−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年のスペイン滞在日記です。
5月25日(日)
スペインでは何年か前に徴兵制が廃止された。そういう意見が体勢を占めてきたのだそうだ。所が若者が徴兵に行かなくなると、バイクを乗り回したりして暴走行為をしたり、こそ泥をしたり、若者のエネルギーが正常に発散されなくなってきているのだそうだ。セビージャでは、バイクを乗り回して無謀な運転をしているヤツに警官が車で体当たりして事故になって骨を折って痛がって泣いている若者に、警官が空手の下段回し蹴りを思いっきりやってダメなことはダメだということを体で教えているそうだ。
そういう風にすれば、大概はやらなくなるだろう。それに比べれば日本の取り締まりは砂糖のように甘い。怪我をさせないようにして・・・なんて言っているようでは、ダメなことはダメだと言うことを体で教えることなど出来ないのだ。暴走族なんかは鉄パイプを振り回したりしているんだから警官が車で体当たりしてバイクを止めてそれから教えてやらないと、スペインみたいに。
でも、そういうことをすると警官に苦情を言う人がいるだろう。そうやっている内は、他人に迷惑をかけ続けて一生を過ごしている人種を大勢育てている日本社会の幼稚さは治らないような気がする。悪いことをしたら血を見るんだと体に刻んでやった方がそいつに対しても、社会のためにも親切というものだと思う。
スペインは今日選挙。日本はオークスで2冠達成。
5月26日(月)
今ネットを観ていたら東北で震度6弱の地震があった。東京でも震度3。仙台市内は震度6弱、盛岡は震度5弱。しかし、岩手、宮城両県の広範囲に渡って震度6弱から震度5弱を観測した所がある。被害状況は、仙台市青葉区では民家の火災が発生。一関市の寿司屋から火災が発生し、林野火災も起きているそうだ。当然、東北新幹線などは止まっただろうし、成田空港なども多少の影響があっただろう。これから、山間部などでの崖崩れなどの被害状況も入ってくるだろう。東北を中心に混乱しているだろう。
女川の原発施設は稼働停止した。
それからトルコでスペイン兵を乗せた飛行機が墜落した模様。74人全員死亡。濃霧のための着陸失敗の模様。
今日のラス・ベンタス闘牛場に出る予定だったヌニョス・デル・クビジョ牧場の牛は、獣医の検査に不合格したようで、替わりに、アストルフィ牧場の牛が5頭、エル・ベントリジョ牧場の牛が1頭、ソブレロもエル・ベントリジョ牧場の牛が2頭となった。レグラメントによればこういう場合は切符の払い戻しが可能になる。
スペインの選挙は、与党が勝った。野党、社会党は具体的な政策がないまま選挙戦を戦い敗れた。
5月27日(火)
今日は起きたら二日酔いのような症状で飲み物しか口に出来ず、ジュースなどを飲んで何とか脳に糖分を補給して体が元の状態に戻るようにした。ようやく10時頃にサンドウィッチを食べることが出来外に出た。約束時間に遅れそうだったのでTELして遅れることを伝え待ち合わせ場所に着く。josemiさんと会い写真を取りバルで話をした。30日1日の事をなど。josemiさんはそれから用をたしてハウスに戻り、Fさんの所に行くと、Mに行って飯を食おうと言うことになってmayumiさんなどと話をしながらビールを飲んで定食を食べた。
アベジャンのコヒーダのことや、オルテガ・カノのピンチャソの話は面白かった。横から腹の方に何度もピンチャソをしたそうだ。もう最低!と言うのでなかなかそんなピンチャソ観れないよと言うと、ロベルト・ドミンゲスなんかこの前フェスティバルの闘牛に出てきて格好良かったのにオルテガ・カノはダメと、言っていた。それでも闘牛士としてはロベルトよりオルテガ・カノの方がずっと上の人だった。
Fさんが今日のコリーダ・デ・プレンサは中止だよと、言っていた。理由は昨日のスペイン兵を乗せた飛行機の墜落のためと言う。mayumiさんは今日ラス・ベンタスに行ってきて、そんなことはないという。ただ、今日の切符は売り切れだそうだ。当然だろう。帰ってきてネットを観たら出場する牛が発表されていた。これからベンタスにフリを見に行く。楽しみだなぁ。
