断腸亭日常日記 2001年 その15

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、のスペイン滞在日記です。

99年1月13日〜2月16日 2月19日〜4月14日 4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日
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 10月17日(水)

 14日、日曜日に「アンダルシアフェアin横浜」 に闘牛の会は、横浜ワールドポーターズ6階、横浜輸入ビジネス促進センター会議室で16時から17時半まで、「闘牛セミナー」 と題して 荻内勝之(TTT会長)がビデオなどを流しながら闘牛の話をした。「土曜日だとなかなか来れなくて」と、言っていた初めて見る闘牛の会、会員の人が何人かいた。なるほどそう言うこともあるのかも知れないと思った。来たくても、そう言うことで、毎回来れない人もいるのだと言うことを改めて知った。

 井戸さんと、今月は月報を出さないことにした。会員でない人の方が多い場合は、月報を渡せないし、それだとちょっと問題があると言うことだったので、やめたのだ。

 「闘牛セミナー」は、99年セビージャのエル・フリ、2000年サン・イシドロのミゲル・アベジャン、94年サラゴサのホセリートのビデオを流した。その他にもビデオを用意していたが、2時間か3時間あると思っていた時間は1時間半しかなかったので、ムレタ、カポーテも用意していたがちゃんと時間をとって振ることは出来なかったが、年輩の人が10人以上来ていて、闘牛のビデオ自体見たことがない人だろうから興味を持って1時間半はあっという間に過ぎ、楽しんで貰えたのと思う。

 荻内先生も、普段会で言わないようなことを最後の所で話していた。あそこが面白かったと言う人もいたし、ホセリートのビデオが良かったと言う人もいる。僕もちょっと闘牛のことを話した。終わってから、カペアについて、ムレタの振り方について、等々質問されたので、もう少し時間があった方がこういう質問を会の中でやり取りできたのにと悔やんだ。人が出会えば言葉が絡むのは必定。こうやって関係が出来ていく。こうやって闘牛を中心に置いた闘牛の会が地道に発展していく事になるだろう。東西文化センターの外で始めて開催した闘牛の会。60人くらい来て、初めて見る人も多かったので良かったんじゃないかな。

 早乙女貢 『夜を歩く男ーーー真説鼠小僧ーーー』、川口松太郎 『弁天小僧』、柴田錬三郎 『河内山宗俊』 読了。3作とも面白かった。『夜を歩く男』は真説とあるが、これが本当なら凄い話だ。兎に角、エロい。夜這いのために大名屋敷に入っていたなどと言うのは、良い話だ。書き出しも素晴らしい。おそらく、早乙女貢を始めて読んだ。文章も良いし、物語も面白い。TVの講演で、眈々とした語り口とその話の内容に思わず落涙したことがあるが、上手いのは話だけじゃなく、本職の小説も上手い。山本周五郎の弟子らしいがしっかりした時代小説を書く。

 『弁天小僧』 は、芝居の本の元の話となっている。これも実話なのだろうか?これも上手い話だ。川口松太郎と言ったら、溝口健二の映画の脚本でしか知らないけど、直木賞作家。こういう時代小説は面白い。当時の日本映画はこういうしっかりした脚本家がいたから映画も面白かったのだろう。市川雷蔵の映画 『弁天小僧』 の「知らざァ言って聞かせやしょう」のシーンを思い出した。

 『河内山宗俊』 も、これまた面白い。悪党には悪党の心意気ってものを感じる。山田風太郎の 『警視庁草紙』 に出てくる、南部の秀が化けるのが河内山宗俊。もとネタを知っていればそれだけ話に色を着けれる。こういう話は必項のもの。時代小説を読むとそう言うことが判る。

 16日の結果。 ハエン。パディージャ、場内1周、耳2枚。プエルタ・グランデ。エンカボ、耳なし。フェレーラ、耳1枚。


 10月18日(木)

 昨日から降り続いている雨は台風の影響で今日も上がりそうにない。本屋に頼んでいた山田風太郎の小学館文庫、『御用侠』 が届いた。これも河内山宗俊などが出てくる長編小説。今読んでいる、『明治断頭台』 が終わったら、『白波五人帖』 か、『御用侠』 を読みながら、『大江戸指名手配』(新潮文庫)を読み進めよう。風太郎の、『飛騨忍法帖』(後に改題して軍艦忍法帖になる) も届いたのでこれも読まなければならない。あー一体、漱石の 『吾輩は猫である』 や 『坊ちゃん』 はいつ読めるのだろう。TAKEさんから借りた、小林信彦の 『小説世界のロビンソン』 もその前に読んでおかないといけないし・・・。

 今小説が面白い。闘牛の会のことももう少し書かなきゃいけないが、そのうち書こう。

なっ、何とフィニートがインドゥルトをした。ダニエル・ルイス牧場のブエナビスタ。

 17日の結果。 ハエン。ホセリート、口笛。ポンセ、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。フィニート、耳2枚と尻尾1つ、耳1枚。プエルタ・グランデ。


 10月19日(金)

 昨日の雨は冬を呼ぶものだった。12月の気候だったそうで、東京では体調を崩す人が続出したのではないだろうか。あまりの寒さで、鼻水が止まらなくなり、ティッシュ・ペーパーが切れてしまった。鼻の脇は、紙ずれを起こして赤く腫れた。咳も少々出てきた。日曜日の闘牛の会の後、タバコの吸いすぎで鼻が痛くなり2日ばかりタバコをひかえていて、昨日から吸い始めたらこの天気。鼻が痛くないから吸っているが、喉がちょっとおかしな感じになってきたので、また吸えなくなるかも知れない。

