−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年のスペイン滞在日記です。
6月19日(日)
昨日日本に無事着いた。バラッハスで色々あったがそれは後で書くことにする。成田から部屋に帰り、DVDを観たら、HDDが一杯になっていた。ダービーまでは撮れていたので良しとして、まず納豆を食べた。それから風呂。0時過ぎに腹が減ったのでおにぎり。DVDで撮りためた物をDVD-RWに移す作業をしていたらいつの間にか寝ていた。起きてその続きをして午前中に荷物が届く。それから床屋に行ってさっぱりして午後は競馬に行かず、サン・イシドロのビデオをDVDにダビングを始めた。
取りあえず闘牛の会の発表用のビデオを作らないといけないので、その作業をした。高円寺に行き靴を買い吉野家で豚丼を食べる。『義経』を観てまた納豆を食べる。ダビング作業を続けながら風呂に行き、最終日のエル・シドをダビング中。あー明日から仕事。風呂屋で体重計に乗ったら出発前と変わらなかった。でも、おそらく脂肪が多くなっているのでこれから夏までに絞れるだろう。
6月18日の結果。 ビルバオ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、パブロ・エルモソ・デ・メンドーサ、耳なし。闘牛士、サルバドール・ベガ、耳なし。マンサナレス、耳要求。 アリカンテ。オルドニェス、アベジャン、耳1枚。ファンディ、耳1枚ともう1枚要求、耳1枚。 アルバレス。レイ・ベラ、耳2枚。サンチェス・バラ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。イケル・ハビエル・ララ、耳1枚が2回。 ラ・ブレデ。ハビエル・コンデ、ミゲル・アンヘル・ペレラ、耳1枚。 ラ・ムエラ。フンディ、耳1枚。パディージャ、場内1周。エンカボ、耳なし。 AIRE
SUR L’ADOUR(フランス)。フェルナンド・メカ、耳2枚。ミウラ、罵声が2回。フェルナンド・クルス、耳なし。
6月20日(月)
中崎君からFさんが17日20時20分に亡くなったという連絡があった。丁度僕が帰国の日。マドリードからパリへ向かっている飛行機の中にいる頃だ。前に日にUさんの所へ行ったのに、時間が遅く店が閉まっていた。Fさんの事を話そうと思っていた。17日の当日は、午前中は買い物、午後は掃除して15時に待ち合わせ。でも、会えなくて1人で、「どん底」へ行った。TELをしようと思っていたけど、そして、帰る前にもう一度会おうと思っていたけど・・・。1人じゃいけないからアナスタシアさんと時間を合わせるつもりだったけど・・・。
あの日病院で会ったのが最後。あの顔を観たらもう近いのが判った。覚悟はしていたが、何も帰国の日に死ぬことになるとは。何とも言えない気分。セサル・リンコンのプエルタ・グランデと、Fさんの死。とても嬉しいことと、とても悲しいことを受け止めなければならない。良いことと、悪いことはいつも表裏一体で存在すると言うことを実感せざるを得ない。
19日の結果。 マドリード。カナレス・リベラ、アブラアム・バラガン、耳なし。バルベルデ、場内1周。 バルセロナ。ポンセ、フィニート、耳1枚。セラフィン・マリン、耳2枚。 アルメリア。セサル・リンコン、耳1枚、ルイス・マヌエルが怪我後、口笛。ルイス・マヌエル、怪我。エル・シド、耳1枚。 オンダラ。チャモン・オルテガ、耳1枚が2回。サンチェス・バラ、耳1枚、耳2枚。レジェス・ラモン、耳1枚。 ムロ。ヘスリン、コルドベス、耳1枚。フェレーラ、耳1枚、耳2枚。 ボカイレンテ。エル・レンコ、耳2枚。ホルヘ・イバニェス耳1枚。ファン・アルベルト、耳2枚。 ギフエロ。ハビエル・コンデ、耳2枚。ガジョ、場内1周、耳2枚。カペア、耳2枚。
AIRE SUR L’ADOUR(フランス)。フンディ、エンカボ、耳なし。ルイス・ビルチェス、耳1枚。 ISTRES(フランス)。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、マリア・サラ、耳1枚。闘牛士、ファン・バウティスタ、耳1枚。イバン・ビセンテ、耳1枚が2回。パウリタ、耳なし。
6月21日(火)
前略、岡部幸雄様。
『Gallop』 の臨時増刊号、岡部幸雄全史 ありがとう38年 の付録のDVDを観て、また、巻頭を飾った、あなたの「すべての馬に感謝して」 は、あなたの競馬への思いが綴られていてあなたらしい言葉であなたらしい事を語っていましたね。「馬がいたからボクの人生があった。本当にありがとうございます」と言う締めは実にあなたらしい誠実な言葉でした。私も何かをやり遂げたときには、そういう言葉を語れるようになりたいと思いました。
その後の高橋源一郎の、「全身騎手 岡部幸雄」 には、泣けました。あなたのファンの色んな思いを、源一郎があんな風に素晴らしく語っていることに感動しました。最後の、「さようなら、「全身騎手」岡部幸雄。あなたを見ていると、競馬を心の底から好きになることができたのです。」と、言う言葉には、素直にその通りと思いました。馬券を離れた感動があることを私たちはあなたから学ぶことが出来ました。偉大すぎる騎手。それがあなた、岡部幸雄です。
私は、ほぼ同時期に闘牛を好きになりました。心の底から闘牛が好きだと思えたのは、セサル・リンコンがいたからです。91年6月6日の闘牛を観た後、ホテルに帰って夜中、泣き明かしました。真っ暗な部屋で拭けども拭けども溢れ出る涙と嗚咽。耳鳴りのように聞こえる、「オーレ」の絶叫と、「トレロ」コール。寝ることが出来ずに朝早くキオスクに行って新聞を買ったのを覚えています。新聞にはセサル・リンコンとオルテガ・カノが写真入りで一面を飾っていました。あの日は確か、アランチャ・サンチェスがグラフにローラン・ギャロスで勝っていたのにスペインでは闘牛の方が重要だったのです。
