−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行の滞在日記です。
3月1日(火) 晴 8887
今日も朝が寒かった。さっさと終わらせようと、健康診断へ行った。手際が悪くて時間がかかったが、その分、本が読めたのが嬉しい。部屋にいても、本が読めないことがある。Facebook
など随分と便利で、友達を選んでおけば、闘牛の情報など簡単に手にはいる。それぞれの闘牛サイトへ行かなくても良いくらいだ。それと日本とスペインにいながら、チャット状態になることも可能だ。昔では考えられないくらい便利だ。だから、あまり依存症ならないように注意したい。もともと闘牛依存症なのだから。
会社的に、4月から大変な状況になるという話が駆け回っている。そうゆう状況であれば、スペインに行っている暇はない。その話がある前に、スペイン行きを決めたのだから、どうなろうと関係ないことはないだろうか、関係ないことにして行くしかないと、思っている。
3月2日(水) 晴 10101
朝は今日も寒かった。4月からかと思っていた状況は、3月から始まろうとしていることが判った。4月は本当大変そうだ。どうなるんだろうと思いつつ、これは変えることが出来る問題ではない。少しでも状況が良くなることを願うのみ。
『「私」をつくる』安藤弘著、岩波新書読了。ようやく読み終わる。この本はあと2回は読み返したい。6月1日にラス・ベンタスでベネフィセンシアをやるのなら観たいと思った。4月に行って、5月に行って、6月に行ってなんてことは出来ないだろう。どうするかの選択肢が、ホセ・トマスの出場とともに増えていくのだろう。
3月3日(木) 晴 4608
朝はまだ寒いが、天気予報では、今日から春のロケットスタートだという。今日から日中15度以上になる日が続く。桜の開花予想は、3月23日から29日。ひな祭りの日。好天なので、花粉が飛んでいるようだ。ほとんど何も感じない。だからといって花粉症の人を馬鹿にすると大変なことになる。以前、自分が花粉症じゃない人が、花粉症の人をよく馬鹿にして笑っていたが、ある年の春に、花粉症になった。みんなからバチが当たったと言われ、同情されなかった。本人、謙虚にその症状に苦しみながら、受け止めていた。
アメリカに吹き荒れるトランプ旋風。スーパーチューズデーで共和党候補指名争いでトップに躍り出た。暴言・本音を堂々とさらけ出しているところが人気の秘密。アメリカ人の中にも危機感があるが、諸外国は、もっと危機感を持っているのだろう。
『ロゴスの市』乙川優三郎著を読んでいる。『「私」をつくる』的視点で読めば、三人称で書かれた大人の恋愛小説。本来ならこういうのは読みたくないが、気になったのだ。男は、本の翻訳家になり、女は、同時通訳者になる。日本近代文学では、言文一致を目指し、翻訳本から三人称が小説の中に入って来て、一人称と三人称の使い分けなど歴史があると、書かれてあった。一人称で書かれたものは、主人公に読者が感情移入しやすくなり、三人称は、客観的な視点があると。
"なりきり−目隠しの法則" "メタ・レベルの法則" テクストとコンテクストをめぐる相補的な相互関係など色々書かれてあった。「ふと人形浄瑠璃の黒子のような存在が頭に浮かんできた瞬間だった。隠れた言語主体が小説の内部を跳梁し、小説の時空を自由に出入りしているのではないか、と考えてみることによって、それまでの固定観念であった、一人称小説と三人称小説との区別は必ずしも本質的なものではなくなり、あるいはまた幻想のあり方が一つの系譜につながってきたり、作品の外にいる作者と、それを思わせる作中人物をつなぐ媒介項のようなものが浮かんできたりしたのである。」 ーー『「私」をつくる』よりーー
「ネット化、デジタル化の時代の中で「小説」ジャンルがどのように変貌していくか未知数だが、トリックスターとしての「私」は、今後も「小説」が危機を迎えるたびに、われわれの前にその魅惑的な姿を現してくれるにちがいない」 ーー『「私」をつくる』よりーー
と、小説の中の「私」という一人称に期待を込めている。こういう事を語る人が現れたことを素直に喜びたい。非常に重要なことをこの本は問いかけている。もちろん自分の方法とは違うのだが・・・。しかしある法則、ある視点からモノを見直すと、今まで見えなかったモノが見え、全体においても、ディテールにおいても、より明確にその像を捕らえることが出来るようになることがあるが、この本は、まさにそれだ。
ここ3・4年競馬の見方を変えた研究をしてきたが、それがようやく馬券という結果に反映できようになってきた。答えは何年か前に解っていた。それを実行できようになったは、買い続けた結果だ。闘牛場に通い続けたようなものだ。「9の法則」の発見が、この結果に繋がっている。
『ロゴスの市』に話を戻せば、気になる文章があった。「原田は彼女の言葉より気性を笑うような目をした。」こういう表現ってこの場の3人の関係性まで言っていると思って、上手いな思った。それと、ジョイスの、『フィネガンズ・ウェイク』が出てきて思い出した。この小説を読みたいと思わないが、ジョーゼフ・キャンベルが書いた、『フィネガンズ・ウェイクを解く親鍵』という本が読みたいと思っていたことを思い出した。そして、いつか「夕暮れ」をテーマに何かを書きたいと思う。
梅が香を 袖にうつして とどめては 春は過ぐとも 形見ならまし 読み人知らず(古今和歌集)
3月4日(金) 晴 12103
日中は大分暖かくなってきた。ひな祭りの昨日の月は三日月に見えた。実際は三日月でないのだが・・・。昔は太陰暦だったので、ひな祭りは三日月だったはず。何か理由があるのだろう?
