断腸亭日常日記 2004年 その1

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年のスペイン滞在日記です。

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2004年1月1日〜1月19日

 1月21(水)

 今日1番の嬉しいニュースは、岡部幸雄がようやくターフに還ってくることだ。岡部がいなかったこの1年1ヶ月というものは何と寂しい競馬だったことか。25日、日曜日に2鞍騎乗予定。注目のダンスインザムードで若竹賞に挑む。桜花賞候補の超良血で悲願のクラシック完全制覇に向け順調に行って欲しい。500万の牡牝馬混合の条件戦。このレースは勝ちに行くレースだし、タダ勝つだけでダメだ。どういう勝ち方で勝つかというのが今後を占う大事なレースでもある。圧勝楽勝は当然として、手応え、レースぶり、2着との着差、走破タイム、上がり3Fのタイムなど色々とチャック点がある。それらを完璧な形でクリアすればおのずと桜花賞が見えてくる。

 ローラ・ヒレンブランド著 『シービスケット』 は、3部に別れている。1部では馬主のチャールズ・ハワードが事業で成功を収め息子の死で絶望し、妻と別れて再婚し馬主になってシービスケットと出会うまでと、調教師のトム・スミスがどういう人間でどういう調教師になってきたかと、騎手のレッド・ポラードが15歳で後見人に付き添われ故郷を旅立ち付いた先で、その後見人に逃げられて奴隷のような厩舎生活を経て1人前の騎手になって、そして落ちぶれていく様が描かれている。

 ローラ・ヒレンブランドは、流石に競馬ジャーナリストだっただけあって素晴らしい筆を披露している。そしてその筆から彼女がいかに競馬を深く理解していて、競馬社会や調教師、騎手を尊敬しているかが良く判る。そして、馬がいかに素晴らしい物かと言うことも書かれてある。

 「サラブレッドは、神が創りたもうたもっともすばらしいエンジンのひとつだ。660キロにもおよぶ体重で、時速60キロ以上のスピードを維持することができる。もっとも敏捷な成人男子の能力をはるかに上回る反射神経を備え、一完歩で8.5メートルもの距離を進み、無駄のない動きでコーナーを回る。馬体は重量感と軽やかさのパラドックスで、矢のようにやすやすと空を切ることができ、頭はたったひとつの命令にしか反応しないーー走れ。無比の勇気でスピードを追い求め、敗北や疲労をものともせず、時には骨と腱の構造的な限界をも超えて走りつづける。飛翔中のサラブレッドは、自然界における、形態と目的のもっとも完璧な融合だ。」 ーーローラ・ヒレンブランド著 『シービスケット』ーー

 そしてこんな一節もある。 「世界とはつねに、馬の耳のあいだから見るべき風景だった。」これは殆ど完璧と言っていい、美しい詩だ。本当に良い闘牛士は、つねに2本の角の間から牛を観る事からしか素晴らしい闘牛の世界は始まらない事を知っている。と、言う言葉が俺の中に自然に浮かんだのも不思議じゃない。実に刺激的な本だ。

 兎に角面白い。 


 1月22日(木)

 騎手の減量については世間ではあまり知られていない。どれほど過激なものであるかの一端は吉永みち子が書いた、『気がつけば騎手の女房』 の中でも書いている。肉体に必要な水分を取っていたら減量が出来ないのでそれを摂取せず、なおかつ、サウナなどに入って汗を流して減量する。これはボクサー並だ。だがボクサーより辛いのは毎週レースがあることだ。だから週末に吉永正人が横になっていて痙攣を起こしているのを見て驚いたことが綴られている。日本のJRAなら毎週土日。アメリカでは1年中毎日騎乗できるので腕の良い騎手は体重維持のため並々ならない努力を普段から行っている。しかし、それでも増えるのが体重である。

 ローラ・ヒレンブランドの 『シービスケット』 に出ている騎手たちの殆どは、金がなくなって辿り着いた先が厩で、騎手になる無学な少年が殆どである。だから、朝から晩まで厩舎の重労働をさせられ、日々の食事とほんのわずかなお金で奴隷のような扱いを受けていた。1頭の調教料はわずか50セント。それで怪我をしようものなら大変だ。また、レースで勝てなければ怒られ、ミスをすれば家畜のように殴られ続けた。レースでのプレッシャーと調教師の家畜を扱うような日々の仕打ち、そしてさらに減量がある。厩舎から逃げ出したくても無学な騎手たちには他に働く場所がなかった。少年の頃なら、食べても体重に気を使うことがない。しかし、大人になると、騎乗のための体重を維持するのは大変だ。

