−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年のスペイン滞在日記です。
6月1日(火)
何が悲しいって、7カートン持ってきたハイライトが後、15箱しかなくなったことが悲しい。18日ひく15箱で3箱足りない。3日間どうやって過ごせばいいのか困ってしまう。多分、スペインのネグロタバコを吸わなきゃならないんだろう。もっと悲しいのはセサル・リンコンが怪我をしたこと。もう今年セサルを観れるのは、どう頑張っても2回。9日のグラナダと10日のラス・ベンタスのベネフィセンシアだけ。それなのに出れるかどうか判らなくなってしまった。
朝、セサルの所(エドガール)にTELした。エドガールは、医者は完治まで8日から15日と言っている。今日マドリード帰る。ベネフィセンシア出場については未だどうなるか判らない。もう少し様子を見てからになる。と、言うものだった。セサルの無事とベネフィセンシアと9日のグラナダ出場を祈りたい。
闘牛場は色々な噂が渦巻くところだ。昨日の闘牛が終わった後、寿美さんが、セサルが怪我をしてベネフィセンシアに出場できるかどうか判らなくなった、と、言っていたが、それは本当の話だった。情報の早い奴は、早いもんだねぇ。TELかネットで知った人が寿美さんに話したのだろう。
一昨日辺りから暑くなってきた。昨日は本当に暑かった。もう30度以上はある。闘牛場のソルで35度あるそうだ。昼前に、アナスタシアさんとFさんの見舞いに行った。手術を2回して悪いところを取ってので食欲が出て、1日4回食事を取っているそうだ。そのせいかあれだけ痩せていた体が少し肉が付いてきた。自分で立つことも出来るそうだ。シャワーも浴びているそうだ。直腸ガンで、取りあえずは人工肛門を付けるらしいが、それもそのうち取れると言っていた。タバコが吸いたいといっていた。その気持ちは判るが、もう少し我慢した方が良いと思う。転移していなければ、体力が回復次第でじき退院できるだろう。
6月2日(水)
昨日の闘牛が終わった後、Mさんとコロキオをした。イバン・ガルシアをどう思うかと、訊かれたので、ピコのパセだと言ったら、それは違うでしょうと言われた。昨日はその話から始まった。一昨日は、クーロ・ディアスの事について話をした。観戦記に書いたがその部分を引用しておく。
「Mさんはあれは耳を与えるべきではなかったと言った。理由は、クルサードしていないし、ピコだからと言う。しかし、クルサードしていたし、ピコ気味なパセはあったが、ムレタの面で牛を呼ぼうとしていた。だから、許容範囲だと言った。スポーツや競馬もそうだが出場機会や、騎乗機会が多ければ上手くなるのだ。闘牛も一緒。闘牛をいくら観ても闘牛は上手くはならない。牛を直接相手にしてパセをしなければ覚えれないことだらけだからだ。だから、その機会を提供するためにも、耳をあげるべきだった。
Mさん曰く、「人生は厳しいからそんな甘いこと言ってちゃダメよ」と。でも、それは、出場機会が、8年弱で20回しかない闘牛士があれだけのことをやったのだからそういう言い方は、おかしいと思う。チャンスのない世界なのだからこそ、あそこで耳を与えてチャンスを与えるべきなのだと僕は思う。そのチャンスを活かせるのか、それともダメにするかは本人の問題。それでダメになるのなら、それはそれで仕方がない。だが仮にチャンスを与えられたら、それだけでも前向きな人生を送れる。それで、ダメになったとしても。
確かにMさんが言う部分も判らないことはない。ナトゥラルの時、タキージャドールの外側を持ちすぎているためにナトゥラルの時に綺麗にムレタが開かないと言う昨日も指摘した欠点がある。それと牛を誘うときムレタを完全な面にして誘っていない。しかし、だからといって完全なピコではないのだ。Mさんが言うように、良い闘牛を観たいと言うことは判る。本物を観たいというのも判る。しかし、ダメなミウラが年間40回前後出場機会があるのに比べ、あまりにも不公平だ。才能の輝きがあるのだから、せめて30回くらいの出場機会を与えるべきだと僕は思う。クーロ・ディアス、また、ラス・ベンタスへ出てこいよ。来年のサン・イシドロで待ってるぞ。」
