−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年のスペイン滞在日記です。
6月12日(木)
昨日はアトーチャからAVEに乗ってセビージャに来た。下山さんの家に着くとご飯が炊けているというので中華料理で昼食。それからビデオをちょっと観て買い物を色々して戻ってくると買い忘れたものがあってそれを買いにまた出かけ戻ってきたらTVでスペインと北アイルランドの試合をやっていてそれを見てから遅い夕食を作りそれからウーゴの散歩に出かけた。だから昨日は日記が書けなかった。
散歩の後、テンディド・セロを観た。ゲストにビクトリーノ・マルティン(息子)が出ていた。もう親爺の方は飾りになったようで実質牧場を動かしているのは息子の方。娘が2人いてエンジニアをやっているそうだが、テンタデロがあると好きで戻ってきて手伝うのだそうだ。牧場は2人の娘のどちらかが継ぐようだ。名前は何というのか知らないがビクトリアーナとでも言うのだろうか、それとも、ビクトリア?
彼は最後のフェルナンド・ロブレニョのファエナは剣が決まっていれば耳2枚だったと、言っていた。確かに1回ピンチャソになったときに起きた拍手にはそういう雰囲気があった。いずれにしろ、フェルナンド・ロブレニョは今年のサン・イシドロに3日間出場して3回とも良かった。剣刺しを失敗して耳を3,4枚なくしている。剣が決まっていれば間違いなくトゥリンファドールになっていただろう。
もう1人のゲストは、ラス・ベンタス闘牛場の興行主の親玉、ロサノ。アフィショナードのインタビューなど流したり質問が飛んだり。牛が悪いという大勢の意見があり、そして、「何故、ハンディージャやファン・ペドロ・ドメクの牛を出さないのか?ミウラの牛も」 という質問があり、それに対してロサノは、アルバロ・ドメクの所の牛はラス・ベンタスに出すには小さいのだ。と、言っていた。でも、アフィショナードはみんなハンディージャやファン・ペドロ・ドメクの牛を観たがっているのだ。これは、おそらく、ロサノとアルバロ・ドメクの仲が悪いから牛を使わないのだろうと推測される。
マドリードのアフィショナードのインタビューで、闘牛士についてどう思うか、と言うのがあった。闘牛士も悪い、とか、昔に比べて闘牛士が悪くなったと、言う意見があった。でも、そうかなと僕は思う。僕が初めてサン・イシドロを観た91年に比べると遥かに闘牛士のやっている闘牛の技術は向上している。あの当時は、セサル・リンコン以外は牛を誘うときにムレタを体の前に出して誘っている闘牛士なんていなかった。だから、革命的だった。でも、今はそういうスタイルで闘牛をやらないと耳を切れない。
92年エンリケ・ポンセが出てきてから、ファエナの始めのパセは、膝を折ったパセが主流になった。その方が悪い牛でも、牛の特性が分かり易く扱いやすいし、その後のファエナでどういうことやったら良いかが分かり易いからだ。カポーテのバリエーションが増えたのもホセリートの影響も大きいだろう。あれほど多様なカポーテ技を披露した闘牛士はかつていなかっただろう。また、ホセ・トマスが出てきて、クルサードを繰り返して動かない闘牛をやるとこれを上回る闘牛がないのではないかと、感じたはずだ。だから、今年セラフィン・マリンの登場は衝撃的だった。ホセ・トマスと同じ様なことが出来る闘牛士が、いるぞ、と言う驚きにラス・ベンタスが沸いたのだ。
TVのインタビューで、牛も悪いが、闘牛士も悪い、というのは良く判る。でも、昔に比べて闘牛士の質が落ちたとか、悪くなったとか言うのは、年寄りの言い草だ。ちゃんと闘牛を観ていればここ10年だけでも闘牛は変わり、より質の高い闘牛士が出てきているので、そこそこ良い闘牛などでは、よっぽど若いとか、有名な闘牛士の家系出ないとスターになれないだろうし、ラス・ベンタスで耳を取ったり、プエルタ・グランデする事は出ないだろう。
