断腸亭日常日記 2006年 スペイン日記

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年のスペイン滞在日記です。

99年4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日 6月7日〜6月10日 2000年4月20日〜4月29日
5月1日〜5月14日 5月15日〜5月31日 6月1日〜6月15日 6月16日〜6月29日
2001年4月19日〜5月3日 5月4日〜5月17日 5月18日〜5月31日 6月1日〜6月11日
6月12日〜6月22日 2002年4月16日から4月30日 5月1日〜5月15日 5月16〜5月31日
6月1日〜6月13日 2003年4月16日〜5月24日 5月25日〜6月10日 6月12日〜6月26日
2004年4月14日〜5月7日 5月8日〜5月31日 6月1日〜6月17日 2005年1月1日〜1月28日
1月29日〜2月25日 2月26日〜3月30日 3月31日〜4月24日 4月25日〜5月22日
5月23日〜6月16日 6月19日〜7月28日 7月29〜8月13日 8月14日〜9月7日
9月8日〜10月7日 10月9日〜11月10日 11月11日〜12月31日 2006年1月2日〜2月9日
2月10日〜3月17日 3月18日〜4月12日

 4月13日(木)

 無事到着。眠いので寝よう。後は起きてから。


 夜が明けて目覚めは8時半頃。バラッハスに着いてKさんにTEL。マドリードにいるという。夜中なのでカジャオへは行かずKさんの家に行く事にした。夜食の焼きめしをご馳走になる。具が一杯だった。ビールを飲み話をしてPCをいじったりして寝たのは3時過ぎ。眠くなってきたので寝て、起きて日本から持ってきた食パンを焼いてチーズとハム、コーヒーで朝食を取る。Kさんは昼頃起きるという。シャワーを浴びてタバコを吸って、今PCに向かっている。スペインで始めに聴く曲は、勿論、ボブ・ディランの、『運命のひとひねり』。僕がディランの最高傑作と思っている、『血の轍』の2曲目に入っている。

 Kさんが起きたら、カジャオの部屋に行く。TELは去年と同じ。着いて充電をして下山さんへかけたがもうお金が切れていた。カジャオへ行ったらTELできるように買わないといけない。取りあえずは受信は出来る。それから、16日セビージャに向けての準備や、サン・イシドロの状況などを訊かないといけない。

 ニームのカルテルが発表になった。出発前だったがアップしている暇がないのでマドリードで作業を始めた。所でスーツケースの鍵は結局見つからず、昔使っていたローラーのいかれた物に荷物を詰め込んで、成田で新しいのでも買おうかと思ったが、カートを買って代用した。

 皐月賞の枠順が発表になった。このレースは一応、武豊が騎乗するアドマイヤムーンの1番人気が想定される。しかし、馬場状態では、何が勝ってもおかしくない様になるだろう。勝って欲しいのは、京成杯を勝ったジャリスコライト。でも、3ヶ月ぶりの鉄砲じゃ無理だろうが唯一馬場が悪くなったときに浮上することが出来るだろう。本当の狙いは、ダービーだ。


 4月14日(金) 曇り時々晴れ 7466

 スペインは今セマナ・サンタ真っ最中。FNACが開いていたので携帯のお金を入れたが使用できない。何故なのかはスペイン語を読んでもよく判らない。どうなっているのだろう。これも、セマナ・サンタ真っ最中だから?Kさんに訊いたら、メッセージを読んでも判らないと言ったら、携帯の電源を切って電池も取って、一旦リセットしたらとのこと。やってみたらちゃんとかかるじゃん。そういうことなのね。スペイン語読んでも判らないわけだ。判らなかったら基本へ戻れ。

 サン・イシドロのアボノは大丈夫そうだ。後はセサル・リンコンが出る日の良い席を確保できればベスト。

 エル・コルテ・イングレスも閉まっていて買い物は、VIPSか中国人がやっている商店。VIPSは物凄い混みようで買う気がしない。中国人の所に行って飲み物だけを買ってきた。下のバルでケバブを買って夕食にして寝た。朝方一旦目が覚めたがまた寝て起きたのだ11時。よく寝た。だるいくらい。12時にアナスタシアさんと待ち合わせ。コーヒーを飲んで話をした。相変わらず。fumingwayさんから預かった物を渡す。サン・イシドロの切符は、24日にアボノ以外で全日買えるとのこと。買ったデジカメの使い方が判らないとのこと。昨日今日とセマナ・サンタの休日で買い物が出来ない。塩、コーヒー、砂糖、スパゲッティなど食料品が買えないので何処かないかと訊いたら、プリンシペ・ピオのショッピング・センターなら年中無休とのこと。

 それから別れて、カジャオに帰り、プリンシペ・ピオへ向かった。つまり、昔の北駅跡にショッピング・センターが出来ていた。中はセビージャのネルビオン・プラサのような感じだ。入り口を入ると直ぐにスーパーがあった。そこが、オープン・コール。エル・コルテ・イングレス系のスーパー。そんなに多く物が置いてあるわけではない。必要最小限の買い物をした。そこで買い物をして他を見た。そんなに面白いところではなさそうだった。帰ってきて昼食はペペロンチーノ。ただし、唐辛子を買ってこなかったので仕方なくブラックペッパーで代用した。

 下山さんともTELして16日にセビージャに着いたらTELを入れることにした。明日の夜中バスでセビージャへ向かう。寿美さん、としこさん、くまさんにTEL。三木田さんやM夫妻には未だ連絡を入れていない。Kadoyanには週明けに連絡を入れよう。

 阪神のマイラーズ・カップの予想は、ダンスインザムードとダイワメジャーの一点勝負。関西のレースなのに関東馬2頭で決まりだ。馬連で前売りオッズが3.6倍。当然の1番人気。これしかないでしょう。気に食わないのは、ダンスインザムードに何故武豊が乗るかと言うこと。


 4月15日(土) 晴れ曇り。 5441

 昨日の夜は、雨が降った。肌寒い。部屋で窓を開けていると寒い。

 スペインに来て初めて、『テンディド・セロ』を観る。先日田舎の闘牛場で、フリオ・ベニテス(マヌエル・ベニテス“エル・コルドベス”の息子)、カジェタノ・オルドニェス(パキーリの息子)、セバスティアン・パロモ(パロモ・リナレスの息子)の3人が出場した見習い闘牛が行われた。昔の大闘牛士の息子たちの競演にマスコミが殺到したようだ。去年観たフリオ・ベニテスは下手。カジェタノ・オルドニェスは年を取りすぎてからのデビュー。セバスティアン・パロモは何歳なんだろう?観た感じだと20代のようだけど。話題性はあるけど?って感じがする。TELで訊いた、バルセロナのフェスティバル闘牛に、ホセ・トマスが来ていて、セラフィン・マリンがブリンディースをしていた。彼は、黒い革ジャンで黒いサングラスをかけていた。去年は背広にネクタイだったが・・・。

 昼食はくまさんと、MHに来ていた人とスペイン食を食べた。お腹一杯。MHに戻ってネットで今日の夜のセビージャ行きのバスを調べた。23時発だと5時15分着。1時発だと7時着だった。時間的には23時より1時の方が良い。部屋に帰ってきて持っていくカメラを観ていたら、電池が入ったままになっていて、ヤバイと思った。それとフィルムが終わっているのに巻戻らない状態になっていた。困ったどうしようと考えて、そうだMさんに訊こうとTELをしたら、流石カメラマン。挨拶をして、ニコンのF4だっけ?心の中で、イッコ、ニコン、サンコンのニコンのF4と言いたくなったが、グッとこらえてそうですと、短く言った。

