--バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--
por 斎藤祐司
2025年3月7日(金) 晴
たしか先週も週末に雪が降って寒かったが、今週末は積雪になるという。今日は風が強く寒かった。9日ローソンで最後のカブス対ドジャース戦のチケット販売をするという。先着順での発売で、アクセスが殺到するだろう。セブンイレブンでは、700円買うと抽選か何かでチケットが当たるという。どちらも天文学的な確率で、チケットを手に入れるのは奇跡に近い。それでも、何とか手に入れたいという人がよだれを垂らして求めるだろう。ネットでは、チケットが200万とも300万円ともいわれる高値で取引されているという。こっちは、はじめっから欲しいと思わない。1番安い席でも8000円くらいで、それとて高いと思っている。おそらくこうなることが判っていたから、日本ハム最後の年に大谷を観に行っていたのだ。テレビで観れるのだから無駄なことはするつもりがない。それで充分。
今年の大河ドラマ『べらぼう 蔦重栄華之夢噺』が放送されているが、鈴木俊幸という研究者が時代考証をやっている。去年からいろいろ調べていたら、その彼が、蔦屋重三郎が出版した本の年表を書いている。それを読んでいて鱗形屋と蔦重の関係がよくわからなかった。ところが、ドラマでは良く判る作りになっている。これには感心した。流石時代考証をやった成果が出ているのだと。『吉原細見』の序を平賀源内が書いのも、これを仕掛けたのが蔦重だということになっている点も合点がいく。読んでいてそう思ったからだ。こういうのは、楽しくなる。いろいろ調べていくことは、時間がかかるが新しい発見があるのが嬉しい。毎日コツコツ細雪。
3月11日(火) 晴
東日本大震災から14年目。大船渡の山火事は、鎮圧されようやく住民が家に帰った。しかし、200軒くらいの家が焼失した。津波の被害で壊滅状態からようやく復興したところにこの火事。家を津波で流されローンを組んで再建したしたのに、また火事で家を失くした。300万個のアワビを陸上養殖場が、この山火事で海水の供給が止まり全滅した会社。ここも津波で全壊からようやく、この2年で震災前までの生産量をあげるまでになっていた。
佐々木朗希は、東日本大震災のあったこの日、コメントを出した。朗希は、祖父母といつもキャッチボールをしていた父親を震災でなくした。
「今年は日本以外で迎える初めての3月11日ですが、自分にとって特別な日であることに変わりはありません。自分が小学生だったあの日から14年という月日がたち、今こうしてアメリカで新しい挑戦をさせてもらえていることに、これまで支えてもらったたくさんの人たちにあらためて感謝の気持ちでいっぱいです」
野球で懸命なプレーを続け、次なる舞台、最高峰のリーグでのチャレンジが始まる。環境は大きく変わるが、故郷への思いは不変。米アリゾナ州でのキャンプ期間中には、大規模な山林火災の影響を受けた大船渡市へ、寝具500セットと1000万円を寄付した。「故郷では新たな自然災害が発生し、多くの方が被災されたことに胸を痛めています。一野球選手の自分にできることは本当に限られていますが、これからも変わらず故郷とつながっていたいと思います」(日刊スポーツ)
「佐々木と「3・11」にまつわる新事実がある。11年3月11日、岩手・陸前高田市。当時小3の朗希少年たちに高さ15メートルの大津波が迫る。彼らから津波を引き離したのは“血の形相”だった。震災から14年、男性(匿名)は初めてあの日の出来事を明かした。
佐々木の“恩人”なのだろうか。間髪入れずに否定する。「子どもたちを救ったなんて全く思いません。誰もが必死だっただけ」と奥ゆかしい。しかし生存本能に響く訴えが、小学生を大津波から遠ざけた。佐々木自身も以前、テレビ取材で「血を流した人が走ってきて、パニックで校庭からみんな逃げた」という趣旨の証言をしている。
佐々木の父功太さんの長い友人だ。「よく自転車で走ってた。『よぅ、朗希』って声掛けると、照れて『ウン』って表情をする子で」。11年3月10日までご近所同士。男性は自営業。あの日、大きな揺れで15キロの商品が棚から落ちた。「いてぇ!」。左側頭部を切った。自宅を見に行き、店へ戻った頃。近くの消防署員が血相を変えて叫んでいたのを見た。
