−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年のスペイン滞在日記です。
11月15日(月)
闘牛の会で、モチゾーさんからのプレゼントをカエルさんから貰った。ボブ・ディランの、『エンジェル・フライング・トゥー・クローズ・トゥ・ザ・グラウンド』 のテープは、多分ギターはマーク・ノプラー。ディランの歌は情感を伝える素晴らしいものだった。この曲は、CDになっていないシングル盤のB面に入っていたからディラン関連の日本のHPにも情報として載っていない超レア物。この歌は、「オン・ザ・ロード・アゲイン」が流行っていた頃、『忍冬の花のように』 と言う映画で歌っていたと思う。サントラ盤を持っているし、ウィリー・ネルソンの来日コンサートにも行ったときにも聴いたはずだ。ウィリーのあのギターの音色も忘れられない曲。ディラン関連で調べていたらCDで、『ラスト・ワルツ』(完全盤) なるものが出ていることを知った。これには今まで映画にも、CDにもなっていないかった曲やテイクが収録されていた。
例えば、ザ・バンドの物では、『地下室』に入っていた「火の車」「.ラグ・ママ・ラグ」。その他には、映画の最初を飾る「ドント・ドゥー・イット」や「グリーンスリーブス」「アケイディアの流木」「ジェネティック・メソッド/チェストフィーバー」。ライブの「ウェイト」もある。マディー・ウォーターズの「カルドニア」。エリック・クラプトンの「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」。ニール・ヤングの「四つの強い風」。ジョニ・ミッチェルの「シャドウズ・アンド・ライト」「ファリー・シングス・ザ・ブルース」。ボブ・ディランでは、「ヘイゼル」。
コンサート・リハーサルから、ザ・バンドの「キング・ハーヴェスト」。バン・モリソンの「アイルランドの子守唄」と「キャラバン」。ドクター・ジョンの「サッチ・ア・ナイト」ザ・バンドの「ラグ・ママ・ラグ
」。また、コンサートの終わりに行われたセッションが2つ入っている。DVDには確か1つは入っている。クラプトンも出ているが中心はニール・ヤング。クレージー・ホースの頃のギタープレーだった。これを知ったので、是非買うことにした。CD4枚組なので8000円弱。高いので割引のきくレコード屋に注文しよう。
所でもう一つのプレゼントは、昔TV東京で放送した、『激しい雨』。76年5月23日コロラド州大学ヒューズ・スタジアムで行われた 『ローリング・サンダー・レヴュー』 最終公演の模様を記録した物とテロップに書かれてあった。これも凄く良かった。こんなビデオが残っているなんて奇跡だ。曲を順番に書くと、「激しい雨」「風に吹かれて」「ディポーティーズ」「あわれな移民」「嵐からの隠れ場所」「マギーズ・ファーム」「いつもの朝に」「モザンビーク」「愚かな風」「天国への扉」。
「風に・・・」から「あわれな移民」までの3曲はジョーン・バエズと一緒に歌っている。バエズは紅いターバンを巻いてディランが白いターバン。バエズはインド人に見える。「ディポーティーズ」「あわれな移民」は、このビデオの目玉で、アルバム 『激しい雨』 や 『ローリング・サンダー・レヴュー』 には入っていない。そして、とても素晴らしい。「ディポーティーズ」で気付いたけどバエズはGのコードを、人指し指と中指と薬指で押さえている。持っているギターもネックが太いクラシック・ギターのような物で彼女はスパニッシュなはずだからフラメンコ・ギターを持っているのかも知れない。それでGのコードをそういう風に押さえるから驚く。ディランはネックの細いフォーク・ギターだった。
「あわれな移民」のイントロのギターを聴くと踊り出したくなる。もう本当に素晴らしい曲だ。掛け合いも遊んでいたりとても楽しそう。マラカス振って踊るバエズも女らしい。また、「嵐からの隠れ場所」で小指にボトルネックをはめてスライドギターを弾いているけど、あれは赤ワインの物だろう。割り方も弾きやすいようにしているが何せガラスだから切り口は鋭い。昔ながらの本当のボトルネックである。
他に、『ライブ・エイド』 と、『ファーム・エイド』 のディランが入っている。前出がキース・リチャーズとロン・ウッドがバックで生ギター。後出がトム・ペティー&ハート・ブレイカーズがバック。ウィリーもギターソロを弾いている。いずれもディラン・ファンなら涎が出そうなこちらも超レア物。興奮にしてTVを観ずにビデオから直ぐにDVDに起こして何度も聴いていた。感謝、感激!本当に凄い物を貰った物だ。このTVはディランの初来日に前に放送された物で、あの頃の事や、情熱を思い出した。
エリザベス女王杯は、アドマイヤグルーヴが連覇した。これで騎乗した武豊は4連覇を達成した。気分が悪いことだ。馬券は人気3頭を買ったのでまたハズレ。馬場入場で立ち止まり、ゲート入りでもごねた我が儘お嬢様のスイープトウショウは出遅れてしかも直線伸びきれず5着。本当に我が儘なお嬢様にはまいるよなぁ。何とかしてよあの我が儘を。やっぱり牝馬のレース。女のやることは俺には理解できないよ。と、言っても来週も牝馬を買おうとしているんだけど、頼むよお姉ちゃんたち。いや、天才少女ダンスインザムードとお姉ちゃんのファインモーション。
11月16日(火)
土曜日の闘牛の会の模様は改めて書くことにするが、帰りの飲み会で山田風太郎の話をしていたら、片山先生が、「君は風太郎のことを言うけど、君の文章は良いよ」と褒め言葉を貰った。つまり早く書きなさいと言うこと。早く書くことを強く自分自身に誓った。
荻内先生とは、スペインの話をした。来年上手く行けば、ホセリートという生ハムの所に行ける。それと、闘牛の会で作ろうと言っていた闘牛用語辞典は、諸事情で再来年くらいから取りかかることになるだろう。
ブッシュ政権内の穏健派、パウエル国務長官が辞表を提出して政権を離れることになった。
