−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年のスペイン滞在日記です。
11月21日(月) 曇 19925 京都の宿にて
京都に来た。昼に着いて、昼食を取ろうとしたら混んでいたりで、そのまま宿へ行った。時間前だがチェックインできて、ネットを繋ごうとしたら、電波が悪く繋げず。旅館の女性はネットが全然判らず、15時過ぎに担当者が来ると言うが、そこまで待てないので、昼食を取りに外に出た。行きたいところに行けず、駅前で親子丼を食べた。やっぱりしょっぱい。
それから、地下鉄に乗って相国寺へ行った。1度観ておきたかったのだ。建物は流石に室町時代のモノで古い。枯山水の石庭があるとは知らなかった。去年辺りから公開していると言うが、結構良かった。紅葉している木もあった。中をブラブラ散策して、時間があるので下鴨神社に向かった。バスで行く予定が、結局歩いていった。ここも紅葉はまだだった。去年の今頃は見頃だったが、今年は遅い。
下鴨を観たあとに、喫茶店に入った。そこで、客と話をしている店の人の話を訊いていたら、10年前は、今頃は紅葉は終わりくらいだった。でも最近は、12月の初めまで観れる。と、言っていた。これも地球温暖化の為なのか?少なくても去年に比べれば、多分1週間は遅いのだろうと思う。初日から結構歩いた。夕方はISOさんと会った。飲み屋、揚げ物屋、お好み焼きを3軒ハシゴしてビールを結構飲んで22時過ぎに宿に戻ってきた。ISOさんはわざわざ宿まで送ってくれた。
11月22日(火) 曇時々晴 32109 京都の宿にて
朝、宿で日本の朝食を食べ、準備をして今日泊まる宿に荷物を預け京都駅から京都市バスに乗って大原へ向かった。大原についてトイレに行き、タクシーを捕まえて、古知谷の阿弥陀寺へ向かった。車中個人タクシーの運転手と話をした。帰りはどうすれば良いか。結局、20分ぐらいで観れるので、待ってて貰って大原に戻ることにした。古知谷の阿弥陀寺も、真っ盛りの紅葉ではなかった。楓が敷き詰められたようになるはずの参道には赤い色は殆どなく、葉っぱで滑って歩き難いと言うことはなかった。ただ、坂が急なので息切れする。
こんな遠くの処なのに車で訪れる人がいる。運転手の話だと、リーマン・ショック以降京都の観光の名所は軒並みガタ落ちの状態になって、嵐山も、金閣、銀閣も人が来ないのだという。4泊した人は3泊。3泊した人は2泊。2泊の人は1泊。1泊した人は日帰りというように、どんどん観光客が減って、参道とかの店はどんどん閉めているところが増えているという。大原も減って、ましてや古知谷にバスが来ていたが、今では1時間か2時間に1本しか来ないようになった。不況だと遠くに来なくなると運転手が言っていた。
真っ盛りの紅葉ではなかったが、行けて満足。大原に戻り、まず三千院。来なくなったとはいえ、人で一杯だった。残念ながら、「恋に疲れた女」は、いなかった。爺さん婆さんが多いし、若い人と言えばアベック。あとは外人。永六輔は偉大だ。あの歌だけで、三千院に行きたくなるもんな。この時点で220枚以上の写真を撮った。実光院と宝泉院で抹茶と和菓子が出されどちらも庭が良かった。勝林院には中に入らず外から写真を撮り、来迎院へ。それから三千院の所まで戻って、南に下り途中で昼食を食べた。そこの庭も綺麗だった。
最後は、寂光院。行くのに途中迷って、遠回りした。それでも建礼門院徳子が、長楽寺で出家したのち、この地に来て、平家と息子安徳天皇の菩提を弔った尼寺として今も残っている。「平家にあらずは人にあらず」絶頂を極めた平家が、源義経との戦に敗れ壇ノ浦に散った。その時、海にみんなで身投げしたのに、何故か、建礼門院だけが助かった。死んだはずの命。そして、出家。供養。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
紗羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕はす
おごれる人も久しからず ただ春の世の夢の如し」 ーー平家物語よりーー
こんな美しい書き出しで始まる平家物語。盛者必衰の理とは理屈で判っていても、平家も、京の人々も物の哀れと感じたはずだ。「行く川の流れは絶えずして しかも同じ水にあらず」鴨長明が方丈記にこう書いたが、同時代の人だ。生き恥をさらして供養した建礼門院は、どんな思いをして寂光院で過ごしていたのだろう。桜の咲く頃、舅である後白河法皇と寂光院の前の汀の池で再会する。
池水に 汀の桜 散りしきて 波の花こそ さかりなりけり 後白河法皇
思ひきやみ 山のおくに住居して 雲井の月を よそに見むとは 建礼門院
公家が政を行っていた時代から、武士が政を行う時代になって、こういう事が当たり前の事になる。どうなるか判らない人生。これによって日本人の仏教感も大きな変化が起こるのだろう。それは当然だ。そういう物の一つの象徴として、建礼門院徳子がいる。
放火にあって寂光院の本堂は燃えた。5年かけて再建されたのが今の本堂。樹齢千年といわれた汀の桜も平成16年に枯死した。その残骸が残っている。
京の宿が今回1番高いところ。夕食朝食付き。大原から戻ってきて、12畳の部屋に案内された。1人じゃ広い。風呂に入り、夕食を取った。京懐石料理。上品な味で美味しかった。塩分も控え目。今日の昼食のそばも塩分控え目で丁度良い味だった。昨日みたいに酒が入れば塩分が強くても酒で流せるが、そうじゃないときは、これくらいに控えて貰った方が体に優しい。
11月23日(水) 曇のち一時雨 29012 京都のホテルにて
何故かは知らないが、昨日はネットが繋げなかった。今日もさっきまで繋げなかった。ようやく繋がったので昨日分だけアップすることにする。ようやくネット環境が整った。何が悪いのか原因不明。相性としか言えない状態。3階から2階に移動。そこで接続でき、3階の部屋に戻って2階と同じアクセス・ポイントから繋がった。
今日は朝、東寺に行く予定だったがバスの時間など折り合いが悪く、10時まで喫茶店で時間をつぶし京都駅でISOさんとシーラさんと待ち合わせ。それから地下鉄の烏丸線、東西線と乗り継いで三条京阪で降りてホテルへ荷物を預け、2人とは、携帯でやり取りして南禅寺三門で待ち合わせ、永観堂へ向かった。思っていたより、南禅寺は紅葉していたので、永観堂はひょっとして期待できるかと思っていた。
実際行ってみると、受付はすいていた。直ぐに中に入れたが、期待以上の紅葉だった。境内は人が一杯いた。永観堂だけで写真は140枚くらい撮った。1時間半弱じっくり廻った。シーラさんは紅葉の美しさを喜んでいた。京都駅で原谷苑に行くか、永観堂に行くか、選択を迷ったが、永観堂にして良かった。流石紅葉の永観堂。1000円の参拝料を払っても出てきたときの満足感はそれを忘れられる。
それから、昼食を取ってホテルへ戻り、闘牛ビデオ上映会特別編をやった。ISOさんは、JJMはなんだこりゃ。ふざけた闘牛してを怒っていたが、剣刺しの見事さに、こりゃ凄い!と唸った。タラバンテの闘牛を見ていたら、レベルが違うはこれは。タラバンテは凄い!とまた唸った。シーラさんはその度に笑っていた。ビデオが終了し16時半近くになったので京都駅に送りに向かい17時頃駅で別れた。紅葉、闘牛のビデオとも満足して貰えたようだ。
それから、高台寺にライトアップを観に向かったが50分待ちということだったので、あっさり諦めて、祇園で飲んだ。非常に庶民的な処で落ち着けた。ビールとおでんのつみれ、大根、刺身、だし巻きなどを食べ、最後にとろろと鮪丼、とろろと納豆丼を食べた。それから、三条の飲み屋に行ったが、そこは辞めて三条上の飲み屋で飲んで話をした。シーラさんが満足して帰っていた事や、闘牛の話、京都の話、明日の話などをした。
11月24日(木) 晴 22491 京都のホテルにて
