−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、のスペイン滞在日記です。
9月17日(月)
9月の闘牛の会、定例会はTVEでやったホセ・トマスの特集、「サムライ・ホセ・トマス」をアントニオが日本語に訳して説明。「ヘミングウェイの『危険な夏』を読んで」を、岩崎竹彦さんがやった。その後は、サン・イシドロ祭でプエルタ・グランデを出来なかったファエナと題して、98年5月30日のサムエル・フロレス牧場の牛を相手にした、ハビエル・バスケス。92年5月にマルケス・デ・ドメク牧場の牛を相手にしたセサル・リンコン。99年5月26日プエルト・デ・サン・ロレンソ牧場の牛を相手にしたホセ・トマスの3つのビデオを流した。内容については後日記入する。
山田風太郎、『警視庁草紙』上巻 読了。21日からNHKで、『山田風太郎事件帖』 として9回放送されるのでもう一度読み直している。出来るだけゆっくり読もうとしている。一話読み切り的な長編小説なのでNHKが何処を使うのかも興味のあるところだ。それから恐らく放送では流れないだろう風太郎の歴史観が書かれている部分も非常に興味深い。引用が長くなるが書き留めておきたい部分がある。
「 この米内受政から五年後に光政が、板垣征徳から十年後に征四郎が生まれてくることになる。
余談だが、これに九年後に生まれてくる東条英機を加えると、前に漱石・子規・露伴・紅葉が同年に生まれたのを明治文学の水滸伝的現象だといったが、これは南部盛岡という石棺から飛び出した太平洋戦争の水滸伝的現象であろう。
日清・日露両役で将星はほとんど薩長人で、ともかくも素早いところをうまくやった。ところが太平洋戦争ではかくのごとく東北出の将軍たちがやっと主役をつとめる時節を迎えてーーーちなみにいえば山本五十六も奥州と組んだ朝敵越後長岡の出身であるーーーこれは、無惨な失敗に帰している。彼らはレーダーと原爆に対するに、日清・日露のやりかたで戦争をしたといっていい。
八幡太郎に攻められた阿倍宗任貞任の昔から、そのくせ源九郎義経をかくまって滅ぼされた藤原一族、秀吉に最後まで抵抗しながら関ヶ原では背後から家康を牽制した上杉景勝、その徳川に殉じて、維新ではついに朝敵になった東北諸藩。
おそらく太平洋戦争に主役をつとめた軍人に奥羽人が多かったのは、維新時朝敵となって辛酸をなめた反撥の現れであろう。その結果と能力を照らし合わせて云々するよりも、常に歴史に一歩ずつ「遅れて来る」奥羽人の宿命的悲喜劇を思わざるを得ない。ーーー 」 と、書いている。
「その結果と能力を照らし合わせて云々するよりも」、と、言う但し書きで、「常に歴史に一歩ずつ「遅れて来る」奥羽人の宿命的悲喜劇を思わざるを得ない。」と言う部分には唸らざるを得ない。これと併せて浮かんだ文章は、風眼帖の中にあるものだ。それは風太郎が中学時代の恩師、奈良本先生に会った時のもの。
「 そのとき先生がふと呟かれた。
「どうも学校で一番二番というのは、あとで大したやつにはならんようだな」
それには理由がある。学校で一番二番と言う学生はあらゆる課目にわたっての秀才が多い。あらゆる課目で百点満点なんて化物はほとんどありえないから、平均八十五点なんてのが一番二番になる。ところが一方で体操は二十点だが数学は九十八点などいうやつが存在する。だから、全体として学校の席次はよくないけれど、いったん世に出て「命のやりとり」となってからはこの九十八点がものをいいはじめる。余談の余談になるが、明治維新をみごとなしとげたのは、後者の系列の人物であり、太平洋戦争で敗北したのは前者の系列の人間であった。」と、言う。
別な言い方をすれば、前者が秀才肌の人間たちで、後者が天才肌の人間たちと言うことになるのだろう。
エッセイ、『風眼抄』の中で石川啄木と盛岡中学の一級上の及川古志郎を対比させる。啄木はどん底の貧乏生活の中、明治45年4月に母に次いで死んでいく。その時及川は駆逐艦の艦長。昭和14年には海軍大将。15年には海軍大臣になる。そして、米内光政、山本五十六が身を張って抵抗した日独伊三国同盟に海軍大臣として簡単に判を押してしまう。つまりこれが太平洋戦争の決定的直接原因だ、と言うのが定説だ。風太郎は記す。
「 昭和二十年十二月から翌年一月にかけて、生き残った海軍首脳たちが集まって敗戦を検討した「海軍特別座談会」の席上で、井上成美大将が、
「先輩に対して甚だ失礼だが、あえて一言したい。三国同盟締結の問題はもっとしっかりもらいたかった」
と、いったのに対して、及川は、あの時点においては海軍が承認しなければ陸海軍が衝突するおそれがあったから、と弁明した。
「陸海軍が争っても、全陸海軍を失うよりはましではありませんか。なぜ男らしく拒否しなかったのですか。あれは日本にとって取り返しのつかぬ千秋の痛恨事だった」
井上に痛罵されて、及川は、
「すべて私の全責任です」
と、答えざるを得なかった。
全責任だといわれても、戦争の犠牲者三百五十万の生霊は帰らない。
(中略) 彼は啄木の三倍も生きて、昭和三十三年、七十五歳で死んだ。しかし、戦後世代でその名を知る者はない。
一方、貧苦と病苦、周囲からの嫌悪と故郷の排斥の中に若くして文字通り窮死したーーーある意味ではダメ人間の典型のような啄木は、数限りないダメ人間たちの共鳴に支持されて、「大詩人啄木」の賛歌は永遠に消えそうにない。
これが人間世界の面白さといおうか。生きている間は優勝劣敗の法則に支配されるけれど、死後までを通観すると、必ずしもそうでないのが人間の世界なのである。
現実に、リッパ人間の代表者及川古志郎は、日本を破滅におとしいれた責任者に相違なく、ダメ人間の代表者啄木は、無数の日本の心弱き若者たちを慰籍して来たのである。 」
本当のダメ人間啄木よりも、リッパ人間及川古志郎がやった三国同盟は、日本全体を絶望させた。風太郎がいう、その結果と能力を照らし合わせて云々するよりも、常に歴史に一歩ずつ「遅れて来る」奥羽人の宿命的悲喜劇を思わざるを得ない。とか、明治維新をみごとなしとげたのは、後者の系列の人物であり、太平洋戦争で敗北したのは前者の系列の人間であった。という言葉はかなり痛烈である。
