−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年のスペイン滞在日記です。
5月8日(土)
今日からサン・イシドロが始まる。今年はいきなり難しい牛からだ。ホセ・エスコラル牧場はもう1つのビクトリーノ・マルティン。どんな闘牛になるか、闘牛士がちゃんと闘牛を出来ればいいけど、怖がって何も出来ない可能性も大きい。昨日はマドリード近郊のバルデモロで闘牛を観た。ファンディが耳4枚取ったが、面白いファエナではなかった。ウセダ・レアルが真面目なファエナをしたことと、アベジャンが良いファエナをした。でも、ピンチャソ3回くらいやって剣刺しが出来ずにデスカベジョをした。終わった後、エンフェルメリアへ行った。最後まで出てこず、闘牛が終わった後、彼の車の前で待っていたらしばらくして出てきてアナスタシアさんが元気と訊いたら、「マル」と言った。
右腕を吊っていたので手首か肘が悪いのだろう。捻挫か悪くすれば骨折だろう。13日のサン・イシドロは非常に危ない。終わった後、マドリードへ帰ってきてバルで摘みながら飲んだ。Tさんは良いことを言っていた。人生1回しかないんだから好きなことしなきゃ。勇気づけられる言葉だった。アナスタシアさんはアベジャンが、「マル」と言ったのでそれが気になって元気がなかった。帰りのメトロに乗ったら、隣にいた女2人が前の席に座ったと思ったらいきなりキスをした。えっ、これってレズ?こんな光景を見たのは初めてだった。アナスタシアさんも初めて見たと、言っていた。
その後も車両の中で笑顔で向かい合ったまま手を触ったり色々していた。周りに人がいることはお構いなし。アナスタシアさんが降りた後、僕の隣に座った老人たちはおし。夫婦と友人。手話で話をしていた。僕の前では相変わらずレズっている。人間の幸福とは、色々な形がある。それ以外にもこれが幸福だと断定できないものなのだ。それにしても、前にいたレスの女2人、楽しそうな、嬉しそうな、幸せな顔をしていた。
5月9日(日)
いよいよサン・イシドロが開幕した。9割くらいの入り。日が当たっているときは暑いが日陰になると寒い。去年と同じでTさんとYさんと一緒に観ている。初日は牛が良かったがその牛を相手にちゃんと出来る闘牛士がいなかった。怖くて出来ないのだ。そういう牛を相手に出来る技術がない。闘牛場で、LA
RAZON と、どうやら、ABC のサン・イシドロ特集のものを配っていたようだ。僕はメトロで榎本さんと会って一緒にベンタスへ行って、LA
RAZON を貰った。榎本さんは相変わらず元気だった。フェスティバルでもセビージャでもセサルが良かったから面白いんじゃないと言っていた。
LA RAZON にも、ABCにもセサルの写真入りの記事が載っていた。期待はいつも裏切られることの方が多いので期待せずにいようと思う。験担ぎはやっている。でも、期待はしないようにしている。DIGITAL+のサン・イシドロ中継は、毎日17時から1時まで8時間放送している。セビージャにいたときは闘牛前に約1時間ダマソ・ゴンサレスのインタビューがあり、闘牛が終わった後は、トレストレジャ牧場の特集が約1時間。今年はこういう特集に力を入れているようだ。その後、またその日の闘牛を流して最後は例のその日のイメージを音楽に載せて流し終わっていた。
所で隣のFさんは昨日医者を呼んで問診をしてそれから病院へ行った。出かけたのは僕がシャワーを浴びているときだったので何処へ行ったのか判らないが帰ってこなかったので入院したのだろう。ちゃんと調べて貰った方が良い。階段を下りられずに肩に腕を回して降りていったそうだ。さっき何処の病院に入院したか判った。近い内に見舞いへに行こうと思う。
今現在、いつでもネットを繋げる環境にない。これから何処かへ行って繋げなければならない。今日は雨が降るらしい。闘牛はどうなるのか。TさんとYさんはお客さんを連れて闘牛観戦になると言っていた。こんな日お客さんを連れていくのは大変だよなぁ。今のところマドリードは曇りだ。
5月10日(月)
マドリードは朝から雨が降って寒い。傘をさしている人、帽子をかぶってカッパなどを上に着ている人、そのまま雨に濡れていると様々だ。1番色っぽいのは髪の毛や頬に雨の滴をつけている若い女性だ。昨日の闘牛は小雨が降り続いていた。席に着こうとしたら上から声が聞こえ見上げたら、番長が座っていた。お客さんを連れて隣には多分、添乗員だろうという人が座っていた。番長の闘牛の説明を始めて訊いた。こういう風にやっているんだと思った。なかなか生でガイドの闘牛の説明を訊く機会がないので参考になる。
何年か前にセビージャのホテルでジョン・フルトン夫人のアメリカ人観光客への説明を訊いたことがある。闘牛の歴史から闘牛のやる手順、カポーテやムレタの振り方など元闘牛士のクーロ・カマチョなどが実際振って見せていた。こういう風に日本人観光客への説明が出来たら良いだろうと思ったものだ。今回僕がセビージャのツアーで説明したのは初めて闘牛を観る人を前提に話をした。歴史などはあまり話さなかった。それより実際闘牛を観るときの簡単な見方に重点を置いて話をした。その中には闘牛の会では普段あまり話をしないことも含まれている。
