−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年のスペイン滞在日記です。
5月4日(金)
去年のリナレスでホセ・トマスは体ギリギリのパセを通して牛を交わしていた時に、牛が横に首を振ったらホセ・トマスに角が触れた。服が破け股間からボルサが出て、そのボルサは縦に破け中身の睾丸だけがはみ出した。その状態でファエナを続け耳を切ったと言う。場内1周の時、腰にタオルを巻いていたそうだが、恐怖や痛みなどというものはホセ・トマスにはないのかと思ってしまう。下山さんがこの話をしてビデオを探してくれたが未だ見つからない。
男が睾丸に傷を受けたらそれだけで、直感的に恐怖心を持つものだ。それがないというか感じられないのが、驚異的だ。
昨日のエル・フリは、土砂降りの雨の中で闘牛をやった。バンデリージャも自分で打った。アレナは田圃のように水が浮いていた。ファエナ自体はそんなに良いものじゃなかったが、あのコンディションの中で闘牛をやったことにセビージャの観客は感動した。退場の時に、「トレロ」コールがなったのはそのためだ。
夜遅くまで起きていたので今日は遅く起きた。だから観戦記も出来ていない。
5月5日(土)
昨日は闘牛が終わって帰って来たら、まゆみさんからTELがありフェリアに行って来た。ジプシーがやっているドーナツ屋に行った。チョコラテドーナツ4人分で2500ptsだった。高いと言えば高いがマドリードのチョコラテ屋でも1人500ptsするところがあるのでフェリア会場の中なのでこの辺の値段なのだろう。フェリアは人で溢れていた。フェリアはカセタの中に入れないと面白くない。僕は踊りなどをしないし、興味もないので途中で帰ってきた。まゆみさんと、K君は踊りあかしたらしい。それでも10時に起きてまゆみさんは仕事に行った。
昨日の闘牛は牛が良くなかった。全体的に今年は牛が悪そうだ。どの牧場の牛もなかなか良い牛が出てこない。下山さんお話だと今年の冬に記録的な大雨が降っていたことが原因かも知れない。雨が降ると牛の運動不足を起こしたのがこのような状況になっているようだ。血統ではどうしようもない、環境の問題だ。良い牧場でも1日に1,2頭良い牛が出れば良い方なのかも知れない。
一馬からメールがあり、タキオンが屈腱炎を発症して6ヶ月の休養に入ったという。ジャングルポケットにダービーを勝たせたい。トレジャーも2着なら嬉しい。
5月6日(日)
昨日闘牛場でパディージャが、ポルタガジョーラ、ラルガ・カンビアール2回、ベロニカ、メディア・ベロニカ2回を繋ぐと観客は立ち上がって喝采を送った。隣に座っていた闘牛に詳しいスペイン人の青年が感動して腕をさすっていた。鳥肌になったのだ。僕はそれを観て笑っていた。冷静な青年がそんな仕草をしたのはその時だけだった。ペピン・リリアに、「トレロ」コールが起きても、「ペピン」コールが起きても冷静だったがパディージャの時だけは興奮していた。
闘牛はそういう瞬間的な興奮が感動を呼び起こすものなのだ。どちらかというと女向きと言うより男向きなような気がする。でも、日本人の女の人でも闘牛士の追っかけをする人がいるが、こういう人はこういう瞬間的な興奮が感動を呼び起こすことを理屈抜きに判っている人なのだ。闘牛は本当は理屈で感動するものじゃない。そのものを観て感動するものなのだ。何が良かったのか、何が感動したのかは、後から闘牛を見続ければ判ることなんだ。
去年メキシコで大腿骨を骨折した女性闘牛士マリ・パス・ベガの怪我の仕方は、右大腿骨を牛に踏まれてポッキリ折れてその骨の曲がりようが90度外側に折れていたそうだ。下山さんはTVでそれを観ていて、あんな骨の折れ方は見たことがないと言っていた。
ダービートライアルでトレジャーが敗れ、ミスキャストが勝った。タイムも優秀。いよいよ超良血が(超と呼ばないで、スーパーと呼んで。 判っているけど、この場合は、やはり超の方が良い)クラシックに近づいた。NHKマイルは、クロフネ、ネイティヴハートかな。
