−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年のスペイン滞在日記です。
5月16日(木)
昨日闘牛場で最後の牛の剣刺しの時、20時50分頃、「ゴール」という声が一斉に叫ばれた。突然の声に剣刺しの為、牛を置いていたハビエル・カスターニョはビックリしていた。彼が剣を刺しに行っているときなら、実に危ないことになっていた。心あるアフィショナードは、「シー」と言って静かにするように則していた。剣刺しが終わると誰のゴールとあちこちで聞いていた。前のおばちゃんが、「ラウル」と、言っていた。大事な試合になると、必ずラウルがゴールを決める。闘牛士が退場するとき、カバジェーロとハビエル・カスターニョが拍手を受けて退場。オルドニェスはいつものように口笛を吹かれた。
部屋に帰ってTVを付けたら、前半終了間際、ロベルト・カルロスが上げた高いボールを、ジタンが信じられないドライブの掛かったボレーシュートを決め、2−1とリードした。試合は、後半の終了間際、再三ピンチになったが、負傷でセサルに代わって出たゴールキーパーのカシージャがスーパーセーブを連発して守りきった。カシージャは優勝の瞬間から涙をボロボロ流して歓びを表していた。レアル・マドリードは今年もヨーロッパ・チャンピオンになった。このチームは、選手の構成とか観ると優勝をするために作られたチームだ。ジダンは、「自分のサッカー人生はレアル・マドリードで終わりたい」と、明言した。
今日も遅くなったが散歩に行った。ガブリエル・ガルシア・マルケスの、『物語の作り方』 を読んで、帰りにFNACで、Aplausos を買ってきた。セサル・リンコンのインタビューが載っているからだ。グラン・ビアは今歩道拡張工事のため、歩きにくくなっている。老人が手を出して曲がり角に立っていて、若者が手を出して体を支えて、手助けしていた。こういう風景は日本にはないものだ。大都会、マドリードですらこうなのだ。ここは泥棒も多いがこういう気持ちを持った人たちが多く住んでいるのだ。これからレアルの選手たちがバラッハスに到着しシベレスや、サンティアゴ・ベルナベウに行く。これから大騒ぎが始まる。今日はYさんに代わって、三木田さんが闘牛を見に来る。バレラが出るからだ。これから遅くなったが昼飯を食おう。
5月17日(金)
昨日闘牛の帰りに、Mさんと、三木田さんの奥さんと3人でバルに行って飲んだ。その前の闘牛場では、後ろの席に見たことがある人に似ている人が座っていた。眼鏡を掛けていたのがその人によく似ていた。その横にはおばさん3人が座っていて、僕が座っている尻の横に足を乗せて座っていた。ちゃんと靴を脱いでストッキングが見えていた。靴ならムッとするけどそうじゃないので黙っていた。ビセンテ・バレラがやっているときに声援を送っていた。ムレタで牛を誘おうとしているとき、風が吹いてそのまま風が弱くなるのを待っているとき、「ビセンテ・ブスカンド・シティオ」と、実にタイミングの良い的確な助言を言っていた。
闘牛が終わってから、おばちゃんたちに、帰っていった彼は、前ビセンテ・バレラのバンデリジェーロをやっていたアルベルト・マルティネスじゃない。と聞いたら、そうよ。明日出るのよ。今はエル・ファンディに着いているの。と、教えてくれた。そのおばちゃんたち、バレンシアのビセンテ・バレラのペーニャ人たちで、バスで来てこれから帰るのだという。今日はダメだった。と言って3人一緒に首を左側に倒してガッカリした表情をしたので、思わず笑ってしまった。
所で、そのビセンテ・バレラだが、どうやらカサ・デ・ロサノから外れたようで、アポデラードは今、フスト・オヘダになっていて、しかも、クアドリージャは全部代わっていて、イエステラも、もういない。こんなチームで闘牛をやるのはバレラの本意じゃないだろうが、それは全て自分に責任がある。去年の闘牛シーズン最初にティエンタで大怪我をして4月後半で闘牛を辞めてしまって治療に専念した。それで職場がなくなったクアドリージャたちは仕事を求めて散っていったのだ。アポデラードにも見放されたようだ。厳しい環境だけが残った。そして、闘牛も今一だった。
そんなことなどバルで3人で話しながら、三木田さんは帰り、僕はMさんの所に行って泊まった。色々な話が出来た。だから、昨日の観戦記は未だ書いていない。レアルファンの騒ぎも知らない。ラウルはまた、旗を持ってカポーテのように振って、ファンが、「オーレ」を合唱したのだろうか。ワールド・カップの日本代表23人も決まった。俊輔が入っていないのはトルシエらしいと言えばそうだが・・・。スペインではようやくワールド・カップの話題が増えてきた。日本では、傘殺人事件や、中国の日本領事館に武装警官が入った問題など話題になっているようだ。相変わらず?の多い日本だ。