 それと腰が相当重くなってきた。膝の裏にこりが溜まっているようで、腰を指圧器の様なもので、尻の辺りをやると気持ちが良い。俺も吉沢さんに鍼を打って貰えば良かった。でも、鍼を打つとなるとパンツを脱いで尻の辺りにブツブツ刺さなきゃならないらしいので個室でやらないとみんなに見られてしまう。しばらくは指圧器で我慢しよう。

 菊花賞の枠順が木曜日に発表になって、今日から馬券の前売りが発売になった。1番人気、2番人気は、ジャングルポケット、エアエミネムだろう。強い馬が勝つ。ジャングルポケットに勝って欲しいがどうなるか。日曜日は、東京競馬場に行って京都の菊花賞を見ようと思っている。

 今日のNHK、二人のビッグショーは、ジュリーと志村けん。ジュリーはその中で、『サムライ』、『ス・ト・リ・ッ・パ・ー』 を続けて歌ったが、この選曲は抜群だ。これから、『山田風太郎からくり事件帖』 を見よう。

 子母沢寛 『天一坊』 読了。ちょっと考えていた物語と違っていた。これはそれなりに面白くはあるが・・・。まっ、柴錬の様に、話のつなぎが下手でないのが救い。

 18日の結果。 ハエン。ポンセ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。プエルタ・グランデ。エル・フリ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。プエルタ・グランデ。アレハンドロ・アマジャ、耳1枚。コヒーダ。


 10月20日(土)

 部屋の片づけをし出したらこれがなかなか大変だ。毎日少しずつ片づけていかないとどうもダメだ。本、フィルム、ビデオ、レコード、CDなど整理しないと何が何だか判らない状態だ。資料として重要なものが沢山あるのだからこれを直ぐに取り出せるようにするためには本だけでもかなりかかるだろう。闘牛のフィルムもちゃんと整理するとなると1ヶ月じゃ済まないだろうし、ビデオとなると・・・。レコードだけでも600枚以上あり、CDでも200枚以上はあるだろう。考えただけでゾッとする。ゾッとするがここままではどうにもならないから、毎日少しずつ片づけていくことにしよう。

 優先される分類は、闘牛とスペイン関係のもの、山田風太郎関係のもの、明治時代の小説、などになっていくだろう。その他には競馬、牛、動物関係のもの。勿論、人間の肉体に関係あるものも重要なのでそれも直ぐ判るようにしたい。それと神話関係のもの。後は、その他の資料として使えるもの。

 19日の結果。 ハエン。ファン・モラ、コヒーダ。重傷。カバジェーロ、耳なし。雨のため中止。


 10月21日(日)

 快晴になるかと思っていた東京は曇り気味の天気。京都は小雨の中で菊花賞が行われた。大波乱!こんな結果になるとは誰が想像したか。ダンツフレームは前走プラス10キロで今回またプラス6キロの馬体重。しかもフランス帰りの武豊がスローペースで進んだレースを最後方から進んだら届くわけがない。ジャングルポケット、エアエミネムは引っかかってレースにならない。ジャングルポケットの角田のタズナの位置は良いにしても、あの手は高すぎる。キコウから20cmの高さじゃ・・・。5cmくらいじゃないとなぁ。引っかかっているから、と言うかも知れないがああ言う乗り方じゃ馬が成長しないぞ。

 エアエミネムの松永幹夫は距離経験不足の馬で好位に着けて進めたがスローがたたってやっぱりかかっていた。最後3着まで来たが、今年最後を飾れなかった。来年、古馬になってからも距離は問題になってくるだろう。逃げて2着に残ったマイネルデスポットは自分のレースに持ち込んで、条件戦すら勝てない2勝馬を、始めての重賞、しかもG1で、連に絡ませた太宰騎手は称賛に値する。これも2400m以上のレースを3回経験した事が結果に出たのか。おめでとう、柴田光調教師。この人政人の兄弟なのかな。

 勝ったマンハッタンカフェの蛯名正義は会心のガッツポーズ。直線の脚は凄かった。インタビューで蛯正が、「北海道のレースで4コーナー最後方の位置で届いたので力はあると思ってました」、と言っていたが、北海道で2600mのレースを連勝した経験と、エアスマップの下、サンデーサイレンスの血統が驚きの結果をもたらしたのか。蛯正の嫁さん(元TVアシスタント、石森かずえ)も喜んでいるだろう。嫁さんに恵まれたよな。結婚してから成績が上がった。1000勝も達成したし、スゲーなぁ。

 小島太調教師も、まるで田原成貴の敵を討つようなレース結果だ。これでG1、2勝目。何だか知らないうちに結果を出している。騎手時代より調教師になってからの方が、馬券的に注意が必要だ。乗せる騎手が良いのも特徴だ。横山典広、岡部幸雄、蛯名正義。関東の1流所をばっちり掴んで離さない。もう1走させて休養させるのだろうか。JCか有馬だろう。馬の状態を見て決めればいいことだ。

 連に絡んだ2頭は本来なら出走できなかった馬。今年は回避馬が出て、18頭出走枠に満たない15頭で行われ、しかも2勝馬が抽選なしで出走。賞金2000万に満たない馬が7頭も出走した菊花賞で当然の人気を集めた3頭は全て沈没。俺は何故か東京競馬場に行かなかったので馬券の損出はなし。こんな事があるのがまた競馬。殆どの観客が唖然とした結果に歓声すら沸かない。最強世代の菊花賞の大波乱は、天皇賞・秋にも持ち込まれるのか。今度は本当に2頭で決まると思うんだけどなぁ。