 そしたら、俺の出してみるからと言って、自動巻ではなく、手動の操作方法を教えて貰った。凄く助かった。やっぱ持つべき物は友。これから準備してセビージャに出発。どんな闘牛が観れるか楽しみ。

 土曜のマイラーズ・カップの予想は1点で的中。当然だ。これしかないんだから。それで、中山の皐月賞予想。良馬場の場合。アドマイヤムーン、フサイチジャンク、サクラメガワンダー、メイショウサムソン。重馬場ないしそれに近い稍重の場合。フサイチリシャール、ジャリスコライト、フサイチジャンク。調教名人、高田潤が乗るドリームパスポート。心情的に言って、こんなチャンスめったにないんだから、何とか良いところに来て欲しいがダメだろうなぁ。いずれにしろ、金曜前売りで1番人気がフサイチジャンクの2.4倍は人気があり過ぎ。武の乗るアドマイヤが1番人気なら判るけど。逆にジャリスコは舐められた人気。これだったら、ワイドか、3連単で3着固定で買ってみたくなる。前日前売りで、アドマイヤが1番人気なった。

 皐月賞はともかく、ダービー向きの馬は、ジャリスコライト、フサイチジャンク、サクラメガワンダー、キャプテンベガなど。これから、ダービートライアルもあるし、無敗のマルカシェンクも骨折明けで復帰してダービーには出てくるだろうし、面白いことになりそうだ。希望としては、オークスはコイウタ。ダービーは、ジャリスコライトで、横山典弘が関東馬で連勝って事になれば最高。まっ皐月賞は、武のアドマイヤが勝つような気がするが、アドマイヤ、武、1番人気はGTで勝ったことがない。だから、2番人気な訳?と思ったら前日に1番人気になった。やっぱり勝てないぞこりゃ。

 1日の結果。 マドリード。フェスティバル闘牛。ホセリート、モランテ、耳なし。

 9日の結果。 マドリード。ビクトル・プエルト、ウセダ・レアル、アントン・コルテス、耳なし。

 14日の結果。 アルル(フランス)。フリ、耳1枚。カステージャ、耳2枚、耳1枚。ミゲル・アンヘル・ペレラ、耳なし。


 4月17日(月) 曇り 29555/2 

 時差ボケがあるのかないのか分からない状況で、15日の1時にバスでセビージャに向かった。丁度中間点でタバコ休憩。予定より少し早い7時前に到着。タクシーのストがあると言うことだったが、動いていて下山さんの家に行く。下山さんは元気そうだった。まゆみさんも。2匹の犬のうち小さい方のエドゥは、初対面。初めは尻尾を振っているが怖がっていた。ウーゴは、ちゃんと覚えていて興奮して飛び跳ねる。そして、おかしかったのは自分で電流が流れて痛くなりおとなしくなる首輪をくわえてきて付けるようにうながした。少しは大人になったようだ。

 それから、朝食とコーヒーを戴いて、闘牛番組を観る。エル・チャノのコヒーダが凄かった。下山さんは、「腕の良いバンデリジェーロだからやられる。下手な奴だと片手で刺して逃げるから怪我しない」と、言っていた。それから、去年メキシコでやったセバスティアン・カステージャのグラン・ファエナを観る。プレシデンテが拒否してインドゥルトにならなかったが、良い牛だった。カステージャは動かないし落ち着いている。ここ2年サン・イシドロでの活躍が自信になって、堂々としている。顔も大人の顔になって逞しく感じる。9時を過ぎたので、闘牛場へ向かった。

 タキージャは混んではいなかった。ネットで検索していたので切符の状況は把握していた。例年に比べて売れ行きが良い。セサル・リンコンの日はバレラで観るつもりだったがソルのテンディドと、グラダしかなかった。他は、全部グラダを買った。問題の16日の切符は予想通り売り切れだった。それから、ホテルを探しに行ったが、予定したところは、満室で予約が出来ず、手当たり次第に他の所を当たったがみんな満室。場所を変えるよりこのまま探した方が良いと思い訊いていたら6件目くらいに開いているところがあったので予約した。予定していたところより安かったのは、嬉しい誤算。

 それから、もう1度闘牛場へ戻ってダフ屋探し。公営ダフ屋に訊いても全て売り切れ。初めのダフ屋は、ソルのバレラ、60ユーロを300ユーロと言っていた。次がソルのテンディド、1列目が150ユーロ。上の席ないの訊いたらグラダは125ユーロという。それが、100ユーロまで安くしたが、高いと言って買わなかった。良い闘牛士が出ているのでそれくらい出して良いが、牧場が気に食わない。ハンディージャとか、サルドゥエンドとかファン・ペドロ・ドメクとか期待できる牧場なら買っただろうがヌニェス・デル・クビジョじゃアレナが広いところでは、バテて闘牛にならないことが多いのだ。それからバスで下山さんとの待ち合わせ場所のネルビオン・プラサへ向かった。そこで昼食を取り家に帰って昼寝をした。

 起きると下山さんが、僕体調が悪いから今日行かないので切符を譲りますという。一緒に行くつもりだったのでビックリした。本当に良いの観ないのと、訊いたが行かないとので、切符を譲って貰った。そういえば、昼食の時に、普段行かないトイレ行ったりしていた。闘牛場へは仕事に行くまゆみさんに送って貰った。まゆみさんが言うには、下痢気味で調子が良くなくて、だましだましやっていて、闘牛場へ行くと色々な人から挨拶されて、体調が良いときならそれも苦にならないけど、悪いとおかしくなるからと、言っていた。

 ダメ元で、パティオ・デ・クアドリージャへ行った。あっちから入れと言われたが、去年までの事を思い出してくれて、中へ入れてくれた。有名な写真家のパコ・カノが来た。ウィンクして握手。ちゃんと覚えている。セサル・リンコンが15分前くらいに来て写真を撮って挨拶をした。普段と変わりない。荷物運びのファンも元気。いつものように、「オラ・サイト。コモ・エスタ」と挨拶をして通り過ぎていった。アドルフォも。エル・シドも来たが写真は次回にして席に向かった。闘牛は案の定、牛が悪くつまらなかった。でも、このカルテルを観に来たのだから文句はない。セサルのひたむきに闘牛をする姿を観て安心した。帰りにセサルの車にルイス・カルロスが乗っていたので声を掛けた。「残念だったね」と言ったら、「今日は牛が悪かった」と言っていた。彼も変わらず元気だった。

 闘牛場には、コロンビア人が何人もいた。例のコロンビアの麦わら帽をかぶっているので直ぐ判る。ラファエルの姿も見える。タキージャではセサルの追っかけの肌の黒い金持ち風の貴婦人がいた。多分コロンビア人。未亡人。いつも会うんだよな、話したことないけど。セビージャに向かうバスの中でも、セビージャ着いても興奮しなかったが、闘牛場へ着いたら流石に興奮した。やっぱり、闘牛を体が欲しているのだ。