5月7日(月)
セビージャから12時発のAVEでマドリードに帰ってきた。下山さんは疲れていた。顔色が悪い。少し休むと治るだろう。セビージャでは闘牛三昧の生活をして来た。去年より出回らなかった下山さんの調子が良くないからだ。風邪も引いているので余計疲れやすいのだろう。まゆみさんは今頃家に帰って来ているだろう。11か12日から10日間くらいヘレスに馬好きの3人グループを連れて馬祭りの案内をするという。19日に僕も行くが仕事中なので会えないだろう。
9日までに闘牛の会の原稿を送らないと行けない。セビージャの結果を中心に書くことになるだろう。
マドリードは思ったほど寒くない。セビージャが寒すぎたのだ。アトーチャからタクシーに乗ってきたが、運転手は闘牛の話をした。「お前は誰が好きだ」と言うので「セサル・リンコンだ」と言った。「ああ、コロンビア人の闘牛士」と言うので、「彼はC型肝炎に罹っている」と言ったら、「重症だよね」と言ってきた。ちゃんと判っている。「俺はホセ・トマスが好きなんだ」と言うので、「1番良い闘牛士だね」と言った。
「ポンセ、フリも好きだ」と言うので、「僕は嫌いだ」と応えた。ホセリートの事も言っていた。「ホセリートは頭が難しい。両親がいなくて育ったからだ。でも、アポデラードは最悪だ。アポデラードの嫁はプータだ。金が好きで汚い」と言っていた。僕はそうは思わないが闘牛好きのスペイン人は恐らく大半がそう思っているのだろう。他にも、ビクトリアーノ・バレンシアも金が好きで・・・。とか色々言っていた。こういう闘牛の話を運転手がしたのは僕が、セビージャのカテドラルのバス通りの、 マタドール・デ・セビージャ と言う店で買った マタドールと書いた帽子をかぶっていたからだ。
帰ってきた昼飯を食ってネットして昼寝。起きたらサッカーの記事を書いている人が遊びに来て話し込む。パソコンに詳しいので、Kさんのパソコンを色々いじって、ついでも僕もの見て貰う。ADSLで接続できるかどうかやってみたが上手くいかない。これは僕のソフトでPCカードが使えないためだった。
12日まで闘牛はない。
5月8日(火)
6日、セビージャの闘牛場で隣にいた人たちがサラゴサまた暗殺があったことを言っていた。今日の新聞は、エル・パイス以外がETA反対のデモの写真入りで一面を飾った。スペイン中でテロリズム反対を唱えてデモに参加している。各地のアジェンタメントなどでは5分間や1分間の黙祷を捧げている。ファン・カルロス国王もテロリズム反対のコメントを読み上げた。
殺されたヒメネス氏は、サラゴサにサッカー観戦に行く途中に頭部を撃たれて死んだ。ETAの暗殺者リストに載っていたのかどうかは知らないが、ETAからの暗殺予告はなかったためボディーガードなどは付いていなかった。もっとも、何年か前に暗殺された人は、暗殺予告があったのにボディーガードを拒否して生活していた。理由は、家族との当たり前の時間をいつも通りに過ごしたいからと、言うものだった。僕はこういう当たり前の勇気を称賛したい。スペインを動かしている根本にはこういう人たちの当たり前の勇気や信念があるように思う。
スペインは今、怒りと悲しみに包まれている。
朝9時半に起きて、沢庵のお茶漬けを食べた。テレマドリーではETAのニュースなどをやっていた。銀行に両替に行って来た。安全を考えて今回はしたの銀行を利用した。町中で両替すれば手数料を取られないところで出来るが不安を抱えてメトロやバスに乗るより良いと思ったからだ。小雨が降っていたが直ぐに上がった。マドリードも寒い。でも、セビージャの方が寒かった。