 山田風太郎、『明治断頭台』、『御用侠』 読了。面白い、面白すぎるので、一気に読んだ、『御用侠』 。まっ、それは明日にしよう。

 19日の結果。 ハエン。雨のため中止。スペインは各地で雨が降り闘牛が中止になった。


 10月22日(月)

 昨日、風呂から上がって、150円で買っていたグラナダをかじった。グラナダはスペインの都市の名前にもなっているがアフリカ生まれの柘榴(ざくろ)のこと。真っ赤と言うより、赤紫色と言うか山葡萄のような色が、トウモロコシのような大きさの実を噛むと直ぐに種に歯が当たるので、ガツガツ噛めない。口の周りに実の色が着く。口紅を着け間違えたようにほっぺたに赤紫色が着いた。口紅のように変な臭いはしない。柘榴の味は少し酸っぱい。多分、ビタミンCが多く含まれているのだろう。風呂上がりの喉を潤すのにこんな方法もあるのだ。ちなみにスペインで食べた柘榴より実の色が濃かったし味もあったし水分も多かった気がする。

 山田風太郎、『明治断頭台』 は、明治2年秋から明治4年5月17日までの弾正台(後の警視庁)の話。主な登場人物は、大巡察・香月経四郎、川路利良。フランスのギロチンの首切り役人の家系に生まれた、エスメラルダ・サンソンは香月の彼女で巫女をする。後は5人の不良邏卒。

 例えば、「遠眼鏡ながら女人の足を切る景を目撃せるむね証言者あり、事実その切断されたる足も出現せるに、いずこにも被害者なく、究明甚だ困難致し候事件の顛末、次の如くに御座候。  ーーー「弾正台大巡察・川路利良報告書」よりーーー  」 と言うような事件の報告書から始まり、巫女エスメラルダの、「アワリヤ、アソビハストモ、モーサヌ、アサクラニ、ナルイカズチモ、オリマシマセ。」、「アワリヤ、アソビハストモ、モーサヌ、アサクラニ、○△□◇ノ、ミタマ、マイリタマエ。」、「イマ、マイル。・・・・・」と、イタコの口移しのように死者の魂を呼んで、事件の真相を語らせ解決していく。

 『警視庁草紙』 の川路利良の前史と言うべき作品だ。最終章、「正義の政府はあり得るか」と、言うところからもまさに風太郎のの近代史観を反映している。国家とは、そもそも正義などと言うものはないのだと言うことを書いている。昭和53年(1978年)の作品で翌年は、『明治波濤歌』 昭和51年から52年に掛けて、『地の果ての獄』、『魔群の通過』 を書いている。

 そして、昭和50年には、『幻燈辻馬車』、『御用侠』 。その 『御用侠』 は、昭和51年に講談社からソフトカバーで刊行されて以来絶版になっていたが、2000年11月に初の文庫本になった。これまでの24年間何度か文庫本化の話があったが悉く、風太郎が首を縦に振らなかったために実現しなかったそうだ。何故なら、男性誌、「GQ JAPAN」 で山田風太郎特集の中で作者自身の自作ABC評価ランクで、『御用侠』 の評価は、E(!)だったそうだ。

 しかし、そうは思わない。作者の自作評価って、風太郎でも滅茶苦茶なことがあるって見本だろう。それはまた後日。

 21日の結果。 エジン。アンヘル・デ・ラ・ロサ、耳2枚。セルヒオ・マルティネス、耳2枚。アブラアム・バラガン、耳2枚。 ウエスカル。チコテ、耳1枚。ぺぺ・モレノ、耳1枚、耳2枚。ホセ・マヌエル・ピナ、耳1枚。 ビスタレグレ。闘牛士、ルイス・ミゲル、耳1枚。クーロ・バスケス、耳なし。ロベルト・ドミンゲス、耳2枚。フリオ・アパリシオ、耳なし。アベジャン、耳2枚。見習い闘牛士、レアンドロ・マルコス、耳2枚。


 10月23日(火)

 今日は何でこんなに暑いんだ。これじゃ体が変になる。中野の本屋に行って、「文藝」 の別冊を探したがそもそも、「文藝」 自体が売り切れ。帰ってきて紀伊国屋にTELして聞くと、「確かに山田風太郎の特集をやっていますが、こちらには未だ届いていません」と丁寧に教えてくれた。売り切れになったと言うことではなく、店頭に未だ出ていないと言うことだった。直ぐに近所の本屋にTELして注文した。

 中野に行ったときに、ブロードウェイで古本の漫画店を覗いたが、石川賢の、『魔界転生』、『柳生十兵衛死す』 はなかった。同じ階に小さな古本屋があってそこで風太郎の本があるか聞いたら、角川文庫から出ていた長編忍法帖が4冊あったが欲しい物はなかった。昔、この階に古本屋がありましたが、と聞くと、あの古本屋さんは止めたんですよ、と言っていた。今時古本屋なんか儲からない。本屋自体儲からないんだから。ましてや小説なんか入れ筋なんて限られているし、そんなに読む奴がいなくなったのだ。だから、ブック・オフの様な店が出てくるのだ。あそこには古本屋の店主が本を探しに行くらしい。何故なら、本の価値で値段を付けていないから掘り出し物がある出るにのだそうだ。

