断腸亭日常日記 2004年 スペイン日記

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年のスペイン滞在日記です。

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 4月14日(水)

 無事マドリードへ到着した。飛行機の中で1つ忘れ物に気付いた。仕方がないので、忘れたことをTELで謝った。17日闘牛が終わってから多分みんなで会うのでその時に詳しく話そうと思う。その他に忘れ物があったのに気付いた。PCカードを接続するケーブルを忘れた。仕様がないのでTEL回線でネット接続することにする。

 家に着いたら子供たちの髪がなくなっていた。窓には、白い紙に、NO AL (この間に黒い喪章を表すリボンが書かれている)Terrorismo と書かれ貼ってある。3月11日の列車同時爆破テロの事である。家にはKさんはいなかったが、Yさんが来ていて夕食を作っていてくれた。Yさんと話したり、子供たちと話したりした。Yさんは遅くなったので家に帰り、下山さんや、寿美さんへTELで連絡した。セビージャへは月曜日に行くことになった。

 これからテンディド・セロでモランテのウニコやセビージャのドミンゴ・デ・レスレクシオンを観てから寝る。明日は7時の起きて子供たちを送り出して闘牛場へ行って17日の切符を買ってそれからAVEの切符も買ってくる。


 4月15日(木)

 朝7時過ぎに起きて子供たちを送り出して飯を食った。塩分が足りないのでにぎりめしに醤油をかけたら美味しくて涙が出そうになった。朝から感動を味わってラス・ベンタス闘牛場へ向かった。もうサン・イシドロのアボノを売り出していた。普通ソル・イ・ソンブラを売るところで17日のフェスティバル闘牛の切符を売り出すのだという。ほぼ10時にタキージャが開きソルのバレラを売っているか訊いたらあるというのでテンディド7のバレラを買う。とても幸せな気分になる。

 昨日の下山さんの話だと今年ホセリートは、4月2日のバレンシアと17日ラス・ベンタスの列車同時テロ被害者の為の慈善闘牛の2回しか闘牛をしないそうだ。カルテルを観ていてたらホセリートの所の若牛が出るようだ。多分ホセリートがやるのだろう。それから、ソルへ両替に行った。コルテへ寄ってPCカードを買おうと訊いたら、PCを置いているビルは12時からだという。FNACへ行って、『6TOROS6』とフィルムを買って上にあがってCDやDVDを観て、思い出したようにFさんに会いに行った。

 近況を訊いてサッカーの話をした。今年のラウルは全然ダメだという。もう年で体が動かない。得点が取れない。多分、今年は優勝できないだろうと言っていた。今度の土曜日はアトレティコとの対戦。22時からで子供たちが一緒に観ようと言っていた。闘牛終わってから充分観れる時間だがどうなるか判らない。帰りにみんなでのみに行くかも知れないし、誰かとあるかも知れない。FさんはTVの仕事でこれから迎えに来るというので、買い物の続きをした。

 しかし、結局PCカードはFNACにもコルテにもなかった。コルテで、ロラ・フロレスのCDを買ってきた。RENFEのオフィスに行って19日のセビージャ行きのAVEの切符を買ってきた。それから帰ってきて昼飯を食って一服してコンピューターに向かっている。トム・ウェイツのピアノでクリスタル・ゲイルが歌う、『Teke Me Home』 を聴いているととても幸せな気分になる。こんな風に言われたら男は素直になるよなぁ。フランシス・コッポラの映画、『ワン・フロム・ザ・ハート』 のサウンド・トラック。


 4月16日(金)

 朝食を取って子供たちを送り出してから、シャワーを浴びてTELをした。日曜日は闘牛を観てからYさんと会うことになった。それからエドガールにTELをした。今マドリードに来ていて、明日セサルの写真を撮りたいと言ったら、訊いてみて明日TELをすると言っていた。セサルは胃腸炎だったけど元気になったと言っていた。TELを切って何分もしない内に、エドガールからTELがかかってきた。電波の関係で上手く話せず、モービルではなく家のTELでエドガールにTELしたら、明日の5時に(17時のこと)ホテルに来るようにセサルが言っているという。やっぱり一緒にいたんだ。凄く嬉しくなった。