今、三木田さんにTELして牧ちゃんにコルドバのカルテルをメールして貰うことにした。ちなみに、5月22日はエル・カリファ、エル・ファンディ。24日がホセ・トマス。25日が、ホセリート、ホセ・トマス、エル・フリ。24日、25日は記憶違いなら25日、26日と日付がずれているかも知れない。未だ、ネットには出てないと思うが。夕方、三木田さん夫婦と飯を食う。
さっきTELがあって昨日来たサッカーの記事を書いているEさんがPCカードを貸してくれるというので会いに行ってきた。今インストールが完了した。これでADSLが使用できる環境が全て整ったことになる。アップするかな。
5月9日(水)
今回スペインに来て始めてのテンディド・セロを観た。冒頭で25歳のダビ・サモラノがセバスティアン・パロモ・リナレスの牧場に向かう途中で交通事故で死んだことが伝えられた。闘牛の会に原稿を送った後なのでこの事は載らない。彼がどういう闘牛士だったのは僕は知らない。でも、牛にやられるのではなく、牧場に向かう途中での交通事故で死ぬというのは何だか可哀想な気がする。
昨日に続きマドリードは今日も雨。天気が悪く寒い日が続いている。昨日の雨は少しだったが今日は降り続いている。
昨日、三木田さん夫婦とは23時まで一緒にバルを渡り歩いた。セビージャで観てきた闘牛の話から始まってホセ・トマスなどの話をした。最後の方では僕のHPの話になった。最近スペインに来ているせいかアクセス数が増えた。メールも多い。大変嬉しいメールも届いている。闘牛の話が中心だったが今年はこの時期に闘牛の会の会員がスペインに沢山来ている。10日は、みんなで合流しようと言うことになった。
ミスキャストが骨折し6ヶ月の休養を余儀なくされた。ガッカリだ。でも、これで益々ジャングルポケットのダービー制覇が現実味を帯びてきた。
ADSLになってメールが、どのアドレスでも送受信できることを発見し驚いている。凄いもんだね。
5月10日(木)
朝、起きてメールを開くと嬉しい人から来ていた。朝食は卵かけご飯。しばらくしてKさんが帰ってきたのでビデオのダビングの方法を聞きフェリア・デ・アブリルの編集したものをダビングする。三木田さんからTELがあり、須美さん、林先生、chicaさん、と会う約束をした。こっちに来ている闘牛の会の会員がマドリードで会食を共にする。
ダビングしながら自転車をこぎ、シャワーを浴び、昼飯を取った。昨日は1日外に出ずに過ごした。体がなまるので自転車でもこいで体力付けないとサン・イシドロを乗り切れない。毎日2時間と言っても約1ヶ月あるのだから体力も必要なのだ。体を動かすと気分が良い。が、午後になってまた雨が降ってきた。本当にどうなっているんだろうこの天気は。ダビングしたテープはchicaさんに渡して6月の定例会で時間があれば流して欲しい。
明後日からいよいよサン・イシドロが始まる。その前に用意しなければならないことを揃えて準備しておかなければ。
ちょっと遅いが、セビージャの観戦記を書いていないところも書かないとダメなんだけど、時間があるときにしよう。
5月11日(金)
昨日HPをアップしてメールを開いたら米ちゃんから会員と会う前に会えないかとあったのでTELして会った。どうも、体調が悪かったらしく寝込んでいたようだった。ちゃんと食って体、動かさないと元気にならないぞ。セビージャでの闘牛の話などをした。本の話などをした。また、セントロに出たらTELをしよう。それから、みんなの待ち合わせ場所に行った。林先生とchicaさんが未だ来ていなかった。待ち合わせ場所はスペイン広場の所なので危ない。歩いて直ぐの所に場所を移して食事をした。
次回の会報の話やカレンダーの話をしたり、マドリードに住んで月報に書いている人の話題が出た。その人の話が非常に面白かったが、ここには書けない話が多いので止める。須美さんが、去年のフェリア・デ・オトーニョの話をした。その中でソトルコのピカドールの刺し方を話した。独特の刺し方で観客に、「ピカドールを場内1周させろ」と言う声が上がったらしい。その刺し方は剣道で言えば中段に構え、それから牛をピカで受けるものだった。これは僕は観たことがないし非常に難しい刺し方だという。