 山田風太郎 『御用侠』 の書き出しはこうだ。

 「たいていの災難は、「なあに、屁のカッパだ」というのが口ぐせの屁のカッパだが、この椿事を知ったときだけ、屁のカッパだとはいわなかった。−−−
 この物語の主人公は 「屁のカッパ」 という男だがまずもって、その名の由来を説明しておかなくてはなるまい。
 むろん、綽名だ。ほんとうは勝太、素性は牧(牧場)の倅だから、その牧場の名から、くるま牧の勝太というのだが、それより、怒ると何をやるかわからない大あばれ者で、ふだんから、野の匂い、いや、火の匂いさえさせているような若者なので、いつしか人が、火の勝太と呼ぶようになった。
 これが、よろこぶと、放屁する。実に高らかに快音を発する。そこで屁の勝太と変わった。
 しかし、当人の口ぐせが 「なあに、屁のカッパ」 である。とうとう屁のカッパが彼の異名となってしまった。ーーー語源的にはこういう次第である。」

 もう、この書き出しだけで風太郎の世界だ。馬喰として良い腕を持っていて、しかも博打好き。そして、人を殺して江戸に向かう馬の上で、馬に向かい合って乗っている所。

「  「お前さん、あたしがきらいかい?」
「あんまり好きじゃねぇ」
 と、いったとたん、高らかに放屁した。
 馬のギャロップとともに、快音が相ついだ。
 お麦は笑い出した。
「あたしがきらいじゃないじゃないか」
「どうして?」
「お前、よろこぶとおならするのがくせじゃないか。あたし、ちゃんと知ってるよ」
 屁のカッパは、眼を白黒させた。
「よろこんでるわけじゃあねぇが。−−−」
「なら、これはどういうわけ?」
 と、お麦は彼の股間に手をやった。
「これだけよろこんでるってわけ?」
「こら、手をはなせ。そ、そいつばかりはしようがねえ。・・・・・・はなしてくれったら!とんでもねえ女だ」
 屁のカッパは悲鳴をあげた。  」

 主人公は、江戸に出て岡っ引きになる屁のカッパと、女房気取りのお麦。屁のカッパを岡っ引きにする恥ずかし瓢兵衛こと、同心、蓮樫瓢兵衛。彼は長崎に留学していたので蘭学や英語などもできた。その瓢兵衛に密かに好意を寄せる大与力の御息女、旗江。その父、腰越主膳。

 賄賂まみれで腐敗した文政年間の徳川幕府。お数寄屋坊主、河内山宗俊、そして枕絵を描く葛飾北斎。屁のカッパが好意を寄せる旗江の転落。しかし、転落しても美女は美女。でも何で美しいのだろう。哀れさ、儚さ、健気さまで美しい。策を練って幕府を滅茶苦茶にしてしまおうとする河内山宗俊の策士ぶりは、柴錬の、『河内山宗俊』 とはスケールも、やろうとしている計略の凄さからもはるかに勝る宗俊像を浮き上がらせる。「芸術的感與はないが、政治的感與がある」と言って枕絵を描く北斎。

 それにしても、風太郎はかつて旗江のような美女の転落をしかもこのような形で書いたことはない。それをあえて書くことによって、この小説で宗俊や屁のカッパの生き方を浮き彫りにする。ラストが壮絶なのも、だからだろう。旗江は屁のカッパにとって聖女だったのだろう。しかし、聖女をこういう風に書く風太郎は鬼のような作家だ。興奮の小説に感情を委せて一気に読んだが、かなり色んな事を考えさせられた。

 ラス・ベンタス闘牛場での今シーズンの闘牛は21日をもって終了した。後は、フェスティバル闘牛か、レガネスなどの屋根付き闘牛場。シーズンはメキシコ、南米の闘牛に移る。


 10月24日(水)

 昨日は、フェーン現象で夏日になったが今日は平年並みに落ち着くようだ。

 風太郎の小説を読んでいてはっと思った。小説中で死ぬ人物が最後に何と言っているのだろうが。いわゆる、最後の一言とか、死に方とかを、『人間臨終図巻』 の様にまとめたら面白いのではないかと。例えば、何処かの風太郎研究会では、忍法の種類を何という忍者がやったかとかそう言うのをまとめているらしいが、こう言うのをみんなでまとめて、本として出したらそれはそれで面白いと思った。勿論、その出典である小説のタイトルと、それが何処で出版されたかの記録も並記さなければならないだろう。このようなことをやれば風太郎ファン必見の書になるような気がするが、これもマニュアル本的で、ダメかなぁ。

 でも、少なくとも風太郎の死生観の一端が小説に出ているのだからやっぱり面白いだろう。例えば、『御用侠』 の旗江のように女が転落していくときは、女自身ではどうにもならない運命によって落ちていく。そこが男とは違うのだ。男は好むと好まないとに関わらずそう言う生き方を選択していく。例えその生き方が悲劇を呼ぼうとも。そう言う物語の人物像を1人1人拾い上げていくと読むだけでは判らない、違うことが判ってくるような気がする。

 風太郎の描く、男性像と女性像は違う。女性像だけ取っても、聖女として場合でも、『おんな牢秘抄』 の姫君お竜は典型的な聖女として描いているが、『御用侠』 の旗江は聖女でも汚れて行くがそれでも屁のカッパにとっては聖女のままだ。そんな感じで拾っていったら面白そうだ。


 10月25日(木)

 週刊誌の漫画は買う習慣がないのだが、仕事場にある物を読むことがある。いくつか面白い物があるが、正木秀尚の 『ガンダルヴァ』 が変だ。これは、フラメンコをやっている女の話だが、ファースト・シーンから可笑しい。女が、「あいつのことを愛しているのに、あの言葉だけは許せない。」 そんな言葉だった。女が許せないと言うその言葉は、「しかし、たまんねぇなぁ、この匂い」 。その男との結婚も諦め、フラメンコも止めようと思う。

