断腸亭日常日記 2005年 その4

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年のスペイン滞在日記です。

99年4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日 6月7日〜6月10日 2000年4月20日〜4月29日
5月1日〜5月14日 5月15日〜5月31日 6月1日〜6月15日 6月16日〜6月29日
2001年4月19日〜5月3日 5月4日〜5月17日 5月18日〜5月31日 6月1日〜6月11日
6月12日〜6月22日 2002年4月16日から4月30日 5月1日〜5月15日 5月16〜5月31日
6月1日〜6月13日 2003年4月16日〜5月24日 5月25日〜6月10日 6月12日〜6月26日
2004年4月14日〜5月7日 5月8日〜5月31日 6月1日〜6月17日 2005年1月1日〜1月28日
1月29日〜2月25日 2月26日〜3月30日 3月31日〜4月24日 4月25日〜5月22日
5月23日〜6月16日 6月19日〜7月28日

 7月29日(金)

 昨日は山田風太郎の命日だった。その日鹿島アントラーズがマンチェスター・ユナイテッドに2-1で勝った。

 また続きで、何故、アメリカの神話学者ジョーゼフ・キャンベルが重要か?以下引用。

キャンベル この物語は、大きな部族のためにどうやって食べ物を探すかという問題から生まれています。冬用の肉を確保するひとつの手段は、バッファローの群れを岩山の崖っぷちに追い込み、バッファローたちが勢い余って崖下に転落したあと、やすやすと殺すことです。これは「バッファロー落とし」として知られています。
 これはずっと昔、バッファローを崖から追い落とすことができなかったブラックフットの一部族の物語です。バッファローは崖っぷちに近づくのですが、そこでぐるっと向きを変えてします。尾かげてその部族は、冬を越すのに必要な肉が手に入らぬ心配が出てきた。
 ある日、ひとりの娘が朝早く起きて家族のために水汲みに出かけ、なにげなく崖を見上げると、そこにバッファローの群れが見えたので、「ああ、もしそこから飛び降りてくれたら、あなたがたのだれかと結婚してあげるのに」と言った。
 言った本人がたまげたことに、バッファローはみんな飛び降り始めた。それが第一の驚異。第二の驚異は、年老いたバッファローの一頭、つまり群れのシャーマンがやってきて、「よかろう。娘よ、一緒に行こう」と言ったことです。
「とんでもない」と娘が言う。
「いや、それしかない」とバッファローは言う。「お前は約束したんだ。わしらは自分らの約束を守ってきた。わしの身内を見ろ。みんな死んだ。さあ、いっしょに行くんだ」
 一方、娘の家族が起き出して、あたりを見回す。ミネハハはどこに行った?父親は地面をあちこち調べます。インディアンのことは知ってますね。足跡でわかるんですよ。で、その父親が、「ミネハハはバッファローといっしょに行った。私が連れ戻しに行く」と言う。
 父親はモカシンをはき、弓矢などをたずさえて草原に出かける。かなり歩いたところで、この辺で座って休んだほうがいい、と思う。そこで草原に座り、次にどうしたらいいか考えていると、そこにカササギが飛んでくる。シャーマン的な素質を持った賢い鳥です。
モイヤーズ 魔術的な能力を持った?
キャンベル そう。で、インディアンはそのカササギに、「ああ、美しい鳥よ。私の娘はバッファローといっしょに駆け落ちしたのでしょうか。娘を見かけませんでしたか?あたり一帯に狩りに出かけて、どこかの草原に娘がいないかどうか、探してくれませんか」と頼む。
 するとカササギは言う、「ええ、たったいま、ほんの少し先のあそこに、バッファローといっしょにいるきれいな娘さんが見えましたよ」
「それなら」と男は言う、「娘のところに行って、お前の父親はそこのバッファローの遊び場(沼地の近くで、バッファローがごろごろ転げ回るところ)にいる、と伝えてもらいたいんですが」
 そこでカササギは飛んで行って、バッファローの群れのなかにいう娘を見つける。バッファローはみんな眠っており、娘は編み物かなにかをしている。カササギは近づいて言う、「お父さんはあそこの遊び場でおまえを待っているよ」
「まあ、こわい」と娘が言う、「とっても危険だわ。このバッファローたちがお父さんを食い殺してしまうから。待ってるように言って。いまに行くからなんとか解決するように工夫してみるわ」
 さて、娘の夫になったバッファローがすぐうしろにいた。彼は起き上がると、頭から角をはずして、「遊び場に行って、水を一杯汲んできてくれ」と言う。
 娘が角を受け取って遊び場に行くと、そこに父親がいる。父親は娘の腕をつかんで、「さあ、来るんだ」と言う。
 けれども娘は、「だめよ、だめだめ!ほんとに危ないんだから。群れが総がかりで追ってくるわ。なにか方法を考えなくては。とにかく、いまあそこに帰らせて」と答える。
 こうして、娘は水を汲んで戻る。するとバッファローは、「うっひっひ、インディアンの血の臭いがするぞ」と、なあそんなことを言うんです。すると娘が、「いえいえ、そんなことないわ」と言う。すると夫は、「いや、そうに違いない!」と言って、バッファロー特有のうなり声を発して、あらゆるバッファローが起き上がる。みんな尻尾を上げて、ゆっくりしたテンポのバッファロー・ダンスを踊ったあと、出かけて、その哀れな男をさんざん踏みつけて殺したものだから、男はすっかり姿を消してしまう。こなごなに砕けたあげく、吹っ飛んでしまった。娘はさめざめと泣いている。夫のバッファローが「おまえ、泣いているんだな」とたずねる。
「そうよ」と娘は言う。「あれは私のお父さんだったんですもの」
「そうか」とバッファローは言う。「しかし、わしらはどうだ?あそこには、あの崖の下にはわしらの子どもがおる、わしらの妻が、親たちが・・・・・・。だのに、お前は父親のために泣くのか?」。それでも、彼は同情心の深いバッファローだとみえて、「よし、もしあまえが父親を生き返らせたら、おまえを自由にしてやろう」と言った。
 そのあと、娘はカササギに向かって、「お願いですから、そのあたりを探し回って、お父さんの体のほんの一部、ほんの小さな骨片を見つけてくる。すると娘は、「それだけあればたくさん」と言い、その骨を地上に置き、自分の毛布をその上に掛け、よみがえりの歌を歌う。大変な力を持った魔法の歌です。するとまのなくーーそう、毛布の下に男の姿が現れる。娘はそれを見て、「ほうとにお父さんだ!」と叫ぶが、男はまだ息をしていない。娘がーーどんな歌か知りませんがーーもう二、三節歌うと、男は立ち上がりました。
 バッファローたちは感心して、「これはこれは。わしらのためにもそれをしてくまいか。わしらはあんたにバッファロー・ダンスを教えよう。これからは、あんたがたがわしらの家族を殺したら、そのダンスを踊り、その歌を歌っておくれ。そうしたら、わしらはみんな生き返るだろう」
 それが基本的な理念です。つまり、儀式によって、時間を超越した次元に到達できる。生命がそこから出てそこに戻るような次元です。
モイヤーズ 百年前、白人たちがやってきてこの尊い動物を虐殺しましたね。あのときなにが起きたのでしょう?
キャンベル あれは暴力的な神聖冒涜でした。十九世紀初頭にジョージ・キャトリンが描いた西部大平原の絵の多くには、一面に文字通り何十万頭ものバッファローが描かれている。ところが次の半世紀のあいだに、連発銃を持った開拓者たちがバッファローの群れを皆殺しにし始めた。皮を取って売るためで、体はそのまま捨てて腐るに任せた。それは神聖冒涜ですよ。
モイヤーズ そのために、バッファローは「あなた(thou)から・・・・・
キャンベル ・・・・・・「それ(it)」になってしまった。
モイヤーズ インディアンたちは敬意を込めて「あなた」と呼びかけていたのに。
キャンベル インディアンは命あるあらゆるものを「あなた」と呼んでいました。木々も、石も、あらゆるものを。どんなものでも「あなた」と呼ぶことができる。そして、そう呼んだとき、自分の心に変化が生じているのを感じることができる。「あなた」を見るエゴと、「それ」を見るエゴとは決して同じではないんですね。かりに私たちが戦争を始めたとします。その時の新聞の問題点は、相手の人々を「それら」にしてしまうことです。
モイヤーズ それは結婚生活でも起こるんじゃないでしょうか。子どもに関しても、そういうことが起こっているんでしょうね。
キャンベル ときどき「あなた」が「それ」になり、ほんとうの関係が見えなくなっていますね。動物に対するインディアンの関係は、動物に対する私たちの関係と対照的です。私たちは動物を、より低い生物と見なしています。聖書には、私たち人間が支配者だと書いてあります。さっきも言ったように、狩猟民族のあいだでは、動物はいろいろな意味で人間よりもまさっています。あるポーニー・インディアンからこう言われたことがありますーー「万物の始まりにおいて、知恵と知識は動物と共にあった。創造神ティラワ、つまり<天上の一者>は、人間に直接語りかけることはなく、ある種の動物を遣わし、『私は動物を通して自分を表す』むねを人類に告げさせた。だから、人間はそれを動物から、そして、星や太陽や月からも、学ばなくてはならない」と。
モイヤーズ すると、われわれの知る限り、神話的な想像力、物事の驚異を認める精神が胎動し始めたのはこの時代、狩猟時代ですね?
キャンベル そうです。立派な幻術作品がまたそれに必要な神秘的想像力が充分に発揮されたという証拠が、どっと表れるのです。」 ーー『神話の力』 ジョーゼフ・キャンベル+ビル・モイヤーズ著よりーー