サン・イシドロは長くないか?と言う質問もあった。大勢は長いというものだった。それはその通り。もっと厳選して短くして内容を濃いものにすれば良いと言う意見は理がある。でも、ロサノの悪口を散々言うアフィショナードでさえ、闘牛の興行として大成功を納めていることは誰の目にも明らかなのだ。出てくる闘牛士が良くないとか、牧場が悪いとか、色々文句があるが結果的にはロサノ側がスペインの闘牛興行の繁栄に尽くしているということになるのかも知れない。
でも、一つ付け加えておく。闘牛の興行をやる人間も、アフィショナードも年を取ってきた。昔は、闘牛士が退場する門の上にハンチングをかぶった爺さんがいてその日の闘牛が悪いと、その辺にある座布団を集めて闘牛士に向かって投げていた。座布団を集めているときから怒っていた。そんな爺さんも少なくなってきた。アボノで初めて見た、Tさんは隣や前の爺さんとよく話していたが、最終日にその爺さんに言われたそうだ。「俺はもうすぐ退場していく人間だ。T、お前はこれからも長い間、闘牛を観ていく人間だ。だから、『・・・・・・』 と言う闘牛の見方を書いた本があるからそれをしっかり読んで闘牛を勉強してくれ、そして、ちゃんと闘牛を観ていってくれ」と、言ったそうだ。
その爺さん、1947年から闘牛を観ているという。つまり判りやすく言うと、サン・イシドロが始まった年から50年以上もラス・ベンタス闘牛場に通い続けたアフィショナードなのだ。爺さんが、Tさんに言った、「俺はもうすぐ退場していく人間だ。・・・・・・闘牛を勉強してくれ、そして、ちゃんと闘牛を観ていってくれ」 という言葉は爺さんの闘牛を心から愛するアフィショナードへ対する遺言なのだろうと、僕は聞いた。そして涙が出てきた。
闘牛士も自分の目に叶った闘牛士がいれば援助したり教えたりする。自分の技術を、闘牛の技術を後世に伝えようとする。50年以上闘牛場に通い続けているこよなく闘牛を愛する爺さん。世界一のラス・ベンタス闘牛場はそういう無名のアフィショナードに支えられていることを僕たちは忘れてはならないのだ。爺さん、俺は観て行くよ。爺さんも退場しても、天国から観ていて下さい。そして、闘牛とは、良い闘牛と、良く知っているアフィショナードがいて初めて成立するのだ。爺さんはそのことを身に染みて判っている本当のアフィショナードなのだ。元気ならまた会おう、ラス・ベンタスで!ダメな闘牛にはプロテストして、良い闘牛にはオーレを叫び、感動した泣こう。何故なら僕等はアフィショナードなのだから。
6月14日(土)
12日の夜、散歩中にウーゴが他の犬を追いかけて何処かに消えてしまった。捜索の結果見つかったが、脚から血を流して発見した。家に連れてきてバスで水を掛けて傷口を綺麗に、それから傷口を観た。脚の皮が擦り剥けて血が出ているのが判った。アスファルトの上を全力疾走して脚の皮がむける犬というのを初めて見た。他の箇所は異常がないようだ。傷口をオキシドールで消毒した。消毒液が傷口に染みると痛がっていた。その仕草がいつも元気なウーゴを見ているものにとっては可笑しかった。
前脚の傷口を舌でペロペロ舐めていた。翌日、まゆみさんが帰ってきてから獣医の所へ連れていった。診断、処方箋を書いて貰い、消毒して軟膏を付けて朝起きたら、前日よりは良くなっていた。殆ど歩けない状態から震えながらでも歩けるようになった。1日以上もおしっこをしていなかったが朝、ようやくした。でも、ウンコが未だ出ていない。今は消毒して軟膏を付け、寝ている。起きたらもう少し元気になっているだろう。
昨日はそんな状態で色々あって日記も書けなかった。セラフィン・マリン、フェルナンド・ロブレニョ、エル・カリファ、などのビデオを観た。
今日は闘牛の会。
6月15日(日)