 「大半のジョッキーは、よりストレートな方法を採用したーー1日600カロリーの食事という過酷な減量である。

 レッド・ポラードはまる1年、卵以外のものはいっさい口にせずにすごした。サニー・ジム・フィッツシモンズは騎手時代、夕食は1,2枚のレタスだけで、それも窓枠に置き、完全に水気を切ってからでないと口にしなかった、とふり返っている。」 ーーローラ・ヒレンブランド著 『シービスケット』ーー


 1月23日(金)

 昨日の夜は強風が吹き、今日の朝は寒かった。地面は凍っているところや霜柱が出来ていた。

 映画 『半落ち』 のエンディングにかかる森山直太朗の、『声』 は非常に印象的で、それまで何とか涙を堪えている人でも、♪あなたが眠る場所へ ・・・♪と曲が流れ始めると、もう堪えることが出来なくなって感涙を流すのだそうだ。直太朗のHPの掲示板には、老人が映画を観て感動し、曲を聴きまた感動して直太朗のファンになったことが書かれ、その書き込みへのレスで、「最後に静かに流れる直太朗さんの"声"映画を見て久しぶりに号泣してしまいました。と、思ったら・・私の隣に座っていた60代と見える女性の肩が震え、後ろでは年配の男の方の嗚咽が聞こえてきました。」と書かれ、女子高生は「私はドラマとかで感動しても、あまり泣かない人なんですが...、(←というか泣くのを我慢しているんですけど...ねっ^^;)途中からもう涙が止まらなく、さらには最後の直太朗さんの歌とエンドロールの映像がまたすごくあっていて、ホントにもう泣きっぱなしでした。」と書き、私たちと同じ世代にも是非観て欲しい映画といっていた。

 原作が評判で、映画化に際して誰が撮るかとか色々あって出来上がった映画。公開初日、主演の寺尾聡が満員の観客を見て感動して、舞台挨拶を3回もやり、3回目は帰り道から飛んで返って挨拶して涙を流したという。良い映画を撮れば観客は見に来るようだ。

 森山直太朗の、『声』 は、今月10日にシングルCDで発売された、『太陽/声』 の中に入っている。『太陽』 の方はTVなどでも必ず歌っているが、16日夜の日本TV、『Fun』 では、『声』 も歌っていた。CDを聴いていても思うけど、ちょっと半端じゃない。昔、キース・ジャレットの、『ケルン・コンサート』 を聴くときはロックのバーボンを飲みながら、ローソクの火だけでずっと聴いていた。この 『声』 も同じ様な雰囲気がある。何故か神聖な感じがして、清らかな気持ちになる。歌詞だけ読めばちょっと痒くなりそうだけど、それが素朴なギターの音色と、直太朗の声で発せられると、そんな痒さは消滅してしまうのだ。歌を聴いただけで涙が出そうになってくる。

 だから、掲示板の書き込みには素直にそうなんだろうと思えてしまうのだ。こんなに説得力がある声は他の歌手には出せない。闘牛士のように、物事を正面から見て受け止めてみたくなる。自分の人生を真剣に考え、生きていかなければ思ってしまう。こんな歌手、他にはなかなかいない。歌は本当に素晴らしいもので、5分間、聴いている人間の鼓膜の振動させているだけなのに、それが聴覚神経を通って脳に入って来ると、何故か全身を高揚させてしまう。そして、こういう感覚を理屈抜きに感じてしまうのだから、森山直太朗の歌には “魔力” があるのだ。

 近いうちに、昨日 『う・た・ば・ん』 で直太朗が美味しいといっていた、ペヤングの焼きそばに納豆をかけて食べるやり方を試してみよう。


 1月26日(月)

 岡部幸雄が泣いた。おそらくタイキシャトルでフランスのGTを勝ったとき以来2度目だろう。岡部が泣くなんてビックリした。25日中山競馬場。復帰2戦目の9R。ダンスインザムードで勝利後のインタビューで、「復帰したその日に勝てるなんて・・・」と、言って絶句。声を詰まらせて泣いていた。それを見ていたらもらい泣きした。 ♪ええいああ 君から もらい泣き ほろりほろり ふたりぼっち ・・・ええいああ ぽろぽろ もらい泣き ひとり ひとり ふたりぼっち ・・・ええいああ ありがとう 「もらい泣き」 ♪ TVでインタビューを観ていたら騎手1年生のように坊主頭の岡部が泣いていた。俺もそれを観て感極まった。


 「 岡部幸雄騎手−399日ぶりに復帰、2戦目に勝利!

