−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年のスペイン滞在日記です。
6月1日(土)
ミゲル・アベジャンに父親と古くからの知り合いのレストランの親爺、ペドロの話だと、アベジャンの父親はアルテルナティーバをしなかったが闘牛士をしていた。つまりノビジェーロをしていた。その後、バンデリジェーロになって、ペピン・ヒメネスに付いていたとき、牛の角が足に刺さり、角は骨盤の方まで達して左足の切断手術をした。それはミゲルが、小さかった頃。
仕事が出来ないのにどうして生活していたの?と聞くと、それは、オメナッヘの闘牛がいくつか開催されて、マドリードでもやった。それで、生活が出来た。と、言っていた。彼は、腕の良いバンデリジェーロだったから、アントニェーテ、オルテガ・カノ、ペピン・ヒメネスなど、有名な闘牛士が出場して、お金が集まったんだ。と、言っていた。
ミゲル・アベジャンはそういう環境の中で育ち、マドリード闘牛学校に入る。その時期、エル・フリも一緒いた。だから、フリの方がいつも目出っていたんでしょう?と聞くと、それは違う。あそこの親爺はマスコミに金をばらまいて有名にした。アベジャンの方が才能があった。ヘスリンだって一杯金をばらまいた。だから、あんなブームになったんだ。
レストランの親爺、ペドロの話だとこう言うことになる。最後の部分は本当かどうかは、神のみぞ知る。
昨日ホテルに行ってアベジャンにあった。カルロス・アビラがいてちょっと話した。いつ帰るの?日本はワールド・カップをやっているね。と、言っていたので僕は闘牛の方が良いと言ったら笑っていた。9日のバルセロナに行くことを告げた。日本人観光客の老人たちがクアドリージャたちの写真を撮っていた。どうやら闘牛士と思っているらしいかった。日本人ってどうしてありがとうって言わないんだろう。
アベジャンはあっという間に車の中に入った。車の所に行きガラスをノックしたら開けてくれて握手して、「スエルテ」と言ったら「グラシアス」と言ってニコッと笑った。一緒に行ったmayumiさんも握手した。mayumiさんは感激の面もち。mayumiさんはミーハーしちゃったと言っていたが、こう言うことはセサルの時に良くやったこと。ホテルで待っているのも慣れた。
昨日は牛が悪く3人ともダメだったが、カルロス・アビラはバンデリージャで喝采を受け挨拶をした。アベジャンはコヒーダされ心配したが大丈夫だろう。コヒーダされると会いに行かなかった方が良かったかなと思ってしまう。ホセ・トマスはグラナダ出ないことになったのでマドリードに残った。闘牛から帰ってきたら頭が痛かったので観戦記を書かずに寝た。4時くらいの目が覚めて観戦記を書いて、洗濯などして、アトーチャに行きグラナダ行きの切符の払い戻しをした。手数料が15%かかったがそれは仕方ない。
6月2日(日)
これから、アンテナ・トゥレスで、スペインのワールド・カップ初戦を中継する。テレシンコでは、「ポケモン」をやっていて、La
2 ではモーターバイクレース、TVEでは、トゥリンフォマニアをやっている。スペインを熱狂させた、オペラシオン・トゥリンフォ現象の後は、ワールド・カップ。そして、マドリードはサン・イシドロ。昨日の騎馬闘牛は始めの3頭は良い牛でみんな耳要求があったが、プレシデンテは耳を出さなかった。最後の3頭は非道い牛で、ルイス・ドメクは去年馬を焼き殺されるという悲劇のせいか、精彩を欠き口笛を吹かれていた。アンディー・カルタヘナはやはり良かった。メンドーサと同じように観客の気持ちを掴んでいる。以外と良かったのが、セルヒオ・ガラン。ちゃんと踏み込んだキエブロは見事。
