−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年のスペイン滞在日記です。
3月31日(木)
飛行機が滑走路でいきなり急ブレーキ。機内の通路をスチュワーデスが後ろから前へと慣性の法則で走っていった。機内に、「何だよ、初めからこれかよ」と、声が漏れる。この前のニュースでやっていた乱気流で怪我人が多数出た直後だからだ。こんな感じでスペイン行きが始まった。パリでウンコをしてトイレから出てくると男が手洗い場に荷物を広げて何かをやっている。横に行き手を洗っていると、男は洗面道具が入ったケースを広げてその中は、クリーム状の泡で一杯だった。ヒゲ剃り用のムースが缶から漏れたのだろう。手を洗っていると目があって、お互いに笑った。大変だよねぇ。
パリからの飛行機は1時間くらい遅れた。マドリードに到着したら機内のアナウンスが流れ、「マドリー、バララス」。機内に爆笑が起こった。「バラッハス」だろう。何言ってるのこのフランス人はって感じかな。空港について、下山さんにTELした。日本語で出たのに、こっちはスペイン語言ったら、「スペイン語で言わないでください」と言われた。簡単に予定を話して切った。直ぐに迎えに来ているKさんにTELした。飛行機が遅れたことを言ったら、出口の近くに座っているからと言うことだった。両替しようとしたら、「もう閉まったので外でやって」と言われ、荷物を取って外へ。
右を観ると両替所があったので行くと、さっきの女性。「ここも閉まっているの。左にずっと行って」と言われた。同じ顔だったので笑ってしまった。カートを押していると、Kさんがいた。再会の握手をして、両替してから車で家に向かった。乾杯の赤ワイン。今後の予定を話してネットを観たら、やっぱり日本は勝っていた。自殺点での1−0だったが、俺が観ないと勝つっているのは当たっている。非道い勝ち方だったようだけど。
1時頃寝たが5時に目が覚めた。唯一持ってきたクラプトンのロバート・ジョンソンの曲だけをやっている『セッション・フォー・ロバート・J』 のDVDをかけて日記を書き始める。これは出発前日に買ってきた。クラプトンがボーカルとギター、ギターが、ドイル・バラムホール2世、5弦ベースが、ナタン・イースト、ドラムが、スティーブ・ガッド、ハモンド・オルガンが、ビリー・プレストン、ピアノが、クリス・スタイントン。クラプトンのロバート・ジョンソンへの思いが伝わる。ビリー・プレストンとスティーブ・ガッドが顔を揃えているのが良い。こうじゃなくっちゃと思えるメンバーだ。スティーブ・ガッドのドラムの音で、ビリー・プレストンのハモンド・オルガンがないと。他のミュージシャンも名前のある人なんだろうが僕は知らない。が、ギターのドイル・バラムホール2世は、左利き用のギターに右利き用の弦を張り弾く。オーティス・ラッシュと同じだ。彼はかなり上質のスライド・ギターを弾いている。クラプトンもビリーも眼鏡をかけている。老眼なのだろう。2人とも顔が老けたよなぁ。
このCD-DVD、『セッション・フォー・ロバート・J』 は、前作、『ミー&ミスター・ジョンソン』 に続きブルースのルーツ、ロバート・ジョンソンを取り上げている。そして、今回のDVD付きCDが収録された頃には、マーティン・シコセッシの、『ザ・ブルース
ムーヴィー・プロジェクト 』の7作品は上映されていたし当然クラプトンも全作品を観たはずだ。関連のイベントが各地で開催されてクラプトンも出ている。しかし、他のミュージシャンはあまり良いセールスを記録出来ないだろう。最も売れたのがクラプトンだろう。彼が望もうが、望むまいが、そうなったと思う。だって、みんなが聴きたがっているのだから。彼は本当に幸せなミュージシャンだ。
7時過ぎに音が聞こえ台所に行くと子供たち3人が元気な顔をしていた。スペインは8時くらいにならないと日が出ない。子供たちに聞いたら、今週レアル・マドリードの試合は日曜日にサンティアゴ・ベルナベウでやるという。闘牛との絡みがあるが行けたら行きたい。さっき判ったことだが、2,3日と柔道のワールド・カップがあるようだ。行ってみようかな。
成田でプロジェクトRを実行した。向こうも落ち着いたものだ。
4月2日(土)
昨日は4月1日。1つも嘘をつくことなく過ごしてしまった。それが悔やまれる。
セビージャ行きの切符の手配は終わった。5日にセビージャに行き、8日の闘牛が終わったら一旦帰ってきて、11日にまたセビージャに行き、16日の闘牛が終わったらバルセロナへ行き17日の夜行でマドリードへ戻る。これが一応の予定だけど予算の関係で、セビージャへ行ってからでないのとはっきりしたことが決まらないだろう。AVEなどの切符は変更がきくのでそれは後回しに出来るしセビージャの宿次第。どうなるか、アベジャンがサン・イシドロに出ないようなのでセビージャは観たいがそれすら判らない。
昨日は、アナスタシアさんに会いおみやげなどを渡した。お茶をして、昼食は、くまさんと、あきこさんと、3人で食べた。ISOさんは寝坊してこなかったが、協会で会う。ネットしながら色々話したが、ブログについて色々調べたりしたけど、やっぱり、著作権の問題などがあるので使用しない方が良いような感じだった。今の状況では、ブログを管理するところが、勝手に書き込みを使用し、出版すら出来る状態になっている。これが改善されない限り使用は限定されてくるだろう。
4月3日(日)
「 子は親の鏡
けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようなる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭に育ては、
子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる 」 ーー ドロシー・ロー・ノルト ーー
日本を出る前に、もってくる物を物色しているときに、NHKの、『クローズ・アップ現代』 でやっていた、『子どもが育つ魔法の言葉』 ドロシー・ロー・ノルト、レイチェル・ハリス著に非常に興味を持って買ってきた。今読んでいるが非常に面白い。これは、子育てに悩む親の相談を長年していたドロシー・ロー・ノルトが、『子は親の鏡』 と言う詩にまとめ、口づてに広まり幼稚園の先生が壁に張り出したりして、親たちに広がっていった詩だという。『子どもが育つ魔法の言葉』 は、精神科医レイチェル・ハリスとの共著という形を取って、この詩の1行ごとに詳しく具体的な説明が書かれている。