 闘牛が終わってから、待ち合わせ。まゆみさんが車で拾ってくれて、夕食。まゆみさんは、明日早いと言うことで帰り、下山さんとお腹一杯食べた。そこで、ラス・ベンタス闘牛場でセサル・ヒメネスのプエルタ・グランデを訊く。下山さんは落ち着いているように見えた。一杯話があるが、それは20日以降にしよう。食事が終わりグロッキー気味と言うことで、バスに乗って帰った。家に前で下山さんが下り、僕は終点まで行って、バスターミナルまで歩いた。そして、17日の朝にマドリードに到着した。帽子をバスの中に忘れてきたこと以外問題はない。朝食を食べ、これから一眠りしようと思う。観戦記はそれから書くことにする。

 15日の結果。 アルル(フランス)。モランテ、罵声が2回。ファン・バウティスタ、サルバドール・コルテス、耳なし。

 16日の結果。 マドリード。アベジャン、耳なし。セサル・ヒメネス、耳1枚が2回。エドゥアルド・ガジョ、耳なし。 セビージャ。セサル・リンコン、モランテ、耳なし。エル・シド、耳要求で場内1周。 バルセロナ。カリファ、場内1周。カナレス・リベラ、耳なし。ファン・バウティスタ、場内1周。 アルル(フランス)。ビクトル・プエルト、耳なし。フェレーラ、耳2枚。バルベルデ、耳なし。


 人から信頼されると言うことは、凄いことである。そして、感動的なことなのだ。

「第66回皐月賞(16日、中山11R、GI、3歳オープンマル指、せん馬不可、定量、芝・内2000メートル、1着本賞金9700万円、4着までにダービーの優先出走権=出走18頭)6番人気のメイショウサムソンが、前哨戦のスプリングSから連勝でクラシック第1冠を獲得。石橋守騎手(39)=栗東・フリー=はデビュー22年目でGI初制覇、今年が最後のクラシックとなる栗東・瀬戸口勉調教師(69)は3年ぶり2度目の皐月賞制覇だ。タイム1分59秒9(良)。半馬身差2着に10番人気のドリームパスポート。フサイチジャンクは追い込み届かず3着、武豊騎乗で1番人気のアドマイヤムーンは4着だった。

必死に追って、遂につかんだ。デビュー22年目の石橋守騎手が、メイショウサムソンで念願のGIを初めて手中にした。

「中山の直線がこんなに長く感じるなんて…。幸せで一杯です。馬の力を信じ、この馬の競馬をしようと思ってました。上がりのしっかりした馬が後続に沢山いたので、しっかり追ったので(後ろの馬を)見る余裕はありませんでした」

勝利者に涙はない。静かに誠実にインタビューに答える姿が清々しい。“並んだら抜かせない”と言い続けてきた石橋はサムソンを信じていた。「内枠でしたがスタートに不安はなかった。この馬の先行力を生かしたかった」。

スタートを決めると5番手にポジションを取り、向こう正面で徐々に進出。4コーナーでは3番手まで押し上げ、直線でGOサイン。坂上でフサイチリシャールをかわした直後、内からドリームパスポートが猛追してきたが、ここからがサムソンの本領発揮。一気に抜き去りそうな勢いのパスポートと馬体が合うと、再び闘志を見せ、半馬身差で栄光のゴールに飛び込んだ。」 ーーサンスポよりーー

「 「騎手になって一番うれしい勝利。短いはずの中山の直線がこんなに長く感じたのは初めてです」。石橋守は開口一番こう語った。前半1000メートルの通過が60秒ジャストという平均ペース。5番手にポジションを取ると、きっちり折り合って脚をためた。3コーナーから早めの仕掛け。そして直線…。すべてが思い通りに運んだ。「馬場が悪いのが良くないとかマイナス思考は捨てて臨んだ。先行してしぶとい、この馬のいいところをすべて出すことだけを心がけた。初めてのG1タイトルがクラシック。自分は幸せだと思う」と喜びをかみしめた。

 人馬のきずなの深さはともに過ごした時間に比例する。昨夏の小倉競馬から10戦、サムソンの鞍上には常に石橋がいた。調教にも毎日のように騎乗し右回りで外にモタれる癖も直した。「この馬は石橋さんがあってこそ。入厩した時はシンが入ってなくてヨレヨレだったのを一から馴致(じゅんち)してくれた」と担当の加藤厩務員は振り返る。」 ーースポニチよりーー

「歓声を上げたのはファンばかりではなかった。検量室では、競馬学校同期(昭和60年卒業組)の柴田善臣、皐月賞を戦った武豊ら石橋を兄貴と慕う後輩たちが心から祝福の拍手を送った。石橋はサムソンの調教にもデビュー前から乗り続け、担当する加藤厩務員も「石橋さんで負けたら仕方ない」と厩舎スタッフも全幅の信頼を寄せていた。

デビュー6年目の平成2年、石橋はトウショウアイに騎乗して1番人気でエリザベス女王杯に挑戦。結果は横山典弘騎乗のキョウエイタップに内をすくわれて2着に惜敗。以来、上位人気馬でGIに挑んだ経験はない。

「GIは騎手になった以上、誰もが勝ちたいレース。22年間、僕は僕なりにやってきました」

勝利の女神は、人目につかないところでも地道に努力を続けてきた腕達者に祝福のキスをした。こんなクラシックも感動的だ。

GIジョッキーとなった石橋&サムソンの次なる目標は、日本ダービー(5月28日、東京、GI、芝2400メートル)。「皐月賞を勝ったことで、なおさらマークされる立場ですね。新たに気を引き締めます。課題? 何もありません」。このコンビ愛があれば、何も心配することはない。」 ーーサンスポよりーー

 GTジョッキー石橋守おめでとう。苦労人が初GT。嬉しいことだ。そして、2着がこれまた苦労人の調教名人、高田潤。同厩舎の武豊が乗るアドマイヤムーンより先着したことを誇りに思えよ。俺の予想を超えて、人気薄の方で決着してこんな感動が待っているとは・・・。苦労人たちよ、励みにしろよ!


 4月18日(火) 曇り 8167

 昨日はセビージャから帰ってきて日記を書いて寝た。セビージャで歩き過ぎたようで足が痛い。目標1日1万歩を予定して万歩計も持ってきたが、多く歩き過ぎるときつい。しかも荷物を持ってだから余計そうだ。起きてから観戦記を書き、夜はMHに行った。ISOさんとくまさん、佐々木さんと4人でバルに行って飲んだ。そこでISOさんお勧めのハンバーガーを食べた。これが美味い。当たり前だけど、マクドナルドのビッグマックよりずっと良い。ビールのつまみも出て、お腹一杯。セビージャの打ち合わせや、その他の話で盛り上がった。空港での両替で、「大きいの」と言ったら、500ユーロを2枚出された話をしたら笑っていた。何処行っても使えないじゃない、と。そうなのだ。だから、セビージャの闘牛場で切符を買う時に使ったと話した。普通は銀行に行くらしい。ISOさんから、ウィスキーのボトル1本を貰った。貰い物だからと言うことだったが、恐縮した。

 今日は、チャンピンズ・リーグ準決勝、バルセロナ対ACミランがある。カナル・プルスでの放送なのでバルに行かないと観れない。そして、23日レアル・マドリード戦を観ようと思って調べたら、開始時間が19時だったので、闘牛の時間と重なるので観れないことが判った。ラス・ベンタスで見習い闘牛を観ることにする。それと、29日のセビージャが終わったら、30日にマドリードに帰ってくることにしようと思う。1日のセビージャをキャンセルして30日からラス・ベンタスで闘牛三昧。