昨日は調子が悪くてアトーチャから帰ってきた後は寝ていた。Fさんが18時頃来て、「今日グラナダに行かないんだって」と言って来た。「じゃ、今日の切符返すよ」と言って切符を持ってきた。だから、それからFさんとちょっと話して闘牛場に向かった。最近疲れているのか眠い。スペインの先発は、ラウル・ゴンサレスとディエゴ・トゥリスタンの、2トップ。
今日は、ペピン・リリア、エル・ファンディが出る。期待が持てるが牛がどうかだ。
31日グラナダで行われた闘牛で、最後の牛を、エル・ファンディがインドゥルトした。この牛は、ダニエル・ルイス牧場のコルテサノというなの牛で、1998年5月5日生まれで、NO31、595キロだった。
ついでに書くと、今日6月1日、コルドバで、マヌエル・ベニテス“エル・コルドベス”がなんとなんと、耳2枚と尻尾1つを取った。『さもなくば喪服を』の大闘牛士も今は66歳。これで引退するという話しだが・・・。驚きの尻尾1つだ。
6月3日(月)
闘牛で使うスペイン語というのは、日常で使っているスペイン語と違う使い方をする。牛の前にムレタを持って立っているとき、toque
と言うとムレタを揺らして牛を誘えと言うことになる。日常的には、触れると、言うことだが。これは下山さんから聞いた話だ。昨日聞いた寿美さんの話だと、牛の前に立って動かない事を、quieto
とは言わずに、aguanta と言う。動かないという言い方をせずに、耐える、我慢するという言い方をするのだそうだ。
寿美さんとの闘牛の見方は微妙に違うが、昨日のエル・ファンディについての感想などは殆ど同じだった。去年グラナダか何処かで、エル・フリとエル・ファンディが一緒に出たとき、フリの前で、ファンディがフリの得意技のロペシーナをやったのだそうだ。ファンディがロペシーナをするというのもビックリだが、それで喝采を受けたら、フリがふてくされて様な顔をしていたそうだ。その話を聞いておかしくて笑っていた。うーん、いつかファンディのロペシーナが観たいな。
今日そのフリが出る。僕はそれより、フィニートやカリファが観たい。今日もマドリードは暑い。
ワールドカップ初戦スペインはラウルなどのゴールで3−1で快勝。PKは、おまけのようなものだった。レガーロを貰ったようなもの。ビックリしたのは、ハビエル・デ・ペドロが非常に良かったこと。アルゼンチン、イタリア、ブラジルは順当に勝っている。
6月4日(火)
「コクトーにとって、コリーダとは、人間と死の使者がお互いに引かれあい、怖れあい、反発しあう、一つの結婚にほかならなかった」 ーー『闘牛への招待』 エリック・バラテ/エリザベト・アルドゥアン・フュジエ著ーー
「一九二六年のモンテルラン(小説 『闘牛士たち』(レ・ベスティエール) )がある。コリーダは全体が愛の儀式なのであり、パセは準備、ピカドールが槍で突く場面は性交、第三テルシオは絶頂の痙攣にまで行き着く愛の悲劇だ。バタイユはエロティスムを死にむすびつける。享楽とは一つの切断、一つの小さな死であり、カパに戸惑いながら牛が往復し、馬の腹が破れ、トレーロが角で突き上げられ、牛が断末魔を迎えるといった情景は明らかな性交のイメージで捉えられている」 ーー『闘牛への招待』 エリック・バラテ/エリザベト・アルドゥアン・フュジエ著ーー
闘牛を信奉したフランス人たちは、闘牛を性的なイメージ、観念的な捉え方をしている。こういうものは読み物としては良いとしても、闘牛を1面でしか捕らえていない気がする。が、にもかかわらず、その一面の鋭さを感じずにはいられない。特にバタイユの、『眼球譚』などは、物語の奇天烈さに呆れ驚きながら、何となく理屈ではなくそうかもしれないなぁ、と、思ってしまうところがある。
