断腸亭日常日記 2002年 スペイン日記 NO1

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年のスペイン滞在日記です。

99年1月13日〜2月16日 2月19日〜4月14日 4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日
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9月12日〜10月7日 10月10日〜11月10日 11月14日〜11月28日 12月12日〜12月31日
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4月16日〜4月30日

 5月1日(水)

 スペインに来て2週間以上が過ぎた。今日、明日はマドリードは休日。5月5日はスペインの母の日。今日から、サン・イシドロ前のフェリア・デ・コムニダ。毎週日曜日やる闘牛も合わせて5日間連続の闘牛開催になる。日本はゴールデン・ウィークでここ数日はアクセス数が減るだろう。が、闘牛はしっかりある。出来るだけ観戦記を書いていきたい。

 昨日の夕方、三木田さん夫婦と会って夕食を共にした。セサル・ヒメネスがプエルタ・グランデした日、三木田さんはガイドでベンタスに入っていて、連れているお客が1頭目で血を見るのが嫌だと言い出して、結局2頭目が終わった時点で出てきたのだそうだ。非常に残念がっていた。いくら説明してもダメだ。と、言っていた。そう言う人もいるのだろう。でも、スーパーで売っている牛肉も血を流して死んでいったもの。人がいきると言うことは、他の動物の命を奪ってしか生きていけないという根本を理解していないし、身についていない。そう言う人は、普段の日常において感謝する気持ちがないのだろう。今自分が生きていることは、そういうことだということが認識されていないと、張りのある生活など送れないのと思うのだが。

 生死というものから目を背けようとする風潮から、他者を何とも思わない気持ちが生まれてくる。当然、弱者をイジメ、面白がるし、ものを考えるという事をしなくなる。怒ったときは、喧嘩じゃなく殺人になる。そういうとんでもない飛躍をするのは、自分と他者との関係、他人の痛みを自分の痛みとして置き換えて考えることを拒否して生活しているからだ。

 セビージャの身障者のフェンシングを見に行ったとき、その教室は、病院の中にあった。1階ではリハビリが行われ2階のフロアでやっていた。車椅子生活を始めたばかりらしい若者が2階に通じるなだらかな傾斜の車椅子用の通路をリハビリ担当の白衣を着た女性のそばに付き添い、車椅子の練習をしていた。後ろ向きなった車椅子でその傾斜を昇っている。リハビリ担当の白衣を着た女性が大声で、「Vamos! Vamos!」 とか 「Venga! Venga!」 と叫びながら励ます。

 2つの傾斜を後ろ向きで昇り一息つくと今度は前向きで昇っていく。後10m。そして、リハビリ担当の白衣を着た女性はその車椅子の上に乗ってそれまで以上に大きな声で、「Vamos! Vamos!」 「Venga! Venga!」 と叫ぶ続ける。若者は真っ赤な顔をしながら車椅子を押し続ける。2階に着くと一息ついて、今昇ってきた傾斜を下っていく。1階に着いたら、また同じ事が繰り返される。

 「Vamos! Vamos!」 「Venga! Venga!」 「Tira! Tira!」 途中で苦しくなってその若者は、リハビリ担当の白衣を着た女性に何かを言っていた。遠くなので何を言っているかは聞こえないが、「出来ない」とかそういうことを言っているのだろう。でも、リハビリ担当の白衣を着た女性は、決然と、「Vamos! Vamos!」 「Venga! Venga!」 を繰り返すのだった。彼女は、この若者が街に出たらこれ位じゃ済まない厳しい現実を知っているからこそ、そうやって大声を出すのだろう。そしてこの若者がこの先何十年と車椅子生活を送ることになるであろう生活を思い、そうやって叱咤しているのだろうと思った。「Animo!」(がんばれ!) とは言わない。何故ならそれがこれから彼の普通の生活になることを知っているからだ。

 若者は気を取り直して再び車椅子で昇り始めた。「Vamos! Vamos!」 「Venga! Venga!」 元気で大きな声が、青空の下、響き渡る。後ろ向きに昇ってきて一息ついて最後の直線10m。リハビリ担当の白衣を着た女性はまた車椅子の上に乗った。「Vamos! Vamos!」 「Venga! Venga!」 「Vamos! Vamos!」 「Venga! Venga!」 ・・・・・・。若者は真っ赤な顔をして車椅子をこぐ。

 僕は、この光景を見ていて自分の目から涙がこぼれていることに気づいた。ここには明らかに“生”がある。生きることに前向きな“生”がある。僕の肉体はその時それを全身で感じた。少し離れたところに下山さんがいた。下山さんもああやってリハビリをし、歩けるようになったのだ。僕は自分が少し恥ずかしい様に思えた。こういう努力をして生きている人たちを目の当たりにすると、感動と共に、自分の“生”を大事にしなければと思わずにいられない。そして、生きることはどんなことがあっても素晴らしいもののような気がした。