私は今年、あなた岡部幸雄の引退を観、セサル・リンコンの復活劇を観ることが出来ました。偉大な2人に会えて幸せです。2人は流れ星のように交差しましたが、あなたは引退しても、輝いています。またセサル・リンコンも未だに、衰えることなくむしろ円熟した闘牛をやっていることに驚いています。あなたも、セサルも、ひたむきに、誠実に、自分の持っている技術を観客の前で見せて感動を与え続けました。私はこれを観ることが出来て本当に幸せでした。
引退の日、あなたの名前の付いたレースが行われ、あなたの特集を競馬雑誌が組んで、ファンはあなたの偉大さをまた改めて感じているはずです。
20日の結果。 アリカンテ。エル・シド、耳1枚。マティアス・テヘラ、耳1枚ともう1枚要求。カペア、耳要求で場内1周。 トレホン・デ・アルドス。エル・ミジョナリオ、耳なし。パディージャ、耳2枚。フェレーラ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。
6月22日(水)
朝から雨が降っている。嫌な気分だが、暑くないのは良い。時差ボケはあるが、仕事には支障がない感じだ。おみやげは評判が良かった。空港で、重量オーバーを言われ、一時的に荷物を預かって貰い、それからまた入れ替えたりして持ってきたおみやげ。来年からは、持っていく荷物自体を、減らさないといけないと思った。それと、一緒に着いてきて貰ったISOさんがいなかったら、大変なことになっていた。本当にISOさんには感謝している。それと、荷物バッグの事も考えないといけない。PCが入るバッグが必要。そうすればPC、本類など重めの荷物をそれに入れればスーツケースなどの重量が減る。
21日の結果。 アルバセーテ。オルドニェス、耳1枚が2回。ファンディ、耳2枚、耳1枚。セルヒオ・マルティネス、耳1枚、場内1周。
6月24日(金)
ジーコ・ジャパンはブラジルに2-2の引き分けで、予選敗退が決まった。でも、ブラジルもあのメンバーでの苦戦は予期せぬ事だっただろう。良くやったけど、勝って欲しかった。選手たちはそのつもりで戦っていたのでその姿が良いと思った。ブラジルという名前に負けていない。
訳が分からない。DVD-RAMへのダビングが何故か出来ない。新しいDVD-RAMを使っているのに、予期せぬエラーが出ました、とか、読み込み専用になってます、とか、ダビングしても観れなかったり、初期化も物理フォーマットも出来ない。どうなっているのか訳が分からないのだ。
22日の結果。 アリカンテ。エスプラ、耳2枚、耳1枚。ポンセ、マンサナレス、耳1枚。 バダホス。オルドニェス、耳要求。エル・シド、耳1枚。ファンディ、耳なし。
23日の結果。 アリカンテ。マンサナレス、耳なし。ミゲル・アンヘル・ペレラ、耳1枚ともう1枚要求。フランシスコ・ホセ・パラソン、耳1枚。 アルヘシラス。アントン・コルテス、耳1枚ともう1枚要求。セサル・ヒロン、耳なし。ファン・マヌエル・モントジャ、耳1枚が2回。 バダホス。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、メンドーサ、耳2枚。闘牛士、モランテ、耳2枚。見習い闘牛士、カジェタノ、耳なし。 レオン。ルギジャーノ、場内1周、耳1枚。カスターニョ、耳1枚が2回。バルベルデ、耳なし。
6月25日(土)
電気屋に行ってDVD-RAMとDVD-RWを買ってきた。そして、DVD-RAMで録画しようとしたがやはりダメだった。それならと、DVD-Rをやってみたがこれがまたダメ。録画できるのが、何故かDVD-RWだけ。どうやらメディアが悪いんじゃなくてレコーダーが悪いようだ。録画していたDVD-RAMでもやってみたがやはりダメ。困ったもんだ。
24日の結果。 アリカンテ。マンサナレス、口笛。モランテ、口笛、耳1枚。サルバドール・ベガ、耳1枚が2回。 アルヘシラス。セサル・リンコン、耳1枚。オルドニェス、耳なし。オクタビオ・チャコン、耳1枚。 バダホス。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ジョアオ・モウラ(息子)、耳1枚。闘牛士、ポンセ、耳2枚。フェレーラ、耳2枚と尻尾1つ、耳1枚。フリ、耳1枚。 レオン。ヘスリン、耳なし。アベジャン、耳1枚が2回。セサル・ヒメネス、耳2枚が2回。 FENOUILLET(フランス)。エル・シド、ファンディ、カステージャ、耳なし。
6月26日(日)
暑くなってきた。そして、決戦の時。ゼンノロブロイか、タップダンスシチーか、阪神競馬場でグランプリ、宝塚記念。馬券は1点。気持ちはゼンノロブロイの単勝。
原油価格が急騰している。イランの大統領選挙で、保守強硬派が勝った。北朝鮮が交渉のテーブルに着こうとしてない。3つともアメリカに絡みがある物だが、一歩間違えれば大変なことになる。
25日、レオンで行われた闘牛でエル・ファンディが、サルドゥエンド牧場の“デソクパド”と言う名の515キロ、NO99、の牛をインドゥルトした。
25日の結果。 アリカンテ。エンカボ、耳1枚が2回。エル・レンコ、セラフィン、耳なし。 アルヘシラス。マンサナレス、口笛、耳2枚。モランテ、口笛。サルバドール・ベガ、耳1枚が2回。 バダホス。ハビエル・ソリス、耳なし。エドゥアルド・ガジョ、コヒーダされ怪我。エル・カペア、耳1枚。 レオン。セサル・リンコン、耳1枚が2回。ポンセ、耳2枚、耳1枚。フリ、耳1枚。ファンディ、耳2枚と尻尾要求、シンボルとしての耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)。 セゴビア。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、メンドーサ、耳1枚。闘牛士、エル・シド、マンサナレス、耳1枚。 アロ。フンディ、口笛。フェレーラ、耳2枚。ミウラ、耳なし。 ソリア。ペピン・リリア、ウセダ・レアル、カステージャ、耳なし。 FENOUILLET(フランス)。フェルナンデス・メカ、耳なし。パディージャ、ロブレニョ、耳1枚。