この本の重要なことは、人間関係の出発点である親子関係を些細な日常から捉え直してどうすれば円滑な親子関係が築いていけるかという事を書いていることである。この本は親子の関係だけではなく、家庭における夫婦関係や、恋人や友人との人間関係にも応用できる事である。これを実践できれば理想と思う人がいるかも知れないが、実際そう思っている人もいるらしいが、実は、これが人間関係の出発点なのだから、実はみんなが身に着けていなければならないことなのだ。
昨日の夜、下山さんからTELがあった。セビージャの闘牛が終わった直後に結果の報告だった。アントニオ・バレラは退屈だった様だ。カステージャは去年と同じく無意味に自分の体を危険にさらしていて、アントン・コルテスも、去年と同じ。成長がない。折角良いファエナをしてもピンチャソ5回。耳1枚を失う。サン・イシドロでの失敗の教訓を生かしていないという。仕留めの時に、動く牛で、焦って刺しに行ってピンチャソの繰り返し。アントン・コルテスの自虐的な顔が浮かぶ。
昨日の夜、子どもたちが帰ってきたら、「パパが死んだ」と、言うのでビックリしたら、パパとは、ローマ法王の事だった。今日は日曜日でバチカンではオメナッヘのミサが開かれていて、大勢の人達が集まっている。色んな人種、色んな国の人達が集まり涙を流している。ミサの時、マドリードでは雨が降っていた。哀しみの雨なのだろうか。今日はアトレティコとマジョルカの試合でも見ようかと思っていたが、やっぱりラス・ベンタスへ行って闘牛を観ることにする。
2日の結果。 セビージャ。アントニオ・バレラ、耳なし。カステージャ、耳なし。左太腿に25cmの角傷。アントン・コルテス、耳なし。
4月4日(月)
夕日が沈むのを見るのは嫌
夕日が沈むのを見るのは嫌
見ているとこれがあたしの最後なんだって
気がしてくる ーー『セントルイス・ブルース』 W・C・ハンディよりーー
子どもの頃、夕日が沈む頃になると、悲しくなった。そして、怖かった。だから、その頃になると友達と遊びほうけていた。一人でいるのが耐えられず、何かしていないと落ち着いていられなった。日が沈んでしまえばその悲しさや怖さはなくなった。だから、闘牛がそういう頃に時間を決めて興行している事に感動すらした。そうだよ、この時間にやらなければいつやるんだ?と、思ったものだ。
「夕日が沈むのを見るのは嫌」と言う、W・C・ハンディの言葉は実に正しい。こういう感覚、肉体的な感情を音楽したのはその時点で良い音楽になる要素の第一条件を満たしている。ただし、「これがあたしの最後なんだって気がしてくる」とは、思わないけど。これは作品を作る上での落ちであり、方便と考えた方が僕には分かり易い。
その夕日が沈む頃に、ラス・ベンタス闘牛場へ行って闘牛を観た。切符売り場にはそんなに人は並んでいなかった。前にいた観光客らしい女がなかなか買わないので売り場の女の顔を見たら、「どうぞ」って顔をしていたのでソルのアンダナーダを1.85ユーロで買ってトイレに行ってから席に着く。始まる前に通路を見覚えのある人が通ったので思わず、「三木田さん」と、声とかけた。そしたら上に上がってきて一緒に見ることになった。仕事でお客さんを連れてきたのだという。2頭目が終わってから下に行ってサインをもらってきた。
見習い闘牛は3人ともラス・ベンタスが初登場で、3人目の見習い闘牛士がちょっと良いところがあったが後は面白くなかった。風が吹き寒かった。三木田さんはセーターを着ていたが寒がっていた。失敗した。昼暑いからこれで大丈夫だと思っていたけど・・・。三木田さんに番長からTELが入り、8で観ていると言うので、そこを観ると手を振っていた。こっちも手を振った。僕が来ていることを伝えたからだ。闘牛が終わって階段を下りていくと、知った顔があった。アンデルソン・ムリージョだ。セサル・リンコンの元ピカドールで去年は、エスプラについていた。抱き合って挨拶をして、セビージャに行くなら携帯にTELしろと番号を教えてくれる。あれっ、セサルの処にに戻ったのかと思ったら、どうやらそうでもないようだった。
帰りにプエルタ・グランデというバルによって三木田さんと一杯飲んで話をした。近況報告である。みんな元気そうだ。家に帰ってきてネットを開いたら、サン・イシドロのカルテルがほぼ出来ていて載っていた。
3日の結果。 ハエン。フェスティバル闘牛。闘牛士、エスパルタコ、耳なし。セサル・リンコン、耳2枚。ポンセ、耳2枚と尻尾1つ。エル・シド、アベジャン、耳2枚。カルニセリート・デ・ウベダ、耳1枚。見習い闘牛士、クーリト、耳2枚と尻尾1つ。
4月5日(火)
朝早くマドリードを発ってセビージャへやってきた。駅に荷物を預けてまずウンコ。今日は何か下痢気味。それから朝食を取って闘牛場へ。バスで行ったら去年と路線が変わっているのか僕の勘違いか違うところについて、闘牛場より先にホテルを探した。予定の所は一杯だったが2件目の所は空いていて目出度く部屋を確保できた。1泊30ユーロ。でも、フェリアになると倍の値段だった。それから闘牛場へ行った。タキージャに着いたら殆ど並んでいなかった。5日から7日までがソルのグラダ。20ユーロ。8日はセサル・リンコンが出るのでソルのバレラ。57ユーロ。15と16日はソルのグラダを買った。途中でダフ屋が声をかけてきたがスペイン語が分からないふりをした。まっ未だにあんまり判らないけど。
それから一旦オスタルに戻る途中で、ホテル・コロンでまたウンコ。今日は良く出る。下山さんからTELが何回かあって17時半にいつものホテルで待ち合わせすることにした。それから、バスで駅に向かった。来るとき去年使っていたバスのアボノがあったので使おうと機械に入れたが反応なし。これはタキージャで変えなさいと言われ交換していたので今度はちゃんと使えた。戻って荷物を取ってきた。駅からはタクシーに乗った。オスタルに着いてノートPCを繋ごうとしたらケーブルが短く繋げずオスタルの人を呼んで延長コードをならぬドラムを持ってきて貰ってようやく繋いだ。ウィルス・スキャンをして昼食へ出かけた。
