−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年のスペイン滞在日記です。
4月25日(月)
昨日は、闘牛場で待ち合わせをして雨が降り出したのでソルのアンダナーダを買ってカドヤンと中へ入る。プエルタ・グランデの中に日本人が一杯いたその円の中心に三木田さんがいたので挨拶をして上に上がって席に着いた。カドヤンに説明をしていたら三木田さんがやってきた。今日もこの前と同じで、片道だけの闘牛場へ連れて来るという仕事なのだそうだ。お客さんはテンディドで観て、ガイドはアンダナーダ。カドヤンはジャンパーを着ていたが、三木田さんはセーター。寒いと言っていた。3日に観たときよりは温かいが。
十何年ぶりにニーニョ・デ・ラ・タウリナを観た。昔観たときより考えて闘牛をしていた。アンドレス・レブエルタは思ったよりも良い闘牛士かも知れない。フィグラにはほど遠いけど。マノロ・マルティネスは見所がある。コヒーダされたのは彼の不注意もあるがやる気も技も見せた。あの牛をあそこまで動かせたのは彼の力量と言っていいだろう。話ながら観ていたら、下の方の席にいた日本人女性2人が、途中で直ぐ下に来た。多分、闘牛の話を聞きたくて来たのだろう。でも、何の挨拶もない。日本人ってこういう人ばかりなの?
終わってから、アナスタシアさんと合流して、バル、プエルタ・グランデで1杯飲んで、それから中華で4人で食事した。闘牛の話やスペインに話。1人で闘牛を観るのも良いが、こうやって今年のようにセビージャでは下山さんと、マドリードでは、三木田さんたちと闘牛を観るのは楽しい。昨日のアクセス数は今月初めて100行った。
朝起きて歯を磨いていると電気屋が来た。冷蔵庫の交換に来たのだ。先週持ってきた物は、冷蔵庫の心臓と言うべき、冷却する管が割れて冷えなかったのだ。段ボールを開けていたら右人差し指が痛いので観たら血が出ていた。大きなホッチキッスに引っかかり切れたのだ。薬局に行ってバンドエイドを買ってきてついでにFNACに行って現像したフィルムを取ってきた。変な話だが、そんなわけでウンコをした後、左手で拭いたら左肩が吊りそうになった。右手で簡単にできることが、普段使っていない左手でやるのはとても難しいことであることを改めて感じた。
4月26日(火)
昨日、スペインのTVを観ていたら、尼崎という単語が耳に入ってきた。それでかけていたTVの画面を見ると大破した電車と怪我人が映し出された。その後、メンバーズ・ハウスに行ってネットを繋いだら状況が解った。日本では、大ニュースとしてNHKをはじめ各TV局が情報を流していることだろう。線路への置き石説などいくつかあるようだが多分1番有力なのが、運転手のスピードの出して過ぎでカーブで急ブレーキをかけたという物なのだろう。運転手自身がペチャンコになった車両に閉じこめられている模様で、どうなるのか解らない。
それともう1つ重要なニュースがあった。それは元西鉄ライオンズの池永正明投手のプロ野球永久追放処分が解除された事だ。殆ど無実の人間がマスコミ(主に讀賣新聞による西鉄や阪神と言った巨人の対抗勢力に対する横暴と言っていい風評を立てて有力選手などを永久追放した、通称、黒い霧事件。僕の記憶が正しければ、後に、雑誌『Number』などの覆面記者対談で当時の自分たちが犯した過ちを悔いていた。)が、でっち上げに近い形で永久追放した。最も根本的な間違いは、法律では疑わしきは罰せずが原則なのに、あの当時の処分決定は、疑わしきを罰すと言ういい加減なやり方で処分が行われたことだ。池永の他に、中日のエース、小川健太郎(池永については無実だが、彼については署名運動もなかったと思うし、詳細は解らない)も永久追放された。アンダー・ハンドの凄い投手だった。王貞治との対決では、伝説になった、背面投げを投じた。
また、阪神の江夏豊(姫路の竹本組長(と、言う名前だったと思うが、“仁義なき戦い”の広島で武闘派として名を上げ後に山口組の組長になった人で、愛人と共に射殺たれた)から、お前は男だからと100万円の腕時計を貰った)も一時、疑惑を持たれて出場停止処分を受けた。あの忌まわしいマスコミの暴力を僕は今でも忘れない。もしあの時、江夏が永久追放されていたらその時点で僕はプロ野球ファンを辞めていただろう。しかし、西鉄ファンの中には池永が永久追放になってプロ野球ファンを辞めた人だっているはずだ。そして、あのつまらない川上の管理野球全盛時代になる。あんな事は許されない事だ。その代表だった池永正明がプロ野球界への復帰できる道が開けたことを心から喜びたい。本当におめでとうと言いたい。僕らはいつの時代でも、マスコミの横暴を許してはいけないのだ。それは、インターネットの時代になっても変わらないことだ。その為にも、ネットのルールはそれぞれがきちんと守らなければならないのだ。守れない奴は、フエラ!!!
ネットで事故のニュースを観た後、ISOさんとバルで飲んだ。その話から、HP関連でメールを送ってくる人達の話になった。言葉遣いが非道いという話になって、「そりゃーTVゲームやネットとかコンピューターにしか向かってなくて、人と付き合ったことがない様な人間が、メールよこして来るから言葉遣いも非道くなる」と、言った。それから、人とのつきあいの話になって、何故か血液型の話になった。ISOさんが言うには、血液型なんて全然信じなかった。でも、ある時に、自分の仲が良い友達を調べたら、半分がAB型で、後は、B型とO型だった。自分はA型なのに、A型とは合わないA型なんだって解りました。と、言う。
俺は、どうも今考えてみるとA型とは合わないことの方が多い。ISOさんと波長が合うというのは不思議だが、それはISOさんの資質がそうさせるのだろう。本来は、B型、O型、AB型なら合うみたいだ。勿論、僕の場合は血液型を訊いて付き合いを始めるわけではないが、職場などでも物凄くイライラするのはA型の人間とやっているときにはそういうことが良くある。でも、闘牛の会の人達の血液型が何型かというのは全く知らない。スペイン関係の知り合いでも何型なのかは全く知らない。多分、波長が合っている人ってA型の人じゃないような気がする。だが、ISOさんのように例外というのは、どういう場合でもあるので、この日記を見たからって、俺は、私は、実は血液型が何型と言われるのも面食らうのでそういうことは言わないようにして欲しい。
部屋に帰ってきて、TELしていたらモービルにTELが入っていた。今日の夜は、アナスタシアさんの所で去年のサラゴサの闘牛を観る。3人の闘牛士の評価をして欲しいのだという。ビデオだから正確には出来ないが、ある程度は解るだろう。明日はすずめさんと会ってお願い事をする。信頼できる人だからこそ頼めると思う。夜は、M夫妻の所に行く予定。
4月27日(水)
昨日佐々木さんと、フラメンコと闘牛の話をした。フラメンコが佳境に入って鳥肌物の歌や踊りが出るときの話を聞いていたら、思い出したのは、アメリカの黒人音楽。ブルースやジャズ。特にジャズのアドリブの掛け合いがフラメンコのそれの近い感覚だ。「やーこれスゲーよなっ」って思うアドリブとフラメンコのそれが非常に似ているようだ。