ブルゴスのカルテルが発表になったが書く暇がなさそうだ。
5月18日(土)
昨日はあんまり楽しい闘牛だったので、三木田さんがこのまま帰るのあれだから一杯飲んでいきましょうと、言うのでバルでその日の闘牛をしてビールを飲んだ。三木田さんはYさんが急に熱が出たので直前になって来ることになったため切符代はタダ。それでこんな良い闘牛が観れたと言って喜んでいた。フェレーラのことも今までのイメージを一新して良い闘牛だったと言っていた。だから僕は、ちゃんとした闘牛をやればラス・ベンタスでは認められるんですと、言った。
帰りのメトロの中で、酔っぱらったフランス人たちが4人いてその中の1人が闘牛場で貰ったプログラムを観ていたら、フェレーラの写真を指さして何か言った。フランス語で言われても判らない。とにかくグデングデンに酔っぱらっていて頭に来た。奴らはそれでも楽しそうだが周りのスペイン人たちも腹立たしげに閉口していた。向かいに座っていたスペイン人女性は睨み付けていた。俺も言葉が判らないから睨み付けてやった。俺に絡んできた奴の連れが、パルドンと謝ってきたが、絡んでいるやるを睨んでいると目線を反らした。
プエルタ・グランデがあった日にこんな気分の悪いことがあるのかと乗り換えて部屋に帰ってきて観戦記を書き上げ、HPをアップしてネットを観たら、今度はホセリート骨折の記事。茫然となった。興奮して4時頃まで寝れなかったが、10時前には目が覚めた。それから直ぐに新聞を買いに行った。Diario16 が欲しかったので聞いたらもう出てないと言う。倒産したようだ。FNACに行ってABC や El
Pais 、El Mundo などを観たが、買ったのは、La Razon。
ホセリートは、大腿骨を骨折して最低3ヶ月。今年の闘牛を打ち切るようだ。
朝、下山さんにTEL。いなかったが、後で向こうからかかってきた。ホセリートの怪我の話し、昨日のプエルタ・グランデの話し。色々話した。ともあれ下山さんは明日マドリードにボテを見に来る。昼食、闘牛が終わってからの夕食も一緒に取ることになるだろう。今日はレホネオ。観戦記どうしようかな。知らないから書きようがない気がする。
5月19日(日)
サン・イシドロはようやく1週間が終わった。未だ、3週間闘牛が続くのだ。もう毎日に2時間以上石の座席に座り続けているので尻が痛くなってきた。俺は労働者だから、座りすぎて尻が痛いなんて、デスクワークやってる奴みたいな事は言いたくないけど、本当に尻が痛くなってきた。やっぱり座布団買うか、闘牛場で1ユーロで借りるかしないと尻の骨が出てくるかも知れない。このままじゃ尻が保たない。
マドリードに下山さんが着いてTELがあった。これから会いに行く。
メールを観たら、オークスの結果が出ていた。桜花賞でマイナス22キロで3着なったシャイニンルビーが1番人気になっていたが競馬の常識から言うと、前走マイナス10キロ以上減っている馬が馬券に絡む確率はかなり低い。なおかつ3歳牝馬。来るわけがない。岡部も馬も好きだけど馬券として買えない。だからといってこのレース何を買えばいいのか、全く判らないレースだった。そして、またも万馬券が出た。女心は本当に判らないものだ。
5月20日(月)
昨日闘牛場の、Via Digital の中継車の所に下山さんと行った。ロベルト・ドミンゲスは今日は来ない。と、言われ、そうしようかと思っていたら、ハビエルが来て、彼に下山さんの新聞の記事を渡してくれるように頼んで、切符を探しに行った。ダフ屋は一杯いるが、良いダフ屋がなかなか見つからなかった。結局これならと思える値段の切符を見つけられてそれを買った。これカルテルではちょっと高い気もしたが切符がないのだから仕方ない。
闘牛場の帰り、タクシーを待っていたら、前にいた日本人観光客が突然、「トロって言うのはXXXですか?」と聞いてきた。牛です。と言うところから話が始まり、「サン・イシドロって何ですか?」、聖イシドロのことです。「あっ、サンって、太陽のことですか?」それは英語です。聖なるとか、聖人にサンって付けるんです。イシドロと言うマドリードの守護聖人の事です。何だが訳の分からない話になってきた。タクシーに乗った後、下山さんが話しているとき後ろを向いて知らんぷりしていた理由が判った。
聞いていておかしくて笑いを堪えるのに必死だったそうだ。「サンって、太陽のことですか?」僕の笑ってしまったが、おかしいよなぁ。でも、こういう人を旅行ガイドの人たちは相手にして仕事をしているんだよなぁ。大変だ。良くガイドの仕事を続けられるものだ。番長や、寿美さん、三木田さん、まゆみさんたちは、いつも大変なギャップと戸惑いの中で仕事をこなしているのだろう。