 7月31日(日)

 DVDが故障してドライブがおかしいのだろうと言うことでメーカーからバージョン・アップのCDを送って貰ったがそのCDが認識できない。音楽CDは聴けるのに。修理に出さなければならないのでまたTELして訊いたら代わりのDVDレコーダーを修理期間貸してくれるという。来週修理に出そうと思う。

 明日NHKBSハイビジョンで山田風太郎の日記を放送する。誰か録画できる人がいないかなぁ。2通メールを送った。

NHKのHPには、「山田風太郎が見た日本  未公開日記が語る戦後60年 8月1日(月) 後8:00〜9:50

忍法帖シリーズで知られる小説家・山田風太郎の日記が発見された。1950年から1993年に至る43年間の日記である。すでに「戦中派不戦日記」等が刊行されているが、今回発見された日記はその後の未公開のもの。特徴的なのは、廃墟から復興を遂げてゆく日本を見据える辛辣な眼であり、戦後数十年を経ても消えぬ戦争へのこだわりである。
大流行作家となってからも、「ある意志を持って」戦史を読み続け、その数は2年間で560冊を超えた。そして、「勝てるかも知れぬと思い込んで」戦争を始めた人々の責任を厳しく問い続けるのである。
山田風太郎は、戦後の日本をどのような想いで見つめたのだろうか。原体験の戦争が、その後どのような影響を及ぼしたのだろうか。初公開の日記をもとに山田風太郎が見つめた戦後日本を描く。

【朗読・出演】三国連太郎  」と書かれてある。


 8月1日(月)

 夏暑いのは当たり前。Mさんがいたときに嫌いだった扇風機を買った。そうしたら風のない日はやっぱり涼しい。山田風太郎の日記はNHKBSハイビジョンでやっているが見れない。残念で仕方ない。

 「キャンベル ジョイスの、次の偉大な作品『フィネガンズ・ウェイク』には、ある謎めいた数字がたびたび出てくる。一一三二が現れる。『「フィネガンズ・ウェイク」を開く親かぎ』を書いているとき、あらん限りの知識を動員にして考えました。「いったいこの一一三二って数字はなんだ。」そのうち、『ユリシーズ』に、レオポルド・ブルームがダブリン市内の通りを散策しているとき、とある塔から正午の合図にボールが落ちてきて、ブルームが、『物体落下の加速度の法則、毎秒三十二フィート(32 feet pet sec per sec)」と考えるところがあるのを思い出したんです。そこで考えた。32は墜落の数に違いない。そして11は、十というまとまりがまた新たに出直すときの数じゃなかろうか。一、二、三、四、五、六、七、八、九、十ときて、次は十一だ。また出発点から始める。『ユリシーズ』のなかには、ほかにもいろいろとヒントを与えてくれる個所があり、私はこんなふうに考えたんです。「そうか、ここにあるのは失墜の数である32と、救済の11なのかも知れない。罪と赦し、死と再生なのかも」と。『フィネガンズ・ウェイク』は、フェニックス・パークというダブリンにある大きな公園で起きた出来事にまつわる話です。フェニックスは、自分から火のなかで焼け死んではまたよみがえるという鳥です。そこで、フェニックス・パークはエデンの園ーー墜落が起こり、アダムの頭蓋の上の十字架が立てられた場所になる。<オー・フェニックス・クルパ>(「おお、フェニックスの罪人!」)とジョイスは言っています。すると、ここにあるのは死とあがないだ。これはかないいい線を行っている、と私は思いました。だから『親かぎ』にもそう書いたんです。
 ところがある晩、比較神話学の講義の準備をしているとき、パウロの「ローマの信徒への手紙」を読んでいるうちに、まるで『フィネガンズ・ウェイク』でジョイスが言ったことのすべてを要約しているかのような興味深い一節に出くわしました。パウロは、「神はすべての人を不服従の状態に閉じこめられましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです」と書いています。人は、神のあわれみが及ばないほどに不服従であることはできない。だから、やってごらん。ルターが言ったように、「大胆に罪を犯してみよ」ーーそしてどれほど大きなあわれみを神から求められるか見るがいい。極悪人であればあるほど、神は深いあわれみを抱く。この考えは、人生の倫理および価値における根本的なパラドックスです。
 そのとき私は、「なるほど、そうか。これこそジョイスがほんとに言いたいことなんだ」と思いました。そして、私のジョイス・ノートに「ローマの信徒への手紙、十一章三二節」と書きました。そのときの驚きを想像できますか?またあの数字が、一一三二が、なんと聖書のなかで出てきたんです!ジョイスはあのキリスト教徒の信仰のパラドックスを、彼の最高傑作のモットーにしたのです。彼はそこで、まさしく罪深い人間の生活や行動が、公私を問わずどんなに極悪非道なものであるかを、冷徹な筆で描いています。そこで彼はなにもかも語っているーー愛情を込めて。」 ーー『神話の力』 ジョーゼフ・キャンベル+ビル・モイヤーズ著よりーー

