断腸亭日常日記 2001年、スペイン日記 その2

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、のスペイン滞在日記です。

99年1月13日〜2月16日 2月19日〜4月14日 4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日
6月7日〜6月10日 6月13日〜7月9日 7月11日〜8月8日 8月9日〜9月9日
9月12日〜10月7日 10月10日〜11月10日 11月14日〜11月28日 12月12日〜12月31日
2000年1月1日〜15日 1月16日〜1月31日 2月1日〜2月28日 3月2日〜3月29日
4月2日〜4月19日 4月20日〜4月29日 5月1日〜5月14日 5月15日〜5月31日
6月1日〜6月15日 6月16日〜6月29日 6月30日〜7月15日 7月17日〜7月31日
8月1日〜8月15日 8月16日〜8月31日 9月1日〜9月15日 9月16日〜9月30日
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2001年1月1日〜1月13日 1月14日〜1月31日 2月3日〜2月12日 2月13日〜2月26日
2月27日〜3月10日 3月11日〜3月31日 4月1日〜4月18日 4月19日〜5月3日
5月4日〜5月17日

 5月18日(金)

 昨日は期待はずれの闘牛だった。ベンタスでは良くあることだ。ソルに座ったせいもあるが昨日は暑かった。段々これから暑くなってきそうな感じになってきた。闘牛も暑くさせて欲しいがそうならなかった。終わった後、須美さん、番長、Mさん、Wさん、と話したが腰が引けたオルテガ・カノの話をしていた。Wさんが、「みんなが良いって言ってたから期待してたのに。全然だもの。ガッカリした。」と言っていた。番長は、「しっかり応援しないからダメなんだ」とWさんに言っていた。

 自分が好きになった闘牛士は最後まで好きでいなさい。番長はそう言う風に思っているのだろう。そう言うところが良いよな番長は。あれはからかっているにでも何でもない。そして話は18日の事になった。須美さんは早退して早めに来ると言い、Wさんは早退して車でベンタスまで送って貰うと言っていた。帰りのメトロで番長に「パセイージョ終わったらホセ・トマスに拍手が起こるんじゃないですか」と言うと「2年ぶりだからな。起こるなきっと」 「それだけみんな期待してるんでしょう」 「多分凄いよ」と番長が言った。

 新聞では今日の闘牛の切符は1枚10万ptsすると書いていた。TVでは、もっと高いことを言っていた。今は天気。さぁ、どうなる。


 5月19日(土)

 これからアトーチャに向かう。ヘレスに、フィニート、ホセ・トマス、モランテを見に行くためだ。昨日はホセ・トマスが良くなかったのでその気も半減だが、どういう闘牛をするのか見届けてきたい。さぁ、行かなくちゃ。


 5月20日(日)

 ヘレス行きの列車の中でセビージャを過ぎてからようやく気付いた。パスポートを忘れてきたことを。牧ちゃんと一緒だったのでヘレスに着いてからバス・ターミナルを聞いたり、列車の時間を調べたりした。予約してあったオスタル行って聞いてみたがやっぱりダメだった。それからセビージャ行きのバスを調べると最終が23時。これなら闘牛観てからで充分間に合う。下山さんにTELして繋がらないので取りあえず昼飯にした。

 食い終わってからTELしたら繋がり泊めてくれると言う。ありがたい。何か安心して、それから闘牛場に向かった。ちょっと早かったがタキージャには、ノー・アイ・ビジェテと書かれていた。それもご丁寧にソルにもソンブラにも。何で切符がないのか判らない。去年はホセリート、フィニート、ホセ・トマスで1時間前くらいでも切符はあったのに。バルに行ってTELを借りようとして入ったらスペイン人に捕まった。

 どうも、日本人が好きな人たちのようで、「ヘイシャ」と言っている。初め何かと思っていたら「芸者」のことだった。GEISHA の綴りはスペインでは、「ヘイシャ」になるわけよね。ヘレスを2杯も奢ってくれた。彼らはヘレスとカディスの2人組で警官だった。写真も見せてくれたので多分本当だろう。ヘレスには普段は泥棒はいないがフェリアの間は気を付けろと言っていた。何度もフェリアに一緒に行こうと言っていたがこっちは闘牛を見に来ているのだ。ちゃんと断って闘牛場に行った。