夕食はエドゥーと3人で取った。小説の話などをして、僕が書こうとしている話をしたら、面白くないと言った。それからちょっと説明したら、面白いと言いだした。だから、さっき面白くないと言ったのに、と言ったら笑っていた。ブッシュやアメリカの事を最後に話した。その中で、エドゥーが名言を言った。「殆どのアメリカ人は国際的じゃない」
スゲー事だ。と、僕が感動していると、下山さんが、「耳1枚」と言ったので、ノー。ドス・オレハスと、言ってみんなで笑った。昨日のトゥリンファドールはルギジャーノじゃなくてエドゥーだ。補足をすれば、外国に行ったり、外国で住んでいるアメリカ人は国際的だけど、アメリカにずっと住んでいる人は自分たちのことしか考えない狭い世界でしかものを見ないし、生活をしていない。そういう意味で、ブッシュは実にアメリカ的なアメリカ人だとエドゥーが言っていた。これにはうなずける。
昨日ニームで、セサル・ヒメネスが出てまた耳3枚取ってプエルタ・グランデした。28日フェレーラの出場に関してどうやらホセ・トマスが、ノーと言ってもめているようだ。マスコミは11年前にフェルナンド・ロサノに代わり、セサル・リンコンが出場したようにフェレーラを出場させるべきだという意見のようだ。
僕は、フェレーラは29日も出るので、彼にとってどういう選択が良いのか分からない。叶わない希望として持っているのは、セサル・ヒメネスを出して欲しいとも思う。しかし、考えてみれば、アルテルナティーバしたばかりの闘牛士をいきなりサン・イシドロの大舞台にしかもホセ・トマスとエウヘニオと一緒に闘牛をやらせるのは酷と言えば酷。エウヘニオがプエルタ・グランデして、雨で延期になっていたカルテルにホセリート、ホセ・トマスと一緒に出た時も上がって良いファエナが出来なかったから、やっぱしやめた方が良いし、ホセ・トマスもあんなガキと思っているだろうから、実現性は皆無だろうけど。
午後、下山さんと会ってアトーチャまで送って闘牛を見に行く。
5月21日(火)
19日闘牛場で寿美さんと会った。17日フェレーラがプエルタ・グランデしたときの話をちょっとした。フェレーラの剣がちょっとずれていた事、バンデリージャが凄かったことを言っていた。ファエナについては触れていなかったと思うが、ああいう場合は、耳2枚の価値を持っている事を語っているのだろう。今回は。寿美さんは、エル・ファンディを見に来たのだそうだが、あの日は、アルテルナティーバで1,6頭目にやった。寿美さんは仕事で1,6頭目が見れなかったのだそうだ。その話を聞いて可哀想にと思いながらも笑ってしまった。
だから、あの日のファンディの話を少しした。寿美さん悔しかっただろう。特に1,6頭目のバンデリージャは凄かった。それを観れなかったのがなぁ。一緒にいたSさんが後で隣の席に来た。ペピン・ヒメネスのバンデリジェーロのフォルミダブレの話をパセイージョの時にして、後は牛の話や闘牛のやり方の話をしていたら、今度の牛はどうですと聞くようになってきた。終わった後、彼女は、もっと勉強しないとダメですね。と、言ったので、あんな事を全然知らなくても楽しめるところが闘牛の良いところです。と言ったら、うなずいていた。
昨日はアトーチャで下山さんと話して見送りした。ムレタの振り方の話や、これからのリハビリの話など色々したがここにはあまりそういうことは書かない。6月10日にはまた、セビージャに行って闘牛の話など色々出きるだろう。今年は、後2回ぐらいプエルタ・グランデが出そうな気がする。祭り中3回というのはここ何十年ないことだろう。そうなるような気がするのが。勿論、騎馬闘牛や見習い闘牛ではない、闘牛でと言うことだけど。
昨日、フランスの、Vic-Fezensac で、アントニオ・フェレーラが怪我をしたニュースにはビックリした。こんな事になってしまうのかと、溜息が出てしまう。
今日は、ホセ・トマスが登場する。去年の3アビソでアフィショナードを失望させて、今年はどういう受け止め方をされるのか、どういう反応をするのが、それも面白い。良い闘牛をすれは去年のことは過去のことになる。
5月22日(水)
朝早く起きて新聞を買いに行った。El Mundo を買ってきた。そこには、満場一致のプエルタ・グランデではなかったことが書いていた。耳2枚ではなく耳は1枚だとか、インバリドの牛だからとか、El Mundo の記者、ハビエル・ビジャンは言っている。が、そのハビエル・ビジャンでさえ、ホセ・トマスにカリスマ性がないとか、パッションがないとか言うことを言っているのでない。TVによると、僕が書いた観戦記のタイトルに1番近いのが、「ホセ・トマスがラス・ベンタスを制服」というものだった。何処の新聞かは忘れた。
