断腸亭日常日記 2002年 その19

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年のスペイン滞在日記です。

99年1月13日〜2月16日 2月19日〜4月14日 4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日
6月7日〜6月10日 6月13日〜7月9日 7月11日〜8月8日 8月9日〜9月9日
9月12日〜10月7日 10月10日〜11月10日 11月14日〜11月28日 12月12日〜12月31日
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 12月16日(月)

 14日、土曜日の闘牛の会。始まる前に宝塚のビデオを流していたら狩野さんが次ぎ借りたいと言ったので高橋さんに許可を取っていた。僕はビデオより一緒にある、『太陽』と『BRUTUS』と宝塚のパンフレット、『血と砂』を読み出していてそれが面白くなったのでもう少し貸して欲しいと言って、また持って帰れることになった。18時頃になっても10人ちょっとしか人が来なくて、それでも始まってから続々とやってきた。

 大分からぴょん太さん、鈴鹿からHamaさん、名古屋からシーラさん、仙台から、shouhei-mamaさん、安達さんと友人、川崎からTAKEさん、東京からMEGUさん、カエルさん、がネットで来てくれている人。他にもいるが掲示板ではあまり登場しないが沢山いる。この12月で闘牛の会は7年目を迎えた。パソドブレ『山猫』が鳴り、荻内先生の音頭で乾杯をして始まった。料理の説明と7年目を迎えた事を話した。

 立食でコシードやチョリソ、トルティージャ、トマトに乗せたアンチョアなど。これだけの人ともちゃんと話が出来なかった。遠くから来ているのに・・・。3時間もあったのに時間って足りないものだ。1時間位してから荻内先生が闘牛の会発足の状況を話した。雑誌『ガリバー』の当時の編集者が来ていて紹介した。発足当時来ていたというのだから多分あっているだろうけど・・・。今は独立して環境保護関係の雑誌の社長をやっているのだそうだ。名前は忘れたがその筋では有名なのだそうだ。

 色々な人たちが来ている。発足当初に比べれば遥かに多様な人たちが来ている。その後、今年1年を振り返って闘牛の話をほんのちょっとして、サン・イシドロのメホール・ファエナに選ばれた、アントニオ・フェレーラのビデオを流した。説明は牛の特性を理解して闘牛をしていること。ケレンシアの事を中心にバンデリージャ、ムレタ、クルサードの事を話した。その後は引退したホセ・トマスのファエナの特集を時間まで流した。

 ぴょん太さんは、引退していないと言っていたが。みんなビデオを観ていたようなのでインパクトがあったのだろう。春ちゃんのお父さんが始めてきた。挨拶をして流れていたホセ・トマスのビデオを観て、「凄いですね。動かない。」としきりに感心していた。

 終わってから2次会。片山先生がネットで闘牛の会に来ている人たちについて、「斎藤君、責任あるよ」と言っていた。そうだよなぁと思う。遠くからわざわざ来る人、それも毎月来る人が複数いるのだから。いつもいつもちゃんと話する時間があるわけではない。それでも、「楽しかった」と言って帰っていく。僕が仕事をやっていてある時に言われたことがある。

 「仕事をやっていていつも順調にいくとは限らない。いつもの仕事で一緒にやっている人から信頼されること。仕事を周りで観ている人や、一緒にやっている人が、自分が困ったときに助けて上げたいと、思われるように仕事が出来るように。困ったときに、助けてくれる人がどれだけいるか、それがその人の仕事の成果になるんだ」と。人の輪というのは仕事だけじゃなくて1番大事なものだ。学歴とか、知識よりも重要なことだ。そういうことをいつも考えているつもりだが、なかなか上手く行かない。片山先生の「責任あるよ」という言葉にはドッキッとする。

