断腸亭日常日記 2001年 その11

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、のスペイン滞在日記です。

99年1月13日〜2月16日 2月19日〜4月14日 4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日
6月7日〜6月10日 6月13日〜7月9日 7月11日〜8月8日 8月9日〜9月9日
9月12日〜10月7日 10月10日〜11月10日 11月14日〜11月28日 12月12日〜12月31日
2000年1月1日〜15日 1月16日〜1月31日 2月1日〜2月28日 3月2日〜3月29日
4月2日〜4月19日 4月20日〜4月29日 5月1日〜5月14日 5月15日〜5月31日
6月1日〜6月15日 6月16日〜6月29日 6月30日〜7月15日 7月17日〜7月31日
8月1日〜8月15日 8月16日〜8月31日 9月1日〜9月15日 9月16日〜9月30日
10月1日〜10月15日 10月16日〜11月20日 11月22日〜12月10日 12月11日〜12月31日
2001年1月1日〜1月13日 1月14日〜1月31日 2月3日〜2月12日 2月13日〜2月26日
2月27日〜3月10日 3月11日〜3月31日 4月1日〜4月18日 4月19日〜5月3日
5月4日〜5月17日 5月18日〜5月31日 6月1日〜6月11日 6月12日〜6月22日
6月23日〜6月30日 7月1日〜7月15日 7月17日〜7月31日 8月4日〜8月15日

 8月16日(木)

 7月の闘牛の会、定例会報告はサン・イシドロ祭をやった。ビデオを流す前に説明。牛の背中の部分で、両肩骨(人間でいう肩胛骨)を結ぶ線と、背骨が交差する手の平大の窪みの所を、crzeta と言う。これは、ピカを刺す時、バンデリージャを打つときにそう呼び、剣を刺すときには、Hoyo de aguja (針の穴)という。正面から見るとこの部分は背中の最上部に位置し、剣刺しの時に、その部分からずれるとカイーダ。それよりずれるとバッホ。それ以上ずれると、バホナッソという。

 初めのビデオは6月9日サン・イシドロ最終日のフランシスコ・エスプラの2頭目。これはまた後から書くことにしよう。

 山田風太郎 『コレデオシマイ』 読了。風太郎は戒名を自分で決めていて、「風々院風々風々居士」と言っていた。この本の中で墓石には、面倒くさいから、「風の墓」と刻むように言っていた。また、木田元の司馬遼太郎と風太郎の明治観の違いが紹介されていた。「司馬遼太郎のは近代史観。日露戦争までの明治のナショナリズムにかなり肯定的で日露戦争以降その路線から逸脱したという見方ですからね。真っ直ぐ進んでいれば日本の近代は肯定できるということだけろうけれど、風太郎さんのは、明治は元から排除の構造を持っていたんだという史観ですね」と。

 つまりこういう違いが、川路良利を描くときに根本から違ってくるのだろう。また人物を描くときに、好き嫌いを別にした描きやすい人物とそうでない人物がいると言う。それから、バルザックが小説を続けていく方法に感心していた。こう言うのは参考になる。

 風太郎は、「やりたくないことはやらない。まあ、横着と言うことだ」と言い、今やりたいことはと聞かれて、「何もないなあ」という。何だか、「遅すぎる死」を待っているような感じだ。この本を読んでいて、「志賀直哉に、面と向かって馬鹿なまねをするなといわれて、芥川は参っちゃって、「僕には芸術がわかってないんです」といったいうんだね。そしたら、、正宗白鳥が、志賀ごときに芥川が屈する必要があるのかと」言ったという、芥川龍之介の、『奉教人の死』 が読みたくなった。

 株価が少し上がってきたと思っていたら、円高ドル安がニューヨーク発で始まり2円前後、円が高くなりその影響で株価が値下がりしている。

 8月15日は、1年の中で闘牛が一番多く開催される日だ。

 15日の結果。 マドリード。マノロ・サンチェス、モレノ、アルフォンソ・ロメロ、耳1枚。 セビージャ。アリミジータ、口笛。フェルナンド・セペダ、場内1周。エル・シド、耳1枚。 マラガ。リカルド・オルティス、耳1枚。怪我。オルドニェス、エル・カリファ、耳なし。 カラタジュ。イガレス、耳なし。エル・モリネロ、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。エンカボ、耳1枚。 バイオンヌ(フランス)。カバジェーロ、耳2枚。プエルタ・グランデ。ビクトル・プエルト、耳なし。エウヘニオ、口笛、罵声。 ベジエ(フランス)。フェルナンデス・メカ、デニス・ロレ、耳1枚。パディージャ、場内1周。 ダックス(フランス)。ポンセ、アベジャン、耳なし。ハビエル・カスターニョ、耳1枚。


 8月17日(金)

 野平祐二の記事を読むために、競馬雑誌2冊を買ってきてちらちら読んでいるが、競馬関係者から尊敬と、訃報に対して悲しみを送っている。岡部幸雄騎手、藤沢和雄調教師の長目の記事が具体的で非常に面白かった。

 ホセリートが始めに相手にした牛が非道く、バンデリージャス・ネグラスが使われた。

 16日の結果。 マラガ。ホセリート、耳なし。ヘスリン、ダビ・ビラリニョ、、耳1枚。 サン・セバスティアン。ポンセ、耳1枚。フィニート、耳なし。ハビエル・カスターニョ、耳1枚。 ハティバ。エスプラ、エル・カリファ、アベジャン、耳1枚が2回。3人のプエルタ・グランデ。


 8月18日(土)

 雨が降り寒い日だった。大型の台風が近づいて来ていて不安定な天候が続きそうだ。

 山田風太郎 『同日同刻』 も後少しで読み終わる。この本は太平洋戦争を始めた昭和16年12月8日と、最後の15日、つまり昭和20年8月1日から8月15日までを、色々な人たちが記述した日記、小説、本を基にその日何が起こったかをまとめた作品だ。この本を読んでいると色んな事がわかて来る。第1章、最初の一日、を読んでいると、まあよく日本は戦争を始めたものだと思った。

 日本から届いたアメリカへの宣戦布告の暗号文を英語に翻訳しそれをタイプするのにタイピストすらいない状況で、大使館員がタイプするのに手間取り真珠湾攻撃前に届けられなかった。しかし、アメリカは暗号文を解読してそのことを事前に分かっていた。ただアメリカは真珠湾を攻撃するとは思っていなかった。また、ポツダム宣言を受諾したことをロイターなどの外国通信で知った外務省職員が多くいた。この程度の情報網しか日本は持っていなかったのだ。

 本当によく戦争をやったものだと思う。また、驚いたことに開戦のニュースを聞いた多くの日本人が、「新しく生まれ変わった」様なと言うような表現をして感動を記述していることだった。当時の国民感情がこう言うところに表れているのだろう。そう言うものの中にはアメリカや外の連合国に恥をかかされた屈辱を晴らすことが出来るという希望と期待からだったようだが。