 17日の結果。 セビージャ。ルイス・マヌエル、耳なし。ロペス・チャベス、耳要求、耳1枚。アントン・コルテス、耳なし。 アルル(フランス)。フンディ、耳1枚が2回。デニス・ロレ、ラモス、耳なし。


 4月19日(水) 晴れ時々曇り 6869

 昨日の夜はバルに行きチャンピオンズ・リーグ準決勝バルセロナ対ACミランを観た。前半の初めは危なかったが、後半になってゲームを支配したのはバルセロナ。ロナウジーニョのパスからジュリーが先制してそのまま1-0で勝った。試合の後半は、ロナウジーニョのプレーにバルの客は大喜びで、拍手を送っていた。ここはマドリードなのに、バルセロナの選手に何故拍手を送るか疑問に思ったが、スペインのチームと言うことと、何より素晴らしいプレーをするロナウジーニョへの興奮が賞賛せずにはいれなくするのだろう。ハーフ・タイムにCMが流れた。ロナウジーニョの子どもの頃とフット・サルでの巧みにボールを操る映像が流れた。魔法のようなボール捌きだ。彼はマドリードでも大スターだ。サッカー・ファンは彼のプレーに酔っているように拍手したり、笑ったり、驚いたりしている。

 朝起きて両替に行った。今回はVISAのトラベラーズ・チェックを持ってきた。去年までもアメリカン・エクスプレスだと、僕がいつも使っている銀行だと手数料は取られないが、VISAだと手数料を1%とか、1枚につき3ユーロとか取られるのだ。絶対トラベラーズ・チェックは、アメックスが良いのだと実感した。

 今日の夜セビージャに向かう。帰ってくるのは23日の朝の予定。

 18日の結果。 セビージャ。ウセダ・レアル、耳なし。怪我。セルヒオ・マルティネス、耳なし。イバン・ガルシア、耳1枚。


 4月20日(木) 晴れ 8767

 昨日はバスに乗る前に、チャンピオンズ・リーグ準決勝ビジャレアル対アーセナルを観た。0-1でビジャレアルが負けた。それでもホームで逆転できないことはないスコアだが、リケルメの動きにはガッカリした。ゲーム・メイクをするキーマンが、パスを貰うときに殆ど後ろ向きだったし、だからなのか良いパスを殆ど供給できなかった。あれでは負けて当然。むしろ、アーセナルが1点しか入れれなかったので、次回にチャンスが未だ残った。リケルメって良いときと悪いときがハッキリした選手なのだろうか?少なくも、ロナウジーニョの様なチームを自分のカラーに染めてしまうような選手ではない。だから、バルセロナから出されたんだろうけど。

 朝セビージャの着いて朝食を取り町をふらつく。道路には未だセマナ・サンタで使ったロウソクの後が着いている。町で配っている只の新聞を4部貰ってバルで読んだ。闘牛の記事が載っていたのは2部だけだった。ルイス・ビルチェスのナトゥラルがファリアで最も素晴らしかったと書いてあった。ラジオでは耳2枚のファエナと言っていたが、カナル・スールの放送なのでアンダルシアの闘牛士には甘いと下山さんが言っていた。下山さんの話だと、フェルナンド・ロブレニョは、セバダ・ガゴの様な牛でやっているようでは上へ上がっていけない。これじゃ、コリーダ・ドゥーラになってしまうと、言っていた。クーロ・ディアスも同じ。彼は良い角の方でやらず、悪い角の方で始めたので牛をダメにした。去年と同じ事をしたと。

 こういう風に、やっていると彼もまた上に上がっていけないだろう。フィグラになるには、安定して良い牧場の牛でやらなければ、良い牧場の牛をフィグラが取ってしまうのでなかなか廻ってこなくなる。そうすると危ない牛や、牧場でしか闘牛が出来なくなるのだ。5月2日のラス・ベンタス闘牛場でロブレニョは、アドルフォ・マルティン牧場の牛でやる。こういう風にすでにコリーダ・ドゥーラの道を歩いているのかも知れない。自分を最大限に良く見せようとするなら、1つ1つの事をちゃんとして大事なところでチャンスをビシッと決めて、良い牧場の牛で、フィグラと一緒に闘牛をしていかないと、本当のフィグラにはなれないのだ。

 12時に待ち合わせをして、下山さんとバルで昼食を取った。セビージャって焼き肉だけじゃなく、スパゲティーだけじゃなく、コロッケも美味しい。『Aplausos』と『6TOROS6』の違いについて、『Aplausos』は老舗なので闘牛士などのインタビューが多い。『6TOROS6』が出来て、白黒からカラーになり編集も変わった。『6TOROS6』は写真が良い。

 19日の結果。 セビージャ。クーロ・ディアス、ロブレニョ、ルイス・ビルチェス、耳なし。


 4月21日(金) 曇り一時雨 22472

 昨日は闘牛場でずっと立って観ていた。カジェホンの外のカメラ席の下とか、各入場口の所とかで観ていたので腰が張って疲れた。もう歩くのも嫌になったので、終わったら闘牛場近くのピザ屋でピザを摘んでビールを飲んだ。期待のビクトリーノ・マルティン牧場の牛は空振りだった。去年のセビージャに出たビクトリーノの牛は凄くて感動したが、今年は、ビクトリーノらしくない牛だった。それでも、ペピン・リリアが耳を1枚切った。あれはペピンが観客を盛り上げて耳にした物でビクトリーノの牛のせいではない。

 最後のエル・シドの牛をピカのしないうちに代えたのには、納得できない。何処が悪いというのか理解できなかった。ラス・ベンタス闘牛場なら代えないだろう。セビージャ人のセビージャ人びいきでエル・シドに何とか耳を取らせようという気持ちが牛交換を要求した。結果的には、ホセ・ルイス・ペレダ牧場(血統はファン・ペドロ・ドメク)の良い牛を引いて耳を切ったが・・・。

 また闘牛が始まる前にパティオ・デ・クアドリージャで闘牛士の写真を撮った。前日闘牛を終えたフェルナンド・ロブレニョが私服出来ていたので写真を撮らせて貰った。エンカボ、ペピン、エル・シド。エル・シドのアップも自信がうかがえる表情だった。良い顔だ。モンテラをかぶっているとはげが見えないから格好いい。エンカボの、どアップの写真を撮っていたらなんて綺麗なんだと感動した。清らかな青い目とその雰囲気が素晴らしかった。良い写真が撮れた。それと、ペピンの始まる前の悲しそうな何とも言えない表情が撮れたのが収穫だ。ああいう表情はなかなか写真に出来ない物だ。ペピンらしい写真だ。真面目な人柄が出ていて良かった。

 闘牛の始める前にタキージャへ行って5月1日の切符をキャンセルしようとした。それを言ったらダメだと係員が言ったが、後ろの人が、俺が買うと言って、50ユーロを出した。係員がそれを受け取り、21ユーロ僕によこし切符を後ろの人に渡した。こんな事もあるんだ。日本じゃそんなこと後ろの人は言わないが、スペインじゃこうなるのだ。ともあれお金が返ってきたので良かった。マンサナレスもカジェタノ・オルドニェスも価値がないが、パブロ・エルモソ・デ・メンドーサを観たい人は多いので価値のある切符なのだ。

