−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年のスペイン滞在日記です。
7月1日(月)
ムンディアルが終わったってTVではしきりに特集番組をやっている。スペインに行っていたのでセレクション・ハポネスの予選を日本で観ていないのでサポーターの馬鹿騒ぎを知らないのは幸運なことだ。ああいう騒ぎの中でアイデンティティを感じられる人はある意味で幸せかも知れないが、もうそういうものを感じないし、感じたくない。鹿島アントラーズが優勝しても、レアル・マドリードが優勝してシベレスに集まって寂しい人たちだと思ってしまうのだ。試合は、闘牛がなければ観るが闘牛があれば観ない。その程度のものだ。サッカーは観るよりやる方が好きだが、もう10年以上やってないなぁ。
紀伊国屋で、2冊本を買ってきた。『探偵小説の「謎」 』 江戸川乱歩、『吉野家の経済学』 安部修仁、伊藤元重。そして、近所の本屋の寄ったら頼んでいた、『文芸ポスト』 が届いていたので買ってきた。この雑誌特集が吉田拓郎という生き方、を組んでいる。読みたいのは、山田風太郎の「戦中派焼け跡日記」。
いつものことだが、今シーズンも闘牛士の怪我が多い。フィグラが怪我をして若手闘牛士がチャンスを与えられ活躍の場が提供される。
30日の結果。 マドリード。ディナスティア、場内1周。アンドレス・サンチェス、ディアゴ・ウルディアレス、耳なし。 アルヘシラス。パディージャ、耳1枚が2回。モレノ、耳要求で場内1周。ダニエル・ドゥアルテ、耳なし。 ブルゴス。騎馬闘牛士、パブロ・エルモソ・デ・メンドーサ、耳要求。ビクトル・プエルト、口笛。アベジャン、耳1枚。 サモラ。フィニート、耳なし。コルドベス、耳1枚ともう1枚要求。レアンドロ・マルコス、耳なし。 La
Brede(フランス)。フランシスコ・マルコ、ファン・バウティスタ、耳なし。ファンディ、耳1枚が2回。
7月2日(火)
昨日は蒸し暑かった。今日もそんな天気になりそうだ。じっとりとした日本の梅雨が始まったのかと思うと憂鬱になってくる。読み始めた、『吉野家の経済学』 が面白い。高校での1部上場企業の社長と、東大教授の対談集。そういうこところも面白いが、内容が面白いのだ。
円が対ドルで上がって、ユーロに対しては下がっている。計算上は、円をドルに替えてスペインに行ってからユーロに替えるとレートが良いと言うことになるだろう。
1日の結果。 テルエル。フェレーラ、耳2枚。ミウラ、耳なし。オルドニェスに替わりセサル・ヒメネス、耳1枚。
7月3日(水)
『文芸ポスト』 の山田風太郎 戦中派焼け跡日記 をつらつら読んでいたら、NHKで、「平民宰相 原敬」 を始めたので本を読むのを止めてTVを観た。盛岡に生まれ19代首相になり暗殺されるまでを45分間に上手くまとめいた。原敬のことはあまり知らない。自伝などの本も読んだことはない。原敬記念館は、実家から自転車で10分もしないところにあり、小学校か中学校の時、授業で行ったことがある。暗殺されたときに着ていた服が展示されていてワイシャツにはもう黒くなった血が着いていた。
盛岡出身の初めての首相で、平民からなったと聞かされ、凄いもんだと思った。だが何故暗殺されたかは覚えていなかった。この番組を見て原さん(盛岡では今でもそう言う)がやった政策、志向した通商重視の考えをその後も日本が続けていたならば、軍備を増強して戦争に向かわなかっただろうと思った。しかし、皮肉なものだ。その後軍の中枢には、原さんと同じ南部藩出身者の子供たちが、戦争に日本を向かわせていくのだ。その代表が東条英樹。
薩長閥の嫌がらせを具体的に体験した原敬。観念的に感じたその後の世代の、東条、及川、米内など。山田風太郎の記述や、日本のミステリーや探偵小説と呼ばれる以前にその創成期に活躍した、『銭形平次捕物帖』 を書いた野村胡堂は一時期東京の原敬の所で書生をしていた。彼と同時期に盛岡中学には金田一京助や石川啄木、海軍大臣になった及川。その辺りの時代を調べたら面白いだろうなぁと思う。
原さんは、61歳を過ぎて政治家をやっていたら命が危なくなるだろうと、初めて衆議院議員になったとき妻の浅に言ったという。そしてその通り66歳の時に暗殺される。私利私欲ではなく、日本の為に働いた政治家だったようだ。本当かどうかは知らないが。しかし、非常に良い政策を実行して国民にも人気があったようだ。軍部には嫌われたようだが。あんなのを観ると盛岡に生まれたことを誇りに思う。