お金を取って闘牛の説明をして闘牛観戦に連れて行くからにはそれなりの工夫と分かり易さが要求されるはずだ。分かり易くなおかつ、飽きさせないような話になったつもりだが、途中で居眠りしていた人もいた。それとは逆に食い入るように熱心に話を訊いていた人も複数いた。僕はたんたんと話したつもりだ。その話を訊いている人たちの中で熱をおびていれば、良い闘牛を観たときに燃焼するものだと思っていた。今回は幸いに初日が耳2枚。2日目が耳1枚出たので、みんな喜んでいたようだった。
今僕の周りでは色々なことが起きている。僕が今、インテンタールしていることも色々あるがそういう個人的でプライベートな事を書いていたら僕を知らない人は何と思うだろう。マドリードでさえ、僕が知らない人が僕を知っている。何を言われるか判らない。勝手な噂を流されるのが落ち。僕の周りの人のプライベートに関わることについても、それも迷惑になる。だからそういうことは僕の胸にしまっておくことにする。ネットで家族の写真などを載せている人たちがいるが、ネットの怖さなどあまり考えていないのだろうな。日記で最高のものは、山田風太朗の、『戦中派不戦日記』。でも、風太朗のようには僕は書けない。生活も貧しいが、何より才能が貧しいことを実感する。
レアル・マドリードは連敗を重ね、サンティアゴ・ベルナベウはがらがらの観客の中でまた負けた。マケレレが移籍して、ベッカムが来てからチームのバランスが大きく崩れてしまった。それが優勝できなかった最大の要因だろう。スターだけでは勝てない。影でそれを支える努力を惜しまない人間がいてこそチームのバランスが保たれるのだ。去年チームないで囁かれた影のMVP、マケレレはそういう選手だった。今マケレレは移籍先ではレアルで貰っていた年俸の倍以上を貰っている。バルセロナも負け、リーグ戦はバレンシアがベティスに勝って優勝を決めた。バレンシアはファジャスのようにお祭り騒ぎだ。
5月11日(火)
マドリードは朝から雨が降って寒い。町中はもうサン・イシドロの祭りの準備を始めている。マイヨール広場などではコンサートなどの準備もしているのだろう。今日はテロから2ヶ月目なので関連の行事があるのかも知れない。アトーチャ駅にフィリッペ皇太子と婚約者が行って献花した。風邪気味で鼻水が出ている状態での闘牛観戦。この前はサン・セバスティアンで雪が降り、昨日はセビージャの方で雹か雪が降った。このままの天候だと熱を出してダウンしかねない。懐は年中寒いが、体を暖かくして闘牛場へ通わないと行けない。今のところ牛は良いのに闘牛士がダメだ。去年は牛はダメ牛ばかりだったが今年はこんな感じで続いて欲しい。そうすれば感動的なファエナが沢山観れるかも知れない。
5月はフィリッペ皇太子の結婚式があるのでマドリードの治安は最高の状態が保たれるだろう。これでテロが起きたら大変なことになるだろうけど、それはちょっと考えられないだろう。
日本じゃ民主党の管直人が辞任した。自民党の福田官房長官も辞任した。くださないことでチャチャを入れたら墓穴を掘った。日本の政界は変わらない。景気もしばらく変わらないだろう。
5月12日(水)
「植物は種子から発芽し成長していくとき、上と下へ伸びていく。上は茎になり、下というのは根である。茎と根の先端にはそれぞれ分裂組織があり、そこで細胞分裂が行われ、新しい細胞がつくられる。茎の先でつくられる細胞は下へ下へと蓄積されいくので、細胞分裂そのものは上へ押し出されていき、いつも茎の先端に位置している。」 ーー『ふしぎの博物誌』 河合雅雄 編 中公新書 よりーー
動物である人間もいつも細胞分裂を繰り返し成長続けている。細胞だけではなく人間的な成長も必要になってくる。努力や忍耐などと言うと堅苦しくなってくるが、当然当たり前のことをして必要になる。日常生活や人間関係の中でそのようなことを怠ってしまっては生活だけではなく、やりたいことが見つからないし、やりたいことが出来なくなる。もうちょっと自分自身を戒めて考え直さなければならないことがある。
5月13日(木)
快晴のマドリード。朝銀行へ行ったが汗を掻くくらい暑くなっている。部屋の窓を開けても寒くない。週末は晴れの予報が出ていたが本当に晴れた。今日から汗を流して闘牛観戦が出来そうだ。昨日の闘牛の余韻が残っているが、プエルタ・グランデとそうじゃないのとは大違い。あそこで剣が決まると、人生が変わるのになぁ。アントン・コルテスはあそこで人生を変えるチャンスを掴みながらものに出なくて、泣いた。眉毛を八の字にして大泣きしたそうだ。泣いてグロリア戻るわけではないが、そうやって悔しさを体に刻んでこれからの糧にしていくのだろう。
しかし、あそこまで行ってアントン・コルテスをふってしまうグロリアという女も残酷で気まぐれだ。剣刺しの時、ムレタを持った左手の振り方が悪かったように僕には見えた。最後の牛の時はピンチャソ10回。これでもかというように剣がまったく決まらない。だめ押しでデスカベジョさえ決まらない。TV解説のエミリオ・ムニョスは、今年心に残ったファエナとして、セビージャのセサル・リンコンとこの日のアントン・コルテスの2つのファエナをあげたそうだ。
最新の情報では18日、サルバドール・ベガに代わり、アントン・コルテスが出ることが決まった。また観れる!