「逃げろぉ! 堤防が壊れたぞぉ!」
それでも男性は「堤防をジャバッて越えたくらいだろ」の認識だった。かつて2度の津波に襲われた陸前高田。でも「町の長老たちはいつも『津波も線路は越えない』って話して。それがすり込まれたのかな」。800メートルほど内陸の高田小へ歩き始めた。佐々木と同級生の子どもを迎えに行くために。
偶然振り返った。線路を越えないどころじゃない。「壁ですね。2階建て以上の。最終的に15メートル。視界一面真っ黒の壁がズアーッて来て。掃除機の中みたいに、電信柱も建物も全部のみこんで」。生き残るためにひたすら走った。
息も絶え絶えで高田小に到着。校舎1階の高さの校庭に子どもたちは固まっていた。「海側に土煙が舞っていて。極端に言うと、子どもたちはそれに目を奪われすぎて足が動かないように見えました」。だから反射的に叫んだ。
「死ぬぞぉ!! 逃げろぉ!! 走れぇ!!」
いつの間にか額への流血がくっきりしていた。命の危機を伝えるのに、あまりにも雄弁。佐々木少年もその顔で動いた。
校舎へ逃げる子どもたち。そこじゃダメだ。校舎の2メートル上の道へ次々と持ち上げる。「山へ走れ!!」と伝えながら。佐々木の兄、当時小学6年の琉希さんを最後に上げ、自分も高台へ。夜が明けると、校舎1階は流されてきたガレキや車で埋まっていたという。
男性は「5分遅かったら俺は死んでいた」と言う。“流血の男”が現れず、津波の勢いがもう少し強かったら…。校舎2階に避難して助かっても、トラウマの光景を見たかもしれない。佐々木朗希はそんなギリギリのところから、ここまで来た。友は「功太君に今の朗希を見せてやりてぇな」と涙した。」(日刊スポーツ)
東日本大震災のエピソードはそれぞれに一杯ある。佐々木朗希というMLBの有名選手だから、こうやってマスメディアに取り上げられる。明日朗希は、オープン戦最後の登板をする。開幕2戦目のカブス戦に向けての試しだ。朗希けっぱれ!今日は、震災のあった14時46分に黙祷をした。東北人は前を向く。
3月25日(火) 晴
今日25度の夏日を記録した。東京地裁で、旧統一教会に解散を命じる決定が行われた。正しいことだと思う。しかし、旧統一教会は、即時抗告を検討するという。安倍晋三元首相暗殺事件で、マスコミが書き立てた旧統一教会の霊感商法や寄付といって財産を奪い取ることなどが次々と明らかにされた。一国の首相が、選挙演説中に暗殺されるということが日本で起こることがショッキングなこと。しかしそれによって、旧統一教会のやって来た選挙介入などの悪事が暴かれた。その後分かった安倍派の金権体質などの方が、世間的にはショックだったかも知れない。
テレビカメラの前で、トランプ大統領とゼレンスキー大統領の口喧嘩が世界中に配信された。アメリカという強国が、ロシアに攻撃されている弱い立場のウクライナの大統領に対して、感謝を言えと強要した。トランプ大統領にとって、世界は弱肉強食の世界だ。弱い者は強い者に従わなければならないと思っている。だから徹底的にそういう立場でディールを仕掛け、言うことをきかせようとする。その事を世界の中心で叫んでいる。パレスチナのガザ地区へのイスラエルの侵攻や爆撃は、アメリカ大統領に容認されている。人道的なことなど眼中にない。トランプが大統領になった時点で、こういう風になることは判っていた。これから4年間これが続くのだ。
先週知人に会った。近況などを聞いた。緑内障で、近く手術するという。久々に人と昼食を一緒にとって、お茶をした。支払いの時、タッチパネルの字が観えないという。これが緑内障なのかと思った。今日ファミレスに行ったら、杖を突いて首が地面と平行くらいの爺さんが、注文時に使うタッチパネルを使わずに店員のところまで行って注文を口頭で伝えていた。この人も目が悪いのかもしれないと思った。知人に会ったのは渡した物を読んでもらうためだった。今日の朝、連絡がきた。いくつかの点での指摘があった。それとアッと思うところもあった。
過去の、断腸亭日常日記。 --バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--
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