−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、のスペイン滞在日記です。
11月1日(木)
闘牛の会が来週の土曜日ある。今度は横浜じゃなくいつもの門前仲町の東西文化センターでやる。この前の闘牛の会で荻内先生が言っていた闘牛に対する考えからは、新鮮な部分があった。毎年闘牛ばかり見ていると、始めに見た頃の感覚をなくしてくるような部分もあるのでそう言うところをちゃんと押さえていたような気がした。メールを送らなければならない会の人もいるのに無精で送ってない。下山さんからもメールが来ているが返事を書いていない。どうしようもないぐうたらだ。心当たりのある人は勘弁してください。
闘牛の会の準備もしなきゃならないのだと、気づいた。うーん今回は1時間くらい騎馬闘牛について話してくれるのでその後、質問とか出るだろうからそれで会話が交差すれば面白いことになるだろう。ビデオはあれを用意しておけば大丈夫だろう。あっ、あれも用意しておこうかな。片山先生は来れるのだろうか。荻内先生にも連絡しなきゃな。井戸さんや足立さんにも。1日はあっという間に過ぎていく。もう少しゆっくりでも良いのに。
11月2日(金)
小林信彦は、漱石の、『吾輩は猫である』 と 『坊ちゃん』 だけは大抵の人が読むと書いている。僕は漱石の小説は10冊くらい昔読んだ記憶があるが、この2作品は読んだことがない。これは、意識的に読まなかったのだ。だから、『坊ちゃん』 を読むのは始めてである。読み始めてビックリした。書き出しがこうだ。
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に入る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かしたことがある。なぜそんな無闇ををしたかと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二回から首を出していたら、同級生の1人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りることは出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使いに負ぶって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階位から飛び降りて腰を抜かす奴があるかといったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。
親類のものから西洋製のナイフを貰って綺麗な刃を日に翳して、友達に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないといった。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切って見せろと注文したから、何だ指位この通りだと右の手の親指の甲をはすに切り込んだ。幸いナイフが小さいのと、親指の骨が堅かったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕は死ぬまで消えぬ。」
もうこれは単なる馬鹿だ。しかし、語り口は実に淡々としている。確かに落語のような面白さがある。子供の頃の悪戯を書いて、「おやじは些ともおれを可愛がってくれなかった。母は兄ばかり贔屓にしていた。」と、書いている。悪戯をして、「母が大層怒って、御前のようなものの顔は見たくない」と親戚の家へ泊まりに行くと2,3日で母が死ぬ。大人しくしとけばよかった思うが、家に帰ってくると兄に、御前のために「おっかさんが早く死んだんだ」と言われ、横っ面を張ったら父に大変叱られる。
その後また喧嘩して兄が眉間から血を流したら、「兄がおやじに言い付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方のいう通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに託まって、漸くおやじの怒りが解けた。それにもかかわらすあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清という下女が気の毒だった。この下女はもとは由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁が、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。」