5月14日(金)
昨日闘牛場で面白い光景を見た。前に座った英語を喋る観光客。多分、アメリカ人の女。1頭目の牛が出てきてピカドールのクイダッソで牛から血が出ると涙を流して横を向いた。もうすぐに帰るだろうとYさんと話していた。その直後にフェレーラのコヒーダ。それからはクイダッソに抗議しても泣かなくなった。そして、最後まで闘牛を楽しんだ。こういう女もいるんだと思った。頭で考えたヒューマニズムは、体感する感覚を上回ることは出来ないのだ。その良い例だろう。もうすっかりアベジャンの闘牛の虜のようになっていた。彼女は闘牛の美学を理屈抜きに感じたのだろう。僕は闘牛を説明するときにそういうことはあまり語らない。そういうことは他の人が語るだろうと思っているから他のことを話すのだ。
昨日夜、シーラさんがマドリードへ到着した。これからハウスで会えるようだ。外に出て買い物をしてきたが、一昨日までマドリードは冬だったが、今は昨日から夏になった。半袖にフリーズのジャケット着ていったが、帰ってきたら汗が出ていた。
5月15日(土)
マドリードは今日、守護聖人、サン・イシドロの日で休日だ。14日午後5時にリーガ・エスパニョーラで最も有名なプレシデンテだった、アトレティコ・マドリードのヘスス・ヒルが病死した。ビセンテ・カルデロン、スタジアムには朝からアフィショナードが集まって死を悼んでいる。闘牛士が死ぬのは、ガルシア・ロルカの、『イグナシオ・サンチェス・メヒアスに捧げる唄』で有名なように午後5時だ。ヘスス・ヒルも闘牛士と同じように午後5時に死んだ。あの土建屋の親爺的な人柄で人気があり、長い間アトレティコに自身の王国を築き良いときも悪いときのアトレティコと共にあった、現代のドン・キホーテ。
僕は思い出す。97年のサラマンカを。土砂降りの雨の中で席を立たずに最後まで闘牛を観ていたヘスス・ヒルを。ホセ・トマスのブリンディースに喜んでいたことも。レアル・マドリードではなく、マドリードの下町の子たちは、アトレティコのファンが多いようだ。そのファンに対するアトレティコの顔がヘスス・ヒルだった。ホセ・トマスは勿論、ミゲル・アベジャン、エル・フリとアトレティコ・ファンの闘牛士は多い。去年か一昨年あったアトレティコが6位以内に入ったら、ホセ・トマス、アベジャン、フリの3人による闘牛を開催するという話は今でも有効なのだろうか?ベンタスでやっても満員になるだろうなぁ。
12時にラス・ベンタス闘牛場へ行ってきた。シーラさんとコミック闘牛を観てきた。1度観てみたいと思っていたが念願が叶った。闘牛にはこういう入り口も用意されているのだ。騎馬闘牛も面白いし、闘牛が血が流れて嫌だという人には、今日のように血が流れないコミック闘牛がある。小さな子供を連れた家族連れが多かった。14日の騎馬闘牛は、パブロ・エルモソ・デ・メンドーサが耳1枚が2回でプエルタ・グランデした。剣がダメなメンドーサが剣を決めて耳を取った。正確には彼の2頭目の牛の剣刺しは、ピンチャソだったが、牛が転びバンデリジェーロがプンティージャを決めての耳1枚。それが解らない人は耳2枚を要求。プレシデンテは耳1枚を許可したが、それを見落として、耳を切らずに牛が引かれていったため、観客は口笛で激しく抗議した。
5月16日(日)
昨日飯を食って部屋に帰ってきてTVをつけたらオペラシオン・トゥリンフォのヨーロッパ大会が行われていた。最後の投票の所と、優勝した歌を聴いたが、感覚が合わない。その後スペインの優勝者の歌が流れたが未だこっちの方が聴けた。やっぱり最初の時に思ったことだが、オペラシオン・トゥリンフォは、スペインの音楽の質を変えることは出来ないし、それに参加するスペインの若者が多ければ多いほどスペインはダメになっていく。
昨日は2回ラス・ベンタス闘牛場へ行った。流石に合計4時間石の上に座ると尻が痛くなった。闘牛観るのも体力が必要だ。15日は良い闘牛士が出たのに牛が悪く耳が出なかった。去年よりは牛が良い日が多いのでそのうち良い闘牛が観れるだろうけど、闘牛がつまらないと1日がつまらなくなる。
5月17日(月)
昨日は終わった後、Tさん、アナスタシアさん、シーラさんでコロキオをした。シーラさんはTさんの話に圧倒されて感激していた。人との出会いはこのように、新しい考え方や感覚を人に感じさせるものだ。それが刺激になって、今までと違う道や考えが開けていくものだと思う。だから、会話は楽しいのだ。刺激のない人では、こういう展開にはならない。人は刺激のある人と付き合うべきだ。そうじゃないと、面白いことが人生に起きない気がする。
今週はオークス。ダンスインザムードが勝つだろう。武が乗ったんじゃ意味がないけどこれは社台、藤沢調教師が海外遠征を考えての騎乗依頼だろう。この馬はそれだけの馬。海外でGTを勝って貰いたい。日本産の日本調教馬が海外GT、特にヨーロッパ、アメリカでのGTを勝つことに意義があるのだ。
