−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年のスペイン滞在日記です。
12月1日(日)
12月1日は何の日か。映画の日だ。TV朝日では、たけしの『BROTHER』を放送している。でも、最近は世界エイズ・デー。NHKでは、世界で今どのようなエイズ対策や、エイズ患者への救済活動が行われているかがまとめられていた。タイでの政府、民間組織による活動は非常に上質で世界の最先端を行っている活動だった。
課外授業 ようこそ先輩 は、浪曲の国本武春。浪曲は、寒いものをオーバーに表現して聞いている観客や相手に、あー寒いんだなぁーと感じさせるもの。
何が何して何とやらぁ それがあれしてどうとやらぁ ものがものしてものとやらぁ
大きな声を出して相手に自分の意見を発表する。老人たちの前で武春氏の指導で小学生たちが自作の浪曲まがいのものを披露する。終わった後の子供たちの感想もなかなか良かったし、表情が素晴らしかった。大きな声で自分の考えや意見を言う歓びを感じていた。
阪神ジュベナイルフィリーズは、やっぱり1番人気ピースオブワールドが優勝した。発走が遅れたが、馬は落ち着いていた。2着は人気馬が馬群に消えてヤマカツリリーが来た。そうエリザベス女王杯で圧勝したリンデンリリーの子供だった。落馬で死んでしまった岡潤一郎が乗っていた。レース後、ゴール板過ぎに岡が嬉しさのあまり馬の首を叩いてガッツポーズをしたときに脚を故障して引退した馬だ。おっかさんが走る馬だったし父がティンバーカントリー。凄い血統だよなぁ。でも、前走500万条件で3着じゃ買えない。世界は平和なのか。日本は平和だ。平和すぎて可笑しい。
今、教育TVで、巨匠マウリツィオ・ポリーニのピアノが聴ける。レコードにはいつも、マッツ・ポリーニと書いてきた気がしたが、正式には、マウリツィオ・ポリーニなのだろう。初めてレコードを聴いたのは、シェーンベルクだった。現代音楽なのに感動的なピアノだった。その時借りたレコードの中で1番気に入った。本当はジャズを聴きたくて借りたのに、1枚だけ混じっていたクラシックと言っても現代音楽だったが、物凄く感動した。兎に角、聴いていた物凄くイマジネーションが沸いた。ディランじゃないけど、「アイディアで頭の中が一杯だ。それで気が狂いそうだ」って言葉を思い出すくらい脳内にドーパミンが駆け巡った。
一緒に借りたレコードで、ジャズ・ピアノが良いなぁと、思ったのがタラー・ブランド、『アフリカン・ピアノ』 だった。それは良いとして、ポリーニが来日するのを知っていたので聴きに行きたかったが、値段が高いだろうし、チケットもどうせ直ぐになくなるだろうと思って何もしなかった。ポリーニは色々なものを弾くが、ドビッシーなど素晴らしい。でも、僕が1番聴きたいのは何と言っても、モーツアルト。あんな誰でも弾けて、良い音楽に聞こえるものを、ポリーニが弾いたらどんな音になるのだろうかというのが興味がある。そんなことを考えるとワクワクしてくる。多分、「鶴八」の卵焼きのように絶品じゃないかと思うのだ。
鶴八とは、神田神保町にある江戸前の寿司屋。今まで食べた中で最高の卵焼き。あれを食べるためだけに高い金を出して寿司を食いに行きたいと思う寿司屋はあそこだけ。今まで食べてきた卵焼きは一体何だったんだろうと思うくらい、食感といい味といい一口で幸福感が全人生を覆い尽くすような味だった。ああ、ポリーニのモーツアルト。聴きたいなぁ。
12月2日(月)
16歳の少年と15歳の少女が乗ったワゴン車がパトカーに追われて逆送して、バイクに乗った女性と正面衝突。その場で逮捕された。無免許での運転だった。面白半分に一瞬のスリルを味わうしか生きている実感を感じれないのだろうか。ことの重大さを事故を起こした後でしか、判らないのだろう。あまりにもバイクに乗っていた女性が可哀想だ。何も悪いことをしていないのに生死を彷徨う。イスラム教の国なら、目には目を歯には歯を、の世界なので裁判で出る判決は、16歳の少年と15歳の少女に、バイクで轢かれた女性の家族が同じことをして少年少女に怪我を負わせるというものになるはずだ。
中田が2アシストで圧勝。小野のフェイエノールトも勝った。J1降格が決まった広島は4点も入れてそれでも負けた。しかも負けた相手が最下位の札幌。
南米、メキシコでしか、マリ・パス・ベガは闘牛に呼んでもらえなくなってきた。それでも闘牛が出来るのだから未だ良い。他は、ベンタスで活躍した闘牛士たちが呼ばれている。
12月4日(水)