 本来闘牛はそういう生を、牛や闘牛士が流す血から想起させるものだと僕は思っている。そこで行われる技術や命懸けの闘牛に、美や生の固まりを垣間見る。また、醜く血を流して足を引きずる姿にさえも。現実に見える、ありのままの生と死の対比。だからこそ、スポーツでは味わうことが出来ない感動が生まれる。今日から5日間の闘牛が始まる。僕はそれを感じようと闘牛場に足を運ぶ。

 パスポートは明日来ることになった。


 5月2日(木)

 寒い朝だ。今日は、Dos de Mayo.1808年5月2日、フランスのナポレオン軍がマドリードに侵攻し、それに市民が蜂起した事を記念してコムニダ・デ・マドリードは休日になっている。これは戦勝を記念したものではなく、独立を守ろうとしたマドリード市民の意志を記念している。だから、アラファトはもっと吠えるべきだ。ファシスト的なイスラエルのシオニズムに徹底的に戦うべきだ。パレスチナの自治と独立のために。少なくてもスペインを始めヨーロッパはパレスチナを応援している。1808年5月2日の事は、プラド美術館にあるゴヤの絵に描かれて残っている。12時からプエルタ・デル・ソルでは、コムニダ・デ・マドリードの式典が行われている。

 レアル・マドリードがバルセロナに1−1で引き分け、チャンピオン・リーグの決勝に進出した翌日、まさにマドリードは休日気分だ。朝早く起きたが体がだるかったので10時過ぎにベッドを出て朝食を取ってウンコをしてベンタスに今日の切符を買いに出かけた。キオスクでABCの新聞を買ってグラン・ビアに出たら騎馬警官隊が50騎くらいバンコ・デ・エスパーニャの方に向かっていった。こんな光景は僕の田舎のちゃぐちゃぐ馬っこ位しか日本では観れないだろう。

 メトロの中でABCを読んでいたら昨日のテロの記事が載っていた。ETAが、レアル、バルサ戦前にサンティアゴ・ベルナベウ・スタジアム近くのリマ広場とエンバッハドーレス通りの2カ所で自動車に仕掛けた爆弾を爆発させた。全く何を考えているのか判らない。そもそも、バスクにいる市民の民意はとっくの昔にETAから離れている。今でも、ETAというテロ集団が存在していること自体、信じられない。自動車爆弾が闘牛場近くに仕掛けられていたら大変なことになる。7日のレアルと日本戦はどうなるのだろう。

 ABCの闘牛の記事には、昨日コヒーダした牛は、「invisible a sus ojos.」 と書いてあった。つまり目が見えない牛だったのだ。あまりに退屈な闘牛だったので僕はそれに気づかなかった。こんなのじゃ闘牛観ていることにならない。自分自身反省しなければ。いくら退屈な闘牛でもそういうことは見落としていては単なる闘牛ファンでしかないじゃないか。本を書こうとしている人間としては失格だ。もっとしっかり目ん玉を開けて牛の身体的な特徴を見極めないとダメだ。勿論、闘牛士の特徴も。反省させられる記事だった。

 今日の闘牛の切符は案の定、楽に手に入れることが出来た。ダフ屋の爺さんがタキージャに並んでいたら、「テンディドのバッホがある」と言って、2列目の切符を見せてきた。だから、「10列目が欲しいんだ」と言ったら、8列目の切符を見せた。「いくら」と聞いたら、「闘牛場で売っている同じ値段だ」というので買うことにした。20ユーロを渡すとお釣りがなくて、何故か50センチモ硬貨を2枚渡して、「後、5ユーロ。ちょっと待って」と言って近くにいるダフ屋仲間に細かいお金があるか聞いている。切符は14.5ユーロ。お釣りは5.5ユーロ。爺さん計算を間違えている。こっちの人は引き算が出来ないので、20ユーロ預かったら、14.5ユーロに、足し算をして20ユーロにするけど、ptsの時と違って、計算間違えをしているようだった。