しかし、啄木のような大馬鹿野郎などはどうでもいい。極貧のくせに金が出来ると、食料を買うのではなく、母親や女房をほったらかしにして、本を買ったり、女を買ったりしていたのだ。買った娼婦のあそこに指を一本入れ二本入れ・・・指全部入れたら寝ている女が起きた。などという記述を、『ローマ字日記』 にしているが呆れてしまう人間だ。しかし、そういう世界に生きていない人間もいる。生涯童貞だったと噂がある宮沢賢治だ。彼の世界は日本の文壇とは全く交わらず独特の土着的と言っていい世界を展開する。
僕は啄木を嫌悪するが、賢治を尊敬する。『春と修羅』 などの詩で知られ詩人と言われたりもするが、賢治自身は、「童話作家」と言っていた。『風の又三郎』、『注文の多い料理店』、『セロ弾きのゴーシュ』、『よたかの星』、『銀河鉄道の夜』、などの名作を世に送ったが彼も又、生前は無名のままだった。同時期花巻には高村光太郎がいたが一度も訪ねることをしなかった。僕はこういうところまで含めて賢治らしいと思う。
又、南部藩出身者の成功例として上げるなら吉田善哉だろう。戦前なのか戦後なのか北海道に競走馬で成功した吉田牧場があった。戦後、ワカクモ、クモワカ、と言う基礎繁殖牝馬を要して名馬テンポイントをは輩出した名門牧場だ。その分家筋に当たるのが吉田善哉だ。彼らがどうして北海道に行ったかは忘れてしまった。廃藩置県の混乱の中で蝦夷に流れて行ったのかも知れない。
そこで牧場の基本的事柄を教えて貰い牧場を開く。借金をして外国から良い血統の馬を輸入しても始めはなかなか上手くいかなかった。その頃は日本は、「名馬の墓場」などと外国から陰口がささやかれた。日本国内の競馬サークルでは、「下手な社台も数打ちゃ当たる」などとも言われた。そんな中でノーザンダンサー系の種牡馬ノーザンテーストが輸入され大成功を納める。
クラシック初制覇の時、吉田善哉は人目もはばからず号泣した。それからは、競馬ファンが知るとおり、サンデーサイレンスを始めとする超良血種牡馬を何十頭を持って、一大競馬帝国を築き上げた。勿論これも、風太郎風に言えば、戦後進駐軍によって名門小岩井牧場が、独占禁止法違反で解散されて岩手にあった馬産の産業は壊滅的な打撃を受けた。それを南部藩出身の吉田善哉が再興させたと言う考えもあるだろうが。
南部、岩手県、盛岡。それは僕の故郷である。僕は賢治のようにやっていきたい。マイペースと言えばマイペースで。僕は秀才肌でもなければ天才肌でもない。昔ロック喫茶に言っていた頃、こんな事を言ったことがある。「ボブ・ディランは天才。ボブ・マリーは天才。僕は天ぷら」今思うと、天ぷらではなく、揚げ物だ。しかもその辺で売っている胸焼けのするコロッケのようなもの。
しかし、胸焼けのするコロッケでも、人の空腹をいやすことは出来るだろう。それにしても、風太郎は、風太郎である。
15日の結果。 アルバセーテ。ポンセ、耳1枚。カバジェーロ、耳1枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。アブラアム・バラガン、耳2枚。プエルタ・グランデ。 グアダラハラ。ファン・モラ、耳2枚。ヘスリン、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。オルドニェス、耳なし。 サラマンカ。アンドレス・サンチェス、ビクトル・プエルト、ファン・ディエゴ、耳なし。 バジャドリード、ホセリート、耳なし。ホセ・トマス、耳1枚が2回。ハビエル・カスターニョ、耳なし。 ニーム(フランス)。リシャール・ミリオン、場内1周。ソトルコ、耳1枚。パディージャ、耳なし。 以下省略。
16日の結果。 バルセロナ。マノロ・サンチェス、場内1周。アントニオ・クティニョ、耳なし。ゴメス・エスコリアル、場内1周。左太股に角傷。重傷まで行かない怪我。 アルバセーテ。エル・フリ、セルヒオ・マルティネス、アブラアム・バラガン、耳1枚。 グアダラハラ。エスプラ、フィニート、エウヘニオ、耳なし。 サラマンカ。クーロ・バスケス、罵声、口笛。ポンセ、ハビエル・カスターニョ、耳なし。 ニーム(フランス)。昼。スワン・ソト、耳1枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。マルク・セラノ、耳なし。グレゴリオ・タウレレ、耳2枚。プエルタ・グランデ。 ニーム(フランス)。ビクトル・メンデス、口笛が2回。フェルナンデス・メカ、耳なし。フェレーラ、耳1枚。 以下省略。
アメリカ、ニューヨーク株式市場再開直前にFRBグリーン・スパーン議長が公定歩合を0.5%引き下げを発表して市場が開いた。開始10分ちょっとで200ドル以上を下げている。ヨーロッパの株式市場は1%以上、上げているという。日本時間23時を過ぎて、490ドル以上、値下がりしている。約5%の値下がりだ。
追記。ニューヨークは今年最安値を記録し、550ドル以上の値下がり、ナスダックは、100以上の値下がりをしている。
9月18日(火)
ニューヨーク株式市場再開に関連したニュースのため、『夢伝説』ジャニス・ジョップリンはまた延期になった。ニューヨーク市場は、680ドル以上値下がりして9000ドルを切った。インターネットなどで株を売らないように個人株主への呼びかけなどがあったようだが、航空会社などが大幅な値下がりを記録して株価は急落した。売買は史上最大の大商いを記録した。下げ値も、最高を記録した。
17日の結果。 アルバセーテ。ビクトル・プエルト、耳1枚。モランテ、耳1枚。エル・フリ、耳なし。 サラマンカ。ホセリート、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。アベジャン、耳1枚。ハビエル・カスターニョ、耳なし。
9月19日(水)
また、台風がやってくる。明日の早朝には関東に上陸しそうだ。アメリカはアフガニスタンに、ウサラ・ビンラーディンの引き渡しを要求。今日の新聞には、ビンラーディンは核物質を手に入れていて、それに対抗すべくアメリカは核兵器使用を検討しているという。一方アフガニスタンを取材してきた黒柳徹子が会見して、アフガニスタンの現状を、「3年間雨が降っていないため、干ばつがひどい。25%しか穀物などの収穫がなく、昨冬は零下25度の夜に100人の子供が死にました」と語った。アフガニスタンは北朝鮮と同等かそれ以上の状態になっているらしい。そんな国を本当にアメリカは空爆するのだろうか。「正義と民主主義」を建前とするアメリカがそんな国を攻撃するのだろうか。それは人道上正しいことなのか?