 引退の危機を克服した岡部幸雄騎手が25日、中山競馬で399日ぶりに復帰を果たし、2戦目となった9R若竹賞のダンスインザムードをソツなく勝利に導き、その存在をアピールした。ファンからは拍手、声援がなりやまず、この日の中山競馬場はメーンのAJCCが霞むほど、岡部一色ムードに包まれた。〔写真:まるで新人ジョッキーのように、頭を丸めて復帰戦に臨んだ岡部騎手。55歳の“国宝”はまだまだ健在だ。(撮影・金子貞夫)〕

★JRA最年長騎乗、勝利記録

 大ベテランの岡部騎手が涙を見せ、声を詰まらせた。399日ぶりに復帰を果たし、若竹賞をダンスインザムードで制覇。55歳2カ月26日はJRA最年長騎乗であり、勝利記録でもあった。

 「こんなに多くの人に支えられ、この日を迎えられるなんて…」

 最初の騎乗となったウインラシェーナでの7R。「お帰りなさい、岡部」「馬優先主義。世界遺産だ、岡部」といった横断幕が何枚も掲げられたパドックに岡部が姿を現すと、ファンから馬が驚くほどの拍手、声援が送られた。結果は逃げて4着ながら、馬の状況を考えれば上々といえ、いい流れで注目の若竹賞を迎えた。

★桜花賞制覇へ接近

 単勝1.2倍。ダンスインザムードは勝って当然の馬だったが、以前と変わらない名手らしい先を見据えた騎乗だった。好スタートを切ったが、スピードだけで押し切った新馬戦とは違い、外から来たツィンクルヴェールを行かせて2番手に控え、直線は後続の脚色を図る余裕を見せながら抜け出しての勝利。タイム1分34秒3も水準以上で、岡部がクラシックで唯一縁がない桜花賞制覇へ近づいた。

 ゴールの瞬間、名手の脳裏には長かったブランク中の思いが走馬灯のように駆け巡ったに違いない。“勤続疲労”は予想以上で、4月には左ヒザの手術を受けたことも明らかにした。

 「手術後のリハビリ中は、もうダメかな、と何度も思った」

 しかし、そこは意志の強さをもった努力の人。再起のメドが立った矢先の昨年11月28日の調教中に右ヒザを亀裂骨折した時には、「意地でも復帰して見せる」と奮い立った。だから、その一念が通じた休養後399日目のこの日の勝利を、万感の思いで噛み締めたことだろう。

★一日一日を大事に

 この日を丸刈り頭で迎えたことも周囲を驚かせた。「一年坊主と一緒。1から、いやゼロからのスタートですから」と、今後も体力、気力が続く限りやり抜いていこうという強い姿勢をアピールし、「長すぎましたからね。一日一日を大事に、与えられた仕事をしていくだけです」。この思いに嘘はあるまい。岡部、カムバック、有り難う。(水戸 正晴)

★夫人のまり子さんは…

 岡部騎手夫人のまり子さんは、美浦の自宅で復帰レースをテレビ観戦した。2戦目で復帰初勝利をあげたことに、「ありがとうございます。この日が来るのは夢のようです。相当プレッシャーがあったと思います。いろいろな人たちの力や励ましがあったからこそ復帰できたし、初日に勝つことができたと思っています。主人は馬から離れることはできない。これで自信がついたと思うし、今後もできるだけ長く乗り続けてほしいですね」と感激していた。

 ◆伊藤正徳調教師
 「(騎乗してもらった)うちの馬より奴のことが心配で。いや、ホッとしました。日本の宝ですよ、彼は」

 ◆小島太調教師
 「待ち遠しかったね。感動ものだね。我々プロの目からも(騎乗ぶりに)違和感はなかった」

 ◆蛯名正義騎手
 「僕らがあれこれコメントできる人ではないですよ。ただただ頭が下がります」

 ◆武豊騎手
 「ボクが言うのも何ですが、長いこと休んでおられただけに、本当にこの1勝は嬉しかったと思います。これからもケガなどのないように、元気で乗られることを祈ります」  」 ーー『サンスポ』からーー