14日の結果。 メキシコ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ロドリゴ・サントス、耳なし。闘牛士、セサル・リンコン、耳1枚。サルバドール・ベガ、耳1回が2回。レオポルド・カサソラ、耳1枚。 バレンシア(ベネズエラ)。エスパルタコ、場内1周。オットー・ロドリゲス、耳なし。セサル・ヒロン、耳2枚。 モンテレイ(メキシコ)。アベジャン、場内1周。イグナシオ・ガリバイ、耳なし。ファン・アントニオ・アデメ、耳なし。
11月17日(水)
今日の夕方から19日まで籠もることにした。始めに買ったノート・パソコン、ビルヘン・デル・マルを引っぱり出して、ネットを繋がずに原稿を書くのが目的だ。何処まで出来るのかは判らないがやるだけやろうと思う。書き出したらどうも一太郎だと書きづらいので、HP作成ソフトで書いた。そしたら、使い慣れているせいか書きやすい。だから、あまりHPの方をやらずにそちらに専念したい。
今日のワールド・カップ第1予選、日本対シンガポール戦は最低だった。
11月21日(日)
歌手で嫌いな2人は、美空ひばりと石原裕次郎。この2人は昭和という時代を飾る映画スターでもあるが兎に角嫌い。しかし、今TV朝日で5夜連続で石原慎太郎の 『弟』 をやっている。ついでに言えば石原慎太郎も嫌いだ。が、この兄弟を描いたドラマが面白い。父親が偉大だったし、母親が立派だった。兄弟もなかなか面白い。
今日の競馬予想は、検討の結果、本命ダンスインザムード、対抗ファインモーション、単穴ラクティ、白三角がデュランダル。馬券は、ダンスとファインモーションの馬連とダンス、ファイン、ラクティの3連複を買う予定だったが、WINSに行かなかったので買わなかった。結果的にこれが正解になった。馬場の良い外からダンスが抜け出し先頭へ、しかしその外からデュランダルが一気に加速してあっという間に抜き去ってしまった。強い!どんな状況でも必ず最後にやってくるのがデュランダル。恐れ入りました。2着がダンス。この馬が1番良いレースをした。もうレース前に入れ込んで消耗してレースにならないと言うことがなくなった。あの切れにやられちゃ仕様がない。
ファインはかかっていたし、4コーナーの内を着いたが伸びきれなかった。ヨーロッパのGT、5勝の強豪ラクティは出遅れて前半で脚を使いすぎて完敗。最低のレースだった。驚いたのは3着に来たテレグノシス。横山典弘が上手く力を引き出した。昨日の東京メインで大チョンポで3着になったと着順は一緒でも内容が正反対。TV解説者は、「あんな乗り方してたんじゃ馬が可哀想だ」ぼろくそ言っていたし、調教師は、「外に出していれば突き抜けていたかも知れない」とガッカリしていた。典弘、お前とか四位とか藤田伸二とかがもっと勝たないと競馬は盛り上がらないぞ。いつまでも武豊じゃ女子供と一緒だ。男の気持ちを揺さぶる個性的な男の勝負を見せてくれ!
上位3頭は、社台グループの独占。1,2着がサンデーサイレンス産駒。3着がトニービン産駒。他はお呼びじゃないのか。来週は、JCダートとJC。今度こそ取らせて貰えるように検討しないと。そして、予想を練り、パドックで決断をする。外国馬の取り扱いが問題になってくるだろう。だが、JCダートはアドマイヤドンが勝つだろう。JCはゼンノロブロイが勝てばいいなぁと思っているが・・・。さあ、東京競馬場が待っている。
所で2日半籠もって原稿を書いたが3編の内短編2つを書こうと思っていたが1つが2/3近くできたが、1つは殆ど作成ノート的なものしか書けなかった。もう1つは長くなるので、これは時間がかかるだろう。出来れば、来週中ぐらいに短編2つ書いて原稿を読んで貰いに行きたいのだがどうなるか。
18日の結果。 マラカイボ(ベネズエラ)。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ルイス・アウグスト・ロドリゲス、耳なし。闘牛士、セサル・リンコン、耳2枚と尻尾1つ。レオナルド・ベニテス、耳2枚。バレラ、耳1枚。
19日の結果。 マラカイボ(ベネズエラ)。エル・マラビノ、ラモン・ゲバラ、耳なし。プロクナ、耳1枚、場内1周。
20日の結果。 マラカイボ(ベネズエラ)。アントニオ・マヌエル・プンタ、耳なし。マリ・パス・ベガ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。レオナルド・リベラ、耳なし。
11月23日(火)
新潟中越地震から1ヶ月がたった。被災にあった多くが高齢者で被災後、家族や友人などの支えがあったから何とか乗り越えようと言う気持ちになった言う。1人では、心細いし、励みもない。被災者同士助け合う事によって希望が生まれる。
ゴミ収集車からの出火は簡易ガスの缶や100円ライターなどを収集するときの圧縮で金属がこすれて火花が出てそれにガスが点火することによって発火、火災になる。今日はそんな状況に遭遇した。収集員が素早く消化器を使用して消火に当たり直ぐに鎮火した。その後、消防署から隊員が来て調査をして収集車の中を確認した。収集員は中を明けるとくすぶっている物がまた発火する場合があると、言っていたが、発火しなかった。その後警察も来た。
今日21時から日本TVで、『衝撃サイエンスSP人類500万年最大の謎 「唐沢寿明が解明する“記憶”のチカラ!」 』 をやっていた。人間の記憶についてのサイエンス番組だった。非常に面白い番組だったが、これ自体が今の日本の世情が出ているような気がした。それは、何か1つのことに秀でたと、いう人を番組は取り上げている。それは素晴らしいことであるが、そこには他者と交わるということが欠如している。何かを成し遂げると言うことは、その人が持つ才能に、他者が巻き込まれていくことによって、新しい物が生まれていくのだと思うのだ。