6月27日(月)
日曜日に銀行が閉まっているのに預金した。銀行名は、JRA銀行。ここは通帳を発行しない。だから、残高がいくらあるのか判らない。しかし、パスワードさえ合っていれば下ろせる仕組みになっている。だがそのパスワードが難しい。ゼンノロブロイもタップダンスシチーも消えるとは思っていなかった。だがあの競馬をちゃんと予想できた人間がいる。フジTVで解説をやっている井崎修五郎。1着スイープトウショウ、2着ハーツクライ、3着ゼンノロブロイ。井崎は、馬単で、的中。単勝、3850円。馬連、11390円。馬単、28280円。3連複、16320円。3連単、178840円。
井崎修五郎は、「妄想が現実になった」と笑って喜び、手が震える。と、言っていた。おそれ入谷の、鬼子母神!お見それいたしました。予想発表時点で馬単で、3万以上あったオッズは、最終的には3万を切った。1点なら1万円買えるべ。てー事は282万円?そんな馬鹿な!羨ましくて、唖然としてしまう。
26日アリカンテで行われた闘牛で、ペピン・リリアがパラ牧場の“バンデイリト”という名の497キロ、NO718、の牛をインドゥルトした。
26日の結果。 バルセロナ。クーロ・ディアス、場内1周。パウリタ、バルベルデ、耳なし。 アリカンテ。ペピン・リリア、耳1枚、シンボルとして耳2枚(牛、インドゥルト)。パディージャ、耳2枚。ロブレニョ、耳1枚。 アルヘシラス。ポンセフリ、エル・シド、耳1枚。 ビナロス。ヘスリン、オルドニェス、耳1枚、耳2枚。セラフィン・マリン、耳2枚と尻尾1つ、耳1枚。 トラルバ・デ・カラトラバ。アニバル・ルイス、耳1枚。アブラアム・バラガン、耳1枚、耳2枚。ルイス・ミゲル・バスケス、耳2枚。 ソリア。騎馬闘牛士、レオナルド・エルナンデス、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。闘牛士、コルドベス、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。カナレス・リベラ、耳2枚、耳1枚。 トロサ。ミックス闘牛。ハビエル・コンデ、口笛、耳2枚。モランテ、耳1枚、耳要求。見習い闘牛士、カジェタノ・オルドニェス、耳なし。 ラ・モホネラ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、セルヒオ・ベガス、耳1枚、耳2枚。闘牛士、カリファ、耳1枚が2回。ルイス・ボリバル、耳2枚。 FENOUILLET(フランス)。フンディ、エンカボ、耳なし。フリエン・レスカレット、場内1周。
6月28日(火)
土曜日に怪我をしたガジョは、重傷でサラマンカの病院の集中治療室にいるようだ。
ダルビッシュが松坂に投げ勝って2勝目をあげた。松坂は、連続の四死球で自滅した形。
27日の結果。バダホス。ホセ・イグナシオ・ラモス、パディージャ、耳1枚。エンカボ、耳なし。
6月29日(水)
日本に帰ってきたら真っ先に買おうと思っていた、『アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティヴァル』 を、Vol.1〜Vol.3 が、届いた。去年発売された物で、帰ってきたら“ユニバーサル
ミュージック DVDキャンペーン2005”で、約1200円安くなっていてしかもアマゾンで20%引きになっているので、2900円で買えた。これは1962年から70年掛けてヨーロッパで行われた物で、TVショーやコンサートの模様が納められている。いわゆるブルースの大物ミュージシャンが次々と登場して演奏するが、これを観た特にイギリスの若手ミュージシャンに大きな影響を与える。
マーティン・スコセッシの、『ザ・ブルース ムーヴィー・プロジェクト』 の中の、『レッド、ホワイト
& ブルース』 の中で語られている事がこれである。時間がないので詳しくは書かないが、60年代後半からのロックシーンにパフォーマンスとしても大きな影響を与えたのはこのDVDを観れば判るだろう。その1例は、アール・フッカー。ギターを歯で弾いたり、エレキの音が鳴ったままギターを置いて音を出し続けたり、足で蹴って廻したりしている。これが、ジミ・ヘンドリックスやザ・フーの過激なパフォーマンスに繋がっていくのだろう。
28日の結果。 ブルゴス。ポンセ、耳なし。ヘスリン、耳1枚。ファンディ、耳なし。
6月30日(木)
注文していたソフトカバーの単行本 『さもなくば喪服を』 が昨日、手に入った。文庫ではカットされていた巻頭の写真がちゃんと入っている。スペイン内戦が始まった年に生まれたエル・コルドベスが始めてマドリード、ラス・ベンタス闘牛場のサン・イシドロに出場した日と、それまでの人生を内線と絡めて描いている。
ミゲル・アンヘル・ペレラがモソ・デ・エスパーダとバンデリジェーロを解雇して、協会がペレラに代わり招集を拒否したようだ。このままの状態だとモソ・デ・エスパーダとバンデリジェーロがいない状態のまま出場日を迎えると事になる。何故解雇したのか、色々噂があって本当のところが判らない。伝え聞くところに寄ると、バンデリジェーロたちに出場料を支払わず辞めたという話もある。しかし、そういう給料の支払いをしない闘牛士がいるのだろうか?それは、闘牛士ではなく他の人が管理しているはずである。他の理由、つまりペレラが非常に我が儘だと言う話もある。何が真実なのか判らないが、協会が彼に対して代わりを送らないのにはそれなりの理由があるからだろう。