 もう、30分前。ダフ屋を探したがそれらしい人間がいない。焦っていると近くで一般人が余った切符を売り始めた。それでも正規値段より高いようだ。ソンブラ9000を15000と言う奴がいたので10000なら買うというとダメだと言っていた。そんな金出せるか。そしたら横にいたスーツ姿の若者が、「ソル、ソンブラどっちが欲しい」と言うので「ソルが欲しい」というと5000を7000というので考えたが、「10000しか持ってないよ」というと3000お釣りを出した。

 まぁ、良いかと思って席に行くと横はその若者だった。見終わった後、「お前写真取っていたけど3人の闘牛士の写真をくれよ」と言って名前と住所を紙に書いてよこした。何処が欲しいんだと聞くと、「カポーテが欲しい」と言うことだった。2000儲けさせた上に写真か。送るかどうかは判らない。気分次第だ。

 夕飯はちゃんとしたものをレストランで取って余裕でバスに乗ってセビージャの下山さんの所へ。0時半頃着いて話をしたり闘牛のビデオを見たり。ホセ・トマスのボルサが破けて睾丸が出ているビデオを見せて貰った。自分の事じゃないけど背中とか尻の辺りがゾックッとした。睾丸から繋がって出ている精液を送る管がクルクル丸まって出ていた。その状態でファエナを続ける。ホセ・トマスって人間じゃない。そんな状態のコヒーダをされているのにちょっと痛そうな顔をしても刺された場所を見もしないし、触りもしない。信じられない闘牛士。君は一体何者なんだ!驚異的だ。

 そんなビデオや18日のベンタスのカバジェーロ、ホセ・トマスを観て闘牛の話をした。遅く来て遅く寝るのは下山さんの体に負担をかけることなので早く寝るようにしたが寝たのは2時過ぎだった。7時過ぎには起きてネットしていた。俺は7時半過ぎに起きて様子を見たがちょっと顔色が悪かった。駅には来ない方が良いと思った。コーヒーを入れて飲んで今度来るときの話をちょっとして駅に向かった。

 ヘレス行きはチョンボから始まった。そんな失敗が大きな失敗にならないように気を付けよう。今日はベンタスにボテが出る。


 5月21日(月)

 ヘレスから帰ってきて飯を食い18日の続きと19日のヘレスの観戦記を書き上げてアップしようと思ったらADSLが故障中という。ガッカリしていたらなんと故障ではなく接続コードが外れて接続できなくなっていたのだった。闘牛場に行く前にアップできずに帰ってきてからのアップだった。それから、20日の観戦記を書き上げてアップしたのが1時を回っていた。日に3本も観戦記を書くのはしんどいよな。

 セビージャで下山さんの所に泊まったらウーゴが異常に喜んで前脚を上げて顔めがけて飛んでくる。そして下で顔を何度も舐めるのだ。犬の愛情表現は単純明快。人間の愛情表現にも”舐める”と言う行為はあるがあれほど直接的であからさまではない。スペインのTVCMで確かアイスクリームのものだったと思うけど、椅子に座った男に女がまたがって抱きつき、ほっぺたを舐めるのがあった。あのCMを見るとウーゴの目と舌を思い出す。人間も時にはウーゴのように素直な感情表現をしなければならないときがある。

 昨日のベンタスのプエルタ・グランデは、あまり感情を刺激させられるものではなかった。しかし、あれは間違いなしの、当然のプエルタ・グランデだった。あれだけのファエナをして尚かつ剣もしっかり決めたのだから文句を言う奴はおかしいのだ。闘牛士が好きか嫌いかの話は全く別の話なのだ。良い仕事をした闘牛士は賞賛されるべきなのだ。昨日感動的なシーンが合ったとすれば、それは、家族の涙だろう。観戦記にも書いたので重複は避けたい。