 つまり、匂いに対するフェティシズムの話なのだ。フラメンコを踊ると汗が出る。だから、フラメンコを止めようと思うのだが、街の靴磨きの男が彼女の匂いに惹かれ町中で2人でフラメンコを踊る。とても楽しく彼女は踊る。靴磨きの男は匂いに対して異常なほどの感性と持っている。この男、香田尋という男の"鼻"だ、と自己紹介する。彼女の発する匂いで1番良い匂いは左足から出る。

 第3話で父親の店で、テーブルの上に左足を乗せて、ワインと飲んでいると父親が茹で蛸を持ってくる。そこに香田が"ローズ"のオイルでマッサージする。あまりに気持ちよさに仰け反る。彼女は目を閉じスカートをはいた股の間の右手のグラスからワインが零れる。これを正面から描いている。香田が言う。「パンツはいてないだろ?匂いでわかる」。彼女は、「失礼ね・・・・・・と言いたいけど・・・・・・その臭覚の方に驚くわ。左足のむくみがどんどんひどくなってて・・・・・・下着つけてるともっとつらい気がするの」、と言う。

 2人が向かう先にはギタリストがいる。"サビカスの右手"を持つ男。自己紹介もせず踊りたい言う。香田は葉巻に火を点ける。この葉巻の香りに中でギターが鳴り手拍子が鳴り踊りが始まる。2人の肉体が交差し絡み合い汗が出る。そして、匂いが出る。

 「彼女の靴の中にエクリン汗腺から溢れ出る汗が洪水のように流れこむ  特に今日は下着をつけてないせいでアポクリン汗腺から出た汗もかなり混じっている  汗のもとはアンドロステノールという物質で女の汗に多く含まれている  パウダリーで甘い"ムスク"に似た匂いのする汗だ  一方彼女の左足は"ローズ"のオイルでマッサージしてあって・・・・・・  この二つの匂いが体温で温められて"ムスクローズ(ジャコウバラ)"のような芳香を醸し出す・・・・・・   というのがまず第一の狙いだった  」

 そして、香田の体臭が混ざり合う。「彼の体はある種のハーブに似た匂いがする  彼が生まれつき持ち合わせた体質だ  そのハーブとは"サンダルウッド(ビャクダン)"  エキゾチックでオリエンタルなその香りには瞑想効果や催淫効果があるという  香田の匂いが彼女に喜びを与え・・・・・・  足の匂いは一層妖艶で奥深いものになっていく」 その時だった・・・・・・ トカオール(ギタリスト)が暴れ出した。そしてフラメンコの踊りは一層盛り上がっていく。つまり、スペイン語で言うドゥエンデが降りてくる。

 匂いのフェティシズムをフラメンコの踊りを併せて描きその高揚感を表現する。変な漫画だが、これはなかなか面白い。この漫画の中にスペイン語も出てくるし、靴磨き、茹で蛸をワインで飲むし、なかなかスペインのことも、作者は知っているようだ。月刊、『イブニング』 に連載中。ただし、次号は休載するようだが。ちなみに、エクリン汗腺は体温調整をするため体全体からに出て、アポクリン汗腺は主に性的マークなどとして脇の下、陰部などから出る汗のことだ。こういう風に肉体的なディテールを書くところが俺のお気に入りだ。動物には変な汗をかくものがいて、アポクリン汗腺が体温調整をする唯一の動物が馬であることを付け加えておこう。

 風太郎の、『飛騨忍法帖』 を今読んでいる。これもなかなか面白い。勝海舟、坂本龍馬、人切り以蔵こと岡田以蔵、新撰組の芹沢鴨、近藤勇、土方歳三などが出てくる。

 スペインのテンポラーダが終わり、オルテガ・カノがマドリードの病院で膝の手術を受けた。

 エクアドルの首都、キトで11月29日から12月6日まで行われる、フェリア・デ・キトにエル・フリ、エル・カリファ、ホセ・トマス、ホセリート、フィニート・デ・コルドバ、ビクトル・プエルトなどが出場する事になった。ホセ・トマス、ホセリートは久しぶりの南米遠征になる。


 10月26日(金)

 21世紀になって、変な事件ばかり起こっている。徳島の通り魔事件もそうだが、テロ、炭疽菌、新宿の火災、猟奇事件、少年犯罪など色々ある。特に多いのがネットで知り合っての殺人事件。このHPによって知り合った人も多いがそれは、スペインの闘牛と言う物を中心に置いた、闘牛の会があるからだ。ネットで知り合って異性同士が云々と言うような変なことにならないのはそれがあるからだ。メールのやり取りをして会ってどうにか仕様というのは、間の抜けたことだと思う。そんなので会ったって、スケベ心が丸見えのはずなのに何故、女は会いに行くのだろう。そこがどうも判らない。金の貸し借りをするというのも理解できない。

 そんな犯罪が出てくるのもネット社会が浸透してきたからだろう。ネットが両刃の刃のように、危うさもあると言うことをもっと認識しべきなのだが。ネットオークションで本を買い、お金を払い、送って貰う。本当は住所なども知られるとやばい人がいるだろう。が、欲しい本があるので今利用している。そして、手に入れている。何故か今猛烈に読書欲があるからだ。これも風太郎が死んでしまったからなのだが、こうやって本を読んでいると人間にとっていかに読書が必要な物かと言うことが良く分かる。今日もまた風太郎を読む。漱石も待っててくれ。

 ネット上のウィルスが今年になって猛威を振るっている。閲覧ソフトをマイクロソフト社の物を使っているとそのウィルス感染する。だから、ネスケとか、サン・マイクロソフト社の物を使った方が良いようだ。マイクロソフト社自体が感染し、HPの一時的にせよ観れなくなった事件は衝撃的だ。25日アメリカでOSソフト、XPが発売になったがネット閲覧ソフトを強化し独占を狙うが、このウィルス問題が今後深刻化してくるだろう。色々手を打ち出しているようだが、今後どのようになるのか注目しよう。