と、僕は書いた。イバン・ガルシアの話から始まりクーロ・ディアスの話に戻った。そして、Mさんは言った。「リンコンが苦節10年で出てきたけど、昨日のクーロ・ディアスなんてそんな苦労してないだろう。リンコンは、腹一杯食えるだけ闘牛で稼いでたけどそれ以上の事は出来なかった。でも、ちゃんと闘牛のこと考えていたし、やってたのよ。あの牛の扱い方は他の奴じゃ出来ないよ。でも、クーロ・ディアスは、闘牛以外に仕事して、その辺の女引っかけて遊んでいたような奴よ、きっと。そんな奴の闘牛は、リンコンの闘牛と違うのよ。リンコンの闘牛には人生が出てるのよ。闘牛なんて、闘牛以外のものがなかったら人に感動なんて与えられない。リンコンにはそれがあった。クーロ・ディアスにはそういうものが足りないのよ。言っていること解る」、と。
僕は絶句して、それからこう言った。そういえばセサルにインタビューしたときに、闘牛士になってやっていこうと思ったときマドリードに来た。マドリードの町に出ると女の子たちが一杯声を掛けてきた。でも、私は闘牛のことだけを考えてやっていこうと思っていたから遊ばなかった。それがなかったら今の自分はないと、言っていたと、Mさんに言った。それから、何故か涙が零れてきた。セサルの闘牛と、セサルの言葉と、セサルの人生を考えながら、涙が止まらなくなった。僕の体は感動に包まれた。
Mさんは言いたいことをズバズバいう人で、しかもそれが鋭く的を得ている。僕は感動でしばらく絶句して涙を流していた。Mさんが少ししてそこで何か言わなきゃと言った。それから、セサル・リンコンの話をした。それは、とても有意義で感動的な時間だった。Mさんもあの時のセサルを観ているし、僕も観ている。
感動に震えながら、HPなんか書かずに本を書かなければと言う話をした。闘牛のマンガで、『あしたのジョー』 を書きたいと言った。闘牛で燃え尽きてしまう話と。そしたら、それ面白いね。良いかも知れない。と、言ったので、アベジャンが主人公で闘牛学校入学の日から、2000年のプエルタ・グランデするところまでの話だと言うことを言ったら、いやー良いね、それ面白いよと、言った。Mさんこんな話はダメだよと言うと思っていたのでビックリしたと同時に、これはやっぱり書かなければと強う思った。
その他にも色々話をした。僕の中で創作への意欲が強くなった。物語は人を面白がらせ感動させなければダメだ。起きたら、もう一度、風太朗の、『明治十手架』 の読み直しを始めよう。もうそろそろ、大塚英志の、『物語の体操』 も読み終わることだし。
6月3日(木)
「 排泄物の中で、唯一変わり者は涙である。オリンピックや高校野球で、どれだけの人が感動の涙を流しただろうか。あるいは、一日に何万人死亡するか知らないが、毎日多くの人が悲しみの涙にくれている。悲しみも喜びも、なみだ、涙、泪にくれ、涕(なみだ)に咽(むせ)び、涙に迷い、なみだに沈むのである。涙は人間の感情表出の曼陀羅のようなものだ。霊長類では涙を流すのはヒトだけらしいから、そのことと深く関係しているのではないか。」 ーー『ふしぎ博物誌』 河合雅雄 よりーー
昨日の闘牛は疲れた。肩がこった。2頭目のフェルナンド・ロブレニョはブスカンドする危ない牛を相手にブスカンドする右でパセを繋ぐからハラハラドキドキ。緊張が闘牛場を覆った。セビージャで観たフェルナンドとは別人のように体を張って闘牛をやっていた。こういう闘牛なら5日のビクトリーノの牛でも期待できると思った。