だから、フランコの踊りを勉強に来ている人で、次のステップにちゃんと行けたときは気持ちいいでしょうとか、レマテが決まったときは気持ちいいでしょうとかいうレベルの話では、全く話にならない。闘牛でも、4回パセを繋いでからパセ・デ・ペチョ。そんな判るような闘牛のファエナでは面白くないのだ。良い闘牛だとパセの1回1回に緊張感があるので何回パセをやったなんて数えることを忘れるようなファエナになるからだ。
佐々木さんは、フラメンコでレマテを決めた後に、すうーと引いていくのが、闘牛でパセ・デ・ペチョを決めてすうーと引いていくのに似ているという。そこの処で興奮が盛り上がるといっていた。確かにファエナ中の緊張や興奮が何もしなくなったときに、言葉にならない感情として勃起してくるのは確かだ。そういう状態になったときに、感情が何らかの言葉を発するのだ。こんな時、人間は、「スッゲー」としか良いようななかったりする。しかし、僕は、それを言葉にしたいと思う。言葉にして表現してそこにいなかった人にもその感情に近い感情を再現させたいと思うのだ。
夜は、アナスタシアさんの所で観た去年のサラゴサは、マルケス・デ・ドメク牧場の牛で、ミゲル・アベジャン、エル・ファンディ、ミゲル・アンヘル・ペレラだった。アベジャンは1番牛に恵まれなかった。僕は1頭目のファエナの方が好きだ。4頭目は、苦労してパセをしているは判るが緊張感が足りない気がする。ファンディは、誰が観てもバンデリージャが上手いのが判るだろう。でも、去年の最後の時点で悪い牛であれだけパセを繋げるのには驚いた。今年のセビージャのフェリアで同じようにして耳を切っているから判っていたが年々上手くなっているのが判る。
でも、1番良かったのはミゲル・アンヘル・ペレラ。最後の牛は、パセを1回通す間に2,3回飛び跳ねるので非常にやりにくい。それでも動かずにパセを通す。落ち着きもあるが、牛の動きに対してのムレタ捌きが上手いから出来ることだ。緊張感と深みのあるファエナだった。こういうファエナを観ていると闘牛を観て良かった思う。ホセ・トマスに1番近いのがミゲル・アンヘル・ペレラだ。今年は未だ観ていないが5日のヘレスをTVEで観れるから楽しみだ。
さっきすずめさんと会って昼食を食べてきた。思っていたように信頼できる人だった。控え目で、スペインに長年住んでいても、他者を寄せ付けないような処がない。それと人の悪口を言わない。スペインのダメなところを知って、それも含めてスペインが好きだという人。スペインに住んでいる日本人はそういう人が多いと思う。あれは非道いと言いながら、“郷に入っては郷に従え”というのを判っている人だ。それにしてもスペインでネット回線や、ADSLなどで困っている人は無数にいる。アナスタシアさんも今ネットに接続できない状態だし、すずめさんもそうだという。
混んでいるVIPSで2時間話をした。お願い事については大丈夫そう。こちらが恐縮していまいそうだった。日本でもあるが、今スペインでは、CDやDVDなどのネット上のコピーが流行っているそうだ。いくつもそれを持っていると特典が与えられたり、良いことがあると言うが、そんなことやっている暇はこっちにはない。すずめさんも同じ事を言っていた。大体ウィルスが付いているやつも結構あるようだし、それに、流行らない物が好きな者としてはそういう売れ筋はあまり興味がないので、利用しない。
4月28(木)
昨日の夜は、M夫妻の所へ行って夕食を共にした。締め鯖、目刺し、鱈の煮物(卵入り)などを、白ワインで飲んだ。最後は、ご飯に納豆を食べた。こんな贅沢をして良いのかという食事だった。それに肉が1つもないのが素晴らしい。最後はリキュールを飲んだ。M夫妻は引っ越しして凄い家に住んでいた。Mさんも穏やかな感じだった。それで闘牛が始まるとまた、毒舌が始まるのだろうけど。すっかりご馳走になり泊めて貰い朝帰り。今度の所からは歩いて帰れるところなので、朝の散歩として歩いて帰ってきた。
そして、思い出したようにラス・ベンタスへ行ってフェリア・デ・コムニダの切符を買いに向かった。ビックリしたことに列が出来ていて30人以上並んでいた。訊いたら、サン・イシドロの切符も買えるのだという。しかも、どの日でも買えるのでアボノのようにして買っている人もいた。興行主が今年から変わったのでそういう風に売り方も変えたようだ。特に去年は満員じゃない日が多かったから、こういう風に売り方を工夫しているのかも知れない。それでも例年のように5日前に売り出すのも変わらないようだ。闘牛場や雑誌の広告には、今年から電話での予約も出来るようになったようだ。お金を一杯持っていかなかったので、26日の良い席しかサン・イシドロは買わなかった。18日も良い席を買いたかったがそれは仕様がない。
今日は上にフリーズを着てメトロで来たら暑かった。32度を記録したようだ。
4月29日(金)
天皇賞の枠順が発表された。いい加減な予想をすれば、本命は、角田のヒシミラクル。前走から目を付けていたが、調教に乗った角田が、「一昨年勝ったときの状態にある」と言っているのも心強い。対抗は格から言って、ザッツザプレンティ。リンカーンも良いようだし、こっちを対抗にしても良いくらい。関東馬では、左利きのハイアーゲームはいらない。ユキノサンロイヤルで穴狙い。武の乗る牝馬もいらない。それと面白いのが本田が乗る上がり馬、マイソールサウンド。青葉賞は、藤田が乗る馬が勝ってダービーの切符を取ってダービーでも、ディープインパクトを脅かす存在になるだろう。問題は、勝ち方、内容だ。
部屋の片付けなどしてTVもテレマドリードが映るようになった。あとはちゃんと机などの配置換えをして使いやすいようにしないとゴチャついている。明日からフェリア・デ・コムニダが始まる。今日でスペインに来て1ヶ月になる。何をやったのか・・・。反省。最近、酒が足りないのかフィノでは寝づらい。やっぱりと思ってバーボンを買ってきた。これで、寝れるようになるだろう。
4月30日(土)
朝起きて歯を磨いて部屋に戻って携帯を観たらメールが入っていた。直ぐにTさんにTELをした。用件が完了したことを理解する。洗濯をしてTVのチャンネルと代えるとラ・ドスで、「テンディド・セロ」をやっていた。こっちに来て1ヶ月だが初めて見た。ファンディが左手で剣を添えて、右手でやるパセを通しパセ・デ・ペチョをやっていた。あれは難しいパセだと思った。ホセリートが、右手で剣を添えないでやる、ナトゥラルもムレタの面積が少なくなるから難しいが、利き手ではない左手で剣を添えてムレタを持ってパセをするというのは、ムレタを利き手ではない左手でコントロールすること自体が非常に難しいと思った。
昨日の夜は、ISOさん、くまさん、Quimicoさん、とバルで飲んだ。Quimicoさんは、掲示板で知っていたが、会うのは初めて。仕事で来ていてゴールデン・ウィークに休暇を取ってスペインに滞在しているという。何故か、NHK教育TVの「ことばであそぼ」と、「超芸術トマソン」と赤瀬川源平で盛り上がってしまった。
5月1日(日)
昨日はギリギリに闘牛場へ行った。それのというのも、カジャオの駅で10回の切符を買おうと自動販売機にお金を入れたら4ユーロまでしか入らず、結局窓口で買ったからだ。何か調子が狂う。闘牛は牛も良くなかったが、見習い闘牛士もダメだった。ビックリしたのが、アルバロ・フストに付いてるバンデリジェーロは、アルベルト・マルティネス(元、ビセンテ・バレラ、去年までファンディ)とビクトル・ウーゴ(元ホセリート)というアルバロ・フストより有名なバンデリジェーロたち。つまり、そういうメンバーを集めて正闘牛士になろうという算段だろう。しかし、実力が・・・。