 5ユーロ紙幣を持って来た。爺さんが哀れに思えて、50センチモ返して5.5ユーロを貰って帰ってきた。年を取れば取るほどptsの金銭感覚が身についているので、ユーロでの計算が出来ないようだ。エスプラとエンカボの今日のカルテルじゃ結果的に満員になっても切符の心配はない。ダフ屋が考えているほど売れない切符だ。セビージャに行ったとき聞いた話で、駄菓子屋のお婆さんが長年やっていた商売をユーロに替わるので辞めたのだそうだ。ptsの計算なら出来るが、新しいユーロでは計算に慣れるのが大変だから、と言うのが辞めた理由だ。メトロで買った切符を観ていたら、公営ダフ屋から買った切符で20%増しであの爺さん買った切符だった。爺さん20%損して売ったのだ。思惑が外れたね爺さん。もう少し闘牛のこと判ってないと儲けがなくなるよ。まっこれからサン・イシドロが始まるから充分儲けれるだろうけど。

 今日は下痢気味だ。寒いので腹が冷えると屁と一緒に出てきてしまう。今日天気は、「Bastante Frio.」 と言う。かなり寒い。闘牛場へはかなり着込んで行かないと風邪を引くかも知れない。今日バレンシアの7月のフェリアのカルテルが発表される予定。観戦記と一緒のアップになるだろう。8月のフランス、ダックスのカルテルも発表された。

 昨日5月1日は、ホセ・ミゲル・アロージョ・デルガド、こと、ホセリートの32回目の誕生日だった。


 5月3日(金)

 昨日の闘牛場は非常に寒かった。どうやら、コムニダ・デ・マドリードにある、プエルタ何とか言うところには昨日雪が降ったらしい。マドリードも冬のように寒かった。おかげで、頭が痛くなり咳や鼻水が出た。未だ、風邪ではないと思う。それに近い症状だったが朝は、足が冷たいので冬用の靴下をはいている。今日も曇り空。今日はの闘牛はノビジェーロだけど、去年サン・イシドロで活躍した、レジェス・メンドーサとハビエル・バルベルデが出るので楽しみだ。

 今日は部屋から未だ出ていない。パスポートが来るのを待っているところ。ようやく14時過ぎに到着。混んでいたと言い訳をしていたが、もう銀行はしまっている。これから買い出しに行って飯を作るか食べに行くか決める。MさんにTELしたらようやく通じて、今日闘牛が終わったら会うことになった。観戦記は今日書けるかどうか分からない。堀越さんにもTELが通じて近日中に会う予定。下山さんとは毎日TELで話している。

 今頃日本ではダービートライアルの結果が出ているだろうなぁ。


 5月4日(土)

 昨日闘牛が終わった後、Mさん夫婦と会ったらそのまま、「家に来ない」と誘われて夕食を御馳走になって闘牛の話を1年ぶりにたっぷりして泊まってきた。マグロの刺身が美味しかった。シマという猫の喉を指で撫でてやると気持ちよさそうに目を瞑って寄りかかってきた。「上手だね」と言われたので、「闘牛観るようになったら、犬や猫の扱い方が分かってきた」と言ったら「そうなんだ」と感心された。自分自身も感心しているからそうかも知れない。

 昨日の闘牛で、ハビエル・バルベルデがプエルタ・グランデを逃した。下山さんからTELで、Via Digital でフェルナンドとロベルトが、ハビエルの2頭目の牛で、「ナトゥラルでやっていればプエルタ・グランデ出来たのに」、と言っていたそうだ。そこが判らなかった。ノートを観ると確かにナトゥラルの方が牛が動いている。そういう見極めがちゃんと出来ていない。またまた反省だ。何でそういう大事なことを見落としているんだろう。

 ハビエルは、プエルタ・グランデできなかったことを牛のせいにしていたそうだ。去年のプエルタ・グランデを見たものとしては、今年どれだけ成長しているか楽しみにしていたのに、成長の跡がない。あれじゃ去年の方が良い。俺の闘牛の見方もムラがある。これは大いに反省しなければならない。

 昼飯が出来たのでこれから食べる。今日の闘牛は見落としがないようにしたい。昨日の観戦記を未だ書いていないが、観たまま、正直に書こうと思っている。


 5月5日(日)

 朝8時半に目覚ましをセットしていたのに起きたのは13時近く。疲れているのか眠いのだ。朝食を取ってTVを観ていたら、ヘレスでやっているモーターバイクのレースの中継をやっていた。250ccなのか500ccなのかクラスは判らないけどチャンピンのロッシが優勝。2位が加藤、3位が宇川(この漢字で良いのか知らない)、5位までが本田で、6位がヤマハだった。確か日本を出る前の新聞だと本田技研は史上最高の利益を上げたはず。日本ではほとんど知られていないけど、ヨーロッパでは、モーターバイクレースではいつも本田やヤマハが上位に来ている。こういうことは、ヨーロッパ市場では重要な意味を持つことだ。