ーーー中略ーーー 清は時々台所で人がいないときに、「あなたは真っ直ぐでよい御気性だ」と賞める事が時々あった。しかし、おれには清のいう意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものの、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事をいう度におれは御世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好い御気性ですといっては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇っているように見える。少々気味がわるかった。」
もうこれは母親の子供に対するような無償の愛だ。食い物を買ってくれたり作ってくれたり・・・。「清はおれを以て将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。」そして、「清がなるなるというののだから、やっぱり何かになれるんだろうと、思っていた。」という風に思うようになっていく。そのごおやじが死に、兄と清が残る。
『坊ちゃん』 の第1章の部分を読んでいて、風太郎のことを考えた。風太郎が読書を始めたのは中学生くらいだろう。その時は父も母も死んでいた。風太郎は漱石の書く文章を読みながら何を思ったのだろうかと。おそらく、風太郎には清のような人は誰もいなかっただろう。だから余計、作品の主人公にかなりの思い入れを以て読んでいったのではないかと思った。しかし、清のような女は思春期の子供にとっては、現実的な聖母だ。
11月3日(土)
寒い朝だ。これから天気は崩れるようだ。連夜の9回2アウトから逆転サヨナラ勝ちのニューヨーク・ヤンキーズの勝利にニューヨークだけじゃなくアメリカが盛り上がっているのだろう。この勝利は、まるで戦争が正しいかのような錯覚と、勝つ事が正義なのだという訳の分からない高揚感を胸に刻んだに過ぎない。その刻み方を人々は奇跡と呼ぶ。今に時期このタイミングでこう言うことが起こると、アメリカは地上戦に兵隊を投入するのかと思ってしまう。地元に帰ったらダイヤモンド・バックスは、ランディー・ジョンソンが快投して3勝3敗にして最終戦まで縺れて欲しい。ヤンキーズが勝たなきゃダメだという雰囲気がどうしようもなく嫌いだ。ああなると絶対勝たせたくないと思ってしまう。
『坊ちゃん』 の第1章を読むと、こういう人間を闘牛士にしたらいいだろうと思う。無鉄砲だけではダメだが、無鉄砲も一つの芸だ。あの文章のように冷めていれば良い闘牛をやってくれそうだ。
先日菅原文太の息子が電車にひかれ死んだ。踏切で遮断機が降りた状態で線路内に立ち入り一方の電車が行ったの確認して歩いているところに反対方向から来た電車に携帯電話に気を取られ気づかなかったようで、ひかれたのだ。何の同情も感じない死だ。自業自得とはこの事だろう。遮断機が降りた状態で線路内に入ること自体異常だし、引かれた理由が携帯電話で話し中で電車に気づかなかったというのは、もう救いようもない。こう言うのを生活様式から来る無意識自殺願望型になっていると思う。これじゃあ死ぬでしょう。本人はいくらそうじゃないと言っても、これは自分から死の方へ飛び込んでいく自殺行為と変わらない。無意識なのが余計救いようがない。どう考えても、救いようがない大馬鹿野郎だ。
11月4日(日)
小林信彦の、『小説世界のロビンソン』 と、文藝別冊追悼 『山田風太郎』 を読んでいた。『小説世界のロビンソン』 では、漱石と落語について書いていた。一人称が少ないのはそう言うことも影響したのだろうか。それから、フラット・キャラクターとラウンド・キャラクターと言う分類の仕方があることを知った。なるほどなと思った。フラット・キャラクターは、喜劇的な小説に力を発揮し、ラウンド・キャラクターは、劇的に発展する登場人物に使われるようだ。だから、『坊ちゃん』 はフラット・キャラクターが多用される。
その他には、野村胡堂が盛岡中学の時、ストライキのリーダーになっていたこと、金田一京助と同級で、一つ下に啄木がいた事、「あらえびす」と言う名で音楽評論をやり、小説家になる前に有名になっていたこと、収集したレコード1万枚を東京都に寄付したこと、武鑑六百余冊のコレクションを東大史料編纂所に寄贈したことが書かれてあった。つまり、『銭形平次捕物控』 だけじゃないというのが判った。
文藝別冊追悼 『山田風太郎』 は、インタビューや対談、「風太郎研究の巻」と言う評論を読んだ。忍法帖、明治もの、室町もの、など色々面白かったが、未だ殆ど読んでいないミステリーのしかも戦争物について書いているものが非常に興味を持った。前から思っていたことだが、ミステリーを読むなら戦争物からと。それが、この前読んだ 『御用侠』 の様な、非常に冷静というか、冷たいというか、非情というか・・・。恐ろしい筆遣いのようだと言うことが判った。
11月5日(月)