僕はその話しに感心して、セビージャでファン・モンティエルのカポーテ捌きの話をした。須美さんはその意味を直ぐに分かった様だったが、他の人はどういうことなのかちゃんと説明しないと分からなかった。こういうクアドリージャの話は数を観ないとなかなか分からないものらしい。大笑いの話もあったが、闘牛用語での会話なので書いても分からないだろうし、ちょっと下ネタなのでやめておこう。
時間は、あっという間に過ぎて0時近かった。須美さんは、グラン・ビアでタクシーを拾って帰っていった。安全を考えればその方が良い。三木田さん夫婦と僕は、林先生とchicaさんをホテルまで送ることにしてグラン・ビアを歩いていたら後ろから変な奴が1人で付けてきていた。車道側によって先に行かせようとしたら5m行ったところで背中を見せて止まった。1分位してVIPSには行っていった。30秒位してまた歩き出しVIPSの中を覗いたらそいつはこっちを観ていた。
やっぱり、危ない奴がいる。ホテルに送った後、三木田さんたちと別れソルからメトロに乗ろうとしたら、地下に降りる階段の前に危なそうなアラブ人が4人いた。改札を通ったら付いてこなかったが、グラン・ビアやソル付近は夜がふけると余計危ない。昼だって危ないから注意はしてるけど誰かと話し込んで歩いていると付けられていることに気づかないでやられるかも知れない。ガイドの三木田さんによると、1人より何人かで歩いていた方が付けられやすいそうだ。
昨日に続き今日も自転車で汗を流す。体を動かすと気分が良い。ネットを観たら
Razon には、サン・イシドロの特集記事が載っていた。
5月12日(土)
快晴だった空は曇ってきた。今日からサン・イシドロが始まる。起きたのが東京で闘牛の会をやっている頃だった。ハム入りのサンドイッチを食べて自転車をこいだ。思い出したように、画家の堀越千秋さんにTELを入れた。ここ2,3日風邪で寝込んでいた。「今風邪がはやっているから気を付けてね」と、言っていた。今年は6月に日本に帰るのだそうだ。堀越さんの調子が戻ったら飲みに行こう。
サン・イシドロの牛の検査は通った。何だかワクワクしてきた。今年始めてのラス・ベンタス。ホセ・トマスは今日、バジャドリードで復帰する。彼のHPに傷の写真が載っている。 ここを観て これくらいでも10日ちょっとで復帰してくるのだ。この傷なら耳2枚以上取ったらプエルタ・グランデ出来るのだろうか。肩車出来るかどうか。僕には判らない。今日もしベンタスにハビエル・バスケスが出ないのなら、バジャドリードに行ってホセ・トマスを観たい。でも、今日しかハビエル・バスケスを観るチャンスはないのだからしっかり観てこよう。
RENFEの切符を買いに行こうと思っていたが起きるのが遅くて時間がなくなった。バルセロナの切符をTELで予約しようとしたら出来ないと断られた。何故だろう。須美さんに聞いても出来るはずだと言っている。日を改めて掛け直そう。
MさんにTELしたら奥さんが出た。終わったらあそこで待ち合わせ。良い闘牛をする事を祈る。
5月13日(日)
昨日闘牛が終わって須美さん、Wさん、M夫妻と会った。開口1番、「最後の牛、何でダメにしたのか判らない。何考えているんだか」と、言ったらみんな判っていて笑っていた。どうしようもないエルビラ。みんな、呆れ返っていた。腹が立ってくるよな、あんな事やるなんて。闘牛を知らないにも程がある。Wさんは、「未だ若いんだから職業替えた方が良いよ。何にも判ってないんだから。もう誰も観たいと思わないもの」と可成り厳しいことを言っていたが言われても仕様がないだろう。セビージャでの、オルテガ・カノの話をしたら、「みんなそう言うのよね。良かったみたいね本当に」と言っていた。彼女は昔オルテガ・カノ、ファン。今年の復帰に期待していなかっただろうが、開けてビックリ大活躍。