昨日横浜で行われたトヨタカップはレアル・マドリードが2−0で圧勝した。ロナウドの先制ゴール。その後、猛攻しているのに追加点を上げれずやばいと思っていたら、ロナウドに替えてグティ投入。これでラウルのゴールが観れるぞと思っていたら、何とグティがヘッドでゴール。去年のリーグ戦の外し方は半端じゃなかった。あれじゃ城だ、と思ったもの。でも、体は鍛えているから動きは凄く良い。決定力がないだけだった。
あの試合は、未だレアルの能力の半分も出ていないだろう。誰1人としてまともではなかったような気がする。イエロがバックスを統率して無失点に抑えた。キーパーのカシージャスだけが万全だったかも知れない。ロベルト・カルロスはシュートの強さと枠に行く精度があっただけで動きは良くなかった。フィーゴは右に左にと動き回っていたが、特別良かったとは思わない。ラウルはロナウドのゴールの時のスルーだけ。最低だった。ジタンはボールタッチは凄いけどタックルを怖がっているプレーだ。ロナウドは落ちた。バルセロナの頃は手の付けられないほど物凄かったもの。
このままじゃリーグ戦は優勝できない。最もシベレスでは大騒ぎをしているだろうけど。
NHK、「精霊流し」。歌の由来はそういうことだったのか。再放送でやった、『プロジェクトX』〜コンビニを作った素人たち〜。やっぱり凄いものだ。
12月5日(木)
読売新聞で特集されている、「少年事件の闇」に出ている内容は恐ろしい。
「 1988年11月、東京都足立区内の少年たちが女子高生を41日間も監禁して殺害し、遺体を江東区内の埋め立て地に捨てた。女子高生コンクリート詰め殺人事件――何の罪もない少女の命が無残に奪われたこの事件では、4人の少年が起訴され、当時17歳だった長男は「懲役5年以上7年以下」の判決を受け、96年秋に出所した。
私鉄の線路がすぐ横を走る、壁にしみの付いた木造アパート。玄関の扉の横では、ふたのとれた二槽式の洗濯機がうなりを上げていた。「私のことを心の底から信用していないんだと思います」。母の言葉には深いため息が混じっていた。長男は、部屋でテレビを見たり、ゲームをしたりして過ごしている。窓はカーテンで覆われ、外の光が入ることもない。ふすまが細く開くのは弁当を取る時と、洗濯物やゴミをまとめて部屋の外に出す時だけだ。
事件後、長男は母の面会を拒絶し続けた。少年刑務所を出て来た時も無視された。母に自分の感情を表さなくなったのは、事件のずっと前のことだった。
苦い記憶がある。
小学校時代、近所の菓子店の主人が「お宅の子がガムを万引きした」とどなり込んで来た。長男は「僕じゃない」と言い張り、100円を払った母に泣いて抗議した。疑いが晴れた後も、もう済んだ事だから、と息子には謝らなかった。
中学校の時は家庭内暴力に悩まされた。家中の物を投げ、暴れ回る長男を持て余した母は、「警察に注意してもらおう」と学校に相談する。だが警察は長男を鑑別所に送った。自宅に戻ってきた時、長男の暴力はやんだが、母とは口をきかなくなっていた。「見捨てられた」と思った長男は、心を閉ざした。
「母はうその塊です。会うと頭が痛くなります」と長男は公判で語った。本当の気持ちをその時初めて知った。「あの子の気持ちより、周りにどう思われるかのほうが大事だった」と母は振り返る。
少年たちの行為は決して許されるものではない。だが、親に見捨てられたという記憶は、深い傷となって心に刻み込まれる。」
一体どういうつもりなのだろう。おそらく判決の趣旨は、犯罪を犯した少年D他に対して更正の機会と、社会復帰を期待したものだっただろうが刑期を終えて刑務所の外に出たのに、他人との関係を一切拒否して引きこもっている。これが少年法の理念が反映されていると言えるのだろうか。新聞が、「少年たちの行為は決して許されるものではない。だが、親に見捨てられたという記憶は、深い傷となって心に刻み込まれる。」と、書いているのはあまりにも甘過ぎはしないだろうか。
心の傷とか、いう言い方は人生の逃げだ。単なる言い訳だ。後ろ向きだ。大体、“心”とか言っている人生に何の生産性や創造力があるのだろうかと思ってしまう。こんな意味でしか使わないから、“心”というのが嫌いなのだ。41日間監禁されてコンクリート詰めされた女子高生の気持ちは、この少年Dには一生判らないだろう。少年を育てた母親もどうしようもない。そして今の生活もどうしようもない。それで生きていると言えるのだろうか。
これなら、終身刑や死刑判決を受けた方が良かったのではないかとすら思う。こんな話を聞いて、コンクリート詰めされて死んだ女子高生の家族はどんな気持ちがするのだろうかと思ってしまう。はらわたが煮えくり返るような思いをしていることだろう。断腸の思いだ!