今日は、マドリード近郊へ出かけた。アナスタシアさんとEさんと、病院に行った。去年入院したFさんが1度退院して、再入院して4月の初めに転院したところへ。転地療養とはいえ、交通の便は、公共交通機関では不便なところで、乗り継ぎなど非道く、タクシーもTELしても通じなかったので次のバスまで待ったので時間がかかった。マドリードを出てから病院に着くまで3時間半かかった。424号室のFさんの病室を訪ねたら、ドアが開いていて寝ている姿が見えた。遠目には、ちょっと判らなかった。それから3人で入っていった。声をかけたら目を覚ました。覚悟はしていたけど、目の周りは窪んで顔だけ見ると去年に比べて、10年から20年は年を取ったように老けて見える。もう爺だ。60か70くらいに見える。顔を見るのがつらい。
3人で馬鹿話のようなことを言って笑った。サッカーや闘牛の話もした。フェルナンド・イエロ(元レアル・マドリードのキャプテン)がイギリスのボルトンに行った(チェルシーの優勝試合で相手のボルトンにいたから判った)話や、昨日のレアル・マドリードの試合の話をした。ロナルド(日本語表記では何故かロナウドになっている)のゴールやグッティのパスが良かったことなど。Fさんは新聞を読んでいないという。読むと直ぐに眠くなると言っていた。体力がないのだ。食事は取っていないという。食べたくないと言っていた。点滴もしていない。医者が、来週の水曜日からリハビリを始めると言ったそうだ。ガリガリに痩せた体。腕を頭の上の方に持って行っても、力瘤が出来る肘から肩の間の肌には、無数の縦皺が見える。手の甲は、指1本1本の骨の間が窪んでいる。
下半身は、薄い布を掛けているので見えないが、足を動かすと外の光に透けて太腿の形が判った。非常に細い。腕も細いから想像は出来るが、骨に皮に近いに状態だ。それにオムツをしていた。口にする物は、ジュースなどの飲み物だけ。栄養が足りていないのは明らか。立てないようでベットから出ていないようだった。車椅子にも乗ると痛いので乗らないと言っていた。噂では、痛み止めはモルヒネらしい。Fさんあれだけ好きだった、酒もタバコも出来ない。病室にベランダがあってちょっと居づらくなってそっちに行った。戻ってきて、何でベランダがあるか判った。ここは、タバコを吸うところだ。と、言ったらFさんが笑っていた。
バスの時間があるから1時間弱で帰った。部屋を出る前に、Fさんに、リハビリが始まると今まで体を動かしていなかったから痛かったり、つらかったりするけど根気強くやらないと体動かないよと言ったら、うん、判っている。と、言った。今のFさんには来週からのリハビリが、希望になっているのだと思う。でも、状態はかなりヤバイ。本人も薄々は判っているのだろうけど・・・。病室を出るとき最後までこっちを観て手を振っていた。ニコニコしていた。廊下を歩いているときは声を控え目にして話をした。エレベーターを待つところまで来てようやく3人顔を合わせて、「顔を見ていると何だか、つらくなるね」と、話した。ここならFさんには聞こえないから。「1人で来たら、言葉に詰まってしまうだろう」と話した。来るなら2人か3人くらいで来ないと、と思った。
病院から下のバス停まで40分ぐらい歩いた。登りはバスで来たので5分ちょっと。坂道だから歩いて登れば1時間かかるだろう。マドリード行きのバスは45分後までなくRENFEの駅からも、たった今出たばかりだったので駅のカフェテリアに入って喉をうるおした。Eさんは4年前くらいに、「秋」で下山さんとエドゥと一緒に食事した人だった。そういわれて思い出した。ハビエル・カスターニョがプエルタ・グランデした日だ。とても闘牛の時間には間に合わない。17時25分のバスに乗りマドリードに着いたのは、18時35分だった。バスの中では無言だった。僕は眠っていた。それから部屋に戻って闘牛場に着いたのが19時10分頃。2頭目のファエナが始まっていた。今日はホセリートの誕生日だった。
5月2日(月)
今日は、ドス・デ・マジョ。マドリードは休日。昨日のFさんの顔が忘れられない。終末医療でも患者には希望が必要だ。本人はガンであることは判っている。でも、もう近いことは知らない。そのことは、僕たちからは言わない。いや、言えない。Fさんにはこう言ってきた。去年隣の部屋だったのにFさんいないし。酒あるし、つまみもあるし、それなのにいないし、と。Fさん力なく笑っていた。あんに早く戻ってきてと言っているわけだけど、言っている方もつらいのだ。涙出そうになる。1人で部屋にいるとダメだ。そのことを考えていると暗くなる。闘牛観ないとダメ。何かやっていないと・・・。馬鹿言って笑っていないと苦しくなりそうだ。
Fさんは知り合いが一杯いるから午前中もお見舞いに来た人がいると言っていた。そうやって、誰かが来ることは、Fさんには救いになっているのだと思う。昨日は闘牛場へ遅れていって席に着いたら斜め前にYさんが知り合いと一緒にいた。1頭目と2頭目は牛が悪かったと言っていた。その前に下山さんに今日の様子を訊こうとTELしたが繋がらなかった。その前のバスでマドリードに戻ってきたときメトロで自動カメラの写真があったので3ユーロで撮った。これは、1ヶ月の定期に使う物。これで5月のサン・イシドロ中は使える。今日は休日だから買えるかどうか判らないが明日には買えるだろう。
5月3日(火)
今日のマドリードはTシャツでは肌寒いが歩いてると暑くなるくらいの陽気だ。今日も休日でメトロの1ヶ月定期は買えなかった。シャワーを浴びてコルテが開いているので買い物をした。時間がなくなったので、メンバーズ・ハウスには行けなかったので、部屋の配置換えなどをした。それから残っていたもやしが腐りかけているので、選り分けてインゲンやニンニク、生姜と炒め焼き肉の添え物にした。
それにしても、昨日ネットで観た天皇賞の結果にはビックリした。何で、スズカマンボが勝つのか解らない。ヒシミラクルが前売りで1番人気になっていたから嫌な感じがしたけど、大荒れも良いところ。青葉賞は、予想通り藤田伸二のダンツキッチョウが勝ったが鼻差か。レースぶりが解らないがタイムも悪いしダービーでは期待薄だなぁ。
ちょっと調べたら、このままの予定だと今年はモランテが観れない。考えたら5月30日のアランフェスで観るしかないようだ。どうするか考える。勿論お金とも相談しないといけないけど。
5月4日(水)
朝早起きしてメトロの1ヶ月定期を買ってきた。初めて持つ定期にウキウキしている。これを持ってサン・イシドロに通うのだ。朝食を取り洗濯をして昼過ぎにメルカドに行った。こっちはコルテの魚屋と違って一杯種類がある。新鮮そうな白身魚とネギ、セタを買ってきた。魚は塩胡椒をして下味を付けた。後は焼いてご飯で食べるだけ。夕飯に食べようと思う。これからは、出来るだけメルカドに行って魚や肉を買おうと思う。昼食は、昨日買った豚肉を焼いて、セタとネギを、生姜とニンニクで炒め醤油で味付けした物を添えて、パエジャ風炊き込みご飯で食べた。
一眠りしてから、HPをアップしに行って夜は、チャンピオンズ・リーグをTVで観る。
5月5日(木)
