断腸亭日常日記 2001年 その18

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、のスペイン滞在日記です。

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 12月1日(土)

 闘牛の会が1週間に迫った。12月は毎年パーティーをやっている。後半の1時間は最近はビデオを流しているのでそれを用意しないといけない。何にしようか。考えてします。サン・イシドロの特集をやったとき時間がなくてはっしょったペピン・リリアのファエナ。セビージャでオンブロスしたペピン・リリア。直ぐに思い出すのは何だかペピン・リリアのことだ。でも、ペピン・リリアのファエナを3本もやるわけにいかないだろうし・・・。

 今年もいよいよ後1ヶ月を切った。クリスマス・ソングがうるさくがなり立てる時期が来た。賛美歌なら幼稚園の時に強制的に歌わせられたので中には凄く好きな歌もあるが、クリスマス・ソングはどうもいけない。イライラしてくるのだ。街を歩きながらイライラしたらサラリーマンの競馬じゃないか。あるいは、寡黙と言うより言葉を持たない犯罪者の様な気分になってしまう。

 山田風太郎 『くノ一紅騎兵』 は男なのか、女なのか?分からなくなるところが面白い。 『忍法聖千姫』 は、千姫の爪を食べてしまったら千姫の魅力に魔法に掛けられたように魅せられ、護衛をする3人。それを撃ちに来る柳生の剣士。そして、千姫の魔法に掛かってしまう。よってこのタイトルになる。芥川龍之介 『奉教人の死』 は、風太郎が短編小説ベスト3の中に入れている。確かに切支丹物でもこういうひねり方をするのは短編作家としての才能を開化させている。風太郎が褒めるから読んだ本。


 12月2日(日)

 「それを匂うという日本語で表現されていることに感動しました」 同志社女子大学で教えている中国人の教員が言うそれは、日本人でも始めて聞く感覚の様な気がした。ちゃんと覚えていないが、西陣の染物屋などで、花の雄しべと雌しべを合わせるときのことを、“匂う”というのだという。他にも、比叡山で焚く松明に火を点けるときも、“匂い”というのだそうだ。その他にも色々例をあげていたが忘れた。つまり、何かが誕生するときの行う行為を、“匂う”という言い方を日本人がしているというのだ。

 源氏物語で、光源氏が、女を評するときにも匂いで表現しているという。まあこれはそうだろうと思う。自分の好きな女の匂いを嗅いで興奮するというのは実に正常な感覚だからだ。風太郎にしても匂いによって女を描いてもいる。いくら人間の五感の中で1番退化した感覚器官であっても、物を食べるとき鼻とつまんで食べると味が解らなくなるのだから。これから屋台などで海苔を巻いた餅を焼いたりする物が町に出るが、醤油が焼ける匂いが食欲をそそる。鰻の焼ける匂いも同じだ。

 体をポーッと温める火か点くほどの酒の匂いもまた格別だ。昨日はそんな酒を飲んだ人が多いのかも知れない。天皇家に子供が産まれたからだ。風太郎は墓の中で、「女だったか」と嘆いているだろう。みんなが喜んでいる様子がTVなのどのマスコミが伝えているが、ああ言うのを観ると暗い気分になる。やはり、天皇賞はG1として重要なレースだけど、天皇家に対しては未だに納得していないからだろう。

 ワールド・カップの予選の組み合わせが決まった。新聞などでは楽観的なことを書いているがそんなに簡単じゃないと思う。

 またまたペリエ!またペリエ!日本中央競馬史上初の3週連続G1制覇。今日は、「チョー・ハッピー」だけじゃなく、「毎度、おおきに」と言う関西弁まで言っていた。3週も続けば、「毎度、おおきに」も自然だ。あまりの凄さに記者たちは爆笑していた。武は外枠引いたので難しいと思っていたが、須貝や常石じゃやっぱり未だG1取れるような騎手じゃないよな。タイム比較じゃキタサンヒボタン、オースミコスモは充分G1を取れる力量を持っていたが。

 タムロチェリーの西園調教師は、「家の馬は最高に仕上げた。ペリエ騎手には恥ずかしい状態で渡すわけには行かなかったので・・・。」と、実に控えめに語った。男たちの仕事は見事だ。2着が何と北海道公営から転厩してきたアローキャリー。騎手はこれも外人のファロン騎手。2歳牝馬という難しいレース予想は、2万5千円の馬券になった。あーかけきんが少なくて良かった。こんな馬券取れるか。それにしてもペリエ。凄まじい腕だ。

 山田風太郎 『倒の忍法帖』 芥川龍之介 『黒衣の聖母』 近松門左衛門 円地文子 訳 『ひぢりめん卯月の紅葉』 『卯月の潤色』 渋沢龍彦 『女のエピソード』 読了。