 テレマドリーでは、サン・イシドロ期間中、土日を除く月曜から金曜まで11時15分頃から15分間前日のサン・イシドロの事をモンチョリがゲストなのを交えて放送している。今日はラファエル・デ・フリアが来ていた。グラン・スエニョを手に入れた男の顔はすがすがしかった。牛が良かったと言っていたが牛をちょんと動かした技術は立派だ。感動はなかったが素晴らしいファエナだった。

 今日はノビジェーロ。バルタサル・イバンの牛と、セルヒオ・アギラールを注目している。去年あんな大怪我をしたノビジェーロだ。どんな闘牛を見せてくれるのか、それが彼の生き方だと思うので注目している。耳取れなくても昨日のエンカボのように良い仕事を見せて欲しい。

 18日ヘレスではパディージャがトレアルタ牧場の “イングレシト” と言う牛を インドゥルト した。下山さんは新聞にはインドゥルトに値しない牛だったと書いてあったという。19日ラス・ベンタスで騎馬闘牛士、パブロ・エルモソ・デ・メンドーサが1頭目の牛で闘牛中に馬ものとも引っかけられて落馬。左手首辺りを骨折。牛に踏まれ右足も骨折した。しばらく闘牛は出来ないだろう。名馬 “カガンチョ” が出る前の2本目を刺すときに起こった事故だった。彼は2分も牛を相手にしていなかっただろう。


 5月22日(火)

 昨日の午後、まどろんでいるとTELがなった。留守電が作動して電話の主が「斎藤さん、斎藤さん・・・」と声を出した。慌ててTELに出ると堀越さんからだった。今日安く切符が手に入ったから闘牛終わったら会いましょう、と言うことで終わった後に会った。三木田さんの奥さん、林さんと、堀越さんとフラメンコ姉ちゃん。闘牛場の前でちょっと立ち話。三木田さんと林さんは今日は帰ると言って帰り、3人で中華に行って飯を食った。ここの所毎年来ると堀越さんにあって闘牛の話をする。

 メトロの中でホセ・トマスの話になった。だから、下山さんのところで見た去年のリナレスの話をした。ボルサが破けて中の睾丸とクルクル丸まった管が服からはみ出てもファエナを続けて耳を取った話を。コヒーダされたときも、傷口を見も触りもしなかったことを。ああ言うところを刺されたら男として耐えられない恐怖を抱くものなのに平気でいる。鈍いというか何と言ったらいいのか判らない男だ。

 その話をしたら、「だからかなぁ。セビージャ行ってもホセ・トマス、ホセ・トマスってみんな言ってたよ。そんなに凄いんだ。」 「恐らく、闘牛士史上最高の闘牛士でしょう」と言った。店に着いてからセサル・リンコンの話になった。長いこと追っかけて闘牛を見続け闘牛を教えて貰った偉大な闘牛士だ。セサルはもうアレナにはいない。病気と闘っている。いくらホセ・トマスが最高の闘牛士であると判っていても、追っかけの対象にはならない。

 何故ならば、何も知らない時にこの人について闘牛を観れば闘牛が判るだろうと思って追っかけた闘牛士には真っ白な状態だった紙に線が引かれ色が塗らて行くときの新鮮な気持ちと驚きの数々があった。それは常にセサル・リンコンと共にあったからだ。だから、もう闘牛を知ってしまった今はいくらホセ・トマスが良くても付いていく気になれないのだ。堀越さんもフラメンコに例えてその事を理解したようだ。

 そんな話をしたら思い出した。10年前の昨日。つまり1991年5月21日。セサル・リンコンはバルタサル・イバン牧場の牛で耳2枚を切ってベンタスで始めてプエルタ・グランデをした。昨日はノビジェーロだったが牛はバルタサル・イバンだった。セサルは今頃田舎の自分の牧場にこもって節制して治療を続けているだろう。あの病気は死に至る病気なので心配している。あの日から10年。セサルが教えてくれた感動を胸に生きてきたような気がする。昨日のバルタサル・イバンの牛も良い牛だった。あの日のように。

