーガーに列を作り、290円の牛丼が満員になり、昼飯の300円戦争と呼ばれる安売り昼食メニューの競争が激化している。株価がバブル崩壊後、今日も最安値を更新し、ファミリーマートが500店舗削減計画を発表し、小売り販売店の苦戦が続いている。売れないから安くする。デフレスパイラルが現実のものになってきた。
景気の下支えをしてきたコンピュータ関連の家電メーカーは、そろって売り上げ、純益をマイナス50%に下方修正した。失業率が、戦後最大の4.9%になった。野党は週明けに内閣不信任案を提出する予定だそうだ。少なくとも株式市場は森政権を見限っている。それでも本人は、「不退転の決意」とほざいている。世間知らずのご立派な人だ。
昨日村上元参議院議員が逮捕され、今日予算が衆議院を通過した。HPのアクセスカウンターを見たら昨日衆議院からアクセスがあったようだ。勝手な想像だが、フレッシュアイの検索エンジンあたりから日記を辿って来たのだろう。こんな事でも書いていれば覗いてみようと来る人がいるようだ。
日曜日の弥生賞に行く予定をTELで連絡して決めた。切符の裏には、「ロイヤルシートではイメージアップ活動を実施中です。マナーと身だしなみの向上にご協力下さい」と書いてあった。また背広にネクタイで行かないとダメらしい。良いご身分の人が多いからだ。日曜は雨で風が強いようだ。でも、是非ともパドックで馬が見たい。濡れながら馬を見るのも良いものだ。雨降っていれば人も少ないだろう。傘で邪魔されないようにかぶりつきで馬の体を見てこよう。
3月3日(土)
ひな祭り、快晴の阪神競馬場良馬場。桜花賞トライアル、チューリップ賞。3歳チャンピオンのテイエムオーシャンが直線ちょっと仕掛けただけで5,6馬身差の圧勝をした。牝馬戦線はテイエムオーシャンを軸に動いていく。これからトライアルが後2つあるが文句なしに大本命になっていくだろう。
中山は昨日の雨の影響で馬場状態は稍重。メインレースを勝った、キーゴールドは1.09.8のタイムだった。芝での勝ち鞍がない馬が遅いタイムで勝ったことから判るように今の中山は、3コーナーから4コーナー、直線の内側が荒れている。明日の牡馬皐月賞トライアル、弥生賞は、アグネスタキオンが大本命になるがこの荒れた馬場が明日降る雨でもっと悪くなる。となると、他の馬にもチャンスがある。そこが明日の鍵になる。
バレンシアの火祭りの予約がTELで行われて、エル・フリが出場する16,17日の切符は売り切れになった。依然としてエル・フリの人気に陰りはない。
今日スペイン各地で、ホセリート、ホセ・トマス、エル・フリ以外の殆どのフィグラが闘牛をする。バレンシアから本格的に始まる闘牛シーズンの予行演習だ。
3月5日(月)
一馬と久しぶりに競馬場に行った。他に、NさんとO君。就職活動の苦労話や悩みを一馬は話した。競馬場に着く頃は最も雨が強く降っていた。土砂降りで風も強かった。馬場は一気に不良になった。弥生賞のパドックの頃は雨は上がりゆっくり見ることが出来た。アグネスタキオンの体は今まで見たことがない体だった。体のバランスが良かったし、後ろ脚の球節がしっかりとトモの動きを蹄に伝えていた。こういう体の動きが素晴らしい。ウイニングチケットやナリタブライアンに比べて、非常に良い体だった。それと左右の着地点が前後の脚とも近いのも特徴。こういう馬は珍しいんじゃないかな。それだけバランスの良さがあるからだと思う。騎手が乗ってからの前脚の捌き方も特徴がある。低く伸ばすようにして蹄を着いていた。こんな事を俺が言うのも可笑しいことだが顔が気にくわなかった。ビワハヤヒデを見たときにも思わなかった感想だ。
ボーンキングは少し発汗があったが気になるほどではなかった。右後ろ脚が破行まで行かないが変な動きだった。これはこの馬の特徴なのかも知れない。最後に尻尾を振って前脚を上げて立とうとする仕草が気になった。多分尻が痒かったのだろう。ダイイチダンヒルは、うるさすぎ。チャカついているのと尻尾を振る仕草、落ち着きのなさ、トモ足に付いた下痢糞。明らかに消し。
