−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行の滞在日記です。
9月1日(木) 晴 6667 成田のホテルにて
スペインに行くために成田に来た。途中、人身事故で電車が止まったが、問題ない。問題なのは、ワールド・カップ最終予選初戦で、1−2で負けたこと。ホント、サッカー観ていてイライラし通し。オリンピックのサッカーもそうだが、勝とうという気持ちが、感じられない。気迫も、必死さも出せないんじゃ、何があるんだ?そんなに上手いのか?闘牛でも、フィグラが気迫も必死さも無かったら魅力は感じられない。ファンはもっと怒れ!明日からスペインなので、こういうイライラを感じなくて済むだろう。
仕事もあれだけど、話し合って、いちおう指示を出してきた。どうなうのか?岩手県では、ライフラインが断たれ孤立している処が何カ所もある。北海道は、8月に台風が4つ通過した。岩手もそうだ。交通網の寸断もそうだが、農業被害も大きい。これは、世界的に異常気象が起きていて、各地で干ばつやそれによる火事、浸水、など。セーヌ川が氾濫したりしている。
闘牛を観にスペインに行くのだが、何か最近、下山さんが変だ。気のせいなら良いのだけど・・・。
9月2日(金) 曇 8125 成田のホテルにて
昨日の夜、ホテルで夕食を取る。ショウガ焼き定食なのに高い。マドリードのデ・マリアのステーキメニューより高いし、量が少ない。それにあのアルゼンチン肉の方が、痩せそうだ。牛の赤身肉だから美味しいし、パンはそんなに食べないので、炭水化物が少なくて済むのが良い。朝食を取りながら、ネットをしたら、ロカ・レイが怪我をしたことが知る。Facebookで動画を観る。死んだかと思うようなコヒーダだった。しばらくまた出られないだろう。
これから出発。良い闘牛が観れるように祈る。
9月3日(土) 晴 9420 マドリードにて
モスクワ経由で、マドリード、バラハス空港へ無事到着。友人に電話する。電話が生きていた事に感激。下山さんは出なかった。THさんにも通じなかったが、折り返しがあり、何処にいるか聞かれ、ターミナル1にいるというと、今メトロのT1にいるので来るという。ビックリ。それで、会って少し話をした。バジャドリードの事やサン・セバスティアンのこと結衣さんのこと。それからバスでアトーチャへ行く。メトロに乗ろうとしたら、工事で運休中。仕方ないので、歩いてユウイチ君の処へ行く。アトーチャからだと登り坂なので、汗をかいた。
ビールで乾杯のあと、話をした。やっぱり、音楽の話が多いが他の事なども・・・。最近、まただるくて動きたくないと言っていた。多分、やる気がなくなっているのだろう。時が解決すれば良いのだが・・・。今日の朝、朝食を食べ、くまさんの処へ来ている。これから昼食を食べバジャドリードへ向かう。
9月4日(日) 晴/曇 17908 バジャドリードのホテルにて
バジャドリードへ昨日到着。レコルタドールを初めて観る。闘牛場はほぼ満席。スペインのレコルタドールは、走ってくる牛を交わす物。それをずっと観ていていた。トーナメント形式で、優勝者を決めていた。観客からブーイングがなっていた。みんなご贔屓のレコルタドールが、決勝に残らなかったからだ。でも、優勝したのは、決勝に行ったその人だったようだ。
そして、最後に登場したのは、走ってくる牛を、飛んだり、はねたりして交わす物で、これはフランス式のようだ。こっちの方が断然面白い。両足を縛り両靴を帽子の中に入れ、向かってくる牛を、飛んで交わす。大いに盛り上がった。スペインのレコルタドールが1人これに挑戦。見事に宙返りして牛を交わした。これがスペインのレコルタドールの中でもっとも人気があった人。
朝は早く起き、やることやって、またうとうとして、ホテルを変えた。そして、闘牛場へ行って切符を取ってきた。帰りに遅い朝食を取る。食べたいのが無かったので、レオン風のモルシージャを食べる。ソーセージじゃなく、ドロドロの液体。これをパンに付けて食べる。美味しかった。これから一休みして、フェスティバル闘牛。楽しみだ。今日はTVEで中継する予定だ。
9月5日(月) 晴/曇 17074 バジャドリードのホテルにて