だが、思い出して欲しいのは、民主主義というのは、満場一致というのを、排除しているところで成立する。色々な意見の存在を認めなければ議論も起こらないし、意見の交換も出来ない。日本の国会では満場一致を最高のものと思っているが、それは、実は非民主主義的な考え方だとう言うことをもう一度、基本に立ち返って思い出して欲しい。そして、思うのだ。昨日のファエナが議論を呼ぶこと自体、その時点でホセ・トマスの闘牛の凄さを語っているし、ホセ・トマスは、その議論の言葉を越えた闘牛をしているのだ。
まあ、とにかく凄いものです。ホセ・トマスは。スペイン人でさえ言葉が追いつかないのに、日本人の僕はもっと言葉が追いつかない。もっとも、これが言葉に先行する肉体の所在って奴で、追いつく分けない。
6月9日、バルセロナの闘牛のための切符を買ってきた。1日の切符は持っている。10日の朝、マドリードに帰ってきて、それからセビージャへ行く。疲れるだろうから行くのを迷っていたけど、そんなのは昨日の闘牛で吹っ切れた。観れるだけホセ・トマスを観て置いた方が悔いが残らない。28日、1日のグラナダ、9日のバルセロナ、13日と後4回観れる。それ以上は望まない。
今日は闘牛の後、Kさんの所で食事を取る。帰ってきて観戦記を書くかどうかは不明。
5月23日(木)
昨日、マドリードの熱をホセ・トマスが全部奪っていったように寒くなった。ハビエル・ビジャンが、ミゲル・アンヘル・モンチョリの番組に出て、ホセ・トマスのファエナについて批判を展開した。モンチョリは、「闘牛は、シタール、テンプラール、マンダールとあるけれども、リガールもある。ホセ・トマスのパセにはリガールない。リズムがない。あれで耳2枚というのはラス・ベンタス闘牛場は第2級闘牛場に成り下がってしまったのか」と、言うものだった。
例えば、分かり易いところでは、『MARCA』 は、オトラ・ベス・ホセ・トマス。 『El Pais』 は、ホセ・トマス、ポル・ラ・プエルタ・グランデ。 『La
Razon』 は、El carisma de Jose Tomas conquisto Las Ventas. だった。
ハビエル・ビジャンとミゲル・アンヘル・モンチョリは、コラボラドールになって、21日のホセ・トマスのファエナについて批判を展開し議論を起こそうとしている。それは良いが、言うに事欠いて、「リガールがない」「リズムがない」とは、どういう闘牛が見たいというのか。そういう闘牛はアンダルシアに行けば観れるじゃないか。リズムが良い闘牛とは、エスパルタコのような闘牛のことを言うのだろうが、そんな闘牛の何処が面白いというのだろう。彼らの論法は間違っている。「ムレタが角にはらわれていた」と言うことはあの場合、重要な事ではない。
インバリドの牛を相手にホセ・トマスはあれだけ牛をパセした。牛を動かす為には、1回1回クルサードをしなければパセ出来なかった。だから、リガールについても、リズムについてもどうでも良いことになってしまう。観客が感動したのは、他のどの闘牛士にも出来ないことをやったからだ。あの牛を動かせたのはホセ・トマスだけだし、牛の誘い方も、牛を体の間にムレタを置いてやっていた。牛を怖がらない。牛をパセするために最良の方法を実行し、牛の持っている力を引き出す。言葉で言えば簡単なことだがこれほど難しいことはない。
パセの時、からだギリギリを通し牛を怖がらずにそれを繰り返す。観客はホセ・トマスに、人間の限界を超えた領域に踏み込んだ神に近いものを感じているのだ。だから、昨日のレテマドリーのモンチョリとビジャンの、吹っかけた議論は、自分たちの存在を示すだけの意味しかない。いや、むしろあの放送を聞いて今までモンチョリを支持していた闘牛ファンも、激怒している。あの闘牛を観て、感動を感じない人は、アンダルシアで闘牛を観た方が良い。パセだけ繋がる闘牛を・・・。
アンダルシアでは、本当の意味でホセ・トマスの闘牛を理解できないだろう。ホセ・トマスを認め、あの闘牛の凄さを理解したのは、ラス・ベンタス闘牛場だったじゃないか。僕はあの時それを見、凄い闘牛士が出てきたぞと、思ったものだ。あれから5年経った。ホセ・トマスは5年前より数段凄い闘牛士になっている。モンチョリは、「あれで耳2枚というのはラス・ベンタス闘牛場は第2級闘牛場に成り下がってしまったのか」 と言ったが、僕は、「あれで耳1枚しかでないのならラス・ベンタス闘牛場は第2級闘牛場に成り下がってしまったのか」 と思う。ラス・ベンタスは、あらゆる闘牛を観ていた。だから、色々な闘牛を認めるのだ。アンダルシアのように閉ざされた闘牛を、やっていないのだ。