29日の結果。 ブルゴス。オルドニェス、ハロチョ、耳なし。モレニート・デ・アランダ、耳1枚。 サモラ。パディージャ、耳1枚。カステージャ、耳1枚ともう1枚要求。バルベルデ、耳1枚が2回。 セゴビア。モランテ、口笛。フリ、耳なし。ファンディ、耳1枚が2回。 ソリア。エンカボ、ファン・バウティスタ、耳なし。セラフィン・マリン、耳要求で場内1周、耳1枚。
7月2日(土)
毎日部屋の掃除で忙しい。アルバセーテ、ムルシアなどのカルテルが判ったがアップする暇がない。真実中にアップしようと思うが・・・。三木田さんからメールが来たと持ったら掲示板にまで登場。その掲示板へも時間がなくて書き込みが出来ない状況。ペレアについて、闘牛士協会、アポデラード協会とアポデラードのシモン・カサスなどがバックアップをしている。どうやら次に出場する6日までには体制が整う模様だ。
30日の結果。 ブルゴス。コルドベス、耳1枚が2回。エル・シド、耳2枚、右鼠径部に10cm、5cm、3cmの角傷。ファンディ、耳1枚。
1日の結果。 ブルゴス。セサル・リンコン、耳1枚。フリ、口笛、耳1枚ともう1枚要求でプレシデンテに罵声。サルバドール・ベガ、耳1枚。
7月4日(月)
昨日仕事が終わってTAKEさんと会った。サン・イシドロの話など色々した。書くヒントをまた貰った。疲れていたのか酔っぱらってフラフラしてしまった。それでも家に辿り着けて寝ることが出来た。起きて朝食を食べて掃除。昼食を食べて掃除。夕食を食べて掃除した。
何とシーザリオがロサンゼルスで行われた第4回アメリカンオークス(GT2000m)で、2着に4馬身差を付ける圧勝で優勝した。確か日本生産馬が海外GTを制覇したのは初めてだと思う。鞍上が福永祐一だというのが未来を感じる。
3日EAUZE(フランス)で、フリエン・レスカレット(フランス人)がハビエル・ペレス・タベルネロ牧場の“ヒロンシジョ”という名(NO34)の牛をインドゥルトした。
2日の結果。 ブルゴス。カステージャ、耳1枚が2回。セサル・ヒメネス、耳2枚。エル・カペア、耳1枚が2回。 ソリア。ヘスリン、コルドベス、耳1枚。サルバドール・コルテス、耳1枚、耳2枚。
3日の結果。 マドリード。ルギジャーノ、クーロ・ディアス、マリ・パス・ベガ、耳なし。 ソリア。アベジャン、耳1枚、場内1周。ファンディ、イバン・ビセンテ、耳1枚。 ジュンケラ・デ・エナレス。エウヘニオ、耳1枚。サンチェス・バラ、耳2枚。イバン・ガルシア、耳1枚。 フエンテサウコ。ヘスリン、耳2枚。エル・セサル、耳なし。サルバドール・コルテス、耳1枚、耳2枚。 EAUZE(フランス)。フンディ、耳2枚。ルイス・ビルチェス、場内1周。フリエン・レスカレット、シンボルとして、耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)。 LE
GRAU DU ROU(フランス)。デニス・ロレ、耳1枚、耳2枚。マルク・セラノ、場内1周、耳1枚。ハビエル・カスターニョ、耳2枚、耳1枚。
7月6日(水)
部屋を掃除していたら色んな物が出てくる。その中に、始めてスペインに行ったときのパック・ツアーの日程表が出てきた。89年6月16日から23日までだった。つまり、荻内先生が、『Gulliver』 でホセリートの記事を書いた年と同じだった。あれを読んで闘牛を観に行ったのを覚えているけど、同じ年だったのだ。掃除の方は、進んでいるがまだまだかかりそうだ。本当に間に合うのかなぁ。
5日パンプローナで闘牛が始まった。祭りの方はまだだけど。
7月8日(金)
7日朝ロンドンで、地下鉄などで同時多発テロがあり、38人が死亡、怪我人が多数出た。ヨーロッパ・アルカイダがHPで犯行声明を出した。6日2012年のオリンピック開催が決まったロンドンは喜びに沸いていたが、一転最悪な気分になったことだろう。G7がイギリスで開幕した直後でもあり、各国首脳が見守る中でブレア首相が、「野蛮な攻撃」を非難し、「われわれは一致団結してテロに立ち向かう」とする緊急声明を発表した。
掃除をしていると色んな物が出てくる。
折角闘牛が出来るようになったのにミゲル・アンヘル・ペレラはテルエルで、初めの牛のカポーテの動かないチクエリナでコヒーダされて怪我をしてムレタを持つことなく医務室に行きそれで終わった。また、3日EAUZE(フランス)でフリエン・レスカレット(フランス人)がインドゥルトしたハビエル・ペレス・タベルネロ牧場の“ヒロンシジョ”という牛が死んだ。
6日の結果。 テルエル。カステージャ、耳なし。パウリタ、耳1枚。ミゲル・アンヘル・ペレラ、コヒーダされて怪我。
7日の結果。 パンプローナ。ウセダ・レアル、耳なし。ファンディ、場内1周。カステージャ、耳なし。入場行進と後、ロンドンで起こった同時テロ犠牲者に対して1分間の黙祷が捧げられた。その後、戦争反対の叫び声がテンディド・ソルから沸き起こった。
7月11日(月)
土曜日の闘牛の会は盛況だった。久々に来た人、始めてきた人が複数いた。2005年サン・イシドロ報告は、セラフィン・マリン、セサル・リンコン、エル・シド、セバスティアン・カステージャのファエナ7つのビデオを流した。セサル・リンコンの闘牛をしっかり紹介できたのが何より良かった。また、評判も非常に良かった。貸したビデオが間違っている物があるかも知れないことに気付いた。
掃除しても部屋が片付かない。
時間がないので結果は書かないが、10日バルセロナでエル・シドが復帰したが、ファンディが怪我をした。
7月14日(木)
火曜日の夜にMさんからTELがあり予定通り15日に来る。掃除、片付けばかりやっていてHPを更新する暇もない。
7月15日(金)
掃除、片付け、掃除、片付けで、部屋は何とか形になった。と、言っても綺麗な部屋のひとかた比べればまだまだ雑然としているが・・・。そして、Mさん到着。飲みに行ってDVDで今年のサン・イシドロを観て、ホセ・トマスの特集を観ている。元気そうだ。闘牛の話などして部屋でくつろいでいる。
