−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、のスペイン滞在日記です。
2月1日(金)
先月の闘牛の会で、このHPに復刊ドットコムで、『さもなくば喪服を』 の投票を呼びかけ、会が終わって1週間以内にHPのTOPページから投票のページのリンクを張ると言うことを約束していたのに未だにリンクを張っていない。申し訳ないがもう少し待って欲しい。それと、この前の闘牛の会の報告も未だやっていない。ノートを取っているので安心していつでも出来ると思っていたら、バレンシア、カステジョンのカルテルが発表になったりして書く暇がなかった。荻内先生、片山先生にも会う予定だったがTELすらしていない。もう本当に我ながらダメな奴だと思ってしまう。出来ればこれらを2月の闘牛の会の前に実行したのだが無理だろう。せめて、『さもなくば喪服を』 の投票へのリンクと、1月の闘牛の会の報告は書いておきたい。
荻内先生、片山先生は大学の入試などがあって忙しいかも知れないのでTELしてみないと・・・。特に片山先生は今年定年で大学教授を辞めるのでお別れ会が色々入ってくるそうなので全く判らない。予定では一緒にサン・イシドロを観ることにしているから、サン・イシドロの予定が発表になったのはスペインでのことも話しやすいので良いのだが。
ネットでこまめに確認していた、『別冊新評 山田風太郎の世界』 と、『忍法鞘飛脚』 のが出ていたので早速購入申し込みをした。これが来ると風太郎の発売されている本の殆ど全てが手に入ったことになる。こんな嬉しいことがあるか。その他に、『別冊新評 唐十郎の世界』 も申し込んだ。♪早く来い来い 風太郎♪思ったより安かったも嬉しさに拍車。風太郎が死んで、ネットで古本を買いあさってようやく発売された本がほぼ全部揃った。『別冊新評 山田風太郎の世界』 は風太郎ファン幻の本。嬉しい。後は、『國文学』 の風太郎特集だけか。
2月2日(土)
注文した『忍法鞘飛脚』 と、『別冊新評 唐十郎の世界』 は発送された。問題は、『別冊新評 山田風太郎の世界』 なのだが、これがTELしたが確認が取れない。確認には1週間くらい時間がかかるようだ。2月になって困ったことに、burladero.com の考え方が変わったようで、今までのように自由に闘牛の情報が取れなくなった。通常3つくらいの情報源を基に闘牛情報を垂れ流しているのだが、その最も中心の情報源がこうなったので、違う情報源を探り直そうとネットしてみた。そしたら、闘牛のビデオがタダで観れるサイトがあった。去年のフェリア・デ・アブリルを中心に30本くらい、1本約30秒前後の物が観れた。僕はADSLなのでTEL接続の人がダウンロードに時間がかかるかも知れないのでメールで何人かにどういう状態なのか・・・。そのうち、HPからリンクを張るかも知れない。
しかし思うけど、スペインって、6TOROS6 がネットで雑誌と同じ情報を流していたのが去年の今頃まで、後は全く情報らしい情報を流さなくなった。そして、TELEMADRID
の闘牛中継総責任者でアナウンサーもやっている、ミゲル・アンヘル・モンチョリがやっている、burladero.com もこういう状態になったので、これから闘牛情報を流すHPが同じことにならないとは限らない。どうなって行くんでしょう。これから闘牛情報で1番早く正確な情報を流して闘牛情報をリードしていくHPは何処になるのだろう。
近いうちに、HP用のソフトを代える予定だ。バージョンアップと言う奴だ。もう大分昔に買った物をそのまま使っていたが最新の物に代えるつもりだ。使いこなせるかどうかは判らないが、使ってみようと思っている。このHPは特殊なことをやっているわけでないし、凝った作りにしているわけではない。そんな技術に対応できないし、そんな暇がないと言った方が正しいのだが。
山田風太郎 『外道忍法帖』 読了。高橋克彦 『幻少女』 読む。
2月3日(日)
『外道忍法帖』 は転び伴天連のクリストファー・フェレイラ、(転んで日本名、沢野忠庵と言ったイエズス会のポルトガル人神父だった)の話から始まる。転んだ理由を風太郎は、「わしは、拷問の苦しみにまけて転んだのではないぞ。・・・・・・この心持ちをどういおう? 感情倒錯症、とでもいおうか。つまり、感情がひっくりかえってしまうのだな。火あぶり、磔、木馬責め、あの人間の悪智をしぼりつくした物凄い刑罰、それこそはおん主のおん苦しみにあやかるこの上もない果報だと思い、天国(ハライソ)へあげられる歓びの儀式だと待ちもだえているうちにーーーその無理が或る極限に達すると、人間の感情がまったくひっくりかえってしまうのだな」とフェレイラに言わせる。