日曜版の読売の堀越さんの文章は笑った。「・・・いま飛行機に乗ってマドリードへ帰るところである。盛岡から博多まで新幹線で行くほどの時間であるが、座席が狭いのがつらい。エコノミークラスというやつで、じっとしていると死ぬかもしれないといわれている。
私は通路側がよかったのに、何故か「窓ぎわ席との御指定でしたので」とJALのカウンター嬢に言われて、渋々そこに座った。
隣は、身長2メートルはあろうかという黒人男性である。アフリカ人特有の白(びゃく)檀(だん)のような強い体臭である。白檀なら高価だからよろしいでしょう?奥様。
私はメルヴィルの「白鯨」に出てくる銛(もり)打ちの“異教徒”、赤銅色の大男クィークェグを思い出した。そのむこうには武蔵丸のように大きな日本人だ。このままで11時間!
飛行機が飛び立つと、閉塞(へいそく)感のせいか、とたんに私はシャンペンのびんを振ったような尿意に襲われた。上昇中だから通路へは出られない。やがて飲み物のワゴンがやって来ても、私は言い出しかねてモジモジしている。苦しまぎれにトマトジュースをたのんで、しかも飲んでしまった。おつまみのピーナツを、体内で水分を吸収してくれるかと念じて食べた。汗をかけば尿がそちらに回るかと思って、セーターを着た。すると食事が来た。もうダメだ。絶対外に出られない。クィークェグ氏はラマダン中なのか、食事を断った。武蔵丸氏は食べている。私は汗だくで食べた。膀胱(ぼうこう)も一杯だが、頭の中も一杯だ。神田明神鬼子母神キリストアラーに仏陀まで呼んで祈りながら食べた。何たる苦行!
食器が下げられたので、やっと私はクィークェグ氏に頼んで通路に出してもらった。大男2人が通路に並んで私をお見送りの体である。わがシャンペンの栓はまさに抜かれんとしつつあった。よくぞ耐えた。私は、自分をほめてやりたいと思いました。
用をすまして、私は深いため息とともに廊下の広くなった所に立った。そこには座席はないが、自由があった。私は飲み放題に飲み物を飲み、再び尿意の来るのを楽しんだ。何度もトイレへ入り、長いこと居座り、また廊下へ出て立ちつくした。
スチュワーデスがけげんな思いを笑顔に替えて、「長旅ですわねえ」と言って去った。
・・・」
ドイツでヒットしている歌は、『税金の歌』。シュレーダー首相のそっくりさん人形が歌う。曲は「アセレヘ」だ。そう、今年スペインで大ヒットした、Las
Ketchup の曲。あの手の振りまでついている。その、Las Ketchup が今月の11日来日する。
12月6日(金)
今日の教育TVで、地球時間「ジャズ II ・(01)モダンジャズ誕生」 を放送するようだ。非常に楽しみ。第2次世界大戦でスイングジャズは衰退。モダンジャズが誕生する過程を取り上げるようだ。
5日、キト(エクアドル)で行われた闘牛で、フェレーラが耳2枚取ったが怪我を負った。右太股に3cmの傷。重症ではない。他はカルロス・ジャネス、ファンディが耳1枚を取る。
12月7日(土)
今日のK-1グランプリはアーネスト・ホーストが4度目の優勝をした。初戦でボブ・サップにKO負けをしていたが、サップが右手中手骨骨折などをして準決勝ドクターストップ。ホーストは復活して、決勝で、ジェロム・レ・バンナの左腕をキックで脱臼させて3ダウン。バンナの野望を砕いた。スポーツにはルールというものがある。初戦で敗れたホーストが復活するのもその為だ。サップも骨折していなくても次は負けていたかも知れない。勝ってもホーストのローキックで肉体はボロボロだった。退場の時1人で歩けなかった。ホーストは表彰の後、泣いていた。
今日阪神競馬場で武豊が全12レース中、8勝する大記録を達成した。こんな記録は、もう誰も出来ないことだろう。96年9月デットーリが記録した、全7レース優勝という大記録にはかなわないが、物凄い記録だ。その中で、明日の朝日杯を除外されたエアグルーヴの初仔、アドマイヤグルーヴが鞭を入れずに軽く追っただけで出世レース、エリカ賞を優勝。タイムは2.03.0秒。2着に2馬身差だった。この馬は来年のクラシックの中心になってくるかも知れない。