近くのレストランで8ユーロのメニューを食べる。部屋に戻って昼寝をしてシャワーを浴びた。やっぱり闘牛前は体を綺麗にしていくのが1番良い。そうすれば良い闘牛が観れそうな気がするからだ。着替えてカメラをいじったら電池がないことに気付く。あわててコルテに寄って待ち合わせのホテルへ行って1年ぶりに下山さんに会う。闘牛前にコーヒーでも飲もうと探したが闘牛場裏のバルで飲んで出てきたら隣のバルの前にアントニオ・コルバチョが立っていた。彼から下山さんに声をかけてきた。アニヤが探していたけど会った?と。
アニヤとは、ドイツ人の写真家でホセ・トマスの写真集を出した人で、彼女は下山さんを探していたのだ。タウロマキアという本を出版するので取材したいと言うことだった。僕が日本を出る前に、ネットの検索か何かで調べてアニヤの知り合いからメールで問い合わせがあって連絡先を教えてあったのだ。アントニオ・コルバチョは、三島(と言うから由起夫だろう)の本を読んで侍の事に感動したと、言っていた。その侍の名前が出てこないで考えているので、僕が、武蔵と、言うと、そう武蔵だ、と言った。前にホセ・トマス特集をTVでやったときに、フィロソフィア・デ・サムライと言っていたことを思い出した。アントニオ・コルバチョこそホセ・トマスに最もふさわしいアポデラードだったと、思う。彼がホセ・トマスを世に出したと言っても過言じゃない。
下山さんはアントニオ・コルバチョに会って感動して言葉が出なかった。非常にシンパティコで物腰の柔らかい人だった。穏やかだが、はっきりと意志のある顔つき。それから闘牛場へ。下山さんがいるのでパティオ・デ・クアドリージャへ入る。だから、エンカボ、ロブレニョ、セラフィンの写真が撮れた。セラフィンは僕がずっとカメラを構えていたのでこっちに時々視線を送って写真を撮りやすいように配慮してくれた。それからアントニオ・コルバチョも入ってきたので写真を撮られて貰った。
4月6日(水)
朝起きてオスタルで朝食を取る。これがビックリした。コーヒー、お茶、パン、コーンフレーク、牛乳、フルーツ・ポンチ、ヨーグルト、ジャム、バターなどお代わりし放題でお腹一杯になった。非常の満足。このオスタルは気に入った。今までの所よりも良い。それから闘牛場へ行って13日、14日のツアーの切符を取ってきた。何の問題もなく切符を受け取ることが出来た。去年やっているので慣れていたし、最後にサインをして終わり。くまさんにTELして報告した。それから昨日の闘牛観戦記を書き上げた。オスタルからネットに接続出来なかった。何故ならTEL回線がマドリードからのアクセス・ポイントしかPCに入っていなかったので、セビージャので回線が確保できていないのが現状だからだ。HPのアップはマドリードに帰ってからになる。
3月27日のセビージャのドミンゴ・デ・レスレクシオンでエル・シドがプエルタ・デル・プリンシペをしたが、ポンセは耳を取った牛をマノロ・バスケスにブリンディースしたそうだ。また、エル・フリは、87年かにマンサナレスがレアル・マエストランサ闘牛場を沸かせた歴史に残るチクエリナと同じような素晴らしいチクエリナを披露して観客を沸かせたと、下山さんが言っていた。
それから、こんなことも言っていた。近所で何か似たような人がいるなぁと、思っていたら、それはクーロ・ディアス本人だったという。彼の彼女の家が下山さんの家の2つ隣でそこに一緒に住んでいるのだという。屋上には筋トレの器具が並び、これで鍛えているから凄い体をしているという。だから、今日はホテルからではなく、その家から闘牛場へ向かうらしい。去年のサン・イシドロが始まる前まで名前も知らなかった闘牛士だった。でも、去年のサン・イシドロの活躍で一気に各地のフェリアに呼ばれるようになった。セビージャへは初出場になるのかも知れない。そうでなくても、フェリア・デ・アブリルへの出場は初めてだろう。どういう闘牛をするか楽しみだ。
サン・イシドロへはアベジャン、アントン・コルテス、セルヒオ・マルティネス、クーロ・ディアスなど去年活躍した闘牛士が出ない。アベジャンは、去年出場した金額より75%増しの金額を提示して交渉が決裂したという。しかしなぁ、毎年金額がどうのと言う話があるが、コンスタントに出場して活躍しないと本当のフィグラとは言えないのだ。かなりガックリな話だ。去年までは、興行をやっていたロサノへの批判が凄かった。だから、入札へも参加しなかったのだろう。今年はチョペラ。闘牛のHPではすでに、チョペラへの批判が始まっている。それも当然だろう。カルテルを観て、出場する闘牛士だけでなく、牧場へも疑問を感じる部分が少なくないからだ。
4月7日(木)
何やら間違えに気付いた。セビージャのカルテルで13日と14日を間違えていたのだ。どうしてこんな事が起きたのか判らない。カルテルが発表になったときに1番注意したところだからだ。それがいつの間にか反対になっていたのだ。本当に何でだ!と、聞きたいくらいだ。でも、それを間違ったのは自分自身なのだ。だからこそ、判らないのだ。困ったもんだ。くまさんの所のツアーはそれでも変わらずに開催される。むしろ、入れ替わった方が良いという人が多いかも知れない。フリが観れるからだ。去年良かったフィニートやヘスリ・デ・トレセラも観れる。
朝、アクセス・ポイントとパスワードが判ったので試みるも再度ネット回線を繋いでみるが、繋がらず。去年使っていた回線でも1年たてば使用できなくなっていることもある。それは以前に経験したことなので今回こういう状況になった事も判る。仕方がないので、日本語が打てるネットカフェに昼行って掲示板に書き込みをした。オスタルでもネットは出来るが日本語の書き込みは出来ない。多分日本語のHPも観れないだろう。
闘牛が終わってプエルタ・デル・プリンシペから出ると、昨日はパディージャが、一昨日は、ビクトル・プエルトがいた。ビクトルは綺麗な嫁さんと一緒だった。非常にシンパティコな奴で笑顔で挨拶した。
4月8日(金)
昨日闘牛が終わった後、バルで下山さんと話した。エル・シドの勢いは凄いと。自信満々で落ち着きがある。顔まで良く見える。乗っている人間にはソルテオでも良い牛を引いてくる。まさに神ががっている。耳2枚の時の牛なんて本当に良い牛だった。そして、そういう牛できっちりと耳2枚切っていくところもまた凄いのだ。他の2人ならあんなファエナは出来なかっただろう。もうセビージャのトゥリンファドールは、エル・シドで決まりだ。他の人がいくら頑張ってもプエルタ・デル・プリンシペをこれから2回することは出来ない。メホール・ファエナを目指して欲しい。