 11月30日の結果。 キト(エクアドル)。フィニート、ホセ・トマス、耳なし。ギジェルモ・アルバン、耳1枚、場内1周。


 12月3日(月)

 友情というものを考える上で、非常に参考になったのが、エリック・クラプトンとジョージ・ハリスンの関係だ。クラプトンは18歳くらいで、ヤードバーズのギタリストとして最初に名前が登場するが、前任のギタリストが、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ(レッド・ツェプリン)だったので、その才能を早くから認められていたのだろう。その後、これも伝説のロックバンドになった、クリームに参加。『クロス・ロード』 などのヒットを出す。ヤードバーズもそうだがクリームも、黒人音楽のブルースを根幹に活動をしていた。

 アメリカの黒人ブルース・シンガー、ロバート・ジョンソンの原曲、『クロス・ロード』 を、ブリティッシュ・ロック風に格好良くアレンジして大ヒットさせた。当時のイギリスでは、ゼム、ローリング・ストーンズなど黒人ブルースを基調にしたバンドが一杯いた。そんな中であまりブルースをやらないビートルズの方が異色だったかも知れない。また、麻薬も流行っていた時代で、アメリカでは3J(ジミー・ヘンドリックス、ジム・モリソン、ジャニス・ジョップリン)が麻薬で死んでいった。ストーンズの最初のリーダー、(名前を忘れた)もそうだった。

 クラプトンも同じように麻薬に溺れる日々を過ごしていた。クラプトンは人生までブルースにしようとしていた。しかし、麻薬中毒のクラプトンを救ったのが、ジョージ・ハリスンだった。彼の友情がなかったらクラプトンは立ち直るきっかけを得たかどうか判らない。クラプトンが集めたギター・コレクションを、麻薬欲しさに売りまくる。そうやって売ったギターをジョージ・ハリスンが片っ端から買い戻す。クラプトンの部屋にいつしかギターがなくなりかけ、音楽に対する情熱が戻ってきた頃、ジョージ・ハリスンは、麻薬を止めて音楽の世界に戻ろうと言ってクラプトンを勇気づける。「でも、僕にはギターがないんだ」と、クラプトンが言ったとき、片っ端から買い戻しておいたギターをクラプトンに返すのだ。

 クラプトンは感動しただろうなぁ。でもこの話には続きがあるのだ。そんな親友の妻を略奪する。何だか谷崎潤一郎と佐藤春夫の様に一人の女を巡って取り合いをするのだ。しかし、谷崎と佐藤は絶交するが、クラプトンとジョージはその後も親友のままだった。クラプトンがソロになり、大ヒット飛ばす名曲、『レイラ』 はその時ジョージから奪ったパティに捧げた曲だ。ロック喫茶で始めて曲全部を聞いたときは感動した。ラジオじゃあの後半のピアノがはぶかれている。シングルカットされたものがそうなっていたからだろう。僕は、あのピアノソロがとても好きだ。何故かあのピアノソロにクラプトンの心情が感じられるような気がしていた。略奪などあったことはその時は知らなかったが。

 今クラプトンは、もうおそらく最後だろうと言われる、ワールド・ツアーの最後を日本公演でやっている。クラプトンは、『レイラ』 を生ギターで一度歌い。アンコール前の最後の曲をバンドをバックにまた、『レイラ』 を歌っているらしい。ジョージ・ハリスン死亡のニュースが世界に駆けめぐった1日もクラプトンはコンサートで、『レイラ』 を歌った。こうゆう状態で、『レイラ』 を歌ったクラプトンの心情、察するに余りある。彼は言葉によってではなく、音楽によってその悲しみを気持ちを込めて、今改めて表現しているのだろう。

 クラプトンのコンサートに行きたい来もするが、今更という気もするし、切符など手に入れれないだろう。結局一度もクラプトンを生で観ることが出来なかったなぁー。

 でも、クラプトンとジョージの友情や、レコードなどの作品は残るのだ。そして、いつでも聞ける。

 新しくてに入れた本の中で、上野昂志 『戦後再考』 の最初の章、「終わりの始まり」はB29の東京大空襲の所から書いている。引用は勿論、風太郎の、『戦中派不戦日記』 の3月10日の部分を使用している。戦後を考える上でここから始めるべきなのは当然だろう。上野さんに風太郎を紹介されなかったら、今こうして風太郎を読み続けていたかどうか疑問だ。上野さんの本はおそらく売れる本じゃないだろうけど、非常に重要なことを書いているので、この本も朝日新聞社から出ている。楽しみな本だ。