昨日メンバーズ・ハウスに行ってHPをアップしたとき、くまさんにディアナ・ナバラってどういう人と聞いたら、どういう人って聞かれても会ったことないから解らないと言われた。その通り。いやそういうことではなくどういう歌手か聞きたいだけ。そしたら、フラメンコの歌手をやっていた人じゃないかなと言っていた。透明感があるでしょうというと、それもその影響でしょうと言うことだった。僕の印象では、スペイン版“エンヤ”という感じだった。是非CD買いたいと思った歌手。くまさんは待ち合わせのCD屋で彼女を聴いて直ぐ買ったという。それは正しい。僕も同じ立場ならそうしただろう。正しい感性だ。
4月25日付のムンドトロ・コムに、ホセリート・アダメの記事が載っていた。下山さんが言っていたが、彼は2月のセビージャで行われた第8回フェリア・ムンディアル・デル・トロのテンタデロで、牧場の牛の説明をしていたオルテガ・カノの度肝を抜いた。ビスタレグレの見習い闘牛士の大会でもトゥリンファドールになっているマドリード闘牛学校の生徒でメキシコ人。今年の8月に16歳になってコン・ピカでデビューすると書いてあったが、8月14日ダックスに出場が決まった。超期待の新人。
5月6日(金)
昨日のヘレスの闘牛でハビエル・コンデは、セビージャで何も出来ずに罵声を浴びたのが嘘のように派手に闘牛を踊った。やっぱりハビエル・コンデはああじゃなくちゃいけない。派手エル・コンデだ。ミゲル・アンヘル・ペレラは、相変わらず良い闘牛をやっていた。真夜中酒を飲んでいるとつまみにイワシの酢漬けやチーズを食べるけど、やっぱりチーズはお新香と一緒に食べないと酒が進まない。お新香が食いたーい!
日本を出るときのこっちに持ってきた本の中に、『養老先生と遊ぶ』(SHINCHO
MOOK)がある。今見たら発売が3月30日になっている。何故買えたんだろう?それを読んでいて面白いのだけれど、その中に、私はこう見る「養老先生ってどんな人?」には色々な人が書いているのだけど笑ったのは、作家で元ロシア語同時通訳(本人はドジ通訳と言っていたが)をやっていた米原万里である。以下引用。
「ー(前略)ーでも、虫友だち以外の人に対してあの言葉の端々を飲み込むような早口で話ながら、途中で自分の言っていることが可笑しくてたまらなくなって独りで肩揺らして笑い転げるの、やめて欲しいのよね。
話すのが早口すぎるのと発声法が恐ろしく良くないのと、さらには、書くときもそうだけど、自分が分かり切っていることは大方省いてしまう癖があるでしょう。言っていることの五〇パーセントは相手に伝わっていないの、自覚してます?
虫や死体と会話するのには全く支障がなかったと思うんだけど、多くの生きている人間たちには、何が可笑しいのか分からないで心中憮然としながら笑っているの、気付いてます?
『バカの壁』が爆発的に売れたのは、いつもなら養老さん自身がどんどん省略して書かないような部分を、編集者が根気よく聞き出してて書きとめたからだと思うの。
ご自分でこの欠点を自覚して「勝手に省略癖」を返上していたら、とっくにミリオンセラーになっていたはずだわよ。だって、言っていること、何もかもホントに面白くて可笑しいんだもの。」
もう何というか、女のこういう感覚には驚いてしまう。女が世の中からいなくなったら、戦争ばかり起こってしまうと、言ったのはISOさんだったなぁ。米原万里は、本を読んだことがないけど、『徹子の部屋』に出たときに面白い人だと思ったけど、書いていることも面白いじゃない。大体、こういう事を言えるのは女しかいないよな。男は思っていてもなかなか言えやしないもの。そして、こういう言い方が自体が養老孟司の賞賛になっている。愛情にもなっている温かい言葉だ。
そして、その黒柳徹子は、「2AからAを引くと2(2A-A=2)と答える子どもがいるけれど、それで僕はいいと思う」と仰った。私は、(あら?2であっているんじゃないの?)と思ったけど、黙ってお話を聞いていた。私の表情から番組スタッフたちは副調室で大笑いをしていたそうだ。「じゃ、正しい答えは?」と伺ったら「Aです」と教えて下さった。でも、これは、知っているから分かるので、算数のルールを知らないからといって、バカと決めつけられ、自分で自分にバカの壁を作ってしまうのは子どもが可哀想だ。この養老先生のお話は素敵だと思った。
それで黒柳徹子は、小学時代に教師から「あなたは低能です!」と言われ傷ついたという。養老先生を校長先生にすれば子どもたちは壁のない世界で、のびのび生きていると、言っている。
5月7日(土)
昨日のバルデモロの闘牛は牛が悪く面白くなかった。アベジャンがあんなに非道いとガッカリする。今年は不作の年かも知れないとさえ思う。アポデラードがポンセと同じになって一緒に組むカルテルが増えるだろう。仲良く話をしていた。人間不思議なのもので、何故?とか、どうして?とか、そこが知りたいとか思う物で、あれだけ非道いアベジャンのそこが知りたくなる物だ。だから、車で出かけるという日曜日のシウダ・レアル近郊の闘牛に行ってみようかという気になってくる。どうでも良い闘牛士には、こんな感情は沸かない。良い闘牛士だと思うからそう思うのだ。
アポデラードも代わり、サン・イシドロにも出ない。そして、コラソン番組では彼女のことを流されている。女が出来て闘牛が変わったの?それは知らないけど・・・。でも、こういう闘牛をしていると女で闘牛が悪くなったと言われる。闘牛場の中でラファエルに会った。コムニダの時も会ったが、いつ帰るんだと言うから6月17日というと、俺もベネフィセンシアの後に帰ると言っていた。彼は昔はマドリードに住んでいたはずだ。今はコロンビアに帰ってしまったらしい。それでもこうやってセビージャのフェリアとサン・イシドロを見にスペインに来ている。ホント俺と同じように。この時期の闘牛を観に来るには最良の時期だ。この2つのフェリアを見るとその年の闘牛が分かるのだ。コムニダの時は、久々だったが、俺はセギドール・デ・セサル・リンコンというと、ジョ・タンビエンと笑っていた。いつもコロンビアの帽子をかぶっている有名なアフィショナード。仕事は昔は車のディーラーをやっていた。日本車を売っていると言っていた。
5月8日(日)
朝早く目が覚めてしょうがなしに飯を食って洗濯をした。これからシウダ・レアル近郊に闘牛を観に行く。
5月9日(月)
今日は銀行に両替に行って、それから、グラナダとコルドバ行きの切符と、サン・イシドロのアボノを取ってきた。アボノを懐に入れて帰ってくるときは幸せな気分になった。でも、ここで泥棒に盗まれたらどうしようもない。緊張感を持って周りを気にしながら部屋に辿り着いた。最近、2件盗難にあった話を聞いていたので用心深く歩いてきた。2件とも、サンティアゴ・ベルナベウでやられた物だけど。1件は首締め強盗、1件はズボンのポケットに入れていたクレジット・カードを抜き取られた物。昔、堀越さんが、マドリードを歩くときは10m歩いたら後ろを振り向く様にしないと危ないよと、言っていたことを思い出しながら歩いてきてきた。
所で昨日は、アナスタシアさんとかどやんと2人の知り合いのKさんの運転でシウダ・レアル近郊のボラニョスに闘牛を観に出かけた。着いて直ぐに闘牛場へ行ったら14時過ぎなのにタキージャが開いていた。切符は1番安いところを指定してアナスタシアさんが買った。それから、レストランに行って昼食を食べた。日曜日なのでレストランを探してようやく辿り着いて、食事できると聞いたら、ノー・ロッセだって。これがスペイン。聞きに行って厨房から出てきたら、OKが出た。メニュー・デル・ディアがあったのでそれを注文した。食べたのは、マッシュルームの卵和えと、骨付き羊肉のステーキ。