ビンラーディンが隠れていると言われる隠れ家に空挺部隊を突入させて身柄確保か殺害を計画しているとも、タリバンの反対勢力、「北部同盟」を軍事的に支援して内戦状態を作ってタリバン転覆を狙うなどと言うシナリオもあるらしい。あそこは山ばかりでそれが自然の要塞になってきて難攻不落になっているらしい。だから、アメリカが地上部隊を投入するより内戦状態にした方が良いだろうと言う事のようだが、北部同盟の指導者が暗殺されたためそれも疑問視されているようだ。
今度の日曜日に行われる菊花賞トライアル神戸新聞杯には、引退したアグネスタキオンと別路線を歩むジャングルポケット以外の一線級が揃う。史上最高の3歳世代、四強の一角でG1NHKマイルの覇者、クロフネと無敗で底を見せていないアグネスゴールド。皐月賞、ダービーで2着に入ったダンツフレーム。良血で夏の上がり馬、札幌記念でジャングルポケットを破ったエアエミネムと言った胸躍るメンバーが菊花賞の覇権、秋の天皇賞を見据えて激突する。久々に楽しみな競馬だ。
18日の結果。 サラマンカ。ホセリート、耳1枚。フィニート、耳なし。エル・フリ、耳2枚。プエルタ・グランデ。 カソルラ。騎馬闘牛士、ゴンサレス・ポラス、耳2枚。プエルタ・グランデ。闘牛士、ポンセ、耳なし。エル・カリファ、耳1枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。エル・ファンディ、耳2枚と尻尾1つ、耳2枚。プエルタ・グランデ。
9月20日(木)
昨日の夕方、書店よりTELだあり山田風太郎が届きました、とのこと。出版芸術社から刊行された山田風太郎コレクションは2冊。シリーズは3冊まで出る。すぐにでも読みたかった未刊の、『忍法創世記』 は、高木ブーの名前を縮めたような、菊の御紋のタブーを扱っている。菊のタブーを扱った小説と言えば井沢元彦の、『猿丸幻視行』 (井沢の小説で言えば、『忠臣蔵 元禄十五年の反逆』 が白眉だと思う)を思い浮かべるが、この小説は、反目していた大和の柳生と伊賀の服部が結婚を持って手打ちをする。新郎と新婦はお互いに剣法と忍法の対決をして負けた方が勝った方に婿入りまたは嫁入りをする・・・。
俺は今怒っている。山田風太郎に対してだ。何故って、どうしてこんなの面白い小説ばかり書くわけ。今読んでいるのが、『警視庁草紙』下巻。『忍法創世記』 を買ってきたらこれがまた面白そうなので困っている。こうなったら同時並行して読むしかないか。『忍法創世記』 の解説に石川賢と言う漫画家が描いた、『魔界転生』。今も書き続けているらしい、『柳生十兵衛死す』 を書いているらしいが、それを読んだ風太郎が、「これは原作より面白い」と言ったそうだ。そんなこと言われちゃ、読みたくなるでしょう。金がかかるぜ風太郎。
『警視庁草紙』下巻を読む前に、関川夏央が書いた解説を読んで泣いてしまった。
「 一九七三年の夏、ほかにはなにも持たないのに時間だけはありあまっていた私は、貸本屋で雑誌「オール読物」をかりてきて、安下宿の畳の上で読むともなしにめくっていた。当時、貸本屋の雑誌にはビニールカバーがかけられていたことを思い出す。 (中略) 気もなくページをめくっては返し、返してはめくり直す手をふととめたのは、山田風太郎の名前に多少魅かれるところがあったからだ。
さらにその十年あまり前のことである。地方の中学校の授業中の教室に、ノートの端を千切った付箋をいくつもつけた 『くノ一忍法帖』 がまわってきた。付箋は 「ここを読むべし」 という謎で、男の子だけの遊戯だった。女の子たちは見て見ぬふりをしていたが、夏の白いブラウスに、つけはじめて間もないブラジャーの線を透かしだした彼女たちの背中は 「なんていやらしい子たちなんだろう」 と無言のうちに咎めていた。山田風太郎の名前から、女の子たちに咎められてもやむを得ないエロチックな部分のほかに、机の下に隠して読んだそのとき子供心にも感じた、「さびしい残酷さ」 あるいは 「諧謔の味わいある虚無感」 の記憶がたちのぼってきたのだった。
『警視庁草紙』 を三ページ読み五ページ読んで、無意識のうちに肘枕をやめていた。十ページ読み十五ページ読んで、ふと気づけばすわり直していた。ついに読み終えたとき、私は作品のひや酒かん八のように 「親分、大変だ」 と叫びつつ三河町の半七の家の格子戸を勢いよく開いて駆け込んでいきたくなったのである。
歴史上の人物が、虚構上の人物を含め無数に西南の役直前の東京を駆け、交錯する。その手並みのあざやかさはもちろん、背後にうかがえる教養の深さ鋭さは、まさに端倪できない。 (中略)
『幻談大名小路』 には幼い樋口一葉が五歳上の漱石と言葉をかわす場面がある。これも意外な同時代人を縦横に交錯させる 「風太郎式年表」 の効用だが、一葉の父則義と漱石の父小兵衛は維新直後に東京市職員として同僚であり、そのとき、女の子しかいない樋口家と男の子の多い夏目家のあいだに、将来夏目の末っ子金之助と樋口の長女夏子をめあわようという口約束があったとい逸話を踏まえている。
一九七三年の私は、このような絢爛たる 「つくりもの」 の世界に、または 「最高の知性をもってしるされた草双紙」 の世界に文字通り驚倒し、歴史と想像力の関係に深く思いをいたしたのだった。
「あんたのいうことはよくわかる」