 もう一つ、水川隆夫 『漱石と落語』 もうズバリそのもの。TAKEさんから借りた、『小説世界のロビンソン』 で同じことが書かれていたが、こっちの方はちょっと読みにくいが、専門的に書かれている。落語の引用も多い。やっぱりどうしても、『吾輩は猫である』 だなぁ。これを読まなきゃどうしようもない。


 12月4日(火)

 紀伊国屋にて、「ユリイカ」12月号、特集 山田風太郎を買う。その中に山田風太郎コレクションと言うのがあって、単行本未収録の、『伴天連地獄』 『邪宗門頭巾』 と言う小説2作が納められている。他、「風太郎スケッチ&エッセイ」 がある。『戦中派虫けら日記』 から教室での解剖中の絵など3品。漫画的というか初期の印象派か、ダダの頃の絵に似ている。次のページには自宅の絵がある。凄いなと思うのはその次のページに載っている3つだ。

 右上の絵は、1920年代パリのキャバレーのポスターを書いて有名になったロートレックのポスターに似ている。左の絵は、座布団の上で両手を畳についてお辞儀するおそらく舞子の絵。昭和20年1月4日に書かれたこの絵は秀逸。女の仕草などの描写は驚くべきもの。左下の自画像は、ボサボサ頭に着物を着て右手で煙草を吹かしているもの。これが実に風太郎そのもの。天才的な絵を描く。風太郎は画家になっても大成したんじゃないのかな。

 その他に、『風評集』 なるスクラップブック、創作ノート、作品を書くために使った年表などのノートなどが多数ある。これらのいくつかでも本になることをせつに願う。風太郎と中島河太郎の対談、「歴史小説と時代小説の間」(『図書新聞』93年1月1日号から転載)などが載っている。

 山田風太郎 『忍法肉太鼓』 読了。上野昂志 『戦後再考』 を読む。

 12月1日の結果。 キト(エクアドル)。アントニオ・カンパナ、耳なし。パディージャ、耳1枚、場内1周。エル・カリファ、場内1周。 パチュウカ(メキシコ)。騎馬闘牛士、パブロ・エルモソ・デ・メンドーサ、耳4枚。闘牛士、エロイ・カバゾス、耳2枚と尻尾1つ。ソトルコ、口笛、耳2枚。

 2日の結果。 メキシコ。フェルナンド・オチョア、モランテ、イグナシオ・ガリバイ、耳なし。 リマ(ペルー)。パコ・オヘダ、場内1周が2回。ホセ・トマス、耳2枚。プエルタ・グランデ。 ラ・アルガバ(セビージャ)。フェスティバル闘牛。Jose Luis Benlloch、耳1枚。アグスティン・アルホナ、耳2枚。マウリシオ・ベロ、耳なし。ホセ・ロマン・ロメロ、耳1枚。エンリケ・ロメロ、耳2枚。アルベルト・ルイス、耳なし。見習い闘牛士、アントニオ・ロンキジョ、耳1枚。


 12月5日(水)

 昨日の夜、三木田さんからTELがあった。日本に来ているのそうだ。8日の闘牛の会に来ると言うことだった。その前に、昼食を一緒に取ることになった。9月11日のテロの影響でスペインのガイドは仕事がなくて困っているようだ。日本の大手旅行会社が、キャンセル無料などと馬鹿なことをやって自分たちの首を絞めたものだから、旅行業界は大打撃らしい。

 「ユリイカ」の対談を読んだ。風太郎が出ているのは良いとして、もう一つある対談は誠実に語ろうとしているのは判るが、ちょっと不満だ。僕が雑誌の編集者だったら、風太郎の作品を語らせるなら、縄田一男、関川夏央、上野昂志の3人やらせるんだけどなぁ。この3人だったら風太郎ファンが喜ぶような非常に内容の濃い面白いものになるはずだけど。今からで良いから、月刊誌に、2年くらい掛けてじっくり風太郎を語って欲しいともうんだけど。それを、分厚い本にすれば、ファン必見の風太郎入門書、解説書になると思うんだけど。

 所で、その上野昂志 『戦後再考』 は物凄く面白い。未だ60ページくらいしか読んでないけど、上野さんやったなぁ、と言うくらい良い本だ。やー凄いよこの本は!