今日はこれからオスタルを出る。書かなければならない原稿の用意や本を読んで過ごす事にする。そして、セサル・リンコン。今日どういうファエナをするか楽しみだ。パティオ・デ・クアドリージャで写真が撮れるのも楽しみの1つ。闘牛が終わったらAVEでマドリードに戻る。観戦記はそれからになる。
4月9日(土)
昨日は、下山さんがマドリードの犬の調教の学校へ行くため、1人で闘牛場へ行った。ダメ元で、パティオ・デ・クアドリージャへ行った。そしたら何と入れてくれた。物凄く嬉しかった。アポデラードのロサノが来たので挨拶をした。ロベルトも来たので挨拶をして写真を撮らせて貰った。フリも来た。カレテラもいる。そして待ちに待ったセサル・リンコンが来た。抱き合って挨拶。直ぐにカピージャへ入っていった。アドルフォもカルロスもいる。1番最後にマティアス・テヘラが来た。パティオ・デ・クアドリージャでは、それぞれのクアドリージャが挨拶をしている。印象的だったのが、ミゲル・クベーロと、エミリオ・フェルナンデスが再会を喜んでいてその横に、笑顔のヘルマン・ゴンサレスの姿まである光景だった。勿論、元ホセ・トマスのクアドリージャたち。早く彼らが一緒に仕事できる日を僕も待っている。
カピージャからセサル・リンコンを出てくるのを待っている間、スイスのペーニャの人が挨拶に来た。何年か前に会ったことがある人だった。ロベルトが女の横を行ったり来してサングラスの奥の顔を観ている。前に日はカノ爺さんが左手で顔を叩いてスペイン式の挨拶をして来たが、この日は僕の顔を見てそれからぶら下げているカメラを観て、俺は2つ持っている。高かっただろう。いくらなら売ると、言ってきた。カノ爺さん今年も元気だ。もう90歳を超えているのに毎日闘牛の写真を撮りに来る。素晴らしい人生だ。
セサルがカピージャから出てきて直ぐにプエルタ・デ・クアドリージャの外に行ったので追って門を通り何十枚も写真を撮った。ついでにフリの写真も撮った。あくまでついでだ。セサルは綺麗な女性カメラマンと楽しいそうに話したりしていた。良い写真が撮れた。マティアス・テヘラは、孤独にいじけたように端の方にいた。バンデリジェーロの1人が一瞬だけボーとしてそれから緊張した表情になっていた。やっぱり怖いんだよなぁと、思った。
闘牛は牛が非道かった。特にセサルの引いた牛はどうしようもない牛だった。悪い牛の中で、去年のサン・イシドロで同じエル・ベントリジョ牧場の牛でプエルタ・グランデしているマティアス・テヘラが初めの牛で耳1枚を切った。1回牛の交換があり、セビージャのマジョラールが出てきて牛を戻したが、ちゃんと、フロリートがマドリードから応援に来て木の棒をちっと出しだして牛を動かして良い仕事をした。フロリートがいると闘牛場が締まる。20時45分頃終わったので急いでバスに乗り駅に向かった。時間がないので駅でボカディージョを買って食べた。最後に途中で買ってきた菓子パンを食べたら眠くなってきたので寝ていると下山さんからのTELだった。今日の結果は、牛が悪くマティアス・テヘラが耳1枚と、言ったところで切れてしまった。AVEの中だと電波の状態が良くないようだった。
マドリードの着いたら風が吹いて冬のように寒かった。ダウン・ジャケットを着ていて良かったと思った。タクシーを拾って行き先を告げると、あの通りの次を左に曲がったところだろう。と、一発で解ったのにはビックリした。こんな運転手は初めてだ。タクシーの中でホアキン・サビナのライブのCDをかけていた。物凄く印象的だったので、このCDは、と聞くと、サビナ・イ・シアと、言った。早速セビージャ行きのAVEの切符を11日から13日に代えるためにアトーチャへ行った帰りに、ビセンテ・アミーゴの新しいCD、『UN
MOMENTO EN EL SONIDO』 と一緒に買ってきた。2曲目<CAMPO DE LA VERDAD>の下に、a
mi amigo torero Jose Tomas.と書かれているとおり、ホセ・トマスに捧げられている。所で、ホアキン・サビナのCDのタイトルを聞いていて運転手にチップを渡すのを忘れた。ああいう人にチップを渡さないでどうする。出来る奴は音楽まで良い物を聴くぜ。
4月10日(日)
昨日の夜、夕食を作って子どもたちの食べさせて、食器を洗浄機にかけて落ち着いていたら下山さんからTELが来た。セビージャの結果を聞かれたが、そんなことだったので観ていなかった。8日の結果については報告できた。そしたら、エル・ベントリジョ牧場の牛は、血統がファン・ペドロ・ドメク牧場なので、ダメなのは予想できたとのこと。何故なら、セビージャのドミンゴ・デ・レスレクシオンの牛がファン・ペドロ・ドメク牧場なのでそれが昔のファン・ペドロ・ドメクのような牛じゃなかったとのこと。なるほど、言われてみればそうかも知れないと思った。これは競馬の予想と一緒だと思った。
ネットで桜花賞の結果を知る。2番人気福永祐一騎乗のラインクラフトが1番人気のシーザリオを頭差押さえてレコード勝ち。親子2代の桜花賞2勝騎手になった。祐一は牝馬で結果を出す騎手。混戦予想だったので、馬連で、1220円はおいしいよなぁ。シーザリオが優勝するかと思っていたけど、でもこれで、距離適性からオークスは本命になるだろう。
大リーグでは、イチローが凄い!5試合連続でマルチで打率は、5割2分6厘。野茂も初勝利。藪は5三振。高津は2S。松井秀喜は、同点2塁打。井口はスタメンで2塁打。中村は3Aで2戦連続でホームラン。4番を打っている。女子ゴルフは、服部道子が優勝。宮里藍は3打差の2位。横峰さくらは5打差の3位タイ。鹿島が勝って2位。阪神とロッテが首位。
ヘレスで行われたモーターレースで、スペイン・チャンピオンのダニ・ペドロサが今期初戦に優勝をして、ウイニング・ランで泣き崩れていた。
夕方になったら闘牛場へ行く。
9日の結果。 セビージャ。マンサナレス、場内1周。サルバドール・ベガ、耳1枚。マンサナレス(息子)、耳なし。 バルデモリージョ(マドリード)。フェスティバル闘牛。フンディ、耳1枚。ウセダ・レアル、耳2枚。チャモン・オルテガ、ゴメス・エスコリアル、耳1枚。パウリタ、耳2枚。クーロ・シエラ、耳1枚。
4月11日(月)