部屋の片付けが進まない。あと1ヶ月になった。少しずつコツコツやるしかないとあらためて思っている。それにしても、3月4月が押し寄せてくる。どうなんだろう?4月からじゃなく、すでに大変な状況に入っている。ドンドン大変な事になるのだろう。競馬は、クラシックのトライアルが始まる。今年もハイレベルのレースになりそうだ。弥生賞は、宮さんと行くことにした。
3月8日(火) 晴 57947/4
昨日の雨はまるで梅雨時の雨のようだった。日曜日の新聞の書評欄に目がとまった。それを記しておく。
「 スペインとスペイン人 ーーー<スペイン神話>の解体 ファン・ゴイティソロ著
毎年ノーベル文学賞の有力候補として名前の上がるスペイン文学の重鎮ゴイティソロは実は多面的な作家だが、円熟期の祭壇の主題はスペインの歴史の再検討だった。本書はその一群の作品の源泉となったスペイン人論である。 通俗的な歴史観では、スペインはイスラム教徒とユダヤ人を駆逐したことによって純血のカトリックの国になったとされる。 異教的な要素は異端審問所などを通じて徹底的に弾圧されて排除されたが、実はそれは、隠匿されて残存し、イスラム、ユダヤ、キリストの三宗教の並存こそスペインの美質を生んだとゴイティソロは分析する。そして、純血意識や多様性の排除こそがスペインの後進性を決定づけ、スペイン内戦のみならず、現代まで続くさまざまな原因になったという。そのひとつが、十八ヶ月以内に独立すると宣言しているカタルニアの分離独立問題だろう。 ある国の伝統と呼ばれるものは現実に存在するものではなく、支配層の願望にすぎない、という冷徹な分析は、日本の伝統を考える上でも参考になる。彼の小説をもっと読みたくなる。本田誠二訳。(水声社) 」 ーー讀賣新聞、書評・旦啓介よりーー
3月9日(水) 雨 13550
♪道に倒れて誰かの名を 呼び続けたことがありますか♪
ねぇよ。そんなの。 マツコ・デラックスによれば、中島みゆきはね、女子高生の失恋の歌みたいなうんこみたいな歌じゃないのよ。男にふられて、道に倒れて男の名前叫ぶ。それが出来る時点で、相当な女だと思うよ。もの凄い強いのよ。 うーん、そういう感じ方もあるのかと思う。普通話題は『わかれうた』の歌詞のこの部分に集中するだろう。でも、今日は次の部分を考えたいのだ。
♪ひとごとに言うほどたそがれは やさしい人好しじゃありません♪
ひとごとなら、「たそがれ」は、やさしい人好しなのだろうか?と、言うより、中島みゆきにとって「たそがれ」は、やさしい人好しではないと言うことなのだろう。何故?
何かと何かの間には物語がある。例えばそれは、ピッチャーとバッターの間。牛と闘牛士の間。人と人の間。家族とか、男と女の間と置き換えてもいい。それらには、物語がある。昼と夜の間。つまり、たそがれ。夕暮れ。そこには物語があるはずだ。実際、野球、闘牛は、その「たそがれ」に行われる。何故?