Kさんが闘牛の見方を教えて欲しいというので、レストランで簡単に説明した。牛の目の位置や、それを利用して闘牛士がどういう風にカポーテやムレタを振るかについて。クルサードについても。後は実際に闘牛場で闘牛を観ながらの説明。ポンセにアベジャン、最後の地元闘牛士、ルイス・ミゲル・バスケスが1番盛り上がった。実際1番良かった。
5月10日(火)
天気予報では、明日から3日間雨である。おいおい、サン・イシドロが始まるって言うのにこれかよ。堀江社長なら、「想定内」と言うだろうが、そういっていられない。今年は異常気象で本当にどうなるか判らない。今まで晴れていたんだからこのまま晴れてくれと、マドリードの守護神、サン・イシドロに祈る。それと、エンカボがプエルトジャノでコヒーダされて鎖骨骨折と診断されたが、13日と6月3日のサン・イシドロに出たようで、他の医者にセカンド・オピニオンをして欲しいと言っている。どうなるか不明。
昨日、HPアップ後にISOさんとバルで飲んだ。その前にネットで、ABCでサン・イシドロの特集があると書いてあったのでキオスクに行くが特集記事は見あたらず、他の所で探したら、LA
RAZONで特集記事を見つけたので買った。ISOさんが買う新聞は当然、MARCA。それで面白いことを言っていた。女の裸とか出てない新聞なのに、と。その後僕は、それでも男しか買わない。やっぱり男は、男の肉体に興味がある訳よね。女の肉体をお金出して観たり買ったりするのは実は異常な行為。正常な男は、公の場において男の肉体に興味ある物だし、その身体的の動きに興奮するのが正常だ。男が女の肉体に興奮したりするのは限定された閉鎖空間における個人的な行為においてである。何だか難しい言い方になってしまった。
まっ、闘牛にしろ競馬にしろサッカーにしろ野球にしろ(女いないよなぁ。闘牛や競馬にはいても美しくないよなぁ)そういう興奮を感じるから、その場で興奮して観ても、後から新聞を買って読んでその興奮を確かめたりするわけだ。女の興奮と男の興奮は違うのだ。女なんか新聞を読まないだろう。女の興奮は個人的な感情移入が殆どの部分を占める訳だから・・・。おっと危ない!こんな事書くと後から何を言われるか判らない。気をつけないと。言い方を変えれば、女が女の肉体を観て興奮する場合は、男が男の肉体を観て興奮する場合と状況と意味が全然違うという事を言いたいだけでして、その・・・それ以外の意味は余りないわけ。肉体の話というのは難しい。でも、俺はいつも肉体の話をしているんだけど・・・。で、話題を変えようと思ったら、何と、ちょうど時間になりまして、お後がよろしいようで・・・。
5月11日(水)
日は昇り、日は沈む。いよいよサン・イシドロ開幕の日を迎える。毎年毎年この日を待ち続けて生きているような物だ。これからが真剣勝負。本番の闘牛なのだ。今年は牛は良くない。どちらかというと、コリーダ・ドゥーラの牛が良い。ビクトリーノ・マルティンとか、サンタ・コロマの血統が。つまり、トリスタが好きな牛は良い。これじゃ言葉が判らない知れない。牛ファンが好きな危ない牛系の牛が良い。でも、多分今年は闘牛士が当たり年。今まで力を発揮出来ないでいた闘牛士が良い状態で闘牛をやっている。今日はホセ・エスコラルだから良い牛が出るだろう。でも、それをちゃんと闘牛士が出来るかは疑問が残る。だって今日は2戦級の闘牛士だからだ。出来れば感動する闘牛が観れるはずだ。
天気予報では雨だったが、曇り空。明日の予報は雨。取りあえず今日は闘牛が観れるだろう。
5月12日(木)
今のところ空は泣いていない。モービルのお金が切れたので、FNACに行って買ってきた。それからコルテに行って買い物をしたら、雨が降り出す。ラ・メヒカナというコーヒー豆を売っている店の向かいで雨宿りをしていたら、中国人の女が傘を売りに来た。みんな雨宿りをしているので、良い商売である。3ユーロで隣の爺さんが買って歩いていった。雨は降り続く。濡れないように小走りする人もいるし、ゆっくり歩く人もいる。FNACの方から走ってきた男とFNACの方に走っていった女がぶつかり女が男の上に倒れた。男がうめき声を上げて苦しがっている。周りにいた人が10人くらい集まって覗き込んでいる。日本じゃ考えられない。
女は直ぐに立ち上がったが、うめいている男を観ている。雨の中、傘を差している人は2人しかいない。1人が倒れた男の上に傘を差して雨に当たらないようにしている。が、雨は降り続いている。石畳の地面を水が流れて倒れている男の体を濡らしている。滑って倒れた当たりは、濡れると滑るつるつるに磨いている石だった。警官2人も直ぐに駆けつけている。倒れたとき鈍い音がしたので、頭か腰を強打したようだ。警官が足が動くか聞くと、左足を動かした。どうやら腰を強打したようだった。そういう状況で女はいなくなった。どっちが悪いという事ではない。2人とも避けきれずにぶつかってしまったのだ。
しばらくして、男は立ち上がり、腰を押さえている。警官が腰を回すように言った。若い男である。少し太っている。倒れたときは顔を見なかったから中年の男と思っていたがそうではなかった。苦しそうにしていたが自分で歩けるようで連れの女とブティックに入っていった。スペイン人はこういう風に何かあると雨に濡れても集まって、大丈夫かどうか心配している。日本人は、転んだ人がバカなんだから俺は知らないと知らん顔だ。こんなつまらないことでも国民性の違いが表れる。
昨日は、1年ぶりに闘牛場でTさんに会う。Yさんにはこの前会っている。Tさんは今年は剣刺しを勉強すると言っていた。HPの影響かどうかは知らない。自分でテーマを持って闘牛を観ると言うことは非常に良いことだ。闘牛が終わってからKadoyanと会ってプエルタ・グランデでビールを飲んだ。それから彼の家に行ってカバとフィノを飲みながら焼きそばを食べて話をした。0時半近くになったのでおじゃました。今日は闘牛が終わったら三木田さんと大橋君に会うことになっている。雨で中止になれば早めに会うことになると思う。なお、13日は、エンカボに替わりイバン・ガルシアの出場が決まった。
5月13日(金)
昨日闘牛場へ行って中国人の傘売りの話をしたらTさんが、あの人たちは人間が生きているところならどんなことをしても生きていける逞しさがある。日本人は、そういう逞しさを持っている人は少ない。と、言っていた。その通りだと思う。いつもスペインに来るとそれを感じるのだ。彼らはめげないのだ。自分のおかれている環境に愚痴など言わない。みじめだとも思わない。みんなに変な目で見られても生きていくためにやっていることだから、恥ずかしいと思わないのだ。それでいて淡々と日々を暮らす。ああいう逞しさを持ちたいと羨望する。
闘牛が終わってから、三木田夫婦と大橋君と会う。闘牛の会のメンバー。みんな元気そうだ。大橋君はサラマンカからバレンシアに引っ越す途中で1週間マドリードに滞在しているという。15日の切符の事を聞かれたがもう売り切れになっているので、公営ダフ屋に行ってみると言っていた。闘牛場で売っているかどうか聞かれたので、当日発売する規定になっているので6時か8時に並べば買えるかも知れないと言った。同じ事アナスタシアさんもTELで聞いてきた。この日の切符を取るのは難しい。18日は目玉の日だからもっと難しいだろう。23日26日それと最終日のビクトリーノ・マルティンとかも。俺は13か14日までは簡単に取れと思っていたけど今年は難しそうだ。また、日曜日はどんな闘牛士が出ても結局売り切れになるのに今年はメンバーが良いのでこれも例年以上に難しいだろう。どうやら15日はサン・イシドロの日なのでテレマドリードでTV中継をするようだ。