驚いたのは、ミスキャスト。サンデーサイレンスにノースフライト(トニービン)。血統だけでもホロッと来てしまう良血。馬体がまた良かった。毛艶は冬毛が出ているので良くないが、体のバランス、肉付き、そして母ノースフライトを思わせる体つきが何とも良かった。馬は未だ子供。ここは勝負にはならないだろうと思ったが、将来性を感じさせてくれた。母ノースフライトは3歳秋に能力が花開いた。この馬も今年の秋が楽しみだ。
レースは、向こう正面に行ったところで1,2着が判った。タキオンが5馬身差の圧勝。武のボーンキングが2着。3着にミスキャストが来たのには驚いた。やっぱり血統だよなぁと思ってしまった。何年か前の弥生賞でも、ダイナアクトレスの子供のステージチャンプがあわや3着に来たときにもそう思ったものだ。その後、ステージチャンプは、青葉賞を勝って、ダービー、菊花賞にも出てきたので、ミスキャストも皐月賞でも無視出来ないかも知れない。多分要らないとは思うけど。
もうマスコミは、アグネスタキオンが三冠有力を唱えている。皐月賞は取るかも知れないがダービー以降は解らないと思っている。皐月賞でも、ジャングルポケット、アグネスゴールド、笠松のフジノテンビーだっている。ダービーには、トレジャーだって出てくるだろう。境勝太郎元調教師が、「タキオンが三冠を取るというのは早計だ」と言うようなことを言っていた。今年は近年、希に見るハイレベルなクラシック戦線だ。ダービーが見たくなったよ。でも、サン・イシドロに行くのを辞めるわけにはいかないしなぁー。
3日の結果。 ビスタアレグレ(マドリード)。クーロ・バスケス、場内一周、耳1枚。フリオ・アパリシオ、耳なし。 オリベンサ。オルテガ・カノ、耳1枚。エスパルタコ、耳1枚。ヘスリン、耳1枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。 サラメア・ラ・レエル(ウエルバ)のフェスティバル闘牛は雨のため順延。
ホセリートのウニコ・エスパーダは、牛が悪く耳が出なかった。4頭目を除いてマンソ(おとなしい)の牛。sin
transmision, pitos. soso と言う文字が並ぶ。みんな有名牧場の牛なのに全滅だ。ホセリート自身の牧場からも1頭出ていた。この闘牛を観ていた米ちゃんから早速メールが届いた。彼女曰く、「会場は超満員。闘牛の方は、残念ながら殆どの牛が悪かったらしくいわゆるホセリートの闘牛らしいものは観ることができなかったように思います。」そして、「唯一、五番目の牛が良かったと思うんだけど(多分)ピカドールの差しどころが悪かった。ホセリートも納得できず、何度か牛のお尻を剣で叩いて、イライラ」していたそうだ。
HPの記事を読むより、自分の知っている(闘牛を教えた)人のメールの方がピンと来る。米ちゃん、ありがとう。
4日の結果。 ビスタアレグレ(マドリード)。ホセリートのウニコ・エスパーダ。耳なし。 アリカンテ。フェスティバル闘牛。アベジャン、耳2枚。カバジェーロ、エル・カリファ、エスプラ、耳1枚。バレラ、耳なし。エスプラ、左太股強い打撲。 トタナ(ムルシア)。グエリタ、耳1枚、場内一周。ペピン・ヒメネス、耳2枚、耳2枚と強い尻尾要求。エル・コルドベス、耳2枚、耳2枚と強い尻尾要求。 マラカイ(ベネズエラ)。モレニート・デ・マラカイ、レオナルド・ベニテス、アントニオ・フェレーラ、耳なし。他は雨で順延が多かった。
3月6日(火)
京都大学の馬術部に所属。そこで馬に愛着を感じた石倉さんは、JRAの厩務員過程を経て栗東の加藤敬二厩舎に配属され任された2頭目(確か)の馬がノースフライトだった。3歳の秋には、G1戦線に名乗りを上げ、古馬になってから安田記念とマイルチャンピオンシップの二つのマイルG1を勝つ。女性厩務員担当馬では初めてのG1馬になった。関西は、加藤敬調教師にしても、戸山さんにしても新人厩務員の抜擢をドンドンして馬も人も育てている。