今日は、朝起きたらウーゴが小便を3回したと下山さんが言っていた。朝食を食べてウーゴの脚の消毒をして塗り薬を付けた。昼食を取る頃にはヨタヨタしながら小便を庭でして、夕食を取っていたら匂いを嗅いで立ち上がってきて欲しそうにしだした。怪我をしてから初めて事だ。大分元気になってきた。未だ、ウンコをしていないが明日辺りはするんじゃなかな。夕食はちゃんと食べさせて、自分で水を飲みに歩いていって水飲み場に舌を出すために台に上った。昨日までは痛がって歩くのも大変だった。階段なんて転げそうになっていた。それが大分良くなった。薬を塗るときは痛くて、「ウー」と唸っているが塗らないと治らない。
今日は昼食後に、ビデオテープを買いに出かけ、今後の事を話してきた。下山さんは自分の目標を、僕は僕の目標をやっていかなければならない。
夕食を食べながらレアル・マドリードとアトレティコ・マドリードの試合を見た。ロナウド、ラウルが2点ずつ入れて4−0で圧勝。レアル・ソシエダがセルタに2−3で敗れこれで後1試合を残してレアル・マドリードがソシエダに勝ち点2点差をつけて首位になった。レアル・マドリードはビルバオと、ソシエダはアトレティコ・マドリード。サンティアゴ・ベルナベウに最終戦を見に行きたいけど切符なんか手に入らない。
ラス・ベンタスではマンサナレスとルイス・ボリバルが耳1枚を取った。トレドでは、復帰したヘスス・ミジャンが剣刺しでプエルタ・グランデを逃したようだ。明日マドリードに帰る。
6月17日(火)
昨日セビージャから帰ってきて何かやろうとしたが、疲れて昼寝をした。寝たのが多分朝の5時頃だったのでそうなった。起きて夕飯を食ってKさんとYさんと話していたらもう24時近くになってネットを繋いでいたら眠くなって寝た。今日の目覚めも凄く眠かった。でも、起きて色々やっていたら目が覚めてやることやって昼飯を食ってまた、眠くなったのので寝た。その間にデフラグをしておいたので起きたときには終了していた。それからシャワーを浴びてマドリードのmayumiさんと会った。
コーラを飲んで話した。まっそういうことで、成るようになる。成るようにしか成らないとも言うが。3時間くらい話をした。闘牛の話が多かったけど。それからFNACに行ってCDを観て、コルテでパソドブレのCDを買ってきた。と言っても歌入りのやつ。帰ってきて夕飯を食ってビールを飲んでいるところ。明日はグラナダで闘牛を観る。荷物の準備をしてから寝ることにしよう。朝早く出て帰ってくるのは19日の午後。それから一休みしてベネフィセンシアに行く。
6月20日(金)
眠くてゆっくり起きて昼寝でもしてから買い物でもと思っていたら、19時からTVEで闘牛中継がある。所がトレドのカルテルを観たら18時半開始。始まっていた。これを観ないとダメだ。だから、買い物は明日するだろう。昨日は闘牛が終わってコロキオに行こうということになって、またみんなで集まった。闘牛の話じゃなくて仕事の話になって盛り上がっていた。そろそろソルで闘牛を観ていると暑くて怠くなる季節になってきた。昔は7月8月も平気で、ソルで観ていた。今ならばてるだろうなぁ。
暑くて喉が渇いたので、ビールが美味かった。今年初めてアボノで観た人、2年目の人、何年も観ている人、番長のように20年ぐらい通っている人。みんな目が肥えてきて少しぐらい良くても良いとは言わない。その点グラナダで堀越さんとTさんと観たときはファンディのバンデリージャが凄くて、こんなの始めてみたとビックリしていた。グラナダ行ったらファンディを観ないと意味がない。大騒ぎの闘牛場の中で後ろに下がりながら、ビオリン、バンデリージャを半分に折って刺したり、膝を着いて牛を誘いキエブロなどをしてその後に牛の周りを廻って大喝采を浴びて、「トレロ」コールも起こっていた。初めて見るならファンディの闘牛な闘牛の方が面白いだろう。そして、闘牛への入り口としては最高かも知れない。