 こんな文章を読むと少なくてもジョーゼフ・キャンベルの、『「フィネガンズ・ウェイク」を開く親かぎ』を読みたくなる。が、この本は翻訳がされていないようだ。それならジェームス・ジョイスの、『フィネガンズ・ウェイク』を読むかというとちょっときつい気がする。結局、『フィネガンズ・ウェイク』の翻訳をやっている柳瀬尚紀著の、『フィネガン辛航紀―『フィネガンズ・ウェイク』を読むための本』を読んでからと言うことが1番良さそうだが、いつになることか。


 8月2日(火)

 物の見方というのは人それぞれによって違う。例えば日曜日に新潟競馬場で行われた関屋記念。優勝したサイドワインダーに騎乗した福永祐一は、。「上がりの速い流れになったけど、よく頑張ってくれた。この馬で重賞を勝ったのも初めてやし、新潟に来てよかった」と言ったが、師匠で調教師の北橋修二は、)。「復帰した当初から3回使ってここというのが目標。お天気もよかったし、外枠やったし…。やっと全ての条件が揃ったということ。状態さえ良ければ、これぐらいの脚を使う馬やしね」と白い歯をこぼす。愛弟子のユーイチに対しては「馬が勝手に走るようなところもあるから…」と相変わらずの辛口だが、「技術面よりも精神面で成長してると思う。だいぶ余裕が出てきたんと違うかな」と認めている。ーーサンスポよりの引用ーー

 また、4番人気のウインラディウスに騎乗した11着の完敗した田中勝春は、「ペースは速くなかったし、スムーズに折り合いもついた。デキはこの前より良かったと思うが、今回はメンバーが揃っていたからね」とコメントしたが、観戦記を書いている名ジョッキーで調教師の柴田政人は、「内にコースを通って窮屈な競馬をしていた。内からでは伸びない傾向にあり、コースを外に取っていたら結果も違っていたのではないか。」と書いている。

 どっちがどうという言い方があるのだろうが、読んできてサイドワインダーの方は、まあ福永洋一と親友だった調教師が親のように厳しく接しているのが判るし、ウインラディウスの方は、柴田政人のコメントの方に説得力がある。こう言うのは感覚的なこともあるが、客観的に見てそう思うのだ。ひとりよがりで自分勝手な思い込みでばかりやっていると周りの人間ともギクシャクして良い関係が築けないし自分自身も余計な損をする。

 昨日のジョーゼフ・キャンベルの、『「フィネガンズ・ウェイク」を開く親かぎ』の事でも学問的な物でも他人を説得してしまうから凄い。生きると言うことは、1人では生きられないからこういう事が重要だ。出来ない奴は、あいつは判っていないと相手にされなくなる。出来る人は、反対に良く判っていると周りが評価する。勝春の場合は、未だそういうのが足りない。だから良い仕事が出来ないのだ。もっと考えろよ!


 8月3日(水)

 物の感じ方は人それぞれによって違う。いくら客観的に物を見ようとしても、個々人によって感じ方が違うからだ。それを仕事するときに周りの人間と折り合いを付けてやっていくのは難しいが、接点を見つけられないと仕事が続けられない。仕事は、1人で出来ることでないことの方が多い。だからこそ人間関係が重要なのだ。僕は気性が激しい方だから、「馬鹿野郎!やってられるか」と思うことが良くあるし、いつでも辞める覚悟が出来ていると、言って過言じゃない。

 闘牛にでも、同じ物を見て何故これほど違う見方が出来るのか、その差異の大きさを感じるのはいつものことだ。その差異が大きくても、小さくても物の見方の基本的な部分が同じなら違和感をあまり感じないが、中心軸が全然違うと色んな事を考えながら話を聞かなければ、相手が言っていることが判らなくなる。昔、片山先生に、「斎藤君は、闘牛の話し相手が少ないでしょう」と言われたことがある。僕が観ている闘牛と他の人が観ている闘牛には大きな差異があるという意味で言っていたのだ。

 でも、それは仕方ない事だと思う。毎年サン・イシドロを観てラス・ベンタス闘牛場の観客の闘牛の見方を身に付けているのだからサン・イシドロを観ていない人や、サン・イシドロを知らない人とは当然闘牛の見方の差異が大きくなるのだから。だからといって僕が全面的に正しいとか、良いとかは言えないのだ。初心者の人でも、そういう物の見方があるのかと教えられることが多いからだ。物の見方が新鮮なだけ発見や驚きがストレートで面白いと感じることが多い。そういう反応が面白い。

 下山さんは今年僕に、「斎藤さんほど闘牛の見方が深い人はいない」と言った。そういわれるのは嬉しいのだけれどそのとき、でもラス・ベンタス闘牛場の観客にはもっと凄い人が沢山いると答えた。闘牛を見続けていなければ見えてこない重要なこともやっぱりあるのだ。


 8月4日(木)

 ねぶた、竿燈、さんさ踊りなど東北の祭りが始まっている。夏も本番だ。今日の東京は暑かった。今も部屋の温度は32度。クーラーなど使わない。俺の部屋は天然クーラーと今年買った扇風機だけ。扇風機だって弱で回している。そうしないとタバコの灰が飛ぶからだ。クーラーがあると体温調整がずれるが、天然クーラーだと肉体が勝手にやってくれるので体調が狂うことが少ない。それに夏ばてなどした記憶がないので極端に食欲がなくなることがない。クーラーを浴びると体が一気に冷えて頭が痛くなったり、色々弊害が出てくる。そして、暑いときに熱い物を食べる方が体に良い。勿論、そうめんやそばもつゆに入れて食べるのも美味しいけど。

 今日から、「米アップルコンピュータは4日、日本でもインターネットを使った音楽配信事業を同日、始めたと発表した。大手レコード会社の協力を得て当初配信する曲数は約100万曲、1曲当たりの価格は150〜200円。楽曲は専用ホームページからパソコンにダウンロード(取り込み)し、デジタル音楽プレーヤー「iPod」に転送して聴くことができる。デジタル音楽プレーヤーでシェア首位のアップルが参入することにより、音楽配信市場が日本でも本格化、音楽をインターネットで買う時代が始まる。」ーー毎日新聞よりーー

 これにより、国内の音楽配信業者は一斉に値下げを行った。これによって音楽業界は新たな展開を始めるだろう。CD売り上げだけがヒットの要因にはならなくなる時代が来るのだろう。


 8月5日(金)

 子どもたちが町に溢れ出した夏休み。NHKで安藤忠雄が自分が設計した建築物の生き生きと説明したいた。自然を感じれる建築物。子どもたちののために作った建築物である。

「児童館 「こどもの館」(兵庫県姫路市)
 「作って遊ぶ」をコンセプトに、子どもたちが自由に使える場所と道具だけを提供する大型児童館。
 自然に囲まれた広い施設の中で、自分で考え、遊びを見つけてほしいと安藤さんは考えています。