 「馬優先主義。世界遺産だ、岡部」といった横断幕があるというのには、泣けてくるよなぁ。岡部幸雄騎手非公式ファンクラブの掲示板には、中山競馬場へ行ってきた人たちや様々な書き込みもある。復帰初戦の7Rのパドックは凄かったようだ。拍手と岡部への声援で馬が嫌がっていたそうだ。岡部ファンは競馬を良く知っている。普段は馬の嫌がることをしない。そんなのをするのは武豊ファンだ。(サンスポのコメントなんだ!武豊!優等生みたいな言い方するなよ。アッ、お前、優等生だもんな。)そんな岡部ファンも流石にこの日は黙っていられなかったと言うことだ。

 9Rでダンスインザムードで1着でゴールを切ると競馬場がGT並に拍手に包まれた。この日の重賞AJCCが霞むような感じだったそうだ。みんなが望んだ岡部幸雄の復帰だ。これは闘牛士で言えば、ホセ・トマスに匹敵する。つまり、競馬界で最も重要な騎手と言うこと。

 さて、レースを振り返る。良いスタートを切った。無理せず2番手に押さえ、そのまま4コーナーへ。ペースは平均よりやや早め。600m、35.7秒。800m、47.3秒。1000m、59.1秒。余力充分で先頭のツィンクルヴェールに並び外を観て後続馬群を確かめてタズナを動かして仕掛けると馬体が沈み楽に交わす。2着との着差は、3/4馬身とわずかだったがこの差は何処まで行っても縮まることのでない完勝の内容。岡部の騎乗もブランクを感じさせない好騎乗。シンボリルドルフの有馬記念みたいだった。タイムは1600mで、1.34.2秒。上がり3F、35.1秒。本当に追い出したのが直線の最後の100mだけ。この日も鞭は使わなかった。

 馬場が違うが、去年の桜花賞の勝ちタイムは、1.33.9秒。ちゃんと走らせばいつでも出せるタイムだ。平成16年第1回中山で比較すると、8日古馬1000万条件で1.33.8秒。4日1600万条件で、1.33.5秒。5日オープンで、1.33.1秒。に、なっているので古馬比較では1000万条件クラスとほぼ同等。ただし、楽な勝ち方をしているので能力はそれ以上。3歳馬との比較の方が分かり易いだろう。1日オープン、ジュニア・カップの勝ちタイムは、1.34.8秒。つまり、デビュー2戦目のダンスインザムードはこの時点ですでに男馬のオープン馬を越えている。間違いなく重賞を勝つ能力を備えていることが判る。

 次走は、第1回東京7日目のGV、クィーン・カップ。勝てるだろう。鞍上は未だ未定。ペリエの線もあるし、岡部になるかも知れない。桜花賞について「生産者、社台ファームの吉田照哉オーナーは「勝たせてあげたいですね」と全面的支援を約束する。次走に予定されているクイーンC(2月21日、東京、GIII、芝1600メートル)では、新馬戦でコンビを組んだO・ペリエ騎手が騎乗する話も出ているが、藤沢和調教師は「もっかのところは白紙」と前置きして「ジョッキー(岡部騎手)が信頼されるには、厳しいようだがレギュラーとして順調に騎乗できて、周囲に納得してもらえるようになるのが先決」と答えた。名手を最も知っている人であるからこそのエールに違いない。」 ーー『サンスポ』よりーー

 今年の3歳牝馬は相当レベルが高い。ここを勝ち抜くのはかなり大変だ。でも、鞍上に岡部がいれば桜花賞、その先のオークスも見えてくる。競馬関係者の1部で囁かれていることは、藤沢厩舎だから、牡馬クラシックへの殴り込みを掛けるんじゃないとも言われるくらいの大器だ。


 1月27日(火)

 今日は新宿で、映画 『シービスケット』 を観てきた。本と細かいところで違いがあってちょっと戸惑ったが面白かった。ウルフ役のゲイリー・スティーヴンスは現役の本物の騎手だから騎乗スタイルなど上手いのは当たり前だけど、本物の俳優のように科白が上手いのにはビックリした。最後がまた良い。武豊じゃないけど泣けるよな。