 3日の結果。 キト(エクアドル)。ホセリート、耳2枚。プエルタ・グランデ。エル・フリ、耳1枚。ギジェルモ・アルバン、耳1枚。


 12月6日(木)

 脱税で逮捕されたサッチーの夫、野村克也が阪神タイガースの監督を辞任した。監督としてこの3年間一体何をやったのだろうか。もう野球を観なくなったので何も知らない。後任に星野仙一の名前が出ている。仙一と阪神がどうも僕の中では結びつかない。ただ、巨人に対して異様なほどの闘志を燃やす。そこが、阪神ファンには受けるだろう。野村のように、頭で考えるとか、野球を言語化するより、仙一のように、感情をむき出しにた方が選手にもファンにも分かり易いだろう。日本では野球は、運動部の昔からの伝統を踏襲している代表だ。サッカーのような、理論や戦略戦術を言語化し肉体化する新しい流れとは未だにかけ離れている印象が強い。野球は言語化が抜け、いきなり肉体かだけが強調されている。これでは、新しい有望な人材がサッカーなどに、あるいは、大リーグなどに流出するのは当然の帰結だろう。

 携帯電話でのメールが遅いと90分ぐらいの時差でメール発信と到着があるという。何故かと言えば、画像を送信する新しい機能が導入されて情報量が飛躍的に増えて、その処理が上手く行ってないからだという。仕事でメールを使っている人たちは殆ど意味をなさないメールの着信を仕事が終わった後に、受けることになっているようだ。

 ネット・オークションで落札した本が入金して2週間経っても送ってこないのでTEL(九州に)をしたら送金時に通信欄で、「オークションで落札」 と言うことを送っていなかったために発送が遅れていたのだそうだ。「明日、ヤマト便で送りますから」だって。もう一つ、ネットで古本屋に注文していた本について何の返事もないのでTEL(都内)したら昨日発送しましたと言うこと。メールくらい出せよ。あるかないかが始めに重要な意味を持ってくる。なければ、次の手を打たなればならないのに。こういう反応の遅さを競馬では、「ズブイ」 と言うが、もうズブズブだ。TELを言う鞭を入れないと、ズブさが矯正されないのだろうか?

 ネット・オークションで風太郎の角川の短編集を2つを落札。入金を済ませる。これで後3冊を残すのみ。もう一個53円で落札したものは、未だメールで連絡がない。ズブイ。これは風太郎が感涙を流した荷風の、『踊子』 が含まれているので楽しみにしているのに。今、『踊子』 は文庫では絶版になっているので、古本屋などを探し歩いたが、もう荷風など読む人が少なくなったのだろうか、全集で手に入れるしかなかったので、オークションと古本屋のネットで探していたので、嬉しい買い物。しかも廉価で手に入る予定なので、それも嬉しい。

 4日の結果。 キト(エクアドル)。バレラ、場内1周。ホセ・トマス、耳1枚。右太股に怪我。軽傷。エル・フリ、耳1枚。


 12月7日(金)

 昨日の、「今夜のご注文はどっち」 はアンコウ鍋とスッポン鍋。冬の鍋対決だった。素材は、天然物と養殖物。スッポンは天然が殆どないからだという。関西人は、スッポンを選ぶだろうが、そらーアンコウ鍋の方が美味い。スッポンとかフグとかは、爺さん婆さんの食い物じゃないのかな。フグなんて味がなくて歯ごたえだけ。入れ歯を入れた老人が、歯があった昔を懐かしんで食べるもの。スッポンは精力が減退した中年が補うために食うもの。アンコウこそが本当の味を楽しむものだ。それなのに番組ではスッポンが買った。変な漫才のコンビが最後に寝返ったからだ。理由はアン肝を食べたことがないからと言う。アン肝の味を知らないのは可哀想なことだ。でも、昔アンコウ鍋を食べさせた奴がアン肝を食べれなかった。ああ言うのがダメだという人間もいるのだ。不思議なことに。

 上野昂志 『戦後再考』 の面白さは例えば、焼夷弾というものが実はその後ベトナム戦争で使用された、ナパーム弾だったとか、色々あるが、

 「それを、猪野健治編 『東京闇市興亡史』 (草風社) 所蔵の年表によって、もう一度社会のほうにさしもどしてみよう。

 一九四五年八月二十日 "光は新宿より" のキャッチ・フレーズとともに新宿にマーケット開店

 同二十七日 大森小町園開設

 九月五日 浮浪児、上野の山に二百余名

 同二十四日 米兵からの物資、警視庁指導取締り

 十月十日 主食の闇値天井知らず。公定価格に対して、米は都会で五十五〜八〇倍、農村で3〇〜四〇倍

 同二十八日 闇を食わない犠牲・亀尾英四郎東京高校教授の死。

 十一月十七日 この日までに上野、愛宕、四谷署管内で百五十人餓死。

 "光は新宿より" というのは、関東尾津組がマーケットを始めたときのキャッチ・フレーズだが、尾津組の尾津喜之助親分は、この二日前に新聞に広告を出して軍需産業の下請けをしていた中小の企業主を集め、軍刀や鉄カブトを包丁や鍋に作り直すことを勧めると同時に、マーケットで売らせたという。戦争が終わって何日もしなうちに、こういうことを思いつくテキ屋の親分の機敏さには感心するが、ともあれ東京の闇市は、こうして始まった。新宿を皮切りに、上野、新橋、渋谷・・・・・・と東京の主な盛り場には次々と闇市ができ、またたくまに全国に広がって切ったのである。