と、最後の南町奉行駒井相模守は、最初の警視庁大警視川路利良にいう。
「日本は西洋のために変わらせられた。まあ、むりむたいに女にさせられたようなものじゃ。が、そこで急に手のつけられぬあばずれになろうとしておるーーーと、いうのがわしの見解でもある」
さらに老人はいう。
「川路さん、しかしな、権謀によってそういう間に合いの国を作ってもーーー目的のために手段をえらばず、たとえ強兵の富国を作ってもーーーこれを毫釐(ごうり)に失するときは差(たが)うに千里を以てすーーーいっておくが、そりゃ長い目で見て、やっぱりいつの日か、必ず日本にとりかえしのつかぬ大不幸をもたらしますぞ」
川路は鉄塊を投げ出すように答えた。
「国家とは、いつでもそういうものではごわせんか?」ーーー
戦後三十年近くたち、山田風太郎は、その戦中派の死生観を、そして戦中派の近代史観をこの小説からあらわしはじめたのだが、それは一九七一年に 『戦中派不戦日記』 を、 『警視庁草紙』 執筆を同年一九七三年には 『減失の青春』 を(いずれもおそるべき静かな緊張に満ちた戦中の青年の記録にして名作である)世に問うたことと関係があるかも知れない。
駒井相模守の旧知行地、相州侘助村は馬入川沿いの、春には桃の花が一面に咲き、小高い丘の上には鴎外の 『雁』 に出てくるそれを同名の 「からたち寺」 のある美しい村である。追われ、疲れ、傷ついた人々はここに難を避けて心と体をやすめ、いたわるのだが、「世の中にはもう師走にはいっているはずだが、ここの空はからあんと碧く晴れて、やはりふしぎにどこか春の感じがする」 この 「聖域」 は、山田風太郎が生まれて幼年期を過ごし、長じてからは二度と帰ることのない家と里との原風景だと思われる。この「幻の中の風景」が文字のよって造形されるまでにも、やはり三十年近い歳月を要したのだった。
その戦中派の死生観を芯に捉えて、教養の糸を惜しげもなく費やして織りあげられた物語、知識人と自称せざる知的な人々を読者とした 「大衆小説」 を前にした私は、一葉の 『たけくらべ』 を読んだ子規のごとく 「一行読めば一行に驚き、一回読めば一回に驚」 いて、末は露伴のごとく 「多くの批評家、多くの小説家に、此あたりの文字五六字づつ技倆上達の霊符として呑ませたきものなり」 とつぶやくに至り、その思い二十年余を経て、四読五読した現在もなんらかわりはない。 『警視庁草紙』 こそ、まさに文芸の名に値する作品、その最高峰につらなる小説である。 」 ーーー 「一行読めば一行に驚く」 関川夏央 ーーー
最後の南町奉行駒井相模守が最初の警視庁大警視川路利良にいう 「川路さん、しかしな、権謀によってそういう間に合いの国を作ってもーーー目的のために手段をえらばず、たとえ強兵の富国を作ってもーーーこれを毫釐(ごうり)に失するときは差(たが)うに千里を以てすーーーいっておくが、そりゃ長い目で見て、やっぱりいつの日か、必ず日本にとりかえしのつかぬ大不幸をもたらしますぞ」 と言う言葉は明らかに太平洋戦争を言っている。さらに言えば、現在の日本を。
この国の成り立ちがこう言うことだから戦争になったのだと風太郎は暗に言っている。これが風太郎の近代史観なのだ。関川夏央はそれにしても凄い褒め言葉を綴るものだ。思えば、のちに 『戦中派天才老人・山田風太郎』 を記すが、こういうインタビューが、角川春樹事務所のインタビュー三部作を送り出すきっかけになる。晩年の風太郎に楽しみを与えた関川夏央。それでも風太郎は嫌な仕事はやらなかった。結局風太郎の最後の作品、『ぜんぶ余録』 の最後の言葉は、「そんなこといって、あなたたち、また来るんじゃないの?」 と言うものだった。風太郎は今も本の中にいる。
俺もひや酒かん八のように十手じゃなく風太郎の本を小脇に抱えて、「てぇへんだ、てぇへんだ」 と叫びながら走り出したくなる。
「てぇへんだ、てぇへんだ」 と、椅子に座って震える手でタバコを吸っている老人の話を聞きに行く。老人は、「また来たか」と言って優しく向かえてくれるだろう。帰るときは、最後の南町奉行駒井相模守つまり隅の御隠居のように、「また何かあったらおいで」 と言って送ってくれるだろう。
19日の結果。 サラマンカ。ポンセ、耳1枚。カバジェーロ、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。エル・フリ、耳2枚、耳2枚と尻尾要求。プエルタ・グランデ。
9月21日(金)
北海道の山では雪が降ったそうだ。東京は1日中雨が降っていた。
ブッシュ大統領の演説が議会で行われ、その間合計26回のスタンディング・オベーションが繰り返された。アメリカは強い決意をもってテロに対して攻撃を仕掛けることを表明した。演説の中で、真珠湾攻撃に触れていた。今回の攻撃は一般市民を対象としたもので、これをテロというと言うようなことを言っていた。それなら、アメリカが広島長崎に投下した原爆もあれもテロって事だよな。アメリカの言う自由と民主主義とは、あくまで自己中心的なものなのだ。まっ、それは何処の国でも同じだろうが。硫黄島で海底噴火があったようで周辺海域が変色している。ここで米軍が今夜間航空機の離発着訓練が行われているようだ。ニューヨークの株式市場がまた下げている。今日中に8000ドルを切るだろう。