 昨日70歳のお婆さんからメールが来た。今年のセビージャのフェリアで始めて闘牛を観て興奮して闘牛が好きなりましたと書かれてあった。5月6日の観戦記を読んで闘牛見たときに判らなかった事が納得できましたと、あった。何だか嬉しいメールだ。こういうのがネットの良さなのだろう。そして70歳になって闘牛に感動するって言う感性は素晴らしいなぁと思った。真っ当に生きて来なかったら闘牛見て感動しなものなぁ。

 6月のアリカンテ、バダホス、8月のビルバオのカルテルが発表になった。そのうち書こう。


 5月23日(水)

 昨日闘牛場へ遅れていった。着いたのが19時5分。闘牛場の中へは入れたが席へ行く門は閉められていた。バルの所にあるTVでエスパルタコを見ているとEさんがやってきた。話を聞いたら17,18日とダフ屋から切符を買って見たのだそうだ。18日のマヌエル・カバジェーロとホセ・トマスを観て鳥肌が立って今闘牛にハマッているのだそうだ。全部斎藤さんのHPからの受け売りですがと、言っていた。僕のHPを何時間も見ているらしい。凄いことだねそれって。22日の切符もフリが出るので初めは高い値段(10000pts)を言われていたらしいが、19時を回ってダフ屋に、「もうこんなに過ぎているんじゃない」、と言うと、「5000でどうだ」、「それは高い」、「お前はいくらなら買うんだ」、「1000なら買うよ」、「じゃ、2000でどうだ」、「2000で買おう」と言うことで正規値段が1500いくらの切符を2000で手に入れたと言っていた。

 段々ダフ屋との交渉の仕方が判ってきましたと嬉しそうに言っていた。何とか6月1日の切符を手に入れようと思って公営ダフ屋を色々回ったんですが、やっぱりなくて。大変ですね1日は。でも、Eさんは偉い。22日の切符を2000で手に入れるなんて尋常じゃない。ダフ屋をそこまで手玉に取るのは恐れ入る。そう言う日本人が増えてくれたらダフ屋の値段も下がってくることだろう。

 エウヘニオが良いファエナをした。Eさんは彼のパセ・デ・ペチョの凄さが判っただろうか。コヒーダされて耳2枚。疑問の残る2枚目だったが良い仕事だった。あれは耳1枚+コヒーダの分の耳1枚なのだろう。早く復帰してまた良いファエナを見せて貰いたい。昨日はコルドバでもエル・カリファがコヒーダされて重傷を負った。今年はエル・カリファを観れずに日本に帰ることになりそうだ。

 一昨日辺りからTVでミラノからの中継を流している。今日決勝を向かえるヨーロッパチャンピオン・カップ。決勝に出るバレンシアのファンはもうミラノに集結しているようだ。空港からミラノに向かうファンや関係者のインタビューや映像を流していたが、バレンシア近郊のチバ出身の闘牛士エンリケ・ポンセもミラノに行ってバレンシアを応援するみたいだ。20時45分開始。中継は20時半から始まるが、闘牛終わって帰ってきてからTVで未だやっていたら見るだろう。

 今日はゴメス・エスコリアルが骨折のために出場できず代わって、エル・シドが出る。


 5月24日(木)

 エル・カリファのコルナーダをTVで見た。右足の太股に刺さった角が、牛がそのまま首を上げたためにより深く刺さりそこにカリファの全体重がかかっていた。その一振りで角は抜けたがアレナに倒れたカリファの足からは血が噴き出していた。直ぐにみんなに担がれて医務室に向かった。多分動脈が切れていただろう。Grave と発表されていたが、Muy Grave に変更された。昨日の時点で回復に約25日間かかると伝えられた。あれで神経などが切れていたらもっと深刻な事態になっただろう。

 昨日は闘牛場で20時48分頃、「ゴール」という叫び声が響いた。ヨーロッパチャンピオン・カップ決勝でバレンシアの先制ゴールに喜んでのことだ。しかし、闘牛場で闘牛観に来てホセリートがムレタを持って牛を相手に命を懸けているときにそれはないだろうと僕は思う。そう言う人は家でTVを見ていればいいじゃないか。わざわざ闘牛場まで来てゴールに喜ぶのは、闘牛士にとっても闘牛ファンにとっても甚だ迷惑極まりない。サッカーファンは行儀が悪いし、闘牛の危険さを知らない。腹が立ってくる。