絵本美術館 「まどのそとの そのまたむこう」(福島県いわき市)
 太平洋をのぞむ高台にある絵本美術館。吹き抜け構造の建物の壁一面に絵本を表紙で展示しています。
 水平線の見える大きなガラス窓の側で、世界中の絵本を体験できます。

広い縁側のある幼稚園 (静岡県伊東市)
 幅6メートル、長さ60メートルもの広い縁側をそなえた幼稚園。
 風の匂いや季節の移り変わりを肌で感じながら子どもたちが過ごせる工夫です。」ーーNHKのホーム・ページよりーー

 自然の中で自由に育った子どもたちは、心が豊かになる。伸び伸びと育つ。その中で命の大切さを学び、家族の大事さを自然に解るようになる。安藤忠雄は言う。そういう中で育った子どもたちは勇気と愛を持っている子供になる、と言っていた。自分が今生活している環境。つまり、家族がいて自分がいる環境。自然に接することで命の大切さを知る。それが解っていれば、家族が大事なんだと言うことも自然に解るようになる。その中で、勇気が大切なことも解っていくというものだ。

 これは、おそらくすべてにおいて重要なことだと思う。7月26日から8月1日までジョーゼフ・キャンベルの言葉を長々と引用したがその中には同じ事が書かれてある。人間が生きていくために重要なことが書かれている。安藤忠雄も同じようなことを言っている。これを闘牛という限定した世界の話として語る場合も同じである。闘牛士には、普段の生活を支える、心を癒せる場所、家庭、家族が必要だ。これを大事に出来ない人間は良い闘牛が出来ない。命の大切さを知っているからこそ、一頭一頭の牛を大事に闘牛を出来るのだ。真剣だからこそ、牛の見極めが出来るようになる。この牛の最高の力を引き出すためには、今何をすればいいのか判断してそれを実践できない闘牛士は2流、3流の闘牛士になっていくのだ。当たり前のことを当たり前に丁寧に細心の注意をして行っていけば技は自然に1流まで辿り着けるのだ。が、これは簡単ではない。

 郵政民営化法案を巡って、政局が風雲急を告げてきた。賛成、反対の意思表示をしていなかった中曽根議員が反対を表明したことによって態度表明をしていなかった亀井派の議員が反対の意思表示を示し始めて自民党執行部も法案否決、解散総選挙になると言う情勢判断をせざるを得なくなってきた。面白くなってきた。

 プロジェクトRは、今日TELで話した。多分来週会って話し合いになるだろう。


 8月6日(土)

 広島に原爆が投下されてから60年。原爆投下で死亡した人は昭和20年8月末の時点で7万人以上を数え、今なお被爆者たちに放射線の影響を与え苦しめ続けている。被爆者の平均年齢は73歳になった。原爆を語り継ぐ活動は最近、若者に伝えていくという事で、若者の視点が取り入れられている。被爆者から被爆体験を訊いて、それを伝えるボランティアも若者たちが担い始めているという。また、今までは原爆写真集は、直視できないような悲惨な写真ばかりを載せていたものが、被爆後そこで生活する人達を納めた写真にコメントを載せてどうゆう状態だったかということを、手に取った人達に想像させるような編集の仕方になってきているという。これも若い人が編集に関わり始めたからだという。

 5日の結果。 アリカンテ。エスプラ、ペピン・リリア、耳1枚、耳2枚。セラフィン・マリン、耳要求。 ラ・コルーニャ。セサル・リンコン、ポンセ、耳1枚。カステージャ、耳2枚。 ビトリア。ヘスリン、コルドベス、耳1枚。オルドニェス、耳なし。


 8月7日(日)

 蚊に刺されたらどうするか?掻く、叩く、耐える。キンカンを塗る。最近はそうしている。シンボリルドルフを育てた和田共弘オーナーは、牧場でルドルフを育てていたとき、「ハエも良いだろう、蚊も良いだろう、暑さも良いだろう」と、過保護に育てることをせず、馬が普通に感じるストレスを拒否しなかった。その方が、レースに行って色んな条件でも戦える精神状態が保てると考えたからだ。人間でも、蚊が嫌だとか、暑さが嫌だとかそういうストレスになることを受け止めれなければ生きていけないし、良い仕事も出来なくなるような気がする。生きてれば、ストレスは感じざるを得ない。当たり前のこと。

 ストレスを感じながら観た、サッカーの東アジア選手権、日本対韓国。終了間際にようやく小笠原のCKから中沢が決めて1−0で勝利。困った試合が多すぎる。

 5日の結果。 トレモリノス。ハビエル・コンデ、耳1枚、耳2枚。モランテ、耳1枚が2回。

 6日の結果。 エル・プエルト・デ・サンタ・マリア。セサル・リンコン、耳なし。モランテ、罵声、耳1枚。フリ、耳1枚。 ラ・コルーニャ。コルドベス、ペピン・リリア、耳2枚。オルドニェス、耳なし。 サンタンデール。アントニオ・バレラ、耳1枚。マンサナレス、場内1周。エドゥアルド・ガジョ、耳1枚が2回。 ビトリア。ロブレニョ、弱い耳要求で場内1周。サルバドール・ベガ、サルバドール・コルテス、耳1枚。 エステジャ。フランシスコ・マルコ、耳1枚、耳2枚。セサル・ヒメネス、耳1枚が2回。セラフィン・マリン、耳1枚、耳2枚。

 ビジャヌエバ・デ・コルドバ。ヘスリン、ビクトル・プエルト、耳2枚が2回。マノロ・マルティネス、耳なし。 マンサナンレス・エル・レアル。エル・ミジョナリオ、場内1周。フェレーラ、耳2枚と尻尾1つが2回。イバン・ビセンテ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。 バルモハド。オスカル・イガレス、耳1枚、耳2枚。アルフォンソ・ロメロ、耳2枚。イバン・ガルシア、耳4枚。 ラ・アドラダ。ラモス、耳2枚、耳1枚。ホルヘ・イバニェス、場内1周、耳1枚。セラニト、耳2枚、耳1枚。 ビジャヌエバ・デル・ロサリオ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ルイス・ドメク、耳2枚が2回。闘牛士、カナレス・リベラ、耳1枚が2回。ミゲル・アンヘル耳2枚、耳1枚。 EMIX。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ペドロ・カレロ、耳1枚。闘牛士、ミウラ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。エル・セサル、耳1枚。 ペドロ・ムニョス。エスプラ、耳2枚と尻尾1つ。パディージャ、耳1枚。アントン・コルテス、耳2枚と尻尾1つ。


 8月8日(月)

 今日の郵政民営化法案の参議院採決はどうなるのだろう。その結果もどうなるか解らない。

 インターネットの自殺サイトから知り合って、殺人を繰り返していた前上博が7日逮捕された。こういう事を実際にする人間が出てくるような気がしていたが・・・。殺人の動機を、「人が苦しむ姿を観たかった」という異常なものだ。自殺願望者もそうだが、前上博も狂っている。