追記。26日のカウントが100行った。27日も103だった。でも、Norton のソフトを使っている人はカウントされていないのでそれ以上は確実に来ていると言うこと。
5月28日(水)
朝起きて飯を食い昨日の観戦記を書き上げ自転車を漕いで汗を流しシャワーを浴びてさて、髪でも切ってくるかと下に降りていったのは良いのだが、散髪屋は予約がない出来ないと言われて退散してきた。今日行きたかったのに。残念。まあ良い。明日にでもしよう。
昨日は闘牛が終わった後、みんなでバルで飲んだ。エル・フリは結果を出した。あれで何も出せなかったら相当な悪口を言われただろう。番長は喜んでいた。「俺のパドリーノだから」というのが口癖だから本当に嬉しそう。マドリードにいるこの人たちは、何年か前にバレンシアの火祭りの帰り、牧場でバキージャをフリとやったのだそうだ。だから、闘牛の会の会報に、フリと寿美さんがカポーテを持って牛をパセしている写真が載っているのがそれらしい。
番長は、5頭目の牛の時にテンディド7がダメだと言わなかったらフリは耳取れなかったんだからと、言った。その通り。あの時ダメだとテンディド7が言っていなかったらフリもその後ちゃんと闘牛をやらなかっただろうし、観客も、「オーレ」の声を張り上げなかっただろう。実に良いタイミングでああいうことになった。三木田さんは、「しかし、テンディド7はフリがちゃんと闘牛し出したらヤジを言わなくなった。あれは凄い」と言うと、番長は、「ちゃんと闘牛やれば7は何も言わない分けよ」と自慢していた。番長はいつもテンディド7で闘牛を観ているからだ。
寿美さんは、「今日は良い牛が出てくれば耳は切れると思っていた」と冷静に言っていた。「4頭目、剣が決まっていればプエルタ・グランデだったのに」と残念そうだった。ともあれ、三木田さんのエル・フリ初体験は無事終わった。バルで飲んでいてYさんが明日(28日)仕事で来れないと文句を言っていた。だから僕は、「あっそう明日来れないの。じゃ耳出るよ」と言ったらみんなが笑っていた。Yさんも、「そうなのよね、あたしが行かないとフェルナンド・ロブレニョが耳を切るのよねぇー」と嘆いていた。
5月29日(木)
昨日闘牛を観て泣いた。カメラでフェルナンド・ロブレニョの闘牛を撮っていたらあまりに凄さに涙が出てきた。闘牛士が牛の前に命を懸ける。当たり前と言えば当たり前だが、コヒーダされても怯むことなく牛に向かっていく。今まで以上のテンションの高さでクルサードしてパセを繋ぐ。あのラス・ベンタス闘牛場が大騒ぎになり観客が感動で興奮していた。あんな闘牛見せられたら黙っちゃいられない。これから昇っていく闘牛士は本当に面白い。他の闘牛場でも、あんな事をやっていたら体も精神も持たないだろう。
言葉は悪いが、他の闘牛場では多少手を抜いても、ラス・ベンタスでああいう闘牛をやっていれば闘牛士としては有名になり食っていける。Tさんからメールが来て1日にフェルナンド・ロブレニョの闘牛を一緒に見に行かないかというものだった。地元のフェルナンド・デ・エナレスとかいうところでやるそうだが、その日は行けないのだ。残念だが。
闘牛が終わってからみんなでまた、バルで飲んだ。番長は、coloquio と言っている。その通りだけど。色々な見方があるんだと思った。番長が言うには、フェルナンド・ロブレニョが始めにムレタでパセをするときに、外に牛を出すようにパセをしていることを指摘して、あのやり方じゃダメだ、と。Mさんは、牛が悪いから仕方ないという。僕もどちらかというとMさんの考え方に近い。闘牛場を一つにしたと言う意味で、寿美さんやMさんの奥さんが言っていたのはセサル・リンコンのことだった。あの時のセサルは闘牛場の全員が鳥肌になって感動していた。「シー」と言って静かにしろと言わなくても誰も音を立てなかった。「シー」なんて言ったらうるさいって言われた、と。フェルナンド・ロブレニョも凄いけど、技術的いったらずっとセサルの方が上ね、と。
明日はアランフェスにセサルを見に行く。闘牛をやる前に会えるようになればいいが。そして、良い闘牛が観れると良いが。