文藝別冊追悼 『山田風太郎』 の「風太郎研究の巻」の中にある谷口基の、「滅失の神話」<風太郎敗戦小説>考ーーー3,聖母の誕生に、「愛する男の帰りを、彼との間に産まれた子供を守りつつ暗黒の中に待ち続けた驚異すべき精神力に、間違いなく <神> は棲んでいた。男中心の社会がつくった戦中・戦後という時間の中で、女性性は聖母と娼婦の両極端を振り子のように往復させられてきた。靖国の母、従軍慰安婦、戦争未亡人、パンパン・・・・・・なんという傲慢な国家意識の表れであろうか。 ーーー中略ーーー 軍律の権化であった婦長と大佐が無条件降伏の醜態を曝す中、彼らに軽蔑されていた慰安婦たちは、半身不随の少年兵を守って高台の機関銃座で全員 <玉砕> するのだ。彼女らが、ただ負傷した少年兵を助けるためだけに機銃を撃ちながら死んでいったことを考えても、その魂に <神> があったことは否定できない。彼女らの中にこそ <神> はいる。「愛されなくても愛されても愛する人が聖人である」(『戦中派虫けら日記』 昭和十七年十二月十六日)という言葉の通りに。」
終戦と呼ばず、敗戦と言っているのは正しい。そして、風太郎の描く敗戦小説は、彼が考え出した人間の悲劇、醜態、浅ましさ、愚かさ、馬鹿らしさ、そして、美しさを入り混ぜておどろおどろしいまでに作品としてまとめているのだろう。そのことによって、戦争というものが如何に人間を変えていくか、恐ろしいものであるのかと言うことを始めて読者に訴えることが出来るのだろう。読もう。風太郎の、『敗戦小説』群を。光文社文庫から出ているものから始めよう。
戦争で死んでいった同世代の人間を風太郎は、「彼らは女を知らずに死んでいった人間が一杯いる。そればかりじゃない。腹一杯飯を食うことが出来ずに死んでいった」と、言っていた。『戦中派不戦日記』 『戦中派虫けら日記』 の戦争中に書いた二つの日記と、『同日同刻』 と言うドキュメンタリーとこの敗戦小説がこれらの手懸かりになるだろう。戦後は、「全部余録」で生きてきたという風太郎の筆をしっかり楽しもう。
11月6日(火)
東京では木枯らし1号が吹く寒い日だった。俺の懐のように寒かった。
ダイヤモンドバックスがヤンキーズに逆転で勝ったのは非常に嬉しいことだ。MVPは、中3日で3戦先発したカート・シリングと前日に続き救援で登板し3勝を挙げたランディー・ジョンソンの2人が受賞した。これは大リーグの奥深さを感じさせる選出だ。野球で1番重要なのはピッチャーだと言うことを強烈に印象づけた。野球の試合で1番面白いのは、1−0か2−1だ。エラーがなければなお良い試合だ。打者の胸元をえぐる球。外角低めの球。とても打てそうにない内角低めの球。配球の妙、球種、スピードの緩急、そう言った投球を見ていると野球の本当の面白さを感じる。こういう投球にはいくら良い打者も、なかなかヒットを打てないのだ。
リンカーン大統領だったかが、「野球で1番面白いのは、8−7の試合」と、言ったが、それは野球を知らないファン心理で、点を取れば面白いという単純さから来ているのだろう。本当の野球ファンは投手戦にこそ手に汗握って興奮する。それは元阪神ファンとして村山、江夏の1−0勝った試合や、0−1で負けた試合を観て、その中に男の美学を見いだしたからだ。男の生き様は、ああ言うときに出てくるのだ。
ワールド・シリーズがこういう結果になったのも、なんかアメリカ的な気がする。勿論、ヤンキーズが勝てば盛り上がっただろうが、そうならなかった事が、気分としてアメリカが冷静に戦争を観ようと言う雰囲気を作っていく方のベクトルに向いていくような気がする。アメリカは、横暴に暴力を振るう世界の大将だ。喧嘩っ早さを理論武装するところがプロテスタントのアングロサクソン的なのだろう。慈悲だとか、相手を許すという、カトリック的な気分を良しとしない論理を展開する。
山田風太郎 『腐爛の神話』 読了。泣けてくる小説だ。文庫本にして15ページの短編なのに物凄いドラマが展開する。戦中派、あるいは、特攻隊の生き残りの人は号泣するだろう。国家や時代の雰囲気対して個人は、川に流れる枯れ葉のようなもの。しかし、それぞれの思いで人生を生きる。見事な筆だ。京子の最後の言葉は、彼女が戦後胸のうちに秘めて思ってきた言葉なのだろう。悲しいが美しい言葉だ。だから、逆に戦争の悲惨さを訴えているのだ。
11月7日(水)
寒い朝だ。インターネットで、本のオークションをやっているが、これが、ベラボーに高くなっている。もう手に入らない文庫本が1冊2000円とか、高いのになると、17500円と言う値段も付いた。ビックリする。どうしても欲しいと思った本の初値が、5000円。売買値が、9750円だったかな。もう手が出ない。出しようがない。こんな本は図書館に行ってコピーしてくるしかない。オークションって高いだけじゃない。50円で本が手にはいる。送料などかかるが新本で買うより安くなる。しかし、異常な値が付く最近のオークションは欲望だけが先行して標準的な古本の値段より遙かに高い値段が付くのだろう。恐ろしい。
11月8日(木)