徳川幕府の切支丹大弾圧の先鋒として、踏み絵を考案したのは、このフェレイラだった。作中拷問によって摩羅を切られているため、女切支丹に性的快感を与え続ける拷問によって気が狂ったり、死に至らしめたりする。彼の10本手の指は、男根の形に変形している。「それを思えば、その一念によって、こうなるのでござる」と、うそぶく。
幕府の拷問によって死ぬことは、切支丹にとって殉教だと考えられていた。宗教とは恐ろしい物だ。マルクスが、「宗教は麻薬だ」と、言ったそうだが・・・。この小説中で言う、外道とは、切支丹以外の宗教徒の事を言う。フェレイラは、いや、沢野忠庵はつまり外道なわけである。
2月4日(月)
TV製作会社の人にメールを送ったら返信があった。『闘牛はなぜ殺されるか・佐伯泰英著』や『闘牛 スペイン文化の華・ギャリー・マーヴィン著』、E・バラテ、E・アルドゥアン=フュジエ著『闘牛への招待(白水社)』 と言った闘牛の本をちゃんと読んでいる人で詳しい質問をしてきた。こういう詳しい質問はまず来ない。だからビックリなのだが、疑問に思う対象への方向性に、違和感を感じる。
「 「育て方は、牧場に放して出来るだけ人の手をかけないようにして野生に近い形でやります」というお話でしたが、名前を付けて牛を育てる以上、何かしらの思い入れはないのかな、という素朴な疑問が出るのです。 」 「 「マドリード闘牛場のメインイベンター用に強い牛を」「伝統ある牧場だからそれに恥じない強い牛を」などと、飼育舎や牧童は思うのでしょうか?彼らの仕事は、評価の対象になるのでしょうか。 」
例えば日本で考える場合、競走馬の生産者のことを知らないのだろうか?と、思ってしまう。血統表とにらめっこして、種付け料と生産後の売値を考えて種付けして、飼育、売却。ここの時点で生産者の手を離れる。訓馳、調教、レースでは一切生産者は手を着けない。なのに、G1レースで優勝すると涙を流して感激している生産者もいる。それはどういうことかと言うことを考えたことがないのだろうか?と、思ってしまうのだ。闘牛の場合は、ラス・ベンタスでプエルタ・グランデしたり、場内1周の牛を出したり、他の闘牛場では、牧場主が肩車で闘牛士と一緒にプエルタ・グランデ。場内1周。インドゥルト。闘牛士の誰かかプエルタ・グランデしたって名誉なことだけど。
牧場経営は、立地条件を考え場所の選定から行い、牧草が悪ければ土壌の改良をしなければならない。気候はどうしようもないのでそれも選定条件の中にはいるだろうし、凄いところになると、土壌の微生物まで調査している。そして、基礎繁殖牝馬を基に繁殖生産、飼育、売却を行っていくのだ。思い入れがなくてどうやって生産が出来るというのだろう。と言うようなことを思うわけだが、本だけ読んでいても判らないのだ。疑問を解決するように調べていかないと・・・。だから、質問してくるのだろうが、本の文章の外になることも考えていかないとダメだ。文章にするときは、以外と分かり易くするためとか、その人の言語感覚で物を言うので、言っている言葉が何を意味するのかを読みとっていかないと闘牛のことは判らないと思う。誰にでもできる、実に簡単なことだと思うのだが。
おそらくメールをくれた人は、評価の対象が具体的にどんなことがあるのかと言うことを聞きたいのだろう。つまり映像で言ったら、と言う具合に。この人も、言葉か足りないので、判らないのだろうかと、思ってしまう。言葉をもっと大切に使わないといけないのだ。
『外道忍法帖』 のことも書かなきゃならないのに時間がないよなぁ。
山田風太郎 『降倭変』 『幽霊船棺桶丸』 『お玄関拝借』 『国貞源氏』 『慶長大食漢』 『死なない剣豪』 『お江戸英雄坂』 読了。山田風太郎 『半身棺桶』 高橋克彦 『幻少女』 読む。
1日の結果。 トレオン(メキシコ)。エル・コンデ、耳1枚。カルロス・ロンデロ、耳なし。フリ、耳2枚。
2日の結果。 メデジン(コロンビア)。カバジェーロ、耳なし。エウヘニオ、罵声。フランシスコ・デル・カンポ、耳1枚。 サン・ルイス・ポトシ(メキシコ)。ソトルコ、耳1枚。フリ、耳なし。フェリミン・スピノラ、耳1枚。 バフェ・デ・ラ・パスクア(ベネズエラ)。エリック・コルテス、耳2枚。エル・ミジョナリオ、耳1枚が2回。マリ・パス・ベガ、耳2枚、耳1枚。
3日の結果。 メキシコ。アルミジータ、口笛。ポンセ、耳2枚、場内1周。ラファエル・オルテガ、耳1枚。パコ・オヘダ、口笛。 マラカイ(ベネズエラ)。ダビ・ルギジャーノ、耳2枚。ラモン・ゲバラ、耳1枚。エル・ファンディ、耳1枚、場内1周。 ボゴタ(コロンビア)。フィニート、耳なし。カバジェーロ、耳1枚。アレハンドロ・ガビリア、場内1周。
2月5日(火)