昨日の昼過ぎにTHさんから電話があり、闘牛場近くにいるという。昼食中だった。何か感覚として、1時間勘違いしていた感じだった。始まる前に、少しと、終わってから少し話が出来た。それで、マドリードからのバスの日帰りを組んでいた。若いと何でも出来るような感じだ。最終日を観てバスで帰るというのは、しんどいなぁと思った。やるとすれば、電車ならできるだろうが、そうなれば、最後までは観れないだろうと思う。
昨日のビクトル・バリオを讃えるフェスティバル闘牛について。ビデオを撮りながらの観戦だったのでノートは取っていない。夕食後書いたことに加筆してここに載せることにする。フェスティバル闘牛は、記憶が正しければ、アンダルシアの正装で行う。帽子もアンダルシア帽。肩にケープを掛けて入場行進をする。牛の角は、削ってあるものを使う。しかし、今回は、金の衣装で通常の闘牛と同じ入場行進だった。6人なので、先頭に闘牛士が立って、後ろにクアドリージャが続く。
この闘牛で、もっとも出場者にふさわしい闘牛士は、おそらくファン・ホセ・パディージャだ。片眼を失ってバンデリージャ打ちをし、カポーテ、ムレタと、ピカ以外の闘牛を全てこなす。彼の存在は、今や闘牛を知らないスペイン人でも知っている、貴重な闘牛士だ。彼が出場した事の意義は、大きいと思う。牛は、ビクトル・バリオの妻に捧げられた。耳1枚。
所作というものは、大事だと思う。その人が当たり前にやっていること。でも、他の人が出来ていない事がある。ホセ・トマスは、バンデリージャ打ちが終わるまで、ムレタを持たない。こういうスタイルは、闘牛を長く観ていると、当たり前の事として記憶している。セサル・リンコン、オルテガ・カノ、ホセリート。みんなそうだった。つまり、牛の動きを最後まで見極めて、ファエナの時に、牛をそう扱うかを考える。こういう所作が大事だと思う。耳1枚。
モランテ、フリ?マンサナレスは、それが出来ていない。それは、残念な事に思えるのだ。この日、ホセ・トマスは自分の出来ることをやった。ベロニカも当たり前に良かったし、ムレタも相変わらず牛をちゃんと観ている。牛が、途中で止まっても、体を動かさずに、ムレタと牛の距離はほとんど変わらない。ピタッと止まり、それから、ムレタを揺すって、牛を誘いパセする。地味な事だが、やることをしっかりやっている。牛が良かろうが、悪かろうが、隙がない。牛の怖さを知っていて、しかも、そういうことが出来る闘牛士がホセ・トマスだ。
モランテは、はまった感じだ。観客は盛り上がり、喜んでいた。でも、何故だろうこの違和感。たとえば、ベロニカの時のに引く手の動き方に?と思ってします。何か違う。昔のモランテのベロニカってああじゃなかった。もっと、豪快というか、美しかった。それがないのだ。ムレタでも、トゥリンチェラもあんなだらしない感じじゃなかった。スパッと決まって、牛が膝の力が抜けるような感じでクルッと廻って止まるイメージだった。何か一つ一つの技の切れがなくなっている様な気がするのだ。
モランテは、アルテだ。が、99年頃のモランテを知る人間としては、こんなもんじゃない美しさがあった。これは、モランテというイメージが作り出しているアルテだと思う。だから、偽物に近い。本来モランテは、アルテだ。でも、ベンタスでウニコに失敗して、精神をおかしくしてから、ドゥエンデの方に逃げた感じだ。実際モランティスタは、良い闘牛を俺たちは、ずっと待っていると、ほぼ自虐的に公言しているようだ。ドゥエンデ系に逃げた方が、精神的に楽だもの。ダメなときの、言い訳が必要なから。生真面目に、いちいち説明しなくて良い。モランテが、ちょっと可愛そうな気がする。あえて苦言のような事を書いたが他意はない。だって、元々はモランテファンなのだから。耳2枚。
フリは、最近ロペシーナを良くやる。16歳でメキシコからスペインに鳴り物入りで、やってき時の伝家の宝刀。10代の女の子たちがキャーキャー言っていた。あの頃は、まだぎこちない感じだった。今は距離やタイミングはバッチリな感じでやっている。しかも、楽な感じだ。ムレタでも、手を代えてパセを繋げるやり方や、パセを続ける感じがスムーズになっている印象だ。多分一つ一つの技の精度が上がってきた。そう、19年かけて。ちょっと遅い気もするが、それは人それぞれの道があるべきで、それで良いと思う。耳2枚。牛、場内1周。