 残り2周で、3位の宇川と4位のヨーロッパ人は何回順位を入れ替えただろう。F1と違ってバイクレースの面白さは残り1周で時には何度も順位が入れ替わることだ。他にもこのクラスだけで日本人ドライバーは5,6人いる。違うクラスで優勝したのはスペイン人。アナウンサーは興奮していた。

 TVを観ていたので散歩に行くのが遅れた。15時過ぎに王宮前まで行って、ガブリエル・ガルシア・マルケスの、『物語の作り方』 を読んで、帰りにエル・コルテ・イングレスによって買い物をしてきた。今日は第1日曜日なので開いているのだ。帰りに曇っていた空から雨が落ちてきた。今も小雨が降っている。闘牛はやるだろう。今日は雨が降っても屋根のあるグラダ辺りで観ようかと思っている。久々にマリアノ・ヒメネスを観れる。Mさんは、全然ダメだ、と、言っていたがそれでも見に行きたいのだ。

 「基本的な理念、物語を前へ進めてゆく理念は、創造の領域に属しているんだ。」ーーー『物語の作り方』 ガブリエル・ガルシア・マルケスの言葉よりーーー


 5月6日(月)

 昨日のフランス大統領選挙でジャック・シラクが82%の投票率で圧勝した。第1回投票で3位になった社会党は2位に入って決選投票に出た極右政党のル・ペンへの危機感からシラクの大統領を望むわけではないがシラクを支持し圧勝に繋がった。こういうフランス国民のバランス感覚が、シラク大統領を誕生させた。左翼、社会党の選択は正しいと思う。極右ル・ペンより、右翼シラクの方が良いという。

 思い出すのは、イスラエルだ。和平派が、パレスチナとの対決を表明していた元軍人を望まなかったので投票拒否を呼びかけ結果として現政権が誕生した。それが、今の中東情勢を混乱させるきっかけになったのだ。こういうイスラエル和平派を中心にした選択の間違いは国難を招く。今回のフランス国民の選択に観るバランス感覚をもし、あの時イスラエル国民が持っていたら、今のような滅茶苦茶な事にはなっていなかっただろう。

 スペインサッカー・リーグは、来週が最終週になる。1部から2部へ落ちるチーム。2部から1部へ上がるチーム。色々あるが、2部へ落ちるファンが相手チームの選手へグランドで暴力をふるっている。血だるまになった選手、ファン同士の暴力など書き出したらきりがないほどだ。ETAのテロがあった1日レアル・マドリードファンが暴れた。新聞は、「Un grupo de radicales」 と書いているが、radical=急進派、過激派と、呼んでいるがあれはテロリストと同じじゃないか。

 ああいう捌け口のない若者を、ある意味で可哀想だとは思うが、徹底的に取り締まるべきだ。感情的になって騒ぎを起こしたり、意味もなく騒いだりして、暴力をふるうから可哀想と言っていられない。チームへの愛は他チームへの憎悪になって暴力をふるう。スポーツの中にある最も醜い部分だ。「闘牛には憎しみはない。あるのは恐怖と愛だけだ」 と言ったジャン・コクトー の言葉を思い出して欲しい。スポーツでではない闘牛には憎悪は存在しないのだ。世界で最もファンの多いサッカーは暴力だらけだ。おとなしいのは日本人だけと思った方が良い。ワールド・カップは大変だろう。想像を絶するものになるかも知れない。

 朝8時半頃に起きて両替に行った。街を歩いている人の服装は、オーバーやジャンバーにマフラーまでしている。この寒さは冬だ。今日のマドリードの最高気温は14度。最低が6度。そんな中で昨日の闘牛が2時間50分。寒くて当たり前だ。風邪を引かないのが不思議なくらいだ。帰ってきて直ぐにバーボンをストレートで飲んで体の中から暖めたからだろう。

 セサル・リンコンが闘牛士に復帰するという記事は、コロンビアのメデジン闘牛場で行われる慈善闘牛の話だった。ただC型肝炎が大分良くなっている事も書かれていたのでそれが嬉しいことだ。スペインで闘牛をするとか言うのは話に出ていない。


 5月7日(火)

 バレンシアに凱旋した選手たちは空港から熱狂的な歓迎を受けた。メスタージャ・スタジアムには、3万5千人のファンが豪雨の中、集まってリーグ優勝のセレモニーが行われた。選手も市民も優勝に酔っている。町中で喜んでいるファンの中をヨボヨボのおばあちゃんが人の流れと反対に歩いている。それをTVカメラが追う。横断歩道で2人がおばあちゃんを手助けしていた。おばあちゃんはこの騒ぎに戸惑い、どうしてこんなに騒ぐのか判らないようだった。