5月30日(金)
昨日、「明日ホテルに行って闘牛服に着替えているところの写真が取りたい」という俺の我が儘をセサルは聞いてくれて、今日の16時半にホテルに来るように言われた。マスコミ関係者でもこんなに上手い具合には行かないだろう。例えコネがあっても。セサルとは、闘牛士とファンと言う以上に信頼がある。もうずーとセサルを追いかけて闘牛を観てきている。いつも会っていたし、家にも招待された。それでも、セサルと会うとなると誰に会うときよりも緊張する。セサルは永遠に俺のイドロなのだから。
これから準備万端か確認して飯を食って出かける。心配なのは雨。闘牛が観れるかどうかは判らないがアランフェスでセサル・リンコンに会ってくる。
「 古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた
いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ
晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
思い出遠くあせても
おもかげ探して よみがえる日は 涙(なだ)そうそう
一番星に祈る それが私のくせになり
夕暮れに見上げる空 心いっぱいあなた探す
悲しみにも 喜びにも おもうあの笑顔
あなたの場所から私が
見えたら きっといつか 会えると信じ 生きてゆく
晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
思い出遠くあせても
さみしくて 恋しくて 君への想い 涙そうそう
会いたくて 会いたくて 君への想い 涙そうそう 」 ーー歌詞、森山良子。歌、夏川りみーー
5月31日(土)
ホテルのロビーで待っているとエドガールが来てセサルの部屋番号を教えてくれた。ここに行けばいるから。ありがとう。部屋の前に行くとTVEの取材班がいた。ノックして入っていった。セサルがベットの上で白いタイツにピンクの靴下をはいているところだった。ルイス・カルロスがそれを手伝っている。「闘牛復帰、おめでとう」「オラ、サイト、ありがとう」それから体調のことや以前の傷の事を聞いた。もう着替えが始まっている。あまり話が出来ない。カメラを用意して撮影開始。ズボンをはいていることにTVEの取材班が入ってきて、「マエストロ、それそろいいでか」と聞きに来た。それから入ってきてライトをセッティングした。おかげでシャッタースピードが上がった。有り難い。
Yシャツを着てネクタイを締める。それからYの字のキリスト像(3cmくらい)を手にとって簡易カピージャの前でお祈りをする。十字を切り唇に何度かキリスト像を付けて針と糸でネクタイに縫いつける。その間にルイス・カルロスは、ズボンのボタンをはめていく。ひもをコップに入れた水で濡らしながら絞って金属のボタンを金属のボタンをする為の道具を使ってはめていく。TVEの取材班は入ってきたときセサルとルイス・カルロス、そして、僕にも挨拶をした。カメラの角度ではかなり僕の姿が映っているだろうと思ったがそんなことを考えても仕方がない。写真を撮ることに集中した。
縫い終わるとまた、簡易カピージャに向かってお祈りをした。声を出さないで祈って、十字を切り右手の指を唇に持ってくる。何度も同じ仕草をしていた。それをルイス・カルロスが観ながら、次の準備をしたり、ズボンやYシャツから出ている糸をハサミで切っている。チョッキを着て、モンテラを持ってトイレの洗面所に行く。ここでモンテラをかぶり、コレタを付ける。TVEのカメラがでかくてセサルの顔が取れない。TVカメラには触れないのでわずかに残ったスペースからシャッターを切った。
それから戻ってきて、上着を着る。着る前にルイス・カルロスは白いハンカチを入れたい、上着を両手で掴んで着やすいように用意して着せた。TVEの取材班はこの辺で出ていった。それから靴下の先を摘んで寄せた先を指下に折るようにたたんで靴を履かせる。右足から始まった。靴を履いたら体を少し動かして大丈夫かどうか確かめていた。それからもう一度洗面所に行き櫛で髪を整え少し香りのする整髪剤の様なものを付けてまた櫛を入れた。「モンテラは何処に行った?」「未だ入れ物の中に入っています」またモンテラをかぶりかぶり心地を確かめて、最後に簡易カピージャの前に行きお祈りをしていた。そこで僕の撮影は終わり。