 明日はダービー馬、ジャングルポケットが菊花賞を目指して始動する。どんなレースをするのか楽しみだ。

 17日の結果。 サン・セバスティアン。カバジェーロ、耳なし。エウヘニオ、耳要求で場内1周、耳1枚ともう一枚要求。プレシデンテに罵声。ハビエル・カスターニョ、耳なし。 マラガ。オルテガ・カノ、場内1周。ポンセ、耳1枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。ハビエル・コンデ、場内1周、耳1枚。 シウダ・レアル、フィニート、耳なし。オルドニェス、口笛。レイナ・リンコン、耳1枚。


 8月20日(月)

 台風は明日、紀伊半島に上陸しそうだ。

 山田風太郎 『同日同刻』 対談集 『風来酔夢談』 読了。確か94年の8月にNHKスペシャルで、「日本のいちばん長い年」というのがあった。色々な本をスキャナーでコンピューターに取り込む所が写され、NHKの玄関に山田風太郎が現れるところから始まる番組は、昭和20年の1年間を様々な人たちの日記、本、小説などの証言から風太郎が書いた、『同日同刻』 の様にして1年間を約1時間半にまとめたものだった。中心に、風太郎の発想と、『戦中派不戦日記』 の記述を基に当時の映像や風太郎が都内の大空襲にあった辺りを散策して振り返っていた。

 あの当時ですら風太郎は杖をついてヨボヨボとしか歩けなかった。『同日同刻』 は、あのTVの中で言っていた、「この戦争は一体何だったんだろうか」という風太郎のこだわりを本にしてまとめて考えようとした作品だ。非常に面白かった。色々な事実を知ったし、軍部の訳の分からない不合理な、およそ論理とは言えないような論理で日本人が何百万人の死んだかと思うと恐ろしくなる。

 最高指揮権があったはずの天皇はお飾りのようで、自分の意志を殆ど反映していないような印象を持つ。国体の護持。つまり天皇制維持はポツダム宣言受諾に辺り軍部、政府が最もこだわった事だった。当時の阿南陸相が徹底抗戦、一億玉砕、本土決戦を強行に主張したのも国体の護持のためだった。しかしその論法はまことに不論理な精神論。8月10日「この際、忍びがたいことも忍ばねばならぬ。私は三国干渉のときの明治天皇をしのぶ。私はそれを思って戦争を終結することを決意したのである」という天皇の言葉によって御前会議出席者がひれ伏し慟哭した。戦後、天皇制は憲法に象徴天皇制が明文化された。

 あの番組の中でも風太郎が言っていたが、天皇制維持が最も盛り上がったのは戦後日本全国を訪問したときだったという。そして、それによって国家国民が復興をしていくようだ。僕は戦後の民主主義教育の中で育ってきたので天皇制はない方が良いと思ってきたが、事実は上記の通りのようだ。天皇制は象徴天皇であってもない方が良いと思ってきたが、国民国家が必要としてきた時代があったという事実には考えさせるものがある。

 風太郎は死ぬ前にせめて、『人間臨終図巻』 に昭和天皇を書いていて欲しかったなぁと今更ながら思わずにはいられない。

 『風来酔夢談』は、作家などとの対談集で若い作家などとの対談は殆ど面白くない。猫の話などは最悪。でも、特筆すべきは、尾崎秀樹と、縄田一男の2人の対談だ。尾崎とのものは忍法帖シリーズ終結を宣言した後での対談で、戦中、戦後の日記を是非出版して欲しいと言い、明治の資料をそれだけ集めているのなら、ノンフィクションと言わず小説を書いて欲しいと言っているのには、尾崎氏の着眼点の凄さ、また、その後の風太郎を見れば、この人は予言者じゃないかと感じないわけにはいないだろう。

 縄田との対談も凄い。この人の風太郎の歴史観が鋭く語られている。風太郎は、「それは買いかぶりです」と言っているが、そう言う読み方は文芸評論家として正しい本の読み方だと思う。こういう読み方が出来る人が良い評論を書ける人なのだろう。これを読んでいるともう一度、風太郎の明治ものを読み返して見たくなる。それと幸徳秋水の大逆事件と言うのを調べたくなる。

 関川夏央との漱石の話は相変わらず面白い。関川という人の本は風太郎のことを書いた本しか知らないが、ちゃんと風太郎だけじゃなく本を読んでいる人だ。

 18日の結果。 サン・セバスティアン。ヘスリン、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。フィニート、口笛が2回。アベジャン、場内1周。 マラガ。フェルナンド・カマラ、耳1枚。ペピン・リリア、耳1枚で場内2周。ファン・デ・プラ、耳なし。 レガネス。ミゲル・ロドリゲス、耳2枚。イガレス、耳1枚。グレゴリオ・アルカニス、耳1枚で場内2周。 シウダ・レアル。エスパルタコ、耳1枚。ホセリート、耳1枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。ビクトル・プエルト、耳なし。 ハティバ。オルテガ・カノ、罵声、口笛。エル・コルドベス、耳1枚、場内1周。バレラ、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。 クエンカ。ポンセ、耳2枚。プエルタ・グランデ。オルドニェス、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。モランテ、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。

 19日の結果。 マドリード。ミゲル・ロドリゲス、場内1周。フェルナンド・ロブレニョ、怪我。フリアン・ゲラ、場内1周。 バルセロナ。騎馬闘牛士、デイエゴ・ベントゥラ、耳なし。闘牛士、イガレス、場内1周。ルイス・デ・パウロバ、耳なし。 ビルバオ。ミウラ、耳なし。左足に20cmの角傷、腸に被害を与えない15cmの角傷で重傷。フランシスコ・マルコ、場内1周。ヘスス・ミジャン、場内1周。 マラガ。チコテ、耳なし。エル・シド、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。マルティン・アンテケラ、耳なし。 サン・セバスティアン。フェルナンデス・メカ、耳なし。ペピン・リリア、場内1周。パディージャ、場内1周、耳1枚。 エル・プエルト・デ・サンタ・マリア。ポンセ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。プエルタ・グランデ。カバジェーロ、耳2枚。プエルタ・グランデ。モランテ、耳2枚。プエルタ・グランデ。 タラゴナ。アルベルト・エルビラ、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。エル・レンコ、耳1枚。ファン・ディエゴ、耳1枚。 シウダ・レアル。ヘスリン、耳2枚。プエルタ・グランデ。ビクトル・プエルト、耳なし。アニバル・ルイス、耳1枚が2回 。プエルタ・グランデ。


 8月21日(火)