どうやら今日の、「山田風太郎事件帖」 は、アメリカのテロ関係のニュースで先週最終回になるはずだった番組が今日放送にあるようだ。また、23日、「知ってるつもり」 も何故か放送されない模様。
今日は、落語家の古今亭志ん生、童話作家の宮沢賢治の命日である。
9月22日(土)
テロの影響で海外旅行のキャンセルが相次いでいるようだ。アメリカ国内でも飛行機を使用した移動を極力避ける傾向にある。アメリカの攻撃はこれからアフガニスタンが冬になるので春まではないとする考え方と、10月中にも爆撃が始まるという考え方の二つがあるようで、今後どうなるのか判らない。国連の決議をもって攻撃を決行する模様だ。ニューヨークの株式市場は再開以来1300ドルあまり値下がりした。
千葉県で見つかった、狂牛病の疑いのある牛は、イギリスの研究機関の検査の結果、狂牛病と断定された。日本で始めての発生を記録した。
21日の結果。 サラマンカ。騎馬闘牛士、パブロ・エルモソ・デ・メンドーサ、耳2枚。プエルタ・グランデ。闘牛士、エスプラ、ペピン・リリア、パディージャ、耳なし。 ログローニョ。ポンセ、口笛。エル・フリ、耳なし。ディエゴ・ウルディアレス、耳1枚。 タラベラ・デ・ラ・レイナ。ホセリート、耳なし。ホセ・トマス、耳1枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。モランテ、耳なし。
9月23日(日)
風太郎が漱石のことをエッセイによく書いていて、思い出したように漱石、鴎外の本を探し出した。つらつらページをめくってみた。『警視庁草紙』 も後、数ページで読み終わる。『忍法創世記』 を読んだら、明治ものなどを再び読んでみようかと思っているが、それと同時に漱石、鴎外などの明治の作家の作品を読んでみるのも面白いかと思い始めている。特に風太郎がおそらく100回以上読んだだろう、『吾輩は猫である』 を読まなければいけないような気がする。昔読んだ記憶があるが忘れているのでどんな感想を持つか、風太郎が1冊選ぶならこの1冊という本なのだ。
今日、後楽園の場外馬券場に行って神戸新聞杯の馬券を買おうと思案したが、1着が見えるのだが、1着に来る馬が想像できない。買い目を色々考えたが、どうもしっくりしないので買うのをやめて帰ってきてTVで見ていたら、やはり、クロフネも、アグネスゴールドも、ダンツフレームも、穴で考えていたハッピールックも来なかった。1着は思った通りエアエミネム、2着は古馬と対戦した経験が生きた、サンライズペガサス。買わなくてよかった神戸新聞杯だった。来週からG1が始まる。そろそろ競馬日記も付けなければならない。が、どうなる事やら。
22日ベンタ・デル・バタンで、ノビジェーロス・シン・ピカドーレスが行われセサル・リンコンのエル・トレオン牧場のグラン・ノビジェーダが出たようだ。この前サラマンカでエル・フリがやったときのソブレロがやはりエル・トレオン牧場で耳2枚を切っている。
22日の結果。 ログローニョ。パディージャ、耳なし。ビクトル・プエルト、耳1枚。エル・カリファ、耳なし。 タラベラ・デ・ラ・レイナ。ウセダ・レアル、ファン・バウティスタ、耳1枚。ホセ・ルイス・トゥリビノ、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。 ベラ。フィニート、ハビエル・コンデ、耳なし。モランテ、耳1枚。 エシハ。カナレス・リベラ、耳1枚。エル・ファンディ、耳なし。ルイス・ビルチェス、耳2枚、耳1枚。プエルタ・グランデ。 コンスエグラ。ポンセ、耳1枚、耳2枚。アベジャン、耳1枚が2回。ラファエル・デ・フリア。耳1枚が2回。三人ともプエルタ・グランデ。
9月24日(月)
ネットにて風太郎の本を買おうとしたら、俺のカードは使えないようだ。何度やっても登録できない。マスターじゃなかったんだな。あの頃、そう角川文庫が風太郎の忍法帖シリーズをかなり出していた頃にちゃんと買っておけばよかった。今あれを探すとなると大変な労力と金がかかる。あの頃は、忍法帖を読んだことがなくて、馬鹿にしていた。一冊読んでしまえば後は風太郎の魔界の片道切符を買ったようなもの。後はどっぷり浸かればいいのだ。その心地よいことこの上なし。あっ、魔界と言っちゃちょっと誤解を受ける。でも何と言えば良いんだろう。
23日の結果。 バルセロナ。フィニート、耳1枚が2回。ホセ・トマス、耳2枚。エル・フリ、耳1枚、耳2枚。三人ともプエルタ・グランデ。 ログローニョ。ソトルコ、耳なし。ペドロ・カラ、口笛。エル・タト、耳1枚。 ロルカ。ハビエル・グアルディオラ、耳なし。ファン・モラ、パディージャ、耳1枚。エル・カリファ、耳なし。 ベラ。クーロ・バスケス、耳なし。エスパルタコ、耳2枚、耳1枚。プエルタ・グランデ。ペピン・リリア、耳2枚と尻尾1つ、耳2枚。プエルタ・グランデ。
9月25日(火)
土日は初冬の様な寒さだったが昨日今日は太陽が出て暖かい日になった。高田馬場の芳林堂、池袋のLIBROで山田風太郎を捜した。LIBROは追悼コーナーがあるだけあって今発売されている風太郎の本が殆ど手にはいる。廣済堂文庫の風太郎コレクション全24巻、ちくま文庫の明治小説全14巻、講談社忍法帖シリーズ全14巻、光文社文庫ミステリー傑作選全10巻(内6巻既刊)、出版芸術社のコレクションなどが5冊、ハルキ文庫5冊、BRUTUS図書館 『山田風太郎』 などがあった。