モンチョリや、ビジャンがアンダルシアのような闘牛が好きだとは知らなかった。あんな闘牛は僕は退屈なだけだ。技術はある種、見えても、闘牛の真実が見えてこないからだ。それにしても、耳2枚取った後、テレマドリーのインタビューを笑って拒否していたホセ・トマスって格好良いよなぁ。
昨日の闘牛は寒いだけだった。牛が悪いと闘牛士が良くても何もない。その典型だ。
5月24日(金)
散歩に行ってきた。昨日まではまた寒かったが、今日は暑い。FNAC横の温度計は27度を表示していた。
昨日は闘牛場にギリギリに行った。テンディド・セロ を見ていたからだ。番組の冒頭のトピックスで、ホセ・トマスのプエルタ・グランデを写して、下には、エル・イドロと書いてあった。イドロという言葉を日本語に訳すとき、どう言えばいいのだろう。辞書には、1,偶像、偶像神。2,崇拝の的、アイドル。と、なる。しかし、辞書に載っているものをそのまま日本語として使うとどれも当てはまならない様な気がする。アイドルじゃ言葉が軽すぎるし、偶像じゃ、違う。崇拝の的が、1番近いが日本語にした場合、使いにくいし、言葉が馴染まないような気がする。ホセ・トマスやセサル・リンコンの場合は、イドロと言うより、carisma に近い。イドロについての日本語は何か考えないといけないだろう。
所で番組中で、ホセリートのコヒーダのビデオを見た。カポーテが風に吹かれ牛が体の方に来て空中に上がり、右側面から落ちた。そのまま顔を歪めて医務室に向かった。落下したとき、右腰からアレナに着いた様で、それが、3カ所の大腿骨、骨折になった。そんなに対した怪我じゃなさそうなのに、大怪我になったのは落下したときに骨にかかったエネルギーが予想以上に強かったからだろう。ホセリートも年を取った。運も悪い。でも、気持ちは元気で全く落ち込んではいない。
アントニオ・フェレーラのコヒーダもやっていた。これは剣刺しの時に右太股に角を受け穴が開いた。落下した後、また角を受けていた。フェレーラは、4日ホセリートに替わり出場できると言っているようだ。29日は出場できないのかな。
アントニオ・バレラが想像よりずっと良かったのでビックリした。あれだけ真面目にパセを繋いでいたら耳を取らせて上げたかった。レシビエンドまでは良かったがカイーダになったとき、何とも言えない残念な気分になった。仕方がないが、結果だけが全てではない。闘牛の内容が素晴らしかった。そのことを、忘れずに努力し続けて欲しい。スエルテ!
一昨日は鼻が痛くてタバコを吸わなかった。昨日は、テンディド・セロ を見ながらタバコを吸い始めた。酒飲んで寝る頃には鼻をかむと血が混じって痛かった。朝起きたら痛さはないので、タバコを吸っている。もう少し辞めていた方が良いかも知れない。今日ポンセはどうなんだろう。アントン・コルテスってどういう闘牛士なんだろう。
5月25日(土)
昨日のポンセの耳3枚にはビックリした。結果には驚いている。感動がない闘牛だったが、確か97年の5月2日以来のラス・ベンタスのプエルタ・グランデ。考えてみると3回のプエルタ・グランデを全部観ている。92年のベネフィセンシアの時のそうだった。そして、ポンセはサン・イシドロでは初めてのプエルタ・グランデだったのだ。実に嬉しそうにプエルタ・グランデから出てきた。クアドリージャの浮かれ加減だった。そりゃー酒より酔っぱらうよなぁ。
新聞では、ポンセの闘牛の批判をしている。そういう気持ちは分かる。フェレーラやホセ・トマスの闘牛に比べればそういうことになる。が、そんなことを比べても本当は意味がないのだ。批判するなら、やった内容について語るべきだ。ともあれ、結果として耳3枚取ったので、ポンセはトゥリンファドールの1番近くにいる。1人が1日に耳3枚取ったという記録はかなり昔までさかのぼらなければない記録だろうし、1日に耳4枚出たというのはあの伝説の88年のビクトリーノ・マルティン牧場の牛で耳6枚出て3人の闘牛士とビクトリーノがオンブロスした時までさかのぼらなければならない記録だろう。しかし、あの2枚はないよなぁ。あれじゃ、モンチョリに第2級闘牛場と言われても今回は仕方がない気がする。
1ヶ月も前から書こうと思って書いていなかった、スペインで物凄い人気のもう社会現象という言っていいような、オペラシオン・トゥリンフォ がある。スペイン代表の、ロサは、若者中心に圧倒的な人気で街角ではロサの歌が口ずさまれている。100キロはあろうかという巨体をステージで揺すって歌うのだが、ステージが揺れて見えるのは気のせいだろうか。突然、一般のオーディションを各地で開き、その参加者をも巻き込んでロサは今スペインで1番支持されている歌手と言っていいほど物凄い人気だ。