注文した『忍法鞘飛脚』 と、『別冊新評 唐十郎の世界』 が届いた。そそられるのが、『別冊新評 唐十郎の世界』 だ。昭和49年10月発売。目次を観ただけで凄い。吉本隆明が、「唐版・風の又三郎」の唐論を書いているし、渋沢龍彦、鈴木忠志、土方巽の名前もある。李礼仙のインタビュー、唐と五木寛之の対談、未だ編集者だった村松友視が状況劇場スター列伝を書いている。大久保鷹、根津甚八、小林薫、十貫寺梅軒、不破万作と言った名前がある。他には、転形劇場の太田省吾が書いている。壇一雄、大島渚、平岡正明、嵐山光三郎、種村季弘、黒テントの、山元清多も書いている。ルポで、「下谷万年町」があり、戯曲で 『唐版 滝の白糸』 が載っている。イラストでは、篠沢勝之。唐十郎の自作年譜もある。
唐宛に、四谷シモン、麿赤児、荒戸源治郎が手紙のような物を書き、私の唐十郎には、渥美清、常田富士男、松尾嘉代、石橋蓮司、緑摩子、関根恵子、吉行和子、太地喜和子などがエールを送る。目次を観ただけで、観たかったよなぁあの頃の紅テントと、思うのだ。四谷シモン、麿赤児は無理だったとしても、せめて、根津甚八が劇団員だった頃観たかった。小林薫はギリギリ観ている。勿論、『ふぞろいの林檎たち』 以前だが。
2月6日(水)
『別冊新評 唐十郎の世界』 を読んでいた。四谷シモンが唐十郎宛に書いたメッセージはラブレターだ。なかなか美しい愛の告白だ。初めて知ったが、ハンス・ベルメールと唐十郎の2人と出会ったことを人生の奇跡と言っている。四谷シモンが作る人形はまさにハンス・ベルメールの人形に非常に似ている。コピーと言って良いほどに。手紙の最後に部分は、「事物をあらゆる角度からみることをおぼえました。まっとうにみることをおぼえました。「神」という問題を私に植えつけてくれたのも、唐、あなたなのです。」と結ぶ。
「事物をあらゆる角度からみることをおぼえました。まっとうにみることをおぼえ」るというのは、実に言い得てみょうだ。あらゆる角度から物事を観ることによってまっとうな物の見方が身に付くのかも知れない。どちらかというと僕もそういう感じだった。逆に、一つの物の見方を極めてもあらゆる角度からの物の見方が養えるのかも知れない。
壇一雄の文章が意外と面白かった。唐の稽古場に訪ねていくため向かえに来た四谷シモンの格好が実に面白い。李礼仙のインタビュー、唐と五木寛之の対談も良い。時間がないので気になったところに一部だけを書く。
「 五木 蛇は特別なシンボルなんだな。
唐 ですから私たちは、いつもいつも蛇のことを考えている。たとえばトイレでとぐろを巻く糞便をみながら、蛇のことを考えてしまう。いつも戦いながら歴史の中に忘却して滅亡さしてしまった蛇の幻想が、そこにでてくるんではないだろうかというんですね。これはいつも対立構造の夢をもっているということなんですね。人というのは。
そんな話を考えていくと、ガルシア・ロルカの最後は、スペインのフランコの軍に殺されたとき、あれは肛門の中に銃を差し込まれて殺されたんでしょう。それでぶち破れた肛門の中に、おそらくかつて人類と戦って滅亡した蛇が巣くったんではないだろうか、というのが私の印象なんですよ。
五木 このあいだぼくは(中略)フランス映画を五、六本みましてね。(中略)そんなかの一本でジャンヌ・モローが自分のヴァギナにレボルバーをつっこんで自殺するのがあるんだ。両脚の間に銃身をさしこんで血まみれで倒れてるシーンがパッと写されるんだけれども、まともに銃がさしこんであるんで、ちょっと一瞬ギョッとするけれども、おそらく日本で公開されるときは切られるんだろうな。しかし実におもしろい映画だった。
唐 それは全く国家の自殺といっていいようなシーンですね。女性の子宮というのはいつも国家のまどろみでしょう。(中略)ですから子宮を解剖すると、ミニ国家の形体がわかるんじゃないかと思うんですよ。
五木 唐さんの正義とか、国家とか、権力とかいうものは、非常に生理的なんですね、ある意味では。
唐 ええ、そうです。私は月経期の少女をみると、いつも国家のことを考えますね。 」
果たして唐十郎はどうやって月経期の少女を判断するのかと言うことはここではおいておいて、銃で自殺する為に銃口を入れる穴が、肛門とヴァギナというのはなかなかいけている。ガルシア・ロルカって本当にそうやって殺されたのだろうか?ちょっと調べてみたくなる語り口だ。唐十郎ってこういう物語の面白さを伝えてくれる。「女性の子宮というのはいつも国家のまどろみ」っていうのは唐らしい言い方だ。
大島渚の文章もおそらく初めて読んだが、あんな古い文章なのかと思った。ただ、タイトルが良いよなぁ。「言葉に先行する肉体の所在」痺れるタイトルだ。これまさに、闘牛のことをそのまま言っていると僕は思う。
2月7日(木)