 今日より神田で古本祭りがある。


 10月27日(土)

 神田の古本祭りに行って来た。着いたのが遅くてもう終わっていた。祭りは10時から18時までだった。探している本を探せずガッカリだった。新潮から出ている時代小説シリーズを買ってきた。風太郎の絶版になっている本は神田にあるのだろうか。ゴッソリ出てきたら望外の喜びだがそんな期待はあまり望めないような気がする。風太郎が死んだばかりで、みんなが本を探しているだろうし、本を持っている人も古本屋に手離さないだろうからもう少ししないと出回らないのかも知れない。

 山田風太郎 『飛騨忍法帖』 読了。 風太郎の売れなかった小説の終わり方というのは、『御用侠』 を同じようになっているようだ。これはこれで面白いと思うが、読者にとっては嫌になるのかも知れないとも思う。

 天皇賞には行けないので、馬券を買おうと思っていたが買えなかった。3強のレースとしか予想できない。でも、気になるのが東京の2000mというコース形態だ。スタートして2コーナーまでも距離があまりないのでここでごちゃつくとレースが滅茶苦茶になる危険性があからだ。


 10月28日(日)

 神田の古本祭りが終わっている時間だったので、他の本屋を回った。漫画を見たら講談社文庫で石川賢の、『魔界転生』 が出ているのを知った。本屋に注文を出そう。立ち読みで石川賢の、『伊賀・・・』 何とか言う物を少し読んだ。始めが、くノ一が、乳首から液体噴射して、男の忍者に浴びせながら、「忍法手淫地獄」 と言う。液体を浴びた忍者は自分の意志と関係なく自慰を始める。くノ一が言う。「猿は手淫を覚えると死ぬまで続ける。お前たちもエクスタシーを心ゆくまで味わえ。そして、死ぬまで続けるのだ」

 これは、風太郎の忍法帖と同じじゃないかと思って笑ってしまった。思ったが、シチュエーションを逆転して、男の忍者が何処からか液体を噴射してくノ一に浴びせ、「忍法手淫地獄」 と言ってもあまり面白くないだろう。何故なら男の忍者が噴射する液体は精液になるだろうし、それを浴びた女が、“イク”時に液体を発射しないし、猿のメスが手淫するという事を聞いたことがないからではないかと思う。それに何より滑稽じゃない。滑稽だから忍法帖が面白いのだ。

 風太郎の、『飛騨忍法帖』 に出てくる忍法は思えばこういう滑稽な忍法ではない。そう言うところも売れなかった原因だろうか。しかし、女を断たないと成立しない忍法という発想は良いのだが物語の作りに問題があるのだろう。鉄砲がある時代の忍法はなかなか難しい。でも、面白く読めた。それも、勝海舟、坂本龍馬、新撰組が出てくるからだろう。勝海舟と坂本龍馬の絡みからが上手いし、芹沢鴨と近藤勇、土方歳三の対立、暗殺をああ言う処理の仕方をするのは流石に風太郎だ。上手い。

 石川賢は永井豪のアシスタントをやっていたのだろうか、絵が似ている。顔や体の描き方をそうだ。女の肉体の絵は、『ハレンチ学園』 のようだ。いずれにせよ、風太郎原作の漫画が楽しみだ。 


 10月29日(月)

 神田の古本屋街を3時間近く散策した。本を探すと言うことは体力勝負だ。本を読むこともそう言うことが言えるかも知れない。風太郎の本についての成果は全くなし。文庫本が欲しいのに、ここは文庫本は眼中になしと言った感じだ。講談社から新書本で出ていた忍法帖シリーズ全13巻(?)が8000円で売っていたが欲しい本がないシリーズだ。他の全集16巻が10万円で売っていた。そんな金何処にあるって言うんだ。

 古本にて、『漱石の思い出』、夏目鏡子(妻)著。『漱石日記』。『奉教人の死』、芥川龍之介。『志ん生滑稽ばなし』、古今亭志ん生。『夏目房之介の漫画学』、夏目房之介。などを買う。すずらん通りの本屋に立ち寄ると、TAKEさんが言っていた、別冊 『文藝』 の「山田風太郎特集」を見つける。本屋に頼んであるので立ち見する。その中で風太郎は、何と島森路子と対談をしていた。これは驚きだった。上野昂志さんは出筆していないようだった。が、まるまる1冊風太郎。かなり充実した特集だった。ファン必見の本だ。

 その横には雑誌、『東京人』 が特集、「落語はいいねぇ!」を組んでいて、志ん朝とこぶ平の対談、「親父は親父、芸は一代」 や、談志のインタビューが載っていた。「今が聞きどき、旬の噺家30人」や、小沢昭一のエッセイが載っていたのでこれを買った。『男の隠れ家』の最新号、「書斎を巡る旅」 も面白そうなので買う。高橋克彦の、「私のお気に入り」の3冊は、『森は生きている』、マルシャーク著。『警視庁草紙』、山田風太郎。『鏡の国のアリス』、ルイス・キャロル。やっぱり風太郎が入っていた。氏曰く、「小説を書くための根本的な技術を学んだ。とにかく資料の生かし方が卓抜」とのこと。ちゃんとそう言うところを見ているのだ。