そして、今日ヨーロッパ大会でチャンピオンが決まる。18時から21時までTVEで放送するらしいが多分凄い視聴率になるだろう。あーよかった。闘牛行っている時間で。僕は、この、オペラシオン・トゥリンフォ 現象はスペインをダメにするものだと思っている。若者が身の回りに起こっていることより、アイドルに夢中になるというのは、今の日本と同じになっていくような気がするからだ。小室、安室や、存在しない内面を歌う、浜崎あゆみを聞いていて、そのファッションを真似し、目立ちたいだけで、後は何をしようと言うものが何もない、そういう意味不明の存在理由だけで生活していく人間を平気で増やしていく現象が、オペラシオン・トゥリンフォ ではないか思っている。
そんなスペインは、僕には魅力がなくなる。ロサを観て泣いている女の子を観ると、スペインがダメになったなぁと実感する。どうなったんだスペインは。
5月26日(日)
昨日の騎馬闘牛は感動した。観戦記は書かないが、パブロ・エルモソ・デ・メンドーサの騎馬技術は物凄い。カガンチョがいなくてもあれだけの闘牛を出来るのは驚くし、観ていて感動してしまった。剣が決まらなかったから最後は耳を切れなかったけど、決まっていたら耳2枚だっただろう。レオナルド・エルナンデスも今回は悪くなかったし、フェルミン・ボオルケスも良かった。だけど、パブロ1番。来年は、パブロと、アンディー・カルタヘナのマノ・ア・マノが観たい。
帰ってきて、TVをつけると、まだ、オペラシオン・トゥリンフォ をやっていた。投票を観ていたが、感想はない。当然ロサは、1位にはならなかったが、終わった後、グラナダとの中継があって、会場に詰めかけた観客が、「ロサ」コールを続けて、ロサが泣いていた。まっそれはどうでも良いが、テレマドリーで、レアル・マドリード100周年記念の番組をやっていて、自動車事故で死んだ、ファニートのことをやっていた。観衆の、「ファニート・マラビジョ。ミラ・ミラ・ミラ」 の合唱が続く中、選手時代や事故現場、葬式の模様が流れる。棺が通りを通ると群衆が後に続く。サンティアゴ・ベルナベウで最後の場内1周が行われる。これは、闘牛士が死んだとき、闘牛場で行われる、Ultimo
vuerta と同じだ。「ファニート・マラビジョ。ミラ・ミラ・ミラ」「ファニート・マラビジョ。ミラ・ミラ・ミラ」。どうしてあんなに、Ultimo
vuerta って感動的なんだろう。闘牛がない国はこんな事はしないだろう。そして、サッカーでもこんな事をするんだと驚いた。
散歩に出たとき、気温は26度だったが風が強い。今日の闘牛は強風の中でやることになるのだろうか?ダービーの感想は掲示板に書いたので割愛する。
5月27日(月)
26日、トレドに行くか、ベンタスに行くか、迷っていたが、ベンタスに行った。これは毎年自分でマノロ・サンチェスとハビエル・バスケスを必ず1回は観るという事を決めていたので、その2人が一緒に出る日だったから、その約束事を実行したのだが、結果的には大失敗に終わった。昨日のベンタスは観るべきものはなかった。マノロは全然ダメ。ハビエルもあまり良いところがなかった。今年の状況を考えて、トレドに出るポンセ、ホセ・トマス、エウヘニオの3人は今年調子がいいので、それを見に行くべきだった。
牛もサルドゥエンド。悪いわけがない。同じピソに住んでいる画家が、闘牛観たいんだけど、どうしたらいいですか?と相談されたので26日トレドが1番良いでしょう。と、言ったら、画家のTさんは、昨日トレドに見に行った。帰ってきて、大興奮。あんなに感動するもんなんですねと、言っていた。牛は場内3周したと言っていたが、多分2周だろう。血を見るのが嫌だから何年も闘牛を見に行かず、初めて闘牛に、血なんか気にならないですね、と。
良い闘牛とは、そういうもの。命を懸けた闘牛士がその技で牛を体の周りを動かすときの興奮は想像を超えて味わったことのない感動を与える。朝起きたら、Tさんは、いやー、夢に闘牛が出てきましたと言っていた。夜は、Tさんが帰ってきてから、Fさんの所で飲んだ。そこで、闘牛の話を一杯して、山田風太郎の話をしたら、Fさんが、あれは凄い!と絶賛。思わず握手をしてしまった。風太郎の話をしていたら、Tさんが、闘牛もそうだったから、風太郎も読もうかな。と言った。だから、後で、始めに読んだらいい本を書いて教えますからと、約束した。風太郎の話をしたらキリがないからここでは止める。
朝、TELがあって、あしたセサルと会えることになった。アメリカ人がセサルの本を出し、その発表会に来てくれと言うこと。大勢の人がいるからおそらく、ゆっくり話は出来ないだろうが、2,3年ぶりにセサルに会える。何もお土産がない。どうしよう。多分セサルはこの後、ホセ・トマスを観にラス・ベンタスに行くだろう。セサルが闘牛士に復帰するのかどうか、そのことを本人から直接聞きたい。未だ、実感がないが、あした会う前は、ドキドキして落ち着かなくなっているだろう。