闘牛の会、定例会1月の安達ようこさんの、「フェリア・デ・オトーニョ、フェリア・デ・ピラール」。初めて闘牛を観た安達さんにしては実に詳しい発表だった。10月5日ラス・ベンタス闘牛場には歩いていく。始まる前にマヌエル・カバジェーロの写真を撮ったそうだから闘牛士が入ってくる場所を知っていたようだ。その日は、フィニートはダメでラファエル・デ・フリアの記憶は残ってないそうだ。カバジェーロだけがキチッと闘牛をやっていたそうだ。7日は友人と一緒に行く。「観光客が多くいつもとは違う」というのがマドリードに住む友人が言ったそうだ。この日は、エスプラ、オルドニェス、エウヘニオ。1頭目、エスプラはレシビエンドで殺し耳1枚。オルドニェスはダメ。エウヘニオの牛は、首が高く牛を交換。次の牛も交換。原因は判らなかったそうだ。ちゃんとやっていたが耳は出なかったそうだ。4頭目のエスプラ。物凄いピカで観客が盛り上がった。ファエナはそんなに良いとは思わなかったが殺しはまた、レシビエンドを決め、耳1枚をとってプエルタ・グランデ。初めてプエルタ・グランデでこんな物だろうかと思ったそうだ。
9日はTV中継があってそれを見たそうだ。10日サラゴサ、フェリア・デ・ピラールを観る。フィニート、フリ、ヘスス・ミジャン。この時は初めて切符を買う。フィニートはこの日もダメで、フリの時、ピカドールが退場したら口笛が鳴って観客が騒いだがその意味が分からなかったと言っていたが、これはおそらくバンデリージャを打ってくれと言う催促だろう。ヘスス・ミジャンがとても綺麗だったそうだ。彼の右手はこれは凄い。スペイン中で通用する物だ。セサルがいなくなったアレナであれだけの右手はなかなか観れない。
11日はホセリート、ポンセ、パウリタ。切符を買うのが大変だったそうだ。フリが出たときより並んでいたようだ。ホセリートはカポーテが他の人と違う色を使っていて、闘牛がとても綺麗。ポンセは演出が上手い。13日は騎馬闘牛を観る。全体の感想で、闘牛は言葉で言い表せる物ではないなと、言うのが感想だそうだ。初めて見に行ってプエルタ・グランデを2回も観て興奮したそうだ。
後は、青山さんがレイナ・ソフィアの話をしてくれたがこれはまたの機会に。
世界最大の観客動員数を誇るメキシコ・シティーのモヌメンタル闘牛場が、6日ノー・アイ・ビジェテになった。エル・フリの人気は異常だ。こんな満員になるなんて記憶にないぞ。その中で耳2枚と尻尾1つ取るんだから観客も興奮しただろう。スペインでは、フリの人気は少し下降気味だけど今年はどうなんだろう。
2月10日(日)
観るとはなしにソルトレイク・オリンピック開会式を観ていたら、元ザ・バンドのリーダー、ロビー・ロバートソンが歌っていた。バックでリタ・クーリッジも歌っている。ザ・バンドが解散して、リック・ダンコ、レボン・ヘルム、リチャード・マヌエルなどがバンドを組んで来日したときにコンサートを観た。元ビートルズのリンゴ・スターがバンドを引き連れて来日したときも一緒にやった。でも、ロビーは日本には来なかった。勿論ザ・バンドが観たかったし、ボブ・ディラン&ザ・バンドが一番観たかった。フォークからフォーク・ロックに転向したとき、ザ・バンドを起用し、7年の沈黙を破った、『偉大なる復活』 の時のバックバンドは、ザ・バンドだった。そもそもザ・バンドという名前自体がディランのバンドという意味で付けられた。『偉大なる復活』 の中の、『見張塔からずっと』 でディランが、「抜け出し道があるはずだ、とペテン師が泥棒に言った」と歌ったとき、ロビーのギターのうなりの格好良かったこと。
『ラスト・ワルツ』 の後、ロビーはソロアルバムを出した。ヒットチャートを駆け昇り、驚くほどの大ヒットになった。自分の中にあるインディアンの血を思い出したように何故かそれが強調されていたような気がする。南部にあるあらゆるジャンルの音楽に精通していたようなザ・バンドのリーダー。バック・ボーカルにリタ・クーリッジを見たとき、映画、『ビリー・ザ・キッド』 ビリー役の、クリス・クルストファーソンと、ベットの中でほほ寄せ合うインディアン女の役やっていたのを思い出した。ラストに流れる、『天国への扉』 は感動的だった。ディラン以外にクラプトンや色んな人がやっているが、この歌はディランが最高。確か、リタ・クーリッジもインディアンの血が入っているはず。名曲、『あなたしか見えない』 の大ヒットで知られるボーカリストだが、大人の雰囲気の歌を今でも歌い続けているのだろうか。映画の後、クリスとリタは結婚したはずだけど、クリスのことだから女遊びが過ぎて離婚したんだろうなぁ。ホント西部劇に出てくるような男だよ。
ロビーの顔は年月を確実に刻み込んだ顔になっていた。まさかこんな所でロビーに会えるとは思わなかった。名曲、『アイ・シャル・ビー・リリースト』 を渋く歌った、リチャード・マヌエルは自殺した。クラプトンは彼に曲を捧げた。ザ・バンドの主な曲のボーカルを務めていたレボン・ヘルムは、ベースのリック・ダンコは、クラシックの巨匠の雰囲気とその素養と、ジャズにも精通していたガース・ハドソンは、今どうしているんだろう。みんな楽器に向かって演奏していてくれれば良いのだが。アップがなかったけど、リタ・クーリッジの顔は昔のままだった。やー女ってスゲーなぁ。