闘牛をどういう風に解釈するかは人それぞれ。だた、色々な意見は知っておくに越したことはない。昨日の闘牛は牛が非道かった。闘牛士は何とかしようとしていたが、フィニートは、途中で投げ出し、カリファは、ファエナをまともに出来る牛ではなかったし、フリは、観客に馬鹿にされながらも一生懸命にやろうとしていた。ラス・ベンタスの観客は闘牛士をつぶしかねない怖さを持っているが、昨日はそれを感じた。勿論、出来なければ、口笛や罵声は当然浴びるものだ。手加減しない観客。それが、これだけ高いレベルの闘牛を保っているのだ。セビージャはもう今年観た感じでは明らかに落ちた。
今日は、ホセリートに替わり、アントニオ・フェレーラが出る。アポデラードのルイス・アルバレスは、「ムーチャ・イルシオン」(凄く期待している)と、言っている。さっ、どうなる今日の闘牛は。
6月5日(水)
昨日は寒かった。今日は、朝から曇っていて、時々雨が降っている。17度くらいしかない。12時頃部屋の中が暗くなって電灯をつけた。今日の闘牛は雨の中で行われるかもしれない。雨が降るなら明日降ってくれって気がするが、お天道様はそんなことは関係ない。
昨日の昼は、米ちゃんが来て飯を食った。羊のあばら肉は脂がのって美味しかった。ワールド・カップをTVで観ていたのであまり話が出来なかった。闘牛に行く前は、mayumiさんが来て、アベジャンの写真が出来たから、ポジを返しに来た。3日のフリは可哀想だったと言っていたが、あれは観客に馬鹿にされても仕方がないところがある。あんな事をしたら何考えているのと、思われてしまう。
フェレーラが嫌いと言っていたが、ちゃんと観るようにと言った。昨日はTELがかかって来なかったが、ちゃんと観ただろう。昨日のフェレーラは良い仕事をした。今日の新聞もそのことを書いているようだ。本物に化けてしまった。今年は、ポンセも調子が良いし、フェレーラやエル・ファンディは初心者向きの闘牛で楽しませてくれるだろう。それでも、やっぱりホセ・トマスは物凄い。スペインに残ってホセ・トマスが観たい気持ちだがそんなことは出来ない。
所で、ワールド・カップの日本戦は、9日と14日。どっちも観れないことが判った。9日はバルセロナ。14日は帰国の飛行機の中にいるからだ。その方が良いだろう。俺が観ないと、中田が活躍するからだ。そろそろ日本に帰る準備をしていかないと。帰ってからやることもまとめていかないと、時間だけがダラダラ過ぎて行きかねない。
6月6日(木)
今日も寒い。寒いから着込んで買い物に行ったらコルテやFNACの中は暑い。そろそろ帰るから荷物の用意をしないと思ってCDを買ったり写真を整理するための道具を買ってきた。コルテでCDが21%引きの安売りをしていたので安く買えた。でも、本当に書いたCDはFNACにあるのでそっちも安く売っていると良いがどうなんだろう。昼飯を作っていたら、いつの間にか時間がたって、荷物のことは何処へやら。飯食ってから考えてからにしよう。
サン・イシドロも今日を入れて後3日。最終日はそのままバルセロナに向かう。ここまでサン・イシドロで雨が降ったのは、17日の3頭目くらいまでで、後は降りようで降らない。毎年、2,3日は必ず降るので今日辺りは雨が降る中で観なきゃならないかも知れない。でも、ここまで降らなかったのでやっぱり雨は嫌だ。出来れば、晴れた状態で闘牛が観たいがそうも行かないだろう。降れば降ったでやっぱり最後まで観るだろう。だけど、大抵つまらない闘牛が多い。99年のホセ・トマスは土砂降りの中で闘牛だったが、あれはなかなか良かったが。
そろそろ、白いご飯に納豆が恋しくなってきた。ラーメンも食べたい。そういえば、明日までには、書かなきゃならないメールがある。
6月7日(金)