 『映画狂人シネマ事典』、蓮見重彦を買う。東大の学長を辞めて始めての本じゃないだろうか。学長になったとき、「一切の出筆活動を中止する」 と宣言していたのでファン待望の本だ。と言っても、『リュミエール』 などの雑誌に載っていた物をまとめた本だが。始めはやっぱり映画でしたね。実は買うつもりはなかったが、本の始めにある、「映画小辞典」の中の、自転車に、「ヌーベル・ヴァーグの定義の一つに、自転車への偏愛が挙げられないだろうか。トリュフォーの処女作 『あこがれ』 (57)でベルナデット・ラフォンが南仏の町を乗りまわして以来、この手軽な乗物はたちまちフランス若手監督たちの作品に氾濫した。」などの文章がある。

 また、「私の好きな映画・監督・男優・女優」 はトリュフォー追悼の意味もあり全て、トリュフォーになっている。この本読まなかったら俺は一体どうするんだと思って買ってしまった。『恋のエチュード』 がベスト1になっているがトリュフォーが死ぬ前これを再編集していた事を思い出した。あの時は、何故この作品をそんなにまでしてと思ったものだ。俺は、『隣の女』 が1番好きだ。蓮見さんが挙げるベスト10中、『柔らかい肌』、『私のように美しい娘』、『二十歳の恋』 は未だ見たことがない事を思い出す。しかし、こんな本読んだら映画見たくなるよなぁ。蓮見さんにはめられそうだ。やばいよこれは。

 山田風太郎 『白波五人帖』 読了。読中、感涙流したるを止むること出来ず。詳しくは後日記す。

 昨日の天皇賞は雨で重馬場。穴に考えていたアグネスデジタルが直線、豪脚一閃、豪快に差しきった。やっぱりダート馬じゃなかったのだ。馬場も味方した結果だ。オペラオーは勝ちパターンでレースをして差されたが悲観するレースじゃない。土曜日、クロフネが豪脚で信じられないレコードで圧勝した。JCダートに進む。同じくアグネスデジタルもJCダートに行くみたいだ。この2頭で決まりだ。アグネスは来年のドバイ、ワールドカップに行くようだ。クロフネはブリーダーズ・カップ、クラシックに出ても面白いだろう。この2頭世界に向けて旅立つだろう。


 10月30日(火)

 雨が降る度に朝晩が寒くなってきた。未だ吐く息が白くなるほどではないが、道行く人々はセーターやジャンバーを着ている人もいる。冬支度が始まった。菊花賞も、天皇賞・秋も終わったんだからもう11月になる。もう少しすると銀杏の実の匂いで臭くなる。便所のような匂いだが、郷愁が沸く。小さい頃によく拾いに行ったからだ。銀杏を食べるより拾う方が好きだった。

 神田で新本で買ってきた、夏目房之介の、『夏目房之介の講座』 は87年、NHK教育TVで、あの有名な 『YOU』 (当時人気絶頂のコピーライター糸井重里が司会をやっていた)が終了し、その後の番組としてスタートした、『土曜倶楽部』 の中で、「講座」 として5〜10分やっていた物を本にした物だ。初回の、「テレビについて」 が非常に面白かったので、夏目房之介と言う訳の分からない漫画家に親近感を覚えて、約1年間見続けた。この番組は若者の討論番組だったように思うが、それ自体はそれほど面白くなかった。ただし、今みたいに、他人の話を聞かないということはなかったように記憶している。それもこの 「講座」 があったからだろうか?

 1番印象に残っているのは2回目にやった、「初恋の証明」。多分、映画、『人間の証明』 の後なのだろう。

 「今日は初恋の証明というテーマでお話ししたいと思います。
 初恋というのはいったい何だろうか、というふうに考えますと、たとえば、十代の結構ナンパ何かして遊んでる男の子が、自分が本当に好きな女の子には声もかけられなかったする、そういうものじゃないかと思います。
 これをもう少し論理的に考えますと、まず初恋をも含む概念として 「恋愛」 というものがあります。けれども 「恋愛」 を少しせまい意味で考えて、100%の恋愛、完全なる恋愛というものを仮定してみます。これは、私の考えではやはり100%の恋愛という以上は 「健康なる実行行為」 を伴うものであると思います。
 これに対して、初恋というものは、むしろ重大なる実行行為を伴わないものと考えたい。すなわち、初恋というものはより抽象的で、夢想的であって、天界に近い。健康なる実行行為を伴う100%の恋愛というものは、より具体的で地上的であると考えるわけです。」

 これを図を見せながら話す。図には夏目の漫画が書かれてある。地上に大きなハートが刺さって、100%の恋愛(健康なる実行行為)と書かれてある。ハートの地上に刺さっている部分には下を向いた矢印が書いてありそこには、色情と書いてある。その大きなハートに部分的に重なりながら小さなハートが書いてありそこには、初恋と書いてある。重なっている部分に点線が引かれ境界と書かれてある。この小さなハートは、雲の上に浮かんでいて、絵の中央上部には天界と書かれ矢印が上を向いている。

 「そこで、もうひとつの問題は、いったい恋愛と初恋の境界線はどこにあるんだろうか、ということです。この問題を、私は、距離の問題に置きかえて考えてみたいと思います。
 距離、すなわち図2の n から0までの距離ですけど、男女ともに n から0までの距離を持つと考えまして、図2の段階を私 「アコガレの段階」 とよびたいと思います。つまり見ただけで惚れちゃうという、昔の言葉でいいますと岡惚れ、今でいいますと、片思いの要素を持つ、これが初恋の重要な要件であります。その本質がよく表現されるのは、遠くから見つめて頬赤らめるという 「アコガレの段階」 なわけです。この段階を別名 「視線接触段階」 とよびたいと思います。ここでは非常に初恋度が高いとお考えください。
 これに対して、もうちょっと距離が近づくとどうなるか。これはもうちょっと両者の関係が近くなる。これを私 「遠隔接触段階」 とよびたいと思います。これを具体的にいえば恋文、手紙ですね、あるいは電話でコミュニケーションが成り立つ。これを 「遠隔接触段階」 とよびます。アドレス帳にぎりしめて電話台の前で十分も二十分もウロウロ歩きまわる。ドキドキする状態、それがこの段階です。」