 21日サン・クリストバル(ベネズエラ)で、エル・ファンディがエル・プラド牧場のNO167、“ゴンサレロ”という名の485キロの牛をインドゥルトした。25日サン・クリストバル(ベネズエラ)で、セサル・リンコンが、エル・カピロ・デ・ソンソン牧場の、NO644、“ペルケロ”という名の445キロの牛をインドゥルトした。

 25日マドリード、ビスタレグレ闘牛場での闘牛学校生徒による、未来のマドリードの闘牛士を探すの決勝の闘牛で、ディエゴ・ベガ、耳1枚ともう1枚要求。プレシデンテへ罵声。アルバロ・フスト、耳1枚、場内1周。ペドロ・カレロ、耳1枚。この結果により、“未来のマドリードの闘牛士を探す”のトゥリンファドールは、アルバロ・フストになった。

 18日の結果。 ボゴタ(コロンビア)。騎馬闘牛士、アンディー・カルタヘナ、耳2枚、耳1枚。闘牛士、ディエゴ・ゴンサレス、耳なし。セラフィン・マリン、場内1周。

 21日の結果。 サン・クリストバル(ベネズエラ)。エンカボ、耳1枚。ファンディ、シンボルとして耳2枚(牛はインドゥルト)。マラビジャ、耳1枚。

 22日の結果。 サン・クリストバル(ベネズエラ)。カステージャ、セラフィン・マリン、耳なし。ルベン・ダリオ、耳1枚。

 23日の結果。 サン・クリストバル(ベネズエラ)。セサル・リンコン、耳1枚。バレラ、場内1周。マルコス・ペニャ、耳なし。

 24日の結果。 サン・クリストバル(ベネズエラ)。騎馬闘牛士、ホセ・ルイス・ロドリゲス、耳なし。闘牛士、パキート・ペルラサ、フェルナンド・ロブレニョ、耳1枚。フリオ・セサル・バネガス、耳なし。 プエブラ・デ・オバンド(バダホス)。フェスティバル闘牛。イガレス、耳2枚。カリファ、耳2枚と尻尾1つ。ビクトル・ハネイロ、耳なし。ウーゴ・デ・パトロシニオ、耳2枚。見習い闘牛士、ミゲリン・ムリージョ、耳2枚と尻尾1つ。

 25日の結果。 メキシコ。ソトルコ、耳2枚。ラファエル・オルテガ・ブランコ、耳1枚。カバジェーロ、耳なし。 ボゴタ(コロンビア)。フリ、耳2枚、場内1周。パキート・ペルラサ、耳1枚。マティアス・テヘラ、耳なし。 サン・クリストバル(ベネズエラ)。セサル・リンコン、シンボルとして耳2枚(牛はインドゥルト)。ファンディ、耳1枚。アルバロ・デ・ラ・フエンテ、耳なし。


 1月28日(水)

 セサルは、インドゥルトの後のインタビューで、スペインへは2月23日に戻り、ニームからヨーロッパでのテンポラーダを初め、セビージャかマドリードへ出場するという。何となく嬉しくなっていたら、今年ホセリートが闘牛をしないというニュース。ガッカリした。ロベルト・ドミンゲスは、ボゴタでエル・フリのアポデラード初日の感想を、フリは他の闘牛士への尊敬心が足りない。未だ子供で、そこを直していきたいと、言うような事を言った。フリは非常に正直な人間だし、物凄く素直な子らしい。今までフリに足りなかったことをロベルトは1つ1つ教えていくことだろう。フリもそれを吸収しようとアレナに立つだろう。

 今年の闘牛はどうなるのだろう。

 そういえば昨日観た 『シービスケット』 の中にほんの少しだけ闘牛のシーンが出てきた。闘牛場に、「オーレ」がこだましていた。ちらっとしか映っていないから断定は出来ないけど、あの闘牛士はペドゥリートだろうと思う。メキシコの闘牛士は殆ど知らないからあれだけど・・・。


 1月29日(木)