マンサナレスは、途中でムレタを落として観客の注意を引く。これは演出だったのか?そんなはずないよなぁ。それくらいタイミングが良かった。観客が飽きてきた頃の出来事。相変わらずパセが体から遠い。良い牛の時のファエナと、レシビエンド以外良くない。挨拶。
タラバンテは、この日1番良かった。と、言っても好みが別れるだろう。ベロニカもなめらか、裏のパセもそう。ガオネラで牛を誘うとき、大きくカポーテを振って誘い、誘った反対側でパセをする。ロカ・レイがやるよりもさらにはっきりとしている。ムレタの初めは、アレナ中央で、膝を着き牛を誘う。右手に持ったムレタを背中に持っていき、体の左側からムレタを出してパセをする。それからデレチャッソ、背中を通すパセを繰り返す。
同じ事をロカ・レイがやると、危なっかしい。タラバンテがやると余裕だ。技の精度、完成度が違うからだ。体が柔らかいという事があるのだろうが、ようは基本がキッチリと出来上がった上で、やっているので、明確な違いになって現れるのだ。カポーテのレマテのラルガを決めて体を回転させてカポーテが綺麗に見える様にし、なおかつ、牛が来てもさらに交わせるような準備も出来ている。
ムレタで、デレチャッソを続け方もなめらかで、心地よい。繋ぎ方がそういう風になるのと、それが続く驚きを感じる。だから、観客の感情を刺激する。簡単にやってしまう。だが難しい。つまり器用なのだ。それと基本がしっかりしているからこういう事が出来る。一つ一つのパセの質が落ちない。何をやっても。耳2枚と尻尾。牛、場内1周。
最後はプエルタ・グランデなしで、闘牛士6人が横並びで退場した。これも非常に珍し事だ。ホセ・トマス信奉者のタラバンテが、今日は1番良かった。THさんは、モランテが良かったと言っていたが・・・。タラバンテは器用すぎる。頭が固いだろうが、不器用だろうが、この日やることをやったホセ・トマスは、これはまた凄い。地味でも、やることをしっかりとやっていることが、良い闘牛を生もうとする、原動力なのかも知れない。これしか出来ないというのは、マイナスのイメージじゃなく、出来ることをやったという、プラスのイメージで捉えたいと思った。タラバンテは、現時点でホセ・トマスに対抗できる存在だが、同じ事では、勝負できないと思っているから、違うことをやっている感じだ。ホセ・トマスと自信を持って勝負できる日を楽しみにしたい。
9月6日(火) 晴 13951 マドリードにて
バジャドリードからマドリードに戻ってきた。朝食を取り、ホテルを出て、駅まで歩いた。だめもとで、最終日の電車を聞いたら、最終が22時。それなら余裕だ。それを買い、マドリードへ帰るのを早めの代えた。困った事に、マドリードの宿の住所を書いていない。アイホンに地図を出していない事に気づいた。チャマルティンで、インフォに聞いたら、ここですと、教えられた処は、記憶と違うところ。wifi
free と書いてあるので使えるとだろうとアクセス。これって、簡単に使えるものではなく、登録をしなければならない。それで、Facebookから観ることが出来た。
やっぱり、記憶は正しかった。とんでもないところに行って、困惑する処だった。こうやって、旅行者が自由にwifi を使えれば便利だ。京都は、市内にwifi
を張り巡らせているらしい。観光客は利用のしがいがある。多分、東京もそういう風になっていくんだろうと思うがマドリードもそういう風にして欲しいと思う。何処でも、wifi
。今だとホテルと、店でしか使えない状態だ。
下山さんと電話。4日の観戦記が良かったと言っていた。斎藤節が復活したと喜んでいた。そう思って貰えるのはありがたい。でも、僕としては、サン・イシドロ頃から良い感じで書いているつもりでいた。というか、今年は調子が良いと思っている。頭がクリアーな状態で、色々なものが見えている気がすると、感じ方、判断も、分析もかなり良い線行っていると思っている。
これから、セビージャへ向かう。Hさんからメールが来た。バジャドリードで会えるだろう。
9月7日(水) 晴 12065 セビージャにて