残念なのは、『戦中派虫けら日記』 はすぐに手にはいるが、『戦中派不戦日記』 は絶版になっているようで本屋には置いてない事だ。やっぱりこれは是非置いていて欲しい本だからだ。本は3冊買ってきた。すぐ読むかといえば、そうも行かない。その他に5,6冊頼んだ。1,2週間の内にあれば届くだろう。ないと思われるのが2冊くらいある。
『警視庁草紙』下巻 読了。作中の 「吉五郎流恨録」 は、幕末島流しになり三宅島で春画持っていることで飢えを忍び生き延びて明治になって維新後の横浜に辿り着いて神奈川県令、野村靖に、幕末の小伝馬町牢内で託された吉田松陰の遺書を渡す話。三宅島で隠し持っていた春画を見せて食料を得てしかも未だ持っていると思わせ、命を狙われるの防いだ。その春画は、小伝馬町の牢名主時代に風刺画を描いて捕まった絵師に描いて貰ったものだった。この絵師が、明治の天才絵師、河鍋暁斎。
河鍋暁斎は、墨で描いた鳥(確かカラスの絵)が百円の値が付いた人。当時、百円で都内に土地付きの家が買えた。美術館でそういう絵を見たが、何といっても地獄絵が凄かった。明治の北斎と言っていいような絵師だ。それの春画を風太郎が出してきているところが凄い。そんなものがあるのなら是非観てみたいと思ってしまう。
作中、吉五郎は巾着切り。つまり、スリだ。
「 「ふふん、この野村とて、若いころ獄中の松蔭先生の御下地により、時の老中の暗殺を企てたり、また藩命に叛いて京の大原三位へ先生の密書をとどけようとし、牢にいれられたことのある男じゃわ」
と、野村県令は自若としていった。 (中略)
そして、野村靖ーーー若いころは野村和作といった。ーーーこそ、松蔭と最も純粋に信じ合った師と愛弟子であった。
「たとえ川路大警視が来ても渡せん。これは松蔭先生の御遺書である。」
野村県令は涙さえほうり落としながら大渇した。
「巡査ども、退れっ」
「身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」
の絶唱にはじまり、
「七度も生きかえりつつ夷(えびす)をぞ攘(はら)わんこころ吾れ忘れめや。
十月二十六日黄昏書す」
に終る吉田松陰最後の絶筆ーーー実に彼は、この翌日の安政六年十月二十七日処刑されるのであるーーー「留魂録」 は、大獄の経過、獄中の様相、松蔭自身の志、後に続くを信ずという若き志士たちへ遺託などを、蒲葉半紙四つ折り十枚に細書したものである。
これが維新時、志士たちをふるい立たせたのかというとそうではない。その当時、それは日本本土に存在しなかったのである。
このことはのちに 「留魂録」 が世に公にされたときの野村靖の 「解説」 に明らかだ。
「余かつて神奈川県令たり。一日、老鄙夫あり、来り謁し、小冊子を懐中より取りていわく、奴は長藩の烈士吉田先生の同囚沼崎吉五郎なり。
先生殉難前の一日、この書を作り、奴に告げていわく、余すでに一本をわが郷に送る。しかれども狙帯して達せざらんことを恐れ、またこれを以てなんじに託す。なんじ、出獄の日、これを長(州)人に致せよ。長人みなわれを知る。その誰たるを問わずと」
松蔭が危ぶんだ通り、別に萩に送った一本はそのまま行方不明になってしまった。
「奴、のちに三宅島へ処流せられ、このごろ赦されて帰る。たまたま公の長人たるを聞き、つつしんでこれを呈すと。
余ひらいてこれを閲すれば、すなわち先師手蹟の留魂録なり。すなわち告ぐるに師弟の実を以てす。吉五郎驚喜してつぶさに先師座獄の状を説き、『諸友に語ぐる書』 及び遺墨数葉をとどめて去る
時に明治九年某月なり」
すなわち 「留魂録」 は、このときはじめて世に現れたのであった。実にそれが書かれてから十八年目のことである。
ただし、野村靖がこれを書いたのは明治二十四年になってからで、むろんこのときはこの書の出るに至ったほんとうのいきさつをすべて知っている。しかも彼はなお感動をもって伝える。
「ああ、先師終わりに臨みて従容迫らず、用意親密、この書幸いに今に存す。その魂その文、千載不朽というべし。
そもそも吉五郎は一無頼の徒のみ。しかれども、流竄顛沛(るざんてんばい)の間に処りて保持失わず、ついに先師の遺託を全うするを得。あに至誠、人を感ぜしむにあらずや」 」 ーーー 『警視庁草紙』下巻 「吉五郎流恨録」 よりーーー
作中吉五郎が、吉田松陰の遺書 「留魂録」 は、油紙に包めれて河鍋暁斎の春画と共に三宅島で生き延びるのである。風太郎の筆の見せ所だ。何と面白い物語を作ってしまうのだろう。松蔭の遺書と河鍋暁斎の春画、巾着切りの吉五郎と神奈川県令の野村靖。強烈な印象を持って読者の中に入ってくる。
小泉首相が渡米してブッシュ大統領と会談するという。日本はいよいよ参戦に荷担する為に、まるで犬が主人に尻尾を振るが如く、おべっかとお気遣いをするのだ。自衛隊の海外派兵は憲法に違反する事であるはずなのに、例によって拡大解釈。アメリカを始め諸外国が派兵を強要しないのは日本国憲法があるからなのにそれを自ら破ろうとしている。金も出す、兵も出す。そのうちにアメリカは、「後方支援だけと言っていては・・・」などと言い出すに決まっているではないか。それでも良いんだろうな日本は。もうそういう道を歩き始めている。