朝ホテルを代えた。荷物を預けて東寺への行き方で1番早い方法を訊いたら、205番のバスに乗れば良いと教えて貰った。ホテルの直ぐ近くのバス停からバスに乗り、京都駅タワー前を通り、東寺通りで降りて約5分。東大門の撮影から始める。門を撮っておかないと、どこか判らなくなることを初日の相国寺で気付き、大原に行ったときに再確認した。それから基本的にそうすることにした。
始めに行ったのは、成り行きもあるが観智院。25日まで特別拝観で観れるところ。宮本武蔵の襖に描いた墨絵、石庭、五大の庭が観れるからだ。武蔵の墨絵は、一乗寺で吉岡一門と闘い、追われていた時、3年間東寺に匿われていたときに描いた物だという。若かりし日の武蔵の絵だが、残念ながら保存状態が悪く鷲図の方はよく見えない。それでも、絵の上手さが伝わる。竹の方もなかなかだが、鷲の力強さが印象に残る。武蔵の画才はのちに評判になった様だが、その一端が判る。
その外には五大の庭。この庭は面白いが奇妙な感じがする。茶室の方にあった紅葉の庭の方が面白かった。祭日過ぎの平日ということもあり、のんびり出来る。堀があるがそこに1m位の鳥がいてそれの写真も撮った。それから宝物館、大師堂、食堂と観て、瓢箪池の方に行った。池の周りから五重塔を何枚も撮影した。池の周りは紅葉がありそれを入れて五重塔を撮りたかったが、太陽光線の関係でなかなか良い色が出ない。
それから特別拝観の五重塔初重内部の立体曼荼羅になっている仏像を観る。仏像を囲む形で正四角形の四隅に太い柱がそこに曼荼羅が描かれていたというが今は見えない。その中心は芯柱がある。それが大日如来を表しているのだという。その廻りに4つの如来8つの菩薩像がある。この仏像の配置が曼荼羅になっているという。四隅の柱は円柱で大きなひび割れがない。芯柱は四角柱でこれにもひび割れがない。おそらく、法隆寺の柱の作りと同じなのだろう。なお五重塔は4回焼失して徳川家光の寄進よって再建された物で高さ55m日本の古塔中もっとも高い塔だという。
金堂も焼失して桃山時代の再建された物。講堂は、弘法大師空海のよって着工され中にある五智如来、五大明王、梵天、帝釈天の二十一体の仏像が立体曼荼羅になって配置されている。中心は勿論、大日如来。3時間以上かけてゆっくり観ることが出来た。
それから、近くのホテルに行って、塩分0%の食事を取った。昨日予約を入れていたので、スムーズに料理が運ばれてきた。初めの前菜三品の中にあったごぼうを炒めて白ごまをふりかけた物はビックリするほど美味しかった。白菜を湯通ししてごまで和えたおひたしもまあまあだった。ほうれん草としめじの酢の物。次が、冷や奴と湯葉シシトウを薄い酢のたれで食べるもの。お吸い物は、干し椎茸で出汁を取って椎茸、シメジ、湯葉、三つ葉が入っていた。
焼き物は、レンコン、鶏肉、椎茸、なす。レンコンは甘く、鶏肉はとても美味しかった。椎茸もそうだし、なすは炭焼きして黒い皮を取っているがとても香ばしい。薫製のような香りだった。どれも、料理の基本が出来ていないと出せない味で、これだけも物を出されて感動的だった。煮物は、揚げ出し豆腐、里芋、大根、サツマイモ、アスパラガス。おそらく出汁と酢で味付けをしているのだろう。大根は一口目は茹でただけのような感じがしたが、最後の一口でちゃんと味が付いているのが判った。里芋と共に美味しいと思った。
天ぷらは、つゆなし。レモンが添えられているが、それも使わず、椎茸、青じそ、ししとう、サツマイモ、レンコン。レンコンだって白くない。朝に取ってきた物を使っているから歯ごたえも良いし味も良い。素材が良くなければ出せない。茶碗蒸しは、湯葉、揚げ出し豆腐、こんにゃく、百合の根?茶碗蒸しと言うより、それ風のあんかけ。ご飯。最後がデザートで、抹茶のシャーベットと黒糖の餅にきなこをかけた物。
写真を撮りながら、メモを取りの食事。会計を済ませると板長が待っていた。話をしたいと思っていたので嬉しかった。出汁は、昆布や鰹節だと塩分が含まれるので干し椎茸を使ったと言っていた。茶碗蒸しにこんにゃくが入っていたので、塩分の入っていない物ですかと訊いたら、その辺もしらべさせて頂きましたので塩分が入っていない物を使いましたと言うことだった。焼き物が非常に美味しかったといったら、素焼きだという。素材に自信がないと出せない料理だ。なすが香ばしかった事を伝え、川魚の薫製とか美味しそうですねというと、季節柄今の時期は出せませんが、4月になればそういう物が出せますとのこと。