昨日の闘牛は寒かった。強風が吹き4,5キロあるカポーテが3回転したのを観た。こんなの初めてだ。あんな中で闘牛すること事態が無謀かも知れない。見習い闘牛士たちは苦労していた。でも、牛が良いので勿体ない。技術も未熟。どう対応して良いのか判らないのだ。おまけに闘牛を判っていない観光客が闘牛士の足が止まっていないのに、「オーレ」の声を上げる。疲れるよなぁ。あまりに寒いから日が当たるところまでわざわざ移動した。終わった後は速攻で帰ってきて、ヒネブラをストレートで飲んで体の内面を暖めた。
TVのニュースでレアル・マドリードがバルセロナに4-2で勝ったことを伝えた。信じられないことだ。当然負けると思っていた。ラウルは競り合いで負傷流血したがゴールを上げた。ジダンもヘディングでゴールを決めた後、滑っていってゴール・ポストに頭を当てた。他に、ロナウドのヘッドとオーエンの右足の4点。バルサはロナウジーニョのFKが凄かった。この日闘牛場には、ゴールの声は上がらなかったが、セビージャでは闘牛場でゴールの声が上がったと下山さんが言っていた。
今日は12時過ぎに起きてしまった。寝過ぎて腰が痛い。
10日の結果。 セビージャ。ミウラ、耳1枚。ファンディ、耳要求で場内1周。セサル・ヒメネス、耳なし。 サン・セバスティアン。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、パブロ・エルモソ・デ・メンドーサ、耳なし。闘牛士、オルドニェス、耳なし。エドゥアルド・ガジョ、耳1枚。 トレモリノス。ミックス闘牛。闘牛士、ハビエル・コンデ、耳1枚。見習い闘牛士、カジェタノ・オルドニェス、耳1枚、耳2枚。 フレネガル・デ・ラ・シエラ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ディエゴ・ベントゥラ、耳なし。闘牛士、パディージャ、耳1枚。ビクトル・プエルト、耳1枚が2回。ファン・マヌエル・ベニテス、耳なし。
11日の結果。 セビージャ。モランテ・デ・ラ・プエブラ、マティアス・テヘラ、耳なし。サルバドール・コルテス、耳2枚。
4月12日(火)
日本を出るときに買ったサンスポにこんな記事があった。
言葉の歳時記に、「いつも気の抜けたときに見つかる」(新星とみられる天体を発見した愛知県豊橋市のアマチュア天文家、長谷川勝美さん59歳の言葉。)新星は羅針盤座にあり明るさは13.5等。発見はこれで5個目だが、16日に2年半ぶりに出した望遠鏡で撮影したところ、見つかったとか。29日までに国際天文学連合に報告した。
「いつも気の抜けたときに見つかる」。こんな物なのかも知れない。どうにかしよう、何とかしようと思っているときにはどうにもならず、諦めて気が抜けた頃に何とかなってしまう。人間諦めることなく何かを続ける事は重要な事だ。でも、そういう根気や気力がなくなりようになる事もある。そういうときは、
「どうすれば、うろたえずに冷静でいることができるでしょうか。たとえどんな事が起こっても、落ちついて、事に備えたいものです。そのためのちょっとした工夫を教えましょう。まず、目を閉じてゆっくりと深呼吸をします。そして、気力、活力、幸福、理性ーーこの四つをそれぞれ1つずつ吸い込む気持ちで深呼吸を繰り返します。いかがでしょうか。こんな簡単な深呼吸一つでも、ずいぶん気持ちが落ち着き、元気になるものです。
気を鎮めるもう一つの方法は「今自分にできることは何か」と自問自答する事です。
「今はどんな状況なのか。そして今、自分にできることは何か」 」 ーー『子どもが育つ魔法の言葉』 ドロシー・ロー・ノルト、レイチェル・ハリス著よりーー
昨日のセビージャのモランテのベロニカは凄かったそうだ。フェリア初日でモランテ見たさに詰めかけた満員の観客。マエストランサに野太い、「オーレ」の声がこだましたそうだ。チクエリナ、ベロニカだけで観客を熱狂させた。フラメンコでスペイン人にも認められ、有名な師匠の1番弟子になっているほど才能のある若い日本人が、そのモランテのベロニカを観て、鳥肌が立つほど感動した、と、言ったそうだ。そりゃモランテの芸術的な闘牛を観たらそう思って当然です。あれを観てそう思わない人は不感症だ。
日本にメールを送り、『Gallop』の最新号と18日発売の岡部幸雄特集号の、『Gallop』を買って貰うように頼んだ。これから夕食を食べて明日のセビージャ行きの準備をする。マドリードへ帰るのは、18日の朝。
4月13日(水)
これからセビージャへ向かう。
4月14日(木)
さっき闘牛場へ行ったらソルテオできていた、ルイス・カルロスとファンにあった。「今日は良い闘牛だ」とルイス・カルロスが言うので、「去年ハンディージャの牛で30m呼んだ」「そうあれは凄かった」とカルロス。少しして、アドルフォやミゲル・クベーロ、ピリも来た。アドルフォはいつも元気が良い。ミゲル・クベーロはいつもしかめっ面。思い出したようにお父さんは元気と言ったら「元気で来ている」とのこと。去年の暮れに病気になった記事が載っていたが大丈夫のようだ。ソルテオが始まるので別れてタキージャに行って16日の切符を買った。
朝起きたのは下山さんからのTELだった。寝坊してオスタルで朝食が取れなかったので闘牛場の帰りに取ってきた。昨日は全部で10人で闘牛を観た。けいしゅうさんも元気だ。いつでも変わらないのは大人だからだ。1時間弱話をして闘牛。隣に座っていた若夫婦が段々牛を判ってきて最後の牛の時は良い牛ですねと言っていた。ちゃんと観れば判るようになるのだ。牛が良かったので良い闘牛が観れた。フリが良い闘牛をした。ヘスリ・デ・トレセラは良いファエナをしたのに剣とデスカベジョで耳2枚が消えた。売れないセビージャ始めたのか近くのヘレスのローカル闘牛士。あそこで耳切っておけば来年もフェリアに確実に呼んで貰っただろうに・・・。ああやってチャンスを潰して消えていく闘牛士は星の数ほどいる。可哀想だが、自分のせいだ。
闘牛が終わった後、川沿いのイタリア・レストランでピザやスパゲッティーを食べた。何年か前にしょうへい君とShouhei-mamaたちと、まゆみさんに案内されて来たところで内装が一変していたが味は抜群。くまさんがあの時、「セビージャ来たらスパゲッティーでしょう」と笑いながら言ったのを思い出す。こんなスパゲッティーをスペインで食えるのは奇跡に近い。くまさんは、一軒良いところを見つけたと言っていたので、何処と聞くと、サンタンデールと、言っていた。マドリードじゃないよなこんなの。