昨日のサッカー、対イタリア戦での日本イレブンの活躍は凄かった。稲本からのクロスを柳沢のダイレクトボレーシュートは見事だった。パスの配給は稲本と共に小野が良かった。動きは、森島、柳沢が抜群だ。バックスは総体的に良かったが、体を張ったディフェンス、読みの良さ、冷静さ、統率力で宮本が光った。中田は周りと噛み合わなかったが、身体能力の高さを感じた。中村が出なかったのが不満だが、本番の秘密兵器に取って置いたと思えばいいだろう。
イタリアは、時差ボケ、ギリギリに会場に着いたこと、グランドの芝のコンディションが悪かったことなどが重なって本来の動きじゃなかっただろうが、予想を覆して日本が善戦したことと試合内容が良かったのは大きな収穫になるだろう。FIFAランク4位のイタリアでも、結果が悪いと言い訳をするのだ。そのことを今回感じた。それとシュートの精度が悪すぎる。少なくとも枠に中に入れないとどうにもならない。
田中外相の国連、G8への欠席が決まったが、これは影で政治力学が働いていることは明白だろう。外相と、外務省官僚との軋轢は、何やら構造改革派と現状維持派(橋本一派)との代理戦争の様相を呈してきた。殆どイジメのようなやり方で外相を国会に縛り付けた。一連の外相の報道を伝えたアメリカの新聞記事が載ったことに対して、「日本の恥」と日本のメディアが書いているが、一方だけを取り上げてそう言う風に言う日本のマスコミの方が公正中立な報道をしていないと思う。
本当に構造改革をやらなければいけないとマスコミが思っているのなら、もっと建設的な論調が欲しい物だ。批判だけじゃ橋本一派と変わらないじゃないか。個人レベルで言っていることと、メディアを通して言うこととは、公正な事を言わなければならない違いがあるのでもっと真面目にやれと思ってしまう。ダメなマスコミだから、ダメな政治家が大きな顔をするのだ。今後の予測はしても良いが、競馬みたいに予想は要らない。
11月9日(金)
風の噂では、アベコーの、「穴党専科」が競馬新聞 『馬』 から消えたらしい。『馬』 の看板記者は、アベコーこと、阿部幸太郎とフジTVの 『スーパー競馬』 の予想でおなじみの井崎修五郎の2人だが、どうやらこの動きを観ると競馬新聞の淘汰が始まりそうな雲行きだ。確か今年の始めに競馬新聞社が一社倒産した。新聞が売れないからだ。この他にも、売れ行き不振で苦しんでいるところは、複数あるという。
不況の影響で、サラリーマンの小遣いが減ったことと、馬券を買っても当たらないと言う事実がファンの競馬離れを進めている。それと、オペラオーのように強すぎる馬が出れば配当金が低くなることも響いているのだろう。でも1番の問題は、競馬のレースに面白さが欠けてきているからだと思う。この前の菊花賞が良い例だろう。スローペース症候群で実力のない馬が逃げ残って2着に入り有力馬は後方で牽制しあいこの間に、展開の理を生かしてビックリする結果になってしまった。
勿論、それも競馬なのだが、史上最強世代の3冠レースにしてはお粗末な顛末だ。昔は、短距離馬が出走してTV馬になってペースが速くなったり、大レースで攪乱戦法や奇襲に出る騎手がいたが、そう言う思い切った乗り方をする騎手がいなくなったのも影響しているのだろう。岡部幸雄騎手は名人だが、みんなが岡部のような乗り方をしていちゃ面白くない。実力があるからああ言う乗り方をしていても、技術を感じるが、そうじゃないとレースを詰まらなくするだけだ。
競馬も過度期に来ているのだろう。JRAは、プロ野球に比べて、比較にならないほどここ数年努力してきた。それは、アメリカなどの外圧によるところが大きいが国際レースを増やし、外国産馬に対してもクラシックレースを解放してきた。ヒシアマゾンが出た年、牝馬クラシックを勝った馬の実力を1番だと思う人は少なかっただろう。もしクラシックにヒシアマゾンが出ていたら、当然3冠を取っていたと殆どの競馬ファンが思っていただろう。それを考えると、今年ダービーにジャングルポケットとクロフネが一緒に出たのは画期的なことだ。
所で、日曜日のエリザベス女王杯の記事でサンスポの佐藤洋一郎が、「秋の日は釣瓶落とし、秋の牝馬(の調子)も釣瓶落とし(早く落ちる)」であることを胆に銘じた。夏の牝馬は「朝顔に釣瓶とられてもらい水」でいいが、冬の釣瓶落としは風邪を引く。などと書いていた。俺はあーあと思ってガッカリした。丁度、今漱石の、『坊ちゃん』 を読んでいたからこれが判った。「朝顔に釣瓶とられてもらい水」と言う俳句は井戸から水を汲むために釣り瓶を使うがそれが、朝顔を入れて鑑賞しているから使えなくて、他の家から貰い水をしなければならないと言う意味じゃないのだろうか。「釣り瓶とられて」を「釣瓶落とし」に変えてしかも俳句の意味まで変えてその俳句を引用して使っているというのは誤魔化しじゃないか。こんな記事書くなよな。