昨日は、闘牛場に行く前に、「テンディド・セロ」を観てから行った。サン・イシドロの良い場面が観れること以外に、コルドバのエル・コルドベスの尻尾、グラナダのホセ・トマスのコヒーダ、エル・ファンディのインドゥルトが観たかったからだ。エル・コルドベスのファエナは、ナトゥラルの形はまあ良いが、デレチャソははダメ。もう年だからだ。面白かったのはその後。例の蛙跳び。パセした後、飛ぶはずが飛ばない。正確には飛べない。これも年だからだ。それでも、牛の前でムレタを置いて膝を着いた見栄。彼らしい。凄いと思ったのは剣刺し。スエルテ・ナトゥラルで牛を置いて立ち、牛との間にムレタを置いた。だから、ムレタを持たずに立っている。牛が違う方を向いていると、左手を振って注意をこっちに向け、ムレタなしで剣を決めた。これは、驚異的と言って良い剣刺しだった。
ホセ・トマスのコヒーダは、2回だった。別にホセ・トマスが悪いわけではない。コヒーダされて左足に角傷。それと胸の上で角を押していてそれで胸の肉が破けたのだろう。さっきネットで再度確認できたがバルセロナから復帰できる。凄かったのは、エル・ファンディのインドゥルト。あの牛は凄すぎる。間断なく向かってきて疲れを知らない野獣だ。パセも長いし、際限なくパセが繋がる。口は閉じたまま。タダひたすらムレタに向かって突進し続ける。ファンディも良いけど、牛が凄すぎる。今年のダニエル・ルイスの牛は良いみたいだ。エル・ファンディは、今年もグラナダで3回プエルタ・グランデを開けた。確かインタビューでは9回目と言っていた。
去年まではグラナダのローカル闘牛士だったが、サン・イシドロで活躍して一気に全国区。去年までは、ファンディ観たかったらグラナダへ行けと、言っていただろうが、今年は、スペイン中の祭りに呼ばれるだろう。これからの活躍が楽しみだ。
昨日の闘牛は牛が凄かった。終わってから、下山さんにTELしたが繋がらない。諦め、寿美さんにTEL。「今TEL中」TEL切って5分位したらかかってきた。「あなたのせいでコンピューターがおかしくなった」と、言われても困る。どうやらネットを繋いで仕事をしていたらしい。どうして繋がったんだろうと不思議がっていた。こっちも不思議。まっ、話は今日の牛のこと。寿美さんの話によれば、ホセ・エスコラル牧場の牛というのは知る人ぞ知る牧場で、やはり有名らしい。血統がビクトリーノ・マルティン牧場なので体型も良いし、風格もあり、闘牛らしい牛だ。ビクトリーノだから、ブスカンドする牛もいるけどシン・パラールの牛もいて、観ている方は非常に面白い。昨日の2頭目の牛の話をしたら、土砂降りの雨で会社出るのが遅くなって、3頭目から観たそうだ。
オスカル・イガレスには失望した。フェルナンデス・メカは応援したくなった。ああいうのを観ると良いコンディションでやらせてやりたかったと思う。ホセ・イグナシオは惜しかった。
今日の朝、メールが来た。「今まで仕事での闘牛は・・・」の書き出しで、どうやらマドリードで旅行ガイドをやっている人らしい人からのもの。今まで闘牛には興味なかったらしかったが、このHPを観て闘牛をちゃんと観だして、闘牛の面白さを認識したようだ。そして、感謝の言葉が綴られていた。嬉しいメールだ。特に、旅行ガイドをやっている人は、闘牛の面白さを旅行者に伝えて欲しいと思う。勿論、闘牛だけがスペインではないことは充分承知しているが。くまさんや他の人も闘牛ではないスペインを旅行者に紹介している。そういうガイドも必要。闘牛以外のスペインを伝える人もいなければ旅行者の多様性が保たれないからだ。それぞれの知っているスペインを旅行者に伝えることが重要だ。だが、僕が出来ることは、闘牛しかない。それ以外もあるがそれはいい。闘牛だったら、詳しく伝えることが出来る。