でも、昨日闘牛場に恐怖の戦慄とセンセーションと感動の涙を流させたのは、21歳のフランス人闘牛士、セバスティアン・カステージャだ。そんな予感のようなものはコンフィルマシオンの時の彼の2頭目に全然動かない牛で牛から1mの所に立ってクルサードを繰り返していた。観客は危ないから口笛を吹いて止めるように促したのでその日は止めたが、昨日は、コヒーダされるのが解っていて牛の1m前に立ってクルサードしてコヒーダされた。
それでもまた、牛の1m前に立ってクルサードして牛から良いパセを引きだそうとしていた。口笛を吹いて止めさせようとしている観客もいた。隣のYさんは、「止めてお願い!もういい!もういいから!ダメ、ダメ、ダメ!」といって振っていた手で顔を覆っていた。もう怖くて観ていられない。そう思った観客が多かった。でも、闘牛士がやりたがっているんだから、やればいいと、僕は思った。クルサードを続ける闘牛士。1つ間違えば墓場に行くだろう。それでも何とかしようという気迫が観客にストレートに伝わる。そしてそれが観ている観客を感動させるのだ。
闘牛が終わった後、Mさんも興奮していた。いつもと顔色が違っていた。番長もYさんは泣いたっていってたし、Tさんだって・・・。僕も話すと興奮で声が詰まったし、観ているときに泣いていたもの。つまり「感情表出」です。こういう闘牛もあるのです。耳だけが闘牛じゃない。こういう「感情表出」こそが闘牛なのだ。
朝早く目覚めた。トイレに行き一旦寝て、6時前に起きた。それからパソコンに向かい8時過ぎにラス・ベンタスへ行った。闘牛場には20人くらいの列が出来ていた。10時にタキージャが開き10時10分にはメトロに乗れて帰って来れた。久しぶりに列の中での口喧嘩を訊いた。本読んでいるんだから静かにして欲しいのに。7のコントラバレラを買えた。写真を撮るには良い場所だ。
6月4日(金)
昨日取りに行けなかった写真をFNACに取りに行った。セサルの写真を観た。それなりに取れていたが不満もある。セラフィンの写真やアベジャンの写真は上手く撮れている。セサルの写真には最高のものを求めるから不満なのか、その辺は考える。セラフィンやアベジャンは何気なく撮ったショットで良いものがある。これは撮るときの気持ちの問題かも知れない。プロではないのでその辺があやふやになっているのかも知れない。
6月5日(土)
昨日帰ってきて、33チャンネルでその日の闘牛を観ていたら、ベネフィセンシアにセサル・リンコンは出ないと言ったので、下山さんにTELしてネットで確認して貰ったら、やはり、9日グラナダ、10日ベネフィセンシアは出場しないとルイス・マヌエル・ロサノが言ったと出ていた。12日プラセンシアが復帰予定だが、それも危ないかも知れない。直前になったらエドガールにTELしてプラセンシアに行くかどうか決める。ベネフィセンシアには、ポンセの名前があがっているそうだが、出てこないだろう。出てくるのはアベジャンだろう。そうなると、27日のカルテルと一緒。こういうこともあるんだなと思った。
6月6日(日)
昨日の昼は、josemiさんと昼食を取った。色々話をしたが例のことについても想像していたようなことだった。所で話の中で今日までシベレスの近くで、外国やバルセロナ、マドリードの店が、20店くらい出てCDやレコードを売っているという話を訊いた。彼女の友人は日本のCDを持っていってたら高く買ってくれたそうだ。日本のCDは、歌詞カードなどが付いているので高いのだろう。その話を訊いたので午前中行ってきた。全部の店をちゃんと観たわけではないが、1店だけ凄い店があった。いくつか探していたが、何気なしにその店にあった、ボブ・ディランの所のLPを観ていたら、ザ・バンドのブートレックやディラン関係のLPが並んでいた。こういう並べ方は、昔の新宿にあったレコードマニアが探しに来るような店の並べ方と一緒だ。