 まるで閉め忘れた水道の蛇口のように、あるいは、パッキンが壊れた蛇口のように、鼻水が絶えることなく流れ続ける。ほおっておくと、赤ん坊の涎の如く鼻水が尾をひいて垂れてくる。それでもタバコを吸っている俺って、偉い!鼻が痛くないから吸えるのだ。いや、鼻をかみすぎて鳩のように鼻がカサカサして来てヒリヒリ痛くなっているが、鼻の内側の粘膜は大丈夫。健康って良いもんだ。タバコが吸えるから。タバコも吸えないくらい痛かったら健康じゃない。だから今俺は健康だ。

 今日これから、『う・た・ば・ん』 を観る。ゲストに森山良子が出る。直太朗の話も出るようだ。僕は、『この広い野原いっぱい』 で森山良子を知った。良いところのお嬢さんって感じを持っていた。あまり特徴がない歌手だと思っていた。まぁ、昔の歌声喫茶とかそんな感じの所から出てきた人じゃないかと思っていた。実際は良く知らない。平凡、凡庸というのが正直な感想だった。でも、そんな認識を覆したのが、『さとうきび畑』 だった。それは突然だった。ある日NHKTVを観ていたら何の前ぶれもなくその歌が流れた。

♪ざわわ ざわわ ざわわ
 広いさとうきび畑は
 ざわわ ざわわ ざわわ
 風が通りぬけるだけ♪

 聴いた瞬間に引き込まれ、鳥肌が立ち、涙が溢れてきたのを覚えている。強烈なインパクトをもって僕の中に入ってきた。何故かは判らずに胸が痛くなるような感覚だった。その時、思った。この歌がある限り森山良子という歌手を揶揄するのは金輪際やめようと。去年の終わりか、今年の初めに、小学生に森山良子が、『さとうきび畑』 の歌詞や歌が出来た背景を教えて、発表会で小学生が合唱するのを、番組でやっていた。歌の歌詞の意味を教えられて、こんな事が書かれているんだと言って驚いていた。合唱する子供たちは確か沖縄の子だったと思う。この歌は簡単に言うと反戦の歌。でも、こういう風に言うと非常につまらない歌に聞こえてくる。

 家族が、家族を思い、戦争で死んだ悲しみを忘れることはないと言うことを、沖縄のさとうきび畑の平和な風景に重ねている歌なのだ。その合唱する小学生は声を詰まらせながら歌っていた。そして決して上手くはなかった。でも、歌っていうのは、声が良いとか悪いとか、歌が上手いとか下手だとかでは計ることが出来ないものがある。感動という物はそういう物とは関係なく体に押し寄せてくる物なのだ。それを穏やかな笑顔で観る森山良子は母親のように優しかった。彼女が伝えた、『さとうきび畑』 という歌が小学生に伝わった瞬間だった。

 『さとうきび畑』 から何十年も経ってから、『涙(なだ)そうそう』 を作る。20代の時に死んだ兄へ捧げられた歌だ。それを一昨年、夏川りみが歌いヒットした。これも沖縄が盛り込まれている。作曲は、BEGIN、涙はなだと読ませ沖縄方言をタイトルにしている。去年の紅白には、夏川りみ、BEGINと一緒に、『涙(なだ)そうそう』 を歌った。この紅白にはおそらく史上初の親子同時出場を果たしたのだろう。その話も出るらしい。

 1曲しかヒット曲がない歌手もいれば、何曲、何十曲もヒット曲を持っている歌手もいる。でも、後世に歌い継がれる歌を歌う歌手はなかなか出ない。森山良子の、『さとうきび畑』 『涙(なだ)そうそう』 は後世に歌い継がれる歌だろうと思う。そして、息子、直太朗の、『さくら』 も卒業シーズンの定番スタンダードとして後世に歌い継がれる歌だ。


 1月30日(金)

 歯医者へ行って治療をしてきた。これで大丈夫なはずだが、どうなるのだろう。最悪なのは去年の様にスペインでおかしくなること。それさえなければ良いけど。昨日の、『う・た・ば・ん』 は面白かった。殆ど森山良子中心だった。直太朗は次男で、その辺に転がしておいても死にゃーしないわと、ほったらかして育てられた様だ。そういうこと母親がTVで言うか?と、思うけど本当なのだろう。石橋は、全国次男坊協会が黙ちゃいない、と、怒っていた。親に言わせれば子供は初めの子の方が色々面倒を見るから可愛いのかも知れない。でも、森山良子だって確か、2番目だと思うけど。だから逆に次男のことをそういうのかも知れない。