 風太郎は何年か前に入院していたときに、ベットの上で排泄するのが嫌だと暴れてベットから落ち大腿骨を骨折して益々一人で排泄できないはめになる。暴れたことを自分では「全然記憶にない」と言っていた。人前で排泄するのは恥ずかしいことだ。出来ればそんなことをしたくない。そう言う心理から、浣腸で羞恥心をはぎ取っていき、性的な調教をしていく、いわゆるSM小説を書いたのが、これまた天才、団鬼六だ。村上龍は、団鬼六の小説で一体どれだけの男の精液が流れたことだろう。何トン何十トンになるだろうと絶賛した。

 関川夏央の 『戦中派天才老人山田風太郎』 の中で、「佐藤紅緑、これはハチローと愛子のおやじさんだが、少年倶楽部に書きついだ熱血少年小説で、昭和初期まさに一世を風靡した。死ぬ一年ほど前から起きれなくなったが、それでも溲瓶(しびん)を寝床にさしこまれると、 “無礼者!”とさけび、便所へよろめきながら歩いた。
 山本周五郎は助けようとする妻の手を “それだけはかあさんの世話にはなりたくない” といってふり払い、ひとりで便所へ行った。あまり長く出てこないので見に行くと、中で倒れていた。死んだのは翌朝だった。
 伊藤整は癌研病院に入院してからも、トイレにひとりで行った。病み衰えた顔に眼を大きく見ひらいて、宙をにらみすえるようにして歩いた」

 「朔太郎はもう起きる気力もなくて、母や看護婦がシーツの上に布をしいて、そこにするようにといくらいってもきかなかった。口の動きだけで手洗いに行かせてくれ、最後のお願いだ、といいつづけた」

 「武林無想庵は妻に状態をささえられ、老女に両足を持たれ、やっと便器にまたがらせてもらった。そして、“こんな思いまでしてまで便所へかよわなくてはならないとは、なんたる因果なことか” と嘆いた。若い頃は美男で有名、中年になっても妻をピストルで撃ったり、劇的な人生をおくった人なんだがそれでも最後はこうだ」

 「長く徳島に住んだモラエスは、世話する女が大小便の始末に一回いくらと請求したために、糞尿にまみれて自殺した。
 明治天皇だって褥中(じょくちゅう)排泄をきらい、無理に厠に立とうして、侍従が “臣従の道を忘れるがごとく” 叱咤しなければならなかったという」と、風太郎は言っている。

 僕は小さい頃入院していたので、ベットの上で排泄するのには抵抗がない。と、思っていた。92年スペインで入院したとき、それはやってきた。ベットの上で点滴をしてぐったりして「トイレどこ?」と聞くと看護婦は、「待っていて」と言って便器を持ってきた。看護婦は二十代の金髪の美人。本当に綺麗な人だった。こんな綺麗な人の前で排便なんか出来ないよ。ブスをよこしてくれと、思った。が、そんな願いは叶うわけではなく彼女は便器を尻に差し込み、便器を持ってそこに立っていた。どっかに行ってくれればいいのにと、思った。ねっ、お願い。ちょっとだけで良いからどっかに行って。そう思ったら、あれだけ出したかった便意は、この美人看護婦の前で消滅した。

 排便しない僕を彼女は心配し、便器を脇に置きいなくなった。少しして、浣腸を持ってきた。なんかあれには悲しくなった。僕は、「嫌だ」と言った。彼女は、「ダメ」と言って怒った。美人は怒ったときも綺麗だ。もうダメ。仕方なかった。その美人看護婦は僕の便意の去った肛門に浣腸を差し込んで、グリセリンを注入した。僕の肛門も性器も陰毛も彼女に見られているわけだ。だからといって勃起するわけではない。注入が終わる頃に、「5分間待って」と、やさしく彼女は言った。

 しかし、浣腸液が全部入らないうちにもう便意をもよおしてきた。団鬼六の小説を思い出しながら必死に便意を我慢した。腸がゴロゴロ動く。肛門を天井に向けて我慢したいくらいだった。本当に冷や汗が出てくるものだ。団鬼六は偉大だった。僕は小説の主人公の気持ちが判ったような気がした。浣腸は人間をおとなしくする。その頃には、もうどうにでもなれと言う気分で、金髪の美人看護婦の前で恥ずかしかったが排便した。僕が排便すると紙で拭いてくれて彼女は満足そうにウンコが入った便器を持って去っていった。自分で拭きたかったのに、至れり尽くせりである。

 あの時、僕は看護婦は天使みたいだと思った。他人のウンコを嫌な顔せずに、出ないとむしろ心配までしてくれて・・・。

 風太郎はノーマルだ。人前で排泄するのが嫌だと暴れることが。でも、死ぬ前はおそらく人前で排便をせざるを得なかっただろう。

 「結局、人間、出すほうが難儀らしい。入るものが入らないことより、出るものが出ないことのほうがはるかに苦しい」 ーー 『戦中派天才老人山田風太郎』 よりーー

 20日の結果。 ビルバオ。ヘスリン、耳なし。フィニート、耳1枚、口笛。ラファエル・デ・フリア、耳なし。 アルメリア。騎馬闘牛士、パブロ・エルモソ・デ・メンドーサ、耳2枚。プエルタ・グランデ。闘牛士、ポンセ、耳なし。エル・カリファ、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。ハビエル・カスターニョ、耳1枚。 クエンカ。ホセリート、耳なし。ホセ・アントニオ・イニエスタ、耳1枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。アベジャン、耳1枚。 ベニドルム。オルテガ・カノ、耳2枚。フィニート、耳2枚、オルドニェス、耳1枚が2回。3人ともプエルタ・グランデ。


 8月22日(水)

 台風は去った。東京ではそんなに風が強く吹いたわけではなかった。それでも各地で死者が7人出た。

 久しぶりに、同級生からTELが来た。一緒にバンドをやっていてポップコンにも一緒に出たYからだった。あいつは今もカメラマンをやっている。前はTV東京の深夜に来日アーティストのスタジオやライブの演奏を撮ったり編集していて羽振りもよかった。今は不況で仕事が少なくなったらしいがそれでもカメラで食っている。ビデオの方が収入が多いらしいが。忌野清志郎や泉谷しげる、浜田麻理(まりってこれでよかったのか忘れた)、渡辺美里なんかのビデオクリップもやっていた。2人とも、音楽が好きだった。あいつは音楽雑誌の写真から始めてビデオに行った。

 俺が闘牛の写真を撮ろうと思ったときになんにも知らない俺に、カメラのことを教えてくれた。俺はあいつの使ってないカメラを持って、恐山や奥入瀬、八甲田に行って撮ってきたものを見て貰ったりした。あそこから闘牛写真が始まった。あいつは最近、盛岡に帰って同級生と飲んだときに、俺の話が出て来て思い出したようにTELをしてきたのだそうだ。お互いの近況を話して、飲もうと言うことになった。変わってねぇよなぁ、声が。