今日の闘牛は、セサル・リンコン、ハビエル・コンデ、オルドニェス。ハンディージャの牛。期待が大きいが、あんまり胸をふくらますとダメなときにガッカリするから普通の状態で観に行こうと思う。マドリードからISOさんが闘牛を見に来る。僕が言うセサルを観たいのだ。
4月15日(木)
昨日闘牛が始まる前にISOさんからTELがあった。ホテルに行くと佐々木さんとけいしゅうさんが来た。時間が近いのにいないのでTELすると迷ってウロウロしていたので説明していたら判ったようだった。道路の向こう側を観るといたので安心した。けいしゅうさんとISOさんだったので普段闘牛の話をしているので特別な話はしなかった。始まる前にパティオ・デ・クアドリージャに行って闘牛士の写真を撮ることを行った。下山さんとの約束の時間があるので早めにホテルを出て闘牛場へ向かった。闘牛場へ着いて3人と一旦別れTELを入れると下山さんは遅れているので先に入っていてとのこと。
少しして下山さんが来た。手で挨拶をした。色々な闘牛関係者と挨拶したり話をしているので邪魔をしないようにした。セサルが来た。下山さんが手をさしのべて握手。その後、僕もセサルに握手。セサルは、必ず僕の名前を呼んでくれる。カピージャに一旦入り出てきてTVのレポーターにコメントを求められていた。オルドニェスは拒否していた。それから、カポーテ・デ・パセイージョを付けるまで写真を撮り続けて席に飛んでいった。満席で何とか通して貰って席に着く。その後、入場行進が始まった。
ハンディージャの牛は、良い牛と悪い牛が半々くらいで、セサルは2頭とも悪い牛を引き当てた。それでも何とかしようと体を張って牛に向かっていた。真面目だ。だから、危ない場面があってコヒーダされそうになった。命を賭けているのが観客にも判るから喝采を受けた。ハビエル・コンデは、逃げてばかりで口笛、罵声、を浴び、退場の時に座布団を投げられていた。オルドニェスは耳1枚の演技なのに2枚貰った。セビージャだからだ。剣が決まったときにそんな感じが闘牛場の中に漂っていた。ISOさんや佐々木さんはおかしいと言っていた。当然の感想だ。
闘牛が終わった後、バルでタパをつまんで2軒でビールを飲んだ。ISOさんは約束があるので途中で抜け、佐々木さんとけいしゅうさんと3人で前の日と同じイタリア・レストランへ行った。ペペロンチーノを食べたらお腹一杯になった。部屋に帰り寝苦しいくらいお腹が膨らんでいた。目が覚めたのが5時半。そのまま起きて14日の観戦記を書く。朝食を食べてまた寝て起きた。下山さんは張り切りすぎて調子が悪くなった。予定の昼食は1人で食べることにする。
4月16日(金)
まずこの事から書く。昨日闘牛が終わって下山さんと食事をして、フェリアに行くまゆみさんに送って貰ってオスタルに帰ってきて観戦記を書いていると、下山さんからTELが来た。さっき、フェリア会場でアントニオ・コルバチョに会って挨拶して、ホセ・トマスやセルヒオ・アギラールにどういう風に闘牛を教えたのと聞いたら、それにはやり方がある。私は無理矢理教えるのは嫌いだから。お前は性格が好きだ。左側が麻痺しているが、他の闘牛士で腕がおかしくてもやっている者もいる。今度教えてやるからTELをかけてこい。と、言われて嬉しくなってTELしました。と、言うことだった。曰く、アントニオ・コルバチョとマブダチになります、と。
本当にそういう機会があれば良いなぁと思う。TEL番号も聞いたから時間が合って、暇なときに教えて貰えるだろう。そういう励みがあればやる気も失せることがないだろう。
4月18日(月)
朝、チャマルティンに着いて直ぐに家に帰ってきた。16,17日の観戦記を書くべく作業をしたが、タイトルと少しのコメントしか書けずに、16日朝にセビージャを出るときまでに書いた日記や観戦記をアップした。ネットを接続したらディープインパクトが皐月賞を圧勝していた。圧勝すれば2着がずれる。定石通り馬連などは荒れた。こういうレースは単勝で堅く行くか、ワイドで高配当を狙うレースだ。武は無敗でまず1冠を圧勝して人差し指を1本立てた。誰が何といおうと、これは偉大なる先輩、岡部幸雄がシンボリルドルフで無敗の皐月賞馬になったときのポーズ。ダービー勝ったら指2本立てるんだろう、お前は。やればいいじゃない。無事に出れば多分、勝つだろう。それだけの器だ。あの馬は。俺は、100万円の単勝を買ったつもりだから、30万円儲けた気分。まっ、君の場合は、あんまり良い気になると、とんでもない落とし穴が待っているような男だから注意した方が良いともうけど、そんなことは露程も思っちゃいないだろうけどね・・・。知らないよ、泣きを見てからじゃ。
16日セビージャで闘牛を観て夜行でバルセロナへ。闘牛場へ着いたのが10時頃。何時に書くのと聞いたら直ぐ開くというが、結局開いたのが11時。何だかよく判らない。11時半からは、闘牛反対に対抗する、闘牛を守れの集会の入場が始まり12時過ぎに集会が始まった。その前に、拍手が起きたと思ったらホセ・トマスが入ってきた。客席からカジェホンを通るホセ・トマスに、「ホセ!ホセ!」と叫んでいたら、「オラ」と笑顔で応えてくれた。坊主頭のホセ・トマス。今はサッカーをやっていて髪を伸ばしていると聞いていたので、ビックリした。
集会に来ていた闘牛士は、ホセ・トマスの他に、エル・フリ、セサル・ヒメネス、アントニオ・バレラ、セラフィン・マリン、カジェタノ・オルドニェス、クーロ・バスケスで、ガナデロは、ビクトリーノ・マルティン。セラフィン・マリン、ホセ・トマス、セサル・ヒメネス、フリの順番でサインを貰った。みんな初めてサインを貰った人ばかりだ。そして、闘牛を観たのが、ホセ・トマスとアントニオ・バレラ、ビクトリーノ・マルティン。この3人は特に賞賛したいと思う。セラフィン・マリンのソリタリオは牛が悪かったが、闘牛ファンによってバルセロナの闘牛を守ろうという意志が働いて、耳3枚ともう1枚要求が2回、場内1周が1回だった。
4月19日(火)