そんなんで、M夫妻の家に行って夕食を御馳走になった。毎年の事だけど、本当に美味い飯が食える。感謝しないといけないよな。夕食が終わったのが0時。話をしていたら2時頃になっていたので泊まってきた。それで、観戦記は今書き上げてアップする。
奥さんは17日から仕事でいなくなるので30日までの切符を僕に譲るという。僕の切符が余ってしまうので三木田さんにTELして牧ちゃんが欲しがっていた18日の切符他をどうしましょうと言ったら、何分かしてTELがあって全部家で引き取りますと言うことだった。僕もMさんと一緒に闘牛が観れるし、牧ちゃん、三木田さんも欲しがっていた切符が手にはいるので一石四鳥。
5月14日(月)
朝から曇り空。早く起きて19日、27日のRENFEの切符を買いに行った。それから米ちゃんとCDを観てイサベル・パントーハの85年のCDを探したがなかったので若い頃のアルバムが2枚入ったCDを1枚買って、三木田夫婦に会って切符を渡した。牧ちゃんからTELがあり18日の切符が手に入ったことを伝えると非常に喜んでいたそうだ。昼食を一緒にとって話した。パントーハのCDを観たら3月にTVでやったビデオや資料を三木田さんが渡したのだという。なるほどなと思った。ああいうのは闘牛を知っている人じゃなきゃ出来ない。クイズも、何故コレタが出来たのかというものだったらしい。
当時、長髪が流行っていてそれを束ね、コヒーダの際には後頭部保護するために丸い布状のものを付けたのが始まりだという。それが文献で出てきたのであれを制作した会社に出したらしいが、クイズの答えがコレタになっていた。つまり使われなかったのだ。でも、あのときのパキーリの映像は渡したビデオから使われていた。僕も持っているパキーリが医務室で血を流しているやつ。勿論、TVではそんなところは流れなかったが。
食事は、デ・マリア と言う炭焼きの店で、ソーセイジ、骨付きあばら肉のステーキ(300gぐらい)とジャガイモのバター焼き、デザート付きで1250pts。腹一杯になった。帰ってきて昼寝をしてこれから、闘牛場に向かう。天気が悪い。雨が降りそうなマドリードだ。
5月15日(火)
15 de MAYO, 貧しいが真面目な農民だったイシドロを讃えるマドリードの守護聖人の日で今日は休日だ。テレマドリーでは朝から祭りの様子を中継している。今日の闘牛中継はテレマドリーで行われる。ビデオを撮るぞ。ファン・モラとビクトル・プエルトに期待だ。
日曜日の闘牛場は日本人の団体が何組も来ていた。ガイドの日本人が説明している姿も見えた。RAZONの新聞を求めてブラブラしていたらガイドのMさんにあった。久しぶりだったのでMさんは誰でしったけって、言ったので番長を一緒に飲んだことあるんですよ。を、言うとあーと、思い出したみたいだった。Mさんが連れていた団体は30人ぐらいで多かった。危ないから気を付けないとやばいですね、と言うと、そうなんですよと言っていた。それにしても俺のHPにMさんが一杯出てくる。違う人なんだけど日記読んでる人には同じ人に思えるだろうな。
例によって、3頭目が終わると日本人の団体は帰り始めた。いつものことだけど最後まで見ろよなと、思ってしまう。日曜日は比較的切符が手に入りやすいだろうから日本人の団体がこれからも来るだろう。サン・イシドロは今日辺りから切符が売り切れになり始めるのだろう。16日はノビジェーロだからこの日は空いているだろうが。
今日の空は曇っている。昨日闘牛場で席に着いたら直ぐに雨具のズボンを履いたらスペイン人が用意が良いねと言った感じで笑っていた。こっちは何年サン・イシドロに通っていることか。その辺の準備はちゃんと出来ている。土砂降りでも最後まで観るのが俺の流儀だ。闘牛士が雨の中で命を懸けてやっているのに途中で帰れるか。寒い位なんだ。彼らは合羽も着ずにやっているのだから。