 マドリードのフェスティバル闘牛の前に着替えの写真が撮れる。1発即答。スペインに来た甲斐があったというものだ。ホテルは去年アベジャンが泊まった所。今回のフェスティバルではおそらく出場する全ての闘牛士がそこに泊まる。セサルがいつも泊まるホテルではないが闘牛場に近いから写真を撮ってからの移動には良い。

 カメラバックからカメラを出して点検していたら、電池がないことに気付いた。これから電池を用意しなければならない。明日は忙しくなる。


 4月17日(土)

 昨日は涙をボロボロ流した。感情が高ぶったわけではないのに涙はボロボロ流れる物である。玉葱を5個剥いて、包丁で切っていたら個人的な感情とは一切無関係に、玉葱に肉体が反応して涙が流れたのだ。女ってこうやって毎日、あるいは、週に3回くらい涙を流しているのかも知れない。でも最近は、料理をしない女が増えているからこうやって涙を流すこともないのかも知れない。でも、それは不幸なこと。玉葱で涙流せない女の人生は不幸の始まりだ。

 昨日の夜、Kさんが帰ってきた。13時くらいから料理を初め16時半頃までかかった。玉葱で涙を流しながら、しんなりするほど炒めて、すったというより、削った人参3本をゆっくり炒めて、それから、ジャガイモを入れてまた炒めて、フライパンでは豚肉に塩とショウガを付けて置いていたものを焼いた。それから、子供用の鍋と大人用の鍋を用意して、材料を分けて、水を入れて火をかける。大人用にはニンニクとショウガを多めに入れてある。

 充分火が廻ったらカレーのルーを入れて火を消す。とろとろになったら出来上がり。いつもあまり食べない次男がおかわりをして平らげたのにはビックリした。

 これから、用意をして17時にタイムスケジュールを合わせて行動を開始する。天気が悪いので雨が降らないことを祈る。

 明日は、日本では皐月賞。コスモバルクが勝つんだろうなぁ。と言うか、是非とも勝って欲しい。いや、絶対勝って貰いたい気持ちだ。18番の大外枠でも大丈夫だと思う。


 4月20日(火)

 日曜日昼にmovilのタルヘタを買って使えるようにして中崎君たちと昼食を取った。そしたらくまさんとの打ち合わせが出来なくなったので夜に回すことになった。闘牛を観に行ったが風が強いのと寒いと、その用事を済ませないと21時の待ち合わせに間に合わない状況になったので闘牛は、4頭目が終わった出た。ノビジェーロの内2人がベンタス初登場だったが、面白くなかった。それからハウスに行って書類を受け取って打ち合わせをして、21時から夕食を取った。Yさんとの夕食は楽しくゆっくり取ったので帰ってきたのが1時半過ぎだった。

 セビージャ行きの用意は殆どしていたので、Kさんと少し話をして寝た。月曜日の朝、AVEでセビージャへ来て、直ぐに闘牛場へ切符を買いに行った。自分の分を買ってから28,29日用の切符を取りに行き、書類を出して1枚1枚切符を確認してかなりの枚数を受け取った。それからタバコを吸ってタクシーを捕まえて乗ろうとしたらタバコはダメだと女性ドライバーに言われた。仕様がないので消して乗っていたが、急に汗が噴き出し、吐き気がしてきた。どうも他人の切符を大量に受け取った緊張感からこんな風になったのだろう。2度とこんな事は嫌だと思った。ガイドの人は大変な苦労なんだと感じた。

 もう闘牛へ行かなければならない時間になったのでこれでやめる。昨日の観戦記も未だちゃんと書いていない。色々忙しくてHPを更新する暇がない。


 4月21日(水)