5月28日(火)
夜中、Tさんと台所で話していた。Kさんが来て、お土産のことを聞いたら、日本人はお土産を上げすぎると、言って会いに来たと言うだけでいいんじゃないかと言った。会えるかどうか判らないからお土産は用意していなかったと言うことで良いでしょうと。目覚ましをかけるのを忘れ目が覚めたのは10時過ぎ。歯を磨き、顔を洗い、用意をしている。後は鼻毛を切ればいい。どうも落ち着かない。セビージャの闘牛場で、間近でホセ・トマスやアベジャンの写真を撮ったときは、何ともないのに、セサルに会う前からドキドキして落ち着かない。困ったもんだ。
今日の闘牛は、ホセ・トマスとエウヘニオが出るが、それは遠い未来のことのような感じだ。TELで6月1日のグラナダのホテルの予約をした。Yさんから26日のトレドの話を聞いたが、今はそれを考える気がしない。後1時間後にセサルに会える。朝食も喉を通らない状態だ。深呼吸して、気持ちを落ち着かせて会いに行こう。
5月29日(水)
昨日は長い1日だった。12時半には用意して部屋を出ようと思っていたのに、出たのは13時10分前。急いで歩いたがついたのは13時を少し過ぎていた。「セサルは」と聞くと、「下です」。階段を下りて行くと7,8メートル四方の部屋に机が1つ置いてあってそこに、セビージャであった、バンデリジェーロと結婚したアメリカ人の小太りのおばちゃんがいた。だから、挨拶に行った。そしたら、「あっ、アツヒロ・シモヤマの友達」 「そうです。僕は、セギドール・デ・セサル・リンコン(セサル・リンコンの追っかけ)です」というと、近くにいたアフィショナードが、「ムイ・ビエン」と言って笑っていた。
人は段々増えてきて新聞記者や、闘牛放送をしている Gran Via で闘牛士にインタビューを担当しているオールバックの人とかがいた。メキシコの闘牛担当の記者もいた。階段からルイス・カルロスが下りてきて、「オラ・サイト」と言って僕の所に来た。セサルの兄で、モソ・デ・エスパーダをやっていたルイス・カルロスとセサルの闘牛士復帰の話をした。今年の南米のテンポラーダが始まったら、メキシコ、ベネズエラ、ペルー、コロンビアなどで闘牛を始めると、言っていた。トレオ・デ・サロンや体力作りも始めていてどうやら、もうかなりハードなものになっているようだった。彼は本を持っていて、ページをめくりながらセサルについていたチームの人たちの写真をと指差して名前を言った。モナキージョと言って写真を指さしたので、彼は今スペインにいないの?去年はミゲル・ロドリゲスの所にいたけど?と、聞いたら、今彼は、アメリカのマイアミで仕事をしていると、言っていた。
モナキージョはセサルのバンデリジェーロを止めてからしばらく仕事がなくなってスペインを離れていたようだが、アポデラードのルイス・アルバレスの多分コネでミゲル・ロドリゲスのバンデリジェーロをやった。去年、ルイス・アルバレスはミゲル・ロドリゲスのアポデラードをやっていたからだ。でも、ルイス・カルロスがモナキージョの事を知っているのにはビックリした。セサルの元クアドリージャはみんな腕が良いので、スペイン人は殆どが有名闘牛士の所についている。セサルが復帰したら、また、91年の時のようにモナキージョが着くのかなと、思ってしまった。運転手や荷物運びをしていたファンの顔もある。コロンビアではおよそ稼げない大金を彼らはセサルについて稼いだはずだ。
ルイス・カルロスは、「サイトは緑色が好きだな」と僕が着ていた皮のジャンバーを触って言ったので、「セサルが1番始めにラス・ベンタスでプエルタ・グランデしたときの服の色が緑色だったでしょう。だから緑色が好きなんです」と言うと、ニコッと笑っていた。ルイス・カルロスは呼ばれていなくなり、しばらくたったら階段からセサルが下りてきた。後ろにはエドガールがいる。セサルは階段から下りてきながら、「サイト、サイト」と何度も僕の名前を呼んで歩いて僕の前に1番始めに来た。もうその頃には4,50人闘牛関係者、マスコミ、アフィショナードがいたが、他の人には目も向けず、僕の名前を呼んで僕の前に立った。