7月16日(土)
暑くなってきた。部屋の片付けで色々な物が出てきた。例えば探していた91年のサン・イシドロの結果が出ている『6TOROS6』。ペペ・ドミンギンが書いたセサル・リンコンのコメント。『突然、炎のように』の中に僕の訳が載っているが、原文を久しぶりに観る。彼ももう死んでしまった。でも、書いた物が残るのだ。
7月18日(月)
バンプローナが終わりバレンシア、モン・ド・マルサン(フランス)が始まった。セサルは半月以上休んでいたので未だ調子が戻っていないようだ。エル・シドは怪我をしたが、軽かったので直ぐに復帰して闘牛をしている。コルメナール・ビエホなどのカルテルが発表になっているが、時間がない。
7月20日(水)
詩人の塚本が死に、小説家の倉橋由美子がスペインに行っている間に死んだ。倉橋の小説は昔良く読んだ。特に初期の頃が面白かった。女学生で小説新人賞を取って、同時期の大江健三郎と一緒に読まれていた頃もある。あの頃は、怖い物知らずで、『雑人撲滅週間』 とか過激とも思えるような思い切った小説であっと驚かせた物だ。結婚して母になってからは、ギリシャ神話を読んで、大人向けの童話を書いたが倉橋らしさが薄れている印象だった。僕は体質としては、高橋たか子の方が合っているが、倉橋の方を多く読んだ。
どっちもある種の女っぽさを感じるが、倉橋の女っぽさの方がカラッとしている。高橋たか子はドロッとしていてそれはそれで面白いが暗い。マニアックな世界だ。
今日バレンシアにセサル・リンコンが登場する。
7月23日(土)
20日バレンシアでセサル・リンコンがコヒーダされカジェホンでルイス・カルロスとルイス・マヌエル・ロサノに担がれて医務室へと、思いきや再びアレナに戻り剣刺しをして耳2枚。アドルフォが耳2枚を受け取った。ルイス・マヌエル・ロサノがセサルを担いだのを初めて見た。怪我は左膝で全治3週間と診断された。22日付のロサノのコメントでは、25日サンタンデールでのエル・シドとのマノ・ア・マノに出場したいとセサルは言っているという。どうなるのか?TV中継も入っているし、ライバルのエル・シドとの闘牛を楽しみにしていたのだろうが(僕も楽しみにしていたが・・・)、無理をしないで欲しい。今年は非常に調子が良かったし怪我もないと思っていたらこういう怪我をする。人間良いことばかりじゃないのだ。
22日同じバレンシアでセバスティアン・カステージャが右太腿の後ろを牛の左角にブッツリ刺されて大怪我をした。彼の闘牛は最近、牛の直ぐ近くで命賭け闘牛をしていたのでいつかこういう大怪我をするだろうと思っていたが、写真を観ているだけでも痛そうだ。これも未だ診断が発表されていないが1ヶ月くらいの重傷だろう。
7月25日(月)
Mさんは昨日部屋を出た。スペインに帰るのは27日。荷物を預けている所はターミナルに近くアクセスが良いのでそっちに移った。一昨日だった片付けをしていて出てきたビデオを観た。NHKでやった山田風太郎の、『戦中派不戦日記』 を中心に敗戦の昭和20年、日本人が日記に綴った物を振り返る番組だった。Mさんと2人で久々に観たが、やはり風太郎の日記は凄い!Mさんも興味深く観ていた。
「運命の年明く。日本の存亡この一年にかかる。祈るらく、祖国のために生き、祖国のために死なんのみ。」から始まり「運命の年暮るる。日本は亡国として存在す。われもまたほとんど虚脱せる魂を抱きたるまま年を送らんとす。いまだすべてを信ぜず。」で終わる克明な日記を・・・。これは確か戦後50年を記念して制作された番組だったはず。風太郎も未だ生きていてインタビューで出演している。アルツハイマーの初期症状で片足がびっこを引いている。
もう一つは、ビル・モイヤーズがジョーゼフ・キャンベルに、「スター・ウォーズ」を作ったジョージ・ルーカスのスカイウォーカー牧場でのインタビューを収録した、『神話の力』から『愛の女神』。処女降誕がキリスト教に取り込まれていった背景などを語っている。僕が今、読むべき本はジョーゼフ・キャンベルの神話のことを書いている本だと思う。『神の仮面』 『千の顔をもつ英雄』。こう言うのが必要だし重要だ。部屋の片付けで出てきたので読める。
MさんはTELをすると言っていた。また来年にマドリードで会いたい。サン・イシドロで。
24日エル・プエルト・デ・サンタ・マリアでエンリケ・ポンセがヌニェス・デル・クビジョ牧場の“アルマンシト”という名の牛(NO17、475キロ)をインドゥルトした。
また、25日今日サンタンデールでセサル・リンコンが復帰してエル・シドとのマノ・ア・マノをする。
7月26日(火)
25日サンタンデールでのセサル・リンコンとエル・シドのマノ・ア・マノはエル・シドの耳3枚でセサルは耳が取れなかった。怪我からの復帰戦だったので仕方がない。
何故、アメリカの神話学者ジョーゼフ・キャンベルが重要か。それは以下の引用からでもその一端が解ると思う。
「 モイヤーズ 詩人ワーズワースは、「われらの誕生は眠りと忘却に過ぎない/われらの内に生まれる魂、我らの命の星は/存在の基盤を別に持ち/はるか遠くからやってくる」と書いていますが、それは正しいでしょうか。
キャンベル そう思います。完全な忘却ではありませんが。私たちの肉体内の精神はある種の記憶を運んでいるからです。つまり、特定の環境条件とか、有機体の要求だとかに適応するよう私たちの精神組織を形成しているその記憶です。
モイヤーズ 私たちの魂は古代神話になにを負っているのでしょう。
キャンベル 古代神話は精神と肉体とを調和させるために作られたものでしょう。精神は奇妙なひとり歩きを始めて、肉体が欲しないものを求めたがる。神話や儀式は精神を肉体に適合させ、生活方法を自然が定めた道に引き戻す手段です。
モイヤーズ すると、そういう古い物語はわれわれのなかで生きている?