 書いていなかったが18日の闘牛の前にセサルがいるホテルに行った。時間通り着いて受けつけにセサルが来ているか訊いたら未だだという。それから10分位してからちゃんと分けを言ってもう1度訊いたら部屋にTELをした。もう時間が大分押していたので焦っていた。そしたら案の定、着替えは終わったようでここで待っているように言われた。だから、挨拶だけしか出来なかった。受付の係員には始めから説明しておけば良かった。向こうの対応も悪いんだけど。だから、結局写真を撮れなかったのだ。

 でも、夢を見ているような耳2枚を取ったので興奮した。まさか、本当に耳2枚を取るとは思わなかった。そんなことは夢でしかないと思っていたが、現実に耳2枚取ったので冷静じゃなくなった。好きな闘牛士の場合はそうなるのは仕方ない。

 アナスタシアさんからTELがあり、カエルさんとも話をした。荻内先生の出版記念パーティーは2ヶ月延期になった事を伝えた。残念がっていた。7日マドリード近郊に闘牛を観に行くかも知れない。何時から始まるか判らないが。マドリードに帰ったらエデンの園へ行ってリンゴを囓ろうと思う。

 来た初日はセビージャは寒かったが、もう昼は暑い。今日は風が吹いていたので肌寒かった。闘牛場は日が陰ってくると寒くなる。


 4月22日(木)

 つきのない闘牛士というのはあんなものだ。折角良いファエナで喝采を浴びても、剣刺しで耳を1枚も取れずに場内1周が2回。あれで剣が決まっていればプエルタ・デル・プリンシペで闘牛士人生が変わっていたかも知れないのに・・・。ああいう闘牛士は多いと思う。あの時、ちゃんと剣が決まっていれば、と。でも、人生とはそう簡単に上手く行かないし、上手くできていない。だから、小説や映画は上手くできている。そんな上手くできる奴は、本の中にしか存在しないと思っている人も多いが、それでも、最高のチャンスをちゃんと掴んで人生に繁栄していける人も非常に少ないがいるのだ。

 耳2枚に相当するファエナで剣が失敗した後の場内1周では笑顔がなかったが、最後の牛で剣を失敗して耳1枚をなくした後の場内1周では笑顔があった。もう諦めて笑顔しか出なかったのかも知れない。レアンドロ・マルコスは、印象に残っても、フェリアの歴史に刻まれることがないだろう。

 米ちゃんからメールが来ていて、先月倒れて救急車でいったら卵巣が爆発したと、書いてあった。意味が良く判らないがやばい病気になったのだろうか?


 4月23日(金)

 今日はセサルがセビージャに出場する。昨日TELしようかと思っていたがしなかったので写真は撮りに行けない。でも、今日の席はソルのバレラ。と言っても3列目なので純粋な意味ではバレラではないが。でも、2列目よりは写真が撮りやすい。何故ならバレラにあるワイヤーロープが邪魔しないからだ。

 昨日闘牛が終わって待ち合わせ。バルでセニョーラが支払いをしていたら、お金を置いて、デハール・デ・プエルタと、言ったので何を言っているんだろうと思って、まゆみさんに訊いたらちょっと考えた後、デハール・デ・ブエルタっていったんじゃないと、言った。あっそうかブエルタね。それなら、意味は判る。そういう言い方をするものかと思った。昔は、バルでもタクシーでも、チップを置く人が多かったが今はそんなに置かないようだ。バルでセニョーラの後に会計をして5センチモ置いたら、カマレラが、グラシアスとニコッと笑った。タクシーでもチップをやると運転手が喜ぶ。態度が違うのだ。

 ユーロになってからみんな生活が苦しくなってチップを置かなくなっているようだ。1番置くレストランでもスペイン人は少なくしか置かないというし、昔みたいに置く人は、観光客が多いのだという。

 帰ってきてウーゴの散歩。ゴミがあるので捨てようと庭で間引いたレモンを両手の袋にもって出たら、下山さんが、乞食にあげたらと言いだし、訊いたら、欲しいと言ったのであげた。そしたら、俺は使わないからと言ってボノブス(バスに10回乗れる切符)をくれた。全然使ってない物だったのでビックリした。乞食からものを貰ったのは初めてだった。何かこれじゃこっちがものをあげたんじゃなく、貰ったようなものだ。善意とは、人に伝わるもののようだ。その後、その乞食は同じ話を何度もしていた。孤独で人恋しいのだろう。でも、7,8キロあるだろうレモンで何をするんだろうと思った。