ダメな闘牛士は野次る。でも、ちゃんとした仕事をする闘牛士は尊敬すべきなのだ。讃えるべきなのだ。スポーツではあり得ない、命を懸けてその瞬間を生きているのだから。それがラス・ベンタスで学んだ事なのだ。
5月16日(水)
今日の新聞の1面はは全部新聞記者がETAの手紙爆弾で重傷を負った写真が載った。選挙が終わって直ぐにこういう事件を起こす。ETAが狙うのは、政治家や新聞記者が多い。日本では考えられないことだ。政治家も新聞記者も日本では殆ど価値のない存在になったと言われていい状況だからだろう。ところでこっちのTVでも雅子妃殿下の懐妊3ヶ月を報じている。結婚式の十二単の映像などが使われている。
昨日闘牛開始前にTV中継車付近にダビ・ルギジャーノがインタビューに応えていた。活躍するとTV局から声がかかるようだ。思っていたとおり昨日からノー・アイ・ビジェテになった。その中で観客を沸かせたのはファン・モラとビクトル・プエルトだった。ビクトルはカポーテで沸かせた。良いチクエリナだった。男気を感じさせる闘牛だ。テレマドリーのニュースにモンチョリと一緒に出ていた。
ファン・モラは、あまり売れない闘牛士だがいつもサン・イシドロで良いファエナをする。僕が初めて見た耳も91年のサン・イシドロだった。あの当時に比べると格段に上手くなっている。あのナトゥラル、トゥリンチェラ、デスプレシオは彼の闘牛の美しさそのものだ。マドリードのアフィショナードが「オーレ」を叫ばずにいられない感情を持ってしまうのは当然のことだ。あれを観て何も思わない人がいたら、それは開きメクラだ。美というものに関心がないが、生きることに興味がないかのどちらかだろう。
今日はノビジェーロ。手ぶらで行こう。馬鹿ちょんカメラとノートとペンがあればすむ。万が一のためにプエルタ・グランデの写真を撮れるように馬鹿ちょんを用意していく。フィルムがなくなってきたので行く途中で、コルテに寄って現像をしてフィルムを買わなければならないが。
5月17日(木)
水曜日のテンディド・セロはチャンネルを間違えて録画できてなかった。15日の闘牛もセットし間違いでこちらも録画できていなかった。馬鹿だよなぁ、全く。昨日はベンタスの駅で番長に会った。後ろ姿が似ているのでもしやと思って観ていたがやっぱりそうだった。仕事が忙しくて15,16日にしか来れてないそうだ。一応元気そうだった。そう言えば、Mさんと会ったことを話すのを忘れてしまった。昨日は最後まで観れたのだろうか。
今年のノビジェーロは不作だと思っていたら、Mさん(ガイドじゃない人)が、ミニ・フェリアで良い奴がいたと教えてくれた。テンディド・セロでもそんなに悪くなかったが、まさかいきなりプエルタ・グランデが出るとは思ってもみなかった。ファエナの時、あれだけ動かないでパセを繋げば客は喜ぶ。まして剣刺しが2回ともアレナ中央部分でやった度胸は立派だ。ちょっと甘い気もするがノビジェーロなのだから充分だ。正闘牛士として夢が膨らむプエルタ・グランデだった。
帰ってきて下山さんにTELしたが話し中だった。恐らくネットを繋いでいるのだろう。時間をおいてかけたが今度はいなかった。犬の散歩に行ったのだろう。朝もTELしたがいなかった。携帯にしないとダメかな。
ここのところ、闘牛場で腹が減っていたので昨日はおにぎりを持っていった。途中で食べたら大分気分が落ち着いた。今後も食べ物を持っていった方が良いようだ。今日はオルテガ・カノが出る。セビージャの再現が出来るのか楽しみでもあり、口笛で終わるかも知れない。ハビエル・カスターニョも楽しみだがセビージャでは良くなかった。フィニートも期待できる。3人とも来た出来る日は少ないが今日はそう言う日だ。
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