 闘牛が終わって部屋に帰ってきたら疲れてマッサージをして観戦記を書く気にもなれず寝た。

 20日の結果。 セビージャ。ペピン・リリア、耳1枚。エンカボ、耳なし。エル・シド、耳1枚。


 4月22日(土) 曇り一時小雨 11986

 昨日は午後に雨が降って闘牛が中止になるかと思ったが雨がやみ闘牛が出来た。ポンセが2頭とも良い闘牛をした。初めの牛は難しい牛だったが、良くやった。2頭目は、グラン・ファエナだった。観客は熱狂した。長いパセが繋がりオーレがこだました。それでもピンチャッソ2回で観客は耳を要求したが当然でなかった。モランテは、やる気がなかった。2頭目は、1分くらいしかムレタを振っていない。直ぐに剣を代えて殺しに行って罵声と口笛を浴びた。ペレラは最後の牛で良いところを見せた。右角が良かったので1回転するような長いパセが出来た。もっと徹底して右角でパセを繋いで長いパセをしてれば確実に耳になっていただろう。

 闘牛が終わったあと、くまさんの所のグループと一緒になってみんなで食事した。何故か僕の話題になった。

 21日の結果。 セビージャ。ポンセ、場内1周、耳要求で場内2周。モランテ、凄い罵声。ペレラ、耳要求。


 4月23日(日) 曇り 15486

 朝マドリードに帰ってきた。飯を食いシャワーを浴びてこれから寝る。観戦記は、20日の分しか書いていない。あとは起きてからの作業になる。

 22日の結果。 セビージャ。セサル・リンコン、耳なし。カステージャ、耳2枚。マンサナレス、耳1枚。 サラゴサ。エル・シド、耳なし。マティアス・テヘラ、耳要求。ミゲル・アンヘル・ペレラ、耳なし。


 4月24日(月) 晴れ一時曇り 9829

 昨日のマドリードの闘牛はつまらなかった。この日については、観戦記を書かないことにする。また、今日は朝からラス・ベンタス闘牛場に並んだので何も進んでいない。セビージャの21日22日の分は、今は疲れているので一休みしてからか、明日になるだろう。ともあれ、今日並んだのでセサルが出る日は良い席で観れることになった。それだけで充分だし今日の仕事はこれで終わったと言っても過言じゃない。

 昨日は、セビージャは大雨が降ってセビージャ対バルセロナのサッカーの試合は中止になった。闘牛も5頭目までやったが6頭目は中止になったようだ。下山さんはあまりに凄い雨で、途中で出てきて食事したようだが、ヒョウまで降ったようでとても帰る状態じゃなく、もう1度店に戻ってそれから出ても、雨が凄く、膝まで水につかってバスに乗って帰ったようだ。風邪をひいていなければ良いけど。

 23日の結果。 セビージャ。ヘスリン、ファンディ、セラフィン・マリン、耳なし。 サラゴザ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、メンドーサ、耳1枚。闘牛士、モランテ、耳なし。見習い闘牛士、カジェタノ・オルドニェス、耳1枚。 テルエル。パウリタ、耳1枚、耳2枚。 バレンシア・デ・ドン・ファン。コルドベス、耳1枚。オルドニェス、モレニート・デ・アランダ、耳2枚。 サン・クレメンテ。ミックス闘牛。闘牛士、セルヒオ・マルティネス、耳なし。ホセ・マヌエル・プリエト、耳1枚、耳2枚。アンドレス・パラシオス、耳なし。騎馬闘牛士、マリアノ・ロホ、耳2枚。


 4月25日(火) 晴れ 10139

 日曜日のことを少し書いておこう。闘牛はKadoyanと一緒に観て、終わったあと、Kadoyanのセッティングで、奥さんと、三木田さんと大橋君と5人で食事した。中華に行った。奥さんが仕事を辞めたことを知り、大橋君がコシネロの仕事に就いている事を本人の口から訊いた。その時、荻内先生の他に、寿美さん、Kadoyanがいたというのもビックリだった。彼は今、観光ビザで入っているので、今後どうするのか悩んでいるようだった。5月の中旬にはビザが切れるので、その前にバレンシアで語学の試験があり、それが終わって日本に帰りどういう申請をしてビザを取るのが良いのかと、今後のことを考えていた。

 Kadoyanは、5月3日に帰国するという。2日のゴヤ闘牛を最後に観たいと言っていた。サン・イシドロが観れないのを残念がっていた。せめて5月まで入れれば良かったのに・・・。奥さんは明るく元気そうだった。三木田さんは相変わらず忙しそうにしているようだ。この日の夕食は僕を囲んだ物と言うより、大橋君の壮行会的な部分が大きかった。Kadoyanとは、2日までに3回闘牛が観れるのでそれまでに何回か話が出来るだろう。三木田さんとは、闘牛場で何回か会うことが出来るだろうし・・・。

 昨日の疲れが未だ抜けない状態だ。5月2日の切符を買ったつもりが、実は6月2日だったのでそれをあるルートで戻した。アナスタシアさんは焦っていたが、ビクトリーノの日なので焦る必要はないと思っていた。今日は、カナル・スールTV中継がある。ネットでも観れるだろう。また夜中バスでセビージャへ向かう。


 4月27日(木) 晴れ 29404/2

 未だ1日行くが、今年のセビージャは最悪だった。セサルの引いた牛はことごとくダメ牛ばかりでやりようがない。何のために行っているのか訳が分からない。それでも、セサルが観れるのだから良いのだが・・・。エル・シドはファエナは良かった。剣刺しの時の牛の置き方は上手くなっているが、しかし、剣刺しの時に、体が初めから外に逃げるように刺しに行っている。あれじゃ、クーロ・ロメロ状態だ。どうしたんだろうと思ってしまった。逆に、セバスティアン・カステージャは去年より良いようだ。それとセサル・ヒメネスも良い。この2人がサン・イシドロで注目だ。

 とはいえ、サン・イシドロでは、セビージャで活躍しなかった闘牛士の方が活躍することが多い。所で昨日、パティオ・デ・クアドリージャでホセリートに会った。少し痩せた。そして何よりもこの1年で凄く老けた。顔のシワが増えた。あれから15年も経っているんだよなぁ。あんなに笑顔を見せていると、もう闘牛士じゃなくなったんだと思わざるを得ない。僕には悲しい笑顔に映った。

 下山さんとの待ち合わせまでの時間つぶしに、NHK、知るを楽しむシリーズの私のこだわり人物伝、美輪明宏の語る『寺山修司』を読んだ。最終週で、寺山と夫婦だった九条今日子との対談がある。その中で九条今日子が今戸籍上寺山修司の妹と言うことになっていることを知って、涙が出てきた。「あの子の為ならいつだって死ねます」と言っていた母はつに、離婚後も劇団の仕事をしている今日子に、寺山修司が死んだあと、著作権を守って欲しいと口説かれて、戸籍上の妹になったのだという。凄いことだなぁと感激した。彼女はその中で、寺山に出会って死ぬまで23年、死んでから23年、46年間も寺山と関わっているんですと。

 TAKEさんのブログのタイトルに最近、身すつるほどの国ありや、と言うのが書かれてあったが、寺山修司の本は20歳の頃、何十冊も読んだ。詩集もそうだ。だから戦後アメリカが敷いた見せかけの民主主義体制の中で、55年体制に反発した全共闘、全学連の学生運動や、労働争議の時代に、こういう国家に身を捧げ捨てるほどの価値がないと詠んだ寺山修司の心情は感覚的に実によく判った。野坂昭如の、心情三派と言う言葉もそうである。