 昨日か今日行こうと思っていたベンタ・デル・バタンには多分明日にでも行くことになるだろう。今日は昼食を、Kさんと一緒に取る予定。夜は日本とレアル・マドリードの試合をサンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムに見に行く。朝のTVで、日本の報道陣の加熱ぶりを放送していた。選手は誰が出るかと言うことは関心の外にある。当然誰が来てるのか知らない。レアルは、ジダン、ラウルが出ない。フィーゴやイエロは出るようだが・・・。これなら日本は勝たなきゃダメだよな。

 今日もマドリードは寒い。曇り空で夜は雨が降るようだ。最高が10度、最低が6度。冬だ。こんな中で21時半から?試合が始まる。観る方もそれなりの覚悟が必要だ。闘牛用の雨具を持っていく。

 朝、バルに行ってサン・イシドロのカルテルを貰ってきた。こういうのがないと、サン・イシドロが始まらないような気がする。始まれば闘牛場の前で配るだろうけどその前に手に入れておいた方が良い。6TOROS6 や Aplausos には載っているけど荷物になるので買っていない。良いのがあったら買うけど。


 5月8日(水)

 昨日の夜、サンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムで行われた日本対レアル・マドリードの試合は最低の試合だった。ジタンもラウルもイエロも出ないしレアルはやる気のなさが目立った。フィーゴは出ていたが、ロベルト・カルロスが良いプレーをしたが直ぐに交替した。小笠原と柳沢を生で観れたことが唯一救い。日本じゃサッカーを見に行かないのでこれが最後かも知れない。小笠原の身体能力があることをあのグランド状態の所で証明した。でも、あの試合観ていると日本はワールド・カップは予選落ちしそうだ。甘くないんだよな、世界は。

 システムは、4,3,3でやっていた。トルシエは考え方を変えたのだろうか。あれでも、4,4,2だったのだろうか?今までは、3,5,2でやっていたはずなのに。稲刈りの終わった泥んこの田んぼの中でやっているような試合。参考外の試合だが、ああいう状態になっても攻撃や守備の戦略があるはずなのにそれがない。ワールド・カップは梅雨の時期にやるのに今頃これじゃねぇ。日本伝統の蹴鞠を観ているようだった。まだ蹴鞠の方が繋がるけど。MARCA に載った日本選手の評価で唯一、2 の評価だったのは、柳沢。小笠原は、con fuerza 。

 昨日昼食は、近くの日本食レストランで、Kさんとその友人、Kさんと3人で取った。友人のKさんと話していたら荻内先生の教え子なのだそうだ。狭い世界だなぁ。隣で、大森さんが食事していた。狭い世界だなぁ。寿美さんとは明日会うことになった。

 朝、石井さんからTELがあった。もう元気の固まり。「昨日セビージャについて、今日は8時ヘレスのバルに行ってシェリーを飲んできました」 だって。もう、馬好きがヘレスの馬祭りに来て浮かれ気分だ。今日騎馬闘牛があるのでそれも興奮材料になっているのだろう。僕は、11日行くので石井さんには会えない。上家さんと一緒に闘牛を観ることになるだろう。ヘレスでは、下山さんとも合流できるだろう。

 ヘレスのホテルに今頃TELしたって部屋が空いている分けない。TELしまくったが開いているところは、土日じゃないとダメと言うし、予約できるところは、1泊、135ユーロと物凄く高いところだった。僕は今まで最高で1万ptsくらいの所しか泊まったことがない。2万pts以上するところに何か泊まれない。11日の事は何とかするとしてヘレスに泊まれないことがほぼ判ったので計画が立った。

 FNACで、頼んでいた現像を取り、フィルムを買ってきた。セビージャのフェリアで撮った下山さんとまゆみさんの写真をヘレスで渡そう。今、アレサ・フランクリンの、『アレサズ・ジャズ』 のCDを聴いている。6曲目からクィンシー・ジョーンズとアレサ・フランクリンがプロデュースをし、クィンシー・ジョーンズがアレンジを担当。5曲目までは、プロデュースは、ジェリー・ウェクスラーとトム・ダウトがやっているが、8曲目のビリー・プレストンのピアノがなかなか良いが、5曲目が1番良い。サム・クックの曲と言うこともあるのだろう。ジャズをやるという意欲は買うが、やっぱり、マッスル・ショールズ・サウンドで育ったアレサ・フランクリンは、ジェリー・ウェクスラーとトム・ダウトのプロデュースの方が生き生きしている。


 小野伸二が所属するフェイノールト(オランダ)が、COPA UEFA の決勝で3−2で勝って優勝した。


 5月9日(木)