 図2は、男女が向かい合って立っている。真ん中に、0という数字が書かれてあり、その数字から向かい合った男女の方に太い矢印が引かれ n という字が書いてある。女の子の絵の横には、もっとこっちだとアイドルへのアコガレになると書かれてある。こっちとは、離れるとと、いう意味だ。図3は、0という数字の上で向かい合った男女が握手している。

 「さらに近づきます。お互いの距離がさらに近づきまして、手なんかにぎっちゃう。この段階になりますと直接接触段階でありまして、これを私 「第一種直接接触段階」 とよびたいと思います。この直接接触と遠隔接触の間に、たとえば、交換日記なんかが存在する、こうお考えいただくと、わかりやすいと思います。
 これを過ぎますと、さらに距離は近くなります。これを 「第二種直接接触段階」 、すなわち別名 「口唇接触段階」 とよびたいと思います。まあこのへんまでが初恋の範囲内であろう、これまでは、初恋と考えてよろしかろうと私は思います。さらに立ち入って申し上げますと、経験とぼしきがゆえに歯がぶつかってしまう、つまり歯の接触までは初恋的な領域としてもいいでしょう。実際、初心者の場合よくあることだといえますしね。しかし、それ以上の口唇接触は初恋的でないと思われます。」

 図4は、口唇接触をしている絵。数字0の上でキスしている。

 「まあ、第三種以上の直接接触につきましては山崎さんの専門分野ですので、ここでは申しあげません(笑)。(注を書けば、山崎とは、「転位21」の山崎哲のこと)この段階まで来ますと、初恋度はかなり低くなっているとお考えください。そのかわりこのあたりから恋愛度が高まる、というふうに考えてください。つまりこの曲線が初恋度の曲線です。すなわちこの曲線から初恋は、n≧0 の式で表されます。
 つまり n が0のところで初恋度が一番低くなるということですね。実に初恋というものは、このように放物線であったということが明らかになったわけです。
 ところで、皆さんご存じの通り、放物線の方程式は y=ax2 (文字表記でいないので書くと、y=ax2 最後の2は、二乗 ということ)
 で表されます。すなわちタテ軸が y で、ヨコ軸が x です。この場合 y=初恋度ですね。そして、a=変数です。つまり性格とか相性、こういった可変要素を a と置きます。x=接触度ですね、ヨコ軸ですから。では接触度の二乗というのはどういうことか?これはまあ、おのおのの事情とお考えください。これが私の発見いたしました「初恋の定理」であります。今日はこれまで。」

 「講座」が終わるといつも拍手が起こった。まあ判ったような判らないような・・・。しかし、「アコガレの段階」から「第二種接触段階」までの「初恋の定理」を非常に面白く語った夏目房之介のためにこの番組を毎回見ていた。その後の、競馬新聞、『一馬』 で毎週、清水成駿の 「今日のスーパーショット」 を毎回楽しみにしたように。あの頃彼女と一緒に見ていて番組終了後、100%の恋愛の健康なる実行行為を行ったかどうかは忘れてしまったが、何故今頃、夏目房之助を思い出したかというと、先日、NHKの深夜にBSでやった、「まんが夜話」 というのをやっていてそれに彼が出ていて昔と変わらず面白いこと言っていたので思い出したのだ。勿論あの頃より老けていて目尻に皺が増え髪には白いものまで混じっていた。その時取り上げた漫画が、『あしたのジョー』 だった。

 これが実に面白かった。暇があったらこれも書こう。ちなみに、夏目房之助は金之助の孫である。金之助とは、つまり漱石の本名のことだ。いつの間にやら時間がなくなって、風太郎の、『白波五人帖』 を書く時間がなくなった。それも後日。


 10月31日(水)

 蓮見さんの本を買った事でトリュフォーを思い出した。それにしても蓮見さんの文章はもうついていけない。面白いけど、はっきり言って悪文。それが特徴だけどつらいなぁ。ああ言う言い回しや文章の長さは何の参考にもならない。誰も真似が出来ないという意味では凄いけど。山田宏一の本をめくって見たりしている。山田さんにトリュフォーの話が聞きたいなぁと思った。本当に良く知っているはこの人。

 『夏目房之介の講座』 読了。読んだというより戯れたという感じだ。あの時の放送のことを思い出しながら話に浸った。やっぱり面白い。

 『文藝別冊』 追悼・山田風太郎 が本屋から届いた。単行本未収録のエッセイが一つ。単行本未収録の小説が二つ。文庫本未収録の小説が一つ。入手困難な小説が一つ収録されていた。つらつら(どうも風太郎風になってしまう)ページをめくったが、阿佐田哲也(博打打ちで主にマージャンだが、このペンネームは徹マンして日が昇ってくることから、朝だ、徹夜してしまったと言うところからつけた名前)が編集者時代風太郎の原稿を取りに行っていた頃のことを書いているが、物凄く尊敬していることを書いている。小説だけじゃなくエッセイさえも、「真似しようにも真似の出来ない面白さである」と書いていた。

 もう本ばかり読んでいて、その感想も書くことすら時間が勿体ないような気にさえなってきた。闘牛の記事などもシーズンが終わって南米のことも書こうと思うがまるでどうでも良いような気さえする。


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