昨日は、Kさんの家から引っ越しした。いつものカジャオ。用意が出来ているのだとばかり思っていたら全然出来ていなかった。2泊夜行列車に揺られたので昼寝しようと思っていたがそれも出来ず。午後にアナスタシアさんの所に行って14日と15日のビデオを観る。やっぱりセサル・リンコンは良い闘牛をやっていた。オルドニェスは牛を動かしているだけ。忘れた頃のクルサードだし。セサル・ヒメネスは、良い闘牛をやった。インドゥルトの牛だとは思わないけど、遠くから呼んでパセしたりしていたから、ちょうど去年のセサル・リンコンが相手にしたハンディージャの牛のようだった。力強い訳でもないし、良い牛ではあるが、どちらかというとセサル・ヒメネスがちゃんとクルサードして距離を読んでいたから動いた牛と言って良いと思う。
インドゥルトを要求するのは、行き過ぎ。でも、セビージャの観客がそう言っているんだから当然耳2枚と尻尾1枚のファエナと考えるべき。ピンチャッソ1回で耳2枚はそう言う意味で当然だ。あの状況で剣を1回で決めるのは非常に難しい。殺そうとすると観客が、「ノー」と言い、集中力が途切れて当然だから。それで、2回目でよく良い剣を決めた。昼食をご馳走になり帰ってきたが未だ用意できていないので、くまさんの所に行って作業した。20時近くになってようやく準備が出来たとのこと。それから帰ってコルテで買い物をして22時過ぎにようやく夕食にありつけた。
4月20日(水)
昨日は、闘牛の会の会報の原稿を仕上げて送った。昼食はくまさんの所ですしをみんなで食べた。佐々木さんが来なかったのでくまさん1人で握った。お腹一杯になって酔っぱらったので一旦部屋に帰り寝てまた、メンバーズ・ハウスへ行った。そこで作業して、佐々木さんとけいしゅうさんと3人でバル巡り。3軒目で、堀越さんにTELしたが繋がらず0時頃にお開きになった。けいしゅうさんに5月の闘牛の会の発表のタイトルを聞いた。14,15日のビデオを渡そうと持って行ったが、14日のを間違えたので今日持って行く。
思い出したようにセビージャのことを書く。15日の昼、ネットカフェに行こうとカテドラルの前を歩いていたら、ISOさんとバッタリ会った。それで連れの女性と3人で昼食を取った。話題は14日の闘牛の話が多かった。ハビエル・コンデみたいに牛が悪いと言って投げていたら話にならない。セサル・リンコンのように牛が悪くても、ちゃんとやろうと命を賭けて闘牛をしないとダメだなぁ。これじゃダメだなと自分で反省した。今までは、牛が悪いからと逃げていた。これじゃダメ。セサル・リンコンみたいに真面目にやらないと、と言うようなことを言っていた。
16日はアナスタシアさんがセビージャまで来て闘牛を観た。ベティスのイタリア・レストランに行ってスパゲッティーを食べ、お茶を飲んで闘牛場へ。闘牛場の近くで下山さんと待ち合わせ。彼女を紹介した。下山さんは、去年の掲示板の事を謝っていた。それからパティオ・デ・クアドリージャから入り、アベジャンの来るのを待った。そして、ツーショットを撮った。満員になるのは判っていたので直ぐに席に着いた。アナスタシアさんは、アベジャンが来るまで緊張していた。あらかじめ終わったら夜行の時間があるから直ぐ駅に行くと言っておいたので、駅に向かうバスの中でTELが来た。ファンディの最後の剣刺しは凄かった。上手くなったねぇ。
今日は朝、4日ぶりくらいにシャワーを浴びた。さっぱりした。夜行で2泊の後、引っ越した部屋の関係でゴタゴタしていたりして入れずにいたからだ。それから朝食をつまみFNACへ写真の現像を頼み、銀行へ両替に行った。帰りに、コルテに行って、『Apulausos』と『6TOROS6』を立ち読みしてスーパーで買い物をしてキオスクで、『6TOROS6』を買って戻ると、Kさんたちが荷物を運んでいたので手伝って、買ってきたイワシの酢漬けとタコのマリネをつまんだ。それから、昼食にペペロンチーノを作って食べた。
4月21日(木)
昨日はけいしゅうさんスペイン最後の日。それで例の美味しい中華に、くまさん、同じく最後の日の老夫婦ほか、合計8人で食べに行った。相変わらず美味しかった。この値段でこんなに美味しい物がスペインで食べれるなんてと、ビックリしていた。中華に着く直前、下山さんからTELが入った。イバン・ガルシアたちとテニスをしているという。セビージャの闘牛学校の生徒の体と彼の体は全然違うと言っていた。筋肉の付きからなど、つまり、鍛え方、体力も全く違うと。マティアス・テヘラと一緒に売り出したマドリード闘牛学校出身の金髪の闘牛士だ。2年前にサン・イシドロで耳を切っている。
寿美さんからTELがあった。仕事でスペインにしばらくいなくなるとのこと。後はメールでやり取り。Tさん、Yさんと連絡をしないと。マドリードは相変わらず未だ寒い。春は春だろうけどセビージャに比べれば半月以上季節が遅れている感じだ。みんな冬服を着ている人が多い。流石に手袋やマフラーをしている人はいないけど、この感じじゃ闘牛場は未だ寒いだろう。土曜日のレアル・マドリードとビジャレアルのサッカーの試合を観に行こうと思っていたが、すでに昨日切符は売り切れなったという。未だ諦めていないんだなぁ。残り6試合くらいで、勝ち点6差じゃバルセロナは3敗出来る。レアルは全勝できないだろうしほぼ優勝が決まっているのに・・・。仕様がないので、来週のアトレティコ狙いに変える。こっちは切符が売り切れって事は、ダービー以外ないそうだから。頼むから土曜日やってね。
4月22日(金)
例えば、バディ・ガイがルイジアナからギターを持って殆ど文無しで知り合いのいないシカゴに出てきて、3日間当てもなく歩き腹ぺこで泣きたくなったときに、「ギター持ってるな。1曲弾いてくれたら酒をおごってやるぜ」と、言われ弾いた。生まれて初めてウィスキーを飲んで目ん玉が4,5回ひっくり返って知っている曲を全部、ついでに知らない曲までプレーした。そしたらそいつは、「ちくしょう、こりゃぜひ人に聞かせないと」と言いだして4,5ブロック離れたクラブに連れて行かれ演奏した。するとそれを聴いた前に演奏していた奴がマネジャーに、「誰だか知らんが、雇ってやってくれ」と言った。マネジャーは、「火曜と水曜と木曜に出てくれ。バンドはあるか」と訊いたからはったりで「もちろん」と答える。次の日に実はルイジアナから出てきたばかりでバンドはないというと、こっちで用意するから良いと言われ、やり出して2晩目に客席を観るとマディ・ウェーターズが来ている。いったいどうすりゃいいんだ?バディ・ガイはそう思った。 ーー『THE