闘牛の始まる前、しかも、復帰して3,4回しかやっていないのでセサルはネルビオッソになっている感じがした。以前ラス・ベンタスのサン・イシドロに出る前にホテルで撮影したことがあったがその時よりお祈りの回数も多いと思ったし、1回の時間も長かったような気がする。
撮影を終えて部屋を出てルイス・カルロスにお礼を言った。外にはアドルフォとマヌエル(2人とも以前セサルの所でやっていた。アドルフォはコロンビア人で、マヌエルは去年までエル・フリの所にいた)がいた。ロビーでも挨拶している。そして、ミゲル・クベロ。あのジージョの弟で兄はホセリートの所に13年以上付いている。去年までホセ・トマスのバンデリジェーロをやっていた。そのことをミゲル・クベロに言うと、「シー・セニョール」と言った。「皆さん、スエルテ」と言って下に降りた。ロビーの前には、ホセリートとセサル・ヒメネスのバンデリジェーロが闘牛士を待っていた。ファン・クベロやエル・ピリがいた。
ロビーで闘牛場まで歩いて何分かかるか聞くと15分ぐらいと言うので闘牛場に向かうことにした。開始まで後30分もなかったからだ。着替えは大体30分くらいかかっている。以前と変わっていなかった。この日セサルはソルテオがついていなかった。悪い牛2頭がセサルの牛になっていた。それでも耳1枚取ったファエナには感心した。やっぱりセサルの闘牛は距離が重要だ。あの距離の掴み方は凄い。無名だった頃もああやって真剣に無心にムレタを振っていたんだろう。未だ、バンデリジェーロの呼吸などは合っているとは言えない。数をこなさないと合ってこないだろう。アドルフォよりミゲル・クベロがリーダー・シップを取る必要があるだろう。
6月1日(日)
今日は朝早く起きてこれからマドリード近郊をめぐる観に旅行へ行く。終わったらそのまま闘牛を観て帰ってくる。下山さんも来るのでそこで話が出来る。昨日の騎馬闘牛は途中から雨が降ってきて濡れた。気づいたことだが、闘牛の時は1/10くらいに観客が減るのが通常だが騎馬闘牛は1/2以上が雨の中で騎馬闘牛を観ていた。これには驚いた。
所でここ3週くらいヒット・チャート1位を続ける、 La oreja de Van Gogh と言うグループがいる。 La
oreja だから耳1枚なのだが、これってゴッホが切った耳のことを言っているのか、それとも、残った耳のことを言っているのか?気になるところだ。この疑問を、josemiさんに言ったら、そんなこと考えたこともなかったと、言う答えだった。
6月2日(月)
もう月が変わって6月。日本に帰る月になった。朝、両替に行ってきた。最後の両替。これでお金が足りなかったらカードがある。何人かにTELした。かからない人もいた。昨日のマドリード近郊の遠足に下山さんが来ていてセビージャに行くスケジュールを組んだ。9日から16日頃までいてマドリードに帰ってくる。8日がベンタスで毎週やる日曜日の闘牛を観て、15日は、セビージャで仔牛の闘牛を観るだろう。18日はグラナダ。19日はベンタスでベネフィセンシア。22日トレド。23日がレオン。体力と金が続けばこういう闘牛観戦になるだろう。23日が今回の最後の闘牛になる。今週は金曜の昼と日曜日の昼は埋まった。
両替に行っていたときは天気が良かったのに空に雲が出てきた。
6月3日(火)
1日サン・フェルナンド・デ・エナレスの闘牛を観てきたTさんが物凄く良かったと言っていた。フェルナンド・ロブレニョの生まれたところ。地元の闘牛士に地元ファンは酔ったようだ。Tさんが言うには、こんな田舎でクルサールしなくても良いのにクルサールして3,4回コヒーダされそうになって危なかった。普段やらない技を全部出して観客を楽しませたようだった。牛の前でムレタも剣を投げ捨て、歌舞伎の見栄のように大げさなジェスチャーで見栄を切ると大喝采だったそうだ。ベンタスなんか最低の牛で最低の闘牛だったのに観に行きゃー良かったよなと、悔やんでも予定なのあり仕方がなかった。田舎闘牛もやっぱり良いのだ。