現在は、人より秀でた才能をもてはやす傾向があるが、音楽でもそうだが、グループで行うスポーツなどでは、1人の秀でた才能だけでは力にならない。それをサポートするチームに、その才能を充分に発揮できる環境を提出、整える事が出来なければ音楽には感動が生まれないし、スポーツにおいても勝つことが出来ない。新潟の被災者が言うように、1人では何も出来ないのだ。人と交わることから起こるコミュニケーションが最も大事なことで、これによってケミカルリアクション(化学反応)が初めて起こるのだ。それが起これば、1人では到底成し遂げることは出来ないと思っていたことでも、成し遂げることが出来るようになるのだ。
今の日本の世相は、他人とは交わらないように生活をしたがったり、自分の狭い範囲の人間関係でしか何かをしようとしない。硬直した脳の中からは素晴らしい発想も、芸術も、文学も、運動も、何も起こらないと言うことを、あまりにも考えなさすぎる。また、仕事をすると言うことにおいても1人では出来ない。他者と共に時間と目標を共有し協力しなければ良い仕事が出来ないのに、他者とコミュニケーションを取りたがらないヤツが多いのはどう言うことかと、思うことが多い。そういうヤツは物事を伝える言語を持っているないような気がする。言語化できない行動、言語化できない仕事とは、どう言うことなのだろう。言葉をおろそかにしていると言うことは、脳を活用していないと言うことだと思う。
11月24日(水)
肌寒くなってきた。故郷盛岡には白鳥が飛来したという。いよいよ冬。今週の東京競馬場は傘を持っていった方が良いかも知れない。ベンチに座っていて風が吹くと銀杏の実がボタボタ落ちてくるからだ。この時期競馬場に銀杏を拾いに来る人がいる。子供の頃、バケツを持って近くの神社に銀杏を拾いに良く行った。あの便所臭い匂いが何故か郷愁を呼び起こす。黄色くなった葉っぱを掻き分け拾ったものだ。そんなに美味しい物だとは思わなかったが、あの味も郷愁を呼ぶ。
マヌエル・カバジェーロの南米引退興行の、メキシコで耳1枚、耳2枚と尻尾1つを取ってプエルタ・グランデした。
21日の結果。 メキシコ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、オクタビオ・サンチェス、耳なし。闘牛士、フィニート、耳なし。カバジェーロ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。アレハンドロ・アマジャ、耳なし。 リマ(ペルー)。エル・シド、罵声。カステージャ、マティアス・テヘラ、耳1枚。 モンテレイ(メキシコ)。アルミジータ、場内1周。ソトルコ、耳2枚。カペア、強い耳要求。 マラカイボ(ベネズエラ)。オットー・ロドリゲス、口笛、耳1枚。パキート・ペルラサ、耳1枚。ファンディ、怪我。
11月25日(木)
「カップ麺の焼きそばを初めて食べた時って、ちゃんと食べれました」と、言われて、何でそんなことを言うのか解らなかった。そしたら、「お湯入れる前にソース入れたりしませんでしたか。俺なんかお湯切った後、なんか味が薄いなぁと思って」と、言って笑っていた。そういうことかとようやく判った。初めての物は説明を読んでからやるのに、それを省いたと言うことだった。そういうことはなかったと思う。それより、不味いなと思った。これが焼きそば?という感想だった。
カップ麺を初めて食べたときもそう思ったし、インスタント・ラーメンを初めて食べたときもそう思った。が、時代は便利さを重宝して爆発的に売れたのだった。良い物が売れるとは限らない。美味しい物が流行るとは限らない。時代が要求した物が売れ流行っていくのだ。今ではあれだけ不味いと思っていたインスタント・ラーメンやカップ麺を美味しいと思って食べれるようになった。これは味覚の退化なのか、慣れという物なのか判らないが・・・。確かに昔に比べれば遥かに色々な工夫がされて美味しくなっていると思う。一時期は、そういう物は一切口にしなかった頃があった。そういう物を食べるのは惨めな気がしていたのかも知れない。でも、ある有名な料理家が言っていた。
「わたしが美味しい料理を毎日出しても旦那は週に1回は必ず、インスタント・ラーメンが食べたいと言うんですよ」と。そんなもんかも知れないよなぁ。インスタント・ラーメン食いながら何かを思い出しているのだろう。金のなかった頃のことでも。そうやって、自分を戒めたり、今の自分の気持ちのバランスを取っているのだろう。インスタント・ラーメンってそういう味なのだ。きっと。
11月26日(金)
「ローリング・サンダー・レヴュー・ツアー時代の演奏に完璧を求めてはいけない。適切な言葉がみつからないが、とにかく喧騒、なににも増してムチャクチャというのがこのツアーの魅力であり、すべてが崩壊していく、いやディラン自らの手によってこなごなに砕かれいく快感はなにものにもかえがたい。もちろんそれは歌や演奏がムチャクチャでボロボロというのではなく、新しいものは破壊することから始まるという真理を身をもって、ツアーをもって示そうとしたにすぎない。・・・・・・では、≪君は大きな存在≫ はどうだったかといえば惜しいかな、もう一歩のところでガタガタと音を立てて崩れていく。しかしディランはその崩れゆく音を聴きながらも立て直そうとはぜず、むしろ崩れていくさまを美しいと感じ、荷担さえしている。たしかに名曲が崩れ去ろうとしている瞬間は美しく、その美しさにおいてこのライヴ・ヴァージョンは忘れがたい。ディランによって打ち砕かれるのだからこの曲は本望だろう。」 ーー『ディランを聴け!!』 中山康樹 著より ーー