今年のサン・イシドロは去年までと比べて興行主が替わり開催期間が短くなったからか、初日から満員に近い状態。ラス・ベンタス闘牛場のHPには切符が売り切れの日までちゃんと載っているそうだ。それでも規定通り当日券を発売すると思うけど。大橋君は自分なりに振り返って留学中の勉強について言っていた。マイペースが人より遅いのに2月に病気をしてもっとペースが遅くなっている。それでも、スペイン人とかと話をしたり大分判るようになった、と。本当は、本を読まないといけないけどと言っていた。本読まないとやっぱりダメだろうなぁ。俺もスペイン語の勉強をちゃんとやらないといけないのに・・・。
今日の天気予報も昨日と同じ。また、雨が降るだろう。問題は、闘牛の時に降るか降らないかと言うこと。三木田さんたちと食事をしているときに、こんな話が出た。闘牛のパセの数って50くらいしかないですよね、と。数えたことないから判らない。ただ、同じようなカポーテの振り方でも、名前が違うというのは意外と多い。ムレタでもそう。だから、数えたらきりがないかも知れない。大体同じパセを観て、違う名前を言うというのもあるし正直に言えば判らないのだ。
それと、疑問に思っていた事が1つ解決した。メトロの5番線に、ベンタスの次にエル・カルメンという駅がある。何故カルメンにエルが付くのか?と思っていたのだが、三木田さんの話だと、グラナダのパティオでは、フルーツなど植えているところをカルメンと言うそうだ。アラビア語から来ているはずでそれがスペイン語になったときに言いやすいようにカルメンになったらしい、と。そのパティオ、カルメンであって人の名前じゃないからエルを付けるのじゃないかと。これで僕は納得した。
5月14日(土)
昨日闘牛場で雨が降った。前の女が傘を差しているので注意したら傘を高くしてもっと見えないようにする。いったいどういう事?怒った。もうああなると日本語で怒鳴りたくなる。昔、頭に来て日本で怒っていたら、スペイン語で言ってくれと言われたことがある。雨が降ったらカッパを持ってないなら濡れていればいいじゃないか。闘牛場に来るときは、どういう状況になっても大丈夫な準備をするべきだ。ラス・ベンタスで傘を差して良いのはファン・カルロス国王とその家族だけだ。それ以外の人は、カッパを着ればいいじゃないか。用意できないなら雨に濡れていればいいのだ。
Tさんにこういうレベルの人は相手にしないと、たしなめられた。幸いというか何というか、1頭目で雨がやんだのでそのことが終わった。前の女のように闘牛を殆ど観たことがない様な人は、闘牛場の常識を知らない。雨が降ったら闘牛士も濡れるのだ。同じ時間に同じ場所にいてを闘牛という物を共有しているいるのだからせめて、いつでも拍手が出来るように傘など持って手をふさいだり、後ろの人が見えなくなるような行為は慎むべきなのだ。晴れなら暑くてたまらない状況で、雨ならカッパでも着て寒さや濡れることをいとわずに、闘牛士と同じ気持ちで闘牛を観なければ、その自然の中で闘牛を感じることが出来ないではないか。
何を考えているのか訳が分からないバカ女だ。年取ってるのに口紅だけ真っ赤に塗りたくって、左右の腕に一杯付けたブレスレットが食い込む格好で観に来るお馬鹿さんはどうしようもない。まっこれでも闘牛ファンの端くれなんだろうけど。
所で、「テンディド・セロ」を観た。ヘレスのモランテは凄い。カポーテでテンプラールなベロニカ。ムレタでもテンプラールなファエナでリガールして体はぶれたり動いたりしない。パセをしているときの姿勢が綺麗。あんなのラス・ベンタスでやったら大変な騒ぎになるだろう。気が狂ったように凄い。実際、気が狂ってきているようだけど・・・。セビージャに出たときは金色の刺繍や飾りは本物の金を使った衣装を着ていたと言うし、自分の美学を突き詰める、芸術至上主義に生きる闘牛士になったようだ。
5月15日(日)
マドリードの守護聖人サン・イシドロの日で休日。と、言っても日曜日だから休みだけど。朝、TELがなる。シーラさんからだ。無事に到着したが、ロスト・パッケージで荷物がない。12時から始まるコミック闘牛を一緒に観に行った。元気そうで良かった。コミック闘牛は去年と出し物が違う。今年の方が牛が2回出て闘牛をやっている時間が長かった。内容も面白かった。隣に座っていた子どもが爆竹の音に驚いて泣き出していた。お父さんに抱きついて涙を流している。こっちの子どもたちは素直で子どもらしい可愛さがある。KadoyanにTELしようとしていたら下山さんからTELがあり忘れてしまった。今日はコミック闘牛を観たのでHPのアップは出来ない。明日、14,15日の観戦記をアップする。
昨日の闘牛は、ハビエル・バルベルデが良い闘牛をして、セラフィン・マリンが耳1枚切った。セラフィンの距離の取り方は非常に良かった。間も良かった。だから、ダメな牛からでもパセを引き出せたのだ。こういう闘牛を観ると嬉しくなる。これで3年連続サン・イシドロで耳を切ったことになる。終わった後、三木田さんとKadoyanと3人でバルで一杯やって三木田さんは翌日の仕事が早いので帰り、Kadoyanの部屋でカレーをご馳走になった。ワインも美味かった。テレマドリードでバルサ戦を中継していて引き分けでリーグ優勝が決まった。その前の試合でレアル・マドリードも引き分けていたのだ。バルで観ていたときは、ジダンがシュートを決めて2-1で勝っていたのに・・・。
優勝シーンを観ながら、そうか、バルサが久々に優勝した日にバルセロナ出身のセラフィン・マリンがマドリードのサン・イシドロで耳を切ったのかと感慨にふけっていた。
5月16日(月)
昨日の闘牛にはガッカリした。何でこうなるのと言う典型のような物。唯一不安だった牛が悪くもないのにファエナが面白くない。緊張もワクワク感もない。だらだら時間が過ぎていった。切符が売り切れでダフ屋から高い金を出して買った人もいるだろうに非道い内容。闘牛が終わって帰ろうと席を立ったら、下にアベジャンがいた。下りていって、「オラ・ミゲル」と笑顔で言ったら、「ケ・タル」と返ってきた。俺のことを覚えているんだなきっと。アフィショナードから何故出ないんだと言われていたけど・・・。どうやら彼女と来ていたみたいでアナスタシアさんはムッとしていた。ちゃんと声かけなきゃ。
寿美さんと会った。元気そう。友人が一杯いてグループでいなくなった。こっちはM夫妻とアナスタシアさん、シーラさんと近くのバルで話をした。奥さんは、何、フリなんか全然良くないじゃない。文句を言われた。だから、セビージャでは良かったと言ったが、不満たらたら。あれじゃそういう風に言いたくもなる。俺のせいじゃないけど。でも、セサル・ヒメネスは気に入った。ホセリートがいないから追っかけしようかなと、言っていた。Mさんは、ホセリートは2人いらないと、言うと、良いの2人いても、だって。まっ、誉められる内容の闘牛をしたのはセサル・ヒメネスだけ。後は、非道い。Mさんの指摘で今年フィニートがサン・イシドロに出ていないことに気付いた。それでかなりビックリした。何故だろう?