ラス・ベンタス闘牛場には多くのアフィショナードが連日通っている。サン・イシドロが始まった1947年から通っている人だっているのだ。闘牛に興味を持って通いだし、好きな闘牛士が出来てその闘牛士を楽しみに通い、やがて、その闘牛士が闘牛場に出なくなりその内、牛を見に来るようになる。何百人もの闘牛士を観て何千頭もの牛を観てきている。下山さんの事もアフィショナードはちゃんと知っている。セビージャに未だにいてリハビリをしていることを彼らは忘れずに覚えているのだ。人が死ねば入場行進の後に死んだ人たちのために、黙祷を捧げ、重油流出事故があればその事故のための資金を集めるために慈善闘牛をやり、身体障害者のために毎年慈善闘牛をやる。
闘牛はスペイン社会との関わりなしには成立しないイベントであり祭りなのだ。そのことを解っていずに残酷な見世物だなどと日本人や外国人観光客が言うのは、スーパーでパック詰めの食肉しか食べたことがない、およそ、社会のシステムや自然の摂理を無視した感覚だ。人間は生きるために、他者の命を奪うことでしか生きていけないのだ。植物の命を奪い、動物の命を奪い食べ物や色々なものに活用して何千年、何万年も命を繋いできたのだ。闘牛はこういう事実をこれほどまでに儀式化して直接的に観る人たちにそういうことを伝えているのだ。そのことを理解していないとダメだと僕は思っている。
サン・イシドロは、今週は良い牛が出てくる。ところで22日トレドに行く予定でいたがセサルが出なくなったので取りやめになるだろう。
6月4日(水)
昨日のカリファの闘牛は良かった。3頭目の闘牛の時に泣けてきた。あれだけ悪い牛を相手に良くあれだけパセを繋いだものだ。左角がブスカンドする危ない牛にも関わらずクルサードしてパセを繋いだのは見事だった。Mさん夫婦は辛口であれは合わせて耳1枚と言っていた。ちょっと記憶がちぐはぐなところがあるが、6頭目の牛はパセの後、逃げていく牛。あれは牛を知らないと。タブラに向かってパセをすれば牛はタブラで止まるので逃げないのだと。これは確かに卓見だった。でも、あれは合わせて耳1枚というのは納得できない。現実に耳2枚だったからと言う、初心者のような事は言わない。耳1枚が2回だったと思っている。
番長や、Wさんもどちらかというと耳1枚派。終わった後、バルに行って侃々諤々(かんかんがくがく)話をした。みんな僕のなだめ方を知っている。セサルの良いときの話をすればおとなしくなるからだ。でも、あの当時のセサルって本当に凄かったのだ。番長やMさんがセサルのファエナでスペイン人たちが感動で腕を見せて、鳥肌になっているほど感動していると語った事や、剣刺しの時に、「シー」と言わなくても水を打ったように静かになったこと、逆に、「シー」というとうるさい黙れとと言われるほどみんなが夢中になって観ていたことを話した。もうそんな話をされると僕は黙って聞き入って涙ぐむしかなくなるのだ。
帰りに番長とメトロに乗った。その時、聞きたいことがあったので聞くと、非常に参考になる答えが返ってきた。やっぱ、亀の甲より、年の功。何か目覚めさせられたような気がした。下山さんにTELを入れカリファの話をした。3頭目のブエルタの時にエウヘニオが、ドス・ブエルタと耳1枚じゃ全然意味が違うと怒っていたそうだ。その通りだ。その反省からがプレシデンテのファン・ラマルカは6頭目で耳2枚を出した。下山さんが言うには始めの時は白いハンカチが少なかった。6頭目の時は、白いハンカチが多かったと。だから、始めの時はみんなもう耳1枚だと思っていたから振らなかった。と言ったら、それはハンカチを振らなかった人の責任だ。耳だと思ったらちゃんとハンカチを振るべきだと。
確かにその通りだ。耳だと思っても僕もハンカチを振らないことが多い。格好付けているのかも知れないと反省する。でも、カリファの闘牛に対しては今年はノートを振ることが多いが、ちゃんと白いちり紙を出して振った。