5月18日(火)
昨日闘牛が終わった後コロキオをした。メンバーは、番長、M夫妻、Tさん、Yさん、アナスタシアさん、シーラさん。M夫人は興奮していた。「凄かったね。カポーテ持ったときから落ち着いてたし、あの長いパセは凄いね。」嬉しそう。満面笑み。番長も口元が緩んでいる。番長は下まで降りていって闘牛士に何か投げていた。番長に訊いたら、「あれは、良い闘牛があるといつも手拭いと名刺」か何かを渡しているから、といっていた。Yさんは、「こういう良い闘牛観ても、何処が良いのかわかんなくて、申し訳なさそうに、訊いてくる人がお客さんでいるけど、裸の大様なのに裸って言えないみたいな」というたとえは面白かった。
実際この闘牛を観て何処が良いのか解らない人もいるだろう。ただ、この闘牛場の雰囲気に良い闘牛なんだと感じる人は多いのかも知れない。でも、そこの部分、つまり何処が良いのかという疑問を持つことは闘牛を理解していく上で重要なことだ。アナスタシアさんは未だ何処が良いのか解らなかったようだ。番長は、「そんなの良い闘牛観たら解るよ」と番長らしいことを言っていた。それも一理ある。観る人の感性の問題と、投げやりに言うつもりはない。だから、僕は、観戦記でも何処が良かったのかを具体的に書いてきたつもりだ。また、闘牛の会でもそういう話をしてきたつもりだ。
ワイン3本、ビール10杯分くらい、摘みも食って結構お腹が一杯になった。良い闘牛の後は盛り上がる。みんな陽気に闘牛談議に花を咲かせた。去年コロキオをやったバルは締まっていたので新しいバルを探した。こっちの方が色々なものが注文できるし安い。ちょっと離れているけど多分今年はここがコロキオの場所になるだろう。
どうやら2012年オリンピック最終候補地に5つの中にマドリードが残った模様。
5月19日(水)
事情で携帯が使えなかったが、使えるようにした。昼はくまさんたちと中華を食べた。流石にスペイン一美味しい中華だけのことがあった。グラン・ビアは工事やら警官がウヨウヨいる。結婚式の警戒がもう始まっていてこれから22日過ぎまで大変だ。もうすでに道路が封鎖されていてタクシーでも移動はもう大変な状態らしい。22日には僕が使っているメトロの駅は閉鎖されて使用できない。その日はソルから乗らないといけないらしい。
5月20日(木)
昨日終わった後、番長、M夫妻、Tさん、Yさん、シーラさんとコロキオをした。寿美さんは体調不良のために帰った。話題は、ファンディの耳1枚とマティアス・テヘラの耳2枚について。観戦記にも書いたが、総評として、マティアス・テヘラは耳1枚の価値しかない。と、言うものだった。しかし、ファンディが耳1枚ならマティアス・テヘラは耳2枚になるだろうということも、確認できた。M夫人は、「ファンディはバンデリは凄いのよ。あのバンデリを打てる人はいないもの。あれで耳をあげなきゃ、あの子、つぶれるわよ。そうなるとアルティスタしか耳取れなくなる。あれだけやっていたのだから耳あげても良いのよ」と、いう言葉には、ある種の説得力があった。
Yさんは、「マティアス・テヘラは胸に来るものがないのよねぇ。」。Mさんは、「マティアス・テヘラは、ピコじゃん。パセも、体の近くを通らないし、ムレタを大回ししている。あれじゃダメだ。」と、言うものだった。後から、Yさんに散々皮肉を言われた。「斎藤さん、ファンディが終わった後、これで良いファエナが出たら耳2枚出るんじゃない、とかいうから・・・。もう本当に出て、あんなの良くないもの。」僕がファンディの後に言った言葉が気に入らないようだった。番長もマティアス・テヘラの闘牛には不満を持っていた。それからみんな酔っぱらって、話が脱線して色んな話をした。
Yさんは、「エドちゃん(エドゥアルド・ガジョ)のコンフィルマシオンの切符、予約して置くから、絶対来てよ。オトーニョだったらちゃんと休んで来てね」と半分脅し、半分冗談を言われた。酔っぱらったらこう言うのはありだ。笑って聞き流しました。番長は、ジャック・ダニエルを3杯飲んで酔っぱらっていた。美味しい摘みと美味しい酒と、気の許せる闘牛仲間との闘牛の話。最高の取り合わせだ。
下山さんはTELで、昨日のテンディド7の日本人の特集について、色んな番長の映像が使われていたといっていた。コロキオの時、番長に最近TVの取材を受けたか訊いたら、してないといっていたが、昔の映像から今までのものを抜粋して流したようだ。それにしても、シーラさんは、残すところ今日を入れて2日だが、この1週間で3回のプエルタ・グランデを観たことになる。これは非常にラッキーな事だ。
5月21日(金)