 風太郎最後のインタビュー集、『ぜんぶ余録』 を読んでいると悲しくなってくる。HP「山田風太郎事典」 の人が言っていたが、「もう死ぬな」というのが判る。風太郎は明らかに死ぬことが判っていながら、治療を拒否して死んでいった。もし、あの嫁さんがいなかったらどうなっていたんだろうと思ってしまう。風太郎は、すっかり嫁さんに頼り切って生活している。

 自分の人生を振り返られて幸福だったと、と言う問いに、「大きい目で見れば、僕の人生は不幸だったと思う」と、言い、それはどういうことですか?と、問われて、「つまり、僕は親を早く亡くしたでしょう。そういう人間が幸福なわけがない」と、言っている。

 それでも、小説家になり、家庭を築いて、風太郎は幸福だったと読者が感じる本だ。

 21日の結果。 ビルバオ。ビクトル・プエルト、オルドニェス、モランテ、耳なし。 アルメリア。ポンセ、耳1枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。フィニート、耳2枚。プエルタ・グランデ。アベジャン、耳なし。 クエンカ。ヘスリン、耳2枚。プエルタ・グランデ。エル・コルドベス、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。エル・カリファ、耳なし。


 8月23日(木)

 ネットに風太郎の家に行って焼香してきた人がいて驚いた。風太郎の夫人が家に入れてくれてしかも、子供が書斎まで見せてくれたのだそうだ。しかし、全国の風太郎ファンがそんなことしたら夫人は困るだろうし、風太郎も不快に思うだろう。僕も焼香に行きたかったが火葬、葬式を終えて死亡を発表した事を考えて家に行くのを止めたのだ。風太郎は、静かにして欲しいと思っているだろうし・・・。

 死んでから、風太郎の本ばかり読んでいる。それが1番の供養だろうと思うし、改めて読んでも本当に偉大すぎる作家であったことが判る。

 怪我で休養中だったエル・フリがビルバオで復帰した。

 22日の結果。 ビルバオ。エル・カリファ、耳なし、アベジャン、耳要求で場内1周。エル・フリ、耳1枚が2回。 アルメリア。ヘスリン、耳1枚。カバジェーロ、ビクトル・プエルト、耳なし。


 8月24日(金)

 夕方、土砂降りの雨が東京に降った。

 山田風太郎 『ぜんぶ余録』 読了。この本で最後のインタビューをしたのは、今年の1月19日。その中で、「生きるとしても、あと半年か、そんなもんだね」と、言っていた。死んだのが7月28日だから本当に半年後の死だった。ここ何年かはインタビューをしてこういう本を出したり、インタビューをまとめたものを、(談)という字を入れて雑誌などに載っていたようだ。インタビュー最終回に、それまで絶賛していた吉川英治の 『宮本武蔵』 を、文章もストーリーも、「全然ダメだね」と言っている。その理由は、「なぜ吉岡道場や宝蔵院とやるのかという理由が全然書いてないんですよ」と言っている。

 これは良いヒントになった。

 「しゃべることはないよ」といつも言っていたがこんな終わり方をする。

 「僕はもともと戦争中に死ぬとばかり思っていたからね」
 ーーいまも、思っているんですか。
 「思っているねぇ。戦争中に死なずに、こうして生きていることが不思議だ」
 ーーそれ以降の戦後の人生は余録というような感じはあるんですか。
 「うん、ぜんぶ余録だ」

 戦地などに行って来た人などが、戦争で死んでいた命だから、と言う言い方を聞いたことがあるが、大作家にして大天才がこう言っているのには、感動すら覚える。こんな事言っても、物凄い作品を一杯残している。

 ーー先生、もし、奥様がいらっしゃらなかったら、何もできないじゃないですか。
 「何もできない(笑)。昔から何もできないが、車椅子になって、何もできないも極まったね」
  (中略)
 ーー先生の人生の中で最大の出来事は、奥様と一緒になられたことではないでしょうか?
 (しばらく無言が続く)「そうともいえるけれども、うーん、なんともいえないね」(笑)
 ーー先生、長い間、本当にありがとうございました。私たちのインタビューも、今度こそ、コレデオシマイにさせていただきます。
 「そんなこといって、あなたたち、また来るんじゃないの?」(笑)

 風太郎最後の本はこれで終わる。風太郎の本を全部読んだ分けではないが全部読んでみたい。本になっていないものまで。今日、本屋に行ったら光文社から風太郎の新しい文庫本が出ていた。TAKEさんが言うように今まで本になっていなかった、『忍法創世記』 も本になるようだ。『人間臨終図巻』 も文庫本で出ている。風太郎は、「愛読書というのは少なくても3回読んだ本を言う」と、言うことなのでそのうち何度も読むことになるだろう。読者である僕は、風太郎の本の中で風太郎に会いに行く。そうすれば僕が本を読める間は会うことが出来るのだ。

 エル・フリがまた怪我。上唇を裂傷。と言っても、打ち身を伴っている。重傷ではないがここで無理すれば傷口が変なくっつき方をして唇が連れた状態になる恐れがあるのだろう。復帰まで何日かかるのか不明だが割と早いうちに闘牛場に戻るだろう。

 23日の結果。 ビルバオ。ポンセ、耳1枚。エル・フリ、耳2枚。怪我。ハビエル・カスターニョ、耳1枚。 アルメリア、オルドニェス、耳1枚。ルイス・マヌエル、耳1枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。モランテ、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。


 8月25日(土)

 「  バングラデシュでの最初の食事である。
 それにふさわしく、ここでの習慣に従い、右手だけ使って食べてみよう。慣れると、舌だけでなく指も鉈味を感じるというではないか。
 安いのだから文句は言えない。親指、人さし指、中指、それに薬指まで動員しても、下手なものだからボロボロとみっともなくご飯粒をこぼしてしまう。
 それでもなんとかご飯をほおばった。希少動物でも観察するように、店の娘と野次馬が私の指と口の動きに目を凝らしている。
 インディカ米にしては腰がない。チリリと舌先が酸っぱい。水っぽい。それでも噛むほどに甘くなってきた。
 お米文化はやっぱりいい、とうなずきつつ、二口、三口。次に骨を口に運ぼうとした。すると突然「ストップ」という叫び。  」

 ここまで本を読んだら、井戸さんが、「止めて!」とビックリするような大きな声を上げて、辺見庸の 『もの食う人びと』 の朗読を止めた。これは残飯市場の話を書いたもので、井戸さんは感覚的にもう聞きたくないと、思ったようだ。なぜこんな事を書くかというと、今日井戸さんにTELして闘牛の会の話をしたからだ。何故か井戸さんのエピソードはこれである。スペインとかスペイン語とかは始めに出てこない。怒られるよな。