昨日、セビージャに到着。下山さんと海へ行ったり食事したりした。海へ向かう途中、ネットで観たものを、聞いた。武田鉄矢がラジオで話したものを繋げていたのを聞いた。それは、戦前に東北帝大に招かれて教鞭を執ったドイツ人、オイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』を言う本の話だった。非常に興味深い話だった。
哲学の先生として来日して、禅を学びたいと、寺に行ったが、自分の修行で大変なのに、通訳をかいしてやっても解らないだろうと言われ、断られる。ある時に、日本の武道の中に、禅や仏教の教えがあることに気づき、弓道の阿波研造に頼み、何度もことわられても頼み込んで弟子にして貰う。武道は人を殺すためのものだが、それなのに、人を殺すだけの剣を嫌う。それは、剣の道ではないという。その矛盾に戸惑う。
弓を持てば、弓を持つ手と、矢を持つ手が大事と言いながら、しかも、力を入れてはいけないと言う。こういう矛盾を質問をする。まず、形を徹底して繰り返し教えられる。それと呼吸法。武道は、素早く吸って、長く吐く。弓を射るとき自分を無くせと言うが、では、この弓を持っている自分は何なのですか?弓は誰が射るのですか?阿波は、それに対して、弓は、「それ」が射るのですという。「それ」とは何ですか?それが、解れば、あなたは、私を必要としません。と、言い、だから修行が必要ですと、言ったという。
ある時、師が弓を射終えると、頭を下げたと言う。今それがありました。と言い、2メートル先のワラの的から、(多分50メートル先の的と武田鉄矢は言っていた)遠い的へ射るよう変えさせられた。全然矢は的に当たらない。それでも射った後、頭が下げることがあり、それが降りてきたと言う。ある日の夜、師に弓道場へ招かれて、真っ暗な的の前にロウソクを1本立てて、今から矢を射ると言う。射る場所は明るいが、的はロウソクが立っているが、的が見えない。
その状態で、師は矢を2本持ち、礼をして、かまえて1本射る。音がする。そして、2本目を射る。それから静かに礼をして終えた。的の方を明るくすると、的の真ん中の黒い部分。これを図星というのだが、そこに1本目の矢が命中し、2本目の矢が1本目の矢を射る形で刺さっていたと言う。それから師は、ヘリゲルに、これをあなたはどう考えますか?偶然と思いますか?
そして、今「それ」が降りて来たのです。私が射ってのでないのです。と、静かに言ったという。それから、ヘリゲルは取り憑かれたように夢中で、道場で弓を射っていたという。師は、ヘリゲルに矢が的に全て当たるのであれば、それは、曲芸だと言い、弓はそういうモノではないと、教えたという。日本を離れるとき、師は、ヘリゲルに一本の弓をあげた。そのとき、これをあなたの、ステータスと思ってはいけません。これは、その時が来たら、最後に燃やして灰にしなさい。そういう風になることを望みますと言ったという。
日本に帰ったら復刊した『弓と禅』を買って読みたいと思った。そして、この基になったのは、ドイツでの講演を本にした岩波の『日本の弓術』。これも読んでみたいと思った。この本は、日本でも何度かのブームがあって注目された事があったと言うが、最近では、アップル社のスティーブ・ジョブズの愛読書として広く知られ、読まれる様になったのだという。つまり「それ」を感じたいのだ。
9月8日(木) 晴 11606 マドリードにて
セビージャから昨日マドリードへ戻った。昼過ぎにはバジャドリードへ到着してフェリアの闘牛を観る。セビージャでは2日続けて同じ店で昼食を取った。下山さんは、THさんと行った店だと間違えて、結衣さんと入った店が気に入った様で、そこでワカメサラダを食べる。こういうサラダが日本にもあれば良いなぁと思った。初日は、スペイン人が多く、2日目は英語圏の観光客が多かった。
処で、マドリードへ到着した翌日の3日の天気予報は、マドリードが34度、バジャドリードが33度、セビージャが39度だった。ユウイチ君の処にいると、風も吹かないし、蒸して暑い。彼が言うには、昔に比べて蒸しているとと言う。バジャドリードも暑いが、まだ、マドリードよりしのぎやすい気がした。しかし、セビージャの暑さは何なんだろう。日向を歩くのは、ミミズが地面に出てくるような、自殺行為に近い。マクドナルドの温度計は、45度を表示していた。まゆみさんは、18時頃、48度の表示を見たと言っていた。