佐藤洋一郎程度じゃ、仕方ないだろうけど・・・。でも、競馬の名予想、怪予想をいくつも観てきたが、競馬の予想で泣いたのは佐藤洋一郎のレッツゴーターキンが来た秋の天皇賞ただ一回だ。レース前読んだときも感動したが、終わった後にまた読んで、涙が出てきた。うる覚えだが、「デビュー戦、16頭立て14着。2戦目ブービー。初勝利が5戦目の地方開催。そんな落ちこぼれの馬が秋の裏開催福島で始めてオープン戦を勝ってようやく重賞レースしかもG1に出走できる権利を掴んだ。乗るは、大崎昭一騎手。関東所属の騎手なのに今やこっちでは乗れず関西の調教師に拾われて、久々にG1天皇賞に騎乗する。こんな大舞台で、落ちこぼれ同士が花を咲かせて欲しい物だ。」
確かこんな内容だったと思う。1番人気のトウカイテイオーは2コーナーで他の馬と接触してかかってしまい、メジロパーマーとダイタクヘリオスが飛ばすハイペースで後方一気にレッツゴーターキンが差し切った時、佐藤の予想を思い出したのだった。俺の中で競馬が1番美しかった頃の話だ。佐藤。あんまり変な文章書くなよ。お前は、穴予想だからもともと予想はあまり参考にしないけど、ちゃんとした取材記事を読むためにサンスポを買っているんだから、良い記事を書いてくれよ。
明日は闘牛の会だ。
11月10日(土)
昨日から降っている雨は未だ上がっていない。
準備を終えてこれから闘牛の会に行くところだ。今日の競馬は不良馬場。明日はどうなるのだろう。馬券は買ってきたからもう変更は利かない。今片山先生にTELしたら今日は来るそうだ。体調が戻ったようだ。所で闘牛のニュースで、来年リトリが復帰するという記事が載っていた。止めればいいのにと言うのが僕の感想だけど、牧ちゃんはこのニュースを聞いて何というのか、反応が楽しみだ。では、行こう。
11月11日(日)
昨日の闘牛の会に、スペインの新聞記者が来ていた。闘牛の会の活動を向こうに紹介するらしくカメラ、録音テープなどの機材をもって来て会に参加した。最も、日本語は分からないみたいだけど。堀池さんが騎馬闘牛をしっかりと発表した。歴史から、使用している馬、進行というものを上手い具合にまとめていた。使用したビデオは99年のサン・イシドロからパコ・オヘダ、アンディー・カルタヘナ、アントニオ、ルイス・ドメク兄弟。史料準備前にエル・フリの今年の5月3日のセビージャ、フェリア・デ・アブリルの土砂降りの雨の中の闘牛を観た。
最後は、来年の予定を荻内先生がみんなから発言を求めながら決めていった。4月頃までの分を決めた。終わった後の飲み会で、フェリア・デ・オトーニョ、フェリア・デ・ピラールを観てきた会員と話した。マドリードでは、須美さん、三木田さん夫婦、林さん、松田君、それと中崎君に会ってきたことや、初めて観た闘牛の話、中崎君と一緒に観て色々教えて貰った話を聞いた。松田君とも騎馬闘牛を一緒に観たらしい。
中崎君とは昔、同居していて、サン・イシドロの頃闘牛を観て帰ってくると録画していたビデオを観て色々闘牛を教えた。画家の卵なので、体の動きや形を直ぐに理解してホセ・トマスがお気に入りの闘牛士になった。だいたい闘牛を観戦するのに必要な基本的なことを教えたが、それを、その会員に闘牛場で隣に座って割とこまめに教えたようだ。あんまり喋らない方だから、自分の知識をフルに出して丁寧に喋っていたようなので、ちょっとビックリしたが、これもネットで知り合いだったことと、僕の知り合いだったと言うこともあるのかも知れない。その他にも、松田君とも一緒に観たと言うし、終わった後、須美さんとも3回会ったと言っていたから充実した闘牛観戦が出来たのだろうと思う。仙台からわざわざ来ているのには頭が下がるなぁ。こういう人もいつのだから、堀池さんのように良い発表をするようにしないと行けないよなぁ。最近みんな良い発表が多い。
牧ちゃんが来てなかったのと、石井さん、上家さん、とTAKEさんとあまり話が出来なかったのが残念だったが、片山先生とは荷風の話などの明治の面白い話が出来た。今週か来週にはTELして会いに行こう。続きはその時に。荻内先生とも約束したので、近日中に話したい。こっちは、闘牛用語の話をして来るつもり。TAKEさんが言っていたけど、「風太郎読んだら、他のは読めないな」と。本当にそう思う。今、本が面白い。でも、闘牛の会に出るとやっぱり闘牛は面白い。
11月12日(月)
昨日の、「知ってるつもり!?」で山田風太郎をやったようだ。来週だと思っていたので観ていない。ガッカリだ。9月から楽しみにしていたのに。米ちゃんからTELがあり日曜日に会うことになった。マドリードから日本に帰ってきているのだ。
清水エスパルスのアレックスが日本国籍を取得し、三都主(サントス)と名のるようだ。これでいよいよ日本代表に選ばれるだろう。ワールド・カップの秘密兵器になるのだろうか。