 しかし、風太郎ばかり読んでる最近は、この残飯市場が明治時代まで日本にあって、政府が困ったことがあると、残飯市場の雑炊にコレラ菌を入れたりするシーンが、風太郎の明治ものに出てくるので今日は直ぐのこれを思い出した。今、日本には残飯市場はないが新宿の浮浪者はゴミ袋に入った割り箸や妻楊子の入った残飯を食べて生きているのだから、人間の生命力とは凄いものだ。まるでネズミのようだ。

 今日もまた風太郎を読む。そういえば風太郎は浮浪者を見ると自分のようだと言っていた。戦災孤児や焼け出された東京や、小説が売れなかったらこうなっていたかも知れないといつも思っていたようだ。

 24日の結果。 ビルバオ。ポンセ、耳なし。カバジェーロ、口笛。エウヘニオ、場内1周。 アルメリア。クーロ・バスケス、ルイス・マヌエル、モランテ、耳1枚が2回。2人のプエルタ・グランデ。 シエサ。ホセリート、耳1枚が2回。フィニート、耳2枚が2回。オルドニェス、耳1枚、耳2枚。3人ともプエルタ・グランデ。


 8月26日(日)

 
♪ 恋にもえる胸の願いはひとつ
  好きな人とかたく結ばれたい ♪  ーー『乙女の祈り』 歌詞、なかにし礼 歌、黛ジュン ーー

 風太郎の短編小説でかなり衝撃を覚えた、『芍薬屋夫人』 を読み返した。始め読んだときは血が凍るような感じだったが、風太郎は本当に上手い。これが初期の作品というのがまた、驚異的だ。 対談集 『風来酔夢談』 で面白かった縄田一男が解説を書いている。彼は秀作と言っているが、僕は傑作だと思う。

 物語は、江戸末期、文政八年一月長崎・鳴滝塾から文政九年3月四日の江戸、本石町三丁目の和蘭陀人定宿長崎屋まで。許婚、お桃の父、赤羽屋銀右衛門に頼まれ長崎・鳴滝塾にやってきた産医、鳥吹玄鳳はそこで26歳のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトによる帝王切開手術の神技を初めて見て感動し、入門を懇願し許可される。

 「欧羅巴では、受胎せる婦人に於て、その妊娠、妊娠月数、胎児の位置を確実に知ろうとするには、指を持って内診を行う。日本では内診を行わないとすれば、一体どのようにして診断をつけるのか?」と、言うシーボルトの問いに対して、塾頭、美馬順三は、「日本の産科では、唯外診を行うのみです。脈や動悸や胸の形などを診る外に、按腹と称し、下腹部を捏ねるように按じて、内部の状態を推定するのでございます。この方法は京都の名高い産医賀川玄悦氏の創案にかかるもので、尚、氏は分娩に際して鉤の使用を禁じられました」と、これは風太郎の医学の知識だ。

 玄鳳の長崎に来てから許婚お桃に対して鳴滝塾就学の事を手紙全部で九通も書くが、帰ってきた返事が、唯、諒、と赤羽屋銀右衛門から届くが、お桃からはまったく返事が来ない。お桃の父、赤羽屋銀右衛門は、芍薬屋吉兵衛に借金をし、それが返せないのなら代わりにお桃を輿入れしろと迫っていたのだった。玄鳳は不安を募らせてまた手紙を書く。その手紙を落としシーボルトの愛妾で遊女のお滝が拾う。手紙には上記のことが書かれていた。シーボルトはその手紙を読む代わりに、玄鳳が欲しがっていた最新式のネーゲレ鉗子をやることにする。

 玄鳳は、不安で居ても立ってもいられず江戸に帰る。十月の始め塾頭、美馬順三宛に玄鳳から手紙が来る。塾頭は病死していたのでシーボルトは通訳に訳して貰う。手紙には、以下の事柄が書かれていた。赤羽屋に行くと銀右衛門は、お桃はすでに芍薬屋吉兵衛に輿入れした後だった。なぜ遊学を諒と言い、なぜその事実を知らせてくれなかったのか詰問する気力もなく頭ががんとして打ちのめされ白くなり、茫然とでかかった門口で失神してしまう。

 お桃の輿入れは玄鳳が長崎に向かった日からわずか10日後のことだった。お桃の父親は玄鳳を江戸から遠ざけるために長崎に用事を頼んでいた。憤激し芍薬屋へ行き恋人を返せ!と言うが、群がる丁稚や手代に押さえつけられ殴られる。絶望で茫然としていたが、玄鳳はお桃を信じていた。長崎に行く前、愛を誓った恋人と一夜の愛を交わしていたからだ。

 お桃に会いさいすれば必ず!そういう思いで毎日芍薬屋界隈を徘徊する。しかし、会うことも、見ることもできない。そればかりかお桃が妊娠したという噂を聞く。あの怪物の子を!徘徊と魂の苦痛から胸を病み喀血する。そんな中暴漢に襲われる。それは芍薬屋が放ったものだった。そして命さえ狙われるのである。そこで始めて復讐も燃える。それはお桃を奪還する唯一の道と思うようになる。江戸で開業。繁盛するが玄鳳の魂は怨念の業火を浴びる阿修羅であり、その外貌は冷酷沈鬱な復讐の霊鬼となったのでございます。

 「私は待ちます。迫害に耐え、石のように復讐の時を待ちます。
 その前に、私の衰弱した身体が斃れるか 」と玄鳳は書く。

 「可哀そうなゲンポー・・・・・復讐は罪悪だ。あれを救ってやらねばならぬ。あれは学問への愛で救うことの出来る青年だ」と言ってシーボルトは涙を流す。この時、十月十日。五年毎に長崎出島から江戸へ、参府して将軍に謁見するのは翌年だった。「年が明ければ、私達もエドへいくのだが、間に合わぬか?」

 九月の初旬のある夕。「助けて下され」慌てて飛び込んできたのは芍薬屋吉兵衛だった。「女房が昨日のひるより産気づき、まる一日もたつのにまだ生まれぬのじゃ。死ぬ・・・・・・あれは死にかけておる!」 玄鳳は光った眼で、きっと芍薬屋を凝視した。感情が表情を電撃して、却って仮面のように硬ばった顔に富商は勘違いし、狼狽した。
 「い、今までもこと、全く、全くあわす顔もない。あ、厚かましい奴だと思われようが・・・・あれを救ってくれるのはお手前だけじゃ。医者は七人呼んだが、右往左往するでくばかり・・・・ああ、あれは死ぬ!」 その醜悪な面貌が涙に濡れ
 「悪戯をみんな水に流してーーーーと言っても、お手前不承知かも知れぬ。が・・・・・・こうしている間にも、あれは・・・・・・許してくれ、何でもする!如何ようにも詫びる!芍薬屋の身代あげてもお手前に進上する!」