それでも、若い女の子は、薄着で元気に町を闊歩する。ああいうエネルギーは素晴らしい。でも、長袖を着て、工事現場などで働く男たちを観ても、大変だろうなぁと思っても、そういうさわやかなエネルギーを感じない。まあ、勝手なもんであるのだが・・・。おっさんを観ても、元気にならないが、若い女の子を観ると元気になる。
下山さんとは、秋の計画を話した。9の法則の発見。競馬の話などをした。いつの間にか、それによって競馬で大儲けして、今年4回もスペインに来ているなどと言う、噂が一部で出ているらしいが、人の噂というのは、波のないところに、波を立て、あらぬ事を、さも、あるように言い立てるものだ。多分、噂を信じる人は、8割いるだろうし、世の中はそういうものだと思った方が良い。でも、分かっている人は、やっぱりちゃんと分かっているものだ。
俺は出来るだけ目立たないようにしているつもりだが、元来変わり者の様で、どうも、目立ってしまう様だ。まぁなるようにしかならないだろう。爪が伸びてきた。綿棒を忘れてきた。これからバジャドリード。日曜日まで、4日間の闘牛が始まる。楽しみだ。
9月9日(金) 晴 18959 バジャドリードにて
昨日、バジャドリードに到着。駅の外でタバコを吸う。日陰だから肌寒い。電車が遅れて、Hさん到着。Hさんは、サン・セバスティアンから来たという。4日の闘牛の事を知らずに、予定を組んだと言っていた。話しながら、カンポ・グランデのインフォまで歩く。そこにあった地図は使いでのあるものだった。それから近くで昼食を取った。Hさんは、スペイン闘牛ビデオ上映会に来る人で、闘牛の会からの知り合い。バルセロナでホセ・トマスの闘牛を観て、このHPを観て闘牛の会に来た人。そして、このHPを観てホセ・トマスの予定を調べて2回インドゥルトを観た。バルセロナとニーム。今までゆっくり話したことがなかったので、話を訊いた。
昨日の闘牛場は、ほぼ満員。快晴で、ソルのテンディド4で観ていたが、ここは最後まで日向になるところで、19時40分くらいになってようやく日陰になった。モランテは、非道い。観客の期待を裏切る出来だった。ベロニカもろくにやらず、ファエナを始めるが、まるでダメ。4日のフェスティバル闘牛のファエナとは比べるべきものではない。あれがあったから、モランティスタをはじめみんなが期待していたのだと思うが・・・。
朝、カフェに行って新聞をちらっと見た。『エル・ノルテ・デ・カスティージャ』は、闘牛の記事の初めがモランテ。そこには、4頭目のナトゥラルに質があったと書いてあった。マジかよと思った。ソブレロで出てきた牛は、良い牛ではなかった。あの牛の左角が良いと言うことが解ったのが、質があるというなら、上級の闘牛士なら解ることだろう。しかし、あの牛に対して、ナトゥラルを徹底してやるのが1流の1流たるゆえんのはず。それを中途半端に扱うから良くない牛は、ますますダメになった。最後に牛の前でムレタを振ってあしらうような事では、観客が怒るのも無理がない。
剣刺しが終わり、拍手をしている観客がいたが、おかしいでしょう。新聞でも、モランテ擁護の書き方だったが、ここは1頭目と同じく罵声を飛ばさなければならないはずだ。まるで、覇気なく負けた、サッカーの日本代表へ拍手を送っているようなもの。ダメなものをダメと指摘することが、モランテの為になる。が、しかし、このモランテ、4頭目のファエナを観ていると、牛に対する適応力、最近流行の言葉で言うと修正力を言うのが、今まで学習来ていなかったんだということを感じる。自分が出来る牛だけ良いファエナをするようになって、ドゥエンデ系に転じてから、そういう思考がなくなったかの様だ。うーん、悲しい。
セバスティアン・カステージャは、5頭目の牛で、良いファエナをした。彼らしいアレナ中央で牛を呼び、始めた。らしいと言えば、らしいが、中盤からだれた。でも、パセの質はベンタスで観た頃よりは、良くなっていると思った。耳の価値のあるファエナだったが、ピンチャッソ1回で耳1枚というのは、納得できない。