 反体制から多くの文化を生み出すという現象を起こした60年代。僕はそういう文化が好きだった。音楽も映画も芝居も小説も・・・。

 ベネフィセンシアのソルのバレラが手に入った。29日のセビージャはまた日帰り。と、言っても翌朝マドリードに到着してそのままフェリア・デ・コムニダを見続けることになる。

 24日の結果。 セビージャ。フィニート、罵声。モランテ、口笛。サルバドール・ベガ、耳なし。

 25日の結果。 セビージャ。ポンセ、耳1枚。オルドニェス、エル・シド、耳なし。

 26日の結果。 セビージャ。セサル・リンコン、耳なし。セサル・ヒメネス、耳1枚。マティアス・テヘラ、耳なし。


 4月28日(金) 晴れ 5904

 セビージャで買い忘れてきた物があって29日に行ったときに買おうと思っていた。が、考えてみたら29日から5月1日までスペインは休日。マドリードは2日も休みなので4連休。と、言うことは29日に行っても買えないってことかと、焦っている。最悪バスに乗ってまたセビージャに買い物に行かなければならないだろう。

 この前、大橋君とメトロに乗って帰ってくるときベンチに座っていたら、警備員2人が罵声を飛ばしながら客を追いかけてきた。そして、警棒を手でパンパン叩きながら無理矢理2人の客を連れて行った。隣に座っていた男ももう1人のメトロの職員に声を掛けられ警備員に連れて行かれた。3人とも南米人のようなインディオ系の顔をしていた。どうやら、切符を入れずに入ってきた人たちのようだった。あのテロ以来、マドリードでは、うるさくなったという。昼は一杯人が通るから夜の方が、ああやって連れて行かれる確率が高いと大橋君が言っていた。でも、あんな高圧的な態度で体押されて無理矢理のやり方には、南米人に対する白人の差別意識が丸見えのようで嫌な感じがした。

 今日だってバスの切符を買いに行ったときに、メトロに警備員3人と口輪をしたシェパードがいた。セルカニアも接続している所で通勤客が一杯通る。当然、貧しい南米系の人たちも多いのだ。泥棒がいなくなり治安が良くなることは良いことだ。それはちゃんと取り締まるべきなのだ。でも、一般市民に対してああいうのはちょっとおかしいと思う。フランスなどで駅などにマシンガンを持った軍人がいるが、あれはテロリストに対する威嚇や抑止が働くだろうと思う。が、スペインのこれは、市民に対する威嚇や抑止のような印象を持った。

 27日の結果。 セビージャ。ミウラ、エドゥアルド・ガジョ、エル・カペア、耳なし。


 4月29日(土) 晴れ 8280

 これからセビージャへ行く。時間がないので観戦記だけではなく日記もかけない状態になった。昨日2年ぶりくらいに米ちゃんからメールが来た。7月11日サン・セバスティアンでディランの無料コンサートがあるという物だった。これは行きたいと思ったが行っても入れないような気がする。それでネットでディランの調べ物をしていたら、とてつもないサイトを発見した。ブートレックは判らないけど、世界各国で発売されたディランの公式レコード、CDなどを網羅した物だった。こういうHPを作る人間を心から尊敬する。俺も仕事の合間にこういう趣味のことを極めたHPとかそういうのを作りたい。

 他の人から見ればこのHPこそそういうのだろうと思うだろうが、ちょっと違うのだ。これからセビージャにお客さんを連れて闘牛を観に行く。準備は完了。

 28日の結果。 セビージャ。ハビエル・コンデ、罵声、口笛。ファンディ、耳なし。サルバドール・コルテス、耳4枚。プエルタ・デル・プリンシペ。


 4月30日(日) 晴れ 11410

 セビージャから朝到着。帰って来て天皇賞の結果がネットに乗るのを待って寝た。やっぱり、ディープインパクトが勝ち2着はリンカーンだった。セビージャの闘牛観戦は、成功だった。話は約1時間。始めにDVDで闘牛を見せて闘牛の説明をした。大事なのは牛の角間で牛を誘って技を繰り出すことを伝えた。何故そうしなければならないかというと、牛の目に位置に言があるから。DVDのコヒーダ・シーンには大声を上げてビックリしていた。説明の途中に眠っている人もいたが、歩いて闘牛場へ。闘牛が始まるとみんな集中して観ていた。いつものようにメモを取って観ていたが、何度も質問された。終わったあとに、メモを取っていたのでもっと質問したかったけど、タイミングを観て質問しましたと言われた。

 牛も利き角の話や足の善し悪し、交換した牛の理由、バンデリージャを打つときに三角形で牛を囲んでサポート態勢を取っていることなど様々なことを説明したが、それはあくまで一部だ。でも、2頭目の牛でアントニオ・バレラが良いファエナをすると、それまで闘牛なんてどうでも良い、残酷だ、血なんか見たくないと思っていた人が、「イヤー、闘牛士って格好良いですね。観なきゃ判らないですね」と闘牛の魅力が判って様だった。そして、闘牛で重要な物が牛。良い牛が出なければ良い闘牛が観れないと言うことも同時に判ったようだった。血統を繋ぐために地味だけど牧場経営というのも非常に重要なことを伝えた。牛が主役の闘牛だ。神であるから殺し、そして、この血統を維持し改良、繁栄させるために牧場で繁殖する。

 終わってからスパゲッティをお腹一杯食べた。食事は、色々な話をして盛り上がった。パン屋の経営者がいたが、その人が、いやー色んな人間がいるだなぁとビックリしているのか感心しているのか・・・。


 5月1日(月) 晴れ 7650

 今昨日の観戦記を書いていたら一馬からメールが来た。

 「訃報です。先週初、石井進吾が逝去しました。
脳幹出血で倒れICUに運ばれた後、そのまま鬼籍に入りました。
まだ60前。競馬予想という人生の表現手段を奪われ
晩年は廃人のような日々を過ごしていたとか。清水成駿が
競馬予想サイトを立ち上げ、もう一華、石井さんに咲いてもらおうと
尽力していた矢先のこと。失意のうちの、途上の死でした。

世代交代という理由で本紙を降ろされた後「カネはいらねぇ。
もう一度だけ俺に最後の死に場所をくれ」と叫びながら
痛飲しクダ巻いてた日が思い出されます。

競馬の予想という唯一無二の芸を除けば、ただの大酒呑み
説教をタレ流す手に負えないチンピラでした。
競馬予想をするためだけに世に現れた
真の「予想バカ」だったと思います。」

 競馬を始めたのは、Sという友人がいたからだった。そして、2人で競馬予想を毎週金土とやったのは、競馬新聞、『一馬』で清水成駿と石井進吾の予想を検討材料にすることが多かった。この2人の予想の根拠を探したりラジオ中継を訊いたりして毎週競馬場に通った物だ。石井進吾の鬼のように冷静な予想は、大川慶次郎の予想より俺の取ってはずっと上だった。あとで知ったことだが、石井進吾は殆ど馬券を買わない人だった。だから、身を削るようにして競馬と正面から向き合って予想できたのだと思う。