7月4日(木)
昨日の夜中に再放送した、NHK 「プロジェクトX」 はデジタルカメラを制作する話だった。始めに作ったカメラが全然売れず窓際族。そんなとき苦渋を舐めていた各社のデジタルカメラ開発技術者がリーダーを訪ね、「デジタルカメラの時代が必ず来る」と勇気づけられる。それぞれの会社で苦労している人たちだった。
胸を打たれ、それから闇研という秘密の研究会を開き制作する。でかいカメラが出来た。それから、会社に研究費を出して貰い公に研究が始まる。その間10年だったかな。マイクロチップを開発してコンピューターに接続画像を取り込む機能を付けアメリカの展示会へ。大評判になる。それがきっかけで発売前から人気が出、発売後は売り切れるほどの大ヒット商品になる。
男たちの仕事は見事なものだ。
7月5日(金)
昼、片山先生と食事した。3月大学を退職して、元学生たちが何度も先生を飲みに連れ出し胃潰瘍を患う。退職後の諸手続や大学の研修室から書籍を自宅に運んだり、して5月にスペインに行く予定が延び延びになり、そして、足首の靱帯を伸ばし杖をついたりしていたそうだ。今日は杖はついていなかったので、大丈夫ですかと、聞いたら、だいぶ良くなったから杖なしで歩けるようになったと、言っていた。
寿司屋に行ってマグロのほほ肉焼き定食を食べビールを飲んだ。食事中は先生が退職後の話を聞いていた。場所を変えて喫茶店へ。そこで、闘牛や本の話をした。マンガの脚本の事も。子供の頃、日常的に食べていたもので、美味しいと思うもの。日本人だったらみそ汁とかお新香とか、いわゆるお袋の味を感じさせる食べ物は、スペインでは何でしょう。そんなことを言ったら、先生は、荻内さんとかに聞いた方が良いんじゃないと言いながら、トルティージャとかソパ・デ・アホとか。と言われて、なるほどなぁと納得した。そうかそう言う食べ物ならお袋の味ってあるだろうと思った。
初めて闘牛学校に行くときの朝にそういうのをお袋に出して貰って食べているところから始めたいのだ。荻内先生にも後でTELして聞こう。インパクトのある答えが返ってくるかも知れない。片山先生は、要するにエル・コルドベスにとってのハモン・セラーノの裏返しでしょうと、言うので、そう言うことですとこたえた。先生は話を聞いていてある場面から始めるべきだと言っていた。そのことも頭に入れて物語のあらすじを整理し、物語に入れるエピソードの細部などを書いていき、その時点で1度先生に見て貰いアドバイスを貰おう。
これは、出来るだけ早い時点で始めた方が良いと思っている。調べなきゃならないことが出来たので、その辺をクリアする必要がある。
4日の結果。 テルエル。エンカボ、耳なし。エル・レンコ、耳1枚が2回。エル・ファンディ、場内1周が2回。
7月6日(土)
田中長野県知事の不信任案が可決された。山田風太郎関連の本雑誌が届いた。つらつら観るに色々考えさせられる。ある本には風太郎のことを戦後2人目の天才と書いていて、もう1人を柴田錬三郎と言っている。柴錬をそう評していることを理解できない。あの人は文章が下手だと思う。
パンプローナのサン・フェルミンの闘牛が始まった。ここ何年かはサン・フェルミンが始まる前に闘牛が始まる。だから、エンシエロが祭り前だからないようだ。サン・イシドロで最優秀見習い闘牛士になったマティアス・テヘラが耳を切った。これも、ここ何年かと同じだ。
5日の結果。 テルエル。フェレーラ、耳1枚。ビクトル・プエルト、ウセダ・レアル、耳なし。 ビトリア。エスプラ、耳なし。ホセ・イグナシオ・ラモス、パディージャ、耳1枚。
7月7日(日)
ムンディアルの決勝のために1週間遅れて、『利家とまつ』 「本能寺の変」を今日やった。光秀が出陣前に連歌会をやって、「時(土岐)は今 天が下知る 五月かな」 の発句から連歌会が始まった。その後何度も籤を引くが、出るのは、凶や大凶。光秀は所詮天下を収める器ではない。そんなことは本人が1番良く判っていたはずだ。が、どうにも我慢できない恨みがあった。それを晴らすために信長を殺した。
家康の接待役を任せたとき、膳を信長にひっくり返し、信長から、「で、あるか」と、言われ震えるような恐怖を感じただろう。それが領地替えの事を聞き、怒りに替わったのだろう。風太郎が言っているが、もし、信長が後10年生きていたら日本は変わっていただろうと。日本という国は、光秀のように、秀でた人物を嫉妬する秀才型の人間を産む。ある種、光秀も鈴木宗男の様な人間だと思う。