演奏に完璧を求めるのは、志向としてクラシック音楽だ。ジャズはその正反対に位置する。が、それを評論という形にすると表現として完璧という言葉を使いたがるのは判るが、それは間違いだ。ロックもジャズと同じで完璧な演奏など望んでいないし志向しない。ディランの演奏にしてもそうだし、大体アメリカ音楽は成り立ちからそういう物からほど遠いところから出発したはずだ。そして、そういうラフなスタイルやいい加減さが良いのだ。『激しい雨』 の、≪君は大きな存在≫ と、『血の轍』 の、≪君は大きな存在≫ の違いは編曲が違うだけではなく、演奏する目的が違うのだから当然編曲も歌い方も違ってくるのだ。
『激しい雨』 の方は、エレキ・ギターから始まりアコースティック・ギターとピアノとバイオリンが絡んで力強いがけだるさがある。でも、その中にギターやピアノのフレーズがちゃんと耳に残る巧みさがある。歌も情熱的で力強く感動的だ。
「・・・時はジェット機だ あんまりに早過ぎる
ざんねんなことに
われわれが共有したものはながつづきしなかった
おれは変われると誓う
きみのできることを見よう
おれはやってみせるぜ
きみもできるはずだ
愛はそれほど簡単なもの、というひとがいる
きみはいつもそれがわかっていた
おれはこのごろわかってきた 」 ーー≪君は大きな存在≫ よりーー
『血の轍』 の、≪君は大きな存在≫ は穏やかだ。感情をコントロールしているように歌っている。だから、聴いていて落ち着いてくる。印象に残る楽器のフレーズは殆どないが、これだって演奏は素晴らしい。が、決して完璧ではない。だから良いのだ。もっと良い演奏は出来ただろう。でも、そうしなかったのだ。そのことによって曲に命が吹き込まれた。静かで穏やかな深い感動が生まれたのだ。完璧がいつもベストとは限らないのだ。闘牛も歌も小説も芸術もそういう物だと思う。完璧から解放されて作り出した物の方が面白い。感動が生まれる。何故なら、そこに“隙間”が生まれる。“隙間”とは、つまり“遊び”である。“遊び”がある分だけ余裕があるからだ。その余裕は、聴き手にも伝わる。耐震性がある建物と同じ事だ。コチコチに完璧に作ったら直ぐに崩れてしまう。
著者の中山康樹は、スイング・ジャーナルの編集長をしていた人で、ジャズが専門。音楽については造詣が深いが言葉使いや説明で、どうもしっくりこない部分がある。勿論、共感できる部分も結構あるけど。完璧などというものは、ディランにとっても俺にとってもどうでも良いことだ。そんなものがなくても、充分感動的な演奏であり曲であり歌である。そして、演奏が、曲が、歌が聴いた後に残る。余韻は曲が終わった後まで尾を引くのだ。『激しい雨』 の方も良いし、『血の轍』 の方も良い。気分によって聴き分けできる。が、やっぱり、『血の轍』 の方が体に染みついている音楽になっている。
それともう1つ付け加えなければならないのは、ディランの場合はライブになるとイントロを聴いただけで原曲とは分からない場合が殆どだ。ライブ演奏の時には際だつのは演奏する楽器の音色を指揮しているのは、もう1つの楽器、ディランの声なのだ。この声によってライブ演奏はディランの思うように表現されているような気がする。ディランの音楽でもっと重要な楽器が、“声”なのだ。おれはこのごろわかってきた。おれはやってみせるぜ。
11月27日(土)
非常に難しいJC(ジャパン・カップ)予想。飛び抜けた力を持っている馬が不在だ。天皇賞馬、ゼンノロブロイは、去年のシンボリクリスエスのような絶対本命にはならない。そのクリスエスも結局3着だったから今年のJCは本当に難しい。前売りでは3.0倍の1番人気だが・・・。それでは日本馬実績NO1のヒシミラクルは1年の休養明けの前走天皇賞で見せ場のない16着。今回の調教も悪いし馬券対象外。それじゃ他の古馬はと、考えても京都大賞典でゼンノ破ったナリタセンチュリーは今週の調教はバタバタでダメ。元々データからも切りだから良いけど。
それなら3歳馬は見るとこれも一長一短。ダービー2着のハーツクライは秋になって期待を裏切り続けた。武豊が悪いのか癖馬なのか、展開が向かなかったのか知らないがJCで一変するとは思えない。ハイアーゲームにしても得意の東京左回りで条件は良いが3歳クラシックでダービーの3着が最高じゃ疑問符。むしろ勝ちきれずに全2走2着のホオキパウェーブは重賞勝ちはないが堅実で上がりの切れ勝負にならないJCなら面白い存在だ。コスモバルクもハミをリングハミに変え騎手もフランスのルメールに交代して地方馬初のJC馬を目指す。
菊花賞馬デルタブルースも先行策から正攻法で勝負。この馬も切れ勝負じゃ分が悪いがJC向きかも知れない。重賞実績が菊花賞だけというのが気になるがアンカツが1日GT2勝を目指す。日本馬、古馬のゼンノと、3歳馬のホオキパ、コスモ、デルタの4頭。
外国馬は、実績1番は、イギリス馬、ウォーサン。ブリテン調教師が好調をアピールしているが、しかし、半兄がJC大差負けのルソーという血統で馬場適性に疑問ありしかもローテーションは夏場に2ヶ月以上の休養を取っていない。人気にはなるが消しのパターン。天才の名を欲しいままにしているダイエン・オブライエン調教師はパワーズコートで初来日。JCを勝てると踏んでの来襲だが癖馬だ。直線でよれるし騎手は下手くそ。騎手のせいでアメリカで何度か負けている。癖馬が日本の大観衆の歓声に驚いて力を出し切れない可能性が大きいような気がする。面白いと思うのは、フランスの3歳牝馬、リュヌドール。馬場適性がありそうだ。他は要らないだろう。
以上から、外国馬は、リュヌドール。日本馬は、ゼンノ、ホオキパ、コスモ、デルタ。ボーダーライン上に、ハーツ、ウォーサン、パワーズの3頭。最終的には、明日の東京競馬場のパドックを見てから決める。快晴になりそうなのでパドックは混むだろうなぁ。もう1つJCダートは、日本馬、アドマイヤドンとアメリカ馬、トータルインパクトの一騎打ちか?他では、昇り調子のタイムパラドックス、ダート代わりで面白いローエングリーン、と、格は違うが前走同コース同距離でレコード勝ちのハードクリスタルも面白そうだ。
今日は、ベシー・スミスとサニー・ボーイ・ウィリアムソンのブルースを聴きながら過ごした。って事は、デルタブルース?