BLUES』(白夜書房) から「バディ・ガイ シカゴへやってきた」ポール・トリンカより要約ーー
それからバディ・ガイは、マディ・ウェーターズのバンドに誘われ益々ギターの腕に磨きをかけてその後、ジュニア・ウエルズなどを経て独立して本当に自分のバンドを持つようになる。そして、シカゴ・ブルースの代表的なギタリストになる。もし、「1曲弾いてくれたら酒をおごってやるぜ」と男が言わなかったら。もし、その男が、「ちくしょう、こりゃぜひ人に聞かせないと」と思わなかったら。もし、見ず知らずのバンドマンに、「誰だか知らんが、雇ってやってくれ」と言われなかったら。もし、マディ・ウェーターズが聴きにいていなかったら。今のバディ・ガイはいない。が、このもしの積み重ねがバディ・ガイを生んだのだ。人間の好奇心や、良い物を人に紹介しようという気持ちがなかったら、あるいは、このギターの才能は良い、俺の所で使おうと思わなかったらバディ・ガイはルイジアナの小作農で一生綿花を摘んで終わっていただろう。
良い物を素直に良いと言える気持ちを持ち、こんなに良い物だから誰か他の人にも知って欲しいとか、同じように良いと感じて欲しいとか思わなかったら、全てはそこで止まってしまう。自分の観た闘牛の観戦記を書くのはある意味でこういう作業なのだ。文章とは、自分が観た物を、不特定多数、または、特定の人に、向けて伝える手段としてあるのだ。だから、自分に厳しく、自分に素直に、正直に、正しく、面白く、読みやすく、分かり易く、書いて行かなければならないのだ。出来てないなぁ、それが。まだまだです。
僕は、こういう風に才能が才能を認め合って混ざり合っていく所から新しい何かが始まっていくのだと思っている。人との出会いとは、お互いの才能が擦れ摩擦し合って、何かを生んでいく事だと思うのだ。ただ自分の事だけじゃ何も新しい物は生まれない。
イバン・ガルシアは、色々な運動をして鍛えているそうだが、彼やセサル・ヒメネスは、反射神経を磨くためにボクシングをやっているそうだ。牛が突然向かってきても逃げれるように。セビージャに来ている彼はセビージャの闘牛学校の生徒などとボクシングをしたら生徒は滅多打ちのような状態になったそうだ。おそらく、生徒たちは、マドリードとセビージャの違いを思い知ったことだろう。今や闘牛以外のことでも鍛えないと闘牛士としてやっていけない時代になってきているのかも知れない。それは、スキーのジュニア・チャンピオンだったエル・ファンディを観れば予測がつくことだが、今回下山さんから教えて貰った情報だ。
夜遅かったので起きたのは12時頃でそれからイワシの酢漬けとタコのマリネをパンで食べて朝食を取った。デザートの、ギリシャ・ヨーグルトをコルテのブルーベリー・ジャムで食べた。こっちに来てからはこれで行く。クラプトンの、『セッション・フォー・ロバート・J』のDVDを観た。それを見終わってから、夕食用の食材を買いに行ってMさんにTELしたが仕事に出かけていた。夜にまたTELを入れることにした。それからFNACで調べ物をして帰ってきて16時頃、昨日の夜に作った炊き込みご飯を昼食で食べた。これから17日のバルセロナの観戦記を書くところだ。今日はマドリードも大分温かくなってきて半袖で歩いている人の姿が目立つようになった。
4月23日(土)
困ったもんだぜ。20日の日に、けいしゅうさんたちのお別れ会で中華を食べたときに、色々話した。その初めが大根のお新香だった。出てきた大根のお新香に感動して食べの物話になって、くまさんと、『将太の寿司』 が面白いと言うことで意見が一致して盛り上がった。それを、昨日くまさんの所に行ってご馳走になった後、DVDに焼いて貰ったのものを持って帰ってきた。貸した人、みんな(全19話)10話まで観るよと言われたのだ。お腹が苦しいから横になり、それでも眠れなくて起き出して、そのDVDを見始めた。
困ったことに面白い。これはアニメじゃなくて実写のドラマでフジTVでやった物である。それを4話まで観た。そしたら朝の7時。困ったもんだ。
4月24日(日)
困ったことに、昨日は買い物に出る以外、ずっと部屋にいて、『将太の寿司』を最後まで観た。僕はコミックで、確か第7巻だけを読んだ。物語の作りは、多分大分違う。違うがTV用の脚本に書き換えられていてそれでも面白かったし、泣けた。トレペが半分以上なくなった。涙と鼻水。夕食は、色なしパエジャ風炊き込みご飯。飯食いながら鼻水と涙。最後の所を2回観て1時頃寝た。『将太の寿司』を観ている間、睡眠時間が何時間だったのか判らない。かなり少ないことだけは確か。おかげで、写真の現像を未だ取りにいていない。
闘牛がないからこんな事が出来る。くまさんも困ったもんだ。こんな面白いものをよこして。まさかスペインに来て、『将太の寿司』に狂うとは思わなかった。将太の寿司は、基本的には、最高の材料で作る寿司ではない。戦略としてわざとカスの様な材料で作ったり、最高の材料が手に入っていたのに、汚い事をする笹寿司に奪われたりして、相手より劣る材料で、アイディアと工夫で、最高の材料に挑んでいく。そして、その原点にあるのが、お客さんが、美味しい、とか、喜んでくれる、そういう寿司を握っていく話なのだ。こんなので勝てるのか?と、思う食材で、アイディアと工夫で勝つ。そしてそこには、将太の寿司に魅せられた人達の協力と応援がいつもある。
だから、最高の材料で握る寿司だから、黙って食べろと、言う仕事ではない。お客さんに喜んで貰うために握る寿司なのだ。このTVでは、それを、寿司は心で握ると、言っていた。こういう言葉は、僕には本来、解らないことだが、この物語を見続けるとそのことが意味としてではなく、感覚として解ってくるのが不思議だ。良い物とは、そういう風に言葉のつたなさも、逆に印象に残るようになるのだなぁと、思った。それと、とても良く出てくる言葉、“頑張れ”は、僕は嫌いな言葉だ。しかし、この言葉も、このドラマの中では、有効に使われていると、思った。
おかげで座りすぎで、尻が痛い。昨日の夜は、カジャオの当たりは凄い人出だった。土曜日だからだろう。寒いのにねぇ。今日の昼は、人通りが少ない。レアル・マドリードも勝って喜んでゆっくり寝ているのかも知れない。
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