キャンベル まさしくそのとおりです。人間の発達の諸段階は、現代でも古代と変わりはありません。子どものころ、人は規律の世界、服従の世界で育てられ、他人に依存して生きている。成年に達すると、そのすべてを変え、他人に依存するのではなく、自己に責任を負い、主体性を持って生きなければならない。その関門を抜けられないなら、精神症に陥る基本原因ができてしまいます。そして、自分の世界を確保したのちに、その世界を譲るという段階がやってくる。法規や離脱の危機です。
モイヤーズ そして、最終的には死ですか?
キャンベル そして、最終的には死。それが究極の離脱です。つまり、神話は二つの目的に仕えなければなりません。ひとつは、若者を自己の世界での生活に導き入れることーーそれが民族思想(folkidea)の役割です。いまひとつは、その世界からの離脱させること。民族思想は人間にとって最も基本的な理念を開示してくれ、人はそれは導かれて自分自身の内面生活のなかに入っていくのです。
モイヤーズ そして、こういう神話は私に、他人がどうやって道を築いたかを教えてくれるし、自分がどうすれば道が築けるかも教えてくれるのですね?
キャンベル そう。そして、その道の美しさはなんであるかも。私は現在ーー生涯の最終段階に入っているいま、という意味ですがーーそれを感じています。神話がそこに進む私を助けてくれていると。
モイヤーズ どういう神話でしょう。実際に先生を助けた神話の例を挙げていただけませんか。
キャンベル 例えば、インドには、ある段階から別の段階に進むごとに、服装をすべて変える、自分の名前さえ変えてしまうという伝統があります。私は教職を離れるとき、新しい生活スタイルを想像しなければならないと自覚していましたので、いまのインドの伝統にのっとって、自分の生活に対する考え方を一変させました。学問的業績の領域から抜け出して、この人生の素晴らしさのすべてを、ゆったりと楽しみ、鑑賞するという心境になったのです。
モイヤーズ そのあとに控えているのが、暗い門をくぐる最後の道でしょうか?
キャンベル いや、それは全く問題じゃありません。肉体がその力の頂点に達して衰え始める中年期の問題は、自己を、衰えかけている肉体と同一視するのではなく、意識と同一視することです。肉体はその意識を運ぶ道具に過ぎないのですから。私は神話からそういうことを学びました。この私はなんだ?私は光を運ぶ電球なのか、それとも、電球を単なる道具として使っている光そのものなのか。
老いに入るとき生じる心理的な問題のひとつは、死に対する恐怖です。人々は死への扉をどうしても避けようとする。けれども、そこ肉体は意識を運ぶ手段に過ぎません。そして、もし人が自分をその意識と同一視したならば、この肉体が古い車みたいにだめになっていくのを見ることができます。今度はフェンダーがいかれた、次はタイヤ、そして次は、と続きますが、そうなることは予想できるのです。やがて、その全部が徐々に解体し、意識は意識の世界に戻る。それはもはやこの特定の環境には存在しない。 」 ーー『神話の力』 ジョーゼフ・キャンベル+ビル・モイヤーズ著よりーー
7月27日(水)
台風が過ぎて日差しが強くなる。雨台風で殆ど風は吹かなかったのでこんなものかと思ってしまった。生暖かかった変な気温は台風一過で暑くなるだろう。
昨日の続きで、何故、アメリカの神話学者ジョーゼフ・キャンベルが重要か?以下引用。
「モイヤーズ 先生は死のイメージが神話の原点だと言っておられますね。どういう意味でしょうか。
キャンベル 神話的思考の最も初期の表れは墓と関連しています。
モイヤーズ それは、男も女も生命を見ていながら、実は見ておらず、それゆえに生命について疑問を抱く、ということを示唆しているのでしょうか。
キャンベル そういうことでしょうね、きっと。自分自身の経験がどんなものか、想像してみればいいと思いますよ。墓には被葬者の生命の継続を保証するための彼らの武器やいけにえが共に葬られている。それらは、いま私たちが見ている冷たい、腐敗しつつあるむくろより前に、生きた温かい人間がいたことを確かに示しています。そこにないなにかが存在していた。それはいまどこにいるのか。
モイヤーズ 人間はいつ死を発見したとお考えですか?