11月29日(月)
昨日東京競馬場へ行った。競馬場へ着いたのが14時過ぎだった。パドックには人垣が出来ていたので行かなかった。だから10Rは新聞の予想だけで馬券を買うことにした。アドマイヤドンから、トータルインパクト、タイムパラドックス、ローエングリーン、ハードクリスタルへ4点流した。11Rのパドックへ行くのでモニターでレースを観ていたら直線でローエンがばててドンとインパクトの叩き合いに・・・と思っていたら内からするするとパラドックスが抜け出して圧勝。2着のようやくドンが来て2年連続2着、3年連続3着以内、でも結局優勝できなかった悲しさが漂うなぁ。
終わったらJCのパドックへ。ハーツクライは前脚が外向して馬体もパッとしない。馬体重マイナス12キロも気に入らない。ナリタセンチュリーは天皇賞と比べて落ち着いている。調教は悪かったが天皇賞の時より良い。デルタブルースは外目を周回している。落ち着いている。踏み込みが見えないが体はマイナス14キロに見えない。良い体だった。ゼンノロブロイは何処といってケチの付けようがない。体に不安がない。藤沢和雄調教師が言うように80%の状態。多分勝つだろうなぁと思った。問題は、コスモバルクだった。踏み込みがダート馬のように浅い。つるっ首になって集中しているのは気合いが入っている証拠。これだけなら良いのだが、ウンコをしたがこれが下痢だった。こう言うのを観ると買いたくなくなる。でも、買ったけど。
ホオキパウェーブは、落ち着きがなくイライラしてうるさい。踏み込みも浅い。明らかにおかしい。切り。パワーズコートの体を観て何のインパクトもなかった。ゆったりと周回を重ねるが勝てるような体じゃないと思った。ウォーサンは踏み込みが深く、気合いも入っていた。体も良く見えた。リュヌドールは、不満な部分もあったがそれなりに良いと思った。モニターで返し馬を観たが、ホオキパはかかっていた。以上から、ゼンノから流し馬券にした。
関東のGTファンファーレが鳴り手拍子が起き歓声がなった。岡部のマグナーテンがハナを切りハイペースを刻む。向正面では馬群は縦長になって終始2番手でコスモ、中段外目にゼンノが控え後方には、パワーズ、ウォーサン、ホオキパ。でも、後方の馬は手応えが悪い。まるで岡部のペースは同厩舎のゼンノに勝たせるために作っているようだった。直線でマグナーテンを交わしてコスモが先頭に立ちそれを外からポリシーメイカーが競りかけその外から満を持してゼンノが追い出して抜け出したかと思ったら千切った。2着争いはコスモとポリシーの叩き合いで1度抜け出されてからコスモが差し返して2着。ゴール寸前凄い脚でデルタが突っ込んできて3着になった。
1日GT2つというJRA史上初めて開催の日に、秋の競馬連敗中だった俺は連勝した。天皇賞と同じ、1着ペリエ、2着ルメールというフランス人のワンツーになった。勝利騎手インタビューを訊いてから府中で飯を食って新宿でズボンとシュレルズのCDを買って帰ってきた。
味覚を決定する4つの要素は、甘い味、酸っぱい味、苦い味、しょっぱ味、が味を決めるのそうだ。昔はこういう味を子供に教えるために、おじいちゃんおばあちゃんは、さんまを食べさせたという。山の人は山菜を、川の人は川魚を食べさせたという。今の子供たちの味覚はこの4つの要素を、味覚を決定する8歳頃(あるいは殆ど)取らずに過ごすので、味覚音痴の子供たちが多いという。他には視覚と臭覚も大事な要素だという。予想が当たるというのも同じで、甘い、酸っぱい、苦い、しょっぱい、味の4つの要素を味わうことが出来る。こういう味は、当たらないと味わえない。いつもハズレばかりだと、苦い味や酸っぱい味は判っても、甘いけどしょっぱい味と言う正反対の味を同時に味わうことは出来ないからだ。
シュレルズの「ウィル・ユー・ラブ・ミー・トゥモロウ」を聴きながら、馬券の神様に、「明日も愛してくれる?」って問いかけた。良いレースだった。完璧な馬券じゃなかったが、良い馬券だった。これで有馬記念の1番人気はゼンノロブロイになることは決定的だ。そして、優勝に1番近い。去年の有馬が終わったときに来年はゼンノロブロイと心中だと思っていたが、しっかり有馬まで付き合うことにする。難しい予想だったが、JCの味をしっかり噛みしめた。また、有馬で、甘い味、酸っぱい味、苦い味、しょっぱ味、を味わえるようにしたい。
27日の結果。 キト(エクアドル)。セサル・リンコン、耳1枚。ギジェルモ・アルバン、マティアス・テヘラ、耳なし。 レガネス(マドリード)。サンチェス・バラ、耳なし。セルヒオ・マルティネス、イバン・ガルシア、耳1枚。
11月30日(火)
何だかんだ言って、明日から12月だ。1日1日やることをやっているつもりなのに現実に追いつかない。やらなければならないことが一杯あるのに・・・。
セサル・リンコンが、マラカイのセサル・ヒロン闘牛場でグラン・ファエナをした。剣が決まらなくて耳1枚だったようだ。
28日の結果。 メキシコ。ソトルコ、耳1枚が2回。ラファエル・オルテガ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。 リマ(ペルー)。フィニート、耳1枚。ハビエル・コンデ、耳なし。ファン・カルロス・クバス、場内1周。 マラカイ(ベネズエラ)。セサル・リンコン、耳1枚。レオナルド・ベニテス、セサル・バネガス、耳2枚。 モンテレイ(メキシコ)。ミックス闘牛?騎馬闘牛士、エドゥアルド・クエバス、耳1枚。エロイ・カバソス、耳2枚と尻尾1つ。マリアノ・ラモス、耳なし。ホルヘ・グティエレス、耳1枚ともう1枚でないことに罵声。エル・クアテ、場内1周。アレハンドロ・アマジャ、耳1枚。 キト(ベネズエラ)。フェスティバル闘牛。騎馬闘牛士。ディエゴ・ベントゥラ、耳なし。闘牛士、オルテガ・カノ、耳なし。エスパルタコ、アントニオ・カンパナ、耳2枚。
12月1日(水)