 これに対して大森小町園という固有名詞については、本でいまでは知る人も少ないだろう。わたし自身も、本で初めて知ったのだが、米軍向けの慰安施設、つまり米兵相手の売春宿である。これを統括するのがRAA(特殊慰安施設協会)だが、これがなんと政府の肝煎りで作られているのだ。その時の大蔵省主税局長は池田勇人で、彼は「一億円で純潔が守れるなら安いものだ」といったというが、ともあれ、そうやって政府が金を出し、東京都が必要物資を提供して、八月二十八日には皇居前広場で設立宣誓式まで行っている。その声明文にいわくーーー「時あり、命下りて、予て我等が職域を通じ、戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の難事業を過せらる。(中略)"昭和のお吉"幾千人かの人柱の上に、狂爛を阻む防波堤を築き、民族の純潔を百年の彼方に護持培養すると共に、戦後社会秩序の根本に、見へざる地下の柱たらんとす」。

 大仰で空疎な言葉を連ねた美文に思わず笑ってしまうが、現実は笑うどころではなく、RAAの広告にひかれて集まった女性たちのほとんどは、仕事の内容も知らなければ性の経験もなかったというから、彼女たちが直面した事態がどんなものだったかは、想像を絶するものがある。大森小町園は、進駐軍の上陸コースに当たる景品国道ぞいにつくられたが、すぐ立川、調布、福生、青梅などにも同種の施設がつくられた。そして性病の蔓延に手を焼いた進駐軍によって翌年三月に閉鎖されるまで、まさに「人柱」として酷使されたのち、彼女たちは街へと放逐され、街娼の群に交じり、パンパンと総称されるようになる。

 こういう記録を読むたびにいつも不思議に思うのは、売春が国家の発案と後押しによって行われるという点である。性欲という、すぐれて個人的な欲望の処理を、国家が率先して世話をするというのは、いったい何なのだろうかと思うのだ。敗戦国に街娼がふえるということは、どこの国でも見られる現象である。職もなく、食べ物にも事欠く状況の中で、女性が身を売るということは、なんら不思議なことではない。しかし官が民間に委託してRAAのような組織を作ってやらせるというのは、世界に類を見ないのではないか。」    ーーー上野昂志 『戦後再考』 よりーーー

 特に付け加えることはない。これが日本という国の戦後処理の始めの部分にあったのだ。闇市をテキ屋の親分がみんなに呼びかけ大成功をするのと対称的に、大蔵主税局長、池田勇人がやったRAAは国家主導の買春組織。「一億円で純潔が守れるなら安いものだ」と言って、何の説明もないまま処女を売春婦にするというのはどう考えても尋常な話じゃない。こんなことをやった、池田勇人は大蔵大臣をへて後に総理大臣になり、「所得倍増計画」を高らかに歌い上げ、日本繁栄の礎を作ったのだからなおさら驚いてしまう。

 こういう歴史の断片を語る上野さんのそれは、明治を語る風太郎のそれと似ている。日本という国家は徹底的に無茶苦茶だ。阪神大震災後の対応を見ても同じだろう。神戸の冬の寒風の中、冷たいおにぎり配った神戸市。一方、山口組各組は現地に行って無償で暖かいご飯などをを被災者のために炊き出しした。対応の早さという点でやくざの方が上なのだ。行政の方がダメなのだ。だからといってやくざが良いというのではない。行政や国家というものがこの国では滅茶苦茶だと言っているのだ。上野史観と風太郎史観は歴史の裏側を鋭く批判する。上野昂志 『戦後再考』 は、戦後を語る歴史教科書のように読者を魅了する。


 12月8日(土)

 さっき闘牛の会から帰ってきた。新しく来た2人が添乗員をやっている人で、ネットでこのHPを見ていて来たいと思っていた人で、ビデオを流していたら、フリが観たいと言ったので99年のセビージャのビデオを見せた。少し話したら番長などのガイドの人を知っていた。それと、10月くらいに読売新聞の日曜版に堀越千秋さんがどうやら僕のことを書いていたらしいことを知る。名前じゃなくイニシャルで書かれていたそうだが。図書館行って読んでこようかな。その他に、スペイン語関係からスペイン文化を知ると言うことで来た人などがいた。