12月8日(日)
ジョン・レノンが死んだ日。太平洋戦争開戦の日。
地球時間「ジャズ II ・(01)モダンジャズ誕生」は罪な番組だ。CDが欲しくなるじゃないか。昔アドリブは、メロディーだった。ケニー・クラークは新しいドラミングスタイルを、新しいコードによる即興を始めたがセロニアス・モンクやデジー・ガレスビー。彼らは新しい演奏をするリズムとコートを持っていた。そして、新しいフレージングのアイデアを持っていたのが、チャーリー・パーカー。フレージングとは、メロディーの区切り方。
現状に不満を持つ冒険的なミュージシャンたちがハーレム118丁目にあるミントンズ・プレー・ハウスに集まり徹夜で演奏を始める。その中心にいたのが、セロニアス・モンクとケニー・クラーク。あるミュージシャンは言った。「商業的なバンドに所属する多くのプレーヤーは、まがい物の演奏に飽き飽きしている。本当に素晴らしいアイデアは、自分自身のために演奏するときに生まれてくるのだ。」
デジー・ガレスビーが誘ってチャーリー・パーカーは、アール・ハインズの楽団に入る。その中には、サラ・ボーン、ビリー・エクスタインがいた。デジーとパーカーはいつも一緒で仕事が終わってもホテルなどで演奏していた。
レスター・ヤング、ウェブスター、アート・テェイタム、アーティー・ショー。ルイ・アームストロングとロイ・エルドリッジの違い。それと、デューク・エリントンとビリー・ストレクホーンの話などとても面白い。困ったことに金がないのに音が聴きたい。こんな時、ジャス喫茶が必要なんだ。
朝日杯は、本命が回避して混戦模様。だから、一応はデータを基に予想したが、サクラプレジデント、ワンダフルデイズ、タイガーモーションの3点買い。
セサル・リンコンが母国コロンビアに帰った。セサルはアルテルナティーバを受けて今日で20年目の記念日になる。
12月9日(月)
0時を廻ってから降り出した雪は、3時頃から大粒になり、5時頃から木々や自動車の屋根は白く色づきだした。温度はぐんと下がってきたから雪が大粒になり東京を雪で覆った。電車などの交通機関は混乱し、高速道路はチェーン規制がされた。雪で覆われた街では子供たちの笑顔が溢れた。はしゃいで雪を触り、雪で転んでいた。木々は寒さに耐えて生き抜かなければならない。この時期に花や葉になる芽を少しずつ成長させて春を待つ。冬にその備えが出来なければ春に木々は生命のエネルギーを太陽の光から、大地からちゃんと受け取ることが出来なくなる。冬の寒さは成長を助ける大事な時期だ。
もう子供の頃のように雪を観てもはしゃがないが、あの子供たちの笑顔を観るとこっちまで楽しくなってくる。雪は小粒で降るときも、大粒で降るときも、どれ1つとして同じものはないし、同じ降り方をしない。だからだろう、降る雪を観ていると飽きることがない。降る雪を観ていると、自分自身を見詰めているような気がしてくる。
12月10日(火)
確か11月27日からだっただろうか、コムニダ・デ・マドリードがラス・ベンタス闘牛場の興行権の選定に入ったのは。チョペラはその中には入っていなかったと思うけど、スペインの有力興行主は殆どが入っていた。それでも、ロサノ兄弟のトレスマ2にはかなわなかった。それでも3グループが小差だった。次回の興行権の入札では逆転で他のグループに渡かも知れないと思った。しかし、来年は今までと同じトレスマ2。そして、ホセ・トマスが出ないサン・イシドロになる。
アフィショナードの関心は、フェルナンド・ロブレニョやセサル・ヒメネスなどに移っていることだろう。フェレーラとファンディ、エスプラの競演があるのかとか、既存勢力であるホセリート、ポンセなどフィグラがどうか、また、新しいスターが誕生するか、そういうことだろうと思うが、セサル・ヒメネスはマスコミの評論ではあまり評判が良くないようだ。今年のサン・イシドロでホセ・トマス批判の先方に立ったハビエル・ビジャンは特に冷たい。