そういうことを考えたことがあるだろうか。何故その時間帯に行われるかという事を。やさしい人好しじゃありませんとは、やさしくはないし、人好しでないということだろう。何故、「たそがれ」は、やさしくはないし、人好しでないのだろうか?しかし、ひとごとなら、やさしいお人好しなのだ。普段人ごとにしている「たそがれ」が、突然迫って来た瞬間をたぶん歌っているのだろう。
「たそがれ」をひとごとにするために、野球や闘牛をやるのだろうか?それもあるだろう。でも、違うことが含まれているような気がする。そう考えるだけでも、もう物語が始まっているのだと思う。そして、その物語は人それぞれで違う物語を語られているのかもしれない。
3月10日(木) 曇のち雨 6737
今日は、久々に闘牛のDVDを観ていた。レコーダーは死んではいなかった。最近はブルーレイだからちゃんと観れたし、メディアにも焼けることが解った。夜になって、91年6月6日を観始めた。昨日は、歯医者に行ってきた。これで、終了。次は定期検診に行けばいい。病院にも行ったので薬はある。後は部屋の片付けをして、準備をしたい。昨日から左手の付け根の筋が痛い。何なんだろうと思う。
万希ちゃんと電話で話す。アイホンについて聞いた。カフェなどには、wifi があるのでネットは出来る。ホテルも大体あるという。電話は、スペインのケイタイ持っているならそれを使った方が良いと言っていた。結局国際電話扱いになるという事だった。どうするか検討中。
今年の訪西は、なんかはめられた感があるが、それはそれで受け止めて行くことにする。スペインが呼んでいる。というか、闘牛が呼んでいる。去年行かなかったから今年があるのだろう。
3月11日(金) 小雨 4247
寒い日だ。かろうじて雪にならずにすんでいる気温。あれから5年がたった。運命のひとひねりを、感じている人が沢山いるだろう。
3月15日(火) 曇 58488/4
喫煙所にいたとき、最近どうなのと、何気なく訊いた。うーん。何か見てるとつらくなって。本人は治療して6月には良くなるっていう風に楽観しているけど・・・。でも、あーもう駄目だとか、どうすれば良いか判らないとかとか言って悲観するより全然良いじゃない。と、言うと、そうなんだけど、二人で部屋にいると苦しくなるような・・・。そうだよね。でも、そうさせないように、あそこ行く、ここ行くと言って二人にならないようにしていて。へぇそうなんだ。だから助かっているところもあるんだけど。
考えさせられる事だ。ガンの治療をしている奥さんが頭髪が脱毛して、病院へ通っている旦那との会話だ。そして最後に、♪なぐさめも♪と『ふれあい』のフレーズを突然歌ったので、二人で大笑いした。もう言葉がないもの・・・。
3月17日(木) 曇 29953/2
サン・イシドロのカルテルが発表になった。行く行かないは別にして観たいなと思う日は、13日、15日、18日、20日、25日、30日、6月1日、3日、4日。アドルフォ・マルティンで、カステージャとか、ビクトリーノで、アベジャンってどうなるんだろう?ウセダ・レアルとか・エル・シドなら判るけど・・・。
ロカ・レイは南米出身で、メキシコスタイル。実際観てみないと判らない部分があるが、あまり観たいとは思わない。ロペス・シモンの方がずっと良い。去年注目を集めたが、そういう部分は判る気がする。
3月18日(金) 雲 15800
昨日セビージャで切符が売られた。バレンシアでは、タラバンテとロカ・レイのマノ・ア・マノ。ダイジェストの映像を観ていて、思ったことがある。こういう闘牛ってウニコのせいかと思っていたが、そうじゃない気もしてきた。たぶん、時代の潮流なのだろうと。タラバンテの闘牛と比べて、ロカ・レイの闘牛の方が沸くのは、今の闘牛ファンに判りやすいからだろう。ああいう余計なモノを入れた方が、上手く牛を扱っている様に見える。
もう良い悪いじゃないと言うこと。そういうモノだと思って見た方が良いのだろう。そう考えてみると、ある意味で、ロカ・レイは闘牛界の起爆剤になりうるという可能性がある。あの当時フリが闘牛場を沸かせた旋風のようなモノがあるのかもしれない。若い人たちがそうやって闘牛場にやってくるのは良いことだ。いつまでも、古いファンばかりでは、闘牛は活性化しない。
3月23日(水) 曇 55858/5
忙しく過ごしている。突然金曜日に宮さんから連絡あり、土曜日競馬に行くことになった。1〜8R迄は準備していなかったが、それでも二人で行けば怖いモノなし。でも、もっといけた。3レースほど失敗した。1番大きなのは、3連複で勝負に行ったら3着が大穴が来て、外れ。1・2着が軸だったから、これ馬連か、ワイドを買っておけばといわれた。ワイドで20倍ついていた。