 日本対レアル・マドリード戦が終わってメトロで帰ってきたが駅を出ようと地下道を歩いていくと出口前にレインコートがあり、そのしたにハンドバックがあった。バックの手提げ部分は片方がバックから離れ使えなくなっていた。おそらく泥棒が盗んできてお金を取った後なのだろう。マドリードには、相変わらず泥棒は一杯いる。今年は未だ遭遇していないが、後1ヶ月ちょっと、気を付けていないとやられるだろう。

 朝、ヘレスにいる石井さんからTELがあった。昨日の騎馬闘牛は凄く興奮したと言っていた。今日はホセリートとポンセが観れるからと、言うので、ポンセは今日は出ないですよと教えて上げた。まっホセリートが観れるだけで最高ですと言っていた。仕事の都合で急遽明日帰ることになったのだそうだ。だから、10,11日の切符があるので使いますか、と、言うものだった。今日はこれから乗れる馬を探しに行くと言うことだった。その後、寿美さんからTELがあり話をした。14時過ぎに昼食を取るのでその時にゆっくり話できるだろうが、石井さんが持っている携帯に繋がらないと言っていた。連絡待ち。

 だから、明日からヘレスに行くかも知れない。と、言うことは闘牛の会用の原稿を早急に書かなきゃならないと言うことだ。足立さんにもビデオの説明用のメールも出さなきゃならない。やばい。時間がないぞ。観戦記どころじゃない。


 5月10日(金)

 昨日の夜、メールを送信しようとしたら出来ない。困った。それで中崎君にTELしたら通じて、色々やってみたがダメで結局来て貰った。結果的には送信できたのだがサーバーの調子が悪かったのと、接続ポイントのTELが昔のものだったというのが原因だったようだ。折角来たので色々話したので3時くらいまでいた。メトロはなくなっているのでバスで帰ると言っていた。

 これから、チケットを取りに行ってヘレスに行く。今日明日と闘牛を観て12日の昼にマドリードに帰ってきて夜はシェリーを飲み比べる。今取ってきた。やばい時間がない。Me voy.


 5月12日(日)

 さっきヘレスから帰ってきた。ヘレスの駅では、今日のマドリード行きの切符はない、と言われたが、ちゃんと調べたらあるじゃない。下山さんとセビージャに行って、まゆみさんと3人で昼食を取っている途中に出発時間が近づいたので、AVEに乗って帰ってきた。ヘレスに行った日辺りから天気が良くなって日中は暖かくなった。闘牛場では日が沈むとそれでも寒くなったので冬用のジャンバーを持っていって良かった。

 闘牛は、10日が3人の闘牛士がプエルタ・グランデし、フィニートの2頭目とパディージャの1頭目は良い闘牛だった。フリの2枚はあまり印象に残らないものだった。牛がファン・ペドロ・ドメクで良いはずなのにあまり良い動きではなかった。一緒に観ていた上家さんにそれを言ったら、今日が1番良い牛です、と、言うことだったので、それまでの牛が悪かったのだろう。僕はどうしても、ファン・ペドロ・ドメクの牛だと、物凄く良い牛を何頭も観ているので物足りなく思ってしまう。

 闘牛が終わった後、またヘレスの馬術学校のショーを観た。4月の終わりに下山さんたちと観たときの、プログラムと違って馬祭りようのプログラムが組まれていた。バケーロ姿でバラ(棒)を持っての馬術があったが、上家さんの話だと初めて見たと言っていた。上家さんはこれで4回目だというので祭りの最中だとこういうものもやるようだ。始めが、馬祭りの会場のように後ろにセビジャーナスの衣装を着た女性を乗せてキャンターをするのだが、あれは後ろに乗っている女性の方が難しいと思った。

 11日はセビージャから下山さんが来て、結局僕の泊まっているホテルに泊まった。朝、ウーゴの散歩でかなり歩いたようで左足を痛がっていたので、昼食を取ってホテルに行き、少し休み、それから闘牛場に行った。ホセ・トマスは悪い牛を相手にしたら、耳1枚ずつ取って、モランテも最後の牛で、腰の入った手の低い長いパセを繋いで良いファエナをしてプエルタ・グランデした。モランテのファエナは、グラン・ファエナと言って良いものだったが、ちょっと不満もある。それは、観戦記で書こう。

 9日ニームで、セサル・ヒメネスのアルテルナティーバが行われ、耳3枚取って、フリ共にプエルタ・グランデした。最後の牛では多様なパセでインスピレーションを感じさせるファエナだったとネットには載っていた。彼の実力は相当なもので、今第一線で活躍している闘牛士と同等のものを持っているように思う。