朝起きたら、モーグルで里谷多英が銅メダルを取っていた。シーズン中調子が良くなかったのに、オリンピックにはちゃんと間に合わせる。流石は、長野の金メダリストだ。彼女はフジTVの社員なのだそうだ。
闘牛の会、定例会は、高橋和子さんが、「宝塚における闘牛」、アントニオが、「Cantinflas メキシコの喜劇役者」 をやった。これはまたの機会に書くとして、最後に去年のサン・セバスティアンでのファン・ホセ・パディージャのコヒーダを説明なしに流した。ブルラデロからトリル(牛門)の前に歩いていくと喝采が鳴りモンテラ(帽子)をとって挨拶をする。そして、ポルタガジョーラ(トリル前でのラルガ・カンビアールをこういう)。牛はパディージャの体を突きアレナの中央部分まで引きずって行き離れた。
コヒーダされた瞬間、牧ちゃんが、「バッカッー」 と言った。闘牛を観たことがない鈴木さんは、口に手を当てたまま、コヒーダのリプレイを観ていた。目が大きく開かれたままでビックリしたようだ。他の人も騒いでいた人がいた。医務室の担ぎ込まれその外では、父親か誰かが号泣している。「あっ、泣いてるよ」と誰かが言った。それからこの時の状態やその後のパディージャの話、彼の闘牛を少し説明した。会の終わりで、『さもなくば喪服を』 復刊しようと言う事をまた言った。HPには今度こそリンク先を張らなければならない。TAKEさんの提案であることも言った。
宝塚も良かったけど、アントニオがやった、Cantinflas の闘牛は凄かった。マノレーテにブリンディースしたりエル・コルドベス、クーロ・ロメロなどの有名闘牛士とも付き合いがあったようだ。会が終わってから飲み会。荻内先生は12日にスペインに行くそうで会えない。片山先生はこっちもまた忙しそうだ。帰りの電車でしきりに書きなさい書きなさいと言って煽られた。やっぱりもうちょっとゆっくり話がしたい。高橋さんが隣に座っていたので宝塚や芝居の話をした。『風と共に去りぬ』 の話をしたが噛み合わなかった。ああ言う女が良いというのだが、それが全然理解できない。
「アシュレー、アシュレー」 とばかり言って目の前にある愛には見向きもしない。失ったとき、タラという土地にしがみついていこうとする、それの何処が良いのだろうか。始めから最後まで表層の女が土地(アメリカ南部の男社会の家族主義)にしがみつくという最後まで表層であり続ける徹底さは確かに凄さを感じるが、徹底的に他人を拒否して生き続けた我が儘女の何処にも共感するところを感じれない。これは、趣味の問題のようだ。酒飲んで匂いを消そうとして香水でうがいし、それでも足りなくて、香水を飲んでしまうような女には気味悪さしか感じないよ俺は。勿論人間としても気味が悪い。あれが男なら殺されている。女の甘えそのものの人生だと、思うのだが、それが女の人には、憧れの対象のようなのだ。つくづく感覚がずれているというか、違うのだなぁと思った。
あれがヒットしたことは、南部社会を踏襲している安心感と、ビビアン・リーの顔、ああ言う女の我が儘さが現れ方の分かり易さがあったからだろう。俺はほぼ全てにおいて不満だけど。しかし、ある種の分かり易さがなければヒットしない。その意味で重要な物が含まれている気がする。でも、物語としてつまらないというのはどうしようもないと思うのだが。
山田風太郎 『忍法鞘飛脚』 『濡れ仏試合』 『春夢兵』 読了。高橋克彦 『幻少女』 読む。
8日の結果。 バルデモリージョ(マドリード)。エル・フンディ、耳1枚。ニーニョ・デ・ラ・タウリナ、耳1枚。エル・ミジョナリオ、耳1枚が2枚。
9日の結果。 バルデモリージョ(マドリード)。ラファエル・カミノ、耳なし。ダビラ・ミウラ、耳1枚、耳2枚。ヘスス・ミジャン、耳なし。
2月11日(月)
下山さんからメールが来て、フェリア・デ・アブリルにモランテが出ない理由が書いてあった。セビージャのエンプレサリオ(興行主)は馬鹿な奴だ。闘牛を判ってない大馬鹿野郎だ。あんなのがやっているから、セビージャは閉鎖的なところとか、言われるのだ。アフィショナードの方が闘牛のことを良く分かっている。下山さんは物凄く元気なようだ。要約すると、「家事、パソコンの学校、リハビリ、水泳、絵の学校で勉強し精力的に動き回って、後、写真とスペイン語の勉強もして、この2年間の強烈に沈んだ気持ちで錆びついた頭と体に油をさして、絶好調」とのこと。