次に目に入ったのが、ベラフォンテ(ハリー・ベラフォンテ?)の61年に出た、『ミッドナイト・スペシャル』。これにはディランがハーモニカを演奏している。おーっと、思っていると、もう一つ、『ニューポート・ブロード・サイド』とかいうLPで、始めがピート・シガーと一緒に歌っていて、最後がジョン・バエズと一緒に歌っているもの。これは確か63年か64年のもの。歌っている歌は知らないものだったから、トラディショナルでも歌っているのだろう。これが欲しくなって、LPの盤面を見せて貰った。ABCの盤面評価でいうとBくらい。傷があるが針が飛ぶような傷ではなかった。店員は、完璧と言っているがそうじゃない。こっちは昔ディスク・ユニオンなどの中古LPをあさった方だからそんなのなれている。
いくらと訊いたら、45ユーロと言った。多分日本じゃこんなのもう出てこないかも知れない。もし出ても1万円位するかも知れない。でも、日本に持って帰ることや、東京の部屋ではプレーヤーが壊れていて聴けないということもある。45ユーロは6千円弱。もう俺が生きている間に観ることが出来ないかも知れないけど、諦めることにした。その店はイタリアから来ていた。店員は40代か50代。昔の60年代のヒッピー風の格好をしていた。若い店員がいるような店じゃ、こんな掘り出し物はまずお目にかかれないだろうと思った。それにこういうマニアックなLPは、CDにしても売れないから再発売もされないだろうしなぁ。
昨日の闘牛は素晴らしかった。エル・シドがグラン・ファエナをした。今年のサン・イシドロで1番大きな、「オーレ」が闘牛場にこだました。しかし、剣が決まらず場内1周。泣きながらの場内1周だった。帽子など色々なものが投げられたが一切それには触らず、堪えても堪えても流れ出す涙を拭いながらの場内1周だった。もし誰もいなかったらエル・シドは大声を上げて暴れるように泣いていただろう。本当はさ、あそこで剣を決めて泣かなきゃダメなのよ。ファエナはほぼ完璧といっていいものだったんだから。
闘牛が終わった後は、みんなでコロキオをした。番長は仕事で来なかった。寿美さん、M夫妻、Tさん、Yさんの6人。トゥリンファドールは、マティアス・テヘラで決まり。だって耳2枚取ったのは彼だけなのだから。あれは耳2枚じゃなかったと言って結果が出ているのだから仕方ない。メホール・ファエナは、その日のエル・シド。これもほぼコロキオの総意。メホール・トロとか、メホール・ガナデリアって何処になるんだろう。場内1周したのは26日のセサル・リンコンが相手にしたトレストレジャ牧場の“チィフラド”になるのだろうか?ガナデリアは、アドルフォ・マルティンかな。
6月7日(月)
いやービックリした。あんな奴が出てくるとは思わなかった。下山さんが、「ホセ・トマスの様な闘牛士」とマスコミで言われていると言っていたが、そういう奴は今まで何人もいた。その度にガッカリさせられていたが、ミゲル・アンヘル・ペレラは本当に良い闘牛士だった。確かにホセ・トマスに似ているところもある。でも、そういうことではなく、闘牛場で良い闘牛をやって金を稼げる闘牛士だということが昨日の闘牛で判った。そうはいない逸材。バダホスの田舎町、プエブラ・デル・プリオル出身の20歳。ハンサムで人気も出そうだがそれより何より、闘牛が素晴らしい。
今いる闘牛士の中に入っても堂々と渡り合えるだけの力量を感じた。エドゥアルド・ガジョはサラマンカ出身。マドリードからじゃなくても良い闘牛士は出てくるのだ。これから闘牛界を背負って立てるくらいの凄い闘牛だった。去年バルセロナから彗星のように現れたセラフィン・マリンもそう。このくらいの年齢で物凄いことをやれる闘牛士が出ている。セサル・ヒメネスなんか目じゃない。これからも闘牛が楽しみな状況が整った。