 2時間があっという間に過ぎた。牧ちゃんが来ていて、リトリの来年復帰を言うと知っていた。「何かあんまり見なくないような、そんな感じ」と言っていた。「惨めになるような気がして」と言うので、やっぱりファンはそう思うんだなと思った。飲み会はちゃんこ鍋。美味かった。色々話したがそれは後にしよう。

 6日の結果。 キト(エクアドル)。ホセリート、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。フィニート、耳1枚。ファン・パブロ・ディアス、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。


 12月10日(月)

 寒い朝だった。北海道では大雪が降ったようだ。公営北海道競馬は累積赤字が120億円を超え存亡の危機に立たされている。今年度は単年度で最悪の30億円の赤字を計上しそうだという。日本最大の馬産地である北海道。こんな状態だと日本の競馬産業自体が危機に直面していることになる。存亡の危機にあるのは北海道だけじゃなく、各地の公営競馬の多くが同じ状態になっている。何もしなくても売り上げが上昇していた景気の良い時代は良かったが、いま黒字を計上している岩手、関東は長年に渡って努力を続けて来たことがこういう時代にも地方競馬の雄としての発言力と力を得ているゆえんだろう。

 僕の田舎、岩手は戦前最大の小岩井牧場がターフに名馬を歳出していたが、進駐軍に独占禁止法によって解体させられた。そう言うことにもめげることなく、競馬産業がダメにならなかったのは、古くは義経以来の名馬の産地としての自負があったからだと思う。そして、競馬の好きな人がプロデュースしてファンを魅了してきたからだ。こういう一部の地方競馬を除いて公営競馬は、存亡の危機にある。馬が悪いかと言えばそうでもないのだ。

 前置きが長くなったが、昨日の朝日杯ヒューチュリティステークスで2着なったヤマノブリザードは北海道道営競馬出身。道営時代、中央競馬のオープン、クローバー賞、G3重賞、札幌2歳ステークスを連勝して中央競馬の藤沢和雄調教師の厩舎に転厩しての出走だった。先週の2歳牝馬のG1でも道営出身のアローキャリーが2着のなっている。馬がダメなんじゃない。運営する人がダメなんだ。北海道競馬に2週連続で明るい話題を提供した。やればできるのだ!ヤマノブリザードの道営時代の鈴木英二調教師は中山競馬場に来てレースを観戦して、「改めて力があることがわかった。来年も自分のところで強い馬を作ります」と語ったという。こういう気持ちの一つ一つの積み重ねが絶望的とも言える道営競馬に活力を与えるのだと思う。

 勝ったアドマイヤドンは、母がベガ。父、ティンバーカントリー。ダービー馬アドマイアベガの半弟。厩舎はベガと同じ松田博資。騎手は藤田伸二。勝利騎手インタビューに眈々と答えていたが、「3冠宣言」が出た。血統から言えば、ティンバーカントリーに疑問を感じる人がいるかも知れないがレースぶりが良い。4コーナーを廻ってくるときに横一列。馬1頭分ようやくあるところを割って出てくる脚、そのレースセンスの良さは誰でも指摘することだろうけど、誰も言ってないことがある。直線で手前を替えず遊び遊び走っている。着差は少なかったが廻りの馬を見る余裕さえ馬にある。この馬は間違いなく大物。手前を替えていたら突き抜けていただろう。藤田の3冠宣言の根拠はおそらくここにあるのだ。

 藤田伸二は一匹狼。田原成貴に可愛がられ、岡部幸雄の腕の信奉者。アドマイヤドンで来年のクラシックで結果を出せば、揺るぎない自信と、より一層腕に磨きがかかるだろう。無事に出走できれば3冠も夢じゃない。そしたら田原も喜ぶだろう。来年のクラシックは間違いなくこの馬が中心になる。暮れのラジオ短波杯でそれに対抗する馬が名乗りを上げればより一層盛り上がるだろう。

 江戸家猫八が死んだ。一芸を以てそれを極めた芸人。

 闘牛の会の後は、ちゃんこ鍋をつっつきながら話をした。帰ってきてみたTVで鹿島アントラーズがリーグ・チャンピオンになっていたことを知った。先月スペインに記者が来ていたが、記事をアントニオが見せてくれた。堀池さんの写真が載っている。左上にはアスナールの大きな写真があった。

 山田風太郎 『忍者黒白草紙』 上野昂志 『戦後再考』 を読む。


 12月11日(火)

 ビックリした。風太郎の本を安く譲ると言うからメールでこちらの欲しい物を書いて送ったら、リスト作成途中のものを送っていた。その中に全然期待していなかった、『忍法相伝73』 が入っていた。これこそ超が10個くらい付くレアもの中のレアもの。あるんだねぇーこういうのが。手に入れると言うことは、想像の世界のことだったのに急に現実味を帯びてきた。他、『姦の忍法帖』 『伊賀の聴恋器』 があるという。古本屋値段で購入の予定。