何やら僕が去年行ったときに、「精神力よりも体力」と言った言葉をきっかけに体を動かし体力をつけて元気になったようだ。「精神力よりも体力」って俺らしい言葉だなぁ。そんな言葉で元気になるなら嬉しい限りだ。99年に行ったときは物凄く元気でビックリした。今考えると反り返った男根のように元気だった。その後2年間はおとなしかった。静かだった。口数が少なかったし、声も静かだった。色々考えることもあるだろうし、あんな体だから繊細な気持ちにもなるだろうし・・・。やっぱり家にばかりいるより外に出て人と接したりしていた方が色々刺激があって元気になるようだ。学校に行っているというのが良いのだろう。行く行くと言って手続きの問題なのがあって去年の秋からようやく行けるようになったようだ。スペインにいた方がやりたいことが出来るのだ。
所で今日新たな発見をした。ある工夫をするとネットでアンダルシアTVを観れることに気づいた。セビージャでやっているムンディアル・デル・トロが写っていた。仮設の闘牛場らしい所でフェスティバル闘牛の時に着るアンダルシアの正装服を着て闘牛士が闘牛をやっていた。画面が小さいから判らないけどハビエル・コンデなどが出ていたようだ。観たいけど今の時期じゃ一生観れないだろう。99年はフェリアの時期を重なっていたのであの時下山さんの言うとおりに見に行っていれば良かった。
アンダルシアTVが観れると言うことは、サッカーのダイジェストが観れると言うことだよな。これもADSLのおかげだ。TEL回線だったら観れないだろう。4月から光通信が1万円で観れるようになるらしい。そしたらもっとTVの画面もTVらしく鮮明になるだろう。今おっぱいが写って、指でいじったり、棒(ペンだと思う)で押さえたりしている。どうやら乳ガンの発見の方法らしい。医者が説明している。これで、TVEやTELEMADRIDも観れれば最高だけどスカパーが許さないかな。確か来年になったら日本も地上波がデジタル放送に変わるはず。そうなったらスペインのTVEの放送のようになるのだろうか。特に変わったことはないが、多チャンネルについては大きな違いになっていくのだろう。
8日の結果。 メリダ(ベネズエラ)。フィニート、エル・コルドベス、オットー・ロドリゲス、耳なし。
9日の結果。 メデジン(コロンビア)。セサル・カマチョ、場内1周。カバジェーロ、耳1枚が2回。エル・カリファ、耳なし。 メリダ(ベネズエラ)。ホセリート、耳2枚。フィニート、耳1枚。レオナルド・コロナド、耳なし。
2月12日(火)
ソルトレイク・オリンピック、フィギュアスケート・ペアの自由が行われ、エレナ・ベレズナヤ、アントン・シハルリゼ組(ロシア)が金メダルを取った。日曜日にロシア・カップの模様をNHKでやっていてその中でエレナ、アントン組ともう一組のロシアペアの取材だった。もう一組のロシアペアの女性は昔アントンとペアを組んでいたが上手く行かずに分かれたそうだ。そのペアは男が30歳で4分半のフリー演技に体力的な不安があるのだが2人はまるで恋人のような信頼で結びついていた。2人はそれぞれ別にインタビューをしているのに、「最高のパートナー」 と言っていた。女の方は25歳だがもうパートナーを替えることはない。彼が最後のパートナー。と言っていた。ロシア・カップではフリーでエレナ、アントン組に逆転されたが、お互いの信頼は揺るがない。オリンピックでも彼らはベストを尽くしていた。
2位になったサレー、ペルティエ組(カナダ)は、終わった瞬間勝利を確信したように歓びを表した。氷上にキスしたり観客も盛り上がったが採点は無情にもエレナ、アントン組を上回ることが出来なかった。エレナはアントンと組む前のパートナーとの練習中にスケートの刃が頭に刺さる大怪我をして再起不能と言われ、言語障害など色々障害があった。それを克服してアントンというパートナーと出会って栄光を掴むことが出来た。
フィギアのペアというのは不思議な関係だ。男と女がペアを組む。恋愛のように肉体が触れ合うが、交合はない。ないからこそ厳しい練習に打ち込め、お互いの感情もストレートに出して、喧嘩のようになりながら、危険と隣り合わせの練習を続けれるのだろう。エレナとアントンはNHKの番組の中でその微妙な心理を、「結婚するのかどうかは・・・。でも、彼は1番信頼できるパートナー」と言っていた。そういえば昔オリンピックで金メダルを取ったペアの女性がオリンピック前にインタビューに答えて、「もし、彼が他の誰かと結婚する言ったら、今すぐコンビを解消するわ」 と、言った。こういうのを知ると、フィギアのペアとは実に不思議な関係なのだと言うことが判る。信頼。言葉で書けば二字だけだがこれほど人生にとって大事な物を、フィギア・スケートは教えてくれる。本当に美しい演技は、そのわずかな不安感と、固く結ばれているであろう信頼が観客の目にも感じれるものだろう。