闘牛の後、メトロで番長と三木田さんに会った。三木田さんは、コムニダは始めの日に来て、耳を観て、フェリアの最終日に来てプエルタ・グランデを観たと喜んでいた。番長は5日、仕事で観れなかったことを悔しがっていた。ミゲル・アンヘル・ペレラとエドゥアルド・ガジョの比較では、エドゥアルド・ガジョ方が好きだと言っていていた。コロキオは、アナスタシアさんとやった。彼女は、2人目のモレニト・デ・アランダが好きだと言っている。その理由が面白い。だって、ミゲル・アンヘル・ペレラは、あたしが応援しなくても何処へ行ってもスターでやっていける闘牛士だから、と、いうものだった。
昨日は3人とも良くてフェリア中1番良い日だったかも知れない。彼女もミゲル・アンヘル・ペレラの方がエドゥアルド・ガジョより上だと感じたようだ。僕もそう思う。ガジョは田舎町じゃうけにくい所があるけど、ミゲル・アンヘル・ペレラは、何処へ行っても観客からうけるだろうし、スター性がある。新聞に6月23日バダホスでアルテルナティーバすると書いてあった。バダホスのカルテルを観たらなるほどそう書いてあった。パドリーノ、ポンセ、テスティーゴ、エル・フリ。素晴らしいじゃないか。来年はサン・イシドロで、コンフィルマシオンが観たい。彼はフィグラへの道を歩き始めた。ガジョやセラフィンと競い合ってもっと上手くなれ!フィグラを追い越すようになればもっと面白い。
約1ヶ月に及ぶ長いサン・イシドロは終わった。今年は面白かった。一時中だるみがあったが後半盛り返した。サン・イシドロは終わったが、観戦記で未だ書いていない部分がある。フィニートの事とパディージャの事。それが終わらなければ本当に終わったことにはならない。
グラナダのDさんからTELがあり9日の切符の確保が出来たそうだ。ありがとうございます。
6月8日(火)
朝、最後の両替に行った。考えてみれば後10日か。闘牛も後何回観れるのか。帰りに、『6TOROS6』 と 『Aplausos』 を買ってきた。そういえば先週号の、『6TOROS6』 には、26日セサル・リンコンは約50m牛を呼んで観客を狂わせたと、書いてあった。内側にある白線から白線まで牛を呼んでいたので、確かに50mになるのかも知れない。ラス・ベンタスのアレナの直径は確か約68m。外の白線から内の白線が2m。外の白線からタブラまでが5mくらい。2+5=7m。×2で14m。68m−14m=54m。つまりこういう風に計算すると、ゆうに50mの距離はあることが判る。それにしても驚異的な距離から牛を呼ぶ。セサルは何故こんな距離から牛を呼べるのだろう。
昨日の夜、サッカーをスペインで教えているISOさんと飲んだ。『スペイン何でも情報リアルタイム』でサッカー情報を書いている人。闘牛やサッカーの話をした。
ミゲル・アンヘル・ペレラは今を観ていない。彼は先を観ている。自分がやりたい闘牛、目指す闘牛士像、そういう物が明確にあるような気がする。だから、今という場所に留まってはいられないのだ。こういうところも、ホセ・トマスに似ている。ただ、ホセ・トマスは自分の限界に挑戦してそれを見極めたような気がする。はたしてミゲル・アンヘル・ペレラがそこまで到達できるのかは知らない。が、彼の目指す闘牛士像がどういうものなのか、それを知るためにも、今後に注目だ。
明日の朝、グラナダへ行く。セサルは出ないけど来年のこともあるので行って来る。予想では代わりにファンディが出ると思っている。
6月11日(金)
昨日闘牛の後、コロキオをした。メンバーは、M夫妻、三木田夫妻、Tさん、Yさん。寿美さんは来なかった。番長と榎本さんは、仕事で参加しなかった。昨日の闘牛場の雰囲気はサン・イシドロに比べると違った。客層が自体が違うのだろう。テンディド7も今まで来ていた人でも来ない人がいるような感じで、闘牛場全体の反応がちょっと違う。そのことも話題になったがエル・シドとセラフィン・マリンのことを話した。シドは右手のパセでもちゃんとやっていた。セラフィンのファエナはいまいち。みんな耳を取らせ違っていたが、何かが足りない。