 『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のイブライム・フェレールが6日、ハバナで死去。

 期待の新人、ホセリート・アダメがフランスの、MILLAS でデビュー。耳2枚、耳1枚を取ったが、コヒーダされて大怪我をした。

 7日の結果。 マドリード。アントニオ・ウルティア、カルペタノ、ホセ・ボレロ、耳なし。 バルセロナ。ビクトル・プエルト、フェレーラ、場内1周、耳1枚。アンドレス・パラシオス、耳なし。 エル・プエルト・デ・サンタ・マリア。エル・シド、耳なし。怪我。セサル・ヒメネス、耳なし。サルバドール・ベガ、口笛。 ポンテベドラ。セサル・リンコン、弱い耳要求。ポンセ、耳1枚、耳2枚で場内2周。カステージャ、耳2枚、耳1枚。 イスカル。マノロ・サンチェス、マティアス・テヘラ、耳なし。ミゲル・アンヘル・ペレラ、耳1枚、耳1枚ともう1枚要求。 マルベージャ。オルドニェス、モランテ、耳1枚、耳2枚。

 バイヨンヌ(フランス)。パディージャ、場内1周、耳1枚。ロペス・チャベス、耳1枚。バルベルデ、耳なし。 エステジャ。マヌエル・アマドール、耳なし。ファンディ、耳2枚、耳1枚ともう1枚要求。マンサナレス、耳1枚ともう1枚要求。 ソト・デル・レアル。ウセダ・レアル、耳2枚、耳1枚。イバン・ビセンテ、耳1枚、耳2枚。パウリタ、耳1枚。 バルデロブレス。ミックス闘牛。イガレス、耳2枚が2回。カナレス・リベラ、耳3枚。騎馬闘牛士、ハビエル・カノ、耳1枚。 ベルハ。ミックス闘牛。ヘスリン、耳1枚。コルドベス、耳2枚。騎馬闘牛士、フェルミン・ボオルケス、耳2枚、耳1枚。 オンダラ。レイ・ベラ、耳1枚が2回。ハビエル・ララ、場内1周。


 8月10日(水)

 8日郵政民営化法案は参議院本会議で否決され衆議院は解散総選挙になった。当初自民党不利という総選挙に対する見方があったが、どうやらそうでもない模様だ。漁夫の利で有利だろうと思われていた民主党は、岡田代表が単独過半数を取れなかったら代表辞任を表明して退路を断って臨む選挙だがどうも勢いがない。政策をTVで言っているがインパクトが足りない。一方、小泉首相は徹底している。衆議院本会議で反対票を投じた自民党議員は公認しないことを明言して全ての反対票を投じた自民党議員に対して対抗馬を立候補させる(実際には無理だろうけど)と言っている。その第1弾が、東京10区、小林興起の対抗馬に、近畿比例区選出の小池百合子環境大臣の擁立を決めた。

 解散が決まった後の世論調査では、「小泉首相が衆院を解散したことを「当然だ」と思う人が5割を超えたものの、郵政民営化関連法案の採決では、首相の強引な政治手法に批判的な人が少なくなく、選挙後、首相が続投すべきかどうかについても、賛否が二分されるなど、無党派層を中心に、小泉人気の陰りを浮き彫りにする形となった。

 参院での同法案否決を受けて、首相が衆院を解散したことについて、「当然だと思う」52%が、「そうは思わない」35%を上回った。

 しかし、法案採決で、反対や棄権をした自民党議員が相次いだことについて、「首相の方が問題」と思う人39%と、造反した「自民党議員の方が問題」と思う人41%とが、ほぼ拮抗(きっこう)した。自民支持層では、造反議員への批判が57%と多かったものの、選挙のカギを握る無党派層では「首相の方が問題」が43%と多数派だった。

 また、衆院選の結果、自民党を中心とする政権が続くことになった場合、小泉首相が続投するのがよいかどうかでも、「続ける方がよい」46%と、「そうは思わない」43%が、ほぼ2分する形となった。特に、無党派層では続投反対が53%に上った。

 一方、衆院選後の政権選択では、「自民党中心の政権」が43%で、「民主党中心」は33%。また、投票の際、郵政法案をめぐる対応を判断材料にすると答えた人は61%に達した。」ーー讀賣新聞よりーー

 「小泉内閣の支持率は47・7%と、前回7月調査に比べ、2・0ポイントの微増だった。

 不支持率は40・8%で、前回より2・4ポイント減少した。また、郵政民営化関連法案が廃案となった場合、小泉首相が衆院解散・総選挙を行うことについて賛否を尋ねたところ、「賛成」は49%で、「反対」は39%だった。」ーー讀賣新聞よりーー

 「8、9の両日、小泉純一郎首相が衆院解散に踏み切ったことを受け、緊急の全国世論調査(電話)を実施した。小泉内閣の支持率は46%で、過去最低だった先月の前回調査(37%)から9ポイント上昇。逆に不支持は37%と3ポイント減少、衆院解散の賛否も「賛成」が54%と「反対」の36%を大きく上回った。また9月11日投票の次期衆院選で「自民党を軸にした政権を望む」と答えた人は50%を占め「民主党を軸にした政権を望む」の35%を上回った。
 ◇54%が解散賛成 「自民軸の政権望む」50%
 小泉首相は今回の衆院解散について、自ら「郵政解散」と名付け、次期衆院選では郵政民営化の賛否を最大の争点と位置づけている。8日の参院本会議で、郵政民営化関連法案が否決されたことについて聞いたところ、「評価しない」が48%に上り、「評価する」(42%)を上回った。支持政党別にみると、「評価しない」は自民党支持層の67%、公明党支持層の60%を占める一方、郵政民営化に反対している野党支持層でも民主党31%、社民党46%に上った。前回調査でも7月5日の衆院本会議で造反した自民党議員の対応について「評価しない」が53%を占めており、民営化反対勢力への理解は必ずしも広がっていないようだ。
 解散の賛否については解散実施前の前回調査でも賛成53%、反対36%とほぼ同様の結果だった。特に今回、男性で解散賛成派が62%にのぼった。
 次期衆院選については「自民軸」の政権を望む意見が多数を占めただけでなく、衆院選で議席を増やしたい政党の質問に自民党を選んだ人も38%と最多で、前回調査の25%から急伸。前回は自民党を上回る35%だった民主党は、26%に減った。
 内閣支持率は、60代の54%を最大に、各年代で支持層が40%を超えた。男女別に見ると、男性の52%、女性の43%を占める。支持政党別では自民党支持層の77%、公明党支持層の57%に上ったほか、民主党支持層の17%も小泉内閣支持に回った。全体の39%を占める無党派層では「支持する」「支持しない」がともに37%だった。 
 政党支持率は自民党が32%と前回調査より6ポイント増え、民主党が3ポイント減の15%となった。そのほかは公明党5%(前回比1ポイント減)▽共産党4%(同1ポイント増)▽社民党2%(同1ポイント増)▽支持政党なし39%(同5ポイント減)――だった。」ーー毎日新聞よりーー

 今後各党のマニフェストや対応などで国民の投票行動が左右されてくるだろう。

 9日長崎に原爆が投下されて60年がたった。甲子園では、長崎県代表の清峰高校が春夏連覇を目指す愛工大名電を延長13回まで戦って4-2でくだした。今更ながら思うのは、広島の爆心地が教会の真上で、長崎は隠れ切支丹の土地。こういう事を外国、特にアングロサクソンのアメリカ、イギリス、そして、カトリックのラテン、と南米にもっと伝えるべきだと思う。