闘牛観戦記は、毎日書く。続ける。だから、闘牛用語やスペイン語が出てきて読みにくかったり、判らなかったりするかも知れないが、新聞記者じゃないのに毎日書くとなるとなかなか全部を日本語で書くことは難しいのだ。スペイン語、闘牛用語が解らない人には、疎外感を感じる文章かも知れないことは充分承知しているがああいう書き方じゃないと闘牛知っている人には伝わらない部分があるし、書くという作業がもっと疲れる。だから、その辺は了解して欲しいと思っている。
6月8日(土)
昨日の闘牛は牛が良かった。牛が良かったのに闘牛士が良いファエナを出来ない。パセの後の返りが早いので危ないのが、あれをちゃんとファエナできればフェグラへの道が開けるのに、やっぱり怖いのだろう。闘牛が早く終わって、それから、くまさんとjosemiさんと会って一杯バルでやった。面白い話が出来た。来年は違う形でこっちに来れるかも知れない。帰ってきたら1時半。それから、闘牛の会への原稿を書いてメールを送った。だから、昨日は観戦記を書く暇がなかった。これから、時間があったら書くが、場内1周の牛が1頭出た。
今日は、闘牛を観たら直ぐに、チャマルティンに行ってバルセロナに向かう。ホセ・トマス、アベジャン、を見に行くのだ。その前に荷物の整理もしておかないとやばい。あーやることが一杯あると思って気分が重かったがシャワーを浴びたら気分が変わり、明るい気持ちになった。今はスペインを楽しめばいいのだ。
6月10日(月)
バルセロナから帰ってきた。あまりに非道かったのでもうバルセロナには行かないかも知れない。牛がカブラの様なのは判るがファエナが始まったら静かにしろ。ホセ・トマスが真面目にファエナをやっているのに一部のファンが騒ぎっぱなし。ベンタスで言うテンディド7に当たる、テンディド5の連中がオピニオン・リーダーの様になっているが、彼らは闘牛を知らない。意味もなく騒いでいるだけ。闘牛の邪魔になるだけだ。あんな連中がいる様じゃバルセロナはいつまでたっても闘牛ファンは根付かない。
馬鹿に着ける薬はない。何年か前も第1級闘牛場の規定に1キロ達していないだけで騒いでビセンテ・バレラのファエナを台無しにしたことを思いだした。ベンタスのテンディド7だって時々頭に来るときがあるけれど、時には間違っているときもある。でも、自分たちが替えろと抗議した牛が良い動きをし出すと静かにファエナを観る。これは当然闘牛士に対しての礼儀だろう。そういう当たり前のことをバルセロナはしない。最低だ。第1級闘牛場のカテゴリーを2級か3級に落とした方が良いようだ。あれじゃ、最低の闘牛場のパンプローナと変わらない。今の気持ちとしては、もう2度と行きたくない闘牛場になった。パコ・オヘダは怒っていたし、ホセ・トマスやアベジャンももう出なきゃ良いんだ、あんな所。
帰ってTVを観たら日本に負けたロシアのモスクワで暴動が起きたようだ。ああいう連中は軍隊や、警察が徹底的に取り締まるべきだ。バルセロナのテンディド5よりさらにシン・クラッセの連中。サッカーで負けたくらいで暴動起こす脳細胞を、どうやって理解すればいいと言うのか。自分では何もできない大馬鹿野郎だ。
TVで、伝説の英雄、“エル・ルーテ”の事をやっていた。フランコ時代、反骨の犯罪者として、民衆から圧倒的な支持を受けた。逮捕、脱走、逮捕を繰り返しその度に独裁体制下の民衆は一喜一憂し“エル・ルーテ”は英雄になった。民主主義になったスペインで彼は、勉強し弁護士になる。“エル・ルーテ”は、エル・コルドベスと並ぶ60年代の英雄だ。
これからセビージャに向かう。
ちょっとだけ書いておくと、サン・イシドロ最終日の8日は、ビクトリーノ・マルティン牧場の牛が場内1周。エンカボが耳1枚取った。ビクトリーノは、下山さんの話だと、場内1周した牛を種牛として取っておけば良かったと悔やんでいるそうだ。
6月11日(火)