それからサン・イシドロの話をした。若く良い闘牛士が出てきたので、中堅でやっている闘牛士はコントラートが少なくなるだろうという話なった。もうすぐ今のフィグラを追い越すような時代が来るような気がする。ここでMさんの極論を1つ紹介しておきたい。「耳なんてどうでも良い。私はそんな物は無視する。闘牛士が牛に対してちゃんとやっているかどうか、そこを観るようにしなければ、耳に振り回されてしまう」というもの。極論ではあるが言えている。ただし、闘牛士にとって重要なのはラス・ベンタスでの耳。それによってコントラート(出場依頼)増えるし、フィグラへの道を掴むことが出来るのだ。
グラナダでは、Dさんとくまさんたちと昼食を取った。Dさんはもうガイドなどは殆どしていなくて、TVの取材などそういう物をしているようだ。語学が堪能で、スペイン語の他に、フランス語、イタリア語、英語が出きるので仕事が結構来るのだろう。話してみると明るい人だった。10年以上グラナダに住んでいるのもビックリ。Dさんはおにぎりを作ってきてくれたので闘牛ではそれを食べながら観た。おにぎりって誰が作ったのか知らないけど偉大な食べ物だ。海苔がまた良い。ポンセは剣で耳を取り損ね、フリは牛が2頭ともダメで何も出来なかった。アントン・コルテスは、最後の牛で良いファエナをして楽しいそうに笑っていた。剣も決まり耳2枚でプエルタ・グランデ。闘牛士は野菜と同じで旬の時に観るのが1番。
今年旬な闘牛士は、セサル・リンコン、ハビエル・コンデ、アントン・コルテス、ミゲル・アベジャン、エル・シド。マティアス・テヘラも悪くないが、これから闘牛士にあがる、エドゥアルド・ガジョ、ミゲル・アンヘル・ペレラも良い。ちゃんと闘牛をやるという意味では、エル・カリファが良い。それと、セラフィン・マリン。ウセダ・レアルも地味だが悪くない。エンリケ・ポンセは地方に行けばそれなりに観客を喜ばせることが出来るが、いつも同じ様な闘牛なので僕はついでに観るだけ。
朝、エドガールにTELした。12日セサルは闘牛が出来ないそうだ。未だ怪我が治っていない。だから12日のプラセンシアは取り止め。来週予定していたセビージャ行きもなくなるだろう。
昨日、盲目の黒人ブルース・シンガー、レイ・チャールズが死んだ。73歳だった。レーガンが死んだよりずっとショックだ。彼が歌った多くの曲はスタンダードとして歌い継がれていくだろう。『ジョージア・オン・マイ・マインド』 などの名曲と、あの、『ウイ・アー・ザ・ワールド』 で見せた歌声も永遠に残ることだろう。彼はあの当時の黒人差別と、盲目という2つのハンデを持っていたが、ピアノと歌が彼の人生に希望を与え、黒人から尊敬されるようになった。3階級か5階級制覇した黒人ボクサー、シュガー・レイ・レナードの母親は息子の名前に、レイ・チャールズから取った、レイをその名に付けた。時代は変わり、今は黒人だけではなく世界的に尊敬されている偉大な盲目のシンガーになっていた。ビデオなどを観ると、いつも明るい人だった。レイ・チャールズに憧れたり、影響を受けたミュージシャンは星の数ほどいる。名前を上げたら切りがない。そして、いつも音楽に真面目に取り組んでいる人だった。
6月12日(土)
プラセンシア行きが中止になったのでマドリードでのんびりしている。グラナダで買ってきたタバコが切れ、ハイライトが2箱になったのでタバコを5箱買ってきた。曇っているが暑いのでカフェテリアへ行って涼んできた。丁度いい冷房が利いているのと静かなところだったので本を読んできた。今頃、東京では闘牛の会が終わって飲み会も終わった頃だ。多分もうマドリードから動かないだろう。でも、今日の夜は夜で予定があり、明日は明日で昼に予定があり夕方は闘牛。昼前にも予定をこなすことになる。14日は14日で昼に予定があり、夜は夜で予定がある。15日も夜に予定がある。16日以降は考えていないが予定が出来るかも知れない。