 歌手になるんだった、もっとピアノを習わせたり、楽譜が読めるようにしていたら、力を付けさせて置けば良かったと、言うのはやはり母親。紅白の時も、他の人とどういう風にコミュニケーションを取っているか心配で覗いていたというと、石橋が、紅白が母親参観日になってますねと面白がっていた。親はいつまで経っても子供は子供なのだろう。


 2月1日(日)

 朝から頭が痛くて競馬が終わった後、少し寝た。そうしたら風呂に入れる状態になった。セビージャにモランテは出ないことになった。何年か前にも同じ事があった。モランテ側は、ドミンゴ・デ・レスレクシオンを含め3日間の出場を望んだが、興行主のエドゥアルド・カノレアは2日間の出場しか認めず、結果として不出場になった。カノレアは、ミウラを話し合いの場に呼んだが、モランテ側を呼ばなかったようでどうもちぐはぐな状況が伝えられてる。モランテはカノレアに闘牛士としてちゃんとした対応をして貰っていない印象を持ってしまう。

 セビージャの地元闘牛士の中心は3人。モランテ、エル・シド、ミウラ。どう見ても、もっと素晴らしい闘牛を見せているのはモランテ。若いしセビージャを代表する闘牛士に育てていこうという気がカノレアにはこれっぽっちもないようだ。モランテにとってレアル・マエストランサ闘牛場は最も重要な闘牛場のはずだ。地元の闘牛士として活躍してセビージャにモランテありという名誉を手に入れたいはずだ。クーロ・ロメロ、エスパルタコが去ったアレナでそれが出来るのは、今のところモランテだけだ。地元の人もそういう期待を持っているはずだ。悲しいかな、カノレアはそう思っていない。

 金の問題なのか、カノレアのモランテ嫌いがそうさせるのか、本当の理由は判らない。が、こっちはカノレアの頭の中がどうなっているのかと、疑ってしまう。カボチャなのか?


 2月3日(火)

 今日床屋へ行って来た。洗濯。雨も降っていたがやっているときは雨は上がっていた。風邪は大分良くなった。未だ風声だけど鼻水はあまりでなくなった。

 樹樹希林が網膜剥離で片目を失明。映画 『半落ち』 の撮影中にすでに失明していたと言うことらしい。これからも女優で出演していくのだろうか?横浜に佐々木主浩が復帰。今日はTV出演していた。セ・リーグ各球団は今から脅威を感じている。

 これから97年の 2 de Mayo のゴヤ闘牛のビデオを観る。あまり観たくないビデオだけどこれもDVDへのコピーのため。観たくない理由は、セサルがポンセに負けたからだ。

 ペレイラ(コロンビア)のフェスティバル闘牛で、パコ・ゴンサレスがフエンテラペニャ牧場の牛をインドゥルトした。

 31日の結果。 アハルビル(マドリード)。エンカボ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。ゴメス・エスコリアル、耳1枚が2回。ファン・ディエゴ、耳2枚。 ロケタス・デ・マル。フェスティバル闘牛。クーロ・バスケス、耳なし。アパリシオ、フィニート、パディージャ、耳1枚。ハビエル・コンデ、耳なし。マティアス・テヘラ、耳1枚。見習い闘牛士、エル・カペア、トレス・ヘレス、耳1枚。 ペレイラ(コロンビア)。フェスティバル闘牛。ダマソ・ゴンサレス、オルテガ・カノ、耳なし。ビクトル・メンデス、ディエゴ・ゴンサレス、耳2枚。パコ・ゴンサレス、シンボルとして、耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)。ルイス・ミゲル・ロンドニョ、耳なし。見習い闘牛士、エクトル・ホセ、耳なし。

 2月1日の結果。 ボゴタ(コロンビア)。ポンセ、耳1枚、場内1周。マンサナレス、マヌエル・リバルド、耳なし。レオン(メキシコ)。騎馬闘牛士、ガストン・サントス、耳なし。闘牛士、エロイ・カバソス、耳1枚。ソトルコ、耳2枚と尻尾1つ。アレハンドロ・アマジャ、耳なし。 アハルビル(マドリード)。アルベルト・エルビラ、耳1枚。ラファエル・デ・フリア、耳1枚、耳2枚。イバン・ガルシア、耳1枚。


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