 何だか凄く悲しい気分だ。涙が出てきた。そして、「カネはいらねぇ。もう一度だけ俺に最後の死に場所をくれ」と、石井進吾が叫んでいたときに、ちゃんと清水成駿が動いていたのが、また泣ける。俺はこういうどうしようもない馬鹿な男たちが無性に好きだ。一馬、連絡ありがとう!俺も改めて真剣に生きる気力が沸いてきた。自分自身に向かって、「クルサードしろよ」と叫びたくなった。

 30日モラ・デ・トレドで、フィニート・デ・コルドバが、エルマノス・サンペドロ牧場の牛をインドゥルトした。

 30日の結果。 マドリード。ルギジャーノ、クーロ・ディアス、イバン・ガルシア、耳なし。 セビージャ。フンディ、パディージャ、耳1枚。バルベルデ、耳1枚。コヒーダ。 バルセロナ。 モラ・デ・トレド。フィニート、耳1枚、シンボルとしての耳2枚と尻尾1つ。エウヘニオ、耳4枚。ファンディ、耳1枚が2回。 トゥルヒージョ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、メンドーサ、耳2枚。闘牛士、ポンセ、耳3枚。オルドニェス、耳1枚ともう1枚要求。 SAINT MARTIN DE CRAU(フランス)。ラモス、耳なし。ラファエリジョ、場内1周、耳1枚。サンチェス・バラ、場内1周。

 アルカニス。エンカボ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。アベジャン、耳1枚、耳2枚。モレニート・デ・アランダ、耳4枚。 ナバルモラレス。ゴメス・エスコリアル、耳なし。イバン・ビセンテ、耳1枚。セラニト、耳1枚、耳2枚。 エルダ。エル・レンコ、耳1枚が2回。フランシスコ・ホセ・パラソン、耳2枚。エウヘニオ・ペレス、耳1枚が2回。 アバニジャ。ヘスリン、耳1枚が2回。バレラ、耳なし。ビクトル・プエルト、耳2枚と尻尾要求、耳1枚。 トレカンポ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ヘラルド・トゥルエバ、耳1枚。闘牛士、モレノ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。アレハンドロ・カストロ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。マノロ・マルティネス、耳2枚、耳1枚。 ラス・メサス。リカルド・トレス、耳2枚と尻尾1つ。ピニエダ、耳2枚、耳1枚。アンドレス・レブエルタ、耳2枚、耳1枚。


 5月2日(火) 晴れのち曇り 3947

 今日は、コムニダ・デ・マドリードの日で休日。1808年5月2日、ゴヤの絵にもあるナポレオンのマドリード侵攻に対して市民が蜂起した日を記念している。そして、ゴヤ闘牛の日でもある。エル・コルテ・イングレスは閉まっている。食材を買っていないので、外で買って食べることにする。

 昨日もKadoyanと闘牛を一緒に観た。一昨日より牛が良いのに、殆ど何も出来ない見習い闘牛士たち。非道いもんだ。おそらくこのまま行くと、今年は見習い闘牛士は観戦記を書くことはないだろうと思った。やり方を知らない、練習もしていないようだし、勿論、牛の扱い方なんて言うレベルに来ていない。Kadoyanは、最後のマドリードの夜を嫁さんと楽しむために帰って行った。今度いつ闘牛が観れるだろうと言ってスペインを明日離れる。メトロで番長と会った。1年ぶりの挨拶をして、「つまらなかったぁー」とポツリと番長が言った。思わず笑ってしまった。車中は、闘牛の話をして別れた。最後はいつものように、「じゃ、また、闘牛場で」

 男はこれで良いのだ。余計なことは言わない。石井進吾と清水成駿だってそうだったに違いない。言わなくったって大雑把に判っていればそれで良いのだ。女みたいに、クチュクチュしないのだ。くだらい事を一々言う女は、ニッコリ笑って無視しよう。そうなれたら男も本物だ。

 日本では、地震が起こっているようだ。でかい地震にならなければいいが・・・。

 1日アグアカリエンテ(メキシコ)で、ソトルコがベゴニャ牧場の“フィグラ”という名の牛(NO56、477キロ)をインドゥルトした。そして、セサル・リンコンも耳3枚取った。悪い牛から耳2枚取ったのも良いことだ。

 1日の結果。 セビージャ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、メンドーサ、耳なし。闘牛士、マンサナレス、場内1周。見習い闘牛士、カジェタノ・オルドニェス、耳1枚が2回。 オンダ。ヘスリン、耳1枚、耳2枚。パコ・ラモス、耳2枚。ファン・アビラ、耳1枚が2回。 モラルサルサル。ラファエリジョ、耳2枚、耳1枚。ファン・バウティスタ、耳2枚。イバン・ビセンテ、場内1周が2回。 コルメナール・デ・オレハ。エンカボ、耳なし。フェレーラ、耳2枚、耳1枚。ゲリータ・チィコ、耳なし。 スフレ。ルイス・デ・パウロバ、耳2枚。リカルド・トレス、耳2枚、耳1枚。フェルナンド・ピネダ、場内1周、耳2枚。 ロミンチャール。ミックス闘牛。闘牛士、ゴメス・エスコリアル、耳1枚。見習い闘牛士、ホセ・マリア・ラサロ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。 ビジャロブレド。ハビエル・コンデ、耳1枚。マノロ・アマドール、耳2枚。セサル・ヒメネス、耳2枚、耳1枚。 PALAVAS(フランス)。サンチェス・バラ、耳1枚、場内1周。マヌエル・エスクリバノ、耳1枚が2回。フリエン・ミレット、耳2枚。 アグアカリエンテ(メキシコ)。ホルヘ・グティエレス、耳1枚 。セサル・リンコン、耳2枚、耳1枚。ソトルコ、インドゥルト。


 5月3日(水) 小雨 6505

 今年のラス・ベンタス闘牛場の主要なポストに就いている人たちのリストがプログラムに載っている。プレシデンテは4人。マヌエル・ムニョス・インファンテ、セサル・ゴメス・ロドリゲス、フリオ・マルティネス・モレノ、トゥリニダ・ロペス・パストル・エクシポシト。プレシデンテ補佐が4人。ちょっと入れ替えがある。獣医が、15人。医師団が合計で11人などとなっている。マジョアルは、勿論、フロリート。医師団などは変わっていないようだ。

 そして、プログラムの最後のページにレグラメント(闘牛規定)が日本語でも書かれている。以下引用。

 「闘牛観戦に関する規則

 第2章 観客の権利と義務
第33条

7. 闘牛観戦客は慣例の外面化行為(白いハンカチを振る)によって、演技を終えた闘牛士に対する戦利品を要求することができる。

第34条

1. 闘牛観戦客は、一頭の牛に対する各種の戦いが行われている間は、その席から立ってはならない。この期間、階段や廊下に居る事ができるのは警備員と運営組織職員のみである。販売員もこの期間は一切販売行為をしてはならない。

2. 闘牛観戦客は、一頭の牛に対する各種の戦いが行われている間は、席への入場および席からの退場をすることはできない。

3. アルモアディーリァ(座席用ざぶとん)やいかなる種類のものを投げ込む事も厳重に禁じられている。もしこれを犯した場合に観戦客は、規則違反による罰金を科されるだけでなく、即刻退場を命じられることとなる。 」