 「 「ラス・ケチャップ」が14日、東京・渋谷のQ―FRONTで来日イベントを行った。・・・約200人のファンの絶叫コールに迎えられたピラール(29)、ローラ(26)、ルシア(20)の3姉妹は「アリガトー、オツカレサマー、テンプラ!」と日本語であいさつ。ノースリーブのセクシースタイルで「アセレヘ」を生披露すると、ファンも一斉に踊りだして会場はダンスホールとなった。・・・3姉妹の登場の前には、“ケチャップダンス”を日本に広めるべく結成され、ラス・ケチャップ公認のダンスユニット「ソルトマティーナ」も登場。YUKO(21)、ANRI(20)、YUKA(20)の3人は本家に負けじとへそ出し衣装でステージに登場。「腰を振るのと、ひざの動きがポイント」とダンスをレクチャーした。来春には「アセレヘ」の日本語バージョンでデビューが決定しており、今後は“ケチャップダンス”の伝道師として活動していく。カバーCDの発売も決定した「アセレヘ」が、ますます日本を席巻しそうだ。 」

 「先月27日にリリースされたシングル「アセレヘ〜魔法のケチャップソング〜」は、2万枚の売り上げが大ヒットとされる洋楽市場で現在3万枚を超えるセールスを記録。今月18日には4種類の「アセレヘ」も収録したアルバム「ケチャップ娘がやってきた!」がリリースされる。 」 ーースポーツ報知2002年12月15日よりーー

 そんなに売れているとは知らなかった。ついでに書けば、ラス・ケチャップのオフィシャルページは、http://www.lasketchupweb.com/ 。いきなりアセレヘが聴ける。また、ビデオクリップ3本の他、ファーストアルバム全曲が聴ける。勿論タダで。また全曲の歌詞も分かる。他には、『アセレヘ』のビデオ、カラオケ・バージョンが観れるのは、http://multimedia.terra.es/ficha/ficha.cfm?i=7486&a=11622 。踊りが正確にわかるし、カラオケと言うくらいだから歌詞も分かる。インタビュー2本も載っている。

 映画「ハリー・ポッター」に主演したイギリスの少年が来日。成田空港は3000人のファンが出迎えたそうだ。彼のマネージャーは両親。思春期前後の微妙な時期にそれをサポートするのは両親が1番良いのかも知れない。フリの親爺みたいだ。

 ついこないだ東京駅でコンビニの店長が泥棒に刺し殺されたと思ったら、今度は中野区弥生町で放火犯人に刺されて重体になっている。25歳の曲がったことが嫌いな正義感溢れる青年だという。コンビニの店長も父親が警察署長をしていて正義感が強かったという。今の日本はこういう人が損をする社会になっているのだろうか。本当に悲しい気持ちになってくる。

 太ぇー野郎だ。渋谷で火がついた、さぬきうどん。1杯100円で長蛇の列。早い、安い、うまい、で何処かのキャッチフレーズの様だけど、客層は10代という低年齢。これじゃ、駅などにある立ち食いそば屋は太刀打ちできないだろう。それと讃岐にはうどんツアーが組まれて大盛況だという。そんなにうどん食いたいかなぁ?どうも俺の感覚だと病気したときに食べるののような気がする。文化圏が違うという感じだ。そばなら食いたけど。


 12月17日(火)

 夜中に土砂降りの雨が降っていたと思ったら、朝はからっと晴れ渡っている。暖かい。夜に暖かい風が吹いていたからの様だ。

 メキシコの興行主が、1月19日のホセ・トマス出場にエル・フリも一緒に出る模様だ。


 12月18日(水)

 Hamaさんから貰ったホモサピエンスのテープを聴いた。血管が切れそうな歌い方だ。75年1月10日三重文化会館と8月16日名古屋公会堂のもの。若いときのエネルギーを感じる。こういうテープが存在していることが奇跡に近い。あのねのねの前座で出た三重文化会館では、『出発』『酒と泪と男と女』を歌うと観客は驚いたようにざわつきがなくっていた。名古屋の方は、『何かいいことないかな』では、CDに入っているおっさんの呟きとロダンの考える人の歌詞を歌っている。『てんびんばかり』で手拍子が起こるとこの曲はそういう曲じゃないと、手拍子をせいしていた。名古屋の頃は、もう人気が出ていたようだ。