スピードスケート男子500m初日は清水が2位。1位は、ケーシー・フィッツランドルフ(米)で清水との差は、0.19秒。優勝候補筆頭のウォザースプーン(カナダ)は、スタート直後左の刃の先端が氷に躓いて転倒した。ニュースでは、「 「ラスト400メートルは最強」と呼ばれる彼の心理に、欲が芽生えた。「100メートルを9秒5で行けば勝てる」という読みも働いたはずだ。スタートのタイミングは完ぺきだった。だが、はやる気持ちから上体を前傾し過ぎた。1メートル92の長身から伸びた長い足が、もつれた。「平常心を崩しては、五輪に勝てない」。知っているはずのセオリーを見失った。自ら、“魔物”に身をゆだねてしまった。」 と。
ウォザースプーンは、清水のスタートでの失敗や、フィッツランドルフの2コーナーでの失敗を観ても、何故今までのように自分のレースをしようと冷静になれなかったのだろうか。彼に勝利の女神、ビクトリアが微笑むことはなかった。いつものように上体をを前屈しすぎることなくスタートできていたら・・・。しかしそういう、タラレバは、1番ウォザースプーン自身が噛みしめる人生なのだろう。僕は、それでもめげることなく自分自身の人生を歩いていって欲しいと思う。競技人生より遙かに人生は長いのだから。
高橋尚子が好きな言葉に、「何も咲かない寒い日は 下へ下へと根を伸ばせ やがて大きな花が咲く」 と言うのがある。素晴らしい言葉だと思う。
NHK、『プロジェクトX』 は日本初めての盲導犬、チャンピーのことをやっていた。これも感動的な話だった。愛だね、愛。下山さんの所にも耳の聞こえない犬がいる。役に立たない犬だけど、あれは癒し犬だと思う。ウーゴは寂しがり屋だから、会ったときに強烈な飛びかかり方で向かえ、ベロベロ、ベロベロ際限なく顔を舐めてくるのだろうな。
山田風太郎 『つぼくろ試合』 『伊賀の散歩者』 読了。
10日メリダ(ベネズエラ)でファン・ホセ・ヒロンがインドゥルトした。牛は、サンタ・バルバラ牧場(コロンビア)の“カンキアン”と言う牛。
10日の結果。 カンデレダ(アビラ)。フェスティバル闘牛。エンカボ、耳1枚。ミウラ、耳1枚、耳2枚。アベジャン、耳1枚。 ハリスコ(メキシコ)。アルミジータ・チコ、ソトルコ、耳なし。ポンセ、耳2枚と尻尾1つ。 メリダ(ベネズエラ)。アントニオ・バレンシア、耳1枚。ホセ・アントニオ・イニエスタ、耳2枚。アントニオ・バレラ、場内1周。ファン・ホセ・ヒロン、耳2枚と尻尾1つ。牛、インドゥルト。
11日の結果。 メリダ(ベネズエラ)。セサル・バネガス、耳1枚。エル・コルドベス、耳1枚。ラファエル・デ・フリア、耳1枚、耳2枚。
2月13日(水)
スピードスケート男子500mは、フィッツランドルフ(米)が優勝。清水は2位だった。
山田風太郎 『伊賀の散歩者』 は、実に良くできた作品だ。散歩者と言うところで乱歩の、『屋根裏の散歩者』 が思い浮かべるだろうし、殺し方もその中のやり方を真似ていたり、その他乱歩の作品を思わせるものがいくつも入っている。藤堂藩、64歳の藤堂大学頭高次の妾になった醜女、おらん。それに付いてきた24,5歳の若禿の弟、平井歩左衛門。読み終わった後、この名前の付け方になるほどと思ってしまう。
どういうわけかこの年老いた殿様がおらんとの閨房を楽しみやがて妊娠する。大目付は、弟が公儀隠密ではないかと疑い、猿を使う忍者、風忍斎に探索させる。歩左衛門は伊賀に行くが、これで益々疑われる。伊賀で世話になるのが無足人、松尾甚七郎。彼は大変な俳諧の趣味を持ち、連句の会を開いき周囲から、その道の偉才として敬重されていた。歩左衛門も発句を面白がったがある時、甚七郎に、「それにこの俳諧というものがこう平俗な洒落に終始していてはどうしようもない。これは芸術ではない。ただ芸術になり得る文学の一つだとは思いますが、そのためには大天才の出現が必要でしょうな」 と、呟く。
『押し絵と旅する男』 『人間椅子』 など乱歩作品を思わせる話を盛り込んで、藤堂藩後継ぎの話がこの小説の筋なのだが、他に、2人の文学に貢献した人間の話にも結びついていく。藤堂藩は伊賀を含む地域のことらしいが、風太郎も近くの但馬出身。柳生や伊賀、甲賀を書くのもこの辺があるのかも知れない。それにしてもこういう手法で忍法帖を書いてしまうかと思ってしまう。やー凄いなぁ、風太郎。こんな小説読んだ後に他の作家の本なんか読めないな。本当に小説の作り方が上手い。こんな風にとても書けないよ。突出した作家でさえも。
2月14日(木)
フィギア・スケートの本田が、ショート・プログラムで2位につけた。メダルの可能性が出てきたが、フリーと両方で安定した演技を今までやったことがないという。その為に、カナダの有名なコーチが付いていると言うがどうなるのだろう。ジャンプは不発。日本はルール改正ですっかり世界のトップクラスから陥落した。ラージ、ノーマル・ヒル両方で金メダルを取ったのは、シンデレラ・ボーイ、シモン・アマン(スイス)。今までワールド・カップなどで1回も勝ったことがなかったという。