 でもスペインでは、壊れているといってもワゴン車を乞食にあげ、雨風や寒さをしのげるようにしてあげる善意が未だに存在していることに驚く。人々が助け合って生きていくことは、社会的なシステムだけでは救済できない弱者をスペインでは救っている社会のような気がする。


 4月24日(土)

 一夜が明けた。今とっても幸せな気分だ。昨日は闘牛が終わってから飯を作って食ってから23時頃から観戦記を書き始め終わったのが1時過ぎだった。それからアップして酒飲んだり何かして寝たのが3時半過ぎだった。目覚ましをかけずに起きたのが10時半頃。それから軽い朝食を取ってサンタ・フスタに行って新聞を買ってきた。全国紙の、ABCが、1面に肩車の写真で、Magistral Cesar Rincon.。EL MUNDO、の表紙が耳2枚持っているセサル・リンコンの写真が載っていて、Gran triunfo de Cesar Rincon en La Maestranza。LA RAZON、EL PAIS、には1面の記事や写真はなし。地方紙の、el Correoが耳2枚持ったセサルの写真で、El primer gran triunfo.。Diario de Sevillaは、肩車の写真で、Cesar Rincon conquista la Maestranza.

 インターネットのHPには、30m牛を呼んで動かしたと書いてあった。僕の観戦記には25mと書いた。新聞には、20mと書いてあったところもある。僕は興奮して自分が間違った判断をしているのかと、迷ってしまったが、25mと書いたのはおそらく間違いではなかった。兎に角、物凄いファエナだった。セサルは、牛が助けてくれたと、言っていたが、あの牛をああいう風に動かせる闘牛士は他にはいないのだ。あの距離から牛を誘い、呼んで動かすことが出来ることが信じられないし、驚きであり、驚きを通り越して、奇跡なのだ。

 昨日の夜は観戦記を書いてから酒を飲んだ。美味い酒だった。下山さんにセサルの闘牛を少し話したら、居るんだな、そんな牛が。と、言っていた。1頭まるまる観たかったなぁ。とも言っていた。あの闘牛はなかなか観れない闘牛だ。距離が完璧な闘牛がセサルの真骨頂。もう本当に素晴らしい闘牛だった。セビージャでこれだけ良かったんだからマドリードでもと、考えるけど、期待はしない。サン・イシドロは非常に厳しいし、セビージャで良い闘牛をしてマドリードでは全然ダメという闘牛士を毎年観てきているから、僕は期待などせずに観ようと思う。ただ験(げん)をかついで終わった後ホテルには行かなかった。行っておめでとうと、言いたかったけどやめた。

 これから昼飯を食って寝てから闘牛場へ行く。乞食から貰ったボノブスでバスに乗っていったら良い闘牛が観れた。今日もそれでバスに乗っていこう。


 4月25日(日)

 今日って日曜日か。昨日のハビエル・コンデの闘牛は彼らしい闘牛で観客を熱狂させた。観客は腰を浮かせながら「オーレ」を叫んでいるような感じだった。

 金曜日の夜に下山さんたちはマドリードへ行った。今日の夜帰ってくる。昨日の夕方、カルロスが来た。疲れた顔をしていた。

 メールを送ろうとして何度も試していたが、何故メールが送れないのかの原因が判った。TCP/IPに入れるDNS設定が日本用のサーバになったままになっていてこれをスペイン用のサーバ用に変更しなけれがメールが送れないのだ。じゃそれを変更すればいいじゃないかと言うことになるが、その資料を日本に置いてきているので設定を変えれずメールを送れないと言うことになる。勿論、受信の方は出来ている。送信が出来ないのだ。