やー昨日の競馬、エリザベス女王杯は稀にみる大激戦だった。ハイペースで進んだレースで、テイエムオーシャンは離れた3番手でしっかり折り合いが付いていた。1コーナーの所ではちょっとかかり気味だったが。4コーナーを廻り直線では真ん中の馬場の良いところに出し追い出すと先頭に躍り出た。このまま行くかと思ったら内からティコティコタック、レディーパステル、外からトゥザヴィクトリーが襲いかかり4頭が団子状態。ゴール前では大外から矢のように飛んできたローズバドが合わさって一団でゴールした。
半馬身の間に5頭がいる大接戦だった。後方から進み直線の脚に賭けて完璧に近い最高の騎乗をした横山典弘ローズバド。それでも2着なのはこの馬の脚質なのか、勝ち癖が付いてないからか。橋口調教師は悔しさで、「この馬がもう少し体が大きかったら差しきっていただろう」と。完璧な騎乗にはそれを上回る完璧な騎乗をした馬が勝つ。スローの菊花賞で最後方から行ってヘグッタ武豊が、中段で脚を溜め差しきって始めてのG1をトゥザヴィクトリーにプレゼントした。この馬も2着が多かった馬でようやくG1ゲット。着差はハナ差でも価値あるハナ差だ。
3着のティコティコタック武幸四郎。良く乗った。これ以上どうしようもないだろう。蛯名正義のレディーパステルも良く乗った。この2頭もう少し外側を走っていたら・・・・・・と思うと結果が変わっていたかも知れない。でも、これがレースなのだ。5着に落ちたとは言え、テイエムオーシャンは2200mの距離を考えれば立派だ。本田も良く乗った。5着まで、ハナ差、ハナ差、首差、首差なのだから胸を張って良いだろう。
1着から5着までの着差が半馬身。今度やったらどれが勝つか判らないだろう。こんなレースばっかりだったら競馬ファンは競馬場へ詰めかけるだろう。いやー良い競馬だった。良い競馬だと馬券を外しても気持ちいい。来週はマイル・チャンピオン・シップ。JC、JCダートの外国招待馬が決まり、日本到着予定も発表された。
夏目漱石 『坊ちゃん』 永井荷風 『歓楽』 読了。
11日の結果。 メキシコ。アルミジータ、耳なし。ホセリート、耳なし。ソトルコ、耳2枚。プエルタ・グランデ。モランテ、耳なし。 バレンシア(ベネズエラ)。エル・コルドベス、耳1枚。ペドゥリート・デ・ペルトゥガル、耳2枚。レオナルド・コロナド、耳1枚ともう1枚要求。 リマ(ペルー)。フィニート、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。ホセ・トマス、耳なし。イグナシオ・ガリバイ、耳2枚。プエルタ・グランデ。 ニーム(フランス)。クーロ・バスケス、フェルナンデス・メカ、耳なし。デニス・ロレ、耳1枚。エンカボ、ウセダ・レアル、フリエン・ミレト、耳なし。マンサネレス(息子)耳2枚。
11月13日(火)
もう炬燵を使っている。寒くなっているがそれでも、暖房器具を未だ使ってない人がいるそうだ。東京では平均して11月30日が殆どの人が暖房を使う日になっているという。
『坊ちゃん』 の最後の部分で東京に帰ってきて直ぐに清を訪ねると、「あら坊ちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽた落とした。おれも余り嬉しかったから、もう田舎へは行かない。東京で清とうちを持つんだといった。」 この部分がなかったら詰まらない小説になっていたかも知れない。「清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月に肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前におれを呼んで坊ちゃん後生だから清が死んだら、坊ちゃんの御寺へ埋めて下さい。御墓のなかで坊ちゃんの来るのを楽しみに待っておりますといった。だから清の墓は小日向の養源寺にある。」
親でも嫁でもないのに同じ墓に入りたいと言う気持ちは、乳母のような気分だったのだろうが、乳母だって同じ墓には入れない。それを許す坊ちゃんはよっほど清を気に入っていたのだろう。人生で1番大事な、自分をいつも受け入れてくれたからだろう。こういう結びつきがなかったら坊ちゃんは損ばかりしている人生を乗り切っていけなかったような気がする。作中、「日本中探しても清ほど気立ての良い女はいないだろう」と言っている。清は漱石が描く聖母像だ。小説の始めと最後の部分を清のことを書き、その間の部分を四国の中学校(松山とは書いていない)出来事を落語風に書いている。恐ろしく単純な坊ちゃんと山嵐の出会いや、共同で赤シャツなどにやることは面白いが何だか悲しげだ。清のことがなかったら暗い気分になる。「同じ墓に入りたい」というのは、プロポーズ言葉になるよなぁ。
荷風の、『歓楽』 は、結婚を最高と思わず、いつまでも最高の恋を探していくことを人生を最高の生き方としている男の話だ。まあ、つまり荷風の人生の心情をそのまま小説にした物だ。