この日、1番書かなければならないのは、ロペス・シモン。3頭目の牛でグラン・ファエナをした。観客は熱狂して、「オーレ」の声も歓声も拍手も1番大きかった。ダンダ・デ・ムレタッソの後半部分のパセの繋ぎ方が観客を心地よくして興奮を呼んでいるようだ。間も、今日はカステージャよりは良かった。耳1枚。モランテよりロペス・シモンの方を詳しく書かなければならないは、解っているが、モランテに比べて書きようがないのも事実。確かに、書きやすいのはモランテの方が書きやすい。
気になったことを書く。まず、剣刺しの時の立ち位置。牛から5m位の処に立っている。遠いと思う。多分、これがロペス・シモンの位置なのだ。ちょっと違った見方をすれば、売れる前に身につけた立ち位置だろうと思うが、牛が怖いから離れたのでないかと思ってしまう。普通の立ち位置は、2歩目と3歩目の間に剣を刺すというもの。こういうやり方の方が、剣が刺さる可能性が高くなると思う。最後の牛は、アトレティコ・デ・マドリードのキャプテン、ガビに捧げられた。ピンチャッソ1回で弱い耳要求があった。
闘牛が終わったら急に寒くなった。風が冷たい。Hさんの記憶だと、以前来たときは、カーディガンをはおったと、言っていた。確かに急にそう感じるのは、9月の微妙な気候のせいと、バジャドリードというマドリードより北にあるからだろう。THさんは、ロペス・シモンが出場したからか友人と一緒と言っていた。Hさんと夕食を取りながら闘牛の話をした。モランテについて、あんなに非道い闘牛は初めて言っていたので、ああいうのは良くあると話した。入った店で、wifi
があるというのは繋いだが、電波の関係で全然繋がらない。結衣さんがこの前、wifi の事を書いたら、マドリードならバス停とかで繋がると教えてくれた。誰かが知らないと事を、誰かが知っているというのは良いことだと思った。
今日の朝は、秋のように寒かった。闘牛場のソルは暑い。が、終わった後は、もう上着は必要だろう。
9月10日(土) 晴 13459 バジャドリードにて
昨日の闘牛場は、ノー・アイ・ビジェテ。当然である。ホセ・トマスが、出場するのであるから。ミックス闘牛で、騎馬闘牛士、レオナルド・エルナンデス、闘牛士、ホセ・トマス、ホセ・マリア・マンサナレス。牛は、騎馬がルイス・テロン、闘牛がヌニェス・デル・クビジョ。
エルナンデスは、2頭とも向かってこない牛に当たった。自分の演技が出来なかった。2頭目の剣刺しは何回やったのだろう。ベンタスで4回連続プエルタ・グランデしているが、こういう悪い牛の時に、真価を問われる。レアは、女性騎馬闘牛士だが、ベンタスのコンフィルマシオンの時は、向かってこない牛で、やりきった。観客は耳2枚を要求した。ダメな牛の時にどうするか、それを考える必要がある。
ホセ・トマスは、耳1枚、耳2枚。言うことがないくらい素晴らしかった。が、2頭目の牛の剣刺し。入ったと思ったら剣を直ぐ抜いた。何故なら剣先が右の腹から出ていたからだ。こういう剣刺しをホセ・トマスがするのは非常に珍しい。その後、決めて牛が倒れ耳2枚。ファエナを観客は、耳2枚と尻尾と判断していたようだ。
ガオネラの時の牛の角と体の近さはもうギリギリで、悲鳴に近い声が上がっていた。連続して繋ぐナトゥラル・デレッチャの背中からのパセも良かったが、その後に牛が体目掛けてやってくるのを、体を動かさず、ムレタを振って交わしていたのは見事だ。ちょっとあわてた場面は、ナトゥラル・デレッチャの背中パセの時に、危ないという喚声があがり、膝を曲げてた。後ろには目がないので、現象と仕方ない。1頭目の牛の剣刺しの時、コヒーダされそうになるが、正面を向いて後ろ向きに逃げ切って難を逃れた。2頭目の剣刺し前には、「トレロ」コールが沸き起こった。ホセ・トマスは、観客の心を鷲掴みにした。
マンサナレスのファエナは、いつも体から遠い所を牛を通すパセ。面白くない。パセが繋がれば、リズムが出来るので、観客は心地よい。だから観客は沸くのだが、これじゃ、昔のアンダルシアの闘牛と一緒。それはそれとして、彼の剣刺しには感心する。特に1頭目のレシビエンドは、牛の注意を引くために、ムレタの先を左右に小さく振って、こっちを向かせ、それから、牛を動かして剣で受けた見事なものだった。今年のサン・イシドロでもレシビエンドで決めたが、マンサナレスの伝家の宝刀だ。観客は、牛を場内一周するよう要求した。耳2枚、耳1枚。
9月11日(日) 晴 13466 バジャドリードにて