 長い沈黙の後、玄鳳は「参りましょう!」と言う。 そして彼は薄暗がりの中で、声もなく、物凄く笑った。

 「私は、芍薬屋がどんなに深くお桃を愛しているか、その時はじめて知ったのです。強情我儘、情け知らずのこの男が、子供のように泣く!何というそれは滑稽な姿だったでしょう・・・・・・けれど、例えお桃の心がどうあろうと、吉兵衛と彼の妻との間に、こういう形の愛情のつながりがあることを知ったのは、私にとって驚愕すべき衝撃でありました。私はお桃に対し、はじめて一種の憎しみを感じました。私は吉兵衛のみならずお桃にも復讐の意志がこみ上がって来るのを禁じ得なかったのです」

 語るは玄鳳。聞くはシーボルト。時は文政九年一月二十五日、下関だった。

 芍薬屋に行くと、十ヶ月ぶりに見るお桃は一日半続いた陣痛に血の気を失い半失神状態で開いた両股の下は恐ろしい羊水と血の沼になっていた。股からは新生児の小さな足が一本出ていた。つまり逆子である。

 不思議なことに私は、産室に入る迄に胸中に荒れ狂っていた感情の怒濤を、ふっと忘却していました。あるものは唯、血液と、呼吸と、脈拍と、産婦と、新生児と・・・・・・私はわれ知らず全能力をを上げて、牽出術(エクストラクチオン)を行っていました。もう一方の下肢をひき出し、臀部を娩出せしめ、躯幹から上肢をーーーー。熱汗に霞む眼を上げて、私はその時自分を凝視している産婦の瞳をふと感じたのです。苦悶にわななきつつ、号泣しつつ、しかも張り裂けるほど見開かれた黒い『お桃の眼』!

 「お気の毒だが、これ以上は出ぬ」 ふくれ上がった外陰に、頭部のみをめり込ませて、びくりびくり動いている小さな新生児ーーーその頭と母胎の産道との間で臍帯が圧迫されて、濡れひかる血潮の下で刻々にその身体は紫色に変わってゆきつつありました。

 しかし彼は新生児を取り上げる自信があった。が、なお、「吉兵衛さんーーー残された道は一つ! 赤ん坊の頭を砕くことーーーそれだけが、せめて母親の生命を救う唯一の手段です」と言う。芍薬屋は、「仕方ない・・・」 悲痛に唸り、「お手前の一番よいと思われる道を・・・・・・せめて、女房の命だけは!」

 「あなた・・・」  「お願いでございます。あなた、向こうへ行ってくださいまし」 お桃は吉兵衛に向かって言う。吉兵衛が居なくなってお桃は玄鳳に言う。

 「お懐かしゅう存じます。あなたーーー桃は待っていました。待って、待って、追いつめられて・・・・・・桃には、どうすることも出来なかったのです」 「でも、桃は本望です。到頭、あなたにこう手を取られて、死んでゆく・・・・・・赤ちゃんも、お父様の手の中で死んでゆくのを、きっと喜んでいるでしょう・・・・・・」
「何! この子は!」 「あなたのお子でございますーーー思い出して下さいませ、あなた、あの夜のことを・・・・・・」

 玄鳳は必死になってネーゲレ鉗子を使って子供を取り出し、喀血する。

 「鉗子分娩術から産後の処置、産婦、新生児への手当ーー過失なくやり了えて、こうして私の恋人と私の愛児の生命は救われました!
 勝ったのか、負けたのか、・・・・・・嬉しいのか、悲しいのか・・・・・・なにが何だか分からぬ号泣したいような衝動に・・・・・・」

 シーボルトの前で咳をしながら彼は続けた。「いえ、私は勝ったのです。吉兵衛に対してというよりも、私自身の心の中の悪魔に!私は嬉しいです。私は間もなく死ぬでしょう。が、私の子供はこの世に生まれた。気の毒な吉兵衛は、自分の子供と考えているでしょう。しかし私の恋人は、私の子供にあの美しい乳房を与えて、幸福に育てていってくれるでしょう・・・・・・」

 「私は残り少ない余命をあげて、 (中略) 山に倒れ、野に血を吐き、虫のように旅路を這って、やっとここまでたどりついて、そして御参府中の先生とお会いすることが出来たのです。玄鳳は本望です。唯この上は、先生の御幸福を・・・・・・」玄鳳は喀血して死ぬ。

 「不幸な若者の魂に平和あれ」
 シーボルトが呟いて、ひそかに胸に十字を切った。

 ここで小説が終わるのなら風太郎ではない。この後江戸、本石町三丁目の和蘭陀人定宿長崎屋で、シーボルトは、芍薬屋吉兵衛とお桃に会う。そこで聞く話はまさに大悲劇。血も凍る、反吐が出るようなドラマツルギーだ。最後の結論は書かない。全部書いたらこれから読む人が可哀想だからだ。

 蛇を見て怖がる愛妾お滝を、可愛い女!と思うシーボルトが、最後に芍薬屋婦人に対して、日本の女は!と言わしめるところは、ドラマツルギーの見事さだ。また、その理由も読者を激怒させるような、それでいて納得させられるようなものなのだから凄過ぎる。

 各所に散りばめられた伏線巧みさ。読めば読むほど上手さと風太郎の鋭い人間観察が読者の心を震えさせるだろう。男の純情は何て馬鹿らしく、醜く哀れなのだろう。女の純情は儚くも美しいものなのに。恋における感情の交差や肉体の交わりが、2人の緊張感という微妙なそして危ういバランスの中に保たれている事を風太郎は語っているのだろう。しかし、これほど報われない人生、報われない恋というのもあるのだ。それにしても悲惨だ。

 25日の結果。 ビルバオ。パディージャのウニコ・エスパーダ。耳なし。 アルメリア。エスパルタコ、耳1枚。ペピン・リリア、耳2枚、耳1枚。プエルタ・グランデ。クーロ・ビバス、耳なし。 アルカラ・デ・エナレス。イガレス、耳1枚、耳2枚。ヘスス・ロメロ、耳2枚、場内1周。レヒノ・オルテス、耳2枚、耳1枚。3人ともプエルタ・グランデ。 アルマグロ。ホセリート、耳1枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。フィニート、口笛、耳1枚。モランテ、耳1枚、口笛。 イニエスタ。バレラ、耳2枚。プエルタ・グランデ。イニエスタ、耳1枚。アベジャン、耳1枚。


 8月27日(月)

 考えてみれば玄鳳は、死ぬときには満足して幸福感を持っている。しかし事実は彼が抱いた思いとは全く違ったのだ。こんな物語は読みたくない。が、それを読ませてしまう作者としての風太郎。恐るべし!風太郎!