 それではこの問題を解決するためには、2つの選択がある。1つは、スペインのDNS設定を調べる。もう1つは、ADSL回線を使うとメールは日本のアドレスでも送れるので大丈夫になる。しかしどうやって調べるかという問題と、ADSL回線を確保することと、PCカードに接続するケーブルを忘れてきたのでそれをどうするかという問題がある。どうなることか。


 4月26日(月)

 やっぱり乞食から貰ったボノブスをを使わないでバスに乗っていったら良い闘牛が観れなかった。まっそれでも良いか、ヘスリンが出ていたんだから。今日はハビエル・コンデの2回目。しばらくはグラダでの観戦になる。テンディドは5月1日だけ。セラフィン・マリンに期待している。今日のハビエル・コンデは、ヌニョス・デル・クビジョの牛を動かせることが出来るのか?

 カルロスって凄い奴だ。日本語のソフトが入ったPCがウィルス感染していてそれを、僕が闘牛に行っている間に直して行った。PC関係の仕事をしているそうだが素晴らしい腕だ。

 所で24日闘牛場で会ったアフィショナードの老人は、好きな闘牛士は誰?と訊いたら、闘牛はどうでも良い、儂は牛を見に来ているのだ。と、言っていた。だから、好きな牧場は?と、訊いたら、第1に、ビクトリーノ・マルティン、次がミウラ、クアドリ、アストルフィ・・・。と言っていた。要するにこの老人は牛を中心に観るアフィショナードなのだ。しかも、闘牛士が難しがってあまりやりたがらない牛の牧場の牛が好きだという。居るんです、こういうファンが。下山さんの話だと、セビージャは、闘牛士を中心に観てるアフィショナードが多く、マドリードは、牛を中心に観ているアフィショナードが多いと。言われてみるとそうかも知れないと思う節があるなぁ。


 4月27日(火)

 先日、車でフェリア会場の廻りを通った。もう会場はフェリアの準備がほぼ整っていた。そして、今日の0時をもってフェリアが始まった。昼間だけでなく夜もタクシーを捕まえるのは非常に難しい。昼サンタ・フスタへ行った。チケット事件があったがここでは割愛する。まゆみさんはマドリードへお客さんを迎えに行った。明日からの闘牛観戦のお客さんがもう直ぐセビージャへ着く。資料などは、明日の当日に渡すことになった。初めてこのとなのでどういう説明をすればいいのか判らないが、闘牛の会ではいつのやっている居ることなので、初めて闘牛を観る人を前提に話をしようと思う。

 セビージャに着いた当初は寒かったが、もうすっかり夏で暑くなっている。毎日ソルで日焼けをしている。水がないと体がもたない。昨日からは、1.5Lの水を買って飲みながら見ている。


 4月29日(木)

 昨日の闘牛はお客さんを連れて行った。闘牛前に1時間説明して闘牛場へ行った。ポンセも良かったが、ヘスリ・デ・トレセラが良いデレチャソを繋いで、おまけみたいな耳2枚を取って凄く喜んでいた。ああいう姿は良いものだ。肩車されている時に闘牛士は素直に喜ぶべきだ。

 闘牛が終わった後、バルで摘みながら一杯やって闘牛の話をした。良い闘牛に立ち会えた喜びを感じているようだった。説明の時から追加で申し込んだ夫婦の夫人の方が非常に熱心に話を聞いていた。あんな感じで聞かれると話甲斐がある。自然にちゃんと説明しなければと思ってしまう。あきこさんが、説明の後、「面白かった。知らないことが(一杯)あった。」と言っていた。ガイドやっている人はトータル的に色々知っているが専門的な事を深く知らないことがある。特に闘牛は色々なことがあるのでそうだ。バルで誰かが、「闘牛って深いんですね」と言っていた。深いと言えば深いんです。

 帰ってきてウーゴの散歩の後、下山さんとテンディド・セロを観た。セサル・リンコンのファエナを観て、下山さんは「凄い!」と言っていた。ハビエル・コンデのファエナにも「凄い」と言っていた。やっている内容は全然違うけど、どっちも凄いのだ!