石倉さんは、たまたまとか、ラッキーだったとか言っていたが、彼女が馬を可愛がり大事に育てたからこそノースフライトは良い成績を上げたのだと思う。京大出て馬社会に入るのは異例だ。彼女が就職先を決めたとき周りの人たちは奇異な目で見たそうだ。でも、好きなことを仕事に選ぶことが、その人に人生に1番良いことを彼女は知っていた。ノースフライトが繁殖に上がってから調教助手になった。多分持ち乗り制度でノースフライトの子供、ミスキャストを担当しているのだろう。4日パドックでミスキャストの手綱を持っていて成る程なと思った。調教師だって石倉さんにミスキャストを任せるだろう。
ノースフライトが勝った安田記念のパドックは大粒の雨が降っていた。僕の記憶が正しければ、あの時石倉さんは何故かヘルメットをかぶらず、ポニーテールに結った髪から滴を垂らしながら歩いていた。ひたむきな清純さを感じた。突然夕立に降られそれでも歩いている少女のイメージだ。フライトはマイナス10キロだった。牝馬のマイナス体重は良くないのが常識。あの時、石倉さんが雨に打たれながら真っ直ぐ前を向いてフライトを引いている姿を見てこの馬が勝つんじゃないかと直感した。あの日何故石倉さんはヘルメットをかぶらずフライトを引いていたのだろう。
4日のパドックでは規定通りヘルメットをかぶっていた。しかもいつも彼女がかぶる乗馬用のメット。あの当時に比べて大分痩せたような気がした。馬を引くときに独特の内股で、大きな歩幅、早歩きで引いていた。厩務員を40年やっても重賞を勝てる馬を担当する人は10人中何人いるのだろう。恐らく2,3人だろう。石倉さんのようにG1馬を担当できる人は2,3人の中でも1/10以下だろう。それほど勝負の世界は厳しいのだ。
でも、日曜日にミスキャストと石倉さんを見たとき思った。このまま順調に行って古馬になったらG1を取って欲しいな、取らせてやりたいなと思ってしまった。日々の努力が報われない人生は多い。でも、日々の努力が報われる人生を見たいと思うのも人情というものだ。また、皐月賞にミスキャストと石倉さんが来るだろう。パドックで真っ直ぐ前を向いて馬を引く姿が見れるだろう。
人にも、馬にも、物語があるのが競馬だ。夢も挫折もある。それをタダ見つめていたい。
今日の「プロジェクトX」は襟裳岬で森林伐採で海岸線が砂地になる。特産の昆布が強風によって運ばれる砂で根付かなくなる。それを、50年掛けて松を植え豊かな海を取り戻した話だった。北の町の人たちは忍耐強く黙々と働いた。冬の寒さの厳しさを身に浸みて判っているからだろう。海岸近くの山が緑で豊かになれば海も豊かになる。だから漁師たちを中心に襟裳の人たちが黙々と仕事した。
家の中には風で運ばれる砂が入る。外を歩けば目は真っ赤になる。風で運ばれた砂で海も真っ赤になった。砂地に草を生やそう種を蒔いたが風で直ぐ飛んだ。それでも種を蒔いた。ある日、海に打ち上げられる海草のクズを見て思いつく。このクズは地面に捨てると張り付いて取れなくなる。種の上に海草のクズを蒔いたら種が根付くのではないか。やってみると根付いた。根気のいる仕事だった。1年に5ヘクタール。4年で20ヘクタール。全部植えるには20年掛かることだった。草地になってから初めて植林が出来る。気の遠くなるような歳月を掛けて街の人たちは種を蒔き、木を植えた。
街には伝説があった。流氷が来ると海底を綺麗にしてくれると言う。長い間掛けて植林したある冬についに流氷がやってきた。みんな喜んだ。海底に溜まった砂が流氷で綺麗に流されたからだ。それから特産だった昆布の森が海底に密生した。陸に緑が戻り、海にも元に戻った。漁師は海を豊かにするために植林をし、その背中を見て育った子供たちは襟裳の街で漁師を継ぐ。襟裳の街にこだわるのは50年掛けて海を再生させた努力があるからだ。♪襟裳の春は 何もない春です♪じゃない。「世界一の春がある」と苦労して植林をした人が言っていた。
一度壊れた自然を戻すには気の遠くなるような努力と手間が掛かるのだ。有明の漁師の人たちも今そのことに気づいているだろう。