 最近は昼か闘牛場に行く前にHPの日記を書き上げてアップし、闘牛から帰ってきてから観戦記を書き上げてアップするパターンになっている。たまに掲示板への書き込みもする場合があるのだが。そう言うときにメールをチェックする。昨日はTV番組の制作しているという人からメールが届いた。マニアの紹介で、僕のことを取材したいと色々書いてきた。僕はそう言うのには出たくないし、時間もないし、色々問題もあるのでお断りした。俺なんかを紹介するより闘牛をちゃんと伝える番組を作って欲しいものだ。

 三木田さんにTELしたら段取りしなきゃならないことが出来た。中崎君、米ちゃんにもTELを入れた。みんな元気だ。

 6月9日にアビラでホセ・トマスが闘牛をする。どうしてその日なの。ベンタスでビクトリーノ・マルティン牧場でマヌエル・カバジェーロが出る日にアビラで闘牛をしないで欲しい。他には、マノロ・サンチェスとエル・フリが出る。


 5月25日(金)

 昨日のモランテのレシビエンドについてはスペイン人の中にも賛否両論があったようだ。僕はやるべきでなかったと思っている。何故ならば根拠が必要になってくるはずだと思うからだ。過去にかなり高い確率で成功していたのなら試みて失敗しても納得できるが、去年見たときには何度も試みて失敗ばかりしていた。それなのに何故あの場面で成功率の高いいつもの殺し方であるボラピエをやらなかったのかどうしても疑問に思うのだ。チャンスの時にきっちりプエルタ・グランデを決めておかないと次のチャンスの時も逃しそうな気がしてならない。

 終わって、Mさん、番長、榎本さんと立ち話。須美さんたちはいなかった。番長や榎本さんはモランテの1頭目は良くなかったと言っていた。理由は牛がパセの時に遠くを通っていたからと言う。2頭目の時は、クルサードもちゃんとしていたしパセの時に牛を体の近くを通していたのでずっと良いと。Mさんは、1頭目の方が良かったという。理由は、ムレタを最後まで振り切ってパセしていたから。この辺になるともう好みの問題になってくるような気がする。

 レシビエンドについては、榎本さんは自信がなかったからやったんだ、と言っていた。僕は?を感じた。Mさんは耳2枚を確実にするために試みたという意見だ。帰りにMさんと食事した。闘牛のことや他のことも色々話した。TV取材の事も話した。そうしたら、Mさんは番長とかを紹介すれば良かったのにと言っていた。言われてみればそうかと思った。Mさんはしきりにスペインに住みなよ、仕事なんか何とかなるって、と言っていた。そうしたいのは山々だが今はその環境にないと思っている。

 ともあれ、昨日のファエナでモランテの名は益々全国に知れ渡った。後は結果を残し行けば良いだけだ。怪我をしないように最善を尽くして欲しい。

 26日のアランフェスはエウヘニオに代わって、ラファエル・デ・フリアが出場する。26日ベンタスには、パブロ・エルモソ・デ・メンドーサに代わり、レオナルド・エルナンデスが出場する。

 昨日コルドバでは、フィニートが耳2枚。ホセ・トマスが耳1枚。ニームでは、ヘスリンが耳2枚。フリが耳1枚、耳1枚、耳2枚と尻尾1つだった。

 次のTVEの闘牛中継は29日のラス・ベンタスの予定。6月3日は、テレマドリーでラス・ベンタスの予定。


 5月26日(土)

 闘牛規定に則って、昼に闘牛場に行き今日の騎馬闘牛の切符を払い戻してきた。これは、予定されていたパブロ・エルモソ・デ・メンドーサが骨折のために出場できなくなったので払い戻しが出来るためだ。みんなパブロ・エルモソ・デ・メンドーサを見に来るのに彼が出ないなら払い戻しした方が良い。帰りにコルテによってフィルムを現像に出し、出来上がったフィルムをとった。そしてジャック・ダニエルを買ってきた。