Fが、22日にアイホンの発売の発表があると言っていた通り、新機種の発売が決まった。24日予約、31日発売が決定した。明日、盛岡に帰り、直ぐ戻ってきて、予約を入れようと思っている。いよいよ、31日アイホンデビューになる。
3月25日(金) 曇 14721/2
新幹線の車中、青函トンネルは、今通れなくなっているという。26日北海道新幹線開通に伴って、切り替え工事をやっているからだという。盛岡に着いたら小雪が舞っていた。やはり東京とは気温が違う。木々もまた、春の準備がまだ感じられない。それでも、木々たちはちゃんと準備をしているのだ。エレベーターを降りると弟がいた。まず父親の処へ行った。1時間弱話をした。腕などに紫の斑点の様なモノが出来ている。血管が浮いて、肌つやが悪い。だんだん滑舌が悪くなっている。頭はまだはっきりしている。
それから母親の処に行った。インフルエンザ感染者が出たので、面会謝絶になっていたが、解禁になっていてた。昼食前で時間もなかったが、表情もないし、反応もほとんどない。息子の顔も判らないようだった。ただ写真で見るより顔色が良い。早々に引き上げて、駅近くのカフェで昼食を取り、駅のカフェでタバコ吸いながら話をした。母親にはちょっと寂しさを感じた。
東京へ戻って、新宿へ。そして、アイホンの予約。説明を聞くと、スペインに行って、スペイン国内に電話すると、国際電話扱いになるので、1分間80円かかる。そして、かけた相手にも同じだけかかるという。やっぱり万希ちゃんが言っていた通りだった。新機種でも同じようだった。スペイン用の電話を持って行くことにする。
Kの母親がベットから落下して腰骨などを骨折したという。書き込みがあったので電話した。病院だった。4日目とか言っていた。仕事が終わって病院に来ているという。色々モノを用意したりしなきゃならないだろう。でも、カテーテルを入れているのでおしめはしていないという。入院が長くなると、負荷がかかる。父親は死んだので、母一人、娘一人になっている。無理しないように、何かあれば連絡するようにと言った。スペインから帰ったら飯でも食おうと思う。
JRA16年ぶりになる女性騎手、藤田菜七子(ななこ)が地方の浦和競馬場で3レースで逃げきりで初勝利をあげた。3月3日のひな祭りの日に地方競馬川崎でデビューを果たし、36戦目での勝利だった。JRAでの騎乗でも、岩田騎手が、スタートが上手いと絶賛していたが、その通りの逃げ切り勝ち。6レースでは追い込んで2勝目をあげた。26日の土曜日には、新馬戦2着の馬に乗るという。JRAの初勝利なるかがかかっている。3レースに騎乗した大井競馬のベテラン的場文男騎手が、「(藤田騎手の後ろにつけていたが?)ななこちゃんマークだよ。でも4角で、ななこちゃんが勝つと思ったよ。もし内を突いても、あの勢いでは勝てなかった。川崎のときより良くなっていると思うし、当たりが柔らかくて、騎乗姿勢もいいからね。一つ勝ったことで気持ちに余裕もできるだろうし、これからもっと勝てると思うよ」とコメントを残している。
ヨハン・クライフが24日バルセロナで死んだ。トータル・フットボールで現代サッカーの礎を築いたオランダ人。後に、今のFCバルセロナの原型を作り未だに影響を与えていた。「2015年より肺癌を患っていることを明かし、闘病生活を送っていた。24日、公式サイトは「家族に囲まれて息を引き取った」と発表している。」 ーーフットボール・チャンネルよりーー
とんでもないことが起きた。カー娘が、オリンピック銅メダルのスコットランド、世界1位のカナダに圧勝して、予選リーグ9勝2敗とし2位以上が確定した。決勝トーナメントで優勝も夢ではない状態になった。スキップの藤澤五月が抜群のショットを決め続けた。世界選手権で日本がカナダに勝ったのは、46年ぶりらしい。リザーブに入っている本橋麻理はコーチも兼任している様だ。勝っているときの彼女たちの笑顔が、素晴らしい。もの凄い快進撃。地元カナダに圧勝したが、カナダ人から退場時に拍手が起きた。
3月28日(月) 曇 38558/3
先週はセマナ・サンタ。昨日は、ドミンゴ・デ・レスレクシオン。セビージャ、アルル(フランス)の闘牛が始まった。セビージャでは、モランテがカポーテで沸かせ、タラバンテが耳1枚を切った。アルルは、セバスティアン・カステージャ、ロペス・シモン、フリ、ロカ・レイがプエルタ・グランデした。マドリードでは、先週クーロ・ディアスがプエルタ・グランデしたが、昨日は、イバン・ファンディニョが怪我をした。