 ネットで観たが、サッカー日本代表がチェコに1−0で勝った。ジーコのサッカーが選手たちに浸透してきたからだろうか。


 5月2日(日)

 色々あって、HPを更新する時間がなかった。現実の時間に追われて過ごしてしていた。28日、29日は闘牛ツアーで色々準備やら説明やら、実際に連れていったり、終わってから食事したり帰ってきてからも下山さんと話をしたりしてとても時間が短く感じられた。ウーゴの散歩もあったし、昨日は、日本TVでプロレス中継などをしていた倉持さん夫婦と、『パセオ』 などにフラメンコの写真を載せている写真家の高瀬さんが来てちょっと会った。

 闘牛の方は、耳が出ている。特に昨日の闘牛は、セルヒオ・アギラールがコヒーダされて左膝の靱帯を痛めた。詳しい情報が未だ出ていないが最悪今年のテンポラーダを辞めるかも知れない。昨日は、3回コヒーダされて、やられても牛に向かっていった気迫と、ホセ・トマスのように素晴らしい闘牛をして感動したので、サン・イシドロで観たかった。以前、ラス・ベンタスでコヒーダされて痛めたのも左膝だった。

 また、セラフィン・マリンも非常に良い闘牛をした。セラフィンらしい闘牛でセビージャの観客を魅了した。耳2枚の価値のあるファエナだったのに、プレシデンテは1枚しか出さなかった。ヘスリ・デ・トレセラが2枚なら当然耳2枚だったはずだ。今日の新聞には、「Viva Cataluna y su torero Serafin」 とか、「ファン・ベルモンテの様なカタルニア人」とか、書いてあった。セビージャの人間はカタルーニャを褒めないらしいが、これは、絶賛に値するし、そういう闘牛をしたのだ。もう、サン・イシドロで待ってるぜ!と言う気分だ。

 今日は朝から雨が降っている。闘牛があるかどうか判らないがこれから闘牛場へ向かう。明日も予報は雨。明日に順延なら切符は払い戻して、明日マドリードへ帰る。


 5月3日(月)

 朝、下山さんと一緒に出かけ、僕は闘牛場へ切符の払い戻しへ、下山さんはリハビリに行った。闘牛場は20mくらいの列が出来ていた。昨日の順延は、いつやるのか未だ決まっていない。マドリードなら、中止になった時点で代替日を決めるのにセビージャはのんびりしている。帰りにバルで朝食を取って戻ってきた。荻内先生にTELしたら、今日の夜どうと言っていた。寿美さんたちに連絡して会おうよと、いうことになった。マドリードの宿も昨日TELして確認したので大丈夫だ。

 昨日の闘牛の順延は、開始時間から20分以上待たされた。開始時間から観客が騒ぎだし、手拍子、口笛、フェラ・コールがおきて座布団がアレナに投げ入れられた。ベンタスなら、場内放送があるのに、マエストランサは黒板にチョークで順延と書いたものを持ってカジェホンの中を廻るだけ。この対応がアンダルシア風なのか。その後、切符の払い戻しをしようとしたら土砂降りに近い雨に変わり、その中でタキージャの前は凄い人だった。だから諦めて、下山さんとレストランへ行って豪華な食事をした。

 さっき闘牛場から帰ってきて、荷物整理をして、買い物をして来た。これから最終チェックをしてマドリードへ戻る。観戦記はマドリードへ帰ってからになるだろう。でも、セビージャはセビージャで忙しいし、マドリードはマドリードで忙しくなるので直ぐには書けないかも知れない。未だ発表になっていないが、セビージャのフェリアのトゥリンファドールは、間違いなくセサル・リンコンだろう。


 5月4日(火)

 セビージャのRENFEで、15時の切符を買おうと並んだ。次なのに携帯かけて話したりもたもたして3,4分待たされ、5分前を過ぎたら切符を売らないと言われた。何であんなにもたもた買う必要があるんだ。仕様がないから16時のAVEで帰ってきた。それから、Kさんの所に戻って落ち着く暇もなしに出かけた。20時半過ぎに荻内先生の家に行った。寿美さんは用事があると言うことで集まったメンバーは、アナスタシアさん、中崎君、先生の生徒のY君。Tさんにも声を掛けたが疲れていると言うことで来なかった。YさんにもTELしたが通じなかった。堀越さんは、21時過ぎにと言うことだったが、来たのは23時頃。三木田さんは、仕事で0時頃到着した。