 夕方、米ちゃんとあって27日の切符を渡す。そのまま夜行でバルセロナに行き、ホセリート、ホセ・トマス、モランテを見てくる。帰ってくるのは28日の朝。一昨日辺りから暑くなってきた。例年に比べて10日以上遅く暑くなってきた。春がなく、いきなり夏が来る。

 こっちに来てTELでしか話してなかった中崎君に会って話した。今は版画の方も習っているようだ。ヘスリンの2頭目の距離の取り方について説明した。観戦記に書いたとおりなので省く。闘牛の話は尽きない。気が付いたら12時近かった。帰ってきて観戦記を書き上げてアップした。

 朝3本TELをした。下山さんは、ウーゴと友達と散歩に出かけていなかったが、まゆみさんがいた。まゆみさんも元気そうだったし、下山さんも元気になっているようだ。鼻水は未だ続いているようで鼻が垂れて来るみたいだ。まゆみさんが言っていたが、「男でも女でも子供は闘牛士にする」と、下山さんが突然言い出しているそうだ。アベジャンのような闘牛士になれたら良いだろうなぁ。セビージャに行く前にやはりマドリードに診察に来るようだ。バルセロナから帰ってきてからTELを入れよう。

 ネットではダービーの枠順と前売りのオッズが出ている。後3年で引退する渡辺栄調教師。愛弟子の角田騎手を鞍上にジャングルポケットでダービー制覇を狙う。多分バルセロナで朝食を食べ終わった頃に結果が分かるだろう。マドリードに帰ってきてからか、それともバルセロナでインターネットカフェにでも入って結果を見ようか。


 5月28日(月)

 アメリカの証券会社メリルリンチ社のマークは、牛だ。アメリカでは、株式市場が強気に動いているときは、“牛”で表し、弱気になっているときは、違う生き物で表すのだそうだ。それが何だったかを忘れてしまった。メリルリンチが社章に、牛を使っているのはそう言う意味合いがあるようだ。だからといって強気相場の時だけ儲けている会社だったらとっくに倒産しているだろう。株価が下がっても儲けを出すのが証券会社なのだ。日本の会社とは違うのだ。

 負けるはずがないと思っていたダービーで、ジャングルポケットが快勝した。18番から内を通って直線で抜け出したと言う。角田。そう言う騎乗が出来たって事が成長なのだ。これまでは大外通って直線一気だったのに、全く違う騎乗じゃないか。もし渡辺栄厩舎に入っていなかったら売れない騎手で終わっていたかも知れない。競馬学校を卒業して厩舎に来たとき、テキ(調教師)が、「これからはどんなことがあっても、あんちゃん(新人騎手。この場合は角田を言う)に乗せる。今まで4勝出来ていたところが2勝になるかも知れない。1勝になってもあんちゃんを乗せ続ける。その代わりあんちゃんが上手くなったらもっと勝ち星が上がるだろう。みんなはそのつもりで仕事をして貰いたい。今まで以上に馬を大事に手入れしてあんちゃんの負担を軽くしてやって欲しい」

 厩舎に来た角田が厩務員など厩舎の人たちに会って紹介したときに言った渡辺栄調教師の言葉だ。戸山さんと同じで、馬作りは人作り、を地でいっていた。僕はこの爺さんが好きだ。農家に生まれ、ガキの頃から牛や馬の世話をして長男ではないので仕事は牛か馬に関係した仕事をしたいと思い、選んだのが競馬だった。理由は、「牛の匂いより、馬の匂いの方が好きだから」と言う非常に生活感溢れるコメントを残しているからだ。こういう人は人間として信用できるからだ。

 出会いは、人の人生を変えてしまう。角田。夏を無事過ごしまたあきに2冠目を目指せ。そして、打倒タキオン。有馬ではオペラオーも待っている。

 バルセロナは、フリが出ないので切符は買いやすかった。ソルのバレラ(3列目)が買えた。ダービーが気になったのでネットをしたのだが日本語のHPが観れなかった。それを言うとインストールするように言われ実行したが出来ないようになっていた。仕方ないのでJRAのHPを見た。文字は化けるが、張り付けてある所は観れる。数字さえ判れば優勝馬が判るのでジャングルポケットが勝ったのが判った。