ブルゴスのフェリアは、6月23日から7月2日まで行われる。
3月7日(水)
2年ぶりくらいに、闘牛に対する抗議のメールが来た。ペーニャ宛だった。そこには動物虐待に対する抗議と私たちに対して悲しく情けないと言い、牛にも恐怖感があるとか、残酷だと思いませんか?と、あり、「自分の意志で闘いたい、殺したいという人間同士が闘うのなら、「どうぞご勝手に」といえますが」と書いてあり、「そんなに野蛮で悪趣味なものを楽しみたいなら、あなたたち同士で闘い、殺しあってください。さぞ興奮し、楽しめることでしょう。」と締めていた。
この人は、動物虐待は許せないが、殺人は理解できるそうだ。仲間同士で殺し合いをしなさいとは、オウム真理教のような活動を認めることになるんじゃないの。そんな危険な考え方は出来ません。あくまで平和な食生活を送りたい。牛の肉だけじゃない豚や鶏肉も食べたい。動物殺さないと肉が食えない。でも、死んでいく命に対して感謝もしなければいけないのだが。
動物虐待を言う人は何を食べているんだろう。動物虐待になるからと、肉魚はいっさい食べず野菜だけを食べているのだろうか?仮にそうだとしても、日本では動物虐待を言う人の多くはペット、を飼ったりしている人が多い。ペットが食べているのは肉です。
時間がないからこの辺で止めよう。
3月8日(木)
今日は区役所、銀行と回って用事を済ませてきた。頭の固い課長と話をして用件を住ませるのに1時間以上もかかった。田中康夫が長野県知事になったとき、名刺を折り曲げてヒンシュクを買った部長を見たとき、岩国哲人の言葉を思い出した。「行政というのは、住民にサービスを提供する為にある」あの部長の態度や言動を見ていると、とてもサービスを提供する態度ではなかった。ましてや、組織の長である人に対してああいう態度をしたのでは、県民の言うことなど聞くはずもないとみんなが思っただろう。だから、あれだけヒンシュクを買ったのだろう。
今日の課長さんは、ちゃんと話が出来た。住民にサービスを提供しようとしているのが態度で判った。ああいう部長さんだけじゃないのだなと、判ったのはある種嬉しかった。時間がかかったけど。勿論、あの部長さんもその後、反省して己を律したようだが。
スペインのサッカーリーグは、1部がレアル・マドリードが首位をキープしている。2部落ちして開幕したアトレティコ・デ・マドリードは連敗して下位に低迷していたがここのところようやく連勝してきて6位まで上がってきた。3位以内なら1部復帰する。これからが正念場だ。
3月9日(金)
「森のおそまつ」と、言われて久しいが最近は、「森の意志待つ兜町」と、言うのだそうだ。新聞の見出しはいけてる。
仕事が終わって井戸さんにTEL。原稿は明日の16時までで良いのだそうだ。もう諦めているのかも知れない。遅いのと、長いので。いつも短くしてね、と言われる。所が今回もセビージャのカルテルがある。来月になったらもっともっと長いサン・イシドロのカルテルがある。未だ原稿は一行も書いてない。これからだ。
夕飯は弟と取った。今月の24日に出張が終わり向こうに帰る。来週か再来週にまたあって飯を食おうと思う。いつも疲れた顔をしている。仕事がきついのは判るがもっと張りのある表情をしていて欲しい。今日の話して少しでも元気が出れば良いのだが。
明日、Jリーグが開幕、競馬は桜花賞トライアル、アネモネSがある。原稿も書かなきゃダメだが新聞も読まなきゃな。闘牛の会の準備もしなきゃ。これは忙しいって事かな。
3月10日(土)
闘牛の会が終わって帰ってきたばかり。バレンシアの火祭りなどにスペインに行っている人が結構いて少な目だったが今日も面白い内容だった。Jリーグが開幕してピクシーの活躍で名古屋が勝った。
明日は桜花賞トライアル、フィリーズレビューがある。ラブリーの妹ハッピーパスは勝てるだろうか。勝って桜花賞に挑んで欲しい。岡部幸雄悲願の桜花賞制覇に向けて。
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