それは個人の考え方だから良いのだが、ハビエル・ビジャンはセサル・リンコンの自伝を書いた人だ。ここ最近辛口の評論を言っている彼が、セサルの本を書いている。セサル・リンコンはそれだけ物凄い闘牛士だったと言うことを、この事は語っているのではないだろうか。僕が1番関心があるのは復帰するセサル。
12月8日の結果。 キト(エクアドル)。アベジャン、耳1枚が2回。フェルナンド・ロブレニョ、場内1周。クルス・オルドニェス、耳なし。
9日の結果。 リマ(ペルー)。ファンディ、場内1周、耳2枚。セサル・ヒメネス、耳2枚。怪我。
12月11日(水)
新潟県柏崎市で9年2ヶ月少女を誘拐監禁した佐藤宣行に対して東京高裁は、「一審の量刑には違法がある」と懲役14年の新潟地裁判決を破棄し懲役11年を言い渡した。判決は3年減ったが、逮捕監禁傷害罪は法の許す最も重い刑で臨むほかなく、窃盗罪も入れても懲役11年が相当とした。なお、現状の法律で被告の罪を裁ききれないならば、法改正をする必要があるだろうと言う、但し書きが付け加えられている。
この判決は、法曹界の意見が反映されていると言う話だ。佐藤を終身刑や無期懲役に出来ない法律は法律ではないような気がする。こういう罪を犯しても、それを罪と思わない犯罪者が存在する。そういう人間に対しては、自分がやった罪と同じ事を同じ期間実行させてもその罪やその被害者の気持ちが分かるかどうか分からない。
弁護士はどういうつもりで佐藤を弁護しているのだろう。被告の人権を守る為なのかも知れないが、被害者の人権は日本では置き去りにされてきたような気がする。最近被害者がTVカメラの前で怒るようになってきた。以前はそれは恥ずかしいことのように思っていたきらいがある。ある被害者家族が、「法律で裁けないものなら、私が裁きたい」と怒りを込めて言っていた。そういう心情はこれだけ猟奇的な犯罪では、その家族の当然の心情としてあるだろう。
立法機関である国会はこういう犯罪が多発して法律が時代おくれになってきているのに何をやっているのだ。法律の立案を検討しているという話は聞いたことがない。新潟を地盤とする国会議員はそういうことには無関心なのだろうか。政治家が選挙にしか興味がない人種だから、派閥争いや既得権益しかやらなくなる。日本はダメになる。イヤ、もうダメなのだ。民主党の党首が誰になろうが、そんなのはどうでも良い。
こういう事をまともに考える人が国会議員になって欲しいものだ。タバコを増税しようとする政権も頭に来るし、構造改革しようと、道路公団の改革案を日経連の人間がつぶしていては日本の将来はない。
カレー事件の林真須美に死刑判決が降りた。家族たちのすすり泣く声が法廷に流れたそうだ。
イエメン沖で北朝鮮船籍の船からスカッドミサイルを積み荷に隠されているのが見つかった。見つけたのはスペイン軍だった。スペインは、アメリカ、日本、世界に3カ国しかがないイージス艦を持っているそうだ。
ニュース23で、ジョン・ダワーが、同時多発テロと真珠湾攻撃の共通点をいくつか上げていたが、こういうアメリカの歴史学者の話より、遙かにノーム・チョムスキーの論法の方が説得力がある。ジョン・ダワーのアメリカ批判は、凡庸である。勿論、凡庸な方がTVで取り上げやすいのだ。
12月12日(木)
北朝鮮は、アメリカが今月から重油提供を中断したことへの対抗措置として1994年に調印された「米朝枠組み合意」に基づいて行われてきた核関連施設の凍結措置解除を表明するとともに、「電力生産に必要な核施設の稼働、建設を即時再開する」と宣言した。これは、世界情勢を見誤った判断だと言われても仕方がないだろう。朝鮮半島情勢は一気に緊張感が増してきた。北朝鮮は、核を含めた問題を平和的に解決しようとしているというようなことも言っているが、これは、独りよがりな論法で国際的には通用しない。今後、戦争に向かって事態は動き出してもおかしくない状況が出来つつあるように思えてきた。
タバコ1本に対して1円の増税を科す自民党税制調査会の案がまとまった。ふざけるんじゃねぇーよ!