「最初に見た時とは別の人のようにきちんと、座った形を崩さず、妙に話を途切らせてしまう。じっと見詰める私の眼の、烈しく燃え立つ欲望の光のまぶしさに堪えられぬと云うよう、俯向いた顔を上げ兼ねていた。この沈黙の中に進み行く時間は二人の運命を、二人の気付かぬうちに、その行くべき処まで行かしめねば止むまいと云うよう、あたかも満ちてくる潮の流れの如く、ひしひし二人の身に迫る。私は非常に高まる女の胸の響を聞き得るようにと思った。その響は、もうあなたに身を任している、どうして下さるんです。と私の返事を促す哀訴のようにも聞き取れる。ああ、解き得ない謎、聞き分けられぬ囁き、定まらぬ色の動揺、形なき言葉の影ーーー何たる悶えであろう。私は突然、この発表されない覚悟、声ある如き女の沈黙は、もし此処に一歩を進めたならば、窮鼠却て猫を噛む恐しい防禦の暗示でありはせぬかとも思った。私は実にこの場合、虚心平然として何等の先入的判断に促われる事なく、相手の心理を洞察せねばならぬと思った。自分ながら大分酔っている事が分る。どうかして酔をすっかり醒ましてしまいたい。少なくともこれ以上酔ってはならぬと急った。すると急れば急るほ
ど、私は酔の廻るを覚え、眼がぐらぐらして、身体全体が次第々々に他人のものであるような心持がして・・・・・・遂に意識が失った。判断が消えてしまった。目の前の女は乃ち女である。何等の社会的関係もない。束縛もない。目の前の女は唯だ単に、私が欲望の対象物として忽然現れ出たものをした見えなくなった。酒よ、何時に謝す・・・・・・。」 ーーー永井荷風 『歓楽』よりーーー
こう言うところは上手いと思う。が徹底的に日本的だ。何がと言えば、好きだと言うところから始まらないところがそうである。緊張して無言で、仕草まで普段と違って、相手の気持ちを詮索ばかりしている。そこを上手く書けば文学だと言うのだろうか。荷風ならこう言うところは時代的なこともあり許すが、かったるくもある。しかし、今でもこういう風に言わない事の方が多いだろう。もっとはっきりしたら日本人もかなり変わって来るだろうけど、なかなかそうはならないようだ。
この小説は荷風の人生の姿勢を書いたもの。独身者として恋愛に殉ずる事を書いている。文化勲章受賞の時、浅草のストリッパーに祝福され、死んだときもそう言うところだったという徹底ぶりを一貫して通した人生。ご立派である。ストリッパーに会ってから天皇に会ったのか、天皇に会ってからストリッパーに会ったのかは知らないが、すげぇーこった。人を喰っている。まっ、女も食ってるのだが。
所で、風太郎を読んでいたとき、顔や姿を描くのに、そんなに書いてないと思っていたが、漱石にしろ荷風にしろ殆ど顔などは書いていない。姿は丸髷と書いたり、着物を書いたりしているが、風太郎ほど顔自体を書いていない。これは以外と難しいようだ。してみると風太郎は顔を割と書いているということだ。大体風太郎の小説には美人ばかり出てくる。読んでいてそれを感じながら楽しく読むことが出来るが、漱石や荷風の小説を読んでいても美人は余り出てこない。荷風に至っては花街の女ばかり書いているのにその顔を読者が思い浮かべることが出来ない。雪駄の履き方で職人だと分かるように、着物の着こなしで花街の女の特性を書こうとしているのだろうか。不思議と言えば不思議なことだ。でも、荷風は面白い。漱石はまた、『こころ』 が読みたくなった。が、『吾輩は猫である』 の方が先だよと言い聞かせている。
闘牛の会の後の飲み会で、片山先生が、「荷風の好みは花街の女は女だけど、元幕臣から身を崩した花街の女って決まっている」と、良いことを教えて貰った。何か納得する。早乙女貢の、『夜を歩く男ーー真説鼠小僧ーー』 で大名屋敷に忍び込んで殿様の妾を寝取る話だったが、そう言う女の方が町の女より性的に興奮するという風に書いていたが、荷風の好みもそう言う分けなのだろう。『坊ちゃん』 に出てくる清も、「坊ちゃんは立派だ」と言い続けて人生に自信を持たせてあげる女中で、おそらくもと幕臣だった婆さんだ。してみると風太郎はつくづく凄い小説群、明治ものを書いたものだと改めて感心している。
昨夜NHKで、「ジェームス・ディーン」 をやっていた。その中で闘牛が好きだったと言うことをいっていた。実際彼は、おもちゃで闘牛のアニメーションのような作品も作っている。死んだのは自動車事故。レースにも出て有名ドライバーを相手に優勝もしていたそうだ。「何故、レースに出るんだ。危ないじゃないか」と言われてジェームス・ディーンは、「僕は死を克服したいんだ」と言ったそうだ。「そんなこと出来るわけないじゃないか」と言われたそうだ。これは、面白い話だ。
昨夜ニューヨークで、アメリカン航空のエアバスが墜落したがテロではなく事故らしい。
11月14日(水)
アフガニスタン国内で、首都カブールをタリバンから北部同盟が奪還した。殆ど無血で国内の半分を奪還した。