右手を出して握手をし、そして、アブラッソをした。セサルの右手は何度も何度も僕の背中を叩いた。何だかみんなに観られていて恥ずかしいような、それでも凄く嬉しい瞬間だった。僕の後ろには、前アポデラードをやっていた、ルイス・マヌエル・ロサノ(?名前を忘れた)他の人が並んでいた。お金などには全然関係ないただ、一ファンである日本人が彼ら重要人物を差し置いてセサルと始めに挨拶をした。91年からのセギドールだからもう、11年来の事だし、何千キロセサルに着いて旅をしたのか計算したことはないが、物凄い時間も使った。でも、僕はそれがとても楽しかったのだ。セサルを観るためなら、行きたくもないフランスにも行ったし、知らない街にも何度も行った。そうやってセサルの闘牛を観ることが闘牛を理解していくことに繋がった。そういうことをいつからかセサルも感覚として判ったようだった。そして、長いアブラッソ。2,30秒の抱擁が続いた。何だかもうこれだけで来て良かったと思った。
発表会は30分くらいやって後は立食でそれぞれが話をした。ロサノがいたので、セサルが復帰したら、また、アポデラードをするのと、聞いたら、両手を開いて笑った。なるほど、アポデラードになれなくても顔つなぎにわざわざ忙しいサン・イシドロ最中にこうやって足を運ぶくらい、セサルは、カサ・デ・ロサノにとっても重要な闘牛士なのだなと、思った。ちょっとあれなので続きは明日にする。
5月30日(木)
28日セサルに会ったことの続きを書く。30分くらいの発表会後は立食でそれぞれが話をした。その頃にはKさんが来ていたので、通訳して貰う。エドガールと話した。エドガールの話だと、Eメールを貰い、それを返信したが何故か戻ってきた。と言っていた。彼の話だと、セサルのC型肝炎のヴィールスは血液検査の結果、完全になくなっていた。それで闘牛士へ復帰する気持ちがセサルの中で出てきた。ただ、肝臓の細胞を取って本当に異常がないか、大丈夫なのか検査して、確認しなければならない。その検査でOKが出れば、今年の南米のテンポラーダで復帰する。
南米で活躍できるようであれば、その後スペインで闘牛をやるかどうか考える。と、言うものだった。クアドリージャはどうするの、アンデルソンやアントニオ・・・。と、言ったら、アンデルソンは、今エスプラと仕事している。一緒に出きるかどうかは判らない。と、エドガールは言っていた。他のクアドリージャも同じ事だろう。何故ならアンデルソンは、セサルと同じコロンビア人。スペイン人のクアドリージャはもっとシビアに考えるだろう。本当にスペインでやるのかどうかも含めて色々な思惑や、金も絡むことだろうから・・・。話を変えて、アポデラードはと聞くと、XXXと言っていた。彼は良いアポデラードだ。とエドガールに言ったら、真面目な顔をして、うなずいていた。アポデラードのことはあえて名前を伏せておく。そんなことはないと思うが、このHPから、闘牛関係者に話が言ったらセサルやエドガールに迷惑がかかったら嫌だからだ。
セサルとは1,2分しか話が出来なかった。これだけの人が来ているのだし、忙しい。セサルに、闘牛士復帰の事を聞いたら、「ノー・ロッセ」(知らない)、と言っていた。エドガールの話だと肝臓の細胞検査などがあるのでそういう言い方をしていたのだろう。でも、トレオ・デ・サロンや体力作りをしているようだからそれはそれで良い。写真を撮って、また来年来ることを約束して別れた。
エドガールの話だとセサルは去年は体調が非常に悪く、直ぐに疲れが出て辛かったようだ。でも、治療の効果が出て血液検査では正常になった。これからどうなるのか。敬虔なクリスチャンであるセサル風に言えば、神の意志に従う、と、言うことになるのだろう。昨日闘牛場のプエルタ・グランデの前にアドルフォがいた。99年セサルのバンデリジェーロをやっていたコロンビア人だ。セサルの復帰の話をしたら、僕がバンデリジェーロをするんだ。と、言っていた。
復帰に対して1番慎重なのはセサル。でも、復帰に向かって周りは動いてるのだ。セサルは、目の下が少し黒くなっていた。元気になったので張り切り過ぎているのかも知れない。彼は毎日闘牛をやっていても最低1時間半か2時間はトレーニングを欠かさない人だから真面目にトレーニングを積んでいるのだろう。体と相談してやって欲しい。無理すると3年間やるんでいたつけが出てくるかも知れないから。
5月31日(金)
今TVで、ワールド・カップの開会式をやっている。試合が終わったらホテルに行ってアベジャンに会ってくる。しかし、気になるのはホセ・トマスの怪我。2度コヒーダされ右太股は大したことはなさそうだが、問題は胸部。角での外傷で肋骨の辺りが裂けた。医者の診断は全治何日という風には出ていない。夜中の時点では今日のコルドバは今日出場するかどうか決めると書いてあったが、コルドバには出ないことになった。僕が知りたいのは明日のグラナダに出るのか出ないのか。出ないのであれば、グラナダの予定をキャンセルしなければならない。出るのであれば、フィルムを買いに行ったりしないといけない。
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