 これからシャワーを浴びてベンタスに行く。帰ってきたらシェリー酒でパーティーだ。今日のカルテルは観たくもない闘牛士が3人出ているがそれで見に行く。そうやってベンタスを感じるのだ。


 5月13日(月)

 ヘレスではジャカランダの花が散っているところもあった。セビージャは、満開に近い感じでジャカランダの花が咲いている。あの淡い紫色はここ何年も続けてセビージャで観ている。僕にとってジャカランダのある並木道がセビージャのイメージとして1番大きい。ヘレスにもジャカランダの並木道があるが、フェリア会場の中を綺麗に飾った馬にひかれる馬車や、着飾った男女が馬に乗っているひっきりなしに通り過ぎている風景の方がヘレスらしい。そういう風景はセビージャのフェリアでは見られない。あそこは昼間っから馬車を繋いでいるが動いていないのだ。馬の数もヘレスの方が多いだろう。

 馬に付けた鈴の音が、ちゃんちゃん、ちゃんちゃんと近づいてくると気分が落ち着く。フェリア会場の隣にある軍隊の所で、馬車などのコンクールが行われていた。ちゃんとした服装の人が馬車のタズナを取って運転していた。女性もいた。1番小さい子は、3歳くらいの女の子で、見事なタズナ捌きだった。ああいうのを観ていると、幼いことから馬が生活の中にとけ込んで、それが年を取るほどに馬の扱い方や、馬への愛着が増していくのだろう。そして、昔ながらのこうした文化を守っているヘレスの人々に尊敬心と親しみを覚えた。

 牧場で、牛を育てる為には馬の扱い方を知らなければ話にならない。闘牛用の牛の育て方の延長線上に、その子孫たちがアメリカ大陸に渡ってカウボーイのスタイルを確立したはずだ。アンダルシア帽や鞍やブーツやタズナの持ち方、色々な馬具などはまさに、スペインスタイルの変形がカウボーイのスタイルが踏襲している。

 昨日は闘牛から帰ってきてからシェリー酒のパーティーをした。Fino.Oloroso. Manzanilla. Cream. Dulce.の順番に飲み比べをした。つまみは、生ハムが2種類と、チーズ。堀池さんから、シェリー酒のことをメールで送って貰ったので、その口上を読んで飲み比べが始まった。まず基本となる、Fino.Oloroso. を飲み比べ、次にManzanilla.Fino.は高い生ハムに合い、Manzanilla.は、塩気が割と強い生ハムやチーズに合い、Oloroso.は、チーズに合った。僕の舌では。そして、甘いCream.より、Dulce.の方が甘いがコクがあった。食後酒として飲むならDulce.の方が好みだ。しこたま飲んで酔っぱらって寝た。

 朝起きて、朝食を取ってFNACに行って現像を頼んでいたフィルムを取ってきた。セビージャとバルセロナとセサル・ヒメネスのウニコまでが入っている。セビージャの闘牛場のパティオ・デ・クアドリージャで撮ったホセ・トマス、アベジャンなどの写真をこれから観て闘牛場に行こう。


 5月14日(火)

 昨日FNACから取って来たフィルムを半分観た。セビージャの闘牛場内で取ったホセ・トマス、アベジャンなどの写真を観たが、思ったように取れていないものだ。ちょっと、ガッカリした。1番良く取れていたのが、ハビエル・カスターニョ。それでも、ホセ・トマス、アベジャン、ペピン・リリアなどの笑顔の写真が撮れているのは珍しいことだろう。後で、mayumiさんに見せてどれを現像して欲しいのか聞いて焼いて貰おう。今日闘牛が終わったら会う予定。闘牛の写真は、やはりバレラで撮ったバルセロナの写真が良い。ヘレスの写真は昨日出したので16か17日には出来るだろう。モランテとホセ・トマスがどういう風に取れているのかフィニートも良い写真に撮れていると良いが。

 朝散歩に行ったとき、街を歩いている人は半袖が多くなった。今日は昨日より暑い。明日は、15 de Mayo でマドリードは休日。サン・イシドロの日だ。もっと暑くなると言う。予想気温は、28度になっている。ガブリエル・ガルシア・マルケスの、『物語の作り方』 は面白い。もっと読みたかったが洗濯をしているので約1時間で帰って来た。この天気なら洗濯物は直ぐ乾くだろう。