 音はコンサートに隠し持っていって録音したものだろうから良くはないが、それがまた、良い。そういう風にして僕も好きなアーティストのコンサートを録音した事がある。それを思い出した。確かに泣かせるテープだった。あの頃の僕の知らない生の河島英五が聴けたのがとても嬉しい。


 12月19日(木)

 1年の総決算、有馬記念が日曜日にある。9頭のG1馬が出走。強い3歳馬が話題の中心。6戦6勝無敗で頂点を極めるのか3歳牝馬ファインモーション。初めて古馬戦で天皇賞・秋を制しJCでも日本馬最先着したシンボリクリスエス。いやいや叩き2戦目で上がり目を強調されている去年の年度代表馬ジャングルポケット。引退レースになるファン投票1位のナリタトップロード。逃げ馬が回避したので展開は平均かスローが予想されている。

 強いのはシンボリクリスエス、ジャングルポケット、ファインモーションの3頭が抜けていると思う。シンボリはペリエとの相性がいまいち不安。俗に言う馬が合うの反対で前走の出遅れがどうも引っかかるのだ。ジャングルは武豊が降りて藤田伸二に乗り替わるのが良い。武のように最後方からじゃ馬があまりにも可哀想だ。ファインはどれだけ強いのか注目を浴びている。データ、調教、調子、枠順など色々検討しなければならない。

 レアル・マドリードと世界選抜。レアルが0−3で負けている。

 今年の5月28日に使用したホセ・トマスのムレタが1000ユーロで落札された。何にでも値段をつけてその価値を云々するのは嫌いだ。ムレタの値段が高いか低いか。それはどうでも良いけど、91年セサル・リンコンが使ったムレタには500万ペセタの値段がついていた。


 12月20日(金)

 『競馬ブック』と『Number』を買って読んだ。有馬記念のデータを取ることと各馬の情報を整理する事が『競馬ブック』を読んで出来た。日曜日は中山競馬場に行きたい。当日は雪の予報。競馬なんか出来ないんじゃないか?『Number』を久々に買ったが、理由は、フラットスリーに捧ぐ。と言うワールド・カップの記事が読みたかったからではない。ある厩務員の物語。という、サンデーサイレンスと11年過ごした厩務員の話が読みたかったからだ。

 「良く聴け、物語が聞こえてくるだろう」 ニューヨークの行きつけのバーでカントリーソングをいつも聴いていて何故そんなものを聴くんですかと聞かれてチャーリー・パーカーが答えた言葉。

 韓国の大統領選挙の投票率は70%とかつてなく低かった。日本に比べれば高いけど。太陽政策継続を訴えた盧武鉉が当選した。

 レアル・マドリードと世界選抜戦は、結局3−3で引き分けた。ハーフタイムにドミンゴが歌ったそうだ。


 12月21日(土)

 教育TVで、地球時間「ジャズ II ・(01)モダンジャズ誕生」 を見ていると、チャーリー・パーカーとデジー・ガレスビーが一緒にやっていた頃の音が聴きたくなる。番組で聴いていても凄いなあと思うのだからCDで聴いたら納得できるだろう。アメリカが本当に凄いと思うのは、スイングからモダンジャズに替わろうとするときに、モダンジャズを支持したのは、若手ミュージシャンたちだった。つまり、ミュージシャンのオピニオン・リーダー、そして、見本になるミュージシャンがチャーリー・パーカーだった。

 それぞれの分野ではそういう人が必ずいるものだ。闘牛で言えば、それが一時、セサル・リンコンだったし、今はホセ・トマスになっているのだ。どちらも、演者が感心してしまうテクニックと方法を持っている。


 12月22日(日)

 14時前に家を出てWINSに行った。やはり有馬記念。中は混雑していたが、昔に比べればそれでも空いている。着いたらもうパドックを周回する馬たちが写されていた。馬体重をチェックした。トップロードはプラス8キロ。馬場が悪いしこの体重じゃ買えない。ファインモーションはマイナス6キロ。初の長距離輸送でこの体重じゃどうしても?が着く。どちらも減点材料。シンボリクリスエスは、マイナス8キロ。前走が少し太かったのでこれはプラス材料。割とリラックスして歩いているし歩様も良い。ジャングルポケットも悪くはないがピリッと来るものがない。