 山田風太郎 『忍者黒白草紙』 を読んでいると風太郎の勧善懲悪と言う概念が判ってくる。一般的に言う勧善懲悪は字の通り良いものと悪いものがはっきりと判りその対比で物語が進み、『水戸黄門』 の様に印籠などが象徴として出てくるように判りやすいのが特徴だ。しかし、風太郎の勧善懲悪は簡単言えば死ぬのが悪で、生き残る人間も必ずしも善とはならない。その辺の判断は読者に任されているような気がする。こう言うところが読書慣れしてないと付いていけなくなるのかも知れないが、とにかく物語が面白いのが読者を引きつける。


 12月12日(水)

 重要書類在中と書いた手紙が来て、中には13日工事予定。18日開通予定。と書いていた。これは3日にADSLの申し込みをしたことについてもものだった。つまり順調にいくと18日からADSLでの接続が可能となると言うことだ。もっと時間が掛かると思っていたので、早い対応に驚いている。未だ、ウイルス・ソフトを買っていないし、接続ケーブルも買ってない。

 この前の闘牛の会の帰りの電車の中で荻内先生が、「あそこに立っている人、朝までテレビに出ている人だよ。あの本読んでいる人。あの目はね、グーッと本の中に入って行っている人の目。隣の人も同じ。あの集中してる目は、職業にしている人の目だね。普通の人も目と違うでしょう」と言っていた。本なんて仕事やってたらそんなに毎日読めるのか?と、思っていたが、面白いと毎日読むものなのだ。でも、あの目は確かに本の世界に入っている目だった。あんな目で本を読むことは、本が面白いと言うことと、体調が良いという条件が揃わないとなかなかああ言う目にはならない。ページが進まないからだ。

 最近、寝不足気味であんな目で読めやしない。1週間、1ヶ月、1年中あんな目で本を読んでいたら疲れるだろうなぁ。と言うより、俺にはできそうもない。無理だ。本を読むこと、文章を書くことは体力だ。気力とか精神力とか言わないのが俺の言い方。

 山田風太郎 『忍者黒白草紙』 読了。 上野昂志 『戦後再考』 『紙上で夢見る』 の中の山田風太郎論1,2 「変容する肉体の博物館」 「明治のぞきからくり」を読む。


 12月13日(木)

 「考えれば考えるほどよくわからない。世の中つじつまが合わないものだ」 と、風太郎は、『忍者黒白草紙』 の中で忍者に言わせる。忍者は、命令する権力者のために命を懸けて任務を遂行するものだ。その任務に疑問などというものを挟む必要はない。が、『忍者黒白草紙』 に出てくる二人の忍者はその任務に疑問を持つ。一人はその任務から降りる。降りて、残って任務を遂行する忍者の邪魔をする。善と悪を白と黒に色分けするように二人の忍者に対比させるが、その二人の忍者、そう簡単に色分けできるほどことの善悪というものを表していない。

 風太郎の忍法帖にしては風変わりな、悩める忍者を物語る。そして悩みをいやすのは女。一人は十何人の女を相手に漏らさないをいう技で女を喜ばせる。漏らすと体が保たないからと言う。一人は、江戸町奉行、鳥居耀蔵の娘、白痴で淫蕩の化身、お兆を抱く。交合の時に何故か、「荀子」 を朗読する。

 「ーーー孟子曰く、人の性は善なりと。曰く、これしからず、人の性は悪なり。ゆえに古は聖人、人の性悪なるがゆえに君上の勢いを以てこれに臨み、礼儀を明らかにして以てこれを化し、刑罰を重くしてこれを禁じ、天下をして善意合わせしむ。・・・」 (中略) 「いまこころみに君上の勢いを去り、礼儀の化をなくし、刑罰の禁をなくし見よ。かくのごとくんば、強き者は弱き者を害し、衆は寡をそこない、天下悖乱して相亡ぶることしばらくを待たじ。・・・・・・」 (中略) 「これを以てこれを観るに、人の性悪なること明らかなり。その善なるは偽りなり。・・・・・・」

 そして、父、江戸町奉行、鳥居耀蔵が娘との交合を見せろと言う中で、

 「ーーー欲これに過ぎて動及ばざるは、心これを止むればなり。欲及ばずして動これに過ぐるは、心これを使しむればなり。・・・・・・」

 もう訳が分からない。こういう風に風太郎に語らせるそれを上野さんなら時代の気分と言うだろう。安保と言っても柿じゃない。日米安全保障条約のことだが、その安保や60年代のこれをそう言うのだと思う。政府、国家というものに対する反対、その運動の過程で既成左翼政党のダメさ加減への疑問。そして、フリー・セックスの時代。そう言うものが、この訳の分からない不思議な交合を描くのだと思う。