 また変な事件があった。包丁を振り回している男に威嚇射撃を4発。男はそれでも振り回し警官の上に乗って何度も突き刺し、警官はようやく男を銃で撃った。結果的には2人とも死んだ。もっと早く身体を撃っていれば警官は死ななかったのに。警察の職務規程はどうなっているんだろう。始めに刺された時点で、犯人への発砲は合法だと思うのだが。あんなので死んじゃあまりにも可哀想だ。

 26日の結果。 マドリード。マリアノ・ヒメネス、耳1枚。エル・モリネロ、イニエスタ、耳なし。 バルセロナ。騎馬闘牛士、エウイス・バルデネブロ、耳なし。闘牛士、モレノ、ラファエル・デ・フリア、耳なし。ルイス・ビチェス、場内1周。 ビルバオ。カバジェーロ、、口笛。ペピン・リリア、耳なし。ビクトル・プエルト、耳1枚。 エル・プエルト・デ・サンタ・マリア。ファン・モラ、ポンセ、耳なし。ヘスリン、耳1枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。


 8月28日(火)

 昨日も雨、今日も夕方に雨が降った。一雨毎に涼しくなっていくのだろうか。今日、野田版の歌舞伎を見に行こうと思っていたが叶わなかった。残念だが前のように芝居にもそれほど執着しなくなってきた。勿論野球は91年以来球場へは行っていないし、TVでも中継を最後まで観ることはなくなった。殆ど見ていない。サッカーも中継がないので見ない。中田のセリエAの開幕戦を見たが。毎週見るスポーツは競馬くらいで、それすら、最近は熱が入らない。G1が始まらないとちょっと気分が乗らない。東京に来ないと競馬場にも行かないだろう。

 風太郎に、『狂風図』 と言う小説がある。昭和20年敗戦の前後を恋に絡めて書いたミステリー仕立ての初期の小説だ。

 「−−−人間の歴史には、目的がない。−−−このわかりきった、簡単な真理が、この悲惨な戦争の結果、はじめて僕たちにわかったことは、なんという滑稽だろう・・・・・・」と、女に向かって言う。いくら敗戦直後でもこんな事を言う奴は女にもてるわけがない。風太郎は、『狂風図』 の中でこの戦争のことをこの時期こういう形で一応の処理を仕様としたものと思う。

 初めのエッセイ集、『風眼抄』 の中でも戦中のことなどを書いている。その中で、戦中の断腸亭日乗では、永井荷風が如何に人間離れしていたか他の人の日記と荷風の断腸亭日乗を交互に書いて(まるで 『同日同刻』 のやりからだ)比較している。風太郎は最後に言う。

 「・・・・・・私としては荷風がいかに日本人離れしているどころか、人間離れしているかを例証し、荷風がそれほど日本人から迫害を受けたはずはなく、この非情の性格はまったく先天的なものであり、断腸亭などというけれど荷風が果たして腸を断ったことがあるのであろうか。天皇の前にノコノコと文化勲章などもらいにいって、何が断腸亭ぞや、という疑問を出すつもりであったが、それはそれとしても、ここまで書いてくるに及んで−−−どう見ても狂っているのはやっぱり荷風以外の人間たちであって、荷風こそひとり正気であったことを、改めて驚愕の念をもって、認めないわけにはゆかない」と書き記している。

 狂風図ではなく、『狂風記』 という小説が石川淳にあるが、最近の俺は狂風図、または、狂風記のように風に狂っている。そう風に。風とは、つまり、山田風太郎だ。

 さあ、明日は何を読む。『風眼抄』 の続きと忍法帖の読みかけにでもしようか。

 バジャドリードのカルテルをアップした。

 日曜日、ラス・ベンタスでマリアノ・ヒメネスが耳を取った。92年の6月にとって以来のはずだから9年ぶりの耳だ。一時思うように闘牛が出来ず、闘牛場で癇癪を起こして引退宣言をしたが去年から復帰、今度の耳に繋がった。何故だろう、僕はラス・ベンタスで実際プエルタ・グランデをした闘牛士を忘れることが出来ない。日曜日にやる観光客のための闘牛でプエルタ・グランデは殆ど同列に扱うことは出来ないが、それでもマリアノは満員の中でもプエルタ・グランデだったので価値がある。来年は久々に観れるかなマリアノを。

 26日の結果。 アルカラ・デ・エナレス。オルドニェス、耳2枚。モランテ、耳なし。 カラオラ。ルギジャーノ、耳1枚、罵声。パディージャ耳なし。アルベルト・ラミレス、罵声。 コルメナール・ビエホ。クーロ・バスケス、罵声。オルテガ・カノ、場内1周、耳2枚。ペドロ・ラサロ、耳なし。 イニエスタ。エル・コルドベス、耳2枚。エル・カリファ、耳2枚。エウヘニオ、耳2枚。3人ともプエルタ・グランデ。

 27日の結果。 コルメナール・ビエホ。ポンセ、耳1枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。ヘスリン、耳1枚。ヘスス・ミジャン、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。 クエジャール。ルギジャーノ、耳2枚。プエルタ・グランデ。フィニート、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。モランテ、耳なし。


 8月29日(水)

 昨日の『プロジェクトX』は北の鉄人をやっていた。富士製鉄釜石が八幡製鉄と合併して新日鐵釜石へ。ラグビー部存亡を賭けた戦いが始まる。のちに前人未踏の日本一7連覇を達成するが、その前の始めての日本一に関係した市口監督、干場、瀬川、元選手をを呼んで番組は進んだ。視聴率だけを考えるなら7連覇当時活躍した、小藪、森、松尾の歴代監督を中心にやっていけばいいだろうが、釜石という風土が希薄になる。スター選手の殆どが大学からスターだったからだ。

 東北の高校での選手が叩き上げで力を付け大学生相手に連覇していった様はまさに壮観だった。釜石が出てくるまでは社会人と大学は五分の戦いだった。番組では展開ラグビーを強調していたが、それを支えた強力なFWの殆どが東北の高校出身者だった。瀬川もその中にいたが、死んでしまったプロップの洞口や、フッカーの石山、小笠原、NO8の千田など、の多くが高校時代無名選手でしめられ、釜石に入ってから全国にその名が轟く選手になっていった。

 バックスでも、FBの谷藤のような走力のある選手を選手を輩出した。ハンドリングの上手さは釜石ならでは言われたものだ。もう全部の名前を思い出せないくらい数多くの名選手がいた。市口さんたちがやった釜石強化策は、70キロのFWでスクラムが組めるようにするところから始まったとと記憶する。それから80キロのFWへ。その基礎があって始めて安定した玉出しが出来、展開ラグビーが出来るようになった。

 今は高校生でも80キロFWなんて珍しくもないが、当時の社会人チームで70キロ、80キロは、なかなか難しかった。全日本でも80キロFWがクリアされていなかったかも知れない。番組を見ていて思ったが、日本のラガーマンは凄い。何年にもわたって本場イギリスのラグビーの本を英語で読んで、理論を研究している。市口さんだけじゃない、早稲田の大西鉄之佑などもその口だし、日本人にあったラグビーという意味では未だに大西理論を越えるものは出ていないような気がする。