昨日用事で中野に行った帰り、昭和29年創業という看板を掲げたラーメン屋に入った。注文はシンプルに品書きに書かれた中華そばにした。自転車に乗ってきたので首から上が冷えて痛いくらい。運ばれてきた中華そばの香りが食欲をそそる。割り箸で麺をつまみふうふうして頃合いを見計らって口の中に入れると昔懐かしい中華の味。汁をレンゲですくって一口飲む。こういう味だったよな昔の中華は。薄く切ったチャーシューが3枚とシナチクと海苔ときざみネギ。なるとが入っていないが最近の言い方で言えば、家系のラーメン。まさに中華そばだ。
チャーシューを1枚取って半分だけ噛んで丼の端に置いてまるで映画、『タンポポ』 の様にちょっと待ってねと口に出さずに言って麺をすすって一緒に噛む。チャーシューと麺に付いているつゆとが口の中で一緒になって、腰の強い麺の歯ごたえと柔らかく香りの良いチャーシューが唾液を催促しているようにみるみる混ざり合って体を温め始める。汁を飲む、麺の上にシナチクを乗せ口に入れる。勿論麺は音を出してすする。汁を飲む、ちょっと待っててねと待たせていたチャーシューを麺の上に乗せてやんわりと箸で摘んで口に運ぶ。溜息が出るような幸福感。
中華そばって本当に美味しいなぁ。チャーシューの柔らかさと脂身の香り、麺と一緒に口に入れた噛んだときに両方の味がお互いを引き立て調和する。うっすらと額に浮かぶ汗。汁をすすればすするほど体が温まり冷えていた首から上も暖かい。もう耳の方までぽかぽかしてきた。寒い冬の季節に体の芯から温めてくれる中華そば。汁を飲む、麺の上にシナチクを乗せ口に入れる、汁を飲む、ちょっと待っててねと待たせていたチャーシュー二切れ三切れと麺と一緒に頬張ればいつの間にか麺は残りわずか。それをレンゲに箸ですくって乗せて最後のチャーシューときざみネギの残りを合わせて食べる。食べていると、「あー、もっちょと食べたかったなぁ」という気持ちが湧いてくる。
そこで、残りの汁をレンゲですくって飲む。もうお別れだなと思いながら丼の汁を飲み干すと額からは大粒の汗が噴き出していた。消費税込みで409円。高くて作られたおいしさのラーメン屋が色々生まれて行列が出来ているが、こういう中華そばは庶民の味だ。大事に大事に昔ながらの中華そばを提供している。昔、当たり前に味わえたこういう味が今は少ない。でも、大切にしたい味。こういう努力を古いという風潮が最近あるが、こういう店が俺の生活レベルに合っているし、気持ちを満足する。第一気取ってない。能書きの要らない中華そばだ。こういう味に出会うとホッとする。名人じゃない当たり前の職人が作った中華そばが美味い!また食べに行こう。
12月2日(木)
クリスマス・アルバムを始めて買ったのは、エミルー・ハリスの物だった。ディランの、「ハリケーン」 でデュエットしてそれで知ったカントリー・シンガーだったが、彼女の何枚目かに買ったアルバムがそれだった。このアルバムを聴いたときに、エミルーは天使のような歌声だと思った。特に、「リトル・ドラマー・ボーイ」 はクリスマス・ソングとして初めて耳にする歌だったので感激した。こんな素晴らしい歌があるんだなぁと思った。
「・・・神の子 イエス様 ラパン パッパンパン
私は貧しく
王に差し上げるに相応しいものが
何もありません
ラパ パンパン ラパ パンパン
貴方の為に
ドラムを叩いてもよろしいですか
メアリーがうなずいた ラパン パッパンパン
牛やラバが拍子をとり
私はドラムを叩いた
一生懸命叩いた
ラパ パンパン ラパ パンパン
すると彼は私に微笑んだ
私と私のドラムに 」 ーー「リトル・ドラマー・ボーイ」よりーー
今手元に、『スパースター・クリスマス』 というCDがある。この中に同じ歌を、ジャクソン5 が歌っている。声から判るが12歳のマイケル・ジャクソンがリード・ヴォーカルを取っている。マイケルはあの頃の歌に対する、あるいは、人生に対するひたむきな思いがここには感じられるが、今のマイケルにはそういう物はまったく感じられなくなった。
このCDには、ジョン・レノン&ヨーコ・オノの、「ハッピー・クリスマス」 や、マライヤ・キャリーの、「オー・ホリー・ナイト」、バンド・エイドの、「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」や、アーティストをあげればセリーヌ・ディオン、ヒューマン・ネイチャー、トニー・ベネット、フランク・シナトラ、プラシド・ドミンゴ、グロリア・エステファン、ニール・ダイヤモンド、ブルース・スプリングスティーン、シンディ・ローパー、バーバラ・ストライサンドなどが歌っている。
最後は、ワムの、「ラスト・クリスマス」。正直に言えばこういうのを聴くともう止めてくれって言いたくなる。昔、『イカ天』 で吉田建が、グループ・サウンズのような幼稚なラブ・ソングを演奏した出演者に、「馬鹿野郎!何考えてるんだ、お前ら!」と怒鳴ったことがあった。俺は吉田建の気持ちが判る。時代が違うというのもある、それよりも、なんだその歌っていう感じだった。演奏だって歌だって上手い。だから何なの。アイドルじゃないんだからそんな曲のような物ばかり作っているじゃない。そういう意味だったと思う。歌はラブ・ソングが1番に良い。でも、曲も聴き易いだけで特徴がない、歌詞も幼稚でセンチメンタルなだけで面白くも何ともない、そんな歌など下らないから止めろ、というのが吉田建の怒鳴った理由だろう。
はっきり言って、ワムの、「ラスト・クリスマス」も同じだ。1つも面白くない。聴き易い、耳に心地よい、とか、色々あるだろうけど、ジョージ・マイケルのようなポップスをお金を出して聴きたいとは思わない。しかし、世の中は面白い。『ぴあ』 の最新号でクリスマスの特集があり、NO1クリスマス・ソングがこれだった。まあ、そうかも知れないけど聴き易いだけの歌だろう?と、思うだけだ。勿論、ポップスにはポップスの良さや、売らんが為の努力や工夫は凄い物があるとは思うけど。因みに、2位がマライヤ・キャリーの、「恋人たちのクリスマス」、3位が山下達郎の、「クリスマス・イブ」、4位が前出のジョン・レノン&ヨーコ・オノの、「ハッピー・クリスマス」 など(以下省略)。