 現実にこんな女がいたら抱いてる男は気が狂うだろう。まっ、ハンス・ベルメールの様に、そう言う女が好きな芸術家はいたのだが。これはアブノーマルだ。この、『忍者黒白草紙』 はそう言う意味で言えば政治小説になるのかも知れない。それは、善の挫折という形で結末を向かえることでも分かる。考える忍者と言うこと自体がそれだからだ。

 「世の中つじつまが合わないものだ」 というのは誰の人生においても、おそらくは、当てはまる不可解だが、どうしようもない諦めとも思える感情ではある。それを、権力の犬である忍者に語らせる風太郎の時代感覚も凄いものだ。風太郎も凄いが、上野さんの風太郎論も凄い。改めて読み直してみたが、本を読み込み、噛み砕き、それを一つの解釈にする確かさ、それをまとめて見事な切り口で切ってみせる鋭さは、感動的だ。

 上野さんに教えて貰ったことは、ものを深く考えるということ。それを、肉体から観ることによってものがより見えてくるののではないかと、言うことだったような気がする。野球もそうだが、闘牛が良い例なのだが。


 12月14日(金)

 頼んでいた、『魔界転生』 (原作 山田風太郎 作画 石川賢)が届いた。本屋のおばさんが変なことを言っていた。「遅くなってすいませんね。50円出せば早く出すって言うんですけど、そんなの出して貰うわけにも行かないし、困りますよ」そんな風に問屋が本屋に本を卸さなくなったら本屋は終わりになる。特に街の小さな本屋が。問屋は自分たちで自分の首を絞めるような変なことをやっているようだ。ネットで本を注文すれば送料無料で直ぐに届けてくれる。街の本屋に頼まなくてもそうやって本を買える時代だ。でも、街の本屋に本を頼むのはそう急がないものをわざわざ注文するのだ。少しでも多くの本屋が残って欲しいと思うからそうやれる本はそうやって頼む。だから、問屋の考え方にはガッカリした。何考えているんだか。

 俺はできるだけ街の本屋で本を買いたい。コンビニや紀伊国屋などの大きな本屋では、早く欲しい本を買いに行くがそうじゃない場合はそうしたいと思っている。しかし、問屋も馬鹿だなぁ。そんなことやってたら誰も買わなくなるぞ本なんか。効率ばかり考えていると小売店の店舗自体が劇的なまでに減少するだろう。もうとうにそうなっていると言われればそれまでだが、これ以上自分たちで減らしてどうするの?それでなくても高齢者が多い。僕の行ってる本屋だっておやじさんが死んでおばさんが訳も分からないまま引き継いで細々とやっているところだ。せめておばさんが死ぬまで気分良く商売させてあげたいものだと俺は思っているのだが。

 山田風太郎 『忍法阿保宮』 上野昂志 『戦後再考』 読了。


 12月15日(土)

 北海道と日本海側では大雪が降っている。

 ミゲル・アベジャンのバンデリジェーロに新しくカルロス・アビラが加わった。何だか凄く嬉しい。カルロス・アビラは99年セサル・リンコンがアーニョ・サバティコを取ると言ったとき、セサルのバンデリジェーロをやっていた。97年のサラゴサのホテルで、セサルの闘牛が終わった後に闘牛服の着替えの写真をアドルフォと一緒に撮らせてくれた人だ。あの時カルロス・アビラはフラッシュをたくなと言っていた。あの時、一眼レフの50mmのレンズがおかしくてバカチョンでしか撮れなかったのが残念だったが、服を全部脱いでスポンポンになって腰に何も巻かずシャワーを浴びに行ったのにはビックリした。普段はそう言う風にするんだろうけど、カメラを持った僕の前でそんなことをした。それだけこっちを信頼していると言うことなのだろう。まるまる一シーズンセサルを追っかけていたからそう言う気持ちを汲んでくれたのだろう。

 セサルが闘牛を止めてからは、ウセダ・レアルのバンデリジェーロをやっていた。来年アベジャンと一緒にカルロス・アビラに会えるのかと思うと今からとても楽しみだ。また、新しい写真が撮れるだろう。カルロスに頼んでアベジャンの写真を撮らせて貰いたいものだ。セビージャで下山さんと一緒に会えたらさらに嬉しい。アベジャンの着映えの写真撮りたいなぁ。撮らせてくれるかなぁ。その前にインタビューしたいけど出来るかなぁ。それは、行ってからのお楽しみか。


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