サン・フェルミンが始まった。騎馬闘牛士のパブロ・エルモソ・デ・メンドーサが耳4枚と尻尾1つを取って名馬カガンチョでプエルタ・グランデを通った。カガンチョは今年の4月16日セビージャで引退したが、その後マドリードのサン・イシドロでもファンの前でお別れをした。今回もスペイン三大祭りの一つサン・フェルミンにカガンチョを引き連れてファンにお別れをした。今後もこのようなカガンチョのお別れがファンの前で行われるだろうが、機会は限られたものになるだろう。
6日の結果。 カストロ・ウルディアレス。ルギジャーノ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。ミゲル・ロドリゲス、耳1枚。ビクトル・プエルト、耳2枚と尻尾1つ、耳2枚。 フエンテサウコ。コルドベス、耳2枚。パディージャ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。ディエゴ・ウルディアレス、耳2枚が2回。 ラ・ムエラ。ボテ、耳1枚ともう1枚要求、耳要求で場内1周。フィニート、モランテ、耳なし。 テルエル。カバジェーロ、耳1枚。エウヘニオ、耳なし。フリ、耳1枚。 エブリケ。フェレーラ、耳1枚。ビクトル・ハネイロ、耳2枚。ファンディ、耳2枚が2回。
7月8日(月)
今週は非常に忙しくなる予定。更新はまともに出来ないだろう。アクセス回数自体が少なくなるだろう。くたくたになりそうな1週間が始まる。闘牛の会の原稿も未だ書いていない。
7日の結果。 マドリード。カナレス・リベラ、ファン・ディエゴ、ホセ・ルイス・トゥリビニョ、耳なし。 バルセロナ。フィニート、耳なし。モランテ、耳1枚。ホセ・トマスに代わりアベジャン、耳なし。 パンプローナ。エスプラ、耳なし。ペピン・リリア、耳1枚。エンカボ、耳なし。 シウダ・レアル。パディージャ、耳2枚が2回。フェレーラ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。ファンディ、耳2枚が2回。 タラゴナ。コルドベス、耳2枚、耳1枚ともう1枚要求。ウセダ・レアル、耳2枚。セサル・ヒメネス、耳2枚と尻尾1つ、耳2枚。
7月11日(木)
8日の朝家を出て9日の夕方帰ってくる予定が、8日の23時頃TELで9日の夕方から11日の朝まで仕事をしなければならない状況になったことを知った。体が持つのかと、思ったが10日の昼頃猛烈な睡魔が襲った。ちょっと寝たら元気になった。帰ってきたのが今日の10時前。そんなに仕事なんかしたくないのに状況が状況だけに仕方なかった。
それにしてもHPのカウントを見てビックリした。こんなに来てるわけ。7月に入って夏休み前と言うこともあってかスペインに行っているときよりも増えている。1日平均80。今日ももうすでに92。100以上行ったのが2日ある。
マドリードのローカルTV、カナル33が明日の22時からと土曜日の13時半から、セサル・リンコンが闘牛に復帰を記念してセサルの特集を放送するようだ。
掲示板にmayumiさんが書いたとおり、ペルーでシウダ・レアル出身のレイナ・リンコン(本名、ホセ・トマス・レイナ・リンコン)がペルーの海岸で死体で発見された。どうなっているのか。自殺、他殺かは不明の模様。
8日の結果。 パンプローナ。ペピン・リリア、耳なし。ビクトル・プエルト、フランシスコ・マルコ、耳1枚。ペルーで死亡した、レイナ・リンコンのために1分間の黙祷を捧げた。
9日の結果。 パンプローナ。ミウラ、アベジャン、アントニオ・バレラ、場内1周。アントニオ・バレラ、コヒーダされ右太股に12cmの角傷を受け重傷。
10日の結果。 パンプローナ。カバジェーロ、耳1枚。府営、耳1枚、耳2枚。フランシスコ・マルコ、耳1枚。ペルーで死亡した、レイナ・リンコンのために1分間の黙祷を捧げた。
7月12日(金)
昨日は暑かった。昼寝をしてたのでそんなに感じなかったが、寝汗をかいたので暑くなったことが判った。今日も暑くなるようだ。ビデオを観て闘牛の会の発表に備えた。原稿は未だ書いていないが、土曜日の午前中に出せばいいので何とかなるだろう。暑くても、その暑さを感じる様にしていた方が、冷房病などに夏よりはずっと良い。体にもその方が負担がかからなくて良い。体がベタベタするが風呂が気持ち良い。