復活祭が来ると、闘牛シーズンの始まりを感じる。去年とは全く違う感覚でシーズンをむかえる。去年は、全くやる気がなかった。今年は、何かが違っている。誰とは言わないが、再び点火させる事があったからだろう。
カーリング女子、世界選手権。日本は、予選リーグ後半波に乗り9勝2敗で、決勝トーナメントに進出。初戦1位のスイスに負け、準決勝でロシアに勝ち、決勝で、最終10エンドのラスト・ショットで、藤澤五月がミスして、6−9で負けた。直後に号泣したという。残念だが、よくここまでやったモノだ。日本カーリング史上初めて銀メダル。大いに讃えられて良い。
「▼藤沢の話 ファイナルに出られたのは誇り。また来年戻ってきたいと思います。いやー、おめでとうとは思えない。最後のショットはスキップのやるべき仕事。決め切れなかったのは私の責任。チームに対して申し訳ない。よくよく考えてみると、経験の差、作戦の差をあらためて実感した。私もスキップとして経験を積んで、ここぞというところで攻められる強いスキップになりたい。本当に悔しい思いしかない。課題をもらったので、一からやり直したい。
」 ーースポーツ・ニッポンよりーー
スーパー・ショットを決めれば、試合は有利に進められるし、大逆転も出来る。でも、彼女たちは、コツコツと1つ1つの積み重ねで試合を進めて、いった。相手の方が、精神的にじらされ揺さぶられて、ミスを続けた。コールやブラッシングのコミュニケーションが抜群だった。そして、何より笑顔が素敵だった。上手くいくことばかりじゃないが、その中で、チームとしての精神状態は非常に冷静だった。Aプラン、Bプランその他を、その場面その場面で的確に把握し、適応していった結果が銀メダルになったのだと思う。おもでとうとは思わないと藤澤五月はいうが、やっぱりおめでとうと言いたい。これからの自信になっただろうし、悔しさは明確な目標を作り出す。もう気持ちは、新しい目標に向かっているのかもしれないはずだから・・・。
3月30日(水) 曇 27712/2
auからCメールが来て、アイホンの予約を取りに来る日取りを決めるようネットを繋いだら、ガラケイではそれが出来ないという。新宿に行く用があったので、結局ショップに行って手続きをした。ドンドン、ガラケイからのネット接続状況が悪くなってきている。だから、みんな新しいガラケイに変えても、またいつ接続できないようになるかと不安を持っている。そうなると、アイホンかスマホになるわけだ。
そういうわけで、明日アイホンが手に入る。使い方を覚えるのにどれくらいかかるだろう?おそらく、覚える前に日本を離れる事になるだろう。そうなると向こうでちゃんと使えるかどうか不安だ。
明日は、アイホンと旅の準備をしなければならない。持って行くモノや準備なければならないモノを忘れないようにしなければ。
3月31日(木) 晴 12954
ここ2日の暖かさで東京の桜は満開になった。もう春です。今日は半袖で新宿に出かけた。そして、アイホンを手に入れた。が、やっぱりよく判らない。ただ、少なくとも、Facebookをアイホンで観るモノではないようだ。あれは、チェックインで、位置登録をするモノだ。きっと。
NHKのHPを観ていたら、『京都人の密かな愉しみ 冬』というのをやったことを知る。その中で、京都と京都人を嫌う外国人言語学者が登場して、沢藤三八子と・・・と物語があるという。言語学者役は、『まっさん』のシャーロット・ケイト・フォックス。これは、夏編の最後で、文化人類学者エドワード・ヒースロー(団時朗)を探し出しに来た謎の女で登場していた。
エドワードは、京都好き。探し出した謎の女は、京都嫌いという設定なのだろう。例えば、エドワードからすれば、好きになるのに理由はいらないというだろうし、謎の女からすれば、嫌いになるには、何か理由が必要だ。だが、好きになるのに理由はいらないが、好きでい続けるのには、理由が必要なのだと、思う。ようはどっちも理由が必要なのだ。こういう対立の構図を物語にするのは面白い。京都好きと言えば、必ずといって、京都嫌いが出てこなければやっぱりおかしいもの。
4月1日(金) 晴 12300
毎日カポーテを振っていた時期がある。ステージに上がって、ラルガ・カンビアールをやったり、色々やった。でも、牛を相手にしないのなら好き勝手が出来る。闘牛士が、トレオ・デ・サロンで何故ゆっくりカポーテやムレタを振るのかを考えると何かが見えてくるだろう。
稽古とは一より習い十を知り 十よりかへるもとのその一 千利休
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