みんなでワイワイやった。そういえば15日のコミック闘牛に入る前に大橋君と会った。ミラノに住む弟と一緒だった。闘牛を見に来ていたはずだけど会わなかった。昨日は、バルサが凱旋してパレードとサッカー場でセレモニーが行われた。エトーがマイク片手に、「マドリー・カブロン、サルード・カンペオン」と何度も怒鳴っていた。ああいうことをやるとレアル・マドリードファンから恨みを買う。いやマドリード市民からも恨まれるぞ。やめた方が良いのに・・・。
5月17日(火)
昨日の闘牛は寒かった。折角良い牛が出ているのにどうして出来ないんだろう。3頭目で耳1枚が出たが、2枚切れる牛だ。日が暮れると風が冷たいし体が冷える。5頭目の時についに雨具で持って行っていたカッパの上下を着て寒さをしのいだ。ガブリエル・ピカソは頭が悪い。牛を知らない。セルヒオ・マリンは、右角の方が良いのに左角でやって牛が危なくなった。去年コヒーダされて大怪我しているのに判っていない。アルベルト・アギラールは、3頭目で耳2枚切れたがナトゥラルが汚い。ムレタも角にしょっちゅうはらわれていた。最後の牛では距離をもっと取って牛を誘えば良いパセを引き出せたのにそれが判らない。
俺は才能とか感覚とか言う言い方は好きじゃないけど、そういうのが著しく欠けている。エル・シドだって30歳になって良い闘牛が出来るようになった。ロベルト・ドミンゲスも30過ぎてから良い闘牛をした。そういう人もいる。だから、諦めないでやることも必要だが、そういう物がないのなら諦めて違う道に進むこともありかも知れない。
終わってから、みんなと会いM夫妻と2人プエルタ・グランデ出来たのにと言ったら、牛は良いけど初めの子なんか何にも出来ない物と言っていた。その通り。でも、分かんない人もいるのだ。座席の前の人は牛が悪かったと言っていた。見る目がないのだ。と、言うより闘牛を知らないのだ。闘牛士が去った後、闘牛場に拍手がなったのは、牛が良かったから牧場を讃えていたのだ。知らない人ほど口を開く。知らないからこそ自分を見せようとしているのだろうけど。
夕食は、シーラさんアナスタシアさんと日本料理店のオーナーと4人でイタリア料理を食べた。MEGUさんやカエルさんも一緒に食事した人で、聞き上手。色んな話を上手く引き出された。
5月18日(水)
昨日はそんなに寒くはなった。セサル・ヒメネスは惜しかった。5頭目でアレナ中央で膝を着いて牛を誘いファエナを初めてとても動かないだろうという牛を動かして良いファエナに仕立てた。剣が決まっていれば間違いなく耳だった。ピンチャッソ1回でその後、カイーダで決まった。もし剣が良い所に決まっていたらそれでも耳が出ていたような気がする。終わった後、M夫妻の奥さんがホセリートに会ったと興奮していた。セサル・ヒメネスについて来ているから来ていたのは観ていたが、プエルタ・グランデの近くで会ってベソをして挨拶をして話をしたそうだ。もう闘牛をやらないのと聞いたら、少し考えて、もう闘牛はやらないと、言ったそうだ。
奥さんはガッカリしていたから、そんなの闘牛士はみんなそういう。セサル・リンコンだって病気で闘牛をやっていなかった頃に闘牛やらないのの聞いたら、もう闘牛はやらない。私は牧場主だ。と、言っていたことを話した。奥さんはホセリートに会った興奮で嬉しそうだった。今日は顔を洗わないと言っていた。
夕食は、シーラさんと花友に行ったが、休業日でどん底に行った。Kadoyanがどん底のちらし寿司はしゃりが違う。それ用に作っているから美味しいと言っていたのでそれを食べた。なるほど美味しいと思った。カマレロの日本人は僕を知っていて何処で会ったか考えていたけど、これで繋がったと笑っていた。狭いね。ハイライトに書いている、「人により異なりますが、ニコチンにより喫煙への依存が生じます。」の文字を読んでこんなの日本でも書いているんですねと、言い、スペインみたいに、puede
matar とか書いてないんだと、言っていた。
今日はサン・イシドロで1番良いカルテル。そうなるかは牛次第。ただ闘牛を冷静に見詰めるだけ。冷静でいられなくなったとき、それはセサルが爆発するだろう。
5月19日(木)
昨日はセサル・リンコンがプエルタ・グランデした。まさかするとは思っていなかった。こんな事になるなんて夢のようだ。本当は闘牛が終わった後、くまさんたちと食事することになっていたが、シーラさんと、ISOさんには、万が一セサル・リンコンがプエルタ・グランデしたらホテルに行くから食事には行けないと言っておいた。本当にまさかプエルタ・グランデするとは思わなかった。プエルタ・グランデ前は凄い人垣だった。警官も一杯いたしカメラも凄かった。終わってみんなに会うと笑顔だった。始まる前に榎本さん話をした。エル・シドが良いから楽しみだし、出来ればセサル・リンコンが昔みたいに闘牛場をシーンとさせるようなファエナを観たいんだけどと、言っていた。
榎本さんが言うようにセサルは闘牛場の観客をシーンとさせた。彼がカポーテやムレタを持つと誰も何も言わないのにアリが歩いている音が聞こえるほど静かになった。まるでクーロ・ロメロがカポーテを持ったときのように深い静寂が闘牛場を包んだ。これこそが熱狂の前の静けさなのだ。
Mさんは満面笑みで声を出して笑っていた。会うなり、「リンコン完全復活だね。おめでとう」と言われた。嬉しかった。いつも厳しいMさんがそう言うのがとても嬉しかった。三木田さんも僕を観ると、「おめでとうございます」と言った。その前にMさんに、奥さんによろしく言っておいて下さい。もう一生忘れませんと、奥さんの替わりに来た三木田さんが言っていた。Mさんに、飲みに行こうと誘われたがホテルに行くからと断った。
セサルのお父さんにホテルを聞いたホテルにKadoyanと向かった。ホテルの前でくまさんからTELが入った。闘牛が終わった時間が遅いからシーラさんは未だ着いていない。僕はプエルタ・グランデだから行けないと言った。ホテル前にセサルの車が止まっていて運転手がいたのでセサルの部屋番号を教えて貰った。部屋に行くと沢山の人がいた。セサルは奥の部屋で着替え中。みんな待っている。部屋の中では、エノラブエナの挨拶がそこかしこで繰り返されている。部屋が開いてKadoyanはセサルからサインを貰った。