TVで、コレステロールのことについて、「ためしてガッテン」でやっていた。コレステロールを下げる油というのがあるというのを知った。過去の番組ですでに豆腐や納豆のような大豆タンパク質、植物繊維、魚の脂を取ること、が良いと知っていた。納豆には、ナットーキナーゼがあり血液をサラサラにする。これは世界中を探しても納豆だけにある成分だ。玉葱も血液をサラサラにするがナットーキナーゼにに寄るものではない。最近では、海洋深層水もこの効果がある。
この番組の前に食事したが、今日は、サラダ油にラー油を入れてニンニク、長ネギと椎茸など3種類のキノコを入れて、胡椒と七味唐辛子振ってかき混ぜ、木綿豆腐を入れ塩で味付けする。少し辛目に香辛料を入れるのは、塩を控えるためだ。これをおかずにして飯を食ったがこういう食事なら日本の今の季節ならもってこいだ。鍋物、ラーメン(主に味噌)、キノコやたらこスパゲッティーがこれから僕が食べるものだ。残念ながら、チーズの肉トロは食卓には上がらない。でも、食いてーよな。
風太郎は、健康とか長生きとかに、一切興味を示さなかった人だった。死の直前まで食べたいものを食べ、飲みたい酒を飲んでいた。それが1番ストレスがないからとか、好きなことしかやらないと言う人生の信条を貫き通した。つくづくお見事な人生であったものだと感嘆している。
闘牛の会で頼まれた、El an~o Taurino 2000 のビデオの日本方式に変換してのダビング作業を終了した。春にスペインで見て以来久々に見たが良いシーンを満載している。勿論ダイジェストだから一つ一つのファエナを味わえるようにはなっていないがそう言うのを見たいのならTVから録画するか、闘牛場でカメラで撮るしかない。
山田風太郎 『さようなら』 永井荷風 『二人妻』 読了。
薬害ヤコブ病に、裁判所が和解勧告を出した。内容は、国がヤコブ病に感染する疑いを知りつつ販売中止を指示しなかった責任を認め、患者に早期救済を求めるものだった。
11月15日(木)
今日も寒い朝だ。不況も益々深刻になってきた。
「 今朝出掛けに良人は横浜まで行く用事があるから帰宅は遅くなる。待たずに先へやるんでいるようにと言ったのであるが、どうしてなかなか先へ寝られるものではない。夜の静になるにつれて目はいよいよ冴えて来るばかり。心あたりの待合いへも二三軒電話をかけてみた。気がいら立ち目が冴えるにつれて千代子には良人の横浜行きがだんだん虚言らしく思われて来るーーー忽ち又打って変わって良人の身に何か間違いでも出来たのではあるまいか。汽車か電車に間違でもあったのではなかろうかと居ても立ってもいられないような心持ちになってくるのであった。 ーー中略ーー
羊羹も煎餅も黒砂糖となくブッ切り飴も水菓子も、もう甘ずっぱいおくびの込み上げて来る口へは入れようがない。針仕事は昼一日肩の凝るほどしてしまった。良人の部屋の掃除は畳のささくれまで毟って机の抽斗(ひきだし)までも片づけた。厠の手拭いも取り変えてしまった。電気燈の球と笠も拭いてしまった。もう今更気をまぎらす仕草はない。時計の音が恐ろしいほど音高く耳につくと共に、深夜の寒気が剃刀で撫でるように襟元に染み渡る。さっきから幾度火鉢へ炭をついだかわからない。その度にどれほど鉄瓶へ水をさしたかわからない。炭取はまたしても空になった。炬燵の火も今はどうやらぬるくなって来た。
千代子は火鉢へさした火箸を取って、掛蒲団をまくり埋めた火を掻立てようと、櫓の上から琉球紬に浴衣を重ねた良人の寝衣の片袖が、だらりと女優髷に結った千代子の顔の上に落ちかかったので、静にそれをのけようとすると、どうしたはずみか、袖口の縫糸が髷のピンにからまってなかなか取れない。稍しばらくしてやっと顔を上げた時、千代子はきりきり歯ぎしりをして、良人の寝衣を力まかせに引摺り出して、びりびりと半分ほどもその袖を引き破って夜具の上に叩きつけた。あまり力一ぱい叩きつけたので、千代子は中腰に立上がった身体の中心を失い、寝衣と共に前へのめって倒れた。そのまま千代子は寝衣にしがみついて幽(ひそか)に声を立てて泣き出した。 」 ーーー 永井荷風 『二人妻』 ーーー
上手い。こんな文章書けたら凄い。女のいらつきが手に取るように分かる。こういうヒステリー女を書いていると、宇野浩二の、『苦の世界』 を思い出す。あの滑稽さと言ったら吹き出してしまう。それはやっぱり、“苦”だろうけれど、滑稽だ。『二人妻』 も、可笑しくて笑ってしまった。荷風は、二人の女学校の同級生が良人の女遊びに苦しむ話して共感していく筋立てになっている。二人の良人は医者と弁護士。荷風にしては珍しく当時のブルジョアの話だ。結末は風太郎ならこうはないらないだろうと思う。ちょっと物足りないが、つまり誤解という理解で心落ち着く話だ。
山田風太郎 『さようなら』 は、戦争小説。敗戦小説で聖母像を描いている。こういう小説を僕は、風太郎の聖母小説と呼びたい。初期の作品なのであまり上手くないが風太郎の心情が分かる。
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