キャンベル 最初の人間になったときに死を見いだしたのでしょう。彼らは死んでいったのですから。なるほど他の動物だって、仲間が死んでいくのを見るという経験は持っていますが、私たちが知っている限り、彼らはそのあとくよくよと死について考えることはありません。そして、武器と動物のいけにえとが副葬されるようになったネアンデルタール人の時代までは、人間が死について考えたというはっきりした証拠がありません。
モイヤーズ いけにえはなにを代表していたのでしょう。
キャンベル 知るよしもありません。
モイヤーズ 推測でもいいのですが。
キャンベル 推測はしないように努めているんです。この問題については実に膨大な情報があるのですが、情報がなくなるという時点があるのです。書かれた資料が出てくるまで、人々がなにを考えていたかを知ることはできません。現在のものから過去を推測することはカノですが、危険なやり方です。ただ埋葬が、見えざるところに向かって生命が継続するという理念と、また、見える次元の裏に見えざる次元が存在し、それがどういうわけか見える次元を支えているという理念とも、いつも関わっていることはちゃんとわかっています。あらゆる神話の基本的テーマはそれだーー見える次元を支えている見えざる次元が存在していることだーーと、私は言いたいですね。
モイヤーズ われわれの知らないものがわれわれの知っているものを支えている。
キャンベル そう。そして、見えざる支えというこの理念は、社会とも結びついています。社会はあなたよりも前に存在していた。それはあなたが死んだあとにも存在している。そしてあなたはその一員である。あなたをあなたの社会的グループに結びつける神話、つまり種族的神話は、あなたがより有機体の一器官であることを明らかにします。社会そのものがより大きな有機体の、すなわち、種族がそのなかを動き回る大地や世界の一器官なのです。儀式の主要なテーマは、個人を自分自身の肉体よりも大きな形態構造と関連させることです。
人間は殺すことによって生きており、それに関して罪悪感を抱いています。埋葬は、私の友達が死んでも、その人は生きつづけるという考えを暗示しています。私が殺した動物たちもやはり生きつづけなければならない。大昔のハンターたちは、たいがい一種の動物神信仰を持っていました。学術用語を用いるなら、<アニマル・マスター>で、それは支配者としての動物です。そのアニマル・マスターは、殺されることを目的に動物の群れを放つのです。
いいですか、基本的な狩猟神話は、動物世界と人間世界との契約といった性格を持っています。動物は、自分の命がその物理的な実態を超越し、ある復活の儀式を通じて土や母親のもとに戻るという了解のもとで、進んで自分の命を与える。その復活の儀式は、主要な狩猟動物と関連づけられています。アメリカ大平原のインディアンにとって、それはバッファローです。北米大陸の北西海岸地方では、大がかりな祭儀は回遊を終わって戻ってくるサケの群れと関連があります。南アフリカに行くとエランドという雄大な羚羊(れいよう)が主要な動物です。
モイヤーズ で、主要な動物とは・・・・・・
キャンベル ・・・・・・主要な食物を提供してくれる動物です。
モイヤーズ すると、初期の狩猟社会では、人間と動物とのあいだに、一方が他方によって消費されることを条件とする約束が生まれてきたのですね?
キャンベル 生命とはそういうものです。人間はハンターであり、ハンターは肉食の猛獣です。神話において、猛獣とえさになる動物とは、二つの重要な役割を演じています。それらは生命の二つの面を代表している。攻撃し、殺し、征服するという生の側面と、もの、あるいは素材(subject
matter)と呼べるような側面です。
モイヤーズ 命そのものですね。ハンターと狩りをされる側との関係ですが、どんなことが起こるのでしょうか。
キャンベル ブッシュマンの生活から、また、バッファローに対するアメリカ原住民の関係からわかるのは、それが相互重視ないし尊敬の関係だということです。例えば、アフリカのブッシュマンは砂漠の世界に住んでいます。それは非常に困難な生活であり、そういう環境での大変な難事業です。大きくて力強い弓は作ろうにも、適当な気はほとんどない。ブッシュマンの弓はとても小さく射程距離も三十メートル足らずです。矢の貫通力もはなはだ弱い。しかし、ブッシュマンは矢じりに途方もなく強力な毒を塗っておくので、射られたら見事なエランドは1日半たつと苦しみもだえて死んでしまいます。エランドが射られたから悶死するまでのあいだ、ブッシュマンは、これをしてはならぬ、あれをしてはならぬという特定のタブーを守るのですが、それは一種の参加儀礼です。その肉が自分たちの生命になる動物の死、自分たちがもたらした動物の死に、神秘的な参加をするわけです。そこには同一化、神話的な同一化があります。動物を仕留めることは単なる虐殺ではなく、儀式的な行為ですーーお祈りをしてから始める食事がそうであるように。その儀式的な行為は、命を捧げた動物が自発
的に食べ物を与えてくれるおかげで生きていることを認める行為です。狩猟は儀式です。
モイヤーズ そして、儀式は精神的な真実を表現している。
キャンベル それは、その行為が、単に私自身の個人的な衝動だけでなく、自然の道に合致していることを表しています。
ブッシュマンは動物の話をするとき、それぞれ違った動物の口の形をまね、動物自身が話しているかのように発音をするそうです。彼らはそういう動物を親しく知っているので、隣人のような親近感を持っているのです。
ところが、彼らはその一部を食べ物にするために殺す。私は肉牛のほかにペットの牛を飼っている牧場主たちを知っています。ペットの牛の肉は食べようとはしないのです。友達の肉を食べるというのは、一種の共食いになるからです。ところが、原始社会の人々はしょっちゅう友達の肉を食べていた。そこでなにか心理的な償いが必要になってくる。神話がその助けになってくれたのです。
モイヤーズ どうように?
キャンベル そういう大昔の神話は、精神が罪悪感や恐怖感なしに、必要な生活活動に参加することを助けてくれました。
モイヤーズ だから、これらの偉大な物語は、何らかの形で絶えずこの力学を教えてくれるわけですねーー狩猟、ハンター、狩られる側、友達としての動物、神の使者としての動物。
キャンベル そう。通常は食われる側の動物が神の使者になります。
モイヤーズ そして、こちらは結局、その使者を殺すハンターになる。
キャンベル 神を殺すハンターに。」 ーー『神話の力』 ジョーゼフ・キャンベル+ビル・モイヤーズ著よりーー
7月28日(木)
台風が来るまでは、生暖かい湿った感じで蒸し暑かった。昨日は青い空、強い日差しだったが風が吹いてそんなに暑くは感じなかった。今日は暑かった。最近Mさんの影響でそばばかり食べている。
また続きで、何故、アメリカの神話学者ジョーゼフ・キャンベルが重要か?以下引用。
「モイヤーズ それは罪悪になりますか?