 とりとめのないが、面白い話をたっぷりした。初めてあったアナスタシアさんや中崎君も溶け込んだようで気楽に話が出来たようだ。フラメンコの人たちの話も出た。みんな無名で踊りを習って今じゃ日本でスタジオを持って生徒に教えていると。安田さんもグラナダに留学してそれからフラメンコを始めた人だという。フラメンコの人ってちょっと出たがりというか、目立ちたがりの人が多いような気がするけど、安田さんは控え目な人でああいうところに人間性が出ているのだろう。28日セビージャにいるときTELがあったが、今日はマドリードで打ち上げをやるそうなので明日辺り日本へ帰るのだろう。

 荻内先生や堀越さんもそうだけど、偉ぶったりしないから、初めてあったアナスタシアさんと中崎君は話しやすかったと思う。セビージャで会った倉持さんもそんな人だった。TVの仕事をやっているいる人は、威張っている人ばかりじゃないようだ。僕が知っているスペインに来る人はそんな感じの人が多い。勿論、違う人もいるだろうけど。三木田さんなんかは腰の低い日本人サラリーマンのようでいつも初めてあった人にも好感を持たれる人だ。何かこんな事を書いていると自分が1番愛想がなくぶすっとしている人間のように思えてくる。

 久々に荻内先生と、堀越さんが一緒にいるところを観た。今、先生が原稿を書いて、堀越さんが挿し絵を描いている。昨日も原稿を渡していた。原稿を読んで挿し絵を描くのだと堀越さんが言っていた。先生の部屋は綺麗だが一つ問題点がある。それは禁煙なのだ。病気でタバコの煙だけではなく肺炎気味なのでそういう生活をしている。1時半頃解散してプエルタ・デ・トレドへ行って泊まった。朝早く起きてKさんの所へ戻ってきてこれから引っ越す。だから今日もあたふたして過ごすだろう。

 日本はゴールデン・ウィークか。皐月賞も天皇賞も思わぬ伏兵が優勝。牝馬は、ダンスインザムードがいるから固いだろうけど、他は混戦だろうな。


 5月5日(水)

 昨日は、引っ越しがあって昼食は隣のFさんと一緒に日本食レストランへ行った。4月中旬に会ったときに比べて異様に痩せて目が窪んで凄い風貌になった。もう長くないんじゃないかという感じだ。レストランでも店長などが心配して病院へ連れていく相談をした。咳をする元気もないと言う。しきりに腰が痛いと言っていた。本人は病院へ行ったといっているが本当かどうか。病名は、拒食症。それでも酒は飲んでいる。本当に食わない。近いうちに迎えが来るかも知れない。

 昼食の後は、何だか疲れたから寝た。それから、引っ越し後の準備をしたので時間がなくなった。引っ越した時間も遅かったし買い物もした。夕食は摘む程度ですませて酒を飲んで寝た。だから相変わらず観戦記は進んでいない。それにしてもFさんが心配だ。どうなるんだろう。

 今日は銀行へ両替へ行ったが、何故か今回は、1日300ユーロまでしか出来ないと言う。困ったもんだ。それから雨の中を中崎君の所へ来てメールの設定を確認したが判らないので、新しいアクセスポイントを作ってメール・アドレスを設定してやったらメールを送信できたが、何故かそのアドレスでは受信が出来ないと言う状況になっている。変な話だが仕方がない。送信できるようになっただけまし。


 5月6日(木)

 今日も朝飯を食ってから銀行へ行った。帰りに、『Aplausos』 を買ってきた。セサル・リンコンのインタビューが載っていたからだ。それから買い物をして、FNACに寄ってDVD付きのMaluのCDを買ってきた。アレハンドロ・サンスと歌っている、『CORAZON PARTIO』が入っているからだ。これから昼飯を食って本と読んだり写真の整理をしようと思う。