 返し馬を観ていたらイーグルカフェに乗っている田中勝春の鐙(あぶみ)の使い方が上手くなっていた。勝春もようやく本当の乗り方が判りかけてきたようだ。ジャングルは相変わらず掛かり気味に口を割った返し馬。気性が成長しない馬だ。才能が凄いからそれでも走るけどガッカリする。ファインモーションはタズナを轢かれながらゆっくり歩いて1コーナーの方まで行ってキャンターにおろした。

 他に良い馬が見あたらないから馬券は、シンボリクリスエスからジャングルポケットとファインモーションに流したが、どうも当たる気がしない。だからシンボリクリスエスの単勝を買った。勝つ馬はこの馬しかいないと思ったからだ。

 レースは各馬が好スタートして始まった。武のファインモーションが外から先頭に立ったが直ぐに押さえて内のタップダンスシチーに行かせた。ペリエもJCの失敗の教訓からしっかり内で馬群の中を走らせている。岡部のコイントスがペリエの前につけて先導役。渡辺のナリタトップロードも好位につける。1週目のゴール前スローになっていたところに大歓声で武のファインモーションが掛かるようにして先頭へ躍り出ていく。2コーナーを廻り向正面で、今度は佐藤哲三が再びファインモーションを交わしてタップダンスシチーがハナに立ち2着以下を離して3コーナーを廻っていく。ファインモーション以下の馬群はそれを追わない。

 4コーナー手前ではそれでも後続が追い出しにかかり少し詰まるが8馬身ぐらいの差がある。4コーナーでは大外からジャングルポケットが上がっていく。直線位置口では先頭のタップダンスシチーとシンボリクリスエスの差は10馬身ぐらいあった。絶望的な差だ。ファインモーションは伸びない。内から岡部のコイントスが交わして上がっていく。ファインモーションの外からペリエのシンボリクリスエスが追い出しに掛かる。後200mで未だ6馬身差。最後の坂道を昇っていく。後100m4馬身差。

 坂を昇ったゴール前、佐藤哲三一世一代の大勝負に出て勝ったと思っただろう。後50mでも未だ3馬身の差があった。もう逆転不可能な絶望的な差、距離だった。それをペリエが鞭を左手に持ち替えて鞭を振る。佐藤哲三も鞭を振る。勝利は目前だった。しかし佐藤の横を風が吹き抜けた。シンボリクリスエスの最後の切れには驚いた。物凄い切れ味だ。この馬は恐ろしい馬になった。着差は半馬身でも格の違いを見せ付けた。絶対的な強さを身につけた。これが本当に3歳馬だろうか。強すぎる。

 一方、ファインモーションは先行争いで何度もタップダンスシチーと入れ替わる厳しいレース。古馬牡馬を相手にすると今までと全く違う厳しさがある。あれですっかり脚を使い果たしたのか、直線はお釣りがなかった。それでも5着に来たのだから凄いけど。エアグルーヴでも来なかった有馬記念。3歳牝馬で2着に来たのはあのヒシアマゾンだけだ。牝馬には厳しすぎた。1番人気になったのはファンが才能を感じていたからだし、女性の多くがファインモーションの馬券を買ったからだろう。現実は厳しいのだ。

 「ナリタトップロードは僕の全てです。」と渡辺騎手が泣かせることを言っていた。勝たせてやりたいと思う。好きな馬だし、菊花賞を勝ったときは涙が出てきた。でも、馬券的に考えると、馬場状態も考慮して買えない。それでも、好位で折り合い馬の力を最大限に渡辺騎手は引き出したと思う。悔いのない騎乗だっただろう。これで引退。お疲れさま。

 今年の有馬記念を盛り上げたのは佐藤哲三騎手。こんなに面白いレースにしたのは、ファインモーションを攪乱した先頭争い。向正面で逃げた奇襲作戦は最高だった。もしゴールが後10m短かったら勝っていた。ゴール板を過ぎて佐藤騎手はガックリと頭を下げて悔しそうだった。でも、胸を張れ!本当に素晴らしい騎乗だった。今日の最優秀騎手は間違いなく君だ。男の勝負を見せて貰った。