 ついでに言えば、レアル・マドリードも勝ってリーグ優勝を決めた。そんな日にマドリードにいなくて良かった。うるさくて嫌だからだ。チャマルティンに行く途中、サンティアゴ・ベルナベウを通ったがレアル・ファンが乗っていたので試合はマドリードであったようだ。

 今日はこの辺にしておこう。バルセロナの観戦記も後から。


 5月29日(火)

 地下鉄の階段を上って外に出たら37度だと言う、声が聞こえた。暑くなってきた。30日までは、ソルでMさんと一緒に見る。席に行くと日差しの暑さが体を直撃する。隣のお爺さんが今日は1人か?と聞くので、判らない。未だ来ていない。と、言うと直ぐMさんがやってきた。闘牛はフィニートだけがちゃんと闘牛をしていた。問題になった6頭目の牛のバンデリージャ。初めのバンデリージャでは、ファン・デ・ロス・レジェスが角の5cm前でバンデリージャを打った。ギリギリで危なかった。その時、フィニートはカポーテを振って牛を離した。ちょっとだけ遅かったが。

 テンディド7の観客はフィニートを批判した。しかし、その時からフィニートと共にキーテに入っていたヘスリンの第3バンデリジェーロのエミリオ・フェルナンデスは何もしなかった。2回目のバンデリージャの時もフィニートはキーテに入ってバンデリージャを打つバンデリジェーロを牛から離した。その時も、牛から逃げてくるバンデリジェーロと同じ方向にエミリオ・フェルナンデスは走った。本当は反対の方向に行かなければならないのに。

 そして、3回目の時にファン・デ・ロス・レジェスがバンデリージャを打ったときにコヒーダされた。フィニートは一緒にキーテに入っているエミリオが何もしないことを知っていた。キーテの全責任が自分に掛かることも判ったはずだ。だから、牛の真後ろに立って打ちに行ったファンの動きを見ながらキーテに行って牛を離そうとした。振られたカポーテを牛が見たがもう1度コヒーダされてひざまずいているファンに一撃を加え体が上に跳ね上げられた。フィニートはもう1度カポーテを振って今度は牛を引きつけて遠くに離した。

 テンディド7は、まるでコヒーダされたのがフィニートのせいのような騒ぎ方だった。コヒーダされたのはファンが勇気も技術もあり、危ないのを判っていてあえて牛に向かっていったからだ。だから、ファンの勇気を讃えるべきだし、それを助けに入ったフィニートも同じように讃えるべきなのだ。それをテンディド7は全ての責任はフィニートにあるような批判の仕方だった。あれでは闘牛をやってられない。何もしなかったエミリオは最低の奴だ。あいつをアレナの中に立たせること自体が犯罪に等しい。

 Mさんと俺はフィニートは悪くないと思っている。闘牛が終わって出ていくと番長、須美さん、などがいた。彼らはテンディド7でいつも見ている。口々にフィニートが悪いと言っていた。だから、Wさんに、上記のことを説明すると彼女は黙ってしまった。反論の仕様がないからだろう。

 今日の朝は下山さんにTELした。その事を話すために。「闘牛を知ったかぶりしている変なファンの悪い影響を受けていますね」と、下山さんは言っていた。それでもTVで新聞記者がフィニートはプロフェッショナルじゃないと公言していた。新聞記者まで馬鹿だ。ちなみにTV中継していたロベルト・ドミンゲスはフィニートがカポーテを振ったのに牛が反応をしなかった。と、言ったそうだ。その通りだ。ロベルトの目は正しい。

 バルセロナに行く夜行は、“イビキ”の二重奏だった。おかげで疲れた。15時頃あまりの眠さにサンツ駅のベンチで帽子で顔を隠して寝てしまった。2時間位したら警備員に起こされた。汚い格好をしていると危ない目に会わないのかな。