今日は天気が悪い。曇り空。雨が少し降ったそうだ。どうしようかなカメラ。そういえば、昨日のプエルタ・グランデの写真を撮れなかった。カメラを持って行っていなかったからだ。バカチョンだけでも去年まではいつも持って行っていたのに今年は・・・。失敗した。
6月5日(木)
今日も天気が悪い。昨日は結局カメラは持って行かなかった。雨が降ったし闘牛は最悪だった。あれだけいつも悪い牛ばかり良く集めるもんだ。サン・イシドロのアボノを持っているいる人は怒っている。そこかしこしで、布きれに不満を書いてものを持ってきて広げて賛同を得ている。その不満は、興行主のトレスマ2(ロサノ)やプレシデンテ、ガナデロ、コムニダ・デ・マドリードにちゃんとした形で言うべきだと思う。テレマドリーでもアフィショナードの不満をインタビューして流している。毎日金払ってきている人は、「バジャ・フェリア」と叫びたくもなる。だからといって闘牛士に八つ当たりするのはおかしい。
昨日の闘牛士の退場の時に口笛が鳴り、座布団が飛んだ。ホセリートは何も悪いことしていなぞ。悪いのは牛だ。牛を代えないプレシデンテだ。
今日は今回撮った写真の整理をしていた。アランフェスの写真は未だ取りに行っていないが、他の写真を観た。セビージャのもあるが18日ビスタレグレで撮った写真は素晴らしい。特にモランテの写真は本当に綺麗だ。
昨日テンディド・セロをやったいた。サン・イシドロのカリファのプエルタ・グランデなど。カリファのインタビューがあった。アランフェスのセサル・リンコンの所に来ていた取材班が撮ったビデオも流していた。僕も映っていたがズボンと靴だけ。顔を映すと放送コードに引っかかるからだ。(笑)カリファは、1日の父親が死んでからベンタスに3日に出ているまで寝ていないし、食事もしていなかったそうだ。父親の死の悲しみを乗りこえて出場してプエルタ・グランデした。
スペインにいるのも後3週間になった。未だサン・イシドロをやっているから毎日闘牛を観れるが、これが終わると段々日本に帰る現実が迫ってくる。
6月6日(金)
闘牛の会を日を間違えてHPに載せていたことが判明し修正した。第2土曜日って解っているのに自分が行かないとカレンダーも良く見ない。困ったもんだ。これで、間違えて来たら俺の責任になるのかな。ちゃんと観ている人がいるんだ。御免ね。
昨日の闘牛場は非道かった。闘牛も非道かったが、後ろに座った女が最悪。下品。コーニョ、ミエルダ、カブロン、イホ・デ・プータの連発。それをのべつ幕なしでかい声で喋っている。アボノを持っているスペイン人もビックリして後ろを振り向いていた。アンダルシア訛のだみ声の様な声でうるさいのなんの。お前がプータだろうと言いたくなった。4頭目が終わって闘牛も面白くないし本当に帰ろうかと思った。幸い前の席が空いていたのでそこに座ったら、闘牛が集中して観れた。ああいうのは、言っても判らない馬鹿。馬に顎でも蹴られてしゃべれなくなれば良いんだ。
6月7日(土)
この前買ってきたニュー・オリンズ・ジャズのCDを聴いていると楽しそうな演奏に聞こえる。録音当時どういう状況で録音されたのか解らない。だから、それが本当に音楽を楽しんで演奏していたのかは知らない。知らないが聴いている方はそう感じるのだ。ああいう土臭さが好きだ。闘牛は、闘牛士を持ち上げて耳をドンドン取らせる闘牛場と、ラス・ベンタスのように他の闘牛場と異常なくらい厳しい評価を下す闘牛場がある。闘牛士は、地方や田舎の闘牛場で、「オーレ」のコールで耳をいつでも取れて気分が良いだろうし、自信もつくだろう。でも、そういう闘牛場で自信を持ってラス・ベンタスへ来ても通用する闘牛士は限られている。
楽しく闘牛をしたい、観たい、というのは解る。でも、その楽しさの中に、技に対する厳しさや、研究、真剣さやひたむきさがなかったらラス:ベンタスではおよそ通用いない闘牛士になっていくのだ。闘牛とは、いかに肉体を動かし、牛から良いパセを引き出すかにかかっている。だから、どんな牛にも対応できる牛への知識と経験、理解力を必要とする。そうでなければアレナで生き残って行けないのだ。楽しい闘牛。僕も好きだ。でも、チャラチャラした闘牛は大嫌いだ。そんな闘牛士もいても良い。客を惹きつけるためには色々な闘牛士のタイプが存在しないと闘牛自体が生き残っていけなくなるからだ。