昨日は、THさんから連絡があって、Hさんと3人で昼食。THさんがモノサビオの、面白い情報を教えてくれた。ホセ・トマスは、闘牛のが終わった後、牛を剥製にするように頼んだという。それで、モノサビオたちが、ホセ・トマスはこれが最後の闘牛で、そんなことを言っているんではという噂になっているという。
昨日の闘牛は、牛が悪かった。エル・ピラール牧場の牛は、脚に欠陥がある牛が多く、盛り上がりに欠ける闘牛だった。フリは、初めの牛で耳1枚。4日の闘牛には遠く及ばない。2頭目の牛の剣刺しは、腹から剣が50cmくらい出るもので、口笛を吹かれていた。タラバンテに至っては、話にならないような牛で、可愛そうだった。トレアールしようとしても良いファエナにはならない。それでも、牛の力を引き出してしたと思う。ロカ・レイはアメリカの病院へ行って治療中のため、代わりにダビ・モラが出場した。耳1枚。ベンタスのプエルタ・グランデには、遠く及ばず、眠くなるファエナだった。
時間がないこともあるが、観戦記をちゃんと書く気にならない。これから、ホテルをチェック・アウトして闘牛までの、準備と時間つぶし。今日は、バジャドリード最後の闘牛。それが終わればマドリードへ向かい、明日は、帰国の途につく。
9月12日(月) 晴 18483 マドリードにて
太陽の日差しは、日本もスペインも変わりないようでいて、実は違う。日本に帰れば、毎日『とと姉ちゃん』。スペイン料理から日本料理へ。闘牛のある世界からない世界へ、戻ることになる。一つ一つの事柄が、現実と結びつく世界へ戻ることになる。バスの時間が近づいている。後は、日本に帰ってからにする。
9月13日(火) 11047 雨/曇 東京にて
ウォシュレットない国から、ウォシュレットのある日本に無事戻ってきた。飛行機の乗り継ぎが、1時間15分だったのが、遅れて、45分くらいしかなかったが、モスクワでは余裕で乗れた。モスクワからは、食事後は横になって寝れた。飛行機の中は、同じようなあまり美味しくない食事であれなんで、成田に着いたら、ラーメンが食べたいと思った。
成田到着前に、飛行機が揺れた。外は雲だらけで、窓ガラスには、水滴が横に流れていた。着陸したら凄い雨。土砂降りだった。家に着あるのでいてスーツケースを開けたら、服が濡れていた。このスーツケースは、チャックが付いているもので、そこの布の部分から雨が入ったようだ。あの土砂降りじゃしょうがないだろうと思った。あの時間、空港近くでは、1時間に50mmの雨が降ったという。
バラッハス空港では、いつもネットが使えない状況だったが、繋げ方が解ったので使えた。空港で下山さんへ電話。今年5回目の渡西するように催促されるも、もうない事を伝えた。挨拶を交わして切った。列に並んでいると、電話がかかってきて、下山さん曰く、アルテルナティーバがあるからまた来なきゃ、というので、誰の?と訊くと、Facebookで、THさんがやると書いていると言う。それ、シン・ピカでしょう。そしたらアルテルナティーバじゃないでしょう。と、言って切ったが、ビデオで観たいなぁと思った。撮らないのかなぁ。それ観たい。
部屋に戻ったら、『とと姉ちゃん』。観ていたら眠くなったので、仮眠。大相撲が始まって、パラリンピックのやっている。伊調馨に、国民栄誉賞受賞が決まった。
9月14日(水) 8293 曇
スペインで溜まっていた、洗濯物を洗濯した。スペインのホテルで、洗うことはあったが、洗濯機で洗うのは、放り込めばいいので簡単だ。『とと姉ちゃん』の商品検査が、好評でったが、メーカーなどから、会社をつぶす気かと、横槍が入る。新聞社が主催して、商品検査の公正性を検証する話し合いする。主婦の家事を軽減する家電製品は、当時高額で、不良品が多かった。その指標を雑誌で取り上げて、記事にしていた。
雑誌を手に、家電製品を買う主婦が多かった。主婦目線に立った、商品検査を公正・公平に記事にしているのが、立証されようとしていた。それが、洗濯機。脱水は、ローラーに挟んで絞るもので、欠点として全てのメーカーでボタンが割れた。ボタンなしのメーカー検査では、解らない事例などが紹介された。