 8日の結果。 ビトリア。ペピン・リリア、耳なし。エウヘニオ、耳1枚。セラフィン・マリン、コヒーダ。 イスカル。エル・シド、耳なし。ファンディ、耳1枚が2回。エドゥアルド・ガジョ、耳1枚、耳2枚。

 9日の結果。 ビトリア。ラモス、耳なし。ファン・バウティスタ、耳1枚。ハビエル・ララ、耳なし。 ソト・デル・レアル。セペダエウヘニオ、、耳なし。サルバドール・コルテス、耳1枚、耳1枚ともう1枚要求。


 8月11日(木)

 「 インターネットの自殺サイトを利用した連続殺人事件で、逮捕された人材派遣会社契約社員・前上博容疑者(36)が大阪府警の調べに対し、「快楽殺人をテーマにした(推理作家の)江戸川乱歩の小説を中学生のころに何冊も読み、影響を受けた」と供述していることが10日、わかった。

 府警は、前上容疑者の心理解明の手がかりになるとみて調べている。

 前上容疑者は「中学生のころ、女性を窒息させる場面を描いた小説の挿絵に興奮した」と供述。小説の作者は江戸川乱歩だったと言い、「乱歩の作品を色々と読み、人を苦しめながら殺す内容のストーリーに興味を持った」と話した。

 乱歩の研究者らによると、乱歩には、前上容疑者が4年前に起こした傷害事件の手口と同様、女性の口に薬物をしみ込ませた布を押し付けるシーンが登場する作品もあるという。」ーー讀賣新聞よりーー

 それはあんた、読み方が違うでしょうと思う。そんな読み方されて乱歩が喜ぶだろうか。とんでもない勘違いをしている。

 「民主党の菅直人前代表は10日、小泉首相の地元、神奈川県横須賀市で街頭演説し、小泉首相を「官僚の上に乗ったけんか師」と皮肉った。

 菅氏は冒頭、反対派選挙区への小池環境相擁立を取り上げ、「ここまで激しくやるとは思っていなかった。さすがにけんかが強い」と首相を持ち上げた。

 しかし、返す刀で、「本当に国民のためになる相手とけんかしていない」と指摘、「薬害を隠し官製談合を隠す官僚と戦わないのに構造改革とは、笑わせるなと言いたい」と批判した。」ーー朝日新聞よりーー

 選挙前から攻防は始まっている。

 10日の結果。 ウエスカ。エスパルタコ、耳2枚。トマス・ルナ、耳1枚が2回。ディエゴ・ルナ、耳なし。 ソクエジャモス。ビクトル・プエルト、耳2枚が2回。ハビエル・コンデ、マンサナレス、耳1枚、耳2枚。 ビジャカニャス。パディージャ、耳2枚と尻尾1つ。フェレーラ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。エウヘニオ、耳2枚、耳1枚。


 8月12日(金)

 橋本龍太郎は政界を引退する模様。未だいたのって感じだけど、代わりに嫁さんが立候補する模様。世襲かよ。郵政民営化法案に反対した議員を公認しない方針を打ち出している自民党執行部に地方本部が、支援推薦を決めたところもあり、ねじれ現象が起きている。それでも、反対議員に対しては対抗馬を立てる準備は着々と進んでいる。そんな中で欠席・棄権した議員へは柔軟な姿勢で、反対派を煽っていた高村正彦元と古賀誠は寝返って賛成する趣旨を述べているらしい。寝返れば首は繋がるが、影響力、求心力はなくなるだろう。

 御巣鷹山に羽田発大阪(伊丹)行き日航ジャンボ123便が墜落して520人が亡くなった事故から20年とたった。坂本九が阪神タイガースの社長他無名の人々が死んだ。あの年、阪神タイガースは21年ぶりに優勝し大阪は沸いた。当時阪神ファンだったが一人の人間が死ななければ優勝できないのかとふと思ったこともあった。坂本九の、『上を向いて歩こう』と『六甲おろし』が胸に染みた。多くの人生が失われ、残された家族が人生を一変させた。

キャンベル 自分の幸福について知ろうと思ったら、心を、自分が最も幸福を感じた時期に向けることです。ほんとうに幸福だったときーーただ興奮したりわくわくしたりでなく、深く幸せを感じたとき。そのためには、自己分析が少し必要ですね。なにが自分を幸福にしたのだろう、と考えてみる。そしてだれがなんと言おうと、それから離れないことです。私が「あなたの至福を追求しなさい」という意味はそれなんです。ーー(中略)ーー