 強い馬というのはどんな展開になっても自分で勝ちに行けるレースが出来る。最悪の展開になった有馬記念でも最後はちゃんと勝ってしまう強さを身につけてしまった。あのオグリキャップが3歳の時、毎日王冠、天皇賞・秋、JC、有馬記念とほぼ同じローテーションで初めてのG1有馬記念を勝った。あれ以来の厳しいローテーションにも関わらず2つ目のG1を勝ってしまった。来年は海外遠征をするだろう。向こうへ行ってもG1を勝てるような気がしてきた。日本じゃもう無敵だ。史上最高の3歳世代と言われたジャングルポケット世代を越して、このシンボリクリスエスの世代が史上最高の3歳世代と言われてもおかしくない。

 帰りにお祝いにレストランで夕食を取ってきた。レースの余韻を感じながら。


 12月23日(月)

 ニュース23で視聴者からのメールで語りたいものを募集してそれを流していた。その中でクローン病の女子大生がGパンのチャックを開いて人工肛門を見せた。あんな風になっているんだ。これから死ぬまでずーとそれを使っていかなければならない。他で印象に残ったのは、一応自主退社と言うことになっているが、リストラで婚約解消になった男が、前働いていた会社や、結婚式をあげるはずだった場所に行って何か言っていた。何て情けないヤツなんだろうと思った。人生捨てている。

 全体的にみんな寂しい。「自分がもっと強くなりたい」と言って毎日腕に剃刀を当てている少女。こういうのを見ると自分が弱いならその弱さを認めることから始めれば楽になれるのに、何故強くなければならないのかと思ってしまう。

 有馬記念の記事を読んでタップダンスシチーの佐々木晶三調教師は佐藤哲三騎手の騎乗を「勝ったも同然。ファインプレーや」と絶賛している。当然だ。寸前まであった勝利。あの思い切った騎乗がなかったら2着もなかった。

 ペリエが勝利騎手インタビューで先頭が離していたとき不安ではなかったかと言う問いに、「前にいた岡部さんが動かなかったので大丈夫だと思いました。何故なら中山を1番良く知っているのは岡部さんだから。私の先生ですから」と。日本に来た頃のペリエは関西の栗東トレーニングセンターの伊藤雄二調教師の所にいた。その頃は、ライバルは武豊と思っていただろう。今は関東の美浦トレーニングセンターの藤沢和雄調教師の所にいる。ここは調教をつけるのは調教助士の他に騎手では岡部幸雄、横山典弘と所属騎手の北村である。だから、美浦で藤沢と岡部、横山と話し合いをして馬を作っていく。

 そこで岡部幸雄という騎手が如何に凄い騎手であるかと言うことをペリエが判ったのだろう。だから、「私の先生は岡部さんですから」と言ったのだ。ビッグ・先生って言っていた。有馬記念だけを取っても、コイントスを3着に持ってくることが他のどの騎手が出来るというのだろうか。一匹狼だった田原成貴やその弟子みたいな、藤田伸二も岡部幸雄には尊敬の念を隠さない。

 武豊が騎手仲間から尊敬されずに、勝ち星は凄いけど・・・・・・。となるのは何故か?そういうこと武自身あまり考えたことがないんだろうな。

 記者会見で藤沢和雄調教師は、「シンボリから岡部騎手を下ろしたとか言われ、新聞にも書かれたけど、JC、有馬はオリビエ(ペリエ)で行くと決まっていた。来年は元の鞘に納まって岡部騎手が乗ります」と言った。サンスポの予想欄に堀紘一が「藤沢調教師が岡部騎手を見限ったとも思える今年の有馬記念。シンボリクリスエスに岡部騎手なら馬単で@から鉄板だったのに・・・。ペリエは名手ではあるがポカも多い。」と書いていた。グッと来るものがあった。

 さっ、シンボリルドルフでも勝てなかった海外遠征。来年は最強馬へ、シンボリクリスエスと岡部幸雄が国内を統一して世界へ打って出る。希望はここにある。


 12月24日(火)