♪君はきっと来ない。トウカイテイオー♪と、歌ったのは明石屋さんま。そういえばその年の有馬記念はトウカイテイオーはJCを勝ったけど来なかった。話がずれたが、クリスマスをモチーフにしてラブ・ソングを書くという事自体が商業主義。神様の事を歌わなかったら子供に聴かせられないと思うけど。勿論、ポップス研究家の山下達郎の売らんとする努力は大したものだ。結婚にも出ていて嫁さんが竹内まりあ。それはそれでお似合いですが・・・。松任谷由美の、「恋人はサンタクロース」 に至っては雪を投げたくなる。中島みゆきがクリスマス・ソングを作るか?吉野家のことを歌ってもクリスマスのことは歌わないだろう。何故なら、東京で生まれてピアノ弾いてケーキ食ってきた人間と違うからだ。雪国で育った人間は雪を歌っても、クリスマスとはあまり結びつかないと思う。クリスチャンじゃないんだからそういう商業主義を肉体に染み込ませていないのだ。
12月3日(金)
DVD−RAMよりDVD-RWの方が安いということを最近知った。俺が使っているDVDレコーダーは東芝の物でマルチ対応になっているのでDVD-RWでもメディアに録画が出来る。闘牛や大事な物以外は、DVD-RWに録画しておけば安く済むと言うことのようだ。因みにDVD-Rに録画すると、それを再びHDDにダビングすると画質が落ちるようだから対応としてはそっちの方が良いのだろう。
シネスイッチ銀座で24日まで市川雷蔵特集をやっている。『薄桜記』、『濡れ髪牡丹』、『女と三悪人』などが4日まで。『手討』、『眠狂四郎無頼剣』などが8日まで。『若き日の信長』、『斬る』、『剣』、『剣鬼』のいわゆる剣三部作などが11日まで。『浮かれ三度笠』、『切られ与三郎』、『ひとり狼』などが15日まで。『陽気な殿様』、『眠狂四郎女妖剣』などが18日まで。『新源氏物語』、『好色一代男』、『沓掛時次郎』などが21日まで。『蛇姫様』、『お嬢吉三』、『新撰組始末記』、『新平家物語』などが24日まで。土曜日は久々に映画を観に行って来よう。現代劇の雷蔵も良いが、時代劇を中心に観ようと思う。
「昨年のグラミー賞で8冠を獲得した米の女性歌手、ノラ・ジョーンズ(25)が、来年4月20日に初の日本武道館公演を行うことになった。
約2年半ぶりの来日公演は来年4月8日から行われるが、東京、横浜、大阪はわずか1時間でチケットが完売。約5000人収容の東京国際フォーラムの追加公演も完売したため、1万人規模の日本武道館にスケールアップされた。外国人アーティストが追加公演を大きな会場に変更するのはガンズ&ローゼス、サンタナなどロック系で稀にあった程度。ポップス系歌手では初の快挙だ。」 ーーサンスポよりーー
『ぴあ』 で観るとノラ・ジョーンズの武道館は、S席−7500円、A席−6500円。ではと、森山直太朗の方を調べたら8400円。直太朗は今年3990円でファースト・コンサートを行った。それに比べたら今回は高すぎる。直太朗が好きだからってどっちに行くと問われれば素直に、ノラ・ジョーンズと答えるのが筋だ。とは言え、追加公演は4月20日なのでその頃はスペインにいるので観れないけど。
12月5日(日)
昨日の朝、有楽町線銀座1丁目駅を降りて目印の松屋方面に歩いていくと人垣が出来ていた。松屋向かいにはTVカメラなど並び店の前に並んでいる人と店を撮っていた。店はシャネルだった。どうやら新しく出来た店のようだった。そこを左折して行くともっと人が一杯だった。銀座のWINS。土曜のメインと日曜GTを買って飯を食ってシネスイッチ銀座へ。11時頃なのにもう列が出来ていた。売場で聞いたら上映作品が替わると入れ替えになりまた切符が必要になるとのこと。取りあえず体力的にキツかも知れないので1枚だけ買ってコーヒーを飲んで新聞を読んだ。
未だ早かったが、もう大分列が出来ているかも知れないのでシネスイッチ銀座に向かった。途中チケット屋があり、そこに、『市川雷蔵祭』 の切符が1400円で売っていた。200円安かった。始めに観たのは、『薄桜記』。物語は村上兄弟に助太刀する中山安兵衛の高田馬場の決闘当日から赤穂浪士討ち入り当日まで。主役は、幕府の役人、丹下典膳(市川雷蔵)と、浪人、中山安兵衛(勝新太郎)で後の堀部安兵衛である。それぞれが流派の違う道場の筆頭を務めるライバルである。高田馬場の決闘当日、中山安兵衛が馬場へ急いで走っていると、家来を引き連れて馬上の丹下がたすきをしていないのに気付き注意するがこれが聞き取れない。駆け去る中山を心配になった丹下が馬で追って決闘場所へ。
そこで同じくたすきに気付いた老人が子供用の帯を投げてそれをたすきに使って決闘に勝つ。丹下は公儀の役目で急ぐ道中。決闘途中で道中へ戻る。役目を終えた1ヶ月後江戸へ戻った丹下は道場でライバルにある道場の中山が勝って向こうの道場の評判が上がり、逆にこちらの道場の人気が下がったことを知らさせる。その責任は丹下が決闘の場に居合わせたのに中山と剣を合わせなかったからだと、理不尽な攻めを受ける。そして、道場を破門させられる。それを知ったライバルの道場主は、「いらざるいさかいを避けるためにあえて向こうは破門した。その心が判る故、こちらも中山を破門する」という。
中山には町娘がサインを求めて殺到する日々。召し抱えの話も複数ある。その中には村上兄弟が決闘で怪我をして切腹した屋敷の上杉家の家来や、決闘で帯を投げた浅野家の家臣もあった。上杉の家来の家に招かれてそこで会った千春という妹に一目惚れする。生類哀れみの令の元禄の世。千春院から女の悲鳴と犬の鳴き声が聞こえる。女を助ける入る丹下。刀の鞘が割れて犬が死ぬ。そこに通りかかった安兵衛は丹下を逃がし、その場をやり過ごして千春を助ける。上杉の方に行こうと決意するが、師匠の所へ行くと千春の嫁ぎ先が決まったことを知らされる。それは、丹下典善だった。絶望する安兵衛。