モイヤーズ 神話の多くが、苦しみは本質的な生の一部であって、避けて通れるものではないと言っているのですか。
キャンベル 苦しまなくても生きていける、と言っている神話には、一度も出会ったことがありませんね。神話は私たちに、苦しみにどう立ち向かい、どう耐えるか、また苦しみをどのように考えるかを語ります。しかし、苦しみがない人生がありうるとか、人生に苦しみはあるべきでないとか、そんなことは言っていません。
 ブッダは、悲しみからの解放があることを教えました。その解放とはニルヴァーナです。ニルヴァーナは、天国のような<場所>ではありません。そうではなく、そこにおいては欲望や恐怖から解放されているような、心的状態のことです。
モイヤーズ そうなると人生は・・・・・・
キャンベル ・・・・・・調和のとれた、中心の定まった、肯定的なものになる。
モイヤーズ 苦しみがあっても?
キャンベル そのとおりです。仏教徒はボーディサトヴァ〔菩薩〕のことをよく語りますが、ボーディサトヴァとは、永遠を知りつつ、しかもみずから進んで時間のかけらである現世に身を置き、積極的に、喜びをもって、この世の悲しみに参与する者のことです。そしてこれは、単に自分が悲しみを経験するだけでなく、思いやりの心をもって他者の悲しみをも共有することを意味しています。思いやりは、動物的な我欲から人間性への心の目覚めです。思いやり(compassion)とは、元来「共に苦しむ」ということなんです。
モイヤーズ しかし、思いやりは苦しみを許容するとはおっしゃらないでしょう?
キャンベル もちろん思いやりは苦しみを許容しますとも。そう、苦しみこそ人生だという認識に立って。
モイヤーズ 人生は必ず苦しみを伴う・・・・・・
キャンベル ・・・・・・苦しみを伴うものです。それを取り除こうとしても無駄です。この世の中で、だれがいったい、いつ、どこで苦痛を取り除くことに成功したでしょう。
 私は、若いときに遭った災難がもとで長年ひどい肉体的苦痛にさいなまれていたある女性のおかげで、目からうろこが落ちるような経験をしたことがあります。彼女は敬虔なクリスチャンとして育てられました。ですから、このような状態は、自分がなにかをした、あるいはしなかったために与えられた神からの罰だと考えていました。彼女は肉体的な苦痛と同時に精神的な苦痛のなかにもいたのです。私は、彼女にもし安らぎを得たかったら、苦しみを否定せず、それそのものが人生だと認めてはどうだろう、と言いました。きみは苦しみを通してこそ、いまのような立派な人間になったのだから、と。そう言いながら、実は心のなかで、「せいぜい歯痛くらいしか知らないくせに、ほんとうの苦痛に責めさいなまれている人にむかって偉そう口をきいているおまえはいったい何者だ」と考えていました。しかし、この会話を通じて彼女は、苦しみこそ自分を形づくったもの、苦しみこそ自分の教師なのだと肯定的に考えることで、ひとつの回心を経験しました。ーーその場で即座に。それはずっと昔のことですが、以来ずっとつきあいを保っています。彼女はまさしく変身を遂げました。
モイヤーズ 正覚(illumination)の瞬間が訪れた?
キャンベル そうですーー私の目の前で。
モイヤーズ それは先生が神話的な話をなさったからでしょうか。
キャンベル ええ。説明はちょっと難しいですが、私は、彼女自身が彼女の苦しみの原因であること、なぜか彼女がそれをもたらしたのだということを、彼女に信じさせたのです。ニーチェにアモール・ファティ〔運命愛〕という重要な観念があります。自分の運命を愛したまえ、それが自分の人生なんだ、ということですね。ニーチェが言うには、もしきみが、きみの人生のうちのたったひとつの要素でも否定するなら、全部をばらばらにしてしまうことになる。さらに、状況が困難だったり恐ろしいものであればあるほど、それを克服した者の人間像は偉大なものになる。きみは悪魔を飲み込むことによって、その力を自分のものにする。人生の苦しみの大きさに応じて、人生そのものも大きくなる。
 いま言った私の友達は、「すべて神さまがなさったことだ」と思っていました。「そうじゃない、きみが自分でしたんだ。神さまはきみのなかにいる。きみ自身がきみの創造主なのだ」と私は言いました。「もしきみが自分のうちに苦しみの発生源を探しあてたら、きみはそれと共に生き、それを肯定し、それを楽しむことさえできるかもしれない。きみの人生として」と私は言ったのです。
モイヤーズ それに代わる道は生きることをやめることしかない。
キャンベル 「生はすべて苦である」とブッダは言いました。ジョイスには「人生は、それを捨てるに値するものだろうか」という一節があります。
モイヤーズ でも、「自分の意志で生まれてきたんじゃない。生まれることは両親が決めたんだ」と言う若者はどうなんでしょう。
キャンベル 人生の不都合な点はみんな両親のせいにするがいい、とフロイトは言っています。マルクスは、みんな社会の上流階級の責任だという。自分の人生はかつて自分がしたことの報いである。自分以外に責めるべき人はいないんです。
モイヤーズ でも、偶然はどうでしょう。街角から飛び出してきた酔っ払い運転の車にはねられた。これは自分が自分にしたことではありません。
キャンベル そういう見方から言えば、偶然に生じたのでないことが、あなたの人生にあるでしょうか。これは、偶然を受け入れることができるか否かの問題です。最終的には人生は偶然で成り立っている。例えば、あなたの両親が出会ったことも!偶然、あるいは偶然のように見えるものを通して、はじめて人生は理解できる。そこでの課題は、責任を追求したり説明することではなくて、立ち現れてきた人生をどう扱うかということです。また戦争でも起こって軍隊にとられたら、あなたはその先五年か六年の人生を、それまでとまったく違う種類の偶然の出来事のなかで過ごすんです。最良のアドバイスは、そのすべてをあたかも自分の意志であるかのように思うことです。そうすることによって、あなたの意志を参加させるのです。」 ーー『神話の力』 ジョーゼフ・キャンベル+ビル・モイヤーズ著よりーー

 改めて思うことだが、非常に良いことを言っている。

 11日の結果。 マラガ。ビクトル・プエルト、耳なし。ミウラ、耳1枚。カステージャ、耳なし。 ウエスカ。ヘスリン、耳なし。ファンディ、耳1枚。カペア、耳なし。 ヒホン。エル・シド、耳1枚。マンサナレス、耳なし。エドゥアルド・ガジョ、耳1枚が2回。 パルマ・デ・マジョルカ。ハビエル・コンデ、罵声が2回。オルドニェス、耳1枚、場内1周。フェレーラ、耳2枚。 サン・ロケ。ミックス闘牛。闘牛士、マンサナレス、セサル・リンコン、耳なし。見習い闘牛士、フリオ・ベニテス、耳なし。 バエサ。ミックス闘牛。コルドベス、耳なし。アントン・コルテス、カジェタノ・オルドニェス、耳1枚。


 8月13日(土)

 天気は落雷などを伴って激しい雨が降る模様で週末は良くない予報になっている。イングランド、プレミア・リーグのボルトンに移籍した中田英寿は現地でのメディアは殆ど報道されていない状態だという。中村俊輔とは対照的だ。