『三枚起請』 は、高杉晋作が読んだ、「三千世界の烏を殺し ぬしと朝寝がしてみたい」と言うのに掛けた落ちを使っている。明治、大正時代大阪で話されていたものを東京に持ってきて、舞台を吉原に変えてやった話。かなり難しい落ちだけど、これを庶民が楽しんだというのが凄い。勿論、起請を書くと烏が三羽死ぬ、と言う伊勢神宮か何かの起請についての言い伝えが土台になっているが。
久しぶりに荷風を読んだ。ちょっと間を置くと面白く読める。続けて読むと同じ感じで嫌気がするが。
古今亭志ん生 『三枚起請』 読了。永井荷風 『墨東綺譚』 読む。(墨の字は、さんずいが付くが表記できず)
12日メリダ(ベネズエラ)でインドゥルトがあった。エル・パライソ牧場の、ヘリンガという名の牛。闘牛士は、オットー・ロドリゲス。
12日の結果。 メリダ(ベネズエラ)。騎馬闘牛士。ホセ・ルイス・ロドリゲス、場内1周。闘牛士。ホセリート、耳1枚。オットー・ロドリゲス、耳2枚と尻尾1つ。ビクトル・プエルト、耳2枚と尻尾1つ。
2月15日(金)
中学生がホームレスを集団で襲い殺し、働かず親の年金で家族で生活していた男が、妻に食料を与えず餓死させた猟奇的な事件があるかと思うと、痴呆症の妻が、1ヶ月前に死んだ夫に気づかず健気に世話をしていたことがニュースで流れた。人間は本当は善人なのか、悪人なのかと言うことも考えるが、世相を表したニュースだろう。オリンピック中に、元オリンピックの旗手を務めた選手が恐喝で逮捕されたり、訳の分からないニュースがごった煮の様に混ざり合っている。おそらく、芥川が自殺した時代のように訳の分からない時代になっているのだろう。だから日本では自殺者が3万人以上出るのだろう。まっ、不況の影響もあるんだろうけど。
サンスポを読んでいて、『Gallop』 を買ってきた。今度の日曜日は今年初めてのG1、フェブラリーS(東京ダート1600m)が行われるからだ。天気予報は当日雨。当日買いに行けないから微妙な馬場が気になる。G1馬が10頭も出るので面白いレースになりそうだが、注目はドバイ・ワールド・カップに出るアグネスデジタルとトゥザヴィクトリー。この2頭で決まれは文句はないが、去年の地方競馬の年度代表馬になった、岩手のトーホウエンペラーにも何とか2着には来て欲しいし、調教抜群だった、ようやく復帰する岡部鞍上の、ウイングアローも気になる。
新聞と、『Gallop』 をじっくり読んで検討しよう。『競馬ブック』 はコンビニでは売り切れだったのでどっかで探さないといけないが、久々にG1で競馬ファンもしっかり買っているようでなかなか売っているところがないようだ。清水成駿がいなくなった、『一馬』 をあまり買う気がしない。『内外タイム』 に清水が書いているなら買おうかとも思っているがどうするか。
2月16日(土)
京都記念に60キロの斤量を背負って出走したナリタトップロードは期待通り優勝した。負けられない、負けてはいけないレースで60キロの斤量はあまりにも重いが、その不安を払拭して、直線マチカネキンノホシとの叩き合いで抜け出した。僅差だったが強い馬は強いのだ。オペラオーがいなくなったら本来主役はトップロードに廻ってくるはずなのだが、今年の4歳勢、ジャングルポケット、マンハッタンカフェが主役になりそうな古馬戦線。横山典弘はキンノホシを上手く走らせた。一瞬勝ったかなと思ったほど手応えが良かった。最近は天才的と言うより、本当に上手い騎乗が出るようになった来た。しかし馬券は、はずした。ミスキャストはどうしたんだろう。期待は空振りでガッカリだな。1番人気ボーンキングは直線手応えなし。
一方東京では、3ヶ月ぶりにレースに復帰した岡部幸雄がメイン、クイーン・カップG3をシャイニンルビーで制した。待ってたよ。本当に。復帰初日の重賞を勝なんて嬉しいなぁ。内々の最短コースを通ってきっちり勝たせる当たりなかなかだ。混戦向きかも知れないが、勝ちタイムもなかなか良いので桜花賞に向けて楽しみな面もあるが今年の3歳牝馬は良く分からない。トライアルの右回りでも結果が出れば悲願の桜花賞制覇も見えてくるのだが。取りあえず明日のフェブラリーSが楽しみになってきた。気が付いたが藤沢和雄厩舎は東西の重賞で、1着、2着。今年も岡部と横山典弘の主戦騎手に、今日から騎乗のペリエを交えて突っ走るんだろうなぁ。
後楽園に行った帰り本屋で、『馬のすべてがわかる本』 、『小三治名席』 柳家小三治 『志ん朝の風流入門』 古今亭志ん朝、齋藤明 を買ってきた。
古今亭志ん生 『風呂敷』 読了。永井荷風 『墨東綺譚』 読む。
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