こう考えてみるとマドリードにいるのに結構忙しい。荷物については、今日、明日でどれくらいになるのか判るだろう。その他にもお土産というおっくうな物がある。仕方がないけど。
6月14日(月)
12日の夜、マドリード近郊へセルカニアで出かけ、下山さん夫婦と会って食事した。録画して貰っていたサン・イシドロのビデオを受け取り食事した。食事中スペインがゴールをあげ、店内で騒ぐ人がいたが、バルと違いおとなしい物。美味しいコスティージャを食べた。帰りがあるのでビールは飲まなかった。
13日、ラス・ベンタスで今年最後の闘牛を観る。クーロ・ディアスとアントン・コルテスのマノ・ア・マノが組まれていて、これは、耳を取らせるための興行だったが、1枚の耳も出なかった。クーロ・ディアスは、耳に値するファエナをしたが剣で耳が消え、アントン・コルテスは全然ダメだった。彼の2頭目の牛は自分でファエナを滅茶苦茶にしていた。牛もそんなに良くなかったのは確かだが、あれじゃサン・イシドロが何だったんだろうと思うような内容だった。クーロ・ディアスの方がずっと良かった。
帰ってきてTVをつけたら、サッカーのヨーロッパ選手権のフランス対イングランドが行われていて後半には入り、1−0でイングランドが勝っていた。フランスは決して悪くはなかったが最後の決めがダメだった。そして、PKを得てキャプテンのベッカムが蹴ったがキーパーに弾かれて追加点を入れられなかった。このまま負けるのか思ったロスタイムに、直接フリー・キックを得て、キャプテンのジダンが30mくらいを左隅に決め同点になった。その直後に、カットして攻めようとしたフランスからイングランドがボールを奪ったの所までは良かったが、焦ってバックパスをゴール・キーパーにした所をアンリに取られキーパーが倒してPK。これをまたジダンが決めて2−1と逆転。そして終了。レアル・マドリードでチームメイトが両チームのキャプテンを務めていたが、明暗を分けた。イングランド、ミエルダ!最後の3分ですっかり気分が良くなった。
夜中、アナスタシアさんからTELがあり、アベジャンが凄いコヒーダで意識を失ったことを訊く。肋骨2本の骨折が判明しただけでそれ以外のことは明日以降に判るとのこと。
6月15日(火)
13日の朝にアナスタシアさんの所へ行き下山さんから受け取ったサン・イシドロのビデオを観て、くまさんの所へ行きたこ焼きを食べた。14日の朝もアナスタシアさんの所へ行き下山さんから受け取ったサン・イシドロのビデオを観た。闘牛場で観ているときの印象とビデオではずれがある。14時頃にTさんも来て2000年のアベジャンのプエルタ・グランデを観た。僕の書いた文章より闘牛の方が感動的だったことが判っただろう。他に98年のエウヘニオ、2000年のエル・カリファ、99年のベネフィセンシアのホセ・トマスを観た。Tさんが持ってきたつまみを食べたり、昼食を取ったり、ビールなどを飲んだ。
中崎君と帰りに話をして、一旦家に帰り、M夫妻の所へ行った。ちょっと遅くなったが、夕食を取りながら、6月5日と6日のビデオを観た。エル・シドもミゲル・アンヘル・ペレラも素晴らしい。ビデオで観ても闘牛場で感じた通りエドゥアルド・ガジョよりミゲル・アンヘル・ペレラの方が良い。Mさんはそれは好みの問題だと言っていた。2,3年したらどっちが良いか判るでしょうと言っていた。多分そうだろう。でも、予想しても本当は意味がない。ペレラはクルサードして手の低い長いパセを繋ぐだけじゃなく、ホセ・トマスのように動かない闘牛をするのが良い。
荷物をどうするかという問題がある。それも多分解決するだろう。今日も含めてあと4日。
6月16日(水)
昨日の夜に、三木田さん夫婦と会って夕食を取った。途中パトカーが停まっていてテープで仕切られていた。その中に人が倒れてシートがかぶされていた。どうやら浮浪者が死んだらしい。脇に帽子とビールの缶が置いてあった。人の死には、こういう野垂れ死にもあるのだ。