昨日終わった後、寿美さん、番長、M夫妻、Yさん、シーラさん、アナスタシアさんとコロキオをした。アベジャンは何故あそこで牛が動いたのに剣刺しに行ったのか?普段レシビエンドをやったことがないのに、あれじゃ剣刺しが失敗するのが目に見えている。「アベジャンは馬鹿だもの」「せっかくプエルタ・グランデできたのに」「頭が真っ白になっていて」・・・。アナスタシアさんだけが、「あたしはアベジャンが怪我しないで闘牛出来ればそれで良いの」と、いっていた。それは違うでしょうと思ったけど・・・。
総論として、昨日のマティアス・テヘラのファエナよりずっと良い。今日のアベジャンのファエナこそ耳2枚の価値があるというものだった。あの牛であんなファエナが出来るなら、良い牛が出たらもっと凄いファエナが出来るはずだ。27日のカルテルは、アベジャン、セラフィン、マティアス・テヘラ。面白そうだ。
5月24日(月)
22日はフィリッペ皇太子とレティシア・オルティスの結婚式があり人がウヨウヨで、しかも、超厳戒態勢。グラン・ビアに入るために小さな道なのに2ヶ所で検問があり持ち物検査。ポケットも触られてテロリストが入る余地はない。空港の何倍も厳しい超厳戒態勢でパレードは何が何でも無事に終わらせるんだという国家の意思が感じられた。普段利用する地下鉄の駅は閉鎖され、ソルでメトロに乗るためグラン・ビアを横断。だから、合計4ヶ所の検問を通った。お婆さんのハンドバックの中まで見るという徹底ぶりだった。思った通り、コンピューターなんか持ってなくて良かった。だから、22日はネット接続せず、23日は、何か疲れてゴロゴロしていてこれもまた、ネット接続せず。それで24日ようやくネット接続する。が、21日の観戦記は未だ書いていない。
ほぼ1mおきに道の両側に警官が立ち機関銃や、銃剣をさした軍兵も立っている。王宮での結婚式前、フィリッペとソフィア王妃が入ることから小雨が降り、レティシアが入る頃が1番雨が強かった。アトーチャ駅横の教会へのパレードの頃には雨はほぼあがって何事もなく無事王宮に戻ってきてバルコニーからフィリッペ皇太子とレティシア・オルティスが笑顔で挨拶をして、キスをした。その後、ファン・カルロス国王とソフィア王妃が挟む形で並んで挨拶をした。その後、レティシアの両親や家族、エレナ、クリスティーナ両王女の家族も入ってバルコニーで挨拶した。
ここでTV中継は終了して、結婚式からパレード、バルコニーの挨拶までをダイジェストで何度も流した。その日1日TVは結婚式の事を取り上げていた。22日はメトロがただ乗り出来たのでそのつもりで切符を持たずに闘牛場へ向かったらパレードが終わり閉鎖されていた駅も開いていたのでそこで乗ったらしっかり普段通り有料になっていた。22日は騎馬闘牛で、レオナルド・エルナンデスが耳1枚。アルバロ・モンテスが場内2周、耳2枚。セルヒオ・ガランが耳1枚が2回で、アルバロ・モンテスとセルヒオ・ガランのプエルタ・グランデをした。最後のセルヒオ・ガランは1回ピンチャッソがあったために耳1枚だったがこれがこの日のメホール・ファエナだった。
朝、カサ・デル・リブロへ行って、ドイツ人女性写真家、Anya Barteles-Suermondt が撮った、ホセ・トマスの写真集を買って、FNACへ行って、Diana
Krall の『THE GIRL IN OTHER ROOM』 を買ってきた。このCDにはエルビス・コステロ、ジョニー・ミッチェル、トム・ウェイツが曲を提供している。また、エルビス・コステロは彼女と曲を作っている。声は割とハスキーな感じで多分20代だろうけど30代後半から、40代の女の声のようで、甘くないお菓子のようで、彼女の人生の苦労や努力が滲み出ているように、落ち着いて聴けるCDだ。人を落ち着かせることが出来る人は、人に好かれる。イライラさせる人は、そのうち、見向きもされなくなる。こういう音楽は、ヒットしなくても良いCDと言うのだ。
5月25日(火)
「 「小説」だけが「物語」を必要としているのではない。また、「物語」は作者の求めに応じて簡単に出現してくれるものでもない。ぼくの、古い物語やお伽話(とぎばなし)の愛読者としての信仰によれば、「真の物語」(このような陳愚な表現が許されるのなら)は、その出現を激しく願うこと、その真正な祈りを通じて出現するのである。
もっとも簡易で、かつ原初的な「物語」とは、子どもが大人になる「物語」、成長する「物語」だ。もっというなら、どこかに「行って帰る」ことによって主人公が変化する「物語」だ。それ以上の「物語」を、人間は発明しなかった。作り出す必要がなかった。いまと違う自分がありうることだけが、人に生きうることの可能を教えるのである。その意味で、その意味だけ、「小説」や「文学」に意味があるのだ。とぼくは考える。それは、時間潰しのために存在するのではない。それは、人が変わりうるという希望を棄てられないために存在するのだ、とぼくは考える。 」 ーー『物語の体操』 大塚英志 著 朝日文庫 の、あとがき解説 「解説 もう一つの物語」 高橋源一郎 より引用 ーー