 5月30日(水)

 暑い日が続いている。昨日寝ようと思ってTVを付けていたら、テレマドリーで何やら見たことのあるシーンが画面に映った。フェイ・ダナウェイが出ている 『俺たちに明日はない』 をやっていた。銀行強盗をして逃げるときに流れるバンジョーの曲。バンドをやっていたときに奴が良く弾いていた。タイトルも忘れてしまった曲。東大全共闘の山本義隆議長が、警察から追われてた当時朝日ジャーナルのインタビューで、「最近見た映画は、『俺たちに明日はない』。タイトルが気に入って」と言っていた。

 でも、ボニーは何故母親に会いに行ったんだろう。あそこから流れが変わっていく。最後のマシンガンで穴だらけにされるまで撃たれて殺される。ボニーもクライドも口を下にして死んでしまった。ボカ・バッホだ。監督のサム・ペキンパーはああ言う暴力シーンを派手に描いた人だ。それでもって酒を飲み過ぎて二日酔い。ようやくお茶漬けが食えるようになった。所で、フェイ・ダナウェイの旦那って、J・ガールズ・バンドのボーカルで、何て言う名前だっけ。こんな事まで忘れてしまった。


 5月31日(木)

 暑い日が続いている。昨日は二日酔いでしんどかったが、考えてみれば暑さで疲れが出たのかも知れない。また、闘牛も疲れてしまうような内容だった。28歳のグレゴリオ・アルカニスは見習い闘牛士にしては年を取り過ぎ。兄貴がミゲル・ロドリゲス。2頭目の牛をミゲルにブリンディースしていたがバンデリージャでキエブロなどを見せて沸かせたがこれと言った特徴がない。兄貴もそうだが。二人目のパウリタはカポーテもムレタ捌きも何も感じなかった。時間つぶしのような時が過ぎただけだ。3人目の、アブラアム・バラガンは、1番まとも。右手でパセを繋ぐリガールがちゃんと出来ていた。でも、みんなもっと勉強しなきゃ。

 大怪我をしていたエル・カリファが今日の午後からリハビリを開始する。リハビリは詰まらなく孤独で直ぐに飽きが来るものだけど、それをしないと闘牛場には立つことが出来ない重要なものだ。君1人の体ではないことを充分承知してリハビリに励んで欲しい。幸い、エル・フリという親友も君と一緒に闘牛をしようとアレナで待っているのだから。

 今日の闘牛は牧場のコンクール。アルミジータがペニャハラ、アラス・デ・ロブレス牧場。エル・フリが、ビクトリーノ・マルティン、アルクルセン牧場。ハビエル・カスターニョが、ハンディージャ、サルドゥエンド牧場。アルミジータだけが悪い牧場だ。差がありすぎる。92年のフリオ・ロブレスを讃えるフェスティバル闘牛でプエルタ・グランデをしたアルミジータ。あれから良いのを全然見ていない。今日がラス・ベンタス最後だという。フリはどうでも良いけどハビエル・カスターニョの良いファエナが見たい。

 そして、いよいよ明日は、ホセリート、ホセ・トマス、ミゲル・アベジャン。闘牛場にはわざわざ6月1日の切符はあったら当日の10時から売り出すと書いてある。本当かなと疑ってしまうがわざわざ書いているところを見るとほんの少しでも売り出すのだろう。見たい人は始発くらいに闘牛場に並ぶこと。そうすればアンダナーダくらいなら買えるかも。

 昨日アランフェスでポンセがプエルタ・グランデ。フリは耳1枚。

 6月14日ラス・ベンタスでのコリーダ・デ・ベネフィセンシアは、エウヘニオ・デ・モラ、ラファエル・デ・フリアともう1人になる模様。

 セゴビアのカルテルが発表になった。6月24日、トレアルタ牧場。闘牛士、ビクトル・プエルト、エル・カリファ、エル・フリ。6月29日、ガルシグランデ(ドミンゴ・エルナンデス)牧場。ホセリート、ホセ・トマス、ミゲル・アベジャン。良いカルテルだけど俺は日本に帰っている。


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