でも、最高の闘牛というのはなかなか観れない。ラス・ベンタス闘牛場では最高の闘牛が観れることがある。他の地方の闘牛場ではベンタスのような緊張感がないので、よっぽど良い牛が出て闘牛士がその気にならないと最高の闘牛は観れない。でも、地方の闘牛場の方が耳が出やすいので初心者向きだ。ガイドの人の話を聞いていると闘牛の前のちゃんと説明・解説をしておくと、ちゃんと闘牛を観るそうだし、あんな残酷な見世物と言うような、苦情は圧倒的に少なくなるのだそうだ。
6月21日(土)
今日は思いがけずにセサルに会った。11時に家を出て23日のバスの切符を買い、FNACに行ってフィルムとCDを買って、くまさんが待つ日本料理店、Dに行った。そこでつらつら話をして日曜日のうどん大会は中止になったことを知った。最後に来年のことなど話して別れ、アナスタシアさんに会いに行った。明日のことがあるし、今日闘牛学校へ一緒に行こうと誘った。17時過ぎに待ち合わせてTELをした。今日はノビージョがあるという。バタンへ行くといつも入場料を取られるのに人がいない。中へ入っていくと人が割といた。
闘牛学校の事を聞いていたが、今日だけ来た人のようで判らないと言う。今日やるノビージョのポスターを観たら、牛がエル・トレオン牧場だった。「あっ、セサルの所の牛だ」といって観ていた。女性闘牛士も1人出場する。そして、闘牛学校の方へ歩いていったらサングラスをかけたセサルが歩いてきた。もう廻りを人が囲んでいる。「オラ、セサル」 「オラ・サイト」 「30日はありがとう」 「ナダ」 そんな挨拶を交わしただけでオフィスの前に行った。でも、30日のお礼を未だ言っていなかったので言えて良かった。それから関係者が待っていたようで向こうへ行って話をしていた。今日はガナデロだ。後から、ルイス・カルロスとアドルフォ、新しいピカドールのルイス何とかが来た。
ルイス・カルロスと挨拶してグラナダの脱臼した牛の事を言ったら、あんな牛は初めて見たと驚いていた。そして、本当は観る予定ではなかったノビージョをセサルの所の牛でセサルが来ているので観ることにして、時間が来たのでアナスタシアさんは帰り僕は闘牛場の中へ入った。メンバーは多分闘牛学校の生徒たちで、ペドロ・カレロ、アナ・インファンテ(女)、ファン・オルティス。1頭目は普通の牛。でも、良いパセを出来ない。2頭目は、後ろ脚を引きずりながら走る牛で、いわゆるインバリドの牛。でも、下手。3頭目は非常に良い牛でファエナも1番まともで耳2枚の出来だったが剣が刺さらない。
4頭目は、一生に1回出会うか出会わないかという物凄く良い牛。牛が良いからパセが繋がっているけど上手い人がやったらインドゥルトしても可笑しくないような牛だった。これも剣が決まらず耳を取り損ねた。場内1周。お前が廻らず牛を場内1周しろと思った。今日は耳が出ないかと思った。5頭目も非常に良い牛だった。この女が1番下手。何考えてるのか、ムレタを牛に合わせて振ることが出来ないだけじゃなく、あれほど良い牛なのにムレタを最後まで振れないし手が高い。頭を抱えそうになった。牛が勿体ない。この牛だって場内1周して良いような牛だったのに。良くもあれほど下手くそに出来るもんだ。それでも牛が良いから剣が決まれが耳2枚出ていただろう。アナはカポーテも下手ならムレタも下手。剣はもっと下手。どうやって耳を取ろうとしているんだろう。牛が勿体ないよ。生徒を見守っている先生らしい人が怒鳴りつけていた。当然だ。何もかも勉強不足だ。
6頭目も良い牛だった。1番まともだけど、彼も未だ力量不足。クルサードもしているし距離の取り方も3人の中では1番良いがそれだけでは充分じゃない。パセ・デ・ペチョの後の牛からの離れ方も良い。始めのノビジェーロは何度もコヒーダされていた。でも、もっと上手く牛を扱えるはずだ。牛に運動を強いられているようなパセだ。ようやく剣が1発でメディアのカイーダで決まり耳1枚。おい、ちゃんと決まってたら2枚出てたんじゃないの?