アイロン、電気釜、トースター、洗濯機など。子供の世話をして、手が離せない状況で、水量が多すぎて、溢れる事例。排水の関係で、室内ではなく、ベランダや外で洗濯機を通常使用している事から、紫外線によるつまみのプラスティックの劣化や、サビの問題など。社員の家に、石を投げたり嫌がらせをするしている、アカバネ電気。この場でも、何とか自分たちの商品をアピールしようとするが、安く売ることだけを念頭にない企業姿勢。そこで、もがけばもがくほど、墓穴を掘る様な事になる。人は、必要以上に本来の自分以上に、自分をみせることは惨めなことにしかならない。そのまんまを、出さざるを得ない。アカバネ電気のような事をしてはいけないのだが、物語には、こういうキャラクターがいなければ、メリハリがない状態になるだろう。
パラリンピックに出場する選手たちは、自分の障害と受け入れ、それと向き合っている。出来ることと、出来ないことがある。人はそういう風に、自分の立ち位置を把握する必要がある。それを解っている人が、それを見ている人に感動を与えることが出来る。健常者が、身障者のスポーツを観て、何故感動するのだろう。それは、障害を受け入れた者の、人生の重みと、生へのひたむきさを感じるからだろう。生きる希望がそこにあるのだと思う。
MEGUさんからメールが来て、来月シーラさんが東京へ来るので、会いたいという。Hさんは、まだ、ヘレスあたりにいるだろう。10月か11月に、また、上映会をしなければと思っている。
9月15日(木) 雨 6770
バジャドリードで秋を感じたが、東京はもう初秋だ。散歩をしていても、涼しさを感じる。夜中、NHKの『ファミリー・ヒストリー』を観る。中学校の頃、チューリップが好きだった。と、言っても、花ではない。『心の旅』や『青春の影』などのヒット曲を飛ばしたグループである。そのリーダーの財津和夫の話だった。熊本藩士の出身だったようだ。西南戦争の後、祖父が韓国に移住し農園を開き、地元の従業員を抱えて、鉄道の駅まで作ったという。敗戦で、博多に帰国。父親は、覚悟を決めて日本での生活を切り開いていく。苦労を語らない父親。大学時代にバンドを組んで、上京する。上京当日、両親に告げたという。2人は黙って送り出したと言う。2年後、ヒット曲が生まれる。『心の旅』である。
父は、緒方姓だったが、韓国に行った時、祖父さんから、学校に行かせてくれた、財津先生の家が途絶えるので財津家に養子に入る様に言われる。芸人の財津一郎は、親戚に当たることが判った。祖父が、大陸に渡り、道を切り開き、父が、敗戦によって日本に戻り、覚悟を決めて道を開き、和夫も東京で、ミュージシャンとして道を開いた。さすがに、引き上げてからの父親の苦労話には、泣いていた。その父親は、ラジオで息子の歌を聴くのを楽しみしていたという。
♪君の心へ続く長い一本道は いつも僕を勇気づけた♪ ーー『青春の影』よりーー
レコードを買って、何度も聴いた歌。難しい歌だが、何度も歌った好きな歌だった。「非っ常にキビシ〜ッ!」「〜してチョウダィ!」『てなもんや三度笠』で、ギャグを飛ばす財津一郎が、可笑しく、好きだったが、財津和夫も好きだったという。こういう芸のスタイルは、エノケンの教えられたというが、その話は良いとして、フォークソングを聴いていた頃なので、『青春の影』が大人の歌に聞こえた。
財津家のヒストリーは、みんな、新しい道を切り開いて行った。子供は、親と一緒に住む時間は18年くらい。それ以降の方の人生が長い。それでも、親の影響は大きい。そして、子供は、いつも親から旅立とうと思う物なかも知れない。親子の関係は、いつになっても大事なものなのかもしれない。『真田丸』で、犬伏の別れの中で、「俺は、徳川に付く。父上とお前は、豊臣に付け。もし徳川が勝ったら、俺は全力で、父上とお前を守る。豊臣が勝ったら、お前は俺を、全力で守ってくれ。そうすれば、いずれまた会うこともあろう」真田が、親子で別れ、真田家生き残り道を選んだ。なかなか、良い場面だった。この前死んだ親父は、自分の父親のことを何も言わなかった。母親と、自分たち兄弟を置いて、出ていった事をどう思っていたのだろう。そのために、上の学校に行きたかったのに、働きに出ざるを得なかった様だが・・・。何の感情も出さず、3歳になった孫の俺を見に来たことがあるとは言っていたが・・・。
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