本当は今日マドリードに帰る予定だった。色々時間がかかって、22時か23時のAVEに乗るつもりが、平日は21時が最終だった。それを確かめて、タルゴがないか駅で聞いてみたが、次のマドリード行きは、明日の朝の6時半だという。下山さんに送って貰ったが、まゆみさんの言うとおり21時が最終。仕方がないのでオスタルに宿を取りセビージャに未だいる。
昨日今日と下山さんと話をし、サン・イシドロのビデオを観た。29日と2日のやつがなかったのは残念だが騎馬闘牛以外良いところは観た。ビデオで観ると21日のホセ・トマスのファエナが、耳1枚に見えてしまう。あの時の緊張感や興奮がビデオではどうも伝わらないようだ。アントニオ・フェレーラのファエナはビデオで観てもあの興奮は伝わるだろう。
下山さんは、リハビリとパラリンピックの練習をしている。あまりに練習に熱を入れると体がグロッキー状態のなるので、練習をがんばらないように言ってきた。日常生活が出来なくなるほど体に負担がかかるのなら休むなり、練習量や質を考えた方が良いと思ったからだ。仮に、メダルや記録を作っても、日常生活が犠牲になるほど体に負担がかかったらそれは意味のないことになってしまうと思う。がんばるなと言うのも変なことかも知れないが、肉体に負担のかかりすぎる練習では、肉体自身も生活もダメになりかねないと思うからだ。
明日の朝、マドリードに帰る。そして、荷造り。今日の日記の更新は12日になるが、セビージャのオスタルにて記す。
6月12日(水)
朝セビージャを発ってマドリードに着いた。洗濯物を洗濯機に入れてTVをつけたら、アルゼンチンもフェラになっていた。優勝候補筆頭のフランスに続いて第2候補のアルゼンチンも予選リーグで敗退した。この大会は大波乱が続いているようだ。これから、スペイン戦をアンテナ3が中継する。これを観てから、ぼちぼち荷物の用意をする。部屋の掃除。
闘牛は後1回、明日が最後。出していたフィルムを取って来ないとダメだ。8,9日と撮ったフィルムは日本に帰ってから現像に出そう。
DIAのTVCMが面白い。最後の1個のオリーブの実を爪楊枝でつついているお婆さん。なかなか刺さらない。それを見ていた孫のような5歳くらいの女の子が、手で取って食べてしまう。お婆さんの驚いた顔。笑えるCMだ。
8,9日の観戦記は時間があったらスペインにいる間に書く。13日の観戦記は?
6月13日(木)
荷物の整理も出来た。目途が立った。でも、明日朝、8時発というのはやっぱり、辛いものがある。闘牛見て帰ってきたら、荷物をちゃんと詰め込んで、朝は5時半くらいに起きて、遅くても6時にはタクシーに乗っていないと行けない。荷物整理や部屋の掃除で忙しくて、闘牛のことを考えていなかったけど、今日は今年最後の闘牛になる。カバジェーロ、ホセ・トマス、モランテ。牛が良ければいいけどそうじゃないとつまらない闘牛になるかも知れない。闘牛とはそういうものなのでそれは了解している。
何処とは言わないが、TV局からメールが来た。面倒くさいので、闘牛の会の事務方に振った。
セビージャに行ったとき、下山さんの家に置き忘れていたバッグの中に風太郎の本があった。オスタルでそれを読んだ。飛行機墜落までの乗客30人の3時間を書いた小説。僕の乗る飛行機が無事に成田まで着けば、15日から、日本の生活が始まる。帰ったらやることがある。それを少しずつこなしていこうと思う。東京は暑いだろうが、夏ばてにならないように、体調を整えて気を付けてやっていこう。帰ったら返事を書かなきゃならないメールもある。
それから、帰る前に連絡を入れておかないとダメな人が何人かいる。米ちゃんは昼過ぎ来て、手伝って貰った。闘牛終わってカメラをしまいノートをしまったら準備完了になる。これから、昼寝でもしてシャワーを浴びて闘牛に行こう。
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