牛は2頭目のインバリドの牛を除いて1頭目、3頭目から6頭目まで良い牛だった。4頭目と5頭目は本当に良い牛だった。終わって出てきたルイス・カルロスに、「今日は最低6枚の耳がなくなったね」 真顔で、「そうなんだよなぁ」とガックリ肩を落としていた。それから違う話をしてから、僕の話もしたがそれは良いとして、今年のコントラートはどのくらいあるのか聞いた。そしたら、100回あるが実際やるのは50回くらいになるんじゃないかなと、言っていた。今年はラス・ベンタスに出なかったけど来年は出るのと聞いたら、来年は出ると言っていた。良し、また来年来よう!そういう気にさせてくれる嬉しい言葉だった。
セサルのお父さんも相変わらず元気。最後に生徒たちや関係者に囲まれているセサルの所に行って挨拶して帰ってきた。家に着いたのは21時半だった。日本なら仕事以外でこんなに家を空けることはあまりないな。
6月22日(日)
さっき帰ってきた。闘牛が終わった後、三木田さんと会ってプエルタ・グランデに行って3人で飲んだ。その後、夕食を食べに行った。途中のバルで、「ゴール」とみんなが叫んでいるので聞いたら3−1でレアル・マドリードが勝っているという。アナスタシアさんと三木田さんは初めて会った。紹介して闘牛の話ばかりした。闘牛観てるときから彼女には色々説明したけど、闘牛観ていないでも闘牛の説明や話は出来る。
今日は、コンフィルマシオンをしたセルヒオ・マルティネスが1頭目で耳1枚。2頭目でエンカボが耳1枚。ヘスス・ミジャンは2頭とも牛が悪く良いファエナが出来なかった。セルヒオは6頭目でも耳を切りそうなファエナをしたが剣が決まらずにプエルタ・グランデを逃した。一生に一度のチャンスだったかも知れないのに・・・。運のないヤツって言うのはこういうものだ。フェリア・デ・オトーニョへの出場や来年のサン・イシドロへの出場が出来たかも知れないのに・・・。
0時頃まで食事をして話をして帰ってきた。TVをつけたらシベレスでの騒ぎを中継していた。その後に、優勝した試合を振り返ってチャンスやピンチのVTRが流れたので観ていた。明日はレオンに今年最後の闘牛を見に行く。セサル、ホセリート、ポンセ。91年、92年当時と同じ顔ぶれだ。
6月24日(火)
昨日はレオンに行って今年最後の闘牛を観てきた。セサル・リンコン、ホセリート、エンリケ・ポンセ。92年からこのカルテルは続いている。レオンの闘牛場の観客の入りは半分くらいだったけど、とても闘牛士には暖かいアフィショナードが多い。カポーテを持ってベロニカを繋ぐと、「オーレ」がなり、ムレタでデレチャソが繋がると、「オーレ」がなる。牛が悪いと口笛を吹いたり手拍子をして抗議して牛を交換させる。こういう風に当たり前のことを当たり前にする闘牛場の観客は実はなかなかいない。特に、ラス・ベンタス闘牛場以外は、きっちりとやっていない。セビージャなどでは牛を交換すると次の牛が出てくるまで30分かかるときがあるので、牛の交換を要求しないようになってきた。
良いときは、「オーレ」がなり、もっと良いときは、立ち上がって喝采をする。闘牛士に対してとても誠実で暖かい。最近はTVの影響でラス・ベンタス闘牛場の真似をしている所が多い。でも実は真似になっていないのだ。それだけ闘牛のことを真剣に観ていないし、闘牛全般の知識が足りなすぎるのだ。だから表面上は繕っても中身のない言葉を真似しているだけになってしまう。