 昼食を片山先生と取る。それから喫茶店に行き話をした。先生は僕の文章について上手いというので、僕は下手だと思っていることを言った。そんなことはないと言って、良く書き込んでいる文章で、学者の論文のような書き方だからもっと飛ばしたりはぶいたりする文章にすればドラマチックになると言っていた。褒められているのかけなされているのか判らないが、文章についての話から始まった。

 吉田健一が文学には2種類しかない。良いものと、悪いものと、言ったそうだ。彼が出てからそれまでの純文学と大衆文学の概念が壊れ、インテリたちが今まで面白いと思っていた大衆文学を自然に語りだした話は、ちょっと驚いた。純文学と大衆文学とか言っていたら、山田風太郎を面白いと語るのは恥ずかしいことになっていただろう。僕は実に真面目に非常に面白いと思っているし、大天才だと思っている。

 それは良いとして、『さもなくば喪服を』のような、あるいは、沢木耕太郎のようなドラマチックな物語を作っていくのは容易ではない。ヘミングウェイは何度も書き直して完成させているのだという。そんな話を聞くと余計大変な時間が掛かりそうだ。闘牛を知らないと言うことが前提になって、説明もしないといけないし、分かり易くしないといけない。なおかつ読みやすくドラマチックでもなければならない。少なくとも蓮見重彦のような文章は全く参考にならないことだけは確かだ。と、言ったら、片山先生は笑っていた。

 闘牛の会で歴代の闘牛士の話をしたらどうかというので前にそのことをやったことを話した。この話は本の話から来たけど、もう一度それをまとめて話する必要があると思った。出来ればスペインに行く前に僕が発表できればと思う。

 「利家とまつ」の話や北朝鮮の話をした。犯罪被害者家族の人権についても話した。日本の弁護士が戦後やってきた事は犯罪者の人権保護だけで犯罪被害者家族の人権保護は置き去りにされてきた。先生は怒っていた。それは当然だと思う。

 フランスの貴族と庶民の話も聞いた。来年のスケジュールについても話した。スペインにはいつ行くのか。今年セビージャやサン・イシドロの時に僕の名前でツアーを組んでやることを言ったらセビージャの時にそれに参加しようかなと言っていた。サン・イシドロについては先生の研究対象を調べないとまだ判らないらしい。セビージャのフェリア・デ・アブリルが4月22日からだとすると、セマナ・サンタは4月13日か7日だろう。と言うことは、少なくとも4月2日か9日ぐらいにはスペインに行っていないとダメだろう。と、言うことは、今年は春のクラシックは全く観れないと言うことになってしまう。また、4月の闘牛の会へは出れないだろう。

 来年シンボリクリスエスの権利の半分を社台グループが所有するそうだ。シンボリ牧場と社台が手を組んで海外を目指すのだ。先代の和田共弘、吉田善哉の夢が息子たちの手によって実現しようとしている。


 12月25日(水)

 昨日ニュースを観ていたら民主党を脱党した熊谷弘と保守党の二階、扇などが新党を結成を報じた。音楽が流れた。山下達郎の♪きっと君は来ない 1人だけのクリスマスソング♪と言う歌が聴こえ画面には保守党党首の野田が映し出された。自民党への復党を望んでいるから、きっとではなく、絶対来ないのだ。

 92年の1月だったと思う。プロ野球ニュースで明石家さんまと岡部幸雄が対談した。岡部の経歴とG1レースによって振り返りコメントをして、「トウカイテイオーは今年から岡部さんが乗らないんですか」と聞いた。岡部は、「そういうことは我々が決めることではないですから」と答えた。結局この年の4月産経大阪杯でテイオーのタズナを取るのだが。それは未だ決まっていなかった。今年はどんなときになるのかとさんまは「きっと君は来ない。トウカイテイオー」と言っていた。

 何故かあれ以来、クリスマスと言うよりトウカイテイオーを思い出す。92年はJCを勝って有馬では惨敗した。感動のJCからまたさんまを思い出した有馬記念だった。


 12月26日(木)