キャンベル いえ、罪悪という観念は神話からは払拭されています。動物を殺すのは個人的な行為ではありません。あなたは自然の業を行っているのです。
モイヤーズ 罪悪の観念が神話から払拭されている?
キャンベル そうです。
モイヤーズ でも時には、殺すために忍び寄るなんて、気が進まないこともあるはずです。ほんとうはその動物を殺したくないのだから。
キャンベル 相手の動物は父親です。フロイト派の学者がよく言ってますね。男の場合、最初の敵は父親だと。あなたが男の子であれば、あらゆる敵は潜在的、心理的に、父親のイメージと結びついています。
モイヤーズ 動物が神という父親になったと、そう思われるのですか?
キャンベル そうです。主要な動物に対する宗教的態度が尊重と敬意であることは事実ですが、それだけでなく、その動物の感動的な本性(インスピレーション)の前にひれ伏すという態度も含まれています。その動物は贈り物をーーたばこ、神秘的なパイプなどをーーもたらしてくれるのです。
モイヤーズ それが原始人を悩ませたとはお考えになりませんか。神である、あるいは神の使者である動物を殺すなんて。
キャンベル もちろんです。だからこそ儀式があるんです。
モイヤーズ どういう儀式が?
キャンベル 動物をなだめ、彼らに感謝する儀式です。例えば、クマを殺したあと、その肉の一片を当のクマに食べさせるという儀式があります。それから、まるでクマがそこにいるかのように、クマの皮を台の上に飾るという小さな儀式もあります。クマはそこにおり、ディナーのために自分自身の肉をくれたのです。焚き火が燃えている。その火は女神です。そして山の神、つまりクマと火の女神とのあいだに会話が交わされる。
モイヤーズ なにを話し合うのでしょう。
キャンベル 知りようがありません。だれも聞いたことがないからです。でも、そこに小さなおつきあいがあるということは確かです。
モイヤーズ もしもホラアナグマ(旧石器時代のヨーロッパにいた大型のクマ)をなだめる儀式がなかったら、クマは姿を現さず、原始人のハンターたちは上地にするほかなかった。彼らハンターたちは、何かたよりになる力、自分たちより偉大な力の存在と認め始めた。そういうことですね?
キャンベル そうです。このゲームに動物が進んで参加すること、それこそ、アニマル・マスターの力です。世界中の狩猟民族のあいだに、主要な食料動物に対するとても親しい、感謝に満ちた関係を見いだすことができます。現在でも私たちは食卓について食べ物を与えてくださった神さまに感謝を捧げますね。それらの人々は動物に感謝したのです。
モイヤーズ すると、なだめる目的で動物たちに儀式的な敬意を表すのは、スーパーマーケットで食肉売り場の店員にわいろをつかませるようなものでしょうか?
キャンベル いやいや、わいろとはまるで違う。それは相互扶助の関係のなかで協力してくれたと友達に感謝するという意味合いを持っています。もし感謝をしないと、その種の動物は腹を立てるでしょう。
動物を殺すために定められたいくつもの儀式があります。ハンターは殺しに出かける前に、丘の上でこれから殺す動物を描く。それも、朝日が昇ると最初に光線がその絵を射るような場所に。日の出のとき、ハンターは儀式を行なう少人数の人々と共にそこで待っています。そして、光が動物の絵を射るとき、ハンターの矢もその光線と一緒に飛んで、同じ絵を射る。と、彼の助手としてその場にいる女が両手を挙げて叫ぶ。それからハンターは出かけて、動物を殺す。その時、放たれた矢は、絵の動物に当たったのと同じ位置に当たることになっています。翌朝、朝日が昇るとともに、ハンターは描いた絵を消します。こうしたことを、ハンターは個人的な意図からではなく、自然の秩序の名において行なうのです。
それとは全く性格の異なる社会、サムライ社会の話も紹介しましょう。サムライという日本の戦士たちは、自分の主君が殺されたら、復讐する義務を負っていました。彼が主君を殺した男を追いつめ、まさに刀で相手を倒そうとするとき、追いつめられた男が恐怖に駆られ、戦士の顔につばを吐きかけたとします。すると、戦士は刀をさやに納めて歩み去るのみです。
モイヤーズ それはまたなんで?
キャンベル 腹を立てたからです。もし怒りに駆られて相手を殺したとなると、個人的な殺人行為になってしまうでしょう。しかし、彼は別のこと、つまり、非個人手な復讐の行為のためにやってきたのです。
モイヤーズ 大平原のハンターの精神にも、多少はその種の非個人性が働いていたと?
キャンベル それはもちろん。だれかを殺して、その人の肉を食べるというのは道徳的な問題ではないでしょうか。こういう人々は、私たちと違って動物を下等な動物とは見ていませんでした。動物は少なくとも人間と同等である。時には自分たちよりもすぐれている。
動物は人間が持っていないいろいろな力を持っています。例えば、シャーマンはしばしば動物霊を持っています。自分の支えになり、教師にもなるある種の動物の霊魂です。
モイヤーズ しかし、もし人間に創造の働きが可能になって、美しいものを見ることができ、動物とのそういう関係から美を作り出すことができるようになれば、人間は動物よりもすぐれた者になるんじゃありませんか?
キャンベル さあ、彼らはすぐれているという意識よりも、対等だという意識を持っていたと思いますね。彼らは動物に忠告を求め、いかに生きるべきかのモデルを動物のなかに見いだします。その場合、動物の方がすぐれているわけです。またときどき、動物がある儀式を与えることになりますーーバッファローの起源についての物語においてそうであるように。この対等性は、例えば、ブラックフット族の基本的な物語の中に見ることができます。それは彼らのバッファロー・ダンスの儀式の起源に関する伝説的な物語です。彼らはその儀式によって、この人生におけるバッファローの協力を招き求めるのです。」 ーー『神話の力』 ジョーゼフ・キャンベル+ビル・モイヤーズ著よりーー
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