セサルは始めの牛で良いファエナをして耳1枚。ファエナが良かったので2枚かと思ったが・・・。ホセリートは5頭目で何とか耳1枚切った。ポンセは3頭目で耳2枚。6頭目でも何故か耳2枚切った。帰りにセサルに挨拶をしてバスターミナルに向かった。途中でペドロが信号を無視して横断歩道を渡っていった。ターミナルに行ってからペドロに声をかけた。ホセ・トマスは闘牛止めたのか、休養しているのか聞いたら、復帰すると言っていた。それから、何故かモービルの番号を教えてくれてTELしろと言っていた。来年ホセ・トマスは闘牛をするのだろうか?
6月25日(水)
今荷造りをしている。何とか規定重量で納まりそうな雰囲気になってきた。今日寿美さんと待ち合わせの前にエル・コルテ・イングレスに寄ってお土産の下見をして出てきて待ち合わせ場所に行こうと外に出て少し歩いて、後ろに泥棒が付いてきていないか確認するため振り向いたら、何処かで観たことがある形が見えた。もう一度振り向いて確認したらやっぱり須佐君だった。22日、レアル・マドリードの試合を見に来ていたのだ。歩きながら話をした。返るのが明日で俺と同じ。今回来るときも成田で会っているし、偶然が重なってしかもマドリードでバッタリ会う。東京じゃバッタリ会わないのに。
暇だと言うんで一緒に寿美さんと会って昼食を取った。寿美さんもビックリしていた。闘牛の会のメンバーが東京で会わずマドリードで会うって言うのが良いよなぁ。ラス・ベンタスならもっと良いけど。時間がないので1時間弱で昼食を済ませ、寿美さんは仕事へ行き、須佐君とカフェテリアへ行って話をした。これも個人的なことになるので書かないことにするが、1時間以上色々なことを話した。こっちが参考になるようなことを言っていた。東京へ帰ったらまた連絡しよう。
さっきまで物凄く眠かったのに今はもう目がパッチリしてきた。これからもう少し荷造りをして酒を飲んで寝よう。寿美さんが今年のサン・イシドロのカルテルを持ってきてくれた。迷っているんだよなぁ。プエルタ・グランデという店に行ってポスターを買うか買わないか。寿美さんがカルテルを持ってきたのでやっぱり買いに行った方が良いのかも知れない。三木田さんも言っていたしなぁ。
6月26日(木)
荷造りも最終段階になった。後はコンピューターなどを詰めて出発、日本へ帰る。ホセ・トマスがいなくても闘牛は面白い。セサルにも会ったし、セラフィン・マリンやフェルナンド・ロブレニョなど今年期待できる闘牛士もちゃんと観れた。日本に帰ったらやることが沢山ある。サン・イシドロ最終日の観戦記を書くこと、宝塚記念の予想をすること、会社に連絡を入れること、そして、色々書かなければならないことがある。それらを消化していかないといけない。帰ったら部屋の片づけもしなければならないし・・・。
ネットで観たら2日前にTVでエル・フリの事をやったらしい。あそこにTV製作会社がメールでビデオを貸して欲しいと連絡してきたがスペインにいるので断った。多分スカパーからでも借りたのだろう。それでか、ここ2日アクセスが増えたようだ。
TELで今日帰ることを連絡して、また来年会いましょうと。もう少ししたらタクシーを拾って空港へ行く。後は日本に着いてからにする。
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