狂牛病の検査ミスを指摘された、農水省が、「検査とはあんがいそんなもの」と語ったそうだ。それなら今まであなた達がやってきた検査の信憑性は無になるんじゃないですか?日本ってこんな国なんです。厚生省の血輸製剤でエイズを発症させた事でも同じ。何ら変わることなし。教訓などあり得ない。
24日の結果。 ログローニョ。クーロ・バスケス、口笛、罵声。ポンセ、場内1周。フィニート、耳なし。
9月26日(水)
江戸時代、幕府が切支丹弾圧をしても切支丹は一掃されなかった。天草で天草四郎らが反乱を起こし大虐殺が行われようが、何をされようが隠れ切支丹になったりして日本の中に残り、絶えることなく教え伝えられた。宗教とは、殺されようがその教えに殉じて全うすることを胸に刻むものだ。今回のアメリカは正義と自由、民主主義のためにテロリストを根絶やしにすると豪語している。思い上がりも良いところ。テロリストと言っても彼らは殉教のイスラム教徒。そんなことは始めから出来ないに決まっているではないか。アメリカもそんなことは充分承知しているだろう。これはいわゆるポーズという奴。
暗黒策損(アングロサクソン)は、金と人を費やして殆ど得るものはないだろうが、アメリカが世界の正義を代表していることを認めさせる為だけでもこれは意味のある戦争なのだ。しかし、この戦争の間に再びアメリカや他の国で同じ様なテロがない保証は何もない。アメリカも必死なら向こうも必死だろう。何をするか判らない奴ほど怖いものはない。弾圧・抑圧があればあるほど憎悪を掻き立てる。捌け口はテロになって世界を襲うかも知れない。アメリカはそうなっても良いと考えているのだろうか。これで核兵器でも使われたら大変な事態になるだろう。
日本では、仇討ちは法律によって禁止されている。それも100年以上も前の話だ。しかし、今はグローバル、インターナショナルを意識して国家も社会も企業も存在する。日本だけがローカルな仇討ち禁止を唱えても残念ながら世界の潮流には乗れないのだ。こちらの死は、あちらの死をもって償われるべきであるというのが世界的な考えだ。ご立派な前時代的な考えが今の世界の感情だ。こういう思想は認めるわけにはいかない。が、世界はそれに向かって突き進もうとしている。しかもヒューマニズムの名において。本当にそれで良いわけ?ケ・バルバリダ!
どうでも良いことだけど、ヘスリンが骨折して26日のログローニョなどに出れない。けっ、本当にどうでも良いことだ。
25日の結果。 ログローニョ。パディージャ、耳1枚で場内2周、場内1周。モランテ、場内1周。エル・フリ、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。
9月27日(木)
昨日、近鉄バファローズが北川の代打逆転満塁サヨナラホームランで劇的な優勝を決めた。民放のTVアナウンサーが、「何ということだ!何ということだ!代打逆転満塁サヨナラホームラン」と、言っていたが、全くひどい中継コメントだと思った。野球の質も落ちたが、同時にアナウンサーの質もかなり落ちた。「何ということだ」という言葉は、驚きの言葉だが、これは否定的な意味合いを含む言葉ではないか。それを、優勝を決定する瞬間のコメントとしては疑問に思わざるを得ない。「何ということだ」は、テロにあった世界貿易センタービルの時のコメントだろう。
昔の中継なら、「大きい、入った、入った、入った。北川、代打、逆転、満塁、サヨナラ、ホームラン。近鉄バファローズ優勝」と言い、それから、「劇的な北川のホームランです」などと言っただろう。しかし今は、「何ということだ」というどうでも良い個人的な感想が先ず口をついて出る。聞き苦しい。優勝を味わう気分が削がれる。お決まりの言葉でもこういうシーンでは有効なのだ。それが判らないアナウンサーとは、何のためのアナウンサーなのだろうか。あれは言葉の感覚が、アマチュアの放送だ。
26日ログローニョにてミゲル・アベジャンのバンデリジェーロ、ファン・マルティン・レシオが30年間の闘牛人生をコレタを切って終えた。年は定かではないがおそらく50歳前後だろう。体はもうとうに動かなくなっていたが、彼が闘牛場で見せた闘牛の知識たるや凄かった。正確で的確なサポートが闘牛士のために常に行われた。闘牛士とこの牛にとってどういうサポートが最も適しているかを瞬時に判断し実行に移していた。枯れた味とは、マルティン・レシオの様な人のために言う言葉だろう。
バンデリージャを打つときは、一切の無駄のない動きでちゃんと牛の角の間で、素晴らしい場所に打ち、自分の技に飾り、つまりアドルノをはさむことをしなかった。しかしその腕は、抜群の技術者であった。主役である闘牛士のために黒子に徹していかに目立たないようにサポートするかということに徹底していた。だから、目の肥えた闘牛ファンならそのことは判っていただろう。有名な闘牛士が命懸けで闘牛をやっているとき、こういう本物のバンデリジェーロが頼りになるのだ。
あの日アベジャンがラス・ベンタス闘牛場の観客を感動させたとき、マルティン・レシオの枯れたようなバンデリージャ打ちや、アベジャンがコヒーダされて倒れているとき、身を挺して牛を引きつけていた姿はバンデリジェーロの鏡だった。あの日とは、勿論2000年6月2日のサン・イシドロ祭の事である。アベジャンがスペイン中に感涙を流させた日である。闘牛を楽しくするのは、闘牛士1人では出来ない。彼のような優れたバンデリジェーロがいてこそ成立する部分が大きいのだ。