アイスクリームと団扇と蚊取り線香の季節になってきた。台風の被害がどれだけのものかニュースを観ていないので知らない。来週も雨の日が多いようだ。本格的な夏は未だ先なのかも知れないが、今日明日くらいまでは暑いだろう。
11日の結果。 パンプローナ。ソトルコ、耳1枚。エウヘニオ、耳なし。フリ、耳1枚ともう1枚要求、耳1枚。
7月13日(土)
闘牛の会への原稿は書いて送った。到着もTELで確認した。ビデオを観て最終チャックしている。後は、必要なものを忘れずに持っていけばいいだけだ。午後になり小雨が降ってきた。みんな来るんだろうか。
山田風太郎 『戦中派不戦日記』 昭和20年1月1日から2月15日まで読む。毎日米軍機の爆撃がある東京で医学生として過ごした山田誠也。日々の生活、心情を丹念に書いている。時間がないので引用してじっくり書くことが出来ないのが残念だ。
12日の結果。 パンプローナ。パディージャ、場内1周。左足怪我。フェレーラ、ファンディ、耳なし。フェレーラはプンタッソされたがたいしたことはない。
7月14日(日)
昨日の闘牛の会にまた1人新しい人が来た。何年か前にマドリードでくまさんと会ったときに一緒に来た人だった。HPを出しているので思い出したように闘牛の会に来たようだ。他にも仙台と鈴鹿からわざわざ来た人がいる。凄いことだなぁ。鈴鹿から来た人は、97年9月13日、ラス・ベンタス闘牛場で未だノビジェーロだったエル・フリのウニコ・エスパーダを観て闘牛の魅力を感じ、闘牛が好きになったのだそうだ。その時、録画したビデオを会にプレゼントした。帰ってきて5頭目の場内1周の牛で耳2枚取った闘牛を観た。場内の興奮、フリの勢いを感じる貴重な映像だ。
サン・イシドロ報告は、6月8日、場内1周したビクトリーノ・マルティン牧場の牛でのエンカボ。5月24日、ポンセの耳2枚。5月17日、メホール・ファエナに選ばれたフェレーラ。5月21日、緊張と興奮のホセ・トマスの4つをやった。終わった後、アントニオが僕に向かってあなたに、オレハと笑っていっていた。片山先生は、「今日は凄いよ。全部がメインディッシュで、満腹。あれ1つ一つを1回1回分けてやっても良いような闘牛ね」と、興奮していた。
詳しくは、明日以降。
13日の結果。 パンプローナ。ビクトル・プエルト、耳なし。フェレーラ、耳1枚ともう1枚要求で場内2周、耳1枚。ファンディ、耳1枚、耳2枚。
7月15日(月)
何と歯医者に行ったら、今日じゃないと思いますよ。17日ですよ。と言われて、予約カードを観たら17日と書いてあった。何で間違えたのだろう。すっかり予定が狂ってそれでも洗濯して干したら日差しが良いのと、風が吹いているのが手伝って直ぐに乾いた。
山田風太郎 『戦中派不戦日記』 昭和20年2月16日から5月12日までを読む。
14日、タラゴナで行われた闘牛でアントニオ・フェレーラがラモン・ソランド牧場の、コトリコという490キロの牛をインドゥルトした。
14日の結果。 マドリード。イガレス、ラファエル・ゴンサレス、ルイス・ビチェス、耳なし。 バルセロナ。ビクトル・プエルト、フリ、耳2枚。セサル・ヒメネス、耳1枚。 パンプローナ。ソトルコ、耳なし。フェルナンデス・メカ、場内1周。パディージャ、耳なし。 タラゴナ。ディナスティア、耳1枚、耳2枚。フェレーラ、耳2枚と尻尾1つ。インドゥルト。ファンディ、耳1枚が2回。 ソリア。騎馬闘牛士、メンドーサ、耳2枚。闘牛士、コルドベス、耳1枚が2回。エウヘニオ、場内1周。 ラ・プエブラ・デ・モンタルバン。ラファエル・デ・フリア、耳1枚が2回。ホセ・ルイス・トゥリビノ、耳1枚、耳2枚。ハビエル・カスターニョ、場内1周。 マルベージャ。フィニート、耳2枚。ハビエル・コンデ、耳2枚。ペピン・リリア、耳2枚。 ベナルマデナ。騎馬闘牛士、アンディー・カルタヘナ、耳1枚、耳2枚。闘牛士、モランテ、耳1枚。見習い闘牛士、マンサナレス、耳1枚が2回。 CERET(フランス)。エスプラ、耳1枚。エンカボ、場内1周。フェルナンド・ロブレニョ、耳1枚、耳2枚。
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