その上で言うけど、良い闘牛、感動する闘牛を観たいのだ。そして、サン・イシドロにはそれがある。
明日どうしようか未だ決めていない。取りあえず今から写真を取りに行ってくる。その途中にでも考えよう。
6月8日(日)
昨日は闘牛を観てから番長とMさん夫婦の所に行き飲んで泊まった。それから、10時には起きて10時半にお礼を言って家に帰ってきた。それから12時半に榎本さんと待ち合わせで、それから帰ってきて飯を食ったらもう16時。昼寝して起きたら17時。だから、昨日の観戦記は未だ書いていない。これから闘牛を見に行くが、その前に闘牛の会用の原稿を書かないといけない。時間がない。
6月9日(月)
昨日は寝不足と疲れとやらなければならないことがあったため、マドリードのmayumiさんとヘタフェで、ビクトル・プエルト、アベジャン、チャマン・オルテガを観たかったが時間がなくなり行けなかった。代わりにラス・ベンタスに行って闘牛を観た。全然期待していなかった。切符もテンディド7の27列目(テンディドの最後の列)を買って観た。所が、やっぱりやる気があって面白そうかなと思ってみていたら、2番目に登場したフランシスコ・ホセ・パラソンというアリカンテ出身のノビジェーロが良い闘牛をしていた。
ベロニカをするときにパセを通す方に体を寄せてピトン・コントラリアの方までクルサードをして牛を誘っていた。ベロニカもまあまあだった。ムレタではちゃんとクルサードするのは勿論だけどパセ・デ・ペチョをやった後に牛から距離を取って牛に息を入れさせてからまたクルサードしてパセを繋いでいた。多分お金がなくてだろうが、未だ回数をこなしていない。だから学ばなければならないことがある。
課題となるものは、牛を移動させるときのムレタの使い方。チョコチョコやっていると牛が動かなくなる。無駄な牛の移動をしない。意味がある牛の移動。理に叶った移動ならその後、牛がそれまでよりも動くようになるだろうがそうじゃない場合は、牛が動かなくなるので止めた方が良い。それと、パセをした後、そのまま逃げていく牛はどう対処するかも今後必要になってくるだろう。昨日も対処していたがあれでは足りないときがある。その時にどうするか知っておくべきだ。
こういう課題を挙げたが昨日の中で1番才能を感じたからだ。他2人はあまり興味が持てなかった。耳を取ったロベルト・ガランは、あれはその内、つぶれそうで、ヘスリ・デ・トレセラは、良いアポデラードが付いていながら1番期待薄だった。もうその内いなくなるだろう。
今日も用事があって出かけていた。もう少したったらまた出かけなくてはならない。闘牛の会用の原稿は送った。が、未だ6月7日、ビクトリーノの闘牛観戦記を書いていない。
6月10日(火)
朝起きて用事を済ませてTELした。堀越さんはようやく時差ボケが解消したようで、「明日会おうか」といったが、セビージャに行くので会えない。話を聞いているとグラナダに行くという。だから18日グラナダで会うことにした。闘牛場で会いましょう。下山さんに会いに明日からセビージャに行く。TELしたら、「未だビクトリーノの牛の時の観戦記は書かないんですか?」とせっつかれた。時間がなくて書けないでいる。今日は夜、三木田さんと会うのでそれまでに時間があれば書ける。全部ではなくても・・・。
最近、マドリードは暑い。歩いていると汗がダラダラ出てくる。セビージャはおそらくもっと暑いだろう。ウーゴのように舌を出して歩かないとダメかも知れない。
セラフィン・マリンが腕を骨折して、明日手術をするようだ。右腕だと思っていたがYさんの話だと左腕だという。それも手首。捻挫よりかえって骨折の方が後に残らないかも知れない。でも、ちゃんとなおしてからじゃないと変な癖が付くんじゃないかと心配してしまう。もう君はフィグラと一緒にやる闘牛士になったんだから。
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