スペイン人には珍しく口数が少なく、日頃も目立たない地味な性格でもあったが、彼が闘牛場で見せたカポーテ捌き、バンデリージャ打ちは極上のものだった。それがもう観れないのかと思うと非常に残念でならない。引退の報を下山さんから聞いてショックを覚えた。が、これからの残りの人生もあるのだからと思うようにしたい。
ありがとうマルティン・レシオ。あなたは闘牛士以外で感動した数少ないバンデリジェーロでした。
26日の結果。 ログローニョ。パディージャ、耳1枚。アベジャン、耳1枚。ハビエル・カスターニョ、耳なし。
9月28日(金)
今読んでいる風太郎の、『忍法創世記』 の中に和姦のシーンがある。忍法帖で描かれる性交シーンは、強姦か、忍者同士の忍法合戦で色々な忍法が描かれてきたが、和姦は初めてだろう。そこにはお互いの思いも描かれていてこれは、ちょっとした感動があった。これも三種の神器にまつわる南北朝を描くのにマッチしているような気がする。合意のセックスをこういう状況で書いてしまうところが凄い。忍法帖の最後の長編にしてこれである。風太郎ってつくづく読者を驚かし続ける。
6TOROS6のHP、エル・フリのHPがまた観れるようになったが、6TOROS6は、もう一切記事が読めなくなってしまった。何のためのHPなんだろう。方針の変更がこう言うことになる。VIA
DIGITALのHPも更新がされなくなって久しい。代用のHPはとうの昔に活用しているが、雑誌の売り上げが減ったためだろう。でも、雑誌は広告が載っているところが良いので、井戸さんなども記事はHPでも読めるが新聞を購読している。闘牛雑誌も同じだと思うのだが。
ネットだけで情報を垂れ流している闘牛サイトが増えたのも、情報の質やスピードに乗り遅れているのも影響しているのかも知れない。スペインの闘牛関連サイトは、シーズンオフを前に、新しい段階に入ってきているのかも知れない。闘牛士のオフィシャル・ページも含めて。来シーズンはもっと変わってくるだろう。
27日の結果。 ポソブランコ。ポンセ、耳なし。ビクトル・プエルト、耳1枚、耳2枚。プエルタ・グランデ。オルドニェス、耳1枚。 アバラン。フィニート、耳1枚。パディージャ、耳1枚。アルフォンソ・ロメロ、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。
9月29日(土)
NHKで、『山田風太郎からくり事件帖』 が始まった。いきなり、「人も獣も天地の虫」 から始まった。川路が西郷の都落ちを見送るシーンははぶかれた。あれがないというのはやはりTV的なのだろうか。前半から中盤まではなかなかよかったが最後のところがちょっとなぁ。川路が何故あそこで逮捕せずにみんなを解放したのか納得できない。風太郎が言う理由が明確でないからだ。しかし、風太郎の小説が連続ドラマになったことが嬉しい。これで本が売れれば良いのだが。TVよりもっと面白いのだから。
配役が面白い。川路良利が、近藤正臣。ちょっとイメージが違う。大久保利通が、何と、流山寺祥。久しぶりに流山寺をTVで観るとは思わなかった。しかも風太郎の原作のTVで。嫁さんはよくTVに出るけど。第三エロチカの川村毅が脚本で、黒テントの佐藤信が演出、プロデュースが流山寺の芝居以来だから大分たつなぁ。ああやってアングラ劇団からTVに出てくると嬉しくなる。小林薫は赤テントから出たし、清水紘治は黒テントから、樹々樹林は黒テント以前の自由劇場から出た。片桐はいりもアングラ出身だ。切腹する松岡警部が、何と、元第三エロチカの有薗芳記。
女たちは最低だ。風太郎の小説のイメージなど皆無。お辰をやった女優は何だ。妖艶でしかもセックス狂いの女なのに全く色気さえない。これならAV女優を使った方がイメージにあるだろう。小蝶が原田知世。彼女はいつまでたっても、『時をかける少女』。柳町の売れっ子芸者という、器量も気っ風も持ち合わせていない。隅の御隠居が小林桂樹。千羽兵史郎が田辺誠一。何故散切り頭なのだろう。冷や酒かん八は坊主。この三人は丁髷(ちょんまげ)であってこそ元幕臣たちになるのに。あれじゃ、開化に反撥している元同心、岡っ引きにならないぞ。
などと思っても、まあいいさ。死体の片づけ方は黒テント風。ああいうのはTVじゃかわっているだろうな。ともかくも、期待していた、『山田風太郎からくり事件帖』 が始まった。これから2ヶ月楽しみがある。来週は、「幻燈煉瓦街」 の様だ。TVを見た人はどういう感想を持ったのだろう。それなりのインパクトがあったと思うのだが。そういえば鈴木清順が10年ぶりに映画を撮ったらしい。観てみたい。
巨人の長島が監督辞任を発表した。何の感想も感慨もない。勝手にすれば。俺は元阪神ファン。野球を観なくなっても巨人など未だに嫌いだ。むしろ、星野仙一や仰木監督辞任の方が感慨がある。それより、マリナーズのイチローが大リーグ新人安打記録に並んだ。一体何本まで記録を伸ばすのだろう。
28日の結果。 ポソブランコ。エル・カリファ、耳1枚。モレノ、耳2枚。プエルタ・グランデ。エル・フリ、耳1枚が2回。プエルタ・グランデ。
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