 出会い系サイトによる犯罪が増えているのだという。買春売春はストレートな形でネット上の掲示板などでやり取りされているそうだ。現実の世界ではなく、コンピューターのキーボードを叩くだけで世界が変わる。そう思っているから犯罪が行われるのだ。また、インターネットを使ったテロリストが暗号で情報をやり取りをして決行したりするのは当たり前に行われているという。インターネットは使い方次第で非常に有意義なものになるし、犯罪の巣窟にもなりうる。

 今日京都で起こった京都中央信用金庫本店に人質を取って立てこもっている徳田衛一容疑者(60)のビデオなどでの言い分、主張は引っかかるものがあるが、まともな気がする。彼が言う正義が正しいかどうかは別にして、正義が日本という国の中で実行されていないと言う主張は、判るような気がする。日本は腐っているとも言っていた。法律が裁かないのなら、私が裁く。信金理事長に対する恨みと憎悪を語った。

 人質を取って立てこもることは犯罪だ。それでも、彼は人生を捨てて犯罪者になると言っていた。殆どの人が泣き寝入りさせられているが、1人や2人くらいそうじゃないところを見せる馬鹿がいても良いだろうと言うようなことを言っていた。犯行に至った理由などの述べたビデオテープと「行動釈明書」と言う文書を託された元部下たちが19時ビデオテープや文書をマスコミなどに公開して、深夜になって説得のため信金本店へ行った。これからどうなるんだろう。

 エウヘニオ、セサル・ヒメネスのアポデラードが変わった。こういうのは闘牛情報に入れるのだろうから、そっちに書こう。


 12月27日(金)

 27日2時半過ぎに人質を解放し逮捕された。「時間がたてば真実が分かるだろう」と犯人が言っていた。信金が行ったという不正がどういうものだったのかもそのうち分かるのかも知れない。

 カリのフェリアが始まる。現地時間では26日になるが。セサルも後1週間で公式闘牛に復帰する。


 12月28日(土)

 TVで再放送されていた「壬生義士伝〜新選組でいちばん強かった男激動の時代−妻と子に命を捧げたサムライの涙と感動の物語」 を観た。原作者の浅田次郎は主人公の吉村貫一郎に理想の男を描こうとしたと言っていた。南部藩を脱藩して新撰組に入って剣法指南役になる男の話で、雫石に残してきた妻子や子供たちの為に人を切って金を稼ぐ姿は何とも凄い。

 中でちょっと気になったのは、「北上川と中津川の合わさるところが何とも美しいのす」と言っていた。どうも原作者は盛岡に行ったことがないようだ。こういうのは写真ではそういうのがある。多分、啄木の、「故郷の 山に向かいて 言うことなし 故郷の山は ありがたきかな」の歌などが添えられているような観光用写真の葉書だろう。そういう風に撮れば岩手山が写るのだ。でも、僕は子供の頃からあの辺で遊んできた。真ん中に北上川。右に中津川。左に雫石川。その3つの川の合流点の雫石川に東北本線の鉄橋が架かっている。

 その辺で遊んでいた。昔は列車の便所は垂れ流しで、鉄橋の上を列車が通ると逃げたものだ。そこから何百メートルか下流に行くと明治橋がある。鉄橋に行く道にはおばあちゃんがやっていた畑があった。TVを観ていて盛岡を想い出した。ガキの頃遊んだ川の細部やおばあちゃんの畑に出来た茄子や胡瓜や、背より大きく育った太い茎のひまわりのことなど。

 だから、「北上川と中津川の合わさるところが何とも美しいのす」というのは、盛岡に行ったことがない人の言葉だと思った。中で「おもさげながんす」という言葉を言っていた。俳優がいうとどうも音が違う。あっちでは日常会話でごく一般的に使う言葉だ。「おもさげながんす」「おもさげがんせ」。おばあちゃん良く言ってたよなあ。

 鹿島アントラーズが元旦の天皇杯決勝に進んだ。

 カリのフェリアに初登場した2人のスペイン人闘牛士、ファンディは、場内1周、耳1枚。フェルナンド・ロブレニョは、耳なしだった。


 12月29日(日)