 「モイヤーズ これらの神話の旅には必ず、人がだれもが見いだしたいと願う場所が出てきますね。仏教徒はニルヴァーナを語り、イエスは平安を、数多くの部屋を持つ天国の家を語ります。見いだすべき場所があるという、英雄の旅につきものですか。
キャンベル 見いだすべき場所は自己の内面にあるのです。私はスポーツ選手たちからもそのことを教わりました。最高のコンディションにあるスポーツ選手は、みずからの内部に静止した一点を持っています。そして彼の動きは、この一点の周囲に生起する。もし彼の全部が動きの場に出てしまっていたら、動きはかえっておかしくなるでしょう。私の妻はダンサーですが、このことはダンスにもあてはまると言っています。内部にある静止した中心点、これを知り、保つことが必要です。もしこの中心を失ったら、あなたは不安に陥り、やがてばらばらになってしまうでしょう。
 仏教徒の言うニルヴァーナとは、これと同じような、平安の中心です。仏教は心理的な宗教です。それは、苦悩という心理的な問題から出発する。すべての生は悲しみに満ちている。しかし、悲しみから逃れる道がある。逃れる道とはニルヴァーナである。ニルヴァーナは精神の、ないしは意識の状態であって、天国のような<場所>ではありません。それはいまここに、ごちゃごちゃと騒がしい人生の真っただ中に存在するのです。それは、もはや欲望や、恐怖や、社会的なしがらみに駆り立てられないあなたがーー自己の自由の中心を見つけ、そこでの選択に従って行動できるあなたがーー見いだすであろう心の状態です。この中心から自発的に出てきたのが、ボーディサトヴァの行為です。世界の悲しみへの、喜びに満ちた参加です。あなたはとらわれない。なぜなら、あなたはすでに自分自身を、欲望、恐怖、義務の呪縛から解放しているからです。そうした呪縛が、世界を支配しているのです。
 チベット仏教に、いわゆる生成の輪〔輪廻〕を描いた絵があります。人々は教化するために描かれたこの絵は、寺院のなかではなく、外側の壁に掛けられます。ここに描かれているのは、まだ死神の恐怖にがっちりつかまれている精神世界の姿です。六つの存在領域が、永遠に回転し続ける車輪のスポークで表されているのですが、それぞれの領域で生きているのは、ひとつは動物ですね、それから人間、それから天の神々、四つ目は地獄で罰を受けている魂。五つ目は好戦的な悪魔、神の敵対者、あるいは巨人族。最後の六つ目は飢えた亡霊たちで、これは、他者に対する愛に執着と執着と我執と期待が混じっていた者の魂なんです。この餓鬼たちは、巨大な腹と針の先ほどの口を持っています。しかし、これら六つの領域のどれにも、真ん中にブッダが描かれていて、解放と悟りの可能性を示しているんですよ。
 車軸の中に三つの動物ーーブタ、ニワトリ、ヘビがいます。これらは車軸を回転させる力である、無知、欲、悪意の象徴です。最後に車軸の外側の輪は、車軸のところにいる三つの力によって動かされ、死の恐怖にとらわれて生きている人の意識を、というか、その意識の限界を意味しています。そして真ん中に、車軸といわゆる「三悪」を囲んで、暗闇へ下降していく魂と、悟り(illumination)へ上昇していく魂とが描かれているのです。
モイヤーズ 悟りとはなんでしょう。
キャンベル 悟りとは、万物ーー時間の幻のなかで、裁きによって善と見なされるものだけでなく、明くと見なされるものも含めてすべてーーを貫いている永遠の輝きを認めることです。ここに至るためには、現世の利益を願い、それを失うことをおそれる心から、完全に脱却しなければなりません。「裁いてはならない。さもなければ自分が裁かれるであろう」というイエスの言葉がありますね。またブレイクは「知覚の扉が浄められたら、人はあらゆるものをあるがままの姿で、すなわち無限のものとして、見るだろう」と書いています。
モイヤーズ なかなか大変な旅ですね。
キャンベル 天国への旅ですよ。
モイヤーズ でも、実際には、聖者や修道士だけがする旅でしょう?
キャンベル いや、芸術家のための旅でもあると思います。ほんとうの芸術家は、ジョイスが万物の「輝き(radiance)」と呼んだものを事物の真の姿の顕現(けんげん)として認識し、それを表現することを学んだ人ではないでようか。
モイヤーズ しかしそうなると、残りのわれわれ凡人どもはみな、岸にとり残されることになりはしませんか。
キャンベル 凡人などという者がひとりだっているとは、私は思いませんね。すべての人が人生を生きるなかで、めいめい自分自身の幸福への可能性を持っている。その人がしなくてはならないことは、それを認識し、育て、それと共に歩むことです。凡人という言葉を聞くと、いつも変な感じがするんです。平凡な男だの女だの子どもだの、そんな人とは一度もあったことがないですから。
モイヤーズ でも、悟りに至るには芸術が唯一の道でしょうか?
キャンベル 芸術と宗教がおすすめできる二つの道です。いろんな概念がからみ合った純粋に学問的な思想を通じてそれを理解することは、だれにもできるわけではないでしょう。しかし、心を開き、思いやりの心をもって他者に接しながら生きることは、すべての人に広く開かれた道です。
モイヤーズ では、聖者や芸術家に限らず、だれもが悟りを体験することは可能なのですね。しかし、もしそれが潜在的にみんなのなかにあるとしたら、心の奥深く記憶の箱のなかに秘められているとしたら、その箱を開けるにはどうしたらいいのでしょうか。
キャンベル だれかに手伝ってもらうんですね。あなたには親友か、よい先生がいますか?生きた人間がきっかけになることもあるし、交通事故のような、なんらかの経験がきっかけになることもあります。あるいは本を読んで、ということもある。私の場合は、大部分が本のおかげでした。むろん長年ずっと、素晴らしい先生方にも恵まれましたが。
モイヤーズ 先生のご本を読んで、私は思いました。「モイヤーズ、神話はおまえをとても古い木の枝につなげてくれた。おまえは、いま生きている者たち、おまえが生まれるずっと前に生きていた者たち、おまえが死んだあとの遠い未来に生きる者たちなど全部ひっくるめたひとつの社会の一部分なんだよ。それはおまえをはぐくみ、おまえを守ってくれる。そしておまえもお返しに、それをはぐくみ守れなくてはいけないんだ」と。
キャンベル そう、すばらしい人生の支えです。心からそう思います。私の人生に注ぎ込まれたこの種の恵みがどんなに大きな働きをしたか、それはもう測り知れません。
モイヤーズ でも、神話は絵空事じゃないのか、という人がいますね。
キャンベル いや、神話は絵空事ではありません。神話は詩です。隠喩です。神話は究極の真理の一歩手前にあるとよく言われますが、うまい表現だと思います。究極のものは言葉にできない、だから一歩手前なんです。究極は言葉を超えている。イメージを超えている。あの生成の輪の、意識を取り囲む外輪を超えている。神話は精神をその外輪の外へと、知ることはできるがしかし語ることはできない世界へと、放り投げるのです。だから、神話は究極の真理の一歩手前の真理なんです。
 そういう経験と共に、ということはその神秘とあなた自身の神秘を知りつつ人生を生きるのは、大事なことです。それは、人生に新たな輝きを、調和を、大きさを、与えてくれる。神話的にものを考えることは、あなたがこの「涙の谷」において避けられない悲嘆や困苦と、折り合いをつけて生きるのを助けてくれます。あなたは人生のマイナス面だとかマイナスの時期だと思われるもののなかに、プラスの価値を認めることを神話から学ぶのです。大きな問題は、あなたが自分の冒険に心からイエスといえるかどうかです。」 ーー『神話の力』 ジョーゼフ・キャンベル+ビル・モイヤーズ著よりーー

 イエスといえる人生を歩まなければと、思う。

 ペピン・リリアが、バエサでフエンテ・インブロ牧場の“アルモンテニョ”という名の牛(NO71)をインドゥルトした。フィニートは、今日マラガで復帰する。セラフィン・マリンはビトリアのでの怪我がおもわしくなく21日のビルバオも出場できないようだ。

 12日の結果。 マラガ。アベジャン、耳なし。エドゥアルド・ガジョ、耳要求で場内1周。カペア、耳なし。 ヒホン。マンサナレス、口笛が2回。モランテ、耳なし。モレニート・デ・アランダ、耳1枚が2回。 ウエスカ。ウセダ・レアル、場内1周。フリ、耳2枚。サルバドール・ベガ、耳なし。 バエサ。アパリシオ、耳2枚。ペピン・リリア、シンボルとして耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)。マティアス・テヘラ、耳2枚、耳1枚。 タリファ。ヘスリン、耳2枚、耳1枚。コルドベス、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。ハビエル・コンデ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。

 ダックス(フランス)。セペダ、エル・シド、ルイス・ビルチェス、耳なし。 ベジエ(フランス)。ポンセ、耳2枚。ファンディ、耳なし。カステージャ、耳1枚、耳2枚。 ポンテベドラ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、メンドーサ、耳1枚が2回。闘牛士、セサル・ヒメネス、耳1枚。見習い闘牛士、耳なし。 サン・ロケ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ボオルケス、耳2枚が2回。闘牛士、マンサナレス、耳1枚が2回。見習い闘牛士、カジェタノ・オルドニェス、耳1枚が2回。 ミアハダス。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ベントゥラ、耳2枚。闘牛士、パディージャ、耳2枚。ビクトル・プエルト、耳なし。ファン・マヌエル・ベニテス、耳2枚。


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