それからISOさんと待ち合わせて原谷苑に向かった。桜の木が多いところで、紅葉はダメだと思った。ここなら360度の桜が観れると思った。ただ、しだれ桜で、街中よりも開花が遅いと言うことだった。使えるかどうかはその時の状態による。それから大徳寺へ向かう。時間が15時半。全部見ようと思っていたが時間的に無理。16時で閉まるところもあってそれは諦めざるを得なかった。
一つだけ龍源院に入った。枯山水の庭があったからだが、方丈という言葉は、石庭の事だと思っていたら、そうではなく、禅寺の建物建築様式の事らしい。枯山水の庭が2つあり、一つは、白石で波形を描いて石を置いた物で方丈前の石庭。もう一つは苔で覆われた枯山水の庭で竜吟庭。どうやらこっちの方が有名らしい。
大徳寺は広かった。これを観るには3時間くらいはかかるだろう。次回以降に持ち越しにした。境内を歩いたが、織田信長廟、石田三成の墓などあり、豊臣秀吉と徳川家康が囲碁の対局をした時に使った碁盤と碁石入れがあった。そこには葵の紋と桐の紋。やはり禅寺。武家の支持を受けていた事が伺える。
11月25日(金) 晴 25678 東京にて
朝ホテルから京都駅へ行き、そこでコインロッカーに荷物を入れて、タワー前のバスターミナルへ行くと苔寺行きのバスの発車前だった。係員に何分かかるか訊くと、1時間かかり苔寺前に行くというので、電車で行くのを辞めてバスにした。京都駅から座れて行けた。四条烏丸から左折して壬生寺を通り、西院から三条に上りほぼ阪急嵐山線の経路を嵐山まで行き、そこから渡月橋を渡り松尾まで下りて、さらに10分弱行くと鈴虫寺と地蔵院の間が終点だった。そこから4分くらい歩くと苔寺こと西芳寺に出る。紅葉がまぶしい。
9時半前に着いてはがきを見せると入れるという。もう1人来るというと住所と名前を言って貰えればあとの方も入れますという。電話したが携帯が通じないので、取りあえず1時間と時間が決まられているので、先にはいることにした。門の横の勝手口の様なところから入ると、目の前に紅葉目に入る。それだけで興奮して写真を撮っていたら電話が鳴った。先に来て苔寺を過ぎて上の方まである行っていったというので、もう着いて中に入っているので、直ぐ来るように言った。
ISOさんが、やってきてようやく2人揃った。坊さんが西芳寺の歴史を語りそれから、般若心経の摩許般若波羅密多心経を3回読みそれから座禅和讃を読んで木の札のような物に筆で願い事と住所と名前をを書くよう言われた。それが書き上がった人から庭園が観れる。もう坊さんが来る前に、先行して庭園に入っていった。苔だらけの庭園の中も良い色の紅葉が観れる。しかし、残念なのはこの時期だから苔に元気がない。
これが、梅雨時に来れば、物凄く元気な苔が観れるだろうなぁと思った。子供の頃、京都に来たら観たい物が3つあった。龍安寺の石庭、銀閣寺と苔寺。去年龍安寺の石庭と銀閣寺を観た。最後の1つ苔寺を今日観れた。しかも、紅葉真っ盛りの苔寺。写真をバチバチ撮って凄く幸せな気分になった。少庵堂茶室前からの池と紅葉。湘南亭茶室から総門の間から池と紅葉。朝日ヶ島、夕日ヶ島とその後にある紅葉。漂北亭から望む池と島。漂北軒北庭と反対の林と池。階段を昇って夢想疎石が作った言われる須弥岩組と枯山水石組。座禅石から下りていく途中の紅葉。
凄いなぁと思った。休憩所でタバコを吸って、もう1周した。何と楽しい時間を過ごせたのだろう。ISOさんと話しながらの2周。1時間20分くらいの充実した時間と気分。それからバスで嵐山に向かった。
11月27日(日) 晴 31378
東京競馬場へ行ってジャパン・カップを観てきた。ブエナビスタが優勝して2着がペルーサで、3着に何が来るのかと思って競馬場へ行ったのだが、予想は見事に、はずれました。