 ガイドがお客さんに普段説明している当たり前の事ではあるが、これを、スペイン語、英語、日本語で書かれているのは、良い事である。こう言う事が分からない人は、意外とスペイン人でも多いのだ。

 休みが明け、市場やコルテも開いた。豆腐を買ってきたので、麻婆豆腐を作ろうと思っている。材料は、鷹の爪、ネギ、セタ、豚肉なので簡易的な物しかできない。これをオリーブ・オイルで炒めるのだ。それでも、豆腐が食えるのが嬉しい。

 2日の結果。 マドリード。ペピン・リリア、耳なし。コヒーダされ肋骨骨折。10日から20日の怪我。エンカボ、口笛。ロブレニョ、耳なし。


 5月4日(木) 曇りのち雨 6715

 例えば、1つの疑問を持つ。それが全てではないが、物事を理解する手がかりになるのは確かだ。今闘牛を観ていて、右角が短いとか、左角が短いとかと言うのが判る。では、ホセ・トマスが闘牛をやっていた頃、そういうのが自分の中で判っていたかというと疑問だ。だからこそ、今、ホセ・トマスの闘牛が観たいと思うのだ。あの当時、ホセ・トマスは神のようだった。それほど物凄い闘牛をしていた。が、その全てで角を間違えることなく闘牛をやっていたのだろうか?そういう疑問が今ふと脳裏をかすめたのだ。

 僕が闘牛を観て最高と思う闘牛士は、セサル・リンコンとホセ・トマスだ。その次にオルテガ・カノとホセリートがいる。この前、セビージャで角を間違えたセサル。それを観ていて、果たしてホセ・トマスはどうだったんだろうかという疑問が沸いたのだ。最高の闘牛士であるセサル・リンコンがそうなのだから、ホセ・トマスでも角を間違えることがあったような気がする。何故なら人間なのだから。

 昨日の夜、バレンシアが負けバルセロナが勝って、バルセロナの2年連続のリーグ優勝が決まった。去年はKadoyanの部屋でバルセロナの優勝を観たが、そのKadoyanは、もう日本に帰った。


 5月5日(金) 晴れのち曇り時々雨 7051

 2日の闘牛が終わったあと、天気が悪く、肌寒い。もしこんな天気で闘牛をやったら2時間寒いだろうなと思う。昨日はご飯を作り、今日はミートソースを作った。少なくても2日は材料を買ってきて料理をしなくても良いだろう。

 昨日出していたフィルムを取ってきた。ちらっと観たがいくつか紙に焼きたい物があった。意外と闘牛やっている写真には、撮っているときの思いと、出来上がりには差異がある。俺ってこんなに下手だっけとも思ったが、やっぱり、1年ぶりに撮っているから腕がなまっているのだ。もっと良い写真を撮っているつもりなのにねぇ。

 世阿弥ではないが離見の見。こんな心境にいつもなりたい物だ。「見所より見る風姿は、我が離見なり。然れば、我が眼の見る所は、我見なり。離見の見にはあらず、離見の見にて見る所は、則、見所同心の見なり。」、と。

 マルカシェンクが復帰する京都新聞杯。勝たなければならないレースなんだけど。NHK・マイル・カップは、フサイチリシャールがおそらく1番人気になるだろうけど、果たして勝てるのだろうか?と、疑問を感じている。今年は牝馬の参戦はないようだ。

 4日アグアカリエンテ(メキシコ)でフェルナンド・オチョアが、ハラル・デ・ペーニャス牧場の“ランタノ”という名の牛(NO159、485キロ)をインドゥルトした。

 4日の結果。 アグアカリエンテ(メキシコ)。フェルナンド・オチョア、耳1枚、インドゥルト。アントニオ・バレラ、ファビオ・バルバ、耳なし。オマル・ビジャセノル、耳1枚。


 5月6日(土) 曇り時々晴れ 6786

 この前、昼食を作っていたら、同じピソのM君をサッカーの話になった。何、昨日の試合。3−0まではよかったけど、2点入れられて。非道い試合だった。でも、ジダンのトラップは凄いね。と、言ったら、トラップに目を付けるなんて凄いですね。と言うから、俺もサッカーやってたからと、言った。どんなときでも、ピタッと止まるでしょう。あれが凄い。なかなか出来ない、と言う。その通りだと思う。ジタンが観たかったけど、7日も闘牛だから結局観れない。今まで、観たいと思った選手は、ジーコと、ジタンと、ストイコビッチかな。と言うと、僕は東京で働いていたとき、毎週名古屋との往復をしましたよ。ピクシーを観るために!

 そんな話をしていたら、DVDを持っているから貸しますよ。闘牛の間に観てください、と。それを昨日借りた。ストイコビッチと、ジタンと、バッジョの3つ。そして、朝、ストイコビッチを観た。感動的だった。日本人にサッカーのテクニックと楽しさと凄さを教えてくれた。彼は、日本で、名将、ベンゲルと出会う。彼は今、アーセナルの監督。今度、チャンピオン・リーグの決勝でバルセロナと戦う。ストイコビッチが、日本に来ずに、ヨーロッパでプレーを続けていたら、色々な賞や名声を手に入れることが出来ただろう。そのことは、おそらく、ベンゲルも判っているはずだ。これだけの選手は、なかなか出てこない。

 今は、バルセロナのロナウジーニョが世界最高の選手だが、ヨーロッパに居たらそういう選手に選ばれただろうと思う。ストイコビッチは、インタビューの中で、サッカーで重要な物は、才能だと言っている。練習をして色々覚えること出来るが、プロの世界で際だつことが出来るのは、才能とテクニックだと言っていた。また、子どもに対して何を与えれるかと言う質問に、やはり愛情しかないだろう。それに対して、成績とか生活態度で応えてくれる。でも、子供の笑顔が1番の宝物だ。たっぷり愛情を注いであげたいしそれこそが理想の家族像だ。と言っていた。つまり、それが人間に取って最も重要な事である。愛を知らない人間は、自分のことも大事にしないし、勿論、他人のことも大事に出来ないのだから。ありがとう、ストイコビッチ!

 ストイコビッチは、サッカーの世界の天才の1人。誰にも、代え難い存在の1人。そういう選手を7年間も日本で観れたことを幸せに思う。闘牛にもこういう天才が居るが、本当に数えるほどだ。実際に闘牛場で目撃できた天才は、セサル・リンコンと、ホセ・トマスと、ホセリート。あと、ミゲル・アンヘル・ペレラが天才に近いと思う。あと、居たかなぁ?

 切符も取りに行き、もうすっかりサン・イシドロの準備が出来た。これから昼食を取って、シャワーを浴びて闘牛を観に行く。スペインに来て2回目のテンディド・セロを観た。セビージャでの、マンサナレスの引退闘牛をやっていた。どうでも良い。偉大な闘牛士であるかもしてないが、1度として感動も、凄いなぁとも思ったことがない闘牛士だった。1つも勉強にならなかった。ただ1つだけ印象に残っていることがある。92年セビージャで彼の有名なバンデリジェーロのマヌエル・モントリューが牛の角に心臓を一突きされて死んだあと、闘牛場へ来ても全く笑わなかったし、ホセリートみたいにカピージャに入らなかった事だ。あの時の顔は忘れられない。

 5日の結果。 アグアカリエンテ(メキシコ)。エロイ・カバソス、耳1枚、耳2枚。セサル・リンコン、アレハンドロ・アマジャ、耳1枚。


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