 「壬生義士伝」の中でも坂本龍馬を暗殺したのは、新撰組の斎藤一ということになっていた。山田風太郎も斎藤一になっている。史実では龍馬の暗殺者は不明ということになっているはずだ。では、斎藤一が何故龍馬の暗殺者として小説に登場するかといえば、明治になってから警視庁に勤めたりして大正まで生きたのに殆ど何も語らなかったから、そういう神秘性が作者の好奇心や創作意欲を掻き立てるからだろう。

 原作者の浅田次郎は新撰組の中で1番好きな隊士は斎藤一といっていた。江夏豊が1番好きだったのは土方歳三。函館まで行って散った土方に敗れ去る男の美しさを感じたのだろう。真剣1本で薩長の倒幕を阻止するため、京都の治安維持のために、剣をもって敢然と戦いを挑んでいった。

 小林信彦『テレビ黄金時代』読了。

 28日カリ(コロンビア)でコロンビア人闘牛士のラミロ・カデナがエルネスト・グティエレス牧場のNO365、“ラウルカルコ”と言う名前の牛をインドゥルトした。記憶が確かなら去年もエルネスト・グティエレス牧場の牛はインドゥルトしている。

 28日の結果。 カリ(コロンビア)。ラミロ・カデナ、耳2枚と尻尾1つ。牛、インドゥルト。グエリタ・チィコ、耳要求で場内1周。フェルナンド・ロペス、耳1枚。


 12月30日(月)

 また寒くなってきた。

 「北朝鮮が国際原子力機関(IAEA)査察官追放決定を受け平壌から北京経由で脱出する。アメリカは北朝鮮への制裁を発表した。核兵器開発計画を放棄させるため、経済的・政治的な圧力を強化する包括的な戦略を準備したと報じた。この戦略の具体的内容として(1)国連安全保障理事会を通じて北朝鮮に経済制裁を科す(2)米軍が北朝鮮のミサイル輸出を実力阻止して外貨獲得の道を閉ざす(3)北朝鮮と周辺国との経済的関係を弱める。

 北朝鮮が宣言した核拡散防止条約(NPT)脱退保留が困難になっていることを示唆する談話を発表した。談話は「米国が朝米枠組み合意を破棄し始めたことによって、我々のこの特殊な地位(脱退保留)すら危うくなっている」  」 ーーYahoo!ニュースよりーー と、とんでもないことを言い出した。日本にパトリオットミサイルがが必要になってきた。

 「ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区トゥルカルムで29日、11歳のパレスチナ人少年がイスラエル兵に頭を撃たれて死亡した。少年は学校からの帰宅途中だった。一方、ガザ南部の自治区ハンユニスでは28日、自宅近くの墓地で遊んでいた9歳のパレスチナ人少女が、イスラエル兵に頭を撃たれて死亡した。」 ーーYahoo!ニュースよりーー イスラエルは自国領ではないところで殺戮を繰り返している。

 世界は、いや人間は昔から進歩しない。いつまでたっても戦争を繰り返そうといている。これで良いのか?


 12月31日(火)

 今年やろうと思っていたことを来年に持ち越して年が暮れようとしている。

 紅白で夏川りみ、BEGIN、アルフレド・カセーロ&THE BOOM、平井堅、などを聴く。これから中島みゆきが出る。

 小沢昭一 『散りぎわの花』 読む。味がある。

 29日の結果。 カリ(コロンビア)。アベジャン、場内1周、耳1枚。アレハンドロ・ガビリア、罵声。セサル・ヒメネス、耳1枚。右太股に12cmの角傷。 チィリパンゴ(メキシコ)。騎馬闘牛士、エンリケ・フラガ、耳なし。闘牛士、エル・フライレ、耳1枚が2回。マリ・パス・ベガ、耳なし。

 30日の結果。 カリ(コロンビア)。パキート・ペルラサ、耳1枚が2回。エル・ファンディ、耳なし。フェルナンド・ロブレニョ、場内1周。


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