「スタートで9番サラリンクスが後手を踏み、13番デインドリームもあまり出がよくなかった。対照的にアメリカからきた11番ミッションアプルーヴドがスムーズな出だしからスッと前へ行き、ハナへ。外から16番トーセンジョーダンが積極的に行き、徐々に内に入りながら2番手につけた。ミッションアプルーヴドが1馬身のリードを奪い1コーナーをカーブ。2番手にトーセンジョーダン。3馬身差の3番手に5番トレイルブレイザー。ここまでは縦長。1馬身半差の4番手に6番トゥザグローリー。差がなく外から10番キングトップガン。半馬身差の内に2番ブエナビスタ、そして3番ローズキングダム。外から掛かり気味に7番ペルーサも先団に近づき、14番シャレータ。1番ジャガーメイル、15番エイシンフラッシュとかたまっての追走。その後ろからデインドリームとサラリンクス。さらに1馬身差で4番オウケンブルースリ、12番ウインバリアシオン。3馬身離れて最後方に8番ヴィクトワールピサという隊列になった。
前半1000m通過は61秒8のスロー。予想された通りゆったりとした流れになった。ペルーサは向正面直線で落ち着いたが、ウインバリアシオンが3コーナー手前で外から一気にまくる予想外の展開。3〜4コーナーでミッションアプルーヴドの外に並びかけた。そのまま二頭が併走のまま4コーナーを回って、最後の直線へ。2列目からはトレイルブレイザーとトーセンジョーダン。トーセンジョーダンは押っつけて4コーナーを回り、早めの仕掛けを開始した。1馬身差の3列目にローズキングダム、ブエナビスタ、トゥザグローリー。その後ろは横に大きく広がっての追い出し。デインドリームは大外から追い出しにかかった。
残り400mでミッションアプルーヴドが脱落。ウインバリアシオンが先頭に立ち、半馬身差でトーセンジョーダン。トレイルブレイザーはウインバリアシオンの内を狙った。残り200mでトーセンジョーダンがウインバリアシオンを交わして単独先頭。しかし、外からブエナビスタが凄い脚で襲いかかってきた。トーセンジョーダンとブエナビスタによる激しい叩き合い。100mほどビッシリと競り合った末、ブエナビスタがクビ差、交わして先頭でゴールを駆け抜けた。3着にはジャガーメイルが上がった。
勝ったブエナビスタは1枠を引いていたことと、スローペースを見越して先団馬群からの追走。最後の直線でトーセンジョーダンが前に出たところで、うまく外に持ち出し、今回は持ち味の瞬発力をいかんなく発揮した。上がり3ハロンは33秒9でメンバー中最速だった。昨年のJCは強い競馬を見せながら無念の降着。今年に入っても勝利がないという悪い流れだったが、今日は見事な勝利。この馬の強さをあらためて証明した。
2着トーセンジョーダンは大外発走だったが、ジョッキーの好判断で積極的に出ていき、内の2番手からの競馬。最後は競り負けたが、天皇賞(秋)がフロックではないことを証明した。勝ち馬ともども有馬記念でも楽しみとなった。3着ジャガーメイルは元々東京コースが得意で、距離もいい。スローで後方からだと厳しいことが多いが、今日は1枠が幸いした。注目の凱旋門賞馬デインドリームは不完全燃焼。スタートで失敗し、好位を取れなかった。最後は外からよく伸びていただけに残念だった。」 ーーJRAーVANよりーー
ああ何と欲を出して、3連複をブエナとペルーサの2頭軸買ったので大ハズレ。ペルーサは向正面でかかって最下位だった。素直にブエナから馬連で行っていれば取れたのに・・・。でも、ブエナが勝ったことは素直に嬉しかった。岩田康誠騎手は責任を果たせてホッとしているだろう。これで、有馬記念で、オルフェーヴルとの一騎打ちが楽しみになってきた。
競馬の帰りMEGUさんと待ち合わせをしておみやげを渡した。家に帰ってきて、京都で撮ってきた写真を選び、ISOさんへ送った。あとは、HP用の写真を作らないといけない。これが意外と時間がかかりそうだ。
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