 毎日下山さんとTELで話しているいるが、昨日のTELでは、エドゥが下山さんを題材にした小説を書いて出版社に送ったら、「今年読んだ中で1番感動した」と、言われたそうだ。1章は闘牛をやって怪我をしてリハビリをするところまで。2章には僕が登場しているという。名前は変えているそうだが、内容は下山さんのことを書いている。勝手に僕のことまで書くからには、賞を取ったり売れたら奢って貰わないと割に合わないよな。

 昨日は中崎君の所へ行って2日ぶりくらいにネットを繋いだらグラナダのカルテルが発表になっていたのでアップしたが、てっきり出ないものと思っていたら、6月9日にセサルはポンセとフリと一緒にカルテルには行っていたのでグラナダでコーディネーターをやっている I さんへTELして一緒に行かないか訊いたら2つ返事で行くことになった。他に去年朝日新聞の記者を連れてきたときに一緒だったカメラマンも誘って良いか訊いたので、勿論OKと答えた。9日の切符を買って貰うことにした。地元のファンディが出ていないがおそらくフェリアの1番の目玉のカルテルになるはずだ。売り出しは未だ決まっていないので決まったらまたTELすることにした。流石アミーゴの国。持つべきものは友達に知り合いだ。9日、10日とセサルが観れる。その後のカルテルはまだ判らないがこれが今年の最後になるのかも知れない。今年は希望の持てる年だ。セサルが良いからホセ・トマスがいなくても幸せだ。

 くまさんの所にTELをして状況を説明してネット接続のためにメンバーズ・ハウスへ行くことにした。これからどれだけ書けるか判らないがセビージャの観戦記を書いて行くことにする。所で隣のFさんだが昨日プリン食べると訊いたら、「うん」と言って平らげた。それから夕食はパエジャ風炊き込みご飯を作ったら、「美味いね、これ」と、言って食べた。今日の昼もスモークサーモンをパンに挟んで食べた。段々食欲が沸いてきているようだ。咳さえしていなかったのに、昨日今日と咳をしている。それだけ元気になってきているようだ。


 5月7日(金)

 昨日買ってきたMaluのCDの、『CORAZON PARTIO』 を何度も何度も聴いている。今も聴いている。昨日はメンバーズ・ハウスへ行ってネットを繋ぎ情報を仕入れてHPをアップをした。これは日本でいつもやっているスタイルなのでやりやすかった。それからお誘いがあって家に行き夕食を御馳走になった。ツアーのことなどを話して今回はみんな喜んで帰っていったそうなので成功したのだろう。来年の計画なくなど話していたら、6月9日に一緒にグラナダに行くことになった。何で行くかはこれから調べて連絡が入る。0時頃に帰ってきた。それからまた、『CORAZON PARTIO』 を何度も聴いた。寝たのが朝方だった。

 目覚ましをセットしていたが1回起きてまた寝て起きたのが9時45分。アナスタシアさんとの約束が10時だったのでトイレに行って水を飲んでから直ぐに部屋を出てメトロに乗って出かけた。5分くらい遅れた。バスでバルデモロへ行った。闘牛場前にバス停がありそこで降りたが20mくらいもう列が出来ていた。値段も書いていなければ、バタンにある闘牛学校の闘牛場に毛の生えたような所だった。30分弱並んで時間ピッタリに売り出しが始まりヘネラルを15ユーロで買った。それから直ぐにマドリードへ戻り夕方闘牛場で会うことにしてメトロの中で解散した。

 TELでTさんと17時半過ぎに闘牛場で待ち合わせをした。アナスタシアさんは仕事があるので始まる直前くらいに合流する。スーパーで買い物をして部屋で買ってきたラコン・コシードを摘み豆を囓った。それからサン・イシドロのアボノを取り行き帰ってきた。いつ見てもサン・イシドロのアボノには頬ずりしたくなる。愛しい愛しいアボノだ。馬券より大事なものだ。お金で買えるものだけど、お金に換えれない価値があるのだ。


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