とにかく物凄い人の数。プエルタ・グランデすると3倍か4倍、いやそれ以上の人が部屋にやってくる。とても話できる状態じゃない。でも、長い間粘ってセサルに思い切って、今日のムレタが欲しいと聞いた。それは難しいと言われた。そういわれても、良かったと思った。こう言うときにそのことを聞きたいと思っていたからだ。これですっきりしたのだ。どうせダメ元なのだ。下山さんからTELがあった。TVでセサルのプエルタ・グランデが決まったとき、コメントを求められたアントニェーテが泣き出してコメントできなかったことを聞く。セサルにその事を言うと声を出して嬉しそうに笑っていた。
それから、ホテルのバルで待っていたKadoyanの所へ行って話をした。Kadoyanはやっぱり闘牛はTVじゃなく生で観ないと雰囲気が判らないと言っていた。エル・シドのファエナが非常に印象に残ったようだ。当然である。非常に素晴らしいファエナだった。剣が決まらないとプエルタ・グランデ出来ない。あれほど観客を熱狂させたのに剣が決まらず今回も栄光を掴めなかったエル・シド。しかし、セサル・リンコンは剣を決めてみんなの祝福を受けてのプエルタ・グランデ。これがフィグラに成れるか成れないかの違いなのだ。目の飛び出るような値段のビールをおごって貰って部屋に帰った。それから観戦記を書いて酔っぱらって寝た。書いていたら涙が出てきた。幸福な時間をありがとう。セサル。
5月20日(金)
朝、目が覚めると足の筋が張っているような感じで、腰痛用の指圧器を腰に当てたり運動をした。多分体が固くなっているのだろう。それ用の体操をしないといけない。最近昼寝をしないと眠いので昼寝をしている。夜に観戦記が書けないので、起きてから書いているので飯を作ったり買い物をしたりしていると時間がなくなってくる。来週は、グラナダ、コルドバに行くのでどうなるのだろうと、不安になってくる。昨日の観戦記も雑用や人と会ったので未だ書いていない状態で、これから昼寝をしようと思っている。出来ない物はしょうがないので、焦らずにやっていこう。
5月21日(土)
闘牛が終わった後、TさんYさんは来なかったが、みんなで飲んだ。シーラさんの最後の日なのでそういうことになった。番長も久々に来て、Mさん、寿美さん、添乗員のOさんSさん。番長はアメリカが嫌いだと言うことで、去年まで飲んでいたジャック・ダニエルをやめて、ジンを飲んでいた。番長は酔っぱらってくると出てくる、「やかましい」が出て話に乗っていた。寿美さんも、ポンセの売れない時代も話をしていていて、涙出そうな感じで夢中になって話をするんだと初めて思った。ああいう熱って物がないと、闘牛にはまらないのだ。
Oさんが、近くの売店のおばちゃんが、セサル・リンコンがプエルタ・グランデしたことを聞いて、彼はこっちに来た頃は色んな苦労をしたのよ。だから本当の嬉しいと、言っていたそうだ。スペイン人は10年も20年も前の話をちゃんと覚えていて、苦労人で成功した物のことは、スペイン人でなくても讃える気持ちを持っているのだ。初めの頃はコロンビアで稼いだ金を、闘牛場に払って闘牛に出ていたのだ。何故なら、コロンビア人の闘牛を観たいとは誰も思わなかったからのだ。
La Razon のインタビューで、あの頃は、コントラートが必要だった。今はこれ以上コントラートは必要ない。6回のプエルタ・グランデは全て同じですか?と言う質問に、いいえ、今回のプエルタ・グランデは、impresionante
だったと言っている。impresionante ってどう訳せばいいのか判らないが辞書には、印象的な、感銘を与える、感銘を覚える、とか、驚くべき、驚異的なと載っている。あの日のことを思い出して何と言います?静寂と、オーレの声と、ざわめき。impresionante。
そういえば、あの日セサルがカポーテやムレタを持って牛の前に出てくると2万3千5百人、満員の闘牛場の観客は、誰の指示でもなく、シーと静かにするように催促する声もないのに、シーンとなった。昔のホセ・トマスがカポーテを持ったときのような、あるいはクーロ・ロメロが良いときのような深い静寂が闘牛場を包んでいた。それは、選ばれた数少ない闘牛士だけがラス・ベンタス闘牛場の観客を深い静寂に引き込むことが出来るのだ。静かになった、何も聞こえないという静寂の音が、耳の中に聞こえるような深い静寂だ。榎本さん風に言うと、2万3千5百人、満員の闘牛場の観客が1人もいないような、アリの足音が聞こえるような静けさが・・・。
寿美さんは、思い出して91年フェリア・デ・オトーニョでセサルがプエルタ・グランデを決めた牛のファエナを、牛が出てきたとき、闘牛場の誰1人としてこの牛からパセを引き出せるなんて考えた人間は誰もいなかった。それを動かしてしまうんだからそれだけ凄いファエナだった。あれは一生忘れられない、と。番長も昔同じようなことを言っていた。セサルがマドリードの絶対的なイドロだった頃の話だ。18日の夜にセサルのホテルでセサルのお父さんに、おめでとうと言ってから、10年前、10年前って言ったら、そうと、うなずいていた。僕は涙目になった。みんな10年間待ったんだから、待ちこがれたんだから。
昨日の闘牛をみんなは最低だったと言っていたが、僕は色々なことが判ったので面白かった。色んな話をして遅くなったので、番長が気を使ってシーラさんをタクシーで送ることになった。シーラさんを送り、番長、僕、Mさんの順で真夜中のマドリードをタクシーに乗った。
5月22日(日)
昨日のレアル・マドリード対アトレティコ・デ・マドリード戦の切符は余っているという話を聞いた。行こうかと思ったけど、1番安い席が20ユーロすると聞いたら行く気が失せた。闘牛なら高くないと思うけど、サッカーにそんなに払いたくない。TV中継もあるし・・・。でも、ダービーの切符が余っていること自体珍しいし、22時開始も魅力的ではあったがやめた。闘牛が終わって帰ってきて飯を食ったら体の関節が痛くて疲労感を感じた。TVでサッカー中継を始めたが座ってみてられなくてベッドに横になったらいつの間にか寝ていた。
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