三木田さんたちは元気だった。闘牛の話や闘牛の会の話をした。それから、マドリードの生活の話、コロキオのメンバーの話、マドリードの日本人の話など。日本人の噂は日本人の中で色々流れているのだろう。そんなこといちいち書いていたら切りがないし、僕の噂だって知らないところで色々言われているのだろうから書かない。今年は日本には帰らないだろうと言っていた。来年になってから帰るのであれば東京で会えるだろう。出なければまた、4月のスペインに来たときに会えるだろう。
今日は荷物を整理したり、写真を整理したりしてTVを観ていたら、アベジャンのコヒーダが映った。頭を打ったので気絶したようだ。病院のベッドでグラベじゃないと言っていた。流石TVE。多分、今日のテンディド・セロでもコヒーダのシーンは流れるだろう。
6月17日(木)
マドリードは、昼は暑いが朝夕が寒い。いつもの年よりも季節の進み具合がゆっくりだ。夏向きのCMがTVで流れている。その中で♪ララララッラ ラララララ♪と、何処かで聴いたことがある歌声が流れている。誰だっけ?直ぐ判った。ボブ・ディランだ。残念ながら曲名が出てこないがどの辺のアルバムかはあたりがついている。帰ったら調べよう。それにしても、良いところをCMに使うもんだ。この選曲には頭が下がる。素晴らしい。多分、ディラン・ファンじゃなかったら判らないだろうな。ロッテリアのCM。
数日前に、風太朗の、『明治十手架』 を読み直した。ああいう物語の展開の仕方は非常に参考になる。並じゃないから、飽きることなく物語を楽しめる。良くもまあ、あれほど面白い物語が作れるものだ。1つの筋に、色々な人間が違う方面から絡んで、物語の膨らみを与えて、時に絶望しながら、問題を解決したり、人生を学んだりして、目的を達成しようとする。人生と正面から向き合って(クルサードして)、正しく生きていこうと(トレアール)している。物語に出てくる困難な事柄(パセ)はみんな至近距離を通過して行く。下手に動けばコヒーダされる。時にはアグアンタールしなければ、良い仕事(ファエナ)にはならない。
困難な事柄(パセ)が終わったと思ってもこれでもかと、また困難な事柄(パセ)は出てくる。それを冷静に、時には激情しながら、人生と正面から向き合って(クルサードして)、正しく生きていこうと(トレアール)している。だからこの物語の主人公は、人生を満足して過ごす事が出来たのだろう。剣まで決めて人生のプエルタ・グランデを通った人間の物語。みんなはこういう人生を送ることは出来ないけれど、読者は素晴らしい物語、素晴らしい人生を読んで、自分の人生を省みる。そして、物語の最後に涙する。本当に感動した闘牛を観た後の涙に似て、体の中でこの感動を消化しようとする。
山田風太朗は偉大な作家だ。何を読んでも面白い。こういう物語が書けたら幸せだろうなぁ。
昨日のサッカーはラウルのバックパスからモリエンテスが決めて先制。後半追いつかれて1−1の引き分け。ホアキンの攻めが良かった。でも、シュート打てば良い所で打たなかったりして、ちょっとちぐはぐ。一緒に観ていたISOさんは土壇場に弱いセビージャ人があそこで出たと言っていた。スペイン・チームで1番目立っていたのがプジョール。攻め上がってホアキンと絡み攻撃に厚みを出していたし、守備もあれだけ攻め上がっているのに走って戻り、反則なしで攻撃の目を摘んでいた。こういう選手がいてもスペインは勝てなかった。
荷物もお土産を買ってきて詰め込んだ。ちょっと重量オーバー。仕様がない。明日は朝早いのでアップは出来ない。後は日本に帰ってから。多分来年も4月に来るだろう。それまでスペインと闘牛にお別れだ。日本に帰れば帰ったで忙しいだろうが、やることをやらないと、ただダラダラ時間が過ぎて行くだけ。
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