安兵衛に恨みを持つライバル道場の師弟が襲いにかかる。通りかかった丹下が助けに入り怪我を負わせる。5人が破門になる。丹下が役目で京に上っている間に千春が5人に襲われ辱めを受ける。それを知って絶望する丹下。役目を終えて江戸へ帰り千春に言う。「お前には責任がないから責めはしない。が、頭で判っているが体が許せない。だから離縁する」、と。世間の色々な噂を払拭するために妻が不義をしているのはキツネの仕業に仕立ててキツネを殺す。これは死罪に値する重罪だが身内で同意の上でもみ消す。これは離縁の為の芝居だ。そして、千春の母の命日に実家へ理由は言えぬと言い立ち去ろうとするが怒った兄が斬りつけて右腕を失う。
安兵衛は浅野家家臣の堀部家へ婿養子に入り幸せな日々を送っていたが、松の廊下の刃傷でお家取りつぶしで吉良への仇討ちに加わる。千春はお茶の師匠として生計を立てていた。浅野の仇討ちを恐れて吉良家では浪人を雇って警護に就けていたが、その中に例の5人がいた。越後で療養している丹下にその5人を雇った恩人から吉良の警護の統括をやるようにと使者が来る。その名目で5人を好きにして良いというものだった。千春と共に江戸へ着く。が、呼び戻した恩人は死に吉良家には入れなくなった。が、大道芸で人前に出ていると5人は丹下に気付き、襲ってくる。2人をやりホッとしたところで鉄砲で左足を撃たれる。そこに通りかかった千春が助ける。
宿にしている千春院へ戻るが、そこに2人の仇を打ちに3人とその助太刀の吉良の用兵が襲う。左手左足で戦う丹下。そこに吉良家の茶会の日取りを聞きたがって千春を捜していた安兵衛が駆け付け助太刀する。鉄砲で撃たれた千春から茶会が明日14日であることを聞く。雪の中、瀕死の丹下と千春が倒れて手を繋ぎ、場面は赤穂浪士討ち入りで終わる。
この映画は、元禄という時代を、生類哀れみの令、高田馬場の決闘、討ち入り、そしておそらく丹下左膳の前史と思われるものを絡めて描く絶妙の物語である。こんな厚みのある脚本を書いた当時の映画界の力量が感じられる作品だ。雷蔵、勝新の2大スターの競演も絶妙だ。幕府の役人から転落していく丹下。浪人から召し抱えられてそれからお家取りつぶしで仇討ち。2人とも武士の魂を極めようとして交差し、体制側から転落して行く2つの人生。1959年の作品は60年安保前夜の時代の雰囲気が投影されている。アウトローが美しくヒーローであった時代なのだ。雷蔵の代名詞になる、『眠狂四郎』。勝新太郎の当たり役、『座頭市』。どちらもアウトローがヒーローとして活躍した。あの時代、そういうヒーローを求めたと言うことかも知れない。しかし、いつの時代においてもアウトローとは魅惑的な物なのだから、雷蔵も勝新も今もなお輝いて見えるのだ。
疲れていたので眠気を心配していたがそんなものを吹き飛ばす面白さだった。日本映画全盛の頃は、歌舞伎などの芝居の話を良く知っている観客が多かったようで話の絡ませ方が込み入っていて見応えがある。今、こんな脚本を書ける人はおそらくいないだろう。まるで風太郎の面白さのようだ。エッチじゃないけど。今日はもう時間がないからこれで止めるが、結局その後、『濡れ髪牡丹』、『女と三悪人』 と3本観て帰ってきた。流石に疲れたが滅茶苦茶面白かった。雷蔵は美しいだけじゃない。そこにある美学は男が惚れる生き様があるのだ。
12月6日(月)
「そうかも知れぬ。そうでないかも知れぬ」。『眠狂四郎無頼剣』で市川雷蔵が言う台詞だ。「俺は普通の人間ではない。頭がおかしいのだ。本人が言うのだから間違いはない」。これも雷蔵の台詞だ。例えば、相手役の天知茂の台詞の言い回しは、現代劇とさほど変わらぬ発声法で言うのとは対称的に、歌舞伎の発声法に似たわりと太いゆっくりとした独特の言い回しで雷蔵は言う。それが、狂四郎のニヒルさを表現する役者としての雷蔵を際立たせている。
それは、やくざ者の『濡れ髪牡丹』 ではコメディーで随所に笑いがあり、旅役者の『女と三悪人』 は、相手役が山本富士子との恋愛と、勝新が絡むエンターテイメント、の雷蔵とは明らかに違う。監督の三隅研次によって雷蔵の眠狂四郎は完成したが、おそらく、そういう発声法なども演出したのだろう。元々が歌舞伎役者なのだからこの発声法は舞台でやっていることとさして変わるものではないのだから身に付いたもの。眉間にしわを寄せてそういう声で台詞を言う雷蔵はそれだけでスクリーンの中で存在感を観客に与える。
当時のチャンバラには、剣と剣の刃を合わせたときの金属音や、人を切ったときの、「バサッ」という音が入っていないし、切ったときにそこから血が吹き出ない。そういう効果音は、後にTV時代劇で採用されたもので、血は、東宝が作った三船敏郎主演の 『新撰組』 で採用されたと記憶している。そういうものもないし、『眠狂四郎』 シリーズの後期に登場する円月殺法で、その残像を円形に残すという技法も採用されていない。しかし、チャンバラの重要な殺陣も素晴らしいし、影のあるニヒルな浪人としての狂四郎を見事に描いている。三隅研次と出会えた役者雷蔵は幸福だった。
それは、『薄桜記』 の森一生監督、『弁天小僧』 の伊藤大輔監督と共に良い監督との出会っている。そして勿論、剣三部作は三隅研次。特に、『剣鬼』 は絶品である。
所で、『女と三悪人』 は、井上梅次監督。これも面白かったが、特に面白かったのは、逃げる人とそれを追う人の映像が宮崎駿のアニメ風だった。勿論宮崎の方が後だから真似しているのかも知れないが。不満は、雨が降って雨宿りで橋の下での山本富士子とのラブ・シーン。羽織を脱ぐ山本が、その羽織を雨で濡れた地面に着けて雷蔵の方を向く。着物を着慣れていないからそういう仕草で失敗する。これが抱き合ったときに羽織を地面に着けているのであれば、女が男に抱かれてボーとして羽織り地面に着けて汚してしまうとしてそれは良いのだが、抱かれる前に羽織を汚すところは、現実ではあることとしても映画では許されないミスだ。
こういうディテールを観ると井上監督の力量が計られるような気がするのだ。ただこの映画の勝新は迫力がある。“悪”が似合う役者だ。
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