 ヒッチコックの映画に、『めまい』 というキム・ノバクが一人二役するミステリーがあるがその話が出てきた。その話に関連してマルケスが日常生活のことを言っていた。自分の身近にいる家族、友人、知り合いとのふれあいの中で、言葉はいつも足りないのもだ。言葉での説明は、自分が相手を思っている気持ちを100%伝えていない。そういう“ずれ”は、いつでも何処にでもあるもので、その“ずれ”が重なると重大な誤解を招いていく。自分が相手を思っているのに、うるさい事言うとか、自分と彼女は、体質的に合わないのじゃないかと、深刻に考えてしまうことがあるものだ。

 しかし、そういったことは何処にでも、あることだし、誰にでも経験することなのだ。そういうことは、何かの弾みで誤解が解けると、今まで以上に相手を思いやり上手く行ったりする。そんな繰り返しが何度となく人生の中で再現される。良いときもあれば、悪いときもある。そんな当たり前の、物語の話もマルケスが言うと面白いものになるようだ。物語は、面白い。しかし、人生は物語と同じようにいつも面白いわけではないし、いつもつまらないわけでもない。闘牛と一緒。理想を言えばキリがない。理想を言いたくなるのは闘牛をある程度観ていれば、おぼろげでも浮かんでくる。

 しかし、人生の理想などというものはないのだ。そんなものがあったら、これほど多くの人たちが人生に悩み、迷うことはない。人生に理想がないということを学ぶこと、理解することを知れば、そんなことには悩むことはないだろう。自分の与えられた環境、選んだ生活の中で、自分のやれることを、出来ることを、しなきゃならないことを、やっていけばいいだけなのだ。

 昨日バジャドリードにホセ・トマスが出たが、耳は切れなかった。


 5月15日(水)

 15 de Mayo. マドリードの守護神、サン・イシドロの日で休日。そして、チャンピオン・リーグ決勝が20時からTVEで中継する。レアル・マドリード、ファンはウキウキ、ワクワクしてマドリードは祭り気分。おそらく今日の闘牛は途中で帰る人が結構いるだろう。僕は闘牛を最後まで観て帰ってくる。それでも未だ中継があればサッカーを観るけど終わっていたらそれまでの話だ。闘牛とサッカー。どっちが大事か、そんなことは愚問というものだ。

 とは言え、レアルには是非勝って欲しい。応援はしているが、闘牛観ている方が幸せだ。テレマドリードでは朝からフェリアの色々なイベントを中継している。これから17時半からはイギリスのグラスゴーでレアルファンの模様を放送し、19時からは闘牛中継。レアルはクラブ創立100周年を優勝で飾ることが出来るかどうか。フィーゴやジタン、ラウルロベルト・カルロスがちゃんとやれば勝てると思うのだが。

 昨日闘牛場で3列前の右側に中崎君たちがいて、同列の10人くらい離れたところに、Mさん夫婦がいた。3頭目が終わったときに、Mさんが両手で角の形ををしてからX(バッテン)マークを送ってきた。昨日は牛が悪かった。ラス・ベンタスのようにアレナが広いところ向きの牛じゃない。直ぐにばててしまうので、2級、3級闘牛場向きの牛だった。

 終わった後、中崎君とmayumiさんとバルで夕食を取った。ビクトル・プエルトの罵声についての、僕の考え方や彼の闘牛について説明した。彼を絶賛した。その説明に納得のようだった。闘牛には色々な見方がある。勿論彼を批判する人もいるだろうし、賞賛する人もいるだろう。色々な意見があって良いのだ。Mさんの所にTELしたが、ビクトル・プエルトへはかなり強い調子で批判していた。その理由も言っていたしそれはそれなりにそういう言い方もあるだろうと思った。

 バルでタパをつまみ闘牛の話をしたが、サン・イシドロで観たい日は切符の取りにくい日なので朝早く行かないとダメだろう。それは覚悟しているようで去年のように早く行って並ぶと言っていた。mayumiさんは去年、アベジャンを10回観たと言っていた。シウダ・レアルかなんかで観た闘牛が感動的だったと言っていた。アベジャン自身も3本の指に入る闘牛だったと語っているらしい。ただ彼女は格好良い闘牛士が好きなようで、闘牛の内容よりそっちの方が興味の対象として大きい。女の人はそういう見方をするのかも知れないが、僕には全く理解できない。色々な闘牛の見方がいるのだからそれでも闘牛場に来るのだからそれはそれで良いことだという風に理解しておきたい。

 今日は暑くなる予報だったのに、今は曇っている。マドリードも段々暑くなってきた。闘牛場では、白い綿のようなものが飛んでいる。91年に初めてサン・イシドロを観たときもそうだった。また、無名に近い闘牛士が感動的な闘牛をしてスターの座を掴むかも知れない。良い牛、良い闘牛が観たい。


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