 東北の田舎町に、ラグビーをこよなく愛する人たちが居る。不況の町をラグビーで勝つことによって勇気を与えた人たちが居る。今年からチームは新日鐵釜石を名のらない。不況で会社が廃部にしたからだ。釜石市民はチーム存続のために立ち上がった。10日間で市民の4割の署名を集め市民チームとして再出発した。チームをサポートする市民が言った。「今までは、みんなに勇気を与えてくれたけど、今度は俺たちがチームを支えていがねどなぁ」

 市民にとって、ラグビー部の栄光は永遠なのである。

 この前、本屋に行ったらNHK、『プロジェクトX』 が本になっていた。もう7,8冊出ていた。それに、ビデオにもなっていた。あの感動のシーンが本やビデオで観れるというのは嬉しいことだ。

 サン・セバスティアン・デ・ロス・レジェスの、エンシエロで、11人がコヒーダされた。あそこは坂が多数あるためにそこでやられる。パンプローナよりも死人が多く出る所だ。ホセ・トマスが、明日、リナレスで復帰する。

 28日の結果。 アルカラ・デ・エナレス。エンカボ、耳1枚。エル・ファンディ、耳2枚。プエルタ・グランデ。ラファエル・デ・フリア、耳2枚。 コルメナール・ビエホ。カバジェーロ、口笛。ビクトル・プエルト、耳1枚。エル・カリファ、耳1枚。 リナレス。オルテガ・カノ、罵声。ヘスリン、耳1枚。オルドニェス、耳1枚。 サン・セバスティアン・ロス・レジェス。エスプラ、耳1枚。ホセリート、耳1枚。ポンセ、耳1枚。


 8月30日(木)

 風太郎は、江戸川乱歩と横溝正史を尊敬していた。それは自分が書けない本格派推理小説を書くからだ。と言っても、乱歩はその独特な世界で読者を圧倒し、死んでからも未だに色褪せることなく読まれ続ける戦前の、『二銭銅貨』、『悪霊』、『パノラマ島奇譚』、『屋根裏の散歩者』、『人間椅子』、『陰獣』と言った乱歩ワールドを、そして、戦前の人間嫌いが、戦後には好々爺となって日本の推理小説作家の発掘に尽力したした姿を尊敬した。

 乱歩先生が居なかったら自分は推理小説を書き続けなかっただろうと、言う。

 一方、溝口正史のことは、『本陣殺人事件』、『獄門島』、『蝶々』など、元来は本格推理小説など受けつけないたちの素人をもひきずりこみ、充分に魅惑し、陶酔させてくれる。この魅力の根源は、『本陣』以前の横溝先生の諸作品、例えば『鬼火』などから発し、それがみごとに精緻な本格物と融合した点にあるのではないかと思われるが、しかし同様にその種の文学的力量を具えていられた乱歩先生にしてついに成功されなかったところを見、また横溝先生以降を思うと、やはり日本推理小説史上、他にあり得そうであり得ない稀有の存在であるといわざるを得ない、と。

 「乱歩先生は異常と思われるほど本格を鼓吹されたけれど、実作上ではついに本格派ではなかった。これを作品の上でみごとに大輪に開花された人が溝口先生であると思う。」と、風太郎は言う。

 風太郎は、江戸川乱歩と同じ七月二十八日に、横溝正史と同じ79歳で死んだ。風太郎は、尊敬する2人の作家と同じように死んだ。『人間臨終図巻』のその部分を読み返すと乱歩と同じパーキンソン氏病症候群を患い、横溝と同じように、病後「半身というべき夫人に手を握られたまま息をひきとった」ものと思われる。まさに大作家は、大作家の如く死んで逝った。

 昨日、ネット上でマガジンハウスの風太郎特集をやっている本を買おうとしたが、カードが向こうで使用できる物でなかったので、今日、マガジンハウスにTELしたところ、直販はやっていないので本屋を通して注文をすれば在庫がありますので手元に届きますと言うことだったので、早速注文した。

 リトルリーグ世界一になった東京北砂リーグのチームが日本に帰ってきて、小泉首相と会った。少年たちは会ったあと報道陣に感想を聞かれ、「新庄選手と会ったときの方が、緊張した」と言ったそうだ。一国の最高責任者に会うよりも、野球少年にとっては、大リーグで活躍する新庄の方が憧れの対象だからだろう。

 ホセ・トマスがリナレスで復帰。耳3枚を取る。エル・フリは明日、サン・セバスティアン・ロス・レジェスで復帰する。

 29日の結果。 サン・セバスティアン・ロス・レジェス。カバジェーロ、耳1枚。ハビエル・コンデ、耳1枚。エル・カリファ、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。 リナレス。ホセリート、耳なし。ホセ・トマス、耳1枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。モランテ、口笛。 コルメナール・ビエホ。フィニート、罵声。エル・コルドベス、耳1枚。アベジャン、耳なし。 タラソナ・デ・アラゴン。オルテガ・カノ、耳1枚。バレラ、耳2枚。プエルタ・グランデ。ハビエル・カスターニョ、耳なし。


 8月31日(金)

 風太郎が死んでから風太郎の本ばかり読んでいる。主に、インタビューやエッセイだが、そこで一つ疑問が沸いた。知っている人が居たら是非教えて戴きたい。それは風太郎と5歳違う妹のこと。殆ど記述されていない。日記にも書いていなかったような気がしますが。記述は、『風眼抄』の中に、「父が死んですぐそのあとで生まれた妹」と書かれてある程度だ。そして、気になるのは、こんな夢を見た、と言って「それは、年齢不詳の私が、汽車に乗ってゆくと、ホームに、五歳の時に死んだ父と、十三歳の時に死んだ母が待っていた。それは、あかあかを夕日のさした、屋根もない田舎のホームで、それから三人は人影もない夕暮の村道を横にならんで歩いていった」と、何故か、妹がここには欠落している。こんな夢で死んだときの両親が居るのに妹が居ない。どう考えても可笑しいと思うのだ。

 「僕の同僚で風太郎のファンが居て、その人は子供に風太郎って名前を付けた人が居る」と片山先生が言っていたが、同僚と言うことは、慶応の大学教授だから凄いファンもいる物だと、感心した。

 株価が11000円を割った。ニューヨークも大幅な下げが続いているので10000円を切るのも時間の問題だろう。

 30日の結果。サン・セバスティアン・ロス・レジェス。アルベルト・エルビラ、耳なし。ホセ・トマス、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。アベジャン、耳1枚、場内1周。 リナレス。ポンセ、耳2枚が2回。フィニート、耳1枚、罵声、耳2枚。2人ともプエルタ・グランデ。 タラソナ・デ・アラゴン。ヘスリン、耳1枚。パディージャ、耳1枚ともう1枚要求。モランテ、耳なし。


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