ラス・ケチャップが来日してフジTVで、『アセレヘ』を歌った。明日は音楽番組に出るので全部歌うだろう。
12月13日(金)
朝起きたら頭痛がした。それが夜になるまで続いた。寒気がした。夜になったら治った。ラス・ケチャップを観ようと、「ミュージック・ステーション」を観ていたら鬼束ちひろが出ていた。裸足で歌うという、肉体感覚を持った歌手で、内面を歌う。このアンバランスさが面白い。歌詞の意味が判らないと言うか支離滅裂に近い。猫背で歌う。現代女性の恥部。しかし、浜崎あゆみよりは遙かに良い。浜崎が出てくるとチャンネルを変える。観たくも聴きたくもない。ただ気持ちが悪いだけ。鬼束ちひろの方は、それでも何か引かれるものがあるような気がする。何故なら現代女性の恥部に触れてみたいからだ。
アメリカは北朝鮮に対して対話政策を継続する事を宣言した。これは、中東イラク近郊で軍を展開しているからで、イラク問題が解決するまで、猶予期間を与えると言うことだ。北朝鮮への食料支援を日本は止めた。これは食料が本当に困っている人たちに届く可能性が低いからというものだ。今年の冬、北朝鮮では一体何万人の人が餓死するのだろうか。その責任は、北朝鮮政府になるのか、それとも、食料支援しない、日本、韓国、アメリカ、あるいは、中国、ロシアなどの国々にあるのか。いずれにしろ今までに世界中でこのような政府で何万、何十万と言う人たちが餓死していった。
それは何も中国やロシア、「テロ国家の親玉」アメリカだけに責任があったわけではない。日本もまたその中に入っているいたのだし、今回もそれを知っていながら、そうするのだ。
ラス・ケチャップが、「ミュージック・ステーション」に出演して『アセレヘ』を歌った。
今日は色々やろうと思っていたのに何もできなかった。最低だ。これから、地球時間「ジャズ
II ・(02)自由のシンボル」エリントンがつづった黒人の歴史を観る。
12月14日(土)
闘牛の会から帰ってきた。数多くの人が来て、盛況だった。遠く、大分、鈴鹿、名古屋、仙台から来た人たちもいた。初めて来た人もいた。面白かった。酔っぱらったので寝る。
12月15日(日)
6月韓国でアメリカ兵が装甲車で女子中学生2人をひき殺した事件で軍事法廷は無罪を言い渡した。それに抗議するデモがソウルなどで行われて大統領選挙にも影響を与えていると言うことだ。アメリカの軍事法廷は何処の国に行っても自国の兵隊には甘い。他の国の国民感情などというものには一切関心がない。殆ど無罪にする。
宇和島水産高校の自習船えひめ丸を沈没させた米原潜「グリーンビル」のスコット・ワドル元艦長が、被害者に謝罪するため14日、来日した。アメリカでは、誠意を示すことは個人に委ねられ国家や軍は一切の謝罪をしないものである。日本人からすればワドル元艦長は犯罪者である。しかし、それを判っていてワドル元艦長が来日すると言うこともまた、凄いことだ。
ベトナム戦争後にベトナムに行って色々な活動をしている元兵士たちがいる。日本兵が同じ様なことをやっているというのは殆ど聞いたことがない。国家や軍にはそんな気持ちは一切ないだろうが、個人にはそういうまっとうな良心というものがちゃんと存在する。
今日はランフランコ・デットーリの誕生日である。時間がないので闘牛の会については明日以降書く。
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