人が人を観て、(顔がではなく生き方や生き様が)美しいと思ったり、感動したりするのは、その人に、あるいは、その人の人生に、「希望」を感じるからだ。人はその「希望」に感動するのだ。成長という変化、どんな状況に置かれようとも絶対に失ってはいけない「希望」を握りしめて自分の生きる喜びを燃焼しようとする強い意志があって初めて自分自身の人生を真っ当に歩み出すことが出来るのだ。
だからこそ、高橋源一郎がいう、「 「小説」だけが「物語」を必要としているのではない。」のである。「物語」は、「その出現を激しく願うこと、その真正な祈りを通じて出現するのである。」そして、「もっとも簡易で、かつ原初的な「物語」とは、子どもが大人になる「物語」、成長する「物語」だ。もっというなら、どこかに「行って帰る」ことによって主人公が変化する「物語」だ。それ以上の「物語」を、人間は発明しなかった。」のだ。「いまと違う自分がありうることだけが、人に生きうることの可能を教えるのである。」「それは、人が変わりうるという希望を棄てられないために存在するのだ」と。
人が書く物語で、もっとも身近でもっとも重要なものが、その人の人生という「物語」なのだ。その「物語」が誰にも出来ない人生を生きる喜びで埋めることが出来たならば人はどんなに幸福だろう。人生とは独りひとりウニコ(独特な)なものだ。その自分だけにしかできないウニコを生かし切れるように、生きていかなければ楽しい人生など送れないし、満足できないだろう。これは有名、無名などということはまったく関係がないウニコの人生の話だ。そしてこれがそれぞれの人にとって1番大事な、「物語」の話なのだ。より良い人生を送ろうとするならば、今ある現実と正面から向き合うことから始めるべきだ。
昨日、メトロでベンタスへ行こうとしたら、ホームで番長にあった。一緒にベンタスに着くと改札の外には人が溢れていた。乗る前は曇っていたが、もう外は雨が降っている。合羽を着て外へ出たら凄い雨。闘牛場の入り口にも人が溢れている。掻き分けて入場してプログラムを貰う。中も人が溢れている。みんな雨を避けて中にいる。TVでは、ノビジェーロがアレナに出てきて状態を観ている。時間は19時。開始時間だが観客は客席に着いていない。何分かして場内放送が流れた。アテンシオンの声で、シーという声がなり静になった。そこで今日の闘牛の順延が放送で流れ払い戻しが今日の20時までと明日と、言っていた。
番長としばらく闘牛場にいた。プエルタ・グランデに場所を移し立っていたら、19時35分くらいに今日の牛の名前や色、体重が書かれた紙を貼っている掲示板に、紙を貼りに来た。そこには、切符の払い戻しは27日までで、今日の代替開催は6月6日に行われることが書かれてあった。それからメトロに乗って帰ってきた。
マドリードでは、この期間に33チャンネルで22時半頃から1時間その日のサン・イシドロの闘牛のダイジェスト番組を毎日やっている。日曜日はゲストでアベジャンが出ていた。それは良いとして、24日は雨で順延になったため、これまでのサン・イシドロのメホール・ファエナをTELなどで投票していた。集計を出していなかったが、TELとスタジオに来ていた人たちの意見の殆どが、1番が、アベジャン。次がアントン・コルテス。その次がマティアス・テヘラの順番だった。ノビジェーロは勿論、エドゥアルド・ガジョ。それは当然の結果だと思う。
朝、エドガールにTELをした。明日の闘牛の前に、着替えの写真が撮れるかどうか、セサルに訊いて貰うように。明日の闘牛は重要な意味を持つ。セサルが、ネルビオッソになっているのではあれは、写真は撮れないだろう。大事なサン・イシドロだから、取れなくても仕方がない。もし撮れるのであればそれは非常に嬉しいことだ。もし、OKが出たら明日はホテルに行かなければならないのでHPは更新できないだろう。
レアル・マドリードの次期監督に、前回のワールド・カップの時にスペイン代表の監督をしていたホセ・アントニオ・カマチョが就任した。
5月26日(水)
昨日の夜エドガールからTELがあり、写真撮影は出来なくなった。でも、ホテルで会ってくれるそうだ。エドガールの話だと、モービルも切って非常にネルビオッソになっているという。26日のは非常に大事な日なので、と言っていた。それは、充分承知しているのでそういうことになるんじゃないかと思っていた。そんな中でも会ってくれるというのが嬉しい。サン・イシドロの祭り中の闘牛とは非常に大事なものなのだ。その事は、長い間、サン・イシドロを観ているので解りすぎるほど解っている。
しかし、これほどネルビオッソになっているスペイン人闘牛士はいるのだろうか?でも、フィグラはみんなそんな感じなのかも知れない。命がどうのと言う事と同時に、今年の評価がほぼ決まってしまうと言っても過言じゃない状況に追い込まれてしまう。特にセサルのような外国人に闘牛士には。スペイン人闘牛士はその辺は未だ気が楽だ。そういう中で、唯一、いつも真剣だった闘牛士が1人だけいる。それが、ホセ・トマスだった。あの闘牛史上最高の闘牛士。だからこそ偉大な闘牛士になれたのだ。
サン・イシドロは去年に比べて牛が良い。昨日セラフィン・マリンが牛に力強さが足りなくて耳1枚だったが、それまでは、耳が出る日は全てプエルタ・グランデの日だった。セラフィン・マリンもいつも真剣。こういうのを続けると偉大な闘牛士になれるのだ。
5月27日(木)
昨日ホテルで始める前セサルにあった。笑顔で握手しただけだったが、用意しておいたラス・ベンタスのフェスティバル闘牛とセビージャのグラン・ファエナの写真はモソ・デ・エスパーダのルイス・カルロスに渡した。エドガールが言うように確かにネルビオッソになっていた。でも、1頭目で良いファエナをしたので嬉しかった。闘牛が終わった後、寿美さん、番長、榎本さん、Wさん、Tさん、M夫妻と立ち話をして、コロキオは例のバルで、M夫妻とTさんと4人で行った。
M夫人は、復帰した闘牛士は今までみんな口笛吹かれるような事しかしなかったけど、今日のセサルは素晴らしかった。今精一杯の闘牛をやったわよ、と、いっていた。残念なのは剣が決まらなかった事もあるけど、もう少し良い牛が出ていたら、グラン・ファエナになっていただろうにと思う。何か変な牛だった。遠くで読んでくる牛なのに近くにいると変な動きをしていた。Mさんはあの牛は真っ直ぐ来る牛で凄くやりにくい牛でそれを体の後ろに廻していたのは凄かった。と、いっていた。僕は途中から興奮してファエナの後半がどうだったか良く判らなかった。
ことセサル・リンコンになるとどうもダメだ。意味不明の?マークが並んでいる。ファエナ後半はどうだったのだろう。写真を撮りながらメモしているのでその辺もネックになっているのかも知れないけど。
TELで下山さんと話して解ったことがある。セサルは、「あの牛は嘘つきだ」と言ったそうだ。あれだけの距離で呼んでくる牛にしては、ファエナの後半はまるで動きが悪かったし危ない牛だった。実際、セサルが悪いわけでもないのにコヒーダされた。パセも繋がらなくなった。1頭目の牛を、TVは、peligrosordo と言い、エル・ムンドのハビエル・ビジャンは、peligroso と書いている。その牛を場内1周させたプレシデンテはおかしい。でも、あれはセサル・リンコンへのレスペトも入っているような気がする。
エル・ムンドのハビエル・ビジャンは、記事の中で、30mか40m牛を呼んでいたと、記述している。そんなことをしたことがある闘牛士は闘牛の歴史が始まってから今までにいただろうか?僕は知らない。少なくとも、13年闘牛を観てきたが、そんな闘牛士を1人も観たことがない。ただ1人セサル・リンコンだけがこういう距離でも平気で牛を呼んでいる。それ以外の闘牛士で観ることが不可能な誘う距離である。M夫人が言ったが、「あれだけ遠くから牛を呼ぶと、「オーレ」って叫んでしまうよね」、と。
5月28日(金)
昨日の昼は、Tさんと昼食を取った。中華だったが結構量が多かった。闘牛や風太朗の話をした。昨日は暑かったが外に出ると道路が濡れていた。食事している間に、雨が降ったようだった。闘牛はどうだろうと心配したが大丈夫だった。が、牛が悪すぎ。インバリドばかり。そんな中でも3人とも何とかしようと体を張っていた。だから、詰まらなくはなかったが、やっぱりいまいち。コロキオはアナスタシアさんとした。観ていると色んな疑問が出てくるようで質問を受けた。そういうことを思っているのかとか、ちょっとそれは違うんじゃないとか、色々思った。バルの親爺に、今年のサン・イシドロ立派なプログラムを貰った。
結局アベジャンは耳を取れず、ベネフィセンシアには行けなかった。どうやら、セラフィンがベネフィセンシアに出場することが決まったようだ。
5月29日(土)
新しいバージョンのHPトップがもうすぐオープンできる。色々こうせい、ああせいと、言われてきたが、がんとして変えなかったが、試作品を作って貰ったのでそれで、これならこっちの方が良いやと思って完成したらそれに変える。現在作成中。
牛が悪いから代えろというのは当たり前。しかし、その基準が何処にあるかとなるとこれが難しい。こういうことを考えさせられたのが、昨日の闘牛だった。何処に可能性を見つけるのか、闘牛士の立場で考える。ファンの立場はあくまで良い牛を出せ。これだけじゃ、どうも収まりが悪い気がする。だから、この牛の何処が良いからここをいかしてファエナすれば良いとか考えないと、何でもかんでも牛代えろになってしまう。それじゃ素人と一緒だ。違うところに筋道を立てて考えていかなけれがならない。
5月30日(日)
昨日闘牛が終わった後、くまさんやjosemiさんたちと会って1杯飲んだ。その中で面白かったのが、TVゲームの話。闘牛士が闘牛をするゲームをリーガ・エスパニョーラのTVゲームのように作れば面白いだろうと言うものだった。それにプラスして牧場主、アポデラード、興行主、の部分も作りカルテルの作成とお金のやり取りを、ダビスタの様な形式でやれば、日本人はお金の絡むものだと好むので良いのではないかというものだった。勿論出発は闘牛学校から。そんなのを作れるのは、斎藤さんしかいないと、言われた。これはでも本を書いてからの話。
それともう一つ、セビージャについて。ベティスのスペイン代表のホアキンがワールド・カップ最終戦でPK戦を外してスペインの負けが決まった。ワールド・カップが終わりセビージャの空港に到着したホアキンを待っていたの600人あまりのファン。そのファンは、ホアキン良くやったと、誉め讃えたという。ブラジルならファンは暴動を起こすだろうし、コロンビアならピストルで殺されるだろう。でも、セビージャ。セマナ・サンタでおなじみのビルヘンの土地。そこは母親のように優しい気持ちで、受け入れるのだ。
曰く、「ホアキンはセビージャという土地ではやっていけるだろうけど、他に移籍したらダメになるんじゃないか」、と。同じ事を、セビージャの闘牛士に感じていたのでそのものズバリの意見を訊いたようでモヤモヤが解消された。セビージャは人間を甘くする。その点、マドリードは有名無名関係なく、本物に対してはレスペトを持っている。ダメなものはダメ。良いものは良い。はっきりしている。これはサッカーも闘牛についても同じ様だ。レアル・マドリードのファンを観ていれば解るように、良いときは熱心応援して、リーグ後半の連敗の時は元気がないし観にも来なくなる。来たファンは、不満で一杯で監督に罵声を浴びせる。
セビージャは人間を甘やかせる。何処でもそうだが、自分に厳しくなかったら、本物にはなれない。現実を直視しなければ、希望ある人生は送れない。それともう一つ面白いことは、競馬ファンは面白い。レースを予想して馬券を買い、ハズレて反省して、当たってどうして1点で買えなかったとか、どうしてもっと買っていなかったのかと、反省する。競馬ファンはハズレては反省し、当たっては反省する。でも、人生だって競馬ファンのように本当は反省ばかりが多い。こういう風にいつでも反省する姿勢や態度なければ現実や忙しい日常に押しつぶされて、人生がダラダラと過ぎて行くだけになってしまう。
自分に厳しくなること、現実を直視すること、本当にこれで良いのと反省して、これからどうすれば良いのかと考えることが重要だ。
29日コルドバで、フィニートが、ウニコ・エスパーダでドミンゴ・エルナンデス牧場の牛を、インドゥルトした。
5月31日(月)
HPを始めた頃、闘牛観戦記はあまり読まれないだろうが、これは記録として記述していこうと思ってHP上に載せることにした。これが自分にかした日々のノルマのようになった。その日観た闘牛をノートして、残像を文章化する。これは僕の文章のレッスンになっている。そんなに毎日、気合いが入った文章で書けているわけでもないし、すんなり書けない日の方が多いが、良い闘牛の後はそれが伝わるように書きたいと思って書いてきた。それがある程度伝わっているいるようだと言うことが、掲示板を呼んでいると解る。
今日で5月が終わる。ダービーは、初の地方所属の馬が勝つと思ったがそうは行かなかった。買ったのはキングカメハメハ。NHKマイルに続いてGT連覇。鞍上は、地方所属から、中央に移籍してきた2年目ダービーを勝つところに安藤勝己騎手の腕の確かさと、厩舎サイド、馬主からの信頼が伺われる。二十何年乗っているも勝つことが非常に難しいダービー。地方所属の騎手や競馬ファンに夢を持たせるダービーの結果だった。おめでとう、安藤勝己。こうやって毎年GTを勝つことがファンに希望と夢を持たせるのだ。
書き忘れていたが、29日の騎馬闘牛は、フェルミン・ボオルケスが、耳1枚が2回。ルイス・ドメクは耳なし。アンディー・カルタヘナが、耳2枚で、フェルミン・ボオルケスとアンディー・カルタヘナがプエルタ・グランデだった。アンディーはタズナ捌きが上手くなった。唯無鉄砲で、ビオリンだけの派手なスタイルから、タズナ捌きでも観客を沸かせる事が出来るように成長した。もし騎馬闘牛を観るなら今年のサン・イシドロでプエルタ・グランデしたメンドーサ、アンディー、アルバロ・モンテス、セルヒオ・ガランの4人の騎馬闘牛士がお薦めだ。
30日、ニームで、ポンセがファン